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ゲームの次世代機のお話。 たとえばうちの開発会社は総勢70人程度の中規模な開発会社です。で、社内で常時4,5本のラインが走っている。で、PS4のようなハイエンドの次世代機作品も開発していますが、当然、作業をできる人数は限られていて、次世代機だから大量に人を投入する、ということはできない。 で、これはPS3や360といった現世代のハイエンドマシンと呼ばれる開発規模と結果同じ、ということ、ゲームのグラフィックの密度ってマシンパワーよりマンパワーに依存することが多い、ということは、基本は現行機をはるかに上回るような絵つくりは開発人数のため不可能、ということになります。せいぜい解像度やフレームレートが高い、処理落ちしない、メモリを余裕を持って使える、ぐらいの話で。 となると、市場規模が圧倒的に狭い次世代ハイエンドに出ず意味や価値がますます低くなるわけで。SFCからPS1,PS1からPS2のようなゲーマー以外が見ても明らかに「ちがう!」ということができなくなった据え置き市場が衰退する理由でもあり。むしろ携帯ゲームやモバイルの方がよりユーザーが「ゲームに近い」分だけニーズがあります。 ベヨネッタ2に関しても、WiiUの性能というのは個人的にはPS3以上、360同等 ぐらいの性能です。が、あれだけの高密度、リッチなグラフィックを表現できるのはプラチナゲームズの技術と共に開発期間、マンパワーの力でもあり。逆に言えば、あれ以上の性能があっても人数が少なければ次世代機の性能は生かせない。 もっとも、もはや性能競争がユーザーにとって何の意味も持たない時代に突入しているのかもしれませんが。だから余計にハードの性能で互いに敵視するハードをたたいている連中は無意味に見えるというか。
2014.09.30
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殺人の追憶でこの映画の監督「ポン・ジュノ」という監督作品の中でも評価が高い「母なる証明」を借りてみました。以下、ネタバレあります。 軽度の知的障害がある息子が、ある日、殺人事件の犯人として捕まる。警察のずさんな捜査、いい加減な弁護士に息子を溺愛する母親は業を煮やし、自ら息子の無実を証明するために奔走する。しかし、それは思わぬ結末にたどりつくのであった。 えーと・・・すごい・・・としか・・・「殺人の追憶」の時も思ったのですが、この監督のストーリーをミスリードする能力は異常です。最初はそれこそ「無実を信じる母と純粋な息子の愛」を描くヒューマンドラマかと思ったら、その愛すらおぞましい・・・息子を信じるがゆえに時には犯罪にまで手を染め、次第に狂っていく母。そして、一番知りたかった真実にたどり着いた時、母が選択した行動。まるでハッピーエンドのように思えるが、狂った状態での安定・・・ うわあうわあ・・・非常に面白かった!けど、なんだろう?わけのわからない変な感情がぐるぐる渦巻いて。見終わった後にネットで他の方の感想を見たのですが、同じように「なんだかわからないけどなんだかすごいな」という。 でも、いわゆる風呂敷広げて投げっぱなしではありません。伏線もすべて回収し、事件にはきっちり決着がついている。映画が終わって振り返ると恐ろしく殺風景で、荒涼とした風景が広がっているような。これは殺人の追憶でも感じた「あとは見た方にお任せします」という余韻が印象的な作品と言いましょうか。 日本で母の愛、というと野口英世の一生を描いた「遠き落日」に代表されるような耐え忍ぶ母親、無償の愛を与え続ける「いい話」として母親を描くのが普通ですが「息子を信じる」という母の愛のえげつなさというか・・・たとえるなら万引きした息子に対して店員に「この子はいい子なんです!絶対何かの間違いなんです!」と半狂乱になる母親の姿を見るようなというか・・・ また、韓国映画にありがちな過剰な演技や派手なシーンはない、それこそ泥臭い、裏路地をずっと歩いているようなトーンでありながら、時折はっとする映像美があり。この映画を撮影した時に監督は40歳だったらしいですが、既に老練、ベテランの域を感じさせる映像美で。 感想を一言で言えない、でも確実に「すげえ」と思わせる作品でした・・・
2014.09.28
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ドラマ「アオイホノオ」が最終回を迎えまして。本当にいいドラマでした。 若い時代の根拠のない自信、何かにぶつかって徹底的に敗れる現実、それでも諦めきれず夢を追い続けることでようやく手に入れる小さなプロとしての確信。 しかし、その確信はスタートラインでしかなく。ラストで新人大賞を取った主人公にずっと一方的にライバル視していた庵野が言った「おもったほどうれしくないだろ?認められたらすぐにプロとしての責任と不安が襲ってくるからさ」 これは今までずっと趣味として好きだったものが、仕事としてこれからは付き合わなければならない「覚悟」みたいなもので。 しかしそれでも、最初に主人公にプロ漫画家としてサインを求めたのが、他でもない、自分が一番才能を認めていた人間であること。 似たようなことは自分が最初のゲーム会社に入社した時も思いました。就職できた安堵感より、なんだかぼんやりした不安のほうが大きくて、同時に学生でなくなる、今までのように自分の好きなゲームだけ作っていられなくなるという寂しさで、あまりうれしくない。 もっとも、それは自分が今まで「客側としての」ゲームつくりしかしたことのないからであって。その後、いろんなことをプロになって知りましたし、今、思い返せばあの時プロになっていたから、今の技術も能力もある。学生の遊びで終わっていたら、きっと普通の会社勤めで日々の生活に追われてゲームなんて卒業、という名の思い出になっていたと。 ドラマの話に戻りますが、一見ハイテンション、バカバカしい青春時代を描いているようで、大人になる過程を漫画を通して描いた、素晴らしい作品でした。
2014.09.28
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お金の価値というものを考えた経験について。 未だにいるんだと唖然としたのがWiiUで発売されたプラチナゲームズ制作、任天堂販売のベヨネッタ2という作品。これは有名な話ですが、初代はPS3と360で発売された作品で国内ではカルト的に人気のあった作品でした。で、その続編を作る際、前回スポンサーであったセガが会社の判断で続編制作の出資は行わないことに。つまり、制作会社であるプラチナゲームズとしては資金がなく、作れない状態だったんです。 で、それに開発資金をくれたのが、コアゲーマー向けの作品を望んでいた任天堂で。普通に考えれば出るはずのなかったゲームがハードは変わっても世に出ることになる、これ以上前作ファンにとってうれしいことはない。 ですが・・・ ベヨネッタ2をWiiU独占発売することが許せないファン 時折思うのですが、お金がなければ開発ができない、数億の予算がかかることを「お前ら情熱があるなら赤字覚悟で作れよ!」と叫ぶ人間は、3万円出せば買えるハードには予算を使わない。使いたくない。あるいは自分の偏愛するハード以外での開発は認めない。もっとも難易度の優しくてすぐに手に入る実現方法を無視してほぼ実現不可能な解決法をしなかった作り手側が情熱がないとか、守銭奴とか・・・似たようなことはゲームハードで一番間抜けな論争で。基本、自分のいる制作会社もそうですが、クライアントが開発費さえ出せばどのハードであってもゲームを作ります。 上のケースに限らず、一番簡単に、しかも現実可能な方法で解決できる安価な手段を放棄しているこの手の意見を見ると、この人はお金の価値というものを根本的に知らないんだろうなと思います。 世の中、金がすべてじゃない。けど、金の使い方を適切にすれば、大概のことは解決できる。こういう「間違った熱心なファン」にはなりたくない。
2014.09.27
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学生時代に読んだ太平洋戦争の本で、南方で捕虜になった日本兵の方の回顧録の中で、「あの当時、鬼畜米兵の捕虜になったら拷問を受け、生きて日本に帰れない。捕虜になったら自決を覚悟しろ」と教えられていたが、結局自分は戦闘中に負傷して動けなくなっているところを捕らえられ、アメリカの野戦病院で手当てを受け、その当時、食うにも困っていた環境から毎日食べられる状況になり、簡単な尋問はあったが拷問もされずぞのまま終戦、日本に帰還することができた。しかし、自分のいた部隊は全滅したことを後に知った。自分たちは自国の軍隊に騙されていたことにようやく気が付いた」 と・・・ 戦争というものに限らずですが、上の人が無理を押し通す時に上のような脅しをかけることがあります。ブラック企業が社員の不満に対して「残業代など払ったら会社が経営立ちいかなくなっておまえら、路頭に迷うことになるんだぞ!それでもいいのか!」 しかし、実際はその残業で働くことで体や精神が蝕まれ、まともな人生が送れない。我慢できずにその会社を辞め、別の会社に入ったらどれだけ前の会社が異常だったかに気が付く、なんてことはよくあるんです。また、逆もあります。 人間、今の環境が世界のすべてではない。最初の日本兵の方は本当に運が良かった。だいたい「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて教えをしている側、特攻隊のような作戦が実際に運用される組織がまともな指導部、組織であるはずがない。他人に死を強要するその命令を出す側が生き残るためなのだから。 全体のために個を潰す脅迫がいつの間にか正当化される。その体質は未だにこの国で根強く残ってます。
2014.09.25
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画面がリアルだとゲーム的な部分とのすり合わせがむつかしくなるんだなと思ったこと。 コナミのメタルギアの3をやった時のお話で。このゲーム、非常によくできていてシリーズ最高傑作ともよばれていますが、「敵の死角に入りながら移動」をするとわずか数十センチのところであっても敵が気が付かない、敵のすぐ横を駆け抜けても発見されない、カモフラージュに段ボールかぶっていれば怪しまれない、というゲームらしいばかばかしい面白さが魅力で。 ですが・・・これが画面が次世代機などでリアルになるほどきつくなってくる。きっとこれはドット絵の時代、あるいはローポリの時代であれば脳がゲームとして割り切っていたのです。いかにもゲームとして。 でも雨に濡れた質感とか、車のリアルな動きなど生々しい映像までリアルタイムで表現できる時代にこの反応だと説得力がない、かといって、この部分をシビアにしすぎたり、このゲーム的かくれんぼを崩したら面白さが半減するわけで。 最近3DSのダウンロードタイトルで発売された8ビットドット絵風の「もっとまもって騎士」みたいな画像だと何の違和感もないのでしょうが。また、マリオなど任天堂作品は務めて「ハイクオリティポリゴンではあるけどあくまでゲーム」という画面つくりをしているのでこの手の違和感も少ない。 パーツ単位のフォトリアルというのが逆に間抜けに見えるのもゲームならではであり
2014.09.25
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自分の子供のころは、たとえば漫画とか、アニメとか、ゲームは「大人になったら卒業するもの」であって、いい年をしてそれらを夢中になってやっている人間は異常なこと、とみられていた。その差別言葉がメディアがバカにするときに使う「オタク」という呼び方でもあり。 しかし、ここ最近の様子を見ていると、大人も普通に漫画を読むし、アニメも大人向けのものがたくさんあるし、性的表現以外の18歳以上向けのゲームもたくさんある。 ということは漫画やアニメ、ゲームをいい年して楽しむことは別におかしな話ではない。たとえば趣味が釣りであったり、将棋や囲碁であったり、編み物であったり、というのと何の差もない。 にもかかわらず未だに「いい加減卒業しろ」と言っている人間の「卒業」とはいったい何を意味するのか?単に自分が興味をなくしたことを正当化する理由を他人にも押し付けるような。ましてや「社会人にもなって・・・」などというのは何の理由にもなっていない。 ちょっと前に週刊誌で「最近の若者は酒も飲まない、タバコも吸わない、ギャンブルも、女遊びもしない、大人の遊びをまったくやらない。いったい何を楽しみに人生を生きているのか」というのがあったけど、それこそ余計なお世話で。 趣味なんて好きなことをやれる自由が何よりの楽しみなんだし。年齢とか根拠のない世間体を気にして、我慢して大人の趣味にあわせる必要はない。
2014.09.23
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たまに思うこと。 たとえば先週末に借りてきた「殺人の追憶」というサスペンス映画は「オールドボーイ」という映画を見なければまず借りることのなかった映画で。そして、そのオールドボーイという映画も原作の日本のマンガをたまたま読んでいなかったら借りるきっかけにならなかった訳で。 そして、この「殺人の追憶」という映画を見た影響で、他に面白そうな同監督の作品をまた借りてみよう、と思う訳で、これが趣味においてのつながりや視野を広げる行為であり。 逆に言うと、その最初のきっかけをせずに「最近の映画はつまらない、マンガはつまらない」なんて言っている人がたくさんいる。そうなると新しい情報がまったく入力されず、記憶が閉鎖されてしまうのではないか。 最近のゲームはつまらない、と言っている人がここ数年何本ゲームを買っているか?ゲームを買っているとしても続編ばかりではないか?新しいジャンルを全くやっていなければ刺激もなくマンネリにもなるし過去をどんどん美化する。 そして、終いには世の中で流行っている、面白いと評判のものをクサすことで自分の記憶の美化を促進しようとする。 「昔の作品はよかった」のではなく「昔は自分がついていけるだけの柔軟性があった」だけで。ましてや見てもいない、やってもいない映画やゲームを大雑把にジャンルひっくるめて「つまらない」と言い始めたら終わっているのは自分の方だと思う。
2014.09.23
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「気持ちいい」新聞はダメ? 新聞はそれぞれ会社によって方針や社説などの方向があり、それを読者が読み比べて比較して世の中を多角的に知る、っていうのは正しいマスメディアとの距離の取り方だと思う。 ただ、この産経の社説でいっている「気持ちいい新聞」というのが、近代国家では戦争を肯定し、国民世論を大いに煽っていったことも歴史で証明されている。嘘だと思ったら戦前の大手新聞を見るといい。今でこそ戦争反対の立場をとっている大手各紙だけど、太平洋戦争でも、その前の日露戦争でも広く国民に戦争を呼びかけたのは他ならぬこういう文章であり。 たとえば、昨今「日本はすごい、日本人は素晴らしい」系の本がよく売れているとか。これは民族の誇りを再発見するため、とか、これまで日の当たらなかった方の偉業を~というのではなく、長引く不況と将来に対する不安で自分は何もできないけど何か心のよりどころを求め、それが自尊心を心地よく刺激してくれるこの手の本に求めると思っている。ナチスドイツが台頭した時に使われた手法「偉大なるゲルマン民族の誇り」と何も変わっていない。 しかし、当たり前だけどイチローがどんなに世界で活躍しようと、どんなに日本の技術者が世界に誇れる技術を持っていたとしても、自分の能力には関係ない。そんな他人の借り物の素晴らしさで自分を誇ってどうする?って話じゃないかと。逆に無意味な自虐になるのもどうかしていると思うし、政府のやることにことごとく反対して反権力の俺、カッコイイという気持ち良さも同質の無意味さを感じます。 上の「気持ちいい新聞」というのをどうとらえるかは人によると思うけど、新聞に自分のアイデンティティを預けたりしてまで気持ちの良い朝を迎えたくは、少なくとも自分はしたくないなあ。
2014.09.22
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最近見た「オールドボーイ」という映画が面白かったので、ネットで調べて同じ役者の評価の高い「殺人の追憶」という映画を週末に借りてみました。以下、ネタバレありで 韓国で1986年から1991年まで、田舎の農村で実際にあった未解決連続婦女暴行殺人事件をモチーフにした刑事もの。 一人は直感がすべて、顔を見れば犯人が分かる、といいつつ、暴力や拷問、証拠のねつ造をしてまで犯人を捕らえようとする叩き上げの田舎の刑事。もう一人、事件究明のために中央から派遣された、書類の中にすべてがある、とデータを重視するがことごとく自分の立証に推理を裏切られる刑事。 で、これが非常に面白かった。いや、面白いというと語弊はありますが、容疑者が浮かび上がるたびにそれを覆す事実が現れ、犯人を追っているつもりが逆に精神的に追い詰められていく描写。 普通、この手のバディー刑事ドラマは、反発しつつ最後は互いを理解して協力する、ってのがお約束ですが、この2人は捜査が進むたびに自分の信じられるものを次々と真実にたどり着くことで打ち壊されていく。その焦燥感から次第に狂っていき、最後はどっちが正義だかわからない、容疑者を自ら立証した無実であることが許せない・犯人でなくてはならない、というところまで追いつめられてしまいます。 オールドボーイを見た時も思いましたが、伏線の張り方、その隠し方が絶妙で、さらに見る側を「こいつが真犯人だ」とミスリードしつつ、それを裏切る展開にまるで捜査している2人の刑事のような視点になってぐいぐい引き込まれました。 元の題材が実在の未解決事件であることもあって、最後に真犯人がわからないまま映画は終了します。しかし、なんだろう・・・この虚脱感というか、嫌な終わり方じゃないんです。虚しさだけが冷たい秋の風のように通り過ぎていく感覚。そして実際の事件でもこの犯人が未だ捕まらず時効を迎えたというやるせなさ。 派手な銃撃シーンやイケメン韓流スター、派手なCGはまったくありません。とにかく泥臭く、地味でありながらエンターテイメント性はきっちりあって、それでいてズシンと腹に残る骨太な内容でした。
2014.09.20
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ドラマ「アオイホノオ」10話で原作でも自分が大好きなシーンが取り上げられまして。それは学内の映像発表会で主人公が気合を入れたオリジナルアニメを作る・・・が、その内容に観客は全く無反応。それどころかその映像の後に流されたTV番組「きょうの料理」をパロった簡単な映像のほうが圧倒的に受けてしまい、その落差にいたたまれなくなって主人公がうずくまる・・・しかし、後のガイナックス3人衆だけは主人公の映像を真剣に見ていた・・・ もうね、これ、すごくわかる!コミケなどでも全くのオリジナル作品を世間に見せる、ってのは、本当に胃が逆流するほど緊張します。なにしろ2次創作と違って下駄をはかせてもらっていない分、自由にできた分、反応がすべて自分にダイレクトに返ってきて、しかも言い訳できない。どんなに気合を入れて心血注いで作った作品も無反応というのは、自分の創作性すべてを否定されたようなもので。 でも、ガイナ3人衆だけが真剣な目で見ていたのは、彼らがすでに物を作る苦労や恐ろしさを知っているからこそ、同じ情熱を持っている人間をバカにできない、単なる観客として見られない、同じ痛みを共有する仲間のような。 このドラマは原作も含め本当に1980年のまんが道じゃないかと。しかも、それは単なる主人公のサクセスストーリーではなく、青臭く、間抜けで、恥ずかしくて、今から思うと泣きたくなるような、でも、誰もが一度は経験、挫折する「○○になりたい」という夢に向かって自分を過信し「根拠のない自信」だけで突っ走れた若い頃のお話です。 そして、この精神は今の「ニコニコ動画」などにも受け継がれていますよね・・・自分が「やってみた」動画を作る立場になるか、コメントを打ち込むだけの側になるか。ここには恐ろしいほどの差があります。 しかし・・・今見てもDAIKON3の映像はすごいな・・・これをデジタル技術のない当時に学生だけで作ったというのはのちに名前を残す監督は桁が違うと思いました。
2014.09.20
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たとえば「酒に酔った勢いでの暴力事件」というのは駅員に対しての暴行事件の筆頭としてよくあげられる。殴るのは若者より、ある程度年齢のいったサラリーマンなどが多いという。 で、これだけでなく飲酒運転や大学生のイッキ飲みなどによる急性アルコール中毒の死亡事故など酒によるこの手の事件はそれこそいつも聞く。これだけ長年にわたって実被害が、しかも一般生活のすぐ身近で起きている原因になっている酒に関しては、この国では「酒に酔った勢いですから・・・」と昔からナアナアにする文化があった。 が、昨今の若者の飲酒離れによって、近い将来これが通用しなくなる社会ができるのではないかと予想する。これはタバコの時も同じで、世の中の大多数の成人男性が喫煙していた時代は、むしろタバコによる副流煙などの吸わない側の迷惑は「お前らが我慢しろ」とされていた。しかし、今は完全に立場が逆転している。 お酒も同じで、これまで「酒の席でのことですから」というのも大多数の大人が日常的に酒を飲む機会があって、自分も失敗する可能性もある、ということからの暗黙の理解であったのでしょうが。それが飲まない人間が主流になった場合、酒によってこの手の事件をおこすというのは許されない、それこそ社会的地位を一瞬で失う行為になるのではないかと。 酒もたばこも、その評判を落とすのは中身以上に利用している側の行動なんだよなあ・・・
2014.09.18
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政府もマスコミも信用しなくていいけどだったらそのカスみたいなブログはもっと信用するな よくマスコミは信用ならない、政府は信用できない、真実はネットにあるって連中のソースが2ちゃんねるだったり、さらにその便所の落書きをかき集めたまとめサイトで真実を知った、なんて何の冗談だよと思います。 それに、2ちゃんねるの表題になるようなニュースのソースそのものがテレビや新聞といった既存マスコミが書いた記事を歪めて広げていたり。こうなるとねつ造してるのはどっちか、というのはわかりますが。 いずれにせよ、PV稼ぎのために情報倫理もなく恣意的情報操作も平気で行い、何かあったときは「俺の責任じゃない、自分はネットの情報を転載しただけだ」と逃げている連中の「真実」なんて言葉の受け売りを、よく恥ずかしげもなくつかえるものだなあと。 冷静に考えればわかるけど、あいつら他人の情報をコピペするだけで取材も検証も他人任せなんだぜ?
2014.09.18
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好きなことを仕事にすれば、幸せになるのは本当か?休学して辿り着いた答え。 ここからは個人の意見なので異論、反論あるのは当然と思って聞いてください。 世の中の仕事をしている人で、自分が本当にやりたかった仕事についている人、あるいは、その仕事で本当にやりたいことをやれている人というのはどのぐらいいるだろうか?おそらく1%もいないと思う。 自分もたまたまゲーム作りが好きで、今、ゲーム作りの会社に勤務しているけど、自分が本当に作りたいゲームを作っているのは実は趣味で作っている同人であり、こうなると遊びの延長、利益をだしているものではない。 たとえば他人のうらやむ派手な仕事、スポーツ選手であったり、歌手であったり映画スターであったり、という人がストイックにプロとして自分の芸を磨くのと、休日に仲間と趣味で草野球をやっている、ヴォーカロイドを使ってニコニコ動画にあげている、自主製作の映画を撮っているというのはどちらが幸せか? 漫画家になりたくて学生時代にマンガを描き、出版社に何度も投稿したけど結局商業デビューできなかった、ことで漫画を描くのをあきらめてしまう人がほとんどだと思います。しかし、投稿はしたことないけどずっと同人でコミケなどでマンガを描き続けている人と、はたしてどちらが「漫画家になる」という夢に近い存在か? 上の方は映画業界にあこがれて。その世界に飛び込んでみたが自分の思った世界とは全く違う業界である現実を知ってしまった、ということなのでしょうが、「他人のお金を当てにする仕事なんてそんなもの、夢をかなえたい人ってのは自分でお金を払う側であり、お金を使って夢を買っている」とも言えます。 私がゲームの仕事を本業にしながら、趣味で同人ゲームを作っているののそういう理由があり。本業でできないようなことを自分のお金を出し、他の方に協力いただいて作る。赤字覚悟どころか、最初から黒字になるとは思ってません。だから趣味なんです。 自分がなりたかった職業に就けた、という幸せとは「全く興味がなくて毎日退社時間ばかり楽しみにしている仕事よりは、多少でもやりがいにつながっているだけマシである」ってレベルだと思う。
2014.09.17
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生徒への体罰での自殺者が出た学校のお話【 #体罰 問題】 体罰をブランド化してしまった大阪S高校の根深い病理 まず大前提としてのお話をします。「学校教育の現場で、特にスポーツでミスをした、練習に気を抜いた、勝てなかった、という理由で殴るなど暴力を振るわれるのは、「行き過ぎた指導」などではなく、単なる暴行罪です」 これは先生が生徒にだけでなく、先輩が後輩にであっても、同じ学年であっても。 また、この学校で行われていた厳しい指導が生み出す生徒とは?答えは簡単。ブラック企業であっても文句を言わず、奴隷のように働く人間の育成です。そりゃ、企業がほしがるわけだし、世に体育会系の理不尽な根性論がまかり通る訳だ。 根性論とは何か?私は一つの回答を持っています。それは「逃げ場がある状態で自らの意志で粘れる力」を根性と呼ぶのであると。そういう根性は己との戦いであり。だからこそ価値がある。逆に逃げ場がない状況で無理やり押し付ける苦痛は単なる拷問であり。ましてや他人に強制したりされたりするものではない。「厳しい体罰に耐えることによって根性を養った」のではなく、「理不尽に叩かれても、蹴られても自分の頭で考えず、ただ暴力に対する耐性ができた」だけで。現にそういう経験をしなくても立派に育った人はたくさんいる。 また、暴力で育った人間はそれを痛みは忘れ、脳が良い思い出に美化する。そして、同じ経験を自分の下の人間にもさせる。部活における伝統的な体罰の正体であり。耐える必要のない暴力の連鎖であり。 怖いのは一般社会で犯罪になる暴力が、学校教育の場では指導になること。そして、未だにそれを容認する文化がこの国には蔓延しているからこそ、ブラック企業が多大な業績を上げていることに気が付きたい。「叩かれても歯を食いしばる根性」を育てているのではない。「叩かれても裁判に訴えない人間」を育てている、そう考えればいい。
2014.09.15
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人気ゲーム「艦隊コレクション」のワンフェスなどのディーラー向け案内に「ワンダーフェスティバルの「艦これ」当日版権取得のガイドラインを他のKADOKAWAアニメ作品に準拠したかたちにさせて頂きます」というのがありまして。 実際、当日版権という制度の中で、カドカワの他の作品規約だと一回申請したものは再販不可である、ということに対して「これでは転売屋だけが得をするシステムになる」という意見がありました。 でもここで勘違いしてほしくないのは、当日版権の制度というのがイレギュラーな、それこそ個人ディーラーレベルの作品売買だからこそ許されている制度だということ。ワンフェスでも凝ったガレージキットは個人ディーラーでも10体持ち込むのがせいぜい。また、価格も高くそれだけ数も出るものではない。 企業側がおそれているのは結局、出来が良ければよいほど正規の商品化フィギュアと市場を食い合ってしまうこと。当日版権で10個程度なら雑誌やネットなどに取り上げられ作品の宣伝効果になるけど、それ以上は企業間できちんと商業契約結んだ会社への示しがつかないわけで。ほしい人すべてに届くような数を作りたい場合は正式に契約するのが筋なのですが。 で、上にある「転売屋に買われることで一般人が買えなくなってしまう」責任、というのは企業側には全くない商品である、ということがこうやって解きほぐすとよくわかります。元々、商業作品として多くの人が手に入れることができる類のものではないのですから。 当日版権、というシステム自体、企業側にとっては通常業務外のサービスのような制度で。だから、これによって逆に版権を持っている企業側にさらに負担がかかるようなことになれば「いっそ全部やめてしまおう」ということになりかねません(現実に昔は許していたけど今は全面的に認めていない、そういう会社もあります) この辺、むしろディーラーのような制作をしている側の方のほうがよく理解しているのですが、ワンフェスを市販のプラモを買うような感覚で見ている人にとっては転売屋に対する不満みたいなおかしな方向に行くのかもしれません。 また、本来当日版権であるガレージキットを中古扱いで常時販売するまんだらけのような問題も発生しています。これらはせっかくの企業と個人ディーラーの信頼を別の場所から壊す行為ですが、この責任は企業側、ディーラー側に落ち度はありません。 もっとも、企業によって再販の対応は違っていますが、間違っても転売の不満を権利者企業に持ち込まないように。2時著作同人も含め、あくまで企業の好意の中で生かされている存在です。
2014.09.15
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ここ数か月でたまたまレンタルで借りてきたサスペンス映画DVDの中で面白かった作品に「ソウ」と「オールドボーイ」という2作品があります。偶然どちらも「監禁」をベースに扱った作品で。 ソウはハリウッド映画ですが、目が覚めた時、薄汚れたバスルームに2人の男が対角線の位置で足首を鎖につながれて監禁されている。犯人から謎解きを要求され、制限時間内に謎が解けないとそのまま死ぬ、という理不尽なデスゲーム。ゲームに参加させられた男たちは、謎が解けるたびにその理由を知ることになる もう一つのオールドボーイは日本の漫画を韓国が映画化した作品で、こちらはごく普通のサラリーマンがある日突然拉致され、ホテルの一室に15年もの長い時間監禁され、ある日突然解放される。解放された主人公のもとに携帯電話で犯人から連絡が届く。「5日以内にどうして自分が監禁されたかあててみろ」そして主人公は自分の犯した過去を遡る。 どちらの作品も非常に濃厚、かつ、バイオレンスな描写も多いですが、夢中になってしまう。バラバラなパズルのピースが一つ一つ埋まっていき、「ああ!あれが!」というどんでん返しもすばらしくて。 この手の映画をみると、日本人がストーリーを作るときに基本となる「起承転結」という部分の「起」の部分で最大の謎を与える手法は引き込まれますね。やれ登場人物が、世界観が、キャラ個性が、というまどろっこしい手順をすっ飛ばし、いきなり見る側に「なぜ?」という疑問を投げつけ、その勢いで2時間の映画を引っ張れる。 もちろん、最後まで勢いを失わせない脚本力が必要ですが。結末の意外性もすべて伏線がつながっていて2度見る楽しみもあります。 バイオレンス描写が苦手な方はおすすめしませんが、理詰めのサスペンスが好きな方はぜひ。ちなみにどちらも後味はよくないですw。
2014.09.14
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世の中の趣味には好き嫌いがある。自分の嫌いなもの、どうしてそんなものに大金をかけたり、多くの時間や労力を使ってまで人が集まるイベントだとは思えない場所に多くの人が参加していたりする。 でも、そこで楽しんでいる人が集まっている場所にわざわざ出向いてまで「俺はお前らみたいな趣味の奴らは理解できない。あたまおかしい。やめろ」という人間は怖い。自分の気に入らない趣味の掲示板に乗り込んで、自分がその趣味を嫌っていることを主張する意味は何があるのか?その人たちに自分の嗜好でその趣味をやめさせたいのか?やめるとでも思っているのか? 鉄道が好き、というファンと、鉄道写真を撮るために進行妨害するファンの問題は違う。登山が趣味の人間とごみを捨てる登山家の問題は違う。アニメファンとアニメのイベントで刃物を振り回すファンの問題は違う。 だから、上のようなことを言う人間が自分の嫌うジャンルを叩くことを正当化するために個人の問題をジャンルの問題として振り回している姿を見ると、この人の思考力が粗雑で理性が働いていないなと思う。それで執拗に楽しんでいる人に割り込み、粘着するんだからいい迷惑でしかなく。
2014.09.14
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全盲の女性の杖で転んだ腹いせに暴力をふるった男のニュースを見て思い出したこと。 昔、中学生のころに四肢不自由な方が講演にいらして、その時に話された内容。「若いみなさんは今、私のように手足が動かない、あるいは他の障碍者の方のようなことは自分には起きない、関係ないと思っているかもしれませんが、ここにいる全員が必ず年を取れば、目が悪くなったり、うまく歩くことができなくなったり、手先が動かなかったり、耳が遠くなったりと、老化という形で私たちと同じことになります。また、交通事故や突然の病気で急に体が動かなくなることもあります。障害を持つものに理解のある社会、やさしい社会、住みよい社会というのは、自分たちに確実にくる将来のための社会でもあります」 若いころ、五体満足で生まれたからそれが永遠に続くような感覚で、障害を持つ方の苦労は自分には関係ない世界だと思っていたのが、年を取って満足に歩けなくなり、車いす生活をするようになったお年寄りはたくさんいます。うちの祖母も晩年はそうでした。若いころから健脚で旅行好きだった祖母が、です。「生きていれば老いは誰にでもくる。そして、誰も逃れられない」 上の暴力をふるった男性といい、ちょっと前にあった盲導犬を傷つけた犯人といい、そういう想像力がない人間は自分が弱い立場、社会に守られる立場になるとは微塵も感じないんだろうな・・・
2014.09.13
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大変に納得できたお話藁人形をデマ情報で燃やして、注目を集めようとする人達 この中で着目したいのは--------------------------------「分かりやすい悪役が含まれた情報」に触れた時に、ガードを大幅に下げてしまう人って、やはり物凄く多いんだなあと。そんな中でも、特に、「特定の藁人形を悪役にした情報」ではより一層その傾向が強くなるなあ、と。そんなことを考えています。私が観測する限り、「NHK、電通、JASRAC」の三つが、Web上で藁人形役になる機会はかなり多いような気がします。webにおける藁人形三兄弟です。--------------------------------これはわかる。たとえば前にJASRACがあることによってアーティストの取り分が大幅に減らされている、搾取されている。という意見をネットで見ました。が、実際、CD一枚の売り上げのうち、JASRACの登録料は2%に満たない。大幅な搾取、とは呼べない。むしろJASRAC登録されていない音楽をラジオなどの音楽番組で使用する場合、個別にアーティストに許可を取らなければならず「だったら使うの面倒だからかけない」的な状況になる。また、JASRAC登録も当然契約しているレーベル会社が行うので、アーティストによってはインディーズ楽曲として登録していない場合もあります。 ネットには膨大な情報が真偽不明でありますが、まとめサイトなどが取り上げたがるのはその「偽」を取り上げることが多い。それはその方が世間を騒がすから。また、こういうわかりやすい「悪の権化」は自分の生活に密着し、知らず知らずに恩恵を自分もうけているにもかかわらず不要論を唱えたり。昨今の「電気料が値上がりしているのに社員にボーナス出すなんて許せない」のような東電叩きもそうですが。一般人の会社で原価高騰を抑えるために社員のボーナスを出さないって自分の会社でやられたら働いている本人は絶対納得しないだろうと。 アニメーターの給料が安いのは電通の搾取ではなく、単に売れるパイが小さい市場に多くの人数がかかわっているから、一人当たりの取り分が相対的に小さくなっているだけ、むしろ大きな広告会社がスポンサーを集めなければ1クール1億以上の製作費をどこが出せて、タダでアニメを毎週放送できるのか?国内アニメの市場は思ったより大きくありません。 単純計算ができない人ほど、上の方の言う藁人形デマを無条件に信じる。この手の情報はちょっと調べればすぐに出てきます。 せっかく居ながらにしてたくさんの情報を手に入れられるネットがあるにも関わらず、その行為を単に炎上まとめサイトのような放火魔に踊らされていて、わかりやすい悪役を棒で殴って気分すっきりしているような思考にはなりたくないし。 最後に上の方のリンクより引用させていただきますと---------------------------------------------------「大本が悪いんだから、デマや誤情報に乗っかって批判してたって別に問題ない」なんて大間違いです。デマ、煽り、誤解のもとに、それら組織に対する憤慨を噴き上げたって、本来あるべき有益な議論の邪魔になるばかりで、いいことなんて一つだってないんです。
2014.09.12
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ある漫画家さんがやっているツイッターに突然暴言で殴り書きをしている人間がいて、最初は作者も無視していたもののあまりに意味不明、かつ作品を冒涜するしつこいツイートにうんざりしたのかブロックされる。 で、そのブロックされた側がその漫画家のファンから攻撃されて自分のツイートに「この漫画の信者は狂人ばかり。こういう漫画読んでるような奴はみんな頭がおかしい」って書いているのを読んで唖然としましたが。 自分は他人にいきなり唾を吐きかけたのは忘れて、他人から唾を吐きかけられるのは許せない、そういうやつは頭がおかしい、と思ってるんだろうな。 私はそういう人を「珍しい昆虫を見る目で」見ています。
2014.09.11
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物を作るときに「妥協ラインを最初は下げておいて徐々に上げていく」というやり方がベストだと思ってます。 妥協という言葉を怠惰に考える人がいますが、私は逆でまず妥協して作って、最低限の物ができてからそれに積み上げていく、上方修正と妥協を期間を睨みながらギリギリまで押し上げていった結果がその時にできる最高のものだと思ってます。 逆に最初から最高の物を妥協なく作り始めた結果、期間に間に合わない、採算が取れない、尻切れトンボで終わる、といったケースはいっぱいあり、それをまるで妥協しないクリエイター気取りで悪びれない人間を何人見てきたことか・・・ 本当に妥協なきモノつくりをしたいなら、計画性をもって早く基礎を構築し、その後の仕上げに時間をかけるべきだと思うのですが、これが伝わらないんだよなあ・・・家の土台を作る前に壁紙の材質にばかりこだわるような。
2014.09.09
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結局、タバコが悪者になった理由ってタバコそのものの害より、場所を考えずスパスパ吸って吸殻を路上にポイ捨てする人間が昔は普通だったから、だと思う。悪者にしたのは誰かといえば、吸わない側じゃなくて吸っている側の行いだったわけで。 だから、タバコに限らず自分の好きなもの、好きな趣味を悪者にしないようにするのは、そのファンの使命であると思う。たとえば釣り好きがゴミを捨てて平気な顔をしたり、鉄道オタクが運行妨害のような写真撮影をしたり。これらは全体のごく一部であったとしても理解のない側にとってその集団の特徴として語られてしまう。 よく「日本人は規律正しい」という言葉があるけど、それは違っていて「周りがやっていると従う習性」が高いだけ。だから、ワールドカップサッカーで客席のごみを拾って帰り、世界から称賛されたのも、その数日後、都内の花火大会で大量のごみが路上に散乱放置されているのもどちらも同じ日本人の所業で。 電車内など一般の公共の場でアニメファンが痛い行動をとったとしても、その本人は乗客にとって赤の他人であるからイタイ思いはしなくてすんでいる。となると「このアニメのファンが・・・」みたいな風評被害を受けるのは何もしていないアニメ制作側でしかない。それはそのアニメが好きな他の人間にとってもどれだけ迷惑か。 ファンが奇行をしたところで作品の評価は下がるのみで上がらない。上のタバコの件もそうだけど、好きな側が好きなものの評判を落としていることが怖い。
2014.09.08
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世の中には「昔Aという考え方だったが自分が間違っていたことを知ってBという考え方になった」という人を「お前は昔Aという俺と同じ考え方をしていたのにBに寝返った!裏切り者だ!」という人と、「この人は以前Aという考え方だったんだけどBの本当の素晴らしさを知って我々Bの考え方を受け入れてくれた、柔軟な思考な人だ」と褒めるケースがある。 結局は立場の違い。自分もそうだけど、自分の思考や理解に近い考え方が「正しい考え方」とするのが人間で。だから、それをより精度を高めるのは客観的な数式や科学、あるいは論理的思考、それから得られる納得感で判断するしかない。 ヤマザキパンは常温で何日も持つのは体に悪い添加物が多いからだ、というのと、実際は無菌状態でパックされたパンはカビ自体が外気に触れない限り発生しにくい、缶詰のツナが常温で腐らないのと同じ、という科学の知識で否定できる。しかし、その考えに納得のいかない人にとっては知識を知ったうえで宗旨替えした人も裏切り者、業者の手先扱いするんだろうなあ。 感情論を否定するのではない。世の中の揉め事の大半は感情論だ。しかし、感情論の前に論理的、科学的思考をきちんと通過すれば、感情も抑えられるし有意義な妥協点も見いだせる。怖いのは先走る感情論がそういうものを凌駕してしまう人には説明が何も通用しない、ってことで。
2014.09.06
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例のTVタックルでのアニメ規制賛成派の論客の中でマナー講師の女性が一番ひどい暴言を赤の他人のオタクに浴びせていたのが最大の笑いどころだった。 こういう人からマナーなんて教わりたくはないし。
2014.09.05
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リンクを張るのも思う壺なので貼らないが、イケダハヤトさんが「コンテンツをパクるのが何がいけないの」という意見、いかにもコピペで財を成した人の考え方だなと。 私は引用や紹介などは原典製作者に最大の恩恵があるから、それは構わないと思うし、それによって受ける被害があったとしてもそれをネット上という公の場で主張した以上、個人の責任だと思う。 だが、たとえばこんないい絵がある、こんな面白い動画がある、が、その紹介先だけで終了している、ここを見たらあとは見なくてもOKな状況であるとしたら、作った人間が何も得られない。どころか、もし問題があった場合にのみ責任を取らされるという、一方的に不利な状況にされる。 まとめサイトなどのいわゆる炎上PV稼ぎがとにかく騒ぎになればいい、というやり方。これを肯定するというのは物を作る人間を委縮させる効果があり。また、せっかく時間と苦労と、お金をかけて評価される素晴らしいものを作ったにもかかわらず、その評価がまとめサイトのPVで止まってしまい、本家には届かない、直接リンクや人気をせき止められるという効果もあります。 イケダハヤトさんが言っていた「自分の記事はパクられた方が人気が出た」というのは、その記事に対して金も手間もかかっていないから、相対的にもうかったことになってるだけだろう。手間がかかっていないものには思い入れがない。コピペで作ったものはコピペされても被害がない。 だが実際、たとえばネット上でパクられているアニメとか、ゲームといったものは「人気のあるものほど権利者の認めないのに勝手にコピーされ、アクセスも多い」 作ったものをコピーしていい、という人は、それを本人が認めているから許される。農家で作られた野菜を勝手に畑から盗んで「これ、たいしたものじゃないからタダでいいよ」と配って人気を得るような行為をしていれば、そりゃ「パクるのの何が悪い」って思考に陥るよな。 自分はパクられて困るような価値あるものを作ってないんだから。
2014.09.04
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TVタックルの例のアニメを犯罪と結びつけるような番組に関して、ネットで「ああいうものに反応すればするほど奴らの思う壺、視聴率や話題に貢献するだけだから無視するべき」という意見がありましたが、それは違うと思う。 それって無視すると真実にされるんです。それを歴史の証人として30年ほど前の宮崎事件を知っている自分のような古いオタクはよく知っています。 当時はネットもなく、世の中TVや新聞の言うことがすべてであった時代。我々オタクがどんなに「それは違う!」と叫んでもメディアは取り上げない、世間にはまったく広がらず。逆にとんねるずのお笑い番組で「宅八郎」という気持ち悪さを売りにした芸人なども含めてイメージを完全に作られた。それまでオタクというのはせいぜい漫画、アニメが好きな内向的でおとなしい、クラスに1人はいる毒にも薬にもならない存在で細々とやっていたのが、いきなり犯罪者予備軍、異常者扱いですよ。 あのころからずいぶん時間がたちまして。漫画やアニメ、ゲームといったジャンルで育った世代がようやく社会の中心になった。サブカルチャーであっても不況下でも安定した売り上げを出せるメディアであると分かった途端、マスコミがすり寄ってきた。国が挙げて政策まで推し進めようとしている。 それまで「子供の遊び」扱いだったのが文化としてようやく根っこがこの国にしっかり定着してきた。これは作り手の努力と、差別、偏見に対する粘り強い戦いの果ての結果です。 で、冒頭の番組ですが、番組内で印象に残ったのは番組内のVTRで露骨なまでにオタク=性犯罪予備軍扱いしていること。しかし討論では規制賛成派の意見がことごとくデータを出されて論破され、あわわしている姿で。 なんだろう。この番組が「おかしい」と思う人間が増えること、おかしなことを言われている、とネットなどでオタク側が配信することが一番大切で。昔ほど大メディアに訴求力がなくなっている現在、特に「視聴率さえ取れればいい」的なこの手の番組にカウンターを合わせるとしたらオタク側が沈黙せず、抗議するほうがいい。 何よりアニメの表現規制が必要、といいつつ、それを放送してるのはお前らTV局だろ!と。それに、アニメ漫画が普及する前の昭和30~40年代、それこそ映画「3丁目の夕陽」時代が一番性犯罪が多く、ここ数十年はその時代の1割になっていることは報道されない。それを知ればアニメ漫画が性犯罪を助長しているなんてどういう頭の構造をしているのか。 だから、ネットという世間に個人が発信できる今こそオタク文化を愛する側が発言すべきであり。
2014.09.03
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よくわかったこと。 今週のTVタックルでアニメや漫画と性犯罪の関係について徹底討論、という名ばかりの単なる珍獣が見たい人の番組を見て一番感じたのは「極端な例をすべてに適用させるからおかしくなる」ってだけの話だと思いました。 番組内で「アニメや漫画のHなシーンが性犯罪に結びつく」と信じて決して疑わない人。そういう人には日本の性犯罪率の低さが漫画やアニメのない国より低いことに関して説明がつくまい。 オタクが性犯罪を犯している、という印象の最も大きな原因は、完全にメディアの報道姿勢にあると思う。その証拠にオタクメディアと全く関係ない婦女暴行事件があった場合、犯人の趣味を大きく取り上げられるのは、この手のアニメオタク、ゲームオタクといった趣味の場合に限る。野球が趣味とか、サッカー観戦が趣味、あるいはバンドをやっていた、釣りが趣味、などということは言わない。 そして、ここからが大切で私は何度も主張していますが「性犯罪は基本的に個人の犯罪。個人の犯罪をなぜその趣味を持つ人間全員の問題にしようとするのか?」という疑問です。どれだけそれがばかばかしいか、それは犯罪者と同じマンションに住んでいるからこのマンションの住人は犯罪予備軍だ。というのと全く同じ。しかし、何もしていない人間を「こいつらは将来、性犯罪を犯す可能性がある」という理由で規制するいわれもないし、それを始めたらナチスドイツのユダヤ人狩りとまったく変わらない。理由は都合よくなんでもつけられる。 と、同時に「オタクが絶対に性犯罪を犯さない」とも思わない。漫画に影響されて性犯罪を犯す人間がいる。だがそれは漫画の責任ではない。漫画を読んで何を受け取ったか、何を感じて影響を受けるかは個人の感性でしかなく。全ての責任は罪を犯した人間ただ一人が背負うべきであり、同じ本を読んだ人間を取り締まるのは狂気の沙汰。 と、ここまで書いて思うのは、結局最初に書いたオタクという珍獣を見せて視聴率が取れればいい、という、ネットのまとめサイトと大して変わらない番組構成に、昔からうんざりします。だいたい犯罪のことを語るのであれば番組パーソナリティーのビートたけし は逮捕歴がある犯罪者だよ?しかも昨今本人も認めた不倫をしていた人だよ? そんな人間に司会を務めさせてオタクの倫理観を斬らせることがちゃんチャラおかしな話で。
2014.09.01
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休日、レンタルDVDのお店に行って、特に借りたいものがない場合、私は「名前は聞いたことあるけど見たことがない」映画を借りてきます。新旧問わず。 何しろ映画で名前をだれでも知っている作品は山のようにありますが、本当にきちんと見たことがない作品というのは意外と多くて。たとえば自分の場合、「ゴッドファーザー」をつい数か月前にようやく見たんです。あの有名な音楽だけは知っていましたが、実際見て「ああ、もっと殺伐としたギャングものだと思ったら情緒たっぷりのじんわり胸にしみる作品だったのか」と。 他にも「ブレードランナー」とか、黒沢明の「生きる」とか。どれも古典として語られる映画ですが見たことがない。作品を見ると「ああ、この映画のこういうところがよくパロディーで使われている部分なんだ」と、知識の逆輸入になったり。 まだまだ見ていない名作はたくさんあるのでいろいろ探してみよっと。
2014.09.01
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