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~ピクルスと梅干しの話など~ 歯医者さんから絵葉書が届いた。表にはドクターの優しい似顔絵。そして裏には磐梯山と猪苗代湖。これは奥様が描かれた絵。懐かしいなあ。猪苗代湖はウルトラマラソンで6回ほど走ったコース。その時で異なるが、ここは70km付近か。磐梯山の峠越え後に湖を一周(周囲60km)した時もあった。厳しくも楽しかったレースがまざまざと脳裏に蘇る。60代半ばまでのまだ元気だった頃の話。 市役所から書類が届いた。保険料課徴分のうち千円返還するので手続きして欲しい由。わずか千円にずいぶん手数をかけるものだと呆れ果てる。個人情報を目隠しするシールを張るのを忘れてそのまま投函した。ご丁寧に「振り込みサギ注意」のビラも同封されていたが、そんな世の中なのだと改めて思い知らされた。 思いつきでピクルスを作った。キュウリが弱って来たと感じたからだ。さて「漬け汁」はどうすべきか。酢に砂糖、それに浅漬けの素(液体)を混ぜて見た。これがなかなか美味しい。キュウリが減るとニンジンを追加、それも減るとスライスした大根を追加。漬け汁の味が割と濃かったせいか、最後までしっかりとした味だった。夏は体が酢の物を欲すると感じた次第。 約1か月間漬け込んだ梅干しを天日干しに。ほほう、わが家の青梅が見事な色に変身している。経費は200円で買った赤シソの葉くらい。数えたら全部で86個あった。昨年漬けたのは30個。それがまだ何個か残っている。これなら2~3年持つかも知れないし、ご近所に配っても良い。第一欲張っても食べ切れるものではないし。トマト、ミニトマト、インゲン、雲南百薬なども喜んでくれる方に上げた。 台風から変わった熱帯性低気圧が去る前後から、仙台は急に暑くなった。ある夜、寝苦しくて目が覚めると室温は29度。完全な熱帯夜だ。扉を開けたら幾分涼しく。ある日の日中、暑いと感じて温度計を見ると33度。慌ててクーラーをつけた。急な猛暑のため、熱中症で亡くなる方も出始めた。独り暮らしの私は特に要注意。そんな中44日ぶりに9kmランを決行。その話は改めて書く予定。 高校野球県大会の決勝戦が、楽天生命パーク球場であった。結果は仙台育英がライバルの東北高校を15対10で下した。完全な乱打戦。東北高校にも勝つチャンスはあったが、肝心のところでのミスが響いた。わが母校はその優勝校に準々決勝で敗れた。公立高校が0対3だから良く健闘した方だと思う。元気だった頃は球場で観戦したが、今はTV観戦で十分になった。それに熱中症も防げるしね。
2019.07.31
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~日月潭の文武廟 その1~ 台中市の山の中に、日月譚と言う人工湖がある。戦前日本が造ったダム湖だ。その畔の廟がダム湖に沈むため、山上の見晴らしの良い場所に新たに建造したのがこの文武廟。これは「前門」を背後から見たところ。門の前に広がる湖が日月潭。台湾随一の風光明媚な景勝地とされている。広々として確かに眺めは良かった。 巨大な門の上部中央には「文武廟」と書かれた扁額(へんがく)が見える。 廟の入口、向かって左側には牙を剥いた獅子が鎮座している。 日本のお寺とはかなり雰囲気が違います。ここは道教の寺院で、古代中国の英雄などを祀っています。 廟は前段、中段、後段の3つで構成されています。丘の頂上まで石段を登ってお参りします。 天井の高さに先ず驚かされます。鮮やかな色彩にもビックリです。そして祀られた英雄のおどろおどろしい姿に二度ビックリ。剣を手にしている姿を見ると、こちらは武の英雄でしょうね。 豊かな髭を蓄えた人物は、穏やかな表情から「文」の守り神なのでしょう。中国人は古来より文武の英雄などを、自分に霊力と幸福を与えるとして信じて来たのです。即ちそれが道教の本質でしょうか。 とても煌びやかな天井です。廟は全て信者からの寄進で建てられています。寄進はきっと善を積む行為とされたのでしょう。 ここにも色んな聖人が祀られています。尊像の前にも線香の煙が絶えません。お参りするのはもちろん、この線香も「ただ」。つまりは全てが寄進によるものなのです。 武の神の表情はあくまでも厳めしく、そして文の神の表情はあくまでも穏やかです。 石段の踊り場には、見事な石の龍が彫られていました。龍は権力の象徴で、爪の本数が5本の龍は皇帝しか用いることが出来ません。また「玉」を握っているのも同様、皇帝の権威の象徴なのです。 やがて2つ目の門が目の前に。これも巨大かつ煌びやかな仕様です。 これは中段の廟かな。まだ上に建物が見えるので、きっとそのはず。それにしても巨大ですね。 中国人(と言っても「中国」と言う名前と概念はごく近年のもので、古来「国」もそれを建てた民族にも変遷があります)と日本人の宗教観、国家観、世界観はまるきり違いますね。当然善悪や価値観も同様です。いわゆる「中華思想」は漢民族が世界の中央を治めると言う思想で、今なお生きているとも言えます。日本人との感覚のずれの根源でしょうか。<続く>
2019.07.30
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~「宮原眼科」に見る台湾の暮らしぶり~ 昨日に続いて台中市の「宮原眼科」を紹介する。「宮原眼科」は戦前この場所にあった日本人経営の医院。その場所に瀟洒なビルディングを建てたのだが、名前はそのまま残した。そこに台湾人の日本に対する思いが感じられる。つまり日本統治時代に何の抵抗もないどころか、逆に懐かしさを感じているのだと思う。このコーナーは本屋さんだと思うが、実際はどうなのだろう。 本屋さんのコーナー(上)ととても広い吹き抜け(下) ウインドウに張られたお洒落なポスター。上からパイナップル、クレープ(?)、種の広告か。 ポスターが張られたガラスに、外の景色が映る不思議な世界。 コーヒー店(上)、果物屋(下)の広告にも「宮原」の文字が見える。 もう7月だと言うのに「新年(旧暦)」のお祝いのお目出度い文字がそのままに。 「宮原眼科」の斜向かいにあるビル(右)と手前の橋の名前(左)。なかなかの風情だ。<続く>
2019.07.29
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~「宮原眼科」の謎~ 街の芸術家集団「彩虹眷村」の次に向かったのが「宮原眼科」。ツーリストの案内にも、はっきりそう書いてあるから間違いはなさそうだ。ここも台中市内で、場所は繁華街のど真ん中だった。 「宮原」は日本の姓だし、「眼科」は他に解釈のしようがない。日本の眼科がなぜ観光の目玉になるのか。それが偽らざる気持ちだった。ところが建物の最上部、つまり屋根の上を見上げるとなにやら看板が。 ほれほれ、やっぱり「宮原眼科」とある。ここは日本統治時代に、眼科が開かれていた場所なのだ。 ここが建物の側面で、ここにも広い入口がある。まさか今でも眼科ではないよねえ。 その疑問を払しょくするように、クラシカルな感じの案内がぶら下がっていた。なんとまあ、戦前の建物の名をそのまま生かしたショッピングモールのようだ。これはたまげた。ビックリ仰天。こんなことが本当にあるものだろうか。 中に入ると意外や意外。お洒落と言うか、ゴージャスな雰囲気と言うか。 いなせな感じの店員さん。おお、男前のお兄さんだねえ。一体何を売ってるんだろう。 いかにもセンスの良いデザインですねえ。思わず驚きながら店内を巡るツアー客たち。 いや~っ、参った参った。ビルの名前と中のテナントが全く違いますなあ。台湾人の大らかさには正直驚かされました。それともこれを称してたくましい商魂と言うべきなのか。 同じ日本の統治下にあった韓国では、忌まわしい「負の遺産」として、その時代の建物を取り壊しているんですよ。旧朝鮮総督府も先年跡形もなく破壊されました。ところが台湾では、その時代を懐かしむかのように、70数年以上も前の名前を残しているのです。全く同じ体験をした国がこれだけ明白に異なる対応をすることに、いや台湾人の恩を忘れない性情に、私は改めて感激したのでした。 私たち東北の人間は、あの東日本大震災の後、世界中で一番最初に援助の手を差し伸べてくれたのが台湾人だったことを、今でもはっきりと覚えています。それも地方の女子中学生が何か援助したいと、募金活動をしてくれたのでしたよね。初めて台湾に来た私が全く何の違和感も感じなったのは、きっと沖縄に勤務した経験だけではないはず。こんな偶然の遭遇が、その想いをますます強くさせるのです。<続く>
2019.07.28
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~街の芸術家たち・台中市「彩虹眷村」のペイント芸術~ ツアー初日、最初に案内されたのが台中市の中心部にある再開発地区。バスから降りて歩いて行くと、何やらゴチャゴチャ絵が描いてある家が前方に見えた。たくさんの人が見えるが、一体何をしてるのだろう。これが観光とはとうてい思えないのだが。 ほほう。これは賑やか。何とも不思議な光景だ。元々ここは再開発のため、取り壊される予定の地区だった由。ところがどうせ壊されるなら、その家に絵を描いて見ようと考えたお爺さんが現れた。 どうやら最初に絵を描き始めたのがこのお爺さんみたい。説明によればこのお爺さん、何と90歳で絵を描き始めたようだ。それにしても世の中には不思議な人がいるもんだ。 小屋に入ると、壁にこんな絵が張ってあった。これがこのお爺さんが描いたものかは分からない。なぜかと言うと廃墟の絵が評判になり、何人もの「にわか画家」が出現したからだ。 何だか漫画チックな絵。児童画のような雰囲気で、夢を感じる。 私は目の前に広がる「芸術作品」を、片っ端からカメラに収めた。だから載せた順番は、ほぼ撮影した順番に等しい。 圧倒的なそのエネルギーに驚く。なおこの一角の名は「彩虹眷村」で(さいこうけんむら)と読む。鮮やかな虹のような絵を描く仲間の村とでも言うのだろう。眷は眷属(けんぞく)の眷で、元々は仏教用語。言って見れば一族のようなもので、私は仲間と訳してみたのだが。 描かれた絵には何の気負いもてらいもない。自分が好きなものを好きなように描いたと言った感じ。 描かれた絵が面白いと評判になって、人が集まり出した。すると「画家たち」は調子に乗って廃屋に絵を描き、その物珍しさにさらに人が集まると言う寸法。 市当局は慌てた。本来は家々を取り壊して、都市計画を実行する予定だったからだ。 これだけ評判になって人が集まり出すと、もう取り壊してしまうのは無理。 そこで台中市の関係者は考え直した。こうなったらこの村を残し、観光客を呼んだらどうだろうと。 その思惑は当たった。何とこの村の評判を聞きつけ、外国からまで観光客が来出したのだ。 こうして絵が描かれた廃屋の保存が決定し、画家たちは安心して再び絵を描き始めた。 私たちも、まさか台湾観光の初っ端に、こんな場所に案内されるとは思いもかけなかった。だがこうして見ると、なかなか面白い。そして本来の都市計画を断念して「芸術」を残した台湾人の度量も、案外大したものだと思い直したのだった
2019.07.27
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~プロローグ(序章)~ 桃園市の夜明け 台湾紹介の第2弾を始める前に、残った写真を数えてみた。驚いたことに、まだ650枚以上あった。第1弾の連載は10回。そこで私が使ったのは100枚にも満たなかったのだ。さて、どうする。いまさらながらその数に圧倒される。1回あたり20枚を消費するとしても32回分にはなる。おそらくはそれ以上になるはずだ。まさか1か月ぶっ通しで台湾の旅を連載する訳には行かないだろうなあ。 高雄市の夜明け ツアーでの訪問箇所も多く、かつその他のテーマも多い。最後まで読者に飽きさせないため、どう展開して行くか。ここ数日そのことで悩んだ。だが良い解決策が浮かぶわけでもない。こうなれば自分の感覚を信じて、「えい、やあ」で行くか。こんな泣き言を最初に書けば、読者も案外理解してくれるのではないか。ついそんな甘い考えを抱いた。 フィリピン海に流れ込む川 4泊5日の旅を終えた正直な感想は、台湾にはあまり見るべきものがないと言う印象。素晴らしい景勝地が多いわけではない。ごく普通の南国らしい風景も、雨模様のスッキリしないものだった。世界遺産は皆無。「中国が邪魔してるせい」と陳さんは言うが、それだけではないと私は感じた。元々蛮族の住む島で、さほどの文化がなかったのだろう。台北博物館の秘宝も、中国本土の漢族渡来のものだ。 「北回帰線」の白い塔 「今回のツアーで見なかった他の景勝地は?」。私は尋ねた。「阿里山かなあ」陳さんが答える。見事な檜を伐り出すために作られた軽便鉄道。雄大な山々にはとてつもない魅力があるようだ。だが「お手軽ツアー」には無理なのだろうし、専門の山岳ガイドや宿泊設備の心配もある。きっと台湾に残された最後の秘境なのかも知れない。そして未知の島嶼部を訪ねるのは、さらに困難なはず。 花蓮での朝食 だが私は今回のツアーに満足している。元々美しい風景や美味しい食事に期待はしてなかった。豊かではないが貧しくもない。穏やかな国民性で、日本に対する感謝や尊敬がまだ生きている国、台湾。都会も地方もそれなりに整い、民度の高さを窺わせた。日本人にとっては安心して旅が出来る国だと実感した。台湾に抱いていた私のイメージに全く変化はなかった。もちろん犯罪者はどんな国にでもいるが。 花蓮のホテルからの眺望 もし「台湾にもう一度行きたいか」と聞かれたら、「もう十分」と答える。元気で外国旅行に行けるのは80歳までと考えているためだ。残された5年間で、今後どこへ行くか。やはりアジアだ。それもごく近辺の。それが私にとっての良き国際認識につながるはずだ。今回の旅は私の知見を豊かにしてくれた。それも現地ガイド陳さんとの出会いが、大きく作用したのは間違いない。 台北空港にて 地理的な条件が民族や国家に大きな影響を与えるのは歴史が示すところ。出来るなら台湾にはこの先も発展し、何とか中国に飲み込まれず生き延びて欲しい。むざむざ領土拡大と言う中国の野心の餌食になって欲しくない。仙台行きの格安航空機にたくさん乗り込んで来た台湾人の若い家族たち。その温和な表情は何ら私たちと変わりがなかった。前途は厳しいかも知れないが、緑の島台湾の限りない安寧を願う。 台北博物館の案内表示から 旅の4日目、私がブログを書いてることを話すと、「今度のツアーの事も書くの」と心配そうな陳さん。「もちろん」と私。私は一人の日本人として彼の意見を聞き、台湾を見た。逆に彼は一人の台湾人として私を通じ、日本を理解したはずだ。同じアジア人として本音で語り合った5日間。その貴重な体験を記憶の奥底に留めておきたい。さて、明日からどんな風に台湾を紹介すべきか。<続く>
2019.07.26
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~気になることを少々~ 東で芸能プロダクション関係者の葬儀があった。その数日後、SMAPの三人を使わないよう申し入れていたことが明白に。朝鮮戦争時は米軍の情報機関に勤め、プロダクション設立後は、多くの青年に性的な強要をしていたとか。 西でもゴタゴタ。所属芸人の不品行と処分。ところが当人のお詫び会見がトンデモナイ事態を招いた。社長が謝罪会見をし、会長と共に1年間給与を半分返上する由。解雇処分も取り消したと言うが、社長の会見には驚くばかり。先輩芸人も加わっての大混乱は、まさに「笑てんか」を地で行ってる感じ。 京都のアニメ会社が焼失した。暴漢が撒いたガソリンに火を放つと言う狂気。この火事で34名が亡くなり、34名が重軽症を負った。何の落ち度もない会社を恨んでの犯行とか。世界的な損失との声が高く、嘆き悲しむファン。社長は会社の跡地を、慰霊のための公園に整備したいと言う。老人にとっては朝ドラ「なつぞら」で親しみを抱いたアニメの世界だったのだが。 小池祐貴選手(住友電工24歳)が、イギリスで開催された「陸上ダイヤモンドシリーズ」男子100mの決勝で、9秒98の記録で4位入賞。桐生選手、サニブラウン選手に続く日本人3人目の9秒台ランナーになった。これは嬉しい。本来の専門は200mだが、スピードを生かして100mにも進出した由。早速彼をメンバーに入れて100m✖4リレーが。来年の東京オリンピックが楽しみだ。 大相撲夏場所が閉幕した。大関4人が休場し、2人の横綱が優勝を争った今場所。鶴竜は実に堂々たる横綱相撲で令和初、6度目の賜杯を抱いた。白鵬には終盤衰えが目立った。技能賞は遠藤と炎鵬の2人。敢闘賞は照強。そして殊勲賞は横綱鶴竜を破った友風。前場所優勝の朝乃山が負け越したのが意外。2場所連続休場で関脇に陥落の貴景勝には、来場所10勝を挙げて何とかカムバックして欲しいものだ。 ホルムズ海峡でイランの革命防衛隊がイギリスのタンカーを拘束した。ヘリコプターで急襲し、自国の港へ連行。漁船へ衝突したとの理由だが、恐らくジブラルタルで自国のタンカーがイギリス軍に拘束されたことへの報復だろう。ますます危険になったホルムズ海峡の航行。わが国のタンカーへの襲撃から始まり、イランへの制裁と反発が引き起こした今回の騒乱が、有志連合艦隊結成につながるか。 日韓両国の関係は悪化の一途。過日日本が示した3品目の規制強化に関して、WTO(国際貿易機関)正式議題になった。昨日の夕刻両国が意見陳述。ここ4年で160件もの違反があった韓国は理論では勝てないと、元WTO職員のベテランを代表者に。今後上位委員会に提訴し情実に訴える作戦に出る模様。歴史をと事実を歪め、反日行動を取り続ける文政権。これに対し日本政府はどう迎え撃つのだろう。 参議院議員選挙が終わった。選挙当日、私は深夜まで開票速報に見入っていた。与党側は過半数に達したものの、野党共闘に苦しめられた。与党苦戦の背景には、慢心に基づく議員の舌禍や、官僚の怠慢に対する反感があった。維新が関東で2議員を当選させ、「れいわ」が障害者2名を当選させた意義は大きい。年金の不足分が問題だが、自分で将来に備えるのが当然。日本は社会主義国家ではないのだから。
2019.07.25
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~ある後期高齢者の日常~ 簡易書留が届いた。中は新しい保険証。8月から「後期高齢者用」のが切り替わる。住宅メーカーから「重要書類」と印刷された封筒が届いた。こちらは「建築基準不適合の件」とある。思わずぎょっとして読むと、わが家は心配ないとのこと。それが本当かどうかは分からないが、信じることにしよう。何故なら東日本大震災のマグニチュード9の大激震にも耐えた、わが家なのだから。 ピンポーン。玄関のチャイムが鳴って出て行くと、「アマゾンからお届けです」と宅急便のオジサン。「ええっ、アマゾン?」と訝しむ。そんなものを頼んだ覚えはない。さては今はやりの老人を騙す手口か。無断で物品を送りつけ、代金を請求する悪質な商法があると聞いた。「頼んでないので受け取りません」。私がそういうと、「たまにこんなことがあるんですよね」と引き下がるオジサン。 その夜東京の次男から電話。「受け取り拒否したんだって」。「だって差出人の名前がないんだもの」。「素麺だよ。サプライズで送ったの」。「それならそうで、ちゃんと連絡しないと。それで届くのはいつ」。「明日の午前中」。「それも連絡がないと分からないよ」。「いや、不在票が入るから大丈夫」。「それじゃ運送屋に二度手間取らせることになる」。どこまでもかみ合わない親子の会話。 翌日は家にいて業者の到着を待った。昼近くなって来たのは昨日と同じ人。「ゴメンね。息子からだった」と謝ると、「これが仕事ですから」とあくまでも低姿勢。包装を解くと高級素麺が出て来た。その夜夜電話したが次男は出ない。翌日次男から電話があり、昨夜はまだ会社で、今日は遅い出勤とのこと。前妻の誕生日を聞かれて教える。「ブログを読んでね。もし書いてない時は死んだ時だから」。返事がない。素麺は届いたが私の願いは届かないようだ。 鈴なりになってるトマトを発見し、10個以上もぐ。ミニトマトの熟したのも収穫。モロッコインゲンがかなり成長し、40本ほどを摘む。さてどうする。ミニトマトとトマトはバナナと砂糖を加えてジュースにし、モロッコインゲンは茹でて大半を冷凍保存した。数日後、再び同じ作業を繰り返す。どちらも新鮮で美味しい。ジャガイモの第2弾とナス4本を収穫。野菜が高い時期だけにとても有難い。 今月の俳句教室への提出句は以下の作品 梅雨寒や友の病は癒へたるか ⇒ 梅雨寒や友の病は癒えぬまま 俳句は人の行動ではなく風景を詠むのが一般的と講師。さらに「癒へたるか」のような疑問形はダメと厳しく、右のように直された。ブログ友が読んだらきっと気分を害するに違いない。この日も出席者は減り、どう進行するか戸惑う講師。もう着いて行けないと諦めたのか。「嫌ならいつでも辞めて良い」。昨年の開講時に彼が放った一言が忘れられない。だが私は最後まで食らいつく。抵抗も面白いものだ。 その反面、俳句教室の日に限って体調が悪くなるのはなぜ。5月も6月もそうだった。この日は帰宅して「プレバト」を観た後も激しい頭痛。「これは脳外科に行くべき」。そう判断したが、診察券がない。まあ良いやと自転車で街へ出かけた。相変わらず厳しい口調のドクター。頭部のMRI撮影は昼前に予約出来た。カンカンガンガン騒がしい装置の中で10分ほど眠ったのは、かなり疲れていたのだろう。 ドクターに呼ばれた。脳にも脳内血管にも異常なし。ただ「蓄膿」を発見したので、耳鼻科医にフィルムを提出せよとのこと。めまいと耳鳴り用の薬が切れたため耳鼻科へ。初回よりかなり改善されている由。脳外科から託されたフィルムは問題なし。帰国後病院に行ったのはこれで5度目。大変だが健康を保つためなのでじっと我慢。帰途雨の中重たいリュックを背負い、手に袋と傘を持って買い物。
2019.07.24
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~サヨナラ陳さん~ 酔っぱらってフラつきながら頂上を目指す。山上にあったのは「国民小学校」。そこから慎重に石段を下って駐車場へ。飯店の周囲には何匹かの犬。台湾では放し飼いが普通みたい。「千と千尋の神隠し」の舞台と言う九份の夜景よさようなら。車中で陳さん曰く。3年前ツアー中のお爺さんが迷子になり、3日後海岸で発見されたと。認知症だったのか。それにしても脱水症状で、良く生きていたものだ。 <台北の夜と朝> 宿に着き、別のカメラで夜の台北を何枚か撮る。7月4日は旅の最終日。ホテルの周辺を散歩。広いグラウンドで市民が走っている。私も今回ランニングシューズを持参しようとして止めた。体調が優れない上に、もし出発時間に遅れたら皆に迷惑をかける。「旅行保険」にも入らなかったからなおさらだ。路側帯にたくさんのバイクが駐車。中に白バイがあったのには驚いた。歩道にも物が置かれて歩き辛い。 この日の朝食もあっさり目。野菜を中心にし、牛乳と野菜ジュースをいただく。茨城空港組は7時半に宿を出た。仙台空港組はそれより1時間遅い出発。その間にコンビニでサンドウィッチを購入。機内食を節約するためだ。定時にバスは空港へ。車中から夢中で台北風景を撮影。途中で高級ホテルへ泊まったグループを拾う。広い川とまるで壁のような堤防。橋も撮影出来た。 最後まで付き合ってくれた陳さんと握手。私にとってもそして彼とっても、きっと忘れられない思い出になるはず。出国手続きは入国時よりもかなり簡単。フライトまでの時間を、ゆったりと待合室で過ごした。それにしても良く最後まで体調が持ってくれた。ツアー仲間に迷惑を掛けずに済んだし、たくさんの収穫があった今回の旅に感謝だ。 大勢の若い台湾人が乗り込んで来た。機体は揺れもせず、仙台空港に無事着陸。荷物を受け取り入国審査。台湾では1万2千円ほどお菓子を買ったと告げると、微笑む検査官。やはり日本は良い。銀行の両替機で円と交換。貨幣はお土産だ。仙台空港アクセス鉄道は事故で6分遅れたが、まだ明るいうちに帰宅。もし体調と政情が許せば来年は韓国へ行き、自分の目であの不可解な国を確かめたいと思っている。<完> 台湾一周の旅の第一弾は今回で終了です。読者の皆様には長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。今後は別角度から見た台湾を紹介する予定です。どうぞお楽しみに。
2019.07.23
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~列車の旅・故宮博物館・九份の夜景~ <花蓮ー台北間の切符(左)と弁当のふた> 台湾一周の旅は終盤に近付いた。太魯閣渓谷と現地の石屋さんを見学した後、花蓮駅から特急列車に乗り込む。指定席で私は陳さんと隣り合った。手渡された弁当のふたには、煙を上げて驀進するSLの姿。まだ現役で走っているのか、それとも単なるイラストか。弁当を食べながら陳さんと色んなことを話した。台湾や韓国の政情や中国の本質など。ウイグル族に同情はしても、チベット族に対する彼の反応は鈍い。 弁当の上部(下)と下部のおかず(上) 弁当は良心的な内容だった。骨付きの大きな肉片を何かと聞く陳さんに「鶏」と答えたが、正解は「豚」。鋭いカッターで骨ごとスライスしてある。おかずは2段になっていて、下には薄味の野菜や煮物が3種類入っていた。途中駅に停車中のイラスト入りの列車。台湾にもそんな遊び心があったのだ。海岸部から次第に山手へと列車は進み、やがて下車する台北駅が近づいた。終着駅はまだ先みたいだ。 車窓から見た台北 初めての台北市街をバスの車窓から眺める。台北県を含めると人口は360万人ほどとか。日本統治時代の建物が幾つか散見。旧台湾総督府は改装され、そのまま現政府の建物として使用中。堂々たるその姿に、かつて日本がこの地をこよなく愛し、心を込めて整備したことが窺える。陸海空三軍の本部前を通過。お茶の接待所で休息。私は高級茶には目もくれず、台湾らしいお菓子を土産に選んだ。 <故宮博物館の展示に見入る観客> やがてバスは故宮博物館の裏手に到着し、館内に入場。正面には中華民国の恩人である孫文の銅像。堂々たる風格だ。エスカレーターで展示室へ。そこから陳さんの怒涛のような解説が始まる。だが私は単独行動で写真を撮りまくった。折角の美術品。撮影可能なら撮らない手はない。必死になって美術品と向き合う。古代から歴代皇帝が愛した財宝の数々に魂を奪われ、仲間に遅れないよう必死だった。 <「肉片石」(左)と「白菜」共に玉製で重要文化財> 翡翠(ひすい)の中でも価値が高く、特に珍重されたものを玉(ぎょく)と呼ぶ。これは皇帝の妃となった女性が嫁入り道具として持参した珍品。どちらも翡翠。まるで豚肉の塊(沖縄ではラフティ)だ。本物そっくりの白菜には、イナゴなど3匹の昆虫が刻まれている由。夢中になってカメラを向けている最中、突然バッテリーが切れた。新しく買ったカメラはまだ撮れると思い、すっかり油断していたのだ。 <九份(きゅうふん)の夜景は「千と千尋の神隠し」の舞台> 陳さんにトランクからバッグを出したいと頼んだがダメ。バスは博物館から郊外の九份市へと向かう。最後の観光地だ。カメラがない私に急速な疲労が訪れた。曲がりくねった山道でバスに酔う。九份は元々鉱山の街。それが廃鉱になった後に売り出したのが夜景。あの「千と千尋の神隠し」の舞台と目されるのがここ。夕食は山上の飯店で台湾ビールも。写真はネットからの借用で、別途特集予定。<続く>
2019.07.22
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~陳さん自らの軍歴を語る~ 花蓮市が近づいた。右手の海岸に高いフェンスがある。左手は全山大理石で出来た山みたい。陳さん曰く。「最近中国のスパイが来て基地を撮影するんですよ。それで塀を高くしたんです」。「飛行機は頑丈な山の下を格納庫にしています」。きっと地下に連絡通路があるのだろう。「台湾では軍役があり、私も3年間軍隊に入りました」と。台湾では目下香港同様、親中国派と反中国派が激しく争っているのだ。 台湾海峡 中国本土の近くに馬祖、金門の2島がある。いずれも台湾領だ。昭和33年(1958年)中国軍は突然この2つの島に砲撃を開始し、台湾側も直ちに反撃した。壮絶な戦いはその後21年間も継続した。かつて台湾海峡を挟んでそんな激烈な戦争があったことを、ほとんどの人は知らないだろう。中国は「一つの中国」を唱え、国連でも我が物顔だが、世界には台湾を承認する国家が少数ながら存在する。 花蓮での夕食 夕食はバイキング方式で、アルコール類も飲み放題だった。私は刺身や寿司など、もっぱらヘルシーな食べ物を選んだ。この夜もビールで乾杯。1人旅の私は11人の組といつも一緒だったが、今夜は自由席。ホテルは安宿だがバスタブがあり、シャワーしかない部屋を割り当てられた人たちは苦情を言っていた。だがねえ。私は1人部屋の追加料金2万8千円も別に支払ってるんだよなあ。 翌朝は早めに目覚め、海岸を散策。涼しくて気持ちの良い並木道は遊歩道として整備したようだ。ジョギングする人や、下着同然の姿で散歩する人。ワンちゃん連れの人も。朝食では初めて小さめの蒸しパン4個を食べた。牛乳とマンゴージュースを混ぜて飲む。歯磨き、服薬、血圧測定、そして荷物の仕分け。いつも通り7時半にはホテル前からバスに乗り込む。ツアー4日目のスタートだ。 太魯閣渓谷の崖道 7月3日(水)。最初の訪問地は太魯閣(たろこ)渓谷。写真のような険しい崖道があった。これは山岳民族であるタロコ族が手で掘ったもの。何せ一帯は硬い大理石だらけなので、貧弱な道具で道を造るのは難事業だったはず。現在は島の西側まで続く新しい道路が開通し、工事で犠牲になった方を祀る太魯閣と言う寺院が建てられている。鮮やかな建物が遥か山上に見えた。ここは別途特集を組む予定。 <掘り出した大理石の原石(左)と売り物の作品(右)> 次の訪問地が石屋さん。原石を加工する工場や、物産館の外部にあるものは自由に撮影が出来るが、館内の作品については撮影が禁止されていたようだ。私は陳さんの説明を聞かないまま、これは良いぞと夢中で写真を撮りまくり、職員に注意されて初めて撮影禁止と知った。翡翠などの宝石が素晴らしい美術品に生まれ変わっている。ここも別途特集の予定。花蓮駅から台北までは列車での移動だ。<続く>
2019.07.21
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<台湾の歴史と民族構成~アミ族の踊りを見て~> 車窓から 車内でオプションの説明があった。アミ族の舞踊ショーだ。1人2500円。私は直ぐに挙手したが、最低2名以上とのこと。他にも希望者がいて、8名だけ途中下車してアミ族の集落に入った。「島の人だっけ」と私。「それはヤミ族」と陳さん。貧弱な売店を横目にショーの会場へ。扉を開けるとまるでサーカスのテントのような感じの会場。アミ族民芸品が並ぶ壇上で記念撮影。 ショー やがて舞踏ショーが始まった。司会者の娘さんのたどたどしい日本語が可愛い。演目は7つほどあった。女性の優雅な踊り。青年の勇猛な踊り。農作業をテーマにした踊りや、求婚と結婚を模したものなど。南方系のバンブーダンスもあり、最後は観客と一緒になっての踊りも。煌びやか過ぎる衣装は本来の姿とは異なるはず。照明も人工的過ぎたのが残念。アミ族のショーなどは別途特集します。 かつてのアミ族 アミ族は台湾の東海岸に住む少数民族で、農業を中心にして来た由。台湾には16の部族がおり、このうちアミ、タオ、クバラン、サオ、サキザヤの5部族が平野部や山麓を根拠地とし、残りが山岳民族で、首狩り族は3部族。さらにフィリピン海の島嶼にヤミ族などが存在する。異なる部族同士での結婚は少なく、ほとんどが漢族との混血と陳さん。台湾は約55万人の原住民を有する多民族国家だ。 陳さんのお爺さんは福建省から台湾へ来た由。条件は独身で現地で妻を得ること。清朝の頃で、弁髪(べんぱつ=一本おさげ)を結っていたそうだ。戦前に福建省及び広東省から来た漢人が「本省人」で、戦後大陸から来た漢人が「外省人」。明朝末から清朝初めに来たホーロー人が総人口の73%を占める。客家(はっか)と呼ばれる浮浪漢人もおり、宗教や文化の混沌の要因。イスラム教徒も少数いる由。 併せて台湾の歴史を紐解こう。元朝(907~1367年)は台湾海峡の島々を福建省の支配下に置いたが、台湾本島は一時的な寄港地扱いとした。この隙をついて倭寇は台湾に侵攻基地を設けた。 1624年から1662年まではオランダの東インド会社が島の一部を支配下に置いた。これを追放したのが清に破れた明の皇族。日本に援軍を求めたが叶わず、1683年まで台湾を支配した。龍は権力のシンボル 1683年から1895年までは清朝の支配下となり、福建省所属となった。だが蛮族が多いこの島を「化外の民」(けがいのたみ)として蔑視。福建省や広東省からの移民が増えたのはこの時期だ。 1895年から1945年までは日清戦争に勝利した日本に帰属。台湾総督府は工業の中心を日本が、農業は台湾主体として推進し、教育、産業、土木などのインフラ整備を進めた。<続く>
2019.07.20
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~沖縄 そして孫文と隆盛の子~ 巨大なガジュマル 台湾の東海岸は平野部が少ない。恐らくは脊梁山脈が島の中央よりも東に偏っているのだろう。そのため新幹線も高速道も走っていない。「沖縄は台湾に近いです」。陳さんが言う。それはそうだ。東シナ海を挟んだ亜熱帯の島沖縄。中国は昔沖縄を「大琉球」台湾を「小琉球」と呼んでましたねと私。王国として中国と冊封体制にあった琉球王朝。一方中国にとっての台湾は、蛮族が住む未開の地に過ぎなかった。 首里城 陳さんは仕事で沖縄へ行くことがある由。そこで世界遺産や現状などの情報を提供。なぜそこまで知ってるのかと訝る彼に、「沖縄の大学にも勤務していたので」と。彼の祖父は中国福建省出身だが、琉球王国の使船が入港するのが同省の福州市。風土が似てると感じたのも無理はない。沖縄にも福建省から伝わったものが幾つか残っている。葬制、把龍船(はーりー)競争、民間宗教等々だ。早速スマフォで検索する彼。 三仙台 三仙台で観光。と言っても仙台が三つあるわけじゃない。錦帯橋のような橋の向こうに奇岩の島。その岩がきっと三人の仙人のように見えることからの命名なのだろう。昔は引き潮の時しか島へ渡れなかった由。陳さんには悪いが、どうと言うことのない風景。リアス式海岸と彼は言うが、三陸特有の本物のリアス式海岸を見せたらきっと驚くはずだ。海岸で何種類かの花を撮り、バスに戻る。 八仙洞と石器 次に向かったのが八仙洞。海底火山の爆発で出来た洞窟が、隆起活動で陸地となった。旧石器時代の住居跡があり、陳列館には当時の石器が展示。人骨は出なかった由。台湾で最も古い遺跡のようだが、観光用の展示だったのが残念。 一方、沖縄の石垣島で国内最古の人骨が発掘されたのは石灰岩のため融けずに残ったため。台湾と日本の石器の類似性については不明。なお、三仙台と八仙洞については、別途特集を組む予定です。 <孫文(左)と西郷隆盛(右)> バスに戻って陳さんが言うには、中国独立の父孫文が日本に留学中、日本人妻との間に子供が出来た由。その後孫文は祖国に帰ったが、子供は大事に育てられたらしい。へえ~っ、あの偉人に日本人女性との隠し子がいたとはねえ。 一方、西郷隆盛が薩摩藩命で奄美に遠島となった際、密かに台湾に渡って現地調査したと。その時現地女性との間に子を生した由。「罪人」の彼が本国に連れて帰れる道理もなく、遺児は台湾で大切に育てられた由。奄美の愛加那との間に生まれた男児を「菊次郎」としたのは、台湾に「長男」がいたからと言うのが彼の説。陳説か、珍説か。謎が解かれる日が、果たして来るのだろうか。<続く>
2019.07.19
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~旅日記の途中で(1)~ 翡翠(ひすい)製の台湾 台湾旅行記も5回分が終わった。「さて今回はどんな風に書こうか」。毎回がその連続だ。だがたとえ苦しい作業でも、思うように描けた際の喜びは何物にも代え難い。写真を見ても場所が思い出せなかったり、訪問地の順番があいまいだったこともある。不確かな事項や、理解のために必要と思える画像はネットを活用した。謎と誤解を解きつつ紀行文を物にするのは、最も良い現地理解につながる。 オリヅルラン だが紀行文の読者はどうだろう。私の堅苦しい文章に苦しんではいないか。たまにはホッと一息つける休憩コーナーがあっても良い。だがユーモアに乏しい私が取り上げるテーマで、果たして和むことが出来るかどうか。曇天と長雨が続く仙台では、極端な日照不足。これが昔からこの地に伝わる「やませ」。冷害の要因ともなる気象。気分転換には程遠いが、しばし戯言にお付き合いいただけたら嬉しい。 庭のトマト 久しぶりに晴れた土曜日。近所の方に我が家の野菜を届けた。トマト、雲南百薬、シソ、レタスの葉。日ごろお世話になっているささやかなお礼だ。半ズボンになって布団を干し、午後からは久しぶりの大掃除。旅の疲れが徐々に薄らぎ、脳も日常の暮らしに戻った。だがお天気は1日で逆戻りし、日曜日は朝から雨。町内会の草刈は2週連続で中止に。資源ゴミ収集も中止になったと聞いた。 ある日の朝食 日曜日。自転車で買い物へ。ところが止んだと見えたのが細かい霧雨。しっぽり濡れながら2軒のスーパーへ。帰宅後、素早く食品を始末。夜はまだ冬蒲団が欠かせない。いつまでこの梅雨寒が続くのか。地面に落ちだすトマトも出だした。これは長雨による病気で、徐々に腐って苦くなる。旅から帰って、まだ体重は落ちない。食欲が落ちないせいもある。洗濯物を溜めないよう注意するが、これではねえ。 <望月選手> <国枝選手> ウインブルドンでは大坂なおみ選手が1回戦で敗退し、錦織選手がベスト8に留まった。世界4大タイトルなので残念だが、ジュニアのシングルで望月選手が初優勝を果たした。錦織選手からは、もっと膝を曲げるようアドバイスがあった由。車いすの部の国枝選手は準優勝。世界ランク1位だけに残念な想いはあるのだろうが、共に立派な成績で誇らしい。来年東京でのパラリンピックにも期待が持てる。 WBA世界ミドル級タイトル戦の村田諒太選手には正直凄みを感じた。前回ラスベガスで失ったチャンピオンベルトを奪い返そうとする執念。ニコリともせずリングに上がり、1ラウンドで間合いを図ったうえ、次のラウンドでは完膚なきまで相手を叩きのめし、堂々たるTKO勝ち。一時は引退を決意したが、このままでは引き下がれないとの執念が優った。33歳の王者に惜しみない拍手を送りたい。 説明会風景 過日経産省において、半導体材料の輸出管理強化に関する「説明会」が開催。韓国の管理体制がずさんとして資材3種に適用させる方針だが、帰国後韓国は日本側の措置には問題があり不当として、近くWTO(世界貿易機構)に提訴する模様。日本製品の不買運動が始まっているが、サリンなど化学兵器への転用が可能だけに、世界がこれをどう判断するか。韓国内での違反摘発は160件以上。 <はやぶさ2(左)と小惑星リュウグウ(右)。今回は赤い矢印に着陸> 探査ロケットはやぶさ2が、過日小惑星リュウグウに2度目のタッチダウン。またまた岩石の採取に成功。今回採取したのはより深部の岩石らしく、来年の暮れに無事帰還したら宇宙誕生の謎が解き明かされる可能性がある由。月以外の岩石採取は人類初の快挙。今回の成功はJAXAのみならず、広く国内から研究者の協力を得て体制を編成したことにあるようだ。無事帰還と宇宙の謎解明を心から祈りたい。
2019.07.18
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~首狩り族・日本・丸木舟~ 夕食には台湾のビールを飲んだ。私は元々ビール党じゃないので、日本製には拘らない。本当は体のために余分なカロリーは摂らない方が良いのだが。朝食は6時半にホテルのレストランで。私はずっとお粥を食べていた。中国風の肉入りスープが塩辛い。その分野菜と果物でカバー。前夜は11時には眠ったはず。日本語放送のテレビが点けられたのは初日だけ。後はずっと操作が分からなままだった。 <高雄市内の夜明け> 台湾随一の工業都市である高雄は日本統治時代につけた名前で、それ以前は「打狗」(ターカオ)と書いていた由。意味は「犬を打つ」。それではあんまりと発音に近い高雄を選んだわけだ。その「たかお」も今では現地の発音で呼ばれている。日本統治時代の日本名は「松山」など多数あるが。現地読みになったと陳さん。7時半、バスが出発。 次第に空模様が怪しくなる。まあ熱帯に所属する島の南部に来たのだから、そんなものだ。運転手さんは大変だろうが、客の我々は暢気なもの。山脈が低まった辺りから進路を東に取る。峠越えで島の東部に向かうのだ。つづれ織りの山道に入ると陳さんが言う。「ここはパイワン族の縄張り」と。「字は」と私。「排と湾」。陳さんが答える。食人種でしたっけ。いや、首狩り族と物騒な会話が続く。 <パイワン族の家屋=戦前に日本の研究者が撮影> 明治4年(1871年)沖縄本島に向かっていた宮古島の船が嵐で台湾に漂着し、パイワン族に捕まった。逃げ出した宮古島民のうち54名が捕まって首を切られた。当時はまだ琉球王朝だが、薩摩藩の支配下にあり実質は日本の統治領。翌年琉球王国は「琉球藩」となり、明治7年、日本政府はこの事件の賠償を清に求めるが、清国は「台湾は化外の民」として拒否。このため台湾に軍隊を派遣し蛮族を処罰する。明治12年(1979年)琉球藩は沖縄県として再出発。いわゆる「琉球処分」がこれだ。 <旧台湾総督府=戦後改装され現在も総督府として使用> 明治28年(1895年)日清戦争で勝利した日本は下関で条約を締結し、朝鮮を独立させ、遼東半島、台湾の割譲と賠償金を得る。以降、第二次世界大戦で敗れるまで、台湾は日本の統治下となった。バスは峠を越えたが五里霧中。太平洋に出たと陳さん。海の彼方の「緑島」は全体が刑務所なのだとか。私はてっきり東シナ海だとばかり思っていたが、帰宅後に調べたらフィリピン海だった。あらま。 <台東市での昼食(左)とお疲れモードの陳さん(右)> 雨が上がって海が見えた。だがエメラルドグリーンではなく濃紺。「急に深くなってるので」と陳さん。遠浅ならサンゴ礁が出来て海の色が変わるのだが、きっと直ぐ沖合を黒潮が流れているのだろう。昼食は台中市で摂った。写真の端に「紹興酒」が写っている。これじゃ太るわけだ。再び走り出したバスの席で、陳さんに丸木舟と石器の話をしたが反応が鈍い。考古学にはあまり興味がないのだろうか。 <フィリピン海に浮かぶ緑島や与那国島が見える。右は今回実験の丸木舟> 後日談だが帰国後数日して、国立科学博物館の実験が成功したとの報道を聞いた。台湾の東海岸から自分たちで作った丸木舟を漕ぎ出し、約2日間かけて与那国島へ渡ったのだ。1回目の草舟は海水が沁み込んで失敗。2回目の竹の筏は、黒潮の強い海流に流されて到着に失敗。3度目の今回は、昔ながらの石器で杉の丸太を切り、中を抉って丸木舟を作った。 <丸木舟を作る縄文人。これでは浅くて転覆する> <流されるため直線とは行かないが> 女性1人を交えた5人で漕ぎ、太陽と星の位置から方位を推定。黒潮の流れを借りつつ、それを横切り、日本最西端の与那国島に到着。これは我々の祖先がどのように海を渡り、日本列島へ来たかを確かめる学術調査なのだ。 実は丸木舟製作専用の石器が、インドネシア、フィリピン、沖縄、九州、そして東京の新宿からも出土している。考古学ファンの私にとっては、とても意義深い旅となった。なぜならその海を、ごく間近にみたのだから。<不定期に続く>
2019.07.17
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~土砂崩れ~ <紹興酒> 遅い昼食は「田舎料理」だった。私が言うのではない。日程表にそう書いているのだ。食材は特に目ぼしいものはなく、味はお世辞にも美味しいとは言えない代物。私の手料理の方がよほど美味しいはず。写真も撮る気にならず、飲んだ紹興酒の写真をネットから借りて張り付けておこう。10年物で500元支払った。これがどうも良く分からない。レートは台湾ドルなのに通貨は元。果たして高いのか安いのか。 <天然記念物の土柱:徳島県阿波市> 高速道を南下する。途中に嘉義の標識。戦前の日本統治時代、台湾の嘉義農林が甲子園に出て準優勝したことがある。台湾の高速道には料金所がない。車両のフロントガラスに特殊なシールが張られていて、それを各所のカメラで感知するシステムらしい。高雄市の手前で大渋滞。原因は巨大な「土柱」状の斜面が崩壊し工事中だった。日本ので代用したが、この数十倍の規模。火山灰ではなく砂状みたい。 <高雄市 蓮池譚(はすいけたん)> 高雄市に入ると猛烈なスコール。合羽を着、傘を差してバスから出ると間もなく雨は止んだ。歩いて蓮池譚の畔へ向かう。大きな池の周囲のあちこちに派手な寺院が見える。2つの塔左手には龍の入口。そこから入って塔の中を通り、右手の塔の虎の口から外へ出るコース。日本にはない異国情緒たっぷりな風景を満喫。橋の下にハスの蕾があった。蓮池譚は別途特集を組む予定です。 直ぐ傍のお寺に参詣。なんだか南方系の香りがする仏閣。道教、儒教、仏教、そして民間信仰が混然一体になった感じ。信者からの寄付で建てられ、巨大な線香などもすべて無料の由。中に入ると丸きり「チャイナタウン」そのもので。派手なランタンが天井を覆っていた。熱心に祈る善男善女たち。来世よりも現世のご利益を願う傾向があるように感じた。このお寺も別途特集を組む予定です。 牡丹荘と言ってもホテルではない。ここは土産物店と言うよりは高級な物産店と言った感じ。恐らくはトイレ休憩のために立ち寄ったのだと思う。何しろ1日平均300km以上移動するのだ。お年寄りが多いツアーでは、幾つかこんな場所を用意する必要がある。旅行客はお土産を買うため、店にとっても有難い存在か。私はここで陳さんお薦めのマンゴーのドライフルーツを購入。ここも別途特集を組む予定。 <高雄市中心街の夜市> この日のホテルは高雄市の繁華街にあった。一旦荷物を置き、バスで夜市を見学に出かける。陳さんからスリに注意するよう厳重なお達し。何せポシェットには財布だけじゃなくパスポートなども入っている。用心しつつ面白いものにカメラを向ける。食べ物関係が多く、中にはギョッとするようなものもあった。夜でも30度以上ある南国。物珍しさに疲れを忘れて夜市をうろつく。ここも別途特集を組むことにし、とも角先を急ごう。<続く>
2019.07.16
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~台中市へ向かう車中で~ 都市部から郊外へ抜けると、道の両側に背の高い樹木が見えた。ヤシの一種のビンロウジュ(檳榔樹)だ。3年間勤務し、内地へ帰った後も20回は訪れた沖縄。あの見慣れた風景とさほど変わりはない。ただ台湾の方が平地がかなり広い。道路際に色鮮やかな電灯が輝く店が幾つも。「あれは檳榔樹の実を売る店」。陳さんの説明に、旅行客の反応は鈍い。果物でもないのに、なぜそんなことを言うのだろうと。 <檳榔樹の実と種> <キンマの葉> 「キンマ」。陳さんが呟く。それが東南アジアでの嗜好品であることは知っていた。檳榔樹の種をキンマの葉でくるみ、若干の石灰と一緒に口の中で噛む。出た樹液は飲み下さない。石灰が胃に負担をかけるためだ。キンマの葉は薬草で、檳榔樹の種には麻酔性、覚醒効果、興奮性、依存性がある由。吐いた唾は赤か黄色の原色。実、葉、石灰の3点セット全体をもタイ語でキンマと呼ぶ。南アジアも共通とか。それらは帰国後に調べて分かったことだ。 <台南市「彩虹眷村」にて> 私がキンマの名を知っていたことに驚く陳さん。彼は学部で化学を学び、そのために興味を持った由。台南市の「彩虹眷村」(さいこうけんむら)到着。再開発のため放置された家屋に、一人の老人が絵を描いたのが始まり。それが評判になり、市当局は再開発計画を中止して観光の目玉にした由。それにしてもこれで外国から人が呼べるのか不思議。「彩虹眷村」については改めて特集を組む予定。 <台中市のテナント「宮原眼科」> 2番目の訪問地は、台中市内の宮原眼科。名前を聞いて驚く。屋根の上には「宮原眼科」の看板。台湾の人は全く違和感を抱いていない感じ。ここは日本統治時代の建物の外見を生かしながら、内側はモダンなショッピングセンターに改造。店内には若い女性が好むお洒落なグッズで溢れていた。意外性があって日本人には嬉しいが、これが観光ルートとはねえ。ここも後日特集を組む予定。 <台湾随一の名所「日月潭」(にちげつたん)> バスは高速道を南下して台南市へ。ここは卓球の福原愛ちゃんの嫁ぎ先。笑顔が可愛かった愛ちゃんが、今では2児の母だもんね。バスは高速道から山中へ入り、やがて台湾随一の観光地である日月潭(にちげつたん)へ到着。戦前日本が建造したダム湖が、今や観光客が押し寄せる台湾有数の名所とはビックリ。名前は知っていたが、陳さんの説明も見学もほとんどなし。アレレ。 <道教寺院「文武廟」(ぶんぶびょう)> ここは「文武廟」。元の寺はダム湖に沈み、山上の見晴らしの良い場所に新造された由。前殿、中殿、後殿の3段様式の壮大な寺院だ。寺名は孔子などの文人と、関羽などの武人を祀ることからの命名。門前で「法輪功」グループから署名を求められた。中国政府による弾圧に抗議するもの。中国の政治は中国の宗教同様、混とんとして実像が見え難い。文武廟についてもいずれ特集を組む予定でいる。<続く>
2019.07.15
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~優秀で友好的なガイドの陳さん~ 7月1日(月)6時にモーニングコール。私は既に目覚め、カーテンを開けて桃園市の夜明けを撮影していた。6時半レストランへ。日本のビジネスホテルのサービス程度の朝食。それでも贅沢は言わない。この旅は美食が目的ではないのだ。部屋に戻って歯磨き、服薬、そして荷物の仕分け。手荷物はリュックに。不用品はキャリーバッグに入れ、バスのトランクに預ける。7時半予定通りに出発。 ツアー仲間は全員で21名。仙台空港発のメンバーは、宮城県と福島県人で、仙台市民は私だけだった。茨城空港発のメンバーは茨城県と栃木県から。福島と茨城には8名と6名のグループも。どこも皆似たような訛りで、何だか懐かしい言葉の響き。一番前の席に陣取る。眺めが良いし、現地ガイドの陳さんがいつも傍にいて、これほど都合の良いことはない。 ここで旅程を紹介しよう。初日の夜泊まった桃園市は首都台北市の西北部にあり、前日はここの桃園空港に降りた。第2日目は反時計回りにバスで移動し、台中市で2か所の観光。高雄市でも3か所観光してその夜は高雄市泊まりだ。 第3日目は高雄市1か所、台東市2か所、花蓮市2か所の観光で花蓮市泊まり。第4日目は1か所を観光後、花蓮駅から特急列車で台北市へ。故宮博物館での鑑賞後、九份で夜景を見学し、台北市のホテルで宿泊。最終日は2班に分かれ、茨城空港行き、仙台空港行きでそれぞれ帰国と言うスケジュール。第2日目から第4日目までは、1日平均で300km以上を移動する予定。果たして体が持つかどうか。 陳さんの日本語が流ちょうなことに驚いて尋ねると、筑波大学の大学院で経済学を学んだ由。これは驚いた。そこは4番目の職場で、昭和49年の創設時から10年間勤務した場所。彼は私が5番目の職場に転任した後の入学。学生宿舎や当時の村名などの話で盛り上がった。ツアーの間、私は彼に色んなことを質問した。台湾の民族、歴史、文化、政治、宗教、アジアの情勢などだ。 彼は誠実に答え、私も彼の質問に全て答えた。その返答に驚く彼に、かつて国立の博物館勤務を告げる。陳さんの奥さんと長男はシンガポールに在住し、第二子と第三子はオーストラリアとアメリカ在住の由。台湾の将来を見据えた選択と彼。日本企業の台湾支店に勤務し、定年後は日本人を対象としたツーリストで第2の人生を送る陳さん。その選択に、揺れ動く台湾の現状と将来を見たような気がする。<続く>
2019.07.14
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~出国と入国~ 6月30日(日)仙台空港から台湾へ向かう。ツーリストの係員に、格安航空機への搭乗手続きを聞き、キャリーバッグを預けた。手荷物は小さめのリュック。荷物チェックのコーナーに背の高い若者が20名ほど。どうやらバスケットボールの遠征らしい。先日NBA入りを果たした八村選手の後輩の明成高校(仙台)の学生たちだった。出国手続きは割と簡単で、気が抜けたほど。 心配の種は自分の体調。出発日の4日前に絶不調に陥り、これはキャンセルかと諦めた次第。その後奇跡的に持ち直した。2つ目の心配は本当に飛行機が飛ぶのかどうか。格安航空機が天候等の理由で機体の都合がつかない際は即キャンセルになるとツーリストからの案内。3番目は台湾の天候だ。梅雨は終わったようだが北半分が亜熱帯で、南半分が熱帯の島国。傘の他、合羽上下もバッグに入れた。 機内では新聞の入選俳句3回分を読む。次に読みかけの星野富弘著『愛、深き淵より。』を読了。とても良い本だった。いつか群馬県の山間にある富弘美術館を訪ねてみたい。4時間ほどのフライトも飽きはしない。沖縄勤務などで飛行機の旅は100回近く経験している。夕刻空腹を感じて蒸しパンを食す。これは近所のスーパーで買った2割引きのもの。格安航空機内では、飲食物がすべてが有料なのだ。 機体はさほど揺れもせず、定刻に桃園空港に着いた。ただ着陸機が混み合い、入国手続きが遅れた。同じ漢字圏なのに、まるで意味不明の文字。怒っている審査官の言葉が理解出来ず、ただうろたえるだけ。彼女はいきなり私の書類入れの中から1通の書類を取り出した。何と最も重要な入国申請書を提出してなかったのだ。一難去ってまた一難、今度は出口が分からない。日本人に尋ねてようやく判明。ヤレヤレ。 荷物を受け取り、現地ガイドがいる場所へ急ぐ。私の胸のバッチを見て、1人の男性が声をかけて来た。あれだけ手間取ったのに、どうやら私が一番乗りだったみたい。日本語が分かるガイドさんに安心し、もう大丈夫と胸をなでおろす。仙台空港出発組を乗せ、バスは一路ホテルへ。その車中で2万円分を台湾元と交換。日本語を話す現地ガイドの名は陳さん。台湾で一番多い姓なのだとか。 ツーリストの案内にあった夜食が出ない。宿に着き、コンビニで夜食を買ったのは日本時間の10時過ぎ。風呂に入ってベッドに横たわったのは11時半ごろ。日本との時差は1時間だが、翌朝の出発は現地時間の7時半。血圧を測り、薬を服用。冷房は停めた。こうして慌ただしい旅の初日が終わった。後は明朝ちゃんと目覚めるかどうか。蒸し暑い台湾の第一夜がしんしんと更けて行く。<続く>
2019.07.13
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~帰国のその日から2~ オリーブの実のお菓子 買って来たお土産は6個。そのうち果物の羊羹5本セット、乾燥マンゴー、パイナップルのケーキはお向かいさんに上げた。自分用には乾燥マンゴー、オリーブの実とハスの実のお菓子の3点。現地で2万円分を台湾元に両替したが、使ったのは1万2千円ほど。ケチケチ旅行だが、私にはそれでも十分贅沢なのだ。ハスの実とオリーブを早速食べた。どちらも素朴で仄かに美味しい。マンゴーはとても濃厚な味。 ハスの実のお菓子 帰宅後シソの葉も買った。予め漬けた青梅の梅酢は順調に上がっていたが、色はそのまま。それで200円の赤シソを買う気になった。2.5kgの梅に対してはそれで十分な量。塩で葉を揉み、灰汁の強い汁を捨て、葉だけを青梅に混ぜ込む。後3週間ほど漬けたら、晴れた日に梅を干す。その頃にはきっと鮮やかな梅干しに変身するはず。そして、私の健康を守る大事な一品となるだろう。 乾燥マンゴー さるテレビ局の電話によるアンケート調査があった。今月下旬の参院選に関するもの。支持政党や投票予定の候補者名など10近く質問項目があったが、さほど面倒ではない。以前あったアンケート調査は質問内容がとても面倒に感じ、途中で電話を切った。やはりアンケートは明瞭で答えやすい内容じゃないとねえ。さて、注目の選挙結果は果たしてどうなるか。 紫陽花を切って花瓶に差した。玄関と居間の2か所。留守中に花が咲いて大きくなり、西側の通路を塞いでいたためだ。台湾旅行中は朝の連続ドラマを観られず、大河ドラマも1回見逃した。疲れはしたものの、旅行中に酷い症状は出なかったのが幸い。薬が残り少ないため、近く病院へ行く予定。ブログは最大2週間分を予約していたが、それが帰国後大いなる助けとなった。7月7日、大相撲夏場所開幕。 7月9日(火)朝からで内科へ。「血圧手帳」を見てドクターは不整脈を抑える薬の1種を効力の弱いものに変えた。薬剤師の女性が絶対耳鼻科へ行くべきと勧めてくれた。午後はで耳鼻科へ。聴力、めまいなどの検査の結果、左の内耳機能が弱っていることが判明。薬剤師が言うには、血圧の大きな変動は体力を消耗し疲労感が増す由。気圧の変動もめまいの原因で、メニエル氏病ではなかったようだ。 帰宅直後に服薬。2週間後に再検査と診断がある。翌日は眼科へ。眼圧測定と視力検査を受け、緑内障用の目薬を処方。ドクターに耳鼻科でめまいの検査を受けたことを告げると、眼に原因はないと以前通りのコメント。患者としては理解が深まるよう報告してるのだが。前日の耳鼻科医も実に冷たい態度だった。主治医へは次回伝える積り。これで不調の一因が判明したが、老化の関与も当然あるはず。 さて、いよいよ明日から台湾紀行が始まります。どうぞお楽しみに。
2019.07.12
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~帰国のその日から~ バス停から我が家までキャリーバックを引っ張りながら1kmほど歩いて帰った。ゴロゴロゴロゴロ。舗装道路を転がるタイヤの音。7月4日木曜日の夕方台北空港から仙台空港に着き、電車とバスを乗り継いで戻る。贅沢は出来ない。もう旅は終わったのだから。近所の犬が私の気配を感じて吠えた。ガレージには5日間の留守中に溜まった落ち葉が散り乱れている。 バッグとリュックの中身を取り出して整理。洗濯物、お土産、洗面具、着なかった衣類、パンフレット類、雨具、カメラ、本、手帳、筆記具、財布などなど。お土産は自分用とお向かいさん用に仕分け。冷蔵庫の中を確認したら、3本キュウリがビニール袋の中で完全に腐っていた。カリフラワーも3分の1がダメになった感じ。汗だらけで片付けている最中、玄関でチャイム。 民生委員のHさんの訪問だ。そう言えば郵便受けに市の調査のメモがあった。後期高齢者になった私の暮らしぶりを確認に来てくれたのだ。留守の理由を話すと驚いていた。体調、買い物、話し相手、日常活動などの質問に答える。2年前の離婚後に訪問を受けた際は不安定状態だった私が、何とか支援を受けずに暮らしていることが分かったようだ。念のため「悪質な押し売り防止用」ステッカーをもらった。 ガレージの落ち葉は、訪問前に掃除していた。そのことにもHさんは気づいたはず。その夜の夕食は冷やし中華。翌日が久しぶりの晴天と知って、急遽洗濯機を回す。4日分溜まった新聞は、連載小説だけ読んでお終い。薬を服用し、血圧を測定。疲労感が強く、上が158と高め。それが入浴後は上が98と急速な低下。その激変が、老体にとってはかなり危険なのだ。睡眠薬で翌朝まで熟睡する。 翌朝庭に降りると、紫陽花が満開。そして濃いオレンジ色の花が咲いていた。名前は忘れたがキスゲの仲間の園芸種。キュウリの苗の3分の2が枯れていた。あれほど元気だったパセリが根元から腐っていた。どちらもきっと長雨で根腐りを起こしたのだろう。キュウリ2本、トマト4個、パセリの食べられそうな部分を摘み、サンチェ(レタスの仲間)と雲南百薬の葉を収穫。料理4種類を作る。 帰宅翌日、気になっていたローズコーンさんのブログを訪問するも更新なし状態。6月末には退院したはずなのに、一体どうしたのだろう。本人の体調か、もしくはご主人の体調に何か問題が起きたのだろうか。リュックを背負い、自転車で買い物へ。ほぼ空っぽ状態の冷蔵庫が、たくさんの食品で満たされた。これでまた1週間は生き延びられるはず。少し満たされた気分。人間は先ず食べないとねえ。 帰宅翌日から写真の整理開始。2台のカメラで合計716枚あった。それを1枚ずつ名前を付けて分類。かなり捨てたのに減らないのは1枚を分割したり、ネットからも取り込んだせいだ。旅の途中1台がバッテリー切れを起こしたのだが、他の1台はバスの物置のキャリーバッグの中だった。結局整理には3日間を要し、分類項目は20以上にもなった。さて、今後ブログにどう生かすかが問題だ。 7月8日(月)ローズコーンさんのブログを訪れたら、1か月ぶりに更新されていた。やれ嬉し。やれ安心。予定通り退院はされたものの入院中の体力の衰えが激しく、なかなかパソコンに向かえなかった由。コメントを書いた後、札幌のたくちゃんさんにローズコーンさんのブログ更新ニュースをお知らせした。彼女も心配されていたことを知っていたからだ。友の復活が私にも元気をくれた。<続く>
2019.07.11
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~建築美とは~ 特別展『最先端技術でよみがえるシルクロード展』を観に行った東北歴史博物館を10回にわたって紹介して来ました。最終回の今日は展示内容ではなく、博物館の建物自体を紹介することにします。近代的な博物館の建築美を楽しんでいただけたら幸いです。 博物館の正面玄関です。堂々たる建物ですね。 博物館入口右手の休憩室を通して公園を望む。 建物の背面から玄関ホール上部を望む。 建物間の空間。後方の高架は東北本線で、「国府多賀城駅」はこの左側100mにある。 建物内部から玄関ホールを望む。3枚のポスターが印象的だ。 ガラス壁を通じて古民家「今野家住宅」と公園を望む。 展示場方向から受付方向を望む。 上の写真よりさらに受付に近づく。光の印影が美しい。 展示場入口から前方の突き当りを望む。自然光とブラインドの対比。 玄関ホールのカーブ 玄関ホールの吹き抜け 玄関ホール吹き抜けのカーブと直線。 玄関ホールから2階への階段 常設展示場の最初の入口 特別展示場入口付近から奥を望む。 再び玄関ホール受付付近へ <撮影した壁画を修復する東京芸術大学の研究者> 今回も実りのある展示でした。自分では行けないシルクロードを堪能した1日でした。<完>
2019.07.10
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~黒田コレクションその2~ 今日も全国から幅広く収集し、東北歴史博物館に寄贈された郷土玩具「黒田コレクション」の紹介です。どうぞお楽しみください。 鞨鼓(かっこ)踊り 福島県二本松市産 <参考>鞨鼓は雅楽などで用いられる両面打ちの太鼓で、朝鮮半島経由でもたらされた打楽器です。 連獅子(れんじし)。歌舞伎などでも踊られる演目です。福井県産。 松虫、鈴虫 京都府 古い民話から採られた優雅な土人形。 棒の手 愛知県の郷土玩具 家内安全などと書かれているので、きっと縁起物なのでしょう。沖縄にも棒術が伝わっており、盆踊りのエイサーなどにも組み込まれています。 神楽人形 広島県産 ひょうきんな表情が愉快ですね。 千珠・万珠 山口県産 古事記の「潮満珠、潮干珠」の発想でしょうか。 にわか 福岡県産 寸劇のとぼけた表情が愉快です。 立ち雛 どうやら土人形のようですが、産地はメモしませんでした。 三猿 栃木県産 日光東照宮の「見ざる」「聞かざる」「言わざる」ですね。 住吉人形 大阪府産 住吉大社に奉納する踊りでしょうか。遣唐使船の出発地が住吉の津でした。 五色天神 大阪府産 5つの色で彩色された菅原道真公。 はた 佐賀県 「はた」は凧のことですが、かなりデフォルメされてますね。 これも上記と同様です。まるで切り飴みたいな感じですが。 唐津おくんちの曳山 佐賀県産 唐津おくんち曳山 佐賀県産 鯛とシャチでしょうか。 唐津おくんち 佐賀県産 可愛い曳山が土産品として再現されています。 おめでたい七福神人形も彩色されると印象がぐっと変わりますね。 今回の展示は収集品1457点の中から選抜されたものでした。いよいよ明日は最終回です。
2019.07.09
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~黒田コレクション その1~ 東北歴史博物館(宮城県多賀城市)の特別展『最先端技術でよみがえるシルクロード展』の紹介は昨日までに終了した。引き続き当館の所蔵である「黒田コレクション」を紹介したい。 「黒田コレクション」は医師であった黒田秀雄氏が学会参加の際に国内各地で収集した1475点の郷土玩具を、当館に寄贈したもの。内容は土人形、張り抜き人形、紙人形、からくり人形、木製や竹製の人形、置物、土鈴などである。今回はその一部が公開された。 松川だるま。仙台市に伝わる松川だるまは伝統的な縁起物で、青い着色が特徴。毎年1つずつサイズの大きなものを求め、古くなっただるまは1月14日の「どんと祭」に収めるのがしきたりになっている。 上の拡大。めでたい大黒天が下部に描かれている。 ユーモラスな表情の鬼の面。製作地をメモするのを忘れた。(以下同様) 鬼の仮面だが、さほど怖くは感じない。 これは鬼の形をした土鈴だろうか。 獅子頭(ししがしら)は獅子舞を踊る際に着用。これは模造の玩具。 タイトルは「馬車」。曳山の模造の「鯛車」は見たことがあるが、これは初見。 「ミッキーマウス」に似たネズミ。伝統的な玩具ではなさそうだが。 鹿踊り(ししおどり)人形。恐らくは岩手県産だと思われる。 鯉のぼりを模した珍しい置物。子供の成長を祈ったのだろう。 尖がり頭のだるまさんはお目目が小さいね。三角だるま。 タイトルは「素隠居」。楽隠居は良く聞くけど、背中が丸いですね。 筆こけし。兵庫県有馬温泉産 雪ぼっこ。宮城県産 「ぼっこ」は子供を意味する方言。 どこか恐ろしく、かつひょうきんな鶏雛(にわとりびな)。栃木県産 干支(えと)人形 その1 干支の土人形。 干支の絵馬を模した置物 <明日に続く >
2019.07.08
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~中国・新疆ウイグル自治区・キジル石窟航海者窟壁画復元~ <キジル石窟の威容> 大変な間違いに気づいた。何とタジキスタンの遺跡と新彊ウイグル自治区の遺跡を混同していたのだ。慌てて新彊の部分を削除して、何とか事なきを得た次第。そのためにシルクロードを逆戻りし、東に向かう羽目になった。それも良し。失敗もまた勉強のうちだ。 これが新疆ウイグル自治区の地図。シルクロード好きの人間にはたまらない地名がたくさん並んでいる。ロプノールはかの有名な「彷徨える湖」だ。さて、この地は第2次世界大戦後、中国が内蒙古、チベットなどと同様に略奪した土地。自治区とは名ばかりで、ウイグル族もチベット族も迫害され、急速に中国化されている。その延長が「一帯一路」。第二の絹の道として、中国は覇権を目論んでいる。 さて、キジル石窟は3世紀の中ごろから8世紀にかけて建造された仏教遺跡で、当時支配していたのは亀茲国。スウェン・ヘディンの探検記を読んでいた私は、この亀茲の名に馴染みがあった。キジルに充てたのだろうが、中国語の詠みは確か「クチャ」と記憶している。 <同遺跡の前に立つ鳩摩羅什(クマーラジーバ)像と肖像> 当時の亀茲(きじ)国には1万人余の仏教僧がおり、唐の都では亀茲国出身の僧が仏典翻訳に従事していたそうだ。中でも著名なのが鳩摩羅什(クマーラジーバ)だった。今、その像が同遺跡の前に建立されている。 第212窟は通称「航海者窟」と呼ばれている。この窟の左右の壁を飾っていた2つの因縁図を、第3次ドイツ探検隊がはぎ取って持ち帰り、第2次世界大戦で一部焼失した。東京芸術大学は現存する壁画と焼失した壁画の双方を復元し、現地の壁画を背景にして石窟のかつての姿を再現させた。以下の写真は、その一部である。なお、明治42年と大正2年の2度、日本の大谷探検隊が現地調査を行っている。 船のようなものが見える。それが「航海者」の由縁かは定かではない。以下掲載は順不同。 研究の結果、これらの壁画はインド風ともペルシャ風とも言われ、またヨーロッパ風とも言われる由。シルクロードを経由して各地の宗教、文化、風俗がこの地に伝わった証であろう。 これらの貴重な壁画をヨーロッパの強国が争って奪い去ったことに驚く。エジプトなどの美術品や考古学資料も同様だ。今回最先端技術を駆使してわが国が行った復元事業は、その汚名をそそぐものになるのではないか。 復元事業成果物の撮影が入館者に許可され、ブログに掲載出来たのは望外の喜びで、感謝に耐えない。なお展示物以外の関係資料をネットから借用した写真を、参考として以下に掲載する。 <ある石窟の中央部分を中心に> <これははぎ取られた壁画の一部だろうか> 今回で特別展の展示関係は終了し、次回以降は常設展のコレクションなどを紹介します。
2019.07.07
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~タジキスタン・ペンジケント遺跡第6発掘区広間1の再現~<お断り> 当遺跡展示物の撮影が許可されなかったため、ほとんどの写真をネットから借用し構成した。 ペンジケント遺跡の全容 位置関係を正しく知るため、今回もシルクロードの地図を掲載した。 タジキスタン共和国の地図。東は中国の新疆ウイグル自治区と、南はアフガニスタンと国境を接している。東へ向かえば敦煌、南へ向かえばバーミヤン遺跡へ達する。つまりここはシルクロードの分岐点だった所だ。 ペンジケント(赤丸)はタジキスタン西部サマルカンドの東方50kmにある。 <遺跡主要部及び遺跡の図面> ペンジケントは中国唐時代に建設されたソグド人(イラン系)の都で、722年アラビア軍の侵攻によって約50年間支配され、台地上の街が放棄されたままになった。 遺跡の一部 現地で壁画を撮影する東京芸術大学の調査班。この写真はパンフレットから転写した。 壁画はハープを奏でる女性(左)と戦闘シーン(右)から構成されており、ソグド人固有の英雄叙事詩を表現したものと言われる。現地調査で取得した3Dデータを基礎に、壁画の表面の凹凸が忠実に再現されている。 壁画全体像 最新の技術で上の像の元の色を再現したのだろう。 女性像の部分の拡大図 他の広間の壁画か。(以下同様) 壁画の復元図か。 珍しい白い象も描かれている。(他の広間か) 濃い青は貴重なラズリラピズを使用している可能性がある。<続く> 皆さん今日は。まだまだ旅行中の写真の整理作業が続いています。もう少しこのシリーズにお付き合いくださいませ。
2019.07.06
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~6月の習作 その2~ 青梅を漬けて眺むる庭の石 梅漬けや米研ぎ魚のあらを炊く *とぎ *たく 昨日は俳句教室講師が唱える俳句論を紹介した。カタカナ語は俳句に不向きなどと言う考え方については異論がある。俳句もかつての古典的な考え方から、現代人の感覚にマッチしたものへと変貌していると感じるからだ。だが文学と古典を愛してあまりあるこの講師は、自らの考えを変える気持ちはないようだ。それはとも角、学んだことを頭に入れながら詠み、かつ過去の作品をも見直した。 なまはげも酔い潰れけり石地蔵 石地蔵なまはげつひに酔ひ潰る *つぶる=潰れるの古語 酔ひ潰るなまはげもゐて道祖神 時鳥星の無き夜はなほさらに *ホトトギス 時鳥生あるものの定めとて 時鳥心の闇の深さかな 時鳥闇夜はまさに地獄なり わが父は道化なりしか濃紫陽花 *こあじさい あぢさゐや寡の恋の無残なる *やもめ 時鳥友の病は癒へたるか 病てふ友は癒へしや濃紫陽花 *ちょう=と言う 昨日台湾ツアーから無事帰宅しました。留守中大変お世話になりましたね。心から感謝申し上げます。さて、荷物の片付け、留守中の始末、大量の洗濯ものなどでなかなか旅行中の写真の整理が手に着きません。当分の間、旅行前の予約記事でお付き合いいただけたら幸いです。
2019.07.05
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~苦戦する俳句初心者~ 令和元年6月20日。第3木曜日は区の老人施設が主催する「俳句教室」の定例日。この日も勇んで会場へ行くと、受付に見知らぬ婦人が座っていた。「ああこれは先生の奥様だな」。その直感は当たった。それに先生が既に到着し、講師席に着座していた。今日は都合により2人で来られた由。そして奥様もかつてこの「俳句教室」で講師をされていたのだとか。私は優しそうな奥様の講師の方が良いけどね。 受講生の出足が鈍いと感じたのか、いきなり「俳句論」をぶち上げた講師。それは私たちが早く俳句の本質を知り、技術が向上して欲しいとの願いからであるのは間違いない。理解が乏しい頭で、その言葉をノートに記して行く。どれも講師がいつも口にしている事項ばかりなのだが、いざ改まって聞くと、どれも大切なことだとも思える。なぜならそれはこれまで俳句に関わって来た彼の結論でもあるからだ。 1)固有名詞の使用は避ける。 *素人はついそれに頼りがちなのかも知れない。固有名詞を出さなくても良い俳句を作るべし。2)形容詞、副詞は用いない。 *素人はつい「大きい」「白い」「こんもり」「ゆったり」などの語を使いたくなりがちだ。3)季語を「説明」しない。 *素人は季語を修飾してしまいがちで、俳句の「切れ」を悪くしがちと言うのだが。私もこの指摘の傾向にある。4)カタカナは用いない。 *これは同人によって考え方が異なる。ただし季語となった名詞などを除く。 5)「ポーズ」は不要。 *どういう意味かまだ理解出来ないが、無駄な修飾や形容は不要で本質に迫れと言う意味か。6)勝手な「ルビ」を振らないこと。 *歌謡曲の歌詞に見られる「造語」は、俳句として成立しないと考えること。7)「て」、「で」は散文的にになるため使用しない。 *俳句はあくまで「韻文の文学」。散文的な句を許す派もあるが、講師はこの考えは取らない。8)「中七」は「上五」や「下五」の句をつなぐ役割を持つ。 *それぞれが全くバラバラになっては句が成立しなくなる。 9)「字余り」は上五は〇、中七は▲、下五は✖と心得よ。 *字余りを用いることが出来る場所にはほぼ約束事がある。10)俳句に関する知識を重ねるより、実作を重んじること。 *俳句は単なる知識の集大成ではない。数を作ることで俳句の本質により近づく大切さを学ぶ。11)子ら(こら)のような言葉は美しくないと考え、俳句には用いないようにする。 *その感覚が私にはまだ理解出来ない。17音(17文字ではない)の限られた中で、どんな言葉を使って自分の意思を表現するのか。しかも俳句は韻文の世界にある。 数日後、私はネットで「切れ字」を検索した。講師が「切れ字18」と話していたからだ。俳句の中で「季語」と同じくらい重要なのが切れ字。この俳句の「切れ」と言う感覚が未だに良く理解出来ない。俳句の出来を左右する「切れ」とは一体何なのだろう。17音の「世界一短い文学」を左右する「切れ」が分かれば、少しは俳句の上達につながるのかも。以下は18の「切れ字」。 1)「や」 ・・や 10)「か」 助詞 2)「り」 追えり 11)「よ」 3)「かな」 12)「ぞ」 強調4)「けり」 詠嘆および言い切った形 13)「つ」5)「す」 14)「せ」6)「もがな」 ・・もまた 15)「ず」 ・・しない7)「し」 形容詞終止形の語尾 16)「れ」 8)「じ」 ・・しない 17)「へ」 動詞命令形語尾9)「らん」 助動詞終止形 18)「け」 このほかに「なり」も切れ字の一つとネットにはあった。何と難しいのだろう。再掲しては見たものの、まるでチンプンカンプン。きっとその「語だけ」を考えるのではなく、多くの句を読むうちに自然と理解出来る性質なのろう。韻文の「感じ」は分かっても、日本語の古語や文法を知らず、「古語の文法」ともなればなおさらだ。 この日の話で、俳句教室への提出句は毎回各自1句までとなった。受講生が減って時間が出来たと考え、最近私は2句提出していたのだ。今回その1句を捨て「山鳩やトマトの脇芽摘みし朝」を読んだ。後ろから2番目。最近は大体こんな席次。講師の講評は特になく、先月欠席のKさんが「シンプルな句の方が却って詠むのは難しい」と評してくれた。その通りで、無駄な装飾もポーズもない句なのだ。 <付記> 連載中の「博物館シリーズ」に、「俳句論」を挿入しました。内容があまりにも専門的過ぎて、面白くなかったでしょうけど。まあ、たまに異質な世界も覗いてみてくださいませ。 台湾ツアーは第5日の最終日。この日は台北桃園空港から仙台空港へ直行便で帰国予定です。ただし写真の整理に時間がかかるため、博物館の話をもう少し予約してあります。最後までお付き合いいただけたら幸いです。
2019.07.04
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~バーミアン東大仏天井壁画の復元~ アフガニスタンのバーミアン遺跡の名前を聞いたことがあるだろう。イスラム過激派タリバンによって破壊された大仏で有名な遺跡だ。大仏は東西の2つがあり、破壊された東大仏の天井画を復元する作業が東京芸術大学の手によってなされた。だが思いがけず展示物のほとんどが撮影禁止。何でも著作権上の問題からとか。同じ問題はあるが、ネットからの借用写真を中心に構成したことを予めお断りしたい。 今日もシルクロードの地図を載せる。これで大体の位置を確認してほしい。 地形は分からないがアフガニスタンの形とバーミアン遺跡の位置は分かるだろう。古代、マケドニアの大王アレキサンダーに征服されたこの地。それ以降人種のるつぼとなったこの国は、旧ソ連軍の侵攻を受けたこともあった。その後は相次ぐ内乱で国土が荒廃した。そしてあの「大事件」が起きた。 イスラム過激派タリバンによる大仏の破壊がそれだ。世界の誰もが胸を痛めた文化財の消失。失われた人類の貴重な宝物を復元する試みがその後開始された。 東京芸術大学が中心となった東大仏天井壁画の再現事業もその一つだ。 まず破壊前の東西の大仏を見てみよう。左が西の大仏で、右が東の大仏。共に5世紀から6世紀にかけて造られ、ササーン朝ペルシャ美術の影響を受けている。西の大仏は55m、東の大仏は38mあり、岩を刳り貫いての制作だ。 2001年。タリバンによって爆破された大仏。東西どちらかは不明だが、西のように感じる。 東京芸術大学が撮影した東大仏の天井壁画。これに基づいて復元を図ったのだろう。 <天井壁画の中心部分> <ほかにも多くの仏が描かれている> <アジャンター様式の仏像壁画> の写真を元に、東京芸術大学が最先端技術で復元した壁画。<参考資料> 1)彩色再現検証のため、破壊前の大仏に衣装を着けた実験。左が西大仏で右が東大仏。 2)破壊前の大日如来像 3)流出したバーミアン遺跡関係美術品(釈迦誕生図)ヘレニズム文化との融合が見られる。 台湾ツアー第4日目は太魯閣峡谷、故宮博物館お台北市内観光、九份観光の予定です。そんなに動いて大丈夫かなあ。
2019.07.03
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~敦煌莫高窟第57窟の再現~ <敦煌莫高窟全景> 中国敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)は井上康靖の小説『敦煌』でも描かれた著名な仏教遺跡で、敦煌郊外の岸壁に掘られた大小492の石窟群。そこには4世紀から約千年間にわたって彩色塑像と壁画が造られ、世界文化遺産に指定されている。その第57窟の再現を東京芸術大学が試みた。 シルクロードはローマと長安(現在の西安)をつなぐ貿易の道で、その東の端が日本。その道を通ってもたらされたものの代表が正倉院御物で、国宝とされている。 敦煌の位置は中国の奥地。かつては西域と称された地域だ。 仏教は古代インドで起こり、その一方はパキスタン経由でシルクロードを渡り、中国、朝鮮半島、そしてわが国へ伝来した。敦煌はその途中にあり、インドに渡って仏教を学んだ玄奘三蔵(「西遊記」の三蔵法師も旅の途中に訪れたことがある。スェーデン人の地理学者・探検家であるスヴェン・ヘディンによって、その学術的価値が西欧に伝えられたことでも有名。 写真はパンフレットから借用した。だがそれ以外は残念な結果に終わった。 人間の目にははっきりと見えるが、残念ながら再現された洞窟内は暗くて写真が撮れなかった。 ポスターにあった仏像 東京芸術大学が最新技術で再現した仏像のパネルがあったので撮影。以下は全てネットから借用した。 <莫高窟の内部=窟名は不明> <第57窟壁画その1> <第57窟壁画その2=上の一部> <第45号窟の仏像> 以下の写真はすべて窟名不明 <仏像と壁画による構成> <色鮮やかな壁画> <柔和な表情の仏像> <上の写真と同じ仏像が配置されている> <表情には艶めかしさも・・> <交脚の仏像 制作年代による様式の違いが分かる> <暗い石窟内での撮影には苦労の跡が窺える>(備考) 展示物以外の物をネットから借りてまで掲載するのは邪道かも知れない。だがそうしなければこの遺跡の素晴らしさが分からないと考え、敢えてその方途を選んだ。なお過日NHKのBSでシルクロード関係の番組が放送され、敦煌莫高窟の貴重な映像を観ることが出来た。その感動もあって参考資料として付加した。<続く> 本日は台湾旅行の第3日目。高雄市=三鳳宮、台東市=三仙台、花蓮市へ移動途中に八仙洞見学予定。
2019.07.02
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~スーパークローン文化財を目指して~ 今日はシルクロードとは無関係。特別展のテーマのうち「最先端技術」を取り上げる。さて、「スーパークローン文化財」とは芸術の保存と公開の相克を克服するために、東京芸術大学で開発された芸術と科学の融合による高精度な文化財の再現(複製)のこと。最先端のデジタル技術と伝統的なアナログ技術を融合し、技法、素材、文化的背景など芸術のDNAに至るまでの再現を目指したもの。 冒頭のゴッホの「自画像」もマネの「笛を吹く少年」も、この最新技術で再現された。以下にこの技術の特徴を上げる。 1)素材 スーパークローン文化財は、絵の具の部分のみならず、その下の見えない土台まで拘り、可能な限りの再現を行っていること。2)最先端技術 高精細撮影機器による撮影や3D計測を行うなど、最先端技術を積極的に導入し、日々進歩した制作を行っていること。 3)審美眼 科学では補えないオリジナルの真意を理解し、スーパークローン文化財の制作に生かすことで品質の高度を保つこと。4)臨場感 作品単体の複製に止まらず、オリジナルが設置されていた空間をそのまま再現することにより、その場にいるような臨場感と五感を刺激する空間表現に挑戦していること。 以上の理念が昨日までの展示物(ネットから借用したものを除く)に生かされています。またオルセー美術館の油彩画の高精細デジタル撮影によって得られたデータを使用して作成された「スーパークローン文化財」が下記のものです。 ゴッホ「自画像」 ゴッホによる浮世絵の模写 ゴッホによる浮世絵の模写 ゴッホの風景画 ボナールの人物画 セザンヌの静物画 左=マネ「笛を吹く少年」油彩 右=3Dプリンターなどで再現された立体的な少年像 以下の作品はオリジナルの浮世絵をアニメ風の動画に加工した「浮世絵アニメ」です。静止画なのが極めて残念ですが、実に面白いですよ。 左=猫が窓際の台に飛び乗って表通りを眺めます。 右=遊女が手を動かし、「しな」を作ります。 左=静かな小雨のハスの上です。 右=突然空が暗くなって大粒の雨が降り出し、通行人が慌てて橋を渡ります。<続く> <台湾ツアー第2日目> 本日は台北から台中へ移動し台中市内および日月潭観光。高雄に移動し蓮池潭観光予定です。<ローズコーンさんへ> 無事退院され、帰宅されたことでしょう。おめでとうございます。 当分お忙しくてブログを覗く暇はないでしょうが、どうぞお元気でお過ごしくださいね。ご主人様もさぞかし安心されたことでしょうね。では帰国後にまた。
2019.07.01
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