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通訳って凄いなあ。ときどきそう思う。 進行管理という仕事。その本質は強きを助け弱きをくじくことである。タケちゃんマンである←歳がばれる。という自虐はともかく。 とにかくヒトとヒトの間に入る。優先事項をたしかめた上で整理する。板ばさみになる。我慢が仕事だと思う。ときどきか~っとくる。問いあわせという名のクレーム電話をする。呼び出し音を聞きながら机の片隅に情念のローキックをいれつつおさまるのを待つ。 通訳だったらどうすんだろう。外交だったらどうするのか。あるいはビッグな商取引でもいい。まどろっこしく当事者が言葉を選んでる間に「あんたODAもらって他国に貸すって何千年の歴史が聞いてあきれるわ」とか「コメほしがる前にやることあんだろう人間なら」とか「400戦無敗ってはったりじゃねーの」とか勝手に喋ったりしないのか。かーっときたらどうするんだ。 そんなことを言わない通訳を尊敬する。日本人だって難しいのに相手はガイジン。凄い。自分にはできない。 私が好きなのはかつての阪神タイガースの通訳の話である。 記者会見で起用法の文句をぶちまけるガイジンが喋り終るのを待って「ようするになあ明日も頑張るっちゅうことや」で終らせていたらしい。素晴らしい組織防衛。という難しい話より「ヤキュウ」という感じがするではないか。 だいたいコミュニケーションギャップによる摩擦は「こちらがわかるはずと思っているのにわからない」ということからはじまるのだ。あらかじめ「おたがいわからないもの」という前提でいようとする職業。やはり「選ばれし者」といっていいだろう。 あらゆるリーマンにこの通訳のセンスが必要なんだろう。顧客を懐柔し、社内の障壁をのりこえる。できれば「通訳」のいらないヒトでありたい。そうは思っているのだが。 というわけで、だれか訳してこの想い・・・っていうと恋歌みたいだが。あーいらいら。反抗期か?(♂)
2004年09月30日
組合の用事で外出。他労組と交流会。浮世の義理というやつだ。ほとんど居候である。 うーむ。言語が伝統芸能だ。思考回路がそうなのかもしれない。もっといえば世界観か。悪口かなこれ?悪口だろう。たとえば「9月28日」を「キュウテンニイハチ」といったりするのって、つかこうへい先生の「飛龍伝」かプロレスの試合の予告しかないのだけれど今日はじめてナマで聞く。感動はしないが。 イタい。しかもいなたい。 ようするに給料があがればいいのだ。いいかげんこういう方式って切り口を考えた方がいいかもしれない。弁護士でも連れてきたほうがいいのだろうか。あがったら何パーセント払うとか。って、うちの業種で何パーセントって市場規模考えたらだれも引き受け手がいないだろうけど。だれか来て格安弁護士。ただし思想系でない方希望。 あと、芝居のチケットが売られてたのもイタさ倍増だった。芝居やっているひとってこういう目でみられているんだろうなあとか。まあこの手の販売網をつかう劇団っておもしろくないんだけど。あ、これも悪口だ。 たいした人数でないのに年間行事がたくさん予定されているのは驚いた。こんなにやってて、しかも会社の中でもやっていたらいつプライベートなんだろう?まあそういう「使命」というより「趣味」とみたらプライベートみたいなもんなんだろうけど。そのへんの生活のリアリティがどうもみえてこない。 「家庭より大切なものがある」とかいうのだろうか。とよけいな心配をしてしまう。自分にはコドモがいないので「家庭」といってもそれほど切迫感はないが。自分の時間をとられるって感覚がどうもこのひとたちには薄くないか? なによりもこの場の自分の中の評価をさげさせるのはメンバーの話がまとまらないままだらだら長く報告することである。アルコール入っているとはいえ「簡潔に」ってできないのかねえ?この淀んだ空気がたまらん。結局現在の組合の位置がみえてしまう。 よく、学生運動っていえば山のぼりのひとみたいな服のひと(苦笑)が多いけどみんなイケメン(苦笑)そろえてファッションコーディネートしたら少しはおしゃれな世界になんのかねえ?といったりするのだが、なんのなんの。大人の世界ももう少し垢抜ける必要があるかもしれない。すくなくとも今の私にはここが魅力的な場とは思えないのだ。目的のためになにかを犠牲にしてるんだよ。というのはわかるのだが。「この世界」の感覚って絶対乖離している。 闘争資金でピーコをよぼう。まずはそこからだ。(♂)
2004年09月29日
長い会議に縛られる。 みんなよく耐えられるなあと感心する。以前はみんなのしゃべり方のせいにしていたが。今日判明した。問題は私の日本語リスニング能力だ。自分だけ集中を切らしているのってどうかなあ。竹中直人みたいにばちばちしゃべってくれればいいのに。横隔膜がびりびりするぐらい。 会議になるとおたがい出方をみるので平坦な喋りになる。字幕の読めないフランス映画みたいだ。つらい。昼食後の会議はとくにつらい。リスニングもスピーキングも能力低下する。満腹と高温。弛緩した肉体が誘うホワイトアウト。よく我慢するよな。 小3の教科書で会議のやりかたを習ったような記憶がある。「としょ係」を決める話し合いで突然言い出すコドモが現れるのだ。「ぼくは本が読みたいです」「私もです」別役実もびっくりである。もちろん悪い例だ。が、実際ありうる展開ではある。今日のコンディションなら私だってやりかねない。 というわけで楽しい会議(あんのかそんなの)方法を考えてみた。(1)焼き肉「例の件、どうなってるんですかいったい」(じゅー)「まああせるなって」(じゅじゅー)「待ってられませんよっ」(じゅー)「ナマだぞそれ。もう少し寝かせてみたらどうだ」(ぐびっ)「そういってるとタイミングを逃すんですっ」(もぐもぐ)・・・間合いがとりやすいシチュエーションではある。西部劇で顔はいいが演技は下手な役者は木を削らせて間をもたせたらしい。焼き肉で会議の気まずい空気もたちまちなごやかに。おためしあれ。 他に(2)キャッチボール(3)ウノ という捨てがたいネタもあるが、それはまたの機会に。って、いつだよ。(♂)
2004年09月28日
残業で質問メールを得意先に送る。すると速攻返事が。珍しい。 忙しい人でいつもなかなか戻ってこない。素直にうれしい。お礼メールを返すとまたメールが。「どういたしまして。頑張ってるねえ。かみさん3人ぐらいくわせるつもりかい?」 疲れているのでこういう軽口メールは効く。染みる。おやぢ(ex.私)がだじゃれ多用するのもよくわかる。しょーもない日常をアホ話でごまかす知恵なのだ。そんな22:00退社な月曜日。「残業で 囲えるぐらい 稼がせろ いってみたい誘惑 あしたの労使会議」 おお、俵万智みたいだ←どこがだよ。(♂)
2004年09月27日
土曜日出勤だったので1日しか休みがない。 焦っている時点で休みの意味ないじゃん。と思いながらひたすら寝る。いちおう洗濯はする。しておかないと来週ノーパンですごすことになる(ウソ)。天気が悪いのに。部屋中に干す。以前知り合ったヤツはジーンズを直ばきしていたが、どうするんだなんか着いたら。しかもこういうやつにかぎってあんまり洗わなかったりするのだ。恐くて聞けなかったけど。 あっというまに夕方。散歩ついでに小雨の降る中パン屋へ。くるみパンとチーズパンを買う。新作の試食をさせてもらう。すでに試したあとだったので「おいしいけど2人で食べるにはなかなか減らなくて」といったら「冷凍もできますしあらかじめ薄くきっておけば次のとき食べやすいですよ」といわれる。「ワインにもあいますしね」と付け加える。なるほど。こういう一言に弱いのだ酒飲みは。ワインを飲む習慣はないがそういわれると試してみたくなる。次回チャレンジ。 近所にイヌの名前にちなんだカフェバー(死語か?)がオープンしたのでついでによってみる。イヌの名前にちなんだ店。「イヌを連れてこられます/ドラム教室もやってます」という宣伝。かみさんと先行きやばいだろという話をしていたのだ。まだ駅前ならいいんだけど新興住宅地のど真ん中。どうみても商売ならないだろう。駐車場もないし。バス停の前だから大丈夫とみたか? 入ってみたら私ひとり。生ビールを注文。まあ予想の範囲なのであらかじめ近所のコンビニで買ったサッカーマガジンを読む。ドラムセットとDVDが流れる。エリッククラプトンの音がでかい。リラックスするにはでかすぎる。パイプ椅子。素人っぽい壁際の飾り。小さなスポットライト。明るすぎる内装。コーディネーターをよべ!といいたくなる。それとも自己流? いなたい。 イヌが来るにしても、あと営業しているかどうかという入りやすさにしても。防音の意味で制限されたのだろうか。外からとにかくアクセスしずらい。すでに赤信号が。 うーん。 客がいる状態というのを想定しているとはとても思えない。以前空間コーディネーターの人がラジオで言っていた。実際「いてほしい/いたい」場所に座ったり立ったりしてみてまわりにリラックスできるモノを置くというのがガーデニングの基本だということだ。この店、座ったときにすわりがわるいのだ。客というピースがはまって完成するパズルになってない。 どこかに中心を置く。視覚とか嗅覚とか。そういうキモがみえない。売れない劇団とかでもそうなのだが。好かれても嫌われてもいいからとにかく真中におきたい毒の部分。どうも散漫というか主張がみえないのである。逆に「毒」があれば「毒される」ひとがでてくるのだが。 つぶれるほうとはらたいらに3000点。(♂)
2004年09月26日
仕事でぬけられない友人との飲み会キャンセルにつき、本を購入。本書+「魔笛」と野沢先生2連発+中村うさぎ「変!」。生きたカネの使い方だ。 「あのカネでなにが買えたか」という本があったが、国家予算にいたらないまでも年間のビール代を有効利用すればいまごろは。 英語がペラペラかもしれない。 海外旅行にいけたかもしれない。 マセラッティが買えたかもしれない(ないない) ・・・ところでマセラッティってなに? ほんとはわたしにとっていちばんいい生きたカネとは「使わないこと」ではあるのだが、それはまたべつの話。 さて本書。舞台は取り壊しがきまりつつある現代の学生寮。反対する寮生に対し大学側は舎監を置くことを条件に存続を認める。その舎監とは元警察官名倉。 はるか昔に寮の自治をかちとるにあたって決めた寮則「清潔」「門限」「留年者を出さない」などの厳守を要求する名倉。寮生は反発するが・・・サラ金。ストーカー。内定取り消し。ネットによる中傷。恋愛。毎日のように寮生たちにふりかかる問題。強く見守る名倉の存在がなにかを変えていく群像劇。 自治寮。学園紛争に出動した元機動隊員という設定。本作は60年代のあの時代への総括がバックにある。時代の残滓にいいとこだけ浸りなにもなかったようにしている上の世代と、ダブルスタンダードで矛盾に反発することなくすりぬけていこうとする下の世代。世代の対立すら成立しない中でかつて学生と闘った名倉がただひとりみせようとする生き方。それは父親のありかたである。 価値観への強烈な意思。おしつけるわけでなくひとつひとつの矛盾を指摘し、考えさせる。寮内の電球をかえ、庭をいじり、寮生の敵と戦い、環境を整えていく「舎監」というありかた。父親そのものである。否、もはや失われた父親というロマンかもしれない。 最後の大学側の寮生への罠に対しても名倉はあくまで「舎監」として筋をとおす。その生き方に電車の中で号泣。 60年代はよかったというノスタルジーにおちいらないのがいい。著者のほうが世代的に若いせいかもしれない。寮の騒動に乗じようとする大学内の左翼系サークルを冷淡に排除する寮生というのもリアル。寮生がみんなヘタレなのもいい。あくまで大人のありかたをしめす物語が涙腺を刺激する。 さて、関係あるようなないような今日の名言。J-WAVE「MAKE IT 21」より。 自分探しをしちゃだめですよ。なんにもないんだから。自分づくりをしなきゃ。(小笹芳央/株式会社リンクモチベーション社長) モチベーションUPが商売になるのも不思議。でもこれ、いい言葉だ。もっとはやく気づいていれば10年ぐらいムダをはぶけたのに。ちっ。(♂)
2004年09月25日
あるところに仕事を頼もうと電話したらめんどくさいとぬかした。いや、ぬかしやがった。 ダイレクトにはいわないが要はそういうことだ。翻訳マシンがそう解釈した。 たしかにめんどくさい仕事である。本来の仕事よりはアウトソーシングの占める割合が高い。モノは派手に動くわりには見返りは少ないというやつだ。だからといって社内の人間をつかおうとすれば本業に支障がでる。 本業を大切にしようというのはわかる。しかしこのご時勢、そんなに甘い世界ではない。少しでもビジネスチャンスは活かさないと。こっちもただでやれとはいってないんだから。 そのうえ本業はやりたいという。まあせめてもの誠意というか、おいしいとこどりととるかは私の精神状態であるが。今回の天候は後者と解釈させた。 かちっ←安全装置が外れる音である。 他社の営業に電話。内容はかくかくしかじかで値段はいくらなんだけどどうよ?「ようがす」即決。快諾。 ことさらに争いを大きくしたくないのだがにっこり笑って断ることにする。「まとめてやってもらいたいんで今回はなしということで」むこうも了承。 ほんとは無理にやらせるほうが誠意というものだ。信用しているんですよという意味で。ただふだんもときどきなめた態度にでることがあった。関係が深い気安さだろうが。たまには鞘を抜かないといけない←なめられるこっちの修行のいたらなさはこの際棚あげしておく。 社内のトップ営業と話していたら仕事を断った話になる。「あれはめんどくさいし危ないから逃げたよ」はあ、全部なにからなにまで受けてるわけじゃないんですね?「あたりまえじゃん。便利やになっちゃうだろ」でも社内にいっぱい出先機関みたいな奴いますけど?「金はもらえない&事故になるじゃあわないよ。頭つかわなきゃ」他の営業に言ってやってください。「でもふつうに断ったら角がたつから、技術的に裏をとって見積もりもだしたよ。うちでやるときまった場合のリスク、後者は高めにしてうちじゃ難しいですよということにして」なるほど。「X社は若いからさあ。あわてて受注して泣いてやんの。ハハハ」ありがちですね。「まあやろうという意思をみせないと断りも効果ないんだけどね」タヌキだ。 そういえば「いつなんどき、だれの挑戦でも受ける!」とのたまう元レスラーもごまかし上手だな。どこにいった永久電気? 夢枕漠「餓狼伝」でプロレスラーが吐く台詞がある。 他の(格闘技の)やつらは痛さを隠すことでダメージを隠す。俺たちは違う。痛いふりをしてダメージを隠すことだってできる。危険回避だってできる。擬態というやつだ。 断り上手の営業の話にふとそんな台詞を思い出した。(♂)
2004年09月24日
私の親が泊まったので4人で朝食。慣れない風景に照れる。しかも休日なのに早起きまでしてしまった。 メニューはごはんと味噌汁と卵焼き。ふだんはワイシャツで半分寝ながらかきこんでいるので調子が狂う。さすがに今日はちゃんと着替えて食べる。実家行ったときはあたりまえなんだけど。自分の家でははじめての体験。けだるいかんじとおたがいめんどくさそうに喋る感じ。悪くない。せっかくなので窓のカーテンをあける。快晴ではなくてちょっとあせばむようなはっきりしない天気。 食後のコーヒーを4人ですすりつつ、NHKでロボットコンテストを観る。自走式と手動式のロボットを使って欠けたコースの部品を拾ってきて埋め、ロボットに渡らせてひとつのゴールにモノを置くことを争う大学生の国際大会。 どこでも大学生は同じ匂いがあるのが不思議。甘さと飢えが同居したようなガクセイさんの雰囲気。 ルールがテキトウで相手チームの妨害が許されているのが過激で面白い。 相手チームの走るコースを微妙に妨害するチーム。とか、 いきなり伸び縮みするはしごで相手コースを塞ぐチーム。とか、 最終ゴール前に妨害ロボットを接近させてゴールを完全にふさいでしまうチーム。とか。 手動式の操作でその妨害すらふっとばす展開もあって仁義なき闘いと化す。えげつない。ガクセイだからいいけど。大人がやったら観ててもっと重いモンになっているだろう。 日本からは東大が参加。ゴールをカーテンでふさいでコースづくりでポイントをコツコツ稼ぐ作戦で国内は圧勝したらしいが今大会まったく狙いどおりいかず予選リーグ敗退。ベトナムにトーナメント出場権をさらわれる。 まあ発想が日本的というか。作戦に「対他者」という発想が薄いような気がしたのだが。なんというか、局面局面の発想はいいのだが・・・というやつである。零戦は開発したけれど・・・空軍はつくれなかったというのといっしょ。といったら大げさだろうか。負け方があまりにあんまりでくやしい。 ベトナムに負けたのに驚いて(失礼な話だが)父に「大学生ってこのレベルの研究だったらあんまり国は関係ないのかねえ?」とふると「頭脳は変わらないけど環境は絶対先進国のほうが有利でしょ。データとか研究書とかなんでも手に入るし。部品だってインフラが圧倒的に整備されているからいいものが手に入る。勝たなければ日本の将来は暗いんじゃないの」という。同意。だから来年は勝てよ日本。 技術関係の知人が言っていた。現在の日本の危機は叩き上げの技術屋がいないということだそうだ。一番アタマの柔らかい時期に大学に行かず現場で会社の技術部門を支えてきた層。技術への強烈なプライドと叩き上げ独特の純粋な職人技・発想がかつての日本の成長を支えていたのだが、みんながみんな大学に行くことでいなくなってしまったとか。 プロジェクトXで「かつての日本はよかったなあ」と慰撫するのもいいんだけど、問題はいまの環境で何ができるかというとこだろう。もちろん改善も必要だけど。大丈夫か東大。 食後近所を散歩。新興住宅地だから景色がいい。このまま開発がとまればいいのに。と勝手なことを考えたりして。ウーロン茶がうまい。そんな休日。(♂)
2004年09月23日
夜、双方の両親が来るので半日で休みをとって帰宅。 ビールと父親への誕生日プレゼントを兼ねた焼酎を買い、かみさんに電話。たまたま地元の駅に着く時間がいっしょなので荷物をうけとって自分だけ家にむかう。かみさんは買い物へ。 明るい。コドモが多い。昼と夕方の境目で、オフになる自分。昨日遅くまでかたづけをやっていたせいで眠い。でもカラダのリズムがふつうにもどっていくような気がする。 やっぱり遠いところで働くのはよくない。動物としてだめだ。といいながら近いところで働いている人間がどれだけいるのだ日本人で。職場に近いところに買えるカネか、家で働けるスキルか、宿命か。なにかもっているやつだけが動物として正しい生活をできる。ヘンな国だ。 といいながら日本から職住一体の環境が整ったとする。キオスクの売上がさがる。しいては雑誌の発行部数がおちる。やがてはつぶれる。と聞いたことがある。つまり長距離通勤産業というのが日本には存在するのだ。だとすれば、仮にある政治家が職住一体の実現に力をいれたとしたらその産業複合体から命を狙われることになるのだろうか。と陰謀論が膨らむ膨らむ。 長距離通勤による経済効果で、健康被害とか職場でのストレスというマイナスと、いまのような落とすカネとどっちが金額大きいのか。聞いてみたい。 経済効果といえば。日本シリーズが近づくたびにだれかがいう「~の優勝で~億円の効果」というやつ。あれを聞くたびにアタマにくる。そういう切り口でしか語れないのってよっぽどスポーツが好きではないんだろうなあと思う。こういう論点がもてはやされる土壌の上に今日のプロ野球の惨状がある。 たとえばレアルマドリードが優勝してそういう話をスペイン人がするだろうか。しないだろう。企業スポーツから地元クラブへと切り替えようとしている日本と、地元のおらが街のクラブが大きくなって産業になりつつある国。くらべるのはナンセンスかもしれないが。 逆にこの経済至上主義がもっと一般人に徹底されればいいのかもしれない。この貧弱な発想そのものをひらきなおってもっと強力に布教するのだ。プロ野球がもりあがる動機になるだろう。「~が勝ったよ!これで何兆円の効果があるぜ!」と小学生ですら熱く語る世界。徹底した経済至上主義。宗教心の薄い日本なら可能だ。そうか? ようはもりあがればいいのだ。動機があればなんでもいいのだ。たとえば風水はどうだろう。「~が勝ったよ!これで来年は恋愛運最高!」とか。 どっちにしてもいやな国だ。応援の動機をどう考えているのだ経営者諸君。いっそのこと入場券を株券と兼ねたらどうだ。 そんな妄想をしつつ帰宅。夕方親と宴会。風が気持ちいい。うまいぜ久保田万寿。(♂)
2004年09月22日
10年ぶりぐらいに読み直したこの本。 当時、古本屋の100円均一コーナーで手にいれた。不思議なタイトルとカバーデザインにひかれて購入。聖書の言葉をもじったものだとか。 さえない不本意な日常をおくる人々に一瞬めぐるきらめきをきりとり描く小品集。短編とよぶにしてもあまりに短い一編一編。でもみずみずしい文体。おいしいチョコのセットをもらったような気がしたものだ。甘いのやら、苦いのやらが混ざって。ゆっくり時間をかけて食べて。終ると惜しくなるような。 私のお気に入りは「卒業」。卒業式でスーツを着て出席する約束をした父の家出で落ち込む妹のためににあわない男性スーツを着て式に出る姉の話である。やさしさと馬鹿馬鹿しさ半分で泣ける。兄弟のリアリティがある。 今回読み直すにあたって不安だった。たまたまあのころのモラトリアムな空気にぴったりだっただけの作品ではないのか。バブルな時代だからこそ命のあった本だったらがっかりだなあと。 いい意味で裏切られた。文章こそつたなさが残るが古さを感じない設定と感性。いまでも胸がしめつけられる。 同窓会でかつての美人が美人でありつづけたようなうれしさがある。 著者としては学生っぽい作風がいやだったかもしれないが。 長編ができそうな設定をおしみなく小品につかう贅沢がいい。ほんとにいいネタはたくさんの犠牲になりたつのだ。もしかしたらそういう切り捨てる勢いって若さのなせるわざかもしれない。 その後このようなスタイルをとったのは私の知るかぎり「葉桜の日」だけだ。同じスタイルならもうすこし広がりをみせられたのではないか。 これだけ人に光を与える術をもちながら、自分には死しかなかったのか?たしかに書けなくなってたにしろいまだに彼女の最期に納得しない私である。もったいない。(♂)
2004年09月21日
ようやく懸案事項の本の整理にとりかかる。 ようしゃなく、もとい容赦しながら今後2度と読みたくならないであろう作品を選別。ダンボールにほおりこむ。すすまない。でもなんとか「生き残った」本を本棚に並べていく。 浅田次郎。重松清。大槻ケンヂ。中島らも。わかぎえふ。野沢尚。甲野善紀。呉智英。松尾スズキ。宮沢章夫。山本文緒。福井晴敏。辺見庸。アンディ.マクナブ。クリス.ライアン。新宿鮫シリーズ。餓狼伝シリーズ。陰陽師シリーズ。デルフィニア戦記シリーズ。 文庫にかぎっていえばこれだけコンプリート。すげえ。他人事みたいに驚いたりする。自慢するにはハンパなラインナップ。せめて「悪霊」とか「神聖喜劇」とか教養っぽいのが入っていればはったりが効くのに。ってだれにだよ。 これを買うにあたって費やした金でアレが買える・・・という計算をするのは野暮だ。ギャンブラーにむかってトータルで買っているのか負けているのか聞くようなものだ。買ったことでたくさんのモノを得ている。・・・得ているのか?ところでなにが買えるのだ。カウンタック?←寝ぼけてます。 最近気になるのが星新一原作のマンガだ。何種類もならんでいる。なんで星新一を漫画化するのだ。読めばわかるだろう読めば。って星新一先生をバカにしているわけではない。だれにでもわかる文で強烈な毒をまきちらすあの作品群は尊敬こそすれバカにできない。マンガにしないとだめだということはマンガにしても読まない「活字離れ」が進んでいるのだとしたら事態は深刻である。よく見に行く学術系の掲示板を見るとバカは進んでいる。「~という台詞の和訳がわからないので教えてください」とか平気で書き込みやがる。恥はないのか恥は。 本を読まないお利口さんと本を読むバカなら私は後者と仲良くしたい。知識はどうでもいいが想像力があるやつのほうがおもしろいだろう。想像力とは人への気配りである。といったら自分が気配りできる人間みたいだが。それはまたべつの話。ほんとは映像ソフトよりも携帯性とスピードに優るのが文庫というツールなのだが。速送りに電気代くわないし。脳内変換で映像プロデュースだって可能である。でも読まないのはなぜ? よくDVDで限定ボックスって出るけど文庫ででないのはなぜだろう。上記の作家のものがでて馬鹿売れでもしようものなら自慢できるのだが。 昼食はキムチヤキソバ。キムチだけを具にしてヤキソバ。溶き卵をかきまぜる。それだけではさみしいので味噌汁をあっためる。人にあわないからと思いっきりただよわせる大蒜のかほり。吸血鬼も近づくまい。 夕方外出したら仕事熱心な番犬氏が吼えてきたので鼻先に息をふきかけてやった。休日の夜のバイオテロ。もわーん。(♂)
2004年09月20日
テレビ台を手に入れるために近くのホームセンターへ。 いままでのモノでもとりあえずはいいのだが近く来客という機会をとらえて買うことにした。家具やに勤める某後輩から「これ据え付けですか?」とか聞かれるぐらいボロで違和感があるということで探していたのだ。いまあるやつは3000円で買って組み立てたやつだ。安いのは必ず問題点がある。いまなら「地球に厳しい」という点があげられるだろう。金属製だしばらして大型ゴミ扱いされないかどうか不安である。楽天で売ればいいのか?ただでいいからだれかもってってくれ。いやほんとに。 朝道が空いているうちにと自転車でむかい、店の軽トラックを予約。先約が入っていたのでマンガ喫茶で「ガンバ!FLY HIGH」を読み返す。あの体操の森末が原作の体操マンガ。これ読んで体操やりたくなる子供っているのではないか。というぐらい細かいうえに直球のスポ根マンガ。面白い。 あっという間に1時間。テレビ台を積んで家にむかう。軽トラの運転そのものは車体のサイズからいってたいしたことはないのだが後ろがみえないのが不安だ。晴れているのをいいことに幌をまくって走る。ギアが生意気に高いところについている。たかが軽のくせに。と悪態をつきながらドライブ。BGMはAFN。視点が高いのと、フロントが近いのが気持ちいい。 家に荷物を置いてまたホームセンターへ戻る。なんも考えない短いドライブ。人通りも少なくて、天気もよくて休日気分。適度にコーナーがあるのがいい。そして自転車で帰宅。坂が多い町で、行きはよいよい帰りは恐い。立ちこぎになるのがつらい。歩いたほうがよっぽど楽なんだけどほんとは。 帰宅後さっそく工作開始。部品の数にうんざりするが今日やらなかったらずっとやらないだろう。穴に木工用ボンドを注入。ダボをさしていく。ナグリをつかって長さを調整。ネジをまわして板を固定。40分ほどで完成。つくってみたら簡単。あと1コつくってもいいくらい。こんな早くつくれんならホームセンターの工作室でつくってから持って帰ればよかった。 ああ、あとはテレビとDVDの移転が。めんどくせー。 それは明日にまわしつつ、工作について考える。そういえば日曜になると父親はよく倉庫からなにかだしてがちゃがちゃいじっていた。エアコンが入らないからといって無理やり窓の枠切ったこともあったなあ。力技にもほどがあるよ。なにで切ったんだあれ。今度聞いてみよう。 自分にはコドモがいないが、いたとしたらこういう工作する姿に父をみるんだろう。いまのうちに練習しておこう。権威の誇示のために。せこい。メッキはがれるって。 それよりも部屋のマンガをなんとかしなくては。客がむかえられん。引っ越しして何日たってんだか。あーあ。明日はこの作業だな。ちっ。(♂)
2004年09月19日
銀行の契約内容に変更があって銀行のテレビ窓口にチャレンジ。 画面の該当ジャンルのボタンを押すと受付嬢が動画で登場。電話の受話器をとって変更依頼。カードを押したりファックスを流したり本人確認の質問をうけて終了。未来の風景みたい♪というトキメキはない。頭によぎるのは、 こんなもんにゼニつかわないではやく不良債権処理しろよ という雑念。正論だが。そういえば未来の空想画でかつてコドモにかかれていたものはだいたい実現しているらしい。こういうのもそれか。くだらねー。ところで長野オリンピックのときにテストされていた腕時計一体型携帯電話はどうなったんだ。とある人に話をふったら、「恥ずかしいんで実現化されてないんじゃない?」とのたまった。そうかなあ。巨大ロボット呼べそうなデザインでいいと思うのだが。 ついでに献血ルームへ行く。小池栄子のポスターがめだつ。ほしい←ここでも雑念。どこに貼るんだ。いやそれよりも「調べてみたら小池は献血をしていなかった!」というのが発覚したら、国民年金における棒読み演技女優のごとくスキャンダルになるのだろうか。あれも調べるマスコミって凄いよ。ジェラシーというか下世話というか。 待たされる時間、らくがき帳をぱらぱら眺める。「今日は献血できたうれしー」とか、ハガレンのイラストとか、ヤンキー風の自画像とか、謎のポエムとか。まあいろいろ書くもんだ。「ぼくは医者です。メールください」とかいってアドレスいれているヤツもいたなあ。へんなやつ。 だいたいのノートが幼児によると思われる文字通り落書きがされていたのには笑った。らくがき帳って、そういうもんじゃないだろう。子連れで献血に来るって凄いなあ。ほめていいんだか悪いんだか。待合室のきまずい空気が頭にうかぶ。託児所じゃないんだから。 いろんな人種というよりはどっちかというとやんちゃな感じの子が多いのが印象的。渋谷や新宿でも若者のスポットになっているとか聞いた。場所によってはプレステとかDVDがあるらしい。あんなところでリラックスできるってわからんよそのセンス。ドーナツとか食べても味がしないだろうと思うのだが。 名前をよばれていざ献血。看護師のエプロンのセンスがいい。ローラアシュレイか?モニターのテレビがお笑いの番組で、たいしたネタでないのにツボをおされて必死に我慢。いかんいかん。あの静かな雰囲気がいかんのだ。あわててチャンネルをかえて相撲をみる。成分献血のコーナーで爆睡している男発見。よく寝られるものだ。点滴だと思えばいいのか。とか考えていたらあっという間に終了。気になったのは「飲み物の氷をかじらないでください」という注意がテレビの下に貼ってあったことだ。なんでだろう。止血の邪魔になるのか。だれか教えて。忙しそうで聞けなかったので。 カントリーマームを食い、お茶をすすって早々に退場。次は12週間後だ。(♂)
2004年09月18日
不安定な国際情勢を舞台に活躍するネゴシエーターを主人公にしたマンガ。 文庫版登場でロシア編・ハンガリー編・パキスタン編いっきに購入。いっきに読む。情勢のこみいった部分が難しくて何回か読み直す。そういう複雑な情勢の解説もさることながら、主人公の交渉にあたって手段を選ばないスーパーマンぶりと女性の美しさがいい。登場人物の視線の強さがいい。でもこんなにカラダを傷つけたらギャラにあわんだろう。 それにしても何ヶ国語しゃべるんだこいつ。アラビア語がわかってもコーランを深いところまで理解するのって学者でないと難しくないかね?・・・というツッコミをさせないほどこいつは体を傷つけ、依頼内容の完遂をめざす。そう、この作品の魅力は論理性よりは論理を超える主人公の狂気じみた騎士ぶりである。 検索してみたらどうやらケーブルテレビでアニメ化されているらしい。これだけ硬派な内容をアニメ化しようという企画。どっから来るんだその発想。 たしかに一見硬派なんだけど実際スーパーマンの話だし。ある行動原理あるいは哲学をもって混沌とした世界に光をさしこもうとするという意味ではじつはサラリーマン金太郎とかわらない。だからアニメむきなのか。といったら作者は怒るだろうか。 著者がシベリアを旅したときに列車の中移動中の警察官の集団に珍しい日本人ということで歓迎されてウォッカを飲まされた経験をそのまま主人公のエピソードにしているのが興味深かった。酒は呑めたほうがやはり得なようだ。財布と判断能力さえなくさずに酔っ払っちゃえば国籍関係ないしな。よかった飲兵衛で。あ、アラブ圏はだめか。まあ外人と飲む機会なんてないだろうけど。 酒ののめるのめないより相手がたのしいヤツかどうかのほうが大切かもしれない。それはこちらも同じこと。とりあえず、 らぶびあ~?(♂)
2004年09月17日
すこし前のカップヌードルのCMが好きだった。あらゆる歴史的瞬間にたちあうカップラーメン。もちろん合成映像なのだが、食べるという行為の前で人は平等に動物である。というあたりまえさがなんだかおかしくも胸をうった。 コトバは通じなくてもおたがい人間なんだ、というのを認識するのってそういう単純なことだ。そしてその単純さがなかなか機会がない。おたがい同じじゃないか、という発想はどちらかの文化のおしつけになるかもしれないが、「オレとオマエは違うけど、でもこれうまいよな」とか「眠いよなあ今日」という一瞬のひっかかり、すれ違いみたいなものって奇跡だ。大切だと思う。たとえば花の前でみな優しい顔をするはずだ。 本書は内戦の時代を経たアンゴラの少年の写真集。部屋と全身写真とインタビューで構成されている。 著者との関係でみせる表情と、ふつうのやりとり。激しく訴えたりしない「画」に涙がでた。アンゴラの歴史も知らない(前書きに書いてあるのだが)し、アフリカへの思い入れもない。なのに胸をゆさぶられる。 淡々とつづられるふつうの営み。ガキンチョぶりが、リアル。ああどこでも人は生きているのだなあ。こどもはどこでもこどもだなあ。というあたりまえの「生」がなまなましくていい。けなげという表現が適当かどうかわからないが。国をつくる「これから」の少年たちがいる。 そして、少年であるということ。「これから」だけでなく、親の存在が透けてみえる。いないとこたえる子もいる。つまり、「いままで」の歴史あってこそのかれらの姿というのが必然といろいろなことを考えさせるのだ。 笑顔でもなく不安にかられたわけでもないふつうの表情。こちらが顔色を探してしまう。ひきつけられる画だ。 たとえるなら結婚式の風景か。わざわざ語らなくてもみえてくる絆、縁、未来と過去。 訴えたい熱いものがあるはずなのにあえて訴えないやせ我慢ぶり。あえて押しつけないうまさ(というと計算高くきこえるか?)。その著者の強さにうたれる。血や肉は特撮でつくれても、人の気持ちは特撮ではつくれない。 インタビューがあくまで情報ではなく、心をひらくための道具としておこなわれているのもいい。心をひらかなかったとしても、そこにみえるのもまたアンゴラの少年の現状である。社会派から遠くあろうとして社会派になっている、力強く静かな作品。 かれらに幸あれ。(♂)
2004年09月16日
早く帰れたのでヤキソバをつくる。 カレーとならぶバカ料理。というとヤキソバをバカにしているようだが、そうではない。それはたとえば卓球をバカにするのに似ている。卓球はヘタなやつがやるとヤワだが、うまいひとがやると短距離ダッシュを繰り返す消耗のはげしいスポーツだ。百万人の料理。だれでもできる。うまいひとはうまいなりに、ヘタなひとはヘタなりに。無難なところに着地するようにできている。 シメジを切る。ピーマンをきざむ。ニラを切る。ネギを刻む。ニンジンを薄く切る。ベーコンをきる。キャベツもいれる。いれすぎだろ。とはいわせない。炒めて最後に溶き卵をいれる予定。 とりあえず下準備は終了。男の料理について考えてみた。むかし父の日曜日の定番はヤキソバだった。モヤシをつかってからっとつくる母にくらべ、父のはソースを多めのしっとりめの麺だった。またつくってねというと父は得意げな顔をした。 いま思えば味よりはふだんやらない父がやるというイベント性が好きだったのだろう。それぞれの家の男の出番。料理というのは不思議と記憶に残る。たとえば叔父の家に行くと必ず叔父がにぎったでかいオニギリが出た。いまでもその味の記憶があるような気がする。たぶん塩かげんが叔母にくらべると多めだったりするのだろう。いま頼んでもつくってくれるのだろうか。きっと照れ笑いをうかべながら厨房にたってくれるだろう。 私のは親戚の子供にたべさせるレベルではないのだけれど。ニラとベーコンとキノコと卵が入り混じって見事にデブ料理の完成。こくがある。もとい、コクだけはある。 ヤキソバだけが載ってるレシピってあってもいいよな。今度本屋で探してみよう。(♂)
2004年09月15日
まったく、余計なお世話といえばそれまでだが。 最近某同僚がギャル子といいかんじだ。後輩としてはくっついてもらいたい。いやくっつかなきゃだめだ。くっつけ。40代よいけっ!命令にもなろうというものだ。 独身が多い会社である。待ちの姿勢が仕事上つきものとはいえ、異性まで待つことはないだろう。風水だろうか。南西に赤い布をぶらさげたほうがいいかもしれない←適当。かといって社長が陣頭指揮にたってはじめたらやだろうなあ。それぞれの主義主張があるからなんともいえないがこれだけは断言する。 パートナー(性別問わず)がいない奴はみなおばはん化する。(当社比) おもいきり偏見だけど。だからいけっ!40代っ! でもおたがいそういう対象とみてないからいい雰囲気になっているというのはある。そこが歯がゆい。きっかけがあれば。化学変化があるのに。D.ホッパーが遠隔操作の爆弾をしかけたバスにふたりで乗りあわせないだろうか。ないない。パンかじって街角でぶつかれきみたち。 傍目からみるとよくみえる。結婚したからこそおせっ!とかひけっ!とかタイミングがみえることかある。むかしみえていたならっ!←みえていたらなんだ。サッカーでパスコースがピッチより客席のほうがよくわかるようなものか。打てばいいのだ。シュートを。まずゴールにむかわないことには点は入らない。形にこだわるよりはとにかく狙いつづけることだ。 異性でさえそうなら人生もまたしかり。 だから私のまわりにはほんとうは金運が(あるいは仕事運が)転がっているのかもしれない。きっときづかないままふらついているのだろう。客席にいるならだれか声をかけてくれ。 おせっ!ひけっ!と。・・・ま、いわれたら余計なお世話と思うのだろうが。だめじゃん。(♂)
2004年09月14日
仕事を6時30分でけっとばしてタイ料理の店へ。 配偶者あり3人(♂♀♂)。ドリカム?って毎回いうな。行き先をまったくきめてなくて直感で店選び。カフェ風のおしゃれな店。若干高めな設定と素敵な内装。配偶者ありの落ちつき(?)ががっつかせない。シンハービール。メナムというウィスキーをなめつつ春巻きをつつく。カレーを啜る。 話題は会社の話。がまったくでない。まあ危険地帯というのもあるし。神保町のど真ん中で業界トークをするなんて大阪の飲み屋でタイガースの悪口をいうようなものだ。って、全然危険じゃないだろ。 面子が会社の同僚なのにひとことも会社の話をしないですごせる。プチ贅沢ではじまる1週間。ストレスがないってすばらしい。ご馳走様。(♂)
2004年09月13日
昨日の夜放映された番組。興味深く観た。 アルカイダがメディア組織をつくって映像ソフトを安価にばらまくことでイスラムの若者たちにテロへの参加をよびかけ、それが効力を発揮しているというレポートであった。 911後のアルジャジーラの報道。きっかけはキッチリとした番組企画書が放送局にファックスで流れてきたことらしい。メディアに詳しい優秀な側近がいるのは間違いないという指摘がされていた。宣伝がうまいのが身近にいるというのはヒトラーやカストロといっしょかもしれない。強い組織の基本か? ただソフトをつくり頒布するだけでは罪が問えない先進国の実情。「イスラム社会に対する敵アメリカ」という宣伝のうまさ。アメリカ資本のメディアの巨大化によって自主流通のかたちをとる映像ソフトが真実という意味をもたせやすくなっている皮肉。日本でもときどきしょうもない口コミにみんなが踊らされるようなものだろう。 アメリカも手をこまねいていたわけではない。 アメリカの民間のネットサーファーがアルカイダ系のサイトを探してはプロバイダーに通報。年間500個をつぶしてはいるが新たに1000個ができているとか。本人は何者かに脅迫されているらしい。 国家レベルでは広告界のキレ者を鳴り物入りで次官に抜擢。中東むけの放送局をつくったりイスラム社会の出身者がいかにアメリカで活躍しているかという広報ビデオをつくったりしたが実際の効果がなかったという。「あれはアメリカ資本のテレビ局だってみんな知っているからみないさ」という市民。そりゃそうだろう。身近に考えればそうだ。たとえばカルト集団がテレビ番組を制作しているとしたら見ようとは思わない。 この力には力でという戦術がすでに間違えている。害虫を叩いてもタマゴがあるかぎり生まれつづける。タマゴはどこにあるのか。それと、ウリミバエ撃退のようにいかに不妊卵をつくるか?という相手の文化を理解したうえでの戦術をとらないといつまでたってもこの戦争は終わらないだろう。 なによりもアメリカの存在意義とはいえ「自由」を与えようとしても与えられる側がそれを欲していないとしたら「自由」をうたうことは異文化としてとらえられるだけだ。日本だって戦争中の小説をよめば「あんな国にいったら自由主義に染まってしまう」というような台詞がでてくるのだ←たしか山本有三「女の一生」だったと思う。 番組はイスラムの若者がPCを囲んで映像ソフトを嬉々として(真剣に)みているカットで終わっていた。 考えてみれば日本のファンタジーだって多くは「巨大な脅威にたちむかう少年」というツクリになっている。あれがいかに熱狂をうむかと考えたら。ましてや自分の「聖域」を汚すモノだと思ったらこのビデオの効果、かなりあるとみていい。しかも小さいころからずっと観るのだ。楽しみがそれしかない。というよりそれがなによりも楽しみという生活をおくるのだ。大きくなるころにはテロリストのメンタルがしっかり根ざすだろう。 自分の生活の希望の光が信仰だけだとしたら。なによりも先頭にたっている男が「金持ちなのに」潜伏生活をおくっているのだ。説得力がありすぎる。 ところで日本は原爆を落とされてなぜあっさり戦争をやめてしまったのだろう。いや続けろとかいうのではなくて。この精神的風土ってもっと問うべきである。世界平和の謎が隠されているかもしれない。といったらいいすぎかしら。食べ物があっさりしすぎなんだろうか?天気のせいか? こういう国にかぎって戦争になったらエグいんだけど。(♂)
2004年09月12日
昨日の夜電車に乗ったら、着ぐるみの女がいた。黄色いイヌ仕様(そんなコトバがあるのか)で全身つなぎのやつである。座席で携帯の早撃ち。ギャルである。 しかもクビ元をみたら直に着てる(汗)。セクシー?まさか。年齢は若いけど。さらにその座席の5メートル先には「浦安の富士額どぶねずみ」のカチューシャをつけた真っピンクの女2人連れが。 なんかのイベント?武道館近いし。それとも仮装すると東京メトロは割引っすか?spritsがおばはんなら質問もするのだろうが、いちおう常識人だし連日の残業で疲れているのでやめておく。 公共の場でああいう格好をしているのだから覚悟はできているだろう。じろじろ見てあげるのが礼儀というものなのだ。というかじろじろみてみたい。みられてうれしいんじゃないのかほんとは。でもああいう格好するヤツにかぎって「みせもんじゃねえんだ!」とかいいそうだ←女だけど。みせもんじゃなければなんだろう。チップでもあげればみていいんだろうか。「これで暖かいモンでもお食べ」とかなんとか。いくらが相場だ? 気になってクビの凝りをとるフリしてジロジロ眺める。トイレどうするんだろう。あの構造だと全身脱がないとダメなはずだ。実は家に冗談で買った豹柄のがあって寝巻きがわりに冬にたまに着るのだ。リラックスはできるけど勤労意欲がさがるのだ。もうてきめん。家事とかまったくやらずぶもぶも鳴いて過ごしたくなる。あれで電車に乗れなんてとてもとても。 9月10日夜神保町でなにがあったのか?ああ気になるぜ。まあおもしろいからいいけど。 ちなみにこの日、武道館はNOAH(プロレス)でした。たぶん関係ないでしょう。小橋健太が「イヌみたいな女がいい!」とか言ったとか?まさかね。(♂)
2004年09月11日
私は神をもたない。あえて無神論をとなえないし、クリスマスも正月も好きな八百万の神とつきあうゆるやかな神道に浸るジャポネーゼにすぎない。ハロウィンだけは許せないが。カボチャをくりぬくくらいならダシ醤油で煮物にしようよべつだんかわいくないし。 そんな私がうらやましい宗教の習慣は「祈り」である。現世利益への渇望とかいうのではなくて。いやそういうのもなかにはあるみたいだが。自分を見直す時間。身を任せて謙虚にいまいる場所をたしかめる方法としての祈りというのは神を持つものだけに許されているものだ。ときどきあれが必要だよなと思う。 といって勧誘にはこないように。白いツボも選挙勧誘も子連れの挨拶も結構でございます。塩まいて追い返しますのでねんのため。 先日労働組合の話し合いで報奨金制度の話がとりあげられた。ひとりが頑張っても所属の課がたいした数字にならないとでない。これって不公平じゃないの?ということなのだが、同情はする。同情はするがどこかで自分の所属する部署と無縁だ。個人的にはヨソゴトになるのを許せよみんな。 それでふと自分が働いているモチベーションを支えるモノを考えてしまった。 給料は出るけどマジメでもフマジメでもたいして差もなく報奨金もなくよく働くよ自分。なんでこんなことをやっているんだろう。 「空手バカ一代」で主人公マス大山が、海外修行で貧窮してとおりがかりのひとにパンをめぐんでもらうシーンがある。いよいよ手をのばそうとしたときに振り切るようにつぶやくのだ。「だれかみている!日本にいる弟子たちがみたらなんというか!」といっていったん出した手をひっこめるのだ。自分がなぜいまこのような働きかたをしているかというのも結局この目である。ひそかなプライドというやつだ。 そういう深刻な状況というよりはいまは楽しいからといえるし居場所があるし文字通り忙殺されているからそういう自分探しモードにならないで額に汗するのを面白がってたりするのだが。いつかぽっかり穴があくような気がするのだ。慣れてしまえばそういう余計なことを考えたりするだろう。 それで冒頭の話である。「祈れたらいいなあ」と思うのだ。カネが変わらないのになんだかんだとマジメにやっているのってなんのためだ?「誇り」か。「美学」かそれとも。こういうのを持ちつづけるためにも裸の自分を置いてみる機会がいるような気がする。魔がさしてバカバカしくなるときがくる。「美学」や「誇り」ではアマチュアなやりとりしかしなくなるだろう。 というより、ほんとは精神的満足って個人的な副産物だ。会社からおしつけられるのは反則である。 ま、そういうわけでカネをくれ。って、どこが誇りなんだ。(♂)
2004年09月10日
たいしたことをやっていないのに忙しがるヤツがいる。 「だれもいそがしくしてくれなんて頼んでいないのに勝手に忙しがっているのだ」というセリフが出てくるのは「我輩は猫である」だったと思う。まったくそのとおりだ。年齢とともに増えていく雑用をどうにか整理するのが大人というヤツだ。 たとえば3つのことをやるにあたってふつうに淡白に3つやるのと、ひとつめ!ふたつめ!みっつめ!と力んでやるのと結果がいっしょならストレスが少ない前者を選んだほうが賢明だ。自転車を乗るにあたって、サドル!ハンドル!ペダル!とは力むまい。忙しがるヤツはそういうところに力が入ってパワーを無駄にする。 現在スポーツの世界で古武術の身体操法が注目されているのもそのへんだろう。いかにムダをはぶき、効率をあげるか。外人と筋肉の絶対パワーではりあったらまともに勝負できないところを外人ができない方法・分野で差を埋め、ひきはなす。燃費悪いアメ車だって日本車だってゴールはいっしょなのだ。 同じことがこういう日常でもいえたことではないか。激しく働いたひとにならなくても着実に目の前の書類をかたづけていけば、うまいビールが待っているのに。 ところでゴルゴ13は仕事をうけるとき「ひゃっほう!」とか「しめしめ」とか思わないんだろうか。「がーん」でもいい。思わないんだとしたらずいぶん便利な精神構造である。「ひゃっほう!」とか「がーん」とか。感情の起伏なくできれば。任務遂行できれば。それだけで疲れなくてすむ。あのタフさは、強さではなくてクールさから来るものなのか?などと考えてみたりする。そのわりには女買ってるし。ただのムッツリか。 ・・・ちなみに、いそがしがっているのは私だ。悪いか?←悪いぞ。今日も終電。たすけて百太郎。(♂)
2004年09月09日
ボスニアで米軍将校が誘拐される。一線をこえて救出にむかった偵察小隊に所属するパソコンオタクが前線から守秘義務に近い内容をウェブを通じて発信。事態はおもわぬ展開に。マスコミから外交、軍隊の命令系統、選挙の思惑まであらゆる分野がゆきだるま式に混乱する中、ひたすら救出と脱出をめざす冒険小説。 「アンディ・マクナブやクリス・ライアンが好きな人にはおすすめ」というオビにつられて購入。こういう読者の「路線」を読みきったコピーはうまい。以前「神々の指紋」に「山本太郎さんも読んでます」というオビがまかれていた。これでは私のツボは少しも押されない。「新選組!」の原田左之助役は好きなんだけど。「このマンガは面白い!でもまだ読んでないけど 赤塚不二夫」というのもインパクトあったなあ。ちなみにそれは「魁!クロマティ高校」である。 本作は著者自身の軍隊経験による描写のリアルさが売りである。期待をうらぎらない出来。アメリカ人ならこういう発想をするだろうというのがあちこちみられて面白い。原理原則にもとづいた硬直した発想とか、異文化に対する反応とか。駆け引きのしかたとかとにかくアメリカだなあという印象。権利をどんなときも擁護しようとするおめでたい姿勢もまたそれらしい。ってアメリカ人の悪口ばっかりだけど、小説はほめてます。ラストのクールさもいい。 事実は小説より奇なりというか。実際は前線からの電子メールは表現の自由の関係で守秘義務のある内容以外は許されているらしい。いいのかそれで。ま、あいつらはどこでも爆撃さえすれば戦争に勝てると思っているのだろうが。 ところで、 今日自社の工場に行ったのだがボーダフォン圏外。電話できず。ボスニアに劣るのかいここは?(♂)
2004年09月08日
「カール・マルクスによろしく」。労働組合の理想と現実に傷つきながら成長していく物語。主演:妻夫木なんとか←ってそのまんまやんけ。 まあ、これならいくらでもできる。「坂本金八によろしく」とか、「西根ハムテルによろしく」とか。業界の人気キャラ+「よろしく」でできあがり。ってマルクスってキャラかよ。 というわけで、本日組合の会議。さくっと終わらせる新ボスのセンスは買いだ。若さの勢いか。で、どういうわけだか組合員のアンケートの編集に追われる。結果死兆星をみる。人数はたいしたことがないのだけど、文章に練りこまれた情念というか煩悩が私の腕をにぶらせる。 考えるな。感じろ。 とタイピングマシーンになろうとするがどうも昼間のある得意先の電話攻勢にダメージを脳が負ったらしくちっともすすまない。ダブリうちも多いし。タイピングソフトならとっくにゲームオーバーである。 しかもえんえん長い文うたせといて中身はといえば、枕詞かい!というのもある。一行でいいだろう。話しヘタは書き上手かと思っていたが両方だめなやつもいる。自分は提出してないからほんとは文句言う資格はないんだけど。 きづけば10時30分。ああ終電。家には人形焼が待っている。熱いお茶いれていっしょにかじろう。(♂)
2004年09月07日
届け物があって高級住宅街に行く。 住所を聞いて道路地図片手にドライブ。順調に幹線道路は行ったのだが、住宅街に入って泣きそうになる。 道狭いし。一方通行でないのがいいのかわるいのか。うずをまくような配置だからこれで一方通行だったらたどりつけないだろう。たまにすれ違うことになると30メートルバックはあたりまえ。タクシーの運転手さんに丁寧なお辞儀をされる始末である。 せめて軽自動車でくればよかった。といいつつ、たどり着くも道をふさぐように停めるしかない状態。どういう設計してんだこれ。 古い街だと自動車時代が来るのを読めないまま金持ちが集まってしまったというのがあるかもしれないが、車の立場からいえばひどすぎる。といいつつ自分が住んでいるところに自動車の量が増えるのはいやだったりするんだけど。 結果として静かな住宅街になっている。新しい町でもわりと外部の侵入をしずらくしてはいるがこの配置はないだろう。 そのくせ高級車をもってたりするんだこういうところの住人にかぎって。どうやって運転してるんだ。いや私がうまいとかヘタとかではなくて。まあへたなんですけど。 そこのベンツバッテリーあがれ!あがってあがってあがりまくれ! ・・・ええ、やっかみですけどなにか?(♂)
2004年09月06日
近所の大手チェーンのラーメンやで夕食。 油の量を選べるのはうれしいのだがどれを選んでもギトギトだよ。と思いつつ猫舌な私でも食べられるこの店が好きだ。店員もテキパキしてるしラーメンや独特の汚さがない。「美味しんぼ」であの不潔感とうまみ調味料こそがわれわれがアジアの血を感じるツールだと語られてはいたが。バッチいのをひらきなおられてもねえ。 かみさんの同僚がやめるという話から、退職理由の話になる。 カラダとかココロとか壊してやめるのをよく聞くが、これって日本独特ではないのか。たとえばドイツは?「あの国は定時退社がルールだから」とかみさん。それはそれでゆとりのかわりに雇用機会が犠牲になっている。 日本の場合みんなで忙しがって仕事を生み出している。働き者の国というより余計な仕事が好きな国なのだ。ホスピタリティこそわが人生!みたいなかわりに個人的ななにかを犠牲にする。なにかを傷つける。宗教観のせいか?人生観か? だからといってリミッターをとばすまで働くなよ。こういう気質ってある種の才能である。スケートの清水宏保がやっているトレーニングというのが脳のリミッターをとばすほどのトレーニングを繰り返すことで限界値をたかめていくことらしいが、考えてみれば日本人が一部であるにしろ日常でやっていることだ。超人がうまれるとしたらこの日出いずる国からか?ま、私には無縁であるが。 そのへんのガンバリ具合って高度成長ほどではないにしろまだまだ健在である。日本人のよさなんだけど、そのかわりにそれを利用しようとする日本人もいることはたしかだ。 先日母から聞いた兄の近況。兄は医者なのだが、結構ベテランになっている。それなのにいまだにばたばたやっている。命をあずかっているからという意識がある←こういう医者もいるのだよ佐藤秀峰先生@「ブラよろ」。 勤務シフトを決める際「個人生活」を優先する部下にアタマをいためているらしい。「自分たちの若いときと違う」とグチっていたとか。板ばさみになって尻ぬぐいをやっている。ここで「いいカネもらってんだろ」というツッコミも不適切だ。カラダやココロとひきかえのカネなんてない。いや現実にはあるんだけど。母には「弟にいうように強引にシフトをおしつければいいんだ」とは言ったが。 そういうわけで1日ゴロゴロしていた私。来週は請求書処理+組合の用事できっとボロボロになる嵐の1週間。ゆっくり不健康にさせてくれ。さらばピチピチの肌よ!(♂)
2004年09月05日
夕食にカボチャと豚肉の醤油甘辛煮をつくる。 元ネタは駅のコンコースの古本コーナーで手に入れたレシピ本。和食中心で写真がリアル+手に届く範囲のメニューが気にいって手にいれたものだ。 手に届く範囲、とはなにか?料理研究家によっては「それ冷蔵庫にいれといたら次いつつかうかわかんねえぞ」という食材を平気で指定してくる。パーティーならいざしらず。日常の食事でつかえない。たとえば白ワイン。どうしているんだ主婦諸君?料理用があるのは十も承知だが。毎日肉魚は焼かないだろう。ナマクリーム。ケーキは毎日焼かないだろう。あとへんな調味料。つぶしきかないのってなるべく使いたくない。 ほんとはスパイスを買うヨロコビってあるのは知っている。いつもカルディコーヒーファームで悩む。ああこれほしい!←魚油とか。でも自粛する。サラダドレッシングだって消費に時間かかるのに。いつぞや買ったバジルだってなかなか減らない。毎日使えばいいといえば簡単だが、まさか納豆にはかけられないだろう。そもそも「スパイスは毒だ」@「おいしい関係」。カラダに悪い。だからうまい。哀しいけど。タバコみたいなもんか。 男としてはとにかくテキトーにつかえる材料がいい。仮に残しても次回すぐ消費できるような。いや人によっては男の料理は珍しいから凝ったことをやりたい。という物好きもいるだろうが。2人とも働いている現状。料理はイベントではない。日常である。だから疲れて帰ってきてつくろうという気になるモノがいい。レタスクラブは好きだ。デブメニューばっかりなのがタマにキズだけど。 会社でろくに料理をしないのに「たまにはパンを焼く生活をしてみたい!」とのたまう方がいる。おいおいパンより先に炊飯器のスイッチをいれろよ。ホームランよりまずはバントだろう。いやなに食ってもいいんだけど、外食でカラダこわしてイライラして間接的に迷惑かけるのやめてほしい。 今回はカボチャを義母からいただいたのでたまには違うものでもつくろうかとあさった結果こうなった。カボチャ部分をジャガイモに変えたらそのまんま肉ジャガだ。フライパンをつかって透明になるまで蒸し焼き→塩胡椒でしめた肉をいためて→醤油砂糖酒をからめてできあがり。しょっぱくてメシがすすむ。メシ?違う。デブメニューだからこの場合「ちゃんこ」だ。 しかしこれ、著作権はどうなんだろう。料理ってよっぽど変わったことしないかぎり人とアイデアがだぶる。手段だってそんなにたくさんあるわけではないし。 以前先輩の旅行ガイドの編集を手伝う機会があった。ペンションの広告が入ったので編集企画たちあげ→たくさんの他社のガイドを集めてきて文面をすこし変えて掲載。という現実をみて大人になった気がしたが、レシピ本はどうなんだ? カラダにどうのっていうより、カロリーがどうのっていうより、ずばり「粗食」のメニュー本がほしい。そんな今日このごろ。(♂)
2004年09月04日
会社でほっとけばゴミになるブツ発見。もったいないからと掃除のおばさんにあげたらよろこばれる。机の上にお礼が置かれていた。会社のブツだから私は懐を痛めていない。いいのに気をつかわなくても。 それでいただいた栄養ドリンク3本。わざわざガケから落ちそうになったりロープが切れたりする筋肉男がCMに使われているアレである。 こんなもん気休めだよと思いながら飲む。自分じゃぜったい買わない。飲む→アタマの後ろがキーン→プチ興奮→元気になったような錯覚。バブル経済の日本をささえたツール。カラダにいいもんではないだろう。いちいち分析好きな私。そういうわけで偽薬効果はあんまりない。悪いけど。 だいたいいちいちピンチになるなよケインコスギ。ジャイアントボックス(跳び箱)の前に飲めばいいのに。「おーっと飲んだ!いよいよ本気だ!」とか中継されたりして。スポンサーからボーナス出そうである。少年マンガなら絶対悪役ツールだなこれ。意味なく瓶とか割ったりすればなおぐー。 ・・・と思ったら2本飲んだのになんともない。これはこれでどうなんだ。自分のへばり具合のバロメーターか。ついでに残りも飲む。飲みすぎだろう。と思ったのに反応がない肉体。なんかが麻痺しているようだ。悪い傾向である。コーヒー飲み過ぎか。間違いない。 脳内麻薬スイッチオンを試みる。わかりやすくいえば気合。「あと数時間で1週間にケリがつくよ」とつぶやく→「効かない。「ビールのめるよ」ちょっと効く。「おつかれさまオレ」まったく効かない。「気合だ~」びみょうに古いし。 あとはひとつだけだ。「ファイトー、いっぱあつ!」 ・・・これ効くわ。飲料そのものより。ありがとうケイン。 ・・・それとも最後にコレを言わないと効かないのか?(♂)
2004年09月03日
あんまり肩がいたいのでさわってみたらそいつはカプカプ笑っていった。「はやくねろ」ごもっとも。 世界が100人の村だったら私以外の村人はみな同じコトをいうだろう。しかしわかりきっていることをやれといわれるのは腹がたつのはなぜだろう。 実はコドモのほうがわかりきっていることを言われたときのリアクションが素直な気がする。正論に対して謙虚というか。これは本来大人に求められている「大人らしさ」ではないだろうか。 大人になるとこういうときにアレやこれやこざかしくいいわけを考える。まわりみちをしたがる。実はその小賢しさこそバカというか本当の意味でのコドモっぽさだ。カルロス何某というおフランスな男が車の会社をたてなおしたが、ほんとうは身近にそのチャンスはある。 コドモを社長にするのだ。 正論だけをおしすすめれば、ましてやまわりの大人がカルロス氏を「外人だから反論してもしょうがない」といって施策を実行していったようにコドモがふりまわす正論を「コドモだからしょうがない」と素直にやっていけば。すべてはうまくいくのだ。 あの本田宗一郎と身近に仕事した人と話す機会があった。そのひとはずばり本田を「キ●●イ」と言い切っていた。怒らせるととにかくだれもとめられない。リーダーシップをとにかく手順ふまずにとりたがる。それだけならただの暴君で終わったのが、出会いにめぐまれまわりをしっかりと番頭がサポートして今日の礎になったようである。だから私の暴論もまんざら間違いではない。 って柄にもなく経営哲学を語ってしまったが、これも肩の人面蒼が痛むからだ。いてえ。 というコンディションのまま電車に乗ると、高校生がパンツだして制服を着ていた。そいつがバカにみえようがこっちはいっこうにかまわないのだがこういう健康状態だと腹がたってくる。 今自分が先生になったら制服の着方が煩い教師になるだろう。けっしてそいつへの教育的指導ではない。目の前がうっとうしいからである。っていう本音の教師実際にいそうだけど。だって にんげんだもの(←けっ) そういうわけで今日は早く寝よう。(♂)
2004年09月02日
早く帰れるのがいいことなのかどうかはともかく。かえれるときに帰らないとドツボにはまる。 というわけで早々に切り上げて家にむかう。蒸し暑い。この前まで秋だねえとか言ってたのに。カゼで故障者続出している。ここらで気合をいれなくては。汗をかきたい。でもジョグするには遅い。 カレーをつくることにした。スーパーでタマネギとシメジと肉を買う。ヨーグルトとニンジンとジャガイモとルーは冷蔵庫にあるはずだ。ブロッコリーもいれたかったがもう売り切れていた。しょうがない。いつもの具でいこう。 ゴマ油で野菜をいため、ジャガイモとタマゴをゆでる。カレーはいい。アタマをつかわない。野菜をとれる。材料の良し悪しをごまかせる。なんとなく刺激がある。作業がアタマをつかわない。つかわないでいろいろなことをやっていく作業。アルファ波が出る。プラモデルをつくるかんじだろうか。 ところどころでせこいこだわり。正直何をほおりこんでもルーに味は勝てないのだが、勝てないなりに「タマネギはアメ茶色に透明になるまで炒めて炒めて炒めまくらなければ」とかこだわる。マイブームなかんじが男の料理だと思う。 以前みたメキシコ映画「赤い薔薇ソースの伝説」。許されない恋をした女中が主人に愛をこめてソースを煮るのだ。食べた者はだれもが熱い焦がれるような想いに囚われる。哀しい話だった。 このいろいろな想いを思わないためにカレーをつくる私。ダシがわりに今の想いが溶けていっているとしたらさぞかし苦いことだろう。 そうこうしているうちに完成。てろてろのタマネギがうまい。ほんとはスパイスの調合をしなければいわゆるカレー好きとはいわないのだろうが。まあうまけりゃすべてよし。無心の勝利だ。 ってそんな日本語のつかいかたでいいのか。まあいいや。そのうちやってみたいこと。「自宅でナンでカレーを食う」なんか敷居がたかいんだよなナン。そのときはパキパキのスパイスをいれてみよう。はふはふ。(♂)
2004年09月01日
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