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年越や明日は骸となりとても *むくろ 年越や一番風呂の父の歌 年越や一番風呂の亜炭の香 *あたん 凍星や特攻隊のなれの果て *いてぼし 年越や帰省せし子の背の高さ 年越や帰省せし子の標準語 年越や厨の寡魚を炊く *くりや *やもめ 嬰児も泣き疲れけり夜半の月 *みどりご *よわ 妹の泣き泣き寝し虎落笛 *いねし *もがりぶえ 枯れ菊や昔語りの祖母の声 凍星や昔語りの祖母と孫 いてぼし 年越や塒へ帰る鳥の群 *ねぐら 冬ざれや馬のいななきわらの尿 *しと 凍星や曲家の馬尿の音 *いてぼし *まがりや *しと いななきや湯気立ち上るわらの尿 *しと 冬ざれや鼻うごめかし馬の尿 しと 人波や市場へ急ぐ大晦日 この年も俳句作りて終はりけり では皆様もどうぞ良いお年をお迎えくださいね。そして来年もどうぞよろしく。
2019.12.31
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~わたふたと失敗と~ 大館市の秋田犬1 年賀状を出したのは12月25日。親戚、友人などが中心で予め印刷しておいたものに宛名と簡単なコメントを書き加え、近所のポストに急ぐと集配の小父さんが車を停めていた。走って行き、手を振ると小父さんが窓から手を出して受け取ってくれた。ヤレヤレ間に合った。最低限度の枚数だが、久しぶりに晴れ晴れした気分。ここ数年、年賀状まで気が回らなかったのだ。 大館の秋田犬2 27日。向かいのKさんにケ〇ヒャーを借りた。ガレージ横の石段とガレージの床を掃除しようと思ったのだ。雨が降ると石段に土が流れ、やがて苔が生える。それが滑って危険と感じていた。高圧の水を噴射して、ぬめりと汚れを洗い流す。その後デッキブラシでこすり、竹ぼうきで排水路まで汚れを押し流す。すっかりきれいになり、滑りもなくなった。これで一安心だ。 近所のモモちゃん。 それからKさんの運転でHCへ行った。先日買ったものに不都合があったためだ。第一は、風呂のふた。買ったのは良いが、少し大きくてふたが閉まらないのだ。これには驚いた。買ったものと、使用中の双方をサービスカウンターへ出し、事情を話した。使用中のと同じサイズの物を買い、差額の精算。二番目が字が大きく見える眼鏡。これも帰宅後に見たら、見難かった。大きめのルーペを購入して精算。 座敷犬? 3つ目が「ソーラーライト」。石段を照らすためのものが点かなくなっていた。ソーラー部分が古びたか、電池が切れたか。その双方の可能性もある。そこで新しいのを購入した。足元が暗いと石段を下る時に危険だ。掃除もしたし、明るくなれば、安全性が増す。早速吊り下げて太陽光の下に。 モップ犬 早速交換した風呂のふたを設置。カビが生えた古いものは、6つほどに裁断して大型のゴミ袋へ。交換した玄関マットの古い分とソーラーライトもゴミ袋行き。これですっきりし、気持ち良く新年を迎えられそうな気がする。毎週金曜日に来る石油屋さんが来ない。そこでガソリンを入れに行くKさんに依頼したら、快く引き受けてくれた。車がない我が家にはとても助かっている。Kさん本当にありがとうございました。 ネズミ顔の母犬 先日郵便局から旅行代金を振り込んだ。ATM脇の荷台に荷物を置いたら、使用中の女性から苦情。そこに置かれるのは嫌だと。私は別に彼女の暗証番号など見る気はない。大事なものを忘れないための用心だった。何とか自動で振り込み、荷物もリュックに入れて、帰宅した。ところがいくら探してもツーリストから届いた封筒が見当たらない。郵便局での騒動中に落としたのだろうか。ヤレヤレまたやったか。 牧羊犬 領収書はあるので最悪のケースは免れた。来年早々にも詳細な書類や飛行機のチケットなどが届くはず。大連ツアー関係の書類だが、ギリギリで来ると気が焦るよね。さて大失敗しないよう今後も締まって行こうと思う。文字拡大用のルーペ2種を直ぐに取り出せるよう、インカのポシェットを窓の鍵から吊るしてその中に入れた。我ながらグッドアイデアだ。明日は大晦日。次男は来るのかなあ。
2019.12.30
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~わが暮らしこの1年~ <旅行>1月蔵王山樹氷見物、温泉入浴、コンニャク料理2月冬の秋田のお祭り。なまはげ、かまくら、西木町紙風船上げ、酒蔵見学、餅つきなど。5月岩手県小岩井牧場見学。東北の夏祭り実演、牧場内ハイキング。6月台湾一周観光。日月潭、高雄の夜市、三仙台、花蓮民族舞踏、列車乗車、九份夜景、故宮博物館。10月山陰旅行。天橋立、鳥取砂丘、砂の美術館、足立美術館、出雲大社、姫路城ほか。11月富山旅行。(懇親会)、埼玉県行田市埼玉古墳群、博物館見学。 <ランニング&ウォーキング>1月13回28km2月13回34km3月13回32km4月23回49km5月18回122km6月13回66km7月14回52km8月14km73km *作並ラン 今年最長17km余9月12回49km10月12回33km *山寺ハイキング11月17回55km12月14回34km合計188回 616km体調が悪い月もありましたが、良く頑張りました。 <俳句> 俳句教室毎回出席 作った作品数200句程度か。 <ブログ>「マックス爺のエッセイ風日記」 毎日更新中。10月に開設以来150万件アクセス達成。読者の皆様、ブログ友の皆様にはこの1年大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。なお併せて、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2019.12.29
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<埼玉古墳群の埴輪たち> 埼玉古墳群の配置図です。上方の黒くアンダーラインが引かれたのが将軍塚古墳で、下方の黒くアンダーラインが引かれたのが瓦塚古墳です。今回はこの2つの古墳から発掘された埴輪を紹介することにします。 瓦塚古墳の説明文です。以下にこの古墳の埴輪を紹介します。 動物埴輪の説明文です。ご参照ください。 左は犬。古くから人間に飼われ、猟などにもお供しました。右は白鳥。古代には割と身近な動物だったのでしょう。日本武尊が三重で死んだ後、白鳥になって都へ帰ったとの白鳥伝説が有名です。 馬は朝鮮半島経由でわが国にもたらされたようで、古代は専ら軍馬として用いられました。豪族の死後、古墳の周囲に生前の馴染み深い動物や使用した物、墓を警備する武人の埴輪などが立てられました。 倒れた状態の埴輪。本来は古墳の側面に立てられていたのが、長い歳月の間に倒れたのです。 以下は将軍塚古墳の人物埴輪です。殉死した兵士の代わりに、土師氏の祖である野見宿祢が考案して土で兵士などの埴輪を作り、豪族などの墳墓に並べたのです。 盾持ち人物埴輪 朝顔型円筒埴輪と呼ばれるものです。これらが古墳に並んだ姿は壮観だったことでしょう。 異常の朝顔形円筒埴輪は、どうやら国宝の鉄剣が出土した稲荷山古墳のもののようです。 将軍塚古墳に配置された「琴を弾く人」の人物埴輪(左)とその復元図(右) 稲荷山古墳に配置された家形埴輪。当時の豪族が住んだ家屋の形が想定出来ますね。 当時の武人の様子も分かりますね。このように埴輪から当時の服装、飼っていた動物、住宅、船の構造などが推測出来ます。埴輪の数量と内容が最も充実した古墳は、大阪府高槻市にある「今城塚古墳」と思われます。同古墳は第22代継体天皇の被葬地とされ、付近には巨大な埴輪工場が数か所存在します。なお宮内庁の天皇陵は茨木市にありますが、築造年代が継体天皇の時代とは異なります。<来年に続く>
2019.12.28
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<「埼玉古墳群」の位置関係> 「埼玉古墳群」の位置関係を示した地図です。利根川と荒川に挟まれた土地(湿地帯)だったことが分かります。大きな古墳は西側の上野国(現在の群馬県)にも多いのです。その理由を私なりに考えると、両方とも古代から中山道(東山道)によって大和朝廷と強い協力関係があったためと思われます。当時は東海道よりも中山道(東山道)の方が安全で主流な官道だったと。ただし奈良時代以降、武蔵国府が現在の東京都国分寺市周辺に置かれると、この地の豪族の力が衰えたと考えられます。 整備前の公園です。湿地を埋めるため、古墳の土が取られたりしていました。今では信じられない話ですが。 国指定の史跡として整備された後の航空写真です。土を取った跡も埋め戻され、きれいな古墳の形になっています。<将軍山古墳と出土品など> 将軍山古墳(緑の濃い場所)の位置。古墳主軸の長さ=90m。後円部高さ=8m以上。 埴輪の配列想定図。 発掘調査前の将軍山古墳。土が埋め立て用に取られて、古墳の形が崩れています。 整備前の測量図。古墳の土が取られた様子が良く分かります。 整備後の将軍山古墳。古墳の右側に地下の展示館のコンクリート屋根が見えています。 地下の展示館の看板が立っています。ここの見学は博物館の入館料に含まれています。 出土品などから復元された被葬者の騎馬像です。「将軍」の名は、ここから来たのでしょうね。 石室内部模図。 出土品などから復元した被葬者(将軍)と彼が乗った騎馬。 石室にあった黄色い石(房州石)は現在の千葉県南部から運ばれたものと判明しました。 上の説明文です。 遺体の埋葬状況を精密に再現してありました。本日掲載分の写真が複雑で、記事を書くのがとても困難でした。かなり専門的な内容で、興味の無い読者には読むのもさぞかし苦痛だったことでしょう。最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。なお、本日紹介した出土品に国宝は含まれておりません。国宝が出土したのは、「稲荷山古墳」(後日紹介予定)です。<続く>
2019.12.27
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~さきたま古墳群と博物館その1~ 「埼玉県立さきたま史跡の博物館」です。埼玉県行田市にあります。11月27日(水)富山県の宇奈月温泉からの帰り道、寄ったのがここでした。熊谷駅で長野新幹線を降り、そこからJR高崎線で行田駅へ。駅前からのバスは平日のため少なく、数台しかないタクシーもなかなか来なくて困りました。駅から博物館までの料金は1980円でした。 博物館前に「埼玉県名発祥之地」の堂々たる石碑が建っていました。「さきたま古墳群」の名前が「埼玉県」となったのですね。ここに5世紀後半から7世紀初めまでに造られた9基の大型古墳が集中しています。昭和13年に国の史跡に指定されて以降、史跡公園として整備が図られて来ました。 ほとんどが大型の前方後円墳ですが、左上方の丸墓山古墳だけが円墳です。この地は利根川と荒川に挟まれた湿地帯で、その湿地を埋めるため、かなり古くから古墳の土を掘り出していたようです。そのためかなりの数の小型の円墳が姿を消してしまったようです。残念なことをしましたね。 現時点での航空図です。「さきたま古墳公園」として行田市民、埼玉県民から広くし親しまれています。私も今回が2度目の来園でした。アクセスが不便なのが残念。付近には「古代ハス園」もあり、花の時期は特に賑わいます。この古墳が有名なのは、稲荷山古墳(前方後円墳)から出土した鉄剣から、金で象嵌された115文字の金石文が発見されたことです。そこに歴史的な人物の名があり、朝廷と地方豪族の協力関係が解明されたのです。まさに歴史的な快挙。副葬品は一括して国宝に指定されています。 入場料は成人が1人200円。ただみたいなものです。そして「将軍塚古墳」の地下にある、展示館にも入場することが出来ます。博物館展示館ともに撮影も可能なので、考古学ファンにはたまりませんね。 博物館前の道路です。この道を前方に直進すると県道を越えて公園内の各古墳へと向かいます。また逆方向に向かっても、幾つかの前方後円墳と出会えます。 公園内の紅葉と落ち葉がきれいでした。 二子山古墳。2つの山があるのでそう呼ばれます。前方後円墳のこの形を「茶臼」と言う表現もして、国内には「茶臼山古墳」などと呼ばれるケースもあります。 二子山古墳横の湿地(元周濠跡)で餌を探していたアオサギ。 丸墓山古墳は直径約200m。国内で最大級の円墳です。発掘調査されたことはありません。墓の上は戦国時代秀吉が北条攻めをした際、石田三成が陣を置いた場所です。忍(おし)城は北条側の出城。この抵抗に手こずった三成は堤を築き、利根川と荒川の水を入れて水攻めにしたのです。その実話が「のぼうの城」として映画化されています。 丸墓山まで真っ直ぐに伸びるこの道路が三成が築いた「石田堤」の痕跡なのです。戦国時代の戦いの跡が道路として今も残っているなんて不思議な話ですね。このように当時関東の各地では、豊臣方と北条側の熾烈な戦いが続いていたのです。最後は「小田原攻め」で決着がつき、秀吉の天下統一につながりました。 春の丸墓山古墳。ここは桜の名所で、塚に登って花見を楽しめます。 冬の丸墓山古墳。雪で真っ白な古墳の姿とは珍しいですね。明日からは考古学の専門的な内容になりますが、我慢して最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。ではまた明日ね。<続く>
2019.12.26
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~自分へのプレゼント~ 少し前まで感じていた「違和感」が少しずつ消え、それに伴って体調が改善したようだ。何事もなく炊事が出来、12月の俳句教室もつつがなく終了出来た。朝の気温がかなり低まって来たため、大根が凍るので、近所の方に差し上げた。「お返しは不要」とのメモを添えて。お向かいさんがお風呂に入れるためユズが欲しいと言うため、好きなだけ枝を切って欲しいと告げた。 こちらはお返しに大根の「溜まり漬け」とおからの煮物をいただいた。家庭料理の味に飢えている私には、とても嬉しい贈り物だ。散歩がてら俳句仲間のKさんの家に大根と来年のカレンダー3種を届けに行った。残念ながら彼は不在だったが、娘さんが出て来られたので手渡した。とても喜んでいただけたのが嬉しい。私は小さいカレンダーがあるので、それで十分だ。 予約日を知らせるハガキが届いたので、近所の歯医者へ。これは先生の奥様が描かれた絵。毎回予約日の数日前には、手書きの絵が描かれたハガキが届く。ドクター共々とても優しいお人柄。80-20と言う運動があるらしい。80歳で自分の歯を20本残そうと言う趣旨。咀嚼する力は、良き老後を過ごすためには不可欠なようだ。私も定期的に歯のチェックを受け、歯石除去に努めている。 ハガキの雪山が秀逸。これは近所から見える南蔵王の雄姿。淡い色彩でとても上手に描かれている。そして私が予約した日に行くと、奥様が出て来て言葉を交わす。独り暮らしの私にとっては、滅多にない会話の機会。そして人の心の優しさを実感するひと時でもある。歯科技工士のSさんとも話す。彼女はわが家の隣人。息子さんは来年東京の大学に行き、ご主人の実家の神社の跡取りになる神道を学ぶ由。 新巻鮭 彼女も独り暮らしの私の体を心配してくれ、先日の不調の話をしたら、早く病院んに行けと勧めてくれた。彼女のお宅にも、そっと大根を置いて来た。ごくささやかな近所づきあいだが、私にとっては十分な「安心材料」だ。 持参したデジカメで、治療室の窓際に置かれていたシクラメンを撮らせてもらった。きっと患者さんからの戴きものかも知れない。ここはとても家庭的な歯医者さん。ほんわかとした雰囲気が漂う、憩いの場だ。 待合室のクリスマスツリー。ごくごくささやかなものだが。私にはこれでもクリスマス気分が味わえて嬉しい存在。今年はクリスマス用に用意した写真が何もなかったので、せめてこれで皆さんにもクリスマス気分を味わっていただけたら嬉しい。 これも先生の奥さまが作られたクリスマス用の飾りつけ。 こちらはサンタに扮した先生。「素敵なクリスマスをお過ごしください」とのメッセージが添えられている。どれもこれも奥様の暖かい心遣いだ。こんな歯医者さんに、私は救われている。 先日の日曜日、量販店から荷物が届いた。先日注文した電子レンジとトースターだ。どちらも古びて壊れてしまったのだ。だが独り暮らしの私には不可欠なもの。何でも簡単に温めてくれるレンジは重要な電化製品。メカに弱い私に使いこなせるかどうかは分からないが、どこかを押せば作動して、温めることくらいは出来るはず。これが自分への最大のクリスマスプレゼント。嬉しいな。有難いな。 白花のシャコバサボテン 後、気がかりなのが圧力釜。これも不調で困っている。近々IH用の新品を買いたいと思う。後は東京の次男から年末帰省の電話がまだこないこと。既にベッドの準備は終えたし、暖房の準備も終えた。おせち料理は大晦日に届く予定。まだまだ買い物はあるが、ゆっくり進めようと思う。場合によっては次男の要望を聞いてからでも遅くはないしね。これで少しは年末気分になったかな。 郵便局へ行った帰り、俳句仲間のKさん宅を訪ねた。先日大根を届けた際に会えなかったためだ。今回は家にいてビニール袋を手に現れた。前回のお礼だと言ってネギとカリフラワーをくれた。彼も畑を作っているのだ。帰宅して畑のブロッコリーを切り、2つ並べて写真を撮った。この後、仲良く鍋の中で茹でられ、夕食の食卓に上るはずだ。 待望の圧力鍋を買った。電気店にはIH対応のは置いておらず、向かいのHCで買った。注意書きも読まずに早速4合分のご飯を炊いた。火力と時間は自分の勘に頼ったが、多分上手に炊けたはず。この日はさらに気になっていた買い物を次々にこなした。やはり私は自分の生活が第一だ。それが健康の素だし、活力の源だ。 では皆様もどうぞ良いクリスマスイブをお迎えくださいね。
2019.12.25
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~「富山地方鉄道」を撮る~ 「富山地方鉄道」(愛称は「地鉄」)の富山駅から宇奈月温泉駅までの普通列車に乗りました。その時に駅の構内などで撮った写真を載せますね。 雄大な雪の立山を背景にして走る「地鉄」のポスターです。素晴らしいですねえ。 電車のプレートが飾ってありました。珍しいのでもちろん撮影です。 私もこの電車に乗ったはずです。「立山登山マラニック」のウォークの部に出場した時、立山駅まで乗ったのでした。 「引退記念」のプレートとは珍しいですねえ。超レアものです。 駅のホーム風景です。2台の電車が仲良く並んでいます。 これが今回私が乗った宇奈月温泉駅行きの普通列車で、2両編成です。 間もなく発車です。この電車に2時間20分間乗るのですが、車内にトイレはありません。 運転席の横から、線路が見えます。 運転中の運転手さん。「運転中は話しかけないよう」との注意書きが張ってありました。 電車は平野部からやがて山岳部へと入って行きます。見える景色も大きく変化します。 終点の宇奈月温泉駅構内です。背後に山が見えますね。前方にトロッコ列車も見えています。 トロッコ列車です。私も乗ったことがありますが、なかなかスリルがありますよ。眺めも最高です。 トロッコ列車のポスターです。<不定期に続く>
2019.12.24
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~乗り鉄でもないけれど~<仙台駅にて> 富山へ旅立った日、仙台駅にこんな写真があったので、思わず写してしまいました。 「ゆうづる」は寝台特急だったでしょうか。 これも寝台特急だったでしょうか。ブロ友のこうさんがとても詳しいですよ。 「ひばり」は東北本線の特急で、東京ー仙台間を走っていました。東京勤務の時に帰省する際などに良く利用していました。私にとっては懐かしい列車です。 「はつかり」は東北本線の特急ですが、東京ー青森間を走っていましたね。 共に東北本線の急行だと思いますが、私は乗った記憶がありません。 「やまびこ」は東北新幹線で東京ー仙台間を走っていました。良く利用していたので、私にとってはとても懐かしい列車です。 「ひたち」は常磐線の特急です。茨城県に10年間住んでいた私にとっては、とても身近な特急でした。良く乗りましたよ。 秋田新幹線「こまち」です。東北新幹線の車両とも連結して運転されています。私も何度かこれに乗って秋田方面に行きました。 北海道新幹線です。北海道のマークがありますね。東京ー函館北斗駅間を走っています。私はまだ乗ったことがありません。<大宮駅で> 上越新幹線「とき号」の車両表示です。1回くらい乗ったと思います。 北陸新幹線「かがやき」です。東京ー金沢間を走っています。今回初めて乗りました。 ホームの電光掲示板です。私が乗ったのが上の列車です。 先日とても嬉しいことがありました。私が書いた富山への旅の話に、懇親会と宿泊を共にしたS崎大先輩が書き込みをしてくれたのです。彼は今年90歳になるのです。そんな彼が多分N沢さんから私のブログのことを聞いたのでしょうね。そしてコメントを書いてくれたのです。これにはビックリでした。90歳の先輩が私のブログを読んで下さっただけでも嬉しいのに、コメント迄書いてくれたのですからねえ。そのチャレンジ精神に拍手です。S先輩、どうもありがとうございました。改めて御礼申し上げます。<不定期に続く>
2019.12.23
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~宇奈月温泉から帰途へ~ 宇奈月温泉の説明板ですが字が小さ過ぎますね。江戸時代の正保2年(1645年)に発見されたとあります。 「地鉄」(富山地方鉄道)宇奈月温泉駅の駅前にある温泉です。噴水の代わりに天然温泉が噴き出しています。 夜の同じ場所です。 懇親会会場に向かう際に立ち寄った酒屋さん。富山の地酒が揃っています。 いかにも高級そうな日本酒ばかりです。 お店の人と盛り上がる多幹事のT田さんも富山県民です。 夜の温泉街(以下同様) 懇親会会場になった小料理屋さん。 店内の様子。 宿の部屋に落ち着いた後もなお懇親会は続きます。絶好調の各人。 翌朝の朝食です。朝食対1泊で5千円の超安価で、助かりました。 ホテルの前で記念撮影です。皆さん案外元気でした。この後解散し、Hさんはトロッコ列車へ。私、S先輩、N田さんは地鉄で「新黒部駅」へ向かいます。 トロッコ列車が見えています。 私たちが乗った急行「アルペン号」終点は立山駅ですが、私たちは「新黒部」で下車します。所要時間んはこうど30分でした。 新黒部駅は北陸新幹線の「黒部宇奈月温泉駅」と連絡しており、私はここでお土産とお弁当を買いました。お店の女性は私が走った「立山登山マラニック」のことも知っていたので嬉しかったですねえ。 長野まで私はS崎先輩と自由席で相席していました。先輩はそのまま東京まで行かれたと思いますが、私は長野で下車し、長野新幹線に乗り換えました。埼玉県の熊谷で下車するためでした。 長野新幹線の車中で、私は富山名物の「ぶりの寿司」をいただきました。20年ぶりくらいだったでしょうか。醤油をかけたので汚い画面でスミマセン。脂が乗って、やっぱり美味しいですねえ。 熊谷で下車し、ローカル線の高崎線に乗り換えて、行田で下車。そこからタクシーに乗って、「さきたま古墳群」にある博物館に向かいました。そこが旅の第2日目の目的地だったのです。その話は改めて別のシリーズで紹介する予定です。このシリーズは目先を変えてもう少し続きます。<続く>
2019.12.22
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~思い出の地富山~ JR富山駅前です。ここに立つのは4度目でした。最初は40年前、新設の富山医科薬科大学へ出張した時。確か路線電車に乗ったはずです。2番目から4番目までは「立山登山マラニック」を走った時。2番目3番目は駅の地鉄ホテルへ泊まり、4番目の時は、地鉄立山駅近辺のホテルへ泊まりました。 富山市中央部の地図です。駅から真っ直ぐに東へ向かえば富山城があるようですね。土地は平坦で、路線電車が走っていて便利です。海も山もある富山は温泉と豊かな自然に恵まれた観光地でもあります。 ここからは駅に掲示されていたポスターの紹介です。ここは北アルプスの立山。御厨が池(みくりがいけ)から見上げた雄山(3003m)山頂に立山神社の奥宮があり、私が走った「立山登山マラニック」のゴール地点です。でも再び下山して、この池の傍にある「雷鳥荘」まで自力でたどり着くのがルールです。春夏秋冬どの季節も目を見張るほどの絶景で、とても忘れられない風景です。 ここは「雪の大谷」周辺。毎年ゴールデンウイーク前にアルペンルートの除雪をすると、必ずニュースに出て来るのがここです。歩くことも出来ますが寒いですよ、ここで標高2500mはありますから。 先ほど紹介したみくりが池から見た雷鳥沢と立山の雄姿です。 雪の雷鳥沢です。冬の降雪が万年雪になって、8月にも残っています。私がレースで走った時も、一部に雪が残っていました。夏の頂上は氷点下になることもありますから、ランナーも登山の経験が求められますし、ある程度の装備は必要です。山の天候を甘く見てはいけません。 ここは弥陀ヶ原です。称名の滝を見上げながら八郎坂を登って来ると、ここに着きます。こちらはルート左方の湿原ですが、マラニックのコースはルート右側の湿原内の木道を走ります。池塘(ちとう)にワタスゲがそよいでいます。称名も、弥陀もすべては仏教用語。立山は山岳宗教の聖地で、大日岳などは山伏たちの修行の地でした。あの険しい剱岳でさえ、乏しい道具でよじ登っていたのですから驚きです。 ここは高岡市の雨晴らし海岸です。真っ白の雪を抱いた立山連峰が遠望出来ますね。私はここも「高岡万葉マラソン(ハーフ)で走りました。ちょうどコースになってるのですが、後ろを見ながら走るのは無理ですね。右手奥の島には、義経伝説が残されています。安宅関を通り、奥州平泉を目指す、義経弁慶主従が難渋しながら、逃げ延びて行ったんですねえ。 この風景も私にとっては懐かしいものです。雷鳥沢の左奥には剱岳の威容が続きます。このホテルを見ながら、ラストスパートをかけましたが、何せ勾配がきついのですよ。室堂までは残り3km弱でしょうか。そしてチェック後に雄山山頂を目指すのです。 雄山山頂とありますが、山の形からこれは剱岳(標高1999m)でしょう。私は映画「剣岳点の記」を見ましたが太古山伏が修行のために登った形跡が錆びた錫杖(しゃくじょう)の発掘で分かった時は驚きでした。何せこの山は重装備をした山のベテランでさえも難しい厳しい地形の山なのです。毎年滑落死者が出るくらいです。後ろは長野の山々です。 秋の「黒部アルペンルート」です。私が登山マラニックで走ったのはまさにこの道でした。極力観光バスの邪魔にならないようにコースを設定してるのですが、どうしても一部は利用せざるを得ませんね。でも良い思い出ですよ。 とてつもなく深い峡谷である黒部渓谷沿いに走るトロッコ列車です。元々は黒部ダム建設工事のための資材を運搬するためのものでしたが、今は観光用になっています。ここは宇奈月温泉駅付近ですが、駅からは見えません。私も一度終点の欅平(けやきだいら)まで往復したことがありました。 除雪直後の黒部アルペンルートです。 「黒部立山アルペンルート」の概略図です。富山県側から長野県大町市まで、観光バス、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウエイなどを乗り継いで縦走する、雄大な観光コースです。黒部ダムも眼下に見下ろすことも出来ますし、「黒部の太陽」の「高熱隧道」の雰囲気も体感出来ますよ。 ほらね。ロープウエーから北アルプスの見事な紅葉を見下ろせるでしょ。 黒部のトロッコ列車。良いでえすのう。翌朝岡山のHさんは早速乗りに行きましたぞ。 これは黒部市の海岸にある生地と言う地区から雪の立山連峰を眺めた図じゃ。壮観じゃのう。山の上から上がっている白煙は一体何じゃろのう。それにしても見事じゃ。 そんなわけで皆々様方よ、どうぞ富山に来てくだされよ。マックス爺さまがPRしてくれて今日は助かったぞい。何?私の名前じゃと。ご当地キャラの立山くんぞよ。では頼んだぞ皆の衆。<続く>
2019.12.21
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~悪友達との集い~ 東北新幹線の中ではJR東日本のPR誌を読んでいた。上杉景勝の部下で、名将の誉れ高い直江兼続の記事に興味を引かれたためだ。何年か前の大河ドラマの主人公になった人物で、「愛」の字の前立ての兜を被っていたのがとても印象的だった。東北は晴れていたのに、関東に入るとどんよりとした冬空に変わった。大宮での乗り換えは10分しかなかったが、何とか間に合った。 北陸新幹線の車中ではこの日の新聞と新聞の俳句欄を読んだ。初めて乗る北陸新幹線。久しぶりの碓氷峠を越えて、長野県へ。長野市を過ぎた辺りで、水害で水没した車両基地が見えた。その先からはトンネルばかりで、糸魚川市の姫川もはっきりしなかったのが残念。そこは縄文時代からの翡翠の産地で、北は青森の三内丸山遺跡、南は沖縄県にまたがる広い範囲で伝わっていたのだ。 富山には定時に着いた。何年ぶりの富山だろう。多分10年ぶりくらいのはずだ。本当は「黒部宇奈月温泉駅」で降りたら幹事役のT氏が車で迎えに来てくれてb便利なのだが、あえて「富山地方鉄道」に乗る道をえっらんだ。駅の路線図を見ると、宇奈月温泉までは41もの駅があり、2時間20分ほどかかることが分かった。それでも私は後悔はしなかった。 これが私が乗った列車で2両編成。トイレはついてない。さて2時間20分間、耐えられるかどうか。そんな心配を他所に、電車は定時に発車した。さて、運命はいかに。 私が「地鉄」に乗ったのは、この川を見るためだった。川の名は「常願寺川」。水源は立山連峰で、河口は富山市の浜黒崎。私はウルトラランナーだった頃、この川に沿って走り、立山の雄山山頂(標高3003m)までの「立山登山マラニック」に2度出たことがあった。残念ながら懐かしい立山連峰は分厚い雲に覆われて見えなかったが、この懐かしい川と再会することが出来た。距離65km。高低差3003m、制限時間11時間(後に10時間)の厳しいレースだったが、今なお忘れられない思い出だ。 宇奈月温泉駅に着いてから、宿への道が分からず、約束の集合時間には若干遅れた。チェックインして部屋に行くと様子がおかしい。何と4人がドタキャンした由。それで恒例の麻雀大会が出来なくなった。私はそれでも良かった。かつての悪友や大先輩のSさんらと1年ぶりに再会して酒を飲み、天下の名湯「宇奈月温泉に入れたらそれで十分。そして酒盛りは既に佳境に入っていた。 ドタキャンにも事情があったのだろう。老化に伴う不調や家族のこと。そして今回は「北陸新幹線の減便と臨時ダイヤと言う事情も大きかったのだと思う。もう麻雀大会は無理で、来年は東京で飲み会中心で行うことに決まった。これで少しは集まりやすくなるはずだ。北は私の仙台が最北で、南は岡山のHさんが最最南。移動距離も長く、経費もかさむのだ。たかが悪友の同窓会にそんなムダ金は使えない。 懇親会は温泉街の小料理屋で夕食を兼ねて。そしてホテルは全員同じ部屋で雑魚寝。私とS先輩はベッドを選んだが。こうして宇奈月の夜は更けて行った。酒は富山の美味しい地酒。魚は富山湾で獲れた「きときと」の一品。酒が進まぬわけがない。私は酔って、折角の料理も全部は食べられなかったのが残念。 さすがに温泉は良かった。私は安心してグッスリ眠れたのだが、「鼻呼吸テープ」を持参しなかったためにいびきをかいて迷惑をかけてしまったようだ。朝も温泉に入り、朝食は宿で摂った。宿代と懇親会費で1万円は安く上がったのではないか。幹事のTさんお世話になりました。 不調なPCを騙し騙し、何とかブログを更新出来ました。この調子で、続けて頑張りたいと思っています。なお、「お気に入り」が上手く動かず、ブロ友さんのところにたどり着けない状況にあります。努力は続けますが、事情をお察しいただけたら幸いです。ではまた。感謝を込めて。<続く>
2019.12.20
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~マックス爺の悲哀~ 最近新聞小説を読んでいて奇妙な感覚に陥る一つは何年か前の世界にタイムスリップして、落ち着かない主人公たち。その奇妙な感覚がこちらにも伝染するかのようだ。もう一つの方は、複雑な家庭関係のどろどろした話で、思わず「もう勘弁」と言いたくなるほど気持ちが不安定になるのだ。 何日か前、循環器内科で薬の数を減らしてもらった。だが帰宅して薬局からもらった説明書を読んで嫌な気分になった。処方された新しい薬の副作用として、耳鳴りと胃のもたれが記されていたからだ。不安は的中した早速眩暈と膨満感がやって来た。それに加え、その3日後、就寝中に異常を察知。脈の乱れだ。つまり不整脈の再発さほど強いものではなく、多分何とかしのげるはず。それでも再び循環器内科へ行き、診察を受けた、心電図の波形に微細な乱れが有った。「良く不整脈と気が付きましたね」とドクター。原因は服用薬を変えたことではなさそうだ。強い運動は禁止、散歩程度まで。来年中国に行く前にもう一度心電図を撮るよう忠告をいただく。 数日後の深夜、またしても不思議なことが起きた。トイレに行こうとしても方向が分からないのだ、寝ている居間から廊下の方に出ようとしたが、照明のスイッチも扉の取っ手も分からない、仕方なく台所の方から出ようとしたら障害物があった。手探りで進むと「ぼきっと」何かが折れた。そしてトあろうことかイレではパジャマを汚してしまった何というざま。こんなのは初めてのこと。温度設定した風呂水も異常に熱く、慌てて水を継ぎ足したのだった。 翌朝起きて確かめると折れていたのは洗濯物を干す器具のアーム1本と、鉢植えの観葉植物の枝だった。そして不幸はさらに続いた。PCが立ち上がらないのだ。プログラム更新後に設定が変わって不調になることはこれまでも何度か起きた。これは実に困った。ブログにコメントも出来ず、ブロ友さんの所へも行けない。騙し騙し操作しているが果たしてどうなるか。 ところがさらなる事件勃発。トースターと電子レンジの故障だ。トースターはまあ良いとしても電子レンジが作動しないのは生死に関係する。それにしてもよくもまあこれだけ次々に奇妙なことが起きるものだ。これでは生きるのも難しいかも、そんな風にも思ったのだ。そしてこれから何を優先して解決しないといけないのか。思考は狂ってないとしても、感覚に狂いが生じ始めたのは確かだ。方向感覚、時間と曜日の感覚。温度に対する感覚。つまり判断力全般だ。これで危険性にまで鈍感になったら、死ぬしかないねえ。これはブログどころではないよ。プログラム更新で写真が上手く取り出せなくなったしね。そんな訳で皆さんゴメンなさいね。そろそろブログを閉じる時が迫ったかも知れません。私に今一番必要なのは民生委員か、地区の支援包括センターか。いずれにせよ強力な助っ人が必要なのは確かだが。こんな時、そばに相棒がいたらなあ。
2019.12.19
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~長いシリーズを書き終えて~ お土産1=出雲そば 29回に亘ったシリーズ「旅・歴史と美を訪ねて」をようやく書き上げた。第1回が11月10日なので、まるまる1か月かかったことになる。大げさなタイトルにしたおかげで、自分自身が苦しむ結果となったが、それはある程度予想していた。だがたとえ苦しんでも、そのタイトルでこの旅を描きたかったのだ。「美」は何とかなる。最悪写真の羅列でも済むはずだ。だが「歴史」となればそうは行かない。 お土産2=金福だんご 苦しみながら「歴史」もでっち上げた。長年抱いていた歴史上の謎を、自分なりに解いてみた積りだが、その試みは消化不良だったはず。何分最近の研究を知らない。それを乏しい知識と推論とで補おうとしても、補い切れるものではない。歴史学や考古学は、それほど甘い学問ではないのだ。ただし「夢」なら語るのは自由。今回のはそんな夢と思うことにしよう。完成のご褒美に、出雲土産を食べた。 香港の区民選挙で民主派が圧勝した。勢いづいた学生たちは、香港政府に対して改めて5つの項目実現を香港政府に迫ったが、反応はない。ないどころか、中国政府の反応は冷ややかだ。しかし若者たちがあれだけの騒動を起こして、一般市民たちはどう思ったのだろう。迷惑と感じた人よりも、香港の自由と民主化のために、若者たちの暴走に目を瞑ったのだろうか。 アフガニスタンで医療や復興事業に携わっていた1人の日本人医師が過激派によって銃殺された。初めから彼、中村医師の殺害を目的にして待ち伏せしていたようだ。アフガニスタンの大統領自らが彼の棺を担ぎ、心からの感謝と哀悼を捧げた由。何の報酬も願わず、貧しいアフガニスタンの国民のために命を捧げた彼の行為。数年前には若い彼の同僚も、現地で殺されている。無償の愛の行動への報酬は残酷だ。 北朝鮮が再び挑発を始めた。大陸間弾道ミサイルの燃焼実験のようだ。これに対してトランプ氏は、高圧的な警告を発した。こんな中で韓国の国内情勢が異常だ。ある地方都市の市長選挙に裏工作して大統領の知人を当選させ、検察の事情聴取を受ける予定だった配下が自殺した。辞任したタマネギ男は、以前この市長の選挙対策委員長だった由。次々に暴かれる政治の闇。韓国とはどれだけ愚かなのだろう。 アメリカ議会は先に香港の民主化に関して、ある法案を通した。中国政府は直ちに反発し、香港へのアメリカ軍用機と艦船の寄港を禁じる措置を採った。何とか中国艦船の海外進出を止めようとして、インド洋から太平洋にかけての封鎖網を敷こうとしているアメリカとその同盟国。これに対して中国はロシアやイランと手を結んで逆封鎖を試みようとしている。今アジアはパワーゲームの試験場と化している。 今や「地球温暖化」などと言う生易しいものではないらしい。相次いで日本列島を襲った台風もその一つ。海水温が上昇して100年に一度、あるいはそれ以上の規模の大災害を起こしている由。北極や南極のみならず、ヒマラヤやヒンズークシュ山脈の氷河も解け、氷河湖の崩壊も起きつつある由。「桜を見る会」などで国会が空転している暇などないんだよ。そう地球が悲鳴を上げている。 旅の紀行を書いているうちに、季節はすっかり変わった。破れたシーツやパジャマを捨て、新しいのを買った。「洗濯ばさみ」を新しいのに換え、食器を置く水切り台の装置も買い換えた。植木鉢の雑草を抜き、室内の乾燥を抑えようと、濡らしたタオルを居間に吊るす試みも始めた。地球の悲鳴には応えられない、貧しい老人の営みを笑えば笑え。こんなことにでも心が朗らかになる、つつましき暮らしに幸あれ。
2019.12.18
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~最終章・出雲王国と大和政権~ さて、用意した写真も尽きかけた。そろそろ結論を急ごう。出雲と大和との関係であり、大国主神の本質の解明であり、古代日本に何が起こったのかの謎解きだ。私は端的に「出雲王国」と「大和政権」の勢力争いと見ているのだが。 これは出雲大社の神紋、「亀甲に剣花菱紋」である。これにも花は勾玉であり、中心の円は鏡、そして剣が4振りあるとの言い伝えがある。勾玉、鏡、剣は「三種の神器」そっくりではないか。出雲王国の意地が秘められているのだろうか。また大和政権に譲ったのは出雲ではなく、出雲以外の領地との説もある。つまり出雲王国は大和朝廷より以前に成立し、広範囲の領地を有していたとの考えだ。 大国主神は杵築大神、大物主神、大己貴命(おおなむちのかみ)、大穴持神など15以上の別名を持っている。大和国一之宮である大神(おおみわ)神社の祭神は大己貴命で、第七代孝霊天皇の皇女ヤマトトトソモモソヒメの夫とされる。だが、三輪山の主は蛇の形になって姫の元に通ったと言う。姫が葬られたとされる箸墓は、卑弥呼の墓とも言われている。出雲族と大和王権との関係が窺える伝説だ。 蛇は龍であり、水の神、農業の守り神だ。大神神社には白蛇が棲み、神前に「生卵」が供えられている。出雲は蛇を祀る神社が多いことでも知られる。毎年秋から冬にかけて対馬海流に乗って産卵に来るウミヘビを捉え、神前に供える儀式が伝わっている。不思議なことに沖縄の久高島では、ウミヘビの捕捉は身分の高い祝女(のろ)だけに許された仕事、つまり出雲同様重要な神事なのだ。 神武東征の際に協力した熊野三山。その中でもっとも奥地の熊野本宮大社は、松江市にある熊野大社(出雲大社と共に出雲国一之宮)からの分祀とされる。そして祭神の櫛御気(くしみけ)命の「くしみけ」は奇しき食べ物と言う意味。丹後一之宮である籠神社の奥宮、ひいては伊勢神宮外宮の祭神と深くつながっている。さらに出雲大社近辺には、大和と共通の地名が幾つも残されている。 上の写真は「四隅突出墓」と言われる古い形の古墳。四隅に「舌」のような出っ張りがあるのが特徴だ。最初に出現したのは中国地方の山中で広島県三次市近辺。それが日本海沿岸に進出して、出雲を代表する古墳となった。この古墳が分布するのは北陸から新潟付近までで、その他の地方には全く存在しない。出雲王国との協力関係にあったことを窺わせる事実だ。 島根県下の荒神谷遺跡及び加茂岩倉遺跡からは、おびただしい数の銅剣、銅矛及び銅鐸が出土している。2つの重なった文化圏を持つことから、出雲は九州から機内に至る広範囲の交流関係にあったと推定される。上は島根県立古代出雲歴史博物館に陳列されたもの。あまりの量の多さに度肝を抜かれる。不思議なことに、これらの中には✖印を付されたものが混じっている。それは一体何を意味するのか。 銅鐸も尋常な数量ではなく、中には国宝もある。淡路島からも同じ型が出土しており、古代出雲王国の影響力が分かるだろう。だが出雲の銅剣と銅鐸は深く土に埋められていた。銅は鉄に劣り、銅剣は鉄剣に敗れる。それは大和王権に屈した証だろうか。そして大和王権に下ることで、稲作祭祀に不可欠だった銅鐸も、存在意義がなくなったのだろうか。銅鐸の幾つかにも✖印が付されていたのだ。 <CGで再現した古代の出雲大社> 能登の浜辺に鳥居が立っている。気多大社の祭神は大国主命。能登には大国主命が村々を練り歩く祭りが今も残る。出雲と交流があった証拠だ。宗像氏が祀る宗像大社には辺津宮があり、市杵姫を祀る広島の安芸の宮島も鳥居が海中に立つ。対馬の和多津美神社も同様だが、最近韓国人の立ち入りを禁止した。落書きなどをするのだ。私は昨年訪れたが、境内の石垣に韓国式の積み石がしてあり非常に腹が立った。 さて、「旅・歴史と美を訪ねて」のタイトルで書き始めたこのシリーズだが、最後に歴史に触れることが出来た。私は歴史学や考古学を専攻した訳ではないが、日本の古代史に深い関心を寄せて来た。今回の旅が少しは謎を解くきっかけになれたかどうか。残念なのは島根県立古代出雲歴史博物館に立ち寄れなかったこと。旅行会社のツアーでは到底無理だし、帰宅後にその存在を知ったのだが。 出雲は国つ神=在来の民。天つ神=天孫族は後から日本列島に来た人たちだろうが、出雲は縄文人と早めに通婚していたことがDNA分析で分かっている。「魏志倭人伝」には「倭国大乱」とあるが、両者での争いはどうだったのだろう。大国主命はスサノオの子とも7世の子孫とも言われるが、それなら天孫族同士の国譲りだったのだろうか。神話で歴史の謎は解けず、科学的な実証が必要。私の歴史を学ぶ旅は続きそうだ。ではまたね。<完><お断り> ここに紹介したのは定説ではなく、一つの考え方に過ぎません。学問の進歩に伴って、今後も新たな事実が解明されることでしょう。日本の古代史が科学的に解き明かされる日が一日も早く訪れることを、心から願って筆を置く次第です。頓首。
2019.12.17
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~出雲大社の謎~ 出雲大社の境内の一角に、堂々たる建物がある。大社と同じ注連縄が飾られ、「出雲国造千家国造館」の看板が掛けられている。奈良時代にあった「くにのみやつこ」と言う言葉が未だ生きている出雲。日本広しと言えども、そんな場所は出雲だけだろう。この千家(せんげ)家は代々出雲大社の神職を務める家柄で、装束は上下とも黒と決まっている。 その若き当主である千家國麿氏に嫁いだのが旧皇族、高円宮典子女王。数年前のことだが私にはとても印象深い出来事となった。皇族の降嫁は滅多にないからだ。天皇の妹君である清子内親王が黒田氏に嫁いだことも思い出される。だが皇族と出雲国造の血を引く千家家との婚姻はとても衝撃的な出来事。なぜなら出雲王国の地を「国譲り」と言う名のもとに奪った当事者が天皇家だったのだから。 その出雲国造がもう一つあると聞いたらもっと驚くだろう。「北島国造家」がそれだが、名乗れたのは中世から明治初期までの数百年間のこと。立憲君主制を推進する明治政府の方針で、北島家は国造家を外された。だが当家には、代々口伝えで秘密が伝えられていた。それは「国譲り」に対する恨み言。豊かな国土を大和王権によって無理やり強奪されたとするもので、世間には明らかに出来ない秘中の秘だった。 千家家が表の宮司なのに対し、北島家は陰の宮司で一切表には出ず、祖先から伝わる恨み言を代々引き継いで来た由。私はそれを産経新聞社の社会部長だった方の著書で知った。その方が北島国造家関係者だとすれば全て符号が合う。現在は「出雲教」の看板を掲げて宗教活動を展開している。一方の千家国造家は「出雲大社教」。恐らくは人事上の制約を受けないよう、両社とも神社本庁には属していないはず。 事代主神 再び神話の世界に戻ろう。国譲りを迫られた大国主神は次のように答えた。「私には2人の息子がいます。彼らが良いといえば譲りましょう」と。早速釣りに行っていた兄の事代主神が呼び返された。彼は「良いですよ」とあっさり了承した。だが弟の建御名方神は強硬に抵抗し、科野国(信濃=長野県)の諏訪に逃げ込んだ末に敗北。これ以降科野国から一歩も出ないことを約束することになる。 諏訪大社 上は諏訪大社だが、注連縄(しめなわ)の形を良く見て欲しい。何と出雲大社のものと寸分も違わない。つまり蛇のシンボルとしてのあの形だ。あっさりと国譲りをした大国主命と事代主神は、大和政権にとっては恩人。大国主神は大黒様、事代主神は恵比寿様として長く慕われる存在ととなった。一方の建御名方神は今も怒り狂い、山から大木を落としている。それが「御柱大祭」の由来ではないかと勝手に考えているのだが。<続く><お断り> 出雲神話に関する解釈は様々です。ここに紹介したのはその一部で、異なる見解もあります。関心のある方は是非ご自分で謎解きに挑戦されたらいかがでしょうか。
2019.12.16
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~出雲神話の世界~ 出雲風土記 出雲はとても神話が多い土地柄だ。「記紀」(古事記と日本書紀)、「出雲風土記」、「出雲国造賀詞」などにそれが色濃く残っている由。現存する6つの風土記の中でも、出雲国風土記は良く原型を留めていると言われる。しかし、記紀も含めて神話に歴史上の価値はあるのだろうか。そして真実に迫る事柄が潜んでいるのだろうか。今日はゆっくりと考えて見たい。 手始めが国引き神話。出雲の国が狭いことに嘆いた神が、遥か彼方から島を引っ張って来て出雲の国にくっつけたと言う話。引っ張り寄せた中には出雲の島(隠岐とも言われる)の他に越の国(福井から新潟にかけての地方)、朝鮮半島の新羅にまで及ぶ。私はそれを日本海を通じての交流を意味すると解釈した。出雲は古来日本海を通じての交易し、朝鮮半島とも文物の交流があったと。 地形的には斐伊川や神戸川の沖積作用により、元々島だった島根半島との間に砂洲が広がってつながったのは間違いない。ただし不思議なことに、朝鮮半島の地層が北陸から中国地方にかけての地層とつながる部分があるのも事実。かつてアジア大陸の東端だった日本が、大陸から引き剥がされた証とも言えよう。 次に出雲は「根の国」、「黄泉(よみ)の国」とも言われる。つまり「あの世」だ。イザナギは死んだ妻恋しさに黄泉の国を訪ねて行く。妻のイザナミが中から、「絶対覗かないで」と言う。だが我慢し切れなくなったイザナギが覗くと、ウジ虫が湧いた妻の顔が。逃げるイザナギと追うイザナミ。夫が桃を投げるとそれが障害物となる。の戸を閉めてようやく黄泉の国を脱出したイザナギ。夫婦は声を掛け合う。 「愛しい人よ、こうなった以上私は貴方の国の人を1日千人殺すわ」。「それなら私は逆に1日に1500の産屋(うぶや)を建てよう」と。その境界線、黄泉比良坂(よもつひらさか=松江市)に揖屋(いや)神社が祀られている。「いや」は「熊野」とも書き、紀伊半島の熊野にも熊野三山がある。桃は穢れを清める霊力があるとされ、桃太郎伝説にもつながる。また沖縄にも桃にまつわる話が伝わる。 3つ目の神話、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説は奇怪だ。8つの頭と8つの尾がある大蛇を退治したのが須佐之男命。彼は黄泉から逃げ帰ったイザナギが禊(みそぎ)をした際に生まれた三神の1人。姉の天照大神は太陽の化身で、月読神は月の化身。イザナギは十束の剣で酔わせた大蛇を切り殺し、クシナダヒメを救って娶った。大蛇の尻尾を切った時に出た「草薙の剣」が、後に天皇家の三種の神器となる不思議さ。 8つの頭と尾を持つ蛇は、斐伊川の支流を表すという説もある。また斐伊川の上流では砂鉄が採れ、製鉄につながったとの説もある。須佐之男命とクシナダヒメとの間に生まれた子が、大国主たち出雲の神の祖先になったとの説もあるんじゃよ。この辺は天つ神=天孫族と国つ神伝説が入り乱れているとわしは思うんじゃ。まあ歴史は時の権力者に都合良く書かれるのは、どの国も一緒じゃのう。ふぉっふぉっふぉ。 4つ目の因幡の白兎伝説はどうだろう。因幡国(いなばのくに=今の鳥取県東部)に八上比女(やかみひめ)と言う美女がいると聞いた出雲の神々は一番下の弟に荷物を担がせて、因幡へと向かった。その途中皮を剥がれて真っ赤の兎に出会い、兄たちは塩水で体を良く洗い海岸で干したら良いと教えた。だが治るどころか痛いのなんのって。そこへ通りかかった大国主神は真水で良く洗い、蒲の穂をつけたら良いと教える。 傷が治ったウサギが言うには、「優しいミコトよ、八上比女はきっと貴方を選ぶでしょう」と。結果はその通りとなり、大国主命はやがて出雲王国を支配することになった。いわゆる「縁結び神話」だが、近隣の諸国の信頼と協力関係が出雲王国の繁栄を招いたというシンボルでもあろう。大国主命は宗像三女神の一人である市杵姫をも妻とするが、海人族間の連携とも言えよう。 なお韓国済州島に次のような神話がある。島の3人の男神が海に向かって「嫁よ来い」と騒ぐと、船に乗って宗像の3女神が現れたという。古来玄界灘は大陸へ向かう航路であり、人の往来があったのだ。初期の遣唐使船も島伝いに朝鮮半島を経由して中国へ向かった。 国譲り神話 5番目の有名な「国譲り神話」はどうだろう。折角築き上げた豊かな国土出雲。それをむざむざ譲る必要があったのか。たとえ代償としてあの高く立派な神殿を建ててもらえたとしてもだ。さて、国を譲られた側の天孫族とは一体何なのだろう。そして譲った大国主命は果たしてどんな人物だったのか。さらに、この強制的な国譲りに反対する出雲族は誰一人いなかったのだろうか。この話には続きがある。 最後に登場するのが野見宿祢(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)との角力(すもう)。第10代垂仁天皇の命により、神前で戦うことになった2人。宿祢は蹴速の腰を蹴り砕いて勝つ。この結果、宿祢は蹴速の領地であった大和国葛城の土地を下され、天皇の警護を命じられた。この野見宿祢はやがて葬制にも関与し、殉死の代わりに初めて埴輪を作った。これによって土師氏の祖となったとされる。 これらの話には補足したいことが山ほどある。例えば野見宿祢じゃが、出雲と大和を往復し、出雲国造(くにのみやつこ)になったという話じゃ。また黄泉の国のイザナミは、今で言えば「風葬」じゃね。体にウジが湧いていたと言うんじゃからのう。沖縄の風葬も湿気のある風土にはぴったりだったのさ。決して恥じることはないんじゃよ。さて時間も尽きた。今日はこれまでにしよう。ではまたの。<続く>
2019.12.15
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~出雲王国と出雲大社 その1~ 出雲には「神在月」と言うのがある。旧歴10月は「神無月」。なぜ日本の他の地方では神無月なのに、出雲だけが神在月なのか、私は不思議でしょうがなかった。 <東の十九社:文字通り19の小社が連結し、神様が住まう長屋のようだ。> 神無月と言うのは、神様が出雲に出かけていなくなるからだとか。一方全国から神が集まる出雲では神在月。その期間、神様が一時的に泊まるのがこの十九社とされている。 <西の十九社> 十九社は境内の西側にもある。現代ならさしづめ「シェアハウス」だろうか。東西合わせて38になるが、果たしてこれだけで全国から来られた神々を収容し切れるのかと心配。 おやおや、38柱だけじゃないねえ。何せ八百万(やおよろず)の神々。到底泊まれるわけがない。と言うか、こんな考えが出来たのは中世以降とのこと。水無月(みなづき=旧暦6月の別称)も本来なら梅雨の季節だから「水無」とは書かない。「な」は「の」の意味だった由。つまり水の月。それなら梅雨そのものだ。 同じ理由で神無月は「神の月」。でもそれでは解決しない。神の月の本来の意味は何だったのだろう。神様はやはり出雲へ集まったのだろうか。では一体何のために。 さて、境内にこんな絵があった。私はこれが何か、直ぐに何か分かった。高さ48mほどの巨大な神殿。これが古代の出雲大社なのだ。なぜこんなものがと、疑うのが普通。だが「口遊」(くちずさみ)と言う古謡に次のようなものがある。「雲太、和二、京三」。意味は出雲大社が一番大きく、二番目が大和(奈良)東大寺の大仏殿、三番目に大きいのが京都御所の大極殿と言う訳だ。坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)、四国三郎(吉野川)と良く似た発想だ。 今から19年前、工事中の境内から古い柱が出土した。銅の輪で括られた3本の柱は丈夫な栗材で、太さから推定すると高さは40m以上と考えられた。古い柱の出土で、あの「口遊」の伝承が本当だったことが分かった。 真っ先に現地ガイドに「どこにあるか」と私が聞いたのがこの柱だった。「埋めたのでない」と彼女。だがそれが嘘であることは知っていた。そんな貴重なものを全部埋めることはないはず。日本の古代史と考古学に関心を寄せる私は、40年近くその分野の専門書を読んでいた。看板(左)には宝物殿で展示しているとあるではないか。ほら、やっぱりね。 <発掘地点を示す標識。3本合わせた柱の太さが分かるだろう。> こんな丈夫な柱を3本銅の帯で括って建てた神殿の高さが48mほど。よくも古代にそんな土木技術があったものだ。発掘された古い柱は、確か鎌倉時代のものだったはず。さて古代の神話は、記紀より「出雲国風土記」に詳しい。この柱があの「国譲り神話」とリンクしていると聞いたら驚くはず。天つ神つまり大和に「出雲を譲る代わり、立派な神殿を建てて私を祀れ」と大国主命が言ったと言うのだ。 そしてこれが柱の配置図。全部で9本(3本まとめたのが)だから、内部の部屋は4つしかないことになる。祭神の大国主は右の奥(上)に鎮座しており、正面からは見えない。そして神殿に昇る階段は西の海岸に向かっている。つまり祭神も西を向いているわけだ。これは一体何を表すのか。出雲族は西から来たか、あるいは海人族と強い同盟関係があったと言えないだろうか。 絵を左右反転すると左が西で、階段の昇り口は引佐の浜。神々つまり出雲王国の同盟者は船でこの地へ来たと言うことだろう。九州の宗像氏、九州を起源とする安曇氏、丹後の籠神社を守る海部氏たち。彼らとこの出雲は海運を通じて深く結ばれていた。そして広範囲の交流で得た富を、大和王権が欲しがった。だからこそ国譲りを迫ったのが真実なのではないのか。大国主命は言う。「譲りましょう。でもその代わりに立派な神殿を建て、私を祀ってください」と。だがそれに従わない者が出雲族にいた。<続く> 巨大神殿は3度建て替えられたと聞く。神殿が現在の規模になったのは出雲族の勢力が衰え、資材入手が困難になったためかも知れない。発掘された古い柱がもう一組「島根県立古代出雲歴史博物館」にもあることが、帰宅後に分かった。現地ガイドは何であんな嘘をついたのだろう。考古学ファンを甘く見てはいけない。
2019.12.14
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~出雲大社の境内にて~ <ポスターにあった拝殿の写真> 飛び飛びになったがこれが3度目の出雲大社の紹介。最後に残った写真がすべて出雲大社関係なので、ここからは休憩を交えず一気にゴールを目指したい。果たして息が続くかな。 拝殿の内側から参道方面を見るとこんな感じ。不思議な光景だが、境内の雰囲気がつかめると思う。この注連縄は毎年複数の信者さんからの寄進。自分たちの田んぼで育った稲わらを使う由。 広い建物の内側を撮影。こうして見ると建物の中にも狛犬が鎮座しているねえ。 これは本殿の横にある建物。質実剛健の気風を感じる。本殿の屋根に、千木だけが微かに見える。 建物の飾りの透かし彫り。これは菊の花か、それとも波なのか。 広い境内を現地のガイドさんに連れられてひたすら歩いた。後で境内の図面を見たのだが、どこがどこかは不明のまま。ともあれ、その広さと荘厳さを味わっていただけたら嬉しい。 社殿から神職が出て来られた。どうやら男女のようだが、袴の色は一緒。この出雲大社では神職にも厳格な約束事があり、身分によって袴の色が異なるようだ。赤袴の巫女さんは一番下で、この水色はその上の位。最上階の神職は出雲国造の末裔の千家(せんげ)家で、黒い装束を身に着けている。 上の写真を引き伸ばしたもの。 背後の山が八雲山。物の本によれば、この山こそがご神体で、禁足地になっている由。そして山麓に素鵞社(そがのやしろ)と言う小さな社があるそうだ。 <出雲の素鵞社:ネットから借用した> 西を向いて建っている本殿。西の方角には日本海があり、引佐(いなさ)浜と呼ばれる海岸がある。古い社殿は浜辺から長い階段でつながっていたようだ。それは一体何を表すのだろう。明日からは出雲大社の謎に迫って見たいのだが、果たして首尾良く行けるかどうか。 大理石の壁に境内風景が写り込んでいるのを撮り、急いでバスに乗り込んだ。<続く>
2019.12.13
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~籠(この)神社の謎 その2~ <橿原市 檜原神社神籬> 山の辺の道を歩いた時に遭遇したのがこの神社。滅多に見られない3連の鳥居に目を奪われた。ここに「元伊勢」の説明があった。不思議な籬(まがき)の内側で天照大神が一休みされた由。帰宅後ネットで調べると、第10代崇神天皇が「同床共殿」を避けるため、皇女豊鍬入姫命に天照大神の神霊を託された由。つまり大神を祀るため、適当な場所を探しに同皇女が最初に訪れた場所がここと言う訳。 <籠神社本殿=ネットから借用> 次に皇女が訪れたのが丹後の宮津にあった吉佐宮。つまり籠(この)神社の前身だ。皇女はこの後も6度土地を変遷し、24か所の地を訪ねた由。さらに第11代垂仁天皇の第4皇女倭姫命がそれを引き継ぎ、さらに6度変遷して24か所の地を巡った由。そして最終的に落ち着いたのが現在の伊勢神宮(正式名は神宮)と言う訳だ。合計12度変遷し、45か所で適地を探したことになる。(ウィキペディアより) その中に奈良県明日香村の飛鳥坐(あすかにいます)神社の名がある。その小社にも私は偶然訪れている。つい最近、そこに男女のシンボルが祀られていることを知った。一時的にせよ皇祖である天照大神が休んだ場所に、道祖神が立つとは。だがそれは生命とエネルギーの起源として自然とも思える。実は道祖伸は、国つ神である猿田彦が天孫族を道案内した証とされているのだ。 <籠神社奥宮の眞名井神社> 内宮遷宮後食事を司る神が必要との天照大神の神託により、丹波の国から呼ばれたのが豊受大御神。この神を伊勢に祀ったのが外宮だ。約300年もの間、天照大神はずっと腹を空かせていたのだろう。籠神社の奥宮である眞名井神社の主神が豊受大御神。私たちが天橋立を見降ろした山の奥に、そのお宮があることを知っていたが、私は籠神社参拝を優先したのだ。 <琉球王国祝女(のろ)の頂点だった聞得大君(きこえおおぎみ)> 卑弥呼の時代、祭政は別れていた。祭(まつりごと)は巫女である卑弥呼の仕事で、政(まつりごと)は男弟の仕事。大和朝廷発足後はそれを一緒にした。だが崇神天皇は神託によって皇祖の意思を尊重し、皇女に天照大神を祀る宮の適地を探させたのだろう。天皇に代わる神宮の世話役が斎宮。現代においても旧皇族の黒田清子さんがその務めを果たしている。 なお、琉球王朝でも祭政が別れていた。政治は琉球王が、神事は王の親族である聞得大君が司った。古代日本と同様の二重構造だ。日本の古い形が琉球王国に残存していたことに、大多数の沖縄人が気づいていないだろうが。 <籠神社前に立つ2本の石標> これで籠神社の重要性が分かったはず。だからこそ「丹後国一之宮」の名誉を与えられたのだろう。もう一つの疑問は丹波と丹後の関係。名前も位置も近いことから、丹波から分国したのが丹後と考えていたのだが、今回調べたらその通りだった。こんな風にして、歴史の謎がまた一つ解けて行く。 籠神社の宮司は代々海部氏が務めて来た由。同氏は天孫族とする考えもあるが、縁起にある通り海神を祀る海人族のはず。それでもう一つ謎が解ける。それが目の前の海。宮津は天然の良港で、古来日本海を通じた交流があった。九州の宗像氏や出雲族、安曇氏などが想定されよう。そしてそれは北陸出身の第26代継体天皇ともつながるはず。江戸時代には北前船がこの宮津に寄港していた。<この項完 続く>
2019.12.12
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~籠(この)神社の謎 その1~ 天橋立を見るため丘の上に登るケーブルカーとリフトの駅である。これが旅の初日の最後で、既に夕刻が迫っていた。この駅の名を見て私は思わず声を上げた。そして地元の小父さん(ガイドの方)に尋ねた。「府中と言うことは近くに国府があるんですか。籠神社は丹後国の一之宮なんですか」と。答えはまさにドンピシャ。私の直感の通りだった。これはさっさと天橋立を見、それから神社に行かなくちゃ。 天橋立を見、速攻で山を下りた。また小父さんに尋ねた。神社の場所とそこまでの時間。「元伊勢ですか」。「そう、一番最初は奈良県で」。もうそれだけで十分だった。教えられた通りに行った積りが、方向を間違えた。走って道を渡り神社の前へ進むと、門が開いていた。だが境内の撮影は禁止とある。ありゃまあ。何とか撮りたいが、最悪ネットで画像を探せば良い。そう高を括って本殿の前に立った。 思案してる前に、神職と巫女さんが姿を現した。どうも様子がおかしいので何時までですかと聞く。答えは5時まで。その時間が過ぎていたのに門が開いていたのは、小父さんが電話してくれたのだろうか。巫女さんに倣って二拍二礼で参拝し、急いで門を出る。神職は社務所に戻ったが、巫女さんは門から出て、待っていた男の人と何かを話していた。そのための開門かも知れないが、お陰で境内に入ることが出来た。 「元伊勢」の言葉を知ったのは、6年ほど前に奈良の「山の辺の道」を歩いた時。「御旅所」の言葉も奇異に感じたが、これは御神輿が休む場所も指すので普通名詞だろう。だが「元伊勢」だけはなぜか気になっていた。伊勢神宮の元になった神社と言う意味なのだろうが、果たしてそんなことがあるのだろうか。そしてその理由は一体何なのだろう。そんな疑問を抱いて奈良から帰ったことがあったのだ。 謎解きのヒントが、yorosiku!さんのブログ。以前彼女がこの地を訪れた際の記録に、籠神社の写真もあった。不思議な名前に惹かれてネットで調べて仰天。何とこの神社が元伊勢の一つだったのだ。長年の疑問だったこの神社が、今回のツアーで見られるのではと私は密かに期待していた。古称の吉佐(よさ)宮は与謝(よさ)半島から来たのか。では祭神は。そしてなぜ元伊勢なのか。 あっと言う間の出来事で、振り返ると既に門は閉まっていた。まさに奇跡的な籠神社との遭遇。他のツアー客の誰一人ここへは来なかった。恐らくは歴史の謎を解きたいと言う長年の願いが、こんな体験を私に与えてくれたのだと思う。バスの発車時間まで少しだけ間があったため、先ほど間違った海の方向へ歩いて行った。静かな波が打ち寄せる宮津湾が目の前にあった。その海を見たことも、謎解きに役立った。 海の傍にある神社も皆無ではない。私が知ってるのは塩竃神社(宮城)、気多大社(石川)、気比大社(福井)、住吉大社(大阪)など。出雲大社(島根)、宗像大社(福岡)もそうだ。今では海から離れているように見えるが、かつてはいずれの神社も海の直ぐ傍だった。きっとそこに深い意味があるのだろう。そしてそれは日本と言う国の成立に深く関わっているはずだ。<続く>
2019.12.11
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~サヨナラ砂の美術館~ さてこれまで4回に亘って紹介して来た鳥取砂丘の「砂の美術館」も今日が最終回。最後のひと踏ん張りと言ったところだ。今日の冒頭を飾るのは「コナーラクの車輪」。インド東部のコナーラクにあるスーリア寺院は、13世紀ごろに建てられたヒンドゥー教の寺院。インド神話の太陽の神であるスーリアは7頭立ての馬が引く戦車に乗って天空を駆けると信じられている。寺院そのものを戦車と見なしている由。 作者はインド人のスダサン・バタナイク。彼は10歳ごろから砂像彫刻を始めて25回以上の入賞歴があり、現在はインドのサリー市で砂像芸術学校を開設している。 タイトルは「仏陀の出現と悟り」。紀元前5世紀。ネパールの釈迦族の王子として誕生したゴウダマ・シッタルダは、ある時生老病死について自問するようになり、その答えを得るため出家する。長年の苦行を止め、菩提樹の下で瞑想していた時ついに悟りを開いたのです。作者トーマス・クォートはアメリカ人でオランダのデルフト工科大学卒業。 悟りを開いた仏陀の顔の何と清々しいことか。それをアメリカ人美術家が創作したことに驚く。 仏陀は現在のインド北部を中心にして広く仏法を広め、雨期には1か所に留まって説法した。その拠点が祇園精舎だった。45年間仏法を説いた仏陀は80歳の時にインド北部クシナガラの沙羅双樹の下に横たわり、最期の時を迎えた。後の時代に描かれた涅槃図には、大勢の弟子と共に仏陀の死を嘆き悲しむ動物たちも描かれている。 アフガニスタンにあるバーミアンの大仏で世界遺産だった。1世紀ごろから石窟仏教寺院が造られ始め、5、6世紀ごろには高さ55mと38mの大仏を含む巨大仏像が彫られ、栄華を極めた。「西遊記」のモデルとされた玄奘三蔵もこの地を訪れたと伝えられている。2001年。過激派のタリバンによって爆破され、元の姿が見られなくなった。中国人のヤン・リドン制作で、彼は山東芸術学院の卒業。 西の大仏(上)の方が東の大仏(下)よりも大きく、設置場所が少し離れているため作品のように2体が一緒に見えることはない。 さて、アフガニスタンにおいて医療や井戸掘りなど、復興支援と住民の生活向上に深く関わって来た日本人医師の中村哲氏(73歳)が、現地で過激派に発砲され死亡しました。氏の長年にわたる献身的な活動とその死を悼み、心から哀悼の意を表します。 この砂像の紹介を忘れていました。他の写真に紛れていたためです。これは確か「ムガル帝国の行進」の一部だと思います。失礼なまま「砂の美術館」の紹介をこれで終わります。<続く> マリア・テレサ像前の自分 しかし世の中には大変な芸術があるものですねえ。「砂の美術館」見直しました。凄いです。
2019.12.10
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~旅先で見た美と形 最終回~ 旅先で私が撮る写真は「ごった煮」さながら。実にさまざまなものにカメラを向ける。これは皆生温泉のホテルで撮った絵。まるで児童画のような明るさを持った「七福神」だった。 宿泊施設が飾る絵や美術品のレベルも様々だ。単価を安く上げるためか、中には粗末なものを飾るところもあるが、少しは対象を絞ろうとする意図を私も持っているつもり。 まあまあ鑑賞に耐えるものじゃないとねえ。いくら「ただ」で撮るとは言っても。 これらの花の絵は、案外こ洒落たシリーズと私は感じたのだが。 各部屋の貧相な仕様を打ち消すかのように明るい感じの絵だ。 今時の温泉場は、どこでも閑古鳥が鳴いてるんだろうか。そして何とか客を呼ぼうとして、宿泊施設ではどんな工夫をしてるのだろうか。 部屋の洗面所に粗末な造花が置かれていた。そのシンプルさを、私は案外美しいと感じたのだが。 翌朝、皆生温泉の海岸を散歩した。浜辺にこの像があった。温泉のシンボルとは到底思えないが、若い女性の美しいプロポーションには惹かれるものがある。 前夜の夕食の飲み放題よりも、一杯つきの冷凍カニよりも、はるかにこの像の方が私にとっては大いなるご馳走だ。美しい朝焼けに映える鳥取の山々、遥かに見える島根半島の姿にも癒された朝の散歩だった。 これはどこかで撮った照明器具。ぼんやりとした日本画みたいだ。 最終日の伊丹空港で撮った。上はX線写真のユリだろうか。下はドライフラワーみたい。 以下は男子用トイレの各便器前に掲げらた写真。それを1枚ずつ丹念に撮影した不審者はわたくし。 これは蔵王の「お釜」みたいだが、はて。 こんな芸術的な写真をトイレに飾る伊丹空港は大したもの。それを撮影してブログに載せるマックス爺は、さらに大したもんよのう。ふぉっふぉっふぉ。<続く>
2019.12.09
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~美味しくな~れ!!~<買ったもの編> ヤナギガレイです。 これに軽く塩を振って外へ干すと、美味しい一夜干しになります。とっても簡単。 ニワトリをこのまま買って来ることはないのですが。 若鶏のレバーを切って茹でます。これを茹でたモヤシや刻んだキュウリなどとドレッシングで和えると美味しい一品になります。栄養もたっぷり。安い胸肉に飽きたら、もも肉を買います。鶏皮も捨てずに全部利用。鶏皮には栄誉学的にも優れた成分が含まれています。<残り物編> 前妻が使わずに残した寒天を水につけました。 それを煮ましたが見た目はほぼ同じです。 <自家製のもの> 渋柿ですが特段詠うことはありません。 皮を剥いて3週間ほど干すと、美味しい干し柿になります。これも歌は歌いません。剥いた皮も干して、あることに使います。決して無駄にしないのがマックス流です。 武者小路実篤の絵に出そうなカボチャです。 残念ながらシンデレラの馬車にはならず、煮物になって私の胃袋に納まります。種は干して、翌年また畑に蒔きます。すごいリサイクルですねえ。 切った白菜の横に、柿の皮も干してありますねえ。 上の材料に塩昆布を加えて2週間ほど樽で漬け込むと白菜の漬物の出来上がり。 浅漬けの素も入れたため美味しい仕上がり。お茶も進みます。 わが家の太くて真っ白な大根です。 これを刻みニンジンやニンニクと一緒に、酢と浅漬けの素をミックスしたものに漬け込みます。出来るのはピクルス。さっぱりして美味しいですよ。まあ大根おろし、煮物、おでん、風呂吹き大根と何にでも使えますが。冬期は土を深く被せるか土の中に埋めると春まで持ちますね。そのままだと上部から凍り、腐ってしまうので勿体ないですからねえ。 ブロッコリーとカリフラワーです。 一番簡単なのが茹でるだけ。これにポン酢とかマヨネーズをかけて食べます。寒い季節はクリームシチューなどだと体が温まりますね。 ヒロシです。いやわが家の小カブです。 これも超簡単。葉っぱと一緒に軽く塩もみし、重石をすれば一日で完成。ご丁寧に、塩昆布や刻んだ唐辛子も入っています。 ユズ、ラフランス、リンゴが原料です。ユズは庭のを20個以上もぎました。 ユズは皮ごと刻み、ラフランスとリンゴはすり下ろして一緒に煮ます。ことことこっとん、コトコトコットン弱火でね。砂糖は上白糖と三温糖を適当に合わせ、量も適当。まあ1時間ほど弱火で煮続けると出来たのがジャム。本当はマーマレードにしたかったのですが、ラフランス、リンゴの汁が多過ぎました。 使用例 寒天にジャムを載せた一品。ユズの酸っぱさと他の果物の甘さが適度にミックスし、超美味しい出来上がりでした。翌日の昼食前に食べたら、それだけで満腹しお昼抜きになりました。こんなのは初めてのこと。もう菓子パンは買わず、食パンにこのジャムを塗るだけで良いですね。 何でも工夫し、美味しくいただくのがマックス流。この日の朝食もたくさんの食物繊維で満たされていました。ただし、塩分糖分の摂り過ぎには要注意ですね。はい、ご馳走様でした。 ご報告です。当ブログ「マックス爺のエッセイ風日記」が昨日150万アクセスに達しました。これもひとえに読者の皆様方が熱心にお訪ねいただいたお陰と、心から御礼申し上げます。開設当初は文字ばかりで、毎日1万字ほどの長文を書いていたのです。それも主にマラソンなどランニングのことばかり。読者は知り合いのランナーで1日100件未満のアクセスでした。それが今では毎日千人を超える方が見に来てくださっているのですから、感謝以外の何物でもありません。謝々。<若干の覚書 > 開設年=2007年5月 開設からの日数=4577日 日記記入率=98.1% 1件当たりのアクセス数=351回 1日当たりのアクセス数=328回 日記を書かなかった日=12年7か月で23日 楽天ブログ以外を含めると18年になります。 記念の切り番、自分で踏んじゃいましたね。
2019.12.08
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~マックス爺の日常2~ 最近は良く眠れている。時間的にも質的にも、多分良好と思っても良いだろう。時々夢も見る。先日などは思い切り走っている自分に驚いた。まだランナーだった頃の思いが脳に深く刻まれているのだろう。たとえ眠れなくても、以前のように焦らなくなった。眠れる時に眠れば良い。そんな風に割り切ったら、す~っと眠れるようになった。もう睡眠導入剤は不要の長物のようだ。 富山への旅から帰宅後、撮った写真の整理に没頭していた。一体どれだけ撮ったのか、今回は不覚にも枚数を数えなかった。自分の感覚としては、これで来年1月中旬まではブログのネタに苦労しなくて済むのではないか。そんな風にも思うのだが、実際はどうだろう。「ブログ人間」としては常に重要な課題。執筆や編集に苦労はしても、何とか書き上げた後の喜びには代えがたいものがある。 お天気が良い日は極力布団を干し、植木鉢を日に当てている。今年の初雪はかなり前に降った。それは西風に乗って奥羽山脈を越えて来た風花で、夜間のことだったようだ。だからお目にかかってはいない。2度目はその数日後。この時は自分の目で確かめることが出来たが、積もるまでには至らなかった。これから晴れた日は貴重。南に面し窓が大きいわが家の居間には、冬の日が奥まで射し込んでくれるのが嬉しい。 シャコバサボテンが咲き出した。今年は居間に置いているため、かなり咲き出すのが早かった。日が良く当たる上、時々暖房を入れるためだ。毎週金曜日の午前中になると「大きな古時計」の音楽を鳴らしたタンクロータリーがやって来るのだが、念のために1回買っただけ。それも去年から持ち越した分から使っているため、折角来てくれた青年に空足を踏ませることがしばしばだ。ゴメンね灯油屋さん。 「左ヒラメに右カレイ」。これは目のつき方。鰓があり、はらわたがある方が下だから、これはカレイ。週末に食糧調達に行く2軒のスーパー。どちらで何を買うかはほぼ決まっている。肉はA店だが魚や果物はB店。買った時から既に調理法は考えている。魚の捌き方にも案外慣れた。捌いたものを買うと楽だが高い。それで自分で捌くのだ。サバ、イワシ、サンマ、サワラ、カレイ、ホヤなどが中心。 ヤナギガレイが4尾で200円ほどだから、1尾50円見当。これなどはらわたを抜く必要もないし、簡単に塩をまぶして天日干し。鳴門で釣りをしていたせいで慣れたもの。生臭さも厭わない。サバの味噌煮やナメタガレイの煮つけ、サンマの佃煮など簡単なものだ。要は節約する心があるかどうかだけのこと。戦後の10年ほどの間に飢えたことを思えば楽なもの。全ては考えようなのだ。 ジャガイモとタマネギがそろそろ切れる頃。両方とも7月初めに収穫したのだが、半年間持ってくれた。どちらも料理には欠かせない野菜でとても助かった。ポテトサラダ、カレー、煮物や炒め物、おでんなど何にでも使えて重宝。今はタマネギの苗100本が冬の畑で育っている。 今畑で収穫出来る野菜は、ブロッコリー、カリフラワー、大根、カブ、白菜くらいなもの。それも寒さが厳しくなるこれからは凍って腐るため、収穫時期が難しい。1人で食べられる量は限られるし、かと言って野菜たちが成長を停めることはないからだ。健康を保ってくれるわが家の野菜たち。そして心を癒してくれる植木や花々に感謝してやまない。ありがとうね、大事で可愛いおまえたちよ。<続く>
2019.12.07
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~マックス爺の日常~ 郵便受け下の花を植え替えた。このところの寒さでベコニアが凍り、腐ってしまったからだ。寒さに強いパンジーなどを他の植木鉢から移植して水やり。俳句教室の友人Kさんからもらった「エノモトチドリ」の鉢はそのまま外に出している。それで一冬を過ごしても良いとのこと。庭の小菊を切り取った。背が伸び過ぎていたためだ。淋しい冬の庭になったが、刈り損ねた小菊が風に揺れている。 いささか旧聞になったが大相撲九州場所は冴えない結果となった。大関豪栄道は来場所カド番。高安は関脇に陥落。貴景勝は9勝止まりだったが、怪我が治ったようで嬉しい。元大関栃ノ心と関脇の御嶽海は平幕陥落となった。白鵬が44回目の優勝を遂げたが、横綱らしい取り口とは到底言えない。元大関の照ノ富士が幕下西10枚目での全勝優勝が嬉しい。来場所は晴れて関取。今後の活躍を期待したい。 「町内会だより」を読んでビックリ。総務委員のYさんが会長の悪口を書いていたのだ。町内会の運営が会長の独断過ぎると辛らつ。構成員の高齢化に伴って、役員のなり手がいなくなったわが町内会。会長の言い分も分かるしY氏の言い分も分かるが、これでは益々混乱する一方ではないか。「芋煮会」が今年から中止された。それも仕方のないと思っていたのだが、Y氏はそれにも不満だったようだ。 新聞代の集金人が、若い女性から小母さんに変わった。歳のころは50代後半だろうか。とても上品で感じが良い人。「最近やっと慣れました」と微笑む。ふ~む。彼女の人生にいかなることが生じたのかは知らないが、こんな厳しい仕事をしているのだからきっと経済的には恵まれてないんだろうなあ。そんなことが頭を過った私だった。 体調は悪くない。視野は歪み、耳は遠く、腰がフラフラしているが、こんな状態で富山にも旅したし、何とか独り暮らしを維持出来ている。耳鼻科へはもう行かない。耳鳴りとめまいがかなり治まったと判断。これ以上薬は飲まない方が良い。自分でそう判断したのだ。整骨院での施術も8回で止めた。それで腰の痛みがぶり返したのが、何とかなっている。内科の薬も何とか減らしたい。今度ドクターにそう言おう。 近所のスーパーへ歩いて行った。午前中に買い物したばかりだが、トレーが袋一杯になったためだ。買い物をした際に付いてい来る、肉や魚が入ったトレー。その数が馬鹿に出来ないのだ。牛乳パックも含めて、リサイクルに出す専用の置き場があるスーパー。私は極力レジ袋ももらわないようにしている。帰路神社の境内で子福桜(冬桜の一種)が咲いていた。今年もそんな季節になったようだ。<続く>
2019.12.06
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<清朝そして玉の美> 清(大清帝国)は1616年満州に建国され1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝。
2019.12.05
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~足立美術館の日本庭園~ 主に山陰を巡った旅日記も20回目となった。そろそろゴールが見えて来た感があるが、最後まで油断は出来ない。さて今日は過去2回に亘って紹介した「足立美術館の日本庭園」の最終回。もう全部吐き出しての大盤振る舞いだ。 しかし、ここは凄いところだ。背後の山を借景とするため、全部買い占めて美術館所有にしたと言うのだから、その意気込みが分かろうと言うもの。つまり借景に変化が生じてはいけない。そのため借景ごと管理し、不動の景観を維持しようと言うわけだ。 足立美術館の日本庭園へ入場者が足を踏み入れることは出来ない。ほとんどの景色は館内のガラス越し、窓越しに鑑賞するのがルール。だから観客は、まるで「額縁」に入ったような庭園を観ることになる。 ほらね、これなんかがそう。でも観客が不満を持つことはない。毎日のように丹念に手入れされた庭園の美が、その欲求不満を上回るのだろう。 専属の庭師が20名以上勤務してると聞く。だから庭園にはゴミどころか枯葉一枚落ちていない。それだけ開園前の整備が厳しい証と言えようか。 良く見ると背後の山の中腹から滝が落ちているのが分かる。庭はその自然の一部。創設者はそう言いたかったに違いない。 庭の一木一石に何一つ落ち度がなく、整然と治まっているのが凄い。まさに静謐そのものだ。 私たちがここを訪れたのは10月末。山陰の平野部にも、ほんの少しだけ秋が訪れたみたい。 レストランの横に池があり、来館者はそこまで行くことが出来る。 10月末と言うのに、スイレンの花が咲いていた。 そして良く太った鯉が悠然と泳いでいる姿は、まるで一幅の日本画を見るようだ。 敷き詰められた白砂と飛び石の配置が心憎い。 美しいものを見ると人は誰もが寡黙になり、庭は自然の一部と化す。 建物の外に出るのを許された場所に佇む無言の観客たち。その姿を撮る私も観客の一人だ。 名物「額縁庭園」を最後に、足立美術館日本庭園の紹介を終えることとしたい。<不定期に続く>
2019.12.05
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~山陰の自然と花々~ 今回はバスの車窓などから見た山陰の自然と、散歩中に見た花々のコラボレーションをお楽しみいただきますね。これはご存知鳥取砂丘。とても殺伐とした風景です。散歩に行ったグループは、ラクダがいたと話していました。私はその時間「砂の美術館」をオプションで観ていました。 鳥取の山々が霞んで見えました。この国道9号線を同じ走友会のO川さんが「本州縦断フットレース」(1520km)を28日間で走破したのです。旅の途中私はそれを思い出し、彼の苦労を偲んでいました。 これは鳥取県の天神川だったかなあ。 バスの車中から、馬鹿になったように大山(標高1729m別名伯耆富士)を撮影していました。以下同様ですが、似たような写真で済みませんね。 大山山頂付近では崩落現象が起きていて、現在登山道の一部が閉鎖されています。 皆生温泉の朝の散歩で観た豪円山(標高892m)。以下同様。 右手奥の方に大山がうっすらと見えます。 鳥取のたおやかな山並みに朝日が映えて。 美しい朝焼けの中に、豪円山(左)と大山(右)が並んでいます。 鳥取砂丘で見た野草。上から野菊、ノゲシ、アキノキリンソウかな。 出雲大社拝殿前の懸崖作り(左)と出雲市内の三本仕立て(右) 皆生海岸のツワブキ(石蕗)が満開でしたよ。<続く>
2019.12.04
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~さらば姫路城~ 上は弓を射るための弓狭間(ゆみはざま)で、下は格子です。姫路城紹介の最終回は、こんな意匠から始めますね。それぞれの機能をしっかりと果たしながらも、そこに日本人の美意識を感じます。 自然光を最大限に活用しています。しかしこれだけ風通しが良いと、冬は寒いだろうねえ。 城は質実剛健そのもので、モノクロの世界には厳しい美しさがありますね。 創建当初からの格子の内側に、管理のための近代的な窓が重なり、不思議な美しさを醸し出しています。 5層の天守を支える柱が林立し、大きな窓から光が射し込む広い廊下。これが城内とは思えませんね。 5層を貫く2本の柱のうち、こちらは東の大柱です。基礎部分には固定されず、五重塔同様耐震構造になっていて地震の揺れを吸収しています。 最上階、第5層目は屋根を支える柱が丸見え。男性的な美とでも言いましょうか。 柱が男性的美なら「釘隠し」は女性的な美でしょうか。釘が見えないよう装飾金具で隠しています。 最上階に祀られていた神社です。きっと藩士達にとっては、心の拠り所だったのでしょう。 下り専用の順路を通って天守閣から外へ出て来ました。改めて美しい天守を見上げます。 一旦この門まで行って、再び備前丸へ戻って来ました。その理由は・・ この「お菊井戸」を観るためでした。「播州皿屋敷」に出て来るあの井戸です。奥女中のお菊は粗相して大切な皿を割ってしまいます。そのためこの井戸に身を投げて死ぬのですが、夜な夜な井戸の底から「一枚、二枚・・」と皿の枚数を数えるお菊の声が聞こえて来たと言う、例の怪談話の井戸がここなのです。私も財布の中の紙幣を数えました。「一枚、二枚」。私の場合はとても簡単で、直ぐに終わりました。 西の丸の化粧櫓は千姫が城下の天満宮を遥拝する時に休憩したと伝わる美しい櫓です。 ここも見学したかったのですが、バスの発車時間が迫っていたため、残念ながら外からの観察だけに終わってしまいました。 千姫付きの奥女中が寝起きしていたと伝わる「百間廊下」です。 最後に天守閣を振り返って天下の名城姫路城(別名白鷺城)とお別れしました。<続く>
2019.12.03
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~旅先で見た美と形~ 伊丹空港にこんな「光の芸術」がありました。形がドンドン変わるのですよ。 ワンコの可愛い結婚式。純白の花嫁姿、良いですねえ。 小物入れの色と形に魅せられて。 木の葉型のバスマット。初めて見ましたが変わってますねえ。 神鍋高原のホテルのシャンデリアです。 生花でしょうか。それとも造花かなあ。 憩う動物たちのポスター。心安らぎますね。 とても精密に描かれた野鳥たち。 雪山がちょっと単調過ぎるかなあ。 皆生温泉のホテルにて。部屋がオンボロなのにはビックリでした。 ホテルに飾られていた絵。部屋よりはよほどマシ。(以下同様です。) 水墨画と洋画。何でもありです。 花のオブジェもなかなか面白いねえ。 装飾的ですが、感じは悪くないですね。 神秘的な花。こんなものまで撮ってるため、私の旅はとっても忙しいの。<続く>
2019.12.02
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~鳥取砂丘・砂の美術館その4~ 毎日せっせとブログを書いているうちに、とうとう12月になりました。主に山陰を巡った今回の旅日記も今日で16回目。残りはあと10回と言ったところでしょうか。さて今日のトップの画像は昨日紹介しそびれたスリランカのシギヤロックのフレスコ画の一部です。熱帯のジャングルのような趣がありますね。今日も最後までよろしくお付き合いくださいませ。 アフガニスタン北部にあるブルーモスクはハズラト・アリー廟の一角にあり、7世紀半ばに活躍したしスラム教の指導者の霊廟として1512年に建築されました。壁一面にコバルトブルーのタイルを張りつめたことから「ブルーモスク」の愛称があります。作者のギー・オリヴィエ・ドヴォはカナダ人でラヴァル大学卒業です。 どうやらこの人がイスラム教の指導者、アリー・イブン=アビー=ターリブみたいですねえ。彼はスンニ派とシーア派の双方から公認された唯一の指導者みたいです。 カジュラホ遺跡はインド中部にあるヒンズー教とジャイナ教の寺院群で10世紀初頭から12世紀末にかけて建造された世界遺産です。砂岩の外壁には無数の浮彫彫刻が施され、男女交合を表したミトナ像が有名みたいです。作者のダン・ベルチャーはアメリカ人でカンザス州立大学の卒業です。 この砂像はヒンドゥー教の神話をモチーフにしています。バラモン教とインド土着の信仰とが融合したヒンドゥー教は多神教の宗教。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神は、それぞれ宇宙の創造、維持、破棄を司るとされています。作者のドミトリー・クリメンコはロシア人で、サンクトペテルブルク州立美術大学の卒業です。 インドの世界遺産タージマハルは、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために建てた総大理石造りの美しい霊廟です。最高級の宝石などを用い、22年の歳月を要して建てられた世界一美しい建物と言われています。作者のレオナルド・ウゴリニはイタリア人でフローレンスで建築学を学び、『世界一美しい砂の建築物』の著者でもあります。 皇帝と妃の美しい愛の砂像が心をゆさぶりますね。 ムガール帝国軍の行進は、ロシア人でモスクワ州立芸術大学を卒業したイリヤ・フェルモンツェフの制作によるもの。インド最大のイスラム国家ムガールは先祖に当たるモンゴル帝国が名の起りで、16世紀初頭から19世紀半ばまでの300年以上続いた大帝国。彫像は軍馬や軍人を表しています。 今日の彫像もなかなかの出来。とても砂の彫刻とは思えないですね。紹介するのもなかなか大変で、この作業がとても疲れるのですよねえ。<続く>
2019.12.01
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