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二条院では、あらゆるお部屋を掃き清め磨き立てて、男も女も主の御帰りをお待ち申し上げておりました。 身分の高い女房たちも皆里から戻り、誰もが競うようにして豪華な装束を着、化粧しておめかししています。その華やかな姿を見るにつけてもあの左大臣邸に居並び、沈み込んでいた女房たちの様子を、哀れにお思い出しになります。 御装束をお召し替えになって、姫のいらっしゃる西の対においでになりました。御留守の間に夏から冬へとお部屋の飾り付けが新しくなりましたので、明るくすっきりと見えます。若い女房、童女の身なりや姿格好も気持よく調えられていますので、『少納言の配慮はさすがに行き届いていて、実に申し分ない』とご覧になります。対の姫君はたいそううつくしく装っていらっしゃいます。「久しくお目にかからぬうちに、たいそう大人っぽくおなりですね」と、小さな御几帳を引き上げてご覧になります。姫が横を向いて恥ずかしそうになさるご様子は、申し分ないうつくしさなのです。 灯火に照らされた横顔、頭の格好などが『ああ、お慕い申し上げる藤壺の宮に、そっくりになっていくではないか』とお思いになって、たいそう嬉しいのです。 近くにお寄りになって、四十九日もの長い間離れていて気掛かりであった事などをお話し申し上げて、「逢わない間の事をゆっくりとお話しして差し上げたいのですが、縁起が悪うございますので、暫くあちらで休んでから参りましょう。これからは始終お目にかかることになりましょうから、私を煩くお思いになるかしらん」とお話しなさいますのを、乳母の少納言は嬉しく思いながらもやはり不安な気持ちになるのです。それといいますのも大将殿は忍んでお通いになる、ご身分の高い方々と大勢係わっていらっしゃいますので、『厄介な女君が、北の方におなりなのではないかしら』と、思うからなのでした。
August 31, 2011
源氏の大将が桐壺院に参上なさいますと、「おお、ひどく面やつれしたではないか。服喪中とて、長い間精進したからであろうか」と気の毒に思召して御前で食事などをお勧めになり、なにやかやとお心づかいあそばすご様子が、ありがたくも畏れ多いのです。 藤壺中宮の御もとに参上なさいますと、女房たちが珍しそうに見たてまつります。 中宮は命婦の君を通じて、「私も哀しみの尽きぬ思いをしておりますが、日が経つにつけても御心中いかばかりかと......」と御消息がありました。「この世の無常は以前から承知しておりましたが、目前に見ましてからは世の中の厭わしいことばかりが多く、いっそ出家してしまおうとまで悩みました。されどあなたさまからの度々の御消息に慰められまして、何とか今日まで生きて長らえてまいりました」と、死別の悲しみに恋の憂愁までが加わって、ひどく苦しそうです。 無紋の御衣に鈍色の御下襲、纓を内巻きになさった喪服姿は、華やかな御装いよりも優雅さが優っていらっしゃるのです。春宮にも御無沙汰している事などを申し上げて、夜が更けてから退出なさいます。
August 30, 2011
左大臣はそれを大宮に御目にかけて、「言っても仕方のない事はさて置き、『子に先立たれる悲しい事は世間によくある事なのだから』と諦めよう。あの子は親子の縁が薄く、『親の心を嘆かせるよう定められていたのだろう』と思うとかえって辛くて、前世に思いを馳せては心を慰めておりますが、ただ日が経つにつれてつのる耐え難い恋しさと、この大将の君が今は他人になってしまわれたことが、何としても無念でたまりません。 娘が生きていた頃さえ一日二日はおろか、時々にしかおいでにならなかった事をいつも胸の痛む思いでおりましたが、朝夕の光を失ったような今は、どうして生き長らえることができましょうぞ」と、憚ることなく声を上げてお泣きになりますので、大宮のお傍にお仕えする年長の女房などはたいそう哀しくて、みながいっせいに泣き出してしまいました。ほんにそぞろ寒い夕暮れの気色なのです。 若い女房たちは所々に集まりながら各々がしんみりと話しをして「殿が仰せのように、若君の御世話をしてさしあげてこそ慰められもしましょうが、何と言ってもまだ赤ん坊でいらっしゃいますものね」「ちょっと里下がりして、また参上することにいたしましょう」と言う者もありますので、それぞれが互いに別れを惜しむなど悲しい事が多いのです。
August 29, 2011
「何と浅はかな嘆きでございましょう。ほんに、『今はともかく、そのうち必ず私の気持ちを分かってくれよう』と、のんきに構えることができました間は、自然と足の遠のく折もございましたでしょうが、亡くなられた後は、何を頼みとして御無沙汰などできましょうや。今にきっとお分かりいただけましょう」と、お立ち出でになりますのを、左大臣はお見送りなさいます。 主のいなくなった部屋にお入りになりますと、調度品などは元のままなのですが、蝉の抜け殻のようで空しい心地におなりなのです。御几帳の前に御硯などを散らしたままで、お書き捨てになった手習いを手に取り、涙で曇る目で何とか見ようとなさいますのを、若い女房たちの中には哀しい気持ちの中でも可笑しがる者もいるようなのです。 しみじみとした情趣ある古い詩歌、漢詩や和歌などが書き散らしてあって、草書やら楷書やらいろいろな書体で目新しいように書きまぜていらっしゃるのでした。「みごとな御筆跡よ」と、空を仰いでぼんやりしていらっしゃいます。そのようにご立派な御方が他人となってしまうことを、残念に思うのでしょう。『旧き枕 故き衾、たれとともにか』とあるところに、「なき玉ぞ いとどかなしき寝し床の あくがれがたき 心ならひに(亡き人と共に寝んだ床、それを思うとひどく悲しい。私の心はいつもその寝床から離れがたく思っていたのだから)」と書いてあります。また「霜の花しろし」とあるところには、「君なくて 塵つもりぬるとこなつの 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ(愛おしいあなたがいなくなり、今では塵の積もる寝床になっています。私は涙の露を払いながら、幾夜独り寝をしたことでしょう)」 傍にはあの日大宮への御文に添えられたのでしょうか、枯れた花が混じっていました。
August 28, 2011
源氏の大将も、しきりに鼻をかみながら、「遅れ先立つ命の定めなさは人の世の常と承知しておりますが、いざ我が事となりますとその哀しみは、他に類のないものでございます。桐壺院にはこの有様を奏上いたしますけれども、院もきっとご推察くださる事でございましょう」と申し上げます。「それでは、時雨も止む暇なく降っているようでございますので、日の暮れないうちに」と、左大臣は出立をお促しになります。 源氏の大将が周りを見回しますと、御几帳の後や障子の向こうなどの見通せる所に、三十人ほどの女房たちが一かたまりになっています。濃淡それぞれ鈍色の衣を着て、皆がひどく心細そうにうなだれて寄り集まっていますのを『可哀想に』と、ご覧になります。左大臣が、「お見捨てになるはずのない若君も残っておいでなのだから、娘が亡くなったとはいえ、もののついでにはお立ち寄りくださる事だろうと慰めるのですが、思慮の浅い女房などは『今日限りに、ここをお見捨てになる』などと塞ぎこんでしまいまして、死別した悲しみよりも、ただ時折親しくお仕え申し上げた年月がこれですっかり終わってしまうのだろうかと、それを嘆いておりますのは仕方のない事でございます。あなたさまと亡き娘とは仲睦まじくはありませんでしたが、それでも『いつかは』と、頼みにならぬ事を頼みとしてきたのでございます。ほんに心細い夕べでございます」と言っては、お泣きになるのでした。
August 27, 2011
ここで登場人物の整理をしておきたいと思います。桐壺帝(譲位した後は桐壺院)には幾人かの兄弟姉妹がおわしますが、左大臣の北の方・大宮とは同腹の兄妹です。大宮は左大臣の北の方であり、頭中将(ここでは三位の中将に昇格)と、源氏の正妻となった亡き女君(葵の上)の二人を同腹の子としています。従って源氏と頭中将・葵の上の兄妹とは、いとこ同士の関係になります。ここで「朝顔の姫宮」が出てきますが、彼女は桐壺院の弟・桃園式部卿の宮の娘ですから、やはり源氏とは従妹ということになります。ところで六条御息所は「前春宮妃」ですから、桐壺院にとっては兄か弟の妻であり、源氏にとっては父方の叔母さんになります(その娘である斎宮の姫宮は従妹にあたります)。桐壺帝の中宮となった藤壺の宮という女性は、先帝(詳細は不明)を父としていますから、中宮にふさわしい高貴なご身分です。対の姫(紫の上)は、藤壺の宮の弟・式部卿の宮の娘ですから身分としては決して低くはなく、藤壺の宮とは姪(紫の上)と叔母(藤壺の宮)の関係(「紫の縁」)になりますから、当然面影が似ていることになりましょう。 ★ 「・・・」の前(左)は父親あるいは両親、後(右側)が子です。一院・・・ 桐壺院、前春宮、桃園式部卿の宮、大宮(桐壺院と大宮は同腹の兄妹)桐壺院・・・源氏の大将前の春宮と六条御息所・・・斎宮の姫宮左大臣と大宮・・・頭中将(三位の中将)、亡き女君(葵の上)桃園式部卿の宮・・・朝顔の姫宮先帝・・・式部卿の宮、藤壺の宮式部卿の宮・・・対の姫(紫の上)
August 26, 2011
大将は、大宮の御許に御消息を差し上げます。「桐壺院が御心配あそばしますので、今日は参上いたします。しばしここを立ち出でますにつけても、あまりの哀しみに我ながら今日までよく生き長らえたものよと、乱れ心地ばかりが辛く、御挨拶を申し上げますのも反って悲しいばかりでございますれば、あなたさまの御許には参りませぬ」とありますので、ただでさえ涙にくれていらっしゃる大宮はすっかり気落ちなさって、お返事がおできになりません。 すぐに左大臣がお渡りになりました。たいそう絶え難くお思いで、顔からお袖を放すことがおできになりません。それを見たてまつる女房たちも哀しいのです。 大将の君は、この儚い人の世を思い続ける事がたいそう多くおありで、お泣きになるご様子がお気の毒でおいたわしいのですが、それもたいそうしっとりとしてうつくしいのです。大臣はやっと気持ちをお鎮めになって「年を重ねてまいりますと些細なことにさえ涙もろくなります。ましてこのたびは夜昼涙の乾く暇もなく取り乱しておりまして、この気持ちをどうにも鎮めることができませぬ。人の目にもたいそう見苦しく意気地がないように見えることでございましょうし、桐壺院などにも伺わないつもりです。事のついでにでもよろしくご奏上くださいませ。余命いくばくもない老いの末になって娘に先立たれるのは、辛いものでございます」と、無理に心を鎮めて仰せになるご様子は、本当にたまらないのです。
August 25, 2011
亡き女君が特に可愛がっていらした幼い童女が、親たちもなくたいそう心細げに見えますのを『尤も』とお思いになり、「あてき。これからは私を頼りとしなくてはいけないようだね」と仰せになりますと、あてきはひどく泣くのです。小さな袙を誰よりも黒く染めて、黒い汗衫に萱草色の袴を着ているのも可愛らしいのです。「亡き人を忘れずにいてくれる人は、寂しさを忍んでも幼い若君を見捨てることなく仕えておくれ。生前の名残もなく、女房たちまでここを離れてしまったなら、私とて頼りとするものがなくなるのだから」などと、皆に心長くお仕えするべき事を仰せになるのですが、女房たちは、『さてさて、あなたさまのご来邸こそ、いっそう待ち遠におなりの事でしょう』と思いますと、ひどく心細いのです。左大臣は女房たちにその身分に応じて差をつけ、ちょっとした趣味の品々や、また本当に亡き女君の御形見となるべき品などを、わざとらしくないようにしつつ、みなお配りになったのでした。源氏の大将は、こうして左大臣邸に引きこもり、ぼんやりと過ごしてばかりもいられず、桐壺院へおいでになります。御車を用意させ、前駆の者が集まり始めた頃、折しも時雨が打ち注ぎ、風が木の葉を慌ただしく吹き払いましたので、御前にお仕えする女房たちはひどく心細くて、四十九日も過ぎ少しは涙の乾く隙があった袖ですのに、またもや湿っぽくなってしまいました。夜には桐壺院からそのままご自邸の二条院にお帰りになるというので、お付きの人々も「では二条院にてお待ち申し上げます」と、各々が左大臣邸を去る気配に、今日が源氏の大将の最後のご来邸というわけではないのですが、女房たちはこの上なく物悲しいのです。左大臣も大宮も源氏の大将のご帰邸に、悲しさをあらたになさるのでした。
August 24, 2011
すっかり暗くなってしまいましたので灯火を近くに参らせ給いて、御前にしかるべき女房たちだけをお集めになり物語などをおさせになります。年来、中納言の君という女房をご寵愛でいらっしゃいましたが、この服喪中にはそのような色めいた思いをおかけになりませんので、『北の方さまへのご情愛が深くていらっしゃる』と見たてまつるのです。多くの女房たちには親しみ深くお話しなさって、「この日ごろは存命中よりもずっと誰かれなく、皆が一緒に親しんできたのだが、これからこのように会えないとしたら、互いに恋しくてならないだろうね。不幸は不幸として、ただこれからの事を考えると、耐え難いことばかりのような気がするね」と仰せになりますと、女房たちは皆泣いて、「言っても仕方のない不幸な御事は、ただもう私たちの心を哀しみで真っ暗にする心地がいたします。されどそれはそれとしまして、大将殿がもうここにはおいでにならないのではないかと思いますと、そればかりが哀しいのでございます」と、ようよう申し上げるのです。源氏の大将は『なんと可哀想な』と皆を見渡し給いて、「そんな薄情な事がどうしてできよう。私を見損なってはいけないよ。長い目で見てくれる人がいるならば、浅くはない私の心を最後にはきっと分かってくれよう。しかし人の命は儚いものだね」と、灯火をじっと眺めるおん眼差しが涙で濡れていらっしゃる御姿は、申し分ないのです。
August 23, 2011
「御手などは、心をこめてお書きになっていらっしゃいますわ。いつもより風情があって、お返事せずにはいられないほどでございます」と、女房たちも申し上げますし、朝顔の姫宮ご自身もそうお思いになって、「喪に服していらっしゃるあなたさまをお偲び申し上げてはおりましたが、こちらから御文を差し上げる事もできず......」として、「秋霧に たちおくれぬと聞きしより 時雨る空も いかゞとぞ思ふ(秋霧の立つころ、北の方さまに先立たれた事を耳にいたしましてから、あなたさまのお胸も時雨れるこの空のようではないかと案じております)」とだけ、ほのかな墨つきで書いてあるのも、姫宮がお書きになったと思うせいでしょうか奥ゆかしく感じられるのです。 何事につけても見勝りする女君などめったにいない世の中ではありますが、つれない人こそ反って心惹かれご執着なさるのが源氏の大将のご性分なのです。『薄情なようでいながら、しかるべき折々の風情を見過ごし給わず御文を交わすような間柄こそ、互いに最後まで情愛を見届けることができよう。しかしもったいぶった風情も度が過ぎれば、それが人目に付くばかりで、余計な難点も出て来るものだ。西の対の姫君は、そんなふうには育てまい』とお思いになります。『そういえば、姫はさぞかし退屈して私を恋しく思っていることだろう』 対の姫君をお忘れになる事はないのですが、ただ母親のない子を放置しているような心地がなさるだけで、逢わぬ間は気掛かりでも『嫉妬心』を心配しなくてよいだけ気楽なのでした。★
August 22, 2011
中将がお帰りになった後、枯れた下草の中にりんどう、なでしこなどが咲いているのを折らせ給いて、若君の御乳母である宰相の君に持たせて、「草がれの まがきに残るなでしこを 別れし秋の かたみとぞ見る(枯れた草の籬に残って咲いているなでしこの花を、秋に死別したあの方との形見のような気持ちで眺めております)若君では、亡きあの方のかわりになりますまいか」と、大宮に御消息を差し上げます。ほんに無心に笑っていらっしゃるお顔がたいそう愛らしいのです。大宮は吹く風につけてさえ、木の葉よりもこぼれやすい御涙なのですが、まして源氏の大将からの御文を手に取ることがおできになりません。「今も見て なかなか袖をくたすかな 垣ほ荒れにし 大和撫子(今も見ては涙で袖を濡らしております。庇護するべき母親に死なれてしまった、かわいそうな子ですから)」 それでもやはり手持無沙汰ですので、『朝顔の姫宮ならば、今日の空の物哀れな様子はきっと分かってくださる事だろう』と、暗くなってはいましたが御文を差し上げます。御消息が絶えて久しいのですが、そういった間柄になっていますので、姫宮の女房も気にせず御文をお目にかけます。時雨空を思わせる薄墨色の唐紙に、「わきてこの 暮れこそ袖は露けゝれ 物おもふ秋は あまた経ぬれど(とりわけ今日の夕暮れは、涙で袖が濡れています。物思いする秋を幾度も経験してはきたのですが)いつも時雨は」と書いてあります。★
August 21, 2011
時雨が降り物哀れな冬の夕暮れ時、三位の中将が薄い鈍色の直衣と指貫に衣替えし、こちらが気恥かしいほど男らしくきちんとした姿で源氏の大将のもとに参上なさいました。大将の君は西の妻戸の勾欄に寄りかかって、霜枯れの前栽を見ていらっしゃるところでした。風が強く吹いて時雨がさっと降り、まるで涙と競い合うような心地がして「雨となり 雲とやなりにけん 今は知らず(亡き人は、雨になってしまったか、あるいは雲になったか。今となってはそれも分からぬ哀しさよ)」と、独り言をおっしゃいながら頬杖をついていらっしゃいます。中将の君は『もしも自分が女の身であってこの人を残して死んだなら、その魂は必ずやこの世に執着する事だろう』と色めかしい気持で見守りながら、近い所に膝をお付きになります。源氏の大将はしどけなくくつろいでいらっしゃる御姿のまま、直衣の紐だけをお指し直しになります。大将は三位の中将よりもいま少し濃い鈍色の夏の御直衣に、紅のつややかな下襲をひき重ねた御姿でいらっしゃるのですが、それが反って見ても見飽きぬ心地がします。中将も深い眼差しでしみじみと空をお眺めになり、「雨となり しぐるゝ空のうき雲を いづれの方と わきてながめむ(時雨を降らせる空の浮雲。そのどちらの方向に私の妹の昇った雲があるのでしょう)行方知れずになってしまいましたね」と、独り言のように言います。「見し人の 雨となりにし雲井さへ いとゞ時雨に かきくらすころ(亡き妻が雨となってしまった雲井の空までが、時雨が降ってひどく暗くなっています。まるで私の心の中のように)」と、大将が仰せになるご様子は、女君への浅からぬご情愛のほどがはっきり分かります。三位の中将は、『不思議な事もあるものだ。妹が生きていたころはそれほど篤くもない御心ざしで、桐壺院などが気を揉んで仰せになり、父・左大臣からのお世話についても重荷に感じ、母・大宮との血縁からも疎んじてはいけないなど、どちらからも抜きがたい関係にあるために、妹を振り捨てる事がおできにならず、嫌々ながらも夫婦としていらっしゃったもの、とお気の毒に見える折々があったのだが、本当は北の方として格別大切に思っていらしたのだ』と、今になってよく分かりますので、ますますその死を口惜しくお思いになります。女君の死は、何事につけて光が失せてしまったような心地がして、三位の中将もすっかり気落ちしてしまうのでした。
August 20, 2011
けれども六条御息所は、趣味がよく奥ゆかしいと昔から評判でいらっしゃいますから、野の宮に移られても風情ある今風の趣向を多くなさって「殿上人で風流を好みそうな者などは、朝夕の露を分けて野の宮へ出かける事を、そのころの仕事のようにしている」などとお聞きになりますと、大将の君は「そうであろうな。御息所には嗜みがおありで、足りないところなどないのだから。そのような方が世の中に嫌気がさして伊勢に下っておしまいになったならば、やはり寂しい事だろう」と、さすがにお思いになるのでした。七日毎の御法事は終わってしまいましたが、源氏の大将は四十九日までは左大臣邸に籠っていらっしゃいます。いままでにない手持無沙汰な日々を持て余していらっしゃいますので、気の毒に思った三位の中将がいつもお部屋にいらしては世の中の真面目なお話しや、また例のように好色めいた事をも申し上げながらお慰めになります。そのうちあの、内侍をめぐって戯れ合った事が笑い草になるようなのです。大将の君は、「何と気の毒な。おばば殿の事をそんなにからかってはいけませぬぞ」と、口ではお諫めになるのですが、内心ではいつも面白がっていらっしゃるのでした。かの、十六夜の月がはっきり見えなかった秋の事など、さまざまの好色な事々を互いに隈なく言い交わし給い、果ては無情な人の世を嘆きながら涙をお流しになるのでした。
August 19, 2011
『喪中の身で返事を差し上げては、斎宮の御潔斎に憚られるのではなかろうか』など、長い間悩んでいらしたのですが、『せっかくの御便りにお返事を差し上げないのも思いやりがないようだな』と、紫の鈍色がかった紙に、「お返事がたいへん遅くなりました。あなたさまの事を忘れているのではございませんが、喪中ですので憚られまして。あなたさまには事情がお分かりいただけるものと存じます。とまる身も 消えしもおなじ露の世に 心おくらん 程ぞはかなき(この世に留まった我が身も消えていったあの人も、同じ露のようなはかない世に生きているだけ。いずれは消えていくのに、そんな世に心を置くなど愚かな事ではありませんか) 恨めしくお思いでも、あまり執着なさいますな。喪中での御文はご覧いただけないかと存じまして、遠慮しておりました」と、申し上げました。 ちょうど御息所が六条の里邸にいらした時でしたので、源氏の大将からの御文をそっとご覧になりますと、生霊の事をほのめかしていらっしゃいますので、はっと良心の咎めをお感じになり『やはりご存知だったのだわ』とお思いになるのもひどく情けないのです。「やはりそれも、私に付いて回る身の憂さだったのだ。あのように忌わしい噂を、桐壺院もどうお思いあそばすことか。同腹のご兄弟の中でも故・春宮とは特別な御仲でいらっしゃって、故・春宮が斎宮のご将来の御事も院にねんごろにお頼みあそばしたので、院も『私が姫宮の親代わりとなってお世話申そう』といつも仰せになり、私にも『そのまま内裏でお暮らしなさい』と、たびたび仰せになったのだけれど、それさえ『あってはならぬ事』と断念してきたのに、こうして意外な事に源氏の君との年甲斐もない物思いをして、ついには不名誉な噂まで流してしまったなんて」と、思い乱れていらっしゃいますので、御気分ははやり、すぐれないままなのでした。
August 18, 2011
『深まる秋の風の音は身に沁みるものよ』と、慣れない御独り寝にまんじりともなさらぬ夜明けの、霧が一面にかかるころ、菊の花の咲きかけた枝に濃い青鈍色の御文を付けて、置いて行った者がありました。『気の利いた事をするものよ』とご覧になりますと、六条御息所の御手なのです。「御文を差し上げる事を控えておりましたが、私の気持ちをお察しくださいますでしょうか。人の世を あはれときくも露けきに おくるゝ袖を 思ひこそやれ(かの人が亡くなられたことを聞くにつけましても悲しく思われますのに、まして後にお残りになられたあなたさまは、さぞかし涙で袖を濡らしていらっしゃる事とお察し申し上げております) 只今の哀れな空の気色を眺めるにつけましても、悲しさが溢れて参りますので」とあります。「いつもより優雅にお書きになったものかな」と、さすがに棄て置き難くご覧になるのですが、『生霊となって殺しておきながら、今更お見舞いでもなかろう。白々しい』と、心憂くお感じになります。さりとて、このままふっつりとご縁をたち切り、消息もなさらないというのもお気の毒ですし、御息所のご名誉もきっと地に落ちることであろうと、源氏の大将はさまざまにお思いになるのです。 亡くなった人は、ともかくこうなる運命でいらっしゃったのだとしても、どうしてあんなに忌わしい事をまざまざと見聞きしてしまったのだろうと悔やまれますのは、我が心ながらやはり思い直すことがおできにならないからでしょうか。
August 16, 2011

やっと蓮の花に出会えました。まだ全体の1~2割といったところで、これからが見ごろのようです。つぼみは控えめで甘い上品ないい香りがします。お天気が悪く、午後から雨模様になりましたが、花の写真は光の強い晴天より、多少曇りの方がきれいに撮れると聞いたことがあります。
August 14, 2011

にほんブログ村 友人の運転で、蓮を見に行った。去年はちょっと遅かったようで花が少なく、しかも雨降りだったので、今年こそはと意気込んで行ったのだが、今度は少し早かったらしく、硬い蕾がちらほら見える程度だった。蓮は「浮葉」といっただろうか、まず水面すれすれに一枚の葉が開く。浮葉の光合成で栄養分を蓄えた後、複数の葉が伸びてきて水面より上に開き、最後に花芽を付けた茎がおもむろに上がって花が咲く。池の手入れをしていた男性に訊くと、ここ数日の暑さでやっと蕾がふくらんだけれど、一週間ほど寒かった(!)ので開花が遅れているのだという。見れば伸びた葉もまだ十分開ききってはいず、薄緑色の紙を左右から巻き込んだような、コートの前を掻き合わせたような形をしている。そこは温泉宿の池なのだが、去年は見かけなかった物見台やベンチなども数か所用意され、周囲がきれいに整備されていた。鴨やあひるまでいたし、池のふちを歩くと赤・白・黒の大きな鯉が、口を開けてのっそりと寄って来る。鯉のエサなるものを一袋100円で買って撒いてやると、泥沼の中からワラワラと集まって来た。友人は、少しずつ投げる私を横目で見て、「あなた、ずいぶんケチくさいのね」と言いながら大盤振る舞いするので、池の中では飛んだり跳ねたり押し合いへしあいの大騒ぎ。しかも自分でエサをばらまいて呼び寄せたくせに、鯉の軍団を見ては「気持ち悪ぅ・・・」とのたまうのだ。撮った写真を後から見ると確かに魚の群れは不気味だが、蓮の開花を電話確認して、もう一度見に行きたい。(蓮のかわりに、赤い水連が咲いていた)
August 11, 2011
何事もなく日々が過ぎ行きます。七日ごとのご法要の準備をおさせになるにつけても、左大臣には思いもかけぬ出来事でしたから、哀しみの尽きる事がありません。何の取柄もないつまらぬ子でさえも、人の親であれば可愛いと思うものですのに、ましてやご両親のお嘆きは尤もなのです。姫君がたった一人しかいらっしゃらないのを物足りなくお思いでしたから、まるで手中の玉が砕けてしまったよりも大きなお嘆きぶりです。 大将の君は御自邸の二条院にさえ、かりそめにもお帰りになりません。深い悲しみに思い嘆き、仏前でのお勤めをまめになさりながら日々暮らしておいでで、あちこちの女君へは御文だけを差し上げていらっしゃるのでした。 あの御息所へは、斎宮が宮中に設けられた左衛門府にお入りになりましたので、たいそう厳重な御潔斎を口実に御文を差し上げることもなさいません。世の中に対してすっかり厭わしいお気持ちになってしまわれて、『絆しとなるような若君さえ生まれていなかったなら、出家していたものを』とお思いになるのですが、対の姫君が一人寂しく暮らしていらっしゃることを、ふとお思い出しになります。 夜は御帳台の内に一人臥していらして、その周囲には宿直の人々がお仕えしているのですが、独り寝の寂しさに「時しもあれ(時しもあれ 秋やは人の別るべき あるを見るだに 恋しきものを)」と、寝ざめがちですので、声のすぐれた僧侶たちを選んで伺候させます。暁方に聞く念仏には、耐え難いほどの哀しさがあるのでした。
August 11, 2011
昔、岩波の「図書」の中で、「忘れられない私の3冊」というようなお奨めの文庫本特集があった。年代にもよるのだろうが、そこで圧倒的に多かったのが中勘助の「銀の匙」という小説だった。 書名すら知らなかった無知な私は興味が湧き、買って読んでみたのだが、ちっとも面白くない。今では「乳母日傘」というイメージが何となく残っているだけで、残念ながらストーリーすら覚えていない。 今年の正月、太宰治の作品を劇化したような、ちょっと面白いTV番組を見た。中学生のころ読んだのだがあまりに遠い記憶。それにしても「人間失格」では、主人公が小銭しか持ち合わせがなくて「死のうと思った」という件では、期せずして家人と一緒に笑ってしまった。あまりにも唐突で、可笑しかったのだ。「何で『死のうと思った』につながるのかしらね?」「死ぬにも理由が要るんだよ」 太宰の、というより「人間失格」を愛読書とする幾人かの男女が集まってさまざまな意見・感想を述べる場面では、太宰作品に対する参加者の思い入れが強すぎて辟易した。 そういえば太宰治の手紙の中に、酷評された川端康成への成り振りかまわぬヒステリックな反撃文がある。あんなに自意識過剰で醜悪な文章までも「作品」として扱われるのでは、太宰自身気恥ずかしくはなかろうかと思ってしまうのだが、人間、酷評されるとメンツも体裁もすっかり忘れてしまうという事なのだろう。
August 10, 2011
鈍色の御衣を召していらしてもまるで夢のような心地がなさって、「私のほうが先に死んでいたなら、女君の喪服はより深い色に染めた事であろう」とお思いになるのも哀しく、「かぎりあれば 薄墨衣あさけれど 涙ぞ袖を ふちとなしける(私の喪服の色は薄墨色の浅い色ではあるけれど、あなたを失った悲しみの涙で、深い藤色になってしまいました)」と、念仏を唱えるご様子にもたいそう優美さが優り、経をしのびやかにお読みになりながら「法界三昧普賢大士」と仰せになりますのは、物慣れた法師よりすぐれているのです。 若君を見たてまつり給うにも、やはり涙涙なのですが、『このような忘れ形見すらなかったならば』と、思い慰めるのです。母宮はすっかり気落ちされ、臥したままで起き上がる事がおできにならず、御命も危うげに見えますので、左大臣や御子息たちが奔走してご祈祷などをおさせになります。
August 8, 2011
人の死は世の常ではありますが、源氏の大将にとってはまだそれほど多く体験していらっしゃらないせいでしょうか、類なく恋こがれなさるのでした。八月二十日過ぎの、有明の月がかかる空の気色も哀しげで、『子ゆえの闇』に暮れ惑い給える左大臣のご様子をご覧になるにつけても、お哀しみは尤もとお思いになりながら、空ばかりを眺めていらして、「のぼりぬる 煙はそれとわかねども なべて雲井の あはれなるかな(あなたさまが昇った煙がどこにあるのか分かりませんが、空の雲を眺めますと、しみじみ哀しく思われてなりません)」左大臣邸にお着きになられても少しもお寝みになれず、在りし日の女君のご様子をお思い出しになりながら、「私はどうして、いつかはきっとご自分から私の気持ちを分かってくださるだろうと呑気に構えて、つまらない浮気心で、女君に辛い思いをさせてしまったのだろう。私の事を終生打ち解けにくく、気恥かしい者と思って亡くなられたにちがいない」などと様々に後悔し続けていらっしゃるのですが、それも今となっては甲斐のない事なのでした。
August 7, 2011
源氏の大将殿は悲しい事の上に、御物の怪の厭わしさまで加わって、男女の仲をひどく憂鬱なものと身に染みてお感じになられましたので、深い仲でいらっしゃる方々からのご弔問にも嫌悪感をお覚えになるばかりです。桐壺院におかれましてもお嘆きあそばしますので、左大臣は面目が立つ思いで嬉しさも混じり、御涙の乾く暇がありません。生き返る事もあろうかと、人の勧めに従い荘厳な御祈祷の数々を残らずおさせになり、一方ではご遺体が傷み給うご様子を目にしますと限りなく思い惑うのです。ご祈祷の甲斐もなく幾日が過ぎましたので、仕方なく鳥辺野で野辺送りをたてまつることになりましたが、その悲しさは耐え難いものでした。あちらこちらの野辺送りの人たちや多くの寺からの念仏僧などで、広々とした鳥辺野がいっぱいになります。桐壺院はもちろん、藤壺の宮、春宮などの御使者、またそれ以外のご使者が入れ替わり立ち替わり参じて、ひっきりなしにご弔問を申し上げます。左大臣は立ち上がることもおできにならず、「このような年令になって、若い盛りの娘に先立たれて泣き惑うとは」と、恥じて泣き給うのを、人々は哀しい思いで見たてまつるのです。夜通しの大層な儀式ではありましたが、何ともはかなき御遺骨だけを名残に、夜明け前になって皆お帰りになります。
August 6, 2011
秋の任官の儀式がありますので、左大臣も参内なさいます。御子息たちもそれぞれに昇進を望んでいらっしゃいますので、父・左大臣に続いてお発ち出でになりました。お邸の中が人少なでしんと静まり返った頃、女君がにわかに御胸をせきあげて、ひどくお苦しみになり、参内なさった方々にお知らせ申し上げる暇もなく、そのまま息絶えておしまいになりました。誰もが地に足の着かぬほど動転し退出なさいます。任官の儀式のある夜なのですが、このようにやむを得ないご支障ですから、すべて水の泡となったようなありさまでした。大騒ぎにはなるものの何分夜中ですから、比叡山の座主もあちこちの僧たちをお召しになろうにも間に合いません。「大病ではあったけれど、もう安心」と、誰もが気を抜いていましたので、急な事に大慌てで、邸内では人々が物にぶつかったりしています。あちらこちらからのご弔問の使者などが立ち込むのですが、取り次ぐこともできません。邸内は哀しみに満ち満ちて、ご両親や源氏の大将のお悲しみは恐ろしいまでに見え給うのです。今までに何度も御物の怪のために息絶えた事がありましたので、御枕をそのままにして二・三日様子を見たてまつるのですが、しだいに死相が出ていらっしゃって「やはりこれまでか」と、誰もがお諦めになりますのがたいそう切なく悲しいのです。
August 5, 2011
たいそううつくしい女君がひどく衰弱なさり、あるかなきかの様子で臥していらっしゃるのは、いじらしくて胸が詰まるほどです。御髪には乱れた筋もなく、はらはらと枕にかかるあたりが無類なまでにうつくしく見えますので、『これまでの年月、私はいったい女君の何を不満に思ってきたのだろう』と、不思議な思いに駆られながら、じっと女君を見守るのです。「院などに参内しましたら、すぐに戻って参りましょうね。いつもこんなふうに、親しくあなたとお目にかかれましたらどんなに嬉しいことでしょう。母宮がずっとお傍についていらっしゃるので、私は辛い思いをしながらも遠慮してきたのですよ。やはりだんだんと元気をお出しになって、いつものお部屋に戻れるようになさいね。母宮があまり子ども扱いなさるから、御病気も良くならないのですよ」など申し上げ給いて、たいそううつくしい御装束でお出かけになります。女君はいつもと違い、じっと見つめていらっしゃいます。
August 4, 2011

「ほんにその通りでございますよ。体裁を繕うような御仲ではございませんでしょう。たいそうな御病後とはいえ、几帳越しに対面なさるものではございませんわ」 女房がそう言いながら、女君が臥していらっしゃるお傍へお席を寄せましたので几帳の内へ入り、お話し申し上げます。 女君のお返事が時々聞こえ給うのですが、やはりたいそう弱々しげです。 それでも、『もはや亡き人』と思い諦めたあの御有様をお思い出しになりますと、このようにして対面なさいますのは夢のような心地がなさって、これまでの病状の重篤であった事などを女君にお話しなさいます。けれどもあの、全く息も絶えたようでいらっしゃったのが打って変って持ち直し、何やらぶつぶつと御物の怪が仰せになった事などは、お思い出しになると厭な気がしますので、「さてさて、申し上げたい事はたくさんあるのですが、まだだるそうに見えますのでこれまでにしておきましょう」とて、「御薬湯を召し上がれ」など、いつもとは違い細やかにお世話なさるご様子に、女房たちは「このような事まで、いつ覚え給うたのでしょう」と、お褒め申し上げるのでした。にほんブログ村
August 3, 2011

ひどくお苦しみになられた女君でいらっしゃいますから、御病後も油断は禁物と誰もがお思いですので、当然源氏の大将はお忍び歩きをなさいません。女君はなおもひどく苦しそうにばかりしていらっしゃいますので、普段のようにもまだ対面なさらないのです。お生まれになった若君の不気味なほどのうつくしさを、今から異様なほど大事にお世話なさる源氏の大将のご様子は並大抵ではありません。 左大臣は『願ったり叶ったり』と、たいそう嬉しくお思いでいらっしゃるのですが、まだ女君のご容態が思わしくありませんので心もとなくお思いになります。とはいえ、あれほど重かった病気の後だから仕方あるまい、ともお思いになります。 源氏の大将は、若君の御目もとのうつくしさなどが春宮にたいそう似ていらっしゃいますのをご覧になると、真っ先に恋しく思い出され給うて忍びがたく、「内裏などにご無沙汰いたしますのも気掛かりですから、今日は久しぶりに参内しようと思います。それにしても、もう少し近い所でお話ししたいものですね。このような几帳越しでは、あなたの御心がはっきり分からないではありませんか」と、女君をお恨み申し上げます。
August 2, 2011
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