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申し上げたい事は限りなく、語り尽くすことがおできにならないほどです。夜の明けないという『くらぶの山』に宿を取りたいほどなのですが、生憎の夏の短夜ですからせっかくの逢瀬も反って興ざめなのです。「見てもまた 逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるゝ わが身ともがな(あなたさまに、やっとお逢いできました。夢でさえもめったに逢う夜がありませんのに、いっそのこと夢のようなこの時間にうちにまぎれて、わが身は消えてしまいたいほどです)」 と、涙で声が途切れがちでいらっしゃる様子もさすがにお気の毒ですので、お返事を差し上げます。「世がたりに 人やつたへんたぐひなく うき身をさめぬ 夢になしても(世間の噂話として、きっと人が言い伝えることでしょう。たとえ私が死をもって、この辛い身を醒めない夢にしたとしても)」 藤壺の宮が思い乱れていらっしゃるのは尤もな事で、畏れ多いのです。 命婦の君が御直衣などをかき集めて、源氏の君の元に持ってまいります。
May 31, 2010
さて、藤壺の宮は御患いなされて、三条のお屋敷にお里下がりなさいました。 源氏の君は、父・帝がご心配なさり、お嘆きあそばすご様子をおいたわしく見たてまつりながらも『この機会に、ぜひ逢いたい』と浮き浮きし心も乱れて、他の女人の所へはとんとおいでにならないのです。 宮中にてもお里にても、昼間はただ藤壺の宮を思い焦がれてぼんやりとお庭を眺め暮らし、日が暮れると藤壺の宮に逢わせるようにと王命婦をお責めになります。 王命婦がどのように取り計らったのでしょうか。無理算段の末の逢瀬も、現実の事とは思えぬ辛さなのです。 宮も、以前の思いがけない密会だけでも一生の御物思いなのですから、『せめてあれ限りにして、もう終わりにしたい』と、深く思っておいでですのに今またこんな事になって、たいそう辛く耐え難いご様子なのです。それでも君にはなつかしくいとおしげで、さりとて馴れ馴れしくもなく深く恥らう身のこなしなどが、やはり他の女人とは違っておいでになるのです。源氏の君は、『どうして多少の欠点すらもおありにならないのだろう』 と、宮のうつくしさを切なくお思いになるのでした。
May 30, 2010
君は尼君への御文の中にも、「かの姫君が御放ち書きなさったものを、ぜひ見せていただきたいのです」 と、たいそうねんごろにお書きになって、「あさか山 浅くも人を思はぬに など山の井の かけ離るらん(姫への私の思いは決して浅くはございませんのに、どうして掛け離れることがございましょう。可愛い姫の面影が、私の心から離れることがないものを) 尼君からの御返しには、「汲みそめて くやしと聞きし山の井の 浅きながらや 影を見すべき(汲み始めて後悔すると聞く山の清水のようなあなたさまの浅い御心では、姫の影すらお見せするわけにはまいりませぬ)」 とあります。 少納言の乳母からの伝言では惟光も、「しばらくの間ここで過ごしておりますが、尼君のご病気が快復なさって京の御殿にお渡りなさいましてからお返事を申し上げましょう」 と、同じようなことをご報告申し上げるので、源氏の君は気が急いてならないのでした。
May 30, 2010
「北山の尼君の所に、少納言の乳母という人がいるはずだから、尋ねて行って詳しく話してみておくれ」 など、話してきかせます。惟光は、「ほんに、何事にもよく係り合いなさることよ。あの姫はまだ幼げな様子であったものを」 と、正面からではありませんでしたが、垣根越しに見たことを思い出して興味津々なのです。 源氏の君からわざわざ御文をいただいた事で、僧都も御礼を申し上げます。 惟光は少納言に消息文をやり、対面しました。そして源氏の君が思し給う事、日々のご様子などを詳しく話したのです。惟光は言葉巧みな人で、もっともらしく話し続けるのですが、北山の人々はみな「まだ無分別な年令でいらっしゃるのに、どうお思いなのでしょう」 と、困り果てていました。
May 29, 2010
御筆跡などが優れてうつくしいのはもちろんですが、たださり気なく包んでいらっしゃる包の様も、お年かさの尼達には目もくらむほど素晴らしく見えるのです。尼君は、「あらまあ、これに何とお返事したらいいのでしょう。気がひけますわ」 と、お悩みになるのでした。それでも、「ついでの仰せ事には深い意味などないように思われましたので、このようにわざわざお手紙をいただき、どのようにお返事したものかと困惑しております。何分まだ幼く、『難波津』の手習い歌さえ満足に書けないようでございますれば、お返事を差し上げることができませぬ。それにしても、あらし吹く 尾上の桜散らぬまを 心とめける ほどのはかなさ(あなたさまは「嵐が吹く峰の桜が散らぬ間」と仰せですが、私にはつかの間の御心ざしに思えるのでございます) ですから、とても心配で」 と、書いてあります。 僧都からの御返事も同じような内容ですのでがっかりなさって、二・三日後に惟光を尼君の元へお遣わしになります。
May 29, 2010
翌日、北山の尼君に御文を差し上げなさいます。良い折ですから、僧都にもご本意をそれとなくほのめかしておいでになります。尼上には、「私の事を取り合っていただけぬ尼君のご様子に憚られまして、私の思いの程を十分にお話し申し上げずにおりますことが残念でございます。このように申し上げますにつけても、軽からぬ私の気持ちの程を思いやりいただけましたら、どんなに嬉しく」 など書いてあります。その中に小さく引き結んで、「おもかげは 身をも離れず山ざくら 心のかぎり とめて来しかど(山桜のように可憐で可愛らしかった姫の面影は、この心からも身からも離れることがないのです。我が心のすべてを姫に留めて来たというのに) 夜の間に吹く風も、花を散らしはせぬかと気掛かりでなりませぬ」 と、書いてあります。
May 28, 2010
それはともかく、あの若草の姫の成長を見たいものとお思いになるのですが、尼君たちがまだ結婚にふさわしい年齢ではないとお思いになるのも道理なのです。『あれでは、姫に直接言い寄る事も難しかろう。どんな工夫をすれば気兼ねなく迎えて、明け暮れの慰めとして世話することができるだろうか。兵部卿の宮は上品で控えめでいらっしゃるけれど、際立つような気品がない。それなのにあの姫は父・兵部卿の一族とは思えない香り立つような気品がある。兵部卿の宮と藤壺の宮は同じ后腹の兄妹だから、叔母上に似たのだろうか』 など、お思いになります。 先帝の姫宮であらせられる恋しい藤壺の宮とは叔母と姪の関係になりますので、その血筋からもたいそう身近にお感じになり、『何とかして手に入れたいもの』と、心に深くお思いになるのでした。
May 28, 2010
「ところで、放送していただくのに、費用がかかるのでしょうか?」 我ながら実に浅ましい事を、と思いながら恐る恐る尋ねるとTさんは笑って、「そんなことはありません」と言います。「企画書をFAXしますので、よろしくお願いします」 と、いたって簡単に事は進みましたが、カレンダーを見ると放送の金曜日は二日後に迫っているではありませんか。 世の中何事もすんなりいかないもので、「入れ歯の具合が悪くて物が噛めない」と言う母をデンタルクリニックに連れて行かなくてはならず、朝一番に予約を入れて駅前まで送り、治療している間に取って返し、目の悪い家人を連れて店を開け、母を迎えに行って家に送り届けるというハードなスケジュールで金曜日が始まりました。おまけにこの日に限って問屋のセールスさんが二人も訪問し、ドキドキする間もなく、放送一時間ほど前にはTさんとレポーターのYさんが到着。二人ともフレンドリーで、私もリラックスしてお話しすることができ、楽しいひと時でした。 この時の模様が3枚の写真とともに、エアーG・FM北海道のHPに掲載されていますので、ご覧いただけましたら幸いです。
May 27, 2010
そんなふうに携帯電話にかかわっている時、FM北海道の編成制作部のTさんという男性から電話がありました。「金曜日の午後の生放送に出てもらえますか」 というのです。 私は「え?なんで?」と思いました。うちの店には壁面に看板こそありますが、薬局にありがちなドリンクの旗やPOPもありませんし、チラシなどの宣伝活動も一切行っていないジミ~な店だからです。まして放送局から連絡をいただくようなツテもありません。「あのー、どうして私なんでしょう?」 と尋ねると、女性をターゲットとした番組で、金曜日の午後に働いている人を訪ねて、いろいろお話を伺うコーナーなのだそうで、「今回は薬剤師さんにお話しを伺うことになりまして」と言います。「でもうちの店は漢方薬だけで、一般医薬品も健康食品もないですが、それでもいいのでしょうか?」「はい、そこが面白いと思いました」 と、実に嬉しいお返事です。
May 27, 2010
ドコモさんからの電話では、ポート番号はプロバイダ側がブロックしているとのことでした。つまり迷惑メール対策なのだそうで、サイトにアクセスし、IDとPWを入れてログインすれば会員限定で確認できるというのです。さっそくログインして確認すると、番号がまるで違っています。指定された番号を入力するとメデタク接続と相成りましたが、こんな事は私一人では想像もつきません。ドコモさんさえも「このような相談を受けたことがなかったので、ご報告が遅れてすみません」と言うのです。 ところで、パソコンのプロバイダを使ってXPERIAからメールしてみると、無線ランでもモバイルでも送信されるのですが、XPERIA指定のプロバイダで送信する場合、無線ランでは接続できず、モバイル通信に切り替えなくてはならないのは何故なのでしょう。この理由を聞きに行くのは、家人の役目でした。 説明はカンタンで、「XPERIAのプロバイダは、NTT回線を利用しているため」なのだそうです。 しかしパソコンでのメールアカウントに切り替えると、無線でもモバイルでも両方送受信できるのです。何やらXPERIAのシステムには、まだまだ問題アリという感じでした。
May 26, 2010
現在我が家には4台、店にも3台のパソコンがあって、いずれも無線ランで使用しています。そのためパソコンの近くにいるときは、携帯電話機でも無線での設定をすればモバイルを使わずに済む、というわけです。 モデムともうまく接続できましたし、レクサス販売店で「接続します」と言ってくれましたが、案外簡単にBLUETOOTHとも接続することができました。 ただ、モバイル接続を使わないとメールの送信ができず、これでは何のための無線ランなのか・・・というのが目下の疑問点です。また、メールアカウントが最高11登録可能というので、パソコンでのメールアカウントを追加しようとしたのですが、何度やっても「送信サーバー」の設定になると「サーバーに接続できませんでした」と表示され、もうもう疲れ果ててしまいました。 ドコモさんでプロバイダの問題なのか末端の問題なのか調べてもらうことになりましたが、家人によるとSMTPのポート番号が違うのではないか、と言います。果たしてドコモさんからの返答も、家人の推理と同じでした。
May 26, 2010
ちょうどWIN95が出たばかりの頃で、私は満期になった生命保険のお金でノートパソコンを買いました。支払いカードを確認している店員さんに、「......私でも、できるでしょうか?」と、恐る恐る尋ねたのです。 すると若いお兄さんは、「最初は、ぜんっぜん分からないと思いますよ」 と、笑って応えました。力の籠った「ぜんっぜん!」には不安でしたが、「最初は」の言葉に『何とかなるさ』と、高をくくっていました。ところが言葉通り画面を立ちあげるのに1時間、設定するのには3時間もかかりました。私は中医学文献の訳文を保存するためにパソコンを買ったのですが、せっかく打ち込んだ2000文字を一瞬にして消してしまうこともたびたびで、幾度も己の愚行に涙したものです。それでもページ設定、段組み、フッターに脚注を入れる、ルビをふるなど、書籍の原稿として何とかまとめることができたのは、パソコンと外字ソフトのお蔭でしたし、この時ばかりは習うより慣れろを身に沁みて実感しました。まして今回は目に障害があるとはいえ、パソコンに詳しい家人の助けがあるのですから、何とかなるかもしれないと、私は思い始めました。
May 24, 2010
「見てきたけどね。キミのはそっけないほど簡単なのに、どうして私にはあんな複雑で難しいのを持たせるわけ?それって、ずるいんじゃない?」 家人は30年前からコンピュータを使っていて、そのシステムを熟知しているのです。彼は思わぬ所を突かれた、といった表情をしながらも、「初めてだからこそ一番新しいケイタイを持つべきなんだよ。これからはパソコンと同じ機能のあるiPhon やXPERIAの時代だと思うよ」 と、うまい事を言います。「だってあれは難しいって、ドコモのお姉さんが言ってたよ。私には無理だよー」「パソコンだって始めは難しかったけど、馴れれば不可欠だろ。それと同じだよ。最初の設定がめんどくさいだけで、使いこなすと楽しくなるんだから」 彼の言葉に、私が初めてパソコンを買った時の事を思い出しました。
May 23, 2010
家人に名刺をくれた若い女性は昼食中で、眉のつり上がった大柄な女性が一人いました。彼女にXPERIAを見せてもらったのですが、画面がまるでパソコンのようで、見るからに難しそうなのです。ずるいことに家人用の「らくらくホン」のはシンプルで簡単そうで、断然使いやすいのです。 大柄なお姉さんも無愛想に「EXPERIAは(使いこなすのが)難しいですよ」と、らくらくホンを勧めます。 要するに、おばあちゃん予備軍の鈍い頭脳には、文字が大きく操作の簡単な「らくらくホン」が分相応であって、XPERIAなどは宝の持ち腐れになるだけと言うわけです。しかし「らくらくホン」は、残念ながら無線ランはもちろん、BLUETOOTH対応機種ではありません。 進退極まった私は、店に戻って家人に抗議しました。
May 22, 2010
TVを見ながらカタログを眺めていると、ドコモの「スマート・フォン」が、無線ランにもBLUETOOTHにも対応しているではありませんか。しかも4種類もあります。 家人は、「ドコモのお姉ちゃんは『そんなのない』と馬鹿にしてたけど、やっぱりあっただろう」と鼻息を荒くしました。大型家電店の店員さんとはいえ、決して正確な商品知識を身につけてはいないようです。 そこでネットでドコモ・ショップを探したところ、灯台もと暗し、何と店の四件隣に見つかりました。翌日さっそく家人が出かけて行き、大きな文字で書いてもらった料金メモを握りしめて戻ってくると「キミもすぐ行って、どんなものか見ておいで」と急かすのです。 ちょうど雨も風もひどくなってきたところで、私は気が進まなかったのですが、仕方なく見に行きました。彼の提案を実行しないと、いつまでもうるさいからです。
May 21, 2010
ここ数日、XPERIAに掛かりっきりでした。今まで私は、携帯電話というものを持っていませんでした。旅行に出かける時こそ家人の携帯を持たされていましたが、普段はパソコンだけで不足を感じることがなかったからです。ところがレクサスのハンズフリー通話を機能させるためには、BLUETOOTHに対応した携帯電話を持たなくてはなりません。私は携帯などなくてもいいと主張したのですが、新しい物好きの家人とプールの仲間からの強い勧めがあって、しぶしぶ駅前の大型家電店に見に行ったのです。私たちの希望する機種は、第一にBLUETOOTH接続可能であること、第二にWi-Fiとモバイルとを、選択して接続できることでした。家人は、「無線ランとモバイルとを切り替えて使える携帯があるはずだ」と尋ねるのですが、売り場の若い女性たちは「ないですねー」の一点張り。しかたなくその日はカタログだけもらって、家で検討会をしました。
May 20, 2010
「たまにお口を開くと、ひどい事をおっしゃる。見舞う、見舞わぬは、夫婦の仲での言葉ではありませんよ。情けないことをおっしゃるのですね。いつもあなたさまは無愛想な御扱いをなさるから、もしやお思い直しくださることもあろうかと、あれやこれやと試み申し上げておりましたが、私をたいそうお嫌いになられたようですね。わかりました。長生きしなければあなたさまの御心も、直らないようですね」 とて、御帳台に入ってしまわれました。 けれど女君は、すぐにはお入りにならないのです。源氏の君はお声をかける術もなく、ため息をつきながら臥しておいでになるのも、半分は面白くない御心からなのでしょうか。眠たげなご様子をしながらも、内心では夫婦関係で煩悶なさる事が多いのです。
May 18, 2010
左大臣邸でも準備しておいでで、久しく無沙汰していらっしゃる間に、邸内は玉の御殿のようにうつくしく磨きあげられ、すべての用意が調えてありました。 ところが女君は、いつものようにそっと身を隠してすぐには出ていらっしゃらないので、父・大臣が熱心に申し上げて、やっとお渡りになりました。けれどもまるで絵物語に描かれた姫君のように、きちんとお座りになるだけで、身動きもなさらずただじっとしておいでになるのです。源氏の君は、『日ごろ心に思う事や北山での物語をお話し申し上げたい。打てば響く面白いお返事がいただけるならどんなに嬉しいだろう。それなのに私を、いかにも打ち解けることのないよそよそしい人とお思いになって、まるで年月とともに御心の隔てまで増すようだ』と、たいそう心外にお思いになるのです。「たまには夫婦として、世間並みのご様子を見たいものですね。私が耐え難いほどの病気で臥せっておりました折にさえも、せめて『具合はいかがですか』なりとお尋ねくださらないのは、まあ、珍しいことではございませんけれども、やはり私には恨めしく思われるのですよ」 と、申し上げます。 女君はやっと、「お見舞いせぬのが薄情だ、とおっしゃるのでしょうか」 と、あまり訪問なさらぬ源氏の君を皮肉るように、横目で見ていらっしゃいます。その目元は、こちらが気恥かしいほど気高くうつくしい御器量なのです。
May 16, 2010
京に戻られた源氏の君は真っ先に参内なさり、帝に北山での御物語などをお話しなさいます。帝は、「たいそうやつれたではないか」 と仰せになり、『死にはせぬか』とご心配あそばすのでした。そして、聖の事などをお尋ねになります。源氏の君が、尊かった聖の事を詳しく奏上なさいますと、「阿闍梨にもなるべき者であろう。修行の功労は積っていたのに、朝廷には知られていなかったのだね」 と、不憫にお思いになるのでした。 内裏にはちょうど左大臣もおいでで、「北山への御迎えに私も、と思っておりましたが、お忍びでのお出掛けでしたから、憚り控えておりました。ここ一日・二日ほどは、私どもの邸でのんびりお休みください。このまま車でお送りつかまつりましょう」 と、申し出でなさいます。源氏の君は気乗りなさらないのですが、左大臣の強引さに負けて退出なさるのでした。 左大臣はご自分の御車に君を乗せたてまつり、みずからは後方に引きさがってお乗りになるのです。婿君を大切にかしづきなさる左大臣のお心遣いを、源氏の君はさすがに申し訳なくお思いになるのでした。
May 15, 2010
僧都も、「ああ、何の宿世があってこの厭わしい日本の末法の世に、あのような清きお姿で生まれ給うたか。そう思うと、まことに悲しい」 と、涙をぬぐい給うのでした。 小さな姫君は、幼心地にも源氏の君を『すばらしいお人だ』とご覧になって、「源氏の君は、父宮よりもご立派でいらっしゃるの」 と仰せになります。「では、源氏の君の御子におなりなさいませ」 と、女房が申し上げますと、素直に頷いて『それはきっと、たいそうすばらしいことに違いない』と、お思いになるのです。 お人形遊びにも、お絵描きなさるにも『源氏の君』を作り出して、うつくしい着物を着せ大切にしていらっしゃるのです。
May 14, 2010
公達は水の落ちる様子が風流な瀧の元、岩隠れの苔の上に居並んで、御酒を召し上がります。頭中将が懐に入れた笛を取り出して吹き澄まし、辨の君は扇を打ち鳴らして拍子をとり「豊浦の寺の西なるや」と、催馬楽を歌います。この方々は並みの公達ではないのですが、それでも病後の源氏の君がひどくだるそうに岩によりかかっておいでになるご様子の、忌々しいほどのうつくしさには比べることができません。中にはひちりきを吹く随人や、笙の笛を持つ風流人などもおりました。僧都は自ら琴を持って参り、「どうか一曲だけでもお弾きあそばして、山の鳥を驚かしなさいませ」 と、熱心に所望なさいます。君は、「気分がすぐれず、たいそう辛いのですが」 と、仰せになりながらも適度に掻き鳴らして、みなお立ち出でになりました。 別れ際には、ものの数にも入らぬ法師や童べまでもが、名残惜しさにみな涙を落すのでした。ましてや僧都の坊では、ご立派な源氏の君にお目にかかった年老いた尼君たちが「この世の人とも思えない」と、互いに申し上げるのでした。
May 14, 2010
源氏の君は僧都にお仕えする小さな童に、尼君への御文を持たせます。「夕まぐれ ほのかに花の色を見て 今朝はかすみの 立ちぞわづらふ(昨日の夕ぐれに、ほのかに見た少女の愛らしさを忘れることができません。帰京する今朝は我が心にも霞が立ち、出立しかねております)」 尼君からの御返事には、「まことにや 花のあたりは立ち憂きと かすむる空の 気色をも見む(花のもとから離れがたいとの仰せでございますが、霞がかかった空の気色のようなあなたさまの御心ざしのほどを、私も拝見させていただきましょう)」 と、優雅な筆使いでたいそう上品に、しかもさりげなく書いていらっしゃるのです。 御車にお乗りになる頃、左大臣邸より、「何処へとの御連絡もなくお出掛けになりましたので」 と、お迎えの人々や左大臣の公達が、あまた参上なさいました。源氏の君をお慕い申し上げる、頭中将や左中辨、その他のご子息達も、「このような時こそお仕えしたいと存じておりまするのに、思いがけず私どもを置いてけぼりになさるとは」 とお恨み申し上げるのですが、「それにしても、このようにみごとな花を愛でもせず京に帰るのは、もったいないことですな」 と、言い合うのです。
May 13, 2010
聖は源氏の君の御守りに、獨鈷(とこ)をたてまつりました。それをご覧になった僧都は、聖徳太子が百済より入手なされたという、菩提樹の実で作られた数珠を、当時と同じ唐めいた箱に入ったまま透き通った袋に入れ、五葉の枝につけたものと、紺瑠璃の壺に御薬などを入れて藤や桜などにつけた、山寺にふさわしい御贈り物の数々を捧げたてまつるのでした。 君は、聖を始めとして加持祈祷に加わった法師への布施や、帰京のための御馳走を、前もって都へ取りに遣わしましたので、北山の寺一帯の木こりまでもがそれ相応の物をいただきました。君は、布施などしてお立ち出でになります。 僧都は尼君の所へおいでになり、源氏の君の仰せ事をそのまま申し上げるのですが、「今はまだ幼すぎて、どのようにもお返事のしようがございませぬ。もし源氏の君の御心ざしがございますれば、今少し成長しましてから四・五年の後にでも、お返事できましょう」 と申しますので、僧都も『それは尤もなことだ』と、尼君と同じお考えでいらっしゃるのを、源氏の君は歯がゆくお思いになるのです。
May 13, 2010
源氏の君は、「心が澄むような山水に惹かれはするのですが、内裏からの御使いもあり、ご心配をおかけするのも畏れ多い事ですから、帰ることにいたします。しかしすぐに、この花の盛りが過ぎないうちにまた参りましょう。宮人に 行きて語らむ山ざくら 風よりさきに 来ても見るべく(都に戻りましたら、宮人にみごとな山桜のことをお話しいたしましょう。風に吹き散らされるより先に、来て見るようにと)」 と仰せになるご様子、声使いさえ目も眩むほどご立派なのです。僧都は、「優曇華(うどんげ)の 花待ち得たる心地して 深山桜に 目こそうつらね(あなたさまのご訪問をお受けして、三千年に一度咲くという優曇華の花を見たような心地がいたしました。深山桜になど、目が移りましょうか) と申し上げますので、源氏の君は微笑み、「三千年に一度咲く花と私とを比べるのは、無理というものでしょう」 と仰せになります。聖は源氏の君より御盃を給わり、「奥山の 松の戸ぼそをまれにあけて まだ見ぬ花の 顔を見るかな(奥山に棲んでおります私は、めったに開けることのない戸びらを開けて、まだ見た事のない花のようなお顔を拝見させていただきました)」 と、涙を流して見たてまつるのです。
May 12, 2010
明けて行く空には霞がかかり、山の鳥たちがそこはかとなく囀りあっています。名も知らぬ木草の花々が色とりどりに散り混じり、まるで立田姫の錦を広げたようです。その上を鹿が立ち止りながら歩くのも、源氏の君にとっては珍しい風景とご覧になり、ご気分の悩ましさも紛れてしまいました。 聖は動くこともようしないのですが、何とかして源氏の君のご健康のために僧都の所まで来て、加持祈祷をなさいます。いかにも功徳があるような枯れた声で、途切れ途切れに陀羅尼を読むのでした。 お迎えの人々が山にやって来て、源氏の君の病が治り給うた御喜びを申し上げます。内裏からも見舞いの御使いがありました。 僧都は、珍しい御くだものを谷の底まで掘り出して、接待なさいます。「私は、今年一年ばかりは山籠りすると固く誓いましたので、御送りに参じることはできませぬが、それが反ってお名残惜しく思われまする」 と申し上げて、御酒を献上なさるのでした。
May 12, 2010
GWは日帰りドライブを楽しみました。郊外の中山峠を越え、道の駅で地元の野菜を買い、喜茂別ではランチにきのこ料理をいただき、洞爺湖を見下ろす丘の上に建つウィンザーホテル洞爺で、とびきり高いお茶を味わってきました。洞爺湖サミットで一躍有名になったホテルですが、山の上に建っているのでロケーションが素晴らしいのです。中央に立つと右手に洞爺湖、左手に羊蹄山が眺められる、吹き抜けになったガラス張りのロビーがあって、初めて入った時は景色とみごとに調和した美しさに、ため息が出たものです。ところが久しぶりに行ってみて、驚きました。その素晴らしい眺めが山側と湖側とに区切られていたのです。つまり吹き抜けになった広いロビーは、中二階が作られてしまったために、左右を見渡すことができなくなったのです。訊くと、サミットの前に改築されたのだとか。確かに3階までも届きそうな、高く大きなガラスではあまりに無防備で、世界のVIPを迎えるには不安だったのでしょうが、あの雄大な眺めに惹かれていた私には、がっかりでした。運が良ければハープやピアノの演奏まで聴けたロビーの解放感もすっかり失われていて、とても残念に思いました。
May 11, 2010
そこへお勤めを終えられた僧都がおいでになりましたので、『話してしまったからにはもう、待つより仕方がない』と、屏風をお閉めになりました。 明け方になりましたので、法華三昧堂から法華経を読誦する声が、山から吹き下ろす風と共に聞こえてくるのもたいそう尊く、滝の音と響き合っています。「吹きまよふ 深山おろしに夢さめて 涙もよほす 瀧の音かな(吹き迷う深山下ろしの風の凄さに、すっかり夢がさめてしまいました。それに瀧の音には、涙が誘われる心地がします)」 すると僧都が、「さしくみに 袖ぬらしける山水に すめる心は騒ぎやはする(あなたさまは山水に思わず涙して袖を濡らしたとおっしゃるが、ここに長く住み、行い澄ましている心は、動くことなどないのです) 聞き慣れているせいでしょうか」 と申し上げるのです。
May 9, 2010
「姫君のご様子は、お気の毒な事と承っておりますが、わたくしを、お亡くなりになられた母君の御代わりに、と思っていただけないものでしょうか。私自身も幼少の折、母に先立たれてしまいましたので、妙に不安な気持ちで年月を重ねて参りました。姫君はその私と同じような境遇でいらっしゃいますから、『どうか私をお仲間にさせていただきたい』と申し上げたいのです。このような機会もめったにございませんので、どうお思いになるかも憚らずに申し上げた次第でございます」 と、申し上げます。尼君、「大変嬉しい御言葉ではございますが、その子につきお聞き違いあそばしておいでになる事柄がございますようで、私は気が引けるのでございます。確かに心もとない私の身一つを頼りとしている子はございますが、まだたわいもない年齢でございまして、大目に見ていただける事でもございませんので、とても御引き受けすることができないのでございます」「委細承知しての申し出ででございますので、窮屈にご遠慮なさらず、私の類ない思いの深さをご覧になっていただきたいのです」 と、源氏の君は熱心に申し上げるのですが、尼君は『結婚など、とても考えられぬのに、それを知らずにおっしゃるのだ』とお思いになって、快いお返事もなさらないのです。
May 8, 2010
「このようなついでのご挨拶など、まだ申し上げる事も知らず、経験のないことでございまして。恐縮ではございますが、このような機会に、尼君に直接申し上げたい事がございます」 と申し上げます。尼君は戸惑われて、「何かの間違いをお聞きになったのでございましょう。たいそうご立派な方でいらっしゃいますから、とても恥ずかしくて、どうお応えしたらよろしいものか」 とおっしゃいますので、女房たちは「お返事を差し上げませんと、へんに思われますわ」と催促します。「そうですね。若い人では、お相手をするのは気が進まないでしょうね。それに源氏の君ともあろう御方からの真面目な仰せ事とは、もったいない事。では、私自身が参りましょう」 尼君は源氏の君がおいでになる方へ、いざり寄っていらっしゃいました。源氏の君は、「出し抜けな事でずいぶん浅はかな、とお思いになられるやもしれませぬが、我が心には露ほどもやましさのない事を、仏はお分かりくださるはずでございます」 と仰せになるのですが、尼君がおっとりと落ち着いているので、源氏の君は遠慮されてお話を切り出しかねるのです。「ほんに、思いもかけない機会にこのような仰せ事をいただき、こうしてお話し申し上げるのも仏のご縁と思いますと、決して浅いご縁ではないのでございましょう」
May 8, 2010
「訳があってそう申し上げるのだ、とあえて思ってくださいまし」 そう仰せになりますと、奥に入って尼君に申し上げます。尼君は、「あら、今風ですこと。この女君が物心つく年齢でいらっしゃるとお思いなのでしょうかしら。それにしても、『若草』と詠んだ歌の事を、どのようにしてお聞きになったものやら」 と、不思議に思い心が千々に乱れるのですが、お返事の歌が遅れては情けを解さぬと思われますので、「枕ゆふ こよひばかりの露けさを 深山の苔に くらべざらなむ(たった一夜の旅寝に、草枕を結ぶあなたさまの露けさなどわずかなもの。苔生すばかりの深山に住む私どものしとどな露に、比べないでいただきとう存じます) 苔の衣の袖など、乾き難くございますものを」 と申し上げます。
May 7, 2010
出てきた女房は少し退いて、「あら、おかしいわね。聞き違いだったのでしょうか」 と、迷う様子を源氏の君は聞き給うて、「仏のお導きは、『冥(くら)きに入りても』決して迷う事がないというではありませんか」 と仰せになります。そのお声がたいそう若々しく上品ですので、どんな声でお返事をしたらいいのか恥ずかしいのですが、「まあ、どなたへのお取り次ぎでございましょう。私にはさっぱり分かりませんわ」 と、申し上げます。「なるほど、唐突でいぶかしくお思いになるのも道理でしょうが、初草の 若葉のうへを見つるより 旅寝の袖も 露ぞかはかぬ(あなたが「初草」と詠んだ少女の身の上を、私は見てしまいました。それ以来旅寝の袖は、可愛らしい「若葉」への慕わしさゆえに乾くことがないのです) そう申し伝えてはくださらぬか」 と、仰せになるのです。女房は、「こちらにはそのようなお言伝をお受けする人など、いらっしゃらないことをご存知とお見受けいたしますが、一体どなたへのお取り次ぎなのでしょう」 と申し上げます。
May 6, 2010
僧都は、「さて、阿弥陀仏のおわす御堂で、お勤めする頃となりました。まだ初夜のお勤めをしておりませんので、済ませて参りましょう」 と、御堂へ上っておいでになりました。 源氏の君は御心地もたいそう悪いのに雨が少し降り注ぎ、山風が冷やかに吹きわたります。水嵩が増したので滝の水音が高く聞こえます。風音と滝音に交じって、少し眠たげな読経の声が絶え絶えに聞こえ、風流を感じないような人でも場所柄もの淋しく感じるほどです。ましてお考え事の多い君でいらっしゃいますから、まどろむことがおできになりません。 僧都は『初夜』と言いましたが、夜もたいそう更けてしまいました。坊の奥にもはっきりと、起きている人の気配が感じられます。たいそう忍びやかにしているのですが、数珠が脇息に引きかかって鳴らされる音がほのかに聞こえ、さやさやと鳴る衣擦れの音が上品でなつかしいとお聞きになります。狭い坊の中ですから近い所にいるようですので、外に立て渡した屏風の間を少し引き開け、扇を鳴らし給うて注意をお引きになります。その音に中の女房は思いがけない気持になるのですが、聞いて知らぬふりをすることもできませんので、いざり出てくるのでした。
May 5, 2010
「それはまた、何とお気の毒な。亡くなられた方は、忘れ形見をお残しではなかったのでしょうか」 と、幼かったあの少女の事をさらに確かめたくお思いになってお尋ねになります。「亡くなります頃に一人、それも女の子が生まれましてございます。後見のないその子がまた物思いの種でございまして、先の短い尼が思い嘆いているのでございます」 と、申し上げます。源氏の君は『やはり思った通りであった』と、お思いになるのです。「失礼ではありましょうが、私を幼い子の御後見に思っていただけるよう、尼君に進言してはいただけないでしょうか。私には北の方もあるのですが、思う心があってなじむことができず、そのせいでしょうか、独り住みをしております。女君は幼く、まだ結婚にはふさわしからぬ年齢であるからと、私の事を世間の好色男と同じように思わないでいただきたいのですが」「いやいや、それは大変光栄な仰せ言でございます。ただ、ひどくあどけないものでございますから、お戯れでもお相手には無理かと思うのでございます。しかし女人というものは、夫である人に世話をしてもらって一人前になりなさるのですから、私からこれ以上のお返事は申しませぬ。かの祖母に相談致しまして、そちらからお返事を申し上げる事にいたしましょう」 と、そっけなく言って、手強い様子をなさいましたので、源氏の君の若い御心では気恥かしくお感じになり、それ以上何も申し上げることができないのでした。
May 4, 2010
「あの大納言には御娘がおいでだったとお聞きしておりますが。いえ、これは好き好きしい気持からではなく、真面目に申し上げているのです」 源氏の君が当て推量におっしゃいますと、「按察にはたった一人、娘がございましたが、その娘も亡くなりましてもう十余年になったでしょうか。故大納言は娘を内裏にたてまつろうと、えらく大切に養育しておりましたが、その本意を遂げることもできずに亡くなりました。それでこの尼君が一人で世話をしていたのでございますが、どのような人の手引きがあったものやら、娘のもとへ兵部卿の宮が忍んでお通いになったのでございます。ところが宮のもとの北の方はご身分が高いなどで、娘にとっては辛い事が多く、明け暮れ物思いをしたせいでしょうか、亡くなりましてございます。『物思いは病の種』と申します事を、目の当たりにしたのでございます」 など、申し上げるのです。 源氏の君は『ならばあの少女は、その娘の子どもなのか』と、思い合わせるのでした。『兵部卿の宮の血筋といえば、藤壺の宮の姪になるではないか。それで似ているように思ったのか』と、たいそう愛おしく、ぜひ逢ってみたいとお思いになるのです。 人柄も上品でうつくしく、へんにませたところがありませんので、親しくなってご自分の思いのままに教え育ててみたならば、とお思いになるのでした。
May 3, 2010
僧都は、世は常なきものであるという御物語や後世の事などを、源氏の君にお話し申し上げます。君は、その話をお聞きになりながら、『藤壺の宮と犯した我が罪のほどを恐ろしく、さりとて現世に生きる限りはこの不条理な思いに苦しむのであろう。まして後世の苦悩は、どんなに大きかろう』 と、お思い続けになり、『いっそのこと出家して、このような暮らしをしたいものだ』とお思いになるものの、藤壺の宮に似た少女の面影が心に掛かって恋しく思われるのです。「ここにいらっしゃるのは、どなたなのでしょうか。その人の事を知りたいと思う夢を見た事があるのです。今日その夢を思い出したものですから」 と、申し上げますと僧都は笑って、「出し抜けな夢のお話でございまするな。お聞きになりましても、きっとがっかりなさるでありましょう。実は故・按察大納言は世を去って久しく、きっとご存じありますまい。その北の方が私の妹でございまして、按察が亡くなりましてから世に背いて尼になりましたが、このごろ患うことがございましたので、都にも出ない私を頼りとして北山に籠っているのでございます」 と申し上げます。
May 2, 2010
御弟子が帰るとすぐに、僧都がおいでになりました。 法師ではありますが、こちらが心恥かしくなるほどの様子で、人柄も卑しからぬ身分であると世に思われておいでの人ですから、軽々しい旅姿でいらっしゃる源氏の君は、恥ずかしくお思いになるのです。 僧都は山籠りの生活をお話し申し上げて、「他と同じような柴の庵ではありますが、それがしの坊には少しばかり涼しい泉水の流れもございますれば、ぜひお目にかけましょう」 と、お立ち寄りくださるよう、切に申し上げるのです。 源氏の君は、僧都が尼君や女房たちにご自分の事を大袈裟に話して聞かせていたのを気恥かしくお思いになるのですが、可愛らしかった少女の様子も気になりますので、僧都の坊にお出かけになりました。 なるほどその通り、他と同じ草木であっても格別風流な具合に植えておいでなのです。 月のない頃ですので、鑓水にかがり火をともし、灯篭にも火が入れてあります。坊の南面はたいそうみごとにお席がしつらえてありました。空焼きの薫香が奥ゆかしく薫り出し、仏前の名香が満ち満ちている上に源氏の君が動くたびに御衣に焚きしめた香りが風に乗って匂ってきますので、簾の内の尼君や女房たちも緊張しているようなのです。
May 1, 2010
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