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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 「甲武信ヶ嶽」は「こぶしがたけ」と読む。 「銭形平次」以外の野村胡堂の小説を初めて読んだ。 1936年から翌年にかけて雑誌に連載した長編伝奇小説。 人物が錯綜し、怪事件が次々に起こる。舞台はほとんど江戸。 「銭形平次」と同じく、ですます調である。 悪は滅び善人は栄え、めでたしめでたし。 知らなかった言葉。「白丁《はくちょう》」 「白丁を一つ縄でくくってブラ下げた」 「勝手の棚の白丁がちらちら見える」 白い徳利のことか? 検索したら、そられしい用例があった。「態夫《わざふ》」 「昨日青梅から、態夫が持って来たんだそうで」 雇われた人とでもいう意味か。 検索したところ、戦争中の用例もあった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.30
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(最初、間違えて「ジャガイモの芽に毒がなくなると」というタイトルにしたが、改めた。照射によって毒性が消えるわけではない) 今日の産気新聞「主張」に「食品照射 利点を前向きに捉えたい」というのがあり、その中に、「照射による発芽防止効果を利用しているジャガイモは、年間約8000トン前後で、国産ジャガイモ全体の1%にも満たない量である。ジャガイモの芽には有毒物質が含まれるので、発芽を抑えることが必要なのだ。」とあった。 ジャガイモの芽に毒があるから発芽防止策をとるというのは、どんなメリットがあるのだろ。 毒があるというのは私も知っているし、知らずに食べて中毒したという話も読んだことがある。 しかし、命に関わるほどの毒ではないはず。 食品照射が一般化し、商品として売られるジャガイモがどれもこれも発芽しなくなったらどうなるのか。 ジャガイモの芽が有毒だということが忘れられてしまわないだろうか。 むしろ、照射などせず、「ジャガイモの芽は有毒だ」ということを伝えていくことの方が、文化の伝承として大切なことである。 キノコを例にとればわかる。 山菜ブームがあったりして、時折、毒草を食べてしまった、という記事を目にする。 キノコも、毒キノコを食べてしまう人がいる。 そういう人は、素人なのである。玄人の指導を受けずに、野草やキノコに手を出してはいけない、ということを知らないのだ。 私は子供の時に、父に連れられてキノコ採りに行ったことがある。 父に指示されたキノコだけを採った。有毒かどうかなど、私にはわからないのだから。 その時の経験から、決して自分でキノコ採りなどしてはいけないと思っている。 食べてもいい野草、毒のあるキノコ、そういうものの種類を伝えていくことも文化の伝承である。 食文化というのは、まさに伝統文化だ。 ジャガイモの芽が有毒である、ということを伝えていくためには、むしろ、照射などせずにおいたほうがいい。 有毒だと言われても信じずに食べて中毒するような人がいた方が、伝統文化のありがたみがわかる。 以上の理由によって、ジャガイモの発芽防止に限って言えば、私は、照射はやめた方がいいと思う。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.29
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珍しく、寅さんが一度しか柴又に帰らない。 主に、備中高梁で話が進む。 博の父(志村喬)が亡くなった話は、映画にはなかったような気がするのだが。 設定にはやや無理があって、第8作・寅次郎恋歌で博の母が亡くなった時には、寅さんも葬儀に参列していたので、寺の僧には会っているはず。住職が入れ替わったとも思えない。 寅さんとマドンナ・竹下景子との心のつながりのほかに、住職の息子・中井貴一と、近所の酒屋の娘・杉田かおるの恋物語が大きな割合を占め、家を出てカメラマンを目指す中井を、いかにも田舎の純朴な娘という雰囲気の杉田かおるが東京に訪ねたり。 人間、20年もたつと、こうも変わるのか、と、しみじみ。その点、竹下景子はあまり変わらないのが偉い。 息子がカメラマンを目指すということで、風景写真を撮りに行く場面がある。 前にも書いたように、失われゆく風景を記録しておこうという意図があるように思われるので、そのための設定でもあったのではないだろうか。 今回は失恋ではなく、寅さんは相手の好意を受け止めきれずに身を引いてしまう。 なぜ、と思うが、かたぎの暮らしを長く続けることはできないと、自分でもわかっているからなのだ。 当時人気のあったコント・レオナルドが、それぞれ違う場面に出演。熊の方が、出番が多い。 この二人、社会的なコントが多かったんだよなあ。今だったら、保守的な人たちにたたかれそうなことを言っていた。 お正月の場面で、満男が社長にパソコンをプレゼントされていじっていた。今と違って、当時は、キーボードもディスプレイも一体になっていたんだよなあ。懐かしい。5インチのフロッピーディスクドライブが2つついているようだった。当時としては最新のものだったはず。男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983) - goo 映画楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.29
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見出しを見て、「男と内縁の妻」とは妙な表現だ、「男と内縁」なのだから「妻」に決まっているだろう、「男と内縁関係にある夫」だったら意外性はある、いやいや、「男とその内縁の妻」の二人が逮捕されたという意味なのか、などと想像を巡らした。 記事はこれ。 [茨城乳児殺人]男と内縁の妻逮捕へ(毎日新聞) 男と内縁の妻逮捕 乳児を殺害、庭に埋める(産経新聞) 毎日も産経も仲良く「男と内縁の妻」となっている。 先に、男の方が別件で逮捕されていて、その内縁の妻が新たに逮捕され、男は再逮捕。 なるほど、両方逮捕なのだから「男と内縁の妻」でいいのか。 いやしかし、違和感を感じるのはなぜだ、とその原因を探ると、どうも、いきなり「男」で始まるのでひっかかるのだ。 単に「男」と言われても、どんな男なのかわからない。 これが、「医師」や「アナウンサー」というように職業だったらさほど違和感を感じない。 「男」だけでは、その属性がつかめないので困るようだ。 ではどうすればいいか。 「内縁の妻も逮捕」でどうだろう。これなら、ほかにも逮捕者がいる、ということがわかる。 「妻も」というからには、おそらく「夫も」だろうと察しもつくのではないか。 これでよし、と思ったら、同じ事件を報じる時事通信社の記事では、見出しが、「乳児殺害、庭に埋める=男女2人を逮捕」となっていた。 あっ。「男女2人」にすればもっとすっきりする。2人の間に何らかの関係があるだろうと推測させられるし。 お見事、時事通信社。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.28
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という見出しにびっくり仰天。 毎日新聞の記事。 わが故郷、三春町にも暴力団の組員がいるのか。暴力団が成り立つような商業地域ではないのだが。などと思いながら目を通すと、「銃刀法違反(拳銃所持)などの罪に問われたいわき市平南白土、住吉会系暴力団組員」と書いてある。あれあれ、いわきの人じゃないか。 見出しの意味は、「三春町に住んでいる組員」じゃなくて、「三春町で起こった拳銃所持事件」ということだったようだ。 まぎらわしいなあ。 さらに記事を読んでいくと、「被告は4月21日午前5時25分ごろ、三春町貝山の磐越自動車道下り線に停車中の乗用車内で、実弾5発が装てんされた自動式拳銃1丁を所持した。」ということだ。 「乗用車内で」「拳銃を」「所持した」って文章が不自然だ。 「所持していた」ならわかる。 この文章だと、「乗用車内で手に入れた」ということのように思えてしまうが、「手に入れた」ことを「所持した」とは言わない。 「磐越自動車道下り線に停車中」というからには、走行車線や路肩にとめていたのだろうか。(磐越自動車道は、まだ片側1車線のところが多く、路肩も狭いので、とめていると目立つし危険。) それとも、パーキングエリアにとめていたのだろうか。 いろいろ気になる記事なのである。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.27
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丹波哲郎さんが亡くなった。 84歳だったという。もうそんな年齢だったのか。 私の記憶に残る、もっとも古い丹波さんは、テレビドラマの「キイハンター」。 その後の、「アイフル大作戦」「バーディ大作戦」も見ていた。 「Gメン'75」は途中まで。 最近では、「水戸黄門」に山野辺兵庫の役で特別出演。 007は二度死ぬなど、海外映画にも出ていて、本人の意識でも「スター」ということになっていたろうし、周囲もそう思っていたわけだが、かっこいいだけの役よりも、コミカルなことをした方が印象に残る人だった。まさに「軽妙洒脱」だったのだ。 社会的地位が高く、本人は大まじめだからこそちょっと笑える、というような役がうまかった。本人が二枚目だからこそできることだった。こういう人はなかなかいない。 スターだったので、大物役も多かった。 1973年の日本沈没の総理大臣で、今回の映画化では、写真のみの出演だったが、すでに体調がよくなかったのだろうか。 今になって思えば、ずいぶんやせていた。 ご冥福をお祈り申し上げます。「天国は素晴らしい…」大霊界へ旅立った丹波哲郎さん、各界からは送る声 丹波哲郎さん死去 霊界へ丹波哲郎さん 84歳大霊界へ里帰り楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.26
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君が代斉唱を義務づけ、歌わないと処分するということについて、違憲判決がでた。 その後、石原都知事が控訴する方針を明らかにしたが、その記事を読んで感じた違和感の原因が、今日になってはっきりした。 都知事は、今の都立高校は「乱れに乱れている」と疑問を呈し「子供たちの規律を取り戻すために、ある種の統一行動は必要。その一つが国歌、国旗に対する敬意だ」と指摘したということだ。 その論理に従えば、日の丸を掲げ、君が代を歌えば、都立高校の乱れは収まることになる。 しかし、数年前から、都立高校での君が代斉唱率、日の丸掲揚率は100%になっているはず。 いくつかの報道でも、その記事だったと思うのだが、そこからのリンクで見た都庁の発表でも、100%である。 つまり、君が代を歌い、日の丸を掲揚することと関連づけると、君が代を歌うからこそ、日の丸を掲揚するからこそ、都立高校は「乱れに乱れている」ということになってしまう。 庄司薫の小説を読んだ記憶では、「歌わないと処分するぞ」などと言っていなかった頃の方が、東大への合格者を出していたらしい。(もりろん、東大に合格すればそれでいい、ということではないが、東大への合格者数は、主要メディアにとっては、唯一絶対の価値判断基準) 石原都知事の論理を推し進めていったら、君が代を歌ったから都立高校がだめになったということになってしまうではないか。 おそらく、都知事は、自分が何を言っていることが論理的かどうか深く考えてはいないのだろう。 自分自身を客観的に見るというのがいかに難しいか、ということである。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.25
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先日ちょっと書いたが、講談社「大衆文学大系8」(1971年11月)所収の松田竹の嶋人「黒駒の勝蔵」を読んだ。 次郎長もので悪役で出てくる男。 こちらを主人公にしたものには、ショーケン主役の「風の中のあいつ」がある。 青春時代劇で、けっこう面白かった。 さて、この「黒駒の勝蔵」だが、かなりの長編で、なんと、この「大衆文学大家」には、途中までしか納められていない。博徒から勤王の志士となって京に上って、さあこれから、というところまで。あれあれ、このあとどうなったんだ。 実地取材もしていて、「紬の文吉」は「津向《つむき》」にすんでいたから「津向の文吉」の訛伝だろう、などと、実証的なことも書いている。その一方で、近藤勇が、新徴組として甲州にいた、と、首をかしげるような場面もある。 勝蔵が主人公で、勤王派ということで、次郎長や、地元の対立する博徒は佐幕派ということになっている。当時の博徒に、そんな意識があったのだろうか。 歴史的には、勝蔵は、赤報隊に入り、新政府軍に使い捨てにされ、処刑されてしまうのだ。 勝蔵が勤王に傾くきっかけを作るのは、武藤藤太という人物である。 甲州の武藤。全日本プロレスの武藤社長の縁者? 漢語に和語を当てる表記もいろいろ。 「白地《あからさま》に」、「清淡《すっきり》」、「焦燥《あせ》る」、「慰撫《なだ》める」はわかるが、「敦圉《いきご》んだ」は、見慣れない用法。辞書を引いてみたが、「敦圉」という語はないようだった。 「嬋妍《あでやか》」「纏頭《はな》」などは、漢語の知識が豊富でないと思い浮かばないよう法では。 音読みで和語を表記した例としては「迂路《うろ》つく」、音読み訓読み混合では「痴乎褒乎《ちやほや》」が目についた。 「言質」には「げんしち」とルビが振ってあった。昔はこう読んだと、何かで読んだ記憶がある。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.24
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復帰時期は未定ながら、佐々木健介が、三冠ベルト奪取に意欲を見せている。 健介は、全日所属ではないものの、ほとんど全日ファミリー。 このまま、鈴木みのるがベルトを持ったままでいるなら、健介に挑戦して貰いたい。 鈴木みのるは嫌いではない。 第2次UWFの東京ドーム大会で、スミス相手に、泣きながら崩れ落ちていった場面は、今でも鮮明に覚えている。 しかし、だ。たとえ自分なりの演出だとしても、三冠ベルトを大事にしないのは許せない。 手に入れもうれしくないなら挑戦するなよ。 健介なら、大事にしてくれるだろう。心から喜ぶだろう。 ベルトは、それを手に入れて心底誇りに思うレスラーが手に入れるべきものなのだ。 もし、全日所属選手で取り戻せず、川田を再び呼ぶこともないのなら、健介のものであるべきだ。 健介、頼むぞ。健介 みのるの3冠王座に狙い健介は眼窩底骨折回復80%も復帰時期未定みのるに挑戦を!復帰へ燃える健介楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.24
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産経新聞社から新しいタブロイド紙が出るそうだ。 若年層を読者として想定したものらしい。 確かに、若者の新聞離れというか、活字離れは嘆かわしい。 自分の頭で考える訓練になるのに。 今のご時世で、あえて活字媒体で勝負というのは興味深いのだが、記事を読んでがっくりした。 「英字紙のような横書きの32ページ」なのだそうだ。 産経新聞社は、「横書きだと、英字新聞みたいでかっこいい!」と考えているらしい。 やれやれ。 そこまでして日本語の伝統を破壊したいか。 フジテレビの「食わず嫌い王」もそうだが、フジ・サンケイグループの、金儲けのためならば日本語などどうなってもいいという姿勢がここにも現れている。 PCや携帯電話が横書き表示だからこそ、縦書きのメディアを広めて伝統を守ろうとは思わないのだろうか。 何かというと、産経新聞が目の敵にしている朝日新聞だって縦書きなのに。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.23
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実際に二度の失踪事件を起こした吾妻ひでおが、失踪していたときのことをマンガにしたもの。 一度目は山へ、二度目は街へ。まさに、すべてが本物の迫力。 ホームレスはこうやってくらしているのか、と感心もするし、あきれもする。 おそらく、吾妻ひでおの行動の根底にあるのはうつ病だろう。 うつに耐えられなくなって失踪し、アルコールに依存するようになったものと思われる。 その結果、アルコール依存症になって入院。 その顛末が、巻末の「アル中病棟」。 もともとは大酒飲みの体質ではなかったらしいが、飲み続けた結果、耐性ができて、大量飲酒への道を進んでしまったようだ。 アルコール依存症になるとここまで飲むのか、とも思うのだが、ここまで飲まないと依存症として入院するまでにはならないのか、と妙に安心もする。 吾妻ひでおといえば、不条理日記だが、絶版のようだ。 大学生の頃、「奇想天外」読者だったので、印象が強く残っている。 さてこの本だが、以前から木にはなっていたが、読む機会がなかった。 ところが、息子に部屋にあるのを発見。古本屋で買ったのだそうだ。 息子に借りて読んだ。 まさか、吾妻ひでおの本を息子に借りる日が来ようとは!楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.23
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8月2日に、さがみ湖ピクニックランドで貰ってきたクワガタが元気でいる。 帰ってきた日に、飼育容器と昆虫マット、エサの昆虫のペイントゼリーを買ってきたのだ。 クワガタムシは冬眠するということだから、このまま飼い続けることになるのかもしれない。 夜行性なので昼は隠れている。 最近は、11時頃に私が帰宅して、エサをやるためにふたを開けると、姿を見せていることが多い。 学習したらしい。 写真の右下が、エサ場の、植木鉢のかけら。黄緑のがカップに入ったゼリーだが、これはおいしくないらしい。昆虫のペイントゼリーばかり食べている。 黒いのは木炭。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.22
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第31作。 前に一度見ているのだが、例によって例のごとく何も覚えていない。 夢は舞台という設定。 タイトルバックに細川たかしが特別出演。 とらやに帰ると、明日は満男の運動会だが、博は仕事で行けない。じゃあ、俺が、ということで、止める周囲をよそに張り切る寅さん。 ここで、翌日は運動会が大混乱で満男が怒るということになるのかと思ったら、そうはならず、寅さんが去る場面はないまま旅の空。 肩すかしでもあり、工夫でもある。 都はるみ演じる京はるみとの出会いや旅や別れ。 再びとらやにもどった寅さんを京はるみが尋ねてきて、みんなの前で歌うところは覚えていたが、カラオケだったのは忘れていた。 リサイタルを見に行く博とさくら。 この場面、博はネクタイをしていたような記憶があったのだが、全然違っていた。 ああ、どうしてこう忘れてしまうのか。 もっとも、忘れてしまうからもう一度見ても面白いのだが。 はるみが歌って歌って歌謡曲映画でもあった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.21
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講談社「大衆文学大系8」(1971年11月)所収の松田竹の嶋人「黒駒の勝蔵」を読んでいる。 清水の次郎長の敵役として描かれることの多い人物を主人公にした長編小説。 大正14年から翌年にかけての作。 作者は、昭和5年、56歳の年に失踪してしまったそうだ。 当て字が興味深い。 「切《せ》めて」 「セツ」という音を当てたものか。腑に落ちたら「腑に落ちない」はあるが、「腑に落ちる」もあるのか。権八居候のこと。白井権八が幡随院長兵衛のやっかいになっていたことによるそうだ。「苞苴貨賄《ほうそかわい》」 苞苴も貨賄もわいろのこと。 「苴」は漢音は「ショ」。「ソ」は呉音。「自烈体」 「じれったい」と読ませている。 当て字だろうが、音読みがはまっているところが面白い。「正可」 「まさか」と読ませている。訓読みと音読みで当てている。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.20
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このところ、小学校での暴力行為を取り上げた記事が目についた。 文部科学省の調査結果を受けてのことのようだ。 保護者の道徳・倫理の問題がもっとも大きいのだろうが、それだけではないようだ。 各紙で取り上げられた事例を見ると、すぐにカッとなる、物や人に当たる、というのは、「性格」というよりは、「体質」ではないかと思われる。 人格障害であったり、発達障害であったりするケースも多いだろう。 問題は、そうであったとしても、保護者が自発的に専門機関へ子供を連れて行かなければ診断も支援も受けないまま放置されてしまう、ということだ。 問題を起こしている子供にとっても不幸なことだ。 では、どうすればいいかというと、学校に、保護者や本人の同意がなくても、専門機関での診断・治療を受けさせることのできる権限を与えるしかないのだが、被害者よりも加害者を守ることを重視するメディアの賛同は得られないだろうなあ。教師を殴る児童…小学校内暴力が最多2018件【主張】子供の倫理観 問題児の陰に問題親あり大学生を小学校派遣 全国初、校内暴力の抑止に[校内暴力]公立小、初めて2000件突破 05年度楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.19
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市川雷蔵が、若き日の清盛を演じる。 原作はもちろん吉川英治。 さあこれから天下をねらうぞ、と野望を抱くところまでで、源氏との確執などは出てこない。 自分の出自を知っての苦悩や、父の死など、悩み多き清盛だった。 描かれている時間は短いのだが、エピソードが多いので、消化不良は否めない。 「新・平家物語」がどのような話かを知ることよりも、セットや衣装によって、当時の風俗を知るという面で一見の価値がある。 とくに、衣服のこなれ具合は、最近のドラマとは全く違う。 ドラマでは、みな、おろしたてでしわ一つないようなものを身につけていたりするが、この映画では、もうずいぶん水をくぐっているのだろうと思えるようなくたびれぐあいのものを着ている。 また、母を演じた木暮実千代の衣装が、胸元が開いていて、胸の谷間が強調されていたので驚いた。 建物も、清盛の屋敷の土塀に崩れているところがあったり、家の中でも、白壁が一部はがれていたりして、生活感たっぷり。 また、画面の中に奥行きがあり、人が大勢集まるとなると、ほんとうに何百人も出てくるのがいい。 僧兵の総決起集会など、衣装をそろえるだけでも大変だったのではなかろうか。 雷蔵は、苦悩する若者、という面ではいいのだが、武士なので、眉を太くして無精らしくしているのが似合わない。 むしろ、頼朝などをやらせたらはまったのではないだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.18
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手羽先の煮物。 初めて食べたのは、横浜の中華街でだったと思う。おいしいと思い、後に、圧力鍋を買ったときに、作ってみた。 材料は、手羽先と日本酒と醤油と水とネギとショウガ。ネギは、青い葉っぱの部分が役に立つ。 最初は、本格中華風にしようと思って八角を入れていたのだが、中華らしいにおいはするものの、特においしくなるわけではないように感じて、入れなくなった。 圧力鍋で作ると、柔らかくはなるのだが、器に盛ろうとしてもすぐに身がとれてしまうようなこともあった。 何人も客が来るときは、鶏肉専門店で2キロぐらい手羽先を買ってきて作ったこともあった。 安くておいしくて、子供にも好評。 ここ数年、庭で七輪で調理するようになり、どうということのない、アウトドア用のアルミ鍋で作ってもおいしいことがわかって、今はもっぱら、そればかり。 柔らかすぎないほうが食べやすい。 炭火で調理するのでひと味違うのかもしれない。 今日は、ゆで卵も入れてみた。新工夫。 醤油は少なめにした方がいい。足りない分は後から足せる。 煮汁が残るが、もったいないと思う場合は、大根やニンジンなどを煮こむと、鳥のだしのきいた煮物ができる。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.17
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プリンタとスキャナの複合機。PCを介さずにコピーもとれる。 もうだいぶ前、店頭で1万円を切った頃に買った。 主に、息子の貰ってきた練習問題のコピーに使っていた。 最近、妻用のPCに使っていたプリンターが壊れたので、これを妻用のメイン・プリンターとして付け替えた。 USB接続なのはいいが、カバーを開けた奥に接続端子があるのが不思議。 便利なのは、各種メディア用のリムーバブル・ドライブとしても使えること。 スマートメディア(3.3V用)、コンパクトフラッシュ(タイプI)、メモリースティック/PRO、SDメモリーカード、xD-Pictureカード /タイプM、マルチメディアカード、メモリースティックDuo /ProDuo、miniSDメモリーカードが使える。 今日、息子の運動会だったので、1GBぎりぎりまでデジカメで動画も撮り、このプリンタを介してPCに転送しようとしたら、やたらと時間がかかるので、途中でキャンセル。 ちょくせつデジカメとPCを付属のUSBケーブルでつないだ方が早かった。 さらに、私のPC内蔵のカードリーダーでSDメモリカードから読み込ませたら、すぐに終わった。 どういうこっちゃ。 楽天市場で探す楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.16
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大筋はよくある次郎長ものなのだが、製作意図は意外なところにある。 冒頭に、「本篇は若くして遊侠無頼の群に投じ、海道一の親分と謳われた次郎長こと山本長五郎が、暴力否定こそ真の任侠の道であると悟るに至る精神転換の一断面を描くものである。」という説明文が出る。 大前田の栄五郎に諭され、富士山麓を開墾したり、寺で座禅を組んだりと、新しい生き方を模索する次郎長なのである。 最後は、石松の敵を討ち、黒駒の勝蔵まで切ってしまって、自分も勝蔵と同じ世界の人間だとしみじみ思い知り、お蝶に、「赦免されたら山岡鉄舟に会いに行く」と言い残して、一同で役所へ赴くところで終わる。 なんだかとってつけたような精神論で味付けされているのだが、戦後の、価値観の転換が影響したものなのではないだろうか。 しかし、見ていると、そんな小難しいことが吹き飛んでしまう。出演者があまりにも豪華なのでそちらに目がいってしまうのだ。 次郎長が片岡千恵蔵、森の石松に錦之助、兄弟分に大川橋蔵、東野英治郎を切って旅に出れば、世話をするのが大友柳太朗で、今度は進藤英太郎が悪いやつ。月形龍之介の黒駒の勝蔵と出入りになるかと思うと、市川右太衛門が大前田の栄五郎になって仲裁にはいる。都鳥は山形勲。 さあどうだ、さあどうだと次々に繰り出してくる。オールスターキャスト。 錦之助や橋蔵は、キラキラ輝いちゃってるよ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.15
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「元プロレスラーの嵐被告に有罪判決下る」という記事が気になった。 「元」とあるが、まだ引退は表明していない。 記事の中でも、リング復帰を望んでいる。 全日本プロレスは永久追放を表明しており、復帰は難しい。 年齢の面でも、これから他団体でトップを目指すことは困難。 しかし、あれだけのレスラーをプロレス界から消してしまうのは惜しい。 薬物使用は、犯罪である。 罪は償わなくてはならない。 そして、償うことによって、社会復帰ができるからこそ、司法というものが存在しているわけだ。 一度でも罪を犯せば永久追放というのでは、社会は消えてしまう。 スピード違反や軽犯罪法違反など、ついつい法の枠を超えてしまった経験を持つ人は多いはず。 芸能人では、薬物で逮捕されていながら、復帰している人が何人もいる。 嵐も、更正して生きる姿を多くの人に見せることで、一度道を踏み外してしまった人の励みになるのではないだろうか。 罪を償えば、社会は受け入れるということを知らしめることによって、再犯を防ぐこともできるのではないだろうか。 むしろ、嵐を薬物乱用防止ポスターに起用し、薬物の恐ろしさを知ってもらうぐらいのことをしてもいいのではないだろうか。 私がひいきにしている全日本プロレスが受け入れないとしても、それは会社が決めることなので、批判するには当たらない。 薬物仕様の後にくる社会の厳しさを見せる、という効果はある。 しかし、厳しさばかり見せていたのでは、立ち直りの妨げになるのではないか、と思うのだ。 「社会が受け入れてくれるから、道を踏み外してもいいや」と思わせてはならないが、「一度踏み外したら、あとは落ちていくしかない」というのでも救いはない。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.15
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昨日まで再放送されていたのを全話見た。 校長が替わったら、新年度に来るはずだった人が来なくなったり、細かいところでは変。 制作上の都合なのだろうが、小学校の教員が極端に少ないのも不自然。教頭はいないのか? それでも、その中でコミカルなエピソードも入れて、というあたりは苦心のあとが見られる。 重い話ばかりでは見ている方も、気持ちが重くなる。 細部ではいろいろ引っかかっていたのだが、全体としては非常によくできていた。 最後は、希望を持たせておいてストンと落とし、「これからどうなるのだろう」という不安の残る終わり方。これもうまい。 不思議だったのは、公式サイトによると、最終回は15分拡大ということだったのだが、再放送では、ほかの回と同じ放送時間に収まっていたこと。編集し直したのか、もともと15分おまけをつけただけだったのか。 特筆すべきは、自閉症児を演じた斎藤隆成という子役の演技。 演出がいいからなのだろうが、動きや表情が自然で違和感がない。彼には毎回感心した。 子役といえば、「日本沈没」や「実写版ちびまる子ちゃん」に出ていた福田麻由子が出ていた。 2年前はさすがに幼い。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.14
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「別かれる切れるは……」というせりふで有名だが、どういう話なのかよく知らなかった。 映画はかなり展開が忙しいので、原作のダイジェストのようになってしまっているようだ。 スリの一味だった少年が、帝大教授に拾われ、そこのお嬢さんと家族同様に育ち、自分も学者として身を立てようとした矢先……。 次々にいろんなことが起こる。 芸者と真実愛し合いながらも、育ての親の忠告を聞き入れないわけにはいかない。 しかし、そこから、自分を陥れた者への復讐が始まる。ハードボイルドなのである。 出入りのいなせな魚屋が船越英二で若い。 お嬢さんの三条魔子は今で言えば辻とか加護とかあたり。 お蔦の万里昌代は長山洋子というか、若いところで前田愛というようなイメージ。 こういう映画は、おそらく、ほとんどの人があらすじを知っているという前提で作られているのかもしれない。 原作はまだ本で出ているようだ。
2006.09.14
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もっとも印象に残ったところを先に書く。 寅さんの恋の話ではない。 ヒロインである田中裕子の家庭環境について。 父親は大会社の重役らしく、その縁故で一流デパートに就職したと思われる。 そこまではいい。 ヒロインの家の場面で弟が出てくるのだが、これが、ぼさぼさ頭にひげ面で、どうやら、勉強もしていなければ仕事もしていないらしい。 勉強しない大学生のようでもあり、今で言うニートとも思われる。 なぜこのような弟を設定したのか。 伝統的な人情劇なら、「姉さんを頼みます」とかなんとか泣かせることをいいそうなものだが、そういうことを強く拒絶している。 この弟の存在は謎である。 旅先で偶然であった男女(沢田研二・田中裕子)を結びつけるべく、あれこれとお節介。もちろん、娘をいとおしくは思っているのだが、兄のような気持ちらしい。 冒頭の夢が異色で、SKDをバックに沢田研二が歌い踊る。渥美清の出番が少ない。 第30作ということで、ゲストも豪華にしたのか、朝丘雪路が幼なじみで1シーン。 九州の温泉宿の主人が内田朝雄、呼ばれてくる坊さんが殿山泰司と、脇役も豪華。 時代を感じさせるのが「二枚目」という言葉。今なら「イケメン」というところだ。 娘が、沢田研二の告白を、寅さんを通して「二枚目過ぎる」と断ると、それを聞いた沢田研二が、「男は結局顔ですか」と気色ばみ、寅さんが「そうなんじゃないの」とさらっと言ってしまうところが笑えるのである。 驚いたのが、二人が観覧車でキスをするところ。 このシリーズでここまで露骨にキスシーンが出てきたのは初めてではなかろうか。 こうやって見ると、ちっともマンネリじゃないところに感心する。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.13
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先日、庭を悠々と散歩していた。 子供が、驚かそうとしても、いっこうに驚く気配がない。 我が物顔である。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.12
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前回、手羽先の燻製が、ゴム状で失敗だったので、前に作ったことのある手羽元と、新たに、ちくわ、タコに挑戦。 ゆで卵は、殻にひびを入れたのと、全部むいたのと2種類。 その結果がこの写真。 結論から言えば、一番美味だったのは、タコ。 薄切りにすると、まさに珍味。 熱がよくないのか、手羽元も、皮が硬め。 ちくわはかちかち。 卵は、全部向いたのは、表面がゴム状に。 難しいものだ。 次は魚の干物で挑戦だ。(懲りてない)楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.11
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電車の中で見かけた中吊り広告。 なぜか、エアコンに吸い込まれそうになっている。 これでは中吊り広告としての機能を果たさないではないか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.10
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DVD 義理を重んじ、零落したかつての旦那の面倒を見ようとする姉・梅村蓉子。 男は利用するものだと割り切っている妹・山田五十鈴。 祇園の芸妓姉妹のそれぞれの生き方を描く。 姉の生き方の方が、伝統的であり、美的であるはずなのだが、それで幸福になれるわけではない。 妹も、途中まではうまくいくのだが、痛い目を見ることになる。 男に尽くそうとしても利用しようとしても、主体的に生きることができないだ。 妹が、ベッドで、世の不公平さを訴えるところであっけなく終わってしまうのに驚いた。 後日談がない分、印象は鮮烈である。 非常に社会的な映画なのだ。 山田五十鈴はいきなりシュミーズ姿で出てくる。若い。1917年生まれなので、このときまだ二十歳前。 勝ち気で大胆な雰囲気にぴったり。 1956年に野村浩将監督でリメイクされている。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.10
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作家・平岩弓枝さん、恩師・長谷川伸の人情を語るという記事の中で、長谷川伸のことが語られていた。 代表作として、「一本刀土俵入り」、「沓掛時次郎」、「瞼の母」などが挙げられていた。 私は、これらの作品を読みたくてずいぶん探し、目にするまでずいぶん時間がかかった。 時代劇ファンなら知っている作品名なのに、本が出ていないのである。 かろうじて、「沓掛時次郎」は新・ちくま文学の森(3)で読むことができる。 映画は、錦之助版と雷蔵版がある。 「瞼の母」は、ちくま文庫があるが品切れ。DVDは、錦之助版が出ている。 任侠ものや股旅ものの原型を生み出したのは長谷川伸である。 音楽で言えば、スタンダードのような、誰もが一度はふれるものであっていいと思うのだが、このままではどんどん消えていってしまう。 なんとからなないものか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.09
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ライブドアの「SUPER GT × SUPER EUROBEAT」という記事に、こんな文章があった。「SUPER GTイメージガールは」「グラビアやバラエティで活躍するタレントをこれまでに排出しており、アイドルの登竜門的な存在となっている。」 なんと、「排出」してきたのか。「お前なんかいらないから出て行け」と。 「輩出」だったら、次々に生み出したという意味になったのにねえ。 (なお、「輩出」は自動詞なので、「~を輩出した」ではなく「~が輩出した」とすべきなのだそうだ)楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.08
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前巻からあまり時間はたっていない。 「あとがき」にもこれは前巻の「その二といったところである」と書いてある。 漱石の力によって世に出た文人が多いことが印象に残る。けっこう世俗の人なのである。 また、演劇の話も多い。 気になった言葉。「両会場は日本初の索道車(エスカレイタ)でつないであった。(p110) ふつう、「索道」はロープウェイのこと。エスカレーターなら自動階段だが。「街が中影になりましたら」(p119) 手元の辞書には「中影」がない。日ざしが衰えたら、という意味だろうか。 手紙などで「候」のところは草書体を活字にしているが、211ページの漱石の手紙では、草書体と楷書の「候」が混在している。「譎詐」(p219) 「けっさ」と読む。「元旦の夜」(p224) 「元日の夜」の誤植か?「為我的な」(p239) 「為我」も手元の辞書にはない。自己中心的ということか。 各章の出だしを列記する。ルビは省略。第一章「漱石夏目金之助は」第二章「安倍能成は」第三章「山宮允は」第四章「犀星室生照道は」第五章「抱月島村滝太郎は」第六章「蘆花徳冨健次郎は」第七章「藤村島崎春樹が」第八章「鴎外森林太郎は」第九章「漱石夏目金之助は」第十章「孤蝶馬場勝弥は」第十一章「藤森成吉は」第十二章「らいてう(雷鳥)平塚明子は」楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.07
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第29作。 今までの形をくずしている。 冒頭の夢は、昔話そのままで、登場人物も、博一家と寅さんのみ。 一度柴又に帰ることもなく、葉書をよこしただけで京都へ。 マドンナであるいしだあゆみと出会うが、はっきりと恋心を抱くわけではない。 互いに気になる程度。いしだあゆみの方は、寅さんから下駄をもらったことで好感度アップ。 そのいしだあゆみが婚約者に裏切られて京を去り、その後を追って丹後へ。 一夜をともにしそうになっても、その勇気がなく、恋心を抱いたまま柴又へ。 ここで初めて帰郷する。今回の帰郷はこの一度きり。 寝込んだ寅さんが、満男に「お前もいつか恋をするんだろうな。かわいそうに」としみじみというところが、満男の将来を暗示しているようで印象深い。 上京したマドンナとの鎌倉デート。 京と鎌倉という東西の二大古都が舞台なのだ。 いしだあゆみは、体が細いのでか弱く清楚に見える。 特筆すべきは片岡仁左衛門。(もちろん、今の仁左衛門の父親の方) 出演者に名前があった時には、ちょっとだけ顔を見せるのかと思ったら、重要な役で出番が多い。 力の抜けた演技をする人だった。 歌舞伎の舞台を見たことがあるが、だいぶ印象が違う。 スポンサーになったのか、とらやの人たちがインスタントコーヒーを飲むのが妙だった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.07
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深夜に放送されたドキュメンタリー。 ラバウルの日本軍を指揮した今村均陸軍大将の事績を追う。 意外なことに、ラバウルでは地上戦がなかった。なぜならば、日本軍の備えが万全で、連合国側は、自軍の損失が大きくなることをおそれて上陸しなかったのだ。 では、どのような備えだったか、というと、縦横に地下通路を掘らせ、敵に備えたばかりではない。 密林を開墾し、農作物を作らせて、食料の自給をはかっていたのだ。 深謀遠慮というばかりでなく、部下を死なせないことを第一にしていたということがわかる。 意味のない玉砕よりも、防衛戦を維持することの方が、軍略面でも有効だ。 その今井大将はすでに故人なので、本人の言葉を聞くことはできない。 かつてその部下だった人たちの証言によるところが大きい。 思い出の中で美化されたところは多いだろうが、それを割り引いても立派な人だ。 戦後は、自分の責任と向き合って過ごした。 命令に従っただけなのに処刑された人もいれば、命令した立場なのに平然と暮らし、政治の世界に首をつっこんだ人までいる。 戦前だったから立派な人が育ったわけではなく、たまたま立派な人がその場にいた、ということなのだろう。 責任者としての自分を裁けと要求し、戦勝国の、憂さ晴らしのような戦犯裁判に抵抗する。 理不尽な戦勝国のやり口に、明治維新で、「賊軍」のレッテルを貼った相手に対する明治政府の姿が重なる。 すぐれたドキュメンタリーだと思う。残念なことは、深夜の放送だということだ。 こういう番組こそ、ゴールデンタイムに放送すべきだ。それが無理でも、休日の昼間に放送すれば見る人もいるだろう。 それができないところが、正義や真実よりもお金儲け優先のフジ・サンケイグループの限界なのだろう。 公式サイト楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.06
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今日の産経新聞「産経抄」に、「木工の行政改革を記録した『日暮硯(ひぐらしすずり)』」という箇所があった。 「木工」というのは、信州松代藩の恩田木工のこと。 『日暮硯』は、その恩田木工の藩政改革の記録として広まったものなのだが、実体は、誰かが作った説話である。 たとえば、平凡社『世界大百科事典』には、「虚構部分が少なくない」とあり、岩波文庫の解説では、「『日暮硯』の叙述は松代藩宝暦改革の実際に照らした場合、必ずしもその現実の通りではないことが、これまでの研究によって明らかにされている。」と述べた上で、「何よりも、木工の改革によって財政の再建が見事になされたというのも事実に反している」と言い切っている。 したがって、「木工の財政改革を記録した『日暮硯』」ではなく、「木工に仮託して作られた『日暮硯』」と書いた方が読者の誤解を招かない。 こんなことは、『日暮硯』を読んだことがあれば、解説などで知ることができそうなものだが、「産経抄」の筆者は、直接『日暮硯』を読まず、何かの本の受け売りでこの文章を書いたのではなかろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.05
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今日の産経新聞は、産経抄と主張で国語の話題。 まずは産経抄から。 自分の親をさして、他人に「お父さん」「お母さん」というのはおかしいということから始まっている。それには同感。 こういう言い方を何から学ぶのかというと、もっとも影響があるのはテレビである。 もっとテレビに厳しい目を向けても良さそうなものだが、なぜか「産経抄」はそうしない。 「全然」を「ことごとくという意味で夏目漱石も使っていたというから」というのは、驚いた。新聞なら、きちんと確認してから書くべきだろう。 こんなことは、すぐに調べられる。たとえば、「青空文庫」のトップページから「夏目漱石 全然」で検索すれば、すぐに用例が見つかる。 次に主張。 小学校での古典暗唱をすすめよというもの。 主張の内容にはおおむね同意できる。意味などわからなくても暗記することに意義がある。 「日常生活では必要ない」などとごねるのが出てくるだろうが、教養というのは、日常生活に役立つものではない。そういうものから距離があるから価値があるのだ。 日本には、ちょうどいい教材がある。 百人一首だ。これを覚えさせればいい。 一つ一つが短いし、数が百と限定されているので、いくつ覚えた、という達成感もある。 この主張で気になったのは、現行のある教科書には、「古典のさわりの1行もない。」というところ。 この主張を書いた人は、「さわり」と出だしのところ、という意味だと思っていないだろうか。 産経新聞は国語力向上に熱心だが、その産経新聞自身はどうか、というと、国語力に問題のありそうな人が多いように見受けられる。 そう思わせるものの一つが、「イザ」の「コラむ」という項目。 「コラム」と書くのが一般的だし、「こらむ」なら、外来語をあえてひらがな表記したのだろうとわかる。 しかし「コラむ」だ。意味がわからない。「コラむ」という動詞があるとでも思っているのだろうか。もし、動詞だというのなら「コラまない」「コラみます」という活用形もあるはずだが、そんなもの見たことがない。 以前から、産経新聞には校正を担当する部署がないらしいと感じていたが、今日の「産経抄」で、さらにその印象が深まった。「鳥肌が立つ」を感動するという意味で使う人が増えてきたことも気になる。小紙の記事でも見かけることがある。」というのである。 校正係がいて、記事として表に出る前にチェックしているのなら、そこに問い合わせて、産経新聞では「鳥肌が立つ」を「感動する」という使うことを容認しているかどうか確認すればいい。それをしていない。 また、「小紙の記事でもみかけることがある」と、まるっきり人ごとのように書いている。 どうやら、産経新聞では、統一した基準など設けず、それぞれの記者が好き勝手に自分の基準で書くことになっているらしい。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.04
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鈴木みのる相手では太陽ケアもやりにくかろう。苦戦は避けられないと思っていたが、まさか、鈴木が三冠王者になってしまうとは。 鈴木は、頭のいい、たぐいまれなセンスの持ち主で、見ていて感心するのだが、三冠王者にはふさわしくない。 品位が必要である。(横綱論みたいだけど) 誰かが奪い取らねばならないのだが。すぐまた川田というわけにはいかないだろう。 武藤社長? 小島がチャンピオン・カーニバルの汚名返上? 休養中の健介はどうだろう。復帰戦でいきなり三冠挑戦。因縁のある相手だし。みのる戴冠即ベルト破壊 この記事の中の、「故ジャイアント馬場さんの“遺産”だけにすがる連中」というのは、素時期の言葉なのか、記者の印象なのか判然としないが、確かにそういう面はあろう。 しかし、一面、「伝統」を重んじている、ということでもあるのだよ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.04
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中国河南省の遺跡でパンダの骨の化石が発見され、北京原人がパンダ狩りをしていた可能性が高まったそうだ。 北京原人の骨は約50万年前から約20万年前までのもとというから、そのころには、今と気候がずいぶん違っていて生息していたのかもしれない。 しかし、おそらく3000年ぐらい前には、すでに中心地にはいなかったろうし、ほとんどの漢民族はその存在を知らなかったはずだ。 なぜそう思うのかというと、パンダを表す漢字がないから。 犬、牛、馬、鳥、というように、それぞれ、その存在が知られていたものには、それを表す漢字がある。 ところが、パンダにはない。 現代漢語では「熊猫」だ。 もし、漢字を作り始めてからもパンダが身近なところにいたら、パンダを示す字を作っていたはずだ。 それがないということは、その存在を知らなかったということ。 漢和辞典で調べても、「サンマ」を表す漢字が見つからない。 文化が内陸部で発達したので、知識人はサンマを知らなかったらしい。あるいは中国ではとれないのか。 こんなことを書くと、「じゃあ、龍という漢字があるからには、龍がいたのか」などと言う人がでてきそうだが、いたのだ。 どこに? みんなの頭の中に。 実在しなくとも、概念として存在すれば、それを表す漢字を作ることは可能なのである。 「じゃあ、麒麟や鳳凰はどうなんだ、二字じゃないか」と思った人は辞書を引いてみよう。 さて、記事に話を戻すと、記事は、産経新聞の「イザ」というサイトで公開されている。 面白いことに、ここでは、記事にトラックバックすることができる。 ブログの運営と一体になっているらしい。 トラックバックしている人は、産経新聞の愛読者が多いようだ。 この記事のトラックバックに目を通してみたが、パンダを食べることを野蛮だと決めつけて、少しでも中国人をおとしめようとするものが多くてあきれた。 何を食べるか、何を食べないかは文化の差異でしかない。パンダを食べることに野蛮も開化もないと思うのだが、そうは考えない人もたくさんいるようだ。 パンダを食べることを野蛮だという人は、「生魚を食べるのは未開人だ」「鯨を食べるのは野蛮だ」と言われても反論せず、「その通りです、日本人は未開人です、野蛮人です」と言うのだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.03
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小泉総理が、次期総理を「気心が知れている」と評した記事で、興味深い表現があった。・時事通信社「支持する姿勢をにじませた」・毎日新聞「安倍氏支持を強くにじませた」・朝日新聞「安倍氏への支持をにじませたものだ」・産経新聞「安倍氏支持をにじませた」 ここまでは仲良く「にじませた」だが、・読売新聞「安倍官房長官を支持する意向を強く示唆した」となっている。 「示唆」とは、それとなくわからせることなので、「強く示唆した」というのは不思議な表現だ。 一方、「にじませた」は、「明確にはしないがなんとなくぼんやり形を見せた」ということなのだろうが、本人の意思で表に出すものを「にじむ」というのだろうか。 「苦悩の色をにじませた」という表現はあるが、これだって、苦悩の色を見せようとして見せているのではなく、隠そうとしても出てきてしまうのだ、という雰囲気を感じさせる。 「支持する気持ちを見せた」ではだめなのだろうか。 あくまでも、自分から見せたのではなく、結果的に見せることになっちゃったんだよ、という表現にしなくてはならない、という取り決めがあるのだろうか。 また、そろって「にじませた」と表現しているのが不思議だ。 読売以外は、みんなで談合したのかな。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.02
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上田秋成の「雨月物語」の中の「蛇性の婬」と「浅茅が宿」を一つにまとめた話。 二組の夫婦が出てきて、それぞれ、夢を追ったり、死霊にとりつかれたり。 最後は、もとの村での平穏な生活になるのだが、元の話の一つが「浅茅が宿」なので、二組とも元気でいる、というわけではない。 意外にも、怨念や恐怖というものは少ない。金儲けや立身出世よりも、家族との平穏な暮らしが幸福なのだ、高望みせずに前向きに生きていこう、という雰囲気がある。 戦後の日本の反映なのだろうか。 田中絹代と森雅之が夫婦。 もう一組は、小沢栄一と水戸光子。京マチ子が怪しくも美しい。 ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品なのだそうだが、幻想的な画面の力だけでなく、女優の力によるところが大きいのではなかろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.01
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