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~鳥取砂丘・砂の美術館(3)~ 茫漠たる鳥取砂丘の一角に「砂の美術館」がある。鳥取砂丘の砂を使った巨大な彫刻が「売り」だ。これまで3回に亘って紹介したが、今回はその残り。少しずつ写真を消化し、終焉に向かおうと言う魂胆なのだが、たかが「砂」と侮ってはいけない。 ラドヤード・キップリングが書いた小説『ジャングルブック』がテーマ。オオカミに育てられた少年モーグルの話を中心に、南アジアに生息する6種類の動物が登場する。彫刻の作者はオランダ人のシャーロット・コスターで、彼女はオランダ美術アカデミーの卒業。 これはインドのジャングルに棲む虎。 ネパールの古都、バタンのダルバール広場。ヒマラヤ山脈を背にした古都には旧王宮があり、広場に面してヒンドゥー教や仏教の寺院がある。作者はリトアニア人のアンドリュース・ペドクス。 古都の広場と大通りを行く人々。 ブータンのチベット仏教の聖地であるタクツァン僧院は標高3千mの断崖絶壁に、張り付くように造られている。タクツァンは現地語で「虎の住み家」を意味し、1692年に建造された。彫刻の作者はアメリカ人のスー・マックグリュー。南カリフォルニア大学卒業。 一定のエリアにたくさんの像を入れ込んでいること、前後左右往復しながら撮影していることなどから、2回同じものを撮ったり、タイトルとは無関係の砂像を撮ることがあります。上もその中の一つですが、事情をお察しいただけたら幸いです。 ジャングルの中から忽然と現れるスリランカのシギリアロックは5世紀末に建造された王宮で、世界遺産。現地語のシンハ・ギリ(獅子の山)が転じて現在の呼び名になった。ライオンが背後の王宮を守っているように見えることからの命名。作者のジル・ハリルはアメリカ人でセントラルフロリダ大学卒業。 ふくよかな体形の女神はヒンドゥー教の神だろうか。砂の像は壁画を模写したもの。<続く>
2019.11.30
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~旅の写真の中から~ 「頭隠して尻隠さず」ではないが、仙台空港のJAL機である。まだまだ書きたいことや話したいことがあるのだが、そろそろ旅の話に戻らないと読者の皆様からお小言が来る頃。そう思って「軽い」話題で復帰しようと思う。先ずはのんびり旅の気分を味わってほしい。 伊丹空港に着くと、わたしたちを待っていたのはこのバス。大阪府泉南のあじさい観光バスとか言っていた。車体には淡い色の紫陽花が描かれ、このバスに乗って3日間移動したのだった。バスガイドさんはとても賑やかな人で、出された問題にはほとんど答えて正解でした。 バスは知らない道を通って日本海へ向かった。最初のトイレ休憩で止まったSAにあったのが「丹波黒豆」。昔から丹波(たんば=兵庫県の南半分)は黒豆の産地として有名だ。この黒豆の枝豆1把千円ほどだったと思う。第一日目は名勝天橋立(京都府)を見学し、夜は神鍋高原(兵庫県)に泊った。 第2日目は先ず鳥取砂丘を見学し、次に安来市(島根県)にある足立美術館を見学した。写真は昼食時に出た「どじょう定食」。右上に見えるのが可愛い2匹のドジョウ。写真には見えないが鍋にも可愛いのが2匹入っていた。わたしが子供の頃に食べたドジョウはもっと太くて骨ばり、土臭い味がしたものだが、今回食べたのはまったく味がない。それでも食べられない人が何人かおり、エビに代えてもらった由。 バスの車中から見た出雲市内。川の名は「堀川」と読め、出雲市役所などの地名が見える。出雲大社はもう直ぐそこで、門前町に入るとJRの駅と私鉄の駅が見えて来る。 出雲大社付近の道路のマンホールのふた。一見してこれは日御碕(ひのみさき)灯台だと分かった。以前そこにも行ったことがあり、立派な日御碕神社の社殿を観た記憶があった。 翌日の都合上、その日は米子市の皆生(かいけ)温泉(鳥取県)に泊った。朝は兵庫県を出発し、鳥取、島根、鳥取と移動した。皆生温泉に着くころには夕暮れが近づき、車窓から見える空には残照が輝いていた。 雲間に顔を出す夕日。もう皆生温泉が近い。この夜は飲み放題とカニ付きの夕食だったが、私は焼酎1杯ユズ酒1杯で十分だった。この夜も和牛をいただく。 恵比寿さま、大黒さまのニコニコ顔と皆生温泉のお土産もの。 旅の第3日目。姫路に向かう車中で配られたお弁当。これはオプションで1150円。お茶付かず。味もまずまずで、お年寄りにはちょうど良い量だった。 この日は国宝であり世界文化遺産の姫路城を見学して伊丹空港へ。ここから東北各地の空港に別れて出発。帰路もJAL機。背後にうっすらと見えるのが六甲山脈の東端。 往復ともに窓側だったが、いずれも翼の横。まあ飛行機には何度も乗ってるので、さほど残念と言う気持ちはない。 雲の上はまあまあ晴れていて、雪を被った富士山が見えました。「小吉」くらいかな。 仙台空港の夕日です。無事着陸し、3日ぶりにわが家へ帰って来ました。ヤレヤレ。<続く>
2019.11.29
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~秋の実によせて語る南の島の話~ 昨夜旅から戻った。いや、戻ったはずと書いておこう。だってこれは予約で書いたブログ。今日ので9回分を予め書いている。それだけ暇なのだが、全体の構成にも心躍るものがあるためだ。 先日ある動画を観ていた驚いた。なぜかと言えば私の主張と寸分違わないことをYoutubeで言っていた人がいたからだ。何と言う奇遇。世の中には同じようなことを考える人がいるもんだと、改めて知った次第。 話と言うのは他でもない。首里城の焼失とその再建に関することだ。それも純粋な沖縄の人が、真剣に語る言葉に胸を打たれた。対談していたのは我那覇真子さんとその師匠。師匠は大和名だったが、語り口からウチナンチュだと確信した。沖縄のことをたくさん知っていたからねえ。 感心したのは他でもない。なぜ再建を急ぐのか。その前に火事の原因を確かめ、責任の所在を明らかにするのが本筋じゃないかと。ほほう、沖縄にも筋の通った人がいるもんだ。これにはビックリ。そしてそれは私がこのブログに書いたことと寸分も違わないことだった。 彼らは言う。玉城デニー知事は、ある不祥事の追求から逃れるため、あの火災の時に韓国へ行っていたのだと。そして首里城炎上のニュースを聞いて韓国から帰国し、その足で首相官邸へ行き首里城再建を訴えたのだと。そんなのは美談でも何でもなく、単なる責任転嫁だとも。 いやはや驚いた。私の意見とまったく一緒。そしてあの火事は人災だとも。それも一緒。その後焼け跡から、焼け焦げた配電盤と、つなぎっ放しになっていた延長コードが発見された。今年の2月には首里城の管理権を国から沖縄県に譲ってもらっている。観光の財源になるためだが、果たして管理が十分だったのか。 そのことも全く同意見。私は管理の実態は知らなかったのだが、直感でそう感じていた。なぜなら本質的にルーズな沖縄人の姿を知っていたからだ。不都合が生じたら責任転嫁し、しかもお金だけは強く要求する。そんな姿を何度も見て来た。まるでどこかの国とそっくりではないか。 「師匠」は言う。焼けた首里城は沖縄の魂なんかではない。戦後あそこにあった神社こそが真の魂だと。その神社は弁御嶽(べんのうたき)に移された由。その神社なら私も観たことがあった。何と言う偶然。不思議なものを観るのが好きな私は、原付に乗って良く沖縄本島内を巡っていたのだ。 沖縄の真の心とは何だろう。本当に大事なものとは何だろう。それは沖縄人自身で考えないと答えは出い。だから城の復元なんかはずっと後で良いんだ。それが師匠の結論。首里城炎上は天罰とも言っていた。私は心の中で叫んだ。沖縄にも真実を愛し、追及する人がいるんだと。ああ嬉しい。 実は我那覇真子さんらはラジオ放送で沖縄県政批判をし、ラジオ局から追放された人たちなのだ。沖縄には「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2大紙があり、テレビ(ラジオ)局も持っている。これらのマスコミが沖縄世論を操作し、自分たちに不都合なことは一切報道しないのが実態だ。 それに加え、中国や半島国家の工作員、内地の職業的な運動員が米軍基地反対や沖縄独立をけしかけているのが実態で、多くの県民はその事実を知らない。何と言う不幸。何と言う「井の中の蛙」。我那覇さんたちの運動が実を結ぶことを強く願うゆえんだ。さて、明日からは山陰の旅の続きに戻ろう。
2019.11.28
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~立山に走って登った話~ 秋ですなあ。と言うよりも東北は晩秋です。朝晩にはすっかり冷え込むようになりましたわい。 で、家主は今日も旅ですじゃ。さて麻雀の結果はどうなってることか。それよりもゲームの後で良く眠れたどうかが問題ですなあ。わっはっは。 そんなことで、今日のブログも予約ですわ。留守中誰にも文句を言われなくて済みますのう。 宇奈月温泉。爺は初めてなんですわ。以前黒部と立山を旅した際に、トロッコ列車で通過したことはあるんじゃが泊まるのは初。山間のいで湯はどんな塩梅ですかのう。ふぉっふぉっふぉ。 幹事のTさんには、富山まで行くと遠いため、北陸新幹線の黒部宇奈月駅で降りた方が良いと言われたけど、天邪鬼の私は富山まで行くつもり。 富山駅からは「富山地方鉄道」に乗って引き返す予定。なぜそんなことをするかと言えば、しみじみと富山の景色をみたいためなんじゃよ。 まだ元気だったころ、富山市の浜黒崎という浜辺をスタートして、立山連峰の雄山(標高3003m)の頂上まで走るレースに出たことがあったんじゃ。距離は65km。当時の制限は11時間じゃった。 結構きついコースじゃった。何せ海抜0mの日本海に手を突っ込み、そこからスタートするんじゃもんなあ。距離は65kmでも、標高差が3003m。頂上では雪が降ることもあるからのう。ふぉっふぉっふぉ。 常願寺川の堤防を走っとるうちはまだ良い。傾斜が緩いからのう。それが山道に入ると徐々にきつくなるんじゃ。 八郎坂は特にきつい山道での、足を滑らせたら崖の下に真っ逆さまじゃ。いやいや嘘じゃないぞ。大雨が降って危険なため、中止になった年もあったのう。私は雨の中で20回も倒れた年があったんじゃ。あの時は不整脈が出たのかのう。 そこにあるのが「称名(しょうみょう)の滝」。落差は400mほどもあるかのう。もっとも3段合わせての話じゃが。それが立山の雪解け水なんじゃよ。 坂を登り切ると「弥陀ヶ原」に出る。称名も弥陀もすべて仏教用語。ここはかつて山岳宗教のメッカじゃもんでのう。そこから湿地帯を走るんじゃ。これが木道が架けられた細い道なんじゃよ。 標高2500mの室堂に荷物を預け、そこから雄山山頂まで登るんじゃよ。「一の越山荘」経由での。そこから山頂まではほぼ絶壁に見えるぞ。ふぉっふぉっふぉ。 軽いジョギングシューズで浮いた岩がある山道を登るのはきつい。しかもランパン、ランシャツ姿のつわものもおるでのう。まさに豪傑じゃよ。ふぉおっふぉ。 体が動くうちは良いが、体が動かなくなったら大変じゃ。何せ標高3千メートルの山は気温が低いからのう。晴れてればまだ良いのじゃが。う~む。 在る年などは急に雨が降って気温が下がり、ランナーが遭難する騒ぎになったそうな。たとえ山のベテランでもランパンランシャツ姿では寒さを防ぎようがないでのう。結局ヘリコプターの出動と相成ったと聞いたぞ。頂上は零下にもなる気温、体温が急激に下がってそう感じるんじゃよ。 それからどうなったじゃと。う~む。ちょうど紙数が尽きた。残念じゃがこの話の続きはいずれのう。と言ってもこの爺の命が持てばの話じゃがの。ふぉっふぉっふぉ。ではまたの。
2019.11.27
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~果物にこと寄せて~ 女優の沢尻エリカが逮捕されましたなあ。MDMAとか言う薬物を所持した疑いだけど、他の薬物もやったと本人が言ってるそうですなあ。それにもう10年も薬物と付き合ってるとか。テレビのワイドショーではこの話題で持ちきり。他に話題がないんじゃろうかねえ。暇と言えば暇。安易と言えば安易。テレビなんか所詮はそんなものなんだろうね。 田代まさしが捕まりましたなあ。こちらは大麻だったかな。もう5回目の逮捕と言うから、観る方も慣れっこになってるもんね。アイツまた捕まったなんてねえ。反省もし、更生に向けて頑張ってはいたようだけど、やっぱり麻薬から逃れるのは無理なのかなあ。ところで清原選手。先日トライアウトの監督をやったんだってね。ひと頃はおかしな目つきだったけど、あれから治療が効いてきたのかもね。 またぞろ野党が騒いでますなあ。「安倍総理と桜を見る会」が問題とか。国費で選挙民を招待するのは法律違反と言うんだけど、そんなことは民主党時代もやっていた。ただ人数が増えたのや、推薦の基準があいまいってことはあるかもね。新聞社の調査によれば、安倍内閣の支持率が6%ほど下がった由。でも野党の追及で国会が空転した経費の方が何倍も大きいことに気づいてるんだろうか。 野党は前夜の夕食会のことも問題にしてますなあ。料金が安過ぎるとか、領収書を切らないのはおかしいとか。だが安倍事務所では、参加者がホテルに支払ってる形と説明した由。「モリカケ」の時も大騒ぎしたけど、結局は何も出なかった。旧民主党の大物も同じホテルで同じ料金で懇親会をしたみたいだし、もっと安い料金で朝食会をやった野党議員もいたようだ。あれれ、これもまたブーメランかな。 役人の質が落ちてるねえ。モリカケの時は獣医学部の新設に関し、獣医師団体の意向を文科省が忖度して新設を認めなかった。それこそが問題の根源だった。そして籠池問題は、全てあの夫妻の自作自演。息子が呆れて真相を本に書いたけど、野党は頭を冷やして欲しいね。さらに今回の英語の試験制度もお粗末。文科省の役人の頭はどうなっているんだろう。恥ずかしい限りだ。 プレミア12でははらはらしたね。侍ジャパンの仕上がりが悪くて、初戦から手こずっていた。それが徐々に力を発揮し、予選を1位で突破。決勝リーグでは1敗しただけで決勝戦に臨み、2晩連続で韓国を下して優勝したのが嬉しいね。3位決定戦でメキシコに敗れたアメリカは、来年の東京オリンピックに出場出来ない。他国の実力を甘く見、メジャー級選手を出さなかったのが原因だろうな。 韓国がGSOMIAからの離脱を撤回した。GSOMIA破棄は、大統領に立候補した際の公約だったそうだ。でもアメリカが強硬に反対し、議会で決議までしたのは文さんの計算外だったね。離脱はアメリカの了承済みとか初めから嘘のつき通し。二枚舌が通じるのは韓国内だけ。これも今回の結果でバレたんじゃないのかな。大混乱のこの国が、来年の総選挙で果たしてどんな結論を出すのか見物だね。 そもそも日本が輸出した規制物品をちゃんと管理せず、中国、北朝鮮、イランなどへ提供してたと言うじゃないの。それが全体主義国家に引き渡され、ミサイルや化学兵器に使われたら困るんだよね。それをGSOMIA破棄に結び付けること自体が狂気の沙汰。危険極まりない国家が日本の周辺にあるのが大問題なのに、連日桜や夕食会の追求。必死になっての「ボロ探し」ではねえ。 憲法改正を論議するのは当然のこと。憲法が絶対無二の存在ではないし、国際情勢も変化する。それに憲法自体に改正に関する規定があるんだよね。それらを無視して、論議すらしないなんて言うのがおかしいのさ。備えあれば憂いなし。国家の安定と国民の平和を守るためにも、憲法は強くてかつ弾力的なものじゃないとね。目を覚ませ日本国民。憲法をチェックしない国など世界にはないんだよ。 さて今日はこれから旅に出ます。行き先は富山県の宇奈月温泉で、年に1度の筑波勤務時代の悪友の集まり。1泊して麻雀し、明日は埼玉県で途中下車する予定。だから帰宅は夜になります。それまではコメントへの返事もブロ友さんへの訪問も不可能なので悪しからず。皆様もどうぞ風邪など引かれませんよう。ではでは、行って来ま~す。
2019.11.26
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~日本三景の一つ・天橋立~ 旅日記の第13回目にして、ようやく最初の訪問地である「天橋立」(あまのはしだて)を紹介することにした。理由は特にないが、私の直感に従ったのだ。少なくても25回分にはなるであろう旅日記を、読者が飽きないように書き続けるのは至難の業。自分も楽しめてかつ読者も楽しめる旅日記の在り方。それは旅から帰宅するその都度ごとに、私が考えるテーマでもある。 天橋立に着くころには、秋の陽が大きく傾いていた。秋の夕暮れは早い。その上、ここまで来る道が曲がりくねり、いつもなら方角を間違えることが少ない私が、どちらがどちらだか分からなくなった。だが考えて見れば太陽が沈む方が西に決まっている。そこで、この周辺の地図を頭の中で思い描いてみる。 ケーブルカーで山に登るにつれて、眼下に美しい風景が広がって見える。ほら、太陽はあちらだ。するとそっちが日本海の方向で、左側が宮津湾の内海の方向なのだろう。 ほらね、これが天橋立。昔の人は天に上るための梯子が途中で倒れたのがあの細長い松林になったと考えたようだ。でもこの砂州(さす)は川の砂が徐々に堆積して出来た地形で、初めからこんな奇異な形だったわけじゃないのだ。それに美しいあの松原も、人々が苦労して移植した結果と聞いたのだが。 この細長い島はね、向こう岸まで続いているんじゃないんだよ。途中で切れたところに橋が架かっていて、その下を船が通れるようになっているんだ。そしてこの細長い砂州には道路があって、緊急時には救急車などが通れるだってさ。そして小さな神社やお寺もあるようだ。 ここにはちゃんと「股覗き」の場所があるんだよ。私もやってみたけど、カメラの位置が低くなるもんだから、草がじゃまになって見える風景はさほどでもない。それにフラフラして、姿勢が安定しないのも私にとっては困ったものなのさ。 頂上の一角にはこんな場所があった。冠島と沓島(くつじま)の遥拝所らしいんだ。内海の小島に籠(この)神社の摂社があるみたいなんだけど、それが良く見えなくてねえ。 由緒書の一部を拡大したんだが、どうにもボケて見えづらいねえ。まあ漁師たちが豊漁を祈ったとでも解釈しておこうか。 これがどちらかの島かも知れないねえ。ぼんやりとだけど島影が写っているよ。 頂上にあった枯葉の💛と「かさぼう」の石像。ここは笠山と言う名の山なんだよね。 ケーブルカーで山を下りた私は走ってある所へ行ったのさ。これはその後に撮った海でね、船の後ろの松林が天橋立なの。もうちっともきれいじゃないよねえ。 日本海方向を見るとこんな感じかな。この地であった不思議なことはまたの機会にね。<不定期に続く>
2019.11.25
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~出雲大社のある風景~ さて皆の衆、今日も出雲大社の紹介ですじゃ。と言ってもなかなか本殿へは近づけなくて、こんなポスターで我慢してもらおうと言う魂胆なんじゃよ。 これは拝殿。昨日も紹介したが、本殿よりも大きいのは罰当たりじゃろうかのう。おっほっほ。 ほれご覧。神事を司る神職がようけおるのう。それも色んな色の衣冠を着けとるぞ。これもきっと位を表しとるんじゃろうのう。権宮司(ごんのぐううじ)である千家國麿さんは元皇族の高円宮典子さまを娶(めと)られておるが、旧出雲国造の千家(せんげ)家は黒い装束だそうじゃ。立派じゃのう。 誰じゃね、アスファルトをこんなところに置いたのは。はは、冗談冗談。これはのう細石(さざれいし)と言うて国歌にも詠まれたあの石じゃよ。君が代は千代に八千代に細石の巌(いわお)となりて苔の生すまで。これがやがては苔生した立派な岩になるんじゃよ。なに、信じられないとな。この罰たり者めが。 ほっほっほ。これをご覧。令和元年の今年、新天皇のご即位を祝って、こんな立て看板が出ていたんじゃよ。 広い境内には善男善女が奉納した絵馬が、所狭しと掛けられておった。それにたくさんのお御籤(おみくじ)ものう。ふぉっふぉっふぉ。 そしてご朱印の受付所がこちらじゃよ。最近はどうもブームになっとるようじゃのう。 ところで肝心のご祭神を知っとるかのう。大国主命(おおくにぬしのみこと)様じゃ。またの名を大物主(おおものぬしのかみ)とも言われておる。また大黒様(だいこくさま)と言う名もあるのう。ほれ、あの歌があるじゃろう。「大きな袋を肩にかけ大黒様が来かかると、そこへ因幡の白兎皮を剥がれて丸裸」。なに?知らんじゃと。わしも歳を取ったのかのう。 出雲大社は縁結びの神としても崇められておるぞ。出雲空港の愛称は、「いずも縁結び空港」なんじゃよ。これ本当のコトアルヨ。 門前町 昔からここは出雲大社の門前町として栄えて来たんじゃ。JRの駅も私鉄の駅もあるぞ。県立の博物館も直ぐ近くにあるんじゃよ。名前は確か「島根県立古代出雲歴史博物館」じゃったかな。長い名前なのでベロを噛みそうじゃがの。ふぉっふぉっふぉ。 そしてお土産には何と、勾玉(まがたま)の石を売っとるんじゃよ。さすがは神様が集まる出雲大社だけあるのう。ふぉっふぉっふぉ。そうそう、島根県には玉造温泉と言う名湯がある。昔から勾玉などを造っとったことが地名からも分かるじゃろうて。 亀山の松の木 さて最後に紹介するのは出雲大社の東側にある亀山じゃ。何とこの山のてっぺんには、鳥が飛ぶような形をした松の木が植わっておったんじゃ。珍しいから撮ったが、残念ながらピンボケじゃのう。トホホ。<続く>
2019.11.24
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~縁結びの神・出雲大社その1~ <大きな絵馬型の境内案内図> いつになったら出雲大社が出て来るんだ。そんなkazuさんの声が聞こえて来そうだ。だが焦らしているわけではなく、実に周到に掲載の順番を計算しているのだよねえ。どんな風に旅のお話を進めて行けば一番効果的か。そしてどんな風にしてエンディングを迎えるか。旅の紀行を書くたびに、私はそう思いながら構想を練っている。さてバスを降りた駐車場に、一人のおばちゃんが待っていた。 その人が境内を案内するガイドさんだった。いかにもベテランらしい態度で、毎日大勢の観光客を案内しているのだろう。言葉には訛りがなく、「立て板に水」の説明ぶり。出雲大社には独特の決まりごとがあるみたいで、「反時計回り」に巡拝する。ここは拝殿でも本殿でもなく「神楽殿」なのだが、あまりにも立派な注連縄(しめなわ)に驚く。背後の山は素鵞(そが)山。古代豪族の蘇我氏に通じるのが不思議。 突然だがこんな女性を登場させた。名前は出雲阿国(いずものおくに)。元々は出雲大社の巫女さんだったが、やがて京へ上って舞を生業(なりわい)とし、後に歌舞伎の祖と称されるほどになった実在の人。舞は神事にかかせない存在で、神を喜ばせ、神を地上に招く要素があるのだろう。神がかりする卑弥呼にもつながると感じるのは私だけだろうか。 出雲国造の末裔で出雲大社の神事を司る千家の社殿も堂々たるものだ。 「松の参道」の落ち着いた風景。 松の参道から四之鳥居越しに拝殿を観る。後方の山は八雲山。 参拝前に口を濯ぎ手を清める手水舎(ちょうずしゃ) 遥かに拝殿を仰ぐ。ここにも出雲大社特有の重厚な注連縄が治まっている。 どっしりとした二重の屋根。注連縄は大蛇を表したものと言われるが。 拝殿の奥に本殿の屋根が見える。本来は背後の八雲山がご神体だった由。 境内にある複数の注連縄は、いずれも敬虔な信者たちからの寄進に拠るものだ。<続く>
2019.11.23
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~マックス爺久しぶりに短歌を詠める~ どれほどの樹が枯れたのか妻は去り子も訪れぬ庭となりたり ギシギシと風に軋みしトタン板わが人生の悲鳴にも似て *きしみ お早うとペダルを踏みてわれを抜く高校生に秋の陽淡し 如己堂の小さき庭に紅の秋の薔薇咲く平和祈りて *にょこどう=長崎市の永井博士の旧居 払暁の空晴れわたり人々の一日始まる朝餉とともに *ふつぎょう *ひとひ *あさげ 朗らかに鼻歌うたひ立つ厨いつしかわれは寡夫となりて *くりや=台所 *やもめ 秋暮れて小菊薫れるころとなる小鳥来ずとも楽しき庭よ 皇后の頬に涙の光りたりティアラのごとく令和輝け なお昨日の俳句教室では、前日載せた今月の兼題(宿題)として提出した三句ともすべてが講師から高い評価を受けました。「直し」も無しです。褒められるとやっぱり嬉しいものですね。12月の兼題は「年越しや」。帰宅後、早速この課題に取り組んでいます。
2019.11.22
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~ヘボ俳句との付き合い~ 通っている俳句教室の10月の兼題(宿題のテーマ)は「10月や」。そして11月の兼題は「初冬や」と「立冬や」。いずれも季語だが、宿題を出されたのは自分にとって初の経験だった。悪戦苦闘しながら作句に挑戦したのだが、その全容を載せるのが今回の趣旨。それ以外に詠んだ句なども若干交えたのでご笑覧あれ。 歳時記に触れずに秋の一句かな 十月や句評厳しき師の眼 *まなこ 〇十月や峠の下に城下町 ⇒ 十月や山の麓に城下町 と修正さる 十月や峠より見る城下町 十月や山の端遥か田舎道 *やまのは 十月や山の端翳りゆくばかり *かげり 十月や川は光りて海に入る *いる 十月や雲映しつつ川流る 十月や野の草揺らし風の過ぐ *すぐ 十月や揺れつつ草の実を結ぶ 十月や山は憂ひを秘めしごと 十月や郷愁はいま野に満ちて 十月や悔恨空を彷徨へる *さまよう 十月や未だ黙すること多し 十月や祷は悔恨と共にあり *いのり 十月や懺悔と祈り交錯す *ざんげ 十月や懺悔は潮の満つるごと 十月や憂ひ果てなき風の丘 十月や山は哀しみ語るごと 十月や日は落ち鳥は塒へと *ねぐら 十月や塒は鎮守の森ならむ *とや=鳥のねぐら 十月や泣きて寝転ぶ風の丘 十月や泣き伏した日よ風の丘 十月や狂ひしままのハーモニカ 十月や酒の肴はなけれども *さかな 〇十月や粗酒粗肴とふ通夜の膳 *そしゅそこう 十月や従兄弟集ひし通夜の膳 *いとこ 〇は10月の提出句 初冬や夕餉支度の独り者 *ゆうげ 初冬や眩暈こらへて丘に立つ *めまい 初冬や会津の人の無口なる △初冬や濠に小波三の丸 *ほり *さざなみ 初冬や人影もなき三の丸 立冬や尾灯遠のく最終便 立冬や天の一角隅櫓 *すみやぐら 立冬や坂を登れば隅櫓 立冬や会津の人は寡黙にて △立冬や新聞を読む父の背 *せな 立冬や天地の音絶へしごと *あめつち 立冬や街に子供の姿なく △初冬や句評鋭き師の眼 *まなこ 新旧の暦に惑ふ十九社 *十九社は全国から集う神が泊る出雲大社の摂社 △は11月の提出予定句
2019.11.21
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~皆生温泉の宿~ 旅の2日目。宿泊先は鳥取県米子市皆生温泉の宿でした。この日は出雲大社まで遠出したのです。 ロビー近くのテーブルに、こんな下駄が置かれていました。( ,,`・ω・´)ンンン? 妖怪ポスト(上)やネズミ男(下)がお出迎え。実は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるさんは、米子の対岸境港市の出身で「妖怪ロード」で有名。きっとそれに便乗したのでしょうね。 安っぽい造りだけど、お馴染みの「一反木綿」(上)と「目玉おやじ」。 鬼太郎親子(上)と「ゲゲゲ」の登場妖怪オールキャスト(下) この日の夕食はカニ付き。でもまだ解禁前で、昨年の冷凍ものでした。この夜は「飲み放題」でしたが私は牛の焼肉を中心に、ユズ酒と焼酎の黒霧島の2杯で十分でした。 翌朝も朝風呂に入った後、海岸を散歩しました。きれいな朝日でしたよ。 皆生(かいけ)温泉の謂れです。昔海中から温泉が湧いてるのを、漁師が発見したのです。 うっすらと霞んでる島根半島。出雲の「国引き神話」で神様が引っ張って来たのがあの半島です。 ロビーの外側は海です。(上)朝食はお粥にし、絶好調で姫路城に向かいます。<不定期に続く>
2019.11.20
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~神鍋高原の宿と散歩~ 旅の初日に天下の名勝「天橋立」を観、そこからバスは兵庫県の神鍋高原へ向かいました。曲がりくねった道を右に左に。宿に着いた頃はすっかり日が暮れていました。その分、イルミネーションがきれいでしたけどね。 早速カメラを向ける私。そんな変わった人は、私以外にはいませんねえ。 イルミネーションが点いた庭があるホテルに泊まったのは、沖縄のリゾートホテル以来かも。 大浴場の温泉に入りに行った後も、窓から庭のイルミネーションを撮ったのでした。 時は折しも「ハロウィン」の時期で、玄関ではこんなものがお出迎えしてくれましたよ。 夕食はサーロインステーキ、お寿司などを中心に。 翌朝のホテルです。前日は真っ暗で良く見えなかったのですが。 朝風呂に入った後は、ホテルの敷地内を散歩しました。案外紅葉がきれいです。 ほら。結構良い雰囲気でしょ。ホテルの表口のある県道周辺まで行って引き返しました。 あの先がホテルの表口。ちょうど散歩されていたご夫婦が小さく写っています。 神鍋高原の標高は300m程度ですが、ホテルの真ん前にスキー場がありました。 ホテルの敷地内の林で見つけたキノコの群落。食べられるのかなあ。 ホテルのロビーの前に広がる中庭。ちょっとした高原ですね。 朝食は可愛らしいお握りが3個。これを食べて、2日目の旅が始まります。<続く>
2019.11.19
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~姫路城と考古学~ 姫路城の門前に案内板として示されていたのがこの図。当時の古図を使うとは珍しいねえ。 天守閣には姫路城下の精密な模型が置かれていた。きっと古図を元にして作ったのだろう。 これも天守閣にあった。現在の航空写真に、城下町の城域を書き込んだ珍しいもの。 天守閣の案内図(上)が透視図になっていた。下は天守閣の構造を立体化したもの。共に珍しい。 天守閣の基盤と同じ平面にある「備前丸」の発掘状況。これも貴重な資料だ。以下の瓦類もこんな風にして発見されたものだろうか。 説明板を拡大すると「波状鬼瓦」と読める。しかも「鯱」(しゃちほこ)の下にある瓦のようだ。 沢潟(おもだか)紋は酒井家の家紋。 蓮華紋は普通お寺にしか使わない。元々ここは日女路(ひめじ)の丘と言い、お寺が建っていたと聞く。 揚羽蝶の紋は池田家の家紋。江戸初期から三代続いた。 五七の桐なら榊原家の家紋だが、七三の桐紋は初めて見た。 五三の桐は松平家の家紋。 片喰(かたばみ)紋は酒井家の家紋。 図柄は判然としないが、揚羽蝶のようにも見える。 この城は福岡藩主となった黒田氏が中国攻めの羽柴秀吉に譲った本来の姫路城ではなく、関ヶ原合戦の後江戸幕府以降に建てられた城。西方の大名を監視するため、山陽道、山陰道、中国道に通じるこの地を重要視し、三河以降の譜代及び親藩大名を配備した。また孫であり秀頼の妻だった千姫を本多忠刻に嫁がせたことも、この城を華美なものにした要因であろう。 天守閣を背にして 幕末までの城主は、池田、本多、松平、榊原、松平(2)、本多(2)、松平(3)酒井と続く。この城は一度も火事に遭っておらず、豪華な屋根瓦を葺き替えた原因は不明だが、刻された家紋でどの時代の物かはほぼ判断出来よう。考古資料を天守閣に展示しているのは稀有で、良い学習の場になるだろう。<続く>
2019.11.18
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<天下の名城・白鷺城その1> 「備前丸」から見上げる天守閣もまた美しい。別名白鷺城と言う名の要塞だ。 野面(のづら)積みの石垣(上)と堅固な門(下) ここから見上げる天守閣はかなり急角度。そろそろ天守閣への入り口のはず。 うんうん、近い近い。天守閣が目の前。しかも同じ平面上にあるぞ。 確かここを右に曲がったところが入口だったはず。こんな角度の天守閣は最初で最後。 その前に最後の櫓(上)と最後の城門。あくまでも堅固な構えだ。 この左側が入り口で、その手前に修復工事をしてる箇所があった。階段を上って天守閣の1層目へ。入り口で靴をビニール袋に入れ、自分で持参する。写真を撮るのも階段を上るのにも面倒だが、ルールなので仕方がない。 当然ながらエレベーターはない。急な階段を上って最上階まで行く。手すりだけが頼りだ。上るにつれて展望が開ける。この城は四方からの敵を見張れたようだ。西の丸も含めれば、全く死角はない。 上方中央に見えるのが西の丸。播磨、丹波方面からの敵を見張っていたようだ。 最上階の5層から急な階段を下って天守閣から出る。入場と退場の経路が違うため、混雑することはない。天守閣の基盤とと同じ平面にあるのが備前丸。当然ながら籠城を見越して井戸が掘られていた。<続く>
2019.11.17
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~天下の名城・白鷺城その1~ 旅の最終日。駐車場から歩いて行くと、やがて大きな濠が見えだした。姫路城の勇壮な濠。左手奥の方にちょっとだけ櫓が見えた。ひょっとしてあれは西の丸だったのかも知れない。 大手門付近まで行くと、丘の上遥かに天守閣が見えた。心ときめく瞬間だ。慌ててカメラのレンズをズームして撮影。堂々たる姿は天下の名城に相応しい。 濠を渡る橋の上。擬宝珠と欄干ごしに大きな城門が見える。恐らくあれが大手門なのだろう。 さらに近づいてズームイン。城門の大きさは歩いている人と比べたら良く分かるはずだ。 門を入った広場は三の丸だろうか。真正面に五層の天守閣が見えた。近年までで終わったはずの修復作業がまだ一部で続いていた。国宝でありかつ世界遺産。建造当時の姿を残す城は、たった5か所しかないと聞いたことがあるが、まさに人類の貴重な遺産だ。 天守閣に近づく道は曲がりくねっている。攻撃から守るため、櫓と城門を幾重にも交錯させているのだ。これでは攻める側も大変。これ以降私たちも、色んな角度から天守閣を見上げることになる。 見事な秋空に映える真っ白い天守閣。左手にまだ現在も修復を続けている箇所が見える。 前方に堅固な櫓が見えて来る。天守閣に向かう第一の関門だ。城壁の中に色んな形をした狭間(はざま)が見える。鉄砲を撃ち弓を射るための空間だ。 櫓の下の門がこれ。その大きさと堅固さが分かるだろう。守る側は攻める側が上の窓から良く見えるはず。 匂い立つ姿は白鷺のようと言われ、白鷺(しらさぎ・はくろ)城の別名を持つ。 近づいたと思っても天守閣はまだ遠く、高い石垣と堅固な櫓が行く手を遮っている。嗚呼。 角を曲がればたちまち次の城門が現れる。天守閣を落とすのは容易なことではない。 そんな姿をあざ笑うように佇む姫路城の天守閣。何と言う冷厳な美であることか。 観光客は坂道を必死の思いで登ってゆく。だが五層の天守閣はまだ遠い。 この城はどの角度から見ても美しい。そして難攻不落を思わずにはいられない。<続く>
2019.11.16
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~マックス爺の日常~ <枯れたアジサイとゴムの葉のオブジェ> 旅日記「旅・歴史と美を訪ねて」の5回に1回の頻度で休憩を入れることにした。同じテーマのブログを続ければ読者は飽き、毎日更新しているとネタ不足になるからだ。「じじ通信」は通信社の「時事通信」のもじり。漢字で書くと「爺通信」つまりわが日常と言う訳。まあ休憩にもならないが、笑って許していただけたら同慶の至りだ。 ハイビスカスの鉢を少し大きめの物に変えた。かなり前から花の数が減り、今年は1個も花が咲かないままだった。そのことをブログに書いたら、yorosiku!さんが、植木鉢を大きめに替えたらとコメントしてくれた。それもそうだと思い直し、鉢を取り外すと根が絡み合って土が堅くなっていた。根をほぐして土を入れ替え、若干の肥料を施した。これで来年はどうか。他の鉢物にも固形肥料を追肥。 白菜を紐で縛った。結球を助けるためだ。外側の葉も切り取った。葉が広がっていると、肥料が隠れて雨に溶けにくいためだ。虫に食われて弱っていた株を切り取り、土の中に埋めた。犠牲者は少ない方が良い。あれが身代わりになり、他の白菜が助かったのだ。ブロッコリーの邪魔な葉も切って捨てた。これで日当たりが良くなるはず。農家の白菜はほとんどが収穫済み。さすがにプロはやることが早い。 ご近所の方に大根を差し上げたら、数日後にラフランスを持って来てくれた。山形産の本格的な洋ナシ。食べごろになると果肉が柔らかになり、良い匂いが漂って来る。今はまだ硬いまま。おでんと大根サラダにしたら、新鮮で美味しかったとの評。わが家も早速おでんを作った。とろとろに仕上がったおでんは、寒い時期の定番だね。何日か後別の方から、渋抜きをした柿とラフランスをいただく。 天皇皇后両陛下のパレードがテレビに映っていたが、あまり熱心には観なかった。皇后陛下の笑顔と、涙ぐまれた様子が国民の共感を呼んだ由。ブログ友のあみさんが、その時の動画をご自分のブログにリンクしていたのでそれを拝見。コンパクトにまとまった映像に思わず笑顔。これまで様々なバッシングに遭った雅子皇后。病が癒え、ようやく心からの笑顔。文字通り「国民の母」となられたと感じた。 お徳用のニンニク プロボクシングの井上尚弥がWBSSのバンタム級で優勝した。相手は5階級を制覇したフィリピンのドネア。老獪なWBCチャンプは井上が一度も倒れなったことに驚いたようだ。逆に井上は11回に強烈な左ボディブローで相手をマットに沈めた。激闘の代償は大きく、眼窩底と鼻骨を骨折した由。だがこの勝利で10社からコマーシャルのオファーがあり、総額5億円の契約成就との噂。恐るべき若者だ。 整骨院へ通い、マッサージと電気療法でかなり症状が改善した。ひと頃は腰がふらつき、全く運動が出来ない状態。このままではやがて歩けなくなると判断しての通院だった。治療と並行して、極力歩くことにした。昨日は久しぶりに9km走った。歩くような速度だが、体は何とか耐えられたようだ。多少の痛みをがあっても、歩かなければやがてボケるだろう。 散歩からの帰路T氏に遭った。奥様がお孫さん誕生のお手伝いで名古屋に行き、目下独り暮らしとのこと。車でスーパーに行き、カートにつかまりながら買い物してる由。私が自分の体調を話し、「このまま死んではいられないと思って」と言うと、何か感じるものがあったようだ。シャコバサボテンに花芽が付き始めた。侍ジャパンは全勝のメキシコを下し、決勝選出を掛け明日韓国と対戦。さてどうなるか。 パソコンの待ち受け画面を「神戸マラソン」時の写真に変えた。6年前の69歳当時のもの。わたしのレース史上最後から2番目。この時はまだ6時間ちょっとで走れたのだが、翌年の「久米島マラソン」(沖縄)では7時間以上もかかり、それが引退レースになった。今見るとまだ若々しく、その4年後に熟年離婚するとは思ってもみなかった。だがどんなことでも自分の人生としてわたしは受け入れる。
2019.11.15
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~足立美術館その2~ 足立美術館の庭園ポスターです。春夏秋冬と四季ごとの写真が載っています。 ポスターは四季ごとに2種類ずつありました。これは春の部で、ツツジが咲いています。 こちらの2枚は夏の部。緑が濃く、白砂へ写る松の影がはっきりと見えますね。 秋の部はどちらも同じ場所から撮った写真ですね。まあきれいな紅葉だこと。 こうして見ると、厳しい冬の雪景色もなかなか良いですねえ。 館内の美術品は撮影禁止でしたが、食堂にあった彫刻は撮らせていただきました。 通路に置かれていた彫刻も、撮っても良いんですよと言わんばかりでしたのでね。 ここからは館内の和風仕様を紹介します。蔵を連想させる渋い通路でしょ。 通路の壁面も純和風の造りでした。 休憩コーナーもこんな感じで、和みますね。 新館の2階展示室では、院展が開催されていました。作品は撮影出来ないため、ポスターだけでもね。 渡り廊下から見える中庭。今日は庭園の写真はこの1枚だけです。<不定期に続く>
2019.11.14
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~足立美術館と日本庭園その1~ 足立美術館は個人の収集品で主として日本画を中心に展示する美術館である。場所は島根県安来市にあり、そのためか美術館内で摂った昼食には「ドジョウ」が付いていた。安来はドジョウ掬いで有名な安来節の地元。だが出て来たドジョウは可愛らしいもので、ドジョウ独特の骨っぽさは全然感じなかった。 美術館の創設者である足立全康翁の銅像 在りし日の足立全康翁(1899-1990) 足立全康氏は島根県安来市出身の実業家で、16歳の時には大量の炭を焼き、これを売って財を成したと言う生まれながらの商売上手。後に大阪に出て実業家として成功を収めた。この資財で日本画を収集し、横山大観などの名品を数多く収集。それらのコレクションを元に、1970年(昭和45年)郷里に建てたのがこの美術館だった。その後、新館及び陶芸館を増築して今日に至る。 入館料金は3千円。決して安い料金ではない。それに所蔵する美術品の撮影は許されておらず、私はあまり日本画は好まない方だ。そしたら一体何を見るのか。そんな疑問が湧いても当然だ。実は足立美術館は日本庭園の見事さで有名な場所。外国人にも人気が高く、2003年から今日まで16年連続で「庭園日本一」の栄誉に輝いている。能書きはとも角として、早速庭園をご案内しよう。 庭に出ることは許されていない。広く開いた窓、所々に設けれた出口。そんなところから庭を観るのだが、これがとてつもなく広く、かつ手入れが行き届いている。専属の庭師は20人以上。庭の雰囲気が変わらないよう、そして背後の山々も借景とするために全て買い占めたと言う逸話がある。 私の下手な説明よりも、黙って写真を見た方が良いと思う。手入された庭の何と美しいことか。 冬は雪。春は若葉。夏は青葉。そして秋は紅葉と黄葉。四季様々に美しい庭園を偲んでみる。 繊細で美しい庭園だけでなく、奥に見える山々までが美術館の敷地とは豪快だ。<続く>
2019.11.13
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~鳥取砂丘・砂の美術館2~ 「砂の美術館」の2回目です。この作品のタイトルは「聖なる河ガンジス 沐浴と祈り」です。手前の群像がガンジス川で沐浴する人たちです。 沐浴する人々の姿をアップで。 ガンジス川は濁っていて、たまには死体も流れて来ると聞いたことがありますが。 後ろの建物はアフガニスタン北部にハズラト・アリー廟のブルーモスクです。コバルトブルーのタイルを基調としたモザイク模様が施されていることから、「ブルーモスク」の愛称があります。 ブルーモスクの手前の群衆は、インダス文明当時の人々です。 中には牛とヤギを連れた牧人も。 こちらはモヘンジョダロ遺跡で有名なインダス文明当時の人々の群像です。 モヘンジョダロのインダス文明当時の人々の暮らしぶりを、砂の彫刻で再現しています。 ネパール中部カトマンズ盆地にあったかつての王都パタンの荘厳な建物です。 同上の都にあるチベット仏教寺院とダルバール広場です。 上記の説明板には、制作者の名前と顔写真も載っています。 幸運の神ガネーシャの像です。ヒンズー教の神であるシヴァの妻パールヴァティは夫が知らない間に人形に魂を吹き込んでガネーシャを誕生させました。ところが事情を知らないシヴァがガネーシャの首を跳ね、捨ててしまうのです。パールヴァティは息子の首が見つけられず、止む無くゾウの首をつけてこの姿になったと言われています。幸運を招く神、中でも商売と学問の神として人気が高いのだそうです。 ガネーシャ神の制作者と作品の説明が書かれています。 作品はまだあるのですが、長く続くと退屈するので明日は別な美術館を紹介します。<続く>
2019.11.12
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~鳥取砂丘・砂の美術館(1)~ さんざん迷った挙句、鳥取砂丘の「砂の美術館」から紹介することにした。単純に旅の順番通り紹介するのでは詰まらない。かと言ってどんな方法が良いか。折角シリーズのタイトルを「旅・歴史と美を訪ねて」としたのだから、それに従って見よう。そして実質的に第1回の今日は大胆に砂の芸術を紹介することにした。美術館の入口は砂で出来ていた。モチーフは「ジャングルブック」だ。 入館してすぐ外へ出た。建物の外にも順路があったのだ。鑑賞する時間が心配だが、まあ何とかなるだろう。出迎えてくれたのはカッパとフクロウ。「なんだこんな物か。それが第1の感想。素人が作ったようなちゃちな作品。おまけに砂が乾いて、所々剥げ落ちている。でも焦るまい。これは歓迎の印と思えば良いだけの話。先ずはお手並み拝見だ。 屋根付きの作品は、とても異国情緒あるもの。その時は分からなかったのだが、この作品はモルディブを表現したものの由。モルディブはインド洋に浮かぶ島嶼国家。確か「インド洋の真珠」とか呼ばれて、ヨーロッパのお金持ちがバカンスにやって来るので有名らしい。奥の方には椰子に囲まれたホテルのような建物が見えた。 もう少し行くと今度はマザーテレサの像。カトリック信者の彼女は、確かインドの施設で恵まれない人々のため献身的に奉仕した方。それにしてもモルディブと言い、マザーテレサと言い、どうしてこんなモチーフを選んだのか謎だ。丘の上の小さな鐘から引き返し、ようやく美術館へ入った。 中ではこんな可愛らしいキャラクターがお出迎えしてくれた。スマイルマークかはたまたハロウィンの仮装なのか。 最後に上った3階には、こんな作りかけの像があった。これは紛れもなくカウボーイ。なぜ西部劇がこんなところで?謎が謎を呼ぶのだが、あんまり細かいことは言うまい。 ええい、面倒だ。こうなったら3階からの眺めを見せよう。これが砂の美術館の館内。超巨大な砂の像が幾つも並び、来館者はそれらを鑑賞しながら館内を一巡する仕組み。像の巨大さは入館者と比較したら分かると思う。 板が敷いてあるのが観覧のルート。何せ像が巨大過ぎて、どう撮影したら良いのかまごつくばかりだ。 3階から見たガンジー像。彼はインド独立の父。無抵抗主義で名高い彼は、民衆にあくまでも平和を訴えてイギリスからの独立を勝ち取った英雄。後にネール首相など、身内から3代にわたってインドの指導者を出す名家となった。 2階に降りて像の目の前に立つと、こんな風にガンジー翁の表情までがすっかり分かる。さてそろそろ種明かしをしよう。モルディブ、マザーテレサ、ガンジーと砂の像は続いた。一連のテーマはインド亜大陸など「南アジア」なのだ。同じテーマの像をそのままずっと使うと客が呼べない。そこで世界の各地域をテーマに砂の像を制作して順繰りに紹介し、入館者を呼ぼうと言う考えだ。 これが入館時にもらったパンフレット。確かに南アジアがテーマの作品。これで入口の砂像が「ジャングルブック」だったのも頷ける。実はあのお話の舞台も、アフリカではなくインドのジャングルなのだ。 舞台裏の話をもう一つしておこう。実はこれらの巨大な砂の像を造ったのは、世界の砂像芸術家20名で、パンフレットにはその顔写真と出身国、名前、所属などが明記されている。そして総合プロデュサーは日本人の茶圓克彦(ちゃえん・かつひこ)氏。鹿児島県出身で武蔵野美術大学を卒業し、砂の彫刻を専門にしている芸術家。道理で素晴らしい作品ばかりだ。明日からは大きな作品を紹介したい。<続く>
2019.11.11
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~旅の概要~ JALの翼 今回の旅はある旅行会社のツアー。独り暮らしの私はいつものように1人での参加。これだけでも確実に料金が高くなる。もちろん2人分の部屋代を払うためだ。このツアーで魅力を感じたポイントは先ず天橋立。ここは初めての訪問。島根の足立美術館も初めて。ここの庭園が凄いと聞く。鳥取砂丘と出雲大社と姫路城は2度目だが、何か収穫はあるはず。そして2泊とも温泉地なのが嬉しい。 <伊丹空港に掲げてあったラグビーW杯の歓迎フラッグ> ツアー仲間はいずれも東北の方で、青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島からの21名。添乗員はおっとりした年配の婦人で、バスガイドは賑やかな大阪のおばちゃん。これがまあ良くしゃべること。お陰で退屈しないで済んだのだが。バスは一路丹後へと向かう。つまり京都府の日本海側だ。これが何と兵庫県内の高速を通った。お陰で私が走ったフルマラソン「篠山」「福知山」の両方とも傍を通ったのだ。 名勝天橋立 最初の訪問地は天橋立(あまのはしだて)。松島(宮城)、安芸の宮島(広島)と共に「日本三景」の一つ。股覗き(またのぞき)で有名な観光地だ。これで私は三景全てを訪問したことになる。夕日が沈む日本海の風景が秀逸だった。そして丹後国一之宮の籠(この)神社にも急いで寄った。そこへ行ったのは私一人だけ。夕方5時で閉まるのだが、なぜか門が開いて私を待っていてくれたのだ。 神鍋高原の宿 泊ったのは神鍋高原の宿。右に左に真っ暗な山道を何度もハンドルを切った末の到着だった。何の効き目があるのか分からないが天然の温泉があった。夕食は但馬牛のソテーなどをバイキング方式で。松茸のお吸い物も美味しかった。翌朝も温泉に入り、ホテルの敷地内を散歩。キノコの群落を発見したが、手は出さなかった。 鳥取砂丘 鳥取砂丘には何もない。ただ広い砂丘が連なっているだけだ。ここに鳥取大学の砂丘研究所があることは知っていた。ここはラッキョウの栽培地。鳥取大学は中国の砂漠緑化にも寄与している。オプションの「砂の美術館」が実に秀逸。あまりにも見事な砂の芸術作品が目白押し。世界の美術家が制作した作品で、現在は「南アジア」をテーマとした作品が展示されていた。詳細は後日紹介予定。乞うご期待。 出雲大社 出雲大社は残念ながら時間が足らなかった。現地のガイドさんが境内を案内してくれたのだが、プライド過剰で、私の質問をはぐらかしたりと不遜な態度。それでも結構な枚数の写真を撮った。この神社は多くの謎を秘めている。その解決の糸口を見つけられなかったのが残念だが、手掛かりは見つかった。「古代出雲歴史博物館」と言う県立の施設があることを帰宅後に知った。1人旅なら行けたのに残念だ。 鳥取の山々 2泊目の宿は鳥取県の西端にある皆生(かいけ)温泉。ここは昔海中から温泉源が見つかったことで有名だ。だからお湯は塩味がする。夕食は「カニ付き」のバイキング。その夜もまた牛肉をたらふくいただいた。翌朝は温泉に入った後に海岸を散歩。遥か遠くに大山(だいせん)が見え、また弓の浜の対岸に島根半島が微かに望むことが出来た。2日とも朝の散歩が出来て幸いだった。 姫路城の遠望 旅の3日目は鳥取県米子市から伊丹空港までの大移動。そしてこの日の唯一の観光は姫路城。数年前に大工事を終えたとばかり思っていたのだが、まだ若干の修復工事が続いていた。天守閣の最上階まで登ったのは今回が初めて。ここで3社目の神社を見た。美しい城の写真をたくさん撮ったのでお楽しみに。 機内から見えた富士山 帰路の機内から富士山が見えた。雪を被った富士山を眺めたのは久しぶりだと思う。かなり遠めだったが、これは無理やりズームしたもの。 帰宅後、写真の整理に3日間かかった。残ったのは400枚ほど。その一部を使用して、今日は旅の概要を記した。さて、明日からはどんな紹介をしようか。出来る限り、読者の皆様に楽しい旅の紹介が出来たらと思っている。<続く>
2019.11.10
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~庭の花と実など~ 旅から帰宅すると、庭の小菊が開花していました。これで淋しかった庭が少し明るくなったかも。 白い小菊も可愛いなあ。丸っこい花弁が愛しいねえ。 黄色い花弁にちょっぴりピンクが混じっていますよ。 こちらはピンクの小菊です。優しい色ですねえ。 白い小菊をアップで撮ってみました。 花弁が長い黄色の小菊ってエレガントでしょ。 台風の際に刈り取ったシュウメイギクですが、少しだけ残っていましたね。 秋のミニバラはそろそろお終いでしょうか。 この時期のハナズオウは初めて。暖かかった秋で狂い咲きしたみたいねえ。 似ていますが、春に咲くのはクロッカス。秋に咲くのがサフランですよ。 安物の丈夫なサザンカが今年も一番乗りで咲き始めました。 ウメモドキの実が生っていますが、これも鳥の餌になることでしょう。 ユズが金色になりました。仙台も秋が深まりつつあります。 バラの実とハマナスの実は良く似てるのは仲間だからですよ。 最後はおまけです。左上は変色した紫陽花。右上は色づいたお手製の干し柿。 左下はボケの実。わたしはボケの身。そして右下は育って来たブロッコリーです。 こうして見ると秋は彩りに満ちています。寒い冬になる前のプレゼントかもね。 さて、明日から新シリーズ「旅・歴史と美を訪ねて」が始まります。どうぞお楽しみに~!!
2019.11.09
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~マックス爺またまた影絵で遊ぶ~ ドアのスリットから日が差して、玄関マットに光が当たっています。11月3日は「晴れの特異日」と言われていますが、実際は11月4日の方がずっと晴れの確率が高いみたいですよ。ともあれ、「これは良いチャンス」と早速カメラを持ち出した爺です。こんな日はやっぱり「あれ」ですね。 ハハハ。これです、これ。私が大好きな影絵遊びです。先ずは障子に写った植木の影をパチリ。 ほら楽しいでしょ? それとも喜んでいるのはわたしだけなのかなあ。 次はカーペットに映った植木鉢の影ね。こちらも以前やりましたが。 こんな「絵」が撮れる逆光。自然の影絵は楽しいな。 外に出していた植木鉢はほとんど室内に入れました。結構朝が冷えるようになったのでね。 ゴムの木を居間に入れたのは久しぶり。少し背が伸びました。 このちび助のラン。一度はダメになりかけたんですが、今は持ち直しています。 オリヅルランなどの観葉植物も窓辺に置いて、日光を浴びさせました。 全体像はこんな感じ。ひっそりして静かな居間なんですよ。 カーテンを開けて家の外から見るとこんな感じ。 今年はまったく花を咲かせなかったハイビスカスは、上の方をちょん切りました。いつもは玄関に入れていますが、昼間は外に出して日光を浴びさせています。まだ外に出してるのは2種類だけですが、1種類は庇の下でそのまま越冬させる予定です。 相変わらずのブログですが、また来てね~。 明日は庭の花を載せますよ~!!
2019.11.08
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~マックス爺の貧しき日常~ 2泊3日の旅から、案外元気で帰って来た。風邪はかなり良くなって、時々痰が出る程度。風邪薬は一切飲まずに済んだ。腰は相変わらずふらついていたが、出かける前よりは落ち着いた感じ。山寺へハイキングに行った時よりはよほどマシ。観光地を5つほど巡って、何がしかの収穫はあったと思う。冷蔵庫は空っぽだが何とかなったし、旅先でご馳走を食べた割に体重が増えてなくて良かった。 帰宅した翌日、畑を整理した。雲南百薬の蔓を全て切り、支柱を取り外して片付けた。最後の収穫はボウル2個分。その4分の1ほどを早速お浸しにした。整備のついでに伸びていた植木の剪定も。今回は西側のオオテマリとシャラだけ。少し強めの剪定になったが、来年も花を咲かせてくれることを信じたい。 キャベツ1個を収穫。良く見ると鳥に突かれたのではなく、台風時の大雨で急成長して爆裂したようだ。「爆裂キャベツ」のことは知っていたが、まさか自分が育てたので、こんなことになるのは初めてだ。大きめのカブ4本も抜いたが、冷蔵庫に入れたまま。その後根茎の部分は薄くスライスして甘酢漬けにし、葉は刻んで味噌汁の実に。こんな風に全てを使い切るのがマックス流なのだ。 朝の気温が下がり始めたため、植木鉢を全部室内に取り込んだ。今年は一輪も咲かなかったハイビスカスと、たくさんの花を咲かせたシコンノボタンは、この際にかなり枝を刈り込んだ。あまりにも背が伸び過ぎて、家に入れる際に大変だったためだ。これで少しは持ち運びが楽になった。元気がなかったゼラニウムは思い切って捨て、玄関に入れたハイビスカスは日中外に出して日に当てている。 印刷を外注していた年賀状が届いた。頼んでから1週間もしていないと思うのだが、こんなに早く届くとは意外。12月に入ってからゆっくりと書く予定。さて、日曜日の町内会の草刈をすっかり忘れていた。鎌と軍手を玄関に用意していたのに、料理に夢中になって草刈を失念していたのだ。何と言う不始末。お世話役には謝ったが困ったもの。とがめだてする人は誰もいないのだが。 旅から帰宅して目についたのが庭の小菊。旅行前にはまだ蕾だったのが、5種類ほどがすっかり開花していた。淋しかった庭が、かなり明るくなった。料理はカレー、野菜炒め、ポテトサラダ、カボチャの煮物などを作り、サンマをさばいて一夜干しに。これでまた1週間を過ごせるはず。買い物をし、年賀状の代金を支払ったら懐が急に寂しくなった。「お足」とはよく言ったもので、どこかへ飛んで行った。 さて、東北にも冬が近づいたようだ。11月5日(火)のニュースでは、蔵王山に初冠雪があった由。仙台市内からもはっきり見えたと言う。この日から「蔵王エコーライン」が閉鎖。朝の最低気温は7度を下回り、風邪に要注意の季節が到来だ。腰痛が続くため、久しぶりに整骨院へ。先生の話では姿勢が原因らしく、筋肉の量も落ちている由。う~む、やはり鍛錬が足らなかったか。体は正直だ。
2019.11.07
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~山寺立石寺境内風景~ 「奥の細道」で山寺立石寺を訪れた時、芭蕉(上)は45歳。弟子の曾良は40歳の時でした。この5年後、奥の細道の編集を終えた芭蕉は旅先で死ぬのです。享年50歳。まさに「人生50年」の時代ですね。 奥の院まで1100段の石段を登って行く途中に、この寺で亡くなった僧侶の墓も見られます。 このような石仏も何体か祀られています。とても静かな境内でまさに芭蕉が句を詠んだ通りですね。 閑さや岩にしみ入蝉の声 (しずかさやいわにしみいるせみのこえ) 石段の上に仁王門が見えます。におうと言っても、お漏らしをしたわけではありません。 途中で一度休憩しました。後ろを振り返ると、遥か彼方に奥羽山脈が連なって見えました。 今回のハイキングの最高地点、山寺立石寺の奥の院です。石段1100段を登り切った地点にあります。やれやれ。 何とまあ、たくさんのお御籤が結び付けてありましたよ。 そしてやせこけた修行僧の姿が石に刻んでありました。 奥の院からの帰路、下を覗くと境内にたくさんの建物が見えました。 見えづらいのですが、岩窟内には重要文化財の「三重小塔」が安置されています。 絶壁に張り付いた建物は、危険で近づくことが出来ませんでした。 見晴らし台(上)と、眼下に見える門前町(下)です。 姥堂に祀られていた姥と夜叉。女性は怖いですねえ。 これで山寺の話はお終いですじゃ。皆様もどうぞご機嫌よう。ではまたね。<完>
2019.11.06
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~山寺付近の風景~ 山寺の前を流れる立谷(たちや)川は須川の支流です。やがて最上川に合流して日本海へと注ぎます。 千手院に向かう途中、木々の合間から立谷川の流れが少しだけ見ることが出来ました。 木々の紅葉にはまだ早かったようですね。左下に小さく仲間の姿が見えます。 黒々とした木の幹と、光り輝く木の葉の対比が見事ですね。 目を凝らすと、立谷川の水面が光っているのが見えますね。 道路の脇にはたくさんの柿の実が、秋の日を浴びていました。これは甘柿かなあ。 山道に入ると大木の間から空が見えました。 落ちていたのは桜の葉みたいです。こんなのまで撮っていると、みんなに遅れてしまいます。 丸くて黒いチゴユリ(稚児百合)の実です。名前のようにとても小さな植物なんですよ。 少しでも色づいたところを撮ろうとするのですが、足元にも注意しないとね。 良いですねえ。まだ紅葉したばかりですが、なかなかのものです。 う~ん。どれもいまいちだったかなあ。 私が大好きな逆光の木漏れ日3連発ですが、何かご不満でも? 最後にお口直しはいかがでしょうか。ではまた明日ね。 <続く>
2019.11.05
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~気になったニュースなど~ 女優の八千草薫さんが亡くなった。享年87歳。死因はすい臓がんとのこと。実に上品な人だった。そして怒った顔を見たことがなかった。宝ジェンヌの娘役を務めた後、映画界にデビュー。花のある女優として王道を歩いた。どんな汚れ役を演じても、品を失うことがなかったと言う。優しい人柄に憧れ、私は長女にこの名をつけた。ただし読み方は異なるが。天国でもにこやかに暮らして欲しいものだ。合掌。 東北楽天の嶋捕手が自由契約となった。今季は怪我で60試合以下の出場に留まり、球団からかなりの年俸減額と指導者への道を求められていた彼。球団創設以来の功労者に対して、それはないだろうと言うのがファンの一致した感想。結局彼は現役の道を模索して退団。どうやらヤクルトが獲得の意向と聞く。今季もストーブリーグの時期となったが、「プレミアム12」での侍ジャパンの活躍に期待したい。 過日日本で開催された米国プロゴルフツアーの「Zozoチャンピオンシップ」でタイガーウッズが優勝した。これでメジャーでの優勝回数は82勝となり、トップタイに並んだ由。ひと頃彼はセックス依存症により離婚。その後薬に溺れて廃人のようになった。良くもあの地獄から這い上がって来たものだ。さすがは元王者。憧れのプロゴルファーとして、今後一層の活躍と健康を祈りたい。 3位決定戦のニュージーランド対ウエールズ戦は観なかったが、準決勝のイングランド対ニュージーランド戦及び南アフリカ対ウェールズ戦は共にテレビで観戦した。決勝戦はイングランド対南アフリカの実力チーム同士の対戦。前半は接戦だったが、後半は圧倒的に南アフリカが支配して優勝を遂げた。そのチームに準々決勝で敗れた日本チームも、少しは誇っても良い戦いだったと思うのだが。 首里城の焼失には驚いた。犯人は自分とネットで表明した男が複数出たがただちに削除。あり得ない場所から火災現場を撮った画像が出回っているとも聞く。消防署と警察の合同捜査でもまだ火災の原因は分かっていないが、正殿、北殿、南殿など7つの建物を全半焼し、貴重な財産を失った。私は火災当日の早朝旅先のテレビで観て、信じられない思いだった。そして「これはきっと人災だろう」と直感した。 多くの人が「直ぐに再建を」と言うのには驚いた。玉城沖縄県知事が政府に「早期再建」を訴え、官房長官がそれに応えたのにも驚いた。あの城はそんなに簡単に再建出来る代物ではないのだ。復元には30年もの月日を要した。第二次世界大戦で多くの関係資料を失い、一からの出発だったのだ。経費は100億円以上。建築資材は台湾の檜を特別に譲ってもらったもの。「今回限り」と言う条件付きだった。 正殿に収容されていた「尚家資料」400点ほども全て焼失した。尚家は第二琉球王朝の王の末裔。明治の「琉球処分」時以降は沖縄県民から隔離され、東京住まいとなった。その王家に伝わるたった一つしかない歴史資料が、全て灰燼に帰したことにも驚く。なぜ管理が行き届いている博物館で収蔵しなかったのかと。首里城の管理は今年2月に国から県へと移譲されている。県の管理は果たして十分だったのか。 出火の原因は何か。管理体制に問題はなかったのか。消火設備は果たして十分だったのか。火災当日もお祭りの準備のために正殿前で未明まで作業していた由。火気は使用してないと聞くが、貴重な文化財を保護する意識に欠けていたのは間違いない事実。焼けてしまったらもう元へは戻れない。時間も金もそして歴史資料も全てが貴重なもので、決して粗末にして欲しくない。それが偽らざる私の気持ち。 沖縄を愛する者の一人として声を上げたい。簡単に再建などと言って欲しくない。あれが復元出来たのは、戦前の写真家で沖縄研究家の鎌倉芳太郎氏が膨大な写真と精密な図面を残してくれていたからだ。当時はカラー写真がなかったため、人々の記憶を辿ってようやく竣工に行き着いたのだ。当時私の勤務先にも古い写真の存在を尋ねて調査の人が来られたのが、記憶に新しい。 物を大事にしない。そして心を大事にしないと、いつかその報いを受ける。今回はもっと苦しみ、もっと責任を感じて欲しいと思う。それが歴史と伝統を粗末にした罰だ。建物はいつか建てられても、沖縄の真の宝である文化財は永遠に失ったまま。だからこそ私は、今回の火事は「人災」だと、声を大にして言いたい。さて、正殿北側から焼け焦げた「分電盤」が見つかった由。早急な原因究明が待たれる。
2019.11.04
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~「もう一つの山寺の遺跡群~ 「エンジョイジョガー・インみちのく」は「伊達なマラニック」の前に行われていたマラニックの名前です。会員が歳を取ったため、今ではハイキングがメインになりました。この日の参加者は28名でしたが、うち1名は体調不良で仙台へ帰って行きました。 この日は午前中の「もう一つの山寺」から始まりました。スタート地点の「千手院」(せんじゅいん)へ向かう途中、仙山線の線路を渡ります。この鳥居の下を潜るといきなり線路です。踏切はなく。線路そのものを跨いで行くのには驚きましたね。 千手院は山寺立石寺より少し山手にあります。恐らくは立石寺の別院と言った感じでしょうか。 お堂の軒下に唐獅子の彫刻がありました。 最初の仏教遺跡が垂水遺跡です。岩の裂け目の下部から湧き水が湧いています。ここはかつて修験道(しゅげんどう=山伏)達が修行したと伝わる地です。飲み水の確保は出来たみたいですね。 地元の方が設置した説明板。慈覚大師円仁が修行したとの伝説がありますが実際はどうでしょうね。山伏たちの修行地であることは確かなようですが。 大きく張り出した岩窟の下も修行の跡地のようですね。 岩の穴は風雨に曝されて、自然に出来たものです。鳥居の上部にも、修行した跡地があります。 山の上から降りて来ると、男岩と女岩があります。この周辺も修行地だった由。 ここにも地元の方が立てた説明板がありました。 麓近くまで降りて来ると、「峯の浦本院」に関する説明板がありました。ここには山寺立石寺建立以前に小さな堂宇があり、修行僧が起居した住居跡や菜園の跡があったようです。 どうやらここには縄文時代から人が住み着いていたみたいですね。 こちらは修行していた僧侶たちが使用していた道具類でしょうか。 「峯の浦本院」の礎石(そせき=土台となる石)も地下に埋まっていました。立石寺以前に小さなお寺を建てて修行していたと思われます。「もう一つの山寺」と呼ばれる所以です。<不定期に続く>
2019.11.03
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~山寺立石寺奥の院までの1100段の石段~ さて午後からは山寺立石寺に参拝し、奥の院までの石段1100段を登る。午前中「もう一つの山寺」で拾った杖が大いに役立った。立石寺は慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)が開山したと伝わる天台宗の古寺。彼が開祖と伝わる寺は、岩手県平泉の中尊寺や宮城県松島の瑞巌寺、青森県恐山の菩提寺など有名な寺ばかりだ。 慈覚大師円仁は延暦13年(794年)下野国(今の栃木県)に生まれた。生家は壬生氏。若くして延暦寺で学び、最後の遣唐使船で唐に渡り五台山まで歩くなどして仏教を学んだ。最澄、空海らと共に入唐八家の一人。帰国後は関東、東北の寺約540ケ寺の開山もしくは中興に当たったとされる。立石寺開山とされる貞観2年は66歳で天台座主。当時の66歳はかなりの高齢。要職にもあり、到底無理な話だ。高僧開山の伝えは寺格を上げるために良くありがちな話。 元禄2年(1689年)の旧暦5月26日。芭蕉は弟子の曾良と共にこの地を訪れた。いわゆる「奥の細道」の旅だ。この地で詠んだ句が 閑や岩にしみ入蝉の声「閑」はしずけさではなく「しずかさ」。「入」は「いる」で送り仮名はない。新暦だと7月13日に当たり、鳴いていたセミの種類は恐らく「ニイニイゼミ」だろうと言うのが地元の研究者の説だ。 松尾芭蕉は寛永1年(1644年)に伊賀国(三重県)に生まれ、元禄7年(1694年)旅の途中50歳で死去する。奥の細道を旅したのは45歳の時で、「奥の細道」は旅を終えてから5年後に完成したとされる。また書かれたことの全てが真実ではなく、虚構も交え文学的に構成してある。 弟子の河合曾良は慶安2年(1649年)信濃国(長野県)に生まれ、宝永7年(1710年)旅行先の壱岐島(長崎県)で死去した。享年61歳。師の芭蕉と旅した「奥の細道」を歩いたのは40歳の時で、芭蕉の死後は諸国巡検使として幕府から召し抱えられ、壱岐へも巡検使としての旅であった。師の芭蕉よりも老けて見えるのは髪型のせいだろうか。曾良も「奥の細道」でたくさんの句を詠み、「曾良旅日記」を著している。 奥の院までの石段は1100段。普段全く運動をしていない私にとっては、結構な運動量ではあった。息が詰まり、胸がつかえ、足がガクガクした。所々で休憩を取り、お茶も飲んだ。10年ほど前までは仙台市の自宅から53kmほど峠道を走って山寺へ来、ついでにこの石段を最上部まで登っても疲れを知らなかった私だが、今はヨレヨレの後期高齢者そのものだ。月日の流れは何と残酷なことか。 ここが奥の院。もっと続きがあるのかと思っていたのだが。ここなら2度ほど来たことがあった。振り返ると眼下には門前町が見え、遥かに奥羽山脈が連なっていた。紅葉にはまだ少し早い、そのいずれかの峰の間を縫って私は自宅から3度ほど走って来たのだ。あんな冒険はもう出来ない。若かりし日の素晴らしい思い出だ。 下りの石段は慎重に降りた。緑内障のため見えない部分がある。いわゆる視覚欠損で、特に下りに踏み外す危険性が高い。この時も拾った枝の杖が大いに役立ってくれた。途中「見晴らし台」に寄ると、聞き慣れない言葉。どうやらタイの女優がインタビューに応えて「体験記」を話しているみたい。 これが舞台からの眺め。目の前に見えるのが奥羽山脈。M仙人はこの辺も踏破している猛者。私が走った二口峠はこの山のもっと右手に当たる。 ネットから借用した雪の山寺の写真を載せておこう。これは中間地点で、奥の院はまだまだ先だ。 何とか麓まで降りて来た。やれやれ自分でも良く頑張れたものだ。予定より1時間も早く着いたため、乗る予定の電車を早めて駅へ向かった。ホームに立って待っているうち、膝が震え出した。疲労の限界。もし杖が無ければもっと大変だったに違いない。その夜、睡眠中に不整脈が出た。久しぶりのことだ。鼻水で咳が出た。風邪でも引いたのだろうか。2日後、腰がガクガクして体が揺れた。ハイキングの後遺症は大きく、山陰への旅が心配になって来た。 これで総集編は完結です。残った写真で別途特集を組む予定です。引き続きどうぞお楽しみに。
2019.11.02
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~「もう一つの山寺」を訪ねて~ 山寺立石寺の入山チケット(表) 10月23日開催の「第4回伊達なマラニック」の前日、私は大いに迷っていた。3日前には幹事のKさん宛に、不参加のメールを出していた。それにも関わらず彼女からは「ドタ参でも良いよ」との返事をもらった。不安の1つは天候。キャンセルのメールを出した時の天気予報で山形県は雨、仙台も朝方雨だった。2つ目の不安は体調。8月の「作並ラン」以降、走るどころか運動すら出来ないでいた。 <チケット裏面:立石寺境内図> 眩暈や耳鳴りは耳鼻科の薬でだいぶ治まっていた。だが新たに腰のふらつきが始まっていた。こんなのは初めてのことだが、きっと運動不足で姿勢を維持する筋力が相当衰えてしまったのだろう。こんな状態で果たして参加など出来るのか。それでも必要なものをリュックに詰め、枕元に目覚まし時計を置いた。翌朝は目覚ましの世話にもならず、スムースに起きた。そして参加することに決めた。 山寺を見上げる 最寄りのN駅から山寺までの切符を購入。990円だった。仙台駅の集合場所には行かずに仙山線の山形行き快速に乗ると、やがてKさんが見回りに来た。同じ走友会所属のM井さんが乗って来て情報交換。何と高校の後輩で同じ走友会のSさんが2月にがんで亡くなった由。そうだったのか。私より3学年も下の彼が、先に逝くとは信じらない思い。彼と走った数々のレースが思い出される。 山寺を見上げる2 山寺駅で下車し、参加費を支払う。リ-ダーのFさんから山寺立石寺に関する簡単な説明。そしてKさんからは日程の説明。ところが神奈川県のKさんの姿がない。電車のトイレに入ったまま、山形方面に向かった由。前夜の歓迎会でしこたま飲んだのが原因とか。リュックを手渡す必要上、雲峰師匠とツジポンさんが駅に残った。彼ら2人も飲み仲間で、どうやら山寺奥の院まで登る体力はないようだ。 山寺近辺の案内図 最初に向かったのは、図面に2つあるお寺のうち右側の方。ここの山上には数年前に発見された修行地の跡があるのだとか。つまり慈覚大師が山寺立石寺を開く前に弟子と共に修行していた場所。それで「もう一つの山寺」と呼ばれているとのこと。踏切などなく、仙山線の線路を直接渡ったのにはビックリ。その先にあるお寺が千手院。私たちはそこから山道へ入って行った。 前日の雨でここでも相当量降ったはず。だが当日は朝から晴れて、道の状態はまあまあ良かった。自然そのものの山道を登って行くと、やがて修行地が見えて来た。 ここが慈覚大師とその弟子たちが修行したと伝えられる岩窟。円仁(えんにん)は慈覚大師の別名で、下野国(現座の栃木県)出身。比叡山延暦寺で仏教を修め、東北、関東の70ほどの寺院の開祖と伝わる高僧。だが、彼の前に修験道(山伏)たちが山岳で修行を積んだ由。修験道は仏教、神道などが入り混じった原始宗教で役小角(えんのおづぬ)が開祖。役行者(えんのぎょうじゃ)とも言い、雲に跨って都と陸奥を往復したと伝わる仙人だ。 わが走友たち 登りは良かったが、下りは道が滑った。怪我をしたら困るので、手ごろな木の枝を拾って杖にした。これで足元がしっかりした。合計5か所ほどの修行地跡を訪ねながら麓へ下りた。途中かつての堂宇跡や家屋、菜園跡などがあった。 参加者 昼食は山寺の真ん前の食堂で摂った。中には剛の者がいて、昼間からビールのジョッキを開ける者も。私は冷やしとろろ蕎麦を頼んだ。本当はお握りやパン、果物も持っていたが、付き合いが肝心と皆に合わせた。神奈川のKさんは結局体調不良のため、そのまま仙台へ向かった由。午後からはいよいよ山寺立石寺の奥の院まで参拝登山。午前中に使った「杖」をそのまま持参した。それが大いに役立ってくれた。<続く> 昨夜無事に旅行から帰宅しました。留守中のご来訪とコメント、ありがとうございました。本日からまたよろしくお願いしますね。 さて、昨日の朝は旅先でTVを見てビックリでした。首里城正殿と北御殿、南御殿が全焼してしまいました。火災の原因はまだ分かっていませんが、ガッカリですね。沖縄に3年間勤め、首里城の復元工事のいきさつも良く知っているだけに、「なぜ?」と言う思いが強いのですよ。あれがまた簡単に復活出来ると思って欲しくはないですね。粗末にして欲しくないのです。あれを造るのにどれだけ苦労したか。この件については改めて書きたいと思っています。
2019.11.01
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