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フィルムを持ってきたのは、痩身に幼児を背負い左右に小さな女の子を連れた彼の妻でした。メガネをかけた顔には化粧っ気がなく生活に疲れたような表情をしていましたが、子どもたちの身なりはきちんとしていて、私はこの母親の穏やかな眼差しの奥にどことない知性を感じました。そんなしっかり者の女性が夫の大切にしているフィルムを、何も指示せずに店に預けるはずがない、と私は思いました。彼女は「スライド用フィルム」であることを、夫から知らされていなかったのではないか、と思ったのです。しかし一方では(不遜にも私自身の不注意を棚上げして)『夫の趣味を理解していたなら、普通の写真にするのかスライドなのかくらいは、妻として判断できただろうに』とも思いました。私は『牧師は誰かに八つ当たりしたかったのだ』と、勝手に想像しました。
November 28, 2010
冷ややかな風が吹きやや夜が更けゆく頃、二人がまどろむ気配がしますので、頭中将がそっと入って来ました。源氏の君は、お寝みになれぬ気持ちでいらっしゃいましたので、その足音を聞きつけて、『あれはきっと、今でも典侍を忘れられずにいる修理職の大夫に違いない』と勘違いなさいます。 分別のある老人に、不体裁な振舞いを見つけられることが恥ずかしいので、「やれやれ、厄介な。私はもう帰りますよ。あなたは大夫が来ることを知っていて、私を陥れたのですね」 と、直衣だけを取り、慌てて屏風の後にお入りになりました。 頭中将は可笑しさをこらえて近寄り、ばたばたと音を立てながら大袈裟に屏風を畳みました。典侍は以前にも経験しているので慣れっこになっているのでしょう。年を取っているのにひどく気取ってしなを作り、このような場合でも源氏の君を御守り申そうと、震えながら男を捕まえていました。 源氏の君は、ご自分が誰であるかを知られないうちに早くここを出なくては、とお思いになるのですが、だらしない姿で冠も曲がったまま逃げ出す後ろ姿を思いますと、あまりに愚かしくて躊躇なさるのでした。
November 28, 2010
「立ちぬるゝ 人しもあらじあづまやに うたてもかゝる 雨そゝぎかな(立ち寄って濡れてくれる人もいない私の東屋には、涙の雨が降り注ぐばかりでございます)」 とうち嘆くのを、ご自分のせいだけとはお思いにならないまでも『何と厭らしい。どうしてこんなにも嘆くのだろう』と、お思いになります。「人づまは あなわづらはしあづまやの まやのあまりも 馴れじとぞ思ふ(人妻とは面倒なもの。だからあなたとは、あまり馴れ親しむことはできないのですよ) と、そのまま通り過ぎてしまいたいのですが、それではあまりに無愛想ではないかと思い直し、典侍に調子を合わせて戯言などを言い交わすのですが、これもまた普通の女とは違った心地がなさいます。 頭中将は、源氏の中将が真面目なふうをなさって、いつも浮気心を非難なさるのが癪に障っていました。源氏の君は何食わぬ顔をしていらっしゃるが、あちこちお忍び歩きなさる方々がたくさんあるらしいのです。頭中将は『何とかして見つけたいもの』とばかり思っていらっしゃるところでしたから、現場を見つけたような気持がしてたいそう嬉しくなりました。 このような折に少し驚かし申し上げ、御心を惑乱させて「これで懲りましたか」と言ってやろうと思い、油断をおさせになります。
November 27, 2010
お召し替えあそばした帝が、その様子を御障子の隙間から覗いていらっしゃいました。『相応しからぬ取り合わせだな』 と、たいそう可笑しくお思いになり、「中将には好色心がないと女房たちが非難するが、典侍のような老女さえも相手にするとは」 とお笑いになります。典侍はたいそうきまりが悪いのですが、憎からず思うお人ですゆえ、濡れ衣でさえも着たがるのでしょうか、帝には弁解すらよう申し上げません。女房たちも「意外な事ですわね」と噂し合いますので、頭中将がこれを聞きつけて、『女には抜け目のない私だが、典侍とは、思いもつかなんだ』 と、いくつになっても尽きない典侍の浮気心を試したくなりましたので、言い寄ってしまいました。 頭中将も他に抜きん出てうつくしい御方ですので、典侍は『薄情な源氏の中将の身代わりに』と思ったのですが、『やはり逢いたいのは源氏の君だけ』なのだとか。何とも困った選り好みですこと。
November 26, 2010
「さゝわけば 人や咎めむいつとなく 駒なつくめる 森の木隠れ(あなたには他に親しい駒がいるようですね。笹を踏み分けて森の木隠れまで行ったなら、きっと人が非難することでしょう) めんどうな事になりそうですから」 と仰せになってお立ちになりますのを、典侍がお袖を引っ張り、「私はこの年になるまで、そのような悲しい恋をしたことがございませぬ。今さらあなたさまに捨てられるとは、身の恥というもの」 と言って泣く様子が、ひどくみっともないのです。「そのうち御文をと思いながら、なかなかできないのですよ」 源氏の中将が引き離しながらお立ち出でになりますのを、典侍は追いすがり、「私との縁をお切りになるのですか」 と、恨むのです。
November 25, 2010
すると典侍は、何ともいえない絵の描かれた扇子で顔を隠して振り向きました。目つきはたいそうな流し目なのですが、瞼がひどく黒ずみ落ちくぼんで、髪の毛はぼさぼさとけば立っています。 源氏の君は『年不相応な扇だな』とお思いになり、ご自分の扇とお取り換えになってよくご覧になりますと、顔に映えると思うほど濃い赤色の紙に、金泥銀泥で塗り隠すように木高い森の絵が描いてあります。片方に、筆跡はひどく年寄りじみているのですが風情がなくもない文字で、「森の下草老いぬれば」と、下品な歌を何気ないふうに書きすさんでありますので、源氏の中将は『やれやれ、もっと他に上品な歌があろうに』と、にやにやなさいます。「おや、『森こそ夏の(あなたの宿は大勢の男が来るらしいね。といった意)』と、私は見ましたよ」 なにやかやお話しなさるのも不似合いで、人目も気になるのですが典侍はそんな事に思いいたらず、「君し来ば 手なれの駒に刈り飼はん さかり過ぎたる 下葉なりとも(あなたさまがおいで下さるのでしたら、お手慣れした馬として、草を刈って歓迎いたしましょう。女盛りの過ぎた私ではございますけれども) と言う様子が、ひどく好色めいています。
November 21, 2010
その日の夕方、不機嫌そうな顔つきをした小柄な男がやってきました。私はラボから、彼がプロテスタント系キリスト教会の牧師であることを聞かされていました。牧師は憤然として「フィルムを判別できないのなら、預かる資格はない」と、私を断罪しました。 色黒で眉間に深い縦じわのある、痩せて神経質そうな男は、「あれはシャッターチャンスを捉えた、大事な風景写真だった。それをあなた方が、駄目にしたのだ」と、責めたてました。彼の主張は誰が聞いても正当な言い分ですから、気のすむまで文句を言われるより仕方がない、と覚悟していたものの、執拗に正論を振り回し、酔ったようにエスカレートしていく「義憤」に、私はしだいに嫌悪感を抱くようになりました。 そしてこのクレームは彼の謀略なのではないか、とさえ思ったものです。
November 20, 2010
さてそんな女房たちの中に、たいそう年をとった典侍(ないしのすけ)という老女がおりました。家柄もよく気が利いて上品なので人からの評判も良いのですが、たいそう浮気な性分なのです。源氏の中将は、『このような年令になっても、どうしてこんなに好色なのだろう』 と、訝しくお思いになり、典侍にお戯れを言い掛けて試してみようとお思いになります。 すると典侍は源氏の中将との仲を、不相応とは思っていないのです。源氏の中将は『呆れた』とお思いになるのですが、さすがに面白くて典侍に話しかけなさいます。それでも老女相手のお戯れを人が耳にしたならときまりが悪く、よそよそしくお扱いになりますのを、典侍は『何と薄情な』と、本気で思っているようです。 ある日、典侍が帝の御整髪に奉仕した時のこと。整え終わり、お召し替えのための女官をお呼びになりましたが、誰もいないのです。この日の典侍はいつもよりうつくしく、容姿や頭の格好がなよやかでした。衣装の着こなしもたいそう派手で、いかにも色好みらしく見えますので、源氏の中将が『いつまでも若い気でいるものだ』と、不愉快にご覧になるのですが、『それにしても典侍は、どう思っているのだろう』と、さすがに見過ごすことがおできにならず、裳の裾をお引きになります。
November 20, 2010
ずいぶん昔、薬局でもDPEを扱っていた頃のことです。ある日、「お預かりしたスライド用のフィルムを、間違って写真ネガに焼いてしまいました」と、デポから電話がありました。それは私が、主婦とおぼしき子供連れの女性客からお預かりしたものでした。「でも、お客様は『スライド用に』とはおっしゃいませんでしたけど。……ネガにしたら、いけないのですか?」「はい、だめなんです。いえ、当然こちらがチェックするべきで、私どもの不注意なんです」電話の相手は私の責任をかばって、本当に申し訳なさそうに詫びました。そればかりかこちらに電話を入れる前に、フィルムの預かり袋に記載された名前と電話番号で連絡を取り、アルバムやらフィルムやらの手土産を持ってそのお客様の自宅を訪問し直接詫びたが、どうしても許してもらえない。「ひょっとすると、お店に何か言いに行くかもしれませんので」と、心配して連絡をくれたのでした。
November 19, 2010
「だが好きずきしい行いで、あちらこちらの女人と並々ならぬ仲になっているとも見えず、またそのような噂も聞かぬが。どのように隠れ歩いて、人の恨みを受けるものやら」 と仰せになります。 帝は御年を召していらっしゃるのですが、好色の面では見過ごすことがおできにならず、采女や女蔵人といった身分の低い女房たちでも、見目形や風情のある者は特にお引き立てあそばすので、教養ある宮仕え人が多いのです。そのため源氏の中将がかりそめにでもお言葉をかけてお戯れになろうものなら、相手の女が無関心でいることなど滅多にありませんので馴れておいでなのでしょうか、『本当に源氏の中将は好色めいた事をなさらないようだ』と、試しに戯れ事を申し上げたりするのですが、無愛想にならぬほどのお愛想をなさっても、それ以上乱れ給う事がありませんので、生真面目で面白くないと、思い申し上げる女房もあるのです。
November 19, 2010
このように紫の姫に引き留められ給う折が多くありますので、それを漏れ聞く人が左大臣の姫君に申し上げます。「一体どなたなのでしょう。たいそうなご寵愛でいらっしゃいますこと。素生もはっきりしませんのに、お傍にまつわらせて戯れていらっしゃるなんて、高いご身分でも奥ゆかしいお人柄でもありませんわね。きっと内裏あたりで見染めた人を一人前のようにお扱いになって、それを咎められぬよう隠していらっしゃるのですわ。思慮分別のない幼稚な人という噂ですもの」 など、お傍にお仕えする女房たちも噂し合うのでした。 帝も聞し召して、「気の毒に左大臣が心を痛めているようだが、尤もなことであろう。そちの幼い頃を大切に育ててくれた厚志を分からぬ年令でもあるまい。その姫にどうして薄情な態度をとるのか」 と仰せになるのですが、源氏の中将はかしこまった様子でお返事もなさいませんので、『女君が気に入らぬのであろう』と、気の毒にお思いあそばします。
November 18, 2010
「私もあなたに、一日でもお逢いしないとたいそう辛いのです。されどあなたが幼くいらっしゃる間は心安く思い申し上げ、先ずは嫉妬深く私を恨んでいる女のご機嫌を損ねないようにと思い、面倒な事ながらこうして出かけるのです。あなたが成人なさったら、もう他へ行く事はないでしょう。女の恨みを負うまいと思うのも、長生きをしてあなたと思う存分暮らしたいと思うからなのですよ」 など、細々とお話し聞かせになりますと、姫はさすがに恥ずかしく返事がおできになりません。 そのうち源氏の中将の御膝に寄りかかって眠ってしまわれましたので、心苦しくて、「今宵は出かけないことにした」と仰せになります。女房たちは皆立って、西の対へお食事などを運ばせます。源氏の中将は紫の姫君をお起こしになり、「出かけない事にしましたよ」と申し上げますと、機嫌よく起きていらっしゃいました。お二方でお食事をなさいます。姫はほんの少しばかり箸をお付けになって、「それではお寝みなさいませ」 と、ご自分が寝入った後に『お出かけなさるのでは』と、心配していらっしゃるようですので、このように無邪気で可愛らしい人を置いてなど、たとえ死出の旅路であっても行き難いとお思いになります。
November 17, 2010
「筝の琴は、高い調子だと中の細緒が切れやすくて厄介だね」 と、平調におし下げてお調えになります。源氏の中将が弦を掻き鳴らして姫の前に差し出しますと、いつまでも拗ねたりせず、たいそううつくしく弾き給うのです。まだお小さいので左手をさし延ばして弦を揺するお手つきがいかにもうつくしく、『可愛らしい』とお思いになり、笛を吹き鳴らしながらお教えになります。 紫の姫はたいそう聡明で、難しい調子もただ一度で習得なさいます。何事においても巧みで機転が利きますので、源氏の中将は『思いが叶った』とお思いになります。「保曾呂倶世利」というものは、名は憎いようですが、源氏の中将がおもしろく吹きすましますと、姫は調子を違わず、まだたどたどしくはあるのですが、その笛に合わせて巧者らしく演奏なさいます。 暗くなりますと灯火を灯して、お二人で絵などをご覧になります。源氏の中将は出かけるように申しつけてありましたので、供人たちが合図の咳払いをします。「雨が降り出しそうでございます」 と催促しますので、姫君は心細くて気が滅入ってしまいます。絵も途中のままでうつ伏していらっしゃいますので、たいそういじらしくお思いになります。みごとな御髪が肩にこぼれかかるのを掻き撫でて、「私がいない間は、恋しくお思いですか」 とおっしゃいますと、頷き給うのです。
November 16, 2010
力なく臥していらしても、やるせないお気持ちが晴れませんので、いつものように物思いの慰めにと、西の対においでになります。臥した後のしどけなく膨らんでいらっしゃる御髪に打ち解けた袿姿で、懐かしいふうに笛を吹きすさびながら紫の姫のお部屋をお覗きになりますと、女君は露に濡れた撫子のように可憐なのです。脇息に添い臥していらっしゃる様子はうつくしく、可愛らしく、愛嬌がこぼれるようです。 源氏の中将が二条院におわしながら、西の対にはすぐにおいでにならなかったことを恨めしくお思いになって、いつものように御迎えもなさらずそっぽを向いていらっしゃるのでしょう。 源氏の中将がお部屋の端のほうで御膝をついて、「こちらへいらっしゃい」とおおせになるのですが、知らぬふりをなさって、「いりぬる磯の(潮満てば 入りぬる磯の草なれや 見らく少なく 恋ふらくの多き)」と口ずさんで袖で口を覆っていらっしゃる様子が、たいそう洒落ていて可愛らしいのです。「おやおや、憎らしいこと。今からこのような憎まれ口をおっしゃるとは。『みるめに飽く(見慣れて見飽きる)』のもよくない事ですよ」 と仰せになり、人を召して御琴を取り寄せ、姫にお弾かせになります。
November 14, 2010
藤壺の宮のお歌袖ぬるゝ 露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ について、すこし私見を述べたいと思います。 私はこれを、「あなたさまのお袖を濡らす涙の種ではありましょうが、それでも私には撫子を疎ましく思うことができないのでございます」 と訳しました。 藤壺の宮は源氏との密通に罪悪感と後悔の念を抱いていますし、御子まで為した関係を疎ましく思ってはいますが、決して源氏のことが嫌いなのではありません。故に生まれた皇子についての「疎まれぬ」は「あなたさまにとっては涙の種かもしれませんが、私にとっては疎ましく思うことができない(可愛い存在)のです」という、母親らしい素直な否定の意味と捉えていました。 ところが岩波・古典文学大系では「大和撫子、即ち御身(源氏)の袖が濡れる涙の露の縁(種)だと思うにつけても、私はやっぱり、自然に疎まれ(嫌な気がし)てしまうのであった。大和撫子(若宮)が」また、新古典文学大系の解説でも、「藤壺の歌。あなたの袖を濡らす露(涙)のゆかりと思うと、やはり大和撫子(若宮)をそっけないものに思ってしまう、の意。『うとむ』は疎遠である意。『ぬ』は完了の助動詞。打ち消しとする一説はとらない」 とあって、明確に「打ち消し」を否定しているのです。しかし残念ながら、その理由までは説明されていません。 藤壺の宮はこの後源氏とタッグを組んで若宮を帝位につけるほどの頭脳的・策略的な女性で、しかも源氏との秘密を一生胸に納めたまま出家し、この世をさります。私はこの藤壺の宮の「弱者としての女」あるいは「女の被害者意識」を強調しない生き方に、ある種の潔さと好ましさを感じています。 それにしてもこの歌の解釈の違いは、訳していての面白味の一つだと思いました。
November 14, 2010
二条院の東の対に臥していらして、『気持ちを落ち着かせてから、左大臣邸へ行こう』とお思いになります。 御前の前栽が何となく青味がかる中に撫子が華やかに咲いていますのを自ら折り給いて、命婦の君のもとへ御文をおやりになるのですが、自然御文の中身は多くなることでしょう。「よそへつゝ 見るに心はなぐさまで 露けさまさる なでしこの花(撫でし子の花をわが子になぞらえて眺めても、心が慰められる事がありません。それどころか花の上の露より我が涙の方がまさる想いがします)撫子の花が咲くように、と思いましたが、それも甲斐のない二人の仲でございましたれば」 とあります。 しかるべき折があったのでしょうか、命婦が藤壺の宮にその御文を差し出して、「ほんのひと言でよろしゅうございます。この花びらに、ぜひとも御返事を」 と申し上げます。藤壺の宮は、ご自身もたいそうもの寂しくお思いでしたので、「袖ぬるゝ 露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ(あなたさまのお袖を濡らす涙の種ではありましょうが、それでも私には撫子を疎ましく思うことができないのでございます)」 とだけ書いてあります。淡い墨つきで、まるで書きさしたような御文を、命婦が喜びながら源氏の中将にたてまつりました。 源氏の中将は、『いつもの事だから、お返事などあるまい』と、ぼんやり眺め臥していらっしゃるところでしたので、嬉しさにお胸がどきどきなさって涙が落ちるのでした。
November 13, 2010
藤壺の御殿で管弦の御遊びをなさいますのはいつものことながら、帝が若宮をお抱きあそばしてお出でになりました。「私にはたくさんの御子たちがあるが、このような幼い頃より朝夕見ていたのはそなただけだ。そのせいだろうか、若宮はたいそうよく似ているように思えるのだよ。小さいうちはみな似ているように見えるのだろうか」 とて、可愛くてしかたがないとお思いでいらっしゃいます。 源氏の中将ははっとして、顔色が変わるような心地がなさいます。恐ろしくも、もったいなくも、嬉しくも、申しわけなくも様々な思いが去来して涙が落ちるほどです。若宮がお声をたててお話しなさりお笑いになる様子が、恐ろしいほどにうつくしくいらっしゃいますので、我が身ながら『自分が若宮に似ているとしたら、可愛がられて当然』とお思いになるのは、自惚れというものでございましょう。 藤壺の宮はいたたまれぬ思いで、冷や汗を流していらっしゃるのでした。源氏の中将は若宮との対面を切望しておいででしたけれども、今では反って御心がかき乱されるような心地で退出なさいました。
November 12, 2010
源氏の君は、切ない思いを藤壺の宮にお伝えする手立てもなくお帰りになります。宮ご自身は世間の思惑も厄介ですから、このような事は迷惑な事とお思いになり、命婦さえも以前のように気をお許しにはなりません。 人目には分からぬように穏やかに接していらっしゃるのですが、『嫌な事』とお思いの時も当然おありでしょうから命婦は心中たいそう辛く、こんな結果になった事を意外にも思うのでした。 藤壺の宮は若宮とともに、四月に内裏にお帰りになります。生後二カ月にしては大きく知恵づいておいでで、起き返りなどもしようとなさいます。 あきれるほど源氏の君に瓜二つのお顔つきでいらっしゃいますので、帝は『他に比類のない者同士は、本当に似通っていらっしゃるものだ』とお思いになり、限りなく大切にご養育なさいます。 帝は源氏の君を最も大切な存在と思召しながら、世間の人々が許さぬであろうために、東宮にも立てることがおできにならなかった事を残念にお思いでいらっしゃいました。臣下としては勿体ないほどのお顔つきやご様子にご成長なさるにつれいつも心苦しく思召すのでしたが、この度は高貴なご身分の藤壺の宮の御腹に、源氏の君と同じ光をもって若宮がお生まれになりましたので、帝が「疵なき玉」とご寵愛なさいます。けれど藤壺の宮は何事につけてもお胸の内の安まる暇もなく、不安を募らせていらっしゃるのです。
November 6, 2010
我が家にあるヴァイオリンのなかで一番小さいものです。渦巻きの先からエンドピンまで、縦が43センチ、横は一番張り出した所で14センチほど。左側のf字孔から中を覗くと、「1977 1/8 No.280」と記されています。製造年は1977年、八分の一の大きさ(子ども用)で、280番目に作られたことを表しています。ヴァイオリンの糸(弦)は、低い方からG線、D線、A線、E線と4本張ってありますが、A線はチューニング・アジャスターごとなくなっていました。最近は老舗の楽器屋さんが閉店し、市内にあったヴァイオリン修理の工房も連絡がとれないという、何とも寂しい文化状況になってしまいましたが、これも時代の流れなのでしょうか。Kiso Suzuki Violin Co.,ltd.Copy of Antonius Stradivarus1720Anno 1977 1/8 No.280 Japan
November 5, 2010
源氏の中将は、たまに命婦の君にお逢いになりますと、藤壺の宮にお逢いしたいと切ない思いで言葉を尽くして頼むのですが、何の甲斐もありません。若宮の御事をたいそう気にかけて、見たいとおっしゃいますので、「どうしてそのような無理をおっしゃるのでございましょう。若宮はいずれ参内なさいますから、その折にはきっとお目にかかることができましょう」 と申し上げながらも、心中ではお互いにただならぬ思いです。 周囲に憚るべき事でもありますので、はっきりおっしゃる事もできず、「いつになったら藤壺の宮に、直接お話し申し上げることができよう」 とお泣きになる様子は、傍で見るのさえお気の毒なほどです。「いかさまに 昔結べる契りにて この世にかゝる 中のへだてぞ(前世ではどのような宿縁があったのだろうか。恋しい宮と、このようにまで隔てられるなんて)私にはどうしても合点がいかないのだよ」 命婦も、藤壺の宮が思い乱れていらっしゃる様子を見たてまつるゆえに、そっけなく振舞うこともできません。「見ても思ふ 見ぬはたいかに嘆くらん こや世の人の 惑ふてふやみ(若宮をご覧になるにつけてもお悩みの多い宮様でいらっしゃいますれば、お目にかかれないあなたさまのお嘆きはいかばかりかとお察し申し上げます。されどこれが世の人の『子ゆえの闇』というものでございましょう) お気の毒に、お気持ちの緩む事のないお二方でいらっしゃいますわ」 と、そっとお返事申し上げました。
November 5, 2010
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