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~高句麗古墳群江西大墓と明日香の古墳~ さて「高句麗古墳群江西大墓」のコーナーがありました。何枚か写真を撮った中で使えたのは冒頭の説明板だけ。それも後で区切りが分かるよう、部分しか載っていません。こうなった原因は古墳を模した墓室があまりにも暗過ぎて写真が真っ暗になったことと、著作権の関係か展示物の撮影が出来なかったためです。そこでネットから必要な写真を借りてこの章を構成することにしました。 これは高句麗の地図。日本はまだ「倭」の時代です。百済の要請を受けて、白村江で戦ったこともありました。高句麗は現在の南満州まで広がる領土を持つ、牧畜民族でした。半島南部の農業中心の民族とは出自が異なっていたのです。古墳群があるのは現在の中国領。日本との協力の結果、江西大墓の研究が進んだのです。それによって明日香村の2つの古墳との関係も解明されるはずです。 江西大墓外観 キトラ塚外観 高松塚外観 どれも円墳であることが分かります。江西大墓は日本のものより大きく、見学者用の横穴を開けたことが推定されます。明日香村の2つの古墳は発見後研究などのために人が入ったことで、後に国宝に指定される壁画が損傷する事態になります。呼吸による湿気とカビが原因で、後に保護策が取られ現在は立ち入り禁止です。墓室内の壁画は高句麗の様式と極めて高い類似性を有すると言われています。 高松塚古墳壁画のレプリカです。この壁画には高句麗と共通する約束事があります。 キトラ塚古墳壁画の説明用図面です。壁画の東西南北にそれぞれの守り神(四神)を配しています。北は玄武(亀)、東は青龍、南は朱雀(朱雀門は都の南面を向いています)、西は白虎です。それらの色は季節を表し、春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬とも呼ばれます。古代中国の神仙思想から来るものでしょうか。 上が高句麗の「玄武」で、下がキトラ古墳の「玄武」です。 上が高句麗の「青龍」で下が高松塚古墳の「青龍」です。 上は高句麗の「朱雀」で右上は比較のため左右反転。下はキトラ古墳の「朱雀」です。 左はキトラ古墳の「白虎」。高句麗のものがなかったのですが、参考のために載せました。右は「星宿図」。方角及び星の位置から、中国の集安付近での観測と記憶しています。古代朝鮮の戦乱のため、百済、新羅のみならず高句麗から王族などがわが国に逃亡し、その高い技術力から朝廷に重用されました。2つの古墳は高句麗系の渡来人が葬られたか、その技術を駆使したものと考えられます。 <高松塚古墳西壁女子像切手><ご挨拶> 今日は6月30日、台湾旅行の出発日です。実際は6月19日に予約機能を使って書いています。帰宅は7月4日ですが、ブログは念のためその先まで予約してあります。では行って来ますね。皆様もどうぞお元気で。梅雨の時期の台湾がどんなものか、レポート出来るのを楽しみにしています。 ローズコーンさん入院お疲れ様でした。いよいよ退院ですね。帰宅されてもお大事にされ、お元気で過ごされますよう。
2019.06.30
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~法隆寺金堂 釈迦三尊像を再現する~ 釈迦三尊像 法隆寺金堂は押しも押されもせぬ国宝だが、その本尊である釈迦三尊像もまた国宝に指定されたわが国最高級の至宝である。国宝指定の正式な名称は「銅像釈迦如来及両脇侍像」。作者は司馬鞍首止利仏師、出自は中国梁の人とも百済人とも言われる渡来人で、通称は止利仏師。 仏像の計測風景 現存する金堂(国宝)は7世紀末の再建だが、光背に刻まれた銘によれば、この仏像の制作は推古天皇31年(623年)とあり、金堂再建までどこに安置されていたかは不明。なお、金堂内の薬師如来はこの像よりも古い制作年代が伝えられるが、最近の研究によれば釈迦三尊像の方が古いことが確認される由。今回文化財保護の見地から、当像の複製化を試みたようだ。 化学的計測後に得られた三尊像図形 釈迦如来頭部の再現(樹脂製) 樹脂で復元された光背(こうはい=仏像の背後にあって仏像を飾るもの)で、小さな仏像が幾つか見える。 光背に刻まれていた銘。これによって制作した仏師の名や、制作年が判明した。 樹脂で再現された三尊像(側面から) 同じく正面。樹脂加工に関して、富山県高岡市の鋳物技術の助けを借りた由。 完成した樹脂製の仏像に、丹念な色付け作業を施す。(胸部および腹部) 座禅を組む足にも丹念な色漬け。なお台座には山岳や飛天などの須弥山(しゅみせん)世界を全体的に描いてあることが判明した由。 樹脂製の三尊像に色付けされ、光背や天蓋(てんがい)までもが忠実に再現された。きっと金堂内の静謐な雰囲気が感じられるはずだ。 だが果たして現代の先端技術が古代の最新技術を凌駕したと言えるかどうか。なぜなら仏像には、当時の人々の敬虔な祈りが込められているからだ。仏教伝来の遥かなる旅を思わずにはいられない。昨年訪ねた高野山付属寺院普賢院に収められた小さな仏舎利。あの清らかな釈迦の骨がシルクロードを経由し、遥々高野山までやって来た長い旅路を。<続く>
2019.06.29
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~法隆寺金堂壁画の復元~ 5月24日金曜日。電車を乗り継いで多賀城市にある「東北歴史博物館」を探訪。特別展『最先端技術でよみがえるシルクロード』展を観ようと思ったのだ。歴史に関心がある私がこの博物館を訪れたのは8回くらいだろうか。近くに東北本線の「国府多賀城駅」が出来てからは、とみに往き易くなった。 今回の特別展に惹かれたのは、「最先端技術」ではなく、「シルクロード」。私にとっては永遠の課題で魅力あるテーマ。そしてその再現となれば、きっと撮影も許されるはず。それならば自分の関心と共に、ブログネタにもなるだろう。その「読み」は半分当たった。では残りの半分は?まあ、結論は急ぐまい。たとえどんなにわずかでも、自分にとって何か収穫はあるはずだ。 それにしてもシルクロードがどう復元され、私たちの前にどんな姿を見せてくれるのだろう。いつものように100円引きのチケットを差し出し、ワクワクしながらの入場。ポスター、建物、展示物など撮影が可能なものすべてにカメラを向ける。 先ずは法隆寺金堂の壁画および仏像(釈迦三尊像)の復元コーナー。中学校の修学旅行以降、法隆寺にに行ったのは70歳を過ぎてから。聖徳太子縁の寺であることは知っているが、この金堂壁画が戦後火災にあったことを知る人は少なくなったのではないか。写真は斑鳩の地に、五重塔と共に静まる金堂の佇まい。 これが当時の新聞記事。戦後間もない昭和24年1月26日の朝。時あたかも金堂は修復工事中で、国宝の壁画も日本画家である橋本明治ら4班体制で模写作業を続けていた。火災の原因は不明だが、暖房器具の不始末とも言われる。当時小学生だった私の微かな記憶が次の切手だ。 記憶にあるのは左の10円切手。多分当時の封書は10円だったのだろう。右の80円はかなりの高額なので、小包などにしか使わなかったのではないか。どちらも国宝の壁画が被害に遭って以降の発行だと思う。 ネットにはこんな画像があった。金堂壁画の絵葉書に、10円と80円用の切手をセットにしたもの。マニアにとっては恐らく垂涎ものの「お宝」なのだろうが。なお壁画は焼失した訳ではない。高熱で色彩が消えたものの、姿は残った。そのため「焼損」とされている。それを化学処理して保存し、金堂から別の場所に移動保管してある。 昭和42年(1967年)から再び壁画再現のための作業が開始された。今度は実物大の写真に、焼損前の状態の色付けだ。橋本明治、安田幸彦、前田青邨、平山郁夫など錚々たる日本画の大家4班による作業で、翌年には完成し金堂の元の場所に据え付けられた。今回はそれとは別に、東京芸術大学などによる最新技術で壁画とご本尊の釈迦三尊像を再現するもの。名作を手軽に鑑賞するための方策でもある。 これは会場でもらったパンフレットを撮影したもの。焼損前の壁画がとても良く再現されているように感じる。以下は当日会場で撮影したもの。照明や手振れのため、あまり良い写真でないかも知れないが。 国宝の壁画原画、原寸大の写真に著名な日本画家が色付けした再現壁画、そして今回の最新技術によって再現された壁画。金堂内に入れない私たちにとっては、これでも十分感動出来と思う。ところでなぜ「シルクロード」なのか。それは法隆寺金堂壁画がアジャンター石窟壁画(インド)や敦煌莫高窟壁画(中国)に匹敵すると目されているためだ。人類全体の貴重な文化財継承のためにも、極めて重要な研究と言えよう。<続く>
2019.06.28
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~梅雨の晴れ間の農作業~ 移植した青シソ 今日は6月27日(木曜日)だが、実際に書いているのは9日前の6月18日(火)。朝起きたら不思議や不思議。前日あれほどまでに不調だった体調が、全く問題ないような感じ。布団を干すために2階に運ぶなど一連の作業後に血圧を測ると、全く問題なし。そこで急遽農作業をすることに。 タマネギ大 最初にタマネギの収穫。茎が枯れて倒れているため、収穫期であることは確か。それにあまり太陽に当てていると表面が緑色になって辛味が増す。昨年の10月中旬に50本植えた苗は、残念ながらその直後にタマネギ根切り虫にやられた。言って見れば間引き状態になった訳で、大きなタマネギを期待していたのだが、さほど思わしくはなかった。まあまあの普通の出来か。 タマネギ中小 タマネギを大きさ別に箱に収容し、日陰に干す。これが厄介で、農家と異なり広い干場がないのだ。台所裏の石油缶収容容器の上だけが唯一の候補地。ところが雨が当たれば濡れ、日が当たれば辛味が増すため頭が痛い。雨が降ったら慌てて物置にしまう必要もある。それはともかく、これだけの量があれば秋まではなんとか持ちそう。前年はほぼ1年間買わずに済んだ。 ちびジャガイモ 次いで南の畑のジャガイモを掘った。そろそろ収穫時期との判断が失敗した感じ。これは芽が出た芋2個分を3月末に植えたもの。2個がこれだけに増えたのだからまあ良いか。買った種芋1kg分を植えたのは裏庭で、こちらはまだ葉が青々している。東の畑と共に「土寄せ」の代わりに土を補填。 数日後本当は茎があまり茂っていてはダメと気づいた。「芽欠き」するのをすっかり忘れていたのだ。茎に栄養が行く分土中の芋が貧弱になる。1回目の収穫が少なかったのはきっとそのせいだ。慌てて芽欠きをしたが遅過ぎたかも。私の油断と物忘れが原因だ。 青梅 青梅をもいだ。少し放置し、黄色くなったのを梅干し用にすると良いらしい。数は54個。枝にはまだまだ生っているが、昨年作った30個分のうち、10個ほどがまだ残っている。自分が食べる分としてはそれで十分だし、塩分の摂り過ぎになってもいけない。 梅干し用容器 梅干用の容器を洗って天日干しにした。これに全部の梅を入れても、まだお釣りが来る。梅1kgに対して塩200gとあるが、私は180gくらいにする予定。塩分が少ないと梅酢が上がらず腐り易いとのことだが、「重し」で加減しようと思う。 前年の残り物 赤シソは買わずに、残ったシソの葉と梅酢を使う。それでも軽く色づくし、見栄えは問題にしない。残り汁にもかなりの塩分が含まれているはず。こんな風に一工夫するのが自分流。一番重要なのは、自分の健康を保つこと。後日さらに青梅をもぎ、塩漬けし始めた。3日後に梅酢が出始めたがまだ不足。このため重しのレンガを追加。 こぼれ種から発芽したトマト 翌日は、雲南百薬の葉を30枚ほど収穫。カリフラワーを葉で覆って紐で縛る。日に焼けないための工夫だ。こぼれ種から発芽したトマトの苗を移植して支柱を施し、水やり。トマトの脇芽摘みとビニール紐での固定。畑の草取り。買う野菜が少しでも減り、しかも健康に役立つのがとても嬉しい。全ての恵みに感謝だ。作業後、洗濯物と布団干し。<謹告>明日から新シリーズが始まります。どうぞお楽しみに~!!
2019.06.27
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~体調不良と夢~ 6月16日(日)。シャッターを上げると、雨は止んでいた。夜中、あれほどまで大きな音を立てていた雨。低気圧の通過によるものらしいが、植物たちには嬉しい雨だったのだろう。この日は父の日だが、私には嬉しいことは何も起きない。そう思っていた。だがさらに厳しい試練が私を待ち受けていた。朝から厳しい体調不良。これは一日ゆっくり過ごすしかないな。覚悟は決まった。 朝食を済ませ、ブログへの返事とブロ友への訪問を終え、軽く新聞に目を通し、体が少し落ち着いた頃、自転車に乗って買い物へ。そのこととキュウリの初収穫については既に書いた。昼食後台所へ。巨大なキュウリでキュウリもみを作るのだ。単純作業なので、直ぐに完成。何枚かのシソの葉を畑で摘み、刻んで混ぜたらさらに風味が増した。 依然として体調は良くない。せめて頭痛だけでも何とかしよう。そう考えて引き出しから痛み止めを。それは昨年歯を抜いた時にもらった頓服。間もなく痛みは和らぎ、気分も少し和らいだ。夕方からさらに増す不調。血圧を測ると上が170で下が110。脈拍は51と通常値で、不整脈の兆しがないのがせめてもの救いか。血圧が180を超えた際の緊急用錠剤服用を、直ちに決行。 マジヤバイ。こんな状態で台湾旅行へ参加したら、ツーリストやツアー仲間に迷惑をかけるのは必定。第一自分自身が危険ではないか。旅行は断念すべきだろう。だが薬が効いて血圧が下がると体調が良くなり、苦しんでいた症状がほとんど消えた。夕食時にはいつも通り薄い焼酎を1杯。だが、翌日は病院に行ってドクターに症状を話し、旅行の是非を聞こう。早速保険証、血圧手帳、お薬手帳などを準備。 入浴後は遅くまでニュースを観た。大阪で起きた警察官襲撃事件が気になったのだ。奪ったピストルを持って逃亡中の犯人。防犯カメラに顔まで出ているが、犯行現場周辺では恐怖におののいていることだろう。興奮を鎮めるため睡眠薬を使用。いつもは極力飲まず、飲んでも1錠の半分だけ。そのせいか翌朝の気分は良かった。朝から快晴で、前夜のうちに済ませていた洗濯物を干してから病院へと向かう。 「血圧手帳」のデータを丹念に見たドクター曰く。「特に心配はありません。旅行は大丈夫でしょう」。自分の耳を疑った私は逆提案をした。「旅行には血圧計と全部の薬を持参します」と。当然緊急用の血圧降下剤や痛み止め、記録用の血圧手帳もだ。「ただし走るのは止めた方がよいですよ。血圧の変動が大きいので」とドクターの追い打ち。これは心外。私のランニングなど歩くより遅いペースなのだ。 帰路、コンビニでオレンジとロールケーキを買った。それは私なりのささやかなお祝い。今日は1日遅れの父の日だ。自転車で坂を下ると風が強く、とても寒く感じる。低気圧の影響による強風警報が発令中だった、トマトの雨傘を前日の夕方に外しておいて正解だった。帰宅後、支払った金額を手帳に記入。病院の再診料が130円で、コンビニのオレンジ代などが486円。実に安価な安心料だった。 台湾から帰国後、脳外科で頭部のMRIを受けることもドクターと話した。さて8月は「作並遠足ラン」への参加を申し込んである。10月には島根などへ旅行し、冬は「大人の休日倶楽部」フリーチケットで関東へ行き、利根川を走って渡る予定。どこまで叶うかは分からないが、私はまだ夢を追いかけている。大阪の警官襲撃犯は、その後箕面の山中で身柄を確保された。やれやれ、G20前で良かった。<その後、神奈川で遁走事件が起き、大騒動になった。こちらも5日後に解決。なおこのブログは、最大13日分を予約していた。台湾旅行とその帰国後に余裕を持つためだ。>
2019.06.26
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~くらしのなかで~ ハナズオウの莢 結婚した蒼井優が映画『ニライカナイからの手紙』に出ていたことを知り、YouTubeで観た。舞台は竹富島で出演者の大半は地元の方だからうちなー口なのは当然だ。エキストラの中に「赤山」姓を発見。竹富島観光の際に訪れた集落で、先祖は平家の落ち武者と書かれていたのを思い出す。「ニライカライ」とは海の彼方にある極楽で、言い換えればあの世。母の思い出につながる悲しい物語だった。 青モミジ その流れで『きたなかスケッチ』も観た。沖縄本島中部の北中城村が制作した映画。伝統の盆踊りである「ふぇーぬしま」(南の島)を引き継ぐ青年たちの話。中城城、中村家住宅、中城湾、熱田集落など懐かしい風景がそこにあった。国道沿いのサトウキビ畑や村役場まで思い出し、何とも言えない気分。わずか3年間の勤務だったが沖縄の風景が強く焼き付いている。暑い暑いあの島で、私は走ったのだった。 低気圧通過の際に破れたトマト用の雨傘を取り換えた。1本だけ残っていた女物。もう我が家には不要なので惜しくはない。確かキュウリが生っていたはず。そう思って探すと、長さ40cm、直径5cmほどの巨大なものが見つかった。それを半分だけ切って酢の物にしたがとても美味しい。カツオの半身を買おうとして止めた。冷凍の残りがあったのを思い出したのだ。自分で捌くと超安上がりで助かる。 咲き終えたテッセン 新聞の訃報欄に享年75歳の方の死因が老衰とあった。昔ならいざ知らず、私と同年代で老衰死とはねえ。平成30年度の厚労省調査によれば、日本人の死因の第1位はがんなどの悪性新生物で27%、第2位は高血圧性を除く心疾患で15.3%、第3位が老衰で8%なのだとか。だが最近の年金論議で95歳までの必要経費を用意する是非については疑問。だって男の平均寿命がまだ81歳なのに。 ユズの花 エンゼルスの大谷選手が先日サイクルヒットを打った。日本人メジャーリーガーでは初めてのことらしい。アメリカの報道各社もこれには大絶賛だった由。素晴らしい適応力で、打者としても一流であることを証明した感じ。女子ワールドカップフランス大会での初戦は、アルゼンチンと引き分けて勝ち点1。第2戦ではスコットランドを下して勝ち点3ゲット。。イングランドには敗れたが2位で決勝リーグへ。 ツバキの若葉 サニブラウンがアメリカ大学陸上選手権の100mで9秒97の日本新を出した。フロリダ大学で鍛錬した成果で、今後が楽しみ。井岡がボクシング世界タイトルの4階級制覇を達成。日本人初の快挙。大坂なおみはコーチを代えて以来振るわず、世界ランク1位から脱落する模様。バスケットボールの八村塁選手は日本人初のNBAドラフト1巡9番目に指名。年俸は4~5億円とか。凄いもんだねえ。
2019.06.25
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~梅雨時の花々と俳句~ <ブラックベリー> 木苺をふふめば雨の味がして 比田 誠子 *ふふむ=含むの古語 ブラックベリーをキイチゴの仲間と理解して 卯の花は日をもちながら曇りけり 千代女 山かけて卯の花咲きぬ須磨明石 支考 卯の花の絶え間たたかん闇の門 去来 写真はバイカウツギ(梅花空木)でしょうか。ウツギの別称は卯の花。夏の季語です。 紅うつぎ風移る間も紅たもつ 殿村莵絲子 写真はヒメウツギ(姫空木)でしょうか。ウツギと名が付いても科が違うことがあります。 谷ゆけば硫黄こぼるる花卯木 秋元不死男 写真はハコネウツギ(箱根空木)でしょうか。「卯木」をうつぎと読ませるようです。 薔薇垣の夜は星のみぞかがやける 山口誓子 夕風や白薔薇の花皆動く 正岡子規 花びらの薔薇のかたちを守りけり 辻美奈子 バラ(薔薇)には色んな品種があるのでしょうが、私はその多くを知りません。夏の季語です。 梅雨なかば名を忘れたる白き花 マックス爺 花の名前を良く忘れます。聞けば思い出すのでしょうが、なかなか覚えられなくなりました。 <キンギョソウ(金魚草)> いろいろな色に雨ふる金魚草 高田風人子 かな女忌の来る鉄線の濃紫 殿村莵絲子 鉄線の花の紫より暮るる 五十嵐 播水 鉄線花うしろを雨のはしりけり 大嶽青児 「鉄線花」と「カザグルマ」などを交配した園芸種がクレマチスですが、俳句では同じものとして扱っています。夏の季語。 <咲き終えたテッセン(鉄線)のヒゲ> てつせんの花てつせんに巻きつける 林 徹 <タチアオイ(立葵)> 立葵いま少年の姿して 岩田由美 立葵天香具山隠しけり 八木林之介 *あまのかぐやま=大和三山の一つ <ムラサキツユクサ(紫露草)> 露草の露千万の瞳かな 富安風生 便宜上自然種の露草の句を採りました。秋の季語です。
2019.06.24
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~梅雨時の花々と俳句~ <白のシャクナゲ(石楠花)> 石楠花や朝の大気は高嶺より 渡辺水巴 紫陽花の末一色となりにけり 一茶 紫陽花のあさぎのままの月夜かな 鈴木花衰 あぢさゐの藍をつくして了りけり 安住 敦 <アジサイの仲間> あぢさゐや軽く済ませる昼の蕎麦 石川桂郎 <カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)> あぢさゐの色をあつめて虚空とす 岡井省二 <サツキツツジ 五月躑躅の盆栽> 濡れわたりさつきの紅のしづもれる 桂 信子 満開のさつき水面に照るごとし 杉田久女 庭石を抱てさつきの盛りかな 嘯山 曇天に彩喪ひしさつきかな マックス爺 *いろうしない <ハナミズキ(花水木)> 一つづつ花の夜明けの花みづき 加藤楸邨 くれなゐの影淡くゆれ花水木 小島花枝 はなみずき=春の季語 <シラン(紫蘭)> 雨を見て眉重くゐる紫蘭かな 岡本 眸 <ホタルブクロ(蛍袋)> 山の雨蛍袋も少し濡れ 高田風人子 <カランコエ> カランコエ梅雨の歯医者の華やぎて マックス爺 新しくもたらされた園芸種の花たちに季語はないので、こんな風に詠んでみました。<続く>
2019.06.23
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~ 梅雨空で影絵を~ 何だかうっとうしいですねえ、梅雨空。でもね、その梅雨空を背景にして、影絵で遊ぼうかと思うんだ。トップバッターは種類が分からない、背の高い樹。あまり面白くはないけどね。 2番手は梅の木だよ。ちょうど今頃は枝が真っ直ぐ上に伸びる頃なのさ。案外きれいでしょ。 これはわが家のシャラ。実はこの写真を撮った時から面白いと感じてね。 これは木ではなく雲南百薬の葉っぱなんだよ。もう2回ほど摘み、茹でて食べたのさ。 植えてから3年目の柿の木。まだ小さいけどもう実が生ってる。秋が楽しみだね。 これはハナズオウの木。恐らくはマメ科だろうね。咲き終わった後は大量のさやが。 秋には良い香りのキンモクセイも、今はまだこんな感じ。 これはユズ。ドンドン枝が伸びるので大変なの。硬くて鋭い棘があるしねえ。 ここまではわが家の庭木など。 ここからはが街路樹。これはカエデに似た木。 これも街路樹。空に向かって伸びる枝が元気良さそう。 下らない写真で済みません。単なる電線です。でも面白いと思うんだけどねえ。 アンコールに応えて、アンテナの上のカラスです。何?そんなの見たくないって~? ではお口直しに、柏葉アジサイです。なになに、色が薄いって~?(;^_^A そんなこと言われても、影絵はせいぜいこんなものですよ、お客さん。ではまたね~。
2019.06.22
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~傘と遊ぶ~ 南側の駐車場から畑を見ると、こんな風。 そして西側の駐車場からだとこんな具合。ちょっと不思議な風景かも。 傘が覆っているのはある畝だけなのだ。 2階のベランダから見るとこんな風。これって新しい芸術? 横一列の5本のビニール傘。可愛いな。 縦一列のビニール傘、あんまり代わり映えしないって~? 畝の傍から撮影するとこんな具合。 真横から撮るとこんな具合。もう分かったかな?下はねえ、トマトの苗なの。トマトは水分を嫌うので、梅雨の時はあまり雨が当たらないよう、要らない傘を差したってわけ。 本当は雨除け用のビニールシートとそれを張るための専用の支柱も売ってるんだけどね。私はこんな風に廃品利用してるんだよ。遊び心からだけど、節約にもなるしね。 ほら、こんな具合で少しは雨除けに役立っているでしょ? わが家のアジサイはまだこんな感じ。(6月11日現在) これはね、区役所の壁画なんですよ。雨の日も楽しいようにかな? どうやら区役所の建物が雨漏りしてるわけじゃなさそうだね。 そういえば、昔「雨に歩けば」と言う曲があったなあ。just walking in the rain 確か口笛もついていたと思ったけど。<続く><後日談> 低気圧通過の翌朝、傘のうちの1本がこんな姿に・・。
2019.06.21
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~日常些事~ 何だか忙しかった。それに体調がいまいち。暑い日が何日か続いた後の気温急落。これが梅雨寒と言うのだろう。服装は半ズボンから長ズボンへ。冷房に切り替えていた空調機や扇風機は使わないままとなり、掛け布団は夏用から再び冬用へと逆戻り。庭や畑へ散水用のホースは巻いて物置行きとなり、トマトの畝には5本のビニール傘を差した。水を嫌うトマトの雨除け用だ。 夏用のパジャマを買い、古いのを2組捨てた。2か月ぶりに床屋へ行き、頭髪を短めに切ってもらった。食料品の買い出しは7500円ほど。一度にこれだけ買ったのは珍しいが、次の週にもかなり持ち越せるはず。焼酎4リットルも買い、旅行代金の残額10万円近くを振り込む。冷蔵庫の中のおかず同様、財布の中もたちまち淋しくなる。まあ、これも生きていればこそ。 ハガキが届いたので近所の歯医者へ。カレンダーや手帳に次回の予約日を記入しているため、忘れることはないのだが、ドクターの奥様がわざわざ知らせてくれるのだ。ドクター同様奥様も優しい方。学生時代は人形劇をしていたとかで、こんな絵入りの通知をくれる。私が自転車に乗ってるのや、走っている姿を見かけたとハガキにある。たまに絵手紙を出しても良いかと言うので、もちろんOKですよと返事。 夏バテしないよう、カレーなどはいかがと書かれていた。傍にビールも付いているのだが、私は安くてしかも薄い焼酎1杯で十分。それでも結構酔ってしまう超安上がりの貧乏人。この日は「歯周ポケット」の深さを検査し、歯石の除去。それが終わると次回の予約。9月13日の金曜日で、手帳を見たら仏滅だった。まあ私は迷信を信じない方だが。 この2人が結婚したようだ。何だかとっても良い感じ。私は山ちゃんに悪い印象はなく、もちろん蒼井優さんにもない。この女優を初めて知ったのは大河ドラマ『竜馬が行く』でのこと。確か長崎の町娘役だが印象は薄かった。それよりも『東京家族』の末弟のお嫁さんになる看護師さん役がぴったり。役同様、きっと良いお嫁さんになるだろう。派手さよりも堅実さが光る女性。そして飾り気のない人柄だ。 イージスアショア設置場所に関する調査の杜撰さには呆れ果てた。防衛庁がグーグルアースで抽出した山の標高から導き出した数値が実際とかなりかけ離れていたのだ。縦軸(標高)と横軸(距離)のスケールが違うのは、図を見ただけで直ぐに分かるはず。それに気づかない専門家がいるとは恐れ入った。住民が怒るのはもっともなこと。しかも説明会で担当者が居眠りするとは。全くたるんでるねえ。 金融庁の審議会の報告書も「何だかなあ」だった。年金が先細りになることは誰でも知っている。それに備える重要性も十分理解出来る。だが問題は辺野古基地同様、政府が問題点をきちんと説明しないことにある。ご都合主義では駄目。私など2千万円も貯金はないし、95歳まで生きる自信もない。札幌の3歳児虐待死は悲しい。11匹の猫に餌もやらず、遊びに出かける男女の気が知れない。可哀そうに。
2019.06.20
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~旅の総括~ <トイレのタイル画 鬼剣舞(おにけんばい)> 「小岩井農場」ハイキングツアーのレポートも10回目になりました。シリーズの途中で他のテーマを入れたりして手間取りましたが、最終回の今日は旅の総括です。長々と最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。 当日のツアー仲間と岩手山の雄姿(再掲) <上丸牛舎への案内板> この日は農場の内外を7kmほどハイキングしました。岩手山の残雪など素晴らしい風景を見ながらのウォークは気持ち良く、昼食のバーベキューがとても美味しく感じました。 <百年杉が作り出す見事なV字> 小岩井農場は明治期の3人の偉人が創設した国内最大規模の農場。岩手山麓の荒地を40年以上もかけて整備し、美林と豊穣の農場と牧場に造り上げた先人のご苦労が偲ばれました。 この日は天候にも恵まれて、園内の新緑がとても瑞々しく感じられました。 岩手の春は遅くて、オオシマザクラが真っ盛りでした。 アップした花はこんな色と形。既にたくさんの葉っぱが芽吹いていました。 園内で咲いていたのはヤシオツツジでしょうか。日陰のために色が冴えないのが残念です。 湿地で咲いていたミツガシワの花です。遠くにはミズバショウの姿も見えました。 自然種のサクラソウを見たのは初めてでした。園芸種とは異なる可憐さがありますね。 仲間が牧場内で摘んだワラビを撮らせていただきました。少し育ち過ぎですけどね。 岩手山をバックにした花壇。素敵な風景でした。 良いですねえ。まさかこんな風景が見られるとは。後ろは秋田竿灯を実演した芝生広場です。 残雪の岩手山と重要文化財のレンガサイロを背景にして。 今は亡きニッパさん。元気でこの地に立てて良かったです。腰のタオルハンカチが邪魔かな。 ご当地キャラ(わんこそば)と遊ぶ子供たち(さんさ踊りを踊ってくれました)。 皆さんが勢ぞろいして私たちの観光バスを見送ってくれましたよ。最後までどうもありがとうね。 帰路の車窓から見た「七つ森」の夕景です。この日も無事に帰宅しました。<完> そして明日からは新たなシリーズを開始予定です。どうぞお楽しみに~!! 次の旅は今月末の台湾観光ツアーです。あちらはきっと梅雨が明けてるでしょうね。
2019.06.19
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~秋田竿灯まつり~ 舞台付近でのイベントが終わると、今度はこんなお祭りが芝生の広場で始まります。 これは秋田の「竿灯まつり」なんですよ。雄大な岩手山を背景にしてスタートします。 「秋田竿灯まつり」は例年8月3日から6日までの4日間、秋田市で開催されます。 竿灯全体を「稲穂」、そして1個1個の提灯を「米俵」と見なしています。 この「竿灯」は七夕の「眠り流し」が本来の姿でした。つまり七夕の伝統行事だったのです。 古く江戸時代から行われて来たこの行事は、国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。 竿灯の大きさと重さは4段階あり、最大の物は長さ12m、重さは50kgあります。操作する年齢に合わせて、9m(30kg)、7m(15kg)、5m(5kg)と順次小さくなります。 それだけ巨大な物を、たった1人で操作しています。それも掌だけでなく、熟練度に応じて額、腰など手を使わず自由に操るのが自慢の種です。 祭礼は先ず八幡秋田神社での「御幣渡し」で始まり、次いで「昼竿灯」、「夜竿灯」と続き、最終日には市内の旭川に「御幣流し」として流すのが約束事です。 提灯の絵柄は、各町内で異なります。また風に弱いため、たまにこうして倒れることがあります。竿灯を決して倒さないのが秋田の男の誇りですが、たまにこんな失敗もありますね。 「竿灯」の移動もこうして横にして運びます。竿灯を見たのはこれで2度目。でも両方とも秋田市以外での見物だったのが少々残念です。 それでは本場秋田市の竿灯まつりをネットから借用した写真でご紹介しましょう。 やはり提灯に灯が点る夜の竿灯は格別なものがありますねえ。素敵素敵。<続く>
2019.06.18
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~盛岡さんさ踊り~ おやおや。きれいな服を着たお嬢さんたちがやって来ましたよ。しかも賑やかな音を立てて。 これは「盛岡さんさ踊り」のパレード。おそろいの着物と花笠、そして胸には大きな太鼓と言う出で立ち。後ろの岩手山も笑って見ているようですねえ。 8月に入ると東北は夏祭り一色になります。青森のねぶた。秋田の竿灯まつり。山形の花笠おどり。そして仙台七夕。これがいわゆる4大祭りでした。これに福島のわらじ祭りと盛岡のさんさ踊りが加わって全県がそろったのです。 おやおや、踊り手のなかにちびちゃんが混じっていますよ。それもにっこりとほほ笑んで。 盛岡市近郊の各地では、藩政時代から伝統的なさんさ踊りが行われていたようです。 昭和53年(1978年)からはそれらの踊りを統一して、現在のようなお祭りにしたのです。 大きな太鼓を叩きながら踊るのはとても大変。それでも優雅な踊り姿ですね。 しなやかな手の動き。そして掛け声は「サッコラチョイワヤッセ」です。 以前は8月1日からの3日間だったそうです。それが年々参加者数が増えて、4日間になりました。 伴奏は笛と踊り手の太鼓だけと言うシンプルさ。でも日本一の太鼓パレードなんですよ。 皆さん飛び上がってますねえ。これはねぶたの「跳人」のが混じったかな。 この日は「さんさ好み」と言う愛好者団体が踊りを見せてくれました。ちびちゃんも最後まで頑張っていましたよ。 所作がとても美しいさんさ踊りのお嬢さんたち。 本番の踊りでは、約3万5千人の踊り手が参加するそうです。実に壮大ですね。 これはネットから借用した本番の踊り。昼の部です。 これもネットからの借用。「ミスさんさ踊り」のお嬢さんも踊りに加わっていますよ。<続く>
2019.06.17
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~庭と畑の今~ 6月7日金曜日。私が住む南東北でもついに梅雨入りしました。東海地区や関東地区と一緒の梅雨入りなんて、なんだかとっても珍しい気がします。因みに四国の梅雨入りよりも早かったのは27年ぶりで、近畿地方よりも早かったのは45年ぶりと言うことですから、やはり記録的な早い梅雨入りだったのでしょうね。そんなわが家で今咲いている花をご紹介しましょう。 6月28日日現在の庭の一部です。 畑の横のシャラ。今はほとんどが咲き終えて、次に玄関横のが咲くのを待っています。 優しい色のバラを上から眺めたり、横から眺めたりしています。 深紅のバラも今は散りかけて、朝の掃き掃除が大変ですよ。 これはクリーム色のミニバラ。小さいけどなかなかエレガントですね。 ピンクのミニバラだって、ズームしたら良い感じじゃないの。 そしてもう少し花が開くと、こんな感じになります。 野茨も結構強く、ドンドン伸びて来て困ります。 ゼニアオイは一雨ごとに背が高くなって来ます。 5月末にはまだ小さくて、花もまばらな状態でした。 アジサイはまだこんな状態で、色がありません。 キンシバイ(金枝梅)はオトギリソウやヒベリカムの仲間で、良く似ています。 クジャクサボテンの花がいくつも咲き出したので、庭石の上で記念撮影です。 これはまだ赤ちゃん状態です。 まだ満開状態ではありません。満開になると中から長い「しべ」が現れます。 いつもなら1個づつしか咲かないのに、今年は5つほどが同時進行で咲き出していますね。 6月10日。これでようやく完成形です。<おまけ> 初収穫の雲南百薬。アンデス原産の健康野菜です。
2019.06.16
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~意見の衝突~ 香港で連日大規模なデモが行われている。直接関係するのが「逃亡犯条例」改正。イギリスから返還後50年間は香港の自由を保障すると約束した中国。だがこの条例が改正された後、中国に不都合な言動をした市民が中国に引き渡されることを怖れ、今回決起したようだ。外国人の観光客もその対象に含まれる。台湾に対する脅しも含め、背後に中国の思惑が強く表れていると感じるのは錯覚だろうか。 日本へ向かっていた2隻のタンカーがホルムズ海峡で襲撃された。時あたかも、安倍総理がイランの最高指導者であるハメネイ師と会談中。師は核兵器の保有を否定したが、同時にアメリカへの深い不信についても表明。空母リンカーンなどをペルシャ湾近辺に配置したアメリカへの敵意か。イラン海軍がタンカーに取り付けられた機雷を除去したが、乗組員は2回の砲撃を目撃してる由。日本への警告かも知れない。 順調に工事が進んでいると思われていた「リニア新幹線」だが、わずか10数kmの工区しか持たない静岡県が、トンネル工事に反対している由。山梨県のトンネル工事で地下水脈が分断され、川が干上がったケースがあるらしい。それを知りながらJR東海が工事を急ぐことに県知事が怒っているのだとか。大井川は下流地区の大切な水源。工事で水量が減ったら大変な事態になると言う主張は確かに頷ける。 山形大の学生が女性眼科医を殺害したと言うニュースには驚いた。元大学関係者としては近年国立大の学生による事件の急増に心を痛めているが、今回は学生の父も医者で、学生も一時医師を目差していたと聞く。だが高校時代にいじめに遭って以来、心が屈折したのだろうか。犯行の解明はまだだが、なぜ遠方の医師をわざわざ電車に乗って殺害したのかが不明。闇は深そうだ。 13年間同じデザインだったある方のブログが変わった。そして同時にコメント欄を閉じられた。恐らく私の詩などが影響したのだと思う。先日老人によるストーカー行為の増大を取り上げたばかりだが、私自身が害毒の張本人となったと思うと悲しい。長い間付き合っていただいた中で1度も間違った字を書いたことのなかったその方に、たくさんのありがとうを言いたい。そしてゴメンねとも。 6月13日木曜日の対ヤクルト戦。この日もわが東北楽天はしぶとく戦った。TV放送はなく、私は時々ラジオとパソコンで試合運びを確認していた。このままでも多分大丈夫とニュースを見ている間に大逆転。何と8回、9回に大量失点して惨敗。中継ぎ投手陣の崩壊だが、平石監督は疲れが出始める今の時期、負けを覚悟して投手の無駄遣いを避けたのかも。昨夜は広島を相手に大勝。
2019.06.15
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~ニュースと真実~ 1人の議員のトンデモ発言が国会を揺さぶっている。例の「北方領土を戦争で取り返すことの是非」だ。論議に火がついた挙句、全党一致でけん責処分の動議が採決。だが本人に辞職の意思はない。さて私などはもっと物騒。中国が建設した南シナ海の要塞を、元のサンゴ礁に戻せないかと本気で願っているのだから。あんな暴挙を許していて良いのだろうか。このままでは国際信義などあってなきに等しい。 ブログで政治や宗教をテーマにするのは禁物と言われる。だが私にあまり拘りはない。先日トランプさん来日の話を取り上げた際、「安倍総理はトランプの金魚の糞」とのコメントがあった。意見は自由だが、自分のブログで主張するのが適当ではないか。政治や宗教は人によって価値観が異なる最大の事案。そしてブログで論争するのは、相手が望まない限り適当ではないと思うのだが。 今、世界の状況が凄い勢いで変化している。欧米諸国の認識や価値観も、かつてのように単純ではなくなった。フェイクニュースの氾濫やサイバー攻撃の応酬。経済戦争から世界戦略戦争、情報戦争へと向かい、国連を初めとする国際機関が有効に機能しなくなった。絶対的な正義は消え失せ、混とんと不確実性が横行し未来への指針が見えにくい。安倍さんは急遽イランへと向かったが、私は立派な外交だと思う。 自作の小説を順次掲載するブログ。同志を募って中国と北朝鮮を自ら解放すると言う荒唐無稽なストーリーに思わずコメントを書いた。もちろん小説を書くのは自由だが、内容が時代錯誤で現実感に乏しいと感じてのこと。暫く訪れなかったら今度はある新興宗教の紹介。再び疑問点を書いた。冒頭の記述に反する行為だった。そしてその人にとっては心外だったかも知れない。 あれから5年。その方が信奉する団体にその後大変動が生じたようだ。教祖が妻を追い出して教団幹部の女性を娶り、女優との結婚を断った長男など、2人の息子を追放処分にしたみたい。信仰は自由だし、人間にとって欠かせない要素。だがブログを特定宗教PRの手段にするのはどうだろう。寺社の御朱印蒐集に嬉々としているクリスチャンの存在にも違和感を感じた。もちろんそれも自由ではあるが。 自衛隊機へのレーダー発射を否認し続ける韓国。米朝協議の折衝に失敗した政府要人を火炎放射器で消滅させた北朝鮮は拉致の事実を認めない。ロシアは北方領土をなかなか返還せず、中国は天安門事件を歴史から抹殺した。伊豆半島には中国製の大量の覚せい剤を積んだ船が接岸して全員逮捕。こんな物騒な国が周囲を取り巻いている日本。政治への私の関心は、かくして益々高まる。<続く><このブログは予約機能を用いてかなり前に書いています。タイムラグや記述の重複はご容赦を。>
2019.06.14
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~6月の習作から~ 雪形の雉子の垂り尾融けそめぬ *キジ *しだりお 雪形の雉子を仰ぎし牧場かな 百年を経し農場の薄暑かな *へし *はくしょ=初夏 畑の草刈り終へ軍手洗ひけり *はた 山鳩やトマトの脇芽摘み終へて 黎明や玉葱の茎折れ伏せぬ *れいめい=朝の光 *タマネギ 野茨の散り初む朝の畑に立つ *ノイバラ *ちりそむ 麦秋やまだ人恋ふる吾のゐて *ばくしゅう=麦が実る頃=初夏 未だなほ恋する吾ぞ麦の秋 恋一つ拾ひて侘し麦の秋 *わびし 人恋ふる寡笑ふか麦の秋 *やもめ わが恋の行方果てなき麦の秋 老ひらくの恋無残なり麦の秋 野茨の花ほろほろと顔洗ふ *ノイバラ 真夜に覚め鬱たる朝や銭葵 *まよ=深夜 *ゼニアオイ 銭葵眠れぬ夜の幾度か *いくたび 六月や友の病の癒へし時 *いえし ともかくも煎茶一服梅雨寒し *せんちゃ 梅雨寒や日は落ち道の遠きこと *つゆざむ 梅雨寒やアンテナで鳴く鴉二羽 梅雨寒や残り香恋し夢の女 *ひと
2019.06.13
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<詩 貧しく小さなもの> 再生 ~夏の夜の夢~ おれが利根川にかかる橋を走って渡ると あの人が車を停めて待っていてくれた 車の色は何色 そして その人の頚はモジリアニが描く少女よりも細く 腰はゴーギャンが描く南島の女よりもたくましいか おれは博物館へと入る 彩の国の古墳群の傍にある静かな建物 そこに太古ヤマトの大王から贈られたものがある 大王の名が金色の文字で刻まれた鉄の剣 それからおれは古墳の地下にある資料室を見 「くぼうの城」の円墳へ登る 白い日傘を差したあの人も一緒に 息を弾ませて とある日 皇居の周りを走る二人 おれはゆっくりと そしてあの人はかなりのスピードで 走り終えシャワーを浴びた二人は歩く 熱く焼けた大都会の径を あの人が好きな鎌倉 おれが好きな京都や奈良 いや もしも二人で歩けるのならどこでも良いさ たとえ日本でも日本でなくても 奄美はあの人が好きな島 そこでは歌者の歌を聴こう 哀愁を帯びこぶしがきいた島唄を 赤い実のなるソテツの森陰で おれが愛する島は沖縄 そこでは古いグスクを幾つか巡り エメラルドグリーンのサンゴ礁を見つめよう ああ 東シナ海が夕日に染まるよ それからどこへ行こうか 韓国 中国 台湾 東アジアの国々 ベトナム タイ カンボジア 東南アジアの国々 インド バングラディシュ スリランカ 南アジアの国々 だが一体どれくらいあるのだろう 残された時間は 星のない夜に目覚めたおれ だがまだ歌が響く おれの耳の奥底で 遠い海鳴りのように 「悲しまないで うなだれないで」 「振り向かないで こわがらないで」 「とどまらないで あきらめないで」 透明なセリのリフレイン ああ おののくおれよ おれのこころよ 決してあの人のそばから離れず いつか再生するその時を待とう そして その願いが叶うようひたすらに祈ろう 「わたしたちはみんな どこから来たのだろう」 「ひとは命の船に乗り どこへと行くのだろう」 <映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』主題歌REBORNのPVから 門脇麦> 詩のうち「 」内の部分をこの歌詞からお借りしました。切ない歌です。 この詩を夢の人に捧げる
2019.06.12
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~チャグチャグ馬コ~ 1頭の仔馬が歩いている。生まれてからまだ1か月も経ってない仔馬は、私たちがこのイベント会場へ来た時、芝生の上に横たわっていた。あれれ。この仔馬は死んでるのだろうか。本気でそう思ったほど、グッタリと倒れていた。その仔馬が母馬の後からゆっくりと歩いて、舞台の前にやって来た。 古来、東北は馬の名産地だった。恐らくは日本海を介して、大陸から優秀な馬が渡って来たのだと思う。奥州は産金だけでなく、名馬の産地としても有名だった。力の強い馬は軍馬となって戦うだけでなく、農耕の助けともなった。いつしか南部は国内でも名だたる馬産地となっていた。 いつもは使役に用いられる馬に感謝して、年に1度晴れやかな衣装を着せ、神社にお参りする習わしが生まれた。これが200年以上の歴史を有する岩手の伝統行事「チャグチャグ馬コ」なのだ。 着飾った馬たちは飼われている農家の人に連れられて、先ず滝沢市の鬼越蒼前神社にお参りする。総勢100頭以上の馬が、祭り当日に参集するという壮大さ。 その華麗な行列が、滝沢市からお隣の盛岡市まで続くのが本来の姿なのだが、今日はツーリスト主催のイベントに、地元の農家の1頭だけ協力してくれた由。それにしても立派な飾り衣装だ。 いやボクのことも忘れないで、と仔馬。背中には飾りひもを置いてくれた。ボクも大きくなったら立派な農耕馬になるんだ。そして「チャグチャグ馬コ」のパレードに出るんだよ。 「チャグチャグ」と言うのはね、鈴の音なの。馬が歩くと飾り付けられたたくさんの鈴が揺れて、「チャグチャグ」と音がするのさ。「グチャグチャ」じゃないから間違わないでね。ヒヒ~ン。 馬の背中の鞍には着飾った稚児が乗るんだけど、別に怖がる様子はないねえ。実に慣れたものさ。そして晴れがましい法被を着た農家の人が、馬の手綱を引いて先導するのさ。<協力は「南部盛岡チャグチャグ馬コ」同好会の皆様> 馬上に跨るのはこのイベントの司会者です。少々へっぴり腰かな。 花笠を被ったお母さん。この方も青森ねぶたの跳人として出てましたね。 最後に私も馬の顔を撫でさせてもらいました。とっても大人しくてお利巧でした。<不定期に続く> 本物の「チャグチャグ馬コ」の行列姿をネットからお借りしました。後ろは岩手山です。
2019.06.11
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<ネットの世界で> あれは15年以上も前の話。私はネット上で脅迫を受けていた。何度も届く差出人の無いメール。ある日勇気を奮って発信人を探した。ようやくたどり着いたのがメールの差出人名を隠すブラックボックス。だがある書き込みで、3人の掲示板仲間が犯人と判明。主犯は女性2人。私のHPのアクセス数が多いことに嫉妬し、男の仲間がそれを援助した犯行だった。直ぐに彼らと絶交し、かつての仲間は分解した。 ブログを読んである方に注意したことがあった。自分よりも7歳若いご主人が亡くなり、新たにマンション2戸を買ったとブログにあった。きっと莫大な死亡保険金が下りたのだろう。嬉々とした書きぶりに危うさを感じての忠告だ。誰が見てるか分からないネットに、そんな個人情報を載せてはいけない。それをその方がどこまで自覚していたのかどうか。さらに危ういことが、その後も記されていた。 今度は引っ越し情報。それまでの住まいと新しい転居先の位置関係、近所の神社名などが書かれていた。マンションが建つのは古城跡らしい。歴史が好きな者が調べればその古城がどこかなど直ぐに分かる。なぜそれほどまでに油断するのだろう。だがもう忠告はしなかった。もしそうすれば今度は私が疑われかねない。第一私はストーカー行為が好きではない。 私のブログに「残り物に福あり」とコメントした方がいた。私は「何のこと?」と返事。当時私は結婚し、配偶者にブログのことも教えていた。長い家庭内別居の後離婚調停へと進んだが、疑いを持たれる行為は慎まなければならない。その方の資産や家柄も何となく分かったが、それらに私は全く関心がなかった。お金や家柄よりもっと大切なもの。それは互いに誠実で、信頼関係にあることだと思うのだ。 「詩を指導してください」。そう書かれた女性には、「ブログにカテゴリーと口コミテーマを付すこと」を進言した。そうすれば仲間が見つかりやすいだろう。私にとって「詩の指導」は「人生の指導」そのもの。お母様を亡くされ傷心の日々を過ごされていたようだが、生半可な気持ちで「指導」など出来るわけがない。妻とさえ気持ちが通じない当時の私にとっては、重た過ぎる依頼だったのだ。 調停離婚後、私は独り暮らしになった。だが異性とお付き合いしたいと願っても連戦連敗。資産、健康状態、年齢など。どれも大変なマイナス要因なのだろう。ブログに綴る「節約法」を読んで、「私には無理」と書いて去ったブログ友もおられた。やんぬるかな。だが私はまだ希望を捨てていない。この身に奇跡が生じないとは限らない。お~い、どこにいるんだ。わが運命の人は。<不規則に続く>
2019.06.10
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<鹿踊りの世界> こんな異様な装束(服装)をした人たちが舞台近くへと集まって来る。「岩手県花巻春日流鹿踊保存協議会」のメンバーたちだ。 頭やお面、太鼓などを合計した総重量は約15kg。これを身にまとって、彼らは鹿になり切る。 背中に背負っているのは2本の白い旗。無言の彼らの意思を伝えるのは踊りの動作と太鼓だ。 かつて東北の山野にはたくさんの動物が棲み、人々はそれを狩猟し食料としていた。 この鹿踊りは、東北の人々のために自らの身を捧げてくれた鹿に対する供養とも言われている。 そのほかには五穀豊穣と天下泰平、つまりここ東北の地が安かれと願って捧げる踊りでもある。 やがて鹿たちは輪になって踊る。鹿になり切って、まるで狂ったように。 見事ではないか。鹿はまるで神の化身のようだ。岩手県の無形民俗文化財指定の伝統芸能。 一列に並び、整然と踊る鹿たち。 お互いに角を突き合わせる仕草をする鹿たち。 今にも聞こえて来そうな鹿の息遣い。それほど激しい動きです。 介添え役の方が、鹿の足元に何かを置こうとしています。 用意されていたのは、どうやらこの菅笠(すげがさ)みたいですね。 きわめてシンプルな鹿踊りが続いたのは約10分間でした。今も岩手県南部と宮城県北部に残されている伝統芸能に、観客から大きな拍手が送られていました。<不定期に続く>
2019.06.09
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<高齢化の陰で> ブロッコリーの花 あるTV番組を観た。スイスに出向いて「安楽死」処置を受ける実話。日本の医療では許されない行為だが、順番待ちが出るほど世界的に希望者が多い由。日本人患者はまだ50代の女性。全身の筋肉と神経が硬化し、次第に身体器官が機能しなくなる難病。女性は2人の姉に安楽死の意思を伝え、姉たちは止む無く了承。だが妹は唯一姉の安楽死に反対し、画面にはモザイクが入っていた。 ナスの花 死の間際までカメラは執拗に追う。点滴装置に薬剤が入れられ、患者自身が腕の弁を作動。ベッドに寄り添ってくれた2人の姉に感謝しつつ、安らかな顔で天国へ旅立った患者。それは病院のICUで人工呼吸器や胃ろうのための装置を付けられ、無理やり生かされる日本とは全く異なる終末医療だった。そして日本の医師のほとんどが、自然死状態の患者を知らないと言う驚くべき現実。 ジャガイモの花 違うTV番組を観た。独り暮らしの老人がストーカーに変身する話だ。今、様々な理由で独り暮らしとなった高齢者が、異性に迷惑行為を働くケースが増えているのだとか。認知機能の低下もあるが、寂しさのあまり相手の行動に対してつい異常な反応をしてしまう。つまり誤解と錯覚だ。ひょっとしたら相手は自分に好意を抱いているのではないかなどと言う。これもまた高齢化社会がもたらす一面なのだとか。 トマトの花 何とも悲しい。そこまで社会的に孤立し、他人と交流しない老人が増えていると言う現実。高齢化、少子化、核家族化。未婚のまま高齢となり、子供のいない世帯の増加。空き家が増え、今ではお墓の墓場まであると言うわが国。ウザイ。キモイ。果たして「勘違いする老人」をそう言って白眼視出来るのだろうか。それは私も同様。母を知らずに育った私は、女性を慕う気持ちが特に強い傾向にある。 キュウリの花と赤ちゃん 果たして自分はキモイ存在やウザイ存在になっていないだろうか。そしてこれからの老後、どう健康を維持し、どう感情をコントロールするか。極力社会と関係を保ちつつ、目的意識と自らの存在意義をどう見出だすか。どんな金持ちやどんな美人にも、死は公平に訪れる。人はその時何を想うのだろう。良き理解者が傍にいてくれたらと強く願う所以だ。 モロッコインゲン 大事なことを書き忘れていた。それは「80-50問題」。80代の親が年金で50代の子を養っていると言う現実。これが進むと「90-60問題」となる。笑い事ではない。つい先だっても子が親を殺し、親が引きこもりのわが子を殺すと言う痛ましい事件が起きたばかり。「老後の暮らしのためには2千万円が不足」。政府からそんな発表があった。本当かなあ。<不定期に続く> わが南東北が昨日梅雨入りした。近畿より早いのは45年ぶりとか。まあ嫌だねえ。
2019.06.08
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~北東北の祭りから その1~ 「実は・・」と男は語り出す。小岩井農場のツアーでは、ハイキングしてバーベキューを食べただけじゃないのさ。それだけじゃ詰まらないだろうとツーリストは北東北のお祭りをイベントに入れていた。最初に紹介するのは「青森ねぶた囃子」。ねぶたと言ったら超どでかい造り物がつきもの。だけどここは農場なので、小型のを1台舞台の上に据え付けてあったんだ。名札には「織田信長」と書いてあるぞ。 「ねぶた」と呼ぶのは青森市で、弘前では「ねぷた」と半濁音なのさ。そして今回はこのお囃子が中心だった。太鼓、笛、鈴、鉦(かね)だけのシンプルさ。まああの単純なリズムが青森の人たちの心を揺さぶるんだろうなあ。出演しているのは、「あおもり市民ねぶた実行委員会」の皆さん。 舞台の上の造り物の大きさはこんな程度。本物に比べたらとても小さなものだが、本場の雰囲気はあるよね。ついでに言うと東北の夏祭りは8月に入ってからなのさ。そのトップを切るのが、このねぶたって言う訳さ。 太鼓を叩いているのは女性だったよ。俺のデジカメはシャッター速度が遅くて撮った写真もスピード感に乏しい。だからどれも似たような写真になるが、まあ我慢してくれ。舞台の裾にツーリストの名前が出とる。2月に行った秋田の冬の祭りも、この会社の企画だったのさ。 女性も含め、皆さんのねじり鉢巻き姿が勇ましいねえ。おっと、手前の男の人が手に持ってるのは鉦じゃなく鈴かもな。 ほら見てごらん。浴衣の裾をからげ、足を跳ね上げた女の人の登場だ。これは跳人(はねと)と言って、ねぶたにはつきものの応援団。ただし動きが激しいので、かなりの訓練が必要なんだってねえ。何せこの状態で30分くらい、休みを入れても全部で2時間程度は跳ね続けるらしいから。なお、この格好をしていたら、飛び入りでも参加出来るらしい。自信がある人はぜひ8月に青森へどうぞ。 跳人娘の笑顔が可愛いので、つい同じのをズームして見た。 手前左手の女性が持ってるのが鈴、そして右側の女性が持ってるのが鉦。甲高い金属音がとっても賑やかで、聞いてるだけでも元気が出るぞ。 ほらご覧。青森のねぶたに、他の祭りのメンバーが加わってる。実は友情出演、ややこしいが跳人の助っ人じゃ。 黄色の着物を着た女の子たちは、盛岡の「さんさ踊り」のメンバーなんだよ。ツアー客に喜んでもらおうとお手伝いなのさ。賑やかなお囃子に合わせての臨時跳人、可愛いなあ。 動的な跳人に比べて、お囃子の方はちょっと静的。それでもみんな頑張っておった。 盛岡さんさ踊りのメンバーの後ろに続いてるのはツアー客かなあ。 子供の跳人に混じって、お客様も跳ねてますなあ。皆さん立派立派。 ほら、大きく口を開けて何か叫んでるでしょ。これはねぶたの掛け声でね。青森では「ラッセラー、ラッセラー」だけど、弘前は違うらしいよ。そのうちに本場のねぶたを見に行きたいと思ってるんだけど、大変な人ごみらしいんでねえ。<不定期に続く>
2019.06.07
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~マックス爺の日常~ 電動自転車のバッテリーを抜こうとして屈んだ時、リュックから何かが飛び出してコンクリートの床に落ちた。驚いて見ると、それは卵のパック。この日の買い物で、リュックのファスナーが良く閉まらなかった。それでも大丈夫と踏んで帰宅を急いだ結果がこの始末。ガレージには割れた卵の残骸。それをブラシとバケツの水で掃除し、買った食料品を台所に運んだ。 無事だったのは1個だけ。残りもパッケージの中で壊れていた。さてどうずべきか。そこで6個分を卵焼きに。結局捨てたのは3個分。10個で125円ほどなので、実害はさほどでもない。サバの味噌煮の残り汁でニラレバを作る。さらに残り汁でマスの切り身を煮る。どれも出汁が良く効いて美味しく出来た。それで失敗した分を取り返した積り。 ステテコと夏用パジャマのズボンのゴムが緩んだため入れ替え。ゴムが古くなったのが原因だが、買ったゴムの「伸び方」が良くない。もっと伸縮が良いゴムが欲しいねえ、生協さん。高校から「行方不明者」の消息調査が届く。60年前の同学年の仲間の顔が浮かぶ。きっとお子さんの家や老健施設に転居したのだろう。明日は我が身。少しでも長く動けるようにしたいものだ。 何気なくネットを覗いていたら「気象病」の記事発見。これは寒暖差や気圧の変動が原因で起きる「病気」で、症状はめまい、吐き気、倦怠感、血圧の大きな変動、睡眠障害などとある。まるで自分のことを言われているみたいと驚く。酷い時はうつや不安症状を惹起する由。あれまあ。メニエル氏病と良く似ていること。ひょっとして、私はその気象病なのかも。ともあれ、知ることは良いことだ。 向かいのKさんにお願いして、新しいデジカメをセッティングしてもらった。なにせ私はトンデモナイメカ音痴。悲しいかな、マニュアルを読んでも操作不能と来ている。旅に出る前には基本操作くらいは出来るようになりたい。クジャクサボテンの花第1号が咲いた。楽天は首位ソフトバンクを相手に敵地で3連勝し、セパ交流戦に突入。さて、初戦の巨人戦がどうなるか楽しみだ。<不定期に続く>
2019.06.06
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<荒地から農場らしい風景へ> 「小岩井農場」。その名前を一度は聞いたことがあるはずです。でも、この日本一広い民間の農場がどうして出来たかまでは良く知らないと思います。さて「小岩井」って一体何でしょう。岩手県の地名でしょうか。それとも農場を作った人の名前でしょうか。 写真は左から小野義眞(おのぎしん=土佐出身 日本鉄道会社副社長)、岩崎弥之助(いわさきやのすけ=土佐出身 三菱社社長 弥太郎の弟)、井上勝(いのうえまさる=長州出身 鉄道庁長官)。「小岩井」は彼ら3人の頭文字を合わせたもの。小野が他の2人にこの農場を創ることを働きかけました。つまりこの3人が小岩井農場の創設者なのです。 小岩井農場は岩手山南麓の雫石(しずくいし)町と滝沢市(かつては日本一人口の多い村でした)にまたがる日本最大の民間総合農場で、広さは約3千ヘクタール(東京ドーム約640個分)あり、年間来場者は70万人に上ります。 明治23年(1890年)。当時の日本鉄道が東北本線を盛岡市まで延伸します。翌年日本鉄道会社副社長の小野義眞は、この広大な荒地を開拓して農場とし、人を呼び込むことを思いつきます。そこで鉄道庁長官の井上と、三菱財閥を引き継いだ岩崎に働きかけ、一大プロジェクトが動き始めます。 <国指定重要文化財 4階建て倉庫> 岩手山南麓のこの地は、岩手山の相次ぐ爆発で降り積もった火山灰で土壌は強酸性でした。おまけに岩手山からの湧き水による湿地がいたるところにありました。誰も手が出せない広大な土地があったのは、そのためです。まともな農場が出来るまでは40年以上かかったと言われます。最初の計画は明治時代。土壌の改良や植林は昭和初期まで続きました。 <牛舎とサイロ 黒いロール状のものは牛の餌となる牧草を発酵させています> 開発に必要な経費のほとんどを三菱が負担しました。今でも会社は三菱本社ビル内にあります。三菱初代社長岩崎弥太郎は、坂本龍馬が土佐藩の経費で創設した亀山社中(海援隊)の資産を膨大な負債と共に引き受けて日本最大の財閥に育て、弟の弥之助がこれを引き継ぎました。 農場内には小型の天文台があります。夜間照明などのない農場は、星の観測に最適でした。 <牧草地で草を食む羊たち。昼食に出たジンギスカンも彼らの恩恵です。> <農場でも最古のレンガ製サイロは老朽化のため使用されておりません> <上丸(かみまる)牧舎と放牧地全景。夏の日差しを避けるため、必ず木陰を設けます。> この牛舎では農場で最も優秀な乳牛だけを育て、搾乳しています。感染を防ぐため、見学者は必ず靴の底を消毒してから牛舎に入る規則になっています。モー大変です。<続く> 今日は長崎のブロ友ローズコーンさんの手術日です。どうぞお元気で手術を受け、無事病室に戻ってくださいね。成功を祈ってますよ~!!
2019.06.05
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~マックス爺の日常から~ ユズの花 4月の末から急に走り出して、結局5月は9kmコースを10回と11kmコースを1回走った。まあ実際は歩いている人よりも遅いのだけど。ゆっくりのため体への負担はないと考えていたのだが、ある朝右膝に痛みが走った。帰宅後エアサロンパスと「氷嚢」で冷やし、それ以降は膝サポーターを付けて走っている。ウグイスの声を聞きながら、そして風のそよぎを感じながら。 柿の花 真夏日になった数日の間は、庭や畑にホースで水を撒いた。クンシラン、シンビジウムの鉢を、日陰へ移動。居間の前庭のハーブとミヤコワスレを引き抜いた。あまりにも茂り過ぎて、植木を覆うほどになったためだ。涼しい朝のうちの草取りと農作業は案外心地良い。高温続きで野菜の成長が著しい。玉ねぎとジャガイモの収穫も近そうだ。第1日曜日の朝は、町内会の草取り。30分間でも結構疲れる。 カリフラワー 先日まで小さくて真っ白だったカリフラワーが、大きくなって少し黄ばんで来た。それ以上畑に置いても硬くなるばかり。それに虫に食われてしまうため、鎌で切った。もう茎は固くなっている。3分の1ほどを切って圧力鍋で煮た。さすがに果肉は柔らかかったようで、グショグショ状態。その茹で汁を利用し、味噌汁を作る。具は「弱った」白菜、油揚げ、豆腐。そろそろ暑さで野菜の傷み方が早そう。ブロッコリーの脇芽 洗濯しようとして座布団カバーを外した。目下座椅子などに使っている薄い座布団。そのカバーがよれよれになっていた。中の座布団の生地も安物だが、カバーよりはまだ良い感じ。そこで洗うのを止め、3枚とも捨てることに。夏らしくサッパリ。不要なものはドンドン捨てよう。腐りかけた和室前庭の垣根も外してゴミに出す。ランニング同様、スローペースの断捨離だけど。 トマトの赤ちゃん ミニバラが咲き始めた。クリーム色のとピンクのとがほぼ同時に。小さな蕾が膨らみ、やがてたくさんの花が開いた。植木鉢のクジャクサボテンが咲き始めた。小さくて全開ではなく、色も決して鮮やかとは言えないが、例年より1か月は早いように思う。トマトに実が生り始めた。高温と適度の水分で、みるみるうちに成長する植物たち。 「小岩井農場シリーズ」にこのシリーズを適宜挿入することにした。さて今日は長崎のブログ友、ローズコーンさんが入院される日。頑張らんば姉上さま。<飛び飛びに続く>
2019.06.04
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<このブログを今は亡きブログ友ニッパさんに捧げる> <小岩井農場の一本桜:春> 岩手県滝沢市にお住まいだったブログ友ニッパさんは、74才でこの世を去られました。死因はがんだと記憶しています。岩手山麓に自宅があった彼のブログには、岩手山の雄姿がたびたび登場して私たちの目を楽しませてくれたものでした。先月ツアーで小岩井農場を訪れた私は、残雪の岩手山を何枚か撮影しました。こよなくこの山を愛した彼を偲び、本日のブログを亡きニッパさんに捧げます。合掌。 <小岩井農場に向かう県道から望む岩手山> <農場の森越しに望む岩手山> <「列車ホテル」越しに望む岩手山> 5月12日現在の岩手山の雪形(ゆきがた)。山の中央部に「キジ」の雪形が見えます。こちら側から見た山頂直下の右側には、もっと早い時期に「大鷲」の雪形が見えます。それらはすべてニッパさんから教わったものでした。 <農場の牧草地(手前)及び樹林越しに望む岩手山> <小岩井農場から見た岩手山の全容> <新緑の樹林越しに望む岩手山> <牧草地越しに望む岩手山> <ハイキング中のツアー仲間と岩手山の雄姿> <広大な牧草地と残雪の岩手山> <重要文化財指定のサイロ越しに望む岩手山> <一本桜と岩手山 夏> <岩手山に関するデータ> 標高2038mの成層火山。最新の噴火は明治8年(1919年)。 日本百名山の一つで別名南部片富士。昭和31年(1956年)十和田八幡平国立公園に指定。 <雫石スキー場と三角山遠望> <補記>長崎のブログ友ローズコーンさんが明日6月4日入院されます。その前に山の写真をぜひ見ていただくため、急遽予定を変更して岩手山の特集にしました。きっと亡きニッパさんも喜んでくださることでしょう。ローズコーンさん頑張って手術に臨んでくださいね。一日も早い平癒をお祈りしています。なお病院へタブレットを持参し、私たちのブログを見てくれると聞きました。<続く>
2019.06.03
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<ハイキングとバーベキュー> ハイキングのスタート地点はここ。実はバスの車窓から予め撮ったもの。私たちを歓迎するかのように咲いている菜の花畑の奥に、なだらかな丘と林が見える。全て明治時代に開墾した跡地なのだ。 左はガイドさんで農場の職員。前方左手奥に、雪を戴いた岩手山が見える。右は小岩井農場方面に向かう県道。ちょうど新緑が始まり出してとてもきれい。私は小走りに前方へ行き、ガイドさんにぴったり寄り添った。その方が面白い話が聞けることを知っていたためだ。登山の際などはこのため、何度か班を組み直すほど。不公平にならないための措置だ。 県道から別れ、木戸を開けて農場の敷地内へ入る。一部坂道もあったが、ほとんどは平坦。やがて牧草地の向こうに列車が見えた。あれはかつてホテルとして使っていた列車。旧国鉄からの払い下げ品で、今は休憩場所として利用している由。 これは観光客を乗せるための車。トラクターでけん引するのがいかにも農場らしくてユニークだ。 やがて前方に見事な杉の美林が見えだした。日陰が涼しくて心地良い。元々ここは岩手山の火山灰が降り積もり、湿地が続く不毛の土地だった由。それを明治時代に開墾して農場と牧場に変えた。それまで40年以上かかったそうだ。杉は枝打ちされ、林の中にも日が注いでいた。だが一番外側の道路に面した樹だけは枝打ちをしていないため、こんなにも見事な風景が見られるのだ。100年後の風景を想像しながらの計画と言う壮大な話に驚いた。 職員に抱っこされた犬は牧羊犬(「ぼくようけん)で犬種はボーダーコリー。人間の臭いが移らないよう、観光客は触れない約束とのこと。この後、まだまだ歩き続けて農場内の色々な施設や、水辺のミズバショウ、残雪の岩手山などをたっぷりと堪能した私たちだった。 牛と並んで記念写真を撮るツアー客。後ろの羊は本物ですが、残念ながらこの牛は「偽物」です。ゴメンなさいね。モー。 これが午後1時半ごろに戴いたこの日の昼食。左は焼きホタテ。右は和牛のステーキとジンギスカン料理。野菜スープとご飯。パンフレットの「イメージ」とは全然違いますが、私にはこれで十分。従ってリュックの中の弁当箱は出番がありませんでした。 小岩井農場の特産品を紹介します。上左:チーズケーキ 上右:バターケーキ 下左:乳製品各種 下右:土産品各種 濃厚な牛乳やソフトクリームがお勧めとか。私はすべて「忍の一字」でした。<続く>
2019.06.02
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~5月の旅に選んだ先は~ ツアー会社4社から届く案内の中から、どこへ行きたいかを決めている。6月末には台湾へ行くため、5月は近くの安いツアーで十分。それも極力健康的なものが良い。そこで選んだのが「小岩井農場ウォーク」。日帰りで9千円弱。歩く距離は7km。写真を見る限り平坦みたいだし、きっと大丈夫のはず。私の場合、一番心配なのが体調。かつては半年先のウルトラマラソンでも自信があったのだが。 旅行日は5月12日(日)の1日限定。そうなると心配なのがお天気だが、幸いにして絶好の好天。それに体調もまあまあで良かった。隣の席は男の人。奥さんはいないのだろうか。そう思ったが心の中に止めた。点呼を終えて出発。東北道を北上し、一路岩手県へ。前澤SAで最初のトイレ休憩。前方に雪を頂いた山が見えた。どうやら焼石岳(1548m=岩手県)のようだ。 昼食のバーベキューはハイキングの後、13時ころと聞きSAで菓子パンを買って食べた、隣の方がくれたケーキはポシェットへしまった。写真はパンフレットに載った昼食のバーベキュー。名高い小岩井農場なら量はたっぷりあるだろう。そう考え、実は弁当箱も用意していた。余ったらもらう積りで。だが、写真はあくまでも「イメージ」。実際は丁度良い量で、余ることはなかったが。 農場の一本桜 盛岡を過ぎると右手遠くに姫神山が見えた。観光バスはそこから西へと向かう。「小岩井農場」。その名前は知っている。宮沢賢治も訪れたはず。岩手山を背景にした「一本桜」の写真も見たことがあった。今は亡き岩手のブログ友、ニッパさんがよくブログに載せていた岩手山。それは私にとっても懐かしい存在だった。なぜなら「いわて銀河ウルトラ」のゴールが南麓の雫石町だったためだ。 その岩手山が車窓から見え始めた。カメラを向けて撮ろうとするが道が曲がりくねり、森や林に隠れてしまう。ああ残念。あんなにきれいに見えるのになあ。県道から農場への道に入ると、右手に長い菜の花畑。ああ、ここはパンフレットに乗っていた場所。この後始まるハイキングは、一旦ここまで戻ってスタートするようだ。桜がまだわずかに咲き残っていた。岩手の春は遅いようだ。 農場に到着すると、真っ先にトイレ休憩。その後再びバスに乗って、先ほどの菜の花畑まで戻る。ここからガイドさんが同行した。農場の職員だ。さて今日のハイキングはどんなコースで、農場では何が見られるのだろう。楽しみに歩き始めたのだが、1人のお爺さんが遅れ始めた。このツアーで歩くことを知らなかった由。途中でショートカットし、直接農場へ入園した由。旅ではまれに予想外のことが起きる。<続く>
2019.06.01
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