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光文社文庫。2002.5.20初版。2004.2.10第8刷。 この作者の本を初めて読んだ。 全体的に映像的で、ハリウッドのアクション映画を見ているようだ。 主人公は、出生に人と異なるところがあり、とにかく強く、無限の体力を持ち、そして女に好かれるという、主人公の見本。 山場の連続で、昔の新聞小説のようだが、文庫のための書き下ろしだそうだ。 偶然知り合った人に助けられたり、燃える酒や火薬がたまたま手に入ったりと、行き当たりばったりのようではあるが、先が読めないというおもしろさはある。 しかし、外国船が、修理代代わりに火薬をおいていくだろうか。工芸品か何か無難なものを置いていくのではないか。また、受け取る方も、使いようのないものを受け取るだろうか。 305ページに、李白の「把酒問月」の冒頭の四句の書き下し文があり、次の通りになっている。晴天月有ッテ来幾時ゾ我今盃ヲ停メテ一タビ之ヲ問フ人明月ヲ攀ヅルハ得可カラ不月行却テ人興相随フ 「有ッテ」や「可カラ不」という書き方は珍しい。 「興」は「與」の誤植か。「老人はどこか腹を据えたような顔をした」(p274)の「腹を据えたような顔」とはどのような顔だろう。(12月22日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.31
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岩波書店。1962.6.16第1刷。1973.10.30第9刷。 「算数のできる子は空想力がないに違いない」という教師の思いこみによって、南洋についての作文を書かなくてはならなくなったコンラート少年が、リンゲルフート叔父さんと、偶然知り合った馬とともに、ドラえもんのタイムマシンのような装置で、南洋への半日旅行。 その途中で、なまけものの国、偉大な過去の白、さかさの世界、電気の年、赤道を通って南洋にたどり着く。 全体としては荒唐無稽で楽しいものにしたかったのだろうが、まとまりにかける。 最後の作文は、活字ではなく手書きで、誤字もある小学生の作文として訳せればよかった。 巻末に「詩集から」として詩が収録されている。 そのうち「子どもと親」の3作はいかにもケストナーという感じがする。 中でも「最初の絶望」と「マッチ売りの少年」は実話だという。 そもそも、ケストナーの記憶の最初に「絶望」があったのかもしれない。だからこそ、「希望」に目を向けるのだろう。 こういうものを読むと、翻訳は難しい、とつくづく感じる。 訳されてから40年がたち、今では使わない言葉、ほかの言い方の方がわかりやすい言葉が目につく。 「球軸受《たまじくう》け」(p46)は「ベアリング」 「露台《ろだい》」(p53)は「バルコニー」 「心おぼえ」(p111)は「メモ」 「小アジア」(p65)は最近は聞かない語だ。 「あみあげぐつ」(p107)は、子どもの頃から、ヨーロッパの小説に出てくるのを読んで、どんなものか不思議に思っていたもの。 今では、どういうものかわかるが、何かもっと違う呼び方がないのだろうか。(12月21日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.30
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JAYWALK:中村耕一、ナイフ所持の理由言えなくて…逮捕JAYWALKボーカルを書類送検 乗用車内にアーミーナイフという記事を見て、「ああ、この人も引っかけられたな」と思った。 7月に、「警察で始末書を書いた話」というのを書いた。 警察この人も、わたしと同じように、点数稼ぎに利用されたわけだ。 記事によると、この人は、刃渡り8・5センチのナイフを持っていたということだが、わたしが持っていたのは、刃渡り5・5センチのおもちゃのようなものだ。 本物のテロリストなら、素直に荷物を見せるようなことはしないだろう。 「正当な理由なく所持していた」というが、「1年ぐらい前にキャンプに行き、置いたままだった」というのがなぜ、「正当な理由」ではないのだろうか。 キャンプやハイキングに持って行って、そのまま、という人は世の中に大勢いるだろう。 むしろ、テロリストなら、必要な場合以外は持ち歩かないだろう。 お気の毒である。 さて、話は変わって、この書類送検された人をどう呼ぶか、というのが興味深い。 スポーツニッポン(毎日新聞)では、ロックバンド「JAYWALK」のボーカル中村耕一になっているが、産経新聞では、ロックバンド「JAYWALK」のボーカル、中村耕一メンバーになっている。 「メンバー」って職業か? 肩書きか? メンバーのだれだれ、とは言うだろうが、だれだれメンバーとは言わない。 呼び捨てにしたくないなら、「さん」をつけた方がすっきりしている。 どうせ、たいしたことではないのだから、不起訴になるのだろうし。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.29
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読売新聞社。1984.7.14第1刷。1984.10.5第4刷。 「1948年 満州の夜と霧」という副題もついている。 「チャーズ」は漢字表記。「チャー」は「上」と「下」を上下に、横画で重ね合わせた字形。「ズ」は「子」。 この本が出たとき、話題になったので気にはなっていたのだが、手に取らずに終わってしまった。今回入院した病院においてあったので読むことができた。 舞台は長春。 わたしは、長春には二十年ほど前に行ったことがある。 旧ヤマトホテルに一泊した。人工的に整備された町並みが印象に残っている。 チャーズそのものについて触れているのは三分の二ほど過ぎてから。 それまでは長春での暮らしがどのようなものであったか、当時の社会状況がどうだったかを、子供の頃の思い出として描いている。 全体がわからなければ、チャーズの意味がわからないので、それが必要なのだ。 チャーズにいた期間は短いのだが、著者には決して忘れることのできない、いや、無意識のうちに忘れようとしていた記憶を植え付けられており、それを自分で掘り起こすことがこわかったようだ。 著者は幸い生き延びることができたが、それができなかった人がどれだけいたことか。 生き残ったことに負い目を感じ、忘れていたはずの記憶が突然よみがえることに苦しんでもいる。 国民党軍と共産党軍、あるいはそれぞれの内部での対立や無責任さが、地獄を作り出しているのだが、これは戦後の中国の話に限定されることではない。 今でも、この地球のどこかで同じことが起こっているのではないかと思う。 チャーズから出た後、中国にしばらくとどまり、それから帰国している。 筆者は、中華人民共和国に親近感を持ってはいるが、それでも一言もの申したいと思っており、はっきり、批判的なことも書いている。 「あとがき」で謝意を表されている人の中に、「飯倉昭平先生」とあったが、おそらく「飯倉照平先生」だろう。(12月20日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.28
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講談社学術文庫。1987.7。 鎌倉時代に、京の公家社会で、数奇な人生を生きた女性の回想。 十四歳で院の寵愛を受けることになったといっても、数え年だから十二歳か十三歳なのではないか。 しかもその時にはすでに恋人(文のやりとりだけだったらしいが)がいる。さらに、即妙に恋の歌を詠んでやることもできる。 何という早熟。 当時としてはさほど珍しいことではなかったのだろうが、その論理・倫理は、現代とは全く異なる。 強いて言えば、今までに読んだことのある本の中では、ラクロの「危険な関係」が近いかもしれない。 しかち、あちらが恋愛を遊戯化しているのにくらべ、こちらは、自分の存在をかけた切り合いである。 院が、この女性に愛人がいることを知って、わざと、その男もいる屋敷内で、彼女をほかの男に自由にさせたりする。 信じがたい行動をとる登場人物が多い。人名は隠してあるが、フィクションは少なく、これはこの人のこと、というのがほとんどわかっているそうだ。 政治の中心が移ってしまったので、ほかにすることがなかったのだろうか。(12月19日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.27
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今回、虫垂炎・腹膜炎で入院して、便利だったもの、あったらよかったと思ったものを書いておく。・のどあめ 三日目に買ってきてもらった。 咳が出ると傷に響くのである。 また、飴をなめていると気がまぎれる。・ラジオ できれば、AMが聞けるものがいい。 FMだと音楽番組ばかりだったり、最近の曲かクラシックばかりだったりする。 若い人はFMで事足りるのかもしれないが、中年になると、地方の話題や季節の便りといったものの方がいい。 また、AMの方が、放送局もいろいろ選べる。 無聊を慰めるに役立つ。・携帯電話 病院では厳禁かと思ったら、わたしが入院したところは使用可。 ペースメーカーを使っている患者がいないところなのだろう。(使っているとしても、よほど近づけないと影響は出ないらしい) 公衆電話はあるのだが、体の不自由な患者は、そこまでいくのが大変。 自分のベッドから家族に連絡できる方が楽。 また、入院してみて、携帯電話や、携帯電話でのメールは、むしろ病人や老人に必要な道具だという認識を持った。 メールなら音もでないし、文字で情報をやりとりできるので、耳が遠い人も使える。・ワンセグTV わたしは、携帯電話についているのを見ていた。 一人で見るならこれで十分。 小さいので、周囲が明るくなることもなく、消灯後も、ほかの人の迷惑にならずに使用できる。 眠れないときに助かった。・ポータブルDVDプレーヤー 今回は持ち込まなかったが、今度入院するときは、持って行こうと思う。 仰向けになって本を読むのはつらいので、ベッドの横のテレビにつないで、映画でも見よう。・パジャマ 病院の病衣は浴衣と同じで、足が冷える。 パジャマのズボンをはいた方が暖かい。・カメラ わたしは愛用のデジタルカメラで、毎日、食事の写真や腹から出ている管の写真を撮ったりしていた。 ほかにすることもないし、後で記憶を確認するのに役立つ。 (ブログを書くのにも役立つ) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.26
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(←病院での最後の食事) いよいよ病院最後の日。 いつも通り朝食前に検温。36.6度。 体重は70.5キロだった。 やせた。 朝食は写真のようにパンだった。 午前の回診が終わってから退院することに。 医師が来て、最後の診察。 傷あとを消毒し、ドレーンが通っていた穴にはバンドエイドを貼る。 自宅でも、そこだけバンドエイドを貼っておけばいいそうだ。あとはひっかき傷程度のものだそうだ。「年内の仕事は?」と聞かれ、「28日までです」と答えたところから、「出勤するの?」「休んで家にいます。仕事がないのは29日からです」という話になり、「わたしはカレンダー通りに休めるけれど、病院はそういうわけにはいかないから大変ですね」と言ったら、医師が、急にしんみりした口調で、「最近はそういうことを言ってくれる人が少なくなってね」と話し始めた。「医者なんだから診るのが当然だという人が多くて。よく誤解されるけど、当直の次の日は休みじゃなくて普通に勤務だから。当直の後で手術したりしている。長くできる仕事じゃない」と言う。 愚痴と言えば愚痴だが、偽りのない魂の叫びだろう。 昨日も書いたが、入院してみると、病院というのは過酷な職場である。 11時頃に妻に迎えに来てもらい、会計を済ませて退院。 ナースステーションに挨拶し、診察券をもらい、次に外来で来る日を指定される。 こうして足かけ12日間に及んだ入院生活は終わった。 帰宅して早速シャワーを浴びた。 傷にしみるようなことはない。 健康というのはありがたいものだ。 病院の皆さん、そして妻に感謝。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.26
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朝食前に採血。 午前の回診で最後の抜糸。 明日からは入浴できるそうだ。 朝の採血で血液検査をし、異常がなければ明日の午前中に退院できるという。 やっと娑婆に出られる。 さて、入院生活でもっとも手強い敵は、「退屈」である。 することがないのだ。 ロビーにたくさん本があるので、次々に借りて読んだが、寝て本を読むというのがわたしは苦手なのだ。 傷があるために腹ばいにはなれないし、仰向けに寝て本を持ち上げて読んでいると、当然ながら、腕が疲れる。 かといって、ただ横になっていると寝てしまう。 昼寝をすれば夜中に眠れないのは理の当然なのであって、毎晩、寝るのに苦労した。 特にすることがないので毎日同じことの繰り返し。朝の検温 午前の回診昼食 お昼寝 夕食を待つヒマな男の 入院暮らし月月火水木金金 などとのんきに替え歌を作ったりしていられるのは、患者だから。 病気もけがも休日など関係なしなので、病院はまさに「月月火水木金金」である。 入院患者も大勢いるから夜勤もある。 労働条件としてはかなり過酷ではないかと思う。 仕事の内容も、治療ばかりでなく、年配の入院患者の下の世話までしている。 それでも、みな穏やかな表情で、優しく接してくれる。看護婦さんは笑顔を見せてくれる。 そう簡単にできることではない。 頭が下がる。 午後、医師が来て、血液検査の結果は正常だったので、退院許可が出た。 退院後の注意事項を聞く。・入浴は、できるだけシャワーにして、浴槽には長時間つからない。(風呂のお湯に雑菌があるため)・運動は、来月の外来での診察が終わってから。(体を動かすのは嫌いなので何もしないけど)・アルコールは、退院日は不可。あとは、ビール一本ぐらいで様子を見ること。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.25
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午前の回診で、「ばっかん」と言って腹からなにか取っていた。ドレーンを抜いているのか。「抜管」だろうか。 食事のことを確認したら、夕食からは普通食にしてくれることになった。 ありがたい。 腹には何もついていないので、歩くのもあぐらをかくのも楽。 午後、屋上に出てみた。 眺めがいい。雲のない日は富士山も見えるそうだ。 歩く練習をかねて、3階から1階のロビーまで階段を上り下り。 手足は自由だが、まだ小股のヨチヨチ歩きしかできない。 夕食はついに普通食。 クリスマスイブということで、小さなケーキと手作りのカードがついていた。 このケーキとカードもその一つだが、入院生活が単調にならないように、病院もいろいろ工夫していることがわかる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.24
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朝6時40分の検温では36.4度。 体重は72.4キログラム。 午前の回診で、切ったところを半分だけ抜糸。 「ダグラス」につながっていた管も切る。 ついに、袋とお別れだ。 あと三、四日で退院だと言われた。 抜糸の後、しばらくベッドでおとなしくして様子を見てから歩いてみた。 袋があったときは、それを点滴の支柱の下の方にぶら下げていたので、支柱につかまって歩いていた。 しかし、今は何も頼りにせずに歩けるはずだ。 歩き始めてみるとこれが難しい。 痛いわけではないのだが、自然に歩けない。ぎごちなく、小股でよちよち歩きになってしまう。 リハビリが必要だ。 自分の足だけであることから遠ざかっていたので、歩き方を忘れてしまったのだ。 ところが、午後になると、袋をさげて歩いていたことなど忘れてしまった。 やはり、袋がない方が楽。 入院以来、全く頭を洗っていないので、髪がゴワゴワになっている。 特に、枕カバーに頭のにおいが移って、横になると臭う。 トイレの横に洗面所があるので、そこで洗えばいいかと、明日シャンプーを持ってきてもらうことにして、看護婦さんに、洗面所で頭を洗っていいか尋ねたら、なんと、シャンプー用の洗面台があると言う。 場所を聞いて見に行ったら、たしかにそれらしいものがある。 それを見ていたら、男性看護師に声をかけられ、洗ってくれるようなことを言われた。 シャンプーがないというと、今日は病院のを使って洗ってくれることになった。 いすに腰掛け、首の回りにエプロンを巻かれて、洗面台に頭を突き出す。 あまりにも頭が汚れていたので、シャンプーは一度目はあまり泡が立たず、二度目でやっとすっきり。 十年ぶりに風呂に入ったような気分。 ほんとうに助かった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.23
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夜中に目が覚め、排尿。 その後眠れず、NHK-FMを聞く。 石川セリの「朝焼けが消える前に」が聞こえてきた。 懐かしい歌声だ。「遠い海の記憶」を思い出す。 続いて泉谷しげる「長い友との始まりに」。 石川セリと泉谷しげるの特集番組の最後のところだったようだ。どうしてこの組み合わせなのか不思議。アイウエオ順か。 こうして、眠れないときにラジオを聞いていると思い出すことがある。 わたしがまだ小学生だったときだと思う。 兄が、寝ながらラジオを聞いていて、つけっぱなしで寝てしまうことがあった。 地方でもあり、24時間放送ということはなく、深夜に放送は終わり、明け方に開始していた。その放送しはじめのときに、「ランララ ジンジン オホホホホ」というラジオのテーマ曲のようなものが流れるのだ。 何度か聞いた記憶がある。 しかし、ほかの人から、この歌の話を聞いたことはない。 いま、この歌詞で検索してみたが、見あたらなかった。 ローカル局の歌だったのかなあ。 起床時間を過ぎてから体重を量る。 72キログラム。 点滴をやめたら体重が増えた。どうやら点滴のせいで体が重くなっていたらしい。 同室の人と話したら、ほかの二人とも点滴をしている間は体重が減った、という。 わたしだけ大量の点滴を受けているのだろうか。 ガスは今日もたくさん出る。勢いがよくて、出るときに腹が痛むほど。 巡回の時、昨日管を切った、虫垂断端の方のドレーンを抜いた。どんなものか見えなかったが、堅いもののようだった。 ダグラスの法は、まだ腹水が出ているので管はそのまま。 今日から普通食かと思っていたら、一日中全粥。 昼食はうどんで、他の人はかき揚げうどんだったが、わたしは、かき揚げの代わりに鶏肉。 夜、看護婦さんに確認してもらったら、「全粥どまり」になっていて、入院している間はお粥になっているのだそうだ。 おかゆでは物足りなくなってきた。 体温はずっと37度代だったが、夜7時半には、36.9度だった。 体内の炎症は治まってきたらしい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.22
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朝4時。便意を腹痛と感じて目が覚めてトイレへ。 ガスもだいぶ出る。 その後眠れないのでラジオを聞く。MAXの「一緒に...」が流れる。 懐かしい。MAXの唯一のクリスマス・ソング。この歌で紅白歌合戦にも出たんだよな。ミーナはどうしているんだろう。二児の母だそうだが。 朝食前の看護婦さんの巡回では、腹の張りは昨日より小さくなっているらしい。 朝食の味噌汁には大根の具が入っていた。 点滴は今日で終わりだそうだ。最後の点滴には写真のような札がついていた。9時半から最後の点滴。 午前の医師の巡回の時に、腹水の量を見て、「虫垂断端」は量が少ないので、腹から出ている管をカット。袋が一つになる。 下の方の管を切ったので、ズボンをはくのが楽になった。あぐらもかけるようになった。 看護婦さんに、「ひげを剃ったら」と言われてしまった。 自分でも気になって、ひげそりとシェービング・クリームを持ってきてもらっていたのだが、立っていられるかどうか不安だったので伸ばしたままだった。 昼前に、入院後初のひげそり。 伸びていたので時間がかかったが、ずっと二本足で立っていられた。 午後3時15分。 最後の点滴が終わった。ナースコールで連絡して、針を抜いてもらう。抜く前に写真を撮ったら笑われた。 点滴のおかげで生きながらえたのである。点滴くんさよなら さよなら点滴くんまた会う日まで君は僕の命のもと 飲まず食わずでいる間君なしではとても 生きていられなかっただけど僕は回復した 今日から自分で食べるんだだからしばらく君と 会わずに暮らせるだろう点滴くんさよなら さよなら点滴くんまた会う日まで 食事は昼食から全粥というものに。かなり普通の食事に近づいた。 味付けは薄味。 年配の患者はそれが不満らしい。 病院で塩や醤油の密売をしたらもうかるかも、などと不謹慎なことを考える。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.21
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昨夜もうまく眠れなかった。 この病院は、携帯電話の使用を許可しているので、携帯電話についているFMラジオを聞いたりした。知らない最近の歌やクラシックばかりで気に入る番組がない。 朝五時になると、今まで気づかなかった、お寺の鐘が聞こえてきた。その音で起き出した人が何人もいる気配。 病室の窓は東南を向いていて、朝焼けが見える。左の写真のような朝焼けを、入院している間に何度も見た。 わたしはまたラジオをつけ、全く興味のない、「邦楽のひととき」を聞いたりしていた。 すぐに六時の起床時間。 毎朝朝食前に、看護婦さんが、体温や、前日の排泄状況を聞きに来る わたしの場合は、お腹の傷を見たり、張り具合をみたりもする。 ガスは出ているのだが、あとからあとからガスが生まれているようで、張りが消えない。「炎症がひどかったからね」と言われた。 また、何も食べていなかったのに便がただの液体ではないのが不思議だったのだが、看護婦さんの話では腸内の老廃物がまじっているのだそうだ。 昨日、食事は二食ごとに内容があがっていく、と言われていた。 その言葉の通り、朝食は三分粥。 おかずは卵をラップに包んで熱湯で固まらせたようなもの。油を使わない工夫なのだろう。 小さな袋の「鯛みそ」がついていた。わたしは初めて食べた。味噌味なので、お粥が食べやすくなる。 朝食後トイレに行って戻ってきたら、新しいシーツ・タオルケット・枕カバーがおいてあった。 体が動かない人なら看護婦さんが取り替えてくれるらしいが、わたしは自力で取り替えた。 レントゲン撮影があると言われていたのだが、横になったら寝てしまい、九時半に起こされた。 昼食も三分粥。 横になったり、トイレに行ったり。 尿は色が薄くなってきた。 ガスも便も相変わらず無臭。 テレビは入院生活の友だが、画面が大きく感じられる。 携帯電話のワンセグを見る方が楽。 午後四時からの水戸黄門を横になって見ていたら、終わりの15分間ぐらい寝てしまって見逃した。 寝たいときには眠れず、起きていたいときには眠ってしまうのだった。 睡眠は難しい。 夕食は五分粥。おかずは、具入り卵焼き、里芋の煮物、青菜のおひたし。 いよいよものを食べている感じがする。 腹水の量が、大幅に減った。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.20
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ガスも出て一安心と思いきや、思わぬ伏兵。 うまく寝ることができないのだ。 もともと寝付きが悪くて苦しんでいた。なれぬ病室とあってさらに寝付けない。 一度寝そびれるとあとが大変。 突然、ベッドが硬く感じられてたまらなくなった。板の上に寝ているようで、苦痛。ベッドに傾きをつけたり、タオルケットを折って体の下に敷いたり。動けば同然音が出るので、同室の人には迷惑だったろう。 やっと2時半頃寝付いたが、5時前には目が覚めてしまった。 仕方がないので、点滴の支柱にすがってロビーを歩く。 すると、排尿のほか、便とガス1回、間をおいて、ガスのみさらに2回の成果。 体重を量るとなんと74.5キログラム。なぜだ。 それからベッドに戻ると、今度はすぐに眠れたが、病院の起床は6時。 朝食の時はお茶が一杯だけ出た。 今日はその後も、快調にガスと便が出る。 便と言ってもほとんど液体。ガスだけだと思っても、一緒に液体が出てしまいそうなので、必ずトイレに行く。 今日は、寝たり起きたりがさほどつらくない。 回診の時、初めて見る医師と、一度見た医師が来た。最初の医師は今日は留守らしい。 袋を見て、「できればどちらか切りたいけど、まだだいぶ出ているな」「まだ200、300出ています」などと話している。 わたしが、「ひどかったそうですね」と尋ね、以下のような会話に。「ひどかった。切った瞬間にドバーッと出てきた。もう一週間ぐらいたってる感じだった」「はじめは胃が痛いとしか思いませんでした」「盲腸はそういうことが珍しくない。わからなくて、胃カメラを飲んだりしているうちに悪くなることもある」 診察の結果、昼食から重湯を出してもらえることになる。その分、点滴は一つ減らすことになった。 体を拭くための蒸しタオルが配られたとき、昨日妻が持ってきてくれたパジャマを見て、看護婦さんは、「パジャマにしたら」と勧めてくれた。 病衣だと足下がスースーするので、パジャマに着替えた。 このほうが暖かい。 ただし、右腰には管があるので、ズボンをあげることができない。左上から右下へ斜めになっている。 着替えて、トイレに行こうとしたら、後ろの方から、呼び止められた。立ち止まると、そばにいた看護婦さんがズボンを直してくれた。 おしりが丸出しだったそうだ。 その後ももう一度直されたが、管がある以上、どうしても半ケツにならざるを得ない。 自称半ケツ王子で一日過ごした。 さて、いよいよ昼食。 運ばれてきたのは、重湯、汁だけの味噌汁、卵豆腐、ヤクルト、お茶。 思ったよりも腹にたまる感じがする。 点滴のせいか、空腹を感じるということは全くない。したがって、食欲もないが、全部平らげた。 食べてすぐに腹の中が動き出し、液状便とガスのセットが2回。ガスが出るとお腹が楽になるのがうれしい。 夕食は左の写真の通り。 味噌汁はこれも具がない。茶色いのは、酢豚のとろみを500倍に薄めたようなもの。味はほとんどしない。 重湯を主食に一汁一菜ではあるが、実質は、主食も含めて三汁だ。 白いのはアイスクリーム。これはおいしかった。 何度もガスが出たが、一日中腹が張った状態は消えなかった。 体温は終日37度代。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.19
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朝五時。目が覚めてしまい、トイレのついでに体重を量ってみた。 なんと、74キログラム。手術前より1キロ増えている。丸二日、何も食べていないのに。点滴だけなのに。 9時13分。やっとガス少々。 巡回の時にそれを報告すると、水とお茶は解禁。 その後、時々、トイレで長い間座って、自然に出るのを待つ。 一度、赤っぽい下痢が出たので、看護婦さんを呼んだが、問題なしだった。 11時30分頃、快心の一発。かなりお腹が楽になった。 その後、テレビを見ようと横になったら寝てしまった。 午後には、昨夜感じた痛みは、腸の中をガスと便が移動するためらしいとわかってきた。ガスや便の集団の先頭が移動するにつれて腹の緊張している場所が移動し、その緊張を体表近くの痛みと感じるらしい。できるだけ体を起こしておいて、腹の中で動き出したらトイレへ。 1時過ぎと2時過ぎにそれぞれ大砲一発ずつ。かなりの量のガスが出て、それだけお腹が楽になる。ガスは無臭である。 今日も点滴のみ。 水やお茶を飲んでみたが、腹が痛くなるようなことはない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.18
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(←この袋と腹が管でつながっている) 永遠に来ないかと思われた朝が来た。 しかし、医師は来ない。 十時過ぎ、やっと現れて、「ずいぶん忍耐強いんじゃないの。あの状態なら、あと二、三本痛み止めを使うよ」と言われた。我慢したわけではなく、注射を打ってもらえなかっただけだったのだが、感心している。 体に貼っていたケーブルをはがし、のどの管も抜く。 管の先端が食堂を通るとき、「グゲゲゲゲゲ」と声にならない声が出た。 尿道の管は看護婦さんが抜いてくれた。痛いのではないかと緊張していたが、自分の意志と関わりなく排尿しているような感じがしただけ。 右腰に管が日本固定してあり、その先に袋がある。 体内から出る液をそれに溜めておくらしい。 それまでいたのは、ナースステーションの隣の、特別な部屋。 看護婦さんが来て、歩けるかどうか確認。 腹筋に力を入れると激痛が走るので、腹筋を使わずに起き上がらなくてはならない。 これが非常に困難。 足をベッドの下におろして、てこの原理で、などと言われるのだが、簡単にはいかない。 結局、両手の力だけで上体を起こすことになるのだが、体操選手じゃあるまいし、そんなことはできない。 それでも、どうにかこうにかベッドから降りて歩いてみた。点滴の支柱につかまりながらなら、歩けなくはない。 また、体を拭きにも来てくれた。 蒸しタオルで体をきれいに拭いてくれる。 口の中も拭いてくれた。 その時初めて、口の中がネチョネチョ粘りけだらけになっているのに気がついた。 今日から一般病室に移る。6人部屋。ベッドのまま押していってくれた。 これからはトイレも自力で行かなくてはいけない。 痛いのをこらえて何度かトイレへ。 隣のベッドの人は、わたしより二日早く同じような手術をしたという。かなり元気そう。 手術の後二日は痛いけれど、その後は楽になるということだった。 その言葉に期待する。 鏡で口の中を見たら、舌が真っ白。舌苔というものだろうか。ほとんど口を動かさないでいるとこうなるらしい。 その日は、院長の巡回があった。 ベッドの上にカルテが置かれ、担当医が院長にそれぞれの患者の病状を説明する。 わたしの時は、「この人はひどかった」と、繰り返し言っていた。 虫垂が二、三センチあったそうだ。 腹から出ている管の先をしみじみと見る。 管につながっている袋にはきれいな紅色の液体がたまっている。 かなりの量だ。二つ合わせて一リットルぐらいあるだろう。 膿かと思ったが、あとで医師に聞いたら、それは腹水なのだそうだ。炎症を起こしたところに腹水がたくさん出るので、それを外に出している。 袋の一つには「ダグラス」、もう一つには「虫垂断端」と書いてある。 ベッドの脇には液晶テレビがある。 横になってみていると、つい寝てしまう。 テレビに、「そりゃだめだ」などとつっこみを入れたり、一人で笑ったりしている人もいる。 隣の人は親切な人で、いろいろ自分の治癒経過を教えてくれるので参考になる。 また、歩くのは平気そうで、同室の、年配の人の食事のお盆を片付けてあげたりしていた。 わたしはまだ点滴のみ。 ガスは出ない。 消灯後、横になっていると、ギュルギュルとガスが動き回っているのを感じる。それと同時に、痛みが腹の中を駆け回る。 虫がいて、それが動き回っているのではないかというような状態。一カ所に落ち着いていない。冬に病んで痛みは腹を駆けめぐる 痛みの移動パターンで多いのは、ヘソのあたりから、下腹部に向かって移動し、最後に陰茎がキューッと痛くなるもの。 最後の痛みがきつい。 とうとう、ナースコールで痛み止めの点滴を頼んだ。 その薬が効いている間は熟睡。 しかし、後でわかったことなのだが、その痛みは、むしろ、歓迎すべきものだったのだ。 こうして一般病室第一日は終わった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.17
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(←これから苦楽をともにする点滴の針) 朝がきた。 思ったよりは眠れたが、痛い。 下腹部が特にいたい。まさに虫垂のあたりだ。 ナースコールで痛みを訴えると、痛み止めの注射を打ってくれた。「すぐに効きますよ」という言葉の通り、下腹部の痛みはすぐに引いた。ところが、その代わり、猛烈に胃が痛くなった。 人間は二カ所の痛みを同時に感じることはできない、という話を聞いたことがある。 下腹部の痛みが消えた分、胃の痛みを感じるらしい。 我慢できないほどなので、またナースコール。看護婦さんが来てくれたものの、「もうすぐ先生が来るから様子を見ましょう」と言われてしまった。 痛くて脂汗が出るというのを初めて体験した。 また、「ウンウンうなる」というが、呼吸に合わせて、文字通り「ウンウン」うなっていた。 十時頃妻が来た。 医師が来たのは十時半頃。そこまできたら切るしかないから手術の準備をするという。 もとより手術は望むところ。準備ができるのを待つ間に手術の内容を説明するというが、聞きに行く余力はない。妻だけが聞きに行った。 手術前に、看護婦さんが来て、噂に聞く剃毛。腹の毛と陰部の毛を器用に剃る。安全カミソリではなく、昔ながらのカミソリ。使い捨てにするのだろうから、安いものを使っているのだろう。 ヘソの穴も掃除してくれて、手足の爪を確認。足の爪も切ってくれた。 手術前に体重を量ると73キログラム。 全身麻酔をかけるので、胃の中身が逆流して肺に入らないように、と、鼻から胃に管を通される。 痛みもなく簡単に入る。 裸になり、毛布を掛けられて手術室へ。 手術台に移され、麻酔を効きやすくする注射をされ、右の内くるぶしのところから麻酔の点滴。「だんだん眠くなりますよ」と言われ、何度か瞬きしているうちに意識を失った。 気がつくと、「終わりましたよ」と大きな声で呼びかけられている。痛みはない。 病室へ。 やけに暖かい。さわると、電気毛布がかけられていた。そういえば、手術前に、「夜寒かった」と言ったような気がする。 足はそれぞれ袋に入れられている。その袋に時々空気が送り込まれ、ぎゅっと足を締め付け、ゆるむ。マッサージのような感じ。 肩の辺りには心電図を取るためのコードが貼り付けられる。 左手の指先は、脈を測るためか何かの、クリップのようなものがはめられる。 右肘には血圧計。これも一定の時間ごとにふくらんで肘を圧迫し、自動的に血圧を測る。 口には酸素マスク。 妻はいったん帰宅。 看護婦さんは何度も見に来てくれる。電気毛布が熱いのでずらしておいたら片付けてくれた。 麻酔の影響か、頭ははっきりしないのだが、いろいろ気になる。 足を締め付けるのは必要なのか、と尋ねると、血栓を防ぐために必要なのだという。 体にコードがいろいろついているのも必要なのか尋ね、当然、必要だという返事があった。 問答の後、しばらく眠った。 目が覚めると、少し頭がはっきりして、ナースコールで、「もう起きてもかまいませんか」と尋ねると、驚いたような声で、「今日は一日ベッドの上です」と言われた。 もちろん、頭で、体が動くように思っていただけで、実際には上体を起こすこともできなかったはずだ。 次には、鼻から胃への管が気になりだした。取ってほしいと言ったが、医師でなければとれないという。翌朝までそのままでいなくてはならない。 6時頃、妻が、長女と次男を連れてきた。 会話はできる。 家族が帰り、明朝、採血とレントゲン撮影があるという連絡が来た。 それを聞いてから眠り込み、目が覚めたら看護婦さんがそばに立っていた。「これから採血に行きますか」と尋ねたらキョトンとしている。「朝、採血に行くと言われました」と言うと、「それは明日です」と言う。 時間を聞いたらまだ夜の9時だった。 鼻の管も気になり、朝が待ち遠しい。 それから寝ては夢を見て目が覚めるというのを繰り返した。 目が覚めるたびに、さっきから2時間倉は経ったろうと思うのだが、実際には20分ぐらいしかたっていないことの繰り返し。 永遠に朝が来ないのではないかという気になってくる。 朝が待ち遠しい。夜はまだ明けない。 夜中に一度尿意を覚え、ナースコール。 ところが、尿道に管が入っていて、自動的に外に出しているという。 言われてみれば、手術前に管を入れるということを聞いていた。何も感じないが、管が入っていて、何もしないで寝ていていいらしい。 しかし、ただ寝ているのもつらい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.16
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二、三日前から、胃が少し痛かった。正確には、胃のあたりが痛かった。 ストレスによるものだろうと、さほど気にしていなかった。 今日も、昼間では特に生活に支障はなかった。 妻の携帯電話が古くなり、今のメールに対応できなくなるというので、午前中、新しい機種に取り替えに行った。 一度帰宅したが、何となく気になって、一人で出かけてガソリンを満タンにしてきた。 食欲がないので、雑煮を少し食べ、横になっていた。 ウトウトしていたが、胃が痛くて目覚め、3時頃、近くの薬局へ。胃が痛いというと、「ガスター10」を勧められたので、それを買って帰り、飲んでまた横になった。 6時過ぎ。 目覚めるとますます胃が痛くなっている。このままいけば耐えられなくなりそうだ。 右下腹部に、押すと痛いところがある。盲腸かと思ったが、そこは何もしなければ痛くない。とにかく胃が痛い。 この時間では、病院はやっていない。 妻に頼んで、救急病院でもあるY病院に電話してもらう。以前、夜中に子供を診てもらったことがあるのだ。 妻の話では、「診察はできるけどナントカはできないと言われた」ということだが、とりあえず胃の痛みを抑える薬がもらえればいいやと思って、車で連れて行ってもらった。 しばらく待って、診察。 症状を話し、また、下腹部に、押すと痛いところがある、というと、虫垂炎ではないか、という。 担当者が呼ばれて、血液検査、レントゲン、MRと、次々に検査。 その結果、やはり虫垂炎だという。 レントゲン写真を見ると、虫垂に、白くなっている点がある。そこに石があるそうだ。それが原因で炎症を起こしたのだろうと、虫垂の図などをかいて説明してくれた。 手術するのかと思ったら、担当している科が違うのでできないという。 その医師が、専門の医師に電話連絡をして、状態を説明している。 電話でも、看護婦との会話でも「アッペ」という言葉が何度も出てきた。たしか盲腸のことのはずだ。 結局、専門医が明日来てからどうするか決めるという。 抗生物質で散らす方法もあるというのだが、わたしとしては、そんな状態ではないと感じている。一刻も早く手術してほしいのだが、そうはいかないらしい。 痛みがどんどん増してくるので、痛み止めの注射を打ってもらった。 そのまま入院と言うことになり、病衣に着替え、点滴の針を固定して、点滴を受けながらベッドに横になる。 血液検査で、ガンマGTPも調べたというので、数値を聞いたら62だった。 妻はとりあえず帰宅し、わたしは一人ベッドで明日を待つ。 眠れないわけではなく、うとうと状態が続く。 痛み止めが効いてはいるが、それでも痛い。五月雨のように、断続的に痛みが襲う。 この痛みの雨は永遠にやまないのではないか、という気分だった。(具体的な固有名詞を出そうかと思ったのですが、迷惑になるといけないので、以後すべて仮名にします。また、「看護婦」ではなく「看護師」と書くべきなのかもしれませんが、ほとんど女性ばかりだったので、慣れ親しんだ「看護婦」を用います) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.15
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テレビ東京の「時代劇アワー」で現在放送中。 わたしは、このドラマの存在を知らなかった。 まあ、子供だったし、忠臣蔵を理解できなかったのだろう。 三船プロの制作で、放送はNET(テレビ朝日)。この後の番組が「荒野の巣浪人」の第1シリーズで、そちらは覚えている。 この「大忠臣蔵」、「大」というだけあって大変な豪華キャスト。 大石が三船敏郎なのは当然として、内匠頭が尾上菊之助、おりくが司葉子、堀部安兵衛が渡哲也。渡哲也が若い。 いちいちあげていくときりがない。 矢頭右衛門七が田村正和なのは無理がある。このときすでに二十代後半だ。しかし、その父矢頭長助が加藤嘉というのが泣かせる。 大野九郎兵衛の伊藤雄之助というのがまたよくて、ただの悪役ではなく、主君思いの家老になっている。 物語も工夫してあって、吉良家から、塩の製法を教えてほしいと言われた大野が、独断で断ってしまったために話がこじれ、それで内匠頭がおいつめられるのか、と思いきや、事情を知った大石の力で、塩の製法を教えることにするものの、内匠頭がそれをとめて、結局刃傷沙汰にまでなってしまう。 不破数右衛門(新克利)が浪人したのは、不穏な動きを察知した大石のはからいで、情勢を探らせるためということになっている。 刃傷事件を赤穂に知らせる使者が、吉良の領民に襲撃されそうになるというのも、単に悪人というわけではないというわけで、なかなか奥が深い。 全52回という大作で、15回でまだ内匠頭の百ヶ日。 今時、NHKでもこれだけのものは作れまい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.14
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今朝見た夢。 わたしの持っている、空中を移動できるか何かする機械で年配の人が三人手にけがをしてしまったので、お見舞いに。 ところが、その家(といっても、時代劇に出てくるむしろ掛けの小屋風だったので、住まいではなかったのかもしれない)の電気配線か何かに異常があったらしく、壁から火を噴いて、燃えだした。 わたしは急いで壁のブレーカーを落とし、3人を連れて逃げ出した。 山の方へ向かい、線路を越えて(その線路を通る電車でそこへ来たらしい)、斜面を登ると、白い子ヤギかウサギが先導するように前をいく。 その後について、斜面を駆け下りたりして、前方を横断する道に出た。 その道は舗装していない。 道の反対側は、1メートル50センチぐらいの高さの石垣になっている。 わたしは最初はその上にひらりと飛び上がった。 それに気をよくして、道に降りて、また飛び上がろうとしたが、何度やってもうまくいかない。 道ばたに生えていた木の枝に捕まれば飛び上がれるだろうと、その枝にぶら下がった瞬間、枝が折れた。 その枝には注意書きの札があって、蜂の巣があるという。見ると、枝には蜂がたくさんいる。 そこでまた逃げ出した。 3人も一緒だ。 坂が下り坂になり、蜂に刺されないように、と、大きなカプセルに入って無事に繁華街らしいところについた。 この後も何かあったのだが、そこは覚えていない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.13
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先日書いたように、胃カメラを飲んだ。 胃のポリープの組織をとり、検査の結果待ちだったが、結果は「レベル1」で、全く問題ないと言うことだった。 しかし、ポリープがあると、毎年胃カメラを飲まなくてはならないので、取ってしまいたい、そう申し出たら、胃に傷を作ることになるので、何もしない方がリスクが少ない、ということだった。 正直なところ、ポリープの手術を名目に何日か休みたかったのだが、そういうわけにはいかなくなってしまって、ちょっと残念。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.12
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今日の産経新聞の「主張」の一つは、「テレ朝報道番組 こうして信用が失われる」というもので、「報道ステーション」での過剰な演出を取り上げ、非難している。 しかし、その産経新聞はどうかというと、「<アルカイダ報道>産経新聞に330万円賠償命令 東京地裁」「◎産経新聞に330万円賠償命令=バングラ人「アルカイダ」報道-東京地裁」ということで、ろくに取材をせずに書き立てたことで全面敗訴している。 他人の失敗を喜んで騒ぎ立てるよりも、自らを厳しく律することの方が大切ではないかと思うのだが、そうは思わない人の方が多い。 もちろんわたしもそうなのだ。 しかし、報道を職業としているのであれば、プロとして、意識して行動しなくてはならない。 個人のブログではないのだから。 なお、産経新聞は、報道が信用を失うことを心配しているようだが、そんな心配は無用だ。 自分の頭でものを考えることのできる人なら、もはや報道を鵜呑みにするようなことはない。 「ニュースステーション」の過剰演出も、産経新聞のでたらめ記事も、「ああまたか」と思うだけだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.11
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高尾山に行ってきた。 もう12月なのにまだ紅葉が残っていた。やはり今年は暖かいのだ。 あえて広い道を通らずに下ってくると、中里介山の草庵あとがあった。 こんなところにすんでいたとは意外だった。 調べたら、1921年から3年ほど住んでいたらしい。 駅で配布されている地図には載っていない道にある。 駅から病院を目指して登っていき、病院の私有地を抜けたところにある。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.10
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なんで「姿三四郎」なんだろう。なぜまこの時期に、と思ったら、翌日から「柔道ワールドグランプリ」を放送するのにあわせての雰囲気作りだったらしい。 かといって、柔道選手がゲスト出演、などということはないのはかえってよかった。 主役はジャニーズのNEWSの加藤成亮という人で、特にどうという特徴はない人なのだが、その素人っぽさが姿三四郎に合っていた。 左文字役の風間俊介は時代劇で何度も見ていて、ちゃんと脇役のできる人。 ドラマ自体は、短期間で低予算で作ったのだろうという雰囲気なのだが、非常によくできていておもしろい。 入門から描くのではなく、すでにトップに立ったところから始まっているのが工夫。 脚本は、原作の山場だけをつなぎ合わせていながら無理がないようにちゃんとつじつまを合わせている。 演出も、アクションというものを理解していて、二昔前の香港映画のような、理屈を超えた躍動感を見せている。 とにかく、見ていてだれることがない。 作り手がうまいのだ。 いきなり姿三四郎がでてくることはない。 左文字が悪漢たちから逃げるところから始まって、姿三四郎に助けを求める。姿三四郎は強いやつらしいぞ、と思わせてからおもむろに登場する。 左文字の風間俊介と並ぶと、主役の加藤が大きく見えるのもキャストの工夫だ。 津久井との決闘で何の複線もなく檜垣が救出に来る。その時は驚くものの、原作がこういう展開の話なので、むしろ原作に忠実なのである。また、なぜ檜垣が現れたかは最後に台詞で明らかにされていてぬかりはない。 この檜垣源之助を演じた波岡一喜という人がいい。いかにも現代風の檜垣なのだ。昔の檜垣のまねをしてないからかえって光っている。 わたしは、黒澤明監督の映画は続編まで見ているし、三浦友和主演の映画も見た。原作も最後まで全部読んだ。 楽しみにしていたのである。そして、予想していた以上におもしろかったので大満足なのである。 久しぶりにおもしろい青春ドラマを見た。 どうせなら、半年ぐらいかけて、同じキャストで再ドラマ化してくれないかなあ。 公式サイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.09
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講談社学術文庫。1981.10.10第1刷。1989.7.30第6刷。 これまたきちんと読んだことがないので読んでみた。 「虫めづる姫君」は有名だが、男が出てくるとは知らなかった。 どの話も、結局は男と女の話になっていく。 それが最も重要なことだったのだろう。 女は、経済力のある親がいなければ全く無力であり、男は、親の意向に振り回されることが多くて主体的ではない。 宙ぶらりんの男と女の話ばかりという印象を受けた。 男の場合は、生まれた家柄で身分が決まってしまうし、女の場合は、しっかりした後ろ盾や乳母がなければ、暮らしが成り立たない。 気になった言葉。「もどいている」(p89) 「~もどき」という名詞形は目にするが、動詞で目にしたのは初めてかもしれない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.08
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第1回から最終回まで見た。 残念ながら、そのおもしろさがうまく伝わってこない。 ドラマの中の「現在」がいつなのかよくわからないのだ。 ほとんどが回想なのは理解できる。隠居を決意したときが「現在」だったのか。 制作者の意図が「娯楽」ではなく「文芸」を目指していたということもわかる。 しかし、成功していたとは言い難い。 同じ人物でも、年代が異なれば違う役者が演じざるを得ないので、誰が誰なのかわかりにくい。 おそらく、小説で読めばおもしろいのだろう。 しかし、志は高くかう。 こういうものを作ろうという気持ちが大切なのだ。 継続は力なり。千里の道も一歩から。 こうしてノウハウを蓄積していくことで、さらに良質な時代劇が生まれる土壌がつちかわれていくのだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.07
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最近、PCの動きが(正確にはWindowsXP Proの調子が)悪く、シャットダウンに時間がかかったりするようになった。 テレビ番組を録画するためのソフトも正常に終了できないことが多い。 よし、じゃあ、クリーンインストールだ、と、思い立ち、ハードディスクは二つつけてあるので、Dドライブにデータをバックアップして、Cドライブのフォーマットからやってクリーンインストール。 XPをインストールして、あとはデータの復旧だ、と思ったら、なんと、再起動したときにエラーメッセージが出て、Dドライブのチェックを始めた。 よくあることだ、と思ってチェックの終わるのを待ち、Dドライブにアクセスしたら。 なんとなんと、認識できないからフォーマットするかと聞いてくる。 再起動しても同じ。 インストールの過程で何かあったらしい。 考えてみれば、CドライブはIDEだが、DドライブはSATAだった。 ケーブルを外してインストールすべきだった。 というわけで、バックアップをとったつもりがとれていなかったのだ。 がっくり落ち込んだが、いやいや、DVD-RAMを買ったとき、バックアップをとった記憶があるぞ、とメディアを探し出し、一部は復旧できた。 自分が作って公開しているソフトの新しいバージョンのソースが消えてしまったのは痛い。 返す返すも、自分の間抜けさが悔やまれる。 バックアップは大切だとわかっているのに実行しなかったのが悪いのだ。 この教訓を忘れまい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.06
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「[国際学力調査]「理科に関心」最下位 数学的活用力も低下」という記事によると、 経済協力開発機構(OECD)は4日、57カ国・地域で約40万人の15歳男女(日本では高1)が参加した国際学力テスト「学習到達度調査」(PISA)の06年実施結果を発表した。学力テストで、日本は数学的活用力が前回(03年)の6位から10位となり、2位から6位に下げた科学的活用力と併せ大幅に低下した。また、理科学習に関するアンケートで関心・意欲を示す指標などが最下位になり、理科学習に極めて消極的な高校生の実態が初めて明らかになった。のだそうだ。 なぜ、理数離れが進むのか、という原因の分析はいろんな人がしていろんなことを言うのだろう。 わたしもまた、こうではないか、と思うことがある。 それは、「SF」の衰退とリンクしているのではないか、ということだ。 昨日は、「大巨獣ガッパ」について書いた。 ゴジラやガメラもわたしは好きだし、ウルトラシリーズも大好きだ。 こういうものは、子供向けの荒唐無稽のものではあるのだが、守備範囲の広い「SF」の一部でもあった。 「STARWARS」や「未知との遭遇」の日本公開の時の直前に、「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版が公開されたことを思い出してほしい。 SFに囲まれて育った世代がアニメブームを支えていたのだし、特撮映画の隆盛も支えていたのだ。 「科学」というものへのあこがれがある時代、未来への希望がもてた時代に育ったら、「科学」の道に進むこともあるだろう。 しかし、今や、「未来」も「科学」も明るいイメージを持っていない。 少なくとも日本ではそうだ。 「ウルトラマン」を思い出してほしい。ハヤタ隊員が所属しているのは「科学特捜隊」だ。 「科学」と名のついた組織に所属するヒーローだったのだ。 わたしは、毎週「ドクター・フー」を見ている。 イギリスではまだ子供向けのSFドラマが放送されているらしい。 こういうものが必要なのだ。 大人の目から見てどんなにめちゃくちゃでも、「神秘」と「科学」を結びつけるものがあれば、理数系の道に進もうとする人も増えてくるのではないかと思う。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.05
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その存在はもちろん知っていたが、ちゃんと見たことがなかった。 深夜に放送されたのを録画して鑑賞。 いやあ、これは驚いた。 とにかく、主題歌に驚かされる。 グループ・サウンズ風の軽いのりで、美樹克彦が明るく歌ってしまう。 物語はといえば、何かで読んだのだが、外国映画が下敷きになっていて、南の島から、子供のガッパを連れてきてしまったために、その親が探しに来る、というもの。 なぜその島にだけガッパがいるのか、なぜ卵だけほったらかしにされていたのか、なぜ一度もあったことがないのに親子だとわかるのか。 疑問はつきないのだが、そんなことはどうでもよくなる。 親子三人感動の再会の場面では、子供たちの歌声まで流れてくる。 今から見れば、いわゆる「ぶっとんだ」映画だ。 しかしまあ、作った人たちとしては精一杯だったのだろう。 怪獣の出てくる映画を作れといわれても、どうしていいかわからなくて、行方不明のわが子を捜す親の愛を持ち出したものの、怪獣なんだから暴れないわけにもいかず、かといってあまりにも陰惨では、子供向けではなくなってしまうしということで、それまでの映画制作の経験をそのまま怪獣映画に持ち込んでなんだか収拾のつかないものになってしまっているのだ。 実に怪作である。傑作ではないが、一見の価値はない。 ガッパというと思い出すことがある。 もう30年近く前のことだが、当時すんでいたところの近くの文房具屋で、ガッパのプラモデルが売れ残っていたのだ。 迷わず買った。作ってしまったのだが、あれをつくらずにそのままきれいにとっておいたら、きっと今頃高値がついていたんだろうなあ。大巨獣ガッパ(1967) - goo 映画 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.04
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日曜日の夜、いろいろあって寝るのが遅くなり、寝る前にちょっとテレビをつけたら、全くの偶然ながら、NOAH中継だった。 小橋が出ている。 相手は三沢と秋山だ。小橋のパートナーは高山だった。 最初は、それが復帰戦だとは知らなかった。 全日本プロレス時代に何度もみているが、NOAHになってからはほとんどみていない。 正直なところ、画面を見ていて思ったのは、三沢も秋山も老けたなあ、ということだ。 秋山もすっかりおじさんだ。 見ているうちに、実況の様子から、尋常の試合ではないらしいことがわかった。 そうだ、そうだった。 小橋は癌を克服して復帰したのだ。 プロレスのために生きる男がここにいる。 試合は、三沢が小橋からフォールを奪って終わった。 三沢なりの復帰祝いだ。思い切り技をかけるというのは、それだけ相手を信頼しているということ。 腎臓を摘出しても試合をするなど、いくらプロレスラーでも無理なものは無理なのではないかと思ってしまうが、不可能を可能に変えてしまうほどの男なのだ。 わたしも、胃にポリープができて組織の検査をしただけで、癌の可能性を考えて気持ちが沈んだ。 ポリープどころではない、腎臓を摘出してもなおプロレスを続けているのだ。 プロレス・ファンとしては、元気になってくれたことはうれしい。 しかし、寿命を縮めるようなことはしてほしくない。長生きしてくれ。プロレスラーは長命だと言われるようにしてくれ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.03
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夕方、テレビをつけたら、テレビ東京で「ハッスル・マニア2007」を放送していた。 幸い、ほとんど見ることができた。 インリン様がTAJIRIのキックを受けたのには驚いた。ブリッジも練習しているのがわかる。 スポーツ新聞サイトでながし読みしたのでいくらかは知っていたが、メインの「小池の旦那」の試合には小池栄子(そっくり)の「妖精さん」が登場。 ギミックや演出と言うより、ほとんどコントなのだが、よくできている。 小池栄子は物怖じしない人なのだな、と思っていたら、最後の「ハッスル」のかけ声のところでちょっと照れていたようだった。 この人には別に興味はないのだが、毎週見ている「歌姫」で、東北弁がけっこううまいので、そちらでも感心している。 東北弁とはいっても、実際にはそんなに単純なものではないのだが、ある程度の共通したなまりかたがあるので、その部分をおさえておかないと不自然なものになってしまうことが多い。 「歌姫」では、秋田出身で、まったく訛りが抜けない女の役。これがうまいのだ。 もちろん、方言指導の人の指導がいいのだろうが、それだけではなく、本人の勘がいいのだろう。違和感がない。 NHKの「義経」で巴御前をやったときはさほどいいとは思わなかったのだが、「歌姫」では、複雑な心中をうまく表現していて好感が持てる。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.02
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朝食は、昨日の残りのご飯を利用したチャーハン。 10時ちょっと前に、出かけるので、途中でお腹が空かないようにパンでも食べようかと思ったら、甘食パンがあるという。 「学校へ行こう」という番組の企画で売り出されたもの。 二つセットのうちの一つが残っていた。 懐かしい。何年ぶりだろう。ずいぶん長いこと目にすることもなかった。 妻に、「何か飲まないと食べられないよ」と言われたが、全くその通り。 むせるというか、つかえるというか、甘食パンだけを口に含むと、口の中の水分を全部吸収してしまうので、のどを通らないのだ。 コーヒーでやっと流し込んだ。 パンというより円錐型のカステラだ。 甘いだけあって、満腹感というか、何かがお腹に入っているという感覚がずっと続く。 空腹感がこないので、午後2時まで昼食を食べずにいた。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.01
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