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夜が明け果てた頃に二条院にお帰りになり、春宮にも御消息をなさいます。春宮には、母宮の御代わりとして王命婦を付き添わせていらっしゃいますので、そちらの局に差し上げます。「いよいよ今日、都を離れまする。その前にもう一度お伺いせずに参ります事が、多くの憂いの中で一番悲しく辛く思わずにはいられませぬ。私の心中をお察しくださり、春宮へはよろしく言上してくださいますよう。いつかまた 春のみやこの花を見む 時うしなへる 山がつにして(いつかまた華やかな春宮の御代を見ることができるでしょうか。今の私は官位を失い卑しい身分になってしまって)」この御文を桜の花がほとんど散ったような枝に付けて差し上げました。命婦が春宮のお目にかけますと、幼心にも真面目なお顔でご覧になるのです。「お返事は、いかがいたしましょう」と言上しますと、「『しばらく逢わないだけでも恋しく思うのに、まして遠くではどんなに』とお書き」と仰せになります。命婦は『何とも手応えのないお返事を』と、時勢をご存知ない春宮の他愛なさをおいたわしく見たてまつるのです。それにしても、どうにもならない恋に御心を砕いた昔の事や、折々の逢瀬でのご様子を思い出すにつけて、自分が手引きしなければお二方ともこのような物思いをする事もなく、平安にお過ごしなされたであろう世を、自分がその原因をつくったかもしれぬと思うと、自責の念に駆られ悔やまれてならないのです。
November 30, 2011
御陵においでになっても桐壺院がご存命でいらした頃の御有様が、まざまざと思い出されます。限りないご身分の帝であらせられても、この世の人ではなくなってしまった事を、言いようもなく無念にお思いになります。今までの事を泣く泣くご報告申し上げても、是非の判断を伺う事がおできになりません。『あれほど院がお考えくださり、仰せになったさまざまな御遺言は、一体どこへ消え失せたのであろう』とお思いになっても、その甲斐もありません。お墓への道は草が繁り、分け入り給うほどにたいそう露けく、月は雲に隠れて森の木立が小深く、いかにも荒涼としています。帰ろうにも、ここから出る事が出来ないような心地で拝んでいらっしゃいますと、亡き院の在りし日の御姿がありありと見えますので、ぞっとして背筋が寒くなるようなお気持ちになります。「なきかげや いかゞ見るらむよそへつゝ ながむる月も 雲がくれぬる(故院の御霊は、今の私をどのようにご覧あそばすでしょうか。故院と思い、空を仰ぎ眺めていた月までも、今は雲に隠れてしまいました)」
November 29, 2011
明け方の月を待って、宮邸を退出なさいます。お供はただ五・六人ばかりで、身分の低い下男も親しい者だけを従え、御馬でおいでになります。今さら言うまでもない事ですが、全盛のころとはまるで違う外出のご様子に、皆たいそう悲しく思うのでした。中にあの御禊の日に、臨時の御随人としてお仕え申し上げた右近の将監の蔵人は、当然受けるはずの位階もその沙汰がなく、ついには官位までも免ぜられ体裁が悪いので、お供に参じたのでした。途中、下賀茂神社が見える所にさしかかると、右近の丞はふと御禊の日の事を思い出されて、馬を下りて源氏の君の御馬の口を取り、「ひき連れて 葵かざししそのかみを 思へばつらし 賀茂の瑞垣(頭に葵の葉を挿して行列したあの日を思い出しますと、賀茂の瑞垣を見るだけで辛くてなりませぬ)」と言いますので、『ほんにどんなに悔しかろう。右近の丞は人一倍立派であったものを』と気の毒にお思いになります。源氏の君も御馬を降り給いて御社の方を拝み、神に御暇乞いをなさいます。「憂き世をば いまぞ別るゝとどまらむ 名をばたゞすの 神のまかせて(今、辛い都を離れて須磨へ参ります。後に残る私の世評は、糺の森の神にお任せして) 右近の丞は感動しやすい若者ですので、源氏の君のご様子に心から共感するのでした。
November 27, 2011
出立前日の夕方には桐壺院の御墓参りをなさるとて、北山に詣でなさいます。夜更けから明け方にかけて月が昇る頃ですので、先ず入道なされた藤壺の宮をご訪問なさいます。宮の御座所に近い御簾の前に御座を設けて、宮ご自身がお話しなさいます。宮はこれからの春宮の御事を、何よりも心配していらっしゃるのです。お二人ともお互いに心に深い物思いを秘めた間柄でいらっしゃいますから、お話もまたさまざまに感慨も増すのでしょう。懐かしく申し分のない宮のご様子は昔と少しもお変わりがなく、あの辛かった薄情なお仕打ちについて、恨み事をほのめかしたいとお思いになるのですが、「今さら厭な事を」と不愉快にお思いになることでしょうし、ご自分でも反って御心乱れがまさるようですので、お思い返しになり、「このような思いもかけぬ咎めを受けますのも、胸に思い当たります事がただ一節ございまして、空を仰ぎ見るのも恐ろしい事でございます。私の身などどうなろうとも惜しくはございませぬが、春宮の御代さえ平穏無事であらせられますならば、どんなに嬉しい事でしょう」とだけ申し上げるのは、尤もなのです。 入道の宮も思い知られる事ですので、御心ばかりが動揺なさってお返事がおできになりません。大将の頭の中にはさまざまな事が次々とめぐり、お泣きになるご様子が限りなくあでやかなのでした。「桐壺院の御陵に参拝いたしますので、お言伝がございますれば」と申し上げますと、宮は涙で物も仰せになれないのですが、何とか気を鎮めようとしていらっしゃるご様子なのです。「見しはなく あるは悲しき世の果てを 背きし甲斐も なくなくぞ経る(かつて相見た桐壺院はこの世にはなく、生きてこの世にあるあなたさまは、こうして悲しい目に遇っていらっしゃる。私は出家した甲斐もなく、泣く泣く過ごしておりまする)」 お二方ともひどく心が乱れていらっしゃいますので、あれこれ御心内で思う事が多く、それを御歌に続けることがおできにならないのです。「別れしに 悲しき事は尽きにしを またぞこの世の 憂さはまされる(父・桐壺院と死別した時に悲しみの限りを尽くしたはずですのに、更にまた、春宮との別れを思いますと、辛さが増すばかりです)
November 26, 2011
源氏の君にお仕えしている中務、中将などの女房たちは、つれないお扱いを受けながらも、お傍にお仕えしていてこそ心も安らいだのですが、『この後は何を慰めとしたらいいものやら』と思うと、心細くなるのです。「生きて都にまた帰ることもあろうものを。私の帰京を待とうと思う人は西の対にお仕えしなさい」と、身分の上下にかかわらず皆紫の女君の所へおやりになって、それぞれにふさわしい品々をお配りになります。左大臣邸の若君の御乳母たちや花散里にも、趣味の品はもちろんの事、生活の品々においてもこまごまと配慮なさるのです。朧月夜の尚侍の君の御もとには、無理をして御文を差し上げます。「あなたさまから御文がないのも道理とは思いながら、こうして都を離れる際の憂さも辛さも、今まで経験したことのないほどでございます。あふ瀬なき なみだの川に沈みしや 流るゝみをの はじめなりけむ(あなたさまとの逢瀬の時を持てない悲しみ。その涙の川に溺れたために、こうして流される身になったのでしょうか)あなたさまに恋をした、その事だけが私の罪なのでございましょう」御文を届ける道すがらも心配ですので、あまり細かくはお書きになりません。朧月夜の君はひどく悲しくお思いになり、耐えていらっしゃるもののお袖から涙があふれてしまうのです。「なみだ川 浮かぶみなわも消えぬべし 流れて後の 瀬をも待たずて(あなたさまが涙川に溺れるとおっしゃるなら、私はそこに浮かぶ水泡でございます。きっとお帰りを待つ事もなく消えてしまうのですわ)」と、心乱れた様子で泣きながらお書きになったご筆跡が、たいそういじらしいのです。一目お逢いする事も叶わぬまま別れるのかと名残り惜しくお思いになるのですが、思い直してごらんになると、ご自分を目障りな者とお思いになる右大臣の縁者も多く、尚侍の君も堪えていらっしゃるようですので、御文も差し上げないままになってしまいました。
November 25, 2011
「夜の間は短いものだね。これほどの対面ももうあるまいと思うと、いつでも逢えた日々を無駄に過ごした事が口惜しい。来し方行く末の実例ともなりそうな我が身には、心が平穏な時はないようだ」と、過ぎにし方の事などもお話しになります。鶏も何度か鳴きますので、世間を憚って急ぎお立ち出でになります。花散里の女君は、月が西の山に沈んでしまう様子が源氏の君に例えられて、悲しいのです。女君の濃い御衣に月影が映り、ほんに古歌に言う通り月までが涙に濡れている風情ですので、「月影の 宿れる袖はせばくとも とめても見ばや あかぬ光を(月の光を映すには私の袖は小さくとも、見飽きぬ光を留めて、いつまでも見ていとうございます)」源氏の君はたまらないお気持ちになるのですが、いじらしくて女君をお慰めになります。「行き巡り つひにすむべき月影の しばし曇らむ 空なながめそ(巡り巡って、最後には月の光も澄むことでしょう。月が雲間に隠れている間は、空を眺めなさいますな)思えば情けないものだね。今はただ、未来を『知らぬ涙』だけが心を暗くする」など仰せになって、まだ夜が明けきらぬうちにお帰りになりました。★ 二条院では、あれこれの事を認めさせなさいます。親しくお仕えし、右大臣方に与しない方々全てに、二条院邸の事や執り行うべき上下の役目をお定めになります。須磨への御供には、お慕い申し上げる人々とは別にさらにお選びになりました。須磨での調度品はどうしても必要なものだけで、ことさら装飾もなく、しかるべき書物、白氏文集などの入った箱、それに琴一面をお持たせになります。大袈裟な御調度や華やかな御衣裳などは一切お持ちにならず、まるで身分の卑しい人のようにしていらっしゃいます。二条院の女房たちを始めとして、全ての事をみな西の対の女君に申し渡しなさいます。源氏の君が領有なさる御庄・御牧から、さるべき所々の手形などをみな紫の女君にお渡しになります。その他の日用品のための御倉や納殿といった事まで、しっかり者として見込んでいた少納言に、源氏の君の親しい家司などと一緒に治めるべき事を仰せ置きになります。
November 24, 2011
花散里も心細くお思いになって、いつも源氏の君へ御文を差し上げていました。それもお道理ですし『かの人にも、今ひとたびお逢いしなければ、薄情者と思われよう』とお思いになるのですが、左大臣邸からお帰りになった夜に、すぐまたお出掛になるのもたいそう物憂く、ひどく夜が更けてからお出でになります。麗景殿女御が、「私のように数ならぬ身を人並みにお扱いくださって、お立ち寄りくださるとは」とお喜びになるご様子は、こうして書きつけるまでもありません。恐ろしいほど頼りない生活の御様子で、ただ源氏の君お一人を頼りとして暮らしていらっしゃいましたので、この後はどんなに荒れ果てることかと思いやられるほど、邸内には人が少ないのです。春の朧月夜が射し出でて、広い池や山の木深きあたりがもの寂しく見えて、須磨という遠い地の、巌の中の住まいが思いやられるのです。西面の花散里は、『お出でくださるはずがないわ』と塞ぎこんでいらしたのですが、風情ある月の光が優雅でしめやかな場所に、またとない源氏の君の御衣の匂いがたいそう忍びやかに漂ってきました。花散里の女君は少しいざり出て、そのままご一緒に月を眺めていらっしゃいます。こちらでもまたお話しなさるうちに、明け方近くになってしまうのでした。
November 22, 2011
「もしも私が帰京を許されず、長い年月を過ごす事にでもなりましたなら、巌の如き住処であってもあなたをお迎えいたしましょう。しかし今同行いたしますのは、世間への手前も悪うございましょう。朝廷から謹慎を受けた人は、月や日の光さえ憚らねばならず、気楽に振舞う事さえたいそう罪深い事なのです。私にとって無実の罪ではありますが、これもしかるべき前世からの因縁なのであろうと思います。ましてや愛する人を伴うなど前例のない事ですから、このような狂気じみたご時世ではどんな災難が降りかかるか知れないのです」などお教えになって、日が長けるまで寝室でお過ごしになります。帥の宮や三位の中将がおいでになりましたので、ご対面になろうと御直衣などお召し替えになります。源氏の君は官位を失っておいでですので、無紋の直衣をたいそうなつかしいふうにお召しになって身をやつしていらっしゃるのが、反って上品なのです。御髪をお調えになるとて鏡台にお寄りになりますと、面痩せなさったお顔が、ご自分でもたいそう上品でうつくしいとご覧になりながら、「ひどく衰えてしまったものだね。痩せて、まるで影のようではありませんか。やれやれ、何と言う事だ」と仰せになります。紫の女君は目に涙を浮かべながら、じっとお顔を見詰めていらっしゃいますので、源氏の君は耐え難い思いになります。「見はかくて さすらへぬとも君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ(私はこうして須磨へと流離って行く身ではあるけれど、この鏡の中に映った私の面影は、決してあなたさまの元から離れる事はありませんよ)」と申し上げます。紫の女君、「別れても 影だにとまるものならば 鏡を見ても なぐさめてまし(あなたさまと別れても、影がこうして留まってくれるものならば、せめて鏡を見て心を慰めることもできましょう。けれど......)」柱の陰に隠れるようにして涙を紛らわせていらっしゃるご様子は、多くの女君達のなかでも類ないとお思いになるほどお気の毒なご様子なのでした。帥の宮は、しんみりとしたお話をなさって、日が暮れる頃にお帰りになりました。
November 20, 2011
「昨夜はこのような事で夜更けになりましたので、左大臣邸に泊まりました。あなたはいつものように、私が浮気でもしているのではないかと勘ぐっていらしたのではありませんか。常々疎遠にならぬようにと思ってはいるのですが、こうして都を離れる間際になると気掛かりな事が多くなりまして、じっと家にばかり引き籠ってはいられないのです。無常な世の中とはいえ、人からも『薄情者』と見離されてしまうのは、我が身にとって辛いものです」と申し上げますと、「このような悲しい事以上に『勘ぐる事』など、あるものでしょうか」とだけ仰せになって、悲嘆にくれていらっしゃる様子が他の人とまったく違うのは、尤もな事なのです。なぜなら、父・兵部卿の宮は紫の女君に対してもともとひどく冷淡でいらしたのですが、まして今では右大臣方からの非難を憚り御消息文さえ差し上げず、ご訪問などもなさいません。そんな親娘の間柄を世間の人たちがどう見るかと思うときまりが悪く、どうせ疎遠な関係であるならば知られない方が良かったと思うほどなのですが、継母なる北の方が、「俄か出世の、何と慌ただしいこと。それに、まあ縁起が悪い。大切に思う人と、次々に別れてしまうなんて」と仰せになったとやらをお耳になさってひどく情けなく、それからは紫の女君からも御文を差し上げないのでした。おまけに源氏の君の他には頼りとなる人もなく、まことに哀れな御有様なのです。
November 19, 2011
ほんに、大宮からのお返事は、「なき人の 別れやいとゞへだゝらん 煙となりし 雲井ならでは(亡き娘とあなたさまとの隔ては、ますます大きくなっていくように感じまする。娘が煙となって上った都から、遠く離れて行ってしまうのですから)」とあります。源氏の君が都をお離れになる悲しみに、亡き女君への悲しみが加わって哀れが尽きせず、女房たちは名残り惜しさに不吉なまでに泣き合うのでした。二条院にお帰りになりますと、ご自分のお部屋付きの女房たちも眠れない様子で所々に集まり、あまりの事に呆然としています。源氏の君に親しく伺候している者は皆お供に参る心算で、家族などとの別れを惜しむからでしょうか、控え所には人もいないのです。お供しない人などは右大臣方からの非難を恐れ、ご挨拶に参上すると難儀な事になりそうですから、所狭しとばかりに集まるような馬や車もなくひっそりとして寂しく、源氏の君は『世の中は味気ないものだ』と思い知るのでした。お食事を載せる台盤などは埃をかぶった物もあり、畳はあちこちで引き上げて、立てかけてありました。『まだ主がいるにもかかわらずこの有様だ。ましてこれからはどんなに荒れ果てることやら』と、嘆かわしくお思いになります。西の対においでになりますと、御格子も下さず、紫の女君がじっとお庭を眺めて物思いに耽っていらっしゃいます。童が簀などあちらこちらにうたた寝していて、源氏の君がお帰りになったのを知り、慌てて起き騒ぎます。女の童の宿直姿などは風情があって、こんなふうに出入りするのをご覧になるにつけても心細く、『私のいない年月が重なれば、ここに仕える人々もいずれは散り散りになるのであろう』と、いつもならそれほどでもない事でさえ、どうしてもお目に止まるのでした。
November 18, 2011
源氏の君はお泣きになって、「鳥辺山 もえし煙もまがふやと あまのしほ焼く 浦みにぞゆく(鳥辺山で火葬の煙となった我が妻。海人が塩を焼く須磨の浦に、その煙を見に行くのでございます)」お返事というほどでもなくうち誦んじ給いて、「暁の別れがいつもこんなふうに心痛むものとは限らないね。私の気持ちを分かってくれるでしょうか」と、宰相の君に仰せになります。「いつも『別れ』という言葉にはたまらない気持ちになるものでございますが、今朝の別れには格別の悲しみがございます」と、涙声で心から悲しそうにしているのです。 源氏の君は大宮に宛てて、「申し上げたい事がございましたが、何度も考え直しながらただ胸がいっぱいで、何も申し上げられない事をどうぞお察しください。幼い人を見ますれば反って辛い憂き世を離れ難く、後ろ髪を引かれる思いになりますれば、心を鬼にして急ぎ退出いたします」と、申し上げます。 君のお立ち出でになりますところを、女房たちが物陰から見たてまつります。西の山に入りかけの明るい月に、優雅でうつくしく思案げな源氏の君の御姿は、荒々しい虎や狼さえもきっと涙を流すことでしょう。まして君が元服なさった頃からみたてまつり、お仕えしてきた女房たちは、たとえようもない今のご様子をひどくお気の毒に思うのです。
November 17, 2011
三位の中将もいらして御酒などを召し上がるうち夜が更けてしまいましたので、こちらにお泊りになり、女房たちを御前に侍らせて、お物語などをおさせになります。中で密かにご寵愛になる中納言の君の、言うに言われぬ悲しみをじっとこらえた様子を、人知れず哀れに思っていらっしゃいました。人が皆寝静まった頃、中納言の君だけを残してお語らいになります。きっと中納言と話したくて、こちらにお泊りになったのでしょう。日が替わりましたので深夜にお立ち出でになりますと、有明の月がたいそう趣きがあるのです。盛りが過ぎて僅かに花の残った木の影や白砂を敷き詰めた庭に薄く霧がかかり、あたりがぼんやりと霞みがかって、秋の風情よりも勝っているのでした。源氏の君は隅の勾欄に背を持たせかけて、しばらく眺めていらっしゃいます。中納言が『お見送りを』と思ったのでしょうか、妻戸を押し開けました。「再会の日を思うと、ひどく難しいね。こんな目に会うとも知らずに、いつでも逢えた長い年月を大切にもしなかったのだね」と仰せになりますので、中納言は何もお返事できずに泣くのです。若君の御乳母の宰相の君が、大宮の御前からの御文を差し上げます。「私自身がお目にかかってお話を申し上げとうございますが、悲しさに心が乱れがちでございまして、ためらっておりますうちに、あなたさまが夜更けのうちにお帰りなさるとか。それも私には昔と様変わりしたような心地がいたします。かわいそうな若君がお目ざめになる前にお帰りになるなんて」とあります。
November 16, 2011
「それもこれも不幸は皆前世の宿縁でございますから、言ってみれば身の不運はひとえに私自身の過失なのでございます。私と違い、官位剥奪もないささやかな咎でも、謹慎中の人が平気な顔で暮らしていますのは、他国でも罪の重い事としております。されば私が遠国に放逐されるべき決定事などもあると聞いております。つまり私は尋常ならざる罪科に相当する、という事なのでございましょう。曇りのない心ではございますが、平気な顔をして過ごして参りますのも憚りが多く、これ以上大きな恥を受けぬ先にこの都から離れようと思いまして」など、左大臣に細やかにお話しなさいます。左大臣も、昔のお話や故・桐壺院の御遺言の御事などお話しなさって、御直衣の袖では涙も拭ききれないほどでいらっしゃいますので、源氏の君ももらい泣きなさいます。左大臣は、若君が無邪気にまとわりついて、人見知りすることなく甘えていらっしゃるのを不憫にお思いになります。「それにしましても亡くなった娘の事をいつまでも忘れる事ができず、未だに悲しんでおりますが、もし生きていましたなら、今のあなたさまの御事をどんなに嘆き悲しんだ事でございましょう。『よくぞ短命で、このような悲しい目に会わずにすんだことよ』と思い、何とか心を慰めておりまするが、母のない幼い若君が高齢の祖父母の中に取り残され、この上長い年月父君とお逢いできぬのかと思いますと、私は何よりもそれが悲しくてなりませぬ。昔の人も本当に罪を犯した場合でも、かような罰を受ける事はございませなんだ。異朝でもこのような運命のために冤罪となる事が多くございます。されど確かな理由があってこそ罪人となるのでございます。あれこれ考えましても心当たりがなく、それなのに……」など、多くのお話をなさるのです。
November 15, 2011
出発の二・三日前には、宵闇にまぎれて左大臣邸にお出でになりました。質素な網代車で、女車のようにして隠れてお入りになりますのもたいそうおいたわしく、昔の栄華が夢のようなのです。亡き女君のお部屋はひどく寂しげで、すっかり荒れ果てたような心地がなさいます。若君の御乳母たちや女君亡き後も変わらずお仕えしている女房たちは皆、こうしてお渡りになられた事を珍しがって集まってきました。源氏の君を見たてまつるにつけても、特に思慮深くもない若い女房たちでさえ、自ずと世の無常を思い知られて涙にくれるのでした。若君はたいそう可愛らしく成長なさり、父君がおいでになりましたのではしゃぎ回っていらっしゃいます。「長くお会いしなかったのに、父を忘れないとは何といじらしい事よ」と、お膝に乗せて、いかにも忍び難いご様子でいらっしゃいます。左大臣がこちらにおいでになり、対面なさいます。「あなたさまが官位を失われ、寂しく蟄居していらっしゃる間、参上して徒然の慰めに昔のお話など申し上げようと存じましたが、我が身の病が重く左大臣としての任務も遂行できず、位階をも返したてまつりまして、今では無位でございます。あなたさまの御もとへお伺いすれば『私用では曲がった腰を延ばして、好きなように出歩く』などと、世間では曲解して噂する事でございましょう。辞職しました今では世の中を憚るような身ではございませぬが、右大臣方による今の世の中がたいそう恐ろしく感じまして遠慮申しておりました。あなたさまの御事を拝見いたしますにつけても、命ながきはつくづく情けなく恨めしく思われます。たとえ世の中を逆さまにしても、思いもよらぬあなたさまの御有様を拝見いたしますと、世の中の全ての事がひどく空しく思えまして」と申し上げて、すっかり肩を落としていらっしゃいます。
November 13, 2011
お通いになる事こそ稀なのですが、頼りなく哀れなご様子でいらっしゃるあの花散里も、源氏の君のご援助で暮らしていらっしゃいますので、都をお離れになる事をたいそう悲しんでいらっしゃいます。それも理なのです。軽い気持ちでほんの少しお逢いになり、お通いになった女君たちも、人知れず胸を痛めていらっしゃる方々が多いのでした。入道なされた藤壺の宮からも、『御文を差し上げますれば、どのように取り沙汰されよう』と、ご自身の御ために慎んではいらっしゃるのですが、人目を忍んで源氏の君へはいつも御消息文があります。源氏の君は『昔、宮がこんなふうに私をお思いくださって、ご情愛をもお示しくださったならどんなに嬉しかったものを』と、お思い出しになるのですが、『それもこれも、心の限りを尽くすべき宿縁だったのだな』と、辛いお気持ちになります。三月二十日過ぎあたりに、都をお離れになるのでした。皆には何もお知らせにならず、ただお傍近くで使い慣れた者を七・八人ばかりお供にして、小人数で目立たぬようにお立ち出でになります。しかるべき方々には御文だけを、格別というほどでない女君にさえも、ご情愛が偲ばれるように書き尽していらっしゃいましたので、さぞや見どころもあろうかと思われるのですが、出立の折の気持ちに紛れて聞かず仕舞いになってしまいました。
November 12, 2011
近頃は世の中が思うに任せず、不都合な事ばかりが多くなりますので、強いて気にしないふうを装っていらっしゃるのですが、次第に『今以上にひどい仕打を受けるかもしれぬ』と思うようになるのでした。あの「わくらばに 問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩垂れつつわぶと答えよ」と詠んだ須磨という地では、『昔こそ人の住む家もあったけれど、今では人里から離れすっかり荒れ果ててしまい、漁師の住む家さえも稀だと聞いているが、人が多く落ち着かない住いは本意ではない。さりとて都からあまりに遠ざかるというのも、残してきた女君達の事が気掛かりとなろうし』と、みっともないほどお迷いになります。様々な事、来し方行く末をお思い続けになりますと、悲しい事がたいそう多いのです。厭わしいものとして思い捨てたはずの都なのですが、いざ離れるのだとお思いになるとたいそう捨て難い事が多く、中でも紫の姫君は、明け暮れにつけ思い嘆いていらっしゃるご様子がひどくおいたわしいのです。『一時別れたとしても、巡り巡って必ずや再会できよう』とお思いになっていらしても、やはり一日二日離れるだけで『どうしていらっしゃるだろうか』と不安をお覚えになります。女君も頼りなくもの寂しそうにばかりしていらっしゃいます。何年と決まった期間のある旅でもありませんし、たとえ再会する日を決めて別れていくとしても、定めなき世ですから『ひょっとして、これが永久の別れへの門出かもしれぬ』と、恐ろしくお思いになりますと、密かに『連れて行こうか』と思う事もおありなのです。されど波風の他には何もない恐ろしい海辺に、可憐な姫を引き連れて行くのも無理ですから『なまなか心配の種になろう』と、お思い返しになります。女君は『たとえ辛く苦しい旅路ではあっても、源氏の君とご一緒であるならば』と、同行の意思をほのめかしては、諦めきれないのでした。
November 11, 2011
「橘の 香をなつかしみほととぎす 花散る里を たづねてぞ問ふ(橘の香りを懐かしんで、ほととぎすが鳴いています。きっとこの花散る里を訪ねてやってきたのでしょう)桐壺院ご在世の昔を懐かしむ心の慰めには、やはりこちらにお伺いするべきでした。こうして昔のお話しをいたしますと、哀しみの紛れる事も、また反って増す事もございます。人は大方時勢に従うものですから、昔の話をぽつぽつと語ってくれる人も次第に少なくなってまいります。私にもましてあなたさまはつれづれを紛らすすべもなく、さぞや所在のないのことでございましょう」と申し上げます。今さら言うまでもない世の中なのですが、しみじみと物を思い続けなさるご様子が深刻でいらっしゃるのも、女御のお人柄のせいなのでしょうか、さまざまの想いを起こさせるのでした。「人目なく 荒れたる宿はたちばなの 花こそ軒の つまとなりけれ(訪れる人とてない荒れた私の住いでは、昔をしのばせる橘の花だけがあなたさまを誘うよすがとなっております)」とだけお応えになるのですが、『他の女御や更衣とはやはり違う』と御心の内で比べられるのです。西面にはさりげなく、目立たぬようになさってお部屋をお覗きになりますと、三の君は珍しい方のご訪問に加えて世にも見馴れぬほどご立派でいらっしゃいますので、日ごろの恨めしさも忘れるのでしょう。何やかやと、いつものように懐かしくお話しなさいますのも、こうした嬉しさからなのでしょう。仮初にも源氏の君が関係をお持ちになる女君は、どなたもご身分が高くていらっしゃいますので、何の取柄もないとお思いになる御方がおいでにならないせいでしょうか、不愉快な思いをなさる事もなく、お互いに心の底から情を交わし合ってお過ごしになるのでした。ご訪問が途絶えますのを不本意に思って、心変わりする女君には『無理からぬ世の習い』と、お諦めになります。ほととぎすが鳴いたあの垣根の女についても、そんなふうに離れて行ってしまったのだとお思いになるのでした。
November 10, 2011
『こんなにも用心しなくてはならないものか。まあそれも尤もな事だ』と思われますので、さすがに引き下がらざるを得ません。『このような身分の女では、筑紫の五節が可愛らしかったな』と、お思い出しになります。どのような場合であっても御心の休まる暇もなく、いつも恋に苦しんでいらっしゃいます。年月が過ぎてもやはりこうして、かつて逢瀬の時を持った女へのご情愛をお忘れになりませんので、それが反ってあまたの女たちの物思いの種となるのです。あの目指す麗景殿女御の邸は、想像した通り人目もなくひっそりと静かでいらっしゃるご様子がたいそうお気の毒なのです。先ず女御のお部屋で、桐壺院ご在世中のお話しなど申し上げますうち、夜が更けてしまいました。二十日の月が射し出ますと高い木の影がお庭に小暗く見え渡り、近くの橘の香が懐かしく匂います。お年を召してはいらっしゃるのですが、女御は上品で御心遣いが行き届き、おいたわしいご様子でいらっしゃいます。『格別のご寵愛こそなかったけれど、院は睦まじくやさしいお方とお思いでいらっしゃった』などと思い出し給うにつけても、昔の事が次々と思い出されてお泣きになります。先ほどの垣根で鳴いたほととぎすなのでしょうか、同じ声で鳴きました。『私を慕って追って来たのか』と、お思いになるのも艶っぽいのです。「いかに知りてか」と、そっと誦んじていらっしゃいます。
November 9, 2011
ちょうど門に近い所でお耳にとまりましたので、御車から少し身を乗り出して中をご覧になります。桂の大木から吹く追風に賀茂の祭りの頃をお思い出しになり、そこはかとない風情に、『そういえば、ただ一度だけ通ったことのある女の家だった』とお思い出しになりますと、気になってなりません。『あれからすいぶん時も過ぎてしまったが、女は覚えているだろうか』そう思うと気が引けてためらっていらっしゃると、折しもほととぎすが鳴きながら渡りました。まるで誘うような鳴き声でしたので、御車を引き返させて、いつものように惟光をおやりになります。「をち返り えぞ忍ばれぬほとゝぎす ほの語らひし 宿の垣根に(あなたさまにお逢いした昔に返り、恋しさに堪えかねたほととぎすが鳴いています。ほのかに訪れたこの家の垣根で)」惟光が来てみますと、寝殿とおぼしき建物の西の妻に女房たちがいました。以前にも聞いたことのある声なので咳払いして様子を伺い、御消息文を差し出しますと、若やいだ雰囲気の中で『誰かしら』などと囁き合っているようなのです。「ほとゝぎす 言問ふ声はそれなれど あなおぼつかな さみだれの空(確かにその昔聞いたほととぎすの声ではございますけれど、この五月雨の空のように、どなたなのかはっきりしませんわ)」どうやら女は知らぬふりをしているようですので、「そうか、家を間違えたのかも知れない」と言って出てしまいますと、女は心の内で恨めしくも残念にも思うのでした。
November 7, 2011
人知れずご自分から求める恋の物思いはいつもの事なのですが、桐壺院ご崩御の後は世間の事までもが煩わしく思い悩む事ばかりが多く、何かにつけ頼りなく、世の中の全てが厭わしくお思いになるのです。そうかといって、さすがにうち捨てて置くわけにはいかぬ事ばかりが多いのです。~☆★~麗景殿の女御と申し上げる御方には、桐壺帝との間に御子がおいでになりませんので、院が御隠れあそばされてからは、ますますお気の毒なご様子でいらして、この大将殿お一人の庇護により暮らしていらっしゃるようなのです。御妹の三の君とは、内裏あたりでたまさかの逢瀬を重ねていらしたのですが、源氏の大将はいつもの御心癖で、さすがに三の君をお忘れになってはいらっしゃいません。そうかといって格別のお扱いもなさいませんので、三の君はひどく気を揉んでいらっしゃるようなのです。源氏の大将は、この頃の世の中にすっかり厭気がさしていらしたのですが、三の君の事をお思い出しになりますと堪え切れなくなって、五月雨の空が珍しく晴れた雲間にお出掛になります。これといった御装いもなさらず、目立たぬようにやつして、御前駆の者もなく、忍んで中河のあたりにさしかかりますと、木立などが風情のある小さな家から、よい音色の筝の琴を、和琴の調子に調えて、陽気に合奏しているのが聞こえてきました。
November 6, 2011
「賢木」は、シリアスなお話(六条御息所母娘の伊勢下向、桐壺院の崩御、藤壺の突然の出家)、エロチックな場面(藤壺の宮と源氏との緊張した密会)、そしてコメディタッチで描かれた短気で粗忽な右大臣と、その父親を呆れさせるほど激しくあけすけな性格の弘徽殿大后とのやりとりなど、多彩な出来事に溢れたおもしろい巻です。私が06年に真っ先に取り上げたのも、賢木の巻での「朧月夜の尚侍の君」でした。この場面での朧月夜の君は可愛らしく生きいきと描かれていて、とても印象深かったのです。「女の御さまも げにぞ めでたき御さかりなる。おもりかなる方は いかゞあらむ、をかしう なまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり」 作者は朧月夜を「ほんに今が一番うつくしいお年頃で、いつまでも眺めていたいほど」と表現しながらも、一方では「慎重さといった面はともかく」と書いています。興味深い事にそのように辛辣な表現は、朝顔の斎院や藤壺の宮についても見られます。朝顔の斎院には、神に仕える身となったにもかかわらず源氏と文を交わすのは「すこし あいなきことなりかし(未練がましくはないでしょうか)」と牽制しています。私は藤壺の宮が「御けしきにも出だし給はざりつる」形で、いきなり出家した事に「お見事!」と拍手喝さいを送りたいのですが、作者はやっぱり「あてに高きは 思ひなしなるべし(上品なお歌と感じるのは、源氏の思い入れのせいでしょう)」と、藤壺をちくりと刺しています。単に褒めるだけではなく、必ずいただけない性格もほんの少し加えて、読者の「思い入れ」に水を注すのですが、それが香辛料のようにぴりっと効いて香り立ち、立体的な人物像を造り上げているようにも思うのです。
November 5, 2011
大后は右大臣よりもっと激しいご気性でいらっしゃいますので、ひどく御腹立ちのご様子で、「帝と申し上げましても、朱雀帝は昔から多くの人に軽んじられてきました。辞任した大臣もこの上なく大切にかしづく一人娘を、春宮でおわした帝にはたてまつらず、まだ幼い弟の源氏が元服する夜の添い臥しにと取っておいたのです。今また、宮仕えにと考えていた朧月夜の君まで横取りされてしました。それなのにみんなが大将をごひいきにして、誰も『怪しからぬ』とはお思いにはならないのです。朧月夜の君を入内させて后にまで、という本意が遂げられなかったばかりに、不本意ながらも尚侍として伺候する事になってしまいました。私はお気の毒で『宮仕えであっても、帝のご寵愛をお受けする事があるかもしれない。あれほど憎らしい大将への面当てもあることだし』と願ってはいるのでございますが、情けない事に朧月夜ご本人が、心惹かれる方に、どうしても靡いてしまうのでございましょうね。まして斎院との御事は、噂通りなのでございましょう。大将のなさる事は何事につけ帝の御ためにならぬように見えます。春宮の御代に格別の期待を寄せている人ですから、それは尤もな事でございましょうけれど」と、ずけずけとお話し続けになりますので、右大臣はさすがに大将がお気の毒で『どうしてこんな事を申し上げたのか』とお困りになります。「それはそうなのですが、暫くこの事を他に漏らしたくないと思います。帝にも奏上なさいますな。朧月夜にこのような間違いがございましても、帝がお見捨てあそばす事もございますまい。それを頼みとして甘えているのでございましょう。あなたさまが内々にご意見なさっても聞き入れない場合は、私がその責任を負いましょう」と、お取りなし申し上げても、御機嫌が直りません。同じお里邸においでになって人目も多いのに、『無遠慮にこうして邸に入って来るというのは、殊更こちらを軽んじ愚弄しているのだ』とお思いになると御腹立ちになり、ひどく癪に障って、『しかるべき手立てを構えるには絶好の機会だ』と、お考えになる事もおありなのでしょう。
November 4, 2011
右大臣は何でも思った事をお口に出し、御胸にしまっておく事がおできにならないご性分でいらっしゃる上に、たいそうな老いの御ひがみまで加わってしまいましたので、黙ってはいられず、ためらうことなく、あけすけに弘徽殿大后にお訴えになります。「かくかくしかじかの事がございました。この畳紙の文字は右大将の御手でございます。以前にも油断したばかりにこのような事がございましたが、人柄に免じてすべてを許し『婿としても面倒をみよう』と申し上げた事がございましたが、その折には衣手にしてつれない扱いをされましたので、心外だったのでございます。しかし娘の身が穢れたとしても『そういう運命だったのだ』と、帝がお見捨てにはなるまい事を頼みとし、端からの念願のように帝にたてまつりました。それでもやっぱり憚りがございますので、女御ではなく尚侍という官職として入内せねばならなかった事を、親としましては何とも残念に思っておりました。それなのに今またこのような不祥事が出来致しましては、全くどうも癪に障ってなりませぬ。好色は男の常とは言いながら、大将もずいぶんと怪しからぬ事をなさる。斎院にもいまだに不埒な気持ちをお寄せになって、忍んで御文を御通わしなどして怪しい様子だなどと人が噂しております。このような事は世のためばかりでなく、大将ご自身にとりましても好からぬ事ですから、よもや無分別な行いに走る事などあるまいと思っておりました。当代の識者として天下を風靡していらっしゃる様子も格別ですから、大将の御心を少しも疑わなかったのでございます。
November 3, 2011
尚侍の君はほんとうにお困りになって、そっと几帳の外にいざり出ていらっしゃいましたが、お顔がたいそう赤らんでいらっしゃるので、まだお熱があるとお思いになったのでしょうか、「まだお顔の色が普通ではないね。厄介な物の怪などがあるのかもしれない。もっと修法を続けた方がいいだろう」と仰せになりながら、『おや?』とお思いになります。尚侍の君の御衣に薄二藍の男帯がまつわりついて、引きずっていらっしゃるのをお見つけになったのです。その上御几帳の下には見慣れぬ手習いなどした畳紙が落ちていました。右大臣は、『一体これは何だ?』と驚かれて、「それは誰のものだね?見慣れない妙な物だね。こちらへお出しなさい。誰のものか調べてみましょう」と言われて振り返り、ようやく尚侍の君もご自分の失態にお気付きになります。もう、取り繕う事もおできになりませんので御返事のしようもなく、途方に暮れていらっしゃいます。右大臣ほどの人物ならば、わが子ながら恥かしかろうと遠慮なさるべきなのでしょう。けれどもまことに性急で寛大なところのない右大臣でいらっしゃいますから、とてもそこまで考えが及びません。畳紙をお取りになって几帳から奥をお覗きになりますと、ひどくおっとりとして、遠慮もなく添い臥している男がいます。覗かれて、やっと顔を引き隠して誤魔化しています。右大臣はあまりの事に癪に障るし腹が立つのですが、面と向かって暴露するわけにもいきません。目の前が真っ暗になったような心地がしますので、この畳紙を取って弘徽殿大后のもとへお出でになりました。尚侍の君は正気を失ったような心地がして、もう死んでしまいたいようなお気持ちになります。大将殿も尚侍の君がお気の毒で、「つまらない事をして、ついに人の非難を受ける事になってしまった」とお思いになるのですが、とにかく尚侍の君をお慰め申し上げるのでした。
November 2, 2011
もとより右大臣には、思いもかけぬ事でした。にわか雨がおどろおどろしく降り、雷がたいそう鳴り響く暁の事です。右大臣の子息たちや宮司などが大騒ぎしあちらこちらに人目は多く、怖れおののいた女房たちが近くに集まって来ますので、源氏の大将は几帳から出ることがおできにならぬまま夜が明けてしまいました。御帳台のまわりにも多くの女房たちが居並んでいますので、胸がつぶれるほどどきどきなさいます。事情を知る女房二人は、どうしたものやらと途方に暮れています。やっと雷が止み、雨も少し小降りになった頃、右大臣がおいでになりました。最初に弘徽殿大后のお部屋においでになりましたが、ちょうど降りだした雨の音にまぎれて、大将殿にも尚侍の君にもお分かりにならなかったのです。右大臣は無造作にふいと尚侍の君のお部屋にお入りになって、御簾をお引き上げになりながら、「大丈夫でしたか。雷雨でひどく騒がしい夜でしたから、気になりながらも見舞いに来られずにいました。中将も宮の亮も、ちゃんとお傍にお仕えしているのですか」などと仰せになる気配が『ずいぶん早口だな』と、切羽詰まった中にありながらも鷹揚な左大臣とふと思い比べられて、たとえようもなく可笑しくお思いになります。ほんにその通り、お部屋にお入りになってから仰せになればよろしいのに......。
November 1, 2011
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