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高島礼子主演でドラマ化されたのを見た記憶がある。二夜連続で、黎明編と完結編になっていた。 かなり長い話なので、一本の映画にするにはかなりはしょらなくてはならない。 おまけに、テレビ放送のためにカットしてあるようで、前半はかなりめまぐるしい。 テレビ版では最後に明かされた、エレナを陥れたのは誰か、ということが、途中で明かされている。こういうことをする女なのだ、ということがわかり、強い情念の持ち主であることが伝わる。 撮影は実際に中国でも行われたようだ。 画面が広大である。 常盤貴子は、驚くほど顔立ちが整っている。ただ、テレビで「流転の王妃・最後の皇弟」を見たときはさほど違和感を感じなかったのだが、この映画では、どうしても若すぎる。 原作は上下二巻の長いもの。読んだことはない。 ただ、なかにし礼という人に関しては、思い出がある。 20年近く前、時々、都立大学駅の近くの店に飲みに行っていた。 そこで何度か、温厚そうな中年男性と同席し、話をしたりしていた。 後に、「タモリの音楽は世界だ」という番組でなかにし礼を見たら、その人にそっくりだった。 同一人物だったのかどうかは今でも定かでない。ただ「なかにし礼」をいう名を目にする度に、思い出す。赤い月(2003) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.30
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角川文庫。1952.1.15初版。2002.5.20改訂83版 前半に原文(とはいっても、もちろん、段落わけや漢字にするなど、手が加えてあり、読みやすくなっている)と注釈があり、後半が現代語訳。 もちろんわたしは現代語訳だけ読み、気になったところだけ原文やその注を見る、という読み方で読んだ。 橋本治の訳で読んで以来で、全体を(現代語訳とはいいながら)全部読んだのは初めてかもしれない。 内容は多岐にわたり、何かに対する見解だったり、ただの覚え書きだったり。 現代なら「ブログ」にしそうなものなのだ。 「凡例」によると、 現代語訳は、本文に即かず離れず、しかし、現代語として通る場合はなるべく逐語訳に従うこととして、正確を期した。 ということだ。 最初に訳したのが1951年で、1957年に、「大幅に改訂し」ている。 その改訂時の「現代語」が読めるという点でも興味深い。 268ページから269ページにかけて(第1116段から119段)あたりは、思い切って遊びもいれている。 「必ず才能の浅い人がすることなんだそうな」はとくに変わったところのない訳しかただと思うが、「その他のものは、嫌なもんだ」や「上流社会にまではいりこむことでござんす」などは、斬新な訳だったのではないだろうか。 訳で、裏は塵《ちり》が積もり虫の巣で鼻もちならない恰好《かっこう》なのをよく掃き拭《ぬぐ》って(p345)の「鼻もちならない」で連想するのは「自慢する」ということだけだったのだが、それでは意味が通らない。 げんぶんでは「いぶせげなる」。 辞書を引いたら、「鼻もち」は「くさいのを我慢すること」で、従って、「鼻もちならない」は、「そのにおいに我慢できない」ということだった。 人の態度が我慢ならないというのは、派生的な意味だったのだ。 索引がついているのは便利。 語の上に「○」がついているのとついていないのがあって、その違いは何だろうと思ったら、「凡例」に、索引中、○をつけたのは、いわゆる古文での常識語である。とのこと。 「試験に出る古文単語」としても使えるように作ってあるのであった。 なお、「徒然草」のさわりだけ知りたいという人には、橋本治の訳の「絵本徒然草(上)」「絵本徒然草(下)」がおすすめ。 「徒然草」成立についての見解も説得力がある。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.29
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平凡社「柳田国男 南方熊楠 往復書簡集」を読んでいて、目についた言葉。 本を読むときに、引っかかるところがあると、そこにレシートを挟んでおくようにしている。 あとで、それを目印に、気になった事柄を調べるためなのだが、時間がたつと、なにが気になったのか分からなくなってしまうことが多い。 今回もそうなってしまった。 とりあえず、あとで何が気になったのか分かったところだけ。P6 素餐飽坐 「飽坐」は手元の辞書には見えなかったが、ろくに仕事もせずに暖衣飽食することをいうようだ。P288 明治四十五年の六月あたりから「猴舞し」という語がが出てくる。 「回し」ではなくて「舞わし」だったのだ。回転させるわけではなく「舞わせる」ということだったのだ。この方が自然だ。どうして今まで気づかなかったのだろう。P318 「売淫女(日本のむかしで申さば白人《はくじん》ごときもの)」の「白人」は、江戸時代に私娼をさした言葉だそうだ。 (現在絶版。1994年に平凡社ライブラリーとして、「柳田国男・南方熊楠往復書簡集(上)」「柳田国男・南方熊楠往復書簡集(下)」が出たがこれも絶版) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.28
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いきなり李鴻章と西太后が広東語で話し始めるので驚くが、映画の観客の対象は広東語圏なので、当然のことらしい。 おそらく、このシリーズのジェット・リーの広東語は、すべて、吹き替えではないかと思う。 中国語の原題は「獅王争覇」で、中国の獅子舞のチャンピオン決定戦がからむ話で、北京が舞台。 故宮はほんもの。 主人公の父親が初めて登場するが、北京で暮らしているらしい。 このシリーズで感心するのは、撮影場所が広いことと、群衆がほんとうに群衆になっていること、そして、弁髪が本当の弁髪になっていることだ。 ちょっとお下げをつけてみただけ、というのとはレベルが違う。 獅子舞の大群も、ほんとうに大群になっている。 スタッフに「袁和平」の名が見える。懐かしい。ジャッキー・チェンの「蛇拳」などの監督だ。 以前、テレビで、「ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ 烈火風雲」というのを見たことがあって、同じ主人公で同じ主役なのにだいぶ趣が違うな、と思っていたのだが、それは、同一シリーズものではなかったのだ。 こうして三作見てみてると、「ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ 烈火風雲」が、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」のパロディになっていることがわかる。 裏でいろいろあったらしい。 画面は凝っていて色も美しいのだが、ワイヤー・アクションはあまりなじめない。 やはり、肉体だけで演じて欲しいのだが、もはや、それでは観客が満足しないのだろう。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.27
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シリーズ第2作。 孫文が登場して、清末の政治状況などが関わるのだが、不思議なことに、前作に比べると、特定の場所の特定の時期の話という気がしない。むしろ普遍的なテーマを描いた映画だ。 それぞれ、信じるものが、宗教であったり、革命であったり、現体制であったりする。その中で、自分が正しいと思う道を歩むしかない。 主人公の黄飛鴻は、現在の観点から過去を評価するようなことはしない。 もちろん、孫文の味方をするわけだが、それは、政治的に孫文の主張を正しいと思ったからではなく、孫文に助けられたことがあり、その人間性を評価して、いわば義侠心で行動するだけだ。 むやみに外国のものを排斥するわけではなく、中国人は中国人として自分たちの文化を大切にし、外国のものでも取り入れられるものは取り入れていこうという姿勢が打ち出されている。 主人公がハリで麻酔をかけ、西洋医学で手術する場面がその象徴である。 互いに相手の技術に目を見張っている。 孫文は、その中間に存在するわけだ。 主題歌は、北京語版(クレジットでは「國語」)はジャッキー・チェン、広東語版は林子祥が歌っている。ワンス・アポン・ア・タイム 天地大乱(1992) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.26
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もとは韓国の実話で、日本に舞台を置き換えてのドラマ化。 なんと言っても驚いたのは、二宮和也の自閉症ぶりである。 わたしは何人か自閉症の人と関わりを持ったことがある。 自閉症の人は百人いれば百通りの症状を持つというのだが、何となく共通点がある。その最大公約数的な症状を見せていて、際立ってリアルだった。 二宮という人は、あまり個性が表に出てこない地味な人だと思っていたのだが、その分、どんな役でもやれるのだろう。 また、実際に自閉症の人たちと交わって、体で感じるものがあったらしい。 同じ事務所の松岡昌宏が共演していたが、こちらは、「俺は松岡昌宏だ」という雰囲気を常に醸し出している。もちろん、それが彼に要求されているからだ。なお、(公式サイトによると、彼も自閉症者を演じたことがあるそうだ) 松岡は、屈折を秘めた役がすごくうまい。 ドラマとしては正味一時間三十分ほどで物足りない。 父親は父親なりに苦しんでいるはずだし、弟の苦悩ももっともっと深いはずだが、そこまでは描き切れていなかった。 あと三十分ぐらい欲しいところだった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.25
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香港映画にはまっていた頃、監督のツイ・ハークは俳優として何度も見ている。 プロデューサーや監督としても活躍していることを知ったのは、後からだ。 昔はこまめに見に行ったものだ。「蜀山奇傳・天空の剣」は東京ファンタスティック映画祭で見た。 思えば、あれが本格的なワイヤーアクションを初めて見た映画だった。 ジャッキー・チェンの、肉体だけを使った映画とは全く違って、何でもありの世界だった。 この「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」もそうだ。 武術の面では特に見るべきところはない。 主人公はすでに達人になっているので、訓練の場面はない。 武術よりも、外国に蹂躙される中国人の怒りや悲しみが描かれている。 形を変えた「ドラゴン怒りの鉄拳」だ。 言うまでもないが、主人公の黄飛鴻は実在の人物で、ジャッキー・チェンの「酔拳」の主人公も黄飛鴻。 重要な脇役で、懐かしのユン・ピョウが出ている。 植民地としての香港は、ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」でも少し描かれていたが、まだ余裕があった。 しかし、香港の中国返還を間近に控えた状況の中では、民族意識や「国家」というものへの思いが錯綜していて、それが反映されているように思える。 大陸出身の李連杰が主役で、香港出身のユン・ピョウが脇役というのが象徴的に思えるのだが、うがちすぎか。 また、硬気功では銃弾に勝てないというのは、清末の中国人の経験の象徴だ。 主題歌を歌っているのはなんと林子祥だった。あえて古い曲調(昔からある曲なのかもしれない。古い香港映画で何度も聞いたような曲だ)を採用している。 林子祥も懐かしい。わたしは、香港で買った彼のテープを持っている。 「投奔怒海(邦題は「望郷」)」という映画では、日本人カメラマンを演じていた。 アクション映画なのに、楽しむことよりも考えることの方が多い映画だった。 そうそう、最初のゴールデン・ハーベスト社の、ロゴも懐かしかった。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明(1991) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.24
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昨日は息子の小学校の運動会。 とても九月下旬とは思えない暑さで、わたしは、日陰にテーブルと椅子をセットして、することもないので、ペットボトルのお茶をがぶ飲み。 ところが。 「息子の出番はずっと後だ」と思ってぼんやりしていると、何の前触れもなく(当たり前だ)「仮面の忍者 赤影」の主題歌の「忍者マーチ」が流れたりするので油断がならない。 一体誰の選曲なのか、BGMが新旧取り混ぜてあって、「次は何だろう」と思わせるのだ。 こうなってくると一人イントロクイズ状態。 最近の曲は分からないが、古い曲で、イントロで曲名が分からないと悔しい。 アニメだと、「大ちゃん音頭」(天童よしみが歌ってるんだよ)や「科学忍者隊ガッチャマン」(オリジナルではないように聞こえたが、どうだったんだろう)はすぐ分かる。 「巨人の星」なんか、曲以前の「カキーン」で分かった。 自分でも感心したのは、「西部警察」。「チャラララ チャラララ チャラララ チャララララ」というところまでいかず、最初の「ジャーン」でわかったもんね(誰に自慢してるんだ?)。 恐るべし、わが記憶力。 しかし、この記憶力が最近のことになるとまったく働かないので困るのである。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.23
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じゃこめてい出版。1983.2.12初版。1983.7.27第5刷 著者の「クニエダヤスエ」という人のことは全く知らない。 今回初めて知って、クニエダヤスエで調べたら、いろんな本を出しているのだ。 いずれも、「いかにステキに暮らすか」ということが書いてあるらしい。 この本のその一つで、一日をどのように過ごすと「ステキ」かということがかいてある。 基本は欧米風だが、「ご飯と味噌汁」「朝ぞうすい」「揚げ出し豆腐」「甘口の味噌汁」という項目もある。 しかし、「欧米ではこうよ」というところが圧倒的で、「おパーティには何を着て迎えますか」などと言われると、「欧米か!」とつっこみたくなるのだが、この本が書かれた頃は、これに書かれているようなことがまだまだあこがれの対象だったのだろう。 でも、いくら20年以上前でも「ベッドのある部屋を寝室といいます」(p74)というのは、読者をあなどりすぎでは。 それにしても、「ベッドメーキング〈春・秋〉」なんて言われてもなあ。 現実には、万年床が寝台に乗っているだけの家庭が圧倒的に多いんじゃないのかなあ。 日常生活で役立つヒント集でありながら、生活臭さを感じさせない生き方のコツの伝授という本である。 P46「温っかいスープ」は「あったかいスープ」の誤植か。 表記で面白かったのは、「三ヶ日のお屠蘇《とそ》」(p136)。 お正月の「さんがにち」の話。しかし「三ヶ日」と書かれると、わたしには「みっかび」としか読めない。この表記が悪いというのではない。ただ、なじめないだけなのだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.22
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2003年に鹿児島県の志布志で実際に起こった、警察によるでっちあげ事件のドキュメンタリードラマ。 被害にあった実在の人を実名で演じている。 警察の違法な取り調べの実体や、どんな無理をしてでも犯罪者に仕立て上げようとする姿勢が描かれている。 ただし、なぜ、そんなことをしたのか、というところは分からない。 県議への立候補をもちかけた当の町長が、対立候補の応援をしたことがどのように関係しているのかは謎のまま。 ドラマの中では、署長と、陣頭指揮をした刑事は実名で登場する。 ドラマの後、田原総一朗が「懲戒免職にしろ」などと例によって感情的に怒鳴っていたが、感情で対応していたのではかえって真実が見えなくなることもあるだろう。 もと東京地検の人という河上という人は冷静ではあったが、不愉快そうな顔で見ていた。 まあ、検察の間抜けさも加わってあり得ない事件があったことにされてしまっているのだから、もと地検としては不愉快だろう。ただし、言っていることはかなりまともで、わずか数人の票のために百万もの金が動くわけはないというのは説得力があった。 しかし、鹿児島の検察には、その程度の常識を持つ人もいなかった、ということだ。 こういうことがあると、警察への不信感は増す。 わたし自身も、北千住警察で、ノルマ達成のために利用されて始末書を書かされたことがあり、大変不愉快だった。 これほどおおがかりではなくても、小さなでっち上げなら、日常的に、日本中で起こって井のだろう。 それでも、ほとんどの警察官は善意で正義のために働いていると思う。 問題はあっても、警察なしでは世の中は維持できない。 ただし、警察に限ったことではないが、「長」のつく身分になりたがる者や、なってしまった者は、自分の利益・保身のためならどんなことでもする傾向がある。そのために、組織全体の信用が失われることになるのだ。 「内部から声を上げればいい」などと寝言を言うのは、組織の中で働いたことが無い人だ。 上司というのは、どんなに理不尽であって、権力を持っているので押さえつけることができるのである。 世に訴えたところで、マス・メディアにとって都合のいいことでなければ取り上げられない。 また、自分の下にいる者が、自分の上司から嫌がらせをされることが予想されれば、声は上げられない。 日本テレビは、この番組によって警察の悪事を糾弾し、世に訴えようとしているわけだが、日本テレビだって、でっちあげ事件の警察発表を鵜呑みにして報道し、でっちあげに荷担したことがあるだろうし、これからも荷担するだろう。 この事件に関わった警部補(すでに退職)が、特別公務員暴行陵虐罪で在宅起訴されることになるそうだ。(記事)。 いわゆるとかげのシッポ切りである。 おそらく、警察は、これで被害者の感情の「ガス抜き」をして、裏から手を回して再就職先を用意するのだろう。 公式サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.21
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平凡社。1976.3.26初版。1976.5.20初版第2刷。 日本民俗学の生みの親と育ての親の往復書簡集。 明治33年3月から、大正15年の絶信までにやりとりされた膨大な書簡の一部。 頻繁に、やりとりしており、こんにちの電子メール感覚である。 特に南方のは長い。また、手紙を出して、それに対する返事がないうちにまた手紙を出したりするので、やりとりに食い違いが生じたりしている。 最初のうちは、同じ道に志す者として近しい感情があり、徐々に離反していったのかと思っていたが、南方は終始一貫して、学問上のことに関しては非常に厳しい。 たとえば、この本の3分の一ぐらいのところの、明治44年9月13日付けの手紙)p85)で、すでに、小生、貴下の土俗学研究方法の大体について言辞のみを大本として、故事、古俗を談ずるの不可を述ぶるはずなり。と、かなり厳しいことを書いている。 それに対して、柳田は、「だいたいこんな感じ」という漠然としたイメージで民俗学をとらえていたように見えて、熊楠の厳しい意見にとまどううちに、「こんなのとはつきあっていられない」と思うようになったのではないだろうか。 わたし自身は、いつも、「こんなのでいいんじゃない」という曖昧な考えしか持たないので、柳田の気持ちがいくらかわかる。 なお、柳田にも不注意なところがあり、明治44年10月14日付の手紙(P150)で、南方に対して、「無鳥郷里にのみ住まれ候」と書いたのは、鶏群の一鶴とでもいうような、南方がだけが飛び抜けた才の持ち主だとほめているつもりなのだが、受け取った南方は「鳥なき里の蝙蝠」と言われたように感じている。 柳田も後で気づいて、同年10月27日付けの手紙(p193)で、「貴下を蝙蝠に例えしがごとき嫌いあり」と謝っている。 二人の交流がたたれることになるのは、自然の流れではあったのだろうが、南方が、いつまでも柳田に悪感情を持ち続けたのは残念だ。 (現在絶版。1994年に平凡社ライブラリーとして、「柳田国男・南方熊楠往復書簡集(上)」「柳田国男・南方熊楠往復書簡集(下)」が出たがこれも絶版) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.20
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レイシという名で売られていたゴーヤの苗を買って植えてみた。 あまり長くならない品種らしく、短いものがとれる。 このゴーヤというのは、とにかくツルが繁茂するので、なかなか実が見つけられない。 見落としたものはすぐに黄色くなる。 そしてさらに熟して写真のように口を開ける。 赤いのが種。 怪獣の口のようだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.19
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6月に放送されたものを録画したまま忘れていた。 連休を利用して、やっと見た。 なぜ今テレサ・テンなのかは分からない。 木村佳乃が熱演しているが、テレサ・テンはもっとふっくらしていて下ぶくれだった。 それがかえって大人の雰囲気を出していて、演歌路線にあっていたのかもしれない。 「空港」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」など、よく覚えている。 カラオケで歌えと言われれば歌える。 ドラマには「私の家は山の向こう」という原作があって、それをもとにドラマ化している。 台湾や香港だけでなく、パリでのロケまでしている。 見ていて驚くのは、政治に翻弄された人生だった、ということだ。 台湾出身であるため、出入国には不便な思いをしていたことだろう。 「台湾には自由がない」という言葉は、戒厳令が解かれた今では実感はわかないが、当時の彼女にとっては、偽りのない気持ちだったのだろう。 大陸でのコンサートを望んでいたが、1989年の天安門事件など、一連の政治問題で、夢は叶わない。 アグネス・チャンは1985年に北京でコンサートを開いていたが、香港出身者だから実現したのだろう。 テレサ・テンの場合、父親が国民党の軍人だったことも災いしたのだろう。 「中国人」ではあるが、「中華人民共和国」の人間ではない。台湾に生まれ育ったが、両親の故郷は台湾ではない。 民族意識が強く、一族の出身地を重んじる中国人としては、「ふるさと」というものに複雑な気持ちを抱いていたのだ。 「外省人」「内省人」ということばがちょっとだけ出てくる。 もともと台湾に住んでいた人と、中国共産党に追われて台湾に移ってきた人の間には、意識の差があるという話だ。ついつい、「内省《ないせい》」という語に引きずられて「がいせいじん」「ないせいじん」と読んでしまうが、「がいしょうじん」「ないしょうじん」だ。 地域を指す「省」は「しょう」だ。 出演者はほとんど日本人で、家族の会話でも何でも日本語で行われる。 これはわかりやすくていい。 日本のドラマなのだからこれでいいのだ。 見ていて感じるのは、「時の流れ」だ。 彼女が亡くなってもう10年以上がたつ。 天安門事件だってもう18年も前のことだ。 今の高校生が生まれる前のことなのだ。 このドラマを見て、「ああ、あの頃はそうだった」と思うのは中年以上の世代だけだろう。 公式サイトでは、彼女の歌声をちょっとだけ聞くことができる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.18
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原作は、山本周五郎の「砦山の十七日」という短編。読んだ記憶がある。 わたしが初めて買った山本周五郎の本が「松風の門」で、それに収録されていた。 藩政改革というのは、山本周五郎の好きなテーマで、手を変え品を変え、いろいろ書いている。そのうちの一つ。 映画は大きく改変してあって、主人公は、若い侍たちではなく、武士を捨てて渡世人になった男(仲代達矢)と、武士になりたがっている男(高橋悦史)の二人になっている。 白黒映画なので、古く見えるが、撮り方には新しいセンスが感じられる。 岡本喜八独特の世界がある。 仲代達也のひょうひょうとした演技を見ると、この人はもともとこういうのが好きだったのではないか、という気になる。 出演者は、スターというよりは、将来の開花を予感させる若手が多い。 中村敦夫、岸田森、地井武男などが若い姿を見せている。 それにしても、1968年で白黒映画というのは、あえて白黒にした、ということなのだろうか。 中村敦夫が「木枯らし紋次郎」でスターになるのは、わずか4年後である。 DVDが出ている。 - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.17
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「しりくらえまごいち」と読む。「しりくらえ」は、今で言うならレイザーラモンHGの「バッチコイ!」である。 中村錦之助主演の大映映画があることを初めて知った。 わたしが初めて雑賀孫市を知ったのは、NHKの大河ドラマ「国盗り物語」でだ。 林隆三が演じていた。「天下御免」が好きだったので、この登場人物も気に入った。 雑賀孫市のところだけが面白くて、原作「国盗り物語」の、登場していそうなところだけ買ったのだが、出てこない。 後で、「尻啖え孫市」という別の小説から取り込んだものだと知ったが、その時はもう読む気が失せていた。 共演者は、藤吉郎が中村賀津雄で、当然、孫市と顔が似ているのだが、すでに雰囲気はだいぶ違う。 信長が勝新太郎なのはやや違和感あり。 丸顔の信長、というのがすんなり受け入れられないのだ。 ヒロインは美しいのだが、これが誰だか分からない。 あとで出演者を見直してあっとびっくり。栗原小巻だった。 ひゃあ、まだおさないくらいである。 合戦の場面も多く、友情物語でもあり、恋愛もあり、盛りだくさんだが、錦之介が明るく演じていて、見ていて気持ちがいい。 本郷功二郎は僧侶で、カツラではなく、本当に剃っているように見える。 頭の形が良くて、よく似合っている。尻啖え孫市(1969) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.16
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出演者を見ただけで超大作であることが分かる。 三船敏郎、中村錦之介、佐久間良子、大空真弓、石原裕次郎……と大物が続く。 勝頼は、今の勘三郎だそうだ。 錦之介と三船の組み合わせが、好対照でいい。 東映時代劇でさんざん若様を演じてきた錦之介の信玄は、育ちの良さを感じさせる。 一方、三船の山本勘助は、野に伏し山に棲んできた野性的な過去を感じさせる。 緒形拳はこのころはまだ少し下の扱いのようだが、彼の、軽さ、明るさが三船の重さを引き立たせる。 野外ロケが多く、画面が広々としている。 川中島へ向かう軍勢を、空中から撮影していて、その列が延々と続いているのが映し出される。 膨大な時間と制作費を投入した映画である。 と、大作だ、ということは分かるのだが、はたして、興行面では、成功したのだろうか。 そもそも、この「風林火山」というのは、山本勘助の、姫への思慕というのが根底にあって、勇壮でありながら女々しい不思議な話なのだ。 往年のスターの元気な姿が見られるので、わたしは楽しく見たが、今の若い人を引きつけられるかどうかは疑問だ。 しかし、こういう映画を作ろうとするその意気込みは高く評価できる。 映画の黄金時代よもう一度、という願いと熱意がこもっている。風林火山(1969) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.15
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なるほどこりゃあ、斬新だ。 わたしが初めて見た鈴木清順監督の映画は「ツィゴイネルワイゼン」である。 評判で、なおかつわけがわからない映画だというので見に行った。 小さなドーム型映画館だった。モンゴルのゲルよりもっと小さかったのではないか。 その後、「陽炎座」と「けんかえれじい」を、たしか下高井戸で二本立てで見た。 正直なところ、「陽炎座」は、松田優作と原田芳雄が出ているということ以外、なんだがよく分からなかったのだが、「けんかえれじい」は傑作だった。 見終わった後、自分の顔色が変わっているのが分かった。 ピアノにいたずらしている場面で、空想と現実が一つの画面に現れるところ、桜の花びらが舞い散るところ、いずれも、白黒なのに鮮やかだった。アクション映画としても非常に良くできている。 というところで、今回見た「東京流れ者」。 白黒なのかと思ったらカラーになる。 しかも、黄色でも赤でも青でも、とにかく鮮やかな色遣いが画面にあふれている。 基本はにっかつの無国籍アクションなのだが、任侠映画であり、それでいて前衛的なのだ。 歌舞伎のような様式美の世界でもある。 最後の決戦の場面など、ほとんどSFである。 無機質な空間に、混じりけのない色の衣装をまとった登場人物がそろい、話が進んでいく。 なるほど、これじゃあ、斬新すぎる。 わかりにくいのはいいとして、一番困ったのは、主役の渡哲也が、爆笑問題の太田にそっくりなことである。(もちろん、太田が渡哲也に似ているのだが) 唇のあたりが似すぎている。 こんなことがあっていいのか。東京流れ者(1966) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.14
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井上ひさしの原作は読んだことがある。 もともとは、舞台用のもので、父と娘の会話だけで話が進んでいくもの。 映画でも、台詞があるのは、宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信の三人だけで、浅野忠信はほとんど出番がない。 映画で見ると、かなり早い段階で、父親の正体は分かる。 丁寧な作品であることはよく分かるが、原作と同じで、「情」よりも「理」がまさりすぎていて、大上段に構えられていて、身構えながら見なくてはいけないような気になってしまう。 実際に被爆した人たちの心情は、もっと屈折しているだろう。 かといって、現実をそのまま描いたのでは文芸作品とはなりにくい。例えば、「はだしのゲン」だって、現実の一面をわかりやすく取り出して見せているだけだろう。 遠い宮城出身の作者だからこそ客観的に書けたのかもしれない。 かつてはアイドルだった宮沢りえはすっかり女優だ。 そして、原田芳雄。こんなに枯れた役者になるとは、想像もできなかった。 いわゆる「テツ」で「タモリ倶楽部」の鉄道企画に嬉々として参加しているのを見ると、ちょっと違和感を覚えるのだが、そんなのはこっちの都合であって、本人にしてみれば、自分は何も変わっていない、と思っているのだろう。父と暮せば(2004) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.13
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2007年9月9日、10日放送。 芹沢鴨暗殺の現場にいたという芸妓・糸里を主人公にして、女の側から新選組を描くということらしいが、新選組のことが説明不足で、何が何だか分からない人が多いのではないだろうか。 わたしも、暗殺の場面での、別室での永倉たちの行動の意味がわからない。 芹沢もそんに悪いわけではない、というのはそれはそれでいいのだが、すべてが、土方の「自分は百姓だが、芹沢は代々武士だ」という劣等感に根ざしているような描き方で、上戸彩にも「お百姓だから女が怖いんだ」と言わせていて、土方が、自分が武士になるためだけに周囲を巻き込んで芹沢を切ったという小さな話になってしまっている。 武士階級というのは、さほど排他的ではなく、武士以外の介休から武士になった人は多いはずだが。 また、芸妓が、あんなに勝手気ままに一人で出歩けるのかも疑問。 面白かったのは、主人公が、ずっと「会津」を「かいづ」と言っていたこと。 実際、「会津」の読みを知らない京の人は多かったらしい。 最後の最後にはちゃんと「あいづ」と言っていた。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.12
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2007年7月15日。第1刷。書名だけ見ると、「これを読めばあなたにも筆跡鑑定ができる」という内容かと思ってしまうが、筆跡鑑定について触れている部分は少ない。 それよりも、なぜ筆跡鑑定が可能なのか、ということを説明することに意を注いでいる。 そのために、漢字や仮名の歴史、それがどのようにして現在の形になってきたかも説明している。 明朝体というのは、正方形に合わせて作られた字形で、本来の字形と異なることがある。 その例として「天」や「喜」が上げられている。 「天」は上が短いのが本来の形と知っていたが、「喜」は第3画の方が第1画よりも長いのが本来の形らしい。 また、かなも、明治になって標準的な字形が決められたとき、何でも簡明ならばいいというのではなく、正方形に納まる字形、つまり活字化するにあたって極力《きょくりょく》都合のいい字で揃えられた。(p147)のだそうだ。 字は、身体のどこで書くのか。それは脳である。 脳の働きが指先に影響を与えて字を書くのである。 したがって、遺伝もある。 著者も、生まれながらにして字がうまい人とまずい人、字のうまい家計や兄弟姉妹のあることを誰もが認めている。(p19)と述べている。 実際には「誰もが認めている」のではなく、特に、字のうまい人は、「丁寧に書けばきれいな字が書けるはずだ」などと暴言を吐くことが多い。 また、字を書くことが脳の訓練にもなるわけで、「筆跡医療士の確立」(p27)を求めている。 わたしは生来の悪筆で、「きれいに書きなさい」「丁寧に書きなさい」という言葉にずいぶん苦しめられてきた。 気持ちの問題ではなく、脳の問題だと気づくまでにずいぶん長い時間がかかった。 それだけに、著者の主張には理解できる点が多い。 また、筆順によって画と画の接点が異なり、それが鑑定に役立つことなど、話が具体的である。 書道の先生らしく、何を使って書くか、どのように書くか、という面から考えている。 それに対して、警察内部で鑑定している人たちは、経験と勘に頼っているように見える。 印鑑よりもサインの方が、証明には役立つ、ということが冒頭に述べられている。 まさにその通りなのだ。よほど珍しい姓でなければ、100円ショップで印鑑が買えるのに、今でも印鑑重視なのは不思議だ。かといって、花押を書けと言われても困るわけだが。 サインというと思い出すのは、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」だ。 他人のサインを練習し、ついには同一のサインが書けるまでになる。 これなど、印鑑社会では必要のない努力だ。 最後の第6章「筆跡をコンピュータで鑑定する」は、別の大学院生が書いている。 Q&Aの形式になっていて、これが面白い。 コンピューターを使って筆跡を鑑定する具体的な方法について説明しているのだが、おそらく、実際にこんなことを質問されているのだろうと思わせる。 その一部。 「デジタルって、何ですか?」「カラーモードとは何ですか?」「ソフトのインストールとは、何のことですか?」 用語の注釈もあって、「クリック」という語も説明している。 気になったところ。 中国の卒業証書の写真を提示し「中国では大学は普通高等学校の位置づけ」(p4)と説明している。これだと、中国の大学は日本の高校に相当するように思われかねない。 日本の中学校に相当するのは「初級中学」、高等学校は「高等中学」で、大学がその上の「高等」学校ということだ。 また、中国でペプシ・コーラを「百事可楽」と書くことについて「百倍ここちよい」という意味だと述べている。(p140) 「百事」は「百倍」ではなく、「なんでも」ではないだろうか。 誤植発見。 「科捜研の筆跡鑑定に疑問を持たざるをうない」(p108)の「うない」は「えない」の誤植だろう。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.11
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先週のNHK「陽炎の辻」にお兼の訳で出演した女優、顔は見覚えがあるのだが、名前が思い出せない。 誰だったかなあ、と意識の半分はそちらへ行ったまま見て、最後の出演者でびっくり。 吉野紗香だったのだ。実年齢よりもずっと年上の役だったのだ。原田夏希とは二つしか違わない。 昔は、生意気なアイドルというキャラクターだったが、今ではすっかり女優だ。 そして、出演者の中に、もう一人。「キモサベポン太」。 おお、「キモサベ社中」ではないか。 「お笑いスター誕生」に出ていた。「ジェットストリーム」や水野晴郎を覚えている。 今週のみと黄門には森脇健児が登場。 久しぶりに見た。 この人を知ったのは、「夢がモリモリ」という番組だった。 森口博子と進行役を務め、SMAPがレギュラーだった。 わたしはこの番組で初めて、SMAPが6人組であることを知った。(「夢がモリモリ」時代はまだ6人だった) メンバーの区別ができるようになったのは、「SMAP×SMAP」が始まってからだが、彼らが広く認知されるようになったのは、「夢がモリモリ」からだと思う。 木村拓哉も、「SMAP×SMAP」で、「夢がモリモリ」が自分たちの原点だというようなことを言っていた。 時の流れをしみじみと感じるのであった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.10
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日本テレビ、10月9日放送。 今更新鮮な話はないだろうと思っていたのだが、そうではなかった。 「神田川」の存在が大きすぎて解散に至った、ということは何度か聞いているが、少し詳しい話が聞けた。 「神田川」が東宝で映画化された後、「あかちょうちん」「妹」と続けて映画化されているが、かぐや姫の了承があってのことだと思っていたのだが、そうではなかった。 東宝で映画化されたあと、まだ、次の曲ができていないにもかかわらず、「次の2曲はにっかつで映画化されることが決まった」と一方的に告げられたそうだ。 まだ存在していない曲が、自分たちの知らないところでビジネスの材料となっていることに納得できなかったようだ。 調べてみたら、「かぐや姫」として出したシングルは少ない。 わずか8枚だ。 「雪」も「あの人の手紙」もアルバムだけの曲と走っていたが、「僕の胸でおやすみ」「けれど生きている」もシングルにはなっていなかった。 なお、この8枚というのは、第2期かぐや姫のこと。 第1期かぐや姫のことも、わたしは覚えている。 「全日本歌謡選抜」という、五木ひろしや湯原昌幸の再デビューのきっかけになった番組に出ていた。 かぐや姫は途中で出なくなったが、南こうせつは、その理由を、著書で、「番組の裏側が分かったため」というように説明していた。 「よいどれかぐや姫」はこのときのものであり、「あわれジャクソン」も今でもおぼろげながら覚えている。 さて、今までにも書いたし、これからも書くことになるだろう、「四畳半フォーク」という語について。 南こうせつ自身は「神田川」を「四畳半フォーク」とは言っていない。 当然だ。 この言葉は、ユーミンがよしだたくろうの歌を評して「僕は四畳半に住んでこんな生活をしています」と歌っているようなものだ、と言ったのを、評論家の富澤一誠が聞いて、「四畳半フォーク」と言い出したのである。 フリー・ランサーというグループが、「わたしたちの夢」という歌で、「マンションに住み 四畳半フォークを歌うことです」と歌って、拓郎が怒ったという話を読んだ記憶がある。明らかに拓郎を揶揄している。ほかにはガロも俎上も餌食にされていた。 「神田川」は「四畳半フォーク」ではない。歌詞も「三畳一間の小さな下宿」だ。 なお、この歌のもとになったのは、南こうせつの体験ではなく、詞を書いた喜多条忠の体験である。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.10
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テレビ東京で、8日夕方放送されたのを録画してみた。 だいぶ前の興行のはずと思って調べたら、6月17日だった。 ハッスルはどうもよく分からないのだが、川田の試合の放送があるかと期待していた。 残念ながらそれはなくて、プロレスラーではない人たちが中心の試合が多かった。 クロマティは、ちといただけなかった。クロマティだということ以外に価値がなくなってしまっている。 レイザーラモンの二人は良かった。 HGは学生プロレス出身だし、雑誌で、自分がリングに上がることについて、謙虚に語っていたのを読んでいたので、好感を持っていた。 相手は天龍。往年に比べれば、肉体の衰えは隠せないが、それでも天龍源一郎である。 天龍のチョップを受けるとなると命がけだ。 胸のみみず腫れはほんものだ。 RGも、自分のみっともなさをしっかり見せていた。 調べたら、RGも学生プロレス出身だそうだ。 二人には、プロレスへの敬意が感じられる。 体を鍛えている者と鍛えていない者とでは、価値が違うということをわかりやすく見せている。 ギミック満載で、あらかじめ決められた筋書きに従って試合が行われているわけだが、それでも観客を納得させるだけの技量が求められる。 芸がなければできないことだ。 会場まで見に行こうとは思わないが、テレビ放送は見るかもしれない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.09
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市川海老蔵主演の戦争映画。 人間魚雷・回天の乗組員の物語。原作はどんなものか知らない。 放送されたのはだいぶ前だが、せっかくだから見てみた。 出撃して終わるのだと思っていたらそうではなかったので驚いた。 こんな最期を迎えることになろうとは。 こういうものにありがちな、現代で始まって現代で終わるという作り方ではなく、戦争中の緊迫した場面から始まる。この方がいい。 しかし、最後は現代になっていたのが残念。 途中から視点が一人に絞られ、一人称になる。 最後に、遺品を投げたのはなぜだろう。わたしなら、墓の中まで持って行く。 回天の操縦法は興味深かった。 ほとんど職人芸だ。もっと簡略化できなかったのか、いや、リモコン操縦にできなかったのか、という疑問がわく。 おそらく、開発者にとっては、「人間一人が必ず死ぬ」ということが重要だったのではないだろうか。命を捨てて敵を倒すということに価値を見いだしていたのだろう。 ヒロインの上野樹里は、それが上野樹里であるとずっと気づかなかった。ほかのドラマとは雰囲気が違っていた。 両親が、三浦友和と古手川祐子というのは、時の流れを感じさせる。出口のない海 - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.09
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久しぶりに市民農園へ。 トマトや、もうほとんど終わりのキュウリは半壊程度。 遅くまいたトウモロコシは全壊。 ナスも倒れていたが、起こせば元に戻りそう。 わたしの住んでいる地域では雨による被害はなかったが、風は強かった。 今日、部屋の窓を開けて風を入れようとしたら、いやにはっきり外が見える。 変だな、と思ったら、網戸の網がない。 一部はがれかけていたので、そこからあおられて吹き飛ばされてしまったのだ。 ゴムは残っていて、網だけが消えていた。 どこへ行ったのだろう。 もう10年もつきあった網戸の網よ、おまえは一人で旅立ってしまったんだね。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.08
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全日本プロレスのブルート一生が引退するそうだ。 練習生時代から、ひときわ体が大きく、期待していた。 デビュー戦も見に行った。相手は諏訪間。 ガチガチになっていて、本人としても不本意な試合だったろう。 あれからたった1年半しかたっていないことに驚いた。 ずいぶん時間がたったような気がする。 プロレス界も、わたし自身にもいろいろなことがあった1年半だった。 まだ25歳と若いので、第2、第3の人生を楽しんで欲しい。 元気でいてね。ブルート一生、1年半で引退!右肩故障で勧告 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.08
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前作と合わせて一つの話で、ちょっと楽しみにしていた。 ところが、Vol.2になったら、パワーダウン。 めちゃくちゃなところが少ない。 もちろん、全体としては荒唐無稽で、「ありえねー」の連続なのだが、前作の、日本での大暴れのようなめちゃくちゃさが無い。小さくまとまってしまった。 ビルが横笛を吹いているところで、「燃えよ! カンフー」みたいだなあ、懐かしい音色だなあ、と思っていたら、なんと、ビルは、デイビッド・キャラダインで、「燃えよ! カンフー」のケインなのであった。だからこそ横笛を吹くのであるし、中国武術を身につけているのだ。 ほかにも、いかにも昔の香港映画らしいパイ・メイによる特訓など、監督が好きだったものへの思い入れ満開なのだが、突き抜けた感じが不足している。 思い入れが、前作では外側へ向かって爆発していたのに、これでは内側に向かっている。 最後に、Vol.1にしか登場しない出演者もクレジットに出てきて、二つ合わせて一つだということが明示されている。キル・ビルvol.2(2004) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.07
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昨日取り上げた、中学校校で、ダンスと武道を必修化することについて。 今日の新聞の社説では、朝日新聞と産経新聞が取り上げていた。 朝日新聞の社説は、武道とダンスの両方に目を向けており、さらに、かえって体育嫌いを増やす可能性があることも指摘している。 ずっと体育が嫌いだったわたしには、言っていることがよく分かる。 ただし、スポーツは楽しい。家に閉じこもってゲームをするより、体を動かすことの方がずっと気持ちがいいんだ。 というのはいただけない。 体を動かすことより、家に閉じこもってゲームをすることの方が気持ちいいと感じる子どもだって多いはずだ。最初から、体を動かすことが気持ちいいと決めつけることには賛成できない。 一方、産経新聞の主張はというと、最初の方で、 現行指導要領では器械運動、陸上、水泳、球技などが必修で、武道については1年生がダンスとのいずれか1つを選択、2、3年生がダンス、球技とのいずれか2つを選択することになっている。と述べているものの、あとは武道のことばかり。ダンスのことはすっかり忘れてしまっているのか、意図的に無視しているのかわからないが、触れていない。 また、書いてあることもよくわからない。 どうも、この主張の筆者は、自分が何を書いているのか理解できていないらしく、 武道は礼に始まり礼をもって終わるといわれる。近年はスポーツとしての勝敗にこだわる傾向も見られないではないが、武道本来が持つ精神修養面の重視の姿勢はいまだ衰微していない。公徳心が低下し、公共マナーの乱れが目に付く今日にあって、武道の必修化はまさに「健全なる精神は健全なる身体に宿る」次代を担う青少年の育成に貢献するだろう。などと書いている。 この段落だけでも疑問点が次々にわいてくる。・「武道は礼に始まり礼をもって終わるといわれる。」というが、一体どこの誰によって「いわれ」ているのか。・「近年はスポーツとしての勝敗にこだわる傾向も見られないではない」というが、そもそも勝敗に対するこだわりがなければ武道は生まれない。・「武道本来が持つ精神修養面」などというのは、太平の世になって実利実用の面での需要が無くなってから言われたことで、「武士道」だって、元禄になってから広まった概念であることを知らないらしい。・「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というのは、オリンピックのような西洋スポーツの考え方だし、さらに、そもそもがこの言葉は誤訳で、「健全な精神を健全な身体宿そう」というのが本来の意味である。 身体が健全でありながら、精神が健全ではない者が多いからこそ生まれた言葉である。 産経新聞の主張が正しいとしたら、持病や障害を持つ者は「健全な精神」を宿すことができなくなってしまう。 そもそも、なぜ武道でなくてはならないのか、という点に、全く説得力がない。 野球やサッカーでは「精神修養」はできない、「礼節」は身につかない、というのであれば、そういった競技を排除することも主張すべきだ。 なお、昨日も述べたように、わたしは、武道を取り入れることに反対ではない。 ただし、柔道のような新しいものはやめてもらいたい。 まだまだ日本各地に、その土地に伝わる古武道が、細々と、命脈を保っているだろう。 そういうものを取り入れてもらいたい。 それでこそ郷土愛の育成にもつながる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.06
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中央教育審議会は、中学校の保健体育の授業で、武道とダンスを男女とも必修とする案をまとめたそうだ。 「武道」と言っても範囲が広い。これについては、朝日新聞の記事が詳しく、 武道は現在、柔道、剣道、相撲が指導要領に例示されているほか、なぎなた、空手、弓道、少林寺拳法、合気道などが実際に教えられている。とのことだ。 産経新聞には、礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙い。「ともある。読売新聞では、武道には礼儀作法を身につけさせる狙いもある。ということだ。 武道でなくては、「礼儀や公正な態度」に触れることができないということらしい。 野球やバスケットボールでは「礼儀や公正な態度」に触れることができないらしい。 武道が専門の体育教師はほとんどいないのだから、ほとんどの体育教師は「礼儀や校正態度」をわきまえていないということなのだろう。 私は、武道を学ばせることに反対ではない。 ただ、何を学ぶか、ということについては要望がある。 柔道や合気道や少林寺拳法のような、新しいものではなく、もっと伝統的なものに触れさせて欲しい。 私は若い頃、柔術を少し習ったことがある。 その技の多彩さ、合理性に驚嘆した。 多くの流派があるのだが、それらが埋もれているのはあまりにも惜しい。 日本の伝統文化であったはずなのに、今や、「グレーシー柔術」として逆輸入されたのが脚光浴びている始末。 少なくとも、柔道よりも古いものを学ばせよう。 組み手は苦手という生徒もいるだろうが、柳生心眼流なら一人でも練習できるぞ。関連記事[中央教育審議会]「武道」必修化を大筋了承 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.05
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朝日新聞の夕刊1面の「ニッポン人脈記」は、先週から、「ゴングは鳴った」と題して、プロレス関係の人物を取り上げている。 先週は、特に驚くようなことは書いてなかったのだが、今週に入り、昨日の「空手チョップ 人生の闘魂」は興味深かった。 かつての名レフェリー・ジョー樋口は、力道山のもとでプロレスラーだったのだ。 大木金太郎のデビュー戦の相手も勤めたという。 力道山と大木金太郎の関係について、「樋口は、同胞として大木に目をかける力道山を知っていた。」のだという。 ジョー樋口がレフェリーを引退した後に出した本を買って読んだ記憶があるのだが、大木金太郎とのことが書いてあったかどうかも思い出せない。 我が家の本棚のどこかにあるのではないかと思うのだが見つからない。 ジョー樋口といえば、どんなレスラーよりも大きな声援を受けるレフェリーであり、ハンセンだったかウィリアムスだったかは、「全日本プロレスで一番受け身がうまいのはジョー樋口だ」と評していたという。 まさに日本一のレフェリーだった。(今は、和田京平が日本一) スリー・カウントも、一秒の長さとカウントとの誤差が非常に少なかったという。 昔から三沢を高く評価しており、今はノアで役職について元気でいるらしい。 元気でいてくれるのは嬉しいことだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.04
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旺文社文庫。1970.7.1。 昔、旺文社文庫の名作100冊セットのような「特装版」というのがあって、それが我が家にあった。 その中の一冊。 定価210円と書いてある。 最近は聞かないが、今でも、子どもが読むべき定番の一つなのだろうか。 アニメ化されたのは記憶しているが、あまりにも、現代とはかけ離れた世界で、今の子どもには理解できないかもしれない。 「あしながおじさん」は「Daddy-longlegs」という「あしながぐも」そっくりだというところから、主人公が勝手につけた呼び名。その「あしながぐも」のイラスト(著者による)をみて初めて知ったが、これは「ザトウムシ」らしい。へええ、そうだったのか。 遠い昔に読んだ記憶はすっかり消えていて、ほとんど覚えていなかった。 今回読み直して、14歳年下の17歳の少女を見そめて、ということなのかと思ったが、そんなわけはなく、ちゃんと対面して話したことがあれば、主人公は正体にとっくに気づいていたはずだ。 ただ、成績優秀だが、捨て子だったために孤児院にいて、進学ができない少女がいることを知って援助した相手が、あまりにも自分と気が合うので、ということなのだ。 これが書かれたのは1912年。 当時の社会に疑問を抱いた人たちは社会主義に希望を見いだしていたらしい。 社会主義国になったからといって、貧富の差がなくなるわけではないことは、今の世界を見れば分かるが、心ある人なら不条理に思うほど格差があったのだろう。 そして、今でも格差は残っているのだろう。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.03
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何度目かは言わないが、今日は誕生日。 昨日から泊まりがけの出張で、帰宅は遅く、家に着いたときには、家人は寝ていた。 同じ誕生日の有名人は、三善英史(知ってる?)、早見優、TOKIOの国分太一ぐらいしかいないと思っていたが、検索したら、こんなサイトがあって、けっこういろいろな人がいた。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.02
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携帯電話でとったのでややわかりにくいが、クモである。 東武線の中で発見。 天井から網棚にかけて巣を張ろうとしていた。 はたして、電車の中で生きながらえることができたのだろうか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.09.01
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