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CBCテレビ「ゴゴスマ」において、中部大学の武田邦彦特任教授が「路上で日本人の女性観光客を襲うなんていうのは、世界で韓国しかありませんよ」「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」と発言したことについて。 これに関して「番組が人種差別を肯定するものではない」と謝罪をした。が、実はこの番組自体がコメンテーターに「そういう発言をさせる方向にもっていっている」としか思えない番組で。 まず、武田邦彦特任教授は経歴を見ればわかりますが工学の教授。今回のような日韓問題について詳しい人では全くない。なぜそういう人をコメンテーターに呼んだのか?それは、彼が普段から「こういう過激な発言をしている人だから」であり。現にこの番組ではYoutubeなどで普段から人種差別発言を公言しているメンバーがレギュラーとして何人もいる。 また、これを単に「個人の意見です」などというごまかしはきかない。というのは、たとえばこの発言は電波に乗せて放送されている。これを韓国語に翻訳し、もし、韓国で「日本の大学教授、「日本人男子は韓国人女性を犯せと発言」というタイトルをつけたら、日本人をどう見るだろうか? 逆に考えればいい。今回の事件は韓国のナンパ男が日本人女性に乱暴したという事件だ。これと全く同じことを肯定する番組を放送した、ということになる。 つくづく思うのは、この手の番組にはこういう「炎上してでも視聴率を取りたい、でも、自分は責任を取りたくない、だから、過激なことを言うコメンテーターにその状況を与えてひどい事を言わせる」という、薄汚い思想が蔓延していて。 だいたい、日韓の政治問題とこのナンパ男の暴力問題は一切関係ないはず。それをわざと火種としてあおる報道をする、そして、煽られてヘイトをまき散らす日本、韓国両国にいる下種な人間の暴力の口実になる。 四半世紀前、アフリカ、ルワンダで起きた大量虐殺。死者数は推定で50万~100万人、人口の10~20%が虐殺されたという、想像を絶するジェノサイドがあった。その発端は新聞、ラジオでフツ族、ツチ族の対立をあおったことが原因とされる。実際、ラジオ放送で「ツチ族を殺せ」といった放送が流れるなどメディアが煽った民族暴動に発展した。 では日本はそんなことはないか?そんなわけがない。有名なのは関東大震災での本庄事件というもの。おぞましいので興味のある方はWikiなどで調べてもらうとわかると思うが、この国には昔から民族浄化のきっかけさえあればこういう蛮行に及ぶ下地はずっとあった。 今回の発言で武田教授がどう釈明するか?それともだんまりを決め込むか、あるいは開き直ってこの主張を言い続けるか。いずれにせよ外国人への乱暴を助長するような発言を公共の電波で行ったというのは大きい。彼のふざけた発言で、発言に絶対賛同しない私のような人間も「日本人は」で語られるのだ。 「国辱」という言葉は嫌いだが、この教授の発言にこそぴったりの言葉であり。
2019.08.31
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聞きなれた声が他局の番組から聞こえる不思議さ。 昨晩、文化放送で「荒川強啓 ナイトキャッチ 老後資金問題を考える」という特集がありまして。で、私のようなラジオリスナーにとっては番組内容より荒川強啓さんがTBSではなく文化放送で番組をやった、ということが大きな喜びであり。番組ツイッターのタイムラインもその話題で持ちきりでした。 荒川氏はTBSラジオで24年、夕方の番組「荒川強啓 デイキャッチ」という番組を月金で担当していた、まさにTBSラジオの顔ともいえる方。番組聴取率もあの時間帯、常にトップで定番広告スポンサーもついている人気番組・・・でした。 が、今の社長体制になった際、なぜか突然の放送終了。社長曰く「新しい時代に役目が終わった」ということらしいのですが、本人も納得していないし、同じTBS番組内でも伊集院光などが「俺ら聴取率がいいということだけで首の皮一枚で放送させてもらってるのに、一方的に役目が終わったっていわれたら、俺たちはどうすりゃいいんだ」と。確かに私もリスナーとしてなぜ?という疑問しかなくて。わかりやすく言えば、雑誌の看板漫画で単行本売り上げもアンケートも常に安定している作品を、編集長が変わって「これ、古いから」という理由で突然やめてしまう。 と、思ったら番組終了の半年で、まさかの他局での放送、しかも、タイトルも「ナイトキャッチ」だし、ゲストもデイキャッチ時代のレギュラー2人。放送を聞いているとあの番組まんまの感じで涙が出ました。 ちなみにTBSラジオはデイキャッチを終了後の後番組の聴取率がボロボロ、逆に嫌がらせのように強啓さんをゲストに呼んだ他局の番組が聴取率がいいという状況で。リスナーというのはやはりDJについていくのだなあと。(誤解のないように言っておきますが、デイキャッチの後番組が悪い、というのではなく、あの時間帯に聞いていた人がTBSラジオから離れた、ということ) しかし・・・今回はスペシャルウイークで一回きりですが、この様子だと強啓さんが文化放送で帯枠復帰も考えられますなあ。なにより、あの声はとても落ち着くので、ぜひお願いします!
2019.08.30
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容疑者「京アニ大賞」に執着 やはりそうか 懸賞小説の闇ってあるんだよ 僕も懸賞小説を唯一の手がかりにもの書きの世界に這い上がっただけに その闇のおぞましさは承知してるのよ 作家:志茂田景樹さんの文です。さすが直木賞の人気作家さんだけあって引き込まれる文章です。 この文章を読んで思い出したことがあります。それはもう10年以上前でしょうか。「伯林裁判」というものを。 週刊少年チャンピオンにおいて連載されていた「しゅーまっは」というギャグマンガがありました。可愛いキャラとえぐい描写のコントラストが際立つ、とても面白い作品で私も大好きでした。 が、その作品について2ちゃんねるの掲示板に「この作品の作者のペンネーム(伯林)は同級生であった私の苗字からとったものである、作者は謝罪し、ペンネームを変えろ」という書き込み。まあ、この程度ならおかしな奴が来た、とさらっと流れるのが当時の2ちゃんねるでも常識でした。が、この男は執拗にこれを書き込み続け、それこそ本スレの大半をそれで埋め尽くす。 さらに内容もどんどん過激になっていって「彼の作品を見ると自分の惨めさが際立たされるようで不快だ!作者は弱者に譲るべき!この作品をやめろ」と・・・意味不明の書き込みになっていって、やがて、作者の個人情報をさらす(同級生であったことは本当らしい)、秋田書店に轢死体の写真を送るなどエスカレートしたため、秋田書店がこの男を提訴します。 で、裁判の結果、史上初の「名誉棄損による満額回答」という結果に。また、連載もしばらくして終了となったため、事件はそのままフェードアウトしていきました。 これで終わった…かにみえましたが、2年後ぐらいにこの男、「住んでいたアパートに放火した」ということで逮捕されたと新聞に載ります。幸い、けが人などいなかったよいうですが。 この男と今回の京都アニメーション放火犯の違いは、全くない、と。この男、実は別雑誌の漫画の奨励賞を取っている経験があり(本人がスレッド内で自慢げにその賞状などを公開していた)、でも、芽が出なかった。それに対して同級生がプロとして漫画家になっている、これに対する嫉妬という形でもあったと思います。 「自分の人生の中では、誰もがみな、主人公」 これはさだまさしさんの名曲「主人公」 の一節です。しかし、自分も含めた99.99%の人は華やかな、それこそテレビに出たり、作家や芸術家、アスリートなどで注目を集めるトップにはなれない、ごくありふれたモブの人生です。 志茂田氏が指摘するように「懸賞小説の闇の中であがいている」人生。自分には才能がある、それが認められないのは誰かが圧力をかけた、出来レースで消された、アイデアだけパクられた・・・ こういう思考の沼に落ち込んだ結果の凶行であり、これは他人がどうやっても防ぐことができない。 だからこそ、そのとばっちりで亡くなった「才能がある方々」が無念でならないんです。
2019.08.29
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最近のテレビアニメを見ていて「おや?」と感じたのが、キャラのタッチが「CGっぽくなっている」ということ。 これ、昔はよくCGと作画が合わない違和感、というのがあり、むしろCGをいかに手書きっぽくするかが日本アニメ風のCG制作現場での進化でした。 が、最近、特に萌え系アニメだと顔の表情パーツが画一的で、鼻などの立体感のない、影があまり落ちない(フラットな影つけ)、あまりデフォルメされない、線も細い均一なもので書き込みも少ないパーツ構成されているものが多く。その上にグラデーションで微妙に色をつけていたり。 それによって一見して「あ、これCGアニメ・・・じゃない、手書きだ」と思うことがあって。 むしろリアル、劇画風の書き込み表現で動かす手間がかかるような作品はCGにした方がいい、という逆転現象まで。「ケンガンアシュラ」のような作品がCGアニメってのも面白いです。 ちなみに一番CGっぽく感じないけど演技などがすごく繊細でよかったCGアニメは「宝石の国」、CGっぽさが全く感じなかったのが「クムリクサ」でw。 あと5年で手書きアニメとCGアニメの比率が逆転する、なかなか面白い時代では。
2019.08.28
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名古屋のラジオ「つボイノリオ 聞けば聞くほど」内で昨今あった日本人女性の韓国旅行者が現地でナンパされ、断ったら暴行行為を受けたことを取り上げていて。その中で「最近、日韓問題が注目されているからこの事件がまるで国際問題のように関連つけて報道されてますが、単にナンパに失敗した男の腹いせ行動という無茶苦茶なヤツの起こした事件で、現に現地でも捕まっているしひどい男だと韓国でも言われている。だから、そこを反日、反韓の感情をあおる火種にしてはいけない」 これには私も同意で。むしろナンパ目的で日本人に声をかけたというのであればすでにそいつは反日も何も関係ない。単に女性をひっかけるためだけ、失敗したらむかっ腹が立って暴行した、という、きわめて個人的な犯罪でしかない。たとえば、私の姉はローマに旅行に行った際、一人で女性が歩いているとかならずといっていいほどナンパ男が声をかけてきて、断ると現地語で罵声を浴びせられ、さらには唾をひっかけられたことがあったとか。でも、それは国際問題ではないし、単にローマのクソナンパ男にひどい目に合わせられた、というだけの話。(ちなみに姉はガチの古代ローマ歴史オタなので、現地の歴史史跡より魅力的な男のナンパというのは相当ハードル高いと思うw) さらに病理だと思ったのはこの被害者の女性のツイッターに「こんな時期に韓国に行くなんてこういう目にあって当然」「お前が男目当てだったんだろ」「韓国の男なんてみんな暴力的だ」のようなコメントを投げつけられている日本の匿名の連中がいる、ということ。これは国内でもレイプ被害があると必ず「被害者の意側にも落ち度がある」的なコメントを言う連中と同じで。 今回の事件に触発され、逆に日本に来た韓国人旅行者に「報復」と称してひどい事をするやつらがいるとしたら、それこそ日本、韓国両方の敵です。 本来、そういう連中に口実を与えるようなことを両国政府が行ってはいけないのですが。
2019.08.27
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時折、コンビニの書棚に売っている「歴史の真実!」「教科書に書かれない、本当の日本史」みたいな本を見つけたら、まず一番最後の参考文献を見るといい。 この手の本って、ほぼすべてが一次資料には当たっていない、誰かの歴史解説本、もっとひどいと自分と同じようなお手軽歴史本を参考文献としている。 つまり、ここで語られている「歴史の真実」というのは、自身で発見した資料でも何でもない、単なる評論本やらトンデモ解釈本のまとめサイトみたいなものなんです。 その証拠にこの手の本って文章の著者(文責)が描かれていない。「〇〇編集部」みたいな、誰が描いたか、ライターの経歴などまったくわからないようになっている。 この手の本を読んで「教科書には書かれていない歴史の真実を知った!」と思っている人は、ゲーム「恋姫無双」で三国志の関羽は女性だった!と言っているような恥ずかしいことを言っていると思った方がいい。 ・・・というか、やたらにこの手の本がコンビニ棚に並ぶけど、そんなに「真の歴史」なるものを頻繁に書き換えたいのかねえ?いまだに「仰天事実!人類は月面に到着していない?!」みたいな手垢のつきまくったネタを嬉々として読んでいる人がいるんだろうなあ。それに、この手の本の内容は陰謀論や根拠のない民族論、差別肯定論に到達しやすく、容易にヘイト運動に結び付く。ほら、よく聞くのが「久々に実家に帰ったら60歳の父が「ネットで真実」系の動画にはまりまくって中韓ヘイト人間になっていた」ということがネタになっていましたが。 そういう意味ではオカルト雑誌「ムー」よりタチが悪いかもしれない。
2019.08.26
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冷静に考えたら。 たとえば、大人気の長編漫画シリーズがあります。で、以前は週刊連載だったものが、よく休むようになり、やがて、一年に一冊、それどころか物語が進まないまま、という作品。 そちらの連載が止まった状態で別作品をやる、などということもあります。 で、これに対して作者に「サボってないで書け!物語を完結させろ!」というファンの声に、作者は応える「義務はない」というw。 と、いうか大ヒットでもう一生生活に困らないお金が手に入った状況で、なぜ締め切りに追われ描かなくてはいけないのか?描く必要がない、描きたくなくなったからやめる、でも何の不思議もない。 たとえば、どんなに儲かっても関係ない、今のこの作品を書きたくて書きたくて仕方ない漫画家さんはいます。そういう人は書くべき。しかし、長期連載で延々と引き伸ばし、あるいは新しいものが描かれない作品は、それがその物語の「結末」なのかもしれないと思います。 何より、読者や編集者がどんなに望もうとも、物語が結末するまでちゃんと続けなくてはいけない、などという決まりはない。作品世界の神は作者自身ですから。「飽きたからやーめた!」も「突然、巨大隕石が地球に落下してすべて消えてしまいましたとさ。おしまい」であっても、その世界の神がやってしまったらそれ以上はどうにもならない。 「ガラスの仮面」「ベルセルク」「バガボンド」「ファイブスターストーリー」「HUNTER×HUNTER」・・・年単位でしか新作が出ない、新作が出ることがニュースになるような作品はそのままフェードアウトしていく名作なのかもしれません。
2019.08.25
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バチカンのゲイ乱交パーティと同性愛に関するカトリック教会の正しい教え 上のツイートで見て、ふと思い出した疑問を。何年か前にネット上で集めた複数の男女によるグループSEXの会場に警察が乗り込み、逮捕者が出た、というニュースを見ました。 で、これって「何が犯罪であったのか?」ということで。違法な薬物が使用されていたのでもない、未成年が参加していたのでもない、あくまで同意のある男女の性交渉で、この場合、それを止めさせる権利というのが警察にあるのか? 複数男女による性交渉は、たとえばAVなど一般流通している映像でも販売されていますし、それについて撮影者に逮捕者が出た、というニュースは聞きません。だとすると、この差は何なのか?出演する女優、男優にはギャラが支払われていることからも、金銭の授受が問題になるわけでもない。 この辺の線引きがわからないんです。
2019.08.25
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結局うやむやになっている吉本の闇営業やらお給料問題について。 この騒動で、すごく嫌なものを感じたのは芸人たちが「それがお笑いの世界だから」「俺らお笑いは一般人の常識と違う世界で生きている」 ということを普通に言っていたこと。 ・・・お前ら、いつの間にそこまで偉くなったんだ?というか、お笑い芸人ってそこまで無法が許される特権階級なのか? これって、自分たちを卑下しているように言いながら、実はとんでもない特権意識なんです。当たり前ですよね?たとえば一般の社会で先輩芸人が若手芸人を生意気だからという理由で殴ったら犯罪です。が、芸人はそれが許されるのか?あるいは若手芸人が一回地方の営業に行って入ってきたお金を見たら往復の交通費の方が高かった、と、笑いにしてましたが、事前にいくら支払われるか提示されていなければ、それは明らかに下請け法違反です。そんな特権、誰が許したのか? お金の件に関しても、今回、闇営業といいつつ、本人たちは元々吉本興業と契約書を書いていないことが発覚しました。つまり、闇でも何でもない。 この手の「うちらの業界では常識」ってのは世の中にたくさんあって。しかしそれは法律上、許されてはいけないんです。何の特権でもないし、それが許されるなら「政治家の世界では賄賂をもらって公共事業のあっせんをするのは常識」が通ってしまう。 業界常識は現場に即した約束事、といいつつ、実は単なる違法なことを正当化する特権になっていることが多い。いや、お笑いだけじゃなく、スポーツ界、伝統芸能の業界,医療や福祉、マスコミ・・・ 学校教育の部活で「できない生徒は殴られて当然」あるいは「先生の労働時間が労働法違反なほど長時間になっているけどそれはこの業界では当然」も、どちらも何の根拠もありません。 その根拠のない狭い「常識」とやらで人生をめちゃくちゃにされることもある。人が死ぬこともある。 だからこその労働法があり、各種法律であるはずですが。
2019.08.25
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たとえばいじめ被害を受けた側が加害者を訴えて、加害者側が裁判にしたくない、穏便に済ませようと示談金と謝罪をしたとする。で、被害者が納得し、それを受理した。その数日後、加害者が「いじめなんてなかった。金を払ったからもう何も問題はない。元々あれは被害者が勝手に妄想で語っていることだ。むしろ私の方が被害者だ」と世間に言っていたことを聞いたら、さてどうなるだろうか?「日本は過去の戦争で韓国含むアジア諸国に侵略し、多大な被害を与えた。それを真摯に反省する」という言葉でアジアと仲直りした後に、日本の与党の政治家が「あれは正義の戦争だ、アジアを開放した、侵略などしていない」と言ったら、謝ったことが無効になるのは当然。 にもかかわらずその議員が「日本は過去に謝っている、賠償金も払ったのに、事あるごとに韓国は過去を蒸し返す、未来志向を壊しているのは韓国」と言ってる。こんなことを言われて反省していると思うだろうか? 馬鹿なんだろうな。あんたらのその態度が謝ったことをなかったことにしているのに・・・
2019.08.24
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マンガでもゲームでも「こういう表現は子供たちに悪影響を与えるから禁止しろ!」って卑怯な言葉を使うな! 同じものを見ても、影響を受ける子供も、全く受けない子供もいる。勝手に子供の感性を画一化するんじゃない。 それ以前に、自分が嫌であることを子供をダシにやめさせるような卑怯な大人にはなるな。自分の意見は自分の言葉で言え。
2019.08.24
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私は長年、自宅のNHK放送にお金を払っています。それこそ上京して20年、一人暮らしを始めて以来。 で、自分でもNHKはよく見ます。特にNHK特集など民放がやらない、視聴率が取れない地味だけどじっくり面白い、知的好奇心が刺激される番組が多いので。また、特に見たいテレビがないときは騒がしい民放のバラエティーよりNHKをつけっぱなしにしていたり、Eテレのとがった放送や、またアニメが質がいい作品をやるので。 だから、NHKが料金を取ることに関しては文句はないんです。 ですが、「お金を払っている人間にしか見えないよう、スクランブル放送にしてほしい」と。これは有料課金している側からの不満です。NHKの価値を認めているから、品質を維持してほしいから、スポンサーの忖度とか考えなくていいようにNHKにお金を払う。しかし、一般には「NHKなんて見ない」という人がいるのも当然。 そういう人からお金を取る権利はないし、もし、地震など緊急時の情報、あるいは国会中継などに必要であれば、その時間だけスクランブルを切ればいい。 にもかかわらず今は「テレビが家庭にある=NHKに加入したのと同じ」とされている。以前、NHKだけ映らないテレビ開発をソニーか販売しようとしたところ、なんやかんやあって中止になったとか。これもおかしな話で。 テレビを見ることは義務ではない。で、ある以上、私のようにちゃんと受信料を払っている人と払っていない人の差を明確にしてほしい。
2019.08.22
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最近、眼鏡のピントがどうもあわなくなってきて、そういえばこの眼鏡も5年ぐらい前に買ってそのままだから、老眼が始まったのかなあと近所の眼鏡屋で検眼してもらいました。 そしたら「以前より裸眼視力がよくなっていますので、それで今のレンズが合わないのでしょう」と。 は?目がよくなってる?と、考え直してみると、そういえば一年ぐらい前からVRゴーグルのオキュラスGOを自宅で寝る前、Webブラウジングや映画を見るときに使っていることを思い出しました。 で、実際調べるとVRには目の焦点をあわせるための筋肉が鍛えられ、目がよくなるという効果も報告されているとか。これは20年ほど前に流行した「ノイズみたいな絵をじっと焦点併せていると立体に飛び出して見える絵で視力改善」に近いとか。 実際、新しく作ってもらったレンズは以前より度数が弱いものですが、遠近はっきり見えます。 いやあ、VRで飛び出すHな動画を見ることは意外な効果があるなw・・・
2019.08.21
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ストを起こした従業員に代わり臨時店員で営業再開した佐野SAの現状からわかる事『代わりはいくらでも居ない、という事を管理職は知るべき』 事態の経緯を簡単に言いますと、高速道路のサービスエリアを運営する会社で、経営者と従業員のトラブルがあり、それが原因でストライキに発展。従業員が仕事をボイコットしたところ、経営者側は臨時の職員を雇って対応した、が、うまくいっていない、というお話で。 これって当たり前のことで。ほとんどの仕事は「誰でもできる仕事」なんです。が、その誰でもできる仕事を「当たり前にできるレベルにまで達するようになるには訓練や経験が必要」それを「プロ」という。 たとえば、単に料理を作るにしても、包丁はどこにある、お皿は何組必要か、この素材はどのぐらいの大きさに切るのか。調味料は何をどのぐらい入れるのか、味付けはこれでいいのか、盛り付けは・・・ と、個別のものは簡単でも、それをすべて会得し、流れで効率よく安定処理するまで熟練するのは時間がかかる。ましてや、夏休みの忙しいサービスエリアという場所。慣れた従業員でない、とにかく人数だけ突っ込めば何とかなる、なんてのは人を人として見ていない経営者が無能なだけで。 それを日常、滞りなく遂行できるのが「ストを行っている従業員」で。 似た話で、社内ネットワーク管理者が給料査定の時「あなたはこの会社に売り上げで目に見える貢献をしていない」という理由で給料を下げられ、怒ったその人は会社を辞めた、その途端、社内ネットワークが不具合連発、しかし、すでに構築されているサーバーのトラブルを誰に相談してよいかもわからず業務に支障が出るようになってしまった、なんて話があり。縁の下の力持ちである人を軽く見た報いであります。 仕事というのは「何事もなく日々の業務を円滑に行っている」というのはとてつもないスキルです。
2019.08.21
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東京オリンピックはもう国民がボイコットしてもいいと思う。1.当初予算が5000億円、既存施設を使いまわすのでコンパクトなことを売りにしていたはずが予算が膨らんで3兆円規模に2.アスリートファーストを標榜したはずが35度を超える都内で行われる。野外水泳競技の東京湾の水質が基準を超える大腸菌&透明度が悪くプレ大会の選手に大不評。3、誘致に多額のわいろが使われた捜査がまだ終わっていない4、大会終了後の施設維持や用途が不明。このままでは都民がほとんど使われない施設の維持に長野オリンピック同様、何十年も金をかけなくてはいけなくなる5、そもそも、このオリンピック誘致は一度も都民の賛同を聞く選挙などは行われていない 他にもある方はコメント欄にでも書いてくだされ。 というか、普通の契約でここまで当初の約束と違ったら契約破棄されても文句は言えないはず。 いつの間にか東京オリンピックが「都民が、日本中が期待している」ことにされてるけど、少なくとも私はずっと反対だからな!
2019.08.20
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ネットの匿名掲示板に自分の買ったゲームの不満点を書いて「バッチでここを改善しろ」「このスレッドではみんなそう言ってるのに開発者にやる気がない」と書き込んでいるのを見たけど・・・ あの・・・そういうのは公式か、ユーザーアンケートのようなところに書いてください。でないと無視されます。 というのは、ああいうところの意見って「ユーザーからの意見として」見ていないことが多いです。当たり前ですよね。元々「便所の落書き」というスタンスの掲示板ですから。というか、誰が何回発言したかもわからない掲示板の意見なんて、誰の嗜好に合わせた意見なのかもわからない。 SNSが普及し、以前のようにあのサイトが日本のネット界で存在感を失っている現在、どんなに熱心に書き込んでも、しょせん小さい便所の壁にびっしり書いているのと同じ影響力。 だったら公式に直接お送りください。そちらは専門の部署で集計し、多い意見は修正バッチなど反映されるようにちゃんと検討されますので。 努力の方向性を間違えないように・・・
2019.08.20
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ネトウヨ経済評論を見える化してみたら大崩壊!? ちょっと笑ったのですが。 で、思想の右左は関係ないとして、昔から不思議に思っていることに、経済学者というのは現実の経済を数値として検証し、過去の事例から未来を予想するのが仕事の、いわゆる競馬場の予想屋と変わらない仕事だと思います。 が、こうやって10年以上、主張が外れっぱなしの予想にもかかわらず「経済評論家として」出版の仕事が毎年あるのはいったいどういうことなのか?というか、毎年同じような本を書き続けられる、出版できるのが不思議で。 これってあれですかね?大きな地震があると必ず「この地震を私は予言していた!」という予言者と同じですかね?地震はかならずいつかはやってくる。だから延々と毎年「今年は大きな地震がある」と年始に書き続けて、地震があった年だけそれを引っ張り出して「ほらみろ!私が予想した通りだった!」という、インチキ預言者の常套手段。 ただ、この経済学者と全く逆の予想をした人(中国はどんどん発展し、逆に日本は停滞する)の方が長期的に見ても正しかった、という結果になりはしないか? では、この経済学者は少なくとも毎年言っている「来年に中国は大崩壊」が15年の歴史を見ても間違っていた、と結論が出た以上、こういう本(経済学者)はどんな人に需要があるのか?これはそれこそ先に書いた競馬場の予想屋と同じで、当たらなくてももっともらしい口上が吹ければ競馬場がなくならない限り予想屋でいられるという、そういう需要なんだと思います。 こういうことを書くと必ず「それは単に結果論に過ぎない」という方もいると思いますが、予想屋に一番信用として重要なのは「結果」です。どんなに論理に筋が通っていて納得できても、一着のウマをずっと外し続けたらその予想屋は無能のそしりを受ける、逆にどんなにめちゃくちゃでも当りまくる予想屋は有能であり。 というか、本当に当たりまくりの予想屋なら、そんな商売せず自分で馬券を買っていると思いますがw 何よりアメリカのリーマンショックでもそうでしたが「中国経済が崩壊したとして、それによって日本が浮き上がることなんてありえない、日本のような輸出入に頼る国家は単に一緒に沈む」と思ってます。
2019.08.19
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事件の影響というのが即座に現れるなと思ったこと。 夏休みに実家に帰省したのですが、そこで父曰く「草刈り機に入れるガソリンを近所の農協に買いに行ったら、今までなかった身分証明書の提示を求められた。その時、持ってなかったので一度帰宅して改めて買いに行った」と。 我が家は農家ではありませんが、自宅庭の草刈りのためにエンジン型の回転式草刈り機を使っている、で、農家ってのはこの手の小型エンジン型機械は各家庭に結構ありまずが、事件の影響で車以外での用途のガソリン購入が面倒くさくなったのだろうと。 これに限らずですが、京都アニメーションの事件以降、「ガソリンで火をつける」というイベントへの脅迫が相次いでいて。事件の被害や報道が大きい分、むしろテロや脅迫に使いやすい言葉として世間に知れ渡ってしまったのだろうと思います。 ガソリンは身近な爆発物です。むしろ安易に購入できないようにするのは賛成なのですが、馬鹿なユーチューバーがPV目当てで面白映像を取るために、さっそく何人もガソリン発火動画を上げているのを見ると、かえって危険を増したのかもしれません。 しかも、こういう連中に限って「危険ですのでマネしないでください」という一文を入れたら免責されると思ってるんだよなあ・・・許可なく野外でガソリン燃やす行為自体が違法なのに・・・
2019.08.18
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タトゥー(入れ墨)に関する表現の自由について。 先日、家族と温泉に行ったところ、入り口の注意書きに「刺青のある方の施設利用をお断りしております」という一文があり首をひねりました。 で、日本だと入れ墨=ヤクザ、反社会的勢力 の見られ方が非常に強いからこその注意書きなのでしょうが、たとえば海外のスポーツ選手、それこそプロバスケット、野球、アスリートの一流選手や人気格闘家、そうでなくても人気俳優、また、芸能人だけでなく先日も電車に乗っていたらごく普通の子供連れの外国人らしい家族の父、母の腕にワンポイントタトゥーがあり。 また、日本でも普段露出しないところに入れている、なんて人もいます。で、こういうツイッターを この中でうなずいたのが---------------タトゥーを肯定する/タトゥーを否定するって考え方自体よくわからない。みんな他者に対する肯定も否定ももう少し別のところでした方がいいし、実際普段そうしてるんじゃないの---------------- これはよくわかる。よく道徳の基本で「人を外見で判断するもんじゃない」といいますけど、明らかに外見で損をするというのはこういうことです。しかし、以前見た世界紀行ドキュメント番組でアフリカのある部族は、大人になった証として体にその集落独自の文様を入れることで「一人前の男として」受け入れられる、むしろ晴れがましい文化であったし、宗教的儀式で入れる、日本でもちょっと前だと大工などの職人が心意気を彫ったり、という文化はあって。 で、日本はこれから多様性のある社会を作る、という国家戦略がありますが、その場合、その入れ墨を入れたアフリカの部族の人が「日本の温泉という文化を体験したい」というのを拒むことができるのか?単に「入れ墨を入れている」というだけで温泉に入れない、プール禁止、スポーツクラブ利用禁止 というのは明らかな身体差別になるのではないかと。 これに対して「入れ墨は自分の意志で入れたのだから自己責任」という言葉がありますが、それは反社会的勢力や犯罪者でもないのに公共施設を使えない理由にはなりません。 考えると、自分が学生だった30年ほど前は「髪の色を茶色などに染めるのは不良の証拠、将来、接客業にはつけない」とされていました。が、今はごく当たり前になっていますし、それで接客業を行っても何も言われません。 服装、髪の色、タトゥー・・・これらが単にファッションという表現の自由で、それで相手を評価しない社会こそ「多様性を受け入れる文化」になると思います。 ・それに、「きちっとした服装」というものも、場合によっては相手に威圧感や拒絶感を与えます(黒のジャケットやがっちりした軍服、高級な女性の着物など。
2019.08.17
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こういうのを表現の自由を奪うテロリストとして警察は即対応すべきだと思ったこと。「翔握戦2019 #3 #4」中止のお知らせ 詳細は書かれていませんが、このゲームのキャラクターデザインが昨今話題になった貞本義行さん、表現の不自由展の少女像をツイッターで「きったねー~」と揶揄して多くの人から非難を浴びた人です。 で、彼の思想・・・というか、無知さには心底私は反吐が出る(あの像の由来やそれを表現の不自由展に出した意味を知らない、想像できない幼稚さ)のですが、それを非難するために今回のような脅迫行為が行われてイベントが中止になったとしたら、私はそちらも絶対に支持しない。 表現の自由に対する批評は自由でなくてはならないし、それに対するカウンターとしての反論も暴力や国家権力による圧力であってはいけない。コミケでは「コミケに反対する!」という同人誌を作って売ることはできても、コミケそのものを爆破するなどといったテロ脅迫は許されないように。 これは思想の右左は関係ない。貞本氏がどんなに幼稚な人間であったとしても、それを発信する口をふさぐこと、脅迫するようなことは許されない。 また、嫌なのは結局脅迫に屈してイベントの中止を決めた企業側のこと。「何かあったら責任が取れない」とは、自然災害などへのイベント中止とは違う、完全にテロリストに成功体験を与え、以後、この会社のイベントは脅迫でつぶせる前例を作った。逆に言えば「企業が自分たちの責任を取らないがためのイベント中止」でもあります。 だいたい、自社で作ったゲームに関わった人間の表現の自由をテロから守れない会社とはいったい何なのか?企業はこういう脅迫はすでに警察に届けている、ここからはイベントを守る、警備強化する、犯人を早急に確保するのは警察の仕事です。 京都アニメーション事件以降、こういう表現の自由への脅迫が安易に、立て続けに起きています。犯人は安易な方法で気に入らない表現の場を潰すことができる、まさに「表現の自由の危機」です。 「何かあったら遅いんだ」ではありません。すでに起きていて、それが犯人の思うとおりに成功している。それが怖いんです。
2019.08.16
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今日は終戦の日ですが、宮城事件、というのをご存知でしょうか? 岡本喜八監督による映画「日本の一番長い日」の元になった出来事なのですが、天皇がポツダム宣言を受諾し、降伏をみとめることを阻止しようとする将校らが皇居や軍内部で起こしたクーデターで。 この当時東京を含む大都市は空襲で焼かれ壊滅状態、沖縄も占領され、広島、長崎にも原爆が投下され、日本の敗戦は確実になっていた、しかし、それを認めない、徹底抗戦を主張する一派が玉音放送を阻止すべく反乱を起こした事件。 この時、すでに軍部には「この国の人々を守る」という発想は消え失せ、「本土決戦ですべての日本人が華々しく散る」ことを目的とする、もはや全国民を巻き込む特攻隊思想という、本末転倒の状況にあり。 ここには「ここまで死んでいった人々への申し訳が立たない」という名の「責任を取りたくない」というおぞましい思考が根底にあります。もし、敗戦を受け入れたら、自分たち戦争指導者は敵によって裁かれる。それによって受ける懲罰や怨嗟、責任に耐えられない、だったらみんなで死のうという、そういう思考でしかない。 結局このクーデターは失敗し、日本は敗戦を受け入れる。本土決戦をしていたら、さらなる死傷者が出ていたことは明白で。しかし、そんな単純な判断すら、彼らにはできなかった。自分たちのプライドのためにさらに何百万人の犠牲もやむおえず、と考えたのでしょう。 これはギャンブル狂の思考に似ていて。ここでやめたら今までつぎ込んだお金がパーになる、莫大な借金が残る、明日から生きていけない、怖い、だから更なる無茶な賭けをする・・・ 宮城事件は失敗に終わり、首謀者の何人かは自殺しました。が、実際は、戦後の軍の組織解体のどさくさで結局罪は問われず、戦後何事もなく生きながらえた将校もいる。中には戦後も「あの時、日本は本土決戦すべきだった」と言い続けた将校もいる。 絶対に負けるとわかっていても、責任を取りたくないがゆえに、自分のプライドのために他人を地獄に引きずり込もうとする人間もいた。こういう連中がこの国を狂わせた。 戦後75年もすると「あの戦争は正しかった」「日本はやむおえず戦争を始めた」「日本が占領したおかげでその地域の文化水準が上がった」「日本は感謝されている」といった、狂ったことを平気で言いだす人間が出てきた。 しかし、どんないい訳も上のような土壇場での見苦しい茶番劇に奔走するような、そんな戦争だったんです。
2019.08.15
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クレーム対応にあたり、非のない部下を謝らせて丸く収める手法の終焉 非常に興味深く、そして社会にある「とりあえず謝ってその場だけ穏便に済ませることの危険性」を強く認識しました。 この先生は犬にかまれた被害者です。が、犬の飼い主の意味不明なクレームに校長がビビって、その場を収めるために被害者である先生に膝をついて謝らせる、という意味不明な行動を強要した、これがパワハラであると認定されたというお話。 当たり前ですよね?でも、こういったことは自分も経験あります。わかりやすい例でいうと「連帯責任」というやつ。修学旅行で自分のクラスの一人が深夜にこっそり旅館を抜け出して夜遊びをしていたところ補導された、そのためなぜか何もしていない私たちがたたき起こされ、廊下に正座させられ、説教を食らう。 しかし、この時に感じた理不尽は深夜に抜け出したその生徒より、こういう馬鹿な連帯責任なる行為をさせた教師側に向けられました。だからあの時の修学旅行には何のいい思い出もありません。 「丸く収める」という言葉がありますが、こちらに非がなくてもとりあえずだれかに謝らせることで表面上の波風はたっていない状態にする、その時の理不尽も時間がたてば沈静化するさ、と・・・ そんなわけがない!理不尽な行為をされた人間は、それを一生憶えています! 組織のTOPが理不尽な要求を自分でなく、納得しない部下の頭を強引に地面に擦りつけてその場を収めることで得ることができるのは何でしょうか?簡単です。単なる一時的な退避だけ。理不尽な要求を出した側の成功体験と、被害者である部下の強烈な怒り、そして、真っ当なる問題解決の方法の放棄は大きな禍根を残します。 すでに「丸く収まっていない」典型であり。 海外ではいわゆるモンスタークレーマーに対して店主が出てきて「でていけ!ここはお前の来るところじゃない!今、警察を呼んだ!文句があるなら法廷で聞こう!」と客を追い返さなければいけない、でないと従業員の安全を守る、という店主の管理義務を怠った、になるケースもあるとか。 対応としてはむしろ上の校長より人道的でその通りだと思います。 何より、悪いことをやっていない人間の謝罪には、意味も価値もない。たとえ土下座しようとそんなものは形です。
2019.08.15
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少々疑問に思ったこと。 昨今はちょっとしたことでネットでたたかれて息苦しい社会である、もっと昔は寛容だった、という話をよく聞きます。 ですが、たとえばセクハラやパワハラが大手を振って行われた時代が「寛容な時代」でしょうか?アルバイト店員が調理場でバカなことをやることを許す時代が「いい時代」でしょうか?こち亀の両さんみたいなキャラは漫画の中では何をやっても許されますが、同じことをリアルでやる人間が許される(というか、逃げ得でのちに武勇伝になる時代)の方がいい時代なのでしょうか? 寛容、とは罪を犯した側が相手(被害者)にニヤニヤ笑いながら許しを求めるものじゃありません。被害を受けた側が許すことであり、実際はそんなことはめったにない。悔しい、悲しい、怒りをぶつけられることと、同じようにひどいと思った人間による炎上がネットで可視化した、そういうことであると思います。 というか・・・昔のやんちゃ自慢と称するヤンキー列伝、暴力、窃盗、破壊行為を笑い話として語る人間は、絶対に反省などしていない。むしろ勝手に「いい思い出」にしているとしか思えない。その時の被害者がどう感じているか? そんな想像もできない人間が「このぐらい大丈夫だろ」とネットで発した言葉が社会的制裁を受けるのだ。何のことはない。過去からの弾丸に今、撃ち抜かれただけの話だ。 過去を美化し、笑い話として許しているのは自分だけだったという話。それは自分に対する甘さであって世の中の寛容性などではない。
2019.08.14
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たとえば、私の大好きな「コミックマーケット」でも、過去に何度も脅迫や実際に放火テロ行為がありました。 有名なのは「黒子のバスケ」脅迫事件。人気ジャンルの黒子のバスケに対して脅迫行為がおこり、当時のコミケにおいてもサークルスペースをキャンセル、当日も人がごった返す会場で、そのサークルスペースだけぽっかり空いている光景は印象的でした。 今回の「表現の不自由展」と何が違うか、といえば、実は大きな違いがあって。それはコミケ準備会というのは、昔から「ファンの表現の場を維持するため、守るためであれば規制や都の条例、警察、消防などの要求には柔軟に対応する」という姿勢があります。これは準備会が行政と喧嘩するのではなく、あくまで「コミケという場」を守ることを第一に考えている組織であることだからでもあるのですが。 しかし、コミケの中身は皆さん、行っていただければご存知の通り。あらゆる趣味、嗜好、性癖がごった煮になっていて、さらにコスプレが加わるカオス。こういう場を守るため、事前に公表される一定のレギュレーションさえ守れば自由が担保されるわけです。 黒子のバスケ騒動の際も、犯人が逮捕された次回はその時サークル参加できなかった人たちを優先的にサークル当選させ、以降は変わらず参加できるようにしたわけで。 ここに今回の脅迫に対しての対応と一線を画す違いがあります。 というか、コミケには昔から日常的に脅迫状が届いていて、準備会はそれらを粛々と警察などに連絡し対応を取ってもらうという連携がすでにできている。だからこそ逆に強い。脅迫犯に惑わされるのではなく表面上「なかったこと」にして相手にせず、水面下で捜査をしてもらう。実際、過去に何人もコミケ脅迫容疑でつかまっているやつはいますので。また、黒子のバスケ事件のような、すでに世間を騒がせている人間に対しては状況次第で取りやめなどの決断も行う。犯人が捕まったら再開する。 今回のコミケには4日間70万人の人が集まり、さらにオリンピックによる会場変更などありましたが、コミケ準備会は「柔軟性」という形で表現の自由を守ろうとしている、そういう戦い方であり。
2019.08.13
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貞本義行さんのツイートでの発言でそれに対して「日本沈没」「ダービージョッキー」などの作者であった漫画家の一色登希彦さんのツイートが的確に今回のことを指摘されていたのでご紹介を・・・ この中で「宮崎駿は戦争嫌いの兵器好き」という矛盾を抱えつつ、それを自覚して物を作っている、だからこそ「大人であろう」というある意味ええかっこしいのポーズをとり続けている、こんな作品を作り続けるため、彼らの作品を見た人間に戦争肯定論者のような見方をされないための努力をしているんじゃないかと。 この話を書いていてふと思い出したこと。もう10年以上前になりますが、あるホラーゲーム作りでガタガタ震えながら攻撃してくるモンスターの動きを作った際、その絵を見て新人の子がヘラヘラ笑いながら「これって○○(特定の公害病患者を揶揄する別称)みたいですね」と。すると、私の先輩にあたる上司がものすごい剣幕でその子に「おい、2度とそういうことを口にするな!」と。 普段はおとなしく大声を上げるような人じゃないだけに、ものすごく印象に残っていますが。 つまり、そういうことなんです。何がそういうことなのかは皆さんにお任せしますが。私は今回の件と一色さんのツイートでそれを感じました。 そして、表現の自由、発言の自由に対する反論というのは相手側にも同質量のものがあって、言った側がカウンターでボロボロになる、何十年もかけて築き上げた社会的地位や信頼を失うこともある、だからこそ、強い言葉で軽口を吐くと大変なことになる。ツイッターとは「つぶやき」ですが、単なる独り言が文章化され、世界に広がる。これは有名、無名関係なく同じ土俵にのってしまう。 時折、ブラック企業のワンマン社長が信じられない企業倫理、社会倫理的に外れた発言をして世間に唖然とされることがありますが、上の立場になるほど叱られることがなくなる。仕事で評価を出していると余計に自分が正しい、世の中をわかっている、という狭い倫理観での神になった気持ちになってしまう。 話があちこち行きましたが、自分もゲーム作りで「より過激に、より派手に、よりリアルに」という仕事を求められるだけに、ちゃんと現実との折り合いを見据えていないと、狭い世界の倫理観だけではとんでもないことを言いそうで怖いです。
2019.08.12
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借り物で自分をクリエイターだと思っている人の信念とはこういうことかもしれない、と思ったこと。 今回、表現の不自由展の主催者である津田大介という人がどういう人物(経歴)であるかは数日前のこのBlogで語りましたが、要はインターネット黎明期にネットランナーという違法コピーを推奨する雑誌のライターとして「〇〇のソフトをぶっこぬけ!」のようなことの旗手としてやっていた。 私はすでにソフトの開発者で、つまり、そういう人間によって被害を受ける側だったので「自己責任」という名ばかりの逃げ口上で小銭を稼ぐこういう連中は、心底苦々しく思っていた。 で、今回の事件。これに対して展示する芸術家の側からも「テロにあっさり屈して(しかも不当な要求)取り下げるとは許さん」と抗議を受けている。それはそうだ。出展者にしてみたら自分の信念を勝手に捻じ曲げられたようなものだから。 ことほどさように今回もし、津田という人間が脅迫を受けた際にまず警察と密に連携し、テロ行為はこの国の表現の自由を脅かすもの!こういう脅しを受け入れてはいけない!と宣言し、社会に理解を訴えるべきであったはず。だからこその「表現の不自由展」なのだから。 職員の脅迫などに対する防衛はそれこそ警察の管轄するところであり、逆に京アニ事件で警察もこの手の警戒には過敏になっている。テロに対する防衛はこの国では警察の役目です。 津田という男が今回見せたのは、ネットランナー時代と全く変わらない。話題になる、注目を集めることはやりたがるが、本人には責任能力も信念もなく、他人の創作物で小銭を稼ぐためだけのイベント。 この手の人間にはきっと「自分で何かを一から作る」ということで身を立てた芸術家のような、核になるものがないのだろうなと。だからこそこうしてトラブルにびびって、土壇場で簡単に放り投げる。 つくづく嫌な話であり。
2019.08.11
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その作者の政治的主張と作品は分けて考えるということで、それは「この作者、政治的主張がおかしいから作品は好きだけど嫌い」は存在するし、その逆もあり得る。ということ。 たとえば今回、エヴァンゲリオンのデザイナーでも有名な貞本さんが、ヘイト丸出しの差別発言をツイッターで行った。これに関してと彼の過去の作品のすばらしさの評価は別である、ということ。(まずこの像がどういう経緯で作られ、どういうメッセージ性を持っているか、そういうものを一切理解せずに言った発言としか思えないし、その後の言い訳の見苦しさもいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人以上の深さも深慮も読み取れなかった) 別であるからこそ、作品のすばらしさを横に置いて、単純に「最低な人間だ」と評するし、エヴァのキャラデザをした人?ふーん。だから何?あんたの言ったことがそれによって肯定されるわけじゃないよ。ということ。素晴らしい作品を作るけど最低な芸術家なんて歴史にいくらでもいて、それ以上にそうじゃない芸術家もたくさんいる。 それにアニメーションは多くの人がかかわっている共同製作物だ。映画で例えればカメラマンがそういう思想だった、編集がそういう思想の持ち主だった、役者の一人がどういう人物か、という理由で作品そのものの評価は変わってはいけない。 今回の発言に対して、同じマンガ業界からも批判の声が上がったが、私が同じく尊敬する漫画家の所十三先生のTwitter これがすべてだと思う。
2019.08.10
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慰安婦問題や象徴である少女像を「反日」とか「売国奴のねつ造」という人はわかっていない。 あれは日本という国だけを貶めるためじゃなく、あらゆる戦争における性暴力に対する抗議を示す運動。実際、韓国が行ったベトナム戦争での性暴力にも言及している。(それによって韓国内の退役軍人の一部グループからも「こんなものを飾るな!」と抗議されている)だから「日本以外でもほかの国でもあっただろうが!それに言及しろ!」というのは何の反論にもなっていない。すでにそう訴えている。 その証拠に、あの像の名前を私たち日本人は「慰安婦像」と呼ぶ(メディアでもそう書かれることが多い)のは、日本政府の呼び方。実際、韓国では「平和の少女像(Statue of Peace)」という。それをもってしてもこの像の方向がどちらを向いているか、日本政府がどういう方向にもっていきたいか、わかるのではないだろうか。 これを見て加害当事者以外の私たちが恥じることは何もないし、逆切れしてなかったことにするように動いている政治家などは「戦時性性暴力を肯定する輩」だと思えばいい。 現にこれだけ世界各地で公文書、私文書、被害者証言など証拠があるにもかかわらず、それらを突き付けても「ねつ造だ」と言い出す連中にその証拠を覆す根拠はない。彼らがよく言う吉田証言は学界では当時から疑問視されていて、根拠とされていない(学術学会では認められていないが、知名度だけ広がってしまったゲーム脳論みたいなもの)。そんなものに頼らずとも、それ以外の証拠が多すぎるのだ。 もっとも愚かだと思うのは「仮に慰安所があり、そこで性的行為をさせられていたとしても、当時の一般的な成人男性より高給がもらえていい暮らしができた。だから彼女たちは幸せだった」という輩・・・ これは男が女性の性的産業を今でも使うとき、自分の後ろめたさをなくすための方便に過ぎない。 今回の表現の不自由展で、どういう経緯でこの像が作られ、どういう経緯で取りやめになったか。それを知ればおのずと「見せたくない人間の本質」というのが見えてくるのではなかろうか。 そういった連中が日本の政治の中枢にもたくさんいる。 あと、これを国辱だという人は、それこそ「日本は戦時性性暴力を肯定する国家だ」と言っているのと同じ。そっちの方が自国を貶めていると思わないのかなあ・・・
2019.08.09
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数年前に囲碁の世界で人間がAIに負けた、ということで話題になりましたが、こういう戦術眼というのをAIに持たせよう、作戦を立てさせようというのはずいぶんまえからおこなわれているようで。 アメリカなどではすでに作戦行動の遂行のため、どういう人数で、どういう兵装で、そういうタイミングで、どの順番で攻撃するのが一番こちらの被害が少なく、最大の戦果を挙げることができるかをAIにシミュレーションさせているそうで。これには敵の反撃、予期せぬ事故、敵の予想しえる行動、兵士の損耗率なども加味されている、まさにゲームの世界。 が、ここで問題になっているのが、今後こういった作戦をAIに任せるようになると、勝利のため非人道的行為が作戦に取り入れられてしまう、ということ。 たとえば、相手に対して有効な手段として敵を一人捕まえて爆弾を括り付けて敵のもとに帰す、とか、民間人を盾に使った攻撃、味方兵士を囮にして敵を集め彼らごと吹き飛ばす、とか、毒ガス、細菌兵器の使用とか、場合によっては核兵器の使用も通常兵器同様の選択肢に入れることができる。 要は戦争の本質である「非人道的行いを極限まで煮詰める作戦を立案し、その責任は「AIが最も効率的な作戦として下したものなので」と責任者がいない状況まで作れる、ということであり。 もともとコンピューターの発展の歴史は戦争の道具としての発展の歴史でもあり。一番最初のコンピューターが砲弾の落下軌道予測を知るためのものであったように、シミュレーションという人が死なない状況での戦争が一番いいのですが。 手塚先生の「火の鳥」の中にあった、コンピューターによって人間が支配されている帝国が、コンピューター同士の戦争でそれを作った人間が全滅する、ということになりかねないからなあ・・・
2019.08.08
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政治の世界では日韓問題が大きくなっていますが、ちょっと唖然としたのが政府が「民間の交流には影響がないようにしてほしい」とのたまわったこと・・・ お前らが迷惑かけてるんじゃ! 外交問題って民間企業間では迷惑この上ない。たとえば、現在自分が働いている会社ではCGの制作の一部を韓国の会社に依頼しています。これはもう何年も前から。しかし、例えば政府が韓国に対してのそういったことの規制をかけた、あるいは韓国側が規制をしたら、こちらはどうなるのでしょうか? 正直、今、政府同士がやっていることはうちらの仕事には何の関係もないいがみ合いです。だがその意地の張り合い、メンツがこちらの仕事にまで影響してくるかもしれない。 馬鹿々々しい話ですが、昔から戦争ってのはこういうことで始まる。日米が戦争売る直前までも、アメリカと貿易をしていた民間会社が彼らのルートを使って必死に戦争回避しようという民間外交を続けていた、という歴史を昔、NHKのドキュメントで見たことがありますが、結局輸出入商人にとっては互いの国が仲良くしている方が絶対に自分たちの有利になる。だからこそ、国益とは名ばかりの愛国ムーブ系の経済戦争が最も迷惑な話であり。 ネットには「韓国と外交拒絶しろ!どうせキムチと韓流ドラマぐらいしか影響がないんだから」と言っている馬鹿がいましたが、つくづくものを知らないんだなと。韓国のメーカー部品や商品が日本でどれだけ使われているか知らない、それに貿易とは入ってくるものだけじゃなくて輸出の利益もあるというのに。 外交で俺らの仕事の邪魔をするな!といいたい。
2019.08.07
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「国益」という言葉について。 たとえば、政府が自衛隊の海外派遣での日報を一部隠匿した事件がありました。これは「国益に反しない」ことなのでしょうか? ほかにも森友、加計学園問題、財政報告の隠蔽、年金問題・・・ これらは国民に知らせることを拒絶する、回答をしない政府は「国益に反することをしている」とは言わないのでしょうか? 国益の「国」とは人々の生活の事です。政府や政権、政治家じゃありません。たとえ彼らに都合が悪いことであっても暴くことこそ、「国益につながる」はずなのですが。 表現の不自由展について「こういう表現は国益に反する」と言っている人がいました。大間違いです。こういう表現ができないこと、脅迫や一部の政治家が補助金を出さない、という圧力をかけることこそ「国益に反すること」でしかないのですが。 あと、国益とは「アメリカンファースト」みたいに自国民だけでOKならいい、というのでもありません。特に日本のような資源がなく、あらゆるものを輸入に頼っている国での自国優先主義は自分の首を絞めるようなもの。戦後日本は海外と戦争しない、途上国に積極的に援助する、という方法だったからこそ、現在の地位を築くことができたのであって、それこそ戦争のお題目になった「日本がアジアの盟主国になる」思想ではなかったと。 国益という言葉を政治家が自分の人気や統制の根拠に使うようなら危険です。
2019.08.06
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仕事でゲームを作っているとわかるのですが、自分の作った「動き」に関して、上からストップかかかることがたまにあります。 わかりやすい3つの分類があって1、残酷2、性的3、差別、宗教的 のどれかに該当するのですが、この中で厄介なのは1と2です。3の差別的というのは、日本国内では別になんでもない動きが特定の国だと相手を恥辱、差別する動きになる、(中指を立てるは代表的)というもので、この辺はこちらにそういう意図がない以上、私は変更されても問題ないと。また、昨今ではLGBT問題も世間に広がっているため、昔からギャグ的に使う「男性キャラが行うくねくね女性っぽい動き」も差別的表現としてNGになっていたり。特定少数者を嘲笑する意味での動きになっているケースです。宗教的なものは、胸の前で十字を切る、みたいなのは昔はOKだったのが今はNGになってます。 この辺は知識の問題なので社内の講習会などで勉強すると知ることができます。 ですが、1の残酷、というのは、たとえば剣劇アクションでも、アメリカでは剣が相手を貫く場合、レーティングが上がる、というのがあって。それで封印された動きがあります。(特にゲームセンターに置くゲームだと子供が見るかもしれない、ということでNGになる)ほかにも相手に馬乗りになって殴る、というのはOKだけど、対戦ゲームの組み合わせでやられる側が小さい女の子キャラにできると問題になる、とか。 2の性的はわかりやすですが、これも奇妙な話で女性のエロさを強調する、ポールダンスはいかにもダメそうですが、実はポールダンスってきちんと海外では認められているダンスジャンルの一つなので、どんなに艶めかしい振り付けでもOKとかwあと、動きだけではありませんが、カメラの位置によって下着が見える、という場合、それだけでレーティングが上がる。逆に任天堂作品だと絶対そうならないよう、スカートの中が作られていない、という場合もあります。 この手のクレームってのはどこから来るのか?という場合、そのほとんどが法律に禁止規定はありません。しかし「クレームは来てない」のですが、企業側が先回りしてやってしまう。その先回りを見て他の企業も追随したり、まるで業界標準みたいなことになる、これもおかしな話であり。 また、国によって基準が決まるため、アメリカでは人体欠損表現OKだったのが日本だとできなかったり。逆に日本ではOKだったお色気表現が規制されたりと これらの表現規制は「ソフトを現地で売れることができるようにするため」なのですが、本来は「ゲームを魅力的にして売る表現」として取り入れたのがNGを食らう。 妙な話です
2019.08.06
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「表現の自由だからと言って何をやってもいいというわけではない」 その通りだと思う。 だからこそ、今回の表現の不自由展では法律を守って、決められた施設内で、法的問題のない表現を展示した。 しかし、それに対してガソリンで火をつけるなどと脅迫したことは、それこそ上の言葉を送り付けるべき。表現の自由を都合よく解釈しているのはお前らだと。 人間の美意識の常識というのは簡単に変わる。たとえば世間にミニスカートが出た当時というのは「あんな淫らで恥ずかしいものを着用するなんて」と言われた。しかし、今この暑い時期、ミニスカートを履いている女性などいくらでもいる。水着もそう。だから、今の時代の「はしたない」とか「下品だ」がいつまで常識であるか、あるいは誰にとっての常識であるかは個人の感想でしかなく。 70年前、この国では戦争中、画家や音楽家が自分の作りたくない、描きたくもない国威掲揚の絵や兵士を鼓舞する音楽を作らされた。敵性音楽としてジャズなど英語表現の作品は禁止され、落語家は不謹慎だと自ら演目を中止した話がある。表現したいことができない、常に目上の者のご機嫌や世間の同調圧力に忖度しないと生きられない時代である。 自粛という名の表現規制を強制をされる。こんな時代が「表現の自由だから何をやってもいいというものではない」という、冒頭の時代なのだ。 表現者が忖度しなければならなくなった時点で表現の自由ではない
2019.08.05
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表現の問題でもう一つ。 今回、「国の補助金を使ってこういう反日的なことをやったことが問題」という人がいるけど、それは大きな間違いだ。 国の補助金は税金だ。つまり、国民が誰もが納めている。それを「政府が認める主義主張のイベントにしか補助金を出さない」となったら、それこそ大問題。国家予算はあくまで政府のものではなく、政府に預けられただけのお金であり、配分に思想差別があってはいけない。 そもそも、慰安婦像を飾る、天皇の写真を燃やす、といったことは反日とはいえない。というか、単にその表現をどう受け止めるかが人によって違うというだけ。同じ日本にもいろいろな考えの人がいる。にもかかわらず、いわゆる産経新聞的、保守系右派の人が嫌う表現をすべて反日認定されたらたまったものじゃない。 今回のイベントは、法律にしたがったものであり、しかも、閉鎖された空間で見たい人だけ見ることができる、というもの。これに対する作品批評の自由はあっても、一部政治家が「こういう内容のものは補助金を使ってやるものではない」というのはふざけるなという話。 似たようなことはすでにおきていて、公民館で平和集会を開こうとしたところ「政治的な問題がある可能性があるので貸さない」ということが起きている。あるいは昨今だと「万引き家族」が文化庁から補助金を受けていたことを「国の金で反日映画を作った監督」と批判する輩がいたり。(ちなみに万引き家族のどこに反日的要素があるのか、見た人ならさっぱりわからないだろう) 政府の意に沿ったことでないとお金を出さない、というのは、最近の選挙で自民党の議員が講演会で言って問題になった「選挙に勝たせてもらった暁には地元にはそれ相応のお礼がしたい」と全く同じ、全国民の意思=政府を肯定している、なんてことはありえないし、今の政府に反対する野党に対する投票が選挙で少なくとも半分程度はある以上、民主主義国家でそんな横暴が許されるわけがない。 ネットでよく聞く「文句があるならこの国から出ていけ!」はとんでもない言葉だ。ここはお前の国かと?税金を払っている以上、この国に文句を言うのも当然の権利だ。国民は国家の施しを受けているのではない。逆だ。 だから、今回、イベントの補助金を盾にとった名古屋 川村市長の発言は辞任に相当する大問題である。
2019.08.04
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誤解を受けないように書いておきますが、津田大介という下種野郎は支持しないけど、今回彼に「会場にガソリンをまく」等の脅迫をした連中を支持するわけじゃないからね。 主義思想と行動の結果は別問題。主義思想は守られなけでば行けない。が、それを「脅迫」という形で実行に移した連中は警察に捕まえられて司法の処分を受けるべき。 これは「こういうイベントに文化事業の補助金という税金を使うべきではない」といった川村市長も同じ。行政のイベント内容介入であり、それこそ表現の自由の平等公平性に反する。 京都アニメーションは日本を代表するアニメ会社だから復興に行政も力を貸す、ではあってはいけない。同等の理不尽な事件があったら施設犠牲者の功績内容関係なく、被害者や遺族を一律に救う手筈が整っているべきで。 今回のイベントでもし、ガソリンを実際に撒くようなテロが起きたら「ほらみろ、あんな馬鹿なイベントをする人間は火をつけられて当然だ!」になってはいけない。それが逆の立場であっても。 今回のイベント脅迫と展示物自粛は、そういう意味がある出来事であり。これが肯定されたら、すべての表現が一部の人間の脅迫で封じることを「しかたない」で肯定する社会になる。
2019.08.04
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津田大介という男について。慰安婦問題の少女像 きょうかぎりで芸術祭展示中止へ このイベントの主催者、津田大介という人物。時折テレビなどで評論家、論客としてえらそうに語っている姿を目にすることがあるのですが、私としては「ネット黎明期に違法コピーをさんざん推奨、それに寄生していた下種野郎」という印象しかない。 「ネットランナー」という雑誌をご存知の方もいるのではないでしょうか? 表紙に「悪用禁止」と書きつつ、「○○(ソフト)をぶっこぬけ!」のような宣伝で、内容は当時も違法だった著作権無視の映像があるHPリンク紹介、コピープロテクトを解除するツールの紹介と具体的使い方、Winnyに代表されるファイル共有ソフトで各種違法ダウンロードの方法紹介など、はっきりいって下種なアングラ雑誌。そこで長くライターをやっていた人間です。 そのくせ、昨今では遵法精神を社会に訴えるなどつくづく都合がいい人間だと。 私は当時からこの人の存在を苦々しく思っていた、というのは彼がネットランナー執筆者だった時代、私はすでにゲームの開発者であり、つまり、この手の寄生メディアは自分らクリエイターの敵でもある。 で、当時を振り返って彼はこんなことを言っている ・・・・ふざけんなと。名前を出したからなんだというのだ。お前が広げたWinnyやクラックで何億円の被害が出ていると思っているのか?しかもそれは当時も違法行為だとわかっていたうえで、てめえの小銭稼ぎのために広げていた、いい訳ができない下種野郎と。金かせがにゃ生きていけない?それはゲーム開発者の自分だって同じだよ!しかしこっちはお前みたいな他人の財布から小銭をちょろまかすようなことをいい訳にはしてねえよ ネットランナーが休刊し、しばらく名前を見ないと思ったら驚いたのがこいつが昨今の海賊版対策についての意見を言うなんてふざけるにもほどがある。お前のやったことは漫画村と変わらない、いや、それ以上なのに。昔、暴力や窃盗で散々暴れて周囲に迷惑をかけまくっていたヤンキーが年を取って若い連中に説教を垂れるような不快さ。てめえの悪行だけは「若いころのやんちゃ」でいい思い出に美化する無神経さ。 一番冒頭の話題に戻りますが、天皇の写真を焼く、慰安婦の像を飾るといったことに対してはそれは表現の自由。これに対して抗議にびびってしっぽ撒いて逃げる、これこそが「脅迫によって表現を委縮させることができる」と世間に喧伝する行為で、それを行ってしまったこいつが許せない。 津田という男には硬い信念も、また逆に柳のような飄々とした自由闊達さもない。あるのは自分に都合のいい時だけ「表現の自由」を振り回す、文化人ツラしながら他人が必死に作り上げてきた、守ってきた尊いものに寄生、破壊して跡片付けもせず逃げていく。その性格はネットランナー時代と何も変わっていない。 何度も書くが「下種野郎」でしかない。
2019.08.04
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強烈な個性がない格闘マンガというのは見ていて入り込みにくいなあと思ったこと。 いろんなジャンルの格闘家が企業の代理戦争で戦う「ケンガンアシュラ」という漫画を読みまして。 で、絵も達者だしキャラも濃く、ストーリーも面白いんです。・・・が・・・読んでいてなんだかこう、入り込めない。なぜなんだろう?とずっと読んでいて思ったのは、この漫画における強烈な個性がない、ということに行きついてしまって。 どこかで見たような設定、どこかで見たキャラ、どこかで見た登場人物の背景、どこかで見た勝利、敗北のパターン、絵の表現・・・ これだけ世の中に格闘マンガがあるのだから、完全なオリジナルというものはあり得ないのはわかっています。が、たった一つでも「唯一無二、あるいは強烈すぎて他の漫画家がマネするレベルの表現、この作品だから読める芯になるもの」というのが見えない。 常に「ああ、これグラップラーバキの〇〇みたいな設定だ、高校鉄拳伝タフのあのキャラみたい、エアマスターの△△と同じだ、喧嘩稼業のやり取りだ」と、まるで過去に自分が読んだ格闘マンガを常に思い出してしまう。パッチワークみたいな作品で。 同じリスペクトがすごすぎる作品として「はぐれアイドル地獄変」という作品があるのですが、これは作者がバキを好きすぎてある意味突き抜けている、逆にその部分が個性になるという稀有な作品もあるように、何かに似ているというのは決してマイナスではないんです。 だから、ケンガンアシュラも何か一か所強烈な個性があったらもっとのめりこめたかなあと。 むしろ同原作者の今、アニメ放送中の「ダンベル何キロ持てる?」の方が個性的かもw
2019.08.03
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テレビで一人暮らしの独身サラリーマン33歳、手取り23万円で生活が苦しい、と報道されたところ、ツイッターのタイムラインに「贅沢だ」「(内訳の)食費に4万って無駄使いしすぎ」「俺なんか〇〇万円で生活している」といった、なぜか貧乏自慢が始まって閉口する。 これって気分が悪くて会社を休み、病院に行く人に「そんな程度の体調不良で甘えるな」「俺なんか38度の熱の時も黙ってた」「これで会社を休むなんて人生舐めてる」というようなもの。 しかし、この人は現実に苦しい生活をしている、と思っている。これがすべてで。 気持ち悪いのはこの国の自己責任論。つい5.6年前、就職氷河期でいい大学を出ても就職できない、派遣社員を余儀なくされ、そのままずっと正社員になれずにいる人と、今年の企業から引く手あまた、同じ大学出身なのに内定もらいまくれる学生とではスタートラインが全く違う。 何が本人の自己責任努力が違うというのか? おかしいのは、「最低時給1500円にしろ!」というデモに対して「そんなことをしたら中小企業が破綻する」「経済というものをわかっていない」「俺なんか時給〇〇円でもやっていけてる」と、なぜか経営者でもない、自分も労働者のくせに雇用者目線で語っている。 ちなみに時給1500円って一日8時間労働、月に20日だとしても24万円。ここから保険や年金を差っ引くと19万程度。これのどこが要求が高いと言えるのか? もう、いい加減貧乏人同士の足の引っ張り合いはやめよう。今、公務員の数が足りなくなって行政サービスの手が回らなくなっているのは、公務員過剰批判にあおられて採用を極端に絞り、足りない分を臨時職員(という名の派遣)でごまかしていたので、すでに公務員は昔よく言われた「楽で安定して高収入」幻想はとっくに終わっている。それに気が付かないでまだ公務員を絞れと。 逆に言えば上の言葉は「自分以外の人間の給料を増やすな!相対的に自分が貧困に見える」というだけで、誰も救われない。 以前、母子家庭の貧困家庭を取材した番組に対して「スマホを使っているから貧困じゃない」「エアコンがあるから貧困じゃない」「月に一回レストランに行くのが楽しみなんて贅沢だ」とクレームが来たというが、そういうクレームを送る連中の脳が貧困に蝕まれている、と思った方がいい。 思考が「貧困に耐える自分は偉い」に変換されている。危険なのだ。 自分の貧乏自慢は勝手だが、他人の足を引っ張るな。
2019.08.02
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Steam で買ってプレイしていたコナミのメタルギア5、終わらせることにしました。 以下、ネタバレあります---------------- 結論。「なんでこうなった・・・」 クリアできませんでした。というか、2章でやる気を大きく失うことになりまして挫折しました。 このゲームはこれまでのメタルギアシリーズと違い、オープンワールド型の潜入ミッションが売りの作品、細部にこなれていないUIや操作性などありつつ、でも、ちゃんとゲームとして面白くやっておりました。また、最も評価したいのはいわゆる小島節といえる、これまで延々とムービーでダラダラ解説されていたところを「カセットで音声を聞く」ということにしたことで、移動中にBGM代わりに長いストーリーを知る、という、ここは非常に評価したい(移動時間が長いので暇つぶしにもなる) が、何が私を挫折させたか?それは「ゲーム中に過去と同じミッションの高難易度版をクリアすることを強制させられる、これができないとゲームが進行しない」という・・・これ、ひどくないですか? たとえるなら地球防衛軍でノーマル難易度で進んでいた人に、突然冒頭のステージを高難易度でクリアしないと次のステージに進めなくなる、ということをされたんです!最初、バグかと思ったらそうじゃない。ほかにも後半ステージの半分がその手の「過去のステージの条件クリア(一回も見つからないなど)」や「脱走した子供たちを探し出せ」という同じようなことを5回も連続でやらせる、クリア後のやりこみ要素ならともかく、単にクリア時間を延ばすための退屈な水増しでしかない。 で、この難易度高いところで面白さが見いだせず、バカバカしくなってやめました。 今作は小島監督とコナミが揉めた、ということを聞いてはおりましたが、その影響が露骨にこの後半の展開に出ているんだろうなと。むしろ一章で終わっていたら私はいいゲームだと評価していたと思います。なぜその決断ができなかったのか? と、いうわけで私の目からはうらやましいほど贅沢に予算と期間を使っての「がっかりな」ゲームでした。
2019.08.01
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京都アニメーション事件の中で、大阪の 橋下徹 元市長がおかしなことをいっていた。 それは「一般論として」という枕詞をつけて「もし、どうしようもない状況になったら死を選ぶことも考えるだろう。でもその場合はだれにも迷惑をかけずひとりで死ぬべきだ」と・・・ 怖いと思ったことは、今、絶望の淵に立っている人間に何も届かない、どころか自殺、あるいは今回のような事件を起こすトリガーになる言葉だと。あと、自殺を前提に話す人がどの口で「一般論」を言うのか・・・自分の言葉の責任逃れに一般論という単語を使っているに過ぎない。 これは実体験です。私は数年前、仕事の過酷さで一時期うつ病になりました。うつ病経験者ならだれもがわかると思いますが、視野が極端に狭くなる。毎日の生活が仕事をするか、自宅で寝るか、の2択しか見えなくなり、おいしいものを食べても味がしない、面白い番組を見ても笑えない、それまで趣味だったもの、楽しいものが全く楽しくなくなる・・・ 会社で朝の9時から夜は日付を超えるまで仕事、土日はほとんどない、過酷なノルマに常に追われ、上司からは他の社員がいる前でひどい叱責を受け・・・そんなことが3年近く。 その時に思っていたのは「死んだら楽になるだろうな」と。それこそホームにこのまま飛び込んだら、なんてぼんやり思っていた日々で。で、もし、その状態で上の橋下氏のような「強い言葉」で背中を叩かれたら、本当に飛び込んでいたと思います。 で、私を救ってくれたのは何か?結局、吸い寄せられるように入った最寄り駅前の心療内科の先生。まずこちらの状況をゆっくり聞いてもらい、そのうえで 「君は十分頑張っている。誰からも怠惰とか努力が足りないということは言わせない。間違っているのは君じゃなくそんな状況にまで追い込んだ会社だ。だから、まず君は自分が悪いと思うことをやめてください。自虐は一番の毒です。それと君は今休息が必要です。私が診断書を出しますのでこれを提出して最低3か月は休みなさい、その間は仕事のこと、先のことを一切考えず体と心を休めることに徹してください」 この言葉に救われました。あとで思うと、私はあの時「会社を辞めたい」と思っていたのですが、それをやめられない、と勝手に信じ込んでいた、視野が狭くなって仕事を続けるか、死ぬか、以外の選択肢が見えなかったと・・・ 話を戻しますが、橋本氏の強い言葉、「死ぬなら一人で死ね」は、結局当事者を救いません。もっといえば「目障りなので俺の視界に入らないところで黙って死ね」という言葉でしかない。それに対してプロである心療内科の先生は的確な解決法を見つけてくれた。 私は時々思うのです。あの時、たまたま入った心療内科に行かなかったら、今回の犯人のように会社に火をつけるような暴走を自分がしなかった、という確証はない。言葉一つ、出会い一つでここまで運命は変わる。 だから、こういう発言をしてメディアに取り上げられる、あるいはメディアもあえて選んで乱暴な発言をする人間(ホリエモンやひろゆきなど)を面白がって取り上げることが罪だなと。 世の中には暴走のトリガーに指をかけている人がたくさんいる。彼らを背中から脅して引き金を引かせるような言葉を放送してはいけないと思うんです。 っていうか、橋下徹って心理学者でもない、専門知識を持ってるわけでもない、単なる「シロウト」ですよね?なんで専門家ではなくこういう人の言葉を有識者の意見として放送するの?
2019.08.01
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