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今日は一日良い天気との予報に、妻は早速洗濯に取り掛かった。私は庭に出て植物の様子を観察する。ひょっとしたらクリスマスローズに花芽が出てるかも知れないと妻が話していたからだ。この冬は根元に堆肥を撒いたクリスマスローズだが、今朝は寒さで根元や葉の先が凍っている。だが3つの苗それぞれに小さな花芽が幾つか出ていた。 椿と沈丁花の花芽が膨らんでいる。百合の小さな芽。僅かにスイセンの芽も。まだ寒々しい我が家の庭だが、良く見れば既に植物達の春を待つ準備が始まっている。そして花壇で福寿草が咲いているのを発見。移植したばかりの昨年はとうとう咲かなかったこの花がようやく咲いた。キバナセツブンソウと言う別名があることを、つい最近知ったばかりだ。 洗濯物を干し終えた妻に今見たばかりのクリスマスローズと福寿草の話をすると、とても喜んで仕事へ出かけた。今日は妻と映画を観に行く約束をしていた。帰宅した妻は月間の報告書を職場に提出しなければならない。一緒に出かけ、途中から別れて私は自転車店へ寄った。ブレーキの利きが甘くなっていたからだ。前後の車輪の部品を取替え、ギアチェンジの調整をお願いする。料金は2800円ほど。 次はシアターでチケットを購入。それからスポーツ用品店に行き、急いでランニングシューズを物色。メーカー、サイズ、仕様、値段は予め想定しているため決めるのは速い。直ぐに手ごろなものを見つける。実際に20kmほど走ってみないと足との相性は分からないのが問題。でも念願のシューズが買えて嬉しい。多分このシューズで「八丈島一周」を走ることになると思う。 その後妻とラーメン屋へ。妻は「中華そば」を、私は塩ラーメンの大盛りを注文。そしてギョウザを一皿。ふと机の上の求人広告を見る。何とこのラーメンチェーン店は一部上場企業で、資本金が100億円以上とのこと。店長で年俸430万円から500万円、ブロック長だと500万円から600万円。さらにその上の役職へも昇進可能で、社会保険や社宅なども完備みたい。不安定な立場にある次男のことが一瞬脳裏に浮かぶ。昼食代は合わせて1007円也。 今日観た映画は、「七つの贈り物」。観る楽しみを奪わないために、主役が黒人で犬も出、命がけの物語とだけ記しておこう。ストーリーの展開が読めずにずいぶんハラハラさせられ、結末も予想外だった。 帰宅すると「八丈島一周」の案内が届いていた。愛犬との散歩後、新しいシューズに紐を通してみる。そして「八丈島」の封書を開ける。中にはゼッケンなどが入っていた。後2週間後には暖かいであろう八丈島を新しいシューズで走るのだ。9月の連休にある「佐渡島一周」の案内も同封されていた。 さて、今日私に起きた「七つの贈り物」は何だろう。庭で咲き出した花。ブレーキが治った自転車。新しいランニングシューズ。ささやかな外食。妻と観た映画。「八丈島一周」のゼッケン。そしてお日様で膨らんだふかふかの布団だろうか。妻も新しいバッグを買った。明日から3月。春も近そうな予感がする。<今月のラン&ウォーク>参加レース:0回 走った回数:15回 走った距離:147km 歩いた回数:毎日 歩いた距離:123km 月間計:270km 年間走行距離:336km 年間合計:608km これまでの累計:66,030km
2009.02.28
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今年は暖冬傾向だと言う。そう思える日もあれば、そうは思えない時もある。第1現場のビルでは、毎朝8時半から1時間立哨をしている。ここでの私の任務は警備。暖房の無い風除室でじっと立ってるのはそんなに楽な仕事ではない。 会社から支給された防寒着を着用しているため上半身は寒くは無いが、指先と足元が特に冷える。職員が出入りする度に風が吹き込むからだ。昨年まではさほど堪えなかったのが、暖冬だと言う今年やけに寒さが身に沁みるのは、きっとそれだけ歳を取った証拠なのだろう。人がいなくなったのを見計らっては体を動かし、寒さに耐えている私だ。 今朝も例によって玄関で立っていると、お掃除の小母ちゃんが声を掛けて来た。「Aさん、毎日楽しい?」。「うん、楽しいよ」。即座に答えを返し、逆に質問する。「毎日楽しくないの?」。「そうなの」と彼女。いつもは明るく可愛い69歳のお婆ちゃんが、今朝は少し様子がおかしい。 「どうして?」の質問に答える彼女。実はこの週末にご主人と旅行に行く予定だったらしい。それが先日ご主人の体調が急変し、病院に入院したのだとか。彼女が勤務中だったため、ご主人は自分で救急車を呼んだ由。検査の結果、原因は大腸からの出血。幸い入院は10日間で済んだが、近々別の病気で手術を受ける予定とか。「やっぱり健康が一番だね」。私の言葉に彼女も頷いた。きっと今が一番辛抱のしどころなのかも知れない。頑張れSさん 昨日は第2現場の主任も浮かない顔をしていた。4月からの行き先を上役から告げられたそうだが、移動先の勤務条件が自分の希望と違ったのが憂鬱の原因。奥様の母親が入院中のため姉妹が当番でお世話をしているが、4月から土日が出勤になると当番に支障が出、彼も影響を被る由。う~む。人生ってそんなに都合良くばかりは進まないねえ。 今日は我が社の月給日。先月分は年末年始の休暇が多かったために手取り額が激減。このためこの1ヶ月で支払ったのは、2回の新年会会費、バスカード2枚分、インターネット料金、韓国焼酎4L分、カカオ飲料4本分、スポーツ新聞1回分、そして楽天の開幕戦などのチケット代金など最小限度のものばかり。後はじっと我慢の子だった。 今日こそは念願のランニングシューズを買おうとスポーツ用品店に寄ったら、何と棚卸しで店が閉まっていた。棚卸し前ならバーゲンセールをしたかもと思ったが後の祭り。やはり買うべき時に買っておかないと、みすみす損をすることもある。う~む、こうなると辛抱も良し悪しか。 先日久しぶりに「アースマラソン」のブログを覗いた。天候不順で寛平ちゃんも比企さんも相変わらず苦労しているみたい。景気づけに取って置きのワインを飲んだらアルコールが底をつき、「料理酒」にまで手を出したとか。ところが塩味がしてとても飲めなかったみたい。税金の関係で飲めないように加工してあるのだ。実は以前私も全く同様の経験をしている。今日はようやく徳用焼酎を補充出来た私。済みませんね寛平ちゃん。もうちょっとの辛抱ですよ~
2009.02.27
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驚かれるかも知れないが、私は毎日4時間以上パソコンを見ている。まずメールやニュースのチェック。それから自分のブログへ書き込みしてくれた方への返事とその日の日記。これで約2時間ほど。日記と夕食が済むと、今度は仲間のHPやブログへの探訪が始まる。よほど用事が無い限り、毎日40以上のサイトを覗くのが日課。これで2時間。合わせて4時間だ。 こんなことで妻からは呆れられ、たまには嫌味を言われる。「お父さんは自分の世界に入り浸っている」と。でも自分ではそんな意識は全くない。私にとってブログは人生修行の場。また心の癒しや刺激を受ける場であり、摩訶不思議な世界でもある。一度でも会ったことがある走友は別として、見ず知らずのブログ仲間が偶然訪れ書き込みをしてくれることなどまさに奇跡。一体どのようにして私のブログに辿り着いたのだろう。 さて、私の心を癒してくれるブログの一つが、北海道富良野地方の素晴らしい写真を中心にしたもの。もう一月以上音沙汰がないのが心配。また、沖縄県久米島の果樹園のサイトも一月以上更新されていない。ここも沖縄らしい珍しい風景が好きで観ている。そのうちには必ず復活するだろうと首を長くして待っている。 スペインでギター修行中の方のブログには修行の厳しさが漂うが、同時に異国情緒豊かな情景が載るのが楽しみ。専ら水彩画を描かれている方のブログには、目下冬枯れの公園の絵が毎日掲載される。きっとプロの方だと思うのだが、とても懐かしく親しみが持てる画風なのが嬉しい。 企業戦士でありながら、毎日せっせとブログを更新されている方。自虐的とも思える文章だが、必死で人生と戦う様子に身がつまされる。現職の看護士さんのブログは壮絶な日々であるにも関わらず、とても伸びやか。長年の夢だった「デイサービスセンター」を、近々自分達で立ち上げるまでに至った由。夢を追う人は一見弱そうでとても意思の強い人だった。 園芸を趣味とする方々のブログは季節の花々で溢れ、観ているだけで楽しくなるし、釣り人のブログではこちらも釣りの醍醐味を味わうことが出来る。カワセミの姿をひたすら撮影される方もおられるし、韓国女優の写真が毎日のように載るブログには驚くことばかり。もっと驚くのが森羅万象に詳しい方の知識溢れるブログ。教養人とはきっとこのような方のことを言うのだろう。 私のブログは長たらしい文章だけでとても貧弱だが、昨日の日記に対する反響は結構凄かった。家事などに関する我が家の約束事は恥を曝すようでどうかと思ったのだが、特に女性陣には好評だったみたい。ゴミ出し、資源ゴミのまとめと搬出(牛乳パックやトレーの回収も含む)、ファンヒーターへの灯油の補充なども私の仕事であることを忘れていた。これからは男も出来るだけ家事を手伝う必要がありそうだ。 一見プライバシー丸見えの我がブログだが、本当に大事なことは書いていない積り。秘して見せない部分が15%はあると自分では思っている。そして出来損ないの人間なので頭に来ることもあるけど、そんな時も出来るだけスマートに表現したいと思う。寅さんの文句じゃないが、「それを言っちゃ~お終め~よ」。こうして私のブログ修行の日々は続くのだ。
2009.02.26
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麻生総理がオバマ大統領に招かれて渡米した。新大統領が議会で演説する直前に日本の総理大臣と会見するのは異例のこと。日本に対する期待度が大きいのは、裏を返せばそれだけアメリカが経済的に行き詰まっている表れなのだ。その割りには、あちらのマスコミの取り上げ方は大きくないのだそうだ。 昨夜の侍ジャパン対オーストラリアの強化戦は、日本が手堅い野球で圧倒した。先発のダルビッシュが意外に堅くなってピンチを招いたが、2番手の岩隈が落ち着いたプレート捌きを見せ、勝ち投手になったのは見事。田中マー君が8回に投げ、1点を献上したのはご愛嬌か。 そのWBCには球数制限のルールがある。第1ラウンドでは70球まで。第2ラウンドが85球まで。準決勝、決勝が100球までと決められ、他にも1試合で50球以上投げた投手は中4日空けること、準決勝で30球以上投げた投手は決勝戦では登板出来ないことなど、細かく規制されているようだ。 これほど厳しくはないが、我が家にも妻と交わした約束事がある。まあ私としては不承不承従ったものが多いのだが、家庭円満のためにはやむを得ないだろう。決して参考にはならないと思うが以下に紹介しよう。<家事に関すること> 平日の朝食は自分で用意すること。(食器は妻が洗う) 土曜や休日の朝食は妻が作る。(食器は私が洗う) 平日および土曜、休日の昼食は自分で作り、食器も自分で洗う。 夕食は妻が作り、食器は私が洗う。 玄関、庭、ガレージ、風呂の掃除は私がする。 この他、年末には大掃除を手伝う 布団は私が妻の分も敷く。(畳むのは妻) 布団を干す時は私が2階に運び、干し終わったら再び寝室へ運ぶ。 洗濯物の取り込みは原則として私が行う。 自分の洗濯物は自分でたんすに仕舞う。(畳むのは大体妻) 愛犬の世話(朝夕の散歩)は特に用事が無い限り私の担当。 この他、妻に頼まれた用事(日用品の買い物など)をこなすこと。<小遣いと支出に関すること> 自分で稼いだお金はほぼ自由に使って良い。 床屋、アルコール類、本代などは自分の小遣いから支出すること。 ランニング、プロ野球観戦、園芸、インターネットなど、趣味に関する経費は自分の小遣いから支出すること。<妻とのお出かけ> 極力月に1度くらいはバス旅行、映画鑑賞、美術鑑賞、ハイキングなど妻に付き合うこと。ただしこの際の経費は、家計からの支出となる。 忘れていることがあるかも知れないけど、大体こんなものだろうか。で、これは暫定のルール。今は妻も私もパートタイマーとして働いていて結構忙しいため、お互いにフォローする必要があるからだ。また、お互いに働いていることで自由に使える小遣いもある。仕事を辞めれば、当然このルールも見直されるだろうが、まだ元気なうちは何でも手伝った方が健康のためにも良いと思う。そして出来るだけ介護のお世話にはならないよう願っている。
2009.02.25
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朝起きて自己流の体操をする時も、台所に立って食事の支度をしている時も、妻はラジオを聞いている。今回アカデミー賞を受賞した「おくりびと」に対する評判も、妻はラジオを聞いて知っていたのだとか。そして今朝は彼らが若い頃に所属していたグループ名を教えてくれた。 「シブガキ隊」。字がこれで合っているかは知らない。薬丸君がヤックン、布川君がフックンで本木雅弘がモックンだったと思う。その他にもメンバーがいたのかも、どんな歌を歌っていたのかも忘れてしまった。ただ今回の報道で「モックン」の凄さを知った。 彼が原作と出会ったのは28歳の時だったとか。「死」と言う重々しいテーマに、まだ20代の若さで惹かれることに先ず驚く。そして本を読んで感動した彼が、その後10年を掛けて映画化を訴え続けたと言う事実にも驚いた。役者としての魅力を秘めた彼だが、「人間力」の深さはやはり只者ではない。 さて今日は確定申告へ行き、初めてe-Taxと言うのをやった。つまり電子申告。もし還付金がある場合は手書きしたより1週間早く入金されるのだとか。納税者にとって大したメリットとも思えないが、入力したデータの一部は来年以降も使えるから、わざわざ税務署に行く手間が省けるようになる。ちょっぴり還付金があったこともさることながら、無事国民の義務を果たせたのが嬉しい。 先日は来月から支給される個人年金の手続きをした。また、近く公的年金から介護保険料が初めて差し引かれるとの通知も来た。間もなく65歳。面倒でも公的年金の受給内容が変わるための手続きもしなければならない。 話は変わるが、先日兄嫁が我が家を訪れた。実家の長兄が亡くなったのだとか。慌てて不祝儀を渡そうとしたら、彼女の田舎ではそんな風習はないのだそうだ。兄弟が7人もおり、親戚の数が多いため、近所にいる人だけで葬儀を済ませた由。それを聞いて愕然とした。私は彼女の兄弟を1人しか知らなかったからだ。 不幸にして兄が無くなったらこの義姉が葬儀を出すだろうが、もし先に義姉が亡くなったら身体障害者で口の利けない兄が葬儀を出すのは困難だろう。第一親戚の連絡先が分からない。2人の娘が今は近所に住んでいるが、うち一人は夫が転勤族だ。妻を亡くした弟は目下九州で一人暮らし。そしてその息子は海外勤務中。遺言で妻の遺灰を沖縄の海に流した弟だが、いざと言う時はどう連絡するか。 いやいや我が家だってどうなるか分からない。妻が先に逝くか私が先になるか。死は順不同で訪れる。いざと言う時に備えて自分の死後にどんな葬儀を望むのか、財産をどう処分したいのか。人間いつまでも元気とは限らない。「その時」に備えて妻とざっくばらんに話し、それぞれの「希望」を文書に認める必要があると思うようになった。それが人間としての「究極の手続き」だろうか。
2009.02.24
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雪が雨になり、霙(みぞれ)になり、また雨になった。その氷雨の中を珍しい傘が通り過ぎる。第1現場のビルで立哨中のことだ。パンダの模様が入っていて、ちゃんと耳までついている傘。差していたのは若い女性だった。何だかちょっと楽しくなる。 それも束の間、今度はホームレスのお婆さんが通りかかる。頭からすっぽりビニールを被り、まとえるだけの布を身に巻きつけている。顔はサングラスで隠れ、足元はサンダル履き。夏に公園で裸の後ろ姿を見た。寒そうに足を引きずりながら歩いているお婆さん。病気にならなければ良いのだが。仙台でもホームレスの人が増えているそうだ。何だかとても気の毒。 第2現場の主任が他のビルへ手伝いに行くことになった。辞めた人がいるためだ。それに大部分のテナントが移転し、清掃すべき部分が減って我が社の取り分が少なくなったためでもある。辞めたのは昨年の夏に私の裁断作業を手伝ってくれた人。サボるので有名だったみたいなので、契約が更新されなかったのは仕方ないかも。主任の後を私がフォローすることになり、ちょっぴり複雑な気分。 仕事を終え、自宅付近でバスを降りると、目の前の様子がおかしい。何と大きな桜の木が2本、根元から伐られている。12年前にここへ引っ越して来た時は、見事な10本の桜並木があった。数年後市によって7本の木が伐られてすっかり寂しくなったのに、今回も追い討ちとは。残った1本の運命は果たしてどうなる。本来なら大事に残すべき樹木を次々に伐られて、とても悲しい気分。妻も全く同様だった。 「おくりびと」がアカデミー賞受賞との臨時ニュース。妻と一緒に観たこの映画の印象が今でも強く脳裏に焼きついている。話題になる前に観たのがちょっぴり誇らしい気分。だが、あの頃には騒がれた様子はなかった。本木雅弘が数年前に原作を読み、何とか映画に出たいと熱望していたことを今回初めて知った。そして国内の映画祭でも賞を独占し、ロングランとなった由。 受賞のニュースを聞いた妻が「どうしても観たかった映画だった」と言い出した。あらら。あれはあまり乗り気じゃなかった私が、何となく観た映画だったのだが。まあ良いか。細かいことは言うまい。短編アニメーションの作品も同時に受賞。日本映画が2つの賞をもらったのは2回目のことらしい。それにしても「オスカー賞」とも言っているが、アカデミー賞とどう違うのだろう。 さて、秋田のJunさんが6月から中国へ赴任すると彼のブログに。「もう「いわて銀河」では会えないの?」と私が書いたら、今のところ出場予定でいる由。ちょっぴり安心したが、その数日後には中国に向かう由。そうか。彼に会える最後のレースになるかも。5年後に彼が帰国した時、私は70歳。何とか50kmのレースで走れる力くらいは残しておきたいが、あまり自信はないなあ。
2009.02.23
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昨夜は夜遅くまで「侍ジャパン」の試合結果をスポーツニュースで観ていた。お風呂に入り寝室に向かうと玄関で異音。はて、何だろうと不思議に思ったら、どうやら愛犬のいびきのようだ。前夜は留守番のため犬小屋で寝た彼。きっと寒さと不安で良く眠れなかったのだろう。ご主人様が無事帰宅し、自分も今夜は玄関に入れられて安心したのだと思う。 今朝はゆっくり起床。散歩と朝食を終え、いつものバラエティ番組を観る。スポーツ関係ではやはり「侍ジャパン」への反応が凄い。宮崎であった巨人との練習試合には、わざわざ遠くから観戦に来たファンが多かった由。宮崎市内が大渋滞したのは初めてのようだ。前日から球場で待っていたファンも多く、試合開始の4時間前には整理券を全て配り終えたとか。 日ハム稲葉選手の3ランホームランなどで10対0の圧勝。いくら相手がまだ調整段階とは言え、やはり日本代表候補選手の実力は相当なもの。我が東北楽天の田中マー君も2番手で出場し、2回3分の1をヒット0本と手堅く抑えたのが嬉しい。 今日は朝から良い天気だった。妻は昨日に続いて洗濯をし、布団を干した。午後から「横浜国際女子駅伝」を観戦。「東京国際女子マラソン」が昨年の大会で終了し、来年は横浜に移るため、この駅伝大会は今回で任務を終えるようだ。1区から日本チームが他を引き離す。第2中継地点までそのままトップで入ったのを見届けLSDに向かう。 行き先は走友会の練習コース。家からだと距離は22kmほどか。今月はレースも無い上に8kmの帰宅ランが多く、LSDは11日以来。だが全く心配していない。寒い間はあまり無理しないことにした。怪我を防ぐためだ。それでも来月ある62kmのレース「八丈島一周」は走れると思う。 寒くもなく暑くもない、走るのにはちょうど良い気温。坂道の雪も思ったほどではなく、とても走りやすい。コースの最高部から見下ろすと、春霞がかかったような景色。名取川を右岸から左岸へと渡り、有料道路の傍へ出る。前回閉鎖されていた隋道が今日は通れた。どうやら堤防の工事が終わったようだ。地下鉄の終点でトイレと水分補給。2時間20分ほどかかって無事帰宅。 着替えを終えて愛犬と散歩へ行こうとしたら、既に済ませたと妻。自分の洗濯物を片付け布団を敷いた後、パソコンを立ち上げる。「横浜国際女子駅伝」は日本チームの完全優勝。最終区間では渋井陽子がさらに2位を引き離して有終の美を飾ったようだ。 「侍ジャパン」の第2戦は、今日も降雨コールドで13対1の圧勝だった由。そして24日に大阪であるオーストラリアとの練習試合に出場するメンバーが発表になったようだ。つまり最終選抜に漏れた選手が明らかになったわけ。落選したのは西武の岸と細川。ソフトバンクの和田と松中。そして広島の栗原みたい。楽天の岩隈と田中マー君は見事日本代表選手に選抜された。来月初旬から始める第1次リーグ戦突破に向けて、全員が一致協力して頑張って欲しい。
2009.02.22
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慌しく愛犬との早目の散歩を済ませ、この日2回目の餌を与えて家を出る。1階部分のシャッターは下ろした。愛犬マックスは彼の小屋につないだ。いつもは玄関に入れるのだが、今夜は犬小屋できっと寒いだろうと思う。翌朝の寒さがどれくらいになるか。そしてその後の天気がどうなるか。そんな心配はしたが、まだ元気な彼ならきっと留守番にも耐えられるはず。 マイクロバスは裏道を通って旅館へ向かう。山道に入るとさすがに雪が多くなる。幸いまだ明るいうちに山の中腹にある旅館に到着。にこやかに迎えに出る女将。フロントでチェックインし、宿の人に案内されて部屋へ。前回同様2階の一角。8畳の和室と3畳の前室と2畳の書斎。贅沢ではないが清潔で感じの良い部屋。窓の外には雪が積もった庭が見え、その向こうは黄昏に煙る山並み。 妻は早速温泉に行き、帰りを待つ間私は新聞を読んだ。慌しかった一日。妻は1泊旅行に備えて翌日は休暇を取った。まだ若い頃は温泉に行くことなど考えたこともなかった。だが還暦を過ぎて仕事を続けていると、体のどこかに不調が出る。そんな時温泉はありがたいと感じる歳になった。 夕食の料理はいつもながら丁寧なもの。食前酒で乾杯し、料理を楽しむ。材料、形、彩り、味、器。決して豪華ではないがどれもみな心を和ませてくれる。私は焼酎のオンザロックを頼んだ。食後暫く部屋で寛ぎ、ようやく温泉へ向かう。広い浴場には誰一人居らず、すっかり貸切状態。雪が吹き込む露天風呂も風情があるし、汗が滴るサウナも楽しい。3つのお風呂を一通り楽しむ。入れ替わりに妻は2度目の温泉へ。 翌朝4時過ぎには目が覚め、5時になるのを待って朝風呂へ。男湯と女湯が入れ替わり、今朝は大きな露天風呂だ。吹雪を眺めながらの入浴も一興。入れ替わりに妻も浴場へ。朝食もまた丁寧な作り。バイキング方式でよりヘルシーなものを選ぶため、カロリーはさほどでも無いはず。食後のデザートも楽しむ。 ロビーで朝刊を読み帰室。再び妻は温泉へ行き、私は1時間ほど布団で眠った。チェックアウトは11時なので、目が覚めた後もう一度温泉。今回は冬季の平日で1万円のプラン。この料金で温泉へは入り放題で美味しい料理を食べられるとは安いもの。来月65歳になるとさらに9千円と安くなるのが嬉しい。自宅用とお向かいさんへのお土産を買う。 帰宅すると、愛犬は心配をよそに芝生の上で日光浴を楽しんでいた。だが彼なりにストレスを感じていたのか、菊の根がすっかり掘り返されていた。そして部屋の蛍光灯が点けっ放し状態。最後に家を出たのは妻のはず。まあ文句を言うこともないだろう。着替え後愛犬との散歩から戻ると、妻が5枚の板チョコを私に差し出した。 ふ~む。1週間遅れのバレンタインデーか。それも悪くはない。ずいぶん前に買っていたようだが、喧嘩をして渡しそびれていたようだ。月に1度は2人でどこかへ出かける我が家のルールで行った温泉が、きっと彼女の気持ちをほぐしてくれたのだろう。歳を取ればお互いに助けを必要とする時が必ず来る。そう思えた今回のプチ旅行だった。1週間遅れのチョコレートを大事に食べようと思う。
2009.02.21
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いつものように目覚まし時計に起こされる。着替えを終えて玄関に行くと、ガラスのスリット越しに見える庭が仄かに明るい。変だなあと思って外へ飛び出すと、激しい雪になっていた。ほの白い光は雪明りだったのだ。確かに前日の天気予報では朝方雪になると言ってはいたが、まさかこれほどとは思わなかった。それでもあまり寒さは感じない。愛犬と雪中の散歩。散歩が好きな我が家のマックス君は、雪でも大喜び。 帰宅後愛犬に餌を与え、次に自分の朝食を準備。フキノトウを刻み、味噌汁に放つ。これは今年の初物。1月の始めに3つしかなかったフキノトウが8つに増え、そのうち1個が開花したのだ。香りがあるうちに食べようと、前日裏庭から採ったばかり。朝食を摂っているとガレージにつないだ愛犬が騒々しい。「玄関に入れろ」と吠えていたのが、いつの間にか違った吠え方になった。 朝食後愛犬の傍に行き、無駄吠えを叱る。どうやら最後の方は雪かきをしていた近所の人に向かって吠えていたようだ。彼がどんな時にどう吠えるか大体分かる。早朝から吠えると近所迷惑なのでいつもは庭の奥につなぐのだが、雪が降る今朝は仕方なくガレージにつないだのだ。 雪の中をバス停まで走る。既に4、5cmほど積もっているが、新雪だからとても走りやすい。雪の影響でバスはきっと遅れるはずと考え、別系統のバスと地下鉄を乗り継ぐことにした。やはりいつもより4分ほど早く第1現場へ到着。屋上へ登ると吹き溜まりの雪が10cm以上。滑らないよう用心しながら巡回開始。 玄関での立哨を終える頃も外気温はまだ0度台だったが、雪は雨に変わっていた。第2現場での清掃作業を終えてバス停へ向かうと、いつもなら時間通りに来るバスが15分も遅れた。予想外の大雪で道路が混雑したのだろう。帰宅すると愛犬が退屈しのぎにダンボール箱を食い破っている。近づくと急に恐縮する彼。 今日は夕方から妻と近郊の温泉旅館へ泊まる予定。我が家には妻と交わした約束事が幾つかある。月に1度夫婦でプチ旅行をするか、映画や美術館に行くこともその1つ。そのため早めに日記を書いた次第。愛犬を留守番に残すのが気がかりだが、果たしてどんな報告が書けるだろうか。何とか日記を書き終えて外を見ると、いつの間にか青空に変わっていた。
2009.02.20
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最近2通のメールが届いた。1つ目はつくば市に住む後輩からで、2つ目は名前も知らない女性から。いずれも私が勤務した4番目の職場関係の人だった。顔見知りの後輩のは4月につくば市にある公園のベンチで花見をするため出席して欲しいとの内容。そして女性からのは首都圏に住むOB会の案内だった。 4番目の職場を去ってから既に25年。こうして後輩からメールをもらうのは嬉しいことだ。だが後輩と言っても顔を知らない人が殆ど。東京でのOB会は当時採用された後輩の定年を祝う目的もある由。10年間勤務したこの職場に、私は悪い印象をまったく持っていない。ただ、上司には色んな人がいてずいぶん苦労させられたものだ。 複数の職場で一緒だった尊敬する上司がもう歳なので、この際お会いしておきたいとは思う。だが私の運命を変えた女帝が出席するなら嫌だし、「八丈島一周」の当日なので参加出来ない。お花見共々欠席することになるが、何らかのメッセージだけは伝えたいと思う。 8番目の職場からは先日催し物の案内状が来た。ここは私にとっては異色の仕事をしたところ。誰がトップに就くかの争いや、「本社」から来た上司の性格に戸惑った2年間。また3人の子供達と離れ、初めて妻と2人だけの暮らしになった場所でもあった。 6番目の職場からも年に1度会合の案内がある。一度も参加したことがないのは、殆どが「本社から来た偉い人」中心の会合だからだ。11番目の勤務先からはOB会への加入を断ったため一切案内が来ない。ただし、私が死んだ場合は、ここの人事課へ電話してもらう必要がある。本社への連絡は最後の職場からと決められているためだ。 人事好きだったあの女帝が行った「本社への助言」で、一体どれだけの仲間が迷惑を被ったのだろう。全国的な規模での組織替えがあった当時、同僚や後輩の管理職が5人現職で亡くなったと聞いたのは、私が定年前に辞めた後のことだった。第2の人生となり、現在の仕事に就いてから早や6年。年収は当時の10分の1以下になった代わり、「偉い人」に頭を下げなくて済むのが嬉しい。 さて単に役職が上と言うだけで「偉い人」はなかろう。本当に偉い人とは人格や業績が自他共に認められる人だと思う。私が最近偉いと感じた日本人の一人が小和田恒さん。皇太子妃雅子様の父上で外務事務次官や国連大使の要職を務めた方。この度の選挙で国際司法裁判所の所長に選出された。任期は3年間と言うから79歳まで国際的な仕事を現職で勤めることになる。渡りで天下りする役人には是非見習って欲しい。 もう一人は、個人の自由などをテーマにした優れた作品を発表した作家に与えられるイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した村上春樹さんだ。どうしてパレスチナ難民政府と対峙している国家の賞を受けるのかと訝しく感じていたのだが、式典で行った英語での演説を聞いて納得した。 彼はイスラエル政府を「高く厚い壁」に譬え、ガザ地区の住民を壊れやすい「卵」」に譬えて、自分はどんな理由があろうとも必ず「卵」を援護すると言い切ったのだ。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルも受賞した名誉ある賞だが、日本人の作家は決して権力に媚びなかった。だが世界に発信された勇気ある発言が、イスラエル国民に伝えられなかったのは一体何故なのだろう。
2009.02.19
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「気候変動、クリーンエネルギーの普及、テロ対策、核の不拡散などについては、日本とアメリカの強固なパートナーシップなくして成功することは想像も出来ない」。来日中のヒラリー・クリントン国務長官がさる新聞社のインタビューに答えて言った言葉のようだ。日本の役割に期待する声か。 新政権発足後の国務長官が最初に訪問したのがアジアと言うのはこれまでになかったことらしい。まして我が国が最初の訪問国だ。オバマ大統領が迎える最初の首脳として麻生総理が近々訪米することも決まった由。へえ~と驚く。「こんな状態の日本でも、結構頼りにされてるんだ」と言うのが正直な感想。それならそれで日本の政治家はもっと国際感覚を磨かないとね。 第1現場で今朝も立哨していると屋根に雪を満載した車が通過。山形からのバスだった。4年間勤務した山形では、冬になると狭い体育館の中を走ったり、凸凹が激しい雪道を走ったりと、トレーニングの場所に苦労したものだ。それよりもさらに雪深い秋田の内陸部で、Junさんは雪道を40km以上走ったり、雨の日も走っているようだ。思わず彼のブログへ「あまり無理しないでね」と書き込みしたら、「今年も「川の道」へのエントリーを決めた」との返事。 荒川を東京の河口から埼玉の源流まで走り、三国峠を越えて長野へ出た後は千曲川の源流から新潟へ入ると名前を変えた信濃川の河口までの522kmもの長い旅。去年相当苦労したレースに今年も再び挑もうとする強い気持ち。それが雪道や雨の中での長距離練習につながっているのだろう。走友の果敢な挑戦について私が出来るのは心から応援することしかない。 第2現場の1階トイレを先日封鎖した。街中にあるオフィスビルはバス停のまん前。本来社員用のトイレを外来者が頻繁に使う。ビルは6月には取り壊されるため入居していたテナントが次々に引越しし、今はがらんとしている。我が社の清掃員も4人から2人に減らされたため、トイレを封鎖した次第。お年寄りは困るだろうが、これも致し方ない。 今日はガラス扉を清掃中に所長に呼び出された。昨年の秋まで私が担当していた大型の裁断機の使い方を教えて欲しいとのこと。故障がちな機械に戸惑う所長。幾ら機械の不調を訴えても補修してくれなかった彼が、この場になってようやく私の苦労が分かったようだ。間もなく役割を終えるビルや大型機械。そして行き先が無くなったこの所長も、来月末で辞めるのだとか。帰宅ランの途中、Eさんに遭遇。
2009.02.18
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早朝の半月の下で驚いた。猛烈な地吹雪と寒さに手が悴む。でも驚いたのは愛犬の様子。いつもと違ってオシッコが少ししか出ないのだ。これは一大事と慌てて彼の腹を撫でると、少しずつ勢いが増して来た。ウンチも出てもう大丈夫だろう。 昨年の9月で10歳になった黒ラブのマックスは、人間の年齢だと58歳近く。塩辛いものは与えてないので、多分腎臓が原因ではないだろう。雄犬にも前立腺肥大があるのかどうか。最近は顎ヒゲの白さが目立ち、足にも白い毛が混じるようになった。暖かい場所へ移動せよと要求して吠えることもある彼。今日のところは何とか一安心。 帰宅して先刻の様子を妻に伝えた。掃除機をかけながらマックスに何か話しかけている妻。そのうちトントントンと2階へ上がる音。そして今度は2階から降りる音。上がったり降りたりを何度か繰り返す音に少々驚く。どうやら今朝の運動は階段の上り下りにしたようだ。起床後に30分ほど運動するのが妻の日課。低血圧の彼女にとって朝の運動が一日の始動なのだ。 朝食後に血圧を測って驚く。今朝はやけに高い。散歩で体が冷えて血管が収縮したのと、マックスの体調に驚いたのが少し影響したかも。バス停へ着いて驚く。いつもなら既に4、5人が待っているのだが、今朝は誰一人いない。果たして何事があったのか。始発バスに乗り込み、座席に落ち着いて15分ほど読書。 職場に着くと管理室に警備会社の人。防災監視盤のランプが点滅中だった。幸いにも誤報と判明して一安心。それも束の間、今度は鍵をつなぐチェーンが所定の場所にない。きっと遅番の同僚がそのまま自宅へ持って行ったのだろうと推測。そこへ同僚から電話。やはりうっかり持ち帰った由。ズボンの中にしっかり鍵を入れ、落とさないよう注意する。 巡回から帰るとまたもや電話。管理会社の担当者が不在のため代わりに出る。外部の人がビルの場所を訊ねるのだが、駅からどう行けば良いのかとか駐車場があるのかとかまるで要領を得ない。戻った担当者に話すと、このビルへ会議で来る都度、前もって電話で確認する癖がある人なのだとか。世の中には全く不思議な人がいるもんだ。 勤務終了後、今日も山越えの帰宅ラン。心配していた坂道に雪はなかった。途中で神経痛が出たものの、無事帰宅出来て一安心。しかしテレビを点けてビックリ。何と財務大臣が辞任すると言うニュース。あの無様な酩酊会見の映像が全世界へ流れたのだから当然のことだ。 ヒラリー・クリントン国務長官が昨日から来日中で、しかも北朝鮮がミサイル発射の準備中の動きもあると言うのに、経済を担当する主要閣僚がこうでは日本の政治もお粗末の限り。ヒラリー長官が民主党の小沢代表と今夜9時から会見予定とか。いよいよアメリカも「次の人」を見据えているのだろうか。
2009.02.17
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一転して小雪が舞う寒い一日になった。薄手のウインドブレーカーを羽織り、久々の帰宅ラン決行。暖かかった週末には走ることが出来なかった。天気は良くても心の中に雨が降っていれば走れない。その逆で、たとえ雪が降っていても心に勢いがあれば走ることも可能だ。山道の歩道は、すっかり雪が融けていた。 原監督率いる「侍ジャパン」がいよいよ始動し出した。だが原監督の話によれば「WBC代表のキャンプ」ではなく、「選抜」なのだそうだ。確かにあのメンバーから5人の選手が外れる運命にある。ミーティングにおける原監督の話は若々しかった。それに対して王さんの言葉には重々しさを感じた。 今日仕事仲間から頼まれていたKスタ開幕戦のチケットを渡した。これで責任は果たせた。親会社楽天の大赤字のニュースには驚いた。例のTBS社株買い取りによる損益が大きかったのだろう。そのせいでもないだろうが、今シーズンの東北楽天はチケットの価格を試合毎に変える方法を採った。同じ外野自由席でも「バリュー」だと前売りで千円で済むが、巨人戦などの「プラチナ」では2千円と倍額になるシステムだ。さらなる売り上げ増に苦慮している様子が良く分かる。 先日の小泉元総理の記者会見には驚いた。党内外の今後の動向が注目される。何年か前にあれだけ「規制緩和」や「改革」に熱を上げたのに、その後悪く作用した面もあったようだ。G7終了後の記者会見での中川財務大臣の様子には正直ビックリ。あれは酩酊以外のなにものでもないだろう。先の国会で資料を読んだ際に、26箇所の読み間違いをした時もアルコールが入っていたとの噂もあるようだ。 「日本の経済状態はアメリカやヨーロッパよりずっとマシ」と先日語っていた麻生総理の認識も相当にずれているように思うが、小泉元総理のロシアからの帰国を待って参議院での審議を始めようと言う民主党の考えもどうかと思う。今はもたもたしている時ではないだろう。政治家なら本当の政治を行って欲しい。 私のブログを所属走友会のHPにリンクしていただいた。これに関連して他人のプライバシーに関して、今後表現には十分注意してほしいとの要望があった。リンクされようがされまいが、プライバシーに留意するのは当然のこと。走友や走友会に迷惑をかけないよう、心したいと思う。 「人間や人生というものの不思議さ」、「走ることやウルトラマラソンの素晴らしさ」。内容があるかは抜きにして、私のブログではそんなことを伝えている積りだ。だが、たとえ自分ではそう思っていても、他の人が迷惑と感じるのであれば話は別。さて、どうしたら迷惑を掛けずに目的を果たすことが出来るだろう。さらにじっくり考えてみたい。
2009.02.16
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昨日の異常な高温は何だったのだろう。静岡と神奈川では夏日になったようだ。横浜ではアイススケート場の氷が融け、福島では湖の氷が融けてワカサギ釣りの釣り人2人が亡くなった。仙台でも16度ほどになり最大瞬間風速は31.4mにもなったと言う。この強風で宮城県内のJRが390本運転を見合わせたとか。それだけ電車が走っていることにも驚く。 今日も高温と強風が続いた。妻が油絵のクラブへ出かけた後、私は愛犬を動物病院へ連れて行った。特段調子が悪い訳ではなく、病院から5種混合ワクチンの案内が来ていたからだ。内容は知らないが何かの予防接種には違いない。黒ラブのマックスはこの病院で手術を経験してるだけに余り警戒がない。喜んで診察台に上がるし、注射も嫌がらないのが助かる。金5千円也を支払って退散。近所にライバル病院が出来て以来、先生の対応がずいぶん丁寧になった。 そのまま最寄の生協に向かい、バスカードを購入。帰りは公園内を通って帰宅。天沼にはたくさんのカモが浮かんでいる。そして流水のある池には、「ホタル育成中」の看板。近所の中学生と協力して、池の浄化に努めているグループがあるとか。 昼食はラーメンを作る。ワカメとネギを切る包丁の切れ味が凄い。先日生協前に研ぎ屋さんが来ていて、研いでもらったばかりなのだ。ステンレスの包丁だと500円。それでポイントもつくのだからありがたい。先日行った床屋は千円。ここもポイントがつくが平日の場合は2ポイントの大サービス。不景気になるとそんな小さな差でも客の入り方が違うのだろう。 午後はテレビで囲碁を観戦。その後はラグビーの早稲田大学対サントリー戦。社会人の前に実力を発揮できない学生の姿に後半戦は観るのを止めた。パソコンを立ち上げて、ある走友会の掲示板をチェックしたら、Aさんが左足親指の骨折で全治2ヶ月とか。またTさんが右膝蓋骨骨折で目下ドクターストップ中との書き込み。 ウルトラやフルマラソンでは常に上位入賞のTさんは、走り込み月間には千kmも走る鉄女。その彼女が1年に3回も骨折するとは。日頃から食べ物などには注意していると話していたTさんにも、私達同様に加齢が忍び寄っていたわけだ。お二人の一日も早い回復を祈りたい。そして長くランニングを楽しめるよう自分自身も一層注意したいと思う。 暇に任せて7月に走る予定の石巻から気仙沼までの距離を計算してみた。初日JR石巻駅前から旧志津川町までが約70km。第2日目志津川からJR気仙沼駅前までが38km程度。合計で108kmほどの距離になることが判った。志津川には魚の美味しい民宿が多いようだし、1泊2日のジャーニーランは案外楽しいのではないか。 さて、太平洋横断中の寛平ちゃん達だが、昨日は釣りの仕掛けを流していた由。大きな音がした時に放置していたら、食いちぎられて逃げられたとか。巨大なマグロだったようだ。残念ながら刺身と漬け丼は幻に終わった。でも悩まされた低気圧から脱出し、ようやくカリフォルニア高気圧の影響を受け出したみたいで何より。進め~エオラス号~っ
2009.02.15
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今朝起きたのは7時過ぎ。外はすっかり明るくなっているのだが、愛犬が吠えた感じはなかった。昨夜床に就いたのは珍しく12時近かった。愛犬は大人しく私が起きるのを待っていたのだ。 昨日、第1現場の2階にあるヘアサロンの店長さんが、若い女性と二人で管理室を訪れた。私達にチョコレートを届けるためだった。「へえ!」と驚く。ここ数年ほど職場でチョコレートをもらったことがなかったからだ。それが美人の若いお嬢さん2人からもらえたのだから、嬉しくないはずがない。 チョコレートはとても高価なようで、早速口にするとさすがに美味。もらった中から第2現場の仲間にもおすそ分けした。この日は再び夕方から勤務。同僚が研修のためだ。一旦帰宅して昼食を摂り、新聞も読まずに日記を書いた。文章の見直しも含めて1回書くのに2時間近くかかるこの作業は、日課としてかなりの比重になっている。 夜、残っていたチョコレートを1個いただいたが、室内の暖房で軟らかくなり、朝感じた美味しさは無かった。帰宅後、遅い夕食を済ませてパソコンに向かったが、疲労に加えて酔いが廻り、いつも巡回する40以上のサイトの半分ほどしか訪れることが出来なかった。 今朝の最低気温は6度ほどもあったようだ。雨が上がって喜んだのも束の間、今度は強い風が吹きだした。その風の中を自転車で近所のコンビニまで出かける。今日はプロ野球のKスタでの開幕戦やオープン戦の切符を先行購入出来る日なのだ。職場の人からも頼まれているため、どうしても手に入れない訳には行かない。 今年からファンクラブのゴールド会員になったため楽勝かと思ったのだが、既に6人ほどが並んでいた。それにチケットの予約は1人1回に限定。自分の番が来ても先行購入の手続きを忘れ、すっかり慌ててしまった。開幕戦の自分の分と仲間の分、そしてオープン戦の分。3回並んでようやく全てのチケットを手にした時には、既に1時間以上が経過していた。 それでも人気のある開幕戦のチケットを買えて本当に良かった。ゴールド会員になった甲斐があったと言うもの。やれやれと胸を撫で下ろす。球団から今年の会員証と品物が届いたのは、今月の初めだったと思う。その中には新しいユニフォームも入っていた。今年はそれを妻に着せて応援しに行きたいと思っている。 そして今日は聖バレンタインデー。最近の妻の様子だとどうもチョコレートを買ってくれそうな雰囲気はない。「逆チョコ」なんてコマーシャルもあるようだし、今日は妻へ少し高いチョコレートを買い、自分用には安いのを買った。夕方ようやく風が治まる。愛犬との散歩中に黄色いロウバイの花を発見。来週は再び寒波の到来があるようだが、それでも少しずつ春は近づいていると思う。球春近し。また楽しからずや。
2009.02.14
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今年も黄砂の話を聞くようになった。仙台では杉花粉が飛び出したと言う話もある。それに連日発令中の乾燥注意報。我が家の小さな畑のタマネギの苗が、暫く見ないうちに枯れて来だしたようだ。それで昨日、慌てて畑に水を撒いた。これで無事治まってくれると助かるのだが、果たしてどうか。乾燥と言えば怖いのが火事。つい先日も、勤務先の近所のビルでボヤ騒ぎがあったばかりだ。 大惨事になったのがオーストラリアで発生した火災。東京都の倍の面積が延焼し、180人以上の人が亡くなった由。まだ燃え続けており、行方不明者も入れれば300人を超えるのだとか。オーストラリアは今が真夏。先日の報道では48度もの日が数日続いたと言う。 ブリスベーンから国内機に乗り換えてキャンベラまで飛んだ時のことだが、下界には赤茶けた大地が延々と続き、牛や羊の群れを観ることは出来なかった。あれは12年前の話。あれからオーストラリアでは乾燥化が進み、水不足で農地が縮小し続けていると聞いた。放牧のために原野を切り開いたこともそうだろうが、地球温暖化もその原因だと思う。 今回の大火災の原因は放火のようで、2人の男が逮捕されたと聞く。乾燥した山林に火を放てばどうなるか容易に想像できるだろう。800種類以上あると言うユーカリは特に油分が多い樹で、ブリスベーンでもキャンベラでも、ユーカリの仄かな匂いが漂っていたものだ。毒性がある葉を食用にしているのがコアラ。原住民のアボリジニの言葉で「水無し」と言う意味だそうだ。 コアラはユーカリの葉しか食べず、水分も葉から摂るだけみたいだ。ところが今回の火災で掌に火傷を負ったコアラが、助け出された時にペットボトルを奪うようにして水を飲んでいた。よほど体内の水分が失われたのだろう。あの大火災が何時になったら治まるのか。それにしても300人以上の死者・行方不明者を出した放火の罪は、とてつもなく大きいと思う。 中国の北京でつい最近起きたビル火災のニュースにも驚いた。間もなく竣工予定の高層ビルは、国営放送テレビ局のもののようだ。旧正月のお祝いに禁止されていた大型花火を打ち上げ、それが屋上にあった部材に延焼して一気にビル全体に燃え移ったのが原因とか。こちらも人為的なミスによるものだ。 禁止された大型花火を打ち上げたのが、ビルの当事者と言うから開いた口が塞がらない。このテレビ局は政府の言いなりで国民からは不評なのだそうだが、人気回復を狙って打ち上げた花火で近代的なビルを全焼させるのだから馬鹿げた話。他の国ではとても考えられないことだろう。 このビルを設計したのは確かベルギーの人だったはず。ビルの中心に巨大な空間が突き抜けていた由。その空間がトンネルの役目を果たしたのだから皮肉な話。また設計者も、依頼した側がまさか自社ビルに花火を打ち上げるとは想像もしなかったと思う。 人類は自由に火を使えるようになってから、進歩のスピードが増したと思う。だが、愚かな所業を繰り返すのも同じ人間なのだ。止まらない地球温暖化。今や上空では人工衛星同士が衝突し、地上では大切な森林が燃え盛り、そして海原には大量のゴミが漂う。わが地球丸は果たしてどこへ向かうのだろう。「火の用心 マッチ1本火事の元!」と大声で怒鳴り、町内を巡回していた頃が懐かしい。
2009.02.13
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昨夜の対オーストラリア戦は手に汗を握る、息詰まるような戦いだった。サッカーのワールドカップアジア地区予選のA組は、オーストラリアが1位で日本は2位。前回は1対3の完敗だったようだ。ホームの今回は勝ち点3をゲットするチャンスだったのだが、惜しいシュートはあっても0対0の引き分け、勝ち点1に終わってしまった。それにしてもオーストラリアは何時の間に強くなったのだろう。 さて、エオラス号で太平洋を横断中の寛平ちゃん。大阪でアースマラソンのスタートを切ってから58日目。距離は7150kmに達したようだ。先日観た動画によれば、彼らは暫くシャワーを浴びておらず、着の身着のままの暮らしが続いている由。またヨット操縦中は頭から波しぶきを被り、髪はベトベトだそうだ。目下激しい東風に悩まされ、ヨットのスピードは上がらないとか。それでも太平洋の6割は走破したみたいで、2人はいたって意気軒昂だ。 今回トレーナーを務める坂本雄次氏が、寛平ちゃんの過去のトレーニングについて「ランナーズ」の3月号に書いているが、そのうち発汗と体調に関する部分を以下に引用してみたい。 「ランニングを始めると数時間で大量の汗をかく。当然給水も同時に行っているのだが、給水量が発汗量に追いつかず、軽度の脱水症を起こすのだ。身体が脱水気味になると、後追いで給水しても水分の殆どが体温調整に奪われてしまい、臓器に水分が行き渡らない。結果、内臓の活動が悪くなり、食べ物や水分を入れても吐き出してしまうという状態になり、ランニングを続けることができなくなるのだ」。(以下省略) ウルトラマラソンのランナーなら誰でも、一度や二度はそんな経験をして来たはずだ。私は’06年の「奥武蔵」で重度の熱中症になったことがある。36度もの猛暑の中、標高1000m近い山道を往復する厳しいコースで大量の発汗。給水と塩分補給が間に合わなかったのが原因だった。それ以来、暑い時期のレースには「アスリートソルト」を携行するようになった。これにはナトリウムなどのミネラル類に加えてリジンなど8種類のアミノ酸も配合されており、単なる塩分補給ではない。 異様な体験をしたのが’06年の「磐梯高原」。レースの最中に何故かアカシアの花の香りがしたのだ。後で考えるとあれは自分の汗の匂いだった。ランシャツで、時間帯が朝だったからあの程度で済んだが、翌年の「いわて銀河」で田中マー君のレプリカユニフォームを着た時はさらに大量の発汗。それが気温が上がって異臭を撒き散らし始めた。慌てて傍を走っていた女性に離れてもらったと言う笑えない話。 激しいスポーツをする時には、水分や塩分の早めの補給を心がけたい。手には水が入ったペットボトル、ポシェットの中にはアスリートソルトや塩が入った小さな袋。私のランニングスタイルは見栄えが悪いが、身を守るためには止むを得ない。そんな姿で今年も一年間走り抜きたいと思っている。
2009.02.12
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昨日の夜に「アースマラソン」の公式ブログを観たら、やはり寛平ちゃんも比企さんもヨットの上で満月を見たようだ。堀江さんが手作りのヨットで太平洋を横断した時代は、比較的安全な日中は眠っていて、夜になると北極星を観測して現在の位置を確認していたように思う。それに比べたら人工衛星でたちどころに場所を確認できる今は、ずいぶん航行が楽になったと言えるのかも知れない。 さて、日本では元大相撲力士の大麻問題が話題になったばかりだが、海の向こうニューヨークヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手がレンジャーズ所属時代に禁止薬物を使用していたことを認めたとか。巨額の年俸を取る名選手で青少年に与える影響も大きいだけに、オバマ大統領がこの問題についてわざわざコメントするなど波紋が広がっている。 私が目下服用している薬は血圧降下剤。毎朝朝食後に2種類の薬をそれぞれ1錠ずつ服用している。医者によれば比較的効き目の弱いものらしい。血圧は日によっても時間によってもかなり変動する。寒い冬暖房がない部屋で測れば高めに出るし、夫婦喧嘩の後などに測れば大変な数値が出る。 これまで血圧降下剤は、一度服用したら薬を止めることは出来ないとされて来た。ところがつい最近、慶応大学病院では薬の服用を中止する実験に乗り出すとのニュースを聞いた。血圧降下剤には血管を柔軟にする成分が含まれており、長い間服用し続けた患者の中には血管が柔軟になったことで十分効果を得られたと判定される人もいるとの考えからのようだ。研究に協力してくれる患者を募集するようだが、もしも近所であればこの勇気ある病院のお役に立ちたかったのだが。 話は変わって理化学研究所と東海大学の研究グループが、エチゼンクラゲなどから、糖タンパク質のクニウムチンと言う成分を抽出することに成功したそうだ。このクニウムチンとヒアルロン酸を混合して、変形性膝関節症に罹ったウサギの関節に注射したところ、軟骨の厚みが増し何も手当しなかったウサギと比較して1.6倍から2.6倍の改善効果が認められたようだ。 エチゼンクラゲはクラゲの中でも特に巨大で、大量に発生して魚網を壊したり、捕獲した魚が売り物にならなくなるなどの被害をもたらす厄介者。それがお年寄りの膝を治す薬になれば一石二鳥。今後クラゲを有効活用するための会社を設立する予定と言うからなんとも嬉しい。 私はグルコサミンのタブレットを毎朝4錠ずつ飲んでいる。コンドロイチン配合のもので原料はサメの軟骨やエビやカニの甲殻。薬ではなくいわゆる健康補助食品と呼ばれるもの。悲しいかな人間は歳を取るとこれらの成分が減少するし、過激な運動によっても膝の軟骨が磨り減る。あまり薬にばかり頼るのはどうかと思うが、老化が進むと体内で作ることが出来なくなる成分もある。長くランニングを楽しむためにも、体に良い作用をするものは積極的に取り入れたいものだ。
2009.02.11
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今朝は美しい満月の下を愛犬と散歩した。そんなに寒くなくてとても助かる。ここしばらく暖かい日が続くみたいだし、ひょっとして今年は暖冬なのだろうか。 さて、「アースマラソン」の公式ブログを観ると、寛平ちゃんと比企さんの二人は相変わらず元気で太平洋を横断中のようだ。昨日観た動画によれば、前に「生もの」を食べたのは日付変更線を越えた前日と言うから2月1日のこと。その時食べたのがリンゴだった由。そしてそれからレトルト物の食事の連続だったとか。 それが昨日は寛平ちゃんが刺身でご飯を食べている映像が映った。神様のプレゼントか、トビウオが2匹ヨットに飛び込んで来たのを調理したのだ。釣竿を持ち込んでいたのは知っていたが、早々にリールを巻くハンドルが壊れ、釣りが不可能になったとか。喜んで食べている寛平ちゃんに比企さんが一言。「お勘定を忘れないでくださいね、師匠!」 実は交代でヨットの操縦をしているのだが、なかなか寛平ちゃんが時間通りに起きてくれないと比企さんは日記でこぼす。狭い舟の中できつく言えば空気が険悪になるのを怖れ、元マネージャーの比企さんが何かと気を遣っているようだ。ヨットに強い彼だが、一度出場した外洋レースでは、途中で怖くなって引き返したことがあるとも聞いた。 そんな頼りないコンビでも、一人で大海原を彷徨うよりはまし。「太平洋ひとりぼっち」の堀江さん。日本人女性として初めてヨットで世界一周をした今給黎さんの心細さに比べれば、ずっと心安らかだと思う。運動不足を補うためヨットの中で、エアロバイクを漕いでいるという寛平ちゃん達。このまま無事にロスへ着くことを願っている。彼らもきっと洋上で満月を見ていると思う。 ところで沖縄へ行ったMさんは元気で走っているだろうか。彼と初めて会ったのは、12年前の「仙台鉄人会フルマラソン」の時。あれから何年か台原森林公園を会場にするそのレースで顔を合わせ、彼の名前を覚えた。その彼と偶然出会ったのが2年前の「NAHAマラソン」。全く意外なところで顔を合わせたものと驚いたものだ。 その彼がまさか定年後に沖縄へ移住するとは。きっと「NAHA」を走って、すっかり沖縄が気に入ってしまったのだろう。児童文学者で「ガラスのうさぎ」や「遅れてきたランナー」などの著者灰谷健次郎も、沖縄の風土に魅せられて移住した一人だった。渡嘉敷島で晩年を過ごし、そしてそこで亡くなったはず。彼も熱心なランナーだった。 AさんにMさんのかつての勤務先を聞いて驚いた。何と転勤族だった私の最初の職場に彼も勤務していたのだ。そんなことで、不思議な縁を感じている。私はたまたま沖縄に赴任し、暑いあの南の島が好きになった。多分彼も同じような思いだったのだろう。漫湖公園の畔を大勢の仲間と走っているMさんの姿を思い浮かべる。彼も今夜はあの美しい月を見上げることだろう。
2009.02.10
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昨日は所属する「南仙台走友会」の新年会と総会の日。吹雪の中を自転車で、待ち合わせ場所の体育館に急ぐ。マイクロバスに乗り込むと、既に大勢の仲間が席についていた。目ざとくY広さんを見つけ、1月の「宮古島100km遠足」の話を聞く。彼女は初めて100kmを完走したのだ。 自分の体を守るのが精一杯で、周囲の景色のことはほとんど覚えていないと彼女。それだけ本人は必死だったのだろう。ゴールの少し手前でT野さんと出会い、真っ暗な道を懐中電灯を手に、2人で走ったのだとか。初めて100kmを完走出来て、彼女も相当感動したようだ。 会場に着いて総会が始まるまでの間に温泉に入る。69歳のM仙人の体がまるで青年のように鍛えられていることに驚く。総会は順調に進んだ。定例練習日のうち水曜日は変更ないが土曜日は隔週とし、後の日は駅伝組、ウルトラ組が独自の練習に変更。これまでも何度か顔を合わせていたI垣さん、O内さんが新たに入会したことなどの報告あり。 走友会のHPに載せる今年の抱負を提出することになり、私は「ウルトラマラソンのリタイヤを楽しみたい」と書いた。別にリタイヤしたいわけではなく、たとえ足の不調などの原因で止む無くリタイヤしたとしても、それを含めウルトラマラソンを「丸ごと」楽しみたいと言う気持ちだ。 Y田さんとは久しぶりの再会。O川さんは前日30kmの練習をした由。今年は新年早々やけに気合が入っている。E名さんは「宮古島」で昨年の初完走の記録を2時間縮めたとのこと。帰宅後体重が3kg減ったとかで、すっかりスマートになっていた。次は「いわて銀河」に申し込むようだ。彼女もすっかりウルトラにはまった感じだ。 足の故障が心配されたY子さんはその後走れるようになったようで、1月の「勝田マラソン」は3時間26分ほどでゴールした由。レースの最中より、走り終わった後にまだ足が痛むとのこと。それでも大分調子が戻ったのが何よりだ。「ホノルル」と「勝田」で共にサブ3を出したH郷さんともお会い出来た。30代半ばの有望選手の入会が嬉しい。 懇親会に入って間もなく、S藤さんが釣ったメバルやカレイの唐揚げを全員に配る。何でも朝の4時から揚げていたとか。私は2種類ともいただき、美味しいから揚げに満足した。A原さんがいつものように即興で替え歌のドンパン節を披露。間もなく85歳になる現役ランナーの頭の柔らかさに驚嘆。 E名さん提供の日本酒と怪我をして欠席されたO本さん提供の日本酒を、交互にコップで6杯ほどいただいて酩酊が進む。D堂さんが私のパソコンの調子を心配してくれ、「いつでも相談に応じますよ」と言ってくれたのが心強く、そして何よりも嬉しい。多士済々の我が走友会。今後は自分が参加したレース情報などを積極的にHPへ報告されると助かるし、会のPRにもなると思う。 解散後、体育館から自宅まで続く登り坂を、必死でペダルを漕いで帰宅。夕食はとても食べられず、パソコンを開いても書き込めるような状態ではなかった。午前中、かなり早目にこの日の日記を書いておいて大正解。真夜中にトイレに起きた時も、まだ泥酔していた私だった。
2009.02.09
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昨年のY田さんは絶好調だったようだ。これまで記録が落ちる一方だったようだが、昨年はタイムが伸び、7月の「磐梯高原100km」、9月の「秋田内陸100km」、10月の「布引風の高原84km」を完走出来た由。ただ残念だったのが「いわて銀河100km」でのリタイヤ。今年は制限が1時間延びるため、きっとクリヤー出来ると思うよ。 O原さんは今年72歳の年男で、マスターズ陸上選手権に出場し続けている猛者。文集に載ったハードルを越えている時の写真は、まるで青年のような若々しさだ。この歳でハーフは1時間45分、フルはサブフォーが目標と言うから凄い。どちらも今の私よりもかなり速いタイムなのだ。 D堂さんも70歳を超えている。昨年1月の「勝田マラソン」では32km過ぎでリタイヤ。「秋田内陸」の50kmの部でも残り3kmでタイムオーバーだった由。だが今年のお正月に行った「塩竃神社参拝走」では往復50kmを走り切り、「勝田マラソン」も5時間30分を切って見事昨年のリベンジを果たした由。今年はきっと秋田の完走も叶うと思う。 O内さんはまだ40代のスピードランナー。「仙台国際ハーフ」でも悠々のゴールだし、フルはサブ3の実績がある若手実力者。その彼は昨年走友から「重心」を意識した走りの指導を受けてフォームを改良し、「秋田内陸」では見事10時間台でのゴールを果たしたとか。実力者にありながらこの努力と研究熱心さ。これからもまだまだ伸びることだろう。 大崎市のS藤さんの昨年最大の思い出は、4月の「さくら道ネーチャーラン」。D口さんの勧めで申し込み、見事書類選考にパスした由。名古屋から金沢までの250kmを36時間以内にゴールする厳しいレースだが、極度の疲労の中にあっても緻密な計算と、最後まで走り抜く気力を失わなかった彼。実力者でありながらいつも謙虚な態度はランナーの鑑。私達も是非見習いたいものだ。 彼を師匠と仰ぐT田さんが、昨年出場されたレースは確か18回ほどだったか。距離206kmの「佐渡島一周」でもカメラを持って走り、100枚以上の写真を撮るのは彼しか出来ない特技。連戦に次ぐ連戦にも関わらずそのほとんどを完走したのも立派。全国の走友との変わらぬ交遊は彼の暖かい人柄を物語る。慈愛の眼差しで今年も全国を走破するはずだ。 塩竃市のK村女史は「仙台国際ハーフマラソン」にも出場する実力者。還暦を過ぎてお孫さんもおられるが、気持ちはまだまだ若い。これまで「秋田内陸」に8回、「サロマ」に4回、「いわて銀河」に1回出場しているが、ここ3年間はウルトラマラソンでの完走を果たしてない由。仲間の友情に感謝しながら今年も挑戦したいと、走歴26年の彼女のハートは熱い。 「宮城UMC」の事務局長としてお世話役に徹しているU海さんだが、昨年は体調を崩して入院されていたことを、今回の文集で初めて知った。ウルトラレースはエントリーしていた「サロマ」も直前にキャンセルするなど一度も走れなかったものの、「仙台国際ハーフ」ではたった3人だけの連続完走記録を守っているのは立派の一語。さらに自分がスポーツを楽しむだけでなく、障害者のスポーツをサポートするなど社会活動をされている暖かい心の持ち主。体に気をつけて、これからも頑張ってくださ~い。 走友の文章を読み終え、一人一人の「走ること」に寄せる熱い想いと、日頃は知り得なかった苦労話に胸を打たれた私だった。ランニングを継続することの素晴らしさ。長い距離を走るウルトラマラソンの厳しさと、それを克服してゴールした時の感激。きっと今年も練習やレースを通じて、色んなドラマに遭遇することと思う。我が「宮城UMC」の仲間達よ、今年もどうぞよろしくね~
2009.02.08
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先日あった宮城UMC(ウルトラマラソン・チャレンジクラブ)新年会で、U海事務局長編集による文集第10号が出席者全員に配られた。そこには会員がウルトラマラソンに寄せる熱い想いが綴られている。会員も少しずつ歳を取り、故障を抱える人も増え出した。それにも負けず、色んなレースに挑戦している仲間達。今日はその一端を紹介してみたい。 会長のM仙人は確か69歳だと思うのだが、今でも「仙台国際ハーフマラソン」の出場資格を持つスピードランナーだ。一昨年日本の百名山の一つ利尻山で負傷以来不調だったのだが、昨年ようやく回復し、2年越しで念願の「屋久島エコジャーニーラン」(80km)に出場した。それが長距離バスや貨物船を利用した往復10泊11日の旅と言うから先ず驚く。 レースの前日には西日本の最高峰である宮之浦岳(1935m)に登山し、途中有名な縄文杉やウィルソン株も訪ねている。さらに帰路の途中、薩摩半島の突端にある開聞岳や高千穂峰(1574m)にも登山したと言うから凄い。人並み外れた体力と精神力こそが「仙人」と呼ばれる所以だ。今年は既に182kmの「東京湾一周」を走破しており、今後の活躍が楽しみだ。 A山さんは狭心症、胆のう炎、左膝の故障で苦しんでいたが、昨年の「仙台鉄人会10時間走」で見事フルマラソン完走100回を達成された由。今後も体調に注意しながら、フル完走200回とウルトラマラソンの完走を目指すという大変な努力家だ。A山さん、これからも頑張れ~ O川さんは昨年気持ち良く走れたレースとして「布引風の高原」(84km)を挙げている。苦しんだレースは7月の「磐梯高原」(100km)。前半履いたシューズが足に合わず、中間地点で履き替えてゴールした由。また悔しかったのが標高2500m地点の室堂の関門で捕まった「立山登山マラニック」。コースの分析とそれに対応できる身体づくりの必要性を痛感した由。 DSさんは昨年10回のウルトラに出場し全て完走と言うから凄い。レースは250km(「萩往還」)が1回。143km(「雁坂峠」)が1回。100kmが5回。時間走が24時間と10時間が各1回ずつ。50kmが1回。そしてフルマラソンが1回だ。このうち初参加のレースが3回あった由。砕けた文章からは、様々なレース経験を重ねたことからの余裕すら窺える。 奥様のDKさんは、故郷秋田で3年ぶりに開催された「秋田内陸100kmマラソン」への想いを連綿と綴っている。彼女のウルトラの原点はこの「秋田内陸」とのこと。沿道のお年寄り達の熱い声援、各エードステーションでの心温まるもてなし、そして走友と共に走る秋田路は、ゴールが終わってからもまだ走り足りないほどだったとか。 M井さんの思い出は昨年10月に走った「越後くびき野」(100km)。前回はコースの途中で苦戦したこの大会だが今回は最後まで食欲が落ちず、不調の走友を伴走してゴールした由。そしてゴール後にお世話になった中学生ボランティアへの感謝を忘れない。いかにも人情家らしいM井さんの文章だ。きっとM井さんにとってウルトラとは友との共走なのだろう。<以下次回に続く>
2009.02.07
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雲峰師匠の掲示板を見ていたら、「磐梯高原ウルトラマラソン」の情報が載っていた。今年開催されれば第5回になるこの大会だが、私は第2回と第3回に参加している。磐梯山を一周するコースは登りが特にきつい。そして最高部から麓へ向かって下る急な坂道もきつい。おまけに炎天下の猪苗代湖を一周するコースもきつい。だが、きついだけでなく景色が素晴らしいのもこのレースの特徴だ。 昨年の7月は沖縄本島西海岸を単独縦断したため参加出来なかった。まだたったの2回しか走ってないのだが、もう何年も参加しているような気がするのは何故なのだろう。初夏の厳しいレースだが、ロケーションが良いだけでなく、色んな食べ物が出るASの楽しみも大きかったと思う。 今年の案内には「中止」ではなく「休止」とあった。制限時間が15時間もあること。東北の隣県であること。そして素晴らしいコースであること。そんな願ったり叶ったりの条件だっただけに、自分にとってはかけがえの無いレースだったし、これからも当分は参加出来そうだと考えていた。だから今年開催されないと言うニュースを知った時はとてもショックだった。だが「休止」であれば、いずれはまた再開されることがあるかも知れない。今はそのことを信じて待ちたい。 さて、新潟の銀のねこさんの書き込みで、今年から新しいウルトラマラソンの大会が大阪で開催されることを知った。名称は「水都大阪100kmウルトラマラニック」。雲峰師匠の掲示板にはこの情報も載っていた。開催は5月24日(日)。大阪城からスタートして淀川の河川敷を枚方大橋まで北上し、そこから折り返すコースのようだ。コース上の幾つかの橋の名前を見ていたら、思わず懐かしさがこみ上げて来た。 私はかつて2年間だけ大阪に勤務したことがある。住まいは高槻市の山手にあった。地理的な条件もあって、ランニングの練習は淀川の河川敷に向かうことが多かった。水飲み場が少ないため夏はフラフラになりながら、そして冬は強い風に悩まされながら、堤防の上や河川敷を走ったものだ。淀川はとても大きい川だが、河川敷を走ると眺めはどうしても単調になる。だから所々に架かる橋がアクセントになり、走った距離の目印にもなったのだ。 「高槻シティ国際ハーフマラソン」は淀川の右岸がコースだった。ここは堤防の上や一部街中を走るため、景色にもまあまあ変化がある。だが淀川の左岸を走る「枚方ハーフマラソン」のコースは、全て河川敷内だからとても単調。おまけに開催の時期が冬なので、殺風景でもあった。ほとんど淀川の堤防や河川敷内を往復するウルトラマラソンは、走っていて飽きが来ないかと心配する所以だ。 定員は200名と少ないみたい。ほとんどは地元大阪を含む関西のランナーが申し込むだろう。今年は出産後間もないため無理だが、来年は是非参加したいと銀のねこさんは張り切っている。きっと故郷でウルトラを走れると言うのは格別な想いなのだろう。私は現職当時転勤で全国各地を廻ったのだが、特に二度と訪れることがない土地の練習コースには一際強い愛着を感じる。汗と涙をこぼしたあの道が今も懐かしい。
2009.02.06
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映画は道元が中国の寺を巡る旅から始まる。行けども行けども広大な中国の荒野。だが、自分が求める真の仏法を説く名僧はなかなか見つからない。ある日旅先で出会った若い僧が、自分の寺に本当の師がいると言う。鎌倉時代の日本もそうだが、自分の寺(宗派)を守る僧はいても、釈迦の教えを忠実に守ろうとした寺や僧は当時の中国(宋)にも少なかったのだ。 良き師の下で修行した道元は終に悟りを開き、宋から帰朝して新たな宗派を興す。禅宗の一派である曹洞宗だ。だが妬んだ比叡山の荒法師達に寺を焼かれる。越前の山深い地に逃れた道元は永平寺を建てさらに修行を続ける。彼を慕って国の各地から集まる僧達。その名声を聞きつけた鎌倉幕府の執権から鎌倉に移れと乞われるが、固辞して永平寺に戻り生涯を終える。 まさに修行の連続のストーリーだが、決して退屈はしない。時の権力に負けずに真の仏法とは何かを追求する道元の姿には、道を究める者の一途さと清々しさが漂う。この道元の姿を見て、春をひさぐ貧しい女性おりんもやがて仏教に帰依し、尼僧となる。楽しく愉快な内容ではないが、人間が有する業と仏性について深く考えさせる映画だった。 製作の中心になったのは確か「道元の映画化を推進する会」と言った名称の門徒の会。それだけに浮ついたところは全くない。道元が説くのは「只管打坐」(しかんたざ)。つまりひたすら座禅を組むのみと言う単純で明快な教えだ。座禅では悟りを開くとかの意識も捨て、ただただ瞑想するのみ。 平安末期には「末法思想」が国内に広がった。だが貧しい民衆が魂を救われる機会はほとんどない。貴族に代わって武士が政治の中心となった鎌倉時代に入っても、武士の絶え間ない戦や蒙古襲来もあり、至極不安定だったようだ。比叡山や南都(奈良)の、天台宗、真言宗の荒法師が暴れ回るなど、大衆のすがるべき宗教は無いに等しい状態だったのだと思う。 そんな世相を反映して、この鎌倉時代には仏教の新しい宗派が次々に興った。道元は公家久我通親の子だが、母の死に直面して比叡山で出家。やがて禅宗の一派で臨済宗の開祖である栄西に師事する。法然が興した浄土宗はひたすら念仏を唱え、親鸞は他力本願の教えをさらに進めて浄土真宗の開祖となった。蒙古襲来の国難を救うべく立ち上がった日蓮は、激しい迫害に耐えて日蓮宗を興す。道元の曹洞宗も含め、民衆は新たな教えによってようやく魂の飢えから救済されるのだ。 道元役の中村勘太郎は歌舞伎役者で第十八代中村勘三郎の息子。若い時の父親に瓜二つだ。メイクの効果もあるが、青年期から老年期まで見事に演じ切ったと思う。最後は座禅しながらの死。弟子達は悲しみに耐え、内田有紀演じるおりんはやがて師同様・・・。 月に1度ほど妻と一緒に観ている映画だが、シルバー料金で千円と安いのがとても助かる。予告編を観て、次はどれを観ようかと考える楽しみもある。昨年観た本木雅弘主演の「おくり人」は、有名な映画祭の賞候補にノミネートされたようだ。なお、鎌倉時代の板碑が仙台市内では宮城野区岩切の東光寺に、また名取市内では高舘の熊野那智神社のある山の頂上付近に数多く残っているようだ。
2009.02.05
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昨夜は節分。玄関の戸を開け放ち、小さな声で「鬼は外、福は内」と豆を撒いた。ついでに玄関、和室、居間にも少々。冬季の間玄関に入れている愛犬が、急いで落ちた豆を食べる。私も妻も家の中のを拾って食べたが、歳の数だけ食べるのはもう無理。晩飯が食べられなくなるしね。そして今日は立春。早いものだ。 さてヨットで太平洋を横断中の寛平ちゃんだが、2月2日の午後0時過ぎに日付変更線を通過したようだ。「アースマラソン」で検索すると、「アースマラソン」の公式HPが見つかる。それに動画が載っていた。経度の表示が「東経」から「西経」に変わったと、サポーターの比企さんの声。そして歓声を上げて喜ぶ寛平ちゃんの姿も。思いの他元気なようで安心した。 だがヨットが進む海上は波が高い。「何かギャグでも言ってみて」との比企さんのリクエストに「あ~みま~!!」と寛平ちゃんが応じる。和気藹々で順調にロサンゼルスに向かう様子が伝わる。これからもこの公式HPで彼らの壮大な旅を追い、少しでも応援したいと思う。 女子レスリングの伊調姉妹の妹、馨さんが近く結婚する予定とか。相手は韓国のコーチと聞いて少し驚いた。さすがオリンピックのメダリストはやることが速い。あっという間の速攻でポイントを取ってしまったようだ。一方女子マラソン界のベテラン、弘山選手は3月の「東京マラソン」を引退レースとして考え中のようだ。彼女も既に40歳。コーチのご主人と話し合い、子作りのためにはギリギリの限界と判断したようだ。 「佐渡島一周」で一緒に走った仲間である新潟のAちゃん(ハンドル名:銀のねこさん)だが、昨年暮れに芽出たく男児出産。その彼女が産後1ヶ月経過を期に、再びランニングを開始した由。来年は故郷の大阪で開かれる100kmマラソンに出たいと張り切っている。話は変わって「北海道マラソン」がこの夏から制限時間を5時間に延長するようだ。今年は既に予定を立てているので無理だが、来年でも参加してみようか。 大相撲尾車部屋の十両力士、若麒麟が大麻所持の現行犯で逮捕され、相撲協会から解雇処分を受けた。だが退職金が支払われるようで、目下厳しい批判が出ている。先に同様の処置を受けたロシア人関取の元若ノ鵬の時もそうだが、「麻薬保持は犯罪」と言う認識が欠けているように感じる。大学生や芸能人なども含め、どうも考え方の甘い若者が増えているように思うのだが。 さて、我が東北楽天も今月からキャンプイン。沖縄の久米島で早速厳しい練習が始まったようだ。WBCに選抜された岩隈や田中の仕上がりはかなり順調なようで一安心。中日から移籍した中村紀や巨人から移籍した小坂が、若い選手に守備の手本を示しているのが頼もしい。またセギノールがWBCのパナマ代表を辞退し、キャンプに参加してくれたのも嬉しいことだ。今年の楽天はきっとやってくれるはず。大いに期待しよう。
2009.02.04
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遅れて来たO友さんが向かいの席に座った。彼女は2年近く前に中腰で4足のシューズを立て続けに洗っている途中、膝に激痛が走った由。長らく整骨院に通って電気治療やマッサージなどを受けたものの少しも良くならず、整形外科へ行ったら半月板損傷と分かって手術を受け、先月の「東北ブロック新春マラソン」が復帰後の初レースだったのだとか。 彼女の素晴らしいラストスパートを見たのは3年前の「越後くびき野」。確か91km地点付近で抜かれ3kmほど後を追いかけたものの、置いてきぼりを食らった。90kmを過ぎてもまだキロ6分ほどのペースを維持していたのだ。それに彼女はASに寄らない。中間地点に置いておいたチューブ式の栄養剤をエネルギー源にして、あの難コースを駆け抜けたのだ。その時のことを彼女も良く覚えていた。あの強い彼女が半月板損傷とは。これも加齢がなせる業だろうか。 H多夫妻が会場に着いたのは、新年会が始まって1時間ほど経った時だった。ご主人と最後に会ったのは、確か3年前の「越後くびき野」だったはず。意外に元気そうな顔。特段調子は悪くない由。久しぶりの再会に堅い握手を交わす。H多氏とは彼が高校や自衛隊体育学校でライバルだった円谷選手の話をした。 私は八幡製鉄所(現在の新日鉄)の係長だった当時の君原氏から直接円谷選手のことを聞いたことがある。亡くなった円谷はとても純粋で真面目な選手だったと、H多氏も感慨深い面持ち。一方、奥様とは昨年の「立山登山マラニック」以来の再会。こちらも堅い握手を交わす。先月の「宮古島100km遠足」では見事に完走した彼女に、全く疲れは感じなかった。 最後に到着したO原さんは今年72歳の年男とか。彼の書いた文集には1月の「新宿ハーフマラソン」を1時間45分で、また3月の「佐倉マラソン」を3時間台でゴールするのが目標とあった。そして「マスターズ陸上選手権宮崎大会」では障害レースで優勝されたようで、表彰台の一番上に立つ姿と、ハードルを飛び越える若々しい姿が写っていた。まさにスーパーランナーだ。 晩酌は焼酎の水割り1杯だけの私だが、仲間達の熱気に包まれてお湯割り焼酎を6杯ほど飲んだろうか。4月の「かすみがうらマラソン」ではM仙人の車に便乗させてもらうことになり、早めに帰る大崎4人衆を見送った後、帰宅の途に着いた。相当酔っていたが、何とか雪道を自転車で帰ることが出来た。 翌日、ウルトラ仲間が自分の想いを書き綴った文集にパラパラと目を通す。大崎市のT田さんが書いた文章の中には私の名前も出て来、何とも面映い感じ。文集はこれからじっくり読ませてもらう予定。U海事務局長のいつもながらの配慮で、今回も盛り上がった新年会になった。宮城UMCの仲間の皆さん、大変お世話になりました。今年も何とか元気で、皆さんの後を追いかけたいと願っています。 さて、どうも「磐梯高原ウルトラ」に代わる7月のレースが見つからない。このため下旬の連休に石巻をスタート地点にし、気仙沼か一関方面へ1泊2日または2泊3日のマラニックをするのはどうかと考え中だ。一人リュックを背負って海岸沿いに気仙沼へ向かうか。それとも北上川に沿い芭蕉が歩いた奥の細道を辿るか。私の夢はこんな風に広がって行く。
2009.02.03
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滑らないよう気をつけながら雪道を急ぐ。昨日はウルトラマラソンの仲間「宮城UMC」の新年会だった。先ず新年会費と年会費を支払い、間近に居たK藤さんに気になっていた質問。1月に彼女達が参加した「宮古島100km遠足」で、Y広さんがどこまで走れたか訊ねてみた。答えは私の予想を覆し、見事完走とのこと。ほほう、これは驚いた。きっと100kmの完走は初めてのはず。 直ぐ横に居たKさんが、「宮城UMCの仲間全員が完走したんだよ」とフォローしてくれた。んんん?Y広さんだけじゃなく全員?一瞬頭が混乱する。と言うことは「東北ブロック新春マラソン」で歩くようにハーフを走っていたK村さんも、胸にペースメーカーを埋め込んだT野さんも完走出来たと言う訳か。それはビッグニュースだ。それにしても8人全員完走とは、わが女性陣もなかなかやるなあ。 席に着いてF田さんに聞くと、Y広さんはKさんが中心となっての長距離練習会に参加するなどして力をつけ、1月3日の「塩竃神社参拝走50km」でも余裕で走り通した由。それを見たF田さんは「その調子なら100km完走は間違いないよ」と、彼女に話したそうだ。そうか。私は足の故障もあって長らく走友会の練習には行けなかったのだが、彼女達はその間に猛練習していたのだ。100kmの完走はきっと彼女にとって長年の夢だったはず。「Yちゃんオメデトウ!!」。私は心の中で叫んだ。 M仙人が資料を見せてくれた。「トランス・エゾ」のパンフだった。片道555kmのジャーニーラン。70歳間近のM仙人が今年の夏、この超長距離のレースに挑戦するのだ。1月には途中で怪我をしながらも、185kmの「東京湾一周」を完走したM仙人。あの歳で挑戦し続ける姿には頭が下がる。宮城UMCの会長でもあるM仙人の挨拶と乾杯で、今年の新年会が始まった。 会場はいつもどおり事務局長のU海さんが手配。店長とは同郷の誼で定休日の日曜日なのに店を開けてくれ、出て来る料理も質量ともに大サービスの内容。そして今回もU海さん手作りの文集と会員名簿が手渡された。後で見たら延べ16名の仲間がウルトラマラソンに寄せる感想文を投稿していた。 フルマラソン100回完走を果たしたA山さんは、両足に神経痛が残っていてまだ十分に走れない状態なのだとか。F田さんもまだ膝が本調子でない由。S木さんは先月の「勝田マラソン」を4時間ちょっとで完走した由。また沖縄に移住したM黒さんは独身だったようだ。家族があれば簡単に移住は出来ないと思っていたのだが、それで納得。また所属の「MPRC」が何か、今日になって分かった。那覇市の有名な走友会「漫湖公園ランニングクラブ」の略称だと思う。 一人ずつ挨拶をしながら今年の出場予定レースなどを話すことになり私も話したのだが、仲間の指摘で幾つかの大会に変化があったことが分かった。先ず昨年は5月最終土曜日開催だった「エンジョグinみちのく」が6月の第3土曜日に変更。7月の「磐梯高原ウルトラ」が開催中止になり、10月の「布引高原ダブルフル」が6月に移動して「いわて銀河」の2週間後に開催されるのだとか。 これは困った。すっかり予定が狂ってしまった。実質的主催者であるE藤さんに一体何が起きたのだろう。「磐梯高原」などで個人的な持ち出しが多かったことや、昨年の夏以降に彼が病気をされたことは知っていたが、そのためだろうか。10月は「いわて北上」のフルに変更するとして、7月は他に適当なレースは思い浮かばない。それにしても皆な情報が速いねえ。<続く>
2009.02.02
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ジミー大西の個展を観終えてバスに乗った。先週の金曜日のことだ。ジミーの個展の名称は「夢のかけら」。あの個展もそうだが、ジミーは夢の全てを掴んだのではなく、まだ「かけら」の状態なのだろう。バスの座席に落ち着き、雑誌「ランナーズ」のページをめくった私の眼は、1枚の写真に釘付けになった。 第73ページ目。1ページ丸々NAHAマラソンの写真。きっと国道58号線のスタート地点からほどない場所だと思う。大勢のランナーの中にゼッケンナンバー「307」が読み取れる1人のランナーが紛れている。私達が所属する「宮城UMC」で、つい昨年の終盤まで仲間だったM黒さんだ。胸に「MPEC」の名が入った赤いランニングシャツを着た彼。 相変わらず真っ黒に日焼けした彼の肢体。同じNAHAマラソンに参加した大崎市のT田さんが、那覇の中心街で偶然遭遇した時に、M黒さんは60歳になったら沖縄で暮らすと話していたそうだ。それを知って私は大変驚いた。M黒さんの人生に一体何が起きたのだろうと。余生をあの暑い南の島で過ごすのが彼の夢だったのだろうか。 人懐っこいM黒さんが何を考えていたのかは分からない。だが、少しうつむき加減で黙々と走っているM黒さんが、沖縄の島民と一緒に暑い日ざしのNAHAを走ったことは事実。M黒さんは今「夢のかけら」のかけらを手にしているのだろうか。そして胸に刻まれた「MPEC」の文字は一体何を表しているのだろう。 ざっと眼を通した「ランナーズ」3月号には、68歳の新城さんと言う沖縄のランナーが、8日間をかけて沖縄本島内を単独で縦断した話が載っていた。総距離は466km余りだと言うから、1日平均で58km余りを走ったことになる。2度メタボの危機を乗り越えた彼は、健康の大切さを訴えるため「健康診断を受けよう」と書かれた「たすき」を肩に掛けて、島中を駆け巡ったと言う。 私は昨年の7月に沖縄本島の西海岸を3日間かけて、最南端の摩文仁平和祈念公園から最北端の辺戸岬まで140kmを走破した。途中で軽い熱中症にも罹るほどの苦しみだった。何月に走ったかは分からないが、新城さんは東海岸や太平洋側にある「海中道路」も含め、島のほとんどを走り切ったようだ。車での伴走があったと想定されるが、今年の11月に沖縄本島東海岸縦断を企画している私にとって刺激になったことは事実。私もまた「夢のかけら」を追っているのだ。 目下間寛平が企画中の「アースマラソン」だが、いよいよ坂本雄次氏による連載が始まった。第1回目の記事には、地球一周と言う目標を達成するため、寛平が死に物狂いの特訓を行ったことが紹介されていた。長距離を走るランナーなら誰でも経験のある発汗と給水との因果関係を解消するためだ。寛平は今太平洋上をヨットで揺られている。彼の「夢のかけら」は、きっと私達が想像できないほど壮大なのだと思う。
2009.02.01
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