全31件 (31件中 1-31件目)
1

<ハッピーハロウィン> 今日は旅の3日目。姫路城を見学後伊丹空港から仙台空港へ帰って来る予定です。 本日10月31日はハロウィンを祝う日らしいですよ、皆さん。 100円ショップで揃えたような安物のグッズ。それもかなり前から飾っているお宅。 このお宅が引っ越して来たのは確か5年ほど前だったかなあ。それからは毎年ハロウィンとクリスマスの時期になると塀の柵にこんな飾りつけをして、道行く人を楽しませてくれています。 これはジャズフェスティバルの時に街で見かけた飾りつけ。まだ9月初旬だったのですが。 これはキャンディーがいっぱい入った袋。仮装した子供たちが各家を訪ねてこう言います。「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ」ってね。だからこうして準備してるってわけ。 これは玉ネギの苗を買った園芸店で見かけたハロウィンの飾り。良く出来てるでしょ。 これは最近新築した家の玄関前に置かれている人形。恐らくは「7人の小人」のお爺さんなんでしょうが、こんな風にサングラスをかけています。きっとユーモア精神に溢れた住人なのでしょうね。 これは先ほどの園芸店で売っていた本物のカボチャ。ちゃんと値札がついています。 こちらには巨大なカボチャ。どうやら飾り物じゃなさそうですが、本当に食べられるのかなあ。 これはわが家のカボチャ。この後、ちゃんと料理しましたよ。 ここからはネットから借用した無料のイラストです。 こんなに楽し気なハロウィンなのに、私が思い出すのは悲しい出来事なのです。 それは何年か前のこと、アメリカに留学した日本の高校生がハロウィンの夜に仮装して、間違って知らない家の敷地に入ってしまった時、「stop!」と言う家人の声が聞こえずに前進し、銃で撃たれて死んだ事故です。その高校生は文化の違いを知らなかったのでしょうね、きっと。ハロウィンの夜でさえ、危険だと感じたら銃を撃つ人がいることを。ハロウィンにまつわる悲しいお話になりました。ソーリー。
2019.10.31
コメント(8)

~園芸店の店先などで~ 今日は旅の2日目。鳥取の足立美術館や鳥取砂丘、島根の出雲大社を訪れる予定です。昨日から留守中のブログを予約機能を使って書いています。簡便な内容ですが、よろしくお付き合いくださいませ。 先日5kmほど離れた園芸店へ、タマネギの苗を買いに行きました。これらの花は、その店で売っていたものです。冬の庭を飾るためかパンジーやヴィオラが多いみたいですが、その他にもたくさんの花々が並んでいました。 小菊も何種類かありますねえ。わが家の庭の小菊も、少しずつ蕾が膨らみ始めました。旅行から帰宅した頃には、きっと咲き始めるのではと楽しみにしています。 下の花はマーガレットかデージーか。白い花も可愛いですね。 中には一本仕立ての菊の花(左端)もありましたっけ。菊は秋の花の代表格かなあ。 帰宅途中の公園で見たヒマワリ(向日葵)の花。夏の花もそろそろお終いですね。 ヒマワリの隣にはこんな可憐なフヨウ(芙蓉)の花が。塀の上から覗き込むようにして撮影。 ここからは秋の実を少しだけ追加で。これはハナミズキの実かな。 近所のお宅の小さな柿の木には、今年もたくさんの実が生りました。 ピラカンサは秋の定番ですね。どこの家の庭にも良く植えてあります。 これは園芸店で見かけた植木鉢の実。もう萎れてシワシワです。
2019.10.30
コメント(10)

~逆光・車窓の風景・夕空~ 10月20日。5km先の園芸店へタマネギの苗を買いに行った帰り道で撮影。 この道は月1回の俳句教室に自転車で通る道。道路の真ん中にとても広い緑地帯があります。 その緑地帯に植えられた木がとても高いのですよ。ポプラなのかユリノキなのかは分かりませんが。 時間は午後。まだ夕方前なのに、逆光で日が翳(かげ)っています。私の大好きな逆光ですね。 ここからは10月23日。山寺でハイキングした帰路、仙山線の車窓から見た風景です。 列車の速度に思わず手ブレ。それもまたスピード感が出て良いものです。 西の方に太陽が沈んで行きますが、列車は山形から東の仙台に向かっています。 前日までは大雨でしたが、この日の山形は晴れ。何とか山に登れましたよ。 仙台が近づくにつれて、建物が増えて来ます。ビルの向こうに沈む夕日が見えます。 自然あふれる夕景も良いものですが、都会の夕日も情緒がありますね。 最寄り駅で降り、そこから自転車で自宅へ向かう途中です。 わが家の近くの国道。道のはるか向こう、奥羽山脈を越えると山形県です。 10月20日。自宅から見た夕景。 こちらも同様。居間から南西方向を見ています。 10月23日。ハイキングから帰宅後のガレージから見た柵の上部。 バラの蔓の中から夕空が覗き、裏の家が少しだけ見えます。私はこんな影絵が大好きです。 さて、今日から3日間家を留守にします。山陰方面へ旅行するのです。その間のブログは既に予約しています。いただいたコメントに返事が出来ないこと、またブロ友さんの所へお邪魔出来ないことを予め申し上げます。ゴメンなさいね。では皆様行って来ま~す。
2019.10.29
コメント(12)

~園芸店の果物~ 10月20日。5km先の園芸店でタマネギの苗を買ったことは既に書いた通りです。その行き帰りに、ポプラだかユリノキだかの影絵を撮ったことは昨日紹介しました。 その園芸店では野菜の苗や種、たくさんの花や野菜も売っています。そして季節ごとの果物もたくさん置かれています。今回はそれを撮らせてもらいました。 私にとってはほとんどの物がブログネタになるのです。実はこの日、川の写真も撮ったのですが、果たして出番があるかどうか。 <分かりづらいですが、これはブドウです。> そうそう、思い出しました。この店では「静物」も撮りましたが今は内緒にしておきましょう。 赤いリンゴに黄色いリンゴ。バラ売りのもの、袋に入ったもの、皿に盛られたものと様々です。 これは山形産のラフランス。洋ナシの一種です。形が悪いため、安売りしています。 これは芋じゃないですよ。アケビ(木通)の仲間のムベ(郁子)。売ってるのは珍しいかも。 昔はブドウと言えば、ほとんどがこの甲州ブドウでしたよねえ。 梨は宮城県内でも栽培しています。柿もあるけど、これは福島産かなあ。 岩手県や秋田県の名前はあまり聞かないけど、青森県のリンゴ、福島県の桃や柿、山形県のサクランボ、ブドウ、ラフランスは有名ですよ。宮城は無し、いや蔵王町の梨くらいかなあ。 古くなるとこんな風に値下げします。左は9個で150円の柿だよ。 3個で250円のラフランス。これはまだ食べごろにはなってませんね。 この日私が買ったのは、タマネギの苗10本で800円。写真のトウガン(冬瓜)が200円。そして6個で100円の完熟柿でした。タマネギの苗はその日の夕方に全て植え、トウガンは翌日一度圧力鍋にかけ、豚肉と一緒に別の鍋で煮ました。トロトロで美味しかったですよ。完熟の柿は4個ほど潰れ、1個は捨てたものの、その日のうちに3個食べました。あれは糖分の摂り過ぎだったかもねえ。
2019.10.28
コメント(16)

~わが日常と若干のニュースを交えて~ 台風21号が通過した翌朝、私は近所の小川を見に行った。台風19号の大雨で土手の土が大きく削られ、急遽土嚢を積んで対処していたのだが、それが気になっていたのだ。真夜中は大変な流量だったのだろうが、朝には治まっていた。それでも濁流が一番下の土嚢を洗い流している。千葉県と福島県には大きな被害をもたらした。わが宮城県内の損害も大きく、亡くなった方や家を失った人たちが気の毒だ。 カーペットが一部光っている。ああ、あれはナメクジが這い廻った痕だと直ぐに気付いた。台風接近で寒かった前日、ヒーターを点け、空調機を点けた。それで先日取り込んだ植木鉢の中に潜んでいたナメクジが外へ這い出したと言う訳。可哀そうなのでティッシュでつまみ、外へ出して上げた。折角の命、助かった方が良いに決まっている。 台風が来る前に買い物に行った。乾電池が切れ、血圧計が作動しなくなっていた。食料品に必要な医薬品。消費税が上がる前から値段を上げているように感じていたが、特段の対策は取らなかった私。まあ生産者側もスーパーも、そして物流業者も値上げする正当な理由があったのだろう。独り暮らしの老人としては、無駄な買い物をほとんどしないのが最大の防衛策。あくまでも地道に暮らすのみだ。 山寺へハイキングへ行ったその夜。就寝中に動悸がする異常を感じた。これは不整脈の勃発か。翌朝の血圧測定時にも脈拍数に異常の表示。山寺の石段1100段往復と修行地探訪の山道が、全く運動をしていない私には堪えたのだと思う。足腰はガタガタ。鼻水が出るのは、恐らく人ごみで風邪のばい菌をもらったのだろう。何せほとんどが家にいる日常。家の外がばい菌やウイルスの天国なのを今さらながら感じた。 日本シリーズではソフトバンクが4連勝して日本一に輝いた。やはり選手層が厚いチームは強さが違う。わが東北楽天の嶋捕手が自由契約となった。年俸をかなり減額し、かつコーチになって欲しいとの球団の要望を蹴り、現役選手として生きる道を選んだ。頑張れ嶋、長い間どうもありがとうね。ラグビー日本代表HCジェイミー・ジョセフ氏の続投を決めた協会だが、果たして受けてもらえるかどうか。 神戸の教師いじめには驚いた。同僚の後輩教員に対して、男女4人で行った悪質で壮絶ないじめの数々。他の女性教員との性的な行為を強要したことも判明している。いじめを受けた教師は、PTSD障害になって教師を続けられなくなった由。それを目の当たりにした子供たちはどんな気持ちだったかと思うと、いたたまれない。神戸独自の教員人事がもたらした弊害。それを見逃して来た前校長、現校長の責任は重大だ。 タマネギ男の妻が逮捕された。その直前に自ら法相を辞任した夫。数々の疑惑がありながら、あえて法相に任命した文大統領の責任は重大だ。即位礼正殿の儀列席の際安倍総理大統領からの親書を手渡した李首相。結局は形だけだったようだ。安倍総理は5日間で62名の外国要人と対談した。李首相とも20分間対談したが、実質具体的な提案はなしのまま。あの国はそんなもの。元々期待はしていなかったが。
2019.10.27
コメント(8)

<ささやかな楽しみ> そろそろタマネギの苗が売り出される頃。そう思って園芸店に電話すると「ある」との話。そこで早速買いに行った。100本で800円。帰宅後南の畑の3か所に分散して植えた。苗100本ともなると、わが家の狭い畝1つでは植え切れないためだ。ようやく植え切り、じょうろで散水。その後、タマネギネキリムシ対策用に薬を撒いた。文字通りタマネギの根を切って枯らす悪い虫が卵を産み付けるのだ。 キャベツが結構大きくなって来た。これは9月初旬に苗を植えたもの。やはりこれも蝶々が卵を産み付け、青虫になって葉を食い尽くす。そのため1度だけ薬剤を撒いた。もう食べられる時期。3個あるのでゆっくり食べたらある程度の期間は持ってくれるのではないか。この1週間後に見たら、何と鳥に突かれた痕があった。きっとヒヨドリのせいだと思う。危ない危ない。 東の畑の大根も結構大きくなった。そこで先日1本抜いて煮物にし、葉は油で炒めた。そこまでは良かったのだが、先日見たら葉が散々食い荒らされている。犯人は黒い小さな毛虫。これは蝶々の幼虫ではないと言う。ネットで調べたら「カブラナバチ」と言う蜂の仲間の幼虫だ。食べるのはカブだけでなく、アブラナ科全般の葉。大根もアブラナ科の仲間。早速薬を撒いたが大根本体の成長には影響しないはず。 これは裏の畑の小カブ。これでもう食べごろだ。このまま放置すれば根茎が堅くなるだけ。こちらもカブラナバチの幼虫に葉を食い荒らされているが、あまり問題はないため薬は散布しなかった。 こちらは南の畑の白菜。少し結球が進んで白菜らしい形になりつつある。蝶々の幼虫の青虫の餌食になっているようで、薬を散布した。 これがベランダから見た南の畑。庭の一部なのでさほど広くはないが、タマネギの苗、白菜、キャベツの様子が分かるはず。葉が青々と茂っている苗は、ブロッコリーとカリフラワー。こちらの結球はこれから。右端に見えるのが雲南百薬。まだ葉が収穫出来るが、霜が降りる頃には根っこだけ残し、蔓は全て切って捨てる。その姿で越冬させるのだ。 ユズ(柚子)の成長も順調だ。先日の剪定の際に間違って4個落としてしまったが、絞り汁を焼酎に入れて飲んだらとても爽やかで美味しかった。熟れる前の青い果実でも役に立つんだねえ。 こちらは渋柿。植えてから3年目のまだ若い木なので、最後まで落ちなかった実は3個だけ。それを干し柿用に加工した。去年は1個だけだったが、さて来年はどうだろう。とても楽しみだ。 こちらは収穫物の加工品。左側はキュウリの古漬けとモロッコインゲンのお浸し。大量に獲れたため、漬物や茹でて冷凍保存していた。右側は今年収穫した青梅で作った梅干し。今後2年分は食べられるくらいの量がある。この他物置にタマネギとジャガイモを保存中。これらも今年いっぱいは持つくらいの量がある。野菜が高い昨今、わが家にとっては貴重な資源となっている。まさに一石三鳥かな。 ところで台風の被害はなかったでしょうか。15号、19号と続けて大きな被害が出たこの秋の台風。そこへ今回の21号が日本列島の東側をかすめて通過しました。今回は雨と風をもたらし、2回の雨で決壊した河川の堤防や、大雨で起きた土砂崩れなどにさらなる影響があったのではと心配しています。被害に遭われた地区と方々に、心からお見舞い申し上げます。
2019.10.26
コメント(10)

~恐れながら写真をお借りして~ 10月22日火曜日。午後1時から即位礼正殿の儀が執り行われた。天皇陛下が即位したことを天下に宣言する日だ。詔(みことのり)を読み上げる天皇の声は、少し緊張しているように感じた。それはそうだろう。日本国民に対し、天皇としての務めを果たす責任感をひしひしと感じられていたのだと思う。父上皇陛下の思いにも触れ、平和な世の中の実現を強く希求されている気持ちが、詔には満ち溢れていた。 上皇陛下の第一子として誕生して浩宮親王となられ、やがて皇太子となられた。オックスフォード大学に留学され、この度初めて外国に留学された天皇となった。ライフワークは水の研究。水運に始まって、水利の研究、そして世界の水資源問題にまで心を砕かれている。父上皇に続いて、民間人を妃とされた。そして全力で妃を守ると宣言されたことも麗しいことだ。 皇后となられた雅子様は、外務省職員として外交の経験がある。実父小和田氏が長く外交官を務め、外国生活にも慣れ、名門ハーバード大学を卒業された才媛。強く望まれて皇太子妃となり、長女愛子内親王を生まれたが男子には恵まれず、女性週刊誌などのバッシングにあって適応障害を発症。長く治療を受けられていた。それに耐えて、目出度くこのたび皇后陛下になられた。 直系男子によって継承される天皇制は、世界でも例がない長い歴史を持つ家系。男系皇族が極端に少ない今は、皇位継承第1位が弟の秋篠宮殿下で、第2位がその長男である悠宮親王。あとは独身の内親王が数名しかおらず、このままでは天皇制の維持が困難と危惧されている。女系天皇の承認や、旧宮家の皇族復帰などが取り沙汰されているが、早急に検討すべき課題だ。 振り返れば上皇后殿下美智子様もバッシングに遭って、声が出なくなった時期があった。今は秋篠宮長女の眞子さまが婚約者問題で週刊誌に取り上げられている。国民の関心が高いとは言え、皇族のプライバシーに関わることをあからさまにすることはいかがなものかと思わずにはいられない。戦後の皇室は、象徴天皇に代表される平和の担い手。外交をはじめ、内政に関しても皇室の果たす意義は大きい。 即位礼正殿の儀には世界の180か国・地域が参列してくれた。また国内外から約2千名が祝賀の宴に招かれた。そして皇居付近には、両陛下の姿を拝見して共にお祝いしようと、大勢の国民が各地からやって来て手を振り声を上げる姿があった。正殿の儀では、安倍総理の衷心からの祝辞と万歳三唱に、胸が熱くなるものがあった。外国からの賓客たちは、この儀式をどんな風に感じたのだろう。 あの日、私は長時間テレビに釘付けだった。実は天皇陛下が詔を発せられた高御座(たかみくら)を私は観たことがある。場所は奈良市の平城京跡地に復元された大極殿の中。そこに高御座が置かれていた。もちろん複製品だが、それでもその大きさと立派さに驚いたものだ。今回雨でなければ幡(ばん)が並ぶ前庭に、平安時代の衣装に身を包んだ宮内庁職員が立ち並ぶ予定だった由。 次の正殿の儀を、私が観ることはないだろう。そして次の年号を知ることもないだろう。だが今回の式典をテレビで観て、令和時代が令(うる)わしく和(やわら)ぎに満ちた世の中であることを切に願っている。正殿の儀に参集された世界各国の首脳と安倍総理との会談が、引きも切らずに行われた由。その中には大統領の親書を持って来られた韓国の李首相もいるが、果たしてどんな対談が出来たのだろう。
2019.10.25
コメント(16)

~沼を巡る~ 9月の末に散歩したA公園の3回目。相変わらず平凡な風景だ。黄葉はまだ始まったばかりで、わずかに色が付いた程度。人間の目から見るとそれでも結構きれいなのだが、カメラのレンズを通すとさほどでもなく感じるのはなぜなのだろう。 あれほど暑かった夏はとうに過ぎ、今は真っ青で輝くほど美しい秋空だ。 ほら、向こうの木々がほんのりと色づいているね。ここにも小さな秋。 手前のケヤキの葉は青々としていたが、今はどんな具合かなあ。 これはカツラの枝。と言っても桂三枝じゃないよ。 カツラの木の下に見えるのがA沼。葦が低く茂ってるよ。 沼の表面に見えるのはヒシ(菱)。実には棘があるけど、中身は食べられるんだよ。 ヒシが育ち過ぎても困るんだよね。腐ると沼の水が酸素不足になるんだよ。 木橋の上から沼を見るとこんな具合。 こちらは反対側の用水路。溢れた沼の水がZ川に注ぎ、さらに一級河川に注いで太平洋へ。 これは沼に居付いているカルガモたち。何年か前の大雨の時は、ヒナが用水路に流されて心配したんだけど、半月ほどしたら大きくなってまた沼に戻っていたね。 これは帰り道で見た木。ほんのり色づいているよね。今頃はもっと赤くなってるはず。また散歩に行かなくちゃ。
2019.10.24
コメント(8)

<影であそぶ> <秋晴れの家> <階段と居間> <和室1と朝日> <和室2と夕日> <居間その1> <洋室1> <左=洋室1 右=洋室3> <居間その2> <洋室1の壁に映るカーテンの影> <デスク横の窓から射し込む朝日> <居間の窓辺に置いたオリヅルラン(折り鶴蘭)> <居間のカーテンの光と揺らぎ> <キッチンの裏口(左)とわたしの影法師(右)> <居間のカーペットに映るわたしとカーテンの影> 台風の日に下ろした居間のシャッター そして再び光が復活した日 こんな風に、室内の光線の変化を楽しんでいる爺です。 そして、もしも体調が良くて早く起きられた場合は遠出をし、帰宅は夕方過ぎになります。コメントへの返事が遅くなりますがどうぞご容赦を。
2019.10.23
コメント(16)

<宮城県の土偶> さて再び土偶の話に戻る。東北歴史博物館で開催された特別展『蝦夷 ~古代エミシと律令国家~』(11月24日まで開催中)を観るのが目的だったが、企画展「宮城の土偶」にも興味があった。65枚ほどの土偶の写真を撮った。あえて4回に分け、その間隔を開けた。理由は専門的な内容の記事を4日連続では飽きると思ったのだ。それで土偶同様にバラバラに分けた次第。 それで写真の説明も簡単にした。到底専門的なことを書く能力がないからだが、こんな地味なものにも読者が関心を持ってくれただけで嬉しい。明らかに縄文人は私たち日本人の祖先。その遠い祖先たちが、なぜこのようなものを作ったのか。それを感じ、考えてもらえたら嬉しい。それが私の願いだ。 縄文土器は世界で最も古い土器と言われている。彼らが作った土偶にも、彼らの宗教性や思想が強く反映されている。今よりもずっと人口密度の薄かった時代に、人々は肩を寄せ合うように協力しながら暮らしていた。 それで平均寿命が37歳と言う、彼らの生活が維持出来たのだ。37歳は短いと思う人が大半のはず。だが数十年前までのインド人の平均寿命は40歳以下。女性は15歳くらいで結婚し、30歳くらいでお婆さんになるのが普通だったと聞く。 子孫繁栄と健康を祈って土偶を作り、自らの身代わりにせっかく作った土偶を壊した。壊すことによって人は長生きし、幸せを得る。現代人から見たら不思議な感覚だが、後の人形も全く同じ思いで作られたことは既に書いた通りだ。 こんなあどけない顔をした土偶を作る縄文人の凄さは、当時から既に広範囲の交流をしていたことだ。青森市の三内丸山遺跡には、北海道から矢じりやナイフの材料になる黒曜石(こくようせき)が、岩手県からは琥珀(こはく)、秋田県からは接着剤になるアスファルト、そして新潟県からは翡翠(ひすい)が届けられている。もちろん当時は丸木舟しかない。その小舟で海を渡っていたのだ。 もっと驚くのは釧(くしろ=腕輪)の材料であるイモガイやゴホウラガイなどが遥々運ばれて来たことだ。それらは沖縄近海でしか獲れない種類の貝。そして沖縄の宮古島でも縄文土器が発掘されている。そのことでも縄文人の能力の高さが分かるだろう。 私たちが習った縄文人は、採集生活をしていたと言うことだった。男は海で魚や貝を獲り、山では獣や鳥を獲った。その間女たちは機を織り、木の実を拾った。そんな風に教えられて、縄文人のイメージが定着していた。 だがその後の研究で、縄文人が作物を栽培していたことが分かった。粟(アワ)や稗(ヒエ)などの穀物や荏胡麻(エゴマ)なども。そして食料として確保するために大規模の栗林(三内丸山)や、塗料や接着剤としての漆(ウルシ)の栽培(八戸市是川遺跡)も確認された。 さらに驚くことに、これまで弥生時代から始まると考えられて来た稲作が、実は縄文時代から行われて来たことが分かっている。ただし、水稲ではなく陸稲(おかぼ=焼畑による)なのだが。その可能性について、私は23年ほど前の職場の研究者から話を聞いていたが、まさか本当だったとは。 そして弥生時代の始まりも、これまでより500年も古いと考えられることが分かって来た。それに加えて分子生物学の進展。DNA解析によって人類の遺伝子がほぼ正確に確認され、祖先が辿った道のりまでが判明し出した。ただし男子と女子とでは判別出来る遺伝子の型が違うのだが。 いやはやとんでもなく話が脱線したようだ。私は夢中で土偶の写真を撮りながら、一抹の寂しさを感じていた。それは宮城の土偶は少し貧弱なように感じたからだ。八戸市是川遺跡の合掌土偶(下A)、青森県亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶(下B)のような凄さはない。それに新潟県の火焔型土器(下C)のような物凄いエネルギーの土器も県内では見つかっていないからだ。 A B C<参考資料> A合掌土偶(青森県八戸市是川遺跡出土) B遮光器土偶(青森県亀ケ岡遺跡出土) C火焔型土器(新潟県立歴史博物館所蔵) いすれも国宝または国宝級のものです。 でも他県の遺物と比較する必要もないだろう。それらの地区は縄文時代の先進地帯だったのだ。それだけ海流を通じての交流があったのだろう。だがこの土偶を見直したら、ちゃんと服を着ている。まんざら劣っているわけでもないだろう。そう思うことにした。 そしてちゃんと遮光器土偶になってるもの(上)や、ユニークなハート形の顔の土偶(下)もあるしね。ちなみに「遮光器」と言うのはイヌイット(かつてはエスキモーと呼ばれていた民族)が雪の反射光を避けるためにかけている「眼鏡」に似ていることからの命名。 そして展示室を出てから驚いた。なんとそこには「撮影禁止」と書かれていたのだ。前回は撮影許可だったのですっかりその気になっていた自分。しかしなぜ撮影禁止なのかが分からない。撮影して困ることがあるのだろうか。展示品が各市町村からの借り物だからなのか。論文が未発表のためなのか。著作権があるとも思えないし、逆に良いPRになると私は思うのだが。とも角ここは謝っておこう。<完>
2019.10.22
コメント(12)

~わが日常+スポーツ~ 「ピンポーン」。玄関のチャイムが鳴って出て行くと、Kさんの奥さん。今年の班長だ。「明日の防災訓練は大雨のため中止になりましたので、黄色の旗を出さなくて結構です」。「はい、分かりました」。そう答えたものの、心の中では「あららら」とつぶやいていた。カレンダーにはメモしていたものの、頭からはきれいさっぱり消え去っていたのだ。 その日、Y旅行者からの封筒が届いた。「おかしいなあ、今頃なんだろう」。私は不思議に思った。ところが中身を開けてみてビックリ。月末に行く旅行の案内だった。「ああ、あれは今月だったのか」。来年1月の大連旅行のことが頭にあって、今月の出雲大社ツアーのことをすっかり忘れていたのだ。そうか、これなら何とかなりそうだ。私がそう思ったのには訳があった。 この日は朝から体調が悪かった。血圧は高く、薬を飲んでも変わらないまま。おまけに体がやけに揺れた。眩暈ではなく、腰がふらふらするのだ。1か月以上続いていた腰痛。運動不足の上に体操すらしない毎日。そのせいで姿勢を保つ筋肉が衰えたのではないか。まさか腰椎分離ではないだろうが。それに頭の中に芯が出来たような感じがし、手先がやけに冷たいのだ。それで朝から暖房を点けていた。 物の名前を思い出せない。あるいは思い出しても直ぐに忘れる。こんな状態では、翌週のハイキングは到底無理。そう感じてお世話役のKさんに急遽欠席のメールをしようと思ったくらいだ。先日内科へ行った際には、血液検査を受けた。7月から2か月ほどずっと体調不良のままだった。あの時もドクターには血液検査を申し出たのだが、なぜか取り合ってくれなかった。私は不調時のデータを確認したかったのだが。 木曜日の俳句教室の日の体調はまあまあ。提出した兼題の3句にもまあまあ自信があった。だが講師の反応は今一。私にもそうだが、教室の空気が全体的に重たい。体調が良くないのか、いつもの鋭さに欠ける講師。来月の兼題は「初冬や」と「立冬や」に決まった。これなら「十月や」よりはまだマシな感じで、帰宅後立て続けに10句ほどを詠んだ。作品のことは改めて書きたい。 外に出していた植木鉢のうち、寒さに弱いものを室内に取り込んだ。最低気温が10度を割る日が出て来た。日中も20度に届かず、私自身も用心して厚着をしている。初めて抜いた大根で煮物を作った。葉は刻んで、練り物と一緒に炒めた。この他シチュー、野菜サラダを作る。体がふらついても、ゆっくりなら大丈夫。保険屋さん来てもらい、受取人の住所変更手続きをした。 金曜日はプロ野球のドラフト会議があった。大船渡高校の佐々木投手は4球団の競合。残念ながらわが東北楽天は彼を指名したが結果的に逃した。彼は岩手県の決勝で投げなかった。監督の判断だ。無理して投げて優勝し、甲子園に行って連投したら肩を壊す。そうなったらプロに行くどころではない。その判断を私は支持したい。指名された選手、されなかった選手、戦力外通告を受けた選手。まさに天国と地獄だ。 IOCとJOCの協議で、東京オリンピックの男女マラソンと男子競歩は、札幌での開催が決まった。理由は東京の猛暑だ。スタート時間をずらしたり、特殊な舗装をしたり、所々にシャワーミストを設けたとしても、選手への負担があまりにも大き過ぎると言うのがその理由。小池都知事は悔し紛れに「北方領土で開催したら」と悪態をつき、方々から非難を浴びる結果となった。先ずは選手ファーストだろうが。 ワールドカップラグビー準々決勝の日本対南アフリカ。前半は懸命に堪えて小差でハーフタイム突入。しかし後半は南アフリカの怒涛のような前進の前に、日本は反則の連続となった。そして次々にトライとコンバージョンを決められ惨敗。きっと南アフリカはハーフタイム中に作戦を変えたのだろう。お疲れ様ジャパン。初めてのベスト8で終わったが立派だったよ。感激と勇気をありがとうね。
2019.10.21
コメント(8)

<A公園の花を中心に> 沼の傍の遊歩道の脇に、小さなコスモス畑がありました。 その日はまだ台風が来るずっと前の頃で、こんな風にきれいな秋の空が広がっていたんだよね。 ケヤキ林の中にはね、大きめの花壇が2つあるのさ。そこに近づいて。 サルビアは少し褪せて来たけど、そのほかの花はまだまだ元気だねえ。 縦から横から斜めから。まあこんな風に花壇を撮るのも楽しいね。 そして突然こんな風に、少々寂しげな写真も入れるのさ。穴の開いた向日葵の葉っぱと黒い種だよ。 こっちはケヤキの樹を背景にした静かな風景を。 そして再び花壇の花をズームすると、鮮やかな花が引き立つでしょ。 ここは区の公園課の管轄だけど、町内会の方も協力してるのかなあ。 シソの仲間のコリウスが、一段と鮮やかな赤になりましたね。 散策路の傍に咲くミヤギノハギ(宮城野萩)は、県の花です。 芭蕉が「奥の細道」で弟子の曾良と一緒に仙台を訪れたのは五月。残念ながら有名なこの花は見てないのですよ。<不定期に続く>
2019.10.20
コメント(10)

<一抹の不安> 週末の雨が心配だ。もちろん先日大きな被害を出した災害地での雨だ。千葉の大停電を起こした台風15号は典型的な風台風。たくさんの電柱が倒れ、樹が倒れて未曽有の大停電を惹起した。一説によれば千葉県の杉は病気に弱いとのこと。木材としては売れないことも、山林に手が入らない理由となり、倒木につながったのかも知れない。私は漠然とそんなことを考えていた。 一方台風19号は典型的な雨台風。それも100年に1度の規模での降雨量がもたらした災害だった。原因は猛烈な水蒸気が高い山々に遮られて巨大な雨雲となり、台風の速度が遅かったことが災いして集中豪雨となった。24時間降雨量が2か月分を越えた地区もあったとは驚きだ。日時の経過とともに明らかになった被害の大きさとその内容に、国民の多くが驚嘆したはずだ。 私が住む仙台でも2人の死者と1名の行方不明が出た。1か所は普段は水深が50cmほどの小川。だがあの夜は4mほどにもなって、橋の上まで水が来ていたと言う。もう1か所は広瀬川の下流域で、河川敷には広大な耕作地があった。こちらはひょっとして川の増水状態を確認しに行ったのではないか。もし見に行かなければと思わずにはいられないが、残念ながら時間を止めることは出来ない。 長野新幹線の車両基地が水没したことに驚いた。「ハザードマップ」では最大10mの浸水が予想される場所とのこと。千曲川の一部が極端に狭まっていたのが直接の原因だが。不幸にして予想が的中した感じ。長野マラソンを走った時に、河川敷にリンゴや桃の木がたくさん植えられているのを見たが、あれも原因のように思う。浸水の恐れがある新幹線の車両基地が全国で6か所はあるらしい。 利根川や荒川が氾濫するんじゃないかと怖かった。ある方がブログに書かれていた。この2つの川は徳川家康が江戸に幕府を開いた際、河川の流路を変える大工事を行った。結果、利根川は東に向かって銚子が河口となり、荒川は西に向かわせて江戸の氾濫を防いだ。元は2本とも相接して流れ、東京湾に注いでいたのだ。それにしても多くの支流が注ぐ利根川が、良く氾濫しなかったものだ。 それを救った一つが「首都圏外郭放水路」の存在。これは春日部市から江戸川へと緊急に雨水を流す地下水路で地下50mの巨大な暗渠。これが埼玉県東部を水害から守った。もう一つが群馬県の八ッ場(やんば)ダム。旧民主党の主張で工事が中止になるところを、間一髪で救われこの度完成した。貯水量がほとんどなかったところに今回の大雨。ダムが満杯になるまで頑張ったお陰で下流の氾濫が防げたのだ。 本流の水量増加で支流の水が流れ込めずに氾濫した箇所もあった。下水の逆流による氾濫もあった。ダムの緊急放流が遠因となった氾濫もあった。鉄道、国道や県道などの流失や土砂崩れで輸送が不可能となり、通学通勤が困難となった地区や、完全に孤立した集落も多い。飲み水、食料、医療に苦しむ各地の人々。亡くなられた方々の冥福を祈り、被災者の方々にお見舞いを申し上げたい。 不思議なのは山梨県。ここでは堤防の決壊も氾濫もなかった。地形的には周囲を高い山々に囲まれた盆地だらけの県。本来ならば洪水が起きても当然なのだ。考えられるのはかつての領主である武田信玄公の存在。彼は水害を防ぐため川幅を広め、かつ堤防を強化した。重たい神輿を担いで堤防の上を歩かせたと言う「信玄堤」も、流木による堤防破壊防止装置「聖牛」(下)も健在と言うから驚くほかない。 <笛吹川(富士川の上流)に設置されている「聖牛」> 日本は島国であったがゆえに四季の移ろいや豊かな自然が残った。そして独特の文化と歴史が維持された。だが近年の自然環境の変化の大きさには戸惑うばかりだ。高齢化と少子化が問題となって久しいのに、大きな災害まで加わったらこの先どうなるのだろう。美しい日本と子孫を守るためにも、予算をやりくりして災害に強い国づくりをしてほしいと願わずにはいられない。
2019.10.19
コメント(14)

<宮城の土偶3> こんにちは。今日もまたわたしたち土偶のお話よ。お願いだから、もう飽きたなんて言わないでね。 最初にお話したように、わたしたち土偶が壊されているのは、人間に代わって災いを避けるためなの。壊すことによって人間が病気にならないなんて卑怯よねえ。 <新しい命の誕生を祈って>。 でも縄文人の真剣な祈りが、やがて形を変えて行くのよ。 <大きなおなか>たとえば「流しびな」。これはもっともっと後の時代だけど、人間の災いを紙人形に託し、それを川に流して厄払いしたのよ。言ってみればそれが「雛人形」の始まりね。 <生まれて来る子供が健やかでありますように> だから人形は「にんぎょう」じゃなくって、「ひとかた」だったのよ。人の形に作って人に代わって災いを受けてくれたの。縄文の土偶がバラバラに壊されたのも、それと一緒の考え方。つまり「ひとかた」だったって訳よね。 わたしたちの時代から、出産は大事業だったの。だって今のように産婦人科の先生や助産婦さんもいなかったしね。だから母子ともに命を失うケースも多かったのよ。 不幸にして亡くなった赤ちゃんは囲炉裏の周りを掘って埋めたり、住居の近くの墓地に埋めたのよ。それは亡くなった後も、家族の傍から離れないよう大事にされていた証拠なの。 珍しく壊れてない土偶も見つかったようね。時には「アスファルト」や「ウルシ」などを接着剤にして修理した痕のある土偶が見つかることもあるんだって。それらはきっと重要な儀式で使うため、大事にされたんだろうね、きっと。 少しは縄文人の気持ちが分かってもらえたかしら。そしてわたしたち土偶の重要な役割もね。<不定期に続く>
2019.10.18
コメント(10)

~映像の対象としての医療機関~ ここは2週間に1度通っている耳鼻科です。今日は院内の様子と隣の薬局を紹介しますね。 ブラインドに外の木陰が写ってるのを見るのが私は大好きです。 診察室前から待合室を見ると微かに木陰が。 診察室前の絵、夏の海と空の単純な風景です。 待合室の胡蝶蘭は造花なんですけどね。 こちらは隣の薬局。薬剤師さんのアドバイスがとても有益で、助かります。 お子さんはほとんど見えないのに、たくさんの玩具が。 アンパンマンもバイキンマンも仲良くね。 天井からはこんな物がぶら下がっています。 薬を嫌がらないで飲むために・・ あれまあ。ペロペロキャンディーまで売ってるよ。 こんなぬいぐるみも勢ぞろいして。 皆さん、薬局へ行く時は「お薬手帳」を忘れずにね。
2019.10.17
コメント(12)

~開発と地球の仕返し~ ある新聞の連載小説が終わった。タイトルは『流人道中記』で作者は浅田次郎。氏の名前も代表作ともいうべき『ポッポや』が映画化され、高倉健が主役を演じたことも知っていた。話は旗本の某が濡れ衣を弁解せぬまま罪に就き、若い同心に送られながら奥州街道を旅する話。無実の旗本がなぜ一言も抗弁せずに罪を受けるのか。一途な武士の心情が哀れだが、江戸時代の東北の描写にも心打たれた。 韓国のチョ・グク法務長官がついに辞任に追い込まれた。文政権の最期の砦として、人気回復を図った人事だったが、家族と本人の相次ぐ不祥事に国民の批判が集中した。2人は生粋の社会主義者で、北朝鮮との統一を図るべく奔走した。だがその手法が乱暴過ぎ、到底民主国家とは言えない暴政の連続。日米との関係は悪化し、国政も経済もとっくに破綻した感があった。この隣国はこれからどこへ向かうのだろう。 今年のセパCSは盛り上がりに欠けた。パリーグは1位の西武が権利の1勝を保持したものの、実戦ではソフトバンクに4連敗を喫して敢え無く散った。セリーグはリーグ3位の阪神が一矢報いたものの、これまた巨人の圧勝に終わった。日本シリーズはソフトバンクと巨人とで戦うことになったが、今一気分が盛り上がらないのはなぜだろう。わが東北楽天は三木二軍監督の昇格で、新規体制を組むことになった。 ラグビーW杯日本代表チームへの賛辞が絶えない。不可能と思えたリーグ戦を4戦全勝で突破し、決勝トーナメントに進出したことに、世界も驚きそして称賛を惜しまなかった。前回からどれくらいの練習と鍛錬を重ねて来たのだろう。W杯に向けてのHCと各選手の思いの深さに、ただただ敬服するのみだ。台風で試合が中止となった後もカナダチームはボランティア活動のため釜石に残り、黙々と残骸を片付けた由。何と言う気高い精神だろう。 人類はフルマラソンでついに2時間を切った。先日ウイーンで、ケニアのキプチョゲ選手(34歳)が1時間59分40秒の世界記録で完走した由。ただしこれは通常のレースではなく、選手は彼一人だけで40人以上のペースぺーカーが一緒に走る「特別レース」なのだ。日本の村山紘太選手も5km分を担当して疾走。つまり世界のスピードランナー達に導かれた形での快走なのだが、時代は変わった感がある。 台風19号による被害の甚大さに呆然としている。災害の様子が明らかになるにつれ、その異常さに恐怖する。被害地区の広さ、降雨量の異常さ、時間の経過と共に増水の度を増す大小河川。山岳に当たって発生した雨雲が大量の雨を長期に亘って降らせ、下流の地区での決壊を招いた。寸断した鉄道や道路。土砂で埋まった家屋や耕作地。水没した建物や溢れた河川で亡くなった方々。 私は47都道府県の全てを訪問し、そこで走った経験がある。大抵の被害地にも懐かしい思い出があるのだが、その話を書こうとして止めた。そんな個人の思い出などより、被災者の苦しみや悲しみに思いを致すべきと考え直したのだ。それにしてもここ数年の災害は異常。明らかに地球温暖化の影響が大きく作用しているとしか思えない。私たちの地球は、果たしてこの先は無事で過ごせるのだろうか。 先日一人の少女が国連で演説した。名前はグレタ・トウーンベリさんでスェーデンの16歳。アスペルガー症候群など3つの病気に苦しみながらも地球温暖化問題に強い関心を抱き、環境活動家として国連に招かれた。その際もCO2を排出する飛行機に乗らず、ヨットで大西洋を横断してNYへ来たと言う徹底ぶり。中にはそのことを揶揄したマスコミもあった。付き添いの人が飛行機に数人乗ったことに対してだ。 彼女の舌鋒は鋭い。「私はあなたたちの裏切りに気づき始めています」。「あなたたちが話しているのはお金のことと、経済発展がいつまで続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか」。 今、北極海の氷もアルプスの氷河も融け、アマゾンやインドネシアなどの島々では密林に火を放ち、CO2は確実に増加している。海水温の上昇は著しく、サンゴの繁殖地は北上する一方で、魚類の生態にも大きな変化が生じている。そして超巨大なサイズの台風が、異常なほど発生するほどまでになった。果たして私たちは、この少女の訴えを単なる杞憂として笑い飛ばすことが出来るのだろうか。
2019.10.16
コメント(12)

~初秋のA公園~ 久しぶりにA公園へ行った。そろそろ秋の風景が見られると思ったからだ。それにしても良く家に閉じ籠っていたものだ。いやそれからでさえ、もう半月は放置している。今頃はもっと秋めいた風景になっているのだろうが。 私には嬉しい風景なのだが、他の方にはどうでも良い平凡な風景に見えるはず。退屈だとは思うが、少々お付き合いいただけたら嬉しい。 夏の間はビッシリとヒシ(菱)の葉が浮かんでいた沼。今はかなり減ったように見える。 A沼は周囲が300mほどもない小さな沼だ。それが公園の名前にもなっている。 ほぼ沼を一周して、元の入り口に戻って行く途中。 私の目には木々の黄葉が進んで、とても美しく見えるのだが。 でもこうしてブログに載せると、まだ緑が目立つねえ。なんでだろうね。 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどかれぬる (藤原敏行:古今和歌集) 下の写真は黄葉が早いカツラ(桂)の木です。 夏は子供たちがここでザリガニ釣りをしているのですが。 ぐるりと一周して、再び木陰の道です。 これが多分カツラの葉っぱですねえ。頭にかぶらないヤツですが。 葉っぱの間から見える空。こういうの好きなんですよねえ。 緑が多い風景は心が癒されますね。何げない平凡な風景ですが。<不定期に続く>
2019.10.15
コメント(12)

~最近のニュースから~ 先週末の土曜日は朝からTVに釘付けで、台風情報に見入っていた。とんでもないレベルの台風らしく、大きな災害が出ることを早くから警告していた。東京などを中心に早くから交通機関は計画運行を繰り返し予告していたし、国民への周知も盛んだった。私は植木鉢を取り込み、物干し竿を外し、1階の部屋はシャッターを下ろし、窓の鍵をかけ、風で飛びそうな草花も早めに処理して備えていた。 しかし何という強さの台風だろう。各地の降水量は驚くもので、それに伴ってダムの緊急放水が一気に現実のものになって行くのが分かった。昨年の肱川(愛媛県)のダム放水で8名の死者が出ていたことも大きいのだろう。河川の増水情報がやがて氾濫へと変わり、累積の降水量が半端な数でなくなって来た。超大型台風のわりにスピードが遅いため、同じ地域で降り続くことになるのだろう。 東海地区から始まった脅威が関東へ広がり、やがて宮城県にも波及してきたようだ。ついに「大雨特別警報」が発令。土砂崩れの警報も出ていたし、ネットには具体的な地区への「避難指示」も出ていた。それが割と近所なのにビックリ。どうなるか心配だったが、深夜1時近くに睡眠薬を飲んで無理に寝た。強い雨風の音を子守唄代わりにしながら。 翌朝に起床は5時過ぎ。早速ニュースを観てビックリ。全国各地で甚大な被害が出、県内でも5か所くらいで河川が決壊していた。死者1名、行方不明3名。近所の小川でも1人亡くなったとは驚きだ。長野県の千曲川氾濫にも驚愕。道路が落ち、鉄橋が流されている。今後も被害は広がりそうだ。先刻の台風で大きな被害を受けた千葉県はどうだったのだろう。またまた災害では気の毒過ぎる。 「東日本大震災」で74名の児童の命が奪われた大川小学校の損害訴訟に最高裁の断が下った。宮城県と石巻市に14億3600万円の賠償を命じたのだ。津波が襲うまでの間、無防備な状態で子供たちは寒空に立っていた。あの時直ぐに裏山に逃げていたら、むざむざ死ぬことはなかったのだ。教育現場では児童生徒の生命を何よりも第一に考えるべきと言う、ごく当たり前の裁定だったのだが。 女子プロテニスの大坂なおみ選手が、日本政府へ国籍申請を出した由。先日大阪の大会で優勝後、そのことを聞かれて「分かっているのに」とつぶやいた彼女。来年の東京オリンピックに向けて、彼女は日本とアメリカの国籍のどちらを選ぶのかが関心の的だったのだ。彼氏はニューヨークにいるし、豪邸をロス近郊に買った彼女が果たしてどんな選択をするのか。その彼女が日本を選んでくれたのだ。 エチオピアのアビー首相が今年のノーベル平和賞を受賞した。40歳の若さで1年前に首相になったばかりの彼が、隣国エリトリアとの国境紛争を話し合いで解決したことに対してのものだ。国境の村ベドメを巡り2年間で10万人の死者を出した。その村を放棄すると宣言した由。エチオピアは80の民族と100の言語を持つ多民族国家。大変な状況下で、初のオロモ族出身の青年首相は勇気ある決断をした。 台風19号通過の翌日、開催が危ぶまれていたラグビーW杯日本対スコットランド戦の開催が決定した。大会のルールでもしも中止の場合は「引き分け」と決まっていた。だが日本チームは「勝って決勝へ行きたい」と願っていた。あっぱれな精神だ。最初はリードされる展開だったが、そこから日本は4トライとゴールを決めた。最後は1トライ1ゴール差。日本ゴール近くまで押し込まれてハラハラだった。 結果は28対21の僅差。だが日本は世界の強豪を相手に堂々と戦い、見事に勝利した。4戦全勝、プールA1位での決勝トーナメント進出。初めてのベスト8だ。次の相手はプールB2位の南アフリカ。前回「番狂わせ」で勝利した因縁の相手。今回は実力で下し、ベスト4を目指したい。いや選手の願いはそんな小さなことではないはずだ。頑張れ日本。優勝のために苦しく厳しい練習をして来たのだから。
2019.10.14
コメント(8)

~宮城の土偶2~ 私の体に書き込まれた文字は、発掘した年月日と遺跡の場所を示しているのよ。 相変わらずのこんな姿でゴメンなさいね。首や手足を壊されたのよねえ。グスン。 手を合わせて拝んでるんだけど、みんな不気味だって言うのよねえ。 私は女よ。ほらおっぱいが付いてるでしょ。そしてお腹も大きいの。顔の刺青も見てね。 ふふふ。ミロのビーナスみたいでしょ、わたし。 縄文人の平均寿命は37歳と考えられているの。だからこうして生まれて来る子供が無事に成長し、長生き出来るようお祈りをしたのよ。 これも妊婦。お腹が大きいでしょ。 これだけバラバラにされると、もう体のどこだか分からなくなるわねえ。 これにもおっぱい。そしてお腹には妊娠線がくっきりと。 29番さんの体のイボイボは刺青の代わりかしら。そして、ちゃんと立つように作られているわねえ。 ゾウさんじゃないよ。これでも人間のつもりなの。 どちらにもおっぱいがあり、刺青が施されているわねえ。 やだ~っ。顔を壊されちゃ見えないじゃないの。 ボクは宇宙人。円盤に乗って宇宙からやって来た。ボヨヨ~ン。 最後は私が締めるわね。鼻が欠けてみっともないけど、ハート形の顔が素敵でしょ。<続く>
2019.10.13
コメント(10)

~宮城の土偶1~ やあ、こんにちは。おれの名前は土偶。縄文時代に作られたんだよ。それも宮城県内でね。もっともおれが作られた頃は、そんな名前などなくて、ただ広い原野がどこまでも広がっていただけなのさ。おれを作ったのは縄文人と言ってね。今の日本人の先祖なんだよ。だから君たちにもおれとどこか似たところがあるはずさ。えっ、全然似てないって。ハハハ。それは失礼。ではおれたちの仲間を紹介するね。 一番下の真ん中にいるのがおれ。顔に何か模様がついてるのは刺青(いれずみ)だよ。恰好良いだろ。でおれの周りにいるのもみんな土偶。帽子を被ったのや、手がないのや、胴体だけのもあるよね。お願いだから「気味が悪い」なんて言わないで。これはみんな人間のためなんだ。自分に代わっておれたちを壊し、元気で長生き出来るようにいのったのさ。つまりおれたちは犠牲者ってわけ。 それにしてもバラバラだねえ。こんなになっても展示する意味があるんだろうか。人間って勝手なもんだねえ。自分の都合で壊したり、何千年後に掘り出して、こんな明るい場所に並べたりして。 されたんだけど。 でも、ちゃんと見るといろんな模様がついてるでしょ。縄文人が結構丁寧におれたちを作ってくれたのさ。でも最終的には壊してバラバラにされたんだけど。 グスングスン。悲しいよう。もっともっと長生きしたかったのになあ。 サンダルじゃないよ。これっておれたちの服なの。良いデザインでしょ。えへん。 エエ~ン、エエ~ン。ボクも泣きたいよう。 ボクは円盤に乗って来た宇宙人。地球の皆さんヨロシクね。 僕たちは「一つ目小僧」。でもちゃんと良く見えるけどね。 待って~、お兄ちゃんたち。ボクも忘れないで~!! 一つ目の上に切腹までさせられたもんなあ、おれなんか。 あのねえ。ビスケットを並べたんじゃないんだよなあ。 わお~っ。目が広がってる分ワイドに見えるんだよなあ。 君なんか良いよ、まだ。ボクなんか口だけだもんね。 エヘン。ボクの頭は平らだよ。ヘリコプターだって着陸出来るさ。 明日もまたヨロシクね~。<続く>
2019.10.12
コメント(10)

~天気の激変などにむけて ここ3日ほどかけて、私は忙しく働いていた。先ずは庭と畑の草取り。植木の剪定作業。干していたタマネギの物置への移動。洗濯。資源ごみのまとめ方。そして若干のおかず作りなど。一番は台風への備えだし、2番目は冬野菜の準備。残りは普段の暮らしの上で必要なこと。それが何とか出来たのは、このところ急に涼しくなって、体が楽に感じられるようになったせいだ。 シュウメイギク 可愛そうだがシュウメイギクはバッサリ切って裏庭に積んだ。これは台風への備えでもある。もう長い間咲いてくれて散り加減の時。このままにしていたら花びらが風で飛んで、ご近所さんに迷惑をかける。それですべてを切った。今咲いているのはわずかにミニバラ程度。そのうちには小菊が一斉に咲き始めるはずだ。感謝を込めて鎌を入れる。 最期のシソ 雑草を抜くのにかなりの時間を要した。いつもなら根元から鎌で切って裏庭に積むのだが、今回は仕分けをしながらの作業になった。理由は「種」があるものはビニール袋に入れて捨て、種のないものは切った都度裏庭へ。結局ゴミに出す分は55リットル用のが1個と、10リットル用のが1個。種の無いものと野菜の残骸も結構な量になった。シソは最後の1本を抜いて、種を方々にばら撒いた。来年用だ。 次の仕事は庭木の剪定。始末し易く、枝が柔らかい木は稲刈り用の鎌で十分。そしてこれは裏庭に雑草などと一緒に積めばそのうち堆肥になる。堅い枝の木は、鋭い剪定鋏で切れば良い。まあまあの高さまで切れる。厄介なのは梅の木。これは柵に登って上の不要な枝を切った。枝切り用の鋏が左。かなり切ったらスッキリ。最後のユズが超厄介。これには10cmほどの長さの鋭い棘(とげ)がたくさんついている。 苦労して枝を切り、3日目に梅の枝などに包んで縛った。清掃車の作業員が怪我しないための措置だが、段ボールにマジックで「トゲに注意!!」と書いて収集所に出した。切った枝は全部で8束。手や腕は傷だらけで痛む。7種類ほどの植木を整理したらすっきりした。ご褒美は間違って切った3個のユズ。早速焼酎に汁を入れたら、何とも言えない芳香。ポテトサラダにも絞って入れた。 玄関周りの植木鉢は、玄関に取り込んだ。これは台風対策だ。物干竿も、念のためベランダの床に寝かせた。洗濯も済ませたので、台風の影響で雨になりそうな3日間は大丈夫。風呂の水も入れ替える予定。資源ごみの提出は今度の日曜が予定日だが、果たして業者が回収に来るかどうか。念のため不要の段ボールを取りまとめた。新聞紙と古雑誌はこれから。 これらは私の簡単料理。左上は余った大根、ニンジン、練り物、豚肉で作った、おでん。 右上は1匹38円で買ったサンマ4本の甘辛煮。圧力鍋で煮たため、骨まで食べられる。 左下は今回大量に積んだ「雲南百薬」のお浸し。 右下はある日の昼食で、シチューと野菜、果物、茹で卵とパンがメイン。案外太らなくて助かる。 <草取りと剪定作業前の庭> 来年1月の大連への旅は、結局旅行保険に入ることにした。厳寒期の中国と私の体調を考えてのことだが、ツアー仲間に迷惑を掛けてもいけない。ブログ友のyorosiku!さんが大連は海の側なのであまり気温は下がらないと教えてくれたが、調べたらその通りだった。当初心配していた「重装備」の必要性はないかも。ありがとうね、yorosiku!さん。後は週末の台風が心配だねえ。
2019.10.11
コメント(16)

~マックス爺の日常~ 鏡を覗いたら顔が青い。おかしいなあ。何でかなあ。考えた末に思いついたのが食事内容。ここ数か月の間にずいぶん野菜を食べた。ゴーヤは鱈腹食べたし、キュウリも嫌になるほど食べた。もちろん近所にもお裾分けしたのだが、形の悪いものが大量に残った。それを樽に詰めて塩を振り、「古漬け」にしてみた。きっとそれで顔が青くなったんだろう。そんな暢気な理由を考えてみたのだ。 キュウリがそんなに獲れたのは、苗を処理したためだ。葉が枯れて黄色くなっていた。それ以上の収穫は望めないと思って、ある日全部引き抜いたのだ。それから南の畑のナスの苗4本を抜き、裏庭に積んだ。写真は最後に獲れたもの。これはまだ大事に冷蔵庫の野菜室にしまってある。近いうちにきっと出番があるはずだ。豚肉と一緒に味噌味の炒め物が第一候補かなあ。 ゴーヤとミニトマトの苗も全部引き抜いた。これらはすべて腐って落ちた実から発芽したもの。鬱蒼と茂って畝の土が見えないくらいだったが、そのまま育つことはない。それに今月中にはタマネギの苗を植えるため、「空き地」を作る必要がある。遊びの精神でミニトマト2本を植木鉢に移植して見たが、多分上手く育たないはず。これからは気温がドンドン下がって来るからだ。 雲南百薬は3分の1ほどを切った。蔓が伸び放題になって植木を覆っていたからだ。それにそろそろ終末期を迎えて葉の色が変色し、食用に適さなくなるからだ。だがまだ食べられそうな葉がたくさん獲れた。きっと今年は気温が高いせいだろう。野菜が高いこの時期、有難く頂くことにして早速茹でて冷蔵庫に保管した。冷凍したモロッコインゲンは時々解凍して、料理に使っている。ちょっとした自給自足かな。 気になっていた畑と庭の草取りを始めた。蚊が少なくなったのと、気温が下がってあまり汗をかかなくなったからだ。これなら動けると、重い腰を上げた次第。南の畑と庭は大体終わった。紫陽花、オオテマリ、ユズの不要な枝を剪定していると、ポツポツ雨が降り出した。ここらが潮時かと思って初日を終えた。かなりすっきりはしたが、後2、3日はかかりそうだ。 3回シリーズで連載した東北歴史博物館特別展の記事は結構人気があったようで、アクセス数がかなり上がった。あまりにも専門的なテーマのため読者が減ると予想していたのだが、それが良い方に裏切られたのが意外。元々楽天ブログの日別のアクセス内訳には疑問を抱いている。アクセスが日によってそんなに細かく分散する理由が分からないためだが、まあ気にせずに書けと言う思し召しとしようか。 草取りのついでにシュウメイギクを全部刈り取ったら、急に庭が淋しくなった。体調が悪いのは深夜までスポーツ番組を観ていたための睡眠不足だろうが、台風接近に伴う気圧の変化もあるだろう。もちろん運動不足による体力の低下もだが。掛け布団は冬用のに変え、風呂のお湯の温度を1度上げた。それだけでも体が温まる。世界陸上が終わり楽天が敗退したので、そろそろ眠れそうに思うのだがどうだろうね。 ところで昨夜嬉しいニュースが飛び込んで来た。日本人科学者がまたまたの快挙を成し遂げたのだ。今年はなかなか日本人の名前が上がらずガッカリしていたのだが、旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71歳)が見事化学賞を米国の研究者2名と共に受賞。同氏はリチウムイオン電池の発明者で、これまでも数々の学術賞を受賞している。誠におめでとうございます。日本の研究者って本当にすごいなあ。
2019.10.10
コメント(16)

<最近の話題から> 東北楽天の今シーズンが終わった。1勝1敗で迎えたソフトバンクとのCS第3戦。この日の先発は岸。何とか踏ん張ったが1点差で敗れた。今季は則本と岸両エースの早期離脱、正捕手嶋の離脱とチーム事情が苦しい中で良く戦い、私も夢中になって応援した。来季、嶋はいないはず。FAで巨人へ行くはずだ。そして平石監督も解任されるはず。CS進出でも解任は野村監督以来のこと。実に嘆かわしい。 カタールのドーハで開催されていた世界陸上が終わった。時差の関係で深夜の実況放送が続いた。これも私を寝不足にさせた原因の一つ。男子競歩50kmと20kmの2つの金メダル。あれもライブで観た。そして男子4✖100mリレー。日本は新たなメンバーでアジア記録と日本記録を塗り替え、銅メダルを獲得。来年の東京オリンピックに向けて弾みになった。ただし8月の猛暑が今から思いやられる。 ラグビーWカップの日本チームの活躍は全くの想定外だった。初戦のロシア戦は「ほほう」と言った感じだったが、2戦目のアイルランド戦は点の取り方が厳しかった。あれでないと勝てなかったろう。何せ相手は世界ランク2位のチームで優勝候補なのだから。13日のスコットランド戦を残しているが、初めてベスト8つまり決勝リーグへ進出するのではないか。これにも興奮して、眠れない夜が続いたっけ。 女子ゴルフ渋野日向子の活躍が光る。先日の「日本女子オープン」では7位に留まったが、賞金獲得額は目下2位。「全英女子オープン」優勝を含めて今季3勝。20歳のシンデレラガールにまたしても幸運が訪れた。全米女子プロゴルフ協会の公式ツアーである台湾の試合の招待選手となることが決まった由。世界の強豪に臆することなく、いつもの沈着なプレーを見せて欲しいものだ。頼むぞ渋野選手。 男子フィギュアスケートの高橋大輔選手がアイスダンスに転向するとのニュースにも驚いた。数年前に現役を引退しながらその後再デビューした33歳のベテランが、平昌五輪アイスダンス日本代表の村元哉中(むらもと・かな26歳)とペアを組んで新たな挑戦をすると言う。元々体幹の強さでは定評があった彼が、良き相手を得て華麗なデビューが出来ることを願う。果敢なチャレンジ精神に敬意を表したい。 驚くことにこの人が蘇った。国民的歌手の美空ひばりがこの度AI技術により「新曲を歌った」のだ。死亡後の変化を人工知能で探り、彼女のために新たに作曲された「あれから」を熱唱。その表情としぐさ、服装、歌唱の特徴、語り口などをAIに学習させ、何度も修正を重ねた結果の快挙だった。作曲家、作詞家、ファン、家族の熱意と最新技術の高さ、今更ながらの彼女の歌唱力に酔いしれた一夜だった。
2019.10.09
コメント(10)

~少しずつ移ろいゆく季節~ 10月に入っても暑い日が続いた。それでも季節は確実に動いていると感じる。 夏の花から、秋の花へ。そして秋分の日が過ぎて、少しずつ日が短くなる。 朝の光に立つこの花も、少し萎れて来たのではないか。 小川の向こう岸にコスモスが咲いている。それをズームで撮って見る秋の朝。 この花の名は何だっけ。ノコンギクでもシオンでもないよね。じゃあ雑草かな。 堤防に咲いているこの花はオキザリス。最近は良く名前を忘れるねえ。 こんな風にして花の名を忘れ、「老人力」が増して行く自分。 でも悲しくはないよ。だってみんなそうだもの。動物も植物も命には限りがあるんだ。 元気だったものが次第に勢いを失う。その姿もまた美しいと思う心。 やあ元気かい。お前たも少しずつ色が褪せて来たみたいだねえ。 おやっ、千日紅もだんだん白っぽくなって来てるよ。良く頑張ったねえ君たち。 紫陽花も最盛期の色とは違うね。葉っぱにも穴が開いてるし。 これはわが家の畑のハハコグサ(母子草)。でも今頃咲くんだっけ。 ここからは3日後の日中。もう秋のお彼岸は過ぎたけど。 首の長~いこの花。とってもきれいな紅色だね。 最後は同じ花壇のバラを何種類か。花って良いね。花って優しいね。だから好き。
2019.10.08
コメント(16)

~東北歴史博物館特別展を観て その3~ <古代の官道と城柵(宮城県内)> 古代の官道は道幅が広く、極力直線的に造られている。また約18kmごとに駅舎を設け、中央政庁との連絡用の馬がいた。これが「駅伝」の起りだ。官道(黒線)は下野国(栃木県)から多賀城に到り、伊治(これはり)城へから岩手県南部の胆沢(いさわ)城、盛岡の紫波(しわ)城へと続いていた。また反乱した出羽のエミシを鎮めるため、宮城県大崎市から秋田県内陸部に至る道が新たに造成された。 <伊治城平面図> 伊治城はエミシ対策上多賀城創建以前に築城され、元エミシの伊治公呰麻呂(これはりのきみ・あざまろ)は服属し、伊治公姓を賜る。「これはり」が後の郡名「栗原」になったと言われる。桃生城主の道嶋氏が嘲笑したことに逆上して伊治城内で道嶋を殺害し、さらに国府多賀城を急襲。このため多賀城は炎上し落城と言う大事件が起きた。だが逆賊である呰麻呂の墓が今も残されているのが不思議だ。 <胆沢城の鬼瓦> 前進基地はさらに北上し、坂上田村麻呂が征夷大将軍兼鎮守府将軍となって胆沢城に駐屯。北上川を船で北上して阿弖流為(あてるい)や母礼(もれ)らが率いるエミシ軍と戦い、これを下した。勇猛で人望のある彼らの命を惜しんだ田村麻呂は彼らの助命を嘆願するが、公家らの反対で死罪が決定。大和川の岸辺で2人は惨殺される。近年になって、清水寺の舞台下に彼らの慰霊碑が建立された。 <志波城南門=盛岡市=復元> 最前線の城が盛岡市の志波(しわ)城。ここを根城にして田村麻呂は戦った。さらに文屋綿麻呂(ふんやのわたまろ)は八戸方面のエミシである爾薩体(にさったい)と久慈方面のエミシ閉伊(へい)を襲って平定する。その後川の氾濫により城域が破壊されると、南の徳丹城まで退き、志波城はそのまま放置された。現在城跡は公園として復元され、付近に盛岡市立「学びの館」が開設されている。 <秋田城水洗トイレ復元状態> 一方日本海側での最北端の古代城柵が秋田城だった。飽田(あきた)のエミシの鎮圧のため、内陸部に雄物柵が築かれ、一進一退状態で朝廷軍が北上する。秋田城は日本海を見下ろす丘陵地にあり、後に山形から出羽国府が移転し、日本海を通じて兵士や食料が送られて来た。現在秋田城南門と当時の水洗トイレなどが再現されている。渤海使(ぼっかいし)の迎賓館がここに置かれていたのだ。 渤海国は唐と新羅の連合軍と戦って絶滅した高句麗の末裔で日本海沿岸に立国し、庇護を求めて朝貢して来た。当時は潮流に乗るしかなく、都から遠く離れた能登半島に接待所が置かれた。秋田への来航は貿易が目的との説もある。環日本海貿易の端緒であり、後世の平泉文化を支えた十三湊の安東氏の貿易にもつながる。それによって大陸の馬や蝦夷錦、海獣の毛皮などの貴重品がもたらされた。 <前九年の役絵図断片> 律令体制下に入った後も東北では元エミシ同士の戦いが続いた。羽後国(秋田)を舞台にした前九年の役(ぜんくねんのえき)では源氏と清原氏の連合軍が、奥六軍(岩手)の元エミシ安倍氏と戦って安倍氏が敗北。後三年の役(ごさんねんのえき)では逆に源氏と結んだ安倍氏が清原氏を滅亡に追い込んだ。この後安倍清衡は父祖の姓藤原氏を名乗り、奥州藤原氏として平泉に壮大な都と寺院を築く。 <平泉・柳之御所から出土した鏡(左左)と人面が描かれた壺(右) > 奥州藤原氏は4代に渡って栄華を極め、平泉は東の都と呼ばれるほど繁栄した。だが義経を匿ったとの理由で頼朝は関東から騎馬軍団を派遣し滅亡させた。この敗北により、東北の古代は終わりを告げた。 さて東北は歴史の中で3度朝敵とされている。1つ目は古代のエミシ征伐。2つ目は頼朝による奥州藤原氏討伐で、東北の富は鎌倉幕府のものとなった。そして3つ目が幕末の「戊辰戦争」。朝敵となった東北各藩は、明治後暫くの間は冷遇を受けた。振り返れば実に長い忍従の歴史であった。 <東北歴史博物館所有 今野家住宅> この特別展はテーマがかなり専門的であり、かつ対象となる地域と時代が限定されている。私には垂涎もののテーマだが、ほとんどの読者は文章を読むのでさえ苦痛だろう。そこで「展示目録」の写真を載せ、説明も平易に書き直そう。そうすれば幾分理解が進むのではないかと考えたのだが、その目的は果たせただろうか。さらに私見を述べたいところだが、それはいずれの日にかに譲ろうと思う。 <今野家住宅のカマ神=かまどを守る神様> 目録は展示物のリストで、あったのは専門家によるごく手短かな解説のみ。それも学術的過ぎて読者には理解が困難と判断。そこでウィキペディアなどを参照し、より簡明に書き直した。これが自分にとってはとても良い勉強になった。また今回の特別展に遭遇したことによって、長年抱いていた歴史上の謎が一挙に解決した感が強い。この場を借りて謝意を記し、本稿を一旦閉じることにしたい。<完> 同日に観た企画展も、いずれ紹介する予定です。
2019.10.07
コメント(12)

<東北歴史博物館特別展を観て2> 展示目録の中に1枚の地図が載っていた。そこには色んな記号や、「仕切り」や説明が施されている。だがあまりにも専門的過ぎて、多くの読者は理解出来ないだろう。ただ言えるのは「大和朝廷」と「エミシ」には色んなせめぎ合いがあったと言う事実。文化と墓制の違い、農業の違い、時代による民族の移動と支配地の変遷などが浮かび上がる。エミシは国内統一の最後の砦だった。 中央に「山道蝦夷」、太平洋側に「海道蝦夷」の名が見える。山道エミシは「東山道」の奥に住み、北端のエミシは「爾薩体(にさったい)」。初期は北上川を船で遡って攻め込んだ。一方海道エミシは「東海道」の太平洋側で、北端には「閉伊(へい)」がいたが、共に文屋綿麻呂に征伐される。なおこの際の「道」は「地域」の意味。 上右は大和朝廷側の前進基地である城柵(じょうさく)が設置された場所を示す地図。上左はその設置年。日本海側は647年のぬたりの柵(新潟)、658年つきさら(新潟)、689年うきたむ(山形)、709年出羽柵、780年秋田城と北上する。出羽国(秋田、山形)は陸奥国からの分国。 一方太平洋側には737年の多賀柵を嚆矢として海道、山道それぞれに前進基地が築かれて行く。この間780年には陸奥国府並びに鎮守府が多賀城に置かれ、それ以前には仙台市太白区郡山に多賀城の前身となる国府が置かれたと考えられる。やがて坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ、北上川を北上してエミシを攻め、盛岡市の志波城が803年に築かれる結果、エミシが朝廷に下ることになる。 <ねぶた絵 津軽エミシを征伐する阿倍比羅夫(右)> 話は前後するが、斉明天皇4年(658年)越の国守阿倍比羅夫(あべのひらふ)は渡島(現在の北海道)のミシハセ(北方民族)を180隻の水軍で征伐。また飽田(あきた=秋田)周辺のエミシも征伐し、服従した恩荷(おんが=男鹿)を能代、津軽の郡領に命じた。後に将軍となって朝鮮半島に出兵し、663年百済と連合して白村江で戦い敗北する。東アジアは日本海を巡って揺れ動いていたのだ。 <国府多賀城政庁跡地の発掘現場> 多賀城は陸奥国府であると同時に、北辺の国庁としてエミシの懐柔に当たり、治安に努めた。新たに郡を置いて関東周辺から農民を移住させて農業を興し、税を治めさせた。このため、人と共に地名や神社も移って来た。多賀城裏面にある総社の宮には、移住者が信仰した各地の氏神など100社がまとめて分祀されている。また多賀社を国府の守護神として分祀し、これが多賀城の地名の起源となった。 <多賀城政庁復元図> 国府多賀城は小高い丘の上に建てられ、周囲を堅牢な塀で蔽われていた。城内には5万人もの兵士が駐留し、城下には整然とした大路が縦横に整備され、付属寺院が設置されていた。出土した土器に「観音」の名が見えることから、観音寺だと推定される。また陸奥国府鎮護と航行を守るため、陸奥国一之宮として塩竃神社が置かれた。城下には市が立ち、官人や兵士の食料や塩などが国内各地から届けられた。 <政庁前での朝礼の様子> 丘の上の堂々たる建物群は、服従したエミシにとっては異次元の世界に見えたことだろう。付属寺院の荘厳さ、政庁前における朝礼の儀式など、彼らにはすべてが驚きの光景だったに違いない。これが朝廷の威光か。これが律令国家の実態か。ほとんどのエミシは、心から恭順の意を示したことだろう。ところがやがてこの地で一大事件が発生する。<続く>
2019.10.06
コメント(16)

~東北歴史博物館の特別展を観て~ ポスター 特別展「蝦夷~古代エミシと律令国家」を過日観て来た。これは東北歴史博物館開館の20周年記念と、宮城県多賀城跡調査研究所設立50周年記念の双方を兼ねた企画で、陸奥国国府である多賀城の傍にある研究調査機関としては力が入らざるを得ないと推察される。私のライフワークとも言える古代東北研究に直接関わるテーマだけに、珍しく会期早々に出かけたのだった。 日本書紀の一節 太古倭国の東方に「日高見国」と言う国があった。人々は力が強くて極めて粗暴。声が大きく朝廷に従わない。いわゆる「まつろわぬ国」で、九州の熊襲(くまそ)と同様に恐れられていた。そこで記紀は日本武尊を遣わし、征伐したとある。 さて、古代東北の蝦夷は後のアイヌとは異なる。「エミシ」と呼ばれた東北地方以北の人々。彼らの実態と、中央との関係を明らかにするのが今回の特別展の趣旨だ。 <出土した蕨手(わらびて)刀(上)とその再現品および鞘(下)> 「日高見(ひたかみ)」は太陽が高く上がる地方の意味で、後に「北上」に転じたとの説がある。縄文時代の東北地方は日本で最も栄え、弥生時代には青森県にまで早々に水稲技術が到達した。だが気候の冷涼化に伴って水稲が不可能(冷害に強い品種が生まれてなかったため)になると、北海道南部から「続縄文文化」が東北へと浸透する。古墳時代には中央政権との深い関りを示す古墳群が、宮城、山形まで進出する。このように、古代東北は早くから中央政権とエミシとの交流とせめぎ合いの場であった。 <環頭太刀束頭(かんとうだち・つかがしら)> エミシは単なる狩猟民ではなく作物栽培も行い、倭国との接触でもたらされた製鉄技術も持っていた。また優位な馬産地で、海路を通じての交易も盛んだった。ただ中央から遠かったため、独自の体制を維持していただけのこと。アイヌ語とは異なり、言葉は互いに通じたことだろう。ただ聞き慣れない言葉の響きが、都人には恐ろし気に聞こえた。最近の研究により、エミシの高度の文明が次第に明らかになる。 <ベルトとバックルの金具(上)とメノウとガラス玉の装身具(下)> こんな見事な装飾品を身に着けていた「蛮族」が、果たしているだろうか。ただ中央政権の手が届かない遠隔地に彼らが住み、独自の文化と政治体制を保持していただけの話。中央集権化が進んだ倭国、そして大和政権が自らの支配を拡大すべく、次第に北の大地へと進出するのも当然の帰結だろう。そして北の大地は、次第に大和朝廷の傘下へ組み込まれて行く。 <周溝(しゅうこう)と墓壙(ぼこう)を持つ墓> 現在の岩手県南部以北にはエミシ独特の墓がある。ただ中央や地方豪族ほどの権力と人口がなかったため豪壮ではないが、それでも良く整備された墓が整然と並んでいるのはしっかりとした政治体制があったからに違いない。これもアイヌの墓制とは異なる。東北のエミシが史書に登場する最初は、確か高志(越=こし国守)の阿倍比羅夫(あべのひらふ)が秋田県のノシロのエミシを征伐したことだった。 <整然と石を積み上げたエミシの墓に石槨(せっかく)が見える> 阿倍比羅夫はノシロのエミシを退治しただけでなく、ツカル(青森)や渡島(わたりしま=現在の北海道)のミシハセ(大陸の北方民族と言われる)をも退治したと文献にある。陸奥国府多賀城などまだ建設されていない時のことだ。陸路が整備されていない当時は海路を舟で渡るしかないが、飛鳥時代に良くそれだけの船団を組み、かつ勝利したと言う事実に驚かされる。<続く> 当特別展での撮影は許されてない。そのためここに掲載した写真は、別途購入した「展示目録」から借用した。極めて内容が専門的なため、写真でもないと理解が困難と考えたからだ。
2019.10.05
コメント(8)

~マックス爺の日常~ 全く暑い。9月の最終日、最高気温は28度になると言う予報。だが実際は29.2度だった由。朝から布団と洗濯物を干したのだが、たまらず一旦片付けた扇風機を引っ張り出した。毎週末には近所のスーパーへ食料品の買い出しに行ったが、大変な人ごみで賑わっていた。だが、買おうとした冷やし中華はもう売っておらず、仕方なくラーメンを買った。そして少し前からは、便乗値上げも結構目立っていた。 真夜中に良く目が覚める。トイレのためだが、直ぐに眠れる場合もあるが、時にはなかなか寝付けなくなる時もある。老人特有の軽度の睡眠障害なのだろう。良質の睡眠が生活の上でとても大切なことは、知識としては知っているのだが、いざ自分のこととなるとなかなか厄介だ。今は独り暮らしの身なので、テレビを点けながら布団に横たわっているといつの間にか眠っている。 たまに薬の誤飲も出るようになった。大抵は朝だけ飲む種類だが、昼だけ飲む薬も、夕食後に飲む薬もあって数が狂ってしまった。まあ誤差の範囲なのでさほど気にしないが、間違ったことは認識している積り。先日はスプーンが見つからなくなった。不思議なことに、数日後コーヒーの瓶の中に入っていた。コーヒーは毎日飲むので、実際は前日に見失ったはずなのだが、時間の感覚が多少ズレている。 窓を開けると強烈な花の香りがする。健康野菜である雲南百薬の花の芳香。咲き始めたキンモクセイの花の香りが全く感じないほどの匂い。それはきっと今シーズンの終わりを告げているのだろう。このままだとどうなるのか。いつもはこの時期になると刈り取ってしまうのだが、今年は少し放置しようかと思う。葉はやがて変色し、薄くなって食用には無理。次代の栄養を根茎や「むかご」に蓄えているのだ。 畑に生えているこの植物が何かお分かりだろうか。葉っぱの形が似てるけど、「ヨモギ」ではない。答えはミニトマト。夏の終わりごろにたくさん実ったミニトマト。中には収穫されぬまま地面に落ちたのも相当数。その種が芽生え、まるで何かの菜っ葉のように一斉に茂ったという訳。これもこのまま育つわけではなく、寒さが到来したら枯れる運命。もっともここは10月半ばにはタマネギの苗を植えるのだが。 キュウリが最後の頑張りを見せている。葉は既に枯れかかり、水分が摂れない実は変形したり、小さいままだったりするのが普通。これはまだ上首尾の方だろう。ご近所にも相当配り、中にはまだ残ってると言った方も。Kさんもそのうちの1人だが、先日はわざわざ「はらこ飯」を作って持って来てくれた。鮭の身を味付けご飯に混ぜ、それにイクラを載せた秋の味覚だ。またエビで鯛を釣ったかもねえ。 購読新聞の集金人が変わった。レンタル清掃品の集金人も同じころに前の人から変更になった。すると上手くコミュニケーションが取れずに、空足を踏むこともある。まあ最初はそんなもの。独り者だからと言っていつも家にいる訳ではないのだから。先日は多賀城市の東北歴史博物館へ特別展を観に行ったが、そのこともまだブログには書いていない。庭の方々で、今百合の実が大きく育っている。確実に秋だ。 9月の最終日に旅行の申し込みをした。旅行日は来年の1月中旬で、行き先は中国の大連周辺。迷いに迷ったのは自分の体調がその頃どうなっているか自信がないため。それにその時期の中国東北部の気温が問題だ。きっと底冷えがして大変な寒さだろう。それに耐えられたら、きっと貴重な体験が出来るはず。なぜならそこはかつて日本の支配下にあった旧満州国。さて、次はどんな勉強が出来るのだろうか。
2019.10.04
コメント(14)

~さよなら定禅寺通りジャズフェスティバル2019~ <楽器を抱えながら移動中のミュージシャンたち> 「定禅寺通りジャズフェスティバル2019」と言う長い名前を持つこのイベントの紹介も、今日で最後になりました。県庁、市役所前をスタートして、「市民広場」から定禅寺通りを西行し、メディアセンターから引き返して一番町通りを南行。Fデパート前から中央通りを東に向かって仙台駅まで写真を撮りながら歩いたのでした。しかも灼熱の街を空腹の身でねえ。トホホ。 でもこれまでの紹介で分かったでしょ。演奏場所は定禅寺通りに限らず、市内中央部に50か所くらいのステージがあるのです。それも本格的なステージから、ただ折りたたみ椅子とテーブル、チューナーくらいしかないような簡便なステージまで。そして音楽のジャンルも問わないのです。さらには、仙台市民や宮城県民だけでなく、この企画に共鳴したミュージシャンが全国各地から集うのですよ。 私は音楽を聴きに街へ出かけたのではありません。全てはブログネタ収集、つまり原則としてブログを毎日更新すると言う自分の方針に従って取材しているに過ぎません。だからたまたま演奏中のステージに出くわせば運が良かったと思うだけで、まだ調整中のステージでも彼らの演奏を待つことはありません。準備中、調整中の姿もすべてが私の写真の対象となるのです。 この日も歩きに歩いて、とうとう仙台駅にたどり着きました。ここは西口のペデストリアンデッキの上です。9月初旬なのにまだまだ真夏日が続くこの日。私はここから駅の構内に入ります。 仙台駅のシンボル「伊達政宗公ステンドグラス」の前のステージでも、懸命に演奏の準備をするグループがありました。それを今か今かと待ち構えている音楽ファンの皆さんがいます。 再び駅の外へ出てペデストリアンデッキを見渡すと、ここにも準備中のグループが。 近づいて「あんちょこ」を見ると歌詞カードは「愛燦燦」。美空ひばりさんの名曲でしたね。 こちらのグループは準備を終えて、最後のチューニング中かな。 シブイ感じでなかなか良いねえ、お二人さん。 へい、お待ち遠さま。いよいよこれから演奏が始まりますよ。 彼らの歌声を聞きたかったのですが、バスの発車時間が迫っていました。 さよなら「ジャズフェスティバル」。そのうちゆっくり聞ける日が来るかなあ。<完>
2019.10.03
コメント(14)

~まだまだ暑い10月ですが・・~ 折角育てているのに、収穫されないブドウ(葡萄)。甘くないのかなあ。 小さなリンゴのような形のサンザシ。漢字では「山査子」と書きます。 まだ色は付き出していませんが、これは甘柿でしょうか。 ご近所のキウイですが、半月前(下)よりも大きくなったみたいですよ。 こっちのアケビ(木通)も、半月前に比べたら成長したような。 ツバキ(椿)の実は食べられないけど、油は食用にもなりますよ。 ナツメ(棗)の実です。茶器の棗(右)も、この形を模したのでしょうね。 10月のゴーヤ(苦瓜)。熟すと美しいオレンジ色に変色し、種は真っ赤な膜に包まれます。 夏を彩ってくれたアサガオ(朝顔)にも、種が出来ましたね。 真っ赤なウメモドキ(梅擬)が鮮やかな季節になりました。 地味だけど美しいこの実の名前はなんでしょうね。 ムラサキシキブ(紫式部)と呼ばれていますが、正しくはコムラサキ(小紫)みたい。 実が白い種類です。これからは色んな実が私たちの周辺で見られるので楽しみですね。
2019.10.02
コメント(10)

~定禅寺通りジャズフェスティバル2019~ この日は最高気温が35度の予報。信号を待つ間も小さな木陰に入る人たち。 一番町のナナカマドにも赤い実が。着実に秋は近づいているみたい。 街中のライブを後ろ側から見るとこんな感じ。 エレクトリックギターの若者2人組。 熱演する半ズボン姿のお兄さん、ガンバ~!! 一番町の歩行者天国を精いっぱい使っての晴れ舞台。 おお。アップしてはまずかったかなあ。(;^_^A ここで歌っていたのは確かゴスペルソングだったような。 おっと。良く見たら4人組じゃなくて5人組でしたね。 ここからは中央通りを駅に向かいます。前方の天井に何やら人がいるような。 ここは毎年コーラスグループの演奏場所。素敵なハイトーンが天から降って来ましたよ。 早くも目抜き通りではハロウィンの準備が。🎃 街の喧騒にも、華美な商品にも背を向けて佇む托鉢(たくはつ)僧。 二番丁信号前から見る有名ホテル。 若い男女のシンプルなステージも良いよね。 街中にはこんなステージが50か所もあるんだよ。 コスメティックスとマヌカン。秋は物想う季節。<不定期に続く>
2019.10.01
コメント(10)
全31件 (31件中 1-31件目)
1