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お久しぶりです おのづです清水さんの介護疲れによる自殺のニュースはまだまだ介護というものの認識の薄さ 見たくないものは見ないで済むようにするという現代の考え方の現われだと思いました私の場合もそうでした一人っ子で実の両親の同時の介護と看病誰も助けてくれませんでしたし 助けてもらおうとは思いませんでした実の両親なのですから私は大変遅くに産まれて来た子供だったので 比較的早くに介護というお世話をしなければならなくなりました 32歳のときでしたまだまだ体力があった頃でしたが それでも毎日24時間の2/3以上時間を介護や看病にあてて休みも一日もなく過ごしていったら身体がぼろぼろになりましたねえどんなに辛くてもご近所の方には明るく接しましたので若いという事 子供がいなかった事もあり 周囲の人からは「あなたは若いからまだいいわよ 老老介護だってあるんだから それに比べたら幸せよ」など 私がどんなに苦労しているかなんかは理解してもらえませんでした近所のおばあさんで その人にだけは真実を打ち明けていましたから介護疲れによって私が倒れないように 色々食べ物を作っては持ってきてくれましたっけ時には 若い娘のくせに病院に入れっぱなしにしているなんてひどい娘なんだろうという非難も何度も受けましただから なおさら 元気に振る舞い 母の前では精一杯明るく勤め母のためにあらゆる努力をしてきましたから かなりのストレスがたまっていったのは事実です今はまだ私のように母が39歳で私を産んだケースは少ないと思いますがこれから先 晩婚 高齢出産で 私のように若くして介護になることが多いと思いますそのとき 周りがどれほど理解を示してくれるか 強力してくれるかそれがどれほど本人にとって心が救われるかそういうことを考えて欲しいと思います清水さんは お父様を亡くされた後 結婚せずお母様の介護をたった一人でしてきたのでしょう1人で全部こなすということは 24時間つきっきりになるのだからもちろんのこと収入が0になります少ないお金の中で何とかやりくりをして 公的基金をふるに活用してもどんどんお金が減っていくと思いますそのとき なぜ国は動いてくれないのでしょう施設は常時満室どんなに患者の具合は最悪の状態でも 最優先されるのは 老人の1人暮らし次に老老介護 次に 介護者が末期がんであること 次に生計者が働いている場合どれをとっても いつまでたっても施設なんか入れることはありません私の場合はどんなに早く申し込みをしても 私より悪い状況下に置かれている人がどんどん優先されましたから 何年たっても100番以上待ちでしたお願いです世の中には 誰にも愚痴を言えず 常に明るく振舞い ほぼ24時間介護をし体力的にも精神的にも限界を超えている人がたくさんいますそれが例え若かろうが歳をとっていようが やっていることは同じこと一人っ子が増えた今 結婚してしまえば 夫の両親と4人の介護をしなければなりません子供なんて若くに産まなければ産んでる暇なんてないんですよ・・幸い私の県では森田健作さんが知事に納まりましたこれまで過去一回だけ知事とお話したことがあります少しだけ改善されましたので又 現状を訴えに行きたいと思ってます御願いですどんなに介護者が元気そうに見えても 普通の家庭とは違うのですから裏でどんな努力をし 心身共にくたびれきっているか想像してみてくださいほんの少しのことでもいいのです相談に乗ったり 病院へ行くとき同行したり些細なことでも この先他人事ではないのですからせめて 介護者に向かって「あなたはいいわよ まだ若いんですもの 老老介護の人をみてごらんなさい 悲惨よ それに比べたらあなたは幸せ 親の介護をするのは子供の勤め もっと頻繁に病院にいきなさい」などと口が裂けても言わないで下さい限界がきて 清水さんのようにもう生きていくことすらできない と考える人はきっとこの先後をたたないとおもいますパーキンソンレヴィ小体型痴呆身体が動かなくなるばかりか 痴呆症状もでてとてもやっかいな病気病院側も施設もできれば受け入れたくない病気それをたった一人で看るのは無理ですどんな年齢だろうと 介護の辛さは肉体的より精神的苦痛が大きいのです実の親から無理難題 罵倒されたら どんなにショックか・・これ以上 清水さんのようなケースがでないよう 周りのサポートが必要だと思いますこのプログをみて まだまだ親の介護が必要じゃないあなた自分のことだけ考えていればいいあなた10年たったら どうなるのか 少し考えてみてくださいお願いしますこれ以上 介護をしている人に 無責任な言葉を投げかけないで下さい私の心からの願いです
2009年04月23日
あのまま 日記を終わりにしようと思いましたが応援してくださった方々 コメントを下さった方々のお礼を込めて 追記させていただきます11/29死去12/2 お通夜12/3 告別式無事に終了いたしました思えば 母にパーキンソンの兆候が現れたのは15年ほど前でした今まで機敏に動いていた母の動きが スローモーになり何か物をとるときでさえ 亀のようにゆっくりとなりました最初は五十肩かなと 思いましたが 今となってはあれが症状の初めだったと思います徐々に身体全体の動きが悪くなり 振旋という手の震えが出ました歩くときの歩幅が半分以下になり つま先やかかとを持ち上げることなくすって歩くようになり その結果転倒ばかりしていました全く足をもちあげないので たった5ミリの段差で転び(カーペットの厚さ)母自身も「あーもういやになっちゃう!なんでこう転ぶんだろう!!」と憤慨しておりました家事をするのも一日がかりになり 代わりに父がやっていました着替えもできなくなり 靴もはけなくなりましたパーキンソンのL-ドーパという薬でも 抗鬱剤でも過敏に反応し精神異常が強くでるためパーキンソン症候群レヴイ小体型痴呆という病名が告げられましたレヴイの特徴としては 幻覚 せん妄 周りの気遣いができない 判断が甘いなどがあげられます通常の生活をしようと思えばできるけれど 歩くと危ないから歩かないでといっても「私は歩けるんだ!おまえはうるさいやつだ!」などと言いそして歩いては転んでの繰り返しでしたトイレに行かせるのも身体が動かないからおむつにしようねと言っても「おまえは 実の親におむつをつけさせる気か!子供ならできるだけおむつにしないようにするのがつとめだろう!」と憤慨し40分毎にトイレを要求し20分かけてトイレを済ます そして手伝ってもらっても当たり前のように思い 私がすぐかけつけないと罵倒するような日々でしたそのような生活を二年も続けていたら 実の子供でさえ 大きなストレスとなります 言うとおりにしなければ口汚い言葉を吐かれ 鬼のような形相で怒り 何度か衝突したこともあります 子供としてできる限りのことはしたいけれど どうやったって母の意に沿わない事もしなければなりません そういう時は胃に穴が開きそうでした母のそういう行動に振り回された結果 私は二週間で9キロも痩せ 全く動けなくなってしまいました 私が自分の部屋で寝ていると呼ばれるので 母の横でぐったり横たわっていると 「大丈夫かい?胃潰瘍なんじゃないのかい?病院早くいっておいで」と自分が原因とも知らず早く良くなってくれという矛盾した母と相対することに限界を感じ専門病院へ連れて行ったところ緊急入院という形になったのです色々なことがありました 家で何の不自由もなく手足のように動いていてくれた私がいなくなり 病院の個室に移った母は気がふれた人のようになってしまいました当然のごとく拘束帯でしばられ 要注意人物ということでナースステーションに車椅子で繋がれていました 個室は私がいるときのみ使用され 寝るときも集中治療室で睡眠薬の注射をされて寝させられましたこのいきなりふってわいた自分の不幸を 母は全部私のせいだと思い込み 一年以上私の顔を見るたびにありとあらゆる言葉を使って私を責め恨み辛みを言い親の敵を見るような目で私を見ていました正直辛かったですこの頃は私は母を病院へずっと入院してもらうかどうかの決断に迫られていたし 母からも恨まれ 元主人の両親からも色々言われ 母の兄弟からも色々言われ 自分を責め続けました母に悪いことをしているからお見舞いに行かなければと思いながら 今日もどんな事を怒鳴られるのかと思うと行きたくなかったし 何度もお腹が壊れ それでも笑顔を作って母の前に行ってもいい思いをすることは少なかったです私はありとあらゆる精神異常をきたした患者に対する接し方の本を読みました一番良いとされているのは ボディタッチです実際に母の手や足をマッサージしていると 母は大分落ち着きますだから 私は最後の最後まで母の顔のマッサージや手足のマッサージを続けました気持ちがいいと思うことをしてくれる人のことを嫌いになる人はいませんよね正常な判断ができなくなってしまっていても この人は自分にとって良い人だとそのとき感じることができるならそれでいいのです記憶には残らなくても 会うたびにしてあげれば 落ち着いて対応できるようになりますそうやって 五年間入院生活をしている母のお見舞いを乗り切りました不思議なお話を一つします逗子の病院で亡くなった母を家に連れて帰り 門送りの時まで何度も私は顔の布を取って母に話しかけました実際 母を家に連れて帰った後 親戚の方がいらしてくれたし 私の友人たちも来てくれています どの人も まるで眠っているようだ と言いました逗子の病院で死化粧をしてもらったと書きましたが パウダーの薄いファンデーションを鼻と鼻の下に少し塗って口紅をつけただけでした三日間私は母のそばにいましたが 顔には全くと言っていいほど死斑がでることもなく 血色が良い顔ですやすやと寝ていました ただ足を見るとやはり死斑がでていましたあまりに血色がいいので 友人の一人が「お母さん 肌きれい!」とびっくりしたほどですなので私は母が本当に寝ているように思え やっと母を家に連れて帰ることができてほっとし 変な話ですが嬉しかったですこのまま母がすやすや寝ているのならお葬式なんかせずにずっとこのまま家で寝かせてあげたいなと思いましただけど 父は母をずっと待っていたはず 死ぬ直前まで母を心配し「俺が 家に帰らなきゃ お母さんが心配だ」と言っていたほどでしたから やはり荼毘にふしてあの世に送らなければいけないんだなあと思うと嬉しい反面悲しい反面 複雑な心境でした母は長い間進行性の難病と戦ってきましたので ようやくこれで開放され 自由に歩き どこへでも行き 好きなものを食べれるようになったと思うと 父が亡くなったとき大泣きした私ですが ほっとした気持ちでした ああ これで母は自由になれたのだと・・12/2 お通夜の前に 門送りが午前11時にありました葬儀屋さんが来たときも母は大変よい血色ですやすや寝ていたので 葬儀屋さんも「大変お顔の色もよろしいので死化粧はしなくていいですね?」と言ったので「はい」と答えたのですが・・・その日の午後4時に私は前日泊まってくれた友人と斎場に着きましたまず母を見て「え!」と思ったのは 顔が全く変わってしまっていたことでした死化粧はしないと言っていたのに 厚く塗られたファンデーション なぜか分からない一文字に伸びてしまった口 垂れ目だったのに釣りあがってしまった目私はすぐに係りの人を呼び 治して欲しいと言いました母はおちょぼ口だったのに 例えはひどいですが口割け女のごとく口が横に伸びきっていますなんとか修正してもらいましたが それは修正というより 伸びきったものを肌色に塗り 小さく口紅でここが口としているようなものでした係りの人は どうしても亡くなってずっと仰向けにいると重力で下にひっぱられますからと私に説明していましたが それはわかるのですが どうにも解せません家にいた たった三日間だけど 昔の母と全く変わらないきれいなお顔だったのに斎場についたとたん 顔が崩れだすなんて・・お通夜の夜 親戚の全員が家に帰ったので私一人斎場に泊まることにしました夜中 なんども母の所へ行っては最後のお話をたくさんしましたが ふとみると 額に傷がありました これはぶつけた傷というものではなく 肉体が痛んできているという証のようなものでした霊感はもう無くなっているけれど 母はひょっとしたら家にいる間私の前で変わり果てていくさまを娘に見せたくなかったのかな?と思います崩れていく肉体を見れば私が悲しむだろうから せめて家にいる間だけでも顔は維持しようとしてくれたのかもしれませんお通夜 告別式 喪主として 取り仕切りました今 さまざまな手続きをしていますお骨になった母の祭壇の下に 母と父の両方の遺影を飾りましたお寺さんに聞いたら 位牌を両名一緒にいれることができるというので是非そうしてもらおうと思っています肩こりと腰痛がひどいのと 8年間母のためだけに生きてきた存在がぽっかりなくなってしまった喪失感で身体が動きません抗不安剤を3錠飲んでも全く効きませんですが 実の親を亡くしたわけだから 精神的打撃というのは当たり前のことですし 精神科へ行ってもっと強い薬に変えてもらうことはしません時間とともに 解決していく問題だからですそれでも午前中はあちこちに母の名前で契約してあるものの名義変更のために電話をし午後には実際に出向いて行わなければいけない手続きに毎日翻弄されておりますしばらくは それでもいいでしょうね最後になりますが 私が告別式にスピーチした文章で終わりの言葉と替えさせていただきます困ったことがあったり 悩みがあったら メッセージに送ってください返信できる方には私の経験上のアドバイスでよければお返事申し上げます本日はお忙しい中 母の告別式にご参列いただき誠にありがとうございます。母は11/29容態が急変して永眠いたしました。享年79歳でした。15年程前に難病を発症し、亡き父と共に介護をしてきましたが、父が亡くなった後、急速に病が進行し、在宅介護が限界をきたし、入院生活となりました。幸い、専門病院に入院する事ができ、病院の皆様の暖かい看護によって安心な入院生活を送り、安らかな眠りにつく事ができました。生前の母を一言で言えば良妻賢母です。本当に家族思いで真面目で几帳面で、寝坊するような事など一度たりともありませんでした。晩年の父は私を目の前にして母に向かって「愛しているよ」と言いました。大正生まれの父が言葉に出す程、母は父に愛されとても幸せだったと思います。私も、もし再びこの世に生まれてくることがあるのなら、やはり亡き父と母の子供として生まれてきたいです。私の願いは亡き父と母があの世で再会し、幸せに暮らせること、それだけです。入院中の母を何度も訪れ、励まし、勇気付け、又、私の知らない所で皆様にずいぶんお世話になった事と思います。故人に成り代わりまして心から御礼申し上げます。本日は最後までお見送りいただきまして、誠にありがとうございました。
2008年12月05日
昼の2時ごろ電話がなった逗子の病院からだった「お母さんの具合が急変しました 急いで病院へきてください」私は 胃婁の手術を受けてから いつ肺炎になってもおかしくないと思っていたので 二週間は泊まれるであろう自分の薬を用意して出かけたでも不安だったからグリーン車にのった2時40分に又電話がなった「お母さんの心臓は停止しています 心臓マッサージをしていますがあなたがこちらにくる三時間の間ずっとしているわけにはいきません 人工心肺をつけますか?」頭が 真っ白になった父の最期のときが蘇った私が病院について父の心臓マッサージをしたら 医師から「もうかわいそうです 楽にさせてあげてください」と言われたことを「人工心肺はやめてください もう母を苦しめたくないのです 何もしないでそのまま逝かせてあげてください」私は泣きながら答えた母は自分がこれだけは絶対になりたくないパーキンソンと戦ってきた蘇生させても治癒不良の難病もう 終わりにさせてあげたい私は グリーン車で 泣きながら親戚やら友人やら電話やメールを送ったずっと 泣いていたこれでは 自分ひとりしかいないので 抗不安剤を飲んだ逗子でタクシーを拾い 病院へ向かった走ってナースステーションへ行ったもう涙で前がよく見えなかった大嫌いな婦長さんが私の手をしっかりにぎり「早くこれてよかったわ がんばったね しっかりね」と何度も私に声をかけ母の病室まで私の身体を支えながら走ってくれた集中治療室ではなくいつもの母の部屋だったカーテンでぐるっと母のベッドを囲っている入ると人工呼吸器をつけた母がいたベッドのそばにはあらゆる機械があり ピーピーと音をたてていた「おかあさん・・・きたよ・・ 玲子だよ!! おかあさん ごめんね 遅くなっちゃって寂しかったでしょう」私は泣きながら母の頬に手をあてた暖かかった婦長さんは私が着くまでの間 母の体温が下がらないように毛布をたくさんかけてくれたようだった何度も何度も母を呼んだが 母は目をとじたままだった続々と看護婦や医師がやってきて母の最期のときを教えてくれた母は今日の昼食を胃婁から入れ終えたとき 顔の色がさーっと悪くなっていったと強い薬で蘇生しようと試みたが 身体が弱っていて 効果がなかったと一度 目を開けて それから眠るように すーっと 逝かれたと私は 母の胸でわんわん泣いた周りの人たちは 黙ってそれを見ていたお別れなんだね お母さん私は 涙をぬぐって 医師や看護婦さんに 今までのお礼を言った看護婦さんは これから お母さんの呼吸器をはずして きれいにしますから 席をはずしてくださいと 言った私は 母に着せてあげたかった横浜のデパートで購入した7千円のパジャマを持ってきてない廊下でうろうろしている私を見かねて 婦長さんがやってきた私は 母に着せるものも きれいにしてあげるものも 何も持ってませんというと婦長さんは こちらで用意しますから 何も心配いりませんよといい 私を座れる所まで連れて行って「悲しいだろうけど がんばってね」と私の手をにぎり 母の元へいった長い間待った連絡した友達から続々とメールがきたようやく母の元へ行くことが許されたカーテンを開けると 白い布で顔を覆われた母がいた死を意味するその布涙がとまらなかった婦長さんはしばらくお母さんのそばにいてあげてね それが済んだら色々手続きがあるから下にきてねと 言って 席をはずした布をとると 死化粧をした母がいた元々母は美人で お化粧してもらった母は美しかったとても死んでいるとは思えないほどだった何度も確かめてみる「おかあさん おかあさん」身体をゆさぶるそのとき 初めて 母の身体が冷たいことを知ったもう 死んだのだと・・「おかあさん おつかれさまね 15年もパーキンと戦って疲れたでしょう 最後の5年間は入院ばかりで嫌だったよね ごめんね 私の願いはね お父さんとお母さんがあの世で苦しみも悲しみもない世界で幸せに暮らすことなんだよ だからお父さんを早く見つけて幸せになってね」私は長い間母のそばにいて 母に語りかけたなんのために成年後見制度をとったのか・・なんのために貯蓄預金を普通預金にいれたのか・・なんのために・・なんのために・・下に行くと会う看護婦さんたちが 皆 私に挨拶してくれたこの病院は個人病院だから霊安室や保管室はないという今日中に母をどこかへ移動させないといけないという父のときは病院が紹介した葬儀屋に連絡して あれよあれよと言う間にどんどん進んでしまったが 母の場合はちょっと違った母が今逗子にいること 紹介する葬儀屋は逗子の管轄であること私は千葉県に住んでいること母の親戚 お寺は横浜にあること私はどうしても母を一度家に連れて帰りたかったでも 家に連れて帰って 横浜で葬儀をとりしきるには 又母の移動をしないといけないこれはお寺でも葬儀屋もやめたほうがいいと言った少々もめている間に 親戚のおじさんおばさんと 私の友達が病院へ来てくれた母の部屋に案内してもらってる間私は携帯で外からずっとやりとりをしていて話にならないので婦長さんが代わって交渉しとりあえず逗子の葬儀屋が母を家まで送るというところまで段取りをつけてくれた親戚とお別れして 葬儀屋と友達と母とで家路についた二階の母の居間に布団を敷き 母はそこへ横たわったドライアイスがものすごい量で母の身体に乗せられた葬儀屋は帰っていった友達と私が家に残ったもし 友達がいなかったら 私は気が狂うほど泣いただろうありがたかったお寺に電話して 事情を説明すると 千葉県でやったほうがよさそうだった父のときも横浜から来てくれたお坊さんだ12/2~7の間なら いつでも優先してこちらに向かうと言ってくれたありがたかった明日家の近所の葬儀屋を友人と回り 日時が決定するだろうそうして 親戚に連絡し必要なものをそろえ手続きに追われ一ヶ月 悲しむ暇もないほどになるだろう月曜日に又別の友人が泊まりにきてくれると言ってくれたありがとう今 母の居間は電気とお線香がついている時々 母のそばにいって 布をめくると 母はまるですやすや寝ているようだ病院が用意してくれたシルクのパジャマを身に着けた母は 家に帰って安心してるようだほぼ8年に渡る私の介護は終わりました長い間 母のことだけ考えて生きてきましたパーキンソン症候群レヴイ小体型痴呆患者は一般的に痴呆患者と言われる中の4割は隠れた存在であるそうです死亡原因の病名第二位ですこれから先 同じ病気にかかる人や家族のために このHPは残しておきます何かの参考になればと思うから今まで私を応援し勇気付けてくれた皆さん ありがとうございました母は安らかに旅立ち介護奮戦記は終わりましたお元気でさようなら
2008年11月29日
昨日 審判書が届いたので さっそく銀行と郵便局で色々やらなきゃなあと思い雨だし 寒いし とりあえず 電話して必要な書類が何かを確認しようと思ったまず 銀行二ヶ月ほど前 副支店長さんが同じような立場だったため そのときは私にお電話くださいと言っていたのを覚えていたから副支店長さんにお電話したすると 必要な書類そろえていたら 一ヶ月かかることが判明・・・審判書 登記証明書 身分証明書 印鑑 などであるこの登記証明書というのがくせものです審判書が届いてから二週間後に確定してそれから登記になるので時間がかかるのですで そのことを副支店長さんに言うと多額のお金ではないなら私の権限でうつせられます とのこと本当は定期を解約して普通預金にいれようかなと思ったけどおのづさんのお母さんの後見人おのづの代理通帳 って形にするには時間がかかるので貯蓄預金に入っている70万を普通預金に入れておけば とりあえず 不意に何かあったときに対応できるというもので それだったら副支店長しかできないから 今日はばたばたしてるので 明日以降必要なものを持って電話してから来てください と言われました今回の胃婁手術のように いきなり病院から電話がかかり 緊急入院 緊急手術なんてことになると こんな手続き悠長にしてられない前回も50万降ろしてなんとかなったから それくらいあれば安心だろうと思っているで 登記証明書と管轄のことを再度確認したかったのでその後横須賀家庭裁判所に電話してみる私の担当書記官さんはもう決まっているのでその人を呼んでもらう管轄は横須賀のままでいいそうで^^それはよかったのだけど 登記が・・11/25に審判が下されたのでそれから二週間後に確定しそこから法務局に裁判所が登記するようお手紙をだすそうですで そこから十日後くらいに 登記が完了して完了したら 私に手紙がくるそうですで 前回もそうでしたが この登記証明書というのは東京法務局しか受け付けていないので郵送でやりとりするため私が最速で出したとしても 書類が届くのは一週間後つまり 一ヶ月くらいまるまるかかるということです^^;それで もうなえてしまいました^^;郵便局にも電話して(銀行とは書類や手続きが違うだろうから)色々聞こうと思ったけれど結局この書類がないことにはお話にならないなと思い やめました・・もういいでつ・・雨だし 寒いし 疲れたし今日は家で大人しくしています・・そうそう 昨日ねあまりに嬉しくて 久しぶりにケンタッキーを夕食にしたんですよ仕事をしていた頃もよく食べていたのでおなかの調子が悪くなった八月以降食べてなかったのですが最近壊れないので よし たべよーっと思って買ったのですが・・食べてる途中からおなかの様子がへん・・二時間後 水下痢・・・;;夕食に食べたものぜーーーんぶでていってしまいました・・何回トイレいっただろう;;てことは 精神的にはよくなってきてはいるもののまだ以前のようにケンタッキーを食べれるほどお腹は回復してないってことなんだなあ;;一体いつになったら お薬なしの生活に戻れるんだろう昨日の逗子へ行くのだってもう抗不安剤飲んでないし・・思えば 一週間以上もう飲んでない・・精神面と お腹の治り具合が全く違うので少々不安な今日この頃でした・・
2008年11月27日
昨日は本当は逗子へ行く日でしたが関東はなんだか雨っぽいというわけで 本日行ってまいりましたその前に午前中に郵便局の人が特別郵便なるものを持ってきまして本人でないと受け取れないという書類をいただきました横須賀裁判所からだ・・・どきどきしながら 封を開けてみる二週間っていってたのに まだ一週間しかたってないよ・・なんか不具合でもあったのかな・・あ!成年後見制度開始のお知らせでした;;;;やったーーーー;;ついに 後見人になれました;;しかも 横須賀の管轄のままです;;どばーっ (┬┬_┬┬)受付してから1~2ヶ月かかるって聞いたのにこのスピードは一体なんなんでしょう?でもよかった 一週間で認められた^^これで市川と無駄な争いをしてお金と労力を使わないですむ私は大変安心して逗子へ行きました病院へつき まず受付にそのことを伝えるとその場にいた大嫌いな婦長と受付のお姉さんは大層喜んでくれて特に受付のお姉さんは「本当におのづさんはかわいそうで 見ていて腹がたったわよ! あっちいったりこっちいったり でもよかったわね すごく時間がかかったけど おめでとう!」そういってくれました^^私も院長先生のお伝えしてください それとお礼も申し上げてください とお願いして母の元へ母はすやすやと寝ていました引き出しをあけて 化粧水やかみそり クリーム 目薬などをごそごそとりだしても 寝ていました「おかーさん」優しく声をかけると 目を開けようと努力してるけど開かない母がwかわいそうだなあ このまま寝かしてあげようかなとも 思ったけれど 口のお掃除だけはしなくっちゃ・・ちょっと強引に起こして ご挨拶起きたばかりのときや プリンなどを食べてる時などは意識が割りと鮮明で集中していてくれるのでお話できます「お母さん インフルエンザの予防接種やった?」「十月もごもご・・」「え?」「十月三十もごもご終わります」「え?え?」「十月三十一日に終わります」なんだかよく分からないけれど もう時間や日付が判ってないので なんとなく今月末までにはするってことが判ります^^;少しだけお話しながら お顔のお手入れ顔のマッサージをしてあげると いつもうっとーりして 気持ち良さそう「きもちいい?」ときくと にこっとする口内のお掃除はちょっと大変でした時間がたてばたつほど 意識が朦朧としてきてせん妄状態になりやすいのでそのたびに 口を開けなくなってしまいますだから 母の意識が集中するように「口の中のお掃除だよ お父さんもブリッジのお掃除してたよねー」と声をかけ(父という単語とブリッジという単語に反応します)歯間ブラシでごっそりとれた歯垢を母に見せながら30分近くかけてお掃除しました最後のほうは もう口を開けないので「お母さん お掃除しなかったら プリン食べれないよ プリン プリン食べたいでしょう」と言います(食欲はあるので プリン 食べる という単語に反応します)優しく口元をつつくと なんとか開けてくれたので 完了しました冷蔵庫からプリンを取り出して 母のほっぺにくっつけると 笑う母実際にそのプリンのふたをめくってみると あらびっくり これ生チョコレートじゃない・・プリンとは名ばかりで これでは生チョコレートです・・まあいいや どろどろだし と 思いつつ 母に食べさせると今まで三ヶ月なかったような 昔の母の顔になり私をはっきり見て「おいしい! すごくおいしい!」と連発しますあらあら 気に入ってくれたのね^^かなり どろどろなので 食べさせるのに時間がかかりましたプリンとは違い 飲み込むのに苦労しているようで 空気が大量に胃に入っているのがわかります途中で 何度かとまり 口を開けないのは げっぷがあがってきてるんだけどでない不快感ですねそういう時は 本当は背中を叩くといいんだけど 寝たきりなので 胸の気管支のほうを軽くとんとんとしてあげてげっぷを促します最後のほうにげふーっといいつつ 食べ終わり更に 食後に大きなげっぷを二回したので ベッドを中間まで戻しましたおいしいと言ってた時はかなり意識がはっきりしていたので昔話など楽しめましたが後半は朦朧としていてだめでしたナースステーションにより プリンをあげたことを報告して帰宅につきましたはー^^これで ややこしい手続きがすんだ^^明日からは この証明書を持って銀行や郵便局へ行き へんちくりんな名前の通帳に変えてもらうんですね^^;まあ 天気がよければいってきまーす^^
2008年11月26日
月曜日一日中病院 火曜日 横須賀家庭裁判所 で裁判所は初めて行く土地だったしやはり裁判所なので大変緊張していたためか 肩こり頭痛がひどい・・・起きても ぱんぱんに肩がはってて頭痛ががんがん本当は今日一日休んで明日逗子へ行こうかと思ったけれど天気予報を見ると明日は11度までしかあがらないみたいそんな寒い日にでかけたら又熱出しちゃうわと思って 抗不安剤を一錠飲み頑張っていくことにした行きは何事もなく病院にあっさりついた病室へ行くと母は目を開けて天井を見て微笑んでいるあ せん妄だな・・そう思った私は声をかけずに購入してきたプリンに名前を書こうと引き出しをあけると インフルエンザ予防接種の記入書が入っていた毎年のことだが 保護者(私)のサインがないと行われないらしいので プリンに名前を書いて冷蔵庫にしまって 記入書に色々書き込んでと母の周りでばたばたしてたのだが 一向にこちらを見ない今日は プリンだめだな・・書類ができたのでナースステーションにもって行くと「今日はお母さんの様子はどうですか?」と聞かれたので「せん妄状態なので口腔ケアができるかどうかわかりません とりあえず頑張ってみますがプリンは今日は食べさせません」と答えた「そうですか わかりました」とのことで 病室へ戻るとりあえず いつものお顔のケアをしてあげないといけない天井を見ている母のそばにいって声をかける「お母さん」母ようやくこちらを見る「お顔やろうねえ 目薬もさそうねえ」母は顔のお手入れをしてもらい 目薬をさしてもらって 化粧水をふんだんに使ってもらってすごく満足そう意識が少しだけど戻ってきた「お母さん インフルエンザの予防接種 サインしておいたから今年も受けてね お見舞いに来ている人が菌を持ってくるから予防だからね」すると うなずくおや なんとかお話できるかな「お母さん お母さんの兄弟の○○おじさんと××おじさんにお歳暮贈っておいたからね ○○おじさんはお母さんが横須賀市民病院へ入院しているとき来てくれたから そのお礼だよ お母さんの名前で贈っておいたから それでいいよね?」「うん」という母そか^^ どうせ忘れちゃうけど 理解はしてくれたようだ母はこういう世間体を気にするタイプなのでもらったら もらった分だけお返ししないと嫌な人なのだ他は難しい話はしなかったけど 嚥下がうまくいってないみたいだったのでインフルエンザを口実に「注射受けるまで健康でいないといけないから プリン禁止になっちゃった ごめんね」といって諦めさせたその後歯間ブラシと舌コケブラシで丁寧に口腔ケアをして 耳垢もとった髪の毛をとかしていたら気持ち良さそうにしていてそこで オムツ換えの人が来てしまったので帰ることにした帰りに受付のお姉さんのところへ行き「昨日ようやく横須賀家庭裁判所で受付してきました」と報告した「遠かったでしょう ご苦労さまね」「でも 裁判官の判断でどこの管轄にされるか分からないそうです 横須賀はあくまで住民票がある場所が管轄だと言ってますから・・」「そうよねえ それってひどい話よねえ じゃあもし市川に戻ったらどうするの?書類を又おのづさんがもって行って手続きするわけ?」「わかりません・・でも 市川に管轄が移動したら 不服申し立て書を提出して 横須賀か千葉にしてもらおうと思ってます 市川は嫌ですから・・」「そうかあ もう こんなあっちいったりこっちいったり いちいちおのづさんに手続きさせたりするのおかしいわよね! 裁判官同士で話し合って 勝手に決めておのづさんに負担が行かないようにすればいいのに!」受付のお姉さんはかんかんだ^^;で 病院を後にしたのだが それで ふと色々考えることができてしまったそうだよなあ 思ってみれば 市川に最初に電話したとき 断られたのがきっかけだ二度も喧嘩して 千葉の上司から注意してもらい 市川はそのとき「お母さんは治る見込みがないんだったら受付してもいいですよ」といったのだ成年後見制度ってさ家族が認知症などによって正常判断できなくなったから他の家族の人がそれまで苦労したり悲しんだり傷ついたりしてきてもうだめだと思ってとる最後の手段なんだよそれをさ 治る見込みがないんだったらって それって もうすぐ死ぬんですよねだったらいいですよ っていってるようなもんじゃないの?段々むかついてきたで ちょっと一人で色々考えたかったので グリーン車に乗って誰もいない車両の真ん中に座った(今日は強風なので出入り口に近い席は寒い;;)なのに 次の駅で 私しか真ん中に座ってないのにその前列に四人のおばちゃんたちがやってきて ぎゃーぎゃー騒いで大盛り上がり3駅我慢してたけど あまりのうるささに ギブアップ隣の車両に移動しましたで もしも もしもよ?横須賀家庭裁判所の裁判官が 市川に管轄を移すようにと私に指示してきたらさ最初っから市川で受けてりゃこんな大変なことにならなかったってことでしょう?わざわざ横須賀裁判所から書類を入手して 違う用紙に書き込んで 時間くって 横須賀まで通った運賃とかさ そういうのって請求できるんじゃん?市川ができないって つっぱねたから お金がかかったわけで裁判官が決定したことは絶対なわけでしょう?そしたらさあ 謝罪とかかった費用と請求していいんじゃないの?と考え始めたら・・・・東京駅で隣に座ったおっちゃんが;;缶ビール4本ビニール袋に入れてたのをちらっとみて もうげんなり;;20分の間に4本飲みきって えらいご満悦こっちはさ お酒全く飲めないうえに 今真剣に考えてるわけだし鼻歌とかやめてほしいよ;;で どんどんストレスがたまっていってそのときあ!って 気がついたのでした自分でストレスをためてんじゃんって今からそんなこと考えたってしょうがないでしょう決定が下される二週間後に改めて考えればいいことだし 横須賀で管轄移動なしになるかもだし そしたら こんなこと考えても馬鹿みたいじゃないもしも 市川に移動になったら 裁判所と裁判をする構えをして 父が懇意にしていた 大変力がある保険会社の支店長に頼んで有能な弁護士を雇えばいいのだよでいいんじゃない?と 思ったら ストレスがすーっと消えていったなるほど これがマインドコントロールなわけね一人でぱにくって薬が必要になる前にコントロールしちゃうわけだとまあ 自分の中で腑に落ちない部分を妙に納得させ 買い物をして帰宅しました裁判所に訴訟するって 普通ありえないことだけどそのくらいのこと されたんだし 名前も控えてあるしねこのブログだって 立派な記録だ(多分8月後半から9月頭にかけてもめたことが書いてある)一応すっきりしたので 今は疲れ果てたから眠気が^^;明日は車で買い物にでかけ 大量に食材を買いこんで二週間待機してましょう^^というわけで へんな一日でしたw
2008年11月19日
はあ~ 疲れた。。。本当に疲れました ただいまです。。朝早くから横須賀家庭裁判所に行ってまいりました遠いので 何が足らないから又来てくれとか言われたくなかったのでコピーも相当量だったけど それ以外に本物の書類とか ありとあらゆる母関係のもの計算機 印鑑 筆記用具 ぜーんぶ持って行きました(すんごく重いかばん・・)行くのに際して 間違いや不明な点があっては嫌だったので 何度か電話で聞いて必要なものを持っていったりそろえていったのに・・ いらんかった・・というのもね まず電話にでる受付窓口の人と 私を面接する人と 裁判する人は 全部違うのですだから 受付窓口の人が これこれ用意してこうやってください と言ったから用意して持っていっても 面接する人は 「ああそんなに厳格にやらなくていいから それいらないよ」とか「印鑑もいらないいらない」とかで・・だったら 千葉県からこんなに重たい荷物をもたせるな~~~~~!とつっこみたかったですが まあいいです・・最初 印紙を購入しなきゃいけなかったので 一時間前に裁判所につき 印紙購入 全部で7500円 これは司法書士の人が言っていたから分かっていたけれど 今回の成年後見制度に関してかかる費用は自分が負担しなきゃいけないのだそうです結構かかりましたよ~母も私も戸籍は横浜だし 取り寄せなきゃだし法務局にも郵便でやりとりしたし税務署でも印紙とか購入したし全部で2~3万は軽くとんじゃったよ・・・;;それだけならまだしも 横須賀までの運賃とかね・・タクシー代とかね・・まあ いいんです もう終わったから・・受付で印紙を購入したあと 書類を全部提出します私の場合 ありとあらゆるコピーを持っていったので(全部で40枚くらい^^;)大量の書類を提出しましたそれをチェックする受付の人がいて(内容があってるかどうか 足らないものがないのか ファイリングしてくれます)その作業の間ずーっと待たされます(40分くらい・・)待ってる間裁判所なんてそうそう行かないので あちこち中を見学したいなあと思っても ここで待っててくださいと指定されちゃったので 待ってたんだけど朝早かったし 一応緊張して頭痛がひどかったから抗不安剤を一錠飲んだので眠気が・・ようやく呼ばれたら今度は廊下で待ってて下さいとのことその廊下の前には 調査室と呼ばれる部屋がずら~っと並んでいて 全部で13部屋くらいありました成年後見制度は家庭裁判所で扱うものなので 中には離婚調停とか 離婚後夫の戸籍に入っている子供の戸籍を自分のに移すものとか 少年犯罪を犯した家族全員とか ごっちゃになっていましたね廊下で待ってる間にトイレに行きたくなったので ちょっとだけ中を散策してみたけれど 一番奥の部屋は第一裁判室となってました大きな部屋で 普通に裁判をやるようになってて これがよくテレビで見る裁判の様子なのかあと思いましたねで すぐに呼ばれてしまったので 調査室という部屋に通されました大きな楕円形の机がど真ん中にあって 周りの椅子の数が8個複数の人対応の部屋でした私は中央の椅子に座るよう指示され 真向かいに面談する査察の人が座りました書類に関しては 一点だけ書き忘れがあったようで例の株のことです私名義になっているし 母の財産目録になかったようで このコピーはなに?と尋ねられたから正直に株の人がこうしろっていうからこうしましたと答えましたそしたら査察の人が「え~?そんなこというの?」とか言ってましたが 本当に言われたんだもの・・で 私名義になっているから 私がそれを売買しては絶対いけないときつく言われ(売買するにも今は株が暴落して危ないんだってば・・)私は全くする気はないことを言いましたそのほかの書類に関しては全く問題がなかったようですが成年後見人の審査が通ると 母の印鑑証明は抹殺されることを知ってショック・・もう選挙の投票権もなくなるそうです・・まあ 今までずっと母の財産を管理してきたし 母のものは母のもの 私のものは私のものとして離婚するまではきちっとしてきたから 今後管理をしっかりしてくれと言われてもらくちんですあと 私が司法書士に 生前贈与をお願いしたとき それは相反するものだから絶対通らないと言われていたのに 査察の人はそれも可能だと言われたのでびっくりというのも 後見人に報酬を与えるというところがあるのですが 司法書士はこれは第三者が行った場合だけで身内の場合はやらない とはっきり言ったのに 私の場合は 子供が一人で離婚もしていてまともに働けなく母の介護もしているという事情があるから 裁判官に申し出たら裁判官が金額を決めるけどもらえるよと言いましたまあ もらってもいいんだけど 結局隠し財産を使っていくと決めたわけだし 生活に困って生活保護を受けるわけじゃないから 別にそれはいいやと思って いいですと断りました査察の人も「結局あなた一人が本人の相続人になるわけだし 最終的には全部の財産はあなたのものになるわけだから別に問題ないでしょう これが兄弟複数いる場合はよくあるパターンです 例えば お兄さんの方がたくさん関与していて 弟さんはあまりしてなかた場合など 生前贈与の関係でできるだけお兄さんが多くもらおうとします」へーと私は思った私は一人っ子なので兄弟の仲の良さ悪さは全くわからないけれど遺産に関して争いがよくあると聞くから やっぱり金銭問題で家族はもめるんだねえと・・あと私の年収があまりに低かったので(年収46万)心配していましたが 事実正社員としては働けないわけだし 家のこと 手続きのこと 母のこと 自分のこと 全部やってたら なかなか良い就職先はありませんというと ごもっとも とも言ってくれました でも「あなたは女性だから まだいいかもしれませんが これが一人っ子の男性だったりすると もっと大変らしいですよ」と言った そうだろうなあ 仕事辞めるわけにはいかないだろうから 正社員として平日働いて 土日に家のことお見舞い 手続きなんかするわけだから 休む暇ないだろうなあって思いましたね そうなると女に生まれて良かったのかなあとふと思いました面接は一時間半ほどかかりましたが終わりましたただ やっぱり裁判官が 今後の管轄を決めるので(基本はやはり住民票があるところだそうです)どうなるのかわからないということそれと これから二週間後に決定されて書類が届き さらに二週間後に別の書類が届き それを一ヶ月以内に提出して(郵送でよい)一年後にまた提出ということを今後ずっとしていくそうです(面倒くさいこと このうえない)ふと時計を見ると四時半でした行きにタクシーの電話番号を控えてあったので送迎してもらい 帰宅につきましたあー なんとか おわったーつかれたよー査察の人と裁判官は全く違う人なので 裁判官の人が決定することが通ってしまうそうなので 査察の人はこれでいいと言った書類でも 裁判官の人が 再提出といえば 又書類を送るもしくは裁判所まで出向かなければいけないそうですというわけでこの二週間は あまり外出しないようにと言われましたすぐ連絡がとれるようにしてほしいとのことなんとか無事にすみますように・・・あでも 成年後見人として認定されたら 母の預金関係 名義かきかえなきゃいけないらしいのだ;;「おのづさんのお母さんの後見人おのづの代理預金通帳」という名義にするんだって;;まあ どっちにしろ 郵便局の定期の利率が悪いから 解約して作り直したいって思ってたし・・ ということは 又あちこちばたばたと忙しいわけですね・・年末なんだからさあ それまでに落ち着きたいよ;;とりあえず 今日はおしまい自分でもよくがんばったー^^あ そうそう 今日面接行ったときの服装ね 二年前に会社に就職するときの面接に使ったスーツなんだ 当時は最高に太っていたときより11キロやせてたのが 着れたのだー^^ワーイ ( ^-^)o-o
2008年11月18日
今日は精神科と胃腸科で血液検査の結果を知りに行く日朝早くに精神科に行ったけど 10番目・・ようやく順番になったので 最近の調子を先生に話して 抗不安剤はいらないのではないかと聞いてみるというのも 朝一錠飲んだきり 一日中それだけ 時間がたてば 効果は切れるだろうし 切れてても飲んだばかりでも精神的には変わらない 先生は「そうですね 効果がない時間を平気ですごしているということがもう不思議です これからお薬を切っていく方向へいきましょう 自分で不調だなと思ったときに飲むようにしてください それがとても強いストレスがかかって一日に三錠までならいいですよ それとデパスですが どうもデパスのほうがお好きなようですが まず抗不安剤を使ってみて だめならデパスという形にしていきましょう 睡眠剤はどうしますか?やめますか?」「うーん えーと かなり長い年月不眠症でして・・ 寝ようとするとあれこれ考えて寝れなくなってしまうのです なので それは切られてしまうと不安です・・」「そうですか そうですね 抗不安剤も睡眠剤も両方いっぺんにとってしまうとあれですから 睡眠剤は残しましょう それにね 不眠症の方はこの薬3錠程飲まないと寝れないのですよ あなたの場合は お薬を飲んだ安心感から寝れると思うので 今日は疲れたー ああ 眠いってときは睡眠剤を飲まない訓練をしましょう 今は2ミリなので それを1ミリにできるようにしましょうね」「はい わかりました」というわけで 抗不安剤を毎日飲むことはなくなった飲むのは睡眠導入剤だけで 一度家に帰り 昼食をとって胃腸科へ実は喉が痛くて 熱はでてないけれど だるいし 微熱っぽいし 微熱かなと思うと測ってみれば熱ないしという変な状態が続いていたので早く結果を聞きたかったのだこちらもずいぶん前についたのに15人待ち・・・えらい長い間待たされてようやく順番「先生 扁桃腺だったでしょう?溶連菌反応ありました?」「いやあ それがねえ ないよ?」「ええ?だって先生喉いたくって・・」「ほら みてごらん」先生は血液検査の結果を見せます「溶連菌が繁殖してるときはここの数値が高くなるんだよ これ全然低いのね それと白血球 これもウイルスや炎症が起きているとき数値があがるんだけど全くないんだよ だから なんともないよ」「えええええええええ じゃあ この喉の痛いのとだるいのはなぜ;;」「多分ね 喉の粘膜が傷ついてるんだと思うよ 家が乾燥してるのかもしれない 加湿器あるかな」「いえ ありません あ!そういえば・・ ここ三週間あまり熱があがらないようにと24時間暖房つけっぱなしでした・・それが原因なのかな」「そうだねえ それと寝てるとき口で息するタイプの人はなりやすいね」「あ・・いびきかきます・・」「そういう人はね マスクをつけて寝るんだよ そうすると自分の息の湿気が又入るからね」「う・・うつぶせで寝てるんですが;;マスクつけても意味ないような・・」「まあ 寝ちゃった後のことは自分じゃどうすることもできないからね それと部屋はびしょびしょに濡れたタオルをあちこちにハンガーにつるすといいよ 加湿器の代わりだね」「なるほど」そういえば 離婚する前は乾燥機はめったに使わなかったので部屋干しだったのだが(花粉症もち)一人暮らしになって洗濯の量は減ったし 二日に一回でいいやってのと 干すのも少ないので乾燥機に入れっぱなしにしてたんだがそれがいけなかったのかもしれない濡れた衣類を部屋干しするだけでも乾燥は防げたはずだいい勉強になった今日は部屋干しにしよう先生は粘膜が傷ついてるとイソジンでうがいなんかすると逆に痛めるので うがいはせずトローチをなめるようにいったあぶなかったー 扁桃腺だと思ってイソジンでうがいするところだったよ^^;さっそく帰りに出されたトローチを舐めながらお歳暮の手続きをしにデパートに行ったけど 全然喉が痛くなかったさすが 先生・・本当になんでもわかる先生なんだねえ すごいねえというわけで 何でもなかったそうなので^^;明日 頑張って横須賀家庭裁判所に行ってまいります!!
2008年11月17日
昨日うっかり寝てしまったので朝起きたら喉痛い・・やっぱり扁桃腺かも;;これじゃあ 普通の薬じゃきかないわ;;だるいし 微熱だし 肩こりだし はああ・・でも ふと思ってそうだ 横浜から取り寄せた戸籍謄本が三ヶ月の有効期限きれちゃうと思って今日がんばって書類を作成しましたなんとかできあがり 不明なものについては鉛筆書き横須賀裁判所に電話して後見人制度の開始の予約をしました毎週火曜日しかしてないということなので一番早くて来週の火曜日家からかなり遠いので(三時間半)2時の予約にしました2時前について印紙などを購入してから受付をすませ書類を提出して面接になります(一時間から二時間程度)はああ ようやくここまできた分からないところは電話で全部聞いたし行き方も教わったので迷子にはならなさそう(とてもお金がかからない行き方を教えてもらいましたが歩いて10分とか言われて断念しました・・)一番近くの駅で降りてタクシーで1メーターだそうですこれなら大丈夫そうというわけで とうとう成年後見制度の開始です来週の火曜日は母の元へはいかず 横須賀の裁判所に行って来ます体調次第で 翌日か 翌々日に母の元へいくつもりです体調が万全ではないので ここのところ寒いから家でぬくぬくしているつもりです^^では 頑張っていってきま~す^^
2008年11月12日
コメントを下さった方 ありがとうございますわけあって お返事できませんが きちんと読んでおりますので^^朝 起きると・・起きれない・・そう 昨日 疲れ果てたのと 病院に長時間いたので 再び 喉悪化 微熱 だるいうーん 先週も休んでしまったし 今日いかないと またずるずると一週間休んでしまいそう・・と 頑張って冬着を着込んでの出発です真冬のジャンパーを羽織って出たのですが それでもちょうどいい感じ電車を待っていると 超混んでる電車が到着・・はい・・ グリーン車です すみません・・なんでだろうなあ すごく混んでるときと がらがらなときがあるまあ 今日は体調悪いし しょうがないか・・JRは冷房はありませんでした冷房はありませんでしたよ 冷房は暖房もありませんでした送風です・・・・・・さむいがなあああああ!上半身はジャンパー羽織ってるからいいけれど下半身は冷え込み・・品川を過ぎた辺りから空いてきたので正座して逗子まで行きました病院へ着いて母の元へ行くと 母お眠り中枕の下に又アイスノンが・・お熱が高いならプリンはあげれないから 看護婦さんに確認してみようと ナースステーションに行くと 「この人がおのづさんのお母さんの担当です」と新しい看護婦さんを紹介されました5年も通ってきたけど見たことがない人だでも もう60台に近い感じ私は母の様子を聞いてみると母は急に熱があがったり下がったりするタイプのようで アイスノンをあててると 気持ちいいらしいからすぐ下がると言われました多分昔の母を知らないのでしょう「おのづさんのお母さんはとっても優しい人ね そして繊細 少しでも嫌なことがあると 身体全体が緊張しちゃうらしくて熱がでちゃうのよね」と言いましたまあ 確かに今は とても素直で扱いやすい患者の一人になりましたがそこにいくまでは・・超問題児で・・・私は「いえ 以前の母は大変病院に迷惑をおかけしました 申し訳ありません」と言っておいた吸引に関しては 母は嚥下があまり悪くないようで頻繁にしてないそうです私が状態が良ければプリンをあげたいと言うとその新しい看護婦さんは しばし黙って「でもね お奨めはしませんよ もし万が一のことがあっても 私たちは知りませんからね」と言いましたそんなことは百も承知 前の看護婦さんたちは あげたかったら家族の人たちでどうぞ^^ってな感じだったのに 頑なにプリンはあげないほうがよいとその看護婦さんは言うのです「分かってます 責任は全て私にありますから 嚥下状態を見て良ければ与えますし 悪ければ口腔ケアだけしておきます」といっても いい顔はしませんでしたきっとよその病院からきたのかもしれないなあ胃婁の患者には飲食絶対禁止の病院だったのかもしれないまあ 母が食べたいという意思があるうちは私はあげたいと思うそのうち私のことも分からなくなり食欲もなくなるだろうそうしたら もう あげないだから 今のうちだけ あげたいのだ私は充分注意しますと再三約束し 母の元へ行った「お母さん」優しく呼ぶと ゆっくり目を開けて私を見てにっこり笑う「お母さんごめんね 先週はお熱がでちゃって これなかったの さっそくお顔のお手入れするね」母の顔は私がいないと 誰も髭を剃ってくれないので伸び放題化粧水もつけてないから 乾燥してかさかさ私が髭を剃って 目薬をつけて 化粧水を満遍なくぬると母ご満悦「お母さん 肌かさかさだねえ 化粧水もう少し塗ろうか 気持ちいいでしょう?」「うん」私はたくさん浸したコットンで母の顔を湿らせ 美容液を塗ってマッサージをしたその後母に 歯間ブラシを見せて 歯のお掃除をするよと言う最初は抵抗していたけれど ごっそりとれた歯垢を見せると 驚いた顔をして協力的に口を開けてくれた最後に 先々週抵抗してできなかった舌のコケ取りブラシ「お母さん 舌のコケ 先々週嫌がってとらせてくれなかったよねえ がぶってかまれて 動かせなかったわ でも 舌のコケも歯垢と同じ とらなきゃいけないのよ 今日はやれるかな? 痛くないからね べーってして」母に私は舌を出して べーっとしたが べーはできないようで 口だけ開けた私がブラシを中に入れて コケをかき出したら舌を前にだして取りやすいようにしてくれた「おお お母さんすごいよくとれてるよー^^ ほら」私はブラシを見せた母も「おお」と言っているwお掃除は済んだので私はそれらを洗浄してプリンを冷蔵庫から持って来た「お母さん プリン食べたい?」と聞くと「食べたい」というベッドをかなり直角に近い角度まであげたのだけどもう側湾症のように背骨は曲がっているし 座れないので 辛そうだ飲み込むには 後ろに首がそらないほうがいいので 枕をそのままにしておいたのだけどそしたら よだれが だらだらこぼれてしまい 食べさせられない母にプリンを口元へ持っていくけれど 口を開けるとよだれがだらーっとでるので 母も口を開けないしょうがないから 枕をとって 少し後ろに寄りかかるようにした母は最初用心してなかなか口を開かなかったが一口食べだすと 何度も口の中で動かして上手に飲み込んでいる今日は嚥下も良さそうだ私は食べさせながら(食べてるときは意識が集中しているのでせん妄状態になりにくい)昨日の乳房検診の結果を話した何箇所ものう胞があることを言うと母は心配そうな顔をして私を見ていた母の時代には乳房検診などなかったので したことがないしたとしても触診くらいでエコーなどないのである母ものう胞があったのなら私にできてもしょうがないけれど「お母さん 乳がん検診したことある?」「ない」というのでしかたがないその後も色々お話した母は子宮筋腫もちなので 私もいつかは出来るかもねえとか家族全員で同じもの食べていたから(たけのこ)家族全員で腎臓結石になっちゃったねとか母は 時々声をあげて笑った飲み込みが良かったのでげっぷも少なかったお腹に耳をつけると きゅーごろごろと鳴っている良かった 今回も上手に食べれたんだしばしベッドを上げて 母のお相手をするそこへ案の定 オムツ替えの人が来たので私は退散することに帰りにナースステーションにより 担当の人に口腔ケアしてプリンをあげて げっぷを三回したのを確認したことと ベッドが今少しあがっていることをお話して帰る事にした今日は 微熱もあったし だるかったので プリンはあげないですぐ帰ろうかと思ったけれどやはり 母の顔を見たらあげたいなって思ってしまい 無理をしたせいで 帰りは疲労感一杯電車の中が寒くて 寝たら風邪ひくなと 思いつつ眠くて 寝てしまって はっと気がついたら自分の降りる駅を電車は発車してました・・しょうがないから次の駅で降りて 又戻り;;当分でかけないだろうから大量の食材を買いこんで ひーひーいいながら帰宅で ゴミ出しの日だから たまった雑誌の山二つと ダンボールの箱と 燃えるごみを出し ぐったりしての帰宅です疲れました喉がやたら痛いのが気になります一応 胃潰瘍の薬はもらったので 又風邪薬と鎮痛剤を服用しましたが ききませんやはり 扁桃腺っぽいですねえ明日はとりあえず ゆっくりします今日の母は2歳児どころか やっぱり母でしたよ^^
2008年11月11日
お久しぶりですずーーーーっと家にいました胃に激痛がきて以来 風邪薬も鎮痛剤もやめてしまったので頭痛 肩こり 倦怠感 少々喉痛み 微熱 が伴い もううんざりです;;今日は乳房のエコーを撮ってもらう日ついでに胃腸の薬と 今回のこの熱の原因を聞こうと思って出発ですつい四日前に熱が下がったと思って買い物に出かけ 大汗かいたこともあるので今回は用心してシャツの着替えとタオルを持参しました外に出て 寒い!なんとまあ 十日ほど家にとじこもっていたらすっかり秋を通り越し冬になった感じ歩いて駅まで四分 汗かかない 駅ピルの8階に病院がありますやったー^^ 汗かかなかったぞー^^で 乳房のエコーを診てもらったのですが今まで二つの病院でエコーをしてもらいましたが その30倍くらいの時間はかけてくれましたね じっくり何度も何度も診てくれました胃腸の先生が後で説明してくれるからねと エコーの先生は詳しくは言わなかったけれど左にもあるそうで・・で 胃腸の先生に呼ばれましたなんか 一杯写真がある「うーん 何箇所かたくさんあるんだけど どれも小さいのう胞だし 心配はいらないね」「ええ?何箇所って どのくらいあるんですか・・」「えとねえ 右が7箇所で 左は1.2.3・・・10箇所かな?」「ええええええええええええ!!」「いやいや そんなに驚かなくていいよ もっと多い人もいるし どれも小さいものだしね」「そそそそそうなんですか・・」「一番大きいのが9ミリかな 一番小さいのが2ミリだよ これじゃあ マンモにも映らないねえ 一年に一度のエコー検診でいいからね 大きくなったら様子をみましょう」「は はひ・・・」というわけで・・なんじゃいな 前の病院では専門の病院のくせに一箇所しか分からなかったくせに・・( ̄- ̄メ)チッ乳房は細胞診もしてあったことだし心配なしということで終わりましたで 胃腸のほうは 普通ということで前回と同じお薬それと 今回の熱のこと 薬を飲みすぎて胃が激痛だというとガスター10とセルベックスをもらえましたまあ 私もガスター10薬局に買いに行ってたんだけどね・・セルベックスはあんまり効かないから ムコスタでも良かったんだけどね^^;あと 熱がなかなか下がらないということで以前扁桃腺手術を受けた後似たような状態になったことを告げると血液検査してくれることになりましたようれん菌の検査もしてくれるそうです来週の月曜日には分かるので まあその前に体調が戻れば一番いいんですけどね^^検査の結果で何かの菌が入っていたらそのお薬をもらえるそうですあー よかった一つの病院でしかも一人の医者で全部済むっていいわあ本当はね その扁桃腺の手術をした病院にいくのが一番早いと思ったんだけど総合病院で副院長を務める耳鼻科の先生は とても良い先生なので一日に500人くらい診てるんですわ・・なので 普通に行くと4時間から5時間待ちそれが嫌な場合は朝の6時に病院へ行き札をもらって一度帰り8時に又病院へ行って番号をもらい9時の診察に病院へ行くというとってもとっても手間のかかる作業をしなければならないんですよ・・まあそれだと1時間も待ちませんけどね・・いくら歩いて3分の所の病院でもそんな元気ないしね・・かといって総合病院に4時間なんていたら色々な菌もらっちゃうしね・・で いかなかったんです今日の病院の待合室であちこち広告が貼ってあったので見てみたら「二週間咳がとまらなかったり体重が減ったら結核と思ってください」とあった"o(-_-;*) ウゥム…咳は全くない全くないがなーんと 昨日体重計にのったら 会社辞める前から合計6キロも落ちていた♪ふっふっふこれでメタボ予備軍なんていわせないわ後3キロほど落ちてくれると自分的にベストな体重なんだけどなあほんと仕事辞めてから激減りだわなんもしてないのにねえ^^;ところで結核ですが 実は私は結核の巣を左肺に持っていますこれは生まれつきです結核は遺伝するんですよ~ 知らない人多いでしょう?私の父が若い頃結核を三年ほどしたそうです当時は死の病と言われていたけれど自宅で治ったそうですその父の結核の遺伝を私はもらって生まれてきたわけです巣はあるけれど 悪さをしたことは一度もありません目のこえたお医者さんだと「あ 巣があるね」と言いますwまあ 来週私の体調不良の原因もはっきりするでしょうとりあえず 今日病院へ無事行って来れたので(大変疲れましたが)明日母の元へ行ってこようと思いますもう いい加減電車も冷房じゃないでしょうしねw
2008年11月10日
ながーい間 熱と戦ってきました熱とだるさと頭痛がひどくて風邪薬や鎮痛剤 それと もらっている腸の薬と精神の薬などたてつづけに十日ほど飲んでいたら胃が激痛・・はい 薬の飲みすぎです胃潰瘍ですね^^;身体がだるいので病院へ行くのがなかなかおっくうでいけずいけるかなと思うとき ふと「こんなに身体が弱っているのに何時間も病院で待たされていたら他の菌が移っちゃうかも」と怖くなりいけなかったりでとうとう いきませんでした昨日 ようやく35度2分まで熱が下がったので胃潰瘍の薬やポカリスエットやヒエピタが欲しかったので車で薬局に行き 店内を歩いているだけで大汗どうやら芯熱があるようですこのパターンだと 扁桃腺のような気がしますね実は扁桃腺を切った後 とりきれなかったので 又なるよと言われてましたでも扁桃腺はなくなっているので 見た目の判断ができないこと風邪なのか扁桃腺なのかの判断が一週間くらいかかることで大変面倒なのですちょこっと喉が痛くて熱が下がらなくてだるい風邪薬や鎮痛剤を飲んでも一週間たっても変わらないそういうときに 耳鼻科へ行き ようれん菌(字忘れました。)を殺す抗生物質をもらうと一週間後にようやく治ります今回は一応家で大人しく座っていれば平熱なのと喉も痛くないので 耳鼻科はやめましたもうこれ以上飲むと胃潰瘍どころか 吐血しそうなので・・と こんな具合です裁判どころではありませんでしたほんと こういうとき一人だと困ります月曜日に胃腸科の先生の診察のときようれん菌の薬をもらえるかどうかはたまた 胃潰瘍の薬をもらえるかどうか聞いてきますそれまで 大人しくしています;;
2008年11月07日
昨日の夜 急に冷え込んで冬用の布団をだし 冬用のパジャマを着て なお 寒い半天着てたんだけど 寝ようとして布団に入ったら いつまでたっても温まらない私はひどい冷え性で 自力で温度回復ができない平熱35度4分の超低温足が冷たくて 縮こまって寝てても どんどん膝 太ももと 冷えが上がってくる3時間格闘して(睡眠導入剤飲んでますが)悪寒が;;急いで 電気毛布を出し 夜中なのにばたばた最高温度に設定しても 二時間たっても温まらない悪寒と寒気と頭痛で 今日起きたら39度・・・ははは・・・せっかく治りかけてきたから コピーとりにいったのに・・又 どこにも出かけられなくなっちゃったよ;;食欲はないし 水分補給が億劫で眠くてだるくて関節痛がひどくて 一日寝てました明日は祝日火曜日まで熱が下がらなかったら病院行こう・・
2008年11月02日
今日はコピーをとりにあちこち行こうとコピーするものを用意して出かけるところまでいって 断念・・熱ありすぎ・・もうね;;病院行ったり 冷房電車乗ったり風邪の菌もらいすぎ;;毎週毎週風邪ひいてたら 身体もたないよ;;額にヒエピタ貼って 暖房つけて 夕方四時まで寝ていましたあ 頭痛い;;あ~ もう~ ようやく成年後見制度の裁判ができると思っていたのにくやしいよおお;;;
2008年10月29日
本日は逗子へ行く日朝晩はめっきり寒くなりましたが 我が家の居間は晴れていれば相変わらず32度をキープしているところが恐ろしい。。。もうすぐ11月 さすがに冷房はなかろうとやや軽めの服装で出かけたのがまずかったはい JRさん きっちり冷房かけていましたよっと。。パーカー着たくらいじゃ体が寒くて震えちゃうよ;;私は 母の元へ行くとき色々なことを考えます単なるお見舞いではなく 口腔内のお掃除と嚥下困難がある人への食事それは母の状態を見ながらなので状況によっては途中でだめになったりうまくいったり 母との関係が悪化したりと さまざまな結果をもたらしますできるだけ うまくいかせたいから そうさせるにはどうしたらいいのか頭を使いあれこれ考えます抗不安剤が一日一回に減ったので今日は病院へ行く直前の食事の時に飲みました病院へ着き母の元へ行くと 何やらものすごい形相をして口を動かし寝ていましたこういうときは大抵せん妄状態のまま寝てしまい寝ている間も幻覚妄想などに惑わされていることを意味します在宅でしていたときもそうでした寝ていたなと思ったら いきなり起きて動けないはずなのに ぱっと立ち上がりすたすたと歩き出し「今 親戚が泊まりにきたから食事の用意しなきゃね」と始まりますさて どうしたものかな 起こしてもプリンあげられないかもしれない起こしてからプリンを冷蔵庫にしまうところを見られたら母は食べたい欲求が強いので欲しがるに決まってます 私はこっそり母の引き出しから油性マジックを取り出し名前を書いて起こす前に冷蔵庫にしまいましたよくよく見ると枕はとられアイスノンが枕になってます熱があるのかもしれない 確かこういう時はあげてはだめと言われたはず私は確認するために気がつかれないように部屋を出てナースステーションまで行きました状況を聞くと 高熱ではないけれど熱があるとのこと最近痰が増えたとのこと私は自己判断で「今日はプリンはやめます」と言った痰が増えたってことは 肺に炎症があるということだ炎症があるということは ばい菌が入ったということだつまり 嚥下がうまくいかなくて 自分の唾液を飲み込むときに気管のほうへいってしまい 口腔内が汚いのでばい菌が肺に入ってしまってるということだ8月に手術を受けて今ちょうど三ヶ月目胃婁うんぬんの問題ではなく 口腔内の問題のほうがはるかにでかい看護婦さんは一切母の口腔内のお掃除をしてくれてない週に一度私がやるだけだそれじゃあ ばい菌だらけになるのは目に見えているもっと嚥下困難が悪化して 唾液が全部肺へ行ってしまうようになったら肺炎確定だろうなもちろん看護婦さんを責めているわけではない私だってせん妄状態のときに母の口腔ケアをしようとしたら口を閉じられたしブラシを噛まれて動かせなくなっただからである だからこそ いかにせん妄状態にせず母の口腔ケアをうまくできるかそこが頭の使いどころなのである母の所へ戻り母を起こす起こした瞬間は割りと意識がはっきりしてるので良い顔の手入れをしたあと 歯間ブラシを見せて「お父さんもしていた歯間ブラシだよ お母さんもしようね」と声をかけやる時々ごっそりとれたものを 母に見せて「ほーら こんなにとれたよー きれいにしようね」と言うそれでもやっぱり後半は意識が朦朧としてきて言うことを聞かなくなる私は刺激を与える父の話をしたり 母の母(祖母)の話をしたり 手や足をマッサージしたりして 意識をこちらに集中させるようやく歯間ブラシでのお掃除は終わったが舌のコケをとるブラシは噛んでしまいどうにもならなかった熱もあるし 仕方ない 今日は奥歯まで歯間ブラシでお掃除できたからよしとしようその後は母はせん妄状態のままだった肩をもんだり 手足のマッサージや 腕のリハビリなどをしたけれど時折 ふっとこちらを向き にこーっとするがすーっと意識がまたどこかへいって 私が何を話しかけても無反応になるおむつ交換の人が来たので 一時間半いたが帰る事にした帰り際 受付のお姉さんが 診断書がようやくできましたよ と言ってくれた待ちに待った成年後見制度の診断書だ家族の人は中を見てもいいとのことなので 封をされずに頂いた帰りの電車の中で診断書を見てみた「知能指数 2歳程度 移動は自力でできない 寝たきり状態である 簡単な命令に反応することはあるがそれ以上の意思の疎通ができない 経管栄養 摂食は常に他の介助を要する 尿失禁状態 回復の可能性はほとんどない 言語による意思疎通ができない 年齢や経歴の記憶力がない 場所や時間の見当識がない 計算はまったくできない 理解力判断力が極めて障害されている 脳の萎縮が著しい」とあったずっと母を見てきて 悪くなっていく一方だったから 覚悟はしていたけれど専門医による知能指数 2歳程度 というのはショックだった精神科の医師はショックを受けてもすぐ立ち直れるようにならないとだめですといったけど実の母親が2歳程度ですと言われてショックを受けない子供はないだろう調子のいいときは 株の話などもできたのに・・・以前在宅をしていたとき 手におえなくなり緊急入院したとき 医師が母の状態がどのように悪化していったか詳しく教えてくれと言ったことがあった常日ごろ一緒にいると 少しずつ少しずつ良くなったり悪くなったりするのでそれが当たり前に感じていまう手帳を見てそのとき愕然としたのだった今までできてたものができなくなったと記された手帳おかしな言動がでてきたことを書いた手帳だから 今回も母の状態はある程度把握はしていたけれど他人から冷静な目で見られれば母はそう見えるのだ私が 昔の母に戻って欲しいと思う願望を捨てきれないのだということを・・冷静に分析して落ち着いた明日からいよいよ裁判所に提出に向けて最終段階だ預金のコピーと 後期高年齢者の税金の変更のコピーをとって面接の予約をしないといけない相変わらず風邪が治らないけれど戸籍謄本の期限がきれちゃう(三ヶ月内有効)がんばります
2008年10月28日
本日は精神科に行く日ですここのところ 一日二回になっていたのだけど 自分で調整したりして朝ずーっと飲まなかったりとか ストレスがかかったときは一日三回にするとかしてましたので 自分なりにも在宅へという話がでる前の私に戻ったかな?と思っています来週はまた月曜日が祝日なので混むだろうと予測して8:45に到着いつもだったら3人目くらいなんだけど 今日はもう10人目です・・かなり待って診察室へ先生に余った分のお薬を見せ この三週間の間にストレスがかかったので(風邪かも?)水下痢に二度なったということを伝え そのときは三回飲んで 後は二回にしてましたと伝えました先生は 私に デパスはどういうときに飲みますか?と聞いたので例えば 母の病院へ行く日に駅まで着いたのに ものすごく行きたくない気持ちになったとき無理して笑顔を作って母と接するよりもデパスを飲んで気持ちを安定させるために飲みますと答えた先生は 以前のあなたより今のあなたのほうが全然明るくなりました自分で薬をコントロールされてるようなので抗不安剤は一日一回にしましょうそして ストレスがかかったときに 追加してみたりしてください夜眠るお薬はどうしますか?と聞かれたので 元々不眠症なので 寝つきが悪いから ここに来る前はデパスで寝ていましたと答えると じゃあ 今飲んでる睡眠導入剤をデパスに変えますか?と聞いたのでうーん 今眠りが浅いので(変な夢ばかりみて疲れるのである)もう少しこの薬でお願いしますと頼んだ眠りは浅いが 寝つきが非常に良いのだというわけで 抗不安剤は朝食後一回デパスは ストレスがかかったときに飲む睡眠導入剤は以前の通りという形になりましたでもなあ 今日も混んでいたからあんまり聞けなかったけど以前と同じ状態に戻ったとしても ずっと胃腸の薬は飲んでいたわけで根本的に意識改善をしなければ 治らないんだよね?精神科でお薬がなくなったとしても ずっと胃腸の薬を飲み続けていくのは嫌だなので私は先生に「意識改善は非常に難しいです 私はちょっとしたことでもものすごくショックを受ける体質なので 立ち直るのに数日かかってしまいます でも意識改善しなくてはと思い 何でもかんでも自分が悪いというふうに考えるのではなく そういうこともあるんだ ぐらいに今気持ちを入れ替えようとしています」というと「そこが大事です 今は数日かかる作業も 努力していけば一日で立ち直れるようになるでしょう もっと努力すれば 数分で立ち直れるようになるのです そうしてください」といわれた簡単な作業じゃないんだよ~^^;人から冷たくされたり いじわるされたりしたらさ 誰だって落ち込むよねまあ 逆切れして怒っちゃうほうが私は強いと思うんだ 母がそうだったからね私は どこか自分がへまをしてしまったのではないだろうかとか何か間違っているのではないだろうか などなど考えどごーんと落ち込んでしまうのであるそれを数分で正常な精神状態に戻せってことはけせらせらな人生を送れってことだよねえそんなんでいいんかなあでも そうしなきゃ お腹は治らないんだものね世の中にはさ もっともっと私より悲惨な人たちがたくさんいると思う虐待されたり 暴力ふるわれたり 生活できなかったり 障害を抱えていたりポジティブに生きなきゃ やってけないんだよね私は 生まれてきたからには 自ら命を絶とうとは思わない人間界は修行の場で 修行を終えた人があの世に行くのだと教わっただから こんな性格の私が生きるためには もっとポジティブに 図太くならなきゃいけないんだと思う少しずつ いきなりは 変えられないから少しずつ 変わっていけたらいいなって思ってます明日は 逗子です母の状態がいいといいな^^
2008年10月27日
今日は父の命日ですお墓は横浜我が家では一年に一度だけお墓参りに行きます父がなくなるまでは祖母の命日付近に行っていました元々横浜に住んでいて父の兄弟は皆近所にいます嫁姑問題と親戚からの圧力に負けて母は千葉県に引越しを決めました父も何も言いませんでした亡くなるまでは父が運転してくれました高速とばしてお墓参り済ませた後 昔住んでいた懐かしい場所をめぐって一日を過ごして帰るというのが定番でした父が亡くなった後は元夫が運転してくれました私は元々運転が好きで 高速を140キロくらいだしても平気だし 一日なら330キロの距離なら運転できましたでも 結婚したら運転はほとんど夫しかも二世帯に越してから歩いて10分の道のりを車だと渋滞で30分とかいうような場所に住んでいたため 運転はめったにしなくなりましたねというわけで 一年ぶりの長距離です年齢も重ねたわけだし 元々方向音痴だし あまり運転しなかったので大層緊張しましたでも 土日に行くよりも平日のほうが安全です通勤や運送トラックの人が多いので運転が慣れてる人ばかりだからです土日は 危なっかしいドライバーが多いですね^^;一応 抗不安剤と風邪薬を飲んで出発しました大黒ふ頭まで来て(パーキング)食事をし さあ 出発だと思ったら 雨;;えーん お墓まで降らないで~;;お茶屋さんに着いたら もうばしゃばしゃ降っていましたしょうがないのでビニール傘をさして お花とお水の入ったバケツとお線香4本もって えっちらおっちらお墓に行きます(結構長い距離)お線香は持ったことある人ならわかると思いますが風が強いと炎があがりますよねそれが怖いので ゆっくり進みましたお墓について 祖母のゆかりのある人のお墓にお線香を一本ずつ配り我が家のお墓でお線香を置いていたら あら・・ 雨があがったわ^^よかった^^急いでお掃除してお花をあげて 墓石に水をあげます「お父さん 一年ぶりだけど 来ました 私や母のこと心配だろうけど 母のことを守ってあげてね 多分もうすぐお父さんの所へ母は行くと思う そのときは 苦しまないように 迷わないように 迎えにきてあげてね」あとは念仏をとなえて その場を去りかけたら また ばしゃばしゃの雨・・もしかしたら お父さんが 私が濡れないように傘でもさしてくれてたのかな?本当にそう思いました父は 大木のような優しく頼れる父でしたからお茶屋に戻るころにはどしゃぶり・・お会計をすませて帰る事に高速は 雨と風が強いので80キロで運転しましたところが お墓参りが済んでほっとしたのかしらないけれど 強烈な眠気が;;;危ないので 歌を歌いながら帰りました・・まあ 高速は 反対側の車線の車が見えないからあやしまれないけどねw今度から遠出をするときは 抗不安剤はやめておこう千葉に入ると小雨疲れていたので本当はコンビニでお弁当でも買いたかったけどもうめんどくさかったのでそのまま家に着き お風呂にゆったりつかって今日記を書いていますよかった^^無事にいってこれて^^今日は父の昔のことをしみじみ思い出しました^^
2008年10月23日
本日は 居間がですね・・36度なんですけど・・ えーとー こういう日は何を着て行ったらいいのでしょう?^^;本当に悩みましたが 朝晩の冷え込みや電車の冷房を考えてかなり厚手の洋服駅まで歩くのに汗が・・案の定電車の中は極冷え・・上着を着て対策してたら 何やら眠気が・・病院へ着くと母は今日は起きていました私と目が合うと にっこりします今日はとても良さそう母に購入した歯間ブラシと舌コケブラシを見せて説明します普通に説明すると 意識がとんじゃってせん妄状態になりやすいので記憶に強く残ってる言葉を使います「ね お母さん この歯間ブラシ お父さん使っていたよねえ ○○歯科でお父さんがブリッチしたとき毎日これできれいにしてたね^^」そういうと母目を輝かせてうなずきます「だから お母さんもこれで歯をきれいにしようね 爪楊枝よりも痛くないからね」うんうんと母はうなずきます舌コケブラシは 父が使っていたわけでもないので 実際に鏡で母に自分の舌を見せてこれを取らないとばい菌が入っちゃうのよと説明しましたあまりよくわかっていないようでしたまず先に顔の手入れから髭をそり 目薬をして 化粧水つけて美容液つけてマッサージですつぼ押しもしますから 母この時点でぐー。。。「お母さん 眠たいの分かったから 歯だけきれいにしよう」ゆり起こして歯間ブラシの登場です最初は素直にあけていてくれたのですが 上全部終わり 下の左が終わった頃てこでも口を開けてくれなくなりました話しかけても ぼーっと人の顔を見ています指で口を開けようとしても ぎゅっとつぐんでしまうので「お母さん お口きれいにしなかったら プリン食べちゃだめって言われてるの プリン食べたいでしょう? プリン プリンよ」すると意識が戻り「たべたい」 というようやく口を開けてくれて下の右も終わり 舌のこけをとる作業これが大変だった大きく口を開けてくれないし 舌をべーってだしてくれるわけでもないブラシでこすっても 強力にこびりついたこけが落ちない落ちないそれでも こすらないより こすったほうが ばい菌は減るわけだからよしとしましょういつもはそれでリステリンをつけるのですがそうするとプリンの味が分からなくなってしまうので今日はリステリン中止かわいそうだからね歯間ブラシで歯垢はあらかた取ったし まあいいでしょう母のベッドを上げてプリンを食べさせますゆっくりゆっくり げっぷが出ないと苦しがるので 口を開けないときは無理に食べさせません「お母さん 味分かる? おいしい?」「あまい」「私は甘いもの好きじゃないから試食してるわけじゃないけれど この前のと今回のとどっちがおいしい?」「おなじ」そうですか^^;一個200円のプリンと100円のプリンと同じ味ですか^^;元々母は味おんち 鼻馬鹿匂いもあまりわからないし 味付けもいい加減でした父が良い舌で 痛んでいるか痛んでないかチェックしていたくらいです食べ終わって片づけをしていたとき オムツ替えの人たちがやってきましたこの人たちは部屋全部の人のを替えるので 替えるときは部屋から出されてしまいますなので「すみません たった今プリン食べ終わったばかりなので ベッドがあがっていますこのままではやりづらいですか? げっぷが三回でたら ベッドを下げても大丈夫なので」「わかりましたよ みてますよ じゃあ おのづさんのお母さんは一番最後にしましょうね」と言ってくれました部屋から出されてしまったのでそのままナースステーションに行き歯間ブラシと舌コケブラシできれいにしたこと食べてすぐオムツ替えの人が来たのでげっぷの確認をしていないしベッドはあがったままであることを伝え買える事にしました帰りの電車も冷房が効いていたので 持って来た上着を着ていつの間にか熟睡昨日病院へ行ったとき 風邪がはやっているみたいで そのような患者さんがたくさんいました中でも若い青年が「風邪は治ったり又ひいたり長引いてその上痰に血が混じっていたのできました」と言っていたのだけど結核だったら 移るかも・・・と思いつつ びくびくしながら病院の待合室にいました^^;(虚弱体質なのですぐもらってしまうのです)案の定朝起きたら 喉が痛い一応風邪薬飲んだけど 眠いし だるいし 喉が痛いし明日は一日休んでいます^^;皆さんご存知の方もいらっしゃると思いますが ボノロンってご存知ですか?小さいお子さんがいらっしゃる家庭では知ってる人が多いと思います偶数月の15日にセブンイレブンで無料で絵本を配っていますそれがボノロンです今の世の中 殺伐としていて ストレスを感じる方が多いと思いますボノロンは昔の時代の 優しさや思いやりを伝える本です読んでいるとほのぼのとしてきます是非一度 読んで見て下さい^^
2008年10月21日
先日 お風呂に入っているとき 留守電がありました例の口うるさいおじさんです(母の兄弟)「おのづちゃん 今日あんたのお母さんの所お見舞いに行ってきたよ 元気そうで良かったよ それに あんたもちゃんと見舞いにいってるそうじゃないか 安心したよ それだけなので折り返し電話はいらないよ おやすみ」とありました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのさあ・・あんたは 私の一体なんなのさ? 監視役?私の仕事の話は以前言ったはずだよね二週間ぶっ通しだから 二週間いけなくなるってさ今は会社首になったから 行ってるだけ 働く前に戻っただけだよ?何様なの 全く・・・まあいいです 電話かけなくていいと言ってたから かけませんでした母の状態がいいですって?とんでもない 昔に比べたらどんどん悪くなってるたまーーーーにしかいかないで たまたま調子の良いときだっただけなくせにそれが全部だと思わないでそして 私に意見とか 言わないでくださいとまあ そんなこともあって 以前の私だったら ストレスを感じましたが精神科の先生とのお話や自分の中での意識改善により別になんとも思わなくなったところが 良い結果となりましたふーん そういうこというんだくらいなもんでしたで 話は変わって 今日は胃腸の先生の所へ行く日先日以前通っていた乳腺科の病院から所見をもらったので乳房の影も診てもらえる日です実は あの口うるさいおじさんが 乳腺科の病院が検査検査ばっかりでおかしいから病院変えろと言っていたのですが その前に その病院へ行く途中のタクシーの運転手からもお話を聞いていましたタクシーの運転手は「実はうちのかみさんもね 乳がんで亡くなっちゃったんだよ だからちゃんと検査はしなきゃいけないよ ただね その病院は以前別のところで開業していて こっちへ移ったんだよ 検査ばっかりしてやたらお金とるそんな病院だよ」と言ってました当時私はまだ離婚する前でお金に対しても不自由してなかったから 内心 検査をきちんとしてくれるほうが安心だ と思っていたのですが 今日胃腸の先生のお話を聞いて愕然・・胃腸の先生は本来は乳腺外科が担当だそうですもらったコピー(マンモグラフィー 細胞診)を見て「この細胞診 なんともないと書いてあるけど これ いつのもの?」と聞くので「最新のもらってきてますが 毎年やってましたよ」というと「一度やって なんともないってでたんでしょう?マンモ見てもどこも悪いところないし 毎年本当にしていたの?」「ええ マンモは半年に一回 細胞診は一年に一度です 水がたまっているようでそれが大きくなったら取るとか何とか言ってました」「うーん・・・ 本当はね 細胞診で何もないと分かったら 二年に一度くらいマンモとるくらいだよ どうして毎年したんだろうねえ のう胞でもあるのかな」「さあ・・ わかりませんけど エコーだと見えるのですが 触診もマンモもなんともないんです」「エコーの所見をもらえなかったから こちらでもう一度エコーをするけど それで何もなかったらマンモを二年に一度くらいでいいからね」「えと 市の検診で毎年この病院でマンモとってるんですけど^^;」「ああ そうなのか じゃあ 二度もとることないね 何とか探してそのフィルムがあればわざわざ撮らなくていいよ」ふにゃあ・・やっぱり 検査ばっかりな病院だったのですねえ・・中身は水と分かっていたはずなのに半年に一度定期健診 なくなるわけないから一生ですよね・・ お金儲けもいいですけど なんかねえ・・というわけで エコーの予約を三週間後にしました2時半に受けてその結果をこっちに持ってきてもらって 3時以降に診察の予定になってますなんか今年は月曜日の祝日が異常に多いので 精神科も胃腸科も本当に大変;;先生が月曜しかいないっていうのが いけないんじゃあああああ「先生 なんかこの病院どんどん医師が変わってるみたいですけれど もし先生が他の病院へ行くようになったら私も行きますので言ってくださいね」「あはははは 僕がこの病院からいなくなるってことは首になるってことだよ 当分ないと思うから安心して^^」はあ^^ よかった^^胃腸のほうは ストレスがかかって水下痢になったことラックビーを飲まなくても三日便がでなくて 四日目硬いうんうんを出すのに苦労したことなどを話すと「ふーむ それじゃあ コロネルだけのほうがいいかな?」と言ってました一応 今回は前と同じ分だけお薬もらいましたが 徐々に少なくなっていく予定ですなんか 乳腺の話を聞いて気が抜けてしまったので 帰りにデパートに寄ってみるとw( ̄o ̄)w オオー!デザート祭り^^いいじゃなーい^^こういうときはさ おいしくて甘いもの食べてちょっぴり幸せな気分を味わうのも^^というわけで神戸のワッフルと団子を購入しましたおいしそう^^明日の朝食になる予定ですそうそう それとね駅前でティッシュを配っていたから当然のごとくもらったのだけどなんと!真っ黒なティッシュでした・・こんなん あり?^^;何拭いたかわからないじゃんねえ^^;漂白剤より黒のほうがエコなのかしら^^;ご希望があれば写メに撮ってここに載せますが・・(あまりにびっくりでとってあります)明日は逗子へ行きます母の歯の掃除のために歯間ブラシと舌のコケをとる器具を購入しました舌のコケもばい菌がたまってできるそうです口臭のある方は是非とってみてください^^;それでは また明日^^
2008年10月20日
本日は逗子へ行く日お天気も良くて出かけるにはよさそう^^昨日とほぼ同じくらいの洋服を着てお出かけです行きはやはり暑かったので(半そでの人もいました)パーカーは手に持ってでも 一時間半乗っていると冷房にやられて後半着てしまいました^^;身体が冷え切ったのでいつもは喫茶店で食事を取りますが今日は立ち食い蕎麦屋で温かいうどんを注文ここ数年どうでもいいのですが食事するたびに鼻水が垂れてくるのはどうしてでしょう・・母も原因不明の水っ洟で長年過ごしていましたから まあ母に似たのでしょうね・・身体も温まり 母のプリンを購入しにコンビニへもしも今日食べれないようならと思い賞味期限が長いものを購入(一個のみ)病院へ着き母の元へ行くと ぐーぐー気持ち良さそうに寝ている起こすのはかわいそうだけど歯磨きだけはしなきゃなあと思い いつものお顔セットを引き出しから取り出しごそごそするも母起きずふと見ると母の首元にタオルが置かれ タオルケットがやたら汚いうーん これ 便か 吐いたものかな?だとすると プリンあげたら いけんのじゃろか?と 思い 母は寝かせたままナースステーションまで行ってみる看護婦さんに聞くと 吐いたり下痢したりしてはいないけど 熱が高いとのこと今日はプリンは上げないで下さいと言われてしまったありゃあ・・ 残念歯磨きだけしますと約束して母の元へ戻ろうとすると 受付のお姉さんが「あ おのづさん ちょっと待って」というので受付に寄る援助金の診断書ができていたのでそれを頂き 成年後見制度の診断書は 脳のCTスキャンと知能テストを行わないと書けなくて それができる医師が一ヶ月に一回しかこないから まだ書けてないとのこと 来週の水曜日にその医師が来るらしいので そしたら急いで書くと院長先生が言ってましたと教えてくれました一応電話してくれることになったので できあがったら取りに行く予定ですまあ もうね コピーしてからね ずれにずれこんでるわけでしょ・・母の出費も増えましたし・・何やら後期高齢者の税金も変わっちゃったしコピーやりなおさなきゃいけないものが増えましてね・・ふ・・・ 来週あたり やりなおすよ;;;;母の元へ行き 母を優しく揺さぶって「お母さん」と声をかけるものすごーく眠たそうにしてゆーっくり目を開けて私を確認 にこっとする「今日お熱あるんだってね 風邪かな?」と母の額に手を置いてみるとかなりの熱だありゃりゃ・・母のお顔のお手入れをすると母うっとりして目をとじ ぐーっとするので「お母さん 歯磨きだけしようね そしたら寝ていいからね」と言って歯磨きの用意をするここの病院では看護婦さんが歯磨きしようとすると口をつぐんで開かないそうですなので看護婦さんは緑茶を含ませたガーゼを前歯だけ つるっと拭いておしまいですですから 母の意識がしっかりしているときに 奥歯まで見てみるとたくさんの歯垢がついています何も食べないのに何でこんなに?と思うほど毎週ごっそりでますあまりにもたくさんつきまくっているので 歯間ブラシでやろうかとも思ったけれど歯の表面もとても汚い奥歯はほとんど銀でかぶしてあるのでそれが真っ白に変色しています歯磨きしてあげたいなあ・・ なんとかしてできないかな爪楊枝で歯の間を掃除しながら母に「ねえ お母さん ベッドを起こして私が歯磨きするから ぶくぶくぺってできる?そうしたほうがとてもきれいになるし お母さんもすっきりしていいでしょう?」「そうだねえ」と そこまでは良かった爪楊枝できれいにしたあと リステリンでスポンジブラシで口の中を磨いていたらスポンジに大量にリステリンが吸収されていたようで 奥歯をごしごしやったら ぶしゅっといっぱいでたようだ母 おえっとして 眉間にしわを寄せたリステリンは味が濃いから飲み込めば喉がひりひりするのだろうかなり 苦痛を示したので 一旦とめたのだがそこからせん妄状態になってしまった途中だったからと思って 落ち着いた頃 今度はスポンジをしぼって口の中にいれたら スポンジを前歯でがしっとかじられ 動けなくなってしまったははーん これが あの婦長が言っていたことなんだなだから誰も母の歯磨きをしてくれないのだ私は「お母さん お母さん 私よ 今度はしぼったから大丈夫 残りだけちょっとね やろうね」 そういったのだが 口を開いてくれない結局せん妄状態から戻らずに 途中で歯磨きは終わってしまったまあ 熱もあったし しょうがないだろう途中で看護婦さんが母の胃婁に白湯を入れに来た今日は暑いから汗をかくぶん胃婁の人全員に水分補給をするらしい看護婦さんも大変だね私は看護婦さんに母に歯磨きしてあげたいのだけれど 受け皿を貸してもらえないだろうか そしてやってもいいだろうかと 尋ねた看護婦さんはいいですよ と言ってくれた母がせん妄状態じゃないときにやってあげよう結局それから30分母のそばにいて話しかけてみたけれど話しかけると一瞬こちらを振り向くがすぐ反対をむいて あちこち目を動かしている幻覚がたくさん見えているのだろうこういう場合はもう無反応なので 私は母の肩をもみ 顔のマッサージをもう一度してあげて眠りにつかしてあげた案の定 母はぐーっと寝てしまったので こっそり帰る事にした帰りはパーカーを着ても寒かったもういい加減冷房やめてくれませんかねJRさん・・疲れもでて 途中ぐっと寝てしまったので はっと起きやばいやばい こんなところで寝たら又風邪ひいちゃうと思いがんばって駅まで起きていた駅前のスーパーで栄養がつきそうなものを購入して帰宅それらを食べてテレビを見ました明日風邪引かなければお買い物に行こうと思ってますもうお米がないの^^;頭痛がひどいから鎮痛剤も買わなきゃいけないし鎮痛剤を飲んでるから胃が荒れるので胃薬も買わなきゃいけない^^;あちこちいかなきゃなあまあ 車で行ってこよう母がせん妄状態じゃない時間が減っているような気がするそうなったら 母の歯磨きはどうなってしまうんだろう?歯磨きできなければ口腔内はばい菌だらけすぐ肺炎になる困ったなあ・・・
2008年10月16日
お久しぶりですあれから 暖かくなったり寒くなったり 我が家の居間は大変な気温差で虚弱体質の私は10度の温度差に耐え切れず 風邪ぶり返したり 水下痢したり・・土曜に水下痢したあと 又頭痛吐き気微熱が続き火曜日 逗子に行こうと思ったら雨でものすごく寒いから取りやめで 今日に至るわけですが 逗子に行こうかと思ったけれど あまりに表に出てなかったので気温差が気になり(朝昼晩の温度差ね) 行こう行こうと思っていた乳腺科に行ってきましたまず電話で問い合わせ転院したいから マンモグラフィーとエコーと細胞診の所見をいただけるかどうか転院も単なる転院だと嫌がられると思って 嘘も方便介護が忙しくなったので千葉県からそちらまで通えなくなったからという理由にして聞いてみましたそしたら エコーはコピーできないのでそのほかのものだったらコピーがとれるからOKとのこと(´▽`) ホッこれから伺います と電話をきり 外出することに家の中は32度 何着て行こう一応長袖のタートルネックシャツを着て パーカーを持って出かけました行きはそれで調度良い温度亀戸について タクシーに乗り1500円くらいかかるところにその病院はあります病院でかなり待たされました一時間ほどかかり マンモグラフィーのフィルムと所見のコピーをいただきましたフィルムは返却しなくてもよいそうで助かりました帰りのタクシーの中で お 寒いな と感じ パーカーを着て買い物して帰りましたが外では調度いいのに家の中に戻ると32度・・・あ (;´д`)ゞ アチィー!!ということは明日の逗子では パーカーを持参で行くということだね来週の月曜日に胃腸科の先生の所へ行きます乳腺科の資料ももらったことだし これで乳腺も診て貰えるでしょう一人の先生に自分の身体全部預けることができたら一番いいんだけどね^^;各分野違うから あちこちの病院 あちこちの医者にかかるといちいち説明しなきゃいけないから面倒だよねこの先生 今月曜の午後しか担当していないから いつどこへ飛ばされるかわからないもし 他の場所に移動になったら ついていこう そう思ってますプリンの賞味期限は今日まで明日は逗子でプリンを一個だけ購入して持って行きましょう
2008年10月15日
やっぱり 電車の中の冷房にあたりました・・帰ってきたその日の夜中に お腹が激痛・・水下痢・・翌日 発熱 (´Д`) =3 ハゥーなので 家で大人しくしています;;逗子の帰りに 色々食材を買いこんで帰ったので良かったです水道屋さんにお願いして 気温差があまりにあるので 天窓の遠赤外線予防シートを貼ってもらうことにしました冬は寒いから 四月ごろ 来てくれるそうです水道は きっちり直りました^^これで一安心^^皆様も風邪ひかないように・・・
2008年10月08日
今日は 暖かいのか寒いのかいまいちよく分からない日こういう日は危険ですなにがって?電車の冷房暖房です・・・・大量に持っていったプリンの賞味期限が10/15に切れちゃうので 持って帰らなければなりません だから 荷物が多くなるのは嫌だし 上着は着ないで タートルネックシャツとトレーナーで行きました外の気温は暖かめ 歩いていると汗ばみますでもぉ電車の中に入ると 冷房が・・・・あの・・もう10月なんですから 冷房やめていただけないでしょうか・・結局 一時間半 寒さと格闘しながら乗ることに・・ここのところ調子が良かったのに 逗子につき 軽い食事をとると なにやら胃痛と気分が重く感じる・・胃薬は常時持ち歩いているからすぐ飲んで なぜ気分が重いのだろうかと考えてみるやはり 吸引作業がひっかかっているようだ時間的に 吸引にぶつかりそうなんだよねえ無理して行くのはやめたので デパスをバスの待ち時間の間に飲み病院へつきました途中院長先生とばったりあったのだけど まだ診断書は出来てなくて ごめんなさいね 急いでるんだけどね^^; と謝ってました院長先生もお一人で何十人っていう患者さん診てるわけだから 別に怒りませんよwでもねえ 8月に成年後見制度を取ると決めたのに もう10月です書類作成日も9/7・・・^^;そろそろ お願いします^^;病室へ行くとドアが閉まっていましたおそるおそる開けてみると 30円請求した看護婦さんがいて「あらあ おのづさん ちょうどよかったわあ^^ 今ねお母さんの吸引が終わったの おのづさんのお母さん 娘さんがいらっしゃいましたよ^^」というなんか知らないけれど最近私に対して態度が柔らかいのだよねえ変なの^^;吸引直後なら とんでもない状態かと思いきや 今日はさほどでもなく私の顔を見て落ち着いていますさっそくお顔のお手入れです私は顔のつぼを知っているので 化粧水 美容液をつけたあと つぼおしします母はうっとりして目を閉じて ぐー・・・寝ちゃだめよ^^; プリンと歯磨きが・・母に歯磨きするから 寝ないでねといって 口の中をあけさせます看護婦さんの話では 絶対口を開かないというので 毎週のようにチェックしてるのですが何も食べてないのに歯垢がたまってますこれ きっとばい菌ですよね本当は 糸楊枝 とか 小さな歯間ブラシを使うといいのですが ぶくぶくぺ ができない母には ちょ難しい楊枝で かきだします一杯でてきました 特にブロックの間の下の隙間ごそっととれたので 母に「見る?すんごいのが取れたよ」というと じーっと見てましたw奥に行くほど歯が汚れていて 本当は歯ブラシでごしごししたいなあと思いつつ歯垢を取った後リステリンでスポンジブラシでごしごしですこれ 自分も使ったことあるけど 結構味がきつい飲み込んでもいいものだけど やっぱり おいしくないらしく最初は我慢しているのだけど 奥のほうを私がやると 眉間にしわを寄せて おえってしてましたそれも終わり しばらく母の状態を観察嚥下は良さそうかな?と思ったら又 ぐーぐー「お母さん ねえ お母さん プリン食べないの?」というと 目を開けて「食べる」というwベッドをほぼ直角まで上げて プリンを食べさせました前回は 母もおそるおそる口に入れていましたが今日は結構なスピードで飲み込んでます 大丈夫かな飲み込むとき 嚥下困難らしく大量の空気も一緒に飲むようで 途中で苦しくなります「お母さん スイカ食べたときと同じよ げっぷしてね そしたら楽になるからね」母の胸をさすったり 叩いたり でも母「食べたい」はいはいw結局全部ぺろりとたいらげ その後 大きなげっぷを三回お腹の音を聞くと やっぱり きゅーごろごろ といっています良かった 胃に入ったのだその後しばらく 角度を高めにしておいて30分ほどしてから ちょっとだけ高くしておきました母に「雨が降りそうだから 又来週くるから 帰るね」というと 今日は まぢまぢと私の顔をじーっと見つめてます珍しいことですほとんどせん妄状態の母は話しかけた瞬間だけこちらを見て後は何かの幻覚を見てるのが大半ですが 今日は私の顔をじーっと見ていました帰りにナースステーションにより歯磨きして プリン一個食べたこと げっぷ三回したこと お腹が動いている音がしていることなどをつげ 帰る事にそしたら 駅についたら なにやら 戸塚でブレーキ故障があったもようで1番線の電車から発車します とか 1番線は回送電車になるので 2番線へお急ぎくださいとか めちゃくちゃなアナウンスが流れ 階段を登ったり降りたり 3往復もしましたよ・・一緒に右往左往していたサラリーマンのおっちゃんが「一体どれがほんとなんだね・・」とぶつぶついってました大変遅れて出発した電車は途中で止まったり 進んだり 人もめちゃくちゃ混んでて疲れちゃいました^^;明日は 水道屋さんが来る日です昼間は休んで 水道屋さんがきたら対応しましょう木曜日は 乳腺の病院に行ってこようかなあ 腎臓結石の定期健診の予約もしなきゃね^^;少しずつ休んだり動いたりして 負担をかけないようにしていきますでも 今日はよかった^^吸引後 不穏じゃなかったから^^コメントたくさんありがとです^^一応 ご希望に添えるようがんばってみましたw
2008年10月07日
先週は 風邪を引いてダウンしてました寒かったり 暑くなったり まあ 暑くなったおかげで良くなりましたが今日から又寒いよ・・ははは;;実は先週は 風邪をひいていたこともあって ずーーっと家にいましたね成年後見制度の準備もほぼ出来上がってるし 別に外ですることで急ぎのものはなかったし無理して動けば悪化するから 一人で暮らしているということは誰の面倒も見てもらえないということなのでひたすら治るのを待つばかりまだね 罪悪感は非常に少なくなったけど 父の遺産を使うことに少し抵抗があって外出すれば絶対お金使うでしょう?私は腎臓結石もちだから 一日2リットルの水を飲まなきゃいけないしお腹が減れば消化のよいものを食べなければなりませんカラオケにしたって 映画にしたって ショッピングにしたってお金使うから家でネットゲームしてました・・・・(根暗とは思わないように・・一応無料のゲームなんですけどね まあ使うとしても月に3千円くらいインターネット代は常時払っているのだし ゲームに没頭してましたw話は変わりますが コロネルを一日三回にしてみたら ずっとお腹の調子はいいです抗不安薬も一日二回 最初はきつかったけど 自分でそれなりに調整して例えば朝早く起きて飲んだ場合は 夕方16時頃に飲むとか朝早く起きても飲まずに午前10時頃に飲んで 夜の18時頃に飲むとか自分で調整して あんまり効かない時間が長くないようにしてみましたおかげで健忘はなくなり(本当にひどかったのよ・・これが悪化すると痴呆になるのだなと思いましたね・・)頭痛が復活し肩こりも復活しました・・どっちがいいのかなあ・・^^;頭痛と肩こりも嫌なもんだよ;;私はずっと偏頭痛もちだと思っていたけれど 抑うつ神経症を調べると慢性頭痛が症状にあったので多分それなんでしょうねで 鎮痛剤を飲むから胃が荒れる(まあ風邪薬も飲んでいましたから)で 胃薬も飲むというふうに 飲む薬がどんどん増えていっちゃって はううううう;;今朝は起きたら雨でした三週間分もらったお薬(試しに一日二回にしてみて きつかったら三回にしてと多めにもらった) きっちり一日二回しか飲まなかったので丸々一週間分残っていますが 来週は祝日でお休み 私の担当の先生は月曜の午前中しかいないので 今日いかないといけません前回はその後胃腸の先生のところもいかなきゃだったので早くに行きましたが 今日は雨も降ってるし胃腸の先生は四週間分だしてくれたから行かないので ゆっくり10時半ごろ家を出ました待合室に入ると あんまり人がいないあら 雨だから 患者さんも少ないのかな?ラッキー と思っていたのだけど患者の一人が受付に「あの 私は何番でしょうか?」と聞いていて(ほとんどの人が聞くね)「8番目です」と答えが返ってきたその人は私より先に入った人だから つーことは 私はもっと後そうなのだ 待合室が狭いので 皆時間がかかる場合は一度外出してしまうのだ待てども暮らせども順番がこないどころか 外出から戻ってきた患者がうじゃうじゃ沸いてきて 満席状態ひー@@ 一体いつ 終わるのー?;;その後も締め切りの11時半までに続々と患者さんが受付に診察券をだしていかれ今日は大変な混雑ぶりですやっぱり来週休みってのが大きいのでしょうね^^;二人先生がいらっしゃってるのですが もう一人の方は女性でまだお若い方だから多分軽い症状の人を担当していると思われますほとんどそちらの先生の部屋には呼ばれません私の担当の先生は ここから近くの大きな精神病院(入院施設有)が本拠地らしくそちらで入院していた患者さんが退院後 こちらに診て貰いにくるそうです(待っている間そういう話が聞こえてきました)ようやく順番が回ってきて呼ばれました私の後ろにまだ10人以上います・・現在12時半・・私は健忘が治ったので今回はレポート用紙に書かず口頭で現在の様子を話しました混んでいたので手短にお話します というと 先生が頭をかきながら「すみませんね^^;」と言ってくれましたでも 先生だって一度もトイレにいってないもん すごいよね^^;健忘が収まり頭痛が悪化したこと それでも精神的に安定していることを言うと「あなたにとってはそれが適量だということですね」と言われましたふむー ということは頭痛と戦えということなのね;;それと 一度だけデパスを飲んだこと 母の吸引でのお話をしたら「看護婦さんはね 恨まれるのも仕事の一つだから そういうときは看護婦さんにお任せしてあなたは席をはずしたほうがいいでしょう それで関係が悪化することは良くないことだし またそれがあなたにとってストレスになりますからね」とおっしゃってくれましたあと 現在私が趣味が楽しめるようになったといったら「趣味が楽しめるということは非常に良い事です それはお薬と同じ働きをしているということですよ 前にもお話しましたがお薬はあくまでも補助的役割 楽しめる時間がもてるということは もっとこれからお薬が減っていくということです」と言いましたまあ 私も 一時的に 在宅へ という話からパニック状態になり 一気に悪化したけれど 今はこうして落ち着いて以前の私に戻ってるなあと思うから お薬なくても意外といけるんでは?とも思っていたのだった本来ならもう私には子供がいて どんなに悲しくても辛くても子供の前では明るく振舞い また子供に振り回されて生活していってると思うから それと同じ状態なのかなって思います子供の代わりがゲームになっただけで ゲームの中の人間関係とかもあり 色々気をつかう部分もあって 母のことや父のことを思い出すことが減りましたもちろん 悲しいことには違いありませんけどね どんなに あのときこうしていたら とか あのときこうやってくれていたら とか 考えたところで時間は戻らないのです戻らない時間をぐるぐる考えて後悔ばかりしていても時間は戻らないのです私と同じような思いをしている人もいると思いますあのとき 私がこうしていたらって・・でもね 絶対 自分だけが悪いのではないのですよ母の場合も 早くに専門病院に行っていればこんなことにはならなかったのに祖母を見ていたから拒否し続けた結果がこうなったのです母だって 認めたくなかったわけだし 母には母の思いや考えがあってとった行動です私も精一杯やったし 母も精一杯拒否し続けた その結果であって誰が悪いとか 他の道があったのではないかとか もう考えても仕方ないのですだから 今私は 私に出来ることをすればいいのであって天国にいる父を心配させないようにするには 私が幸せになることなのだろう と思うようにしていますとりあえず 自分のこの病気を早く治すことそして 母を大切にすることこれが 現在の課題ですそのためには 自分が楽しいと思うことをする他人からしてみたら「あんた 親を入院させといて 家でゲームなんかしてんのかい?」といわれるかもしれませんが 人の趣味はそれぞれ違いますもし 私の趣味が 陶芸とか 書道とか そういうのだったら 文句言われないのかもしれませんね^^;でも いいじゃない千人人がいたら 全く同じ考えの人なんかいるはずないんだしそれで 自分が良くなって治れば 働くことも 子供を産むこともできるかもしれないと 少々開き直りぎみですが そう結論に達しました明日は 逗子へ行きます 雨だそうですが 風邪が悪化しない限り行きます水曜日は 水道屋さんがやっと発注した部品が届いたので夕方の6時に家にくるそうです皆さんも 自分に負担ばかりかかることは少しやめて 自分にとってリラックスできることを探してみてください^^現代ストレスが多い時代 昔かたぎに 義理人情に縛られてがんじがらめになりませんように・・・
2008年10月06日
昨日まで・・寒かったですよね・・冬の洋服着てましたし 暖房かけてました・・頭痛も少しずつ和らぎ 喉だけ痛い状態まで回復したのですが(ほぼ寝てました)・・・・・・・・・・あの・・ 今日 居間32度あるんですけど・・これで どうやって体調管理しろと・・せっかく良くなったのに;;また冷房かけてる私って一体なに;;;;天窓本当に何とかしようかな・・・
2008年10月02日
昨日は すんご~~~~~く寒かったですね・・・びっくりするくらい寒かったです・・家にいたんだけど 冬の部屋着を着て更に半天まではおってました・・夕方4時頃から頭痛がひどくなりもう 右向いても左向いても痛くて 鎮痛剤も効かず 吐き気まででて鼻水がとまらない><はい 風邪です・・私は身体が非常に弱いので 一日の温度差が10度くらいがっと変わってしまうといっぺんにやられてしまいます特に 我が家の3階の居間は天窓があり 秋になっても33度くらいありましたからいきなり22度はないでしょう・・・雨や曇りだと天窓から日光が入らないのでものすごく気温が下がってしまうのです昨晩は 痛さに耐え切れず 途中で横になってましたが痛くて寝れない;;で 今日母の元へ行く日だったのだけど熱が・・・どうしよう お母さん プリン食べるって楽しみにしてたのに・・診断書できてたらどうしよう・・でも お母さんに風邪移しちゃったら肺炎とかなってもなあ・・よし!病院へ電話して 出来てたら無理してでも行こう本当に出かける準備までして 出かける5分前に電話してみました受付では 院長先生が急いで書かなきゃいけないと思ったらしく手元に持って行ってはいるがまだできてないので 出来上がったら連絡しますって 言ってくれましたよかった・・今日休めそう・・ついでに ナースステーションに電話を回してもらって先週母にプリンを上げたけど その後吸引したときプリンがでてきたかどうか聞いてみたそしたら プリンはでなかったとのこと^^お熱もなかったようだし プリンをとても喜んでいたと言っていたそうですよかったあ^^まだまだ 食べられそうだね^^飲み込みやすいものなら 色々試してあげよう毎回食べた翌週には吸引したときそれがでてきたか確かめでた場合はそれをあげるのをやめてみよう喧嘩している婦長さんが電話で対応してくれたけど風邪ひいてしまったことを伝え 母にもそれを伝えて欲しいと頼んだ珍しく「お大事に」と言ってくれたw夏は 異常に暑かったけどこの いきなりな寒さは一体なに?;;しかも 大型の台風が接近しているじゃないの・・台湾だっけ?大変な被害がでたんだよねえ私は身体が弱いから一度ひくと一週間くらい治らないので大人しく家にいますもう エアコンの暖房かけちゃう><
2008年09月30日
本当は もっと早く会社に行こうと思っていたのだけど その日は天気予報で雷 強風 豪雨とかあったので行くのをやめたら天気予報は嘘つきでした^^;で 結局成年後見制度の資料ぞろえをしてコピーしてきました合計27枚・・本当はA4縦なんだけど・・ 行ったコンビニが横しかできなくて;;どうしても無理なときはA3横にしろと書いてあったから無理やりA3に入れまくり(同じ資料関係じゃないとだめ)作り上げたコピーなのだけど枚数も多いし A3ってでかい^^;で 無理やり入れたから 本当は右側に3センチの余白がないとだめなんだけど(糊付けするため)ないものもある^^;うーうー どうしても無理なら さかさまに提出していいかな^^;で 本日会社に行ってきました久しぶりにお昼休みに行ってみたら上司がいてずいぶんなんだか状況が変わってしまっているようでさっそく相談ですてか もう私に相談されても困るがな^^;上司の補佐役の人が金曜日には来てたのに いきなり会社を辞め 携帯も家の電話もでてくれないとか・・余程何か本社であったのでしょうなあ・・上司は補佐役がいなくなったので仕事が倍だし今まで相談に乗っていた私がいなくなっちゃうし本社のやり方が今後大きく変わり 本社の切れ者の女性が金曜日にやってきて 細かく指示していったけど 現場を取り仕切っている上司としては無理なことで それには従わない と私に言ってきましたまあ 他の職場仲間にもお話聞いたんだけど ずいぶん勝手が変わったみたいで文句たらたらです私が勤めていた職場は レセプト関係の大元 基金さんでのお仕事です月末の7日間 月初の3日間日曜祝日関係なしに ぶっ通しで出勤する仕事ですというのも 病院から送られてきたレセプトを今月分は今月分以内に完了させなければいけないので 終わらなければ残業もしくは人数を追加してでもやらなきゃいけない過酷な仕事です勤めている人の9割は女性で30代40代ですから 子供さんの関係で 早く帰らなきゃいけないときもあるだろうし 学校の行事のために休まなければならないときもあるのだけれど今まではそれでもOKだったのが 今度からはだめってことになりそうです休みや 早引けの日が多い人は 本社から直接電話がいって 今月全部休んでくれと言われるそうです私はもちろん母が安定したら 復帰しようと思っていたし月曜と火曜以外は全部でるつもりだったのだけど それでも首を言われました上司は それでも残って欲しいと言っていたし 今日もそのつもりだったと言われたけれど本社の意向が変わったのと 母の容態がいつ急変するか分からないので 迷惑かけるだけだから辞めることにしたのです私は 皆に裏技や 早く処理できる方法をもっと教えたかったけど結局それもできずに去ることが残念で・・皆も なんでおのづさんが辞めなきゃいけないのと 怒ってくれましたありがとう10月に仕事のやり方を変更するので本社がもう一度契約書を書けといってきてるそうですきっと 毎日フルタイムこれない人は どんどん首きられるんだろうなあ・・なんだか あほくさ毎日フルタイムこれてもさ 仕事がのろい人ばっかり集めてもしょうないじゃん毎日でれなくても 経験豊富で処理能力がある人が来てくれたほうがよっぽどいいんじゃないの?なんか質を落としているような気がしてなりませんまあ もう辞めたのですからどうでもいいんですけどね・・帰りに たまたま駅で 私と同じ駅まで行く初老の女性が「この電車に乗ってもいいのですか?」と尋ねてきたので ずっと着くまでご一緒してました色々なお話をして楽しかったですやっぱり 病気や 夫婦の関係や そんな話でしたねえ一応資料はそろえたので あとは院長先生の診断書待ちのみになりました今日は何だかお腹が不安定なので明日は休んで火曜日逗子へ行ってきます^^(雨ですが・・)
2008年09月28日
今日は母の元へ行く日勝手に早く目覚めてしまい どうにもこうにも行きたくない気分が強い私は五年間母の元へ通っていたのだが 時々こうして猛烈に行きたくない拒否反応がでてしまう今までは 生命に危険性がなかったため 行きたくない日は無理をしていかず翌日にしたり翌々日にしたり 自分で勝手に変えていただが もう今の母はいつどうなってしまうか分からないし 院長先生からの診断書ができていたらというのもあって 何が何でも今日行かなければいけない私がこうして行きたくなくなるのは大抵先週起こった事が原因でこうなる先週私は母の吸引の補佐をしたそしたら 母は私をにらみつけて怒ってしまった私は 母に嫌われたくないのであるだが 三年間ずっと母から恨み言や暴言をはかれ続け 決して正常ではないにしろものすごく恨まれていることは確かであったから もうこれ以上恨まれるのは嫌なのであるレヴイになっても(痴呆)嫌だと感じたことは忘れないまあ 人間ってそうだよね ものすごく嫌な体験をしたらずっと覚えているだから母も私がとった行動が母にとっては裏切られたと思ってしまう出来事があったりするとそれをいつまでも覚えていて 事あるごとに「あのときも あんたにやられたよね 痛い目にあったよ あのときも あのときも あのときもそうだ 死んだらおまえに取り付いて呪い殺してやる」とまで言われたよ母は世間体を気にするタイプだったのに病院へお見舞いに行って看護婦さんが「まあ おのづさんのお母さん 優しい娘さんが来てくれてよかったですねえ」と言うと「ふん この娘は鬼のように冷たい娘だよ」と言いふらしたのだ正常に近くなったときでも過去の私のしてきたことを覚えていて 喧嘩(退院する させない)になるたびに言われ続けてきたそういうことがあると 母との関係が悪化するので 又今日も同じことが起きたらと思うと行きたくないのである今日も同じ時間に行ったら 又吸引の時間になって私は母を抑え 恨まれるのだろうかと・・しょうがないので デパスを一錠追加して行く事にした同じ時間に行くのはしかたがないこと病院では決められた時間に決められた処置があるため 変な時間に行くと部屋から出されずっと待たなければいけなくなる だから 2時半頃から4時までの間が一番何もなくお見舞いに適しているのである病院へつき 受付に診断書ができているかと尋ねると まだとのこと(やっぱり・・)母の病室へ行くと扉が閉まっていたので また吸引か・・と思っておそるおそる開けてみると器具も誰もいなかった私は母の元へ行き顔のお手入れをして歯磨きをした気持ち良さそうにしていたが 嚥下も良さそうなのでプリンを食べさせてみようと思ったので「お母さん プリン今から食べようね だから寝ちゃだめよ^^」と私が言うと 目をぱーっと明るくしてこっちを見たやはり食べたいのだなあ冷蔵庫を見てみると 一個も減ってないプリンが山ほどあった・・(もう食べきれないから賞味期限が切れる寸前に持って帰ろう・・)一個取り出して母に見せる母 わくわくしてそれを見る「冷たいよ^^」と言って母のほっぺにプリンをくっつけると母笑うでも 私は母に食べさせる前にたくさん注意を言った「お母さん ずっと食べてないでしょう?私も手術したあと食べれず 流動食から始めたけれど急に食べると胃がびっくりして拒否反応して吐いてしまうの お母さん久しぶりだから 今日は一個だけね ゆっくり食べて ごっくんしてね 急いで飲み込んで気管のほうに入ったらげほげほやって出すんだよ 肺炎になったらだめだからね わかるね?」本当は母の場合胃婁で毎食食べてるから拒否反応なんか出ないのだが 食道を通るのは久しぶりだからそっちのほうを心配してわざと言ったのだ気管に入らないようにかなりの角度にベッドを上げるリステリンの後だから 多分しばらく味が分からないだろうけれど 冷たいからおいしいと感じるだろう母に少しずつスプーンですくって食べさせた母も用心してプリンなのに口の中で何度ももぐもぐさせごっくんをがんばっていた徐々にリステリンの味が消えてきたのか「おいしい?」と聞くと「甘い^^おいしい^^」と答えたが 1/4残ったところで口を開けるのを母はやめてしまった口をとじ 呼吸が速い 気管に入ったのだろうか・・すると母は大きなげっぷをしたそか 空気と一緒にごっくんしてるから胃が空気で一杯になって苦しかったに違いない私は食べさせるのをやめて げっぷが3回でるまで待った母も その間自分の意思でプリンを口元に持っていっても口を開けずげっぷが出るまで我慢していた「お母さん ずっと食べてなかったから 胃がびっくりしちゃったのかもね もうやめてもいいよ まだ冷蔵庫にたくさんあるからね」母は 「むり」 と言ったので 10分ほど胸をさすっていたもう一度げっぷをしたら「食べる」というので 残りを全部食べさせたどうやら気管には入らなかったようで 冷たいプリンが胃に入ったから胃腸がびっくりして 「きゅー」とか「ごろごろごろ」とか鳴り出した良かった 胃腸に入ったのだ「お母さん えらかったねえ 全部食べれたね それも気管に入れず胃に入ったから 音がなってるよ 活発に動いている証拠だ」母は嬉しそうだった「いきなり たくさんはだめだから 今日は一個だけね 慣れてきたら もう少しあげれるからね」「うん」母は大人しく従ったしばらく母の胸をさすってげっぷをうながしていたが あんなに立派なお乳だった母の胸がぺったんこである「あら お母さん あんなに大きかったおっぱいはどこへいっちゃったの?」探してみてもよくわからない まあ大変垂れていたのでお腹の脇のほうをさぐるとかすかにあった「あら これ?お母さんのおっぱい」「うん」「あらあら こんなにしぼんじゃったのかあ そうだねえ 一緒にお風呂に入っていたときお母さんのおっぱいお湯の中では浮かんじゃってたもんね 覚えてる?」「うん」母笑う「でも 私お父さんに聞いたのよ お母さんと私とどっちがおっぱい大きい?って そしたらお父さん お母さんのほうが大きいよって言ったのよ」母にこにこ笑う30分たったので ほぼ直角にしていたベッドを戻すことにしただが 母は 吐くのをおそれ平行じゃ嫌だと言ったので少しだけ頭が上がってる状態にしておいたそんな判断ができるとはねえまあ 説明したんだけどね^^;(食べると20分くらいで胃の幽門が閉じるから吐かなくなるけどそれ以前に横にしちゃうと食道からでて吐いちゃうおそれがあるよっていいました)4時になりおむつ交換の人が来たので私は「今プリンを食べさせたので少し頭を上げています」と説明して母に来週また食べようねと約束して部屋を出た一応ナースステーションへ行き「今日は歯磨きしてプリンを食べ30分ベッドを上げてましたが真横にすると母が吐くかもと嫌がったので少しだけ頭が上がっています」と説明して帰る事にした今日は吸引なくてよかった^^それに母の頭もしっかりしてた株の名義変更の話もしておいた電子化に伴い字が書けないから私の名義にしたけど母が買うとか売るとか言うまでそのままほっとくからねと言ったら わかった と言っていたこういう日があるからね どうしても 昔の母に戻るんじゃないかなって淡い願望が生まれちゃうんだよねでも 精神科の先生の言うとおり もう元には戻らないのだから 今日頭がクリアな日に色々お話できて良かったと それが先生でいうところの ラッキーだったのだと思うことにした母の状態が良かったので抗不安剤は追加しなかった院長先生の診断書がまだだから コピーを取るのはもう少し後にすることにするできるだけ最新の預金通帳のコピーが裁判所は欲しいらしいから 他のコピーもそのときに一緒にすることにする明日は休もう明後日は 会社にお別れに行く日だ休み休み やっていこう
2008年09月24日
本日は精神科と胃腸科に行く日昨日水下痢をしてしまったのだけど 前回水下痢をした後お薬を一日3回というのを二日間続けたら四日目まで便がでなかったので昨日は一日2回しかお薬を飲みませんでしたすると朝食を食べたら便意が・・はて・・水下痢で全部でてしまったのになぜ・・ 下痢一歩手前の軟便でした一応 朝はお薬全部飲みましたで 精神科へ今回はかなり色々あったので気分の落ち込みもひどいときもあったし 又自分の心をマインドコントロールしようと試みたものの結果をレポートにして先生にお見せしました先生は毎回じっくり読んでくださいますそして気がついた部分で必ず止まるのです今回指摘された部分は 私がこう書いたものでした「考えてみれば ご近所や知り合いなどで在宅介護をやめ施設や入院をした家族がいたとして その家族がその後明るく楽しそうに生活している様子を見れば 本人は家に帰れないのに家族は楽しそう かわいそうに・・・ と私だって思ってしまうだろう それは実際にその家で在宅介護していた人や 専門医ではないと分からない苦しさがあってのことなのだ だから きっと今後も身内や他人から私は色々言われるかもしれないだろうが それは母を本当にかわいそうに思っていっていることであって私への悪意からではない 私は今まで通り外では健康的に明るく振舞う それが正しいか正しくないのか分からないが どうでもいいことだと思えるようになった 何故なら私は私なりに精一杯やってきたからだ」先生はこの部分で「かわいそうとあなたは思いますとありますね 誰がかわいそうなのですか?」と聞いてきた 私は「入院や施設にいる本人です」と答えたら「じゃあ介護をなさってきた家族の方はかわいそうじゃないのですか?」と逆に言われた 私は「母を施設にと思って色々回ったときに得た情報によると人間関係がうまくいかないからとか お金さえあれば預かってくれるとかそういう人もいると聞いたので そう思えません」「人間関係がうまくいってない人に対して介護をするっていうことはストレスになりますよね?」「ああ そう言われてみればそうですね・・」「ストレスは個人差があります あなたは実際に介護なさってストレスを感じて病気になり今この病院に通ってます もしかしたら違う人が介護なさっていたら病気になってなかったかもしれません だから施設や入院を決断した家族にとってはさまざまな問題がありストレスがあり辛い決断をしたということなんですよ」そうか・・・私はどうも在宅を当たり前と考えていたところが強くあって 在宅をしない子供は親不孝ものだと考えたり 自分さえ楽になれればいいんだっていう自分勝手な考えでしたのじゃないのかとか考えたりしていたのだ 先生は「そこをね 介護をしていた家族の人もかわいそうに と思えるようにならなきゃ 又あなたは罪悪感で悩んでしまうんですよ」その通りだ病気になって施設や入院をしている人もかわいそうだが 私は8年間も病気に苦しんだ ずっと罪悪感が付きまとい明るく生活なんかできなかった 人生も大きく変わってしまった先生はすごいなあどうして正しい考えが分かるのだろうどうして私は正しく考えられないのか いや 考えられないから病気になったのだ先生はレポート用紙の最初の部分の父を入院させたときのこと 母を入院させたときのことに対しても「過去のことをひきづっているようですが それは良くないことです 過去にとらわれすぎずに 過去のことは過去のことと割り切ってください それと このレポートに書かれた文の中には自分を責めないことについて書いてありますが まあ 今のお話も途中は少しあれでしたが最後は自分でこうしていこうと考えているということは非常によいことです」と言ってくれた私は先生に聞いてみた「先生 私の病名はなんですか?」「過敏性大腸炎ですよね それと 昔で言えば 抑うつ神経症です 今で言うとストレス障害かな」抑うつ神経症?聞いたことない病名だ うつ病なのかしら・・「それってうつ病ですか?」「いえ 違います うつ病は心の病ですが 抑うつ神経症は性格が原因で色々症状がでる病気です 悪いことではないのですが真面目すぎるとそうなるのです」「はあ・・・」「とりあえず 今回から 朝晩にお薬を減らしましょう そして気分がすぐれなかったら昼追加してみたり デパスを入れてみたりしてください マイスリーは効かなかったようなのでこちらで処分しますか?」「はい お願いします」というわけで三週間分だされて精神科を出た今回は大泣きしたりすることもなく すぐ終わったので10時には病院を出た 雨が降っていたがいつものように喫茶店に入り ホットココアを注文したでも あまり落ち着かなかった 朝早くに起きて眠かったし 抑うつ神経症って一体なに?と気になって早く家に帰ってネットで検索したいと思ったのだそれと 私の名義の母の預金については先生はあまり触れなかった 私はかなり罪悪感を持ってしまったのだが 「本来なら病気でなければきちんと働くこともできるわけだし 今は病気なのですから仕方がありません それより一人で手続き申請するほうはストレスになりますね」と言ったのだもう一つ 私は性格が原因で抑うつ神経症になる と言われたとき「先生私大学を出て就職したとき会社が移転してしまい通勤に片道二時間半かかるようになりました プロジェクトチームを組んで仕事をしてましたが私は遠いし女の子だからと言われ夜の8時には帰りなさいと言われてました もちろん男性は10時まで仕事してました それがずっと続いていたので本当に申し訳ないと思って心身症になってしまったことがあるのです」と先生に言ったら「そこがね 真面目というか 普通なら 8時に帰れてラッキー!で終わるんですよ」と言われたラッキーねえ・・たまたま私名義の母の預金があって ラッキーたまたま専門病院に母を入院させることができて ラッキーそんな簡単にラッキーで済ませるものなのかなあでも 私はラッキーと思わないから病気になるんだろうねもっと楽天的にラッキーで片付けられたら いいのかなあ珍しくココアを半分以上残し家に帰った 疲れているのであるすぐネットで検索抑うつ神経症「抑うつ神経症は、軽度の抑うつ状態が長く続くことをいいます。 「離婚」「近親者の死」「リストラ」など、何らかのきっかけがあることが多いようで、対象喪失やモーニングとの関連が指摘されています。またストレスとの関連もあるようです」なんじゃこりゃ 全部私が体験したものばかりじゃん・・まあ それがきっかけじゃなかったにしろ うつ病とは違うとそこでも書いてあった(うつ病と同じ症状がでるが抗うつ剤が効かない)次にストレス障害これは 色々ありすぎてしぼりこめなかったが 要するに過去の心に傷が残るような体験をしたときのことをずっとひきずっていて それを思い出すことで発作症状が起こるというものまあ 今でいうPTSD(心因的ストレス障害)みたいなものなんだろうね母の22時間介護がエンドレスで続いていた地獄のような日々あれをもう一度しろと言われたら恐怖感でパニックを起こしてしまったはっきり言う 私は母を看取ったら もう介護はしたくないまあ 独身でいる限りもう介護はないだろうたまたま 何かのきっかけで結婚したとしても 悪いけど介護はもうできないしたとしたら 又同じような症状がでるでれば下痢だから体力は損なわれ ストレスで精神的にぴりぴりして家族にも影響がでるもう できないなと 思ったそれから二時間ほど寝て昼食をとったら 又お腹が痛くなって軟便・・なぜ こんなにでる・・ しょうがない これから胃腸科にいかなきゃなのでもう一回胃腸の薬を飲む はふー・・胃腸科では最近の様子とお腹の具合と水下痢したときの対処の仕方がいまいち調整がうまくできないことを言ったそしたら 実は先週 一日二回にしたのはラックビーだけで コロネルは一日三回のままだったようで^^;健忘が激しくて忘れちゃったのだ><先生は コロネルは三回のまま飲み続けて 水下痢をしたらラックビーを増やし 便がでなくなったら出るまでラックビーを飲まないでやってみて欲しいと言った先生も私も微調整で苦しんでいる^^;先生は乳房のことも覚えていて「今日は乳房のエコーどうしますか?」と聞いてくれたが「先生申し訳ありません この間もお話したように成年後見制度を自分一人で申請しなければいけないので毎日外出の日々で10月ごろでもいいでしょうか・・」と言ったら「いいですよ」とおっしゃってくれたお薬は四週間分でた ということは自分で微調整をしながらベストな飲み方を模索していけということだな よし がんばろう家につき6時を待たずおにぎりを二個だけ食べてお薬を飲んだ今日から抗不安薬が一日二回になったので 今日は朝早く起きたから利いてない時間が長くて少し辛かったのだ それから本当に疲れていたのでそのまま二時間ほど寝て 今にいたるもうそろそろこれ以上書くと長くなってちょちょぎれてしまうので今日はこの辺で^^
2008年09月22日
あれから 気分的にはだいぶ落ち着いていて 罪悪感も和らぎ マインドコントロールもかなりよい方向へいってました土曜日に 東京法務局から郵便が届き 後見人でないことの証明書が来ました一週間かかるって言われてたのに早いわ^^;あとは 院長先生の診断書だけ意外と火曜日にできてたりして^^;あ 今週は水曜日かw休日や祝日に行くと受付のお姉さんや院長先生などがいないので私はいきません代理のおじさんが受付に座っているんだけど用件を言ってもさっぱりわからないみたいなので平日のみ私は行くことにしています水曜日に診断書がくれば あとは必要なものをコピーして添付書類としてナンバーつけていけばいいだけ そして 電話予約して横須賀裁判所に行くのですというところまできていたのになんでだろう?今日 お昼すぎに水下痢・・・・そんな ストレスかかるようなこと なかったような気がするけどまあ 精神科の先生も言っていたけど本人はストレスかかってないと感じていても身体が感じているということもあるとのことなのでここんとこ ずっと罪悪感に悩まされていたし 手続きに走り回っていたから疲れがでたのかなと思います胃腸科の先生は お薬減らしたけれど 過敏性大腸炎の患者さんは 治ったり壊したり波があるからねえ とも言っていたので これが波なのかな?とか考えたり・・でもねえ 波が収まらなきゃ 治ったっていえないよねえいつになったら 治るんだろう・・とりあえず 明日は 精神科と胃腸科両方行く日です精神科のほうは 抗不安剤を飲んでいるため健忘がひどくて忘れちゃいけないと思いつつ書き綴ったメモ レポート用紙三枚分・・持って行きます読む先生も大変だよね^^;でも やはり心の動き 些細なことでも先生は大変気にするようなので 自分の中の心の中を出来るだけ忠実に書いたつもりです明日は午前中雨らしいけど がんばっていってきます^^(多分水下痢したから また三日くらいうんうんでないね・・)
2008年09月21日
はふぅ~~~四日ぶりに四日ぶりに四日ぶりにでました^^ それもよい うんうん^^(毎度ながらお食事中のかた 申し訳ありません)もう健康のバロメータだね^^;食事は相変わらず一日一食がベースになってます逗子とか 一日中外回りしてるときは やはり身体を使うので無理やり二食にしますが基本は一食になってますでも やせません(きっぱり)なんでじゃ・・おかしいなあ・・メタボ検診のとき 一日10分早歩きで歩いたら痩せますよ~とあの胃腸の先生に言われたのに・・10分どころか 何時間でも歩き回っているような毎日だったのだが・・な~ぜ~や~せ~ぬ~あと5キロは落としたいなあ・・[壁]ノ_
2008年09月17日
実は~水下痢をしたあとから うんうんがでません・・一日一食ですから でないのも仕方がありませんけど 自分のお腹がどうなっているのかとっても不安な今日この頃ですさて 昨夜ふと考えて 水曜日に東京法務局へ行こうかと思っていたのだけど 考えてみたら郵送やり取りのほうが時間はかかるけどお金はかからない 電車賃のほうがはるかに高いので郵送やり取りにすることにしました(どうせ院長先生の診断書遅いと思うから)で それには登記印紙を購入して貼ってから郵送するのだその登記印紙を売ってる場所は法務局 法務局に近い郵便局などとあったので とりあえずお香典を送らなきゃいけないし逗子にも行かなきゃだから最寄の駅前の郵便局に行ってみる 残念でした 本局へ行かなきゃないそうです 本局かあ・・駐車場4台の遠いところなんだよねえ・・ それなら法務局のほうがいいなあ・・ 法務局においてあるかなあ・・というわけで明日午前中に地元の法務局へ電話して登記印紙を販売しているか聞いてみてそれから動くことにする本日は午前中雨でしたもうなくなっているだろうなと思っていたので追加のプリンと院長先生にお渡しする成年後見制度の診断書と難病援助金の書類を持っての逗子入りです逗子についてから 軽く今日初めての食事 すぐにバスに乗りました受付で成年後見制度の診断書を渡したのだけど 私が市川だったり千葉だったり横須賀だったりとふりまわされているのを見て受付の人はおかしいわ!と怒ってました^^;私もおかしいと思います^^;で そのとき院長先生から母の生い立ちについてレポートにまとめて書いて欲しいと言われました 普通は院長先生と面談するらしいのですが私はもう5年もいますのでレポートで大丈夫ということでした いつどこで生まれ どこの学校を出て どこに就職して 結婚して出産したのか 要するに過去母は全く脳が正常に機能していて痴呆や知力障害などがなかったということを証明しないといけないそうですこれ 以前 親戚のおじさんに聞いたのだけど 二人とも戦時中のこともあり あやふやだった・・ まあ 4月に年金お知らせ版が届いて母の過去の職歴が書いてあったからそれをそのまま書けばいいだけだ 書いたらすぐに郵便で送ることになったで ナースステーションに行きプリンを渡そうとすると あの30円請求した人がきて 看護婦からは食べさせられないので家族の人が食べさせてくださいとのことあれえ?この間の看護婦さんは様子を見てよいときに看護婦が食べさせますって言ってて私はもうあげちゃだめって言われてたのになあと思いそのことを言ってみると 喧嘩中の婦長登場・・結局 家族の人意外 胃婁手術した人にはあげちゃだめってことをきびしく言われ 又 母は歯磨きや吸引を大変嫌がるので口腔内の状態が良くないことも言われましたなんでも 母は看護婦さんが近寄ると歯を食いしばっててこでも開けないし 無理やり開けたら自分の歯だから折れてしまう危険性もあり困っているとのこと 吸引も二人係で一人が身体を押さえつけもう一人が吸引作業をするというような状態で大変だと言われたでも 昔みたいに暴力をふるったり 歩き回ったりしなくなったから 今は穏やかですけどね と言ったところをみると 母は暴力をふるっていたことが判明・・ま まあ 母の性格ならありえるな・・どうりで 看護婦全員が私にきつく当たると思ったら 相当母は問題児だったようだ私は リステリンとスポンジでできるときはやります と約束し 調子が良かったら私が食べさせますそのときにはお知らせします とも約束した「大変ご迷惑おかけしてきまして誠に申し訳ありません お手数でしょうがこれからもよろしくお願いいたします」私は頭をたれた母の元へ行ってみると扉は閉まってはいたが看護婦さんはいなくて でもなにやら検査器具が中央にどんと置いてある 何かの途中だったのかもしれない母はぱっと見てみると両手をあげて眉間にしわを寄せて何かを訴えようとでもしているようだった む あまりよくない状態なのだろうか・・それでも「お母さん 雨だったけど きちゃったよ^^」と声をかけると私の顔をじっと見ていたさっそく母のお手入れ開始である お顔の手入れをしていると気持ち良さそうにしていた でもここで寝てしまってはいかんのである 今日は歯磨きもしたいのだので 母に「歯磨きするから寝ちゃだめよ^^ 虫歯はお母さん嫌だもんね^^」と言うと「うん」とうなづいてにっこりする今日は調子がよさそうだ^^で リステリンの用意などをしていたら30円請求した看護婦さんがやってきたやはり検温と吸引の途中だったようだ検温に関しては全く問題がなかったが その間私が歯磨きをしてあげてるのを見て 看護婦さんが 胃婁患者への口からの栄養摂取について悩んでいると私に言ってきた在宅で胃婁なさってる方は 食べたいという本人の要求があれば 例え胃婁でもある程度はあげているそうだもちろん肺炎になる危険性は高いが 食べたいというのは三大欲求の一つであるだから 家族は本人が望むことをしてあげている でも病院は 本人が望んでいたとしても それを与えたため肺炎になってしまったとき病院側に責任がでてきてしまう昔はそうでもなかったけれど今では簡単に病院側を訴える訴訟問題が多いよっぽど虐待なんかしてるのならともかくその患者にとってよかれと思ってやった行為が例え死に繋がったとしても それを責めるのは筋違いじゃないだろうか と私は思う亡き父の時だって4ヶ月何も食事をとらなかった状態で看護学生が担当になってやってきた 栄養がいきわたらず軽い痴呆のような状態の父は「そうめんが食べたい」と言ったそうだ そこで看護学生はそうめんを食べさせ 4ヶ月食べてないからもちろん胃は拒否反応 吐いたものが肺に入り肺炎となって死んだのだ直接の原因は看護学生さんだよでもさ 悪気があってやったことじゃない父が望んだから そうめんを注文して父に食べさせてあげたのだそれって好意だよね父はそのとき もう手の施しようがない状態だったから 私はそう思えるのかもしれないというような話をして看護婦は怖くて食べさせられないということを分かったので今後は私がしますと約束したで 歯磨きも充分して終わった頃 隣の患者の吸引が始まった吸引の音は 歯医者の歯を削る音に似ているその音を聞いて母の表情はみるみる曇り 手をあげて不穏になっていったその人が終わって看護婦さんが「おのづさんのお母さんもこれからするんだけど おのづさんは見ないほうがいいんじゃない?」と言って来たので「いえ 父のときも毎日見てましたから全然平気ですよ」と言ったら「あら お父さんもうお亡くなりになってるの?」「もう8年前のことですねえ」とかお話になって私が父も母も看病してきたことを始めてその看護婦は知ったようだった母の吸引は口からだと歯をくいしばってチューブをちぎってしまうので鼻からだ私は婦長に言われていたから多分全身を抑えなければならないだろうと思い状態をみつつ母が手をあげてチューブをとろうとしたとき手を押さえた私は補佐をした形になったのだが吸引は父のときよりも長く奥に入れているようでとても痛そうで辛そうだった終わると 母は大きなげっぷを二回して私をにらみつけた私は「お母さんよく頑張ったね 辛かったね 痛かったね でもそれしないと肺炎になっちゃうから お父さん肺炎で死んじゃったの覚えてるでしょう?それは絶対さけないといけないから ごめんね」と何度も謝って身体をさすろうとするとものすごい力で跳ね除けられる多分母が今口を聞けたならこう言っただろう「おまえは実の娘のくせに母親がこんなに苦しんでいるのを助けようともせず看護婦の味方をして私の身体を押さえつけた なんてひどい娘だ」それが容易に思えてしまうから余計悲しかった今までさんざん言われてきた言葉だもの・・結局 母は吸引する前は調子もよかったが吸引後は怒って手がつけられない状態になり 私が誰だかもわからないような興奮状態になってしまったバスの時間はとっくに過ぎている でもこのままでは帰れないせめて母が穏やかになって眠るまでそばについていてあげよう吸引を怖がっているのは分かっているから 上から手を母の顔に近づけたり 身体にさわったりすることはやめた 懐かしい思い出話をたくさんして 泣いて抵抗していた母の目に目薬をさしてあげたそしたら 少し落ち着いたから 顔をマッサージしてあげた母の興奮は徐々におさまり やがて せん妄状態になっていったこうなったら もう何を話してもわかるまい私は帰宅することにした帰りに受付で婦長にあったので「歯磨きだけしましたが 吸引後せん妄状態です」とお伝えして病院を出た入院していればさ こういう辛い目にもあうでも 辛いけどしてもらうことで肺炎になる危険性は低下する在宅をしていればさ 吸引自体私は母がかわいそうで多分できないだろうだから往診の先生とか たまに吸引という形になるだろうし食べさせることも続けるだろうからすぐ肺炎になるだろうどっちが幸せなのだろうね入院にも在宅にもメリットデメリットがあるメリットだけの環境なんてないんだよもう少し 家から近かったら 週に2.3回は来れるのになあとふと思った亡き父のときは家のそばの病院だったから半年の間一日しか休まなかった看護婦さんが歯磨きするのを母は嫌がって抵抗するという私が食べさせたらきちんと歯磨きさせないと(食べる前にもしますが)危険性が高まるということだもう 私が誰だか分からなくなったら 食欲もなくなっていくかもしれないし味覚もわからなくなるだろうそれまでの間は できるだけおいしいものを食べさせてあげたいと思った明日法務局に電話して印紙があるなら午後に行こう 午前中は院長先生に母の生い立ちのレポートを作成して二つともポストにいれよう疲れちゃったので今日はこのへんで・・
2008年09月16日
一日一食が続いているので体力がありません途中で何回か起きてるのですが体力がないのでそのまま又寝ての繰り返し状態起きたら起きたで何か一つのことをしようとするのも身体を動かすことがおっくうで一時間くらいぼーーーっと居間で座っていたりしてよくない状態に戻ってしまいました月曜日にしか精神科の先生いないから 月曜に祝日とか入っていると困りますねえまあ どうしても気分がすぐれなかったら別の先生に診てもらってくださいと言われているから最悪はそうするけど 結局担当の先生に罪悪感の原因をお話しなきゃならないわけだし とりあえず後一週間頑張ってみるご霊前の袋を買いに行かなきゃいけないので 絶対今日外出しておかないと明日逗子へ行くのだから間に合わない頭では行かなきゃいけないの分かっているのに 行きたくないから ぐだぐだしている一時間後 おそばを食べて袋を買おうと思ってようやく外に出るおそば屋さんで 大福二個(紅白)をもらったああ 今日は敬老の日だったなあ・・二世帯住宅に一緒に住み始めて一年目両親ともども脚と腰が悪かったから 敬老会を催す会館まで車で送っていったことを今でも思い出す二年目父が危篤状態だったから 行かなかったような気がする 覚えてないもうすぐ命日だ三年目母がどうしても行きたいというので私は付き添いで敬老会の会館まで行ったことを覚えている四年目母は入院してしまったのでそれ以降は毎年お菓子とお茶とお酒が町内会の会長さんから渡された去年まではもらったお菓子を母に食べさせてあげられた母は大変喜んで食べていた今年の分は カステラだったこれはどうあがいてももうあげられない歳をとるということは 悲しいことだなって思うもちろん世の中には楽しく明るく年齢を重ねていける人もいるだろう私の場合は二人とも病気と戦っている姿しか見てこなかったのであれだけ現役のとき 真面目に働き家庭を大切にしてきた人なのにどうして 身体のあちこちが悪くなるのだろうと思う世の中には80になっても90になっても誰の世話にもならず おしゃれして毎日を謳歌している人たちがたくさんいると思うでも逆にそうではない人たちは歳をとるたびに悪くなっていく身体を痛感して悲しい思いをしているのではないのだろうか・・私は長生きしたいとは思わない子供もいないし 誰かの面倒にもなりたくないごめんなさい暗いブログになっちゃいましたね今の私の気持ちが暗いからどうかいても暗くなっちゃったのです早く頭を切り替えて 罪悪感を消し飛ばして又昔のようにいつものばりばり戦うおのづに戻らなきゃいけないって思いますでも 今は無理みたい明日は郵便局と逗子へ行ってきます少しは気がまぎれるといいなお母さんの調子が少しでもいいといいなプリンを持っていきます食べてくれますように^^
2008年09月15日
昨夜も夜中の4時に起きてしまって 結局6時半までおきていたで もう一度眠って11時に起き ネットで色々株の遺産相続関連を調べてため息をつき 疲れてしまったから4時から5時半まで寝て大河ドラマを見ました夜の10時 珍しい時間に電話でると 私の亡き父のいとこにあたる人のお母様が亡くなられたとのこと私には全く遠縁にあたる人なのだが本来なら もししっかりしている母がいるなら母に連絡がいくだろう父の兄弟全部にも電話したらしいけど 今生きているとすれば父は84歳その兄弟も80を越えた人ばかりだから 皆新潟まで行けないといったのでおのづちゃんも無理に来なくてもいいからねと 言ってくれただけど 父のお葬式にわざわざ新潟から来てくれた人なのでそのお母様が亡くなったなら私が行かなければいけないのじゃないだろうかと 葛藤する火曜日水曜日に 通夜と告別式を行うと言っていたが両方すでに私の予定はつまっていたしまあ そんなことはたいしたことではないけれどようするに私はその新潟の家に小学5年生のときに一度だけしか行ったことないのだもう 道も全くわからないわからないというと 新潟駅まで迎えに行ってもいいよと言ってくれたけど喪主がさあ・・一番忙しいのに 悲しいのに そんなことさせちゃだめじゃん;;確か 痴呆症状で長い間わずらっていたことも知ってる在宅に長い間介護していたのも知ってる最後はどこで亡くなったかは知らないけどね父の親戚は全部行かないとすると 新潟に行っても知ってる人誰もいないしかも私は方向音痴一人で新潟まで行けるかわからない><本当に申し訳ないけど 今の母の現状をお話してお香典だけ贈らせてもらうことにした父のいとこの母親だから 100歳近いんじゃないのかなあでもさ 何歳だろうと 誰であろうと死ぬっていうのは 慣れないもんなんだよね私は多分その人に会ったことすらないけれど少しでも血のつながりのある人だから やっぱりそれは悲しいお香典をいくら包んでいいやら困ったので 父のお葬式の資料を探した父が几帳面だったため 父の母(祖母)のときもだれだれいくら と書いたものが残っていたから 私もそのようにしたのだ探しているうちに場所が分からなくなり あちこち扉を開けてみると父の筆跡の古い手帳が見つかった父がヘルニアの手術をしたときのものだった私がまだ中学生くらいだったかな家族には絶対不安な様子を見せず いつも自信に満ち溢れていた父だったのに手帳を見るとまるで違っていた「再び歩けるようになるのか」「これだけ休んで職場に戻れるのか」「治るとしたらどの程度のものなのか」「手術したら何年もつのか」不安なことが もっとたくさん書いてあった父は立派な大黒柱だったから 決してそのようなそぶりを見せたことがないでも 心の中では不安で一杯で孤独に戦っていたのだねそれが 大人なんだなって思った男だからとか 女だからとか そんなの関係ない私は弱いすぐショックを受ける 顔に出る 動揺する私の足の指はね 珍しいタイプで 親指より人差し指の方がものすごく長いのだこれは親を超えるって言われる足なのだが私には一生父も母も超えることはできないと思う母が逗子へ入院して精神的に非常に正常に近かった頃 よく私に言ったものだ「おのづさん 強くならなきゃだめよ もっともっと強くなりなさい」何度も言われたそのとき 強くなるってどういうこと?って思って 今も答えはでてこない人から意地悪されたり 暴言はかれても「ふん!」って態度を示してなんとも思わないようにすることなのかな?って思ってた実際母はそういう人だったから家の中(身内)に対しては完璧な母親であったが外に向かっては社交性がなく対人関係が悪く 村八分にされたりもしたが それでも平然としていた強くなれどういう強さだろう何が起こっても 動揺せず どんと構えて 戦う姿勢を示すことなのだろうか・・分からない何年たっても 答えは分からないでも分かってる 自分は弱いってことはね今日はデパスを飲まずにすんだひとしきり 父の遺品にふれ 色々思い出したり 泣いたりもした明日 ご霊前の袋を買ってこなきゃな・・で 火曜日に 逗子行く前に郵便局行って送ってもらおうそんな 何だか悲しい一日でした
2008年09月14日
昨日は疲れていたので 夜中の一時過ぎに寝ましたが 朝は10時に起きました(子育て中の主婦の皆様大変申し訳ありません だらけた生活をしております)さっそく起きて 今日は何をしようと考えます休日は うちの近所は家族連れで皆どこかへ出かけるため渋滞がひどく外出する気にもなれません以前は 別にあまり思いませんでしたが離婚して 母がもうすぐ長くないことを知ってる私は幸福そうな家族連れがいる街に行きたくないと強く思うように変わっていったのです平日なら 一人でどこへでも出かけられます休日だけ 私は家族が欲しいのだなと思いましたというわけで家にいることは変わりがないので鉛筆で書いていた成年後見制度の書類をボールペンで清書します 印鑑も押しましたついでに 50万引き出した詳細も書き10月に引き落としされる車の保険の手続きも書きエレベータの申込書も記入して ポストに投函してきました6時間くらいかかったかなあ・・ずっと頭を使ってやってたので疲れを感じ 少しだけ仮眠起きると気分が暗く 今日もデパスを飲んでしまいました裁判所に提出するときの株の配当金の部分 これが心配で・・事前に裁判所に電話して聞いておいたほうがいいのだろうか・・それとも司法書士の人に言ったほうがいいのだろうか・・でも この間の司法書士の人には無料で相談に乗ってもらったから 悪くてもうできないそういうストレスがぐるぐる回り とうとう お腹が痛み出して 壊れてしまいました私の場合は 強いストレスがかかると だいたいそれから3日後くらいに壊れます要するに 司法書士にあったあとから父の遺産のことで発生し他にも色々問題がおき お腹が耐え切れなくなったのですしょうがない お薬をもう一度飲もうそのほかには 嬉しい事もありましたずっとNYにいたお友達が日本に帰ってきたのです仙台に引越ししてきたとありましたが 休職中に 一度会いに行こうと思ってますやっぱり学生時代の友達はいいですね^^電話で少しお話しましたが 嬉しかったです^^ふー あとは 必要な書類のコピーをとり東京法務局へ行けばいいだけかな?あ 院長先生からの診断書もあるか体調がよければ 火曜日に逗子へ行き 水曜日に法務局へ行こうと思ってますコピーは 提出する直前の預金通帳が欲しいらしいので 診断書が出来次第取りにいくつもりですやることは 一応やったので明日 明後日は おやすみです家にいれば デパス飲んじゃうだろうからお腹の具合見て どこか行こうかなあまあ そんな一日でした
2008年09月13日
昨日ほとんど寝れなかったので今日はぐっすり寝れました^^最近朝晩冷え込みがありますねえ栃木県でしたっけ?初霜があったそうで・・もう秋 いあ 冬?^^;今日は特別やることはないずーーっと動いてたからお休みにしようんーー でも 朝ご飯作る気力がない・・外に何か買いに行くならついでに通帳記入しておこうというわけで成年後見制度に提出する通帳は最新のものを提出せよとのことなので面倒でしたが再度記入しに行くことにしたまず 手打ちそばがおいしいところで 私の大好物の冷やしたぬきそばを食べました食欲のないときは これに限るでも 本当に食欲ないので 半分食べたところで いっぱいになっちゃった・・貧乏性なので 根性で食べる・・うう 苦しい・・で 銀行と郵便局両方の通帳記入を終わって通帳を見てみるとなにやら問題点が・・まず郵便局 去年まで支払っていた市民税が今年になって一度も引き落とされてない・・なんでじゃ・・わからん・・母の分は 遺族年金が大半をしめるので 年金が少々で医療費もかからないことから 確定申告は今後しなくてよし と税務署に言われているので 別にどこも変わったところがないのに不思議よのーと思うまあ しらんがな次 銀行の通帳以前の日記に書いたけど 母が父の名義の株を全部遺産でもらっているのだが 実際管理してるのは私で 今度電子化になることから 字がかけない母の株はどうしたらいいかと思って株の会社に電話して聞いたのだそしたら生前贈与なさったらいいとのことこのときには成年後見制度とるつもりはなかったので どっちにしろ株に無関心の私は 誰の名義でもいいのだが字が書けないということは株の会社に対しても私にしても困るのであるで 母が字がかけないので私に相続するとかいう書類は作成できませんけどと尋ねたのだが「いりません はっきり申し上げまして 変な話ですけど道を歩いていたら株券が落ちていたとしましょう そこでその人が警察に届けず自分で名前を書いてしまったらその人のものになってしまうのです それが株です」と言われたのだおそろしーで 今後のこともあるので全部私の名義にしたのだけど してから すぐ この成年後見制度の話がでたため 通帳にまだ母宛に株の配当金が振り込まれているのだ(しばらくかかりますと言われてた)さーて どうしたものかなこれ 裁判所にどういえばいいんだろうもし株券持ってたとしたらね 財産目録のところに株券のコピーをのせるんですでも 私の名義になってますよねで その日にちを見ると最近(てか7月位だったと思う・・)これを見て 裁判所では私が後見人としてふさわしくないと思うのでしょうかねで もちろん私名義にしたので 今後は私の預金に振り込んでくださいとお願いもしたのだつまり 私の名義になってるけど実は母のもの という言い訳は通用しないのであるまあ 考えてもしょうがない わかんないもんわかんなくって 困ったから株の会社に電話して こうしたらと言われたからしたんだもんそんで もし裁判官が 母の名義に戻すように と言うなら 又戻すよそれでいいかなあ名義は戻さずとも 配当金だけ母の通帳に振り込むということもできるどっちにしたって もう字がかけないんだから しょうがないんだよ・・あーあ 通帳記入に行ってしまったために また問題が発生してしまったどうでもいいや 裁判官の指示に従おうただ 後見人からはずされるのだけは 勘弁してほしい実際やってるのは私なのだからね今日は 家にいると デパスを飲んじゃうのが嫌だったから気晴らしにあちこち行ってきました大変疲れたけれど 飲まなかったからよしとしましょう^^それに 一日二回に胃腸の薬を変えたら調子がいい家に帰ってきたら昨日の水道屋さんから留守電が入っていた部品の注文がどうしても一ヶ月かかると言われたそうなので しばらく我慢してくださいとのこと破裂しなきゃいいだけの話だから 多分大丈夫だろうぽたぽたは してるけどね^^;明日からは世間では三連休だ皆様方はどこかへお出かけかな?私は多分 駅近辺大変混みあうこと予想されるので 家でゆっくり休みつつ書類の作成でもしていましょうでは 今日はこのへんで^^
2008年09月12日
はい おはようございます当たり前のように夜中の2時には起きました 2時間しか寝ておりませんもちろんマイスリー0.25グラム飲みましたよ 目はぱっちりです^^;起きてしまったからには ぼーっと朝まで待っててもしょうがないので横須賀家庭裁判所に提出する申請書を作成しようと頑張ってみました確かに昨日の日記では 記入欄が少ないので楽そうだと思ったのだけど財産目録の部分では市川の数倍細かかったですねえ・・これには苦労しました例えば市川では 預金が1.321.159円あったとしましょうでも端数は切り捨てて記入していいのです ので だいたいで130万と記入しますところが横須賀は端数まで記入しなきゃいけないしさらに土地建物の平米数まで書かなければいけませんでした;;まあ 謄本あるので 分かってはいることなんですけど なにせ細かい字でずらずら書いていくから目が痛くなるし手も痛い・・結局6時半を迎えて カードで引き出した50万分の別紙以外は作成終わりました今日は朝10時から水道屋さんがくる予定さて どうしたものか・・ 書類と格闘したので疲れている本当は眠い でも ぴりぴりしてて眠れない2時間だけ仮眠を取りましたさて やってきた水道屋さんなんですが とてもいい人でしたこの間の司法書士の方と同じタイプで 必要経費以外はとりたくないし 無駄に大きな工事をしてお金をとるよりも 直せる部分だけ直してできれば全部とっかえするのを引き伸ばしたいと考えるタイプ しかも 部品代だけで手数料はほとんどいらないっていう方でしたうれしいなあ^^何だか最近いい人にめぐり合う確立が増えてきたよ^^今まで悪い人ばかりだったから余計に嬉しかったで ですね・・問題の水漏れなのですが・・水道屋さん 見てびっくり「何でこんな会社使ってるんだ?」とのことまあですね 以前の昔の日記にも書いたのですが 実は家を建てた直後建築会社は倒産してしまいその後メンテナンスもくそもへったくれもありませんでしたそのことを話すと「ああ よくあるパターンだね 基礎はしっかりできてるけどあとの内装とかが手抜きになっちゃうタイプだねえ」とのこと以前 欠陥住宅だと思ってしまい大工に頼んで基礎を見てもらったことがあったので基礎はしっかりしていることは分かっていましたが やはりあちこち不備が見られるので そうだったのか・・と愕然・・私の家の水道関係はほとんどがフットスイッチを使っています(TOTO)ので 大抵の家は台所全部がTOTOでできているケースが多いのですが うちは違ってますそう 最初フットスイッチを取り付ける予定がなかったところを友人が新築したとき使っていたのでそれを使わせてもらい衝撃を受けて我が家も無理やりとりつけてもらったのですまあ 違法ではありませんので心配はいらないのですが問題は蛇口のメーカーですMYMというバブル期に急成長した会社がだしていた蛇口専門会社なのですが デザインがいいということで多くの建築会社が注文したそうです が 耐久性があまりにひどく 倒産してしまったようで・・そこの会社の蛇口を我が家は使っていたのでした水道屋さんに聞いてみると このMYMの蛇口のタイプは早ければ2年で金具にひびが入りそこから水が噴水のようにじゃーじゃー流れるとのこと・・ひええええ 危なかった・・ 我が家は9年目・・よくここまで持ったなあ;;私はものすごく不安に感じたので全部とっかえてほしいと言いましたが 「いや お金はできるだけかけないようにしましょう ちょっとがんばってあちこちいじってみます それでもだめなようなら考えましょう」と言ってくれ大変な作業が始まりました水道屋さんは「よく今まで壊れなかったね 留守のときとか日曜日とかに壊れたらどこの水道屋さんも対応してくれないから下手したら階下まで水がいって土台が腐っちゃってたところだったんだよ」と言いましたますます 恐ろしい・・・私は全部とっかえてほしかった;;そんな恐ろしい蛇口は嫌じゃあああ;;今回だって横須賀に何日も泊まっていたし もしそのとき蛇口が破裂していたら・・考えただけで恐ろしいです・・水道屋さんは細かく水漏れぽたぽたの原因を一つずつ確認していき 部品を取り出しては私に見せます そしてきちんと説明してくれましたどの部品も 中身はぼろぼろ 金属がくさってる状態で 私は浄水器をつけているのですが原水で流したら金属の破片がたくさんでてきました一箇所目 だめ二箇所目 だめ三箇所目 だめ四箇所目 もう蛇口の上の部分を取り替えるという判断を下し ドリルで穴をあけて大工工事ですしかも 水道の下の部分(台所の扉の中)の金属に緑青が発生していて これもおかしいと憤慨していました雑巾を何枚か用意してくれと言われ 3枚差し出しましたが 水道屋さんが帰った後見ると 黒いもの白いもの金属のものたくさんの不純物がついてました・・こんな水を飲んでいたのか・・結局2時間かかって蛇口の部分は変えたのだけど ぽたぽたは治りませんでしたということは さらにその下の部分 緑青が発生している部分に問題があるだろうということで 次回部品を取り寄せたら工事することになりました浄水器も2001年に購入したものでしたが 2年くらいたって交換ランプがつかなかったので放置していたというと「ちょっと水を飲ませて味をみてみましょう」と言い「こりゃだめだ」と言われましたまあ そうだよね ずっと交換してないもん・・トーレの高級な浄水器(グレードがあってHG)のほうがまだましだよって言われて それもつけてもらうことにしましたもう我が家では大工仕事してくれる人はいませんので全部やってもらったほうが私も助かります結局フットスイッチ使っているほかの3箇所も同じ危険性があるから 私は心配してそちらも直して欲しいと頼んだのですが 使用頻度によって痛み具合が違うから ぽたぽたとたれてきたら交換しましょう それまで使ってください 交換が嫌なら フットスイッチを今後使わないことです と言われた本当に商売っけがない人なんだねえ普通だったら大喜びして全部取り替えるだろうに・・トーレのトレビーノは今手持ちにないので次の仕事が入っているからその後ホームセンターで購入してもってくるよと言ってくれました私は取り付けもしてください と頼んだら いいですよと二つ返事何だかいい人だなあ私はこの間バーゲンで買ったはいいけれどサイズが合わず着れなかった洋服をお嬢さんと奥様にどうぞとあげることにした水道屋さんも喜んでくれた よかった^^2時半に再び水道屋さんがきて 取り付けてもらったが やはりぽたぽたは収まらなかったので部品を発注することにきめた今後母の状態遺憾では逗子に泊まりこみになる可能性もある私が留守にしている間に破裂でもしたら大変だからねそれに これは成年後見制度にも乗せられるものだから安心していたトレビーノに関しては私個人が使うものだから領収書は書いてもらわなかったトレビーノもホームセンターまでわざわざ車で行ってこちらまで持ってきてもらったわけだし 工事費もあるから 上乗せしてくださいと頼んだのだけど「はっきりいって 取り付けなんか誰だってできることなんだから いらないよ どうしてもっていうなら そうだなあ ガソリン代分として500円くらいもらおうか」などというのでそれじゃああれだからと もう少し色をつけてお渡ししたでも そのときもはっきりと「誰でもできる作業代をもらうのは性にあわんのです いただけません」と言い またしても減らされてしまった;;でもいい人と繋がりができた^^これで何かあったときすぐ対応してくれるし低料金だから安心だ^^何でも屋みたいなところもあるので 家の間取りくらいなら書けると言うから ためしに天窓があって夏場42度なので何とかならないでしょうか それに雨漏りもしてるらしいのですが・・と言ったら実際にどこを雨漏りしているか暴風雨のときだけならホースを屋根まで伸ばして 思いっきり水かけて漏れてる所にシートをはるとか あるいは 暑いなら赤外線シートを貼るといいと思いますよ と言われたのだけど そしたら冬場は寒いですよね?と聞いたら 寒いねえ と言われ どうしようと悩んだのだけど「じゃあ 自分が一番良いと思う方法を考えておきますよ」と言ってくれた本当に助かった家を建てて9年目 倒産した建築会社の保障は10年だったけど実際は使えない法律では千葉県の建築会社はそれを肩代わりして無料で保障できるのは知っているが 自分で作った家ではないし無料で直さないといけないからどこも断るのだ成年後見制度が取れたら 母のためにこの家を守らなければならない水浸しにしてしまって資産価値が減ってはいけないのだ良かったなんか知らないけど 忙しいけれど成年後見制度本当に必要かしらと思ったが やっぱり必要な時期に迫られていたのだなと感じた3時半に水道屋さんは帰っていった 部品が入ったら留守電に入れてくれるとのこと(私は日中ほとんどいないので・・)そしたら工事の日取りを決めればいいだけですなんか 急に動き出して忙しいよまあ 前からおかしいなと思っていた家の部分をほったらかしにしてきた私が悪いのだが もう私が管理する番になったのだなと痛感した相変わらず気分は暗く 今日本当は水道屋さんが午前中に終わったら午後どこかへ気晴らしに行こうかとも思ったけど2時半に再び来られてしまったので外出は諦めた昨日に引き続きデパスを飲んだ飲めば落ち着くのだが 寝てないので 目がしょぼしょぼしてるし身体がきつい依存症になってはいけないのだからこれ以上の薬を飲んではいけないことは分かっているけれど 一体いつになったら寝れるのかなあ・・もう 毎日2時間睡眠っていやだよお・・
2008年09月11日
本日は総合警備会社の人が定期検診に16時にやってきますなので 今日は外出禁止忙しかったので散らかっていた部屋の掃除と 警報機が設置してある場所のお掃除ですはああ 疲れたそれから 前の会社に電話して事情を説明して何とか成年後見制度を取り終えるまで在籍としてくれないかと頼んでみたら「そういうことなら何でも協力いたします 遠慮せずもっと必要なことがありましたらおっしゃってください」と言われた 切れ者の女性の人だ 嬉しかったそこで 初めて私は横須賀家庭裁判所から送られてきた書類を見てみた市川で出すものだとばかり思っていたので見てなかったのだ比べてみて一目瞭然だが 横須賀のほうが全然審査が甘いこれは ある意味ラッキーなのかも?そこで はっと気がついて 院長先生に診断書を書いてもらうために提出した書類が市川のものだから横須賀と書式が違うので変更せねば!と思って急いで逗子の病院へ電話すると まだ書いてなかったようで^^;よかったw 来週持って行きますとお伝えして電話を切ったで 心配だったのが 母の通帳のコピー司法書士の人は全部のページをコピーしてください と言っていたのだけど母の預金を見ると平成16年からある・・・もちろん そのときは 母と私は別の財布に分けて母に使った分だけ引き出していたのだけど いかんせんカードで引き出して 面倒くさがりの私は一回に何十万も下ろしては数ヶ月使うという怠けたやり方をしていたのだ2年前に離婚してからは私の生活費も少々含まれているので引き出す回数も金額も増えてきている・・ これ全部 別の用紙に 何々に使いましたと書いたら 自分に使ったってばれちゃうよなあと思ってすごく困る・・で 横須賀の裁判所に電話してみた担当の人に変わって貰い 預金のページのコピーが必要だと伺ったのですが全部必要ですか?と聞いてみると できれば全部必要ですけど と言われたので「あの16年からの分全部ですか・・・?」と言ったら「う 16年からの分まであるんですか・・ じゃあ 最終ページだけでいいですよ」「それが 繰越をしてしまい 一番新しいのは一行しかないんですけど・・」「でしたら 新しい通帳の1ページと 繰り越す前の1ページだけでいいです」やったー^^それなら カードで引き出したのは 母が手術をするだろうと思って引き出した50万だけだ良かった 16年からの分全部かけっていわれたら 多分一週間くらいかかっちゃうだろうし 後見人からはずされる危険性もあるので大変助かった50万引き出したのにはわけがある この日記にも書いたけど以前順天堂大学病院に入院していたころ2週間で48万かかったからだなので 使った分と まだ 残ってる分と書けばいいさらに裁判所の人に聞いてみたら 船橋から毎日通えなかったのでと言ったら「ああ ホテルをとられたのですね?いいですよ その分も記載してください」とあっさりお許しがでたのだなんか 感じいいなあ^^市川と大違いさらに 市川では提出する書類の中に私の身分証明書というのを出せとあったが 横須賀では必要なく もっというと東京法務局に出向いて後見人になっているかの確認の書類が 市川では母と私と二通いるところを 横須賀は私の分だけでいいということになっている私は せっかく身分証明書をとってしまったので それも持って行きますね といったら いいですよ と言ってくれたあとは 市川に書いたように横須賀の書式に書いていけばいいそれと50万の詳細と 東京法務局へ行って後見人になってないという証明書院長先生からの診断書がそろえば提出だ横須賀のその電話にでた担当の人も「本当に2回も市川で断られたのですか?」と何度も聞いてきた やっぱりおかしなようだ でもまあ 司法書士の先生もおっしゃられていたように心象が悪いから横須賀にしたいと言ったら いいですよ と答えてくれたその後新聞のチラシを見ていたら水道修理のチラシが入っていた何でも 他で頼むと出張料金で倍とられるから うちで頼めば半額で済みますとのこと実は半年ほど前から 台所の水道のゴムパッキンが多分いかれていると思うのだが ぽたぽたと水がたれるのである我が家はフットスイッチというものを使っており 足で踏むとお水がでて 再度踏むとお水がとまるのであるこれは いわゆる洗濯機と同じしくみであって 大抵の家庭は水の蛇口をあけっぱなしにしていると思うのだけどそうするとそのパッキンがやられて水漏れを起こすのであるフットスイッチで出たり止まったりしているということは蛇口が常に開放状態で無理やりとめているから痛みも早いのだ電話したら 今緊急の注文があっていつ終わるかわからないとのこと 何でも上層マンションの上から滝のように水漏れが発生して下に流れていっているから大変だと言っていたそりゃ大変だ我が家は ぽたぽたと 半年もほったらかしにしていたのだし 急いでないから いつでもいいですよと言うと「現場に行ってみてすぐ終わるようなら五時半ごろそちらに行きます 無理そうなら明日の午前中うかがいますね」と言うことで 現在こなかったことから明日の10時に来るようである次にエレベータの点検も考えた母の収入と支出を書かなければ成年後見制度は成り立たないわけなのだがなにしろ 我が家を建てた直後に建築会社は倒産してしまったので エレベータの点検など一度もしたことがないのだ普通はするようだ 数年に何回かチラシと名刺が入っていたのだけど家を建てて一年後に父が入院してしまい二年後には亡くなったりしてたので 本来なら父が契約を結んでおかなければいけなかった契約が今までほっとかれたのだった家を建てて9年目 いい加減一度は点検しないといけないよね・・エレベータだもん 乗って途中でとまったら いやだしね・・いやだしねっていったって 私は家に一人で住んでいるからかけつけた救助隊の人だって鍵がしまってりゃ入れないしね・・ それって命にかかわるよね・・というわけで ポストに入っていた名刺に電話してみた聞いてみるとやはり契約はしてないようだったが 普通点検はしてほしいとのことそりゃそうだで 現在は母が建物の所有者であり 難病で字がかけないから代わりに私が書いてもよいかと聞いたらいいと言ってくれた郵送で説明書と申込書を送るのでそれでよかったらサインしてくださいとのこと年額5万かかるがいたし方ないことなのだもし この契約をしてない場合 緊急に故障して中に閉じ込められても応対できないらしいからねで3時になった4時まで一時間 何だか知らないけどどんどん心が暗くなっていくのが分かる実は朝起きてからこうやってあちこちに電話したり手続きをしたりしてる間も暗くなっていったのがわかっていた昨日は我慢したけれど デパスを一錠飲んだ原因は分かっている 罪悪感とストレスだ司法書士にお願いしたらもう私が手続きをすることは一切ないので あとは結果を待てばいいだけというお金はかかるが楽な作業なところを 自分一人で申請しなければならない場合あちこちへ行き必要なものをそろえ コピーをとり 横須賀まで行く それらを全部しなければいけなくなったストレスがかかってしまったことそれと 私名義の母の預金を使うことに罪悪感を覚えてしまったのだ多分ね 普通の人だったら 本来なら父が亡くなったときに半分ずつにわけるはずの遺産をほんの一部分自分の名義にしておいて全部母のものとしたとしてもだよ自分が 生活に困り 自分の名義にしてある預金があって助かった よし これを今後使っていこうと あっさり切り替えるだろうまあ 元々半分ずつにわけるものなのだから 全く罪悪感を感じない人もいるかもしれないでも 私は母に約束をしてしまったから「これはお母さんのお金だからね お母さんの好きにしていいからね」と言ってしまったことがあるので 母には黙ってそのお金を自分のために使うのが悪いと思ってしまうのだ本当に融通が利かないというか頑固というか・・私は別にブランドものに興味はない 事実持っているのは冠婚葬祭用のクリスチャンディオールの黒のバッグ一個のみである後はスーパーとかユニクロのバーゲンのときだけだから無駄遣いするつもりもないけれど 又 以前と同じように 喫茶店でアイスココアを飲むことにすら罪悪感を感じてストレスを発生させてしまうのではないかと危惧しているのである先生はできるだけストレスをためないようにと言っているのに 大好きな喫茶店ももういけないのかと思うと 何だかもう外出して何かしら出費がかかるのさえ悪く感じて ひきこもりになりそうな勢いである 家にいればお金は使わないからね・・時間がたてば 解決するのかなあ頭では分かってる それを使わなければ私は生活保護対象になるってことくらいね父の遺産のほんの一部分だけ 全部じゃないのだから そんなに悪く思わなくたっていいってのも分かってる でも心が許せないのだまあ デパスを飲んだおかげで少し心が軽くなってきたところへ総合警備の人がきた一時間ほどかけて全ての電池を入れ替え無事に作動するか確認していったそこで 一つ確認してもらいたいことがあった私の住んでいるところは泥棒多発地帯なのである現に一度入られそうになった 未遂に終わったが現在一人で住んでいるため家にいるときでも在宅オンラインをつけ(玄関を開けると警報が鳴る)チェーンロックをかけているのだ表玄関がそれだから 万が一私が倒れたり泥棒が侵入したり火事が起きた場合 もちろん警報はなり総合警備のガードマンがかけつける しかし合鍵は持っていてもチェーンロックがかかっているため中に入れないのだ(以前二回火災誤作動があったときガードマンは入れず玄関先でうろうろしていた)なので 裏口の鍵を持っているのか確認してもらいたかった裏口は違う種類の鍵を二個つけているのだけどチェーンロックはかけてない 万が一入れない場合こちらから入ってもらわないと困るのだ確認したところ 鍵は一つしかないとのことやっぱり・・ じゃあ合鍵を作って渡さないといけないが なにせ総合警備が探してきた特殊な鍵屋さんにお願いしたから普通の鍵屋では合鍵が作れない・・とりあえず 一度行ったことのある すんごくとーーーーーい所(歩いて40分)まで行って作ってくるか・・ 無理だったら 鍵渡してどっかで作ってきてもらいたい・・私は忙しいし体調もよくないからね・・てな具合になった全て終わったのが5時半だったかな・・しばらく疲れてしまって横になっていた 大好きな漫画を読んでいても気が晴れないテレビも見たくない 食欲もないあーあ また 悪い状況になっちゃったこの原因は 私名義の預金通帳を使うということ これだけなんでこう もっと安易に「お父さんが私のために残してくれたものだから使えばいいんだ」と割り切れないのだろう・・馬鹿じゃなかろうかねえ・・先週からもう毎日ずっと動き詰めである明日の朝 水道修理にきてもらったら 少し休みますどうせ急いでも 院長先生の診断書ができないうちは動けないし まだ書類をお渡ししてないしね・・ゆっくりやってきます・・
2008年09月10日
夜の8時半に帰宅です・・ふらふらなので簡単に書きますね落ち込んでいます・・ 珍しく どつぼにはまってます・・理由は よくわかりません今日は早めに逗子入り と思うも 昨日から又薬が減量されたからお腹が不安定・・何度もトイレに行く・・もうさあ・・ 毎回月曜日にお薬変わって次の日無理やり逗子でしょ?で 体調悪いからトイレが近くて絶対座れるグリーン車になるわけじゃない?火曜日に逗子いくのやめようかな・・水曜日にしようかと 本気で悩みました木曜日は 母がまだ元気だったころ 隣に併設されているデイケアでお遊戯などをしているので行っても会うことはできませんでした 今はどうだかわかりませんけどねなので 水曜日か金曜日のどっちかに変更しようと思ってます母は今日は調子が良かったです部屋へ行くとあまり仲の良くない看護婦さんが母にお薬を胃婁に入れているところでしたちなみにこの看護婦さんは 母が娘が雨の日にこなくてもいいよと連絡してほしいと一回頼んだことに腹をたて(母は公衆電話の使い方を知りませんので)私に鬼のように「30円請求しますよ!」と言ったのである3万円くらい電話してきたのなら 怒るのも分かるけど30円で怒鳴られるってどうよ・・もちろん私は母に不自由させない程度の小銭(紙幣は使わず千円くらい)はベッドの脇の机に入れてありましたので「今度から必要ならそこからとってください」と私も言い返したのだまあ そんなわけで私は挨拶程度で交わし終え母の横に行く すると母「きゅうりとトマト食べたい」と言う あらあら 今日はよくしゃべれるね^^「お母さんきゅうり食べたいのー?トマトのほうが大好きなくせにねえw」すると看護婦さんも「○○さんトマトが好きなのね」などとあわせるまあ それ以上会話もしたくなかったので私は母の顔のお手入れをする母 うっとりして気持ちよさそう こういうときはせん妄状態じゃないんだよね割としっかりしている証拠だ看護婦さんがいなくなり 私は母には分かるまいとは思ったけど言ってみた「ねえ お母さん」 母ふりむく「昨日ね 会社から電話きて 首になっちゃったの お母さんの横須賀病院にずっとつきそってたの覚えているでしょう?」「うん」「一ヶ月休んだら もういらないってさw これからどうしようかねえ・・」それから しばらく母目をつぶり眠っているようだった私は司法書士に会わないといけないから もうそろそろ帰らねばならない「お母さん 私今日司法書士と会わなきゃいけないから もう行くね 流山なの 遠いのよ」「来週になったら・・」「うん?」「来週の今日になったら 仕事が決まってるわよ」「あははw 心配してくれたの?ありがとう^^ でもね 今身体壊れちゃったから ドクターストップがかかってて働けないの 先に身体治しちゃわないとね」「そうだね」そうして私は病院を出た診断書はまだ出来てなかった今日は何だかきちんとお話できて嬉しかったなあでも だからと言って 正常な母だとは思わない思おうとするから 私は傷つくのだ 今日はたまたま良い状態だっただけ そう思うことにした逗子から 流山に行くまで乗換えを何度かしないといけない18:30に事務所で一時間くらいお話しましょうということだったからお薬の関係上先に食事を済ませて飲む すると 今日一番の良いうんうんがでた(お食事中の方大変すみませぬ・・)一本きれいに するってでたときって 本当に気持ちよいよねえ^^(たびたびすみませぬ)結局乗り継ぎの関係で18:10に事務所についてしまった流山はあまり発展してない駅なので 時間つぶしの喫茶店はないしスーパーすらない・・しかたがないので事務所で待たせてもらおうと思い事務所に行く中に招いてくれたのはまだ若い(23歳くらい?)下っ端(失礼か)のような人だったマンションの一室なので玄関に大きな机が置いてありそこで待つように言われ サービスにペットボトルのお茶をくれた全くまたずに社長が来た私は電話に出た××さんだとばかり思っていたのでまさか社長が対応するとは思わなかったのでびっくりした私は言われたとおりに持って来た大量の書類を(本当に5キロはあったな・・)机の上にどんどん並べていった社長は目を通しながら 後見人としては大丈夫そうだ だけど 生前贈与の話はどうしてしたいのですか?と聞いてきた実は昨日急遽首になったこと 自分の身体が壊れてドクターストップがかかっており生活費がないこと を告げたすると社長はうなりだした「そうですか・・ 後見人として書類を申請するときは無職の場合は難しいです それに預金は全くないのですか?身体が治ったら又働きにでられるのですか?」「難しいのですか・・ では 明日もう一度会社に電話して成年後見制度が取れるまで籍を置いてもらうように頼んでみます だめなら仕方ありませんが・・ 預金はしばらくはありますが 離婚したときに一切合財お金がなくなりましたから わずかしかありません 身体はいつ治るか分かりませんが治れば働くつもりです しかし やはり第一に母のお見舞いや手続きが優先ですから正社員としてフルに働くことはできません となるとどうしても公共料金で全部の給料がとんでしまうので生活できなくなってしまうのです」「そうですね 会社に連絡してみてください それと 今現在生活ができないと言われても成年後見制度を取ってしまえば生前贈与はできません」「それは相反する行為だからですよね そのために後見管理人という人を置くのではないのですか?」「後見管理人という人も 本来は被後見人の財産を守る立場の人ですから 被後見人の財産を減らすような行為を後見人がしようとしたら止める権利を持っており 成り立ちません」む ということは やはり この間ネットで探したような闇の業者のようなところへ行かないとだめってことなのか・・やたら高い入会金や年会費を払わなければできないということなのだね?「後見人としてのみなら この仕事はお受けできますが 生前贈与と一緒に申し立てても 絶対後見人を拒否されます」「そうですか・・」私は そんな気もしてたんだ前の司法書士もそんなこと言っていたし 闇の業者はばか高い金額を要求してくるだから 私は最後の切り札を握っていたのだった社長さんは ぱらぱらと私が書いた申請書に目を通して 財産の部分の「?」のところに気がついた「これは 何ですか?」「・・・・実は・・ 私は母の財産の一部を私の名義にして持っているものがあります」「え?」「父が亡くなったとき 普通母と娘と半分ずつ分けるのがセオリーですが そのとき母は精神的に正常ではなかったため全部の財産を自分名義にすると言ったのです 私は当時結婚してましたからそれでも良いと思って母の名義にしてあげたのですが 今の銀行は1千万までが限度額ですよね それを超える分を現金化して他の銀行へ持っていくことが私はとても嫌だったのです 危険ですから それでその当時の支店長と母と私とで相談して 超えた分は私の名義にするけれども母のものだから好きなように使っていいからねと言って 私はずっと母の金庫に預金通帳を入れたままにしていたのです 中を見てくだされば分かります 一度も出し入れしていませんから」「そうでしたか・・」それで 又社長は うなりだしてしまった「それは何か記帳されてますか?例えば謄本(土地)とかに現金は全部母のものとし 名義は娘のものだが母のものだとか」「そういう覚えはありません」「司法書士をそのときお使いになりましたか?」「ええ 使いましたが 何ですか?あの隠し子がいないかどうか戸籍をどんどんさかのぼって探していくやつありますよね あれだけです ですから 実際に法務局 税務署 銀行へ行ったのは私と母のみです」社長は 長い間 うなっていた私はもしかしたらと思って聞いてみた「ひょっとして 私がこの私名義の通帳を社長さんに知らせてしまったことで 社長さんは悩んでいらっしゃるのですね? 聞いてしまったからには母の財産として記入しなければいけませんものね?」「おっしゃるとおりです・・ 私は嘘がつけない人間で というか司法書士は嘘をついてはいけない もし あなたがその通帳を黙っていてくれたなら私はこの仕事を引き受けたでしょう」「すみません 私も言っていいものか悩んだのですが 嘘が大嫌いなもので・・ご迷惑おかけしました」「いえ 言ってくれて嬉しかったです 普通皆さん言いませんもの ありがとうございます」「じゃあ 私はどうしたらいいでしょうね・・ 社長さんは嘘がつけないから母の財産として記入しますよね そして生前贈与もだめ 私の身体が治らなかったら私は生活保護を受ければいいですか?」「いや こうしましょう 私はこの仕事を引き受けません あなたご自身で申請してください その代わり その実際はお母さんの通帳のあなた名義のものは書かず お父さんからの遺産として受け取ってあげてください」何だか 泣けてきた私は 単に現金を持ち歩きたくなかっただけで自分の名義で通帳を作ったのだが ひょっとして亡き父がこうなることを分かっていて私にそうさせたのかもしれないと・・「分かりました;;本当はそんな知恵を私に授けることすらいけない行為かもしれないのに こうやってご相談に乗っていただき 私が今後も生活できる方法を教えてくれましたことに感謝します;; 父の遺産は贅沢を決してせず必要なものだけに使っていきます;;」「是非 そうしてあげてください」私は泣いてしまった;;その後も 申請書で私がへんなことを書いてる部分をこう治すようにとか 市川でやられるより横須賀でやったほうがいいだろうとも教えてくれました(今は住所がある場所ではなく入院している場所でやることが多いようです)そして一度では絶対すまないこと 何度も郵便でやりとりして不明な部分を明確にしていく作業が今後待っていること 又担当書記官によってはあっさり通してくれる人もいれば こと細かに追求してくる人もいるので良い人にあたるといいですね と言ってくれた結局1時間半近く相談に乗ってくれた私はもちろん相談料を払うつもりでいた それが司法書士のお仕事だからでも社長さんは 頑固なほど受け取ってくれなかった「お願いですから 基本料金だけでも受け取ってください;;」本当にお願いしたが「いえ いいんです お力になれずにすみません」と答えた本当にいい人だったまれにみるくらい珍しくいい人だった私は「母は胃婁の手術をしました もうあまり長くないと思っています そのときはその手続きを是非お頼みしますね」「ありがとうございます」そして私は帰路にたった私によく似ていた困っている人をほっとけないタイプそして 嘘が大嫌いな性格私は昨日首になっても 生前贈与さえ受けられればなんとか生活できると思っていたがそのあてがはずれてしまって ショックだったし本当は母のお金なのに今後それを使っていくことも 母を裏切っているようで嫌だったいい人だっただけに 私が言ってしまった一言で お互い利益を生まない結果になってしまったことも悔やまれた母が相続したお金のほんの一部分だけど2.3年くらいは無職でもなんとかなるだろうそれだけあれば 身体も治ると思うし 働きにでれば遺産に手をつけることも少なくなるだろうでもね なんか もう 疲れたし 落ち込んでいる 理由は分からない安定剤を飲もうというところまではいってない多分 その闇の業者に頼めばすんなり生前贈与も頼めるのだろうけれど社長さんが「他の司法書士に頼んでも絶対断られますよ」と言っていただけにそんな悪徳業者と手を組むのは断じてしないお父さん 大切に使うからね 許してね;;
2008年09月09日
土日は 友人とあちこち買い物にでかけたり飲食を楽しんだりとそれはそれで楽しいのですが疲れが蓄積して今週も超ハードなのにもう限界です・・月曜日は 朝10時から縮毛矯正パーマ出かけようとしてたら電話が二つもかかってきて 遅刻しました一つは SOKから電池切れのサインがでてるので交換と家の中を点検したいとのこと水曜日にくることになりましたもう一つは勤めている会社の本社からの電話長くなりそうだったので 夕方5時に電話をもらうことにしてもらいましたパーマ中にぐーぐー寝てしまった私はたたき起こされ12時半には終わっていましたw( ̄o ̄)w オオー! 思ったより早くて良かったが 寝ていたためかなり切られてしまいショック倍増;;重みがなくなっちゃうとストレートにならないんだよおおお;;でもまあ 寝ていた私が悪いのでそのままお店を出て 銀行の貸金庫へ行き 明日司法書士の人と会うときに渡す母の生命保険証書を取り出すここで一度昼食をとり 薬を飲むむむ また 出そうで出ないうんうん・・何度かトイレへいくも出ないので諦めて本屋さんに行くことにする本屋さんに行くともよおす人が多いのは皆さんもご存知だと思うけど私もその一人さんざんぐるぐるまわって うんうんが下がってきたのでトイレへ・・はあ やっとでた でも まだ肛門にいる・・ なぜそいつがでない;;次に 別の銀行へ行き通帳の記入をしてもらうで 全部終わったから時計を見ると2時2時半から受付だから病院のトイレにこもって 更に試みてみるはあはあはあ 肛門にいるやつを出したわ でもまた別のが肛門にいる;;そうなのだ 何でか知らないのだけど全部でききらないので 不便極まりないのである疲れたので(力みすぎ)病院内の受付に名前を書いて待つことに やった 一番だ^^暇だったのであちこち見ていたら 私の担当の先生の外来受診内容が「透析・乳腺科」となっていたあれ?胃腸内科の先生だったよね?あれれ?別の表を見るとちゃんと胃腸内科と書いてある これって間違いなのでは?とその先生の名札ごととりはずし(マジックテープでくっつくやつ)受付の看護婦さんに聞いてみると なんと先生は胃腸内科のほかにも透析や乳腺外科も診察できるとのこと・・ で 最近乳腺科が少ないので2種類診察可能な科目が表示できることから乳腺科に変えたようだ(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオオオッッッってことは ひょっとして私が診て貰ってる先生って何でもできる エリート様ですか??すごーい普通大きい病院でも専門分野ははっきり分かれ あれもこれも診察可能な先生ってほとんどいない まるで個人病院のような全ての知識が入った先生だったのだなあと尊敬してみるぬ?てことは・・ あの親戚のおじさんがうるさく言っていた乳房の影もこの先生で診てもらえるのではないだろうか・・前の病院が嫌なわけではない むしろ専門だから安心できるのだけど いかんせん場所が遠すぎるのだ・・電車で20分くらい そこからタクシーで片道2000円くらい・・半年に一度とはいえ 痛い出費である私は呼ばれるのを待った診察室に通されたので今までの経過を事細かに説明し 前回精神科で出されていた薬が分からなかった処方箋も見せた特に薬が減ってしまった火曜日と水曜日が一日に12回くらいトイレへ行くというような状態だったので先生も驚いて「何かストレスでも発生しましたか?」と聞いたが そのときは別に何もなかった どちらかというと司法書士と嫌なやりとりをしたりあちこちに書類を取りに行っていた木曜金曜のほうがストレスがあった でも お腹は良好だった先生は 木曜日に固い便が出たと私が言うと「うーん こんだけ減らしてもまだ硬いのか・・ じゃあ 今度は回数を減らしてみましょう 今までは一日三回でしたが 朝晩にしてみて 自分で調整していってください トイレに何度もいくようならお昼に追加してみたり 便が硬いようだったら朝だけにしてみたり ちょっと難しいようですがそれで様子をみていきましょう」「はい 分かりました 先生 私5年ももうこのお薬ずっと飲んでいましたでしょ?だから一生治らないものだと思っていたのです でも先生も精神科の先生も治そうとしてくれるのがすごく私は伝わってきて 何だか治るような気がするのです」「多分 治りますよ 大丈夫です!」先生は言い切ってくれた^^ うれしい^^それと「先生こんなこと先生に頼むのは大変失礼かと思うのですが・・先ほど先生が乳腺科も診察できるとお聞きしまして・・」「はい 元々乳腺外科してたんですよ」「実は・・3年前の市の検診でエコーで影が見えたのです その産婦人科はそこまでしか機械がないのでほっとかれたので 私は心配になり 自分で調べて○○病院で診て貰ったのです マンモグラフィと細胞摂取されて水がたまっていると言われましたが大きくなっていったらそこで考えましょうと言われ定期健診に通ってるのですが ものすごく遠くてお金がかかるのです ですから今精神科の先生にできるだけストレスを抱えないようにと言われているのでこちらで診て貰ってもよろしいでしょうか?何も先生でなくても構いません 乳腺科の先生が3名ほどいらしてるのを先ほど見ましたから」「いや いいですよ 私が診ましょう で 今までの病院から資料をもらってきてもらいたいのです」「でも なんて言ったらいいのでしょうか・・転院したいからって言ったら 怒って拒否されるのではないでしょうか・・」「転院したいといって拒否されるようなら二度とその病院には行かないことをお奨めします それはおかしいです 現代ではセカンドオピニオンが当たり前になっている時代なのですから資料請求がすんなりいかなければ変な病院です」なるほど・・ 先生は持ってくるのに必要なものをメモまでしてくださった最近 抗不安薬のせいで 少々健忘なので大変助かった私はとりあえず今は成年後見制度に忙しいので落ち着いたら資料を取りに行くと約束して診察室を出たはあああ よかった^^自分の住んでる駅ビルの病院 こんな近いところで全部診て貰えるなら安心だ^^私は疲れていたのでおにぎりを二個だけ購入して家に着いた5時過ぎ 電話がかかってきた本社の切れ者の女性だ長々と説明されたが 要するに 首になったまあ そりゃそうだ 母の病状が安定するまで 成年後見制度がとり終えるまで いつになるのかわからないものね・・ドクターストップもいつまで続くかわからないし 会社の経営側としたらそんな人を置いておいても利益を生まない会社の上司は なんとしても辞めないでくれと私に何度も言ってきたことから 多分それで衝突したんだろうなと思った上司の気持ちはありがたい 私も会社に貢献してきた 業績も良かっただが 私があまりに業績が良い為 急に来なくなってしまったから5人も新人を入れてしまったのだ変な話をするとね 別に自慢じゃないけれど 私は 遅い人の2.5倍の速さで処理をこなしていたのです遅い人が事情で来れなくなっても早い人がカバーすればいいけれど普通の倍くらいの能力の人が急に来れなくなったら 変わりに3人は雇わないといけないもう雇ってしまったのだから 私はいらないのだ一年半 頑張った皆とも仲良くやってこれた色々もめたり 相談にのったりしてきたけれど お別れだ9月の週末に私物を取りに行き 入館証を返却して終わりになるまあ それはそれで 仕方がないことだと納得できるがこれから成年後見制度を取ろうとしている私は無職になってしまったのだあああ;;;年に110万で全ての生活費が払えるのだろうか・・てか いつまで無職でいればいいのだ?;;ドクターストップはいつ終わるの?母親の状態はどうなってくの?急に不安になったもう エクシオールカフェのアイスココアタピオカトッピングも我慢しなきゃいけないのかもね・・;;明日は逗子へ早めに行き早めに帰って司法書士の人と会う書類はそろえたけれど 無職の私が果たして後見人になれるのだろうか・・心配だ・・疲れたので 寝ます;;
2008年09月08日
ぬーん・・疲れている 大変疲れている 本当に身体がだるい・・でも 目が覚めちゃう・・とりあえず7時間は寝てるのだから 起きましょう今日は 昨日の日記に書いたように駅前のビルの年金相談センターで母の障害年金の申請をしようと思って色々準備をします必要な書類をたくさん持ってのお出かけです今 年金はたくさん問題を抱えていますよねまず 不明な年金これを確認する人たちが山のようにいて 社会保険庁が本来いくところですが この相談センターも2時間待ちだそうで・・・とりあえず番号札をとり ふと受付を見ると「障害年金のご相談の方は受付に言って下さい」と書いてあるので 言ってみると 必要な書類を書いて 窓口へ持ってきてほしいとのことなので持って来た書類を見ながら 必要な項目を書いていきます受付の人は大変親切で 私が書いてる間も何度も来て「わかりますか?大丈夫ですか? ここは分からなければ直接相談員に言ってもいいのですよ」とかおっしゃってくれました^^こんなに大勢の人を対処しているのに えらいなあ本当にいい人なんだなあと感激まあ ほとんどの書類を持ってきていたので 分からない部分はなく書き終え受け付けに持って行きました障害年金の場合は番号札ではなく名前で呼ばれるそうで しかも直接担当の者が対応するから早めに呼ばれるそうですよかった^^でも30分くらいかかるから どこか外出なされますか?と聞かれたけれど 何だか身体が重くて調子悪いので待合室で待つことにしたここのところ 動き詰めや考え詰めで 本当に忙しいぼーっとしている暇がないのだで あちこち出かけているからどうやら風邪の菌をもらってきたらしく 一週間前くらいから朝起きると大量の鼻水とくしゃみの嵐元々花粉症だったのだけど 治ってしまったし 季節的に今は考えられないので(私の花粉症の原因の5種類の発生期間による)風邪をひいたようです・・私は常に薬を大量に持ち歩いているので風邪薬を飲み 水分を多めにとって フェイタスを塗り捲り 待合室でぼーっと待ちます40分くらい待ったでしょうか 呼ばれましたまず 相談員は 母が初診でかかった病院の時期を指摘します私は 障害年金なのでパーキンソンと断定された順天堂大学病院に入院したときから記入したのだが どうやらそれがだめらしい詳しく聞くと 初診でかかった時期が60歳から65歳までの人のみ限定なのだそうだというのも 歳をとれば皆あちこち身体が不自由になってくる 全員認定していたらきりがない まあ そういわれちゃそうなんだけど・・考えてみると 母は15年ほど前に発症しているから79-15=64歳実際に精神科でお薬をもらい始めたのは68歳くらいだったから どっちにしても無理だ相談員も発症したときが64歳ならば適応されるけれど そのときにかかった病院のカルテを持ってこれますか?と聞く看護婦に友達がいて 知ってるのだけど 病院によってはまちまちだが 3年から5年でカルテは処分されていく もちろん継続して同じ病院にかかっていれば過去の分はずっと残るのだけれど 行かなくなってしまったら処分されてしまうのだ答えは 持ってこれませんよって 障害年金をもらうには無理ということがはっきりしましたたった5分くらいの相談だったけど まあ はっきりわかったし すっきりしたし 別にいいんだけど この大量の集めた資料は・・・と思うと何だかむなしい・・というわけで気分転換に私がこよなく愛する喫茶店に行くことにする私が大好物なのはエクシオールカフェのアイスココア タピオカトッピング であるこれを飲んでいるときが至福のときなのだまあ 飲んでいて ふと考えたのだが火曜日に司法書士に会いに行くのに 今湿気が強くてくせ毛が強い私は縮毛矯正かけてあるにもかかわらず ぐちゃぐちゃの頭であるだいたい半年に一度のペースでかけているのだけど もう後ろや横がうねってしまって どうしようもないじゃあ 髪の毛をアップにしてとめたらいいじゃないかと思うでしょうが・・実はここ最近色々あったので・・頬がげっそりこけてしまい アップにするとものすごく老けて見えるのです・・・なので美容院に電話して今から行ってもいいかと聞いたら 今日はもう予約で一杯でだめですー と言われちゃったので月曜の朝一番に予約しましたなぜなら 月曜の午後は胃腸科の診察だからです土曜日曜は 友人が泊まりにくるそうなのではずしました体調悪いんだけどなあ まあ 色々頼みたいこともあるし 一人じゃできないこともあるので中止はやめておこうむ ということは 火曜日の司法書士に会うとき 一切合財の資料を持って来いと言われた仕事を月曜の午前中にしようとしていた私はできない?てことは 今からしないと 間に合わない??で 急遽喫茶店でくつろぐは中止になり 急いで帰って3時間格闘しました・・とりあえず資料はそろえたかな・・あとは貸金庫に行かないとだめな証書があるので それは月曜日に・・ あと 預金通帳の記帳をしなきゃいけないのがあるのでそれも月曜日に・・で 成年後見制度を取るにあたり 候補者(私)の身分証明書というのを戸籍係から取り寄せないといけない私は身分証明なんて免許証ですむかなと思っていたけど大間違い・・戸籍謄本を郵送で取り寄せたのと同じやりかたでとることになりました定額小為替は前回の余りでぴったりあったので あとは免許証のコピーをとって送ればいいだけ それは明日友人と外出したときにしてしまおうようやく 終わったのが夜の6時確かに一日中外出してたわけじゃないけれど 疲れたよ・・でも これで なんとかなるかな?もし 火曜日に逗子の病院へ行ったとき診断書もできていればなお好都合あとは 自分の体調管理をしながら火曜日までなんとか頑張ろうそうそうお腹の調子ですが 月曜にお薬変わって水曜日まで不安定だったけど 段々慣れてきたのかトイレにいく回数は減りました今日は朝一番に硬い便がでました^^それはいいんですけどね・・一番困ってるのが外出中の食事今 私はほとんど外出してるから 外で食事することが多いのだけど食べてる途中に行きたくなるんです・・トイレへ・・多分 食物が入って上から押されて活発に動いた腸が反応してなんだろうけれど家の中だったら いくらでも途中で行けるけどもさ・・さすがに 外の食べ物屋さんだと行きにくいよね^^;だから 行きたくなったら もうスピードで食べてお会計済ませてダッシュ!((( 三( -_-) 本当は 腸のお薬はコップ一杯の水を飲みつつ服用して しばらく食休みしなきゃいけないんですけどねえ・・月曜日に胃腸科に行って来ますこのまま症状が安定してきて 月曜までトイレにいく回数が減ったら又別の薬を減らされちゃうかもね^^;まあいいやwとりあえず 今日はもう 何も仕事しません!大好きな漫画でも読んでごろごろしてまーす^^あと コメントを下さった方ありがとうございます^^わけあって お返事することはできませんが きちんと拝見させていただいております^^
2008年09月05日
昨日疲れていたから 寝れるだろうと思っていたのに 色々考えてたからやっぱり朝の3時半に目が覚めてしまいました身体はものすごく疲れているから寝たいのに 眠れない先生が もし眠れなかったらマイスリー0.25グラム飲んでくださいと言っていたので飲んでみるも全く効果なしで しょうがないので ネットで色々調べてみることにしたいくら 出戻りの娘が同一生活者とみなされていても 成年後見制度をとってしまったら私が使う分のお金は一切引き出すことができないだが 今 母の預金は普通預金残高が少ないので(今回の横須賀に多く使ってしまったから)定期を崩すためには成年後見制度をとらないといけない悩みどころである結局 結論としては私が母が原因で働けないからと言っても成年後見制度をとったら もうおしまいじゃあ どうしたらいいのか というと 生前相続である確か70歳以上だったかな(はっきり覚えてません)それだと 親族関係に110万までなら無課税で贈与できるのであるまあ だいたい 働いていたとき 足らなかったのは月10万程度の生活費だったから そのくらいあれば働きに戻れたらやっていけるであろう働きに戻れたらね・・・・で 生前贈与を受ける場合 母(被後見人)と娘(申立人)の間柄だと相反する利益が生じるのでできないのであるというのは 成年後見制度とは あくまで被後見人の財産を守り管理するためのもので申立人に一切の自由に使う権利はないのであるなので その場合 もう一人 申立人を監視する人 後見監視人 という人を選び(これは血族親族同居してる人はあてはまらない) 後見監視人が110万を申立人に渡す という筋をたてるわけなのであるこの場合 後見監視人は 親族ではないため 申立人に110万渡したからといって何の得にもなりません だからそういう人を選ぶのです家族が後見監視人になった場合 110万渡したのだから半分よこせとか争いの種になるわけですというところまで ネットで調べました2時間はかかったかなあ・・で どうしても 納得がいかなかった私は あの今日会う予定の司法書士の態度あれが許せないので別の司法書士をネットで探して見ましたまず目を引いたのが 千葉県で行われている 千葉県後見支援センターというところしかし これはあくまでも後見人制度を主体としているので生前贈与までしてくれるか分からないし あるいは反対されちゃうかもしれません次に 入会金 年会費がかかるけど 後見制度と生前贈与を同時に行いそれを専門としている業者を見つけました多分ここに入会すれば すんなり裁判所は通ると思うのだけど入会金も年会費も高いし なんだか お金目的みたいで嫌でこれは候補の一つとしておきましたまあ 今日会う予定の人も 私が条件だしたら それじゃ後見人からはずされるよ って言っていたくらいだから 難しい処理なのかもしれないし他じゃやってくれなかった人たちがそこの専門業者にいきつくのかなあと思ってもみましたさらに ネットで検索していて ふと 目にとまるものがあったのです個人事務所だったのですが 後見制度も生前贈与も取り扱ってありますただ サイトのトップに「事務所を立ち上げたばかりのとき 毎日電話がならないので 電話が壊れているかと思って携帯からかけてみました」 とか「最初の頃は仕事が全くなく 一日パン一個で生活していました だから 皆さんが困っている気持ちがよくわかるので 是非お手伝いしたい」と書いてあったのですそうかあ 辛い経験をしてきた人って 人の気持ちが分かるんだよねずっとエリートでさ お金持ちの人なんかは 貧乏人がやりくりしていて日々の生活に困ってることなんてわかりゃしないんだ私はその個人事務所が家からかなり遠いけど同じ千葉県だったので そこでお願いしてみようかなと思って営業時間の朝9時を待ちました前回 私の相談内容を説明している途中にイライラされたから 朝一で電話してお時間が許されるなら詳しく そうでないなら簡単に説明して 受けてもらえるなら伺おうと思いました9時一番に電話ですでも なんだかどこかへ転送されてる模様・・出た人は個人事務所のはずなのに別の人でした私は まず お時間がありましたら 成年後見制度と生前贈与がからんだ件でお話したいのですが と言ったら10分で事務所に戻るから こちらからかけます と言ってくれましたどうやら外出なされてたようです10分後電話がなり 本当に丁寧に聞いてくれ親身になって対応してくれましたその人は社長が帰ってきたらお話して許可がでたら事務所に一度資料一切全部もってきてください と言いました「あれ?社長ってことは あなたが○○さんじゃないんですか?」「はい 私は××です」「てことは 部下さんをやとわれてるってことは もうパン一個の生活じゃないんですね?」「あはははは ネットをご覧になったのですね 今は結構忙しいんですよ」「そうですか^^よかった^^」「こういうケースは結構やってますので 多分社長は許可してくれると思います 9日に資料全部もって夜の6時ごろ事務所に来ていただけますか?」「母の財産に関するもの全てですよね?」「そうです 年金額 支出額 入院費額 他にも 難病なら 助成金もいただいてますよね それら全ての資料です」「う・・ い 一応この間自分で資料を作成したとき探したのですが ないものもあって・・ 最悪は預金通帳でもいいでしょうか;;」「ああ いいですよ コピーをとらせてもらいます」というわけで すんなり なんだか 決まりそうですあとで あ 9日って火曜日 母のお見舞いに行く日じゃんと思って6時は無理そうだから6時半にしてもらいました で もし社長がだめっていったら すぐ電話くださいって頼みました だけど 現在まだ電話きていません^^私はすぐに 今日会う予定になっていた事務所に電話しましたもちろんキャンセルのために^^まあ 理由はいいたくないから 事務の女の人にキャンセルってだけ伝えて切ってしまおうと思いながら電話したんだけど 女の人はキャンセルっていってんのに担当の人に電話を換えてしまった・・そしたら いきなり「キャンセルだって? ん? なんか 用事でも入ったかな?^^」おいおいおいおいおいおいおいてめーは 誰にモノいってんだよ私の声はね 一見若いけど(母も私も20代のような声です)こっちは40歳なんだよ!多分 あんたより年上だね それにこちらは客だよ?なにさま?「えーと 一応自分で全部作成してみますので いいです ということで 失礼します」「あ そう」で 電話は切れたあー よかった!こんなやつに頭下げて相談事して書類作成なんかしてもらいたくないね敬語も使えないよーなやつは 世間では通用しないよ特に司法書士ともなればね私は すっかり安心して3時間しか寝てなかったので そのあと12時まで寝て再始動です本当は先生休み休みって いってたんだけど しょうがない;;9日までに資料をそろえないと;;謄本はとりあえず郵送で手元にあるあと 住民票と 固定資産税表 と 登記謄本であるこれは 土地の所有者がだれなのか 又それらが いくらの評価格なのかを記載されたものであるJAにもいかなきゃだったからJAで手続きして そのあと市役所で 住民票をとったら あらびっくり戸籍は一緒になっているのに住民票は別々でした世帯主は母 世帯主は私 という同じ住所に二人の世帯主の状態なので 二通申請し 資産課へ行き固定資産税評価表をもらいついでに昼食を食べ(市役所の食堂はまずいけど安いからね・・)その足で法務局へ行き登記謄本をもらう結構な金額を使った・・ついでにね ネットで調べたら 障害者年金ってのがあるらしいあまり世の中には知られてないけれど老齢基礎年金より多くもらえるから障害者の人は申請したほうがよいと書いてあったなので 母本人が社会保険庁にはいけないので 相談窓口になっている駅前のビルの年金相談センターに行かないといけない今日は車を使っての移動だったので それは明日にする年金手帳と 母と私の本人証明と関係を証明するものを持参するはふー 今日もくたくたなのに 明日は歩きでいくのかあでも 9日までなんだから がんばらなきゃ;;きっと精神科の先生に知られたら又怒られちゃうだろうなあ;;というわけで 何とかうまくいきそうですでは寝ます おやすみなさい^^
2008年09月04日
今 一生懸命書いたのが全て消えてしまったので簡単に書きます。。ショック。。今日は休みのつもりだったのだけどポストに戸籍謄本が送られてきていました7年前は郵送でやりとりすると2.3週間かかったのに 今は翌日に送られるのですね びっくりですとまあ それはいいのですが 中を見てびっくり戸籍改正があったのらしいのですが以前は 父は亡くなっていたので除籍謄本母が世帯主 私は離婚したとき一度実家からでると戻れませんと言われたので 私も世帯主の戸籍を一つ作った記憶がありますそれが なんと 世帯主が父で 母も私も載っているのですということは つまり 同一世帯ってことですよね?それで 疑問がわいてしまいました今 成年後見制度を取ろうとしているのだけれど同一世帯証明書ってのをもらえば 出戻りの私は 自分の生活費を母のお金からいただけるのでしょうか・・まず 成年後見制度の手引きをみると 後見人の報酬というのがありました事実 私の場合 母の介護をしてきたため 体が壊れ現在も治療中 正社員として働くこともできず 母のお見舞いや手続き 家のこともしているわけですなので 今までは 母が横須賀で手術をしたとき ホテルに泊まった費用などは もちろん母の預金からカードで引き出してましたが成年後見制度を取ると 本人と後見人の場合は 財産は全く別物 と考えるのがセオリーで私のように一緒くたにという考えでは難しいようです私は悩みましたまず 母は私の扶養に入っていません現実は母の年金額のほうが私の収入より多いので私が扶養になってる状態です市役所に相談すべきか それとも裁判所に相談すべきか下手に裁判所に相談すれば 市川で面談を受けたときマイナスイメージになるのではないだろうか私は困って 父が亡くなったときに頼んだ司法書士の人に電話してみましたこういう私のようなケースを取り扱ってくれるか取り扱ってくれないならどこへ相談しにいったらいいか ということですただ 説明するのに大変長くかかってしまったので途中から司法書士の人がイライラしてきて「私はこの後たくさんの仕事を抱えてるんです あなたの電話相談をしてるような状況じゃないんですよ!」と言われましたもちろん 司法書士の仕事がどんなものだか私も知っています相談に乗ったり 書類を作成したりして収入を得ますだから私は「無料で相談に乗ってもらいたいつもりではありません 私のようなケースが相談に乗ってもらえるかどうか知りたかったのです 相談に乗ってもらえるのならそちらにいきます」と言った結局明日の4時に会うことになったがそれまでに 法務局 市役所で必要な書類を取らなければいけなくなった;;ああ 本当は休み休みしなきゃいけないのに なぜこんな急に忙しくなるの;;お風呂に入りながら考えた司法書士の人がちらっと言ったことが気にかかっていた「市川では二度断られているのですよね それにあなたは色々条件をだしてとろうとしている そういう場合別の人を後見人に選ばれる可能性がありますね」母一人子一人の家族だ私じゃだめだというと 母の兄弟にしてもらわないといけないどの兄弟も我が家から大変遠く毎回何のためにお金を引き出します と報告して領収書を送らなければいけないのだろうかああ めんどくさいこと このうえないその司法書士に会う事もなんとなく感じが悪かったので私にはストレスになっていたストレスは軽減させなきゃいけないのに もう明日だもの 断れないいいや 一度全部状況説明して 納得いく答えをもらえたら それまでだしもしなんだかんだいってお金をせしめ様と話をもっていったりあるいはとんでもない態度で対応するようなら 帰ればいいだけのこと司法書士は腐るほどある何もそこで絶対しなきゃいけないわけではないあとは 問題は市川だな千葉の家庭裁判所の上司の人はいい人だった市川で面談を受けるのをためらっていると ではこちらでしますか?と言ってくれた千葉でだしたほうがよいような気がするまあ それは明日の結果次第だねそして テーマ普通 離婚して 実家に帰ってきたとき なんらかの事情があって働けない(例えば小さな子供がいる とか 病気である とか)そういう場合って親から生活費を援助してもらっちゃいけないのかなお金をもらうという発想じゃなくてもいい要するに家賃を払わず 食事を作ってもらい 公共料金を払わず 家にいさせてもらうことそういうことって いけないことなのかな私の場合は母の介護が原因で身体を壊し現在も治療中なので正社員として働けない元夫からの慰謝料も途中から払ってもらえなくなり貧乏極まりない母の世話 母の手続き 家の世話 現在は私だけが住んでいるから公共料金などの支払い私の生活費 医療費 美容院代 洋服代(バーゲンのときだけよ)そういうのって もちろん自分が働いていたお金でやりくりするところはしてるけど現実は大赤字なので母の年金に頼っているわけである今までは 足らない分はカードで引き出すができたけど成年後見制度をとったら 全て母に必要なもののみしか引き出せなくなる身体が病気がちだと後見人からはずされるとか代理人(親戚以外)が後見人になったとき報酬要求ができる って言われたどうしたらいいんだろう・・誰か 私と同じようなケースの人がいたら 色々教えてください家庭裁判所に書類を持っていく前に言ってはいけないことを知っておかないとこれじゃ 何もできなくなっちゃうよ;;そうそう お腹の調子ですが一日10回ほどトイレに行き 大豆が一個ぽつん これの繰り返しきついです;;常に便意があるので 遠出や接客なんかしてる場合じゃないんだよおお;;
2008年09月03日
はふぅ~ 今日も疲れて帰ってきたので 簡単に・・逗子から帰ってきたらご近所のおばあさんにばったり会い(この人はすごいです 夫のご両親と自分のご両親4名を在宅介護して終えたばかりの人です)母の状態の話や介護にまつわる話を延々と玄関先でお話しているときに以前から親しくしている車の営業さんがきて一時間半くらいお話してましたかね・・ ずっと外で立ち話だったので疲れてしまいました^^;昨日の日記でちょちょぎれてしまったので 精神科から帰ったあとのことを簡単に書きますと郵便局で手続きをしたあとJAに電話して後日書類と印鑑を持っていかなきゃいけないことが判明し その後食事をしてマッサージしに行ってきましたいつもの人を指名して もみもみもみもみ・・抗不安薬が効いているので あまり硬いところはないようだけど足の裏が硬いと言われましたま まあ・・動き回りすぎましたからね・・;;2時半から胃腸科の病院へ行きたいから1時半に予約して40分だけしてもらってたのだけど 三回目にもなり色々お話しているうちに仲良くなっちゃって 何だか知らないけれど2時半回ってました・・ 私が気がつかなきゃいつまで揉んでくれてたんだろう・・2時半調度にいくと 順番が早くなるので 今2時半なら つくと2時45分くらい もう間に合わないので遅くなってもいいやと思い(4時半まで診察時間) 多くもんでもらった分のお返しにマッサージ師の人の腰と肩を指圧してあげました私の場合は つぼ押しになるので大変痛いのですが(息ができないくらい)実際やってみるとマッサージ師のお姉さんの身体はがちがちに凝ってますあらあら そういう仕事なのに自分の身体がこんなじゃきついだろうに・・ そう思って 腰と首肩にフェイタスを塗ってあげました多めに揉んでくれたのに料金は40分のまま どうもありがとう^^又くるからね^^何だか本当に自分の娘のような感じがして とても美しい素直で良い人なのですマッサージ師の前は介護のお仕事をしていたようで どうも人に尽くすのがお好きのようですもし 自分に娘がいたら こんな風に育ってくれたらうれしいなって つい思っちゃいましたさて 時間もかなりすぎ胃腸の病院につき診察してもらったのですが 胃腸のお薬は大量にもらっていたし 何しろ母のことを優先していたので一ヶ月以上空いての診察になってしまったので 精神科でどういう薬をどんな経過で飲んで変化していったか 詳しく聞いてきましたが ころころ変わってしまったので私も覚えてません;;家に帰れば処方箋があるので 来週絶対持ってきますと約束しました;;で 先生は 二つの病院で連携して治しているのだからお薬手帳を作りその都度どういう薬に変化したかお互いの先生同士知ってないといけないからね と言われましたまだ 若かったから そんな手帳なんていらないわ って 思っていたけれど 作らないとね;;とほほ;;そういえば家に帰ったら40歳になったので介護保険の支払い請求が来てましたうわーん;;なんか かなしー><胃腸の先生は この三週間一度もお腹が壊れなかったこと そして 少し固めの便が一番最初にでることを知り 胃腸の薬も減らすことに決めました私は本当は精神科の薬も激減してしまったので 胃腸までもと 思ったのだけど 来週くると約束したので とりあえず試しに 二種類あるほうの一種類を半分にしてみることになりました 両方半分にしてしまうとどちらが足らなかったのか判断に困るので 交互に試したいとのこと私はここで あ!と気がつきましたこの精神科と胃腸の先生は私を治そうとものすごく考えて下さってるってるって・・確かに四谷の胃腸病院の先生も良い先生でしたお薬は大変効いていたけれど 精神科と複合して治そうという考えはもっておらず調子に合わせて調合していき よくなってきたら 徐々に飲む回数を減らしていくように という本当にマイペースというかゆっくりペースだったのです四谷の医師の多くは60歳を超えているベテランぞろいベテランは経験豊富でいいでしょうけれど その分新しい知識には疎い今回の精神科の先生といい胃腸の先生といい 45前後の一番活躍している年代ものすごいスピードで二人の先生がどんどん薬を変えて私の変化を見 治そうとしてくださっているのが手に取るように分かりました私はもう一生治らないものだと思っていましたし四谷の医師から 過敏性大腸炎は長い人で10年はかかるからねえ と言われていたので 自分はそのパターンだと思っていたのですだから 様子を見ながらずっと同じ薬を飲んでいくものだと思い込んでいたので ある意味衝撃でした帰ってから考えたのですが 精神科の先生の言葉「あなたは会社の立場にたって答えている そうじゃない あなたがストレスに感じるかどうかが問題なのです」これには 参った普通の人なら ああ 会社が大変なら仕方ないですね 無理しないように働いてくださいというでしょうそうではなく 先生は 会社や周りはどうでもいい 私個人を最大優先して 私がよりよくなるように考えて下さっているのだもう 感謝の言葉しかない私は 誰かに負担をかけていたり 誰かに相談に乗られたり 頼られたりしたら 自分がきつい状態のときでも助けてしまう性格だ普通の状態のときなら それもいいだろうが 今は私は病人まず 他人を助ける前に 自分を治せ先生はそう言いたいのだと思う自分が調子が悪いのに無理をしたために満足に対応できずに共倒れするこれは 一番よくないことなのだな母のときに共倒れになりそうだったのに 私は同じ繰り返しをしようとしている馬鹿だなあ・・でもさ 人間って その人のために動いて その人が喜んでくれるのを見るだけで嬉しくなるよねだけど 今は自分優先 成年後見制度のこともあるし ゆっくり急がずやっていこうさて 本日は逗子入り5錠から1錠に減ってしまって眠れるかしらと不安だったのに ぐーぐーぐーぐー目覚ましが鳴っても起きれず たまたま区役所からの電話がきたので起きれました・・精神科の先生は 今までの医師とは全く違うことを言います私は非常に虚弱体質で 普段から10時間程度寝ないと疲れがとれないのですが今までかかってきたどの医師も6時間前後にして無理やり起き 体内時計をきちんとしましょう と怒って言われていたのだが今回の先生は 身体が疲れているのだから12時間寝たかったら眠りなさいその代わり 決められた時間にきちんと食事をとること それだけですと言った今まで10時間寝て ぐーたらなだめ主婦っていうイメージで見られていて嫌だったのだけど それでもいいのかな?と思って嬉しかったです今日は朝食は抜き でも胃腸の薬は飲む(先生は一日一食でも三回薬を飲みなさいといいました)精神科も胃腸も薬が減ってしまったのでお腹の調子が不安定なのだ起きてから何度もトイレに行きたくなるでも でない でも でそう そんな変な感じ・・本来なら普通の車両に乗るのだけど あまりに頻繁にトイレに行くので もったいないけれどグリーン車で行くことにした以前もお話したけれど 席を立っても他人が座る心配もないしトイレが近いのがまずいい結局逗子に着くまで二回ほどトイレに行ったけど何もでなかった逗子で今日初めての食事 すぐ薬を飲む不安だったが長居をするところではないので母の元へ行く病院へついて書類を提出し まずトイレ でもでないナースステーションへ行きプリンを渡す母の元へ行き 今日は珍しく髭が剃られていたのでそのままお顔の手入れをしてあげる母は今日はあまりいい状態ではなく ほとんど私の言ってることはわからなかったお手入れされると大概寝てしまうのだが起きているこういうときは せん妄状態だ母に話しかけても ぼんやりあちこち見ているでも 父の話をしたときだけ 母は泣いた「あんな 素晴らしい立派なお父さんの奥さんになれて お母さんは幸せだったね 良い人は人間界で修行を積んだら神様にもう修行は終わりですよと呼ばれて天国で幸せに暮らすというよね きっとお父さんは立派な人だったから 早くに天国に呼ばれたんだよ 今は天国で幸せに暮らしてるといいね」そう言ったら 顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった他のどの話にも無関心な母だったが 父のことだけは脳の中で大切な思い出として深く刻まれているのであろう一時間半ほどいたが 二回トイレに行き おむつの交換が来たので帰る事にした帰りのグリーン車ではトイレはいかなかったけど 夜おにぎりを二個だけ食べたら 普通の便がでた一週間試して 胃腸の病院へ報告にいかないといけないそれまでに安定するかな・・もう遠出はないし 精神科の先生も無理に動かないようにというので本当は明日もあちこち行きたかったのだけど 疲れちゃったのでお休みしますお薬が安定したら1ヶ月分くらいもらいながらずーっとすごすのかと思ったけれど これじゃあ なんだか完全になくなるまで毎週通いそうな勢いで 仕事どころじゃないぞこれ・・って本当に思ってしまった
2008年09月02日
今日は 午前中精神科 郵便局へ行き戸籍謄本を郵送する手続き JAに確認の電話 昼食後 マッサージ 午後胃腸科という分刻みのスケジュールのため 朝8:30に家を出るいつものように眠くてしかたがない今日は朝早かったので先生とマインドコントロールについてじっくりお話したいと思っていたのだが しこたま怒られてしまった;;まあ 詳細を書きますまず 院長先生のお話 つまり難病制度取り消しうんぬんについての説明をしたのだけれど 精神科の先生は全く知らなかったようで そのとき私が「院長先生が私に八つ当たりしたのではないかと思う」と言ったら「ちょっと待ってください 本当に八つ当たりしたのですか? 受付の人はそう言ったのですか?事実が異なると判断に困ります 正確なことだけ伝えてください」と言われた まあ 正確に言うと「おのづさんだから 話やすかったので先生はいろいろ言っちゃったのでは?」なのだが 私は主観が入ってつい先生にそう話してしまったのである 細かい だけど これは大切な作業だ普通 判断する立場の人は両者から話を聞き判断を下すけれど 精神科のように心に傷を負い訴えたいばかりの人が来たとき その話をうのみにすると 悲劇のヒロインができあがってしまうのだ だから それは絶対してはいけない周りの状況 周りの言動 主観を入れない自分が感じたこと これが大切なことなのだしょっぱなからこうだったので私は言動に細心の注意をしてお話した院長先生のお話はそれで終わり この二週間の私の状態について又レポートに書いたのでお見せしたその中でやはり先生が気にしたのは 忙しかった三週間が終わり 夏休みを一週間もらい 大好きな喫茶店に入ったのに気分がすぐれずすぐ帰ってしまったことだこれは なぜですか?と聞かれたけれど 私にもよくわからなかったが母の為に頑張って動いているときは罪悪感が薄れていたけれど 休んでしまっておいしいものを食べたり飲んだりしたときに母に対して悪いという感情が生まれるのではないか と私は答えた次に 忙しかった先週の状態を見て 友人から愚痴を聞いたり 元主人の対応をしたり 毎日用事で動き回っていたことを指摘された私は動き回っていたほうが 母のための制度なのでストレスに感じてないと言ったが 先生は「それはあなたが感じてないだけであって 身体にはストレスがかかっていると思います 適度に動き 適度に休む 動きっぱなしはよくありません」と言ったまあ 確かに身体は疲れ果てた 私は無理をする性格だから動き始めると悲鳴をあげるまで止まらない 今度からは先生の言うように 間に休みを入れることにしよう又 この二週間眠くて眠くてしかたなかった 12時間位寝ても 夜の6時には眠くて又寝てしまう と言うと 実は私に出された薬は長時間(24時間寝やすくする薬)効く薬で そうすることによって不安感が減ると思って先生は出してくれたようだが 効きすぎるのでいきなりごそっと減らされてしまった;;前は 寝るときには5種類飲んでたところが1種類だ;;寝れるかな・・抗不安薬については 私には大変効き目もよく胃腸の状態も壊れないので今後も使っていくといっていたが マインドコントロールの話のときに先生の意思がはっきり伝わった実は私は忙しい中も色々考え 何が原因でどうして自分を責めるのだろうと自己分析をしてたのだけど 眠気が強いのでなかなかまとまって考えられず でてきた結論は「私は 母が生きている間 また 母が亡くなった後もずっと自分を責め続けるでしょう」というものに達してしまったそれを先生に言ったら ものすごく怒られてしまった「自分で治らないと言っていると言うことは 治す意思がないということです!私はストレスの原因を対処していきましょうと言っているのに それが無理だというのなら 私は何の手助けもできませんよ!」確かに先生はよくしてくださっている それに応えようと自分も頑張った私は なぜ無理なのか 先生に少しずつ話した「先生 私は 誰にも 家族にも言ってないことがあります それを話す前に まず父の亡くなった時のことから話さなければなりません 父は原因不明熱で一年間あちこちの病院で検査してようやく悪性リンパ腫だと判断されたときには もうすでに手遅れでした・・ 医師からは強く何度も家で看取ってあげてくださいと言われましたが そのときにはすでに母の精神状態も悪く40度の高熱でステロイド剤投与のせいで口の半分を口内炎に冒され物が食べれない父をどうやって家に連れて帰れというのか悩みました 精神状態が悪い母がいる家にそのような父を連れて帰っても母は混乱することは明らか 現に 父はあんなに 俺がお母さんの面倒をみるんだ!と頑張って早く治そうと努力していたのに 危篤状態になった父を見て 母は あんなお父さんいらない 早く家に帰りましょう 雨戸しめなきゃ と言ったのです 私はいくら精神状態が正常じゃないからと思っても母のために頑張っている父が可哀そうだったし 又父の死の直接の原因である肺炎も せん妄状態になった父に看護学生さんが4ヶ月食事をしてない父に物を食べさせて案の定吐いてしまい肺炎になったことも 私が24時間ついていたら絶対そうはならなかったのに と思いました」「ちょっと待ってください 24時間お父さんの看病につくことがその当時可能でしたか?」「いえ 母の状態も悪かったので無理でした」「じゃ 話を続けて」「父が亡くなり私は在宅の限界を迎えて母を入院させました 母が錯乱していた一年間 それから逗子へ行き精神的にみるみる正常に近くなっていった二年間 合計三年の間 毎週母は私が来るたびに「さ 退院するよ 帰るんだ」と言いました 最初のうちは「よくなったらね」とか「院長先生がまだ許してくれてないよ」とかごまかしてましたが 三年もたつとごまかしがきかなくなりました ある日母は同じように帰ると言い私はとめました そのとき母はやっぱりね お父さんのときもあんたはだまして無理やり入院させて殺したんだ 私も同じようにあんたにだまされたしね こうやって早く殺させて財産を奪いたいんだろう!と私に言ったのです 私は 今まで堪えてきた言葉をそのとき母に向けて言ってしまいましたお母さん!お父さんは助かる見込みがないと言われていたけど万に一つの望みをかけて治療する為に入院させたんだよ いっちゃ悪いけど私はお母さんの介護のおかげで体はぼろぼろ 子供だって産めなかったよ!母は黙って聞いていました その後二年間一度も 帰るという言葉を口にすることはなくなりました この間横須賀へ行くとき母は「私は病気だから最後は病院にいるんだよ」とぽつりと言っていました」「ちょっと待ってくださいね 私は今の話を聞いて あなたのその時々の判断は正しいと思います もし自分でも同じ判断をしたでしょう お母さんの状態が悪いのにお父さんを家に連れて帰ることは無理だと私も思います ただ それがなぜ罪悪感だと思ってしまうのですか?例えば自分の親の介護も全くしてこなくて遊びまくっていた人が罪悪感に悩まされて私の所へ来たなら私は そうでしょうね と言うでしょう でもあなたは違う 真面目な性格だから今まで頑張ってきたじゃありませんか」「私は 両親に大変愛されて守られて大切に育てられました 父のときは治療のため仕方ありませんでしたが母のときは 姥捨て山に親を捨てるようなものだと思いました 私は 私を愛して育ててくれた親に なんてひどいことを言ったんだろう なんて ひどいことをしているんだろうと思ってしまうのです」「ふむ いいですか? まず あなたは レヴィ小体型痴呆というものがどういう精神異常を起こすかということをもっと詳しく知らないといけません あなたのお話の中で お母さんが財産を取ろうと思ってるのではないか?と言ってますよね それは症状の一つで猜疑心がとても強くなっていて財産に固執することが多いのです」「私はいつも 真正面から母と向き合ってきましたから それがいけなかったのですね」「それはね あなたが 本当は昔のような正常の母親であってほしいという願望なのですよ でも 実際はもう違うことはあなたも分かっていますよね? もう一度いいますよ もし在宅を選んでいたなら共倒れになっていたことは確実 そうしたらあなたもお母さんも命の危険性がでてきます それはしなくて正解だったのですよ あなたは分かっているはず 今まで自分が出してきた結論が正解であることを それを罪だと思うことが矛盾で ストレスを生むわけです」私はこのとき 先生から差し出された3枚目のティッシュを大量の涙でぐしゃぐしゃにしていた「先生・・・・ 一つ私の考えを聞いてくれてもいいでしょうか?」「どうぞ」「私の母の母 おばあちゃんは 母と同じパーキンソン症候群で亡くなりました 当時研究も盛んではなくお薬もなかったので2年半で亡くなりました もし 母がその時代に生まれていたら もし 母が日本ではなく 未開発の国に生まれていたら 発症して15年 もう亡くなっていたかもしれないでしょう 私も8年介護をしてきました もうそろそろ自分を開放してあげてもいいでしょうか?;;」「もちろんですよ! よく今まで頑張りました そういうふうに考えられることはいい事です あなたは さっき言ってましたよね ご両親から大変愛されたと 天国のお父さんや お母さんはあなたが幸せに生きてくれることが何よりも嬉しいのです それを望んでいるのですよ だから そろそろあなたも自分の人生を歩んでください」私は大泣きした「全ての自分の気持ちに整理がつくのには時間がかかると思いますが 頑張りますので治したいです」「私もお手伝いしますよ 徐々にあなたの症状を見ながらお薬を減らしていき いつかはお薬を飲まなくてもよいようにしましょう それが目標です あなたの状態がよくなり 幸せを感じる生活ができるようになったら お母さんに対しても優しく接することもできるでしょうし それを見たお母さんも嬉しいと思いますよ」「わかりました あとそれともう一つ お仕事のことなんですが・・」「なんでしょう」「今までのように二週間ずっとというわけではなく 事情をお話してあるので月に1.2度仕事をしてもいいでしょうか?」「あなたはどうしたいんですか?」「実は・・急に母のことでお休みをいただいてしまって大変会社に迷惑をかけているのです ベテランがいないということは仕事に大変支障をきたします ですから 少しでも手助けできればと・・」「ほら また あなたは矛盾した答えをいってますね? あなたは今会社の立場にたってお話をしている そうじゃないでしょう? あなたがその仕事をすることによって 新たなストレスは生まれないのか そこが重要なんですよ」うう・・又怒られちゃった;;「はい 申し訳ありません レポートにも書いたように 一週間何もすることがないときに家に閉じこもってぼーっと過ごしてしまうよりかは そこに一日だけ仕事を入れて気分転換になれればそうしたいのです」「なら いいですよ 月に1.2度なら許しましょう」「ありがとうございます」診察は終わった私にとっては公にしたくないこともブログに書いた同じように悩んだり苦しんだりしている人たちがいたら励みにしてもらいたいのだ日記の冒頭に書いたように その後は分刻みで動き へとへとになって帰り6時に家について7時半まで寝てしまった明日は逗子です 母が起きていたら歯磨きを^^;マッサージで寝てしまったら まあ それもよいでしょうデパートで高級プリンを持っていきます喜んでくれたらいいなあ日記が文字数オーバーなので私の今日の意見は又今度書きます
2008年09月01日
はふぅ・・ ちかれた^^;今日は起きてすぐに成年後見制度の書類の取り掛かったのだけどどうみても 司法書士にお願いする部分ってわずかな箇所なのだほとんどが本人じゃないと分からないことだらけで たとえ持っていったとしてもいちいち質問されてそれを書かれてっていう無意味な時間を大量に過ごすことになるってのが はっきりわかってしまいましたのでふふふふふふなんと!6時間ぶっとおしで仕上げましたよ!書類大変でした・・特に財産関係のところは ありとあらゆる書類を家中からひっぱりだして居間に撒き散らしました・・ はい まだ片付けておりません・・一応間違えると訂正したら訂正印ってのを押さなきゃいけないのを知っていたので全て鉛筆で記入しました不安な箇所は市役所 税務署 法務局 裁判所で聞いてから書けばいいだけですやりおえたあああああああああああ!つかれたじょおおおおおおおおおお!土日は役所関係は休みなので また 平日鬼のように動き回る日がやってくるでしょうその前に 明日は一休みしたいです^^さて 昨日の理不尽な事件結果はどうなったでしょう?私は夜中の12時まで電話を待っていました役員も同席しての会議だったらしいのですが私が送った通りのメールの内容を発言したら元主人に責任はなくなりましたばっかみたい結局誰が担当しても 同じ結果になっただろうというのが 会議の結論だったようですだから 最初から反対してたっつーのに 本当に役員なんかいな・・それで元主人は責任はとらない代わりに二年間分の報告書を作成しなければならなくなりましたそれでも十分軽い罰っていうか 当たり前のことですもうやくざの客先に行かなくてすむし会社内で報告書を作成していけばいいのだから具合が悪ければ病院へもいけるだろうし 一安心です私もそれを聞いて安心できましただけど ふと 院長先生の言葉が蘇りました「あなたが政治家になってくれたらねえ」もちろん冗談のつもりだったのでしょうけれど権力のある人間が理不尽な行動ばかりとっているこの世の中本当に良い人間は少なくなって皆自分の利益ばかり考えている私にもし 権力があったなら・・こんな相談を受けても直接社長に電話して抗議して終わるだろうになあ時間の無駄なことしてるよなあと 思いましたでも私は自分の器を知っている繊細すぎて神経質すぎて政治家には向かないなら 私の知り合いや身内が理不尽になったときに戦えばいいそう思いましたとにかく・・6時間書類とにらめっこしてたので もう今日は肩ぱんぱん目痛いし 頭も痛い;;早めに休みます明日は一日休暇をとって来週から又がんばろう^^
2008年08月30日
今日も朝から 起きるのが大変で(少し睡眠関係のお薬減らしてもらおうかな)疲れてはいたけれど買い物にもいかなきゃいけないし銀行にもいかなきゃいけないよっこらせと起きてまず銀行へ行き貸金庫の中に届いた株を入れる(今回すんなり入れた)そして成年後見制度で母の名義の通帳全ページをコピーしなきゃいけないとか書いてあったので通帳記入をしたのだけど定期預金でひっかかって窓口へ行かなきゃいけなくなったまあ ついでなので この間親身になってくれた副支店長さんに成年後見制度が市川家庭裁判所で行われることを報告しておこうと思い 呼び出してもらった色々ためになるお話を聞いたけど 申請書作成にあたって司法書士でやってもらってる人も結構いるようだということが分かったうう・・やってもらいたい・・ わけわからんすぎ;;で 銀行を出て 初めての食事をファミリーレストランでとり(まだ一日一食なのよ;;)その後買い物へ薬局だったのだけどポイント5倍セールだったし とにかく安かったので一ヶ月何も買い物してなかったから絶対いつか使うものはと思い大量に購入してレジに並んだら いきなり雷ひえーってわけで急いで車で帰るも車庫に入れようとしたときに滝のような大雨・・ああ・・車ぬれちゃった・・しかも 滝のようなので ガレージの扉もしめれないし ガレージから玄関までいくわずかな距離も進めない自分の家に帰ってきたのに なにやってんねん・・・ガレージで荷物大量にぶるさげて棒立ちになってる私を通行人の人は不思議そうに見ていました・・話は変わり 昨日の友人の話を聞いて もしかしたら会社休んで私がかかってる医師に診て貰いたいような話がでてたので 少しストレスがかかって 気分が重かった大阪の人なので 薬が決定するまで二週間くらい泊まる事になるのだけど 本来なら一ヶ月くらい様子みなきゃいけないだろう それを二週間で切り上げて大阪に戻していいものだろうかとか色々考える安定剤を一錠飲み(最近は安定剤も飲まなくなりました)気分がぼーっとしているところへ その友人から電話があり ストレスの原因の会社を辞めて実家にしばらく帰ると言われたのでそのほうがいいだろうと私も安心したが 又別の別件で私は 戦う女になってしまった夜6時ごろ 元旦那さんからメールがあり 会社全員から責められて責任とれと言われ 責任とって自殺していく人達の気持ちがわかる と書いてあったこの件については離婚前に発生していた仕事なので私も大まかなことは分かっている船会社が客先にあたるのだが 船会社は大変お金を持っているのだが大抵がやくざあがりなので少しでも気に食わないことがあったりすると土下座させたり 怒鳴られたり 殴られたり かと思うと毎晩銀座の高級クラブに飲みに行きその代金を全部元主人に払わせていたりととんでもない会社なのである(月40万ほど毎月飲まれましたね・・)一度その船会社での仕事がなんとか終わり もう二度と船会社とは仕事をしたくないと元主人は言い張っていたのだけど 大きな契約を簡単にしてくれることから 馬鹿な営業はもっと大きな船会社と次の仕事の契約を結んできたもちろん 一度経験がある元主人が責任担当に任命された前の船会社の人が「次はどこの会社で仕事するんですか?」と元主人に聞いてきたので「○○です」と答えたら「・・・・・いっちゃあ悪いけど ここより悲惨なところですよ? うちも前に取引してたんですけどね領収書もっていったら火つけられて燃やされてお金支払ってくれませんでしたよ お気の毒に」そういわれたそうであるそんなところに元主人を行かせる訳にはいかない 離婚する前だったので私はありとあらゆる知恵をしぼったまず うちの会社はコンピュータ大手の子会社だ 大きな契約をするときには 本社にも報告がもちろん行く 案の定本社のやり手の部長が契約を交わす前にやってきた私は元主人に 今までのいきさつを全部その部長と話せと言い 無理にお酒の席に誘い相談させた部長はその話を真面目に聞き 本社で会議をかけ 本社の社長自ら リスクが高いので契約は破棄 と決定が下されたそれなのに うちの子会社の本部長が「私が何とか無事にやってみせます 大丈夫です まかせてください!」などと子会社の役員を説き伏せて契約してしまったのだもちろん私は元主人に社長や役員に反対するように言えと言った が 所詮元主人は課長 本部長の話のほうが信頼されるし 何よりものすごい契約金だったので(○億)社長はOKしたのだった私は内心 馬鹿だなあ どうせ なんくせつけられて ただ働きさせられて お金払ってくれないに決まってるのに と思っていたので これも何かの縁だと思い 元主人を本社の部長から推薦してもらう形で本社に中途採用してもらえないだろうかと相談もちかけただが その当時 すでにリストラの嵐が吹き荒れていたためいくら推薦状を書いてくれたとしても受かるのは三千人に一人だそうだった本社の部長は大変心配してくれて推薦状はいくらでも書くけれど 受かるかどうかはわからないと言い 本社の意向を無視した形で仕事が最初はしばらく子会社にきて様子を見ていてくれた本社の部長も数ヶ月して本社に戻っていってしまったその新しい契約先の船会社は 輸入業を主としているので海外のあちこちの拠点にシステムを作りたいと言ってきたが 実際客先に行ってみると どれも途中まで作ってあるプログラムの状態でほったらかしてある元主人に詳しく話を聞くと うちの会社にたどり着く前に5社と契約したが 皆途中で解約されたらしいというそれってさあ 問題ありありじゃんよ・・素人だって分かるコンピュータ会社が5社も途中で根を上げるところなんて まともなところじゃないそうこうしているうちに 私たちは離婚してしまった元主人は ずっと反対を押し切っていたため 会社内で反感を買うようになり しかし担当責任者だから 毎晩夜中の3時まで 休日は日曜のみの 鬼のような仕事を2年続けた体のあちこちがおかしくなり 病院へいくと要検査のものばかりでも 休む暇なく 病気はほったらかしでずっと仕事をしてきた途中 元主人はうつ病になり 私は二週間ほどカウンセリングをして 回復したので又仕事に戻っていったそれが とうとう 契約解除を宣告され 今までの分は支払わないという 同じ手口で言い渡されたのである担当責任者の元主人は 役員上司全員から攻撃された元主人は温厚な人柄で私のように戦ったりはしないので 会社を辞める決意をしたらしいだが そのメールをもらって 明らかにおかしい点がたくさんある私は頭を使ったまず こういう結果になるのは分かっているから反対したのに責任を元主人に押し付けるのはおかしい 本部長に責任がいくのは分かるがどういうつもりなのだ仕事を手抜きしてたわけでもなく 毎晩こきつかわれてやっていたのに 賃金を支払わないとはどういうことだ本社は今回の件に一度首をつっこんでる破棄になったことを本社に報告したら 子会社としての業績はダウンし 子会社からはずされる危険性もある 社長は絶対そうしたくないはずだだったら おどしの意味で本社の部長と社長に報告しますよと言ってみるのも手ではないか?それに 今まで5件の会社が契約破棄されているその全ての会社を調べ上げてどのような手口で破棄されたかそれが全く同じ手口の場合 明らかにこれは 詐欺裁判に訴えるという手もあるそれに 前の船会社からの忠告も覚えている領収書を燃やすというやりかたどれをとっても裁判に勝てるはず!私はこれらをまとめて元主人にすぐメールした元主人は 会議の席で私の案を言ってみるといったあとは結果を待つのみだ確かに 私と元主人は 嫌いで別れたわけではない元家族が理不尽なことによって会社から抹殺されようとしてるのを私は黙って見てられない元妻としては やや行き過ぎのような行動にもとれるだろうけれどやはり理不尽は理不尽 ゆるせませんしかしなぁ~ 私くらい元主人が頭が回ってくれていたらこんな心配しなくてすむのに・・と ふと思ってしまったのも事実これじゃあ 夫婦逆転だよね^^;成年後見制度は明日から書類に手をつけてみますけどやってみて どうしても無理そうなら司法書士にお願いしようかなとも思ってますとりあえず 昨日と今日と疲れたよ^^;
2008年08月29日
火曜日に逗子へ行き 疲れ果ててしまった私は昨日はお休み^^;まあ 無理せず 楽しくやっていかなきゃね^^久しぶりに外出して遊んできました今日は ずっと長い間お休みしていた仕事場へ挨拶をかねてご迷惑をかけたおわびにお菓子を持っての訪問です会社の上司からは大変暖かい言葉をかけていただきいつ母の具合が急変するかも分からないし 自分自身の病院や手続きなどであまり仕事ができないと申したのですが それでも これる日だけでいいから構わないよ とおっしゃってくださいましたありがたいことですというわけで皆さんに顔を見せると 事情を知ってる人たちは大変心配してくれて;;暖かく迎えていただけましたただ 残念なことに 私とずっと一緒に仕事をしてきた人たちが4名ほどおやめになる(一人は手術のため長期休養)ことがわかり 新しい人が入っていました今日は同期のやめる人が今日だけ来てたのでお会いできてよかったです^^新しい人たちが業務になれるまで3.4ヶ月かかります私はせっかく来たので ドクターストップはかかったままでしたが二時間仕事をして帰りましたたった二時間だったけど やはり体力がなく ものすごく疲れてしまい家に帰るなり バタンキューそうそう それと お土産に持っていった カスピ海ヨーグルトチーズバー というのをデパートで購入していったのですが たくさん買ったので 本当なら一本だけおまけのところを5本もおまけしてもらい^^;帰る時に寄って行って下さいとのこと(冷蔵のため)デパートはこういうサービスがあるから大好きです本当はシャメでもとってお見せしたいところですがなにぶん疲れ果てているので とれませんでした・・(すみません・・)すごくおいしかったですよ^^帰宅すると郵便物の中に 市川家庭裁判所から成年後見制度の書類が届いていました見てみると 40枚くらいあるんじゃないでしょうかね・・その他にも詳しい説明のパンフレットが2冊・・ざっと見たんですけど 要するにあれと似てるなと思いました亡き父の遺産相続の際やった手続きです・・あのときも 自力でできず 司法書士の方にお願いして作っていただいたのですが今回は自分でやらないとだめなようです;;もうわからなーい;;しかも;;ずーっと先を読んでいくとこと細かに提出しなければいけないものが毎年・・つまりですね 例えば母の預金から3千円引き出したとしますその通帳の3千円の横に 何のために引き出したか記入しろというのです例は おむつ代 医療費 介護タクシー代とかでした・・えー・・・私は おおざっぱな所があるので いちいち おむつ買うためだけに引き出しにいったりしませんよ・・ って普通そうですよね・・もろもろ母のために使うであろうお金を一ヶ月分まとめて引き出したいのだけどそれじゃだめなのかしら;;それに 一年間の収入と 想定されるであろう支出の差額をだして一年でこれだけ減っていくのが予想されるというところまで書かなければならないのですでもさ;;この家 建ててからもう10年になるあちこち修繕もしたいそういう予想って どーやって 書けばいいのーー?;;これじゃあ 何度も何度も裁判所に足を運ばないといけないような気がする;;大抵の人は お年寄りが本人にあたるからその保護者は子供で すでに家庭があり 扶養に入ってるんだけどそうなってくると 本当に 本人が使う分だけ簡単に計算できるのだが我が家の場合 扶養にも入ってないし 戸籍も別々だし しかも私は出戻りで元主人はまだ慰謝料払ってくれてないし 父の遺産は全部母の名義になっちゃってるし私はお金ないんだよーーー><いまだって 仕事休んでいるのに 自分の生活費だけでも大赤字なのにどうやって書けばいいのだ?;;(´;ェ;`)ウゥ・・・明日からこの書類と格闘だ;;必要な書類を集めることは簡単だけど記入方法が複雑すぎてわけわからん家に帰って 私と同じようにストレスで体調不良限界まで来てる友達から電話がかかってきた話を聞くと原因は違うけど症状は全く一緒住んでいる所が大阪なのでお奨めの病院は全くわからないけれど3時間ほど電話でお話した今の私は 薬が良く効いて こうやって友人を救うこともできる今までの私は こうやって 自分の友人に何度も話を聞いてもらった大変感謝してるから 同じことができるのだ困っているならお互い様助けられるほうが助けてあげられる そんな世の中になったらいいね^^というわけで 疲れ果てましたので ねましゅ・・・zzz
2008年08月28日
ここのところ 一日一食に戻ってしまったので大変体力のない私です今日は 母の所へ行って来て疲れ果ててしまったので簡単に書きます今日は雨だった天気予報では曇り時々雨だったのだけど 結局ほとんど傘をさすはめに普段だったら雨の日は虚弱体質のため行かないのだけど今週はずっと雲行きが怪しかったし 何より母のことが心配だったから無理をしてでも行くことにしたその前に 今回の胃婁の入退院のお世話をしてくれた逗子の病院の看護婦さんと院長先生へ また介護保険の申請で色々やりとりをしてくれた受付のお姉さんたちへお礼のお菓子をデパートに買いに行った結局母が好きなものばかり買ってしまって 母が食べるわけではないのにと 心の中で残念に思ったが 一階のデパートの入り口でバーゲンをしていたのを発見!実は 日曜日にご近所の方がお亡くなりになりお通夜に急遽いく羽目になったのだけど なにせ10年前の靴なので履いたはいいが脱いだら中敷がべろーんとはがれてしまったのだ・・我が家は物持ちがよい どのくらいいいかというと 35年くらい前の靴や傘洋服などがまだ使えるのである(少し異常かな・・)冠婚葬祭は不意におとずれるので いつでも万全に整えておかなければならない というわけで靴を購入しようとあれこれ見てたのだけど時間がきて 帰りにもう一度寄ることにする逗子で初めての食事をとり 薬を飲んだ後母の元へまず 受付のお姉さんにお礼とお菓子をそれと 今回胃婁手術が無料だったことをお話し 横須賀病院の○○先生にお願いしたら 私の母以降胃婁の手術を受けるとき助かるだろうと思って手術承諾書をお見せした受付のお姉さんは大変助かると言ってくれたし 無料は母が初めてだったようです^^;(ある意味運がいいねw)次にナースステーションに行きお渡ししようとしたら 誰もいなかったので うろうろしてるとスタッフの方が2階にいるわよと教えてくれたので2階に行ったら母の部屋から出てきたところで出くわした看護婦さんは何も知らないから「さあ どうぞ お部屋の中へ」と言ってくれるのだが 胃婁の母の前でお礼のお菓子をお渡しすることなどできないから 少し廊下に出てもらって お礼とお菓子をお渡ししたそこで 今までは私がお菓子を持ってきて与えていたけれど 今後はできないだろうから 何か持ってきてナースステーションにお預かりしていただいて与えてくれないだろうか?と言ってみた 母は食べることが大好きなのだ看護婦さんは いいですよ 日持ちのするゼリーかプリンかアイスなどがいいでしょう と言ってくれた母はスイカが大好物だったのでそれはどうでしょうと 聞いてみたが 水気のあるものは危険だからだめということになってしまったということは ゼリーにしろプリンにしろ水気の少なくて甘みの強いものがよいらしいアイスがなぜいいかというと 口の中で刺激を受けて すんなりごくんと飲んでくれるかららしいのだ なので 味の濃いものがよいとされるようだ飴もキャラメルも禁止になってしまった今度 母に おいしいゼリーとプリンを持ってきてあげよう話が終わり看護婦さんが「さあ 中へ」と言って先に入っていったけど「あ 今いい状態ではありませんね こういう状態だと首がそって飲み込みが悪いのです」と説明した私は中に入ってみたが 一目見るなり「せん妄か」と思うような状態だったが 母は私の声が廊下からうっすら聞こえてきてたので 私が近寄ると眉間にしわを寄せて「娘が 娘が!」と訴えるそうか 母は私を待っていてくれたのだね^^声だけ聞こえて そのまま帰ってしまうのではないかと思い 嫌だったのだろう私が「お母さん 私はここにいるよ^^ お母さんが心配だったから雨でも来たんだよ どこにも行かないよ 安心して^^」そういうと 母は安心しておとなしくなった看護婦さんもいなくなったので 母の顔のお手入れ開始である鼻管チューブをつけていたからずっと切れなかった鼻毛を時間をかけてきり 鼻の中も掃除してあげて 髭もそる 目薬をつけてあげ 化粧水で顔を満遍なく潤わせ 美容液をつけたあと顔全体をマッサージしてあげるすると うっとりしてしまい 母 又 ぐーぐー寝る・・まあ 気持ちいいことは いいよね私もマッサージしてもらってるときに このまま寝れたら幸せだなあと いつも思うものなので 私は母の顔をじっと見守りながら時を過ごす途中爪きりをしにきてくれたスタッフの人がきて 母の爪を切ってくれた入院したては 一年くらい私が手足全部切ってたのだが 大喧嘩したあとから 切ってくれるようになったのだ(まあ 普通病院でやると思いますけどね・・)スタッフはお菓子効果があったかどうか知らないけれど 寝ている母に「お母さん! せっかく娘さんが来てくれたんだから 起きていっぱいおしゃべりしなさいよ!」と母を何度か揺り動かして起こそうとしていたが 私は「いえ マッサージしたあとはいつもこうですから 構いませんよ^^ 気持ちいいのでしょう」と言って起こすのをやめさせたまあ 実際 起こされて一度目をあけたけど 大きなあくびをして 又寝てしまったwおむつ交換がきたので私は部屋をでるとともに 雨も降ってることだし帰る事にした帰りに院長先生にばったりあったので「昨日なんとか説得しまして成年後見制度 自分の管轄の裁判所で受付してもらえることになりました 今日申請書をもらうよう郵便でだしましたので よろしくお願いします」とご挨拶しておいた院長先生も不思議に思ったらしく「なにがいけなかったの? お母様が現在いる場所がってことなの?」「そうなんですよ・・でも 規則は住民票と入院しているってことなので それには全く当てはまらないので千葉の上司から注意してもらいました」「そう よかったわね^^ それと 今は成年後見制度 かなり簡単にとれるようになったから 実際に調査員がこなくても医師の診断書だけでできるようなので すぐにとれるわよ^^」「なんか そうみたいですね^^; 母が回復の見込みがないとわかると手のひら返しましたから^^;」そんな会話をして 病院をでた半年以上かかると思っていたけれど もっと早いかもしれない よかった帰りのバス停まで歩くのに ふらふらになってしまったどうも一日一食では逗子までくる体力がないようだ・・(当たり前か)珍しく帰りの電車でぐーぐー寝て デパートに寄って半額以下になっている靴二足購入した なぜって?実は・・今履いている 痛くない靴5年目なんですけど親指のところが破け・・靴の裏側がぼろぼろになって もう限界だったからです・・オーダーで靴を作るとなると一足3万円私の足は大変難しくて市販の靴を探すのは大変だけど 変に貧乏性なので一足3万のを買うなら 試しに履いてみて良さそうな3千円の靴10足購入したほうが 私は絶対いいと思う(まあ 考え方の違いなので賛否両論でしょう)食欲は全くなかったが ふらふらすぎたので デパートのおにぎりを購入して 母用のプリンを購入した実際試食してみて分かったのだが 果実入りとか 水気の多いものが圧倒的に多く 今後苦労するだろうなあと早くもげんなりである母は洋菓子より和菓子のほうが好きであったいっそのこと水羊羹のほうがよかったかと思ったが もう疲れ果てていたので大量の購入物を持ちながら ふらふらしながら帰り珍しくゆーーーっくりお風呂に使って おにぎりを食べたもう眠いでしゅそれではまた・・・zzzzz
2008年08月26日
今日から私の再始動の日まずやらなければならないのは 時間がとても食う成年後見制度以前の日記にもちらっと書いたが私の市の管轄は千葉県家庭裁判所市川出張所一度申請しようと電話したら 母が逗子にいるから横須賀裁判所へ申請しろと言われ郵便切手を同封して(290円)わざわざ取り寄せたのだその後院長先生とお話することがあり 私が横須賀裁判所で申請しようとしてると言うと「ええ?皆さんご自分の市でやってますよ?」と大層驚かれたこの病院は他県からも数多くの患者が入院している他県でやっているのになぜ我が市では・・と 腑に落ちないのだったというわけで まずネットで調べて管轄外だが出張所より力をもつ千葉県家庭裁判所を調べ電話することにする事情をお話すると担当者は「おかしいですねえ? 本人が住民票を○○市で持っているか 別の所で入院もしくは施設に入っていれば自分の管轄の家庭裁判所で受けられるんですよ それが決まりです」とはっきり言ったやっぱり・・ おかしいな・・そこで私は戦う決意をした「母は○○市の住民票を持っています ですが 本人が現在いる場所が逗子なので横須賀ではないと絶対だめだと言われました」「お母様は○○市の住民票を持っているのですよね?それで受けられないのは他になんらかの事情があるからかもしれません 例えば市川出張所では人数が足らず逗子まで確認のためお母様のところへ行くのに一日がかりになりますよね それがいやなんじゃないでしょうか?」はああああ?悪いけど私もう五年も行ってますけど それが 何?たった一日の移動が嫌だっていうのかよ・・・「分かりました 一応ですね 横須賀の書式ももらってますが もう一度その決まりを市川出張所に電話で言ってみます」それで一度千葉家庭裁判所とは電話を切った裁判所でしょ・・ 決まりは絶対だよね・・決まり破ったら 裁判所の意味ないじゃんよね・・私は もう一度市川出張所に電話した同じことを話した 母のこと 以前断られていること 横須賀まで行くのが大変なこと答えは同じだった・・・「基本はお母様が現在いる場所にいるところが管轄なのです ですから こちらではできません」私は粘った「今 千葉家庭裁判所に電話して聞いたのですが 基本は母が住民票を持っていること それと現在入院又は施設にいること これが規則ですよね? 母は住民票を持っているのですよ それがなぜ市川で受け付けてもらえないんですか?」「少々お待ち下さい 周りに聞いてみます」2秒後「やはり周りも 基本はお母様が現在いる場所にいるところが管轄だということで こちらではできません」(おのれはコンピュータか!)「お願いします!母の入院先の院長先生も皆さんご自分の市でやってもらっているといいました 横須賀は遠いです 働いてもいます 母の所へも行かなければなりません お願いします 市川で受けてもらえないでしょうか;;」「横須賀には一度面談に行けばいいだけですし 後は郵送で構いませんから こちらでは受付できません それに前例がありませんからできません」「・・・・・・・・・・」私は長い間黙ってしまった「それじゃ そういうことで」切ろうとしたその担当者に私は怒りの刃を向けた「ちょっと待ってください あなたの名前はなんておっしゃるのですか?」「○○です」「そうですか じゃあ 今から千葉家庭裁判所に電話して市川で言われたことを言います そしてあなた宛に直接電話してもらいますから直接会話なさってください」「わかりました」電話はぶちっときれた私はすぐに千葉家庭裁判所に電話しなおした さっきでた担当者の人に事情を言った「どんなことがあっても できませんの一点張りでした」「おかしいですねえ」「お願いします 担当者の名前を聞きました○○さんという方です 直接お話していただけないでしょうか・・」「分かりました ○○さんという方ですね?こちらも上司からお話させますので あなたの名前と電話番号を教えてください」私は言われたとおりに教えた私だって馬鹿じゃない 上司がでてくるとなったら こちらの勝ちだ千葉家庭裁判所は千葉県の中枢 たかが出張所の上司がでてきたってルールはルールだしばらくして千葉家庭裁判所の上司という人から電話がきた「部下から状況をお聞きしましたが こちらで調べたところ○○という人は存在しませんね 聞き間違いではありませんか?」「え?」偽名か?私は疑ったが・・「いえ ○○さんと言っていました」そうか上司はネットで名簿を調べたのだ「じゃあですね ○○さんはいるかどうかわかりませんが私が直接市川出張所にお話しますのでしばらくお待ち下さい」「すいません;;お手数おかけしまして;;」「いえいえ こちらも色々ご不便おかけしまして申し訳ありません 少しお待ちくださいね」私はまた 待った電話がなった 千葉家庭裁判所の上司だった「状況とあなたの意思はお伝えしました あと○○さんは8/1付けで配属された方のようでした 違う担当の人とお話はしましたけれど きちんとお話しました ただ こちらは受付だけですので裁判官が決定権を持ってますから 仮に市川で受付が通ったとしても裁判官が横須賀に権限をうつすと言われたらそれまでですよ」なるほど・・「ありがとうございます それではもう一度市川に電話してみますけれど 何という方にお電話なさったのですか?」「××さんという人です」「××さんですね わかりました それともう一つ聞きたいことがあるのですが もし今市川に電話して やっぱりだめだと断られたとしたら 千葉に申請書をだすとどこをどうたらいまわしされて私はどこへ面談へ行けばいいのですか?」「確かに本庁に出されたとしても管轄外なのでどこへいくかは裁判官が決めることですが あなたがどうしても千葉県で面談を受けたいというのならその要望は伝えますし そうなると 千葉か市川になりますね」「そうですか・・市川ですか・・」「市川はお嫌ですか?」「・・・・正直 今回の件で 二回も断られ良い印象は持っていません」「なるほど」「そこで面談をしたときに 私はにこやかに笑ってもいられないでしょうし ひょっとしたら保護者選任からはずされてしまうかもしれません」「ははは それはないでしょう 今までのいきさつはあったかもしれませんが 仕事は仕事です 面談に私情ははさまないでしょうし大丈夫ですよ それとも千葉でおやりになりますか?」「・・・・そうですね・・ もし 今回市川からはずれたら 横須賀から書類も取り寄せてますし横須賀に行きます」「そうですか わかりました ご不便かけて本当に申し訳なかったと思ってます」「いえ とんでもない 私こそご面倒をおかけしまして申し訳ありません ありがとうございました」電話はきったよし!最後の戦いだ!私は怒りが収まらなかったなぜって? 前にも日記に書いたようにこれが私じゃなかったらと思うからだ私だったらこういう理不尽 おかしいと思って頭を使ってあれこれやるよねでも もし 老老介護してる人たちでさ 子供がいなくて 身内もいない場合そういうお年寄りが私と同じ立場だったら 言われたとおりに横須賀まで行くんだよね?成年後見制度を取るということは すなわち 正常判断できなくなってしまった身内ができたということだそういう弱者がいる家庭に世の中はなんと冷たいことか;;私は市川出張所に電話して××さんをお願いした「さきほど千葉家庭裁判所からお電話があったと思いますが おのづと申しますけれど」「ああ お話はお伺いいたしました それで市川で手続きなさいたいということなのですよね? お母様は こういったら失礼にあたりますが 退院の見込み 回復の見込みはございますか?」「いえ・・難病で 予後不良です・・」「そうですか では 市川で受付をしますので こちらに一度来ていただいて書類を取りに来ていただくか郵送という形になりますけれど」はあ??????はあああああああああああああ????はああああああああああああああああああああああああ???おいおいおいおいさっきまでの受付はしないって話はどこいったんだよ?なにすんなり受付するっていうんだ?女だからと思ってなめてんのか?私は郵送という形をとり 必要な書類がそろったらこうしろああしろと言われたことをメモッただが 私の怒りは収まらない向こうはすぐにでも電話をきりたそうであるし今までの非礼をわびてもいない「あのね 言いたくはないんですけどね 私は二回もここで断られたのですよ?」「大変申し訳ありません」「私の母の病院は難病専門病院で他県からも大勢の患者が来ているのです 皆自分の管轄の裁判所でやったと院長先生はおっしゃられていた 断ったのはここが初めてですよ」「はあ・・」「言いたくはないけれど千葉県は難病には厳しい県です 他県に行って治療してる方が大勢いると思います 特に我が市の○○は病院関係全滅ですよ そういう人たちが私のような思いをしている人たちがこれからでてくると思います そのときには是非拒絶といった態度を改め なんとか受付してあげてほしいです」「わかりました」「老老介護の方もいます 私よりもっと悲惨な状況の人もいるでしょう どうか拒否することはもうやめてください」「わかりました」電話はきれた謝りも誠意も伝わらなかったただ自分たちよりえらい部署の上司が文句言ってきたからそれに従っただけだと思う内心は煮えくり返っていたかもしれないだろう「なんだ この女 千葉に言いやがって!」そう思っていたかもしれないでもね それが 私なんだよ不正は許せない特に弱者がぞんざいに扱われたり 理不尽なことをされるのが一番嫌いなのだ私はそういうことを黙って はいそうですか とおとなしく引き下がる女ではない市川で受付してもらうと決めたからには 面談しに行かなければならないだろうし 何度か足を運ぶであろう有名になってるかもしれないな あのうるさいおばさんがやってきた と思われるかもしれないだろう私はただ毅然と手続きをすませればいいどう思われようが 配慮のない人間はこっちから願い下げだ最後に千葉家庭裁判所の上司にお礼の電話をしたそしたら「そうですか 市川で受け付けてもらえましたか 良かったですね でもね 決めるのは裁判官ですから あくまで受付は市川でも 裁判官が横須賀へと言われたらそれに従ってくださいね」「はい ご面倒おかけしまして 誠に申し訳ありませんでした 大変助かりました お忙しい中ありがとうございました」電話は切った裁判官がどう決めようが私にはどうでもいいこと横須賀へ行けというならそれもいいだろうだが 受付窓口にあたる人間のあの態度に腹がたったのだというわけで4時間 4時間ですよ!この無意味な 全く無駄ともいえる時間を使いました前にも書いたけど 私はこういう無駄な時間が大嫌いおかげさまで もう外での手続きはできなくなったわ・・ははは;;明日は一週間ぶりに母の元へいく何か食べれたかな又 歯のお掃除をしてあげよう^^
2008年08月25日
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