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父の日の日曜日に妻と映画を観た。「剱岳 点の記」がそれ。かなり前からの予告編で、公開されたら是非観たいと思っていた映画だった。北アルプスの立山連峰に位置する剱岳は標高2998mの名山。明治40年、日本地図上唯一の空白地点であったこの山に登って測量し、何とか地図を完成させたいと願う男達の物語だ。 原作は長らく気象庁に勤務した経験のある小説家、新田次郎の同名の小説。そして「点の記」とは測量の基礎になる「三角点の記録」のこと。当時険しい地形の剱岳は未踏峰と考えられており、日本帝国陸軍測量部と、結成されたばかりの日本山岳会が先陣を争っていた。小説はすべて実話に基づいている。 監督は「八甲田山」や「鉄道員(ぽっぽや)」で名を馳せた木村大作。この映画でも一切CGなどを用いていない。すべては現地に立て篭もって撮ったものばかり。このため9時間雪の中を歩いて、わずか2カットだけの撮影などと言う徹底振りだったようだ。私も映画を観ながらどこかに人工物らしいものはないか探したが、無駄な作業だった。 浅野忠信演じる測量手と香川照之演じる案内人の篤い交流もさることながら、立山連峰の厳しい大自然が私達の心に大きく迫った。名誉、金、全ての欲望を捨て去り、ただ地図を作るためだけに険しい山に挑む男達。今回の撮影班はきっと当時の測量隊と同じような気持ちで映画を作ったのだと思う。 私が立山を訪れたのは、還暦記念に妻と「黒部立山アルペンルート」を旅行したのが最初。その時に見た風景が忘れられず、その後海岸から標高3003mの雄山頂上まで駆け登る「立山登山マラニック」に2度挑戦している。結果は1勝1敗。制限時間が1時間短縮された昨年は無理をして負傷し、その後2ヶ月間全く走ることが出来なかった。 コースから見える山々の中で、一際偉容を誇るのが剱岳だ。3回目の挑戦になる今年は、立山駅からスタートするウォークの部への出場が決まった。歩くと言っても距離は約30kmで標高差は約2500mもある厳しいコースだ。制限は9時間で一切走ってはいけないルール。昨日許可証が届き、早速今日料金を振り込んだ。 昨年の雄山頂上付近は低気圧の通過で気温が氷点下にも感じる荒れ模様となり、多くの人がリタイヤした。途中八郎坂の難所で怪我をした私は、標高2450mの室堂で行く手を阻まれた。今回は何とか雄山頂上に立ち、北アルプスの雄大な景色をしっかりと目に焼き付けて来たい。多分これが最後の挑戦になるかと思う。富山から立山駅まで富山地方鉄道に乗ることも、前夜ロッジに泊まることも、そして今回初めて会える走友がいることも、密かな楽しみにしている。< 6月のラン&ウォーク >走行回数:13回 出場レースなど:2回 走行距離:237km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:175km 月間合計412km 年間走行距離1228km 年間合計:2233km これまでの累計67,655km
2009.06.30
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梅雨だと言うのに連日猛暑が続いている。畑はカラカラだし、愛犬は木陰でうずくまっている。今日はその愛犬の話だ。彼は今年の9月で11歳になるラブラドルレトリバー種のオスで名前はマックス。もうお分かりだろうが、私のHMは彼の名を無断で借用している。ただし、全く一緒だと困るので、飼い主の方はマックス爺と名乗っている。だが彼も徐々に年老いて来て、「爺」の年齢に達して来つつある。 冗談はそれくらいにして、今日は愛犬にまとわりつく厄介者の話をしよう。その名はダニ。植物につくのではなく血を吸う奴。マックスに初めてダニがついたと確認されたのが、まだ2歳頃のことだったろうか。近所の小川で泳がせた後、彼の体に異変。何とダンゴムシみたいなものがひっついていた。気味が悪い奴の正体がダニと分かったのは、潰した時に黒い血が出たからだ。 それ以降用心してあの河原では泳がせないことにした。だが、彼の生理現象はたいてい草むらで行い、その時にダニがひっついて来ることがあった。小さい割りにしぶとく、耳の中や眉間の柔らかい箇所に頭から深く食い込み、血を吸っている。それらを見つけ次第丹念に捕るのがここ数年の慣わしだった。 ところがつい最近大変なことに気づいた。シャンプーをしたばかりなのに、体の表面をダニが集団で歩いている。極力草むらでの生理現象をさせないようにし、シャンプーもダニ避け用のを使ったにも関わらずだ。これにはビックリし、その原因について考えて見た。第1に彼がいつも伏せている木陰を怪しみ、アジサイとオオテマリの枝を払った。次いで石灰を撒いた上に砂利を敷き、湿気を防ぐためにプラスチック製の敷物を施した。 やれやれ、これで一安心。そう思ったのも束の間、彼の背中を行進中のダニを発見。どうやら我が家の庭が怪しいと疑い始める。時々彼を庭に放つことがある。散歩代わりにオシッコをさせる時などだ。その時にどうもダニが寄って来るのだろう。つまり、彼が散歩時に「連れて来た」ダニがそのまま庭で繁殖し、血を吸うために時に応じて彼に群がるとの推察だ。 もし、その通りだとするとこれはもう動物病院でダニを駆除する薬をもらうしかない。HCで探したが、犬のダニを駆除する薬は見当たらなかったためだ。いつも行っている動物病院が休日だったため他の病院で、どうも庭に2種類のダニがいるみたいだと説明。若い獣医さんが言うには、ダニは3段階で成長し卵を産むのだとか。つまり2種類のダニがいるのではなく、成長過程でダニの姿が変わって見える由。 液状の薬をもらって帰宅し、早速彼の頭と肩に振り掛ける。やがて液体が固まり、毛が立って来た。へえ~っ。そんな変化をしてダニを防ぐのかと感心。あれからマックスの体にダニを見かけたのは、たった1匹だけ。それもごく小さなもので、血を吸ってはいなかった。だが薬効は約1ヶ月半ほどで、その頃に再び薬をもらう必要がある。 これまで通っていた動物病院より遥かに感じが良いし、料金も分かりやすい。それにマックス自身の診察券まで発行してくれた。これからは新しく出来た動物病院に通うか、彼に尋ねてみよう。果たしてどんな返事が返って来るか楽しみだ。ダニ騒動もこれにて一件落着。嬉しくなって歌を口ずさんだのが「おおダニーボーイ・・」。ロンドンデリーの歌だった。
2009.06.29
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「いわて銀河」と「みちのくラン」の完走記を連続で13回書いているうちに、64日間約4850kmの「トランスヨーロッパ」が終わってしまった。確かイタリアをスタートした時には62名ほど参加者がいたと記憶しているのだが、ゴールであるノルウェーのノールカップ岬まで到達できたのは41名だったようだ。 つまり20名以上のランナーが何らかの理由でリタイヤしたのだ。ステージレースのため当然その日の制限に間に合わなければ失格するし、長いレースのうちには体調を崩す選手も出て来る。早々に帰国した選手もいたようだし、中にはゴール間近で疲労骨折のため涙を呑んだ人もいたようだ。 イタリア、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーと縦断するため言葉に難儀したと思うのだが、私が見ていた2人のランナーのブログではそんな雰囲気は微塵も無く、レースを楽しむ様子が伝わって来た。1日平均75kmもの距離を64日もの長期間にわたって走る選手のタフさに驚いたし、交通死亡事故に巻き込まれ、危うく畑に飛び降りて衝突を避けたとの記事には肝を冷やしたものだ。 レースで使用したランニングシューズだが、ほとんどの人は4、5足のシューズを交互に履いていたようだ。中にはたった1足のシューズで走り通した人もいたようだが、それはごく稀なケース。シューズがピンチになり、新しいシューズを急いで日本から持って来るよう依頼する書き込みも見受けた。補強材でシューズを補修したり、道路に落ちていたタイヤをシューズの底へ張り付けたりするのも日常茶飯事だったようだ。 一方、「アースマラソン」中の寛平ちゃんは、目下シカゴから最短距離でニューヨークを目指しているようだが、シューズはほぼ250kmで1足消耗するペースとか。これはスポンサーがついてるから可能なのだろう。こちらはスタートして今日で194日目。足の疲労状況はかなり厳しいようだ。これから北アメリカ大陸最後の難関であるアパラチア山脈越えがあるみたい。 さて、先日の「みちのくラン」で行方不明になった私のランニングシューズだが、あの後お世話役のKさんが目ぼしい人にすぐさまメールしてくれた。だが一向に反応がない。そこで所属する「南仙台走友会」と「宮城UMC」の掲示板に加えて、参加者がおられた「住吉台走友会」さんと「仙台明走会」さんの掲示板、東京の雲峰師匠の掲示板、神奈川の星峰さんのブログへも、あつかましくこの件についての書き込みさせていただいた。 あれから1週間以上経つが、まだ何の音沙汰も無い。間違って履いて行った方はネットを見ていないか、あの後全然走ってない方なのだろう。私の採るべき方策としては、もう少し様子を見るべきだろうが、走れないため困っている。実は「代わりのシューズ」で2回帰宅ランをして見た。サイズが小さいのと、特注のインソールがないため長距離を走るのはとても無理なようだ。 新しいインソールを作り直すと片方で3万円近くかかる。それに再度足の型を取り直し、何度かの調整を経て完成するまでに約1ヶ月を要する。私にとってはどちらも負担だ。残された左側の「健康用インソール」を代用したが、既に9ヶ月間使用していたためとうとう底から液体が漏れ出した。機能上歩くことには差し支えないが、走ると荷重がかかって耐え切れなかったようだ。 そこで「取って置きの荒業」を思いついた。シューズ本来のインソールを「土踏まず」の形に切り取って裏に張り付けるのだ。第1段階では鋏とカッターナイフでざっと形を整え、瞬間接着剤で張った。早速それを履いて散歩へ出かけたが、あまりにも雑過ぎて足に負担がかかる感じだ。これで走れば何らかの障害が出る可能性もある。 今朝は補修作業の第2弾。唯一の道具であるカッターナイフで極力滑らかに削る。そして古いシューズのインソールをその上に重ねる。早速履いて散歩してみたが、昨日より違和感がない。問題は走った時にどうなるかだ。冒険だが、明日の帰宅ランででも試してみよう。 来月に予定している「石巻~気仙沼間単独走」(約90km)で第1日目の夜に宿泊する南三陸町志津川の民宿も予約した。果たしてそれまでに迷子のシューズが戻って来るだろうか。また、「工作インソール」の入ったシューズで長距離が走れるのだろうか。当分私の悩みは続きそうだ。う~む。
2009.06.28
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< 懇親会後のどんでん返し > 県道との分岐点でO川さんが最後のランナー達を待っていてくれた。「やはり一人で引率は無理だったね」と私。そこから「しんがり」は彼に任せて、ゴールの簡保の宿までを初めて自由に走らせてもらった。皆の到着を待って記念撮影し、宿で荷物を受け取る。懇親会に出る人もここで帰る人も、一先ず温泉で汗を流す。 浴後の冷たい牛乳が美味しい。ロビーで歓談しながら開宴の時間を待つ。中にはもうビールを飲み出す人も。準備が整ったのか、少し早めに会場へ入ることが出来た。宮城UMC会長であるM仙人の挨拶、会員番号「永久1番」の雲峰師匠の挨拶に続いて乾杯。次々に出てくるご馳走や、飲み放題のアルコール類に感激しつつ、いつしか酩酊の世界へと誘われていた。 やがて一人ずつ立ち上がって挨拶。それぞれユニークな自己紹介が始まる。中でも東京から来られたN山夫妻の夫婦漫才はいつ聞いても面白い。だが私の番になる頃には一層酔いが進み、今日走ったコースの歴史的遺跡についての簡単な説明に留めた。 相当酔った。そして相当食べて満腹もした。そこまでは天国だったのだが、最後に地獄が待っていた。リュックを背負って少し早めに部屋から出ると、何と私のシューズがどこにも見当たらない。これはどうしたことだろう。幾ら酔っ払っていても、ランナーが自分の大切なシューズを間違うはずはないと思うのだが。ほとんどの人はマイクロバスで仙台駅まで送ってもらうため、間違えたのは少し早めに帰った人か。 幹事役の香さんに事情を話し、急いでフロントへ届けに行った。急に酔いが覚めてしまった。会場に戻って部屋の前で出てくるランナーを待つ。それぞれが自分のシューズを履き、最後に一足のシューズが残された。それがきっと間違えて私のを履いて行った人の持ち物のはず。同じような青のラインが入っているが、メーカーもサイズも、紐の縛り方も全く違う。 無くなったシューズには、極度の偏平足がもたらした腱鞘炎のため、医療機関で作ってもらった特殊なインソールが敷かれている。矯正用のものだ。それがないと私は長い距離を走ることが出来ない。仙台に向かうマイクロバスの中でも私は思い悩み、一人沈んでいた。おおっ、何と言うどんでん返し。朝、自宅を出る際、あのシューズさえ選ばなかったら、こんな騒動にはならなかったのになあ。帰宅してからも、そのことが頭から離れなかった。 さて何日か経って星峰さんのブログを読んだら、走った翌日は歩いて仙台市内の観光をしたと書かれていた。そして雲峰師匠一行は、M仙人の案内でまたまた杯を重ねたみたいだ。昨年のように幸い雨にも降られることなく終了した「みちのくラン」。来年はお世話役の方々が果たしてどんなコースを用意してくれるのか、とても楽しみだ。星峰さんの完走記をhoneyさんが読み、来年は何とか参加したいとも書かれていた。 こうしてまた走る仲間の輪が広がって行くのが楽しい。なお、どこかへ消えてしまった私のシューズについては、改めて近いうちに書きたいと思っている。<完>
2009.06.27
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< 乙女ヶ浜から縄文村、そして大高森へ > やがて分岐点へ出た。B班、C班のランナーに香さんが説明。「ここからオプションで乙女ヶ浜へ行きます。片道2kmできれいな砂浜に着きます。ただしアップダウンが厳しいんですけど」。ほとんどのランナーは浜辺へ行くことを希望した。何とあの最後尾ランナーのT本さんもその一人。「おいおい、大丈夫かよ」。これは私の胸の中の声。嵯峨渓の突端にある小さな浜辺に向かって、細い山道を走るランナーの群れ。その中には神奈川の星峰さんもいた。 覚束ない足取りながら何とか頑張るT本さん。暫くすると遥かに下の方から波の音が聞こえ始めた。おお、ようやく浜辺に近づいたようだ。小さな堤防を乗り越えると、そこが乙女ヶ浜。入り江に漂着しているゴミも、さほど気にならない。二股の岬の間の小さな浜辺と岩礁。ここは43年前、まだ付き合い始めた当時20歳だった妻と来た、思い出の場所なのだ。 福島のT木さんが岩に生えている植物を見ている。ハマヒルガオだった。海岸に自生する植物の特徴を教えてくれる彼女は、とても植物に詳しい。それに愉快な漫画を描き、きっと今回のマラニックも素敵な絵日記になると思う。さて、再び元の場所まで戻ることに。だが、楽だった下り道が、今度は地獄の登り道になる。 ようやく分岐点まで戻る。その近辺に「唐船番所跡」があるのだが、先頭は無視して突っ走る。ここは幕末期にわが国との通商を望んで来航する外国船を見張るため、伊達藩が番所を置いたところ。左手に太平洋、右手に松島湾が望めるこの尾根は、見張りには恰好の場所だった。伊達藩には「海国兵談」を著して外国の脅威に備えるべきと説いた学者、林子平がいたのだが、彼は危険人物と看做され苦悶のうちに狂死する。何時までも鎖国を続けられないと判断し、江戸幕府が函館などを開港したのは暫く後の話だ。彼は時代を先取りした天才だったのだが、常人にはその学説の正当性が理解出来なかったのだ。 ようやく尾根を下って浜辺に出、そこから舗装道路を縄文村へ向かう。「奥松島縄文村歴史資料館」は東松島市立の施設で、里浜貝塚など島内の遺跡から出土した縄文人の遺骨など大量の遺物を展示している。最後のエードステーションは、その敷地内に設けられていた。「最後なので残さないで食べてね」。今回足の不調でサポートに回ったEちゃんがかいがいしく働いている。ここで果物や「鳩サブレ」などの差し入れをいただく。 一頻り休んだところで最後の難関へスタート。縄文村の目の前に聳える、宮戸島で一番の標高(と言ってもわずか106mに過ぎないのだが)である大高森に登るのだ。えっちらおっちらと最後の力を振り絞っての山道、階段道。やがて小高い山頂に到達。360度の展望が利くここからは眼下の松島湾、太平洋はもとより、遥か蔵王連峰まで見渡すことが出来る絶景の地。 昨年はガスがかかって全然見えなかった景色が、今回はじっくりと堪能出来た。特に遠来のランナーがとても喜んでくれた。そして何度か目の記念撮影。ここからは残り3kmだけだ。3つの班は気分良く下山し、ゴールに向けて平坦な道をラストランニング。<続く>
2009.06.26
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< 宮戸島は難コース > 30分ほどの休憩後、再び班毎に分かれて走り出す。東名運河を渡って、一路野蒜海岸へ。海岸の堤防上は暴走族対策用に柵が設けられていて車は通ることが出来ない。左手に太平洋を見ながら堤防を走るランナー達。やがてコンクリートの護岸から割り石の護岸に変わって走り難くなったため、県道27号線へ降りた。その時B班の誰かが転んだ。東京のT本さんだった。 話を聞くと、前夜例によって雲峰師匠達と痛飲したようだ。転んだのはどうもアルコールが十分抜け切ってなかったせいもあるみたい。幸い軽い擦り傷で済んだが、これが最初の「シグナル」だった。遊覧船の船着場でエード休憩。だが、遊覧船を利用しない我々に対する反応が冷たく、駐車場で食べ物を出してはいけないとの通告。おまけにトイレは屋外のを使用すべしとも。昨年は大雨で観光客がいなかったため、大目に見てくれたのだろうか。トイレを済ませ、ミニトマト1個を口にしてスタートする。 水路に架かる橋を渡ると、そこから先が宮戸島。いわゆる「奥松島」だ。20mほどの水路は太平洋から松島湾へ入る近道として、東名運河と同時に掘削されたものだ。ここでも福島のT木さんが私の説明で納得出来た由。この宮戸島はいわば「八つ手」のような複雑な形をしている島で、縄文時代の貝塚が多いことでも良く知られている。そして標高105mの大高森は絶景の地で、晴れていれば太平洋や松島湾はもとより、栗駒山から蔵王連峰までの大パノラマが望める。 C班先頭のO川さんが舗装道路から山道へ入った。いよいよトレイルコースへ突入。砂利道の上に登り坂が続き、B班との差が無くなってしまった。くねくねした細い道を暫く走り、途中から右折して山道へ。階段を登って行くとやがて無人の鐘撞き堂へ出た。順番を待って一人ずつ鐘を撞くランナー。静かな山道に暫くの間鐘の音が響き渡っていた。小高い山頂で一旦休憩。松の間から太平洋が見えた。ここで班毎に記念撮影。 暫し英気を養った後、山を下る。だが島の突端を巡るこのコースは激しいアップダウンの連続。B班の雲峰師匠とT本さんが次第に遅れ出し、C班の最後方にいる私が引率する形になった。2人が何か話している。「もう今年の奥武蔵は無理だな」とT本氏。「やはり米を食べないと走れないよ」。師匠が諭す。やはりアルコールだけではエネルギー源にはならないと言うことだろうか。 この雲峰師匠は「走る歌人」として有名な方。これまでも20集を超える歌集を出しておられるが、全てマラソンを走りながら詠った作品ばかりだ。60代に入ったばかりの頃は5日連続で100kmを走ったウルトラの達人。そんな師匠を慕って全国に50人を超える弟子がいる。我が走友会の香さんは一字もらって香峰と名乗り、東京から参加されたY田さんは鶴峰さん、神奈川の星峰さんも同じ「峰倶楽部」の仲間。みな錚々たるウルトラランナーだ。 先ほど野蒜海岸で転倒し、今最後尾にいるT本さんは、昨年の1月宮古島で開催された2つの100kmレースに2日連続で参加された方。その猛者も最近は練習で8kmほどしか走ってないとか。厳しい現実だが過去にどんな栄光があっても、長い距離を走れなくなれば「普通のオジサン、オバサン」に過ぎない。70歳に間もなく手が届く2人が迷子にならないよう、前のランナーが曲がった箇所を確認して、再び最後尾に戻る連続作業となった。それに下り坂は良く滑るため、用心する必要がある。<続く>
2009.06.25
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< マラニックで郷土史を学ぶ > 原っぱのような公園に形の良い松が一本。そこでB班が休んでいた。傍に大きな石碑と案内板。どうやらそこが「野蒜築港(のびるちっこう)」の跡のようだ。B班の香さんが私に説明してとご用命。突然の指名に戸惑いながらも簡単に謂れを説明する。 幕末の維新戦争で官軍に敗れた奥羽越列藩同盟は、家臣団が北海道へ渡って開拓に従事するなど悲惨な運命を辿った。一方戦に勝利して明治新政府の要人となった大久保利通がヨーロッパへ視察へ行った際に、伊達政宗が約300年も前に使節を送ってスペインと通商を結ぼうとしたことを知り、その先見性とスケールの大きさに驚嘆して自らの東北蔑視策を恥じ、政宗の領地であった野蒜に我が国最初の近代的港湾建設を命じたのがこの場所だった。 そこまで話した時、「それで利通が関係した理由が分かった」の声。福島のT木さんだった。彼女はこの周辺を4度ほど訪れているとか。明治11年、「お雇い外国人」の手によって先ほど走った「北上運河」から着工し、次いで鳴瀬川などから流入する土砂を防いで港の突堤を築き、下水道やガス灯を設置した街づくりを進めた。だがせっかく完成した突堤は明治17年秋の台風で破壊され、港は土砂で埋まり放棄された。確か横浜に新港が築かれる10年ほど前の話だ。利通が願った野蒜築港は、再び野原へ姿を変えた。まさに数奇な運命を辿った歴史の一こまだった。 東北に対する開発と蔑視の歴史は古代に遡る。この朝スタートした矢本駅の北方2kmの赤井遺跡は、奈良時代の牡鹿柵(おしかのさく)と考えられている。多賀城に陸奥国府が置かれていた頃の最前線の城だ。都から派遣された道嶋一族は原住民の蝦夷(えみし)を手なずけ、北上川の水運を利用しながら領地を拡げて破格の出世を遂げる。だが道嶋大盾は蝦夷出身の豪族である伊治(これはり)君あざ(比の下に口)麻呂を侮蔑し、伊治城で彼に討たれた。矢本の横穴古墳からは、青磁や白磁などの見事な陶磁器が出土している。都で用いられたのと同じ一級品だ。 休憩後鳴瀬川の堤防沿いに北上し、国道45号線に出てから鳴瀬大橋を渡った。そのまま河口へ出る予定が、歩道がないため裏道からJR野蒜駅を経由して東名浜近辺のコンビニで早目の昼食を摂ることになった。近く廃業予定とかでほとんどの品が2割引以上。何とビールまで2割引だったため喜んで購入。お握り2個、カップラーメン、ビールで楽しい昼食。昨年は焼いた牡蠣をつまみに、日本酒を飲んで来た強者もいたっけ。大崎のT田さんがようやくここで合流。 目の前の東名運河も、野蒜築港と併せて掘削された掘割だ。これで旧北上川河口から阿武隈川まで、日本で一番長い運河がつながったことになる。政宗が命じて作らせた「貞山堀」から数えて約300年後のこと。当時は太平洋の荒波を避け、内陸の運河を利用して関東まで米などを運んだのだ。<続く>
2009.06.24
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< 運命の青いシューズ > 6月20日土曜日。仕事が休みのこの日も、私は早朝3時過ぎには目が覚めた。この日は仲間の走友達が企画する第6回「エンジョイ・ジョガーin みちのく」(以下「みちのくラン」と省略)があり、目覚まし時計は4時にセットしていた。だが、連載中の「いわて銀河」の完走記が気になり早めに起きてしまったようだ。そのまま起床し、完走記の6回目を執筆。 苦労しつつ何とか書き終えた時には大幅に予定時間を過ぎていた。慌てて愛犬の散歩を済ませ、朝食の準備にかかる。本当は両膝にテーピングをしたいところだが、もう時間がない。止む無くテーピング効果があるロングタイツを履くことにした。幸い天気は曇り。予報だと最高気温は21度ほど。案外涼しそうなので、きっとタイツでも大丈夫のはず。シューズは底が硬く、少し重ためのを選んだが、どうもしっくりこない。そこで急遽A社の青い色のに取り替えた。まさかそれが厄介な事件を引き起こす原因になることなど、その時は少しも考えてはいなかった。 仙台駅の仙石線のホームに行くと、徐々に走友が集まって来た。「いわて銀河」で一緒だったO川さんにM井さん。普段よりも顔が赤く、どこか調子が悪そうなM井さんは、案の定風邪気味で熱もあるとか。だが今回のお世話のため、気合で乗り切るつもりのようだ。東京から来られた雲峰師匠、T本さん、エコジャーニークラブ主催者のS木さん、ブログ仲間の星峰さん達と久しぶりの再会。握手に次ぐ握手だった。 県外から来られたランナーが12名、宮城県内の仲間が31名。それにスタッフが9名で合計52名の大人数。中にはサポートのため既に車で出発した人もいる。電車の中で参加者のチェックと会費の徴収。一体何事が始まるのかと興味津々の乗客達。一頻り話しに花が咲いた辺りでJR矢本駅に到着。今回はここがスタート地点になる。早速駅前で着替えをし、荷物を3台のサポートカーに預けて身軽なランニングスタイルになる。 Dさん夫妻から資料に基づいて注意事項やコースの説明があり、ABCの3班に分けたメンバーと引率者の紹介。私はB班だったがC班の引率がO川さん1名だったため、急遽C班のサブに回った。各人の走力を見極めて班を編成しているが、それでも1班15名近い人数になると、どうしても先頭と最後尾とでは相当の差が出てしまうからだ。 C班の主体は大崎市グループと仙台明走会と住吉台走友会の仲間。ざっとメンバーを見渡しても、「仙台国際ハーフマラソン」の常連のスピードランナー揃いだ。引率の補助を申し出たものの、果たしてその役目を果たすことが出来るかどうか。そして「いわて銀河100km」からまだ1週間も経っていない私のアンヨが着いて行けるか、一抹の不安が残った。 参加者全員での記念撮影後、8時15分頃A班から順次スタートする。天候は曇りでわずかに吹く風が心地良い。これは絶好のランニング日和だ。一旦石巻方面に東行。行く手に製紙工場の白い煙が見える。間もなく南下し海岸方面に出、北上運河に沿って走る。これは旧北上川から鳴瀬川河口まで明治初期に掘削された人工の掘割だ。自然豊かなサイクリングロードを、おしゃべりしながら楽しげに走るランナーの群れ。<続く>
2009.06.23
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< ゴール後の走友と老ランナー > 競技場の入り口で誰かが手を振りながら私の名前を呼んだ。Eちゃんだった。女性陣は73.3km地点の第3関門でバスに収容された由。でも女性陣って誰々だろう。だが質問する暇は無い。時計を見るともう直ぐ制限30分前。これはいけない。せめて13時間30分以内にはゴールしたい。そう思って最後の力を振り絞った。 ゴール前にはYちゃんがいた。そしてゴールに飛び込むとH口さんが写真を撮ってくれた。スタッフの人がメダルを首にかけてくれ、私はそのまま完走証を取りに行った。タイムは13時間29分31秒。初めての13時間台ではあったが、これで「いわて銀河」3度目の完走だ。ようやく100kmの旅は終わった。体育館でアーリーエントリーの2千円を受け取り、荷物と完走賞のTシャツを受け取る。 体育館内でM井さんと遭遇。T田さん、C一さんら大崎市の古川3人衆と一緒で13時間を切ってのゴールだった由。シャワーを浴びて着替えし、荷物をまとめる。盛岡駅経由北上行きのバス乗り場に荷物を置きに行こうとした時、偶然秋田のJunさんと遭遇。彼はゴール後スタート地点の北上まで戻って車を運転し、私を待ってくれていたのだ。「川の道」と「錦秋湖」でのダメージがありながら9時間台であの難コースを走破したとは信じられない荒業だ。 体調が悪く前夜祭には出なかったと彼。道理で幾ら探しても見つからなかった訳だ。彼の健闘を称えて握手。その後、おにぎり、ビール、お茶、焼肉を引き換えてバスに乗り込んだ。その車中で東京のぬまっちさんと遭遇。これでほとんどの走友に会えたが、唯一大阪のむいむいさんに会えなかったのが残念。バスの中で遅めの食事を摂る。100km完走後にこれだけ食べられるのは、体調が良かった証拠だろう。さよなら岩手山。また来年素晴らしい勇姿を見せてね~。 新幹線の車中で神奈川のWさんに会った。「磐梯高原」で同じ部屋に泊まったことのある彼は70歳。端正なフォーム。ゆっくりだが安定したペース。削ぎ落とされて無駄の無い筋肉。まるで哲人のような老ランナーは13時間10分台でのゴールだった由。今回もコース上で何度か後ろ姿を拝見したが、どうしても追いつくことが出来なかった。昨年の大会後、制限時間の延長を事務局に訴えたことを話すと、「完走出来たのはそのお陰」と、哲人はとても喜んでくれた。それだけでも強く訴えた価値があった。 後日談も含め、走友のレース結果を記しておきたい。大崎のK彦さんは初めて10時間台での完走。O川さんは12時間10分台。腰を傷めたのは長距離の練習をかなりこなしたためだったそうだ。Y田さんは私に続いてのゴール。Y川さんのタイムは聞いてないが、11時間台の可能性もある。一度も姿を見かけなかったDさんは66kmでリタイヤした由。やはり「川の道」のダメージが残っていたようだ。 女性では、K野さんが初挑戦で見事な初完走。35km辺りで追いつかれたのは、やはり実力だったのだ。K藤さんは89km周辺で出会った収容バスに、思わず手を挙げて乗ってしまったとか。その後のレースを考え無理をしなかったのだろう。途中で抜いたK村さんはもっと早めにバスに乗ったと聞いた。 73.3kmの関門で止めたのは結局Yちゃん、H口さん、Eちゃんの3人だった。H口さんはこれまでの最長距離だったはず。足首を捻挫し、痛み止めの注射を2本打って出場したEちゃんは、足首を庇うあまり膝の裏側を傷め、しばらく走るのを休むようだ。こうしてそれぞれの「いわて銀河」は幕を閉じた。 レースの数日後、香川のEddieさんから私のブログに書き込みがあった。「完走したのにメダルがもらえなかった理由は何でしょう」と。頭をひねって答えたが、彼が大会本部に直接質問してようやく理由が分かった。予想より完走率が高くなったためにメダルの数が間に合わなかったのが真相とか。滅多に無い珍事だが、それだけ走り易くなったことの証明だろう。そんな訳で、私も後何年かは挑戦する楽しみが持てそうだ。<完>
2009.06.22
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< インタビューと若いライバル > 鶯宿ダムが近づいた頃、突然コース上でインタビューを受けた。追い駆けながらカメラを向けての質問。完走を確信していた私は落ち着いて答えた。何が印象的だったかと尋ねられ、「昨年自分のブログに大会の改善点を要請したら、今回ほとんど希望が叶えられたことがとても嬉しい」と。 実は前夜祭の会場でもインタビューを受けた。その時の質問の一つが「ウルトラマラソンの魅力とは」。「人生と良く似てることです」。私は即答した。意味が理解出来ないテレビ局の人に、「長い距離を走るウルトラマラソンはレースの間にいろんなドラマが起きるんです」と補足。 横にいたEちゃんが素早くフォロー。「100kmの中で自分がどう変化するか楽しみなんです。苦しみにどう対応出来るかも含めて」。一昨年の暮れにたった1回フルマラソンを走っただけで100kmに挑戦し、2度の「宮古島」と「しまなみ海道」で堂々3連続完走を果たした彼女だが、短期間にウルトラ魂が成長していたことに驚かされた。 昨年捕まった86.3km地点の第4関門を難なくクリヤー。だがそこにY田さんの姿はなかった。歌を口ずさみながら賢治ワールド前の第5関門に向かう。途中でリタイヤした選手達を乗せた収容車がひっきりなしに通るようになった。そして力なく道を歩くランナーも増え出す。90.7km地点の第19AS到着。この最後の関門にY田さんはいた。 声を掛けると「やっぱり1本じゃ足らなかったね」と彼。どうやらビールパワーの限界だったようだ。私は手早くエネルギーを補給し先を急いだ。100kmレースはここからが本番。視界が開け、秀麗な岩手山が一瞬だけ見えた。2年ぶりで臨むことが出来た山容は、レースの象徴とも言うべき光景だ。 92km過ぎ、「一歩ずつランナー」が友人と連れ立って歩いていた。66km辺りで彼を抜いた後、復活した彼に抜き返されたのが84km付近。若い彼らだがやはり体力の限界だったのだろう。声を掛けて先行すると、背後で「おおっ!」と言う驚きの声がした。見よ、これがベテランランナーの走りだ。彼らには厳しい現実だが、きっと今後のレースに生かされるはず。 緩やかな坂道を登り切ると95km地点。岩手山から秋田駒ケ岳にかけての雄大なパノラマが眼前に展開する。田圃道を黄色いTシャツの若者が歩いている。多分明走会所属だと思うこのランナーとは、これまで約50km近く前後を繰り返していた。私が先行すれば彼が追い抜く展開だったが、ここでようやく追い着くことが出来た。だがその前に私が探していたゼッケンナンバーを付けたランナーが歩いていた。紛れもなく香川のランナーEddieさんのはず。 「いわて銀河」に参加する私の予定を知って、たまたまブログに書き込んでくれた彼のナンバーをプログラムで見つけたのが前夜。偶然番号が秋田の走友Junさんの一つ前だったため、記憶に強く残っていた。ゴールまで残り3km地点で行き逢えたのは、私が要望したゼッケンを体の前後に付けることが実現したため。胸の1枚だけでは決して見つけられなかったことだろう。 直前に走った「えびす大黒100km」で足を傷めたEddieさんは、「いわて銀河」の激烈な下りで膝痛が発生した由。「時間内完走は確実なのでこのまま歩く」と言う彼と別れ、再び走り出す。その間に黄色いTシャツの若者はかなり前方まで行っていた。慌てて後を追ったがそのスピードには着いて行けなかった。きっと歌を歌いつつ横を通り抜けた私を「ライバル」と見做していたのかも知れない。 その時車の中から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。ゴールを終えたS木さん一家が帰宅する途中で私を見つけてくれたのだ。思わず手を振り「気をつけて帰ってね~!!」と叫ぶ。良かったねS木さん、奥さんと結婚したばかりのお嬢さんが応援に来てくれて。私は晴れやかな気持ちで雫石総合運動公園へ向かった。だがエネルギーは限界状態で、全くスピードが上がらない。<続く>
2009.06.21
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< 恐るべきビールパワー > コースは銀河高原ビール工場の敷地内に入る。この「銀河高原」と言うのも、多分宮沢賢治のネーミングだったはず。立っていたスタッフの人に、「どこでビールを売ってますか?」と尋ねたら、「あの建物だよ」と教えてくれた。迷わずY田さんとその建物に入る。支配人の方(?)に「ビールをください」と言ったら驚かれてしまった。「ジョッキですか?」。「いや缶ビールです」。 冷蔵庫の中から冷えた「銀河高原ビール」を取り出す。実はエードが改善されてないことを想定し、自販機で飲み物を買おうとポシェットに小銭を入れていた。それが思いがけずに役に立ったのだ。一方のY田さんは昨年の「磐梯高原ウルトラ」でバテた時、缶ビールを飲んで復活したことがあった。だからこの「いわて銀河」でも一度試してみたかったようだ。 建物の外に出てベンチに座り、ビールを開ける。このビールは前夜祭の会場でも飲んでいた。フルーティーな味が特徴の地ビールだった。今再びレースの真っ最中に飲む。冷たいビールが腹に染みる。思わず「美味い」と2人で顔を見合す。ふう~っ。これは生き返った感じ。東京のK川さんは驚くようなビール好き。今日も途中で会った時、30kmと60km付近でビールが買えると教えてくれたが、まさか工場内でビールが飲むことまでは彼も思いつかなかっただろう。 「先に行ってて良いですよ」。Y田さんはそう言い残して開いたビールの缶を返しに言った。まさか1人で行くわけにはゆかないだろう。彼が戻るのをまって再びレースに戻る。ビール工場の外が73.3km地点のだい16ASで第3関門。喉を潤したばかりなので、ここで摂るべきものはない。Y田さんは先に行ったが、私はペットボトルにスポーツドリンクと塩を補給するためにASへ寄った。その間わずか2、3分だろう。だが彼の姿は遥か彼方へと消えていた。 苦労した登りを分岐点まで下る。ここがコース唯一の折り返し。誰か知ってるランナーがいないか道路の向かい側を見るが、生憎誰も走友はいなかった。しばらくしてスタッフの誘導で雫石町方面に左折。再び登り坂が続く。緩いけど直射日光に晒される坂道は結構辛いものがある。遥か前方にオレンジ色のシャツ。あれはY田さんだろうか。何とか追い着きたい気持ちはあるのだが、ビールを飲んだせいかそんなことはどうでも良いような気分になっていた。 次の第17ASまで5km弱。昨年第3関門を10分残して通過したものの、必死で辿り着いたここのASには、全く飲み水がなかった。あの時の驚きは大変なものだった。まさかASにランナーの生命とも言うべき水がないとは。しかもその深刻さを、スタッフの小母ちゃん達は少しも理解してなかったのには2度ビックリだった。予想以上に気温が上がり、あまりの暑さに先行するランナー達が水を被ったのだろう。だが、水を補給する体制が昨年の大会本部には出来てなかったのだ。 幸い今回は飲み水も被り水もたっぷりと用意されていた。「岩谷堂」の水とか言う冷たい水が喉に美味しい。だが、登り坂がその後も続く。厳しい坂をノロノロ走る。依然としてY田さんの姿は見えず苦しくなる。監察車が止まり2名のスタッフが道端に立っていた。そこで「出来れば来年は第16ASと第17ASの間に水を置いてください」とお願いした。日陰の無い登り坂が続くあの辺は体力が落ちていることもあって、ランナーにはかなり厳しいと感じられる地点なのだ。 ようやく下り坂になって80km地点に到達。だが、慎重に坂を下りる必要がある。ここはとても長く、かつ急角度で降りる下り坂なのだ。まだ元気があった頃は猛スピードで駆け下りることが出来た。そんなことをすれば足への衝撃が強過ぎて、今はとても無理な話。深い谷間は涼しくて有難い。昨年はこの坂道を大崎市のT田さんがトボトボ歩いていたっけ。確か直前の「野辺山100km」で足を傷めたと話していた。だが今年の彼は速かった。きっとそれだけ強くなったのだと思う。 遠い道。遥かな道。86.3km地点の第18ASがまだ見えない。そこは昨年私が制限で捕まった第4関門でもあった。1時間制限が延びた今年は完走する自信があるため、全く関門を意識してはいなかった。道端に咲くヤマアジサイを愛でながら歌を歌う。静かなる山間。それにしても全く追い着かないY田さん。まさに恐るべきビールパワーだった。<続く>
2009.06.20
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< 1歩ずつ > トンネルを抜けたところが57.7km地点の第11AS。去年はここでパイナップルの缶詰が出た。楽しみに寄ったのだが、今回は残念ながらなかった。スタートしようとするY田さんを発見。「ここからの下りを慎重に走らないとね」。2人はそんな言葉を交わした。果物とスポーツドリンクで喉を潤しY田さんを追ったが、彼の姿は見る見る遠ざかって行った。ほほう、今年はかなり好調みたい。きっと彼も今年こそ完走しようと気合が入っているのだろう。 去年はこの坂を猛スピードで駆け下りた。35kmから45km地点までの10kmは股関節の痙攣でほとんど走れず、その遅れを取り戻そうとしたのだ。それが後半のスタミナを奪う原因にもなった。故障知らずの第2回、第3回は軽快に下り、ゴールを目指したものだ。かつて自分にもそんな時代があったことが信じられない感じ。制限時間が延びた今は、たとえゆっくりでも確実に走ることが大事。 61.9km地点の第12AS通過。去年は迫る制限時間との戦いで必死だったところ。今回は安心して食べ物を口にし、手にしたペットボトルにもスポーツドリンクや塩を補給出来る。さらに下ると50kmの部のコースと合流し、やがて県道1号線に出る。ここからゴールの雫石総合運動公園まで北上することになる。だがここは緩いけれど登り坂が延々と続く難所。ジリジリとした暑さ。大量の発汗で自分でも臭いを感じるほどだ。 やがて前方左手にレストステーションが見え出す。ここが66.5km地点。スタッフの人が選手のゼッケンを読み上げると、荷物係の方が該当する袋を選手に届けてくれる。ようやくここまで来た。Y田さんがちょうど出発するところだった。ずいぶん離されてしまった。だが焦る必要はない。荷物を受け取り、座れる椅子を確保。そしてポシェットから不要な手袋、ビニール袋、カロリーメイトを取り出してゴール行きの袋に戻し、その代わりにアミノバイタルの小袋を補給。 次いで、味噌汁のカップに小さなおにぎり4個を入れてかき混ぜた「猫マンマ」を食べる。さらに味噌汁とおにぎり2個を追加。これがもっとも大量にかつスムースに食べられる秘訣。長い距離を走るウルトラマラソンは、エネルギーを補給しながら走る必要があるが、後半は弱った胃が食べ物を受け付けなくなることがある。ヴァームドリンクを飲み、ジェリー状のヴァームを半分飲む。残りはポシェットへ。そして最後に3杯目の味噌汁を飲み干し、脇と股にワセリンを塗ってスタート。休憩時間は約8分。Y田さんの姿はとっくに見えない。 69.4km地点の第15AS通過。つい先ほど食べたばかりなので、水を飲むだけで再び炎天下のレースに復帰。目の前を1人の青年が歩いている。Tシャツの背中に「一歩ずつ」のロゴ。思わず「諦めないで一歩ずつ進めばゴールは近づくよ。ウルトラには復活があるからね」と声をかけた。「ありがとうございます」。振り返った青年が律儀に挨拶を返す。「一歩ずつ」。実に良い言葉だ。100kmの遥かな道のりも、一歩ずつの積み重ねでしかない。 70km地点を少し過ぎた辺りで歩いているY田さんを発見。「どうしたの?」と尋ねると、「いつもここでエネルギーが切れるんですよ」と彼。励ましながら先行すると間もなく銀河高原へ左折する地点へ到達。振り返ってY田さんに叫ぶ。「銀河高原だよ」。追って来た彼と合流して73.3km地点の第16ASへ向かう。ここは3つ目の関門。昨年はわずか10分前の通過だった。「よし、あそこで銀河高原ビールを飲もう」。2人の意見が一致した。途端に足が軽くなる。少しだけ雪を残した和賀岳が目の前にあった。<続く>
2009.06.19
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< 目には青葉 山ホトトギス > 高倉山温泉前を通過。「もう直ぐダムだっけ?」。いつの間に近づいたのか、東京のSさんが尋ねる。「先ず小さなトンネルがあって、鉛温泉を過ぎたらダムだよ」と私。その小さなトンネルが見えた。そしてトンネルを抜けるとスキー場が左手に見え、さらに過ぎると右手に温泉の建物が見えて来る。そこから少し下ると豊沢ダム。ダムの放水口を珍しそうに覗き込むランナーが数名。おそらく今回が初出場なのだろう。 ダムの堤防上が道路なのだが、狭いために交通規制をしている。小さなトンネルを抜けるといよいよ山道に入る。目に鮮やかな新緑。そして時折聞こえるホトトギスの鳴き声。素晴らしい大自然。ホトトギスとウグイスの二重唱をしばし楽しんでいるうちに、一つの考えが閃いた。「目には青葉 山ホトトギス いわて銀河」。そうだこれを完走記のタイトルにしよう。 左手にダム湖が見える。その水面がドンドン下に見えるようになる。ダムに沈んだ集落の記念碑や取り残された小さな神社を見ながら走るうち、次第に道路の傾斜がきつくなる。左足底の痛みはなくなったが、その代わりに左足のアキレス腱が珍しく痛む。果たしてこのままゴールまで行けるのだろうか。 登り坂で大勢のランナーが歩いている傍を、歌を歌いながら走る。曲は夏川りみの「童神」。沖縄のとても優しい歌だ。高音だがゆったりとした曲がこの坂には良く似合う。いつしかダム湖の湖面は去って、ブナの深い樹林となった。本当に登りなのだろうか。後ろを振り返るとやはり相当登っている。道理でスピードが出ないわけだ。でも昨年苦しんだ股関節痛が起きないだけありがたい。 やがて前方に一つ目のトンネル。ここは短いがトンネルの中も緩やかな登り坂。そして二つ目のトンネル。ここは長くて暗くて涼しい。コーンでランナーが走る部分が仕切られてはいるが、きっと閉所恐怖症の人は通れないだろう。横から何かが飛び出して来そうな深い闇。思わずつまづきそうな気になってしまう。「あ~みま~」私は大声で叫んだ。トンネル内に反響する声。これはアースマラソンで目下北アメリカ大陸を走っている間寛平ちゃんのギャグだ。応援の人も彼と一緒に叫ぶこれを、私も一度やってみたかったのだ。 第三のトンネルに入る前が55km地点。このトンネルが最長で暗く、中では寒い風が吹いている。まだ5月開催だった第2回と第3回は、このトンネルを抜けたところに雪が残っていた。この寒さに耐えられないランナーは歩き出し、さらに体を冷やしてリタイヤしてしまう難所なのだ。選手受付の際、防寒対策用にビニール袋を配っていたのはこのため。私はそれに加え手袋もポシェットへ忍ばせていた。だが気温の高い今日は涼しくて気持ちが良いくらいだ。約2kmのトンネルを脱出すると外が眩しい。<続く>
2009.06.18
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< 指定席 そして「なめとこ街道」へ > あれほど快調だった足が止まったのは、確か23km辺りだったと思う。やはり長距離の練習や速いスピードで走ってないため、限界だったのだろう。昨年の「立山登山マラニック」は室堂で終わったが、今年の「萩往還」では初めて250kmを完踏したと話していた東京のK川さんはとっくに前へ行った。 「野辺山」でのT田さんやS藤さんら大崎グループの楽しいエピソードを聞かせてくれたC一さんも前に行った。レース前に腰の不調を心配していたO川さん、今年度一杯で定年になり故郷に帰ると話していたY川さん、高校の後輩で今回は奥様とお嬢さんが応援に来ていたS木さん、ひょうきんでいつも明るいM井さんらの仲間も既に前へ行き、その姿はもう見えなくなっていた。 だが私は嬉しかった。たった23kmだがレースのほぼ4分の1を、スピードのある仲間達と一緒に走れただけでも満足だった。加齢から来る故障が続いた昨年のレースでは、何せ最初から置いて行かれたのだ。あれに比べれば今年はわずかでもスピードに乗ってレースをした実感が得られたのだから。 これが自分の定位置。ここからようやくマイペースでのレースが始まる。8km辺りで感じた左足足底部の痛みは薄らいでいた。後は前回苦しんだ股関節の痙攣が出ないことを祈るばかり。時折仲間のY田さんの姿を見かける。K野さんに一旦追いつかれたのは29.4km地点の第6ASだったか。やはり彼女はスピードランナーだけあった。 カメラ小僧のT田さんに抜かれたのは35km周辺だったはず。記念写真を撮ってくれた後颯爽と去って行った姿に、「野辺山」の疲れは全く感じなかった。彼も昨年は私同様に86.3kmの関門に捕まった。ニコニコして何も語らないけど、きっとあの時の悔しさをバネにして走っているはずだ。時折ちらちらと見えるオレンジ色のランシャツは宮城UMC「群馬支部」の方みたい。 走り易かった曇り空は7時50分まで。その後は強い太陽に照らされることになった。いよいよ暑さとの戦いが始まる。やはりランシャツ、ランパンが正解だった。オレンジ色の帽子を後ろ向きに被り直す。これは延髄を太陽に晒さないため。ここが熱気を帯びると運動機能が落ちるからだ。 40km地点通過は5時間ちょっと。県道12号線を左折するといよいよ花巻温泉街へ入る。宮沢賢治の小説では「なめとこ街道」と呼んでいたとか。道は緩やかに登り、松倉温泉に続いて坂道の途中に志戸平温泉が見えて来る。木陰が涼しくて気持ちが良い。道路脇の気温表示は18度だが、20度を超えているように感じるのはそれだけ体力が消耗している証拠だろう。大沢温泉、山の神温泉とひなびた温泉が続く。<続く>
2009.06.17
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< 食べ物、飲み物はランナーの命 > 競技場内へ入る。やはり風を感じる。だが高まる緊張感で、それも気にならない。宮城UMCのオレンジ色のTシャツを着た仲間が既にスタートを待っていた。岩手県出身の、間もなく103歳になられるアスリートでマスターズ世界新記録保持者である下川原さんが開会の挨拶。とても素朴でお元気な激励に心が和む。続いてソウルオリンピックの女子マラソン代表だった浅井えり子さんがスターター役で挨拶。 短いカウントダウンの後の号砲。一斉に走り出す選手の群れ。空は既にうっすらと明るい。トラック内を2周して場外へ出、運動公園内をスタッフの方に見送られながら走る。M井さんと話しながら走っていると、ポシェットに挟んだビニール袋を落としてしまった。直ぐに拾って再び走り出す。新しく買った小型のポシェットが、少し小さ過ぎたかも知れない。 仲間のEちゃんを追い越し様、「マイペースだよ」と声をかける。「分かった」と彼女。腕にはフェルトペンで関門の制限タイムを書き込んだようだ。彼女を含め、Yちゃん、K野さん、K藤さんが今回このコースに初めて挑戦する。そしてH口さんは50kmの部から満を持しての参加。果たして女子軍団がどんなレースをしてくれるか楽しみだ。ガンバレ女性陣 運動公園内を抜けると4km地点。ここからいよいよ一般道へ出る。わずかながら応援の方がいる。早朝からありがたいことだ。体調が良いのか自然と足が進む。仲間のM井さん、Y田さんを振り切って前へ。大崎市グループのC一さん、東京のSさんと話しながらのラン。Sさんはまだ故障中だが今年も「佐渡島一周」に出る由。 間もなく声をかけながらK藤さんを抜く。案外前を走っていた彼女だが調子は良さそう。やがてO川さん、Y川さんの姿も見え出す。ふ~む。今日はなかなか調子が良いぞ~。昨年は故障上がりで全然スピードが出なかった。おまけに35km辺りから10kmほど股関節の痙攣に苦しみ、結局86.3km地点の第4関門につかまった。今回から制限時間が1時間延びたので完走は間違いないだろうが、暑さとの戦いが果たしてどうなるか。 涼しい朝だ。先ほどの場内放送だと朝の気温が15度と言っていたが、微風があるためとても走りやすい。きっとそのこともスピードを上げさせる原因になっているのだろう。気持ちの良い田舎道。ここ「いわて銀河」のコースは、ずっと緑に囲まれた自然豊かなコースなのだ。先行していたO川さん、Y川さんが給水所で休んでいる。だがペットボトルを持った私はその横を通過する。 10km地点を1時間2分台で通過。私にとっては速過ぎるがそのまま押すことにする。18km地点周辺の良く整備されたゴルフ場。確かこの周辺は第2回大会で熊が道路を横切ったとか。20km地点の通過は2時間3分ほど。思ったより以上に快調だ。アスパラガスのお浸しが出たのは第4ASだったか。それにしてもASの内容がこれまでより相当改善されている。 昨年の第4回大会から6月開催に変わったのだが、まだ歴史の浅いこの大会は運営の経験も乏しく、去年は飲み水のない給水所が出た。1ヶ月遅くなったため気温が上がったのだ。それにASの給食の内容も良くなかった。暑いのに水も飲めず、ランナーが過酷なレースを乗り切りために必要な食べ物もないAS。完走率が悪かった原因は単に気温のせいだけでもない。私は強くそう感じた。 レース後、私はそのことをブログに書いた。そしてそれを大会本部の方が見てくれ、どう改善したら良いかを尋ねて来た。先ず制限を1時間延長すること。ゼッケンナンバーを体の前後に付けること。AS(エイドステーション)で提供して欲しい具体的な給食内容。十分な飲み水の確保は当然のことなどだ。制限時間の延長はエントリーした時点で分かったが、果たして問題のASはどうかと疑い、レースを走り切るための準備は自分なりにして来た。 だが私の懸念を他所に、ASは立派に改善されていた。ランナーの体に優しい食べ物。良く考えられた食品。「アーリーエントリーの料金を返すくらいならASの食べ物を良くして欲しい」。私が自分のブログで訴えたことが、思いがけず実現されていたことが嬉しい。これ以降もキュウリやトマトなどが用意されていたASがあったし、私が望んだ「柴漬け」やシソの香りがする「ユカリ」のおにぎりはどこでも食べられた。やはり真剣に訴えた価値はあったのだ。率直に意見を聞き入れてくれた大会本部には、心から感謝したい。<続く>
2009.06.16
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< 友を探す > 6月14日(日)レース当日。午前1時51分に目が覚める。夜中に2回トイレに起きたが、5時間は眠れたはず。直ちにポットのお湯を沸かす。これは朝食時の味噌汁とお茶を飲むためのもの。次いで冷蔵庫から幕の内弁当などをテーブルの上に出す。2時ちょうど、頼んでおいたモーニングコールの電話が鳴る。 次に両膝を中心に丹念なテーピング。昨年傷めた左足足底部にはテープを2回巻く。味噌汁、お茶の準備をし、早速冷えた弁当をパクつく。長い距離を走るウルトラマラソンはスタート時間が早いため、真夜中に朝食を摂る必要がある。味噌汁やお茶は塩分と水分の補給になるし、円滑な食事を助けてくれる。ホテルの前では三々五々集まって来たランナーが、次々にスタート地点行きのバスに乗り込んでいる。それを眺めながら、ゆっくり食べ物を胃に送り込む。 食後はスズメバチ飲料を飲み、血圧降下剤を服用。問題の服装だが、所属する「宮城UMC」のオレンジ色のランニングシャツと白いランパンにした。気温が上がるとの予報のため、自分にとってもっとも走り易いのがこれだった。ただし、ポシェットには寒さ対策用のビニール袋と手袋に加え、ヴァーム粉末とカロリーメートも入れた。脇の下や股にワセリンを摺り込む。これも極力痛まずに走るための重要な対策の一つ。 66.5km地点のレストステーションに送る透明な袋には、予備用の半袖Tシャツ、薬類(ワセリン、消炎剤、痛み止め用の塗り薬)を入れ、チューブ入り栄養剤2個とヴァームドリンクは凍った濡れタオルで包んだ。これも100kmを走り抜くための重要な戦略。使わずに済むものがあってもそれはそれで良いのだ。 長袖Tシャツ、セーター、トレパン姿でバスに乗り込む。JR北上駅周辺のホテルに泊まった仲間の女性陣の姿が見えないが、一足お先に会場へ向かう。20分ほどで会場へ到着するなり、先ず66.5km地点行きの袋を所定の場所に置く。陸上競技場の建物内には既に大勢の選手でごった返している。出走確認の手続きをした時、バスで隣の席だったランナーが私と「音」だけだが同姓同名の方だったことに驚く。 走友の姿を探すがどこにも見当たらない。特に心配だったのが秋田のJunさん。前夜祭の会場でも5回ほど回って探したのだが会えなかった。彼は5月の「川の道」で520kmを走ってかなり足を痛めていたし、直前の「錦秋湖」30kmで無理し肉離れを起こしていたようだ。スタート地点へ出発する朝、彼のブログへ「決して無理はするな」と書き込んでおいた。だから彼の姿がないのは心配でもあるが、その一方私の忠告を聞き入れてくれたのかと安堵もした。 やがて宮城UMCの仲間達が集まって来た。所属する南仙台走友会の仲間達は、例年会場周辺の芝生にテントを張って一夜を過ごすのだが、今回は大会スタッフの方が会議室への宿泊を許可してくれた由。遅れて来た女性陣も交え、スタート前の記念撮影で盛り上がる。皆は既に走る姿だが、唯一ユニフォームの私は寒さを用心し、まだセーターのままだった。トラックには肌寒い風が吹いている。気温は15度。寒いと感じるのは一時。走り出せば何とかランシャツで行けるはず。スタート15分前。ようやく走る姿になり、ゴール行きの荷物を預ける。<続く>
2009.06.15
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今朝4時、岩手県北上市の北上総合運動公園をスタートし、同県雫石町の雫石総合運動公園をゴールとする「いわて銀河」を走って来ました。今日の現地での最低気温は13度ほど。最高気温は25度の夏日となりました。 曇って涼しかったのは朝の7時台までで、後は暑さとの戦いです。仙台から大勢の仲間と一緒に行きましたが、懇親会場やレースのコース上、あるいはゴール後に全国の走友とお会いすることが出来ました。結果は13時間29分31秒でのゴール。今年から制限が1時間延びたお陰で、滑り込んだわけです。 留守中にいただいたエールへのお返事は、申し訳ありませんが明日書かせていただきます。明日も早朝から勤務に就くため、間もなく就寝しないといけません。ひとまずレース結果の簡単なご報告に代えさせていただき、明日から完走記の執筆に取り掛かる予定です。いつに変わらぬご来訪を心から感謝しています。どうもありがとうございました。
2009.06.14
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明日は第5回「いわて銀河」100kmを走ります。そのため、間もなくスタート地点の北上市に向かう予定です。久しぶりに会う仲間。久しぶりに会う全国の走友。中には名前だけ知ってて今回初めてお会いする人もいるかもね。さて、懇親会でそんな方々に無事お会い出来るでしょうか。 明日の夜の帰宅はかなり遅い時間になります。簡単なご報告は出来るでしょうが、レースの報告を書き始めるのは、明後日の月曜日からになります。たくさんの応援、ありがとうございました。ここを訪れてくださった皆様、応援してくださった皆様へ、良い報告が出来ることを願っています。明日は楽しんで走ります。では、少しだけ留守にしますがよろしくね~!!
2009.06.13
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昨夜の夕食時、カブのヌカ漬けが出た。我が家の菜園で取れた今年の「初物」を堪能する。これはもらって来たヤーコンの苗を植えるために、止む無く間引いたものだった。昨年初めて育てたヤーコンの苗を買ったのは県北部の温湯温泉。妻の入浴中、私は秋田県境方面の山中へ走りに行った。 それから1ヶ月もしないで起きたのが「岩手・宮城内陸地震」。十数名の尊い生命が奪われた大災害だった。あの時亡くなった夫婦の遺体が先日ようやく見つかった。場所は私が走った国道からほんの少し入ったつり橋だ。もし私が地震当日に走っていれば、そして「つり橋」へ向かっていれば、私が彼らの代わりになっていてもおかしくないのだ。 昨夜、突然妻が私に尋ねた。「お父さん、30分間ほど走るコースはないかな」。聞けばテレビであまり疲れずに走る方法を紹介していたようだ。四国の松山へ赴任中、ランニンググッズを買い与えて、妻に走ることを勧めたことがあった。だが更年期障害真っ最中だった妻は、不整脈が出ると言って間もなく走るのを止めた。あれから15年。妻の変わり様に驚いた。これは嬉しい誤算。30分ほど経って、妻は「案外楽に走れたよ」とニコニコ顔で帰って来た。 昨夜は他にも嬉しいことがあった。田中の先発で何とか中日を下し、7連敗を免れたのだ。これで田中は8勝1敗、パリーグの単独トップに躍り出た。苦しい戦いが続く楽天だが、選手層が薄い戦力で良く戦っていると思う。ロッテの次期監督は江川で、楽天は桑田などと言う噂があるようだが今は戦いの真っ最中。雑音は不要だ。 この2、3日不調だった我が家の愛犬だが、今朝の散歩ではようやく正常なウンチに戻った。あの騒動は何だったのか。彼が何も語らないため原因は不明だが、何とか一安心出来そうだ。今日は午後からレースの準備に取り掛かった。明後日の現地は「曇り時々晴れ」で最低が10度、最高は24度の予報。きっと苦戦するだろうね。 多分ランパン、ランシャツになると思うが、念のためタイツや半袖Tシャツも持った。66km地点の休憩所へは、栄養剤、消炎剤の他に、当日の朝に着なかったシャツなども送る予定。明日は午前中から走友の運転する車に同乗して、北上市に向かう。 さて、ランナーが何の心配もなく走れるのは、家族の理解があればこそ。自分だけでなく愛犬も含めた家族全員が健康でなければ、レース中も心配で楽しくない。家族に感謝。健康に感謝。レースを支える全ての方々に感謝。天候が雨とか晴れとかは些細なこと。今夜はグッスリ眠ることにしよう。
2009.06.12
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朝の散歩から戻ると、風呂の脱衣所にシャツとパンツが置いてあるのを見つけた。んんん?自分の下着がそこにあると言うことは、昨夜風呂に入らなかったことを意味する。昨夜はKスタから早めに帰った。そして濡れたマー君のレプリカユニフォームやシャツを脱ぎ、パジャマに着替えたのだった。 そのまま2階の自室に向かい、疲れや眠気や若干の酔いと戦いながら自分のブログへ書き込みをしてくれた方のうち3人にまでは何とか返事を書いた。だが残りの1つはもう無理で、ついに寝床へ潜り込んでしまった。パジャマを着ていたため、きっと風呂へ入ったものと勘違いしてしまったのだ。 昨日も勤務後山越えで帰宅ランをした。レース前の最後の練習だった。走り終えてラジオ体操をした時、愛犬を庭に放した。彼は裏庭でオシッコをし、2度ほど梅の木の下へ近寄ったみたいだ。昼食後はブログへ文章を書いた。そして夕刻には買い物がてら愛犬と散歩へ行った。そこまでは普段と何も変わったことはなかった。 その夜、対中日戦がKスタであった。私が買った前売り券はレフト側の自由席。人気が低いだろうから自由席でも座れると踏んだのだ。推測はバッチリ当たった。だが外れた推測も幾つかあった。まずは天気。何とこの日から南東北も梅雨入りし、球場は白いもやに包まれていた。 外れた2つ目は楽天の先発投手。水曜日なのでてっきりマー君だとばかり思い込んでいたのが、ラズナーとの発表に場内がどよめく。確かに順番から言えば彼の番だった。先の巨人戦で野村監督は予想外の有銘をぶつけ、あれで1日ずれたのだ。思えば先週水曜日の阪神戦で田中は今季初黒星を喫し、あの日から5試合連敗が続いた。だからこそ再び田中で連敗を食い止めるはずと読んだのだが。球場へ足を向けた楽天ファンの思いは、皆同じだったと思う。 確かにラズナーも悪くはない。現に先週の火曜日の阪神戦では勝っている。だがこの日は制球が定まらなかった。1回の表と2回の表の中日の攻撃は合わせて1時間近くかかった。それに反して楽天の攻撃は5分ほどか。立ち上がりから不安定だったラズナーは、わずか1回3分の1を7失点で降板。2番手、3番手の投手も次々打たれ、4回までに0対12のワンサイドゲームになった。 応援団が相手投手のノーヒットノーランを意識し、「お願い打って○○」(○は選手名)などと応援し出したため、私は大声を張り上げた。「そんなプライドのない応援はするな~」。まだ4回なのに1ヒットを懇願してどうする。もやがさらに濃くなり、ポツポツと雨も降り出した。私は早々に見切りをつけた。 4回裏で帰ったのは最短記録。これまで幾ら負けていても、7回裏の楽天の攻撃までは観ていた。だがこの夜の楽天には全く覇気を感じなかった。その後試合は「もや」で一時中止し、中日はさらに3点を追加。楽天は山崎のタイムリーで1点を取るのがやっとだったようだ。 深夜、突然愛犬が騒ぎ出した。時刻は12時15分。暗い空から落ちて来る大粒の雨。オシッコかと思い、犬小屋の戸を開けて庭に放つ。だが彼にその素振りはない。仕方なくガレージにつないだ。彼が再び騒ぎ出したのが朝の4時過ぎ。今度は裏庭へまっしぐら。てっきりオシッコをしたのだとばかり思っていた。 だが、朝の散歩時に異変発生。何と下痢便に血が混じっていたのだ。深夜吼えた理由がようやく飲み込めた。それにしても何故?そう考えて思い当たったのが庭の梅。前日彼を庭に放した時、梅の根元へ2度行った。きっとその時に、落ちていた青梅を食べたのではないか。ラブ犬は悪食で有名だ。私の推理が正しいかどうかは、便に梅の種が混じっていた時に証明されるはず。「種明かし」とはまさにこのこと。推理が当たるか。青梅に当たったか。ふ~む。
2009.06.11
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宮城県と福島県の県境に七ヶ宿と言う名の町がある。山形県と宮城県南部をつなぐ街道が通っていて、昔は7つの宿場が置かれていたことが町名の由来だ。この町の花、つまり町花が「オトメユリ」。その名の通り恥らうようなピンクの色をしたユリが町の名物。 だがこの可憐な花が自生する山で、ユリの数がかつての3分の1ほどにまで減っているとか。原因は盗掘。花が有名になるほど人気が高まり、荒らされてしまったのだ。町はバイオ技術を駆使してユリを増やし、山に植える作戦を取った。だが翌年になって再び芽吹くユリは少ないかったようだ。盗掘が治まらないのか、バイオ技術の限界かは聞き漏らしたが、可憐なユリを静かに見守って欲しいと願うのは町民だけではないはず。 少し前のニュースだが、高知県ではニョッキリ伸びたタケノコを輪切りにし、それを茹でたものを売ってるようだ。竹の種類は「破竹」だったろうか。サクサクして歯応えがあり、結構美味しいそうだ。宮城県南部の竹林で「竹水」を飲むニュースを観た。長く伸びたタケノコの先端部分を切ると、行き場を失った水分が節と節との間に1リットルほど溜まるのだとか。 タケノコは大量の水分を地中から吸い上げるようだ。だから「雨後のタケノコ」の諺どおり成長が早いのだろう。先端を切られたタケノコを揺すると、ジャブジャブと水の音がした。鉈で切った竹から注がれる竹水は、飲むと爽やかな味がするらしい。 少し前の新聞記事によれば、サケとマスに生物学上の明確な違いはないのだとか。一般的には川に棲むのがマスで、マスが川を下って海に入り「銀化」という現象を起こすとサケになる由。何だか思議な話だ。ただ銀化してもサケと呼ばずにマスと呼び続ける例も多いみたい。 琵琶湖のアユが海に出ないことは良く知られている。つまり湖が海の代用。そしてそこから琵琶湖に注ぎ込む河川を遡上して成長するようだ。この琵琶湖の生態系が最近ではブラックバスなどの外来種に脅かされている。それでも琵琶湖のアユは日本一の漁獲量を誇り、全国に稚魚が出荷されているみたいだ。 今年はミツバチがとても少ないことが話題になった。だが不足しているのはセイヨウミツバチで、ニホンミツバチはまだ健在の由。セイヨウミツバチは蜜を集める「家畜」として改良を重ねて作られた種。雨が降れば仕事を休む。天敵のスズメバチとは1匹で向かい、自分たちが全滅するまで戦いを止めない。1つの花に固執する。ダニには極めて弱い。大量の蜜を集める能力があるが、時々群れで失踪することがあるのが彼らの特徴らしい。 一方ニホンミツバチの方は、スズメバチを群れで囲んで体温を上げて退治する。また負けると思ったらさっさと巣を捨てる。少々の雨でも仕事をし、花の種類は選ばない。蜜の量はセイヨウのわずか10分の1ほどしか収集できないがダニには強いなどの特徴があるようだ。 日本の農業、特にハウス栽培などでの受粉作業に欠かせない存在のセイヨウミツバチだが、あまりにも高度な「家畜化」が、今、種の存亡を脅かす原因となっているのかも知れない。生命の不思議さ。だがそこに人間の力が及び過ぎると、取り返しのつかない結果を招くことになる。猛烈な地球温暖化は、すべてヒトと言う生物によってその原因が作られたのだから。
2009.06.10
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今日も帰宅ランをして帰った。路地の一番手前のKさん宅では、植木職人の方が2名庭の草刈をしていた。それを横目で見ながら最後のダッシュ。今日は青葉通り経由のため1kmほど短い。その代わりいつもとは違う風景に出会えた。 先日の第一日曜日はわが町内定例の草刈の日。会員数は約100戸ほど。そのほとんどが町内に2つある公園で草刈をするのが通例。だがわが班だけは公園に行かず、バス停前の草刈をするのが恒例となっている。公園はさほど草が生えておらず、しかも大勢だから作業も楽なもので、皆おしゃべりを楽しみながらやっている。 ところがバス停前は草が思った以上に伸びていて、しかも人数は僅か。それに水路のドブ掃除もやるから、結構しんどい作業になるのだ。やがて保健衛生部長のWさんが草刈機を持って現れた。秋田出身の元家具職人でとても気さくな人。年齢は75歳くらいか。苦労が多い人力作業に比べれば、機械での除草はとても早くかつ完璧だ。Wさんが働く姿を町内で良く見かける。ゴミ収集場所を修繕したり、土手の草刈などをニコニコしながらやっている姿には、頭が下がる。 さて、私達が作業しているバス停前へ、T会長とY副会長兼総務部長が見回りに来た。会長は怒った顔を見たことがないほど温和な方。70代半ば近いと思うのだが、市や地区の関係会議へは年間40回ほど出席しており相当の激務。副会長は元小学校の校長先生で理論派。年齢は会長と同じくらいか。心臓に持病があって先刻も何日か入院された由。彼が編集・発行している町内の広報紙は、ご近所のニュースや地域の歴史なども掲載される多彩な内容。早く交代したいのだろうが、あれだけの広報が出来る人は他にいない。 わが班選出のK会計部長は労災で左手の指先がない。そんな障害を持ちながら、町内の仕事を快く引き受けている。元印刷会社の営業担当で、今は庭仕事、畑仕事の傍ら友人と山登りを楽しんでいるし、四国へも車で旅行する行動派だ。年齢は68歳ほどで役員の中では若手の部類。その彼がその日も箒を手にして一生懸命道路を掃いていた。 彼にあることを相談しようとした途端、お婆さんが私に話しかけて来た。「あの~、植木屋さん・・」。「いや俺は町内会だよ」。私がそう言うと、彼女は「庭の草刈は植木屋さんに頼んだの。今度の火曜日に来ることになってる」。彼女の家では初め彼女が動けなくなって介護の世話になり、そのうちにお爺さんも歩けなくなって、目下夫婦とも介護の世話になっていた。 だから草刈などはとても出来ない状態で、庭中が雑草で埋め尽くされていた。それを見かねて、数日前にボランティアでの草刈りを申し出たのだが、お婆さんは遠慮した。そこで会計部長のKさんから改めて作業を申し出てもらえれば、きっと安心して受けてもらえると思ったのだ。あの後お爺さんにも相談して、植木屋さんに頼むことにしたのだろう。植木屋さんによる庭の草刈が今日実行されたのだ。 「豊齢懇談会」の案内が届いた。今月の下旬に集会所で開かれる今回のテーマは、「高齢者に優しい元気アップ運動教室」。わが町内会には「豊齢部」が置かれ、このような行事を随時開催している。ますます進む高齢化社会を見据え、政府には「定額給付金」のようなバラマキではなく、恒久的な施策を実行して欲しいと願う所以だ。
2009.06.09
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今朝もいつものように愛犬と散歩。曇り空で少しヒヤッとする天気。歩いているうちに、どうも左足の様子がおかしいことに気づいた。トレパンの中で何かがずれているような感じ。ふ~む。ステテコは履かなかったはずなのになあ。さらに行くと、トレパンの足元にグレーの物体。んんん?一体何だろうと取り上げて見れば、なんとそれは自分のパンツだった。慌ててトレパンの中を覗く。ちゃんとパンツは履いている。あ~ビックリした。 第1現場のビルに出勤して玄関ホールで立哨していると、1人の美女がニコニコ笑って近づいた。「昨日はザル川のところでマラソンしてたでしょ?自転車で通った時に見てたんだよ」。んんん?確かに前日小川の土手を走った。その時自転車に乗った若い女性とすれ違ったが、あれが彼女だったのか。 それにしても「緑のシャツ」と彼女が言ったが、私が着ていたのは走友会の黄色いランニングシャツだし、ランニングを「マラソン」とはねえ。走らない人の認識なんか、得てしてそんなものだ。先日散髪した床屋で「走っているから髪を短めにして」と注文したのだが、「毎日走っているんですか」と聞くので、「週に何度か」と言ったら、それっきり話は途絶えた。きっと彼女の中では、「毎日走るのが凄いランナー」なのだろうね。 さて、先週は木、金、土と3日間走れなかった。1週間後には100kmを走る「いわて銀河」が迫っていた。日曜日も朝からいろいろあって走る気を失いかけていたのだが、ようやく午後から走りに出かけた。気温は22度ほどか。私にはランパン、ランシャツじゃないと苦しい気温だ。ヴァーム粉末を溶かしたペットボトルを持って練習コースへ。 シューズは新しく買ったもの。今回のレースでも履くため慣れておきたいからだ。肌寒かった空気がやがて暑く感じられるようになる。走り出すとどうしても体温が上がる。そしてそれを防ぐために発汗作用が激しくなる。「いわて銀河」当日の気温は曇り。気温は最低が13度で最高が20度と言うのが最新の予報。これからどんな風に予報が変わるか要注意だ。 坂道も比較的楽に走れた。やはりランパン、ランシャツが正解だった。「いわて銀河」は山間のコースで、気温は街中より3度以上低いと思う。はたしてどんな服装で臨むか。それが完走の重要な「鍵」になるはず。22kmを2時間23分余りで気持ち良く走り、ラジオ体操をした後は風呂の残り湯で体を洗う。そしてパジャマに着替えて日記に取りかかった。 走りに行く前に履いていたパンツは、トレパンと一緒に脱いだままだった。それに気づかずに今朝再びトレパンを履いた。足元に落ちて来たパンツは前日の「生パンツ」だったのだ。散歩から帰宅後、慌てて洗濯機の中に放り込んだのは言うまでもない。私の生パンツなど、誰も要らないだろうから。 「珍事」は兎も角、レース前の良い調整になった昨日の練習ラン。今週は水曜日まで帰宅ランをした後は、ゆっくり体を休める予定。今週の土曜日にはスタート地点の北上市に向かう。それまでレースのためにどんな物を用意するか。既に頭の中では採るべき作戦が決まっている。それを100kmの長丁場で実際にどう実現するか。当分楽しい夢が見られそうだ。
2009.06.08
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とうとう貯金を使い果たした。野村監督率いる東北楽天が話題の対象。昨夜の対ヤクルト戦2連敗で、春先から貯め込んでいた白星がすっかり無くなってしまったのだ。どうもセパ交流戦に入ってから調子が良くない。巨人、広島、ヤクルトにそれぞれ2連敗ずつで、目下交流戦の最下位。いくら最下位には慣れてると言っても、これではねえ。 打線の主力である山崎、中村ノリ、リックが共に腰痛で苦しんでいるし、セギノールに至っては未だ2軍で調整中。投手陣も田中以外がピリッとしない。昨年21勝3敗だった岩隈が、目下5勝4敗では貯金が無くなるのも当然だ。昨夜も5失点で4敗目を喫したが、無様だったね岩隈は。WBCの疲れがまだ残っているんだろうか?あの松坂ですらたったの1勝だもんなあ。 さて、40歳の伊良部がアメリカの独立リーグに現役復帰のニュースには驚いた。辞めてから3年は経ってるかな?それが帰国して野球を指導しているうちに、速球を投げるコツを発見したと言うから奇跡みたいな話。昨日は5回4失点(自責点2)ながら148kmのボールを投げ、久しぶりに勝利投手になったとか。全く凄い話だね。 約4800kmを走る「トランスヨーロッパ」も49日目。目下スエーデンを北極圏に向かって北行中。気温は3度から6度Cとか。「ゴアテックス」を着てもまだ寒いと旅がらすさんのブログに書かれていた。通算トップはドイツの男子選手で278時間06分35秒。で、ビリが日本人女子の旅がらすさんで535時間45分00秒。一時リタイヤしていたHさんなどの日本人選手も、参考記録だと思うが、まだレースに参加しているようだ。 「アースマラソン」173日目の寛平ちゃん。昨日は足の甲が痛んでいたみたいで、私は疲労骨折を心配していた。道路上に細かい砂利や砂があった時は、それがクッションになっていたのが、堅いアスファルトに変わってから足に強い衝撃を感じていた由。インソールにクッションを敷くなどの対策で、何とか痛みを抑えながらゴール出来たようで一安心。 昨夜は岡田ジャパンがアウェーでウズベキスタンを1対0で下した。これでアジア予選2位以上の通過が決定し、世界で一番早く南アメリカ開催のワールドカップへの出場決定の由。つい先ほど帰国した模様だが、岡田監督はかねがね、ワールドカップではベスト4に入りたいと表明しているようだ。かなり強気な発言だが、たとえ前途多難であろうともその意気込みが嬉しい。 さて、今夜の楽天は東京ドームで対巨人戦。現在阿部のホームランで0対2の劣勢。う~む。これでいよいよ借金生活の始まりか。何とか踏ん張って欲しいのだが、やはり前途多難は免れないだろうな。
2009.06.07
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昨日の仙台は一日中雨が降り続き。ほんで今日も朝から雨。あかんなあ。まるで梅雨の走りのような天気や。わざわざずぶ濡れで庭仕事をする必要もおまへんし、第一ゆんべも東北楽天が敗れて意気消沈でんがな。 こんな時に「もってこい」のことがおます。それはなんやて?空想でんがな、あんさん。空想するのは只やしね。それに疲れることもおまへん。ランナーが空想することと言えば食べること?いやいや違いまっせ~。当然走ること。ランナーは「走ってなんぼ」の世界でおま。 ほんなことで、先ず来月走るマラニックのコースを確認。早朝に自宅を出発しJR仙石線で石巻へ。石巻駅のトイレで着替えした後、港が見える日和山公園に向かう予定。江戸時代、江戸まで米などを運んだ船が出入りしていた石巻港がよう見えると思うで。「奥の細道」で訪れた芭蕉はんも、きっと同じ景色を観とったはずや。 ほんで地図で走行距離を算出。初日に泊まる南三陸町の志津川まで、海沿いの国道を行けば約70kmで、北上川に沿って北上大橋まで出るコースを辿れば約50km。スタート時間が遅いことやリュックを背負って走ること、その頃の気温などを考えれば、無理の無い50kmがええとこやろな。これに日和山までの往復2kmを加えた52kmが初日に走る距離。夜は美味しい魚がぎょうさん食べられるで~。ワハハ。 第2日目は国道45号線に沿い、気仙沼までひたすら海沿いの道を走る。先日のバス旅行の時に歩道の有無などを若干確認出来た。距離は38kmほどやし、この日は朝の8時過ぎにはスタート出来ると思うんで、午後1時には到着するやろ。出来れば評判の「ホルモン」を食べたい。帰路はビールが飲めるJRがええのんとちゃう? 次に11月下旬に予定している「沖縄本島東海岸縦断走」のコースを確認。距離が入った地図が見当たらんので、市町村毎の地図でそれぞれ違う縮尺を考慮に入れながら距離を算出するしんきくさい作業や。初日は北部の名護市まで移動し、ホテルに泊まるだけ。本番の第2日目は沖縄本島最北端の辺戸岬をスタートし、北部の東海岸に唯一存在するリゾートホテルまで77.5kmほど。坂道続きやし、集落がほとんどなく食料や水をリュックに入れて走るため、結構苦戦するんちゃうかな。それに晴れれば気温が27度にもなり、仙台との温度差に苦しみそうやね。 第3日目は出来るだけ早く出発し、体調に合わせて走れるところまで走る作戦。北中城村までやと約56km。西原町までやと約68km。そして与那原町まで走れた場合は約70km。夜は那覇市内に1泊の予定。与那原から昨年走った西海岸縦断のスタート地点、摩文仁平和祈念公園までは31km。第4日目の飛行機の出発時間まで少しでも走るか、それとも来年予定しているNAHAマラソンの10回完走と併せた記念行事にするか。どっちにしてもほんで沖縄本島一周320kmの達成なんや。 その後見つかった距離数入りの地図と私の試算を比較したら、結果は何と「どんぴしゃ」。縮尺がちゃう10の市町村の累計、それも目測の距離とピッタンコやからまさに神業。ほんまにたまげたが、「本番」がえらい楽しみになったわ。こんな風にウルトラランナーは空想を楽しんどるんやで~、あんさん。
2009.06.06
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昨日の朝、それを見た時は裏返しになっていた。今朝の散歩で確認したら、それは草叢に放り投げられていた。「ここで犬に糞便させたら汚いではないか!」。手製の「看板」には確かそんなことが書かれていたはず。「どうも気に食わないなあ。何時か取り外してやろう」。心の中でそう思っていたのだが、早速実行に移した「勇気ある人」が現れたわけだ。 「看板」があった場所は市道の脇の草叢。小川の土手でもあり、散歩するワンちゃんにとっては恰好のトイレだ。人家も無いため誰にも迷惑を掛けるような場所ではない。だが私はそこで愛犬にオシッコやウンチをさせない。理由はダニがいるからだ。 それは兎も角、何故そんな場所にわざわざ「看板」を置くのか、その心境が全く理解出来ない。多分犬嫌いの人なのだろう。そもそも市が土手の草刈をするのは年2回程度で、それ以外の期間は草ボウボウの状態。文句があるならその町内で草刈をしたらどうだろう。それともこれは愛犬家の勝手な言い分か。 確かにウンチを置き去りにする常識外れの人は存在するし、「袋」を持たずに散歩させる人もたまに見かける。それに犬のオシッコは多分強酸性のはず。犬のオシッコをかけ続けられたカーブミラーが、根元から腐って倒れたのを見たことがある。だから「場所」を選ぶのは、飼い主の当然の義務だと思う。 「看板」が出ていた土手の延長線上には、先ごろまで不法駐車の車を良く見かけた。多い時は工事用の小型トラックが3台ほど。長年の不法駐車で、排水用の縁石がすっかり破壊されている。市の河川課が駐車禁止の看板を立ててからはさすがに車を見かけることはなくなったが、ひょっとしたら駐車出来なくなった人が「腹いせ」であの看板を出した可能性は考えられる。 話は変わって、勤務先の近くの小さな公園で最近工事があった。工事が終わった公園を眺めると遊具が無くなり、ベンチに「仕切り」が出来、その下に物が置けないよう丸太を立ててある。「ははあ!」私は直ぐに工事の趣旨を理解した。1つはホームレスや酔っ払い対策だ。繁華街の裏通りにあるこの公園では、時々ホームレスや酔っ払いが横になって眠っていることがある。彼らは散らかしたゴミを始末しない。 2つ目は野良猫対策だ。中年の婦人が出勤の途中に立ち寄って、ネコへ餌や水を与えている姿を毎朝のように見かけた。公園には「動物に餌を与えないでください」と書かかれた市の看板があるのだが、その婦人はきっと字が読めないのだろう。今回の工事は、それらの被害に音を上げた町内の人達が市に働きかけて実現したもののように思える。 ニューヨークのセントラルパークにはワンコ専用のトイレがあり、ウンチの収納場所も決まっているのだとか。狭い日本で同じことを望むのは無理としても、野良猫の棲家にしかならない街中の公園では、いざ災害が発生しても何の役にも立たないと思うのだがどうだろう。
2009.06.05
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大リーグにある幾つかの「呪い」をご存知だろうか。「ヤギの呪い」。これはある球場へヤギを連れて観戦に来たファンが入場を断られて以降、そのチームが優勝出来なくなったと言うもの。また「ベーブルースの呪い」はトレードにあったベーブルースの恨みで、出した球団がそれ以来優勝が出来なくなったと言うもの。どちらも近年その呪いが解けたと記憶しているが実際はどうだったか。 日本にもその手の話がある。曰く「カーネルサンダースの呪い」。これは阪神タイガースが優勝した年以降優勝できないのは、あの時に喜んだファンが道頓堀川にファストフード店の看板である人形を突き落としたからと言う因縁話。今年になって泥だらけの人形がようやく川底から「救出」されたので、呪いは解けたと思うのだが阪神の調子は依然として良くない。 昨夜、楽天のマー君こと田中投手が今年初めて黒星を喫し、開幕8連勝を逃した。実はこの陰に「ダルビッシュの呪い」が潜んでいることをご存知だろうか。さるスポーツ新聞によれば、なかなか負けないマー君に対して敵愾心を抱いた日ハムのダルビッシュが、「もっと点を取られろ」と念じていたようだ。勝ち星は並んだものの、防御率や勝率がまだ彼よりも田中が勝っていたからだ。 昨夜はきっとその「呪い」が田中を襲ったのだろう。そうでなければ「神の子」マー君が、7回にあれだけ集中して打たれるわけがない。だが我らの神の子は、ダルビッシュに対して、逆に呪いをかけるような卑怯な手は使わない。正々堂々勝負して、最後はきっとMVPに選ばれる(はず)。腹立ちまぎれに敵を呪うなんてのは下の下。心で思っても口に出さないのがスポーツマンと言うものだ。ワハハ。 さて話は変わるが、1月ほど前にさるスポーツ店でワ○ールのタイツはあるか店員に訊ねたところ、「あれは血液の循環を妨げるので置いてません」と即座にのたまう。私は若い女子店員に対してそんな教育をしていることに、無性に腹が立った。その店では別のメーカーのしか置いておらず、どうしてもその製品を買って欲しかったのだと思う。 根拠がないことを、いかにも事実であるように言う姿勢には驚きを禁じ得ない。もし後日W社の製品を置くようになったら、今度は客にどう答えるのだろうか。そう言えばNB社のシューズを置き出したのもつい最近からだ。事実に反して他社の商品の悪評を語るのは、商道に反する行為だと思うのだが。 私はその足で遠い別の店まで出向き、W社のタイツを買った。もっともその店では同社のものしか扱ってなかったようだが。だが、いつもは正価でしか売らないその店に、どうしたわけか3割引のタイツが何点かあった。多分これは「呪い」を信じなかった私へのご褒美だろう。そう思いつつニコニコしてレジへ急いだことは言うまでもない。
2009.06.04
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昨夜は10日ぶりにKスタへ行った。先月下旬、岩隈がKOされた巨人戦以来のことだ。対巨人戦同様に、対阪神戦ももの凄い人気カードで、4月半ばに先行購入した際は、あっと言う間に売り切れになったようだ。今回の席は内野の上の方。指定席なので遅れて行っても座れるのが何とも嬉しい。 自分の座席を探しながらスタンドを登る。おや、この列はずらりとお婆ちゃん達が座っているぞ。その膝元を掻き分けながら、ようやく座席へ落ち着く。もう1回の表、タイガースの攻撃が始まっていて、ランナーがサードまで進んでいた。ライト側応援席はタイガースファンでぎっしり。熱狂的な声がKスタを包んでいた。楽天の先発はラズナー。おいおいラズナーよ、大丈夫かい? 隣の婆ちゃんが「これじゃ負ける」と大騒ぎ。 ようやく0点に抑えて阪神の攻撃が終わった。婆ちゃん達はどうもあまり良くルールを知らないみたいだ。話をすると踊りのグループみたい。まさか洋舞ではないだろうし、日舞とも思えない。何と剣舞の師匠なのだとか。なるほどねえ。それで色気と無縁だった訳だ。いつもはテレビやラジオで楽天の試合を観たり聞いたりしてるのだとか。今日は招待で、ここKスタへ来たのは初めての由。道理でねえ。 目下わが楽天は3連敗中。だが相手のタイガースも借金が7つと不調。それでも楽天が今日も負けると心配する婆ちゃん達。確かにラズナーはランナーを良く出している。でも試合を動かしたのは楽天。その裏に早速鉄平の2塁打で先制点を取った。湧き上がるレフト側応援席。だがバックネット裏も含めて阪神ファンが1塁側内野席からライトスタンドまで埋め尽くし、まるで黄色一色と化していた。 4回表、阪神が関本の2点タイムリーで2対1と逆転。3塁側に潜り込んでいる阪神ファンは狂喜。婆ちゃん達は悲鳴を上げ、またまた「やっぱり楽天が負ける」と言い出す始末。そこで婆ちゃん達に言う。「大丈夫だよ。今日は楽天が勝つから」。もちろん何の根拠も無いのだが、今の阪神には勢いが感じられないのは確か。「はんしん(半身)不随だからね」。周りの楽天ファンがどっと笑った。 その裏の楽天の攻撃。フォアボールで鉄平が出、1アウトの後、中村ノリが繋いで憲史がライト前ヒットでまず同点、嶋も続いた後、中村真人が低めのボール球をセンターへ打ち返して、あっと言う間の逆転。ようやく楽天ファンが溜飲を下げた。婆ちゃん達は「あんたの言うとおりだった」と大喜び。それからは枝豆、ゼリー、コーヒーなど出るは出るは。にわか解説者も「予想」が当たって何とか体面が保てた。 その後も一喜一憂する婆ちゃん達に、私の解説が続いた。5回以降我が楽天に快音は途絶えたが、7回まで投げたラズナーの後、有銘、青山がしっかり阪神の打線を抑えて久しぶりの勝利を物にした。湧き上がる万歳の声。そして楽天球団の応援歌が夜空に響き渡った。あれだけ賑やかだった阪神の大応援団も今やすっかり沈黙。「明日は田中だからまた勝つよ」。私は婆ちゃん達としっかり握手して球場を後にした。自宅に向かう自転車のペダルが軽かったのは言うまでもない。
2009.06.03
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< 健康体に感謝 > 頂上までどれくらいの距離があるのか分からないため、先を急ぐ。次第に遅れる妻を、時々振り返って待つ。やがて山道から少し入ったところに咲いている山ツツジを発見。花の色が少しずつ異なる山ツツジが何本か残っていた。咲いている姿を見られて良かった。だが「ツツジ街道」のは全て咲き終え、青々とした大きな株がずっと続いていた。確かにこれだけのツツジが満開なら、さぞ壮観な眺めだろう。 山から「駕籠」が下りて来た。乗っていたのはお婆さんで担ぎ手は2人。ところが担ぐ棒が太い竹のため、しなって大変そう。とうとう若い方の担ぎ手がへばって交代した。40分も登った頃、小高い峯の頂に花崗岩で作った「小さな家」が置かれている場所へ出た。説明は一切ないのだが、きっと「徳仙丈山」と言う山の名前に関係していると思われた。神仙思想に基づくような不思議な名前だからだ。 本当の頂上はそこから20mほど奥まったところだった。一等三角点の脇に姿の良い赤松が数本涼し気に立っている。苔むした岩。そして色鮮やかな山ツツジが静かに私達を待ち受けていた。これだけでもここに来た価値があった。本来ならば松の間から青い太平洋が望めるはず。だが海はおろか、ガスに閉ざされて周囲も良く見えない。ほんの少しだけ休んで汗を拭い、私達は今来た道を引き返した。 決して転ばないようにとの注意や、山頂まで行けば何株かは咲いている山ツツジが見られるはずとの添乗員さんの話は、後で客からクレームが来ないためだったのだろう。そう言えばもらった略図は登山道の途中で消えていた。彼女らはきっと山頂まで登っておらず、客から聞いた評判をそのまま話しているのかも知れない。 気仙沼港を見下ろすホテルでの昼食は、刺身を中心にしたものだった。量もさほど多くはなく、ちょっぴり物足らなく感じた。「海の市」つまり途中で寄った海鮮市場では、豊富な海産物に目を奪われた。妻も私も夢中になって土産品を買い込んだ。ずっしり重たくなったリュックの中には、つい先ほど山で採ったみごとなミズブキも入っていた。 バスは本吉町から国道346号線を西行。途中ほんの数分だけ岩手県の藤沢町を通過した。通り過ぎた気仙沼では45号線からどこで市内へ右折すべきか、しっかりと目に焼付けた積り。全ては来月の単独マラニックのためだ。名前だけは知ってる宮城県北の市町村を幾つか通って、ようやくバスは止まった。旧田尻町、現大崎市の加護坊温泉だ。ここは小高い山の麓にある新しく出来た温泉で、以前のバス旅行でも来たことがあった。 適度の温泉に浸かり、旅の疲れを流す。源泉、打たせ湯、サウナ、水風呂、露天風呂。たった1時間ほどだが、のんびりすることが出来た。酷い雨にも降られず、どうやら1日持ってくれた天候。残念ながら咲いていたツツジは少なかったものの、ウグイスやホトトギスが素晴らしい音色を聞かせてくれた清々しい山々。夫婦とも2時間近い山道を何の心配もなく歩ける健康な体。そして大人しく留守番してくれた愛犬。すべてに感謝の一日だった。<完>
2009.06.02
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< 初めて通る道 > 昨日私は妻とバス旅行へ行った。行き先は県北の徳仙丈山と言う山ツツジの名所。本来行こうと思っていたのは山形県湯殿山のハイキングコースだった。ところが客の集まりが悪いので中止するとの連絡があり、それに代わって勧められたのがこのコースだった。ホテルで昼食を摂り、温泉にも入れるとか。 「でも花は大丈夫なんですか?」。妻は念のため旅行会社の人に尋ねた。「ええ、大丈夫ですよ」。その答えに安心して申し込んだのだが、生憎旅行当日は低気圧が近づきつつあるようで、午後から雨の予報になっていた。標高700mを越える山。その山頂まで登るみたいなので、上下とも合羽を着るフル装備の覚悟が必要だろう。 バスは一路三陸道を北上する。この道路を石巻までは行ったことがあるが、まだ途中までしか開通していないようだ。車のない我が家では道路情報に疎い。桃生豊里ICで高速を降り、国道45号線を南三陸町方面に右折。途中北上川を渡った。初めて通る山間の道は、狭いけど結構交通量が多い。岩手県の太平洋岸への近道なのだろう。 実は来月、石巻市から気仙沼市まで1人で走る予定。7月は適当なレースがないためだ。4年前の夏、初めて参加する「佐渡島一周」の予備練習として、リュックを背負って仙台から石巻まで、夜間に走ったことがあった。今回はその先を走ってみようと思いつき、プランを練っていた。コースは幾つか考えられるが、南三陸町から気仙沼までは国道45号線を走ることになる。海沿いの道だ。 やがてバスは南三陸町の中心地である旧志津川町へ出た。うひゃ~、ここが志津川だ!! マラニック初日はここの民宿に泊まる予定。魚が有名な港町なので、きっと美味しい魚が食べられはず。車窓から目をさらのようにして道路の状況を確認する。コンビニや自販機は何とか大丈夫そう。歩道のない箇所は怖いけど車と対面するよう道路の右側を走るしかない。目立つ色のTシャツを着る必要がありそう。やはり暗くなる前にここへ着かないと危ないなあ。 本吉町から気仙沼市へと入り、バスは山道へ左折した。やがて舗装道路が終わり細い砂利道に。山から引き返す車が結構多い。やはり天気予報を気にして早めにツツジを見て来たのだろう。昼食は2時過ぎになるとの添乗員さんの忠告で、途中で買ったお握りを食べた。綴れ折の山道は結構な勾配。空はドンヨリとしてポツポツ降り出す雨。淋し気な駐車場へバスは入った。 簡単な地図を1枚ずつ手渡される。往復で2時間の行程はすべて自分達で行動の由。「転んで大怪我をすると大変ですからね」と念を押す添乗員さん。確かにツアー客にはお年寄りの人もいる。そんな人が711mの山頂まで行けるのだろうか。先ずトイレを済ませてから登山口へ。途中お寺の境内のような所から賑やかな声が聞こえて来た。でも今は前進あるのみ。 えっちらおっちら山道を登る。妻は上下ともゴムの合羽。私は上だけビニールの合羽。雨傘を差したのは最初だけ。どうやら雨は大丈夫そう。暫くしたら暑くなり、脱いだ合羽をリュックにしまう。それにしても山ツツジの木はあるが、皆咲き終ったものばかりだ。あれ~っ、こんなはずではなかったのだが。(続く)
2009.06.01
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