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昨日はとかく面倒なことばかり起きた日だった。まず4月から勤務する現場が指示されないため上司に連絡したところ、私のことがすっかり忘れられていた。今日所長が訪ねて来て言うには、この不景気で契約を破棄されたり、新規物件が取れなかったために、各現場の職員60名を異動する由。つまりわずか1時間の清掃補助である私のことまで気が廻らなかったのが真相のようだ。 今回は上司の失念が原因のため、1時間分は働かずにお金をもらえることになった。少し気が引けるものの、この際楽をさせてもらう予定。遅くても今週中には連絡が来るだろうし、それまで待てないようなら他の方の残務を手伝っても良い。 2つ目の事案は年金関係書類の提出。住民票と戸籍謄本をもらった区役所は、転入、転出手続きをする人でごった返していた。次に行った社会保険事務所も大変な混雑。結局自分の順番まで2時間近く待った。書類と添付資料を提出すると記入の誤記があり、重要な添付資料がないことを指摘されガックリ。 帰宅後その資料が前職の関係機関から送られて来たことを思い出し、必死に探すと運良く見つかった。今回提出する資料との関係が掴めず、取りあえず保管していたのを忘れていたのだ。今日再持参して受け付けてもらったが、苦労した割りに年金が年額わずか2万円増額との話に心中は複雑だった。 3つ目は日記の消失。折角1時間半かけて書いた文章を下書き保存した積りなのに、夕食を終え作業を再開しようとしたら陰も形も無い。これでガックリしたが何とか気持ちを奮い立たせて書き直した。だが、いつもお訪ねする仲間のブログを覗く元気と時間は無かった。どうぞお許しあれ。 今日第1現場に出勤して、管理会社の責任者が異動することを知った。これまでの若者は生活態度に問題があったが、仕事はまあまあ出来たようだ。明日から来られる方は勤務態度は真面目なようだが、仕事内容はイマイチとの噂。そうは言っても使われる身としては致し方ないことだ。 3年間勤務した第2現場とは今日でお別れ。最後の最後まで苦労した現場だった。一緒に働いた仲間の方は、明日4月1日から遠くの現場へ異動する。さて、私が働く現場は何時から何処になるのか。 さて「選抜高校野球」では東北の2校が今日も勝って、明日東北同士で対戦する運びとなった。ここまで強いとは驚いた。特に県立の利府高校が春夏通じての初出場でのベスト4進出は立派。今日は伝統校で強豪の早稲田実業を破ったのだから強さは本物だろう。WBCで活躍した楽天の岩隈や田中と並び、今や宮城県の希望の星となった感がある。明日も是非好ゲームを見たいものだ。
2009.03.31
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大相春場所は横綱白鵬の全勝優勝で幕を閉じた。不知火型の横綱は短命に終わるとのジンクスがあるが、彼の場合は若いのに加えて稽古熱心なので、当分牙城は揺るがないだろう。もう一人の横綱朝青龍は稽古不足と肘の古傷の悪化で、11勝止まりの成績に終わった。どんなに強い横綱でも、稽古を怠り慢心すればたちまちのうちに座を追われると言う見本かも知れない。 プロ野球はオープン戦の全日程を終了し、いよいよ今週の金曜日から公式戦が始まる。オープン戦の結果を正確に把握していないのだが、我が東北楽天はまずまずの成績だったと思う。WBCから帰国して田中マー君は1回試合に出て好投したが、大活躍の岩隈に疲れが出て1度も試合で放ってないのが少しだけ気がかりだ。 その岩隈だがWBCの活躍で一躍有名になり、今やコマーシャルに引っ張りだこの状態なのだとか。嬉しいニュースはそれだけに止まらず、この度宮城県から県民栄誉賞を受賞することが正式に決定した由。その一方で大器と期待された投手の一場が、開幕間近でヤクルトにトレードされたのが少々淋しいニュースだった。 さて、全国高等学校選抜野球大会で、我が宮城県代表の県立利府高校が大活躍していることに驚いている。県内では仙台育英と東北高校の独壇場で、県立高校が甲子園に行ってもなかなか勝てなかったのが実状だ。利府高校は21世紀枠での出場なので、その活躍ぶりが一層目立つのだろう。第一、先ず監督が落ち着いているし、主戦投手のピッチングが老獪で凄い。 ベスト8に進出し、次に当たるのは早稲田実業とか。どれだけ自分達の野球が出来るか楽しみだ。同校には県立高校には珍しく、スポーツ科学科が置かれていることを今回初めて知った。また岩手県代表の花巻東も素晴らしい投手を抱えてベスト8進出を果たしている。選抜大会において、東北地区からベスト8に2チームも残っているなんて、まさに奇跡。時代が変わりつつあるのだろうか。 サッカーワールドカップのアジア予選は先日ウズベキスタンに勝って、予選通過までマジック1となったみたいだ。岡田監督も何だかんだ言われながら、結構頑張っているように思う。さて、「アースマラソン」の寛平ちゃんだが、ネバダ州を抜けて3つ目のアリゾナ州へ入ったとか。このまま病気や怪我をせずに、無事北アメリカ大陸を横断して欲しいものだ。
2009.03.30
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WBC決勝戦の日が私の65回目の誕生日だった。あの日私は11時半に勤務を終え、第2現場の休憩室で最後まで日韓の熱い戦いを観ていた。ようやく延長10回で決着がつき、次に向かった先はKスタ。仙台で初めてオープン戦が開かれると聞き、ずいぶん前からチケットを入手していたのだが、まさかWBCの決勝とかち合うとは。 球場に駆けつけた時は6回裏。先発として好投した長谷部は既に退き、新たに加入した2人の外人投手が試合をつなぎ、3対1で勝利した。あれは結構寒い日だった。決勝戦で勝利投手となったダルビッシュの息子もこの日が誕生日だった由。若い父親である彼には、さぞ思い出深い一日となったことだと思う。もちろん私にとっても忘れられない日となった。 65歳はもはや青年でも壮年でもない。立派な老年の仲間入りだが、それによる寂しさや悲しさの感情は全く無い。これから迎える本格的な老齢期をどう過ごしたら良いか。自分の生甲斐になっている趣味を中心に考えてみたい。 私の第一の希望は少なくても後5年、つまり70歳になるまではウルトラマラソンの100kmレースに挑戦することだ。もちろん可能ならその後も挑戦する積りだが、無理な場合75歳までは50kmレースへ挑戦し、80歳まではフルマラソンを完走出来る体力を維持したい。そして80歳過ぎからはハーフマラソンでも満足出来るかも知れない。 これは笑い話だが、制限時間が6時間15分の「NAHAマラソン」の最高齢完走記録を作るのも夢の一つ。アップダウンが多いし、12月初旬でも26度以上になる日があることを考えると、果たして実現はどうだろうか。現在の記録は確か76歳くらいのはずなのだが。 さて、ウルトラマラソンを継続するには結構資金が必要だ。このため許されれば70歳までは仕事を続けたい。これは私の一方的な思いなので、会社に首を切られる可能性は大。もしそうなればかなり経費捻出に苦労するだろうが止むを得ない。 現在2時間半勤務している警備員の仕事だが、70歳まで続けるための体力には自信がある。だが、1時間の清掃業務補助の方はなかなか厳しくなるだろう。例えば階段の清掃は後ろ向きのまま階段を下りながら、ほうきで掃きモップで拭くのが普通。よろけてバランスを崩せば間違いなく怪我をし、労災事故となって会社に迷惑を掛ける。だから自分の身を護るためにも、階段の幅や高さ段数などを意識する必要があるのだ。 危険を避ける直感が働かなくなったり、特定の筋肉ばかり酷使するため腱鞘炎にでもなれば、とても仕事を続けることは無理。当然仕事とウルトラマラソンの兼業も不可能になる。老化は誰にも避けられない厳しい現実で、それに抗うためには相当の精神力が必要だ。 65歳から年金の受給システムも変わるようだ。その面倒な手続きを明日しに行く。また介護保険の経費も、少ない年金からしっかり引かれるようになる。心身の衰えと併せて、出費が飛躍的に増大するのもこれからの課題。そして最後の念願は、健康で走り続けた翌日にころっと倒れ、そのままあの世に行くこと。それならあまり迷惑を掛けないで済む。 それまでの間、ランニング、園芸、歴史研究、妻と二人での旅行やハイキングなどの趣味を、せいぜい楽しもうと思っている。私の考える将来計画はこのように極めて楽観的なのだが、果たして実際はどうなるか。ケ・セラ・セラ。全ては神のみが知ること。
2009.03.29
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やはり過ぎた話だが、「東京マラソン」のことについても記しておきたい。我が走友会から参加された方は、M仙人、Y川さん、Y田さん、O内さん、D堂Jrの5人だったようだ。そしてK野さんとS水さんがわざわざ応援に行かれた由。シリアスランナーO内さんの2時間55分台のゴールはさすがだが、70歳に手が届く3年連続出場のM仙人が3時間41分39秒でゴールしたことにも驚く。 ブログ仲間の星峰さんは腰の不調と戦い、苦しんだ末のゴールだった由。そしてhoneyさんは赤のアフロヘアとヒョウ柄のスタイルでレースを楽しまれたようだ。彼女のブログを訪ねたら、なかなか可愛い「ラムちゃん」が写っていた。膝などの痛みも出ずにゴール出来たのは幸いだった。さて、来年こそは私も参加したいと意気込んでいるのだが、何せクジ運に見放された男なのですよ。 土佐礼子と弘山晴美が引退レースとするなど話題の多かった「東京マラソン」だが、その一方でタレントの松村邦洋が14km過ぎで倒れ、意識不明になったニュースにも驚いた。急性心筋梗塞による心室細動が原因とか。救急車で病院に運ばれた彼は、数日間人工的な睡眠状態に置かれたようだ。幸い現在は意識を取り戻したようだが、間違えば重大な結果を招いたと思う。 身長164cm、体重128kgの彼は、さるテレビ局の企画でこのレースに参加したとか。ゴールドコーストマラソンで1回フルを完走した経験があるようだが、芸能人は生活が不規則。あの体格だと体脂肪率もかなり高く、まず体重を落とすのが先決ではなかったか。フルマラソンはトレーニングせずに完走できるほど甘いスポーツではない。死亡事故の多いスポーツとしてはゴルフに次いで第2位なのだとか。 さて、寛平ちゃんのアースマラソンだが、最近は1日50km以上を走るなど極めて順調なようだ。早くもカリフォルニア州を通過しネバダ州に入ったとか。砂漠地帯のため砂との摩擦でシューズの底が早く減り、既に3足目を履いていることや、同行しているスタッフが6、7人いるとの話に驚く。所属芸能会社や、協賛メーカーからの援助も手厚いのだろう。 少し前に、イギリス人のランナーがリュックを背負って7大陸を走破したことを思えば雲泥の差。ただ、寛平ちゃんの場合は太平洋や大西洋を自らヨットで横断する、文字通り地球を一周する前人未踏の旅であり、偉大な挑戦であることに変わりはない。足の痛みをスタッフに隠し続け、走りながら治したと寛平ちゃんは明かした。その強い精神力に拍手を送りたい。
2009.03.28
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「八丈島一周」のレースからすっかり日が経ってしまった。いまさらと言う感もあるが、完走記連載のため書けなかったことを書いておきたい。 まずは3月12日(木)の夜に行われたWBCの世界タイトルマッチ。フェザー級の粟生隆寛だが、一見弱そうに見えて、なかなかしぶといボクサーだった。12ラウンドをフルに戦い圧倒的な差での判定勝ちは見事。試合後のインタビューへの言葉が「お父さん、お母さん、ありがとうございました」。その心根が素晴らしい。きっとこれまでに相当苦労したのだと思う。 一方、バンタム級の長谷川穂積のファイターぶりはもの凄かった。わずか第1ラウンド2分37秒でのTKO勝ち。切れ味鋭いパンチを連続して繰り出し、鮮やかな幕切れだった。8度目の防衛成功は26年ぶりの快挙とか。何とか3兄弟と違って派手なパフォーマンスはないが、あれこそが真の王者だろう。 さて、WBCでの侍ジャパンの活躍には日本中が興奮させられた。日本と韓国が合わせて5回も戦ったこと。世界ランキング1位のキューバを2度も完封したこと。野球の本場であるアメリカに圧勝したこと。決勝戦となった韓国戦は息詰まるような戦いになり、どちらが勝ってもおかしくない展開だった。 先発投手岩隈の力投。レフト内川の超ファインプレー。延長にもつれ込んだ10回表の神がかり的なイチローの2点タイムリーなど、今思い出しても身震いするほどの熱戦だった。韓国もさすがは北京オリンピックで金メダルを取った強いチームだった。だが、最後まで温存出来た分、選手層の厚い日本が有利だったのだろう。 3勝して2回連続してMVPを取った松坂は、さすが大リーグで鍛えられていただけのことはあった。「ベスト9」には松坂と岩隈の両投手のほか、高い打率を維持した青木が選ばれ、ダルビッシュのスパイク、岩隈の帽子、イチローのバットがアメリカの野球殿堂入りを果たした。 さて、初めは頼りないと感じた原監督の采配だが、最後まで選手を信頼した姿勢は立派だった。我慢強く選手を起用し続け、時には思い切った作戦を採った。「お前さん達は本当に強い侍になった」。シャンパンファイトに先立つ挨拶が、原監督の想いの全てだったろう。怪我をして帰国した村田の首に金メダルをかけた原監督。「僕にも金メダルをくれないかなあ」と話していた村田も、本当に嬉しかったと思う。 鉄拳制裁の星野。ぼやきと嫌味の野村。それに対してジェントルマンの原は、やはり若大将だった。あれで若い選手が着いて行けたのだと思う。「この会見を以って侍ジャパンの監督を卒業します。そしてジャイアンツの監督に戻り、日本一を目指します」。原の挨拶は最後まで清々しかった。 侍ジャパンの選手達よ。私達に夢と感動をありがとうね。そして原監督。果たしてどんな野球が出来るのかと見くびっていたけど、あんたの人間性は凄い。俺も見直したよ。きっと裏表の無いあんたの人柄を、選手達は信じたんだろうね。王前監督同様、ナベツネに球団を追われながらも監督にカムバックした原。これまでのそんな苦労が、きっと今回大きな花を咲かせたんだと思う。大変な重責を無事果たし、本当にお疲れ様でした~。
2009.03.27
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10回に亘った「八丈島一周」の完走記をようやく書き上げ、正直ホッとしている。いつものことだが、レースや仕事上の疲れと戦いながら完走記を書くのは、自分にとってかなり厳しい作業だ。レース中の苦しみとゴールの感激が、果たして読者にはどう伝わるのだろう。 帰宅したその夜、私は自分のブログにレース結果を簡単に報告し、走友会の掲示板へは翌日簡単な報告を書いた。宮城UMCの掲示板へは、O川さんが丁寧な報告を書いてくれた。また、ほどなくM井さんも自分のHPへたくさんの写真を掲載してくれた。それらによって厳しかったレース当日の状況が理解出来ると思う。 民宿の隣の空き地で取ったアシタバは妻が全てお浸しにした。最初のうちは美味しいと言って食べていた妻もそのうち飽きたのか食べなくなり、結局1週間ほどかかって全て私が平らげた。そのせいか腹具合がすこぶる快調。そして庭に植えたアシタバの成長がとても楽しみになった。 レースの途中で剥がれたインソールの保護膜は、十分に乾かした後瞬間接着剤で粘した。思いがけずこれが成功し、早速火曜日から帰宅ランを再開することが出来た。今後のレースが不安だっただけに、私にとっては嬉しい誤算だった。 さて、M井さんのHPによれば、レースの翌日に再挑戦した八丈富士は強風が吹き荒れ、結局頂上まで登ったのはF田さん1人だった由。写真には杖をついているH多さんの姿も。レースでのダメージが大きかったのだろうか。 私も月曜日までは足の筋肉痛と肩や背中の痛みに悩まされた。足の筋肉痛は厳しい坂道によるものだが、肩や背中の痛みは暴風に逆らって走ったためだと思う。そんな厳しいレースを完走したお祝いの会を開こうとの呼びかけが仲間からあった。折り返し出席の意思を伝えたが、その後の連絡は今のところまだ来ていない。 ともあれ今回の「八丈島一周」は、これまで体験したことのない最悪の条件下でのレースだった。走る歌人である雲峰師匠のHPには、あの嵐の中で詠んだ短歌が後日掲載された。思い出とするために、その中から抜粋し幾つか紹介したいと思う。雲峰師匠~、どうぞお許しあれ。 大嵐の中のマラソン八丈島起伏も激しく苦戦は必至 暴風雨台風並みになほ濃霧見えし仲間の姿隠せり 強風に路面の雨水飛沫飛ぶ雨粒顔に当たるが痛し 距離半ばわれはずぶ濡れ寒きゆゑ足は痺るも歩むはならず 強風にわれらの道標折れ曲がる危ふく見逃すところなりけり 白波の砕くが見ゆる海岸線遮る物無く寒さひとしお 走らざるを得なき寒さの結果なり思ひの外良きゴールタイムは 銭湯に浸かりやうやく人心地つき宴の酒のこよなくうまし
2009.03.26
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< 帰途の旅 > 朝食に満足し、帰り支度をする。9時の飛行機で帰るのはO川さんと私だけ。後の6人はレンタカーを借りて島の観光を楽しむ由。F田さんの希望は八丈富士登山。H多さんは黄八丈の見学をしたいようだし、M井さんは温泉に行きたい由。皆に挨拶し、H多さんと握手して別れた。きっと昨日のレースは女性陣にとって相当厳しかったはず。 リュックを背負い、お土産のゴクラクチョウの花束を手にして空港までの送り便に乗り込む。空港が近づいた時、運転手を務めていた宿のご主人が急に怒り出した。レース前日に空港まで3台の迎えの車を出したけど1人も乗らなかったとか。そう言えば最終便が着く直前にレースの説明会が終わるなど、私にも納得が行かないことがあった。 ご主人の怒りの理由は他にもありそうだった。未知の島で開催されるウルトラレースは、我々ランナーにとってとても魅力的で好奇心が刺激されるものだ。だが初めての開催ともなれば、主催者も受け入れる地元の方も苦労の連続だろうし、時には行き違いが生じることもあると思う。私は一言「どうも済みません」と謝った。それでご主人の怒りは幾分収まったようだ。 空港で「あしたば饅頭」を買う。懇親会で聞いた通りマラソンの参加者であることを告げると、若干値引いてくれた。島の産物を揃えた名産品コーナーに、焼酎の銘柄がたくさんあることに驚く。それは人口9千弱の島に不釣合いの数だった。くっきりと映える八丈富士を見ようと、一旦空港の建物の外へ出る。きっとこの風景も見納めになるはず。 前日の嵐がまるで嘘のように鎮まり、島は3月の空を取り戻していた。最後に雲峰師匠と握手をして飛行機に乗り込む。悪天候の割には好記録だったと喜んでいた師匠。飛び立った機内から八丈島と八丈小島が見えたが、それも一瞬のうちだった。やがて煙を吐く三宅島と御蔵島が眼下に見え、館山湾辺りからは房総半島の地表が大きく迫り出した。 東北新幹線ではO川さんと隣の座席になり、偶然車窓から「荒川市民マラソン」の様子が窺えた。大崎市のT田さんが走っていたことを知ったのは数日後のことだ。さてO川さんが読んだ本によれば、八丈島に流される罪人は多くても1800人までと決められていた由。確かに土地の痩せた火山島なら、それくらいの人口しか養えないはず。それも幾つかの集落に分散していたのではないか。 「もう八丈島は良いね。来年の3月に「東京マラソン」が外れたら、今度はどこを走ろうか」。2人の話題はそこに移った。「そうだ、伊豆大島の100kmマラソンはどうだろう」。「それは案外面白いかもね」。 無事帰宅すると妻が「今日は風が強くて飛行機が飛ばないかと思った」と一言。少しは私のことを気にかけてくれていたのだろうか。荷物を片付ける間もなく、私はいつものように愛犬との散歩へ。こうして非日常の世界から、再び日常へと舞い戻ったのだった。<完>
2009.03.25
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< 宴とアシタバ > O川さんから電話があった。そろそろ懇親会が始まるので至急会場へ来て欲しいとのこと。会場の温室に急ぐと室内ではストーブが焚かれ、たくさんのランナーで埋まっていた。T橋さんのゴールも見届けていたので宮城UMCの8人全員が完走したのだが、男女バラバラの席になったのが少々残念。 S木さんの挨拶で懇親会が始まる。彼の発表によれば優勝したのは20代の女性。また2位の方は最終便で既に帰ったようだ。また案内標示が上手く読み取れずにコースアウトしたランナーも数人いた由。ちっちさんの後日の書き込みによれば、ゴール直前で抜き1位になった女性ランナーは、「篠山マラソン」の優勝者の由。道理で悪天候の中、62kmの厳しいコースを5時間半ほどでゴール出来たわけだ。 また最後に抜かれたランナーは、今月初めにあったお台場の24時間走では挫骨神経痛を押して190kmを走り、「八丈島」からとんぼ返りした翌日には、自ら主催する「湘南ゆるゆる苺食べにゆこうマラニック」でも再び走られたのだとか。これも全てちっちさんの情報だが、世の中には人間離れしたランナーがいるものだ。 S木さんが氷が入ったボウルに3本の焼酎を注ぎ込んだ。芋と麦を原料とした25度の焼酎「鬼ごろし」は八丈島の産。それを全員で回し飲みすると言う豪快さ。それと共に自己紹介が始まる。今回が初ウルトラマラソンの人や最高5kmしか走ったことのない人の他、今回が初めてのレースと言うランナーがいたのには、正直ビックリだった。 机の上にはたくさんのご馳走。鴨鍋は脂が乗っていて美味しかったし、岩海苔と漬けマグロの「島寿司」はとても珍しかった。暖かいこの島ではわさびだと腐ってしまうため、洋辛子を寿司に塗ると言う話に驚ろく。島のHPで八丈島から沖縄の大東島へ移住した人がいると言う情報を得ていたが、そう言えば大東島の寿司も洋辛子を塗ると聞いたことがある。O川さんはすっかり「くさや」のファンになったようだが、私はあの臭いにはどうしても馴染めなかった。 飲むほどに酔い、酔うほどに飲んだ。信じられないほどの悪天候の中を走ったことで、きっとどのランナーもハイテンションになっていたのだと思う。沖縄出身のYさんは芸能部長として人気を博し、サングラスをかけて挨拶をした兵庫のKさんは、舘ひろしにそっくりと大評判になった。その夜、ようやく安心した私は8時間ほどの睡眠を取ることが出来た。 翌朝、私はアシタバを採ろうと早めに起きた。それは民宿の隣の空き地で簡単に見つかった。レースの途中でも、畑で栽培しているアシタバや、自然に生えているアシタバをたくさん見かけた。きっと生命力が旺盛な植物なのだと思う。八丈島の特産みたいで、アシタバのお茶や粉を混ぜ込んだうどんもある由。袋いっぱいのアシタバはきっと妻も喜んでくれるはず。<続く> WBCでの侍ジャパンの優勝おめでとうございま~す
2009.03.24
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< 不思議な言葉と火山弾 > ボランティアの方が運転する車で温泉へ向かう。その途中私達が迷い掛けた三叉路が見えた。なるほどこれならコースアウトし易い訳だ。私達より先に通過したランナーの中には、コースを示す矢印が強風で剥がれて見え難かった人もいたようだ。15分ほどで「ふれあいの湯」に到着。 ところが脱衣所で不思議な言葉を耳にした。まるで韓国語か江戸時代の言葉のような響き。この八丈島は流刑の地だったことで有名。古くは平安朝の鎮西八郎為朝や、関が原の戦いで敗れた西軍の将宇喜田秀家が流され、江戸時代は罪人が島送りにあった。それらを先祖に持つ島民も多いとか。やがて地元の方は明快な標準語で話し出した。 湯船に入ると股ずれが沁みて痛い。温泉に強い塩分が含まれているみたいだ。舐めるとかなり塩辛い。ようやく芯まで温まった体で露天風呂へ。直ぐ裏が駐車場。脱衣所に戻ると突然クラクラっと来た。温まって血管が膨張し、脳貧血になったのだろう。傍にいたI藤さんが驚く。私の驚きは彼の頑丈な足。道理でウルトラに強い訳だ。幸いにもほどなく眩暈が治まってくれた。 その時、心配していた先輩のF田さんがひょっこり。帽子と携帯電話が残されていた理由を訊ねてビックリ。彼は間違ってゴールに着き、レースをやり直したのだそうだ。それも車で温泉に向かう途中でコースアウトした場所だと気づき、そこから再び嵐の中に飛び出した由。まさにドラマのような話だった。 公民館経由で民宿に戻り、3人でビールを飲んでいるところへ通りかかった栃木のHさんに、先刻海岸で拾った黒い石の鑑定をしてもらう。彼が石に詳しいことは「佐渡島一周」の時に知っていた。彼が今回採集した石を持参。8kgほどの重たい石と小さな1kgほどの石は火山弾なのだとか。これを採集するためわざわざ2日前から島へ来て事前調査をしていたとの話にも驚く。 彼が採集した石の中には、流れる溶岩がそのまま固まったものもあった。そして私達が拾った黒い小石は、約500年前の噴火の際に吹き飛んだ溶岩が空中で固まったものだとか。南北の2つの山の特徴などを教えてくれたのも彼。島内10箇所ほどある温泉が全て島の南部に集中しているのは、きっと過去の噴火と深く関係しているのだろう。それにしても趣味とは言え、あんな重たい火山弾を持ちながら悪天候の中を走る不思議なランナーがいることに驚かされる。<続く>
2009.03.23
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< 栄光のゴールと謎の携帯電話 > だが私には、寒さよりも剥がれかけたインソールの保護材の方が心配だった。シューズの中で保護材がよじれている。幸い軟らかい素材のため足が痛まないのがせめてもの救い。このクッションをどうしたら元の状態に戻せるだろう。私の左足はこれまでの障害ですっかりアーチが落ちてしまったため、この医療用インソールがないとレースに出るのは無理なのだ。 道の右手に地層が剥き出しになった箇所が見えた。きっと縞模様は八丈富士の火山灰が積み重なったものだろう。記憶を残そうと時々後ろを振り返って八丈小島を眺める。その時後ろから私達に迫って来たランナーがいた。同じ走友会のI藤さんだった。先ほど休んだASで、仙台の人が少し前に出発したばかりと聞き、必死になって追いかけた由。ここからゴールまでの旅は3人連れとなった。 標識の集落名がゴールのある三根に変わった。コースは小刻みなアップダウンを繰り返す。55km地点通過。残り7km足らず。ここまで来れば今日の完走は間違いない。右手に特徴のある神止山が見え出し、左手の眼下に港や集落が見えた。その集落をめがけ坂道を左折。下り切った交差点でSパパが傘を差して立っていた。 そこからコースは海へと下る。アライケ海岸で珍しいもの発見。無数の小さな穴が開いた黒石だ。きっと噴火した際の溶岩だろうと思い、1個拾って2人に見せた。記念に小石を拾うI藤さん。冷たい雨に打たれ緩い登り坂を喘ぎながら登る。曲がり角にボランティアの方がいて、ゴールまでのコースを教えてくれた。ここが59km地点だった。 この朝下った敷石道を最後の力を振り絞って必死に登る。遅れ出したI藤さんが「先に行ってくれ」と弱音。私達を猛スピードで追いかけた疲労が今になって出たようだ。「ここまで来たら一緒にゴールしましょう」とM井さん。2つ目の信号を左折した辺りで北海道のランナーにも抜かれた。次の信号から右折すると最後の直線のはず。最後の苦しみに耐えるI藤さんを2人で励ます。 坂の途中で左手奥に三根小学校が見えた。スタッフの人が何人かいてゴールテープを手にしている。唐突に現れたゴールがとても不思議な感じ。3人が手をつないでテープを切る姿を撮影してもらう。ようやく8時間22分10秒の厳しい戦いは終わった。雨でぬかるんだ校庭を横切り、着替えを置いた公民館へ急ぐ。 濡れた服装のまま温泉へ行こうと言うM井さん。気持ちは分かるけど、まず着替えてから温泉に行った方が良いと私。温泉までは車で15分ほどもかかり、冷えた体のままだと風邪を引く恐れがあるからだ。時間も十分あるため、ここまで来たら慌てる必要は全く無い。「さすが年の功でしたね」と着替えを終えたM井さん。 ようやく落ち着いた時、F田さんの帽子と携帯電話をスタッフの机で発見。だが彼の持ち物が放置されている理由が分からない。遅れた女性陣を迎えに行ったのか、それとも何か突発事故でも生じたか。そのうち宮城UMC仲間のK藤さんも到着。H多さんはもっと先に着いたと彼女。ますます深まる謎に首を捻る仲間達。<続く>
2009.03.22
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< 南の島で寒さに震える > 下り坂は降り続く雨でまるで小川みたい。私のシューズは底に穴が開いているタイプのため、水が浸入しないよう慎重にコースを選ぶ。工事中の荒れ道を下り切ると、やがて左手に高い擁護壁に護られた漁港が見えて来た。八重根漁港のようだ。30隻ほどの漁船が低気圧を避けるため、ロープでしっかりと固定されている。 さらに下るとと八重根港。突堤に白波が打ち付けている。コースはそこから海岸沿いに進む。いよいよ瓢箪形をした島の北部の一周が始まる。雨はますます強くなり、顔に当たると痛い。だが猛烈な風のため帽子を被ることが出来ない。飛ばされないよう手に持つか腰に挟むだけで何の役にも立たないのだ。 水溜りを避けながら大潟浦海水浴場に沿って西行すると、やがて45km地点の千畳敷ASが見えた。1台のライトバンの傍に立つ中年の女性がずぶ濡れ状態で私達を迎えてくれた。荒れ狂う自然の前では成す術も無い人間。大急ぎで食べ物を口にしていると「舘ひろし」氏が追い着き、ライトバンの陰で風を避けている。御礼を言って出発。沖縄出身のランナーYさんに後で聞いた話では、この女性も偶然沖縄出身だった由。 コースは八丈富士の裾野に沿って海岸を北上。だが次第に舗装状態が悪くなる。ひょっとして道を間違えたかと不安になった時、前方からやって来た巡回車にS木さんの笑顔を発見。やはりこの道で良かったようだ。そのまま坂道を登って行くと、46.8km地点でようやく島の一周道路とぶつかった。 そこから左折。道路の状態は良好で緩い登りが続き、時計回りに右へ右へと廻って行く感じ。追い着いた「舘ひろし」氏が突然左手を指した。雨に霞んだ海上遥かに、八丈小島の姿が初めて見えた。おお、あれがどうしても見たかった八丈小島か。 尖がった頂上部が雲に隠れている無人島を見ながらのランが続く。やがて行く手にビンロウジュの森が見え、さらに行くと小さな白い灯台。そこが島の最北端のようだ。思いがけず家屋の中にASがあった。51km地点の大越鼻灯台前ASだ。中へ入るとストーブが燃え、何人かのランナーが休んでいた。風雨を避けられるASは初めてのこと。ちょっぴり寛いだ気分になり、ゴマお握りを貪る。 さて、ゴールまでの残りは10kmちょっと。僅かの距離だがここからが案外辛いのだ。若い「舘ひろし」氏と追い着いた沖縄出身のYさんが先行し出す。前夜彼らは、まさかこの嵐でマラソンの開催はないだろうと、深夜まで飲み明かしたそうだ。それにしても寒い。ASで休んでいるうちに体が冷えてしまったのか。否、そうではない。きっと気温も下がり出したのだと思う。雨でTシャツや手袋がビショビショに濡れているせいもあるが、体感温度は5度程度。これが数日前まで最高気温が17度になると予報された同じ南の島だろうか。<続く>
2009.03.21
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< 逆流する「滝」と迷い道 > お婆ちゃんにもらった塩飴を口にしながら先を急ぐと、左手に鬱蒼としたビンロウジュの森が見えた。とても珍しい光景だ。やがて道は登り坂となり、先方にはトンネル。大坂随道のようだ。「雨が凌げるね」とM井さんが喜ぶ。だがあまりにも小さ過ぎて直ぐにトンネルは終わった。 トンネルを出たところで2人の若者が呼び止める。そこがちょうど40km地点のASだった。断崖の上に張り出した逢坂橋の上は、まともに強い風雨の影響を受ける。そして崖下の横間ヶ浦には次々に打ち寄せる大きな白波。出来れば一刻も早く立ち去りたい場所だ。だが通過のチェックを受ける必要があるため、どうしても寄らざるを得ない。 本来ならここはコース随一の絶景ポイント。高い位置にある橋の上からは右手に秀麗な八丈富士が見え、その左手には紺碧の海に浮かぶ八丈小島が見えるはず。だが目前にあるのは荒れ狂った自然だけ。橋の隙間から落ちた雨水が、崖の下から吹き上げる強風で逆流する信じられない風景だ。 これでは風雨に曝されながら奉仕活動を続けてくれている青年達が気の毒。小休止してゴマがたくさん付いたお握り、クリームパン、バナナなどを食べ、お礼を言って立ち去る。再び走り出すと強風で体が煽られる。小柄な女性ならかなり大変だったと思う。 坂道を下り切った辺りで両足に異常を感じてストップ。道路の縁石に腰を下ろしてシューズを脱ぐ。テーピングしたテープが雨で濡れて撚れたのだろうと思いテープを剥がす。だが走り出しても足の異常は治まらない。どうやらインソールの上から保護のために張ったクッションが濡れて剥がれてしまったようだ。アーチが落ちた左足が最後まで持ってくれるか心配だ。 だがこうなったからには走り続けるしか仕方がない。やけになってスピードを上げると、「ペースが上がった?」とM井さん。「いや上げてないよ」と私。「そうか登り坂だもんね」彼はそれで納得したようだ。大里バス停付近で玉石垣を巡らした珍しい家並みを発見。風の強いこの島で安全に暮らすための工夫だろうが、こんな大きな川原石をどうやって入手したのだろう。風雨の中、歩道に敷石を敷き詰める工事関係者が3人もいるのに驚く。 その先で三叉路にぶつかった。本来ならすんなり右手に進むはず。そう思ってそのまま走り出すと後ろからM井さんが呼び止める。彼のところまで戻ると、目立たない場所に張ってあるコース案内の矢印が左手を指していた。前夜の説明を受けていない私達には意外だったがここは矢印を信じるしかない。急勾配の荒れた道を海岸へ下る。 やはりここが落とし穴だったことがレース後に分かった。何人かのランナーが迷って右折してしまったみたいだ。そのまま進むとゴール地点に着く。だが激しい風雨の中を間違った地点まで再び引き返す気力は失ってしまうのが普通だろう。少し後ろにいたM井さんの適切な判断が無かったら、きっと私達もコースアウトしていたと思う。ひゃ~危ない危ない。<続く>
2009.03.20
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< 老婆と塩飴 > 富士登山道入口まで下り切ると、都道の角にSパパがいた。来月から「トランスヨーロッパ」に向かう勇者が、今私達のために雨の中に立ち、声を掛けてくれる。いつに変わらぬ柔和な笑顔に一瞬心が和む。コースはそこから左折して底土キャンプ場のある海岸へと下る。 椰子の木に似た街路樹と黒い敷石が続く。後で栃木のHさんに聞いた話によれば溶岩が地下の深いところでゆっくり固まった玄武岩なのだとか。それをスライスして敷き詰めたようだ。良く整備された歩道がこの後も島内のそちこちで見られた。 底土港を通過し、くれど橋を左折すると再び山道に。八丈島は瓢箪のような形をしているのだが、これから島の南部に聳える700m余りの三原山の麓を一周することになる。ところが海岸は絶壁のため、道路は山の中腹を通るのだ。海抜0mから450mほどの高さまで、うねうねと登り坂が続く。 かなり登った辺りに深い谷が2つ。谷底には川が流れているような気配。これも栃木のHさんから後で聞いた話だが、三原山は八丈富士より古い火山で植物層が豊かなため島で唯一水が湧く場所なのだとか。激しい風雨に交ってウグイスの声が幽かに聞こえる。「越後くびき野の山に似てるね」とM井さん。時々道端に現れる周回道路の案内図で、現在地が確認できるのが嬉しい。雲の中から三原山が顔を覗かす。 23.4km地点の登龍峠展望台ASで小休止。ここには2人の青年がいた。レースでのボランティアは職場の上司から頼まれたため。島内には4つの小学校と3つの中学校があり、彼らは島にある都立高校の卒業生とか。陸運の管轄が品川らしく、島内で何故品川ナンバー車としか遭遇しなかったのか謎が解けた。 バナナ、クリームパンを食べ、アスリートソルト3粒を口にして出発。末吉地区との境界に近い25km地点付近でようやく下り坂となる。この辺りで舘ひろしに良く似た兵庫のKさんが追い着く。結局彼とは57km地点辺りまで併走することになった。 長く厳しい下り坂を下り切ったところが30.3km地点の末吉地区。このASでもバナナを食べたはず。ボランティアの方から間違って左折し、海岸へ行かないよう注意を受ける。集落を過ぎると再び登り坂。M井さんと二人坂の途中から歩き出す。やがて左手に小高い山が見える。島の最南端である小岩戸ヶ鼻はその山の先にあるようだ。 峠を越えると中之郷集落。左手奥に小さな沼が見え、さらに進むと大きなガラス球を浮かべた沼が右手に。きっとこれが島民の貴重な飲料水なのだろうと推測。三原小の手前で雨の中佇む一人の老婆が、4つの塩飴を私達に差し出す。遠慮して1つだけもらったら、全部持って行けとの意思表示。遠慮せず2個ずつもらう。きっとこんな悪天候の中で走っているランナーを、何とか応援したかったんだろう。ありがとうねお婆さん!!<続く>
2009.03.19
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< 凧かグライダーか > 午前6時、いよいよ八丈島一周のスタート。S木さんの車が先導を勤める。スタート前に地元の方が危険だと思われる箇所が何箇所かあるので、急遽コースの一部を変更するよう進言するのを、私は傍で聞いていた。また島の人でレースに出る予定だった方が、突然ボランティアに廻ると言い出した場面も見ていた。それだけ異常な天候だった。 コースは先ず標高854mの八丈富士へと向かう。最初の信号のところに2台のパトカー。誰もいない交差点でお巡りさんがランナーのために待機してくれていた。思わず選手から「ありがとうございます!」とか「ご苦労様です!」の声がかかる。彼らもきっとこんな状況下でもスタートを切った選手達に驚いていたことだろう。 登山道へ入ると傾斜が急に厳しくなった。先のことを考えて歩き出す選手も出だす。道路の両側の風景に懐かしさを感じる。月桃など沖縄と同じ植物が生えているせいだ。宮城UMC仲間のO川さん、M井さん、I藤さんに次々に抜かれる。年長のF田さんはもっと先を走っているようだ。やがて歩き出したI藤さん発見。声を掛けて前に出る。後で聞いたらI藤さんは全く覚えていないとのこと。きっと悪天候との戦いに夢中だったのだと思う。 そのうちにもどんどん強まる風雨。八合目の周回道路付近で最初のエード。そこから右折して周回道路を一周。平らになった分走り易いのだが、後ろから猛烈な風に押されつんのめりそうになる。そして残り半分を過ぎると、今度は暴風をまともに受けることになった。体を前傾しても進まないほど。もの凄い風圧に耐えながらの前進。近くにいた女性選手は「もう棄権しようかと思った」と話す。 先を走っていたはずのM井さんが後ろから追い着いて来た。トイレ休憩だった由。そこからゴールまでの50km近くを彼と一緒に走ることになるとは、この時予想してなかった。周回道路をほぼ一周し終えた後、一旦下ってASへ立ち寄る。先行していたO川さんとすれ違う。結局この後彼と会うことはなく、彼は私達より約1時間早くゴールしたようだ。 地元の方の風雨に曝されながらのASでのお世話に心から感謝。ここでバナナとクリームパンを食べ、ボトルに水を補給する。再び周回道路へ出、分岐点から登山道を下山。分岐点の標識が下を向いていた。もう全ての選手が通過したのだろうか。後ろから北海道の男女ランナーに抜かれる。男性はとても72歳とは思えないNさんで女性は元気者のAさんのはず。彼らも私達より1時間以上速かったようだ。 一層強まる風に抵抗され、坂道を下るのが難しい。思わず両手を広げてグライダーのように滑空。もし体に糸をつけたら、凧のように空を飛ぶのではないか。そんな風にも思えるほどの強風。これはきっと低気圧が島を通過中なのではないだろうか。
2009.03.18
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< 嵐の予感 > 民宿でのチェックを終え、部屋へ向かう。私は宮城UMC仲間のF田さんM井さんと、I藤さんは雲峰師匠達と、そしてO川さんは埼玉のO野さんと、それぞれ同部屋になった。いずれも以前からの顔なじみ。女性達3人も同部屋だったはず。懇親会を兼ねた夕食時にはこのメンバーが同じ食卓に就いた。雲峰師匠がお元気そうで何よりだ。 夕食のメニューが家で食べているような内容で期待外れ。それでも黙々と食べ、アルコールを飲み干す。初めて会ったSパパとI藤さんが、偶然にも小学校、中学校の同窓だったことが判明。昔話に夢中になる二人。これだから人生は面白い。このSパパが来月「トランスヨーロッパ」に出場すると聞いた。後日調べたら、今年のコースはイタリアのバーリからノルウェーのノールカップ岬までの4500km。これを64日間連続で走破するみたいだ。 部屋で一頻り話し込んだ後、F田さんとM井さんは8時半ごろ就寝した。風呂でSパパと遭遇。「トランスヨーロッパ」に向けてずいぶん走り込んだようで、とても私と同学年とは思えないほど鍛え抜かれた肉体だった。床に入っても隣の部屋の話し声が聞こえて来て眠れない。話し声が止んだのは10時半頃。ようやく眠りに就いたものの12時過ぎには目が覚めた。 風の音が異常なほど強く聞こえる。それに雨も降っているみたいだ。これはまるで嵐。天気予報を最後に確認したのは、確か木曜日の夕方頃。あれから既にまる一日以上経過している。果たして明日の天候はどうなるのだろう。不安を抱きつつもいつしか再び眠りに就いた。 目が覚めたのは4時過ぎ。多分睡眠時間は4時間足らずのはず。それでも100kmレースの時よりはずっとマシ。トイレに行き、薄暗い部屋で両足にテーピングを施していた時に2人も目覚めた。彼らは良く眠れたようだ。明りを点けて本格的な準備にかかる。一旦は半袖Tシャツとハーフタイツの組み合わせにしたものの、外の様子からそれでは寒いと判断し長袖Tシャツとロングタイツに着替えた。その上にビニール袋を被る予定。さらに薄手の手袋をポシェットに仕舞う。結果的にこの装備が大正解だった。 5時前に食堂へ仲間と集結。こんな悪天候だと言うのに、誰一人レースの開催を疑っていないのはウルトラランナーの性だろう。結構充実した内容の朝食に満足。部屋へ戻って洗顔しようとしたらF田さん曰く。「どうせ雨に濡れるから顔は洗わなくて良いよ」。先輩の冗談を真に受ける私。でも血圧降下剤だけはしっかりと飲んだ。 着替え、洗面具などの入ったリュックを背負って公民館へ。ゴール後は温泉へ行く予定なのだ。コース図は雨に濡れないようビニール袋に入れてある。若干の食べ物とアスリートソルトなどもポシェットへ入れた。手にはスポーツドリンクのボトルも。先ず公民館で最終チェックを受けてから、スタート地点の小学校へ移動。雨と風の洗礼を受けながら、カウントダウンが始まった。さて、今日は一体どんなドラマが行く手に待ち構えているのだろう。
2009.03.17
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< 八丈島便は果たして飛ぶのか 着陸出来るのか > 羽田空港の67番ゲートへ向かう途中、何とも言えない緊張感を感じた。電光掲示板を見ると鳥取便はフライトを取り止めたようだし、私達が乗る予定の八丈島便は「天候調査中」とある。南の島で62kmを楽しく走ろうと気楽に考えていた私にとっては、予想外の出来事でとても信じられない。これは一体何が起きたのだろう。 暫くして宮城UMCの仲間6人が大きく手を振る姿が見えた。だがお世話役のM井さんの表情が少し硬い。午前の便で既に八丈島へ着いたO川さんからの電話だと、島が強風の場合は着陸できずに羽田へ引き返す場合があると機内放送された由。「もし八丈島へ着陸出来ない場合は東京で残念会をやりましょう」。M井さんは私達にそう言った。まんざら冗談でもなさそうな感じ。う~む。今日は文字通り「13日の金曜日」となってしまうのか。 幸い八丈島便のフライトは決まった。だが、羽田を飛び立った途端、厚い雨雲に閉ざされて全く何も見えなくなった。そして「万が一八丈島へ着陸出来ない場合は引き返しますのでご了承願います」と、例の放送も。35分後に再び機内放送。「間もなく着陸態勢に入ります」。おおおおおお。これで何とか八丈島へは降りられそうだ。 高度が下がり、雲の隙間から青黒い海が見えた。そして泡立つ白波も。何だか嵐の前のような風景。ちょっとだけ見えた山が南側の三原山なのか、それとも北側の八丈富士なのかも分からない。滑走路に下りた時、強風で機体が横揺れした。何はともあれ下界に着いた。空港からマイクロバスで受付会場へ向かう。既に説明会は始まっているはず。車窓から見える植物はやはり南の島特有のもので、どこか沖縄の雰囲気も漂っている。 会場の公民館に着くと既に説明会は終了し、大勢の選手がアルコールを飲み出していた。主催者のS木さん、スタッフのSパパやT本さんと久しぶりに再会。急いで登録を済ませ資料を受け取ったものの、明日のレースでコースをどう走るのか説明を全く受けずじまい。不安を抱きながら雨の中民宿へ向かう。<続く>
2009.03.16
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今朝は前日の荒れ模様が嘘のような好天。八丈富士や三原山が青空にくっきりと映えて見えました。民宿の傍の荒地でアシタバを採り我が家へのお土産に。さらに空港で「アシタバ饅頭」を買い足す。走友会のO川さんと、羽田、東北新幹線経由で帰宅。 残りの6名はレンタカーを借りて観光へ。八丈富士登山、島の名産である黄八丈織りの見学、そして温泉へ行かれる予定とか。大変な天候の下でのレースは、きっと人生でも最も印象に残るものとなるはずです。
2009.03.15
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猛烈な雨と風の中、午前6時レース開始。まず標高854mほどの八丈富士へ向かう。登るに連れて風と雨が強まる。8合目で山を一周。風速30mを超える台風並みの風に、前進を阻まれること再々。体重の軽い女性は飛ばされる心配も。 山から下りて時計回りで島の南端へ向かう。海抜数mから標高400mほどまで登り坂の連続。三原山の麓を一周して大坂トンネルへ。この先の崖に突き出した道路で最大の風速か。途中道路工事中の箇所で危うく迷子になりかけ。 海岸には大波が打ちつけ、雨が顔に激しく当たって痛む。ようやく八丈富士の麓を一周してスタート地点に。8時間22分10秒(自測)ほどでのゴール。着替え後温泉で冷えた体を暖め、宿へ。仙台から参加した8名全員が無事ゴール。懇親会では大いに盛り上がった。 島の名産「くさや」を人生初体験。島の焼酎も鱈腹飲んだし、鴨鍋も美味かった。この夜はようやく安心して8時間近く眠る。
2009.03.14
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羽田空港へ着いてビックリ。鳥取行きと宮崎行きの便が欠航した模様。そして八丈島行きは天気の状況を調査中との掲示。飛び立った機内で、強風のため着陸出来ない時は羽田へ引き返す場合があるとの放送。 何とか無事八丈島へ着陸出来、車で受付会場へ急いだが、レースの説明会は既に終了していた。夜半、猛烈な風と雨の音にしばしば眠りを覚まされた。これはまるで台風。果たしてレースはどうなるのか?
2009.03.13
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太平洋を68日間で渡り切ったエラオス号から岸壁で待っていた光代夫人の姿を発見した寛平ちゃん。上陸するや否や奥さんの手を取り合って号泣したそうだ。きっと、よほど嬉しかったんでしょうね。大阪から千葉県の鴨川港まで走った後、ヨットでロスアンゼルスまでを波に揺られ、これまでに旅した距離の合計は13,401.9km。 上陸した日の夜、ロスアンゼルス駐在の日本総領事の招待で夕食会が催された由。終わった後の寛平ちゃんが「あの人偉い人なの?」と言ったとか。今日はメディカルチェックを受けたようだが、腹筋が付き過ぎてドクターが腎臓や肝臓に触れることが出来なかったとか。健康には全く問題がなかったようだ。ただ、脹脛の筋力が落ちたために別途電気治療を受けた由。 日本で走ってなかった時63kgほどだった体重が現在56kgにまで減ったため、寛平ちゃんとしてはもう少し増やしたいそうだ。上陸後3日間は歩くことから始め、その後にいよいよ北米大陸を走って横断する旅が始まる。昨夜はホテルでグッスリ眠った寛平ちゃん。十分休養を取って、新たなスタートを切って欲しいと思う。 さて、今日も風が強い中を走って帰宅した。昼食後、明日からの八丈島行きに向けて、最終的な準備に取り掛かる。3月14日(土)。レース当日の島の天気は曇り時々雨の予報。気温は最低が10度で最高が16度。島のため海風は吹くだろうが、きっとそれほど寒さは感じないはず。念のためロングタイツと長袖Tシャツは用意したが、多分ハーフタイツと宮城UMCの半袖Tシャツで走ることになると思う。 主催者であるエコ・ジャーニークラブから大会要項が送られて来たのは、昨年の10月だったと思う。同じ3月開催の「東京マラソン」が3年連続で抽選漏れになったのを確かめてから申し込んだ。それでも参加者名簿を見ると10番目になっていた。 私の八丈島に関する知識はとても貧弱。太平洋に浮かぶ東京都下の島。その昔鎮西八郎為朝が流された島。アシタバが名産。八丈小富士と言う火山性の山がある島。そして妻の両親がかつて旅行したことがある島と言うくらいだ。その義母も亡くなり、今年の暮れに33回忌を迎える。 3月半ばの八丈島。残念ながらレース当日は雨の模様だが、それもまた楽し。一応穴を開けたビニール袋を用意したので、いざと言う時はそれを被って走る積りだ。レース翌日は観光もしないで早目の便で帰ることにしている。だから私にとってはレースそのものが観光。旅館で出されたものを食べ、元気に走りながら素晴らしい景色を堪能する。それで十分、ほかに何も言うことはない。 明日はいつも通り午前中仕事をする。勤務後、直接駅に向かうのは初めての経験だ。果たして今回はどんな旅になるのか。また、どんな景色やドラマに出会えるだろうか。仙台から行く仲間は私を含め8名。その外東京の雲峰さんなどの走友が参加されるみたいで再会が楽しみ。そして、出来るだけ楽しい完走記が書けるように願っている。 < お断り > 明日(3月13日金曜日)は、ブログを書くことが出来ませんので悪しからず。 明後日(3月14日土曜日)は、「八丈島一周」のレース当日で62km走ります。 帰宅するのは3月15日(日)の午後で、その夜には簡単なご報告が出来るでしょう。 実際に「完走記」を書き始めるのは、3月16日(月)からの予定です。 では行って来ます。皆様良い週末をお迎えくださいね~
2009.03.12
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早朝の空にほとんど雲は無く、美しい月と星が輝いていた。だが風がとてつもなく強いため、寒さを感じる。心配していた愛犬のウ○チは、ようやく5日目で固形物に変わった。ともかく悪食の犬種で何が下痢の原因かの特定は難しいのだが、ひとまずこれで安心出来そうだ。帰宅すると彼の飲み水を入れる器に氷が張っていた。今朝は久しぶりに気温が零下になったようだ。 同僚の怪我で遅番勤務となり2日間行けなかった第2現場へ赴くと、主任が会社の上層部は現場の勤務体制を軽視していると怒っていた。勤務後、山越えでの帰宅ラン。ちらついていた雪が、動物公園まで来た時には吹雪に変わった。寒かった今日は走るかどうか迷ったが、土曜日の「八丈島一周」を目前に控えて少しでも練習することにした。帰宅後、軒下で吹雪に耐えている愛犬をガレージに移動。 テレビでは北朝鮮の元工作員だった金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんが、拉致被害者である田口八重子さんの家族と面会したニュースが流れる。伯父の養子になった32歳の長男には、八重子さんの面影があると金さん。八重子さんや横田めぐみさんは必ず生きていると断言し、長男の耕一郎さんに対しては、「私が韓国のお母さんになる」とも話したそうだ。 韓国の国民がこの事件に無関心なのは、朝鮮動乱以来離散家族が多いことが背景にあるようだ。また彼女は115人の死者を出した大韓航空機爆破事件の犯人の一人で、憎しみの対象でもあるため韓国人の心境は複雑。今回政治体制が変わったため、ようやくマスコミの前に顔を出したが、結局は彼女自身も分断国家の運命に弄ばれた犠牲者の一人なのだと思う。 さて、待ちに待った寛平ちゃん達のヨットが、今日の3時11分にロングビーチ港に到着したようだ。これでようやく12、710kmの旅を終えて無事上陸。寛平ちゃん達はホテルでの入浴よりも前に、真っ直ぐ焼き肉屋へ向かったそうだ。待っていた奥様達と生ビールで乾杯。どれだけ飲んだか分からなくなったと寛平ちゃん。 今のところこのビッグニュースは、スポーツ紙のHPの芸能欄に小さく載っただけのようだ。今回彼が行っている偉大なる挑戦の意味が、まだ十分理解されていないのだろう。命を懸けた大冒険で世界初の挑戦なのに、彼がお笑い出身と言うだけで芸能欄の扱いとは情けない。やはりウルトラマラソンやウルトラランナーは単なる変わり者なのだろうか。
2009.03.11
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夕刻第1現場のビルに出勤し、早速同僚の怪我の原因について訊ねてみた。事故の現場は係長が電話で教えてくれた螺旋階段ではなく、屋上の配管の上を跨ぐ階段らしい。雨の夜。片手に傘を差し、もう一方の手には懐中電灯。滑って転べば両手が塞がっているために怪我をし易くなるのは当然。 係長によれば、警備員は小雨の時は傘を差さないのが普通なのだとか。そんなことを今頃言われても困る。ただ、あの階段は確かに怪我をする危険性はあったと思う。何しろ段差が40cm近く、私も跨ぐ時にこれまで何度か躓き掛けたことがあった。歳を取って足が十分に上がらないためだ。一見何でもないような箇所にも危険性が潜んでいる。 この日はWBCの日韓決戦が気になっていた。5時過ぎに第1回目の巡回終了。そして6時半過ぎに玄関先での立哨終了。そろそろ試合が始まる頃だ。堪らず管理会社の若者にそのことを話すと、携帯電話を見せてくれた。小さな画面だが試合がちゃんと映っている。それを時々眺めては一喜一憂。 2回目の巡回から戻って来た直後、先発の岩隈がとうとう1点を取られたようだ。侍ジャパンにも好機があったがなかなか点が取れない感じ。勤務を終え、速攻で帰宅。家に着くともう8回裏になっており、そのまま0対1で試合終了。とても悔しい敗戦。疲れもあって2杯の焼酎に酔い、ブログへの返事も書けない状態だった。 「今日負けたことがチームの団結力をさらに強めてくれると思う」。試合後、原監督はそう語ったみたい。そして侍ジャパンのメンバーは早速身支度を整えアメリカへ旅立って行った。良い投手からはなかなか点が取れないことを再認識させられた試合だった。本当の勝負はこれからだろう。今はあれこれ敗因を詮索している暇はない。強い気持ちで次の試合に臨んで欲しいと願う。 さて、アースマラソンの寛平ちゃん達だが、いよいよ日本時間11日の早朝にロスアンゼルス港へ入港することが決まったようだ。前祝に非常持ち出し用袋を開封し、羊羹やチョコレートを食べたと言う2人。今日の日記には67日目にして初めて陸地を見たと書かれていた。海の色が紺から緑に変わり、エオラス号への最初の訪問者は「ハエ」だったそうだ。 陸地に近づくと危険性が増すため、今夜は徹夜になる予定と少し前の日記にあった。2人にとっては最後の頑張りどころだ。そして本当の「アースマラソン」が上陸後に始まる。パートナーを比企さんから宮本氏へと代え、今度は長い長いマラソンへのスタート。その前に十分体調を整えて欲しいと思う。 私は今日も遅番勤務。時間の使い方が通常とは全く違うのだが、週末に走る「八丈島一周」の準備をボチボチし始めている。今日は走らずに床屋に行く予定。髪を短くすることも楽に走るための対策なのだ。愛犬マックスの下痢が続いており、昨晩も真夜中に2度起こされてしまった。原因は私が魚のアラを上げたこと。彼が案外元気なのが救いか。今夜はお互いゆっくり眠りたいね。
2009.03.10
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土曜日。山越えのLSD決行。前日の大雨で山道がぬかるんでいることを想定し、太白山裏側の林道を行くことにする。ザル川の水は思ったより濁っておらず、林道もさほど走りにくい状態ではなかった。梨野への分岐点から県道へ向かうと道端には僅かに雪。そして風に乗って小雪も舞い出す。長い坂道を下って折立へ出、広瀬川に架かる生瀬橋から折り返す。 大梅寺の麓で湧き水を飲み、今度は長い坂道を登る。このコースを走るのは昨年の4月以来のこと。結構アップダウンがあるため、坂道が多いであろう「八丈島」の練習になると思ってのことだ。21kmを2時間20分ほどのLSDとなる。さすがに履き慣れたシューズは何の抵抗もなく、とても楽に走ることが出来た。 日曜日。「秋田内陸100km」の案内が届く。銀のねこちゃんのブログに数日前に届いたと書かれていたので、間もなく届くことは予想していた。9月の最終日曜日にレースが開催される由。多分私はその1週間前の「佐渡島一周」に参加することになると思う。年齢を考えれば206kmもの超長距離を走れるのは、この先もう何度もないだろう。そして今回が多分最後の挑戦になるはずだ。 サッカーJ2のベガルタ仙台対コンサドーレ札幌戦を観戦。最終戦で負けJ1昇格を果たせなかったベガルタに対して、J1残留を守れなかったコンサドーレ。昨年は悔しい思いをしたチーム同士だが、どれだけJ1昇格に対する気持ちが強いかが、今季の最終成績につながると思う。我がベガルタが後半に奪った1点を死守して勝ち点3をゲット。幸先良い白星スタートとなった。 同夜、係長から電話。勤務日前日に彼から電話があるとろくなことが無い。案の定、遅番の同僚が金曜夜の巡回中に雨で濡れた螺旋階段から滑り落ち、腰を強打した由。そのため月曜と火曜の両日、早番と遅番を交代して欲しいと言う内容だった。この冬何度か雪が降ったり凍ったりで、あの螺旋階段には相当注意を払っていた。これからも労働災害を起こさないよう十分気をつけたいと思う。 そんな訳で急遽今日は遅番勤務。前夜遅かったため朝はゆっくりする積りが、愛犬の様子がおかしいとの妻の言葉に起こされる。原因は下痢だった。ちょっと変わった食べ物を与えると、決まって腹を下す愛犬。まあ大したことがなくて良かった。 朝食後、「雪割草が咲いたよ」と庭で妻が呼ぶ声。春に先駆けて咲いた小さな花を愛でる。枯れたアシタバを抜いて裏の元気な苗を植え替えた積りが、太い主根が途中から切れてしまった。強い植物なので復活することを期待したい。アシタバは八丈島の特産品で、植えてから3年目で花が咲き実が生ると枯れることを、今回調べて初めて知った。 さて麗らかな今日は気温も11度まで上がるとか。勤務の関係で帰宅ランが出来ないため午前中から走る。今日は平坦な11kmのコースにし、新しいシューズを履いて出発。ザル川の畔をさほど足に衝撃を感じることなく走れた。さて、今週末はどのシューズでレースに臨もうか。それよりも遅番勤務のために、今夜の日韓決戦がほとんど観られないのが残念だ。
2009.03.09
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いや~。昨夜は大興奮でしたね。何ってWBCの第1ラウンド日本対韓国戦ですよ。観ていてあれだけ興奮したのは久しぶりのこと。今まで韓国には相当苦しめられていたし、これまでの試合で「侍ジャパン」の調子が悪かったこともあって、ずいぶん心配してましたからね。 でも私は試合が始まる前に妻には日本が勝つよと話していました。その根拠ですが、今回は韓国の選手に兵役免除のご褒美が用意されてないと聞いていたからです。北京でやたらと強かったのは、メダルを取れば兵役免除が約束されていたからで、「ぶら下げられたニンジン」が無い今回は、彼らのモチベーションは低いと見ていたのです。 しかしまあ原監督の采配も冴えていましたね。北京オリンピックで惨敗した相手の戦力を良く分析し、好調の稲葉を下げてまでジグザグ打線を組みました。選手達も何とか北京の借りを返したいと、初回から猛然と襲い掛かりましたからね。特に1番のイチローが相手の持ち球を痛打したのが大きかったと思います。後続のバッターにも連打されたことで、とうとう得意の球を投げることが出来なくなったようです。 いやはや侍ジャパンの破壊力は大したもの。決して追撃を緩めず14安打で14点を取る猛攻撃。しかも7回コールドとは恐れ入りました。点を取る度、興奮のあまり思わず大声を出した私でした。もちろんその後のスポーツニュースも観、早速今朝の散歩でスポーツ新聞を買いに行ったのは言うまでもありません。 ついでながら、C組ではアメリカがカナダに6対5で辛勝。D組ではオランダがドミニカに3対2で勝つ番狂わせですよ。これだから勝負事は最後までどうなるか分かりません。現時点で明日の対戦相手がどうなるか不明(恐らくは韓国のはず)ですが、しっかり1位で突破しアメリカのサンディエゴで行われる第2ラウンドでも、有利な相手と対戦したいものですね。 さて「アースマラソン」で太平洋を横断中の寛平ちゃん達ですが、いよいよロスに近づいて来て興奮中とのこと。ロングビーチ港まで残り400kmちょっとのようです。上陸に備えて寛平ちゃんは連日の筋トレ。メニューはエアーバイク3千回、「もっこりふくらぎ」千回、「ターザンの使い」300回、「揺さぶりゆりかご」300回。お陰で筋肉隆々だそうです。一方比企さんの方は、入国管理審査に備えて英語を猛練習中とのことです。 さて、今日は名古屋国際女子マラソンがありました。優勝したのは今回が初フルマラソンの藤永佳子選手で、資生堂所属の27歳。37km付近でトップだった新谷選手(豊田自動織機)を交わし、そのままゴール。ベルリンである世界選手権大会の代表に内定したようです。そして今日がラストランだったQちゃんこと高橋尚子さんが、2時間52分23秒の29位でゴールしたのはさすがでした。Qちゃん、長い間私達にたくさんの感動をありがとうね。そして本当にお疲れ様でした~。
2009.03.08
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北朝鮮が韓国民間機の安全を保障しないと言い出している。間もなく始まる米韓共同軍事演習を意識してのものだ。これまで北朝鮮の管理する空域をかなり高めの代価を払って通過していた韓国の民間機だが、今回の「恫喝」で遠回りを余儀なくされた模様。このため燃料費が余分にかかるとか。北朝鮮の瀬戸際外交は今始まったことでないが、ミサイル発射問題を含め今後も要注意だ。 インド独立の父マハトマ・ガンジーの遺品がこのたび1億7600万円で落札されたようだ。米国の運動家が活動資金を得るため手放したとか。インド政府は当然抗議したもののオークションは決行。しかし落札したのはインドの富豪。眼鏡、懐中時計、サンダル、金属製食器などの遺品はインド政府に寄贈される由。 先日は中国の美術品がオークションに掛けられた。中国政府が中止を要請したものの決行、落札者は中国の富豪だった由。ところがインドの場合と異なり、落札者は美術品は元々中国のものだからお金は払わないと言い出してるとか。その気持ちは理解できるけど、これでは美術品が中国に還ることはないと思うのだが。 西松建設からの政治資金提供に関して、民主党だけでなく自民党の政治家に対する事情聴取も予定されている由。民主党の小沢代表の説明が微妙に変化したし、本件に関する「政府高官」の理解しがたい発言もあって、事態が慌しくなって来た。ただ、政治資金規正法の遵守に関する認識がより甘かったのは民主党の方で、厳しい決着となりそうに思う。 東京中央郵便局ビルの文化財指定に関する鳩山総務大臣の発言は、相当遅過ぎる感じが否めない。既に新しいビルの建設に向けて、現建物の取り壊しが進んでいる状態での中止要求はどうなのだろう。今のご時勢が混沌としていることもあるが、何だか政治的な意図を強く感じてならない。ともあれ攻める者と守る者。政局はまさに総力戦と言うべきか。 すったもんだした「定額給付金」問題も何とか関連法案が国会を通過し、既に給付を開始した自治体もあるみたい。出ると決まったら有難く戴くのが我々庶民の立場。でもねえ。厳しい家庭経済を守るにしては「定額」いや、ちと「低額」過ぎませんか~? さて、今夜はいよいよWBCの日韓戦。昨夜の韓国は台湾を9対0の大差で破り波に乗っている感じ。我が「侍ジャパン」がどう戦うか見ものですねえ。敗者同士の中国対台湾戦は、つい先ほどまでだと3対1で中国が勝っていたが最後はどうなったか。国の威信をかけた戦いは、きっと総力戦になるだろう。
2009.03.07
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昨日の早朝、空には満天の星が輝いていた。中でも北斗七星がやけに巨大に見えたのは何故だろう。今朝は曇天。まったく何も見えない空だが、寒さはさほど感じなかった。出勤時にはそれが雨に変わっていた。バスの中からOさんがランニングしているのを発見。こんな日にも仲間が頑張っているのは大きな励みだ。 今日は金曜日。雨のせいだけでなく勤務後は洗濯物を持って帰るため走らない日と決めている。洗濯物だけでリュックが一杯になるからだ。つい先日MさんのHPで、8人の仲間が福島県相馬市の松川浦までの50km走をしたことを知った。正月早々塩竃神社参拝の往復50km走をこなし、「宮古島遠足」を全員完走するなど女性陣が相当強くなっている。とても嬉しいけど、これじゃあ自分もうかうかしていられないねえ。 来週土曜日の「八丈島一周」に向けて、私が走っているのはせいぜい20kmちょっとの距離まで。それでも八丈町や八丈島観光協会のHPを観て、八丈島を走ったような気分に浸っている。つまりイメージトレーニングと言う訳。HPを観た印象では、とても美しい景色の島のようだ。緯度は高知県の足摺岬や宮崎県の延岡市と同じくらいで、気温も仙台よりずっと高い。 問題はレース当日の天気。来週前半は雨や曇りの日が多そうだが、今後どう変化するか。また、どんな服装で走るか、シューズはどれにするか、「くさや」が特産品のようだが、宿ではどんな食べ物が出るのか。今はそんな空想を楽しんでいる。 今日は7月に走る予定の南三陸町の民宿をHPで調べてみた。同町にはずいぶんたくさんの民宿があり、しかも6千円台で泊まれそうなので何の心配もないことが分かった。一方、11月に走る沖縄本島北部のホテルがとても気になる。1泊目は昨年も泊まったホテルで大丈夫のはず。3泊目は那覇市内を予定。問題は2泊目のリゾートホテルの料金がべらぼうに高いこと。2万円で泊まれれば御の字。今後も注意してみてみようと思う。 話は変わって昨夜のWBC予選。大勝すると予想していた対中国戦だが、辛うじて勝ったと言う印象が否めなかった。短期間の間に中国は強くなったと思う。「侍ジャパン」と中国のヒット数が同じとは。野手の中でもイチローの調子が悪く、強化試合を通じても16打数でヒット無しとか。評論家の江本氏は不振のイチローを引っ込め、9番の岩村を1番にせよとスポーツ紙に書いていた。 今日の韓国対台湾戦の勝者と明日の試合で当たるが、きっと韓国と対戦する公算が強いだろう。先発は松坂の予定。今回も苦戦しそうな気がするが、「侍」に相応しい強い気持ちで突破することを願っている。今日の試合が放映されないのがちょっと残念。寛平ちゃん達のヨット、エオラス号のロスまでの距離は残り720kmを切ったようだ。こっちも頑張れ~!!
2009.03.06
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昨日第1現場へ係長が訪れた。用件は同僚が検査入院するため代行をお願いしたいというもの。もちろん断る理由も無い。それはそれとして、会社から供与された防寒着があまり暖かくないとの評判らしい。そう言えば今回のものには裏起毛が付いてない。暖冬にも関わらず私が寒いと感じたのは、どうやら防寒着に問題があったためかも知れない。 第2現場の主任の来月からの行き先が白紙に戻った。彼が自動車の免許を持ってなかったためだ。配置予定だった病院では勤務がシフト方式とのことで、朝6時に出勤することもある由。これだと公共の交通手段では勤務に就けない。また小母さんの方は別の病院へ行く話があったようだが、これもまだ確定ではないみたい。 ともあれ今月分のお茶代は徴収しないことになった。今あるコーヒーとお菓子が無くなればそれでもうお終い。今日はお別れ会の話も出た。だがこの現場では1時間しか勤務しない私は出席の義務はない感じ。私には次の行き先についての話がまだ一度もないが、何も心配はしていない。 その現場での勤務を終え、今日は山越えでの帰宅ラン。シューズの底が堅いため足への負担を感じる。それにしてもこのメーカーのシューズは底がやたら堅いのと、やたら軟らかいのとが両極端だ。ランナーズを読んでいたら私が最近まで履いていたシューズは、寛平ちゃんも履いているシリーズのようだ。私は足を引き摺るような走り方のせいか、500kmほど走っただけで底が摺り減りダメになってしまった。 寛平ちゃんのフォームはきれいだから、同じシューズでも1000kmは持つだろう。ところでアースマラソンで彼が走る距離は1万6千kmの予定。もし仮にこのシューズで走った場合は単純計算で16足必要になる。まあ彼の場合は多分スポンサーが付くと思うので、シューズの心配は必要ないだろうけど。 公設第一秘書が逮捕された民主党の小沢代表だが、その後の状況は彼らにとって不利なようだ。報道によれば秘書の方から建設会社に献金の請求書が出されているとか。豪腕で名高い小沢代表も、昔の自民党の古い体質を引き摺っているのだろうか。こんな状態では日本の政治もまだまだ未熟。今後も幾つかの試練を乗り越えて成長してもらうしかない。それにしてもあの秘書の容貌はいただけない。まさに虎の威を借る何とかだ。 さて、いよいよ今日からWBCアジア地区予選が始まる。対中国戦の先発は日ハムのダルビッシュ投手。今夜は飽き飽きした「不毛の政治ショー」をしばし忘れて、強い「侍ジャパン」の姿に酔いしれたいものだ。
2009.03.05
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昨夕のこと、日記を書き上げて居間へ行くと、異様な雰囲気のニュース。民主党小沢代表の公設第一秘書が政治資金規制法違反で逮捕された由。これは大変。今後事件がどう波及するのだろう。ともかく影響が大きいことだけは間違いない。夕食は散らし寿司。この日は桃の節句だった。仕事が忙しい妻は雛飾りを出す余裕はなかったようだが、夕食でひな祭りの雰囲気を味わうことが出来た。私は案外酢飯が好きだ。 一夜明けて、今朝は雪になった。水っぽくて直ぐに融けそうな淡雪の感じ。きっと帰宅ランは可能と判断し、ランニングシューズで出勤。いつもとは違った路線バスと地下鉄を乗り継ぎ、職場に到着。真っ先に巡回した屋上に、5cmほどの積雪があった。立哨を終えた頃には道路の雪が融け、乾いている箇所も見え出す。 第2現場での勤務を終え、当初の予定通り帰宅ラン決行。ただし大事を取って街中を走って帰る。新しいシューズが合わずに困っていたのだが、今日は痛みが酷い右足のインソールだけ医療用から普通のものに変えてみた。つまり左右別仕様。これは昨年の「つくばマラソン」で試した時以来だ。若干の違和感があるものの、痛みは弱く幾分走り易い。いつもより少し遅めだが無事帰宅。 さて昨日の比企さんの日記によれば、エラオス号のロスまでの距離は残り1500kmを切ったとか。海面を漂うゴミも、数日前から英語表記のものが増え出した由。寛平ちゃんは初めてバイクの免許を取った時よりもっと嬉しい気分だそうだ。それに反して、残りの食糧は乏しくなって来たみたい。 目下の2人の楽しみは、無事ロスに近づいたら「非常用持ち出し袋」に閉ってある、チョコレート、カロリーメート、キャラメルを開封して食べることみたいだ。もっとも、この袋を開けるような事態にならぬことを祈っているようで、比企さんの日記は以下の言葉で終わっている。 「こんな袋は使わない!使っては絶対ならないものです。ただそのリスクがある「太平洋横断」は、本当の意味で「大人の冒険」だと思います。こんな袋を使わずに無事着けるよう最後まで頑張ります」。袋には甘いお菓子だけでなく、いざと言う時のための釣り道具、イリジウム電話、GPS、無線機、水などが入っているのだ。 今日小沢代表は身の潔白を主張し、検察の強権乱用や陰謀説を唱える党員もいるようだ。一方自民党の中には、小沢代表は議員を辞職すべしと言う強硬な意見も。潔白と言うにはあまりにも巨額な献金。この企業から献金を受けた議員が他にもいるようだ。果たしてこの事件がどう決着するのか、今後も注目したいと思う。
2009.03.04
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昨日の早朝、庭の敷石が僅かに濡れていた。どうやら夜半に雨が降ったようだ。愛犬とバス通りまで出ると、道路には凍結防止剤が撒かれている。不思議に思って良く見ると、僅かに氷が張っていた。夜半の雨が夜明け前の冷え込みで凍り出したようだ。だが、防止剤を撒くまでもなく融けそうに思った。 この冬は記録的な暖冬らしい。お陰で灯油も安くなった。配達しに来る業者の話によれば暖冬のためなかなか灯油が売れず、このままでは膨大な在庫を抱えてしまうため、止む無く値下げに踏み切ったのだとか。とすると、前日の凍結防止剤も無理やり散布したのかも知れない。年度末まで予算を完全消化するために。 役所と言うところはどうも始末が悪い。年度末になると工事が増えるのなどはその典型。近所を流れるU川の護岸工事は中途半端で見ていられないし、Z川の整備など素人目には必要のない工事で税金をばら撒いているように見えて仕方が無い。あんな小さな川がすっかりコンクリートで固められ、ご丁寧に上から芝生を張ったところまである。むしろ自然のまま桜の木でも植えた方がよほど住民のためだと思うのだが。 昨年走った宮古島ではコンクリートの擁壁で美しい浜辺が見えなくなった箇所があったし、沖縄本島の名護湾でも自然海岸がすっかり分厚いコンクリートの護岸で覆われていた。省庁の縦割り行政。苦労して分捕った予算は、もし余っても翌年に廻さない。不必要と分かってもそれまでの計画を見直さない。子孫に膨大なツケを残して一体どうする積りだろう。 無駄の典型が役人の天下り。あれでどれだけの税金が消え去るか。省庁の数合わせ然り。形の上では特殊法人や財団の数を減らしても、組織の実態と国家財政からの支出額はさほど減らない仕組み。ある時大学時代の友人を訪ねたことがあった。彼が勤める「高齢者雇用促進事業団」とか言う法人は立派なビルの一角にあったが、室内はやけに閑散としていた。ところがハローワークを訪ねても、高齢者への求人は限られているのが実態だ。 天下り先は国だけに止まらない。都道府県や市町村にも天下りの対象となる出先機関がある。そんな無駄や不合理が罷り通る中、近畿圏内4府県知事が行った、淀川水系ダム建築計画への反対表明は実に痛快だった。これには裏話があり、国土交通省のダム設計専門家の中にも辞職して反対した人がいたとか。 最後に明るい話題を一つ。岐阜県白川町の「森林資源活用センター」ではこれまで焼却処分していた木屑や間伐材を専用ボイラーで燃やし、1時間に600キロワットの電力を発電している由。ゴミを減らし、地球温暖化の歯止めに貢献し、余剰電力を売却して利益を得ると言う一石三鳥の事業だ。将来は子供達が環境や自然の保護を学べるセンターにしたいとか。これこそ予算を有効活用した見本。智慧を出せばもっと地域は良くなるはず。
2009.03.03
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バスから降りるとIさんが私に言った。「Kさんが18日で辞めるんだって」。Kさんは私が今の会社に入って最初の現場で一緒だった人だ。「今は状況が厳しいからね」と私。さらに「Kさんは動作が遅いからなあ」と。「Aさんより若いんでしょ?」。多分彼は62歳くらいのはず。まだ辞める齢ではないのだが、不景気で契約を取れなかった現場が出て来たのだろうか。 私達が所属する事業所では男手が余っていると聞いた。そのうえ清掃に入る現場が少なくなったら、収益を確保するために雇用契約を更新されないパート職員が出てもおかしくない。第1現場に着き、室内のカレンダーを新しくする。また遅番の同僚との連絡ノートも新しいものに代えた。 10時過ぎ、第2現場である隣のビルに移動。S主任にKさんが辞めるようだと話したら、その情報は知らなかったようだ。その代わり、あるホテルで清掃員を30名採用すると新聞に出ていたと話してくれた。そのホテルはこれまで我が社が清掃を請け負っていたところ。それが新規に募集してると言うことは、入札に負けたと考えるべきか。 我が社では15名ほどの職員でやりくりしていた現場のはず。もし入札に負けたらそれだけの人数を別の現場に振り分けるしかないし、中には辞めざるを得ない人も出ると思う。私が警備員になったのも、清掃員をしていた現場が3年前に入札で負けたためだ。当時の仲間15人のうち、今でも残っている人は6、7人くらいしかいないと思う。 ビルクリーニングは守備範囲と清掃内容が家庭の掃除とは全然異なるため、大変な体力を必要とする。先月辞めた人と今月辞める人が共にサボりが得意なのは、長時間清掃をするだけの体力が無いためでもある。大抵65歳くらいで辞めるのはほとんどが体力的な理由からだ。 私が最初に勤務した現場でも明日辺り入札が執行されるはず。前回は他所の県の業者が滅茶苦茶な価格で落札したようだ。今回は予定価格がさらに下がるだろうから相当苦戦すると思う。中には業者に頼まず、職員自らが清掃を行う事業所も出て来たとか。それだけ世の中には不景気風が吹いているのだ。 勤務後着替えを済ませ、新しいシューズで帰宅ラン。念のため右足底部には「ガムテープ」を貼ったのだが痛みはある。それに両膝にも違和感が。きっとシューズの底の堅さがシリコン製インソールと反発して、一層堅く感じるのだろう。残り2km辺りから強烈な向かい風。どうやらランニングも世間同様、アゲンストに悩まされそうだ。このところ注意している八丈島の天気があまり良くないこともちょっと気がかり。
2009.03.02
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きっとんとんさんのブログが消えてしまったようだ。一体どうしたのだろう。彼女は元教師で、日本では数少ない「コラージュセラピー」の実践者。つまり切り取った写真を組み合わせて作ったコラージュから製作者の心理状態を読み取り、進路指導すると言うユニークな活動を行っておられた。 適切な指導を受けて明るい暮らしを取り戻せた事例が、ブログには数多く紹介されていた。コラージュの変化から相談者の成長を読み取ることが出来た彼女は、とても暖かい心の持ち主。大変なご苦労の奉仕活動だったにも関わらず、彼女は嬉々として天職に励んでいたのだが。 さて、心配と言えば昨夜の「侍ジャパン」も何だかおかしかった。西武ライオンズを相手に2対7の完敗。その負け方が良くない。特にイチローの元気の無さが目立つ。好機に打てないのに加え、塁に出ても盗塁が決まらない。逆に最終選考から漏れた西武の岸の好投が光った。韓国、中国、台湾を相手に戦う第1ラウンドで2位までに入るのは確実だろうが、どうも気がかりだ。果たして今夜の対巨人戦でどう立て直すか。 違和感と言えば最近首や肩が痛む。寝相が悪いのか、パソコンの見過ぎか、はたまた仕事が厳しくなったせいか。いずれにしても加齢が影響していることは確かだ。そう言えばこの頃体操をしていない。自分の体力を過信して体の手当てを疎かにした報いかも知れない。 今日は新しいランニングシューズの試し履きを決行。だが、家を出て200mも走らないうちに両足が痛み出した。これまでのシューズは昨年11月の「つくばマラソン」直前から履いたもの。底が柔らかく、怪我をした私の足には優しく感じとても走り易かった。だが購入後4ヶ月もしないうちにすっかり底が磨り減っていた。 今回底の堅いシューズを選んだのはそのため。1万円以上もするシューズが4ヶ月でダメになるようではとても経済的に持たないからだ。ただ私の足が耐えられるかが懸念の材料。その懸念が早々に出現するとは。どれだけ足に馴染むかを確かめるためさらに実験を継続。5kmほど走るうち徐々に痛みも和らぎ、そのまま練習会のコースに向かう。 登り坂も下り坂でもまあまあ順調。ところが名取川の堤防まで来た時、鋭い痛みが両足を襲った。この痛みは肉刺が出来た証拠。やはりシューズの底の堅さで、インソールと足底部が摩擦を起こしたのだろう。2時間26分ほどかかって何とか帰宅。ソファーに座って靴下を脱ぐと、左足は大丈夫だったが右足に小さな肉刺。早速バンドエイド2枚で応急処置。 これくらいならの摩擦なら、レース前にテープを張ればきっと大丈夫のはず。後は3月14日のレースまでにどれだけ足が慣れるかだ。昼食を摂りながら「びわこ毎日マラソン」を観戦。優勝は外国選手にさらわれたが、双子の清水兄弟の兄が日本人選手1位の4位で入賞し世界陸上選手権への出場を決めた。こんな選手もいたことを初めて知った。世界とはレベルの差がある男子マラソンだが、若い選手の果敢な挑戦をこれからも期待したい。
2009.03.01
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