ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/12/05
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テーマ: 京都。(6112)
その他の寺院#2(聖護院・峰定寺・三室戸寺・清水寺・鞍馬寺・志明院・廬山寺・三鈷寺)の問題です。

不正解だった場合は▲とし、その後に正解を記入しています


●聖護院(左京区)

・(本山修験宗)総本山

・(智証大師円珍)の流れを継ぐ(▲三井寺)の(増誉)を開基とする。

・この僧は寛治4年(1090)に(白河上皇)の(熊野御幸)の時に(先達)を承り、その
 功によって聖護院と(熊野三山検校)を賜り、あわせて(修験道)を統括した。

・第4世に(後白河法皇)の皇子(▲静恵(じょうえ)法親王)を迎えて、門跡寺院と
 なった。

・応仁の乱で焼失し、洛北岩倉の(▲解脱寺)に移り、文明13年(1482)には(足利義政)が


・現在地へは延宝4年(1676)に移転再建された。

・御所の火災により天明8年(1788)から3年間、(光格天皇)の仮御所であった。

・明治以降、昭和20年まで、(天台宗寺門派)(園城寺)に属していた。


●峰定寺(左京区)

・(本山修験宗)の寺院

・久寿元年(1154)に天台宗の修験者である(三滝上人観空西念)が千手観音を祀って、
 三間の堂舎を建てたことに由来する。

・この本尊は(鳥羽法皇)が奉納したと伝え、(白檀)に精巧な彫刻が施されている。

・同年、(不動明王および二童子像)、(毘沙門天像)を安置して以来、その勅願寺
 となった。

・その後、(▲修験)の霊場となるが衰退。

・延宝年間(1673-81)に(聖護院)の(道祐法親王)が(▲後西天皇)の命を受けて復興


・本堂付属の供水所は最古の(閼伽井)の遺構。


●三室戸寺(宇治市)

・(本山修験宗)の別格本山

・宝亀元年(770-780)に宮中の奇瑞によって山奥の渓流から二臂千手観音が現れたという。
 これを喜んだ(▲光仁天皇)が御室を移してその観音を祀り、(御室戸寺)にしたのが
 起こりと伝える。


 (足利義昭)に協力したため、(織田信長)によって焼失。
 その後は衰退して多くの子院は(金蔵院)を残すのみとなった。

・重文の(清涼寺式釈迦如来立像)をはじめ(▲毘沙門天立像)(阿弥陀三尊像)などを
 所蔵。

・五千坪にも及ぶ大庭園は(アジサイ)や(ツツジ)の名所として知られる

・西国三十三所観音霊場(第十番札所)


●清水寺(東山区)

・(北法相宗)の総本山

・宝亀11年(780)にこの地に鹿狩りにきた(坂上田村麻呂)が修行中の(延鎮)に殺生を
 戒められ、夫人とともに(千手観音)を造り、お堂を建てたのが始まりと伝える

・弘仁2年(810)に(嵯峨天皇)から宸筆を賜って鎮護国家の道場となり「清水寺」を世号
 とした。

・かつては(法相宗)として南都の(興福寺)に属したため、(延暦寺)との抗争の度に
 攻撃を受け、たびたび焼亡した。

・現在の(本堂)は寛永10年(1633)の再建で国宝。
 「清水の舞台」で知られる。

・舞台は(檜)板張りで、(欅(けやき))の柱は高さ(13メートル)。

・(三重塔)(仁王門)は重文。

・西国三十三所観音霊場の(第十六番)札所

・(洛陽六阿弥陀巡り)の一つ。

・塔中(旧本坊)の成就院は、文明年間(1469-87)の創建と伝え、寛永16年(1639)に
 (東福門院)の寄進により再興した。

・庭園は典型的な(借景式庭園)。国の(名勝)。(月の庭)として著名。
 (▲烏帽子岩)、(蜻蛉燈籠)、(誰が袖手水鉢)、(▲手鞠燈籠)などが著名。
 (相阿弥)原作・(小堀遠州)の補修とも、(松永貞徳)の作とも伝えられる。

清水寺成就院誰が袖手水鉢.jpg


・幕末には(月照(▲忍向))・(信海)両上人のもとに(近衛忠熈)、(西郷隆盛)を
 はじめとする勤皇の志士たちが集い、密談を交わした場所でもある。


●鞍馬寺(左京区)

・(鞍馬弘教)総本山

・宝亀元年(770)に(鑑真)の弟子である(鑑禎)が毘沙門天を祀ったのに由来する。

・延暦15年(796)には(▲藤原伊勢人)が伽藍を建立し、北方鎮護の道場としたという。

・平安以降、永く(天台宗)に属し、(青蓮院)とのつながりが深いが、昭和22年に
 (鞍馬弘教)を開宗し、同24年総本山となった。

・国宝の(毘沙門天三尊像)のうち(毘沙門天・善膩師童子像)は藤原前期、
 (吉祥天)は大治2年(1127)に制作された。

・重要文化財として(定慶作)の(▲聖観音菩薩像)(▲銅燈籠)などがある。

・(鞍馬寺経塚)の出土品は国宝。


・5月の満月の夜(五月満月(うえさく)祭)がある。
 全山に灯明を灯し、本尊魔王尊に世界救済・平和を祈念する。

・6月20日に(竹伐り会式)がある。
 法師が(青竹)を伐る。(牛若丸)の装束をした稚児による(▲七度半の使い)の
 儀式もある。(蓮華会)とも呼ばれる。


●志明院(北区)

・(▲岩屋山不動教)の単立寺院

・正しくは(▲金剛峯寺志明院)(きんごうほうじ)

・天長6年(829)、(▲空海)の創建と伝えられ、祈願所として崇拝された。

・本堂後方の(神降窟)は、高さ約30メートルの大岩窟。
 当寺は歌舞伎(鳴神)の舞台としても知られる。

・境内の(シャクナゲ)林は有名


●廬山寺(上京区)

・(圓浄宗)の大本山

・正しくは(▲廬山天台講寺)

・前身は天慶年間(938-47)に(良源)が北山に創建した(与願金剛院)。
 天正年間に現在地に移った。

・当地は(紫式部)の邸宅跡と伝え、(源氏の庭)には(紫式部邸宅址)の石碑が立つ。
 考古・歴史学者(角田文衞)氏の説。
 紫式部歌碑「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな」

・2月3日の節分会は(鬼の法楽)の名で知られる。
 (良源)が修行中に邪魔をしてきた鬼を退散させたという故事に由来する。


●三鈷寺(西京区)

・(西山宗)総本山

・(天台)(真言)(律)(浄土)の四宗兼学。近年まで天台宗に属した。

・開山の(源算=(善峯寺)の開山)が承保元年(1074)に草庵を建て、(往生院)と
 号したのが起こり。

・(源空)の高弟(証空)(=(浄土宗西山派)の祖)が念仏の道場として再興。

・背後の山並みが仏器の(三鈷)の形に似ているので、この寺名がある。

・(証空)没後、(宇都宮頼綱=蓮生)が現在地に(▲華台廟)を建立した。

・(二大仏七城俯瞰の地)と称される。


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最終更新日  2019/01/06 12:48:30 AM
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