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~花蓮市の石屋にて(2)~ 透明感のある石に何かが刻まれている。確か扉の外側の展示コーナーで、ガラス戸棚に陳列されていた作品。 とても美しいエメラルドグリーンの石が磨かれ、「台湾」の形に成形されていた。 これをネックレスと言うのだろうか。様々な色の宝石をつなぐ気品ある作品だ。青森県の縄文遺跡である「三内丸山」からは穴の開いた巨大な翡翠の大玉が発掘されている。新潟県姫川産の原石を磨き。正確な丸い穴が穿たれているが、硬い翡翠に穴を開ける技術が縄文時代に確立していたのだ。 台湾を南北に貫く台湾山脈は、全山大理石と聞いた。それ以外の石が産出することは、この石屋を見ても分かるだろう。成形した壺(左)と磨いただけの原石(右)が何の石かは分からないが、大理石にも色んな色があるのは間違いなさそうだ。 磨きに磨かれてつやつやした石。元はただの石に、こうして生命が吹き込まれる。 満面の笑みを湛えるこの人物は布袋(ほてい)さんだろうか。大らかなその姿に癒される。 透明感のある作品には、翡翠が混じってるように感じる。それほど美しい石だ。 これはまるで宝石そのものだねえ。厳重にガラスのケースに収まっていたが。 古代ギリシャの彫刻を思わせる純白な石像。左は白菜で、右は観音だろうか。ああ見事。 乱舞する龍の群れ。中央の円形のものは、玉(ぎょく)だろうか。 こちらも龍の彫り物。素材は翡翠か。中国では古来翡翠を珍重し、そのうち特別なものを「玉」と称して皇帝の権力の象徴とした。漢民族の流れを汲む台湾でもこの石が珍重され、中国人が好む龍、仙境、貴人などをテーマにした置物が彫られているのだと思う。 気品のある仏像は観音像だろうか。 「お客さん、撮影は禁止ですよ」。店員の声にビックリ。ゴメンゴメン。何と私はそれを知らず、夢中になってシャッターを切っていた。それほどまでに素晴らしい作品ぞろいだった。陳さんが入口で説明中、私は一人離れて外の展示コーナーの作品を摂っていて、注意を聞いていなかったのだ。後で陳さんに「撮影禁止なのはデザインなどを盗まれるからだろうか」と聞いたのだが、返事はなかった。<続く>
2019.08.31
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~わが走友たち~ 温泉に入ってさっぱりすると、気持ちが鎮まった。休憩コーナーにM仙人(右)とOさんがにこやかに座っていた。M仙人は今年も富士山に走って登り、来月は「佐渡島一周」に参加予定とのこと。80歳にして206kmのレース参加とはまさに超人。Oさんも40kmの練習を欠かさない現役のウルトラランナーで、2人共私と同じ走友会。私が懇親会で泥酔し、2人に世話になることをこの時はまだ知らない。 懇親会の会場は大宴会場で、七夕の吹き流しが飾ってあった。屋台が幾つも出ていて、飲み放題とのこと。こんなことは初めて。多分来月の「みやぎ夢舞いウルトラ」でも使うためサービスなのだろう。M走会会長からはボランティア協力のお願いを兼ねて、銘酒「獺祭」(だっさい)の差し入れ。大いにどよめく走友たち。こんな銘酒はなかなか飲めるものではない。だが、それが私の酩酊の原因となるのだ。 <乾杯するM仙人、手前左Yさん、右Mさん><仙台哲人会の左Fさん、右Aさん> F事務局長の挨拶に続きM仙人の乾杯で懇親会開始。参加者38名中M走会のメンバーが16名。宮城UMCの歴史を想うと複雑だが、若いランナーの出会いの場と化したのもやむ無しか。鳳鳴の滝を過ぎた辺りで私を抜いて行ったK3さんは、懇親会に出ずに帰ったようだ。A1さんから「仙台鉄人会5時間走」は今年が最後と聞く。20年以上お世話になった大会が、高齢化に伴い運営困難になったとは。 <Oさん(左)とS1さん> <永遠の事務局Kさん(右)> 途中で抜かれた左側の2人。彼らはまだ現役バリバリの強いウルトラランナー。右のKさんは所属走友会、宮城UMC、「みやぎ夢舞」のお世話役の中心。そして520kmのレース「川の道」を2度走破した強者でもある。それでいながらいつも優しい気づかいをしてくれる。役立たずの私がまだ走友会行事に参加出来るのも、全ては彼女のお陰なのだ。ありがとうねKさん。 皆宮城UMCの古い走友たち。彼らは全員現役で、左のA2さんはフランスの山岳レースにも出たことのある猛者。右の写真の左S2さんは途中で私を抜いて行ったスピードランナーで大学の後輩。右のK2さんはまだ200kmレースを走れる女性超人。歳を聞いたらビックリするはず。 全員M走会のメンバー。彼らが所属する走友会は、今や仙台でも一番会員数が多く、若手ランナーの宝庫だ。当然出会いも多く、会員同士での結婚も多い。それに比べて高齢化が進んだ他の走友会では、活動が思うように行かないのが実態か。右の写真の左側Hさんとは20年来の走友で、最初の出会いは「秋田内陸ウルトラ」(100km)のコース上と言う縁。私の衰えの過程を全て見て来たはずだ。 懇親会は3時で終了し、作並駅まで旅館のマイクロバスで送ってもらった。これはその車内で撮った1枚。冷酒2杯とビール8杯を飲んで泥酔した私も、この時までは記憶があり道路の気温表示が39度だったことも良く覚えている。大会の時からさらに3度も上昇していたのだ。駅で券を買ったまでは覚えているが、以後の顛末は第1回で書いた通り。最後に大失敗をやらかした今年の練習会だった。 あれから1週間、A1さんから電話があった。用件は1月の「ムンバイマラソン」(インド)に参加しないかと言うもの。Yさんも一緒らしい。病み上がりの上、80歳近いA1さんと、心臓病で退院したばかりのYさん。2人共完走は厳しいと思われる。それに1月とは言えインドは35度にはなるだろう。冬の日本との温度差に多分体がついて行かないはずだ。私は丁重にお断りした。 Yさんはフルマラソンを200回完走し、A1さんも175回ほど完走している。私は47都道府県を走破し、既に10万kmを走った。地球2周半相当だ。夢を持つのは素晴らしいが、旅先でもしものことがあったら大変。レースの主催者にも走友にも迷惑をかける。ランナーにとって走ることは永遠の夢だが、自らの老化を悟り限界を知るのも潔い決断だと思う。たかがマラソン、されどマラソン。<完> 練習会の途中に撮った残りの写真は、またの機会に掲載する予定です。
2019.08.30
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~灼熱の国道48号線をゴールへと~ 使用写真はすべて大会当日に撮ったものです。 <Mさん> <Oさん> 国道457号線との合流点を過ぎた辺りで、同じ走友会のMさんが後ろからやって来た。自宅から秋保温泉経由で走って来た由。距離は30kmくらいになるだろうか。熊ヶ根橋の上で同じくOさんが追い付いた。こちらは40kmくらいにはなるはず。「本州縦断フットレース」1520kmを確か28日間で走破した勇者。今でも長距離練習を欠かさない彼は走友会の会長で、帰路同じ駅まで送ってもらった。 <JR仙山線 熊ヶ根鉄橋> 2人はあっという間に見えなくなった。愛子駅からここまでは10kmくらいか。花や風景写真を撮りながらのランは案外調子が良かった。だがこの辺りで急に疲労を覚え、私は大きく手を振って歩き始めた。むしろその方がスピードが出る。ゆっくりとでも走ると上下動し、余計なエネルギーを使うみたいだ。今の私は長距離が走れない老人に過ぎず、猛暑の中でこれ以上の無理は危険と判断。 「仙台ハイランド」分岐点を過ぎてから、国道左手の歩道へ移動。その方が日陰があって涼しいし、滝が見える。昨年この練習会で初めて見た「鳳鳴四十八滝」。落差はないが、暑い中走って来たランナーには激流と滝の音がとても涼やかに感じられて嬉しい。背の高いM走会のメンバーに抜かれたのはその先だったか。初めて会った人だった。まだ40代と思える爽やかなランニングフォーム。 JR作並駅付近まで来ると、「作並温泉郷」の大きな看板。後ろから背の高い女性ランナーに抜かれた。「M走会?」と聞くと、その通り。仙台から愛子駅まで走り、そこから作並駅まで電車で来て再び走り出した由。「作戦成功!」と言いつつ、スピードを上げた彼女。私はもう力尽きて歩くのさえ嫌になっていた。おまけにゴールまでの残り3kmはずっと登り坂。もう体力の限界か。でも頑張れ自分。 国道の気温表示が36度なのにビックリ。どおりでグロッキーになるわけだ。気象台発表の気温は涼しい百葉箱の中のもの。それに対してこちらは熱せられた道路上の気温。両者にかなりの差があるのは当然だが、正直ガックリ来た。速度がさらに落ちる。今は歩くのも苦しい。激しい疲労感に耐えながら坂道を登り、必死にゴールへと向かう。だがこんなことは40年の走歴で何度も経験している。 作並温泉歓迎の「こけし塔」を過ぎ、バス停「作並宿」も過ぎた。フラフラ状態で道端の花を撮影する。11時30分、ゴールの旅館へ到着。わが戦いはついに終わった。ここは作並温泉でも一番歴史が古く、伊達家の隠し湯だった老舗。来月開催の「みやぎ夢舞いウルトラ」100kmの宿泊所で、スタート地点でもある。指定の荷物室にリュックを置き、着替えとタオル持参で温泉へ向かう。<続く>
2019.08.29
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~準備そしてスタートへ~ 写真はすべて大会当日に撮影したものです。 愛子から見た秋保方面 「作並遠足ラン」はウルトラマラソン仲間の「宮城UMC」が主催する練習会。以前は加美町の薬莱温泉薬師の湯がゴールだったが、長距離のため伴走車を3台出す必要があり、昨年から作並温泉の岩松旅館をゴールに変更した。唯一のルールは12時までにゴール到着と言うもの。距離は各自の能力に応じて設定し、電車に乗るのも自由。問題は8月の猛暑。果たしてそれに耐えられる体力と走力が今の自分にあるかどうか。 愛子駅付近のお地蔵さん ほとんど走る練習をしていない私は、正直不安の塊だった。7月は梅雨寒で体調が悪く、足がむやみに冷えた。梅雨明けして以降は一転しての猛暑。気圧と気温の激しい変化に、日ごろ全く運動をしていない老ランナーは怯えた。めまいと耳鳴りは、耳鼻科の治療薬を服用以来かなり改善したと感じる。ただし猛暑の中でのランは、普段から鍛えているランナーでさえ厳しく、熱中症による事故の可能性もあるほど。 愛子スポーツセンターにて レースに備えてランニングシューズを買った。だがそれを履き、練習で走り出した途端に愕然。全く体が反応せず、足が進まないのだ。胸も息苦しい。それはそうだ。体操すらしない後期高齢者が、いきなり坂道を走れるわけがないのだ。それでも歩くようなスピードで走るうち、体が少しずつ楽になった。9kmコースで大汗をかき、徐々に暑さに慣れて来たのだろう。やはり40年走った経験がまだ生きていた。 月見草 当日の朝に起きられるよう、目覚まし時計を購入。また暑さ対策のために髪を短く刈った。前夜のうち、足の指にテープを巻いた。摩擦予防のためだ。リュックのベルトにはタオルを巻き、ピンで止めた。大量の汗を吸収し、擦り傷を避けるためだ。そしてランパン、ランシャツ姿で寝た。翌朝、少しでも時間を稼ぐためだ。さて、スタート地点をどこにするか。真夏のランは命取り。まして運動不足の老人にとってはなおさらだ。 仙山線の中の私 N駅の駐輪場へ自転車を預け、仙台駅で乗り換えて愛子(あやし)駅に向かう。北仙台駅で女性ランナーが下りた。そこから作並に向かって走る由。私は車内でトイレを済ませ、駅が近づくと上着とトレパンを脱いでリュックへ。勿論直ぐスタートするためだ。向かいの席の若者にシャッターを押してもらう。膝には保護用のサポーター、首には冷却用の布。一般市民には奇妙に感じるはず。何せ電車の中なので。 JR愛子駅前 7時32分。定刻に愛子駅到着。駅前で軽く体を動かし、直ちにスタート。思ったより涼しく感じたのは、列車のクーラーで体が冷えていたせいか。日曜日早朝の人気がない駅前。ロータリーの周囲を回り、国道48号線の旧道へ出、直ぐの街角でお地蔵さんを撮影。こんな調子で写真を撮りながら、17kmをゆっくり進むのが私流。この日の最高気温は35度の予報。後は自分で自分の身を守るしかない。 間もなく仙台西道路との合流点。ここから県境を越えて山形県方向へ向かう国道48号線。いわゆる「作並街道」だ。歩道を行くうちに気温が上がって来た。住吉台走友会のS1さん、S2さんに抜かれたのは、去年と全く同じ場所。三婆のK1さん、K2さんが来ないのは、去年より走力が落ちたのか。「森の市場」で、積み上げられたトウモロコシと冬瓜(トウガン)の山を撮影。(前日の写真) <住吉台走友会 S1さん、S2さん> <二婆 K1さん、K2さん> 後ろから声が聞こえた。K1さんは写真は撮ってもブログには載せるなと厳命。サングラスをしてたので良いと判断。同学年の彼女には、帰路の電車ですっかり迷惑をかけた。ゴメンね。「太ったのは現役時代同様に食べてるからじゃないの」とK2さん。「いや野菜中心だよ」と私。3学年下の彼女は今年も206kmの「佐渡島一周」に参加予定とか。全く衰えを知らない人だ。やがて2人の後ろ姿が見えなくなった。もとより覚悟の一人旅が続く。<続く>
2019.08.28
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~酔っ払いランナーとその後~ <*掲載写真は、すべて当日のコース上のものです> 誰かが手を引っ張って電車に乗せてくれた。目を開けるとそれはM仙人。だが覚えているのはそれだけで、次に目が覚めた時は電車の床で寝ていた自分。「顔色が戻ったね」とM仙人。それから座席が一つ空いて、私はそこに座らせてもらっていた。次に目が覚めたのはJR仙山線の陸前落合駅付近。目の前に元看護師のK1さんがいて、私の体調を心配してくれていた。 何たる不始末。何たる無様な自分。この日猛暑の中を17kmほど走ったり歩いたりしてゴールしたものの、その後の懇親会でしこたま飲んで酔っ払い、作並駅のホームで横になって眠ってしまったのだ。その自分を発車寸前の電車に乗せてくれたのがM仙人。気づいた時は女性車掌が私を覗き込んでいた。またやらかした。普段は薄い水割り1杯で酔う私が、この日は冷酒2杯とビール8杯ほど飲んだのだ。 「家に帰ったら水分を摂るんだよ」と同学年のK1さん。まだ酔いが醒めないまま、私は彼女に話しかけた。独り暮らしでいつもは沈黙の一日。それが1年ぶりに17kmの道のりを踏破し、酒に酔って饒舌になっていた。「目の前が白いのも過労のせい?」そう尋ねる私に、確か「全部疲労が原因」と彼女は答えたはず。22年前の「沖縄マラソン」。あれが私が初めて出会った「白光現象」だった。 超長距離を走るランナーの体には過酷な負担がかかる。100kmのウルトラマラソン完走後では味覚の異常や消化機能の低下などが起き、走後のアルコール摂取はさらに体に負担をかける。真夏のレースでは熱中症や激しい痙攣も経験した。私の言う「白光現象」は脳内の酸素不足などで、目の前の景色が真っ白に見える現象。これまで5回ほど経験した異常現象が、久しぶりにその日も出たのだ。 K1さんとK2さんが北仙台駅で下車した。私はちゃんとお礼の言葉が言えたのだろうか。ほとんどの走友が仙台駅で下車し、私とOさんが乗り換えてN駅で下車。心配する走友たちにOさんは自分が送って行くと言ってくれたのだ。駅からはどうするのと彼。「自転車で帰る」と私。帰り道にスーパーに寄り、買い物をして家路に就いた。帰宅後はアイスコーヒーとウーロン茶を飲んで水風呂に。 翌朝目覚めて別の異常に気付いた。左足首の痛みは久しぶりの長距離走が原因。だが尻の筋肉の痛みの原因が不明。最後の坂道のせいではなく、考え抜いた挙句の結論は、最近堅い木の椅子に代えたことしか思い浮かばない。では首の両側の痛みの原因は。私が出した結論は前日の懇親会で、走友たちと久しぶりに話したこと。独り暮らしで普段は使わない声帯を酷使したとしか考えられない。とても不思議だ。 朝食と昼食を済ませ、自転車で10km以上離れた兄宅へ。兄はショートステイで施設にお泊りで、義姉1人。仏壇に買って来た果物とお菓子を供え、線香をつける。義姉と話したのは兄夫婦の体調と私の体調、それぞれの子供の現状、墓終いのこと、老後と今後の考え方などだった。私が台湾に行ったことも弟を通じて知っていた。「もうそろそろ走るのは卒業じゃないの」と義姉。う~ん、まだ早いんだけどなあ。<続く>
2019.08.27
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~「GSOMIA協定」破棄へ~ このたび韓国政府は2016年に日本との間で締結されたGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を破棄することを日本側に通告した。輸出品目の管理問題から始まった日韓のきしみが、来る所まで来たとの印象が強い。破棄の背景には、1)日本への対抗、2)北朝鮮への忖度、3)朴前政権政策の否定、4)来年の総選挙に向けての支持増強、5)文大統領側近のスキャンダル隠し、があると言われている。 考えて見れば、韓国艦船による自衛隊機へのレーダー照射事件からして韓国の主張は矛盾だらけ。実態は北朝鮮漁船との取引現場を日本の哨戒機に発見されてうろたえたのが真相だろう。また昨年の観艦式では海上自衛隊艦船への「旭日旗」掲揚を遠慮せよとの要望があり、日本政府はこれを拒否して参加を見合わせている。旭日旗は海上自衛隊の旗として、国際的に広く認知されているから当然のことだ。 米中貿易戦争に伴う中国経済の減速が激しく、中国を主要な輸出国とする韓国経済は大きな影響を受けている。また文大統領が基本給上昇を要請したことで、韓国企業は対策上雇用者を減らした。目下韓国青年の10人に1人が失業し、自殺者が増加してるのが実態。そんな中で化学兵器等に転用可能な3品目に厳格な管理を求めた日本に対し、これを「徴用工裁判」への遺恨として反撃に出た韓国。 国民の反日感情を煽った文大統領は、軍事に関する重要な協定の廃棄に踏み切った。経済はどん底状態、政治は不透明かつ不安定のままで、南北統一を強調しても北にそっぽを向かれる始末。東京五輪ボイコットをちらつかせ、日本食品の放射線検査強化を発表。政策と外交が場当たり的で、矛盾と混乱が際立つ。アメリカは今回の廃棄に強い怒りを示したが、そのことにも気づかない。内乱勃発が危惧される所以だ。 韓国で「歴史歪曲禁止法」なるものが成立したと聞く。国が歪曲した歴史観を否定したら罰せられ、過去にまで罪が遡及するとは恐ろしい。先日勇気ある韓国研究者がジュネーブの国連機関で、自国が唱える「徴用工問題」には何の根拠もないことを資料を駆使して説明した。だが帰国後、彼には罵声と脅迫が待ち受けていた由。駐韓米国大使に重傷を負わせるなど、不法がまかり通る理不尽な野蛮国が韓国だ。 敗戦で日本が国連に加盟出来なかった時期、韓国の李承晩が不法にも海上に「李承晩ライン」を引いて、竹島を自国領とした。ラスク書簡により、竹島は日本領と明らかになっていたにも関わらずだ。その後竹島付近で漁をした日本漁船を拿捕し、銃撃した。日本には緯度、経度が入った江戸時代の竹島の地図が存在する。国際司法裁判所に提訴したら勝てるのだが、韓国が同意しないため提訴が成立しないのが悔しい。 戦後軍政が長く民主主義の歴史が浅い韓国は、自由主義国家の自覚が乏しい。歪んだ歴史教育と反日思想が、まともな世界観を育てないのだ。政権が交代する度に前政権首脳が逮捕される韓国。文氏は親北派の裁判官5人を大審院(最高裁)に送り込み、その結果が徴用工裁判での日本企業敗訴判決につながった。条約より国内法が優先する国際法無視で、ご都合主義の「三権分立」なのだ。<なお、徴用工像のモデルは日本人で、全く別な時代の無関係な写真を朝鮮人にでっち上げたもの。韓国の教科書に載った「徴用工」は2人共日本人であることが写真家等によって確認されている。だから根拠のないあの彫像に、元々「表現の自由」などあるわけがないのだ。> さて、GSOMIAの廃棄はエリンギ君の望みだったようだ。「朝鮮戦争」は休戦中に過ぎず、まだ終わっていない。そのため国連軍に代わって駐留しているのが米軍。東西ドイツの統合には整合性があったが、国際感覚が乏しい韓国と危険な軍事国北朝鮮が統一して、一体どんな国家が出来るのだろう。北の諜報員が国内で暗躍しているのに北にすり寄る感覚が解せない。外国資本が韓国から逃げ出すのは当然だ。 初代宮内庁長官の『拝謁記』によれば、昭和天皇は昭和27年の時点で憲法の改正と再軍備の必要性を彼に語った由。前年に勃発した「朝鮮戦争」が背景にあるのだろうが、稀にみるリアリストだったことが分かる。朝鮮戦争勃発後米国は日本に再軍備を要請し、吉田総理は「警察予備隊」を創設した。これが自衛隊の前身だ。 「進歩的」な一部学者やマスコミの非現実的な論調より、昭和天皇の方がよほど世界が見えていたと思うのは私だけだろうか。それにしてもヒステリックな半島国家とその隣国日本には、果たしてどのような運命が待ち構えているのだろう。わが国はこの先も冷静に対処して、困難を乗り切りたいものだ。<お断り>「台湾旅行記」の5回分が終わる都度、「休憩」を入れています。
2019.08.26
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~花蓮市の石屋さん~ 旅の4日目。太魯閣(タロコ)渓谷の次に私たちが訪れたのは、花蓮市の石屋さんだった。台湾山脈はほぼ大理石で出来ている。するとここの石屋さんも主に大理石を扱っているのだろうか。そんな気持ちで工場へ入って行ったのだ。 おやおや。これは白い大理石ではなく、緑色の部分があるねえ。と言うことは翡翠の原石だろうか。 大理石の見事な椅子。でもこんなに硬いんじゃ座るのも大変だろうなあ。 大理石の横の溝はワイヤーの痕。ワイヤーを動力で作動させ、石を切り出すみたい。 これが作業場で、相当広い空間だと分かる。私たちはここから展示コーナーへ移動した。 展示館の外に置かれた翡翠の原石。こんな場所で盗まれないのかなあ。 ここからは展示館。陳さんが説明中、私は1人離れて美術品を撮るのに夢中だった。 私は夢中になってシャッターを切っていた。それほど見事な翡翠細工だったのですよ。 美しい乳白色の石。こんな貴重な石が台湾で算出するんだねえ。 置物と時計を組み合わせたもの。見事な造りです。 ユーモラスな獅子の表情をお楽しみあれ。 扇形に彫り込まれた翡翠。翡翠にも色んな色があるんですね。 龍のような、麒麟のような空想上の獣。扉の外の展示コーナーには誰もおらず、私は写真を撮るのに必死だった。それにしても見事な作品ばかりですね。<不定期に続く>
2019.08.25
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~太魯閣(たろこ)渓谷を訪ねて~ 台湾一周ツアー第4日目は朝から忙しい。花蓮市のホテルでの朝食後、最初に向かったのは太魯閣(たろこ)渓谷。ここには結構凄い崖道があるのだとか。だがそれはかつての話で、今は台湾の脊梁山脈を貫く新しい国道が出来ているとも聞いた。さて、今日は私たちの目の前に、果たしてどんな風景が飛び出して来るのだろう。バスは山道をドンドン進み、やがてトンネルの前方に明るい外の景色が見えた。 脊梁(せきりょう)と言うのは背骨のことで、正式な名は台湾山脈。島を南北に貫き、東西の通行を妨げて来た。また台湾には富士山よりも高い玉山(標高3997m)がある。洋上から見ると、より一層高く見えるようで、昔沖縄の海人がそれを見て思わず「高さん」(たかさん=高い!)と言ったそうな。それが内地の人には「高砂」と聞こえ、確か「高砂族」と言う名になったと聞いた覚えがあるのだが。 これが太魯閣渓谷を流れる川の色。砂は大理石の破片なので白く、流れは薄い水色に見える。 太魯閣渓谷の入口にある門の形は、沖縄県那覇市にある首里城「守礼門」の形式とそっくりだ。 何やら字が書いてあるのでアップしたら「東西横貫公路」とある。「公路」は日本の国道なのだろう。さだめし台湾の東西を真っ二つに貫く新国道と言った感じだろうか。 新しい橋の上で私は陳さんを撮り、陳さんは私を撮ってくれた。陳さんが私に「日本に「魯」の字はないでしょう」と言うので、「日魯漁業」と言うのがあるよ。と言うと不思議そうな顔。日本留学中に聞いたことのない名前だったのだろう。それもかなり前の缶詰会社だから、今は多分もうないのかも知れない。 欄干の獅子。台湾に「狛犬」はおらず、すべてが獅子。全部で16見た。獅子十六なんちゃって。 橋の上から崖の中腹に道路が見えた。あれはタロコ族が造った道と陳さん。ええっと驚く。まるで「蜀の桟道」ではないか。ぜひ近くで見てみたいもの。幸い見学する時間は確保してあるそうだ。ようし、これは絶対観に行かねば。 これが橋の上から崖道へ下りる入口。どうやら崖道は「shakadang」(しゃかだん)と発音するみたい。タロコ族は一部族の名前だが、それに中国から渡来した人が「太魯閣」と漢字を充てたのだろう。前日のアミ族に「阿美」と漢字を充てたように、元々の原住民に文字はなく、自ら名乗った部族の音に近い漢字を充てて表記したのだと思う。すると「shakadang」の原義は何なのだろう。 真下から見上げる橋脚の一部。 崖道から橋を臨むの図。 実際に観た崖道はこんな感じ。一見してこれはおかしいと私は思った。山岳民族(ひょっとして首狩り族だったかも)が、一体全体乏しい道具と材料でこんな立派な道路を作るだろうか。彼らが住んだ山から海岸部まではかなりの距離があったはず。非力で人数がさほど多くない部族が、たとえ何年かかってもこんな精緻な道路が造れるわけがない。これは近代的な技術の賜物のはずと言うのが私の直感だった。 ビルの5階分ほどの階段を上って再び橋の上に出、そこから慰霊塔のある場所まで歩いて行った。どうやら道路工事の際に犠牲になった方々の霊を慰める施設のようだ。その近くに何枚かの写真があった。 なんだなんだこれは一体。ははあ。これが元々のタロコ族の木道だったのだと思う。この程度の道路なら蛮族にも造れたはず。しかしこんな危険な「道」を良く通っていたもんだねえ。 こんな写真もあった。これは道路工事に先立って、邪魔になる木を伐り、落石の原因になるものを除外したりしてたのではないか。これは一体いつ頃の写真なのだろう。戦前であれば工事の人が日本人である可能性もあるが、被っている笠は、沖縄のクバ笠(ソテツの葉を編んだもの)に近いが。 こちらも工事関係者の写真。私には先刻の崖道「shakadang」を造ったのはどうもこの人たちのように思えて仕方がないのだ。すると陳さんが「タロコ族が造った」と言ったのは、彼の誤解だったのか、あるいは日本人にも犠牲者が出たことを私たちに隠したかったのか。 対岸の遥か遠くに高い滝が見え、その上に宗教施設のようなものが見えた。あれが本来の道路工事で亡くなった方々の慰霊塔なのだとか。あそこに日本人も祀られているのかは、不明のままだった。<続く>
2019.08.24
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~旅の美・宿の美その2~ このシリーズは台湾旅行中の各所で観た美術品の紹介です。 モノクロで描かれた牛車。墨絵のような、そして影絵のような。 花と鳥。まるで螺鈿(らでん)細工のような雰囲気がありますね。 駅で見かけたポスターから。上空へ続く光の梯子。 どこかの施設で観た童話の世界シリーズ。 おや、「不思議な国」に迷い込んだかな。 ここはどこなの。大きなキノコさん。 変だねえ。ペンキで描いたのに、こんな布のバラになったよ。 母ちゃん、ボク眠たいよう。 こっちは三日月のベッドでね。 青い山に照明灯が写り込んで。 ホテルには珍しい抽象画3点を連続で。 とても大きな磁器ですねえ。 旗が立つ塔。 本日の最後はこんな照明器具です。楽しんでいただけたでしょうか。<続く>
2019.08.23
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~アミ族の舞踏ショーその2~ アミ族の舞踏ショーの2回目です。昨日の民俗的な彫刻を観た後だと、かなり印象が変わりますね。 様々な色の衣装ですが、やはりこれはショーだと思ってしまいます。 躍動的に踊り狂う若者たち。やはり鮮やかな色彩が目立ちますね。 輪舞する4人組と、ひざまずく2人の男女。これは一体何なのかな。 見物の観光客も誘われて踊りの輪に加わります。私は目を逸らして免れました。(;^_^A おや、さっきの2人がまだひざまずいていますねえ。 祝いのダンスをする娘たち。 青年たちも喜びを表すような激しいダンスを繰り広げています。 穀物が入ったざるを振るい、風でもみを飛ばしています。これは農作業の踊りですね。 作業が無事終わると、神様へ感謝の挨拶を。 またまたざるの穀物を空高く飛ばしています。 腰を曲げ、おどけた仕草のこの人は、一体何をしてるのでしょうね。 まだ広場の隅っこで畏まっている若き男女。 おいおいお二人さん。いつまでその格好で座っているの。 ようやく女神役(?)の女性がひざまずく2人のお尻を道具で触ります。それが結婚成立のサイン。結婚が決まった2人は立ち上がって挨拶をしています。 青年たちが喜びの輪を作る中、女神役の女性は大役を終えてヤレヤレと退散します。 飛び入りの観光客も手をつなぎ、大きな輪を作ります。 最後は全員での乱舞。ショーではあっても、かつての暮らしを垣間見た気がしました。「台湾には歌で求婚することはないの」私は尋ねた。「それは中国の奥地の方で、台湾にはない」と陳さん。雲南省などの山奥でそんな風習があることは知っていた。「昔筑波山の頂では、年に1度だけ自由恋愛が許されていたんだよ」。私がそう言うと、きょとんとした表情を見せた陳さんでした。<続く> (お断り) 昨日紹介した美術品の中には、アミ族関係以外のものが混じっているのも確かです。しかしアミ族舞踏ショー会場の「阿美村」は花蓮市に所属し、このホテルが先住民族アミ族理解のため民芸品を収集し、展示したことは重要な要素と考え、紹介した次第です。なお上↑の作品はほとんどがアミ族関係の木彫品だと私は感じました。以上ご参考まで。
2019.08.22
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~旅の美・宿の美 その2~ 花蓮の宿にて 花蓮市のホテルのロビーに、こんな天然木が置かれていた。左はとても軽やかなフォームで、右はいかにも重厚な素材。どちらも何の手も加えてないはず。木の素材の美しさと生命力を感じて、わたしはシャッターを切った。 階段の下に無造作に転がっている木。これにも全く人の手は加わっていない。ひょっとしてこれは海岸に打ち上げられた流木を拾って来たのだろうか。 ロビーにはこんなカヌーが置かれていた。アミ族は山麓で主に農業に従事していたと聞く。それならこのカヌーに乗っていたのは、フィリピン海に浮かぶ島の部族かも知れない。へさきが尖り、大きく上に反っているのは、「波切」のためだろう。いかにも南洋の海洋民族らしい意匠だ。 これがカヌーの全容。長さは7mほどもあるだろうか。これで漁業をしていたとは感じられない。わたしには他の島との交流のための舟としか思えなかったのだが。 ホテルではこんな木像がわたしたちを出迎えてくれた。恐らくかつてのアミ族を模したのだろう。アミ族自身は農民なので、このようなものを彫る必要性はないはず。ほとんど裸に近いこの姿こそ、彼らの部族の偽らざる姿だったのではないか。 まさかこのホテルの経営者がアミ族なのではないだろう。それなら一層、ホテルのロビーに民族の象徴的な彫像を設置した勇気を褒め称えたい。あの舞踏ショウでは得られなかった彼らの実態を知った思いだ。 オーストラリアの美術館と博物館には、必ずアボリジニのコーナーがある。それはかつて政府が行った民族政策の失敗を反省してのこと。原住民から土地を奪い、自由を奪って都市に移住させたことで、彼らは生活のすべを失い、アルコール中毒者が増えたのだ。まさか台湾でも同じことが行われたわけではないだろうが。 日本も同じ過ちを犯した。明治新政府はアイヌから土地を収奪して、三菱などの財閥に廉価で明け渡した。そのせいでアイヌは本来の生活地から、不便な土地へと強制的に移住させられ、生活の糧を得るため木彫りを覚えたのだ。台湾の16ほどの部族は、どんな風に中国からの移民と同化して行ったのだろう。 それにしても力強い作品ばかりであることに驚いた。素材の生命力もちゃんと保たれているし。 恐らくこのようなものにカメラを向ける旅行者は少ないはず。でもわたしはその国の文化や歴史の跡を訪ねる旅人で、単なるツアーでさえフィールド調査になると思っているのだが。 このよう美術品が、たとえアミ族の手に拠るものでなくてもわたしは満足している。 また民族風の意匠だとしてもそれはまだ許せる。なぜならこれらの作品には、台湾の先住民族に対する深い敬意が読み取れるからだ。 たとえどんなささやかなことでも、台湾の先住民族の文化らしきものをブログを通じて紹介出来たことに、わたしはとても充実感を覚えている。台湾に感謝。現地ガイドの陳さんに感謝だ。<続く>
2019.08.21
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~最近の習作と俳句教室~ 姫女苑たそがれ迫る通学路 *ヒメジョオン 黒南風や眩暈に耐へてあらを炊く *くろはえ *めまい *たく 朝風やカサブランカに翳りあり *かげり 天然アユ 鮎喰らふ寡の天下取りしごと *やもめ 夕風やとにもかくにも鮎を焼く 来る人の無き夕暮や鮎を焼く 風止みて夕餉の鮎を焼く寡 *ゆうげ 私が買った鮎は当然天然ものではなく、徳島県で生産した養殖鮎。それも売れ残った見切り品で、半額だった。だから天然鮎特有の良い香りなどはせず、ぬめりもあった。それを水で洗い流し、塩を振って焼いた。七輪のような風情があるものではなく、IHの魚焼き器。それでも独り者の男にとっては十分に美味しいと感じ、幾つかの作句を試みたのだった。 スダチ 鮎を焼く寡に風の止まりけり 鮎焼ける寡夕風も止まりけり 鮎焼きし寡夕風の止まりけり 鮎を焼く夕の風の止まりけり *ゆうべ 夕風や鮎俎に化粧塩 *まないた *けしょうじお 夕風や俎上の鮎に化粧塩 *そじょう 夕風や焼けたる鮎の化粧塩 夕風や鮎の勢ひ化粧塩 〇夕風や鮎に勢ひ化粧塩 8月の俳句教室は15日(木)。お盆のせいか出席者はわずか8名。私は〇の句を提出し、句の背景を説明。ようやく俳句らしくなったと講師の評。だが「夕風や鮎に施す化粧塩」の方が良いと一言。そうか、そんな単純な言葉でも良いのか。私は常日頃感じていたことを質問し、時間が余らずに済んだ。俳句の基本とは何かを、改めて認識させられた一日だった。いつまでも素人のままの私だ。
2019.08.20
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~8月は日本にとってどんな意味を持つのか~ 8月はなぜか物悲しい時でもある。8月6日はヒロシマの日。9日はナガサキの日。そして15日は玉音放送が流れた終戦記念日。近隣諸国にも大きな迷惑をかけた第二次世界大戦。日本は戦争の当事者であり、かつ連合軍と戦って敗れた敗戦国でもある。この戦争に果たして一体どんな意味があったのか。あるいは無かったのか。その総括を、わたしたちは今どのようにすれば良いのだろう。 なぜ日本は戦争の当事者になったのか。そのことをわたしは授業で学んではいない。当時の世界情勢は果たしてどうだったのか。日本が経済的に追い詰められ、軍縮を迫られ、苦しくなっていたのは間違いない。アメリカのルーズベルト大統領が強大化する日本を危険国家と見なしていたのは事実だし、彼の判断が日本を戦争へと追い込んだのも事実。拡大主義に陥って大陸に進出した日本は泥沼に足を突っ込んだ。 大元帥だった昭和天皇に責任は無かったのだろうか。全くないとは言えないだろう。だが彼は立憲民主制における天皇の位置を良く理解し、政治に口出しすることはほとんどなかった由。それでも事態の進展を憂慮し、陸海両軍の責任者に戦争を回避出来ないか問うたと『昭和天皇実録』にある。東京裁判では天皇の戦争責任が問われかけたが、進駐軍が天皇制の意義を認識し、辛うじて責任は免れた。 対米宣戦布告の遅れは、担当官の寝坊が原因と聞く。どんな理由でも国際法違反だ。ソ連の対日宣戦布告も条約無視の国際法違反。日本は既にポツダム宣言を受け入れていた。千島、樺太、満州へと乱入したソ連兵によって、日本の領土と財産は奪われ、元日本兵はソ連各地に抑留され、シベリア鉄道の敷設作業などに従事させられた。寒さと飢えとでバタバタ倒れ、次々に死んで行った元日本兵たち。 第二次世界大戦で死んだ日本人は約300万人。だがそれとほぼ同数、他国民を死に追いやった。東アジアの独立と開放を謳った「八紘一宇」、「大東亜共栄圏」は果たして幻だったのだろうか。いや、戦後そこに留まり、その国の独立戦争に加わった兵士も多い。現にフィリピン、インドネシア、インドなどでは独立出来たのは日本のお陰と今でも感謝し、パラオや台湾も日本統治の恩義を忘れてはいない。 日本の敗因は何だったのだろう。日清、日露戦争で勝ったことによる自信過剰。アメリカの物量を見誤り、戦闘は短期で終結するとの判断ミス。陸海の不和と作戦ミス。物資の圧倒的な不足と空軍力の決定的な不足。戦地の拡大に伴う補給路の長距離化。大本営発表とマスコミの過剰報道と乖離。終戦時期の判断ミス。アメリカは勝利後の日本統治策まで考えていたと言うのにだ。 欧米列強による植民地経営史は長い。だがどの国もかつての植民地に謝罪した事実はない。日本はどこかを植民地にしたのだろうか。答えは「否」。植民地政策とは、その土地の生産物や労力や富を収奪すること。日本は朝鮮や台湾、南洋諸島を本土並みに整備し、教育や医療、文化のレベルを引き上げ、収奪はしなかった。台湾やパラオが今でも感謝を忘れないのはそのため。ただ中国と半島国家は歴史を歪曲する。 わたしは思い出す。戦地から帰った父の義足。飢えた少年期。ありがたかった給食。近所にいたパンパンガール。戦車からチョコレートやガムを投げた米兵。進駐軍キャンプのMP。闇屋をしていた父の苦労。女運に恵まれず、40歳で死んだ父。それよりも若くして死んだ英才の姉。戦争で破壊されたわが家庭。わたしはアルバイトをして高校を卒業した。それらがわたしの戦争にまつわる思い出話。 初代宮内庁長官へ昭和天皇が語った「拝謁記」が最近発見された。天皇は戦争に関する反省と後悔を、自ら公表しようとされた由。だが吉田総理は天皇が示した文案を修正し、天皇もこれに従って反省表明は叶わなかった由。戦後「シンボル」となった天皇の苦悩が良く分かる逸話だ。さて、私の宿題は「満州事変」と「支那事変」。前者は軍部暴走の端緒として、後者は戦争の泥沼化を招いた原因と思うからだが、その実態を知らないままなのだ。 昨日のレースは無事ゴール出来た。スタート地点から順調に走り出したものの、晴天になるにつれて気温は急上昇し、9km過ぎからは歩くことを選択。そのまま走れば、多分体調を崩すとの判断だ。ゴール手前3kmの路上気温は36度を表示。私の判断は正しかったと思う。当日撮った写真を整理後、改めて完走記を掲載する予定。応援、どうもありがとうございました。
2019.08.19
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<「堀本恵美子絵画展」は仙台三越7階アートギャラリーにて、8月20日(火)まで開催中です> 昨日の土曜日、私は迷っていた。日曜日に最大17kmを走るための余力を残しつつ、前日に何をするか。お盆は過ぎたが、墓参りはしたい。そして札幌のブログ友たくちゃんと約束した絵画展の会期も、残り少なくなっていた。バスの時刻を調べ、経路と行動を脳裏に描いた。バスから地下鉄に乗り換えて墓参りを済ませ、その後に繁華街のデパートで絵画展を観れば、気になっていた2つの事柄が一挙解決だ。 霊園付近の花屋で花を買い、両親と姉が眠る墓にお参り。既に2組の花が供えてあった。兄夫妻と、姪のはず。花筒に水を入れて花を供え、線香の燃えカスを掃除。お菓子とお茶を墓前に供え、ひとしきり冥福を祈って帰途に就く。帰路はバスにした。その方が歩く距離が短くて済む。気温は既に30度を超えている。だがデパート内で私は迷子になった。何と階を間違えていたのだ。デパートに行ってない証拠だ。 ようやく会場を見つけた。美術家らしき人と来場者が何か話をしている。どうやら知り合いのようだ。私は話が終わるまで絵を観ていた。どれも同じようなテーマ。きっとそれだけ安定しているのだろう。とても明るい抽象画で、人類の希望を感じる宇宙観。どの絵にも大変な額の値札が付いている。全て売り物なのだ。国内や国外での購入先が紹介されているのは、絵が売れている証拠。きっと評価も高いのだろう。 絵葉書(上)の経歴によれば、この美術家は東京都生まれで東京女子大卒。美術は武蔵野美術学園で学んだ。1982年日仏現代美術展(パリ)。1991年サージマルジス賞受賞展(NY)。2010年スイスジュネーブアートフェア。同年韓国国際アートフェア。2012年環太平洋アートフェスティバル最優秀賞受賞(ハバロフスク)。2013年招聘個展(ハバロフスク)。 2017年グロデコフ美術館招聘個展および作品買い上げ(ハバロフスク)。ギリシャ・テッサロニキ市美術館、コソボ国立美術館、佐久市立近代美術館など国内外の美術館等で作品買い上げ。1980年から国内外での企画個展110回開催。2019年5月から「月刊ギャラリー」にエッセイ連載中。 <作品を前にした堀本恵美子画伯> 堀本さんとお話しすることが出来た。札幌のブログ友たくちゃんさんからの紹介だと告げると、ニッコリ笑った。そしてブログで紹介してくれるならと言う条件付きで、作品とご本人の写真を撮影することを許してくれた。私の撮った写真をチェックして、これなら良いとOKサイン。絵の話、たくちゃんさんの話。私のブログの話などして、会場を出た。早くブログに載せて、絵画展を紹介して欲しい由。 絵画展の挨拶に以下の文章があった。目には見えない心や魂の世界を描き始めてから、早30年の月日が流れました。青から始まり最近は金、銀など「魂の七色」と言われる色で描いています。「富士山から宇宙へ」などの作品シリーズ、ガラス絵まで約30点を展示致します。「やすらぎ」と「生きるエネルギー」の湧いてくる絵画を是非ご体感頂ければ幸いです」と結んであった。 ブロ友たくちゃんさんの紹介で知った今回の絵画展だが、「本物」の画家が命を懸けて描き続けるエネルギーや魂の浄化と言ったものを私は感じた。貧乏老人には到底買えるような絵ではないが、画家が一生かかって追い求めているテーマが何かは分かった。それはわたしたちにも通じるように思うのだ。凡人は凡人なりに苦しみながら、一生かかって何かを追い求めていることに変わりはないのだから。 さて、今日の大会ではどんなドラマが私を待ち受けているのだろう。猛暑に苦しむのは覚悟しているが、もし無事に帰宅出来たら、ぜひその話をブログに書きたいものだ。では行って参ります。夕方には無事帰宅出来ますよう、祈っていてくださいね。読者の皆様も、今日一日どうぞお元気で。
2019.08.18
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~わが暮らしの一コマ~ 近所のSさんがミョウガを手に、訪れてくれた。連日の猛暑で、一人暮らしの爺さんがノビテないか気になったようだ。ありがとうねSさん。私は何とか生きてます。お礼にトマトとミニトマトをお上げする。いただいたミョウガは山形の実家からもらって来たのだと思う。まだ小さいが、しっかりした実。少しずつ半分に切り、順次他の野菜と一緒にピクルスに漬けた。夏はやはり酢が欲しくなる。 ある朝玄関を開けると鄙びた匂い。暫くして、ああこれはゴーヤの花の香りだと気づく。寒かった7月は、成長が止まっていたかに見えたゴーヤ。それが梅雨明けと同時に急成長。枝は広がり、次々と花を咲かせた。そこへミツバチが来ると、受粉して実が実る。10日ほどの間に10本以上を収穫。トマトは全部抜いた。あれほど生っていたのが、パタリと成長がストップ。支柱も抜き、苗を始末。 庭のユリが咲いた。種類は知らない。1週間かけて、朝のまだ涼しいうちに庭、畑、花壇、家の周囲の草取り。1時間もやればクタクタだ。寝不足の上、夜間の脱水で疲労気味。おまけに腰も痛む。裏のジャガイモを収穫。これで残った夏野菜はミニトマト、雲南百薬、シソ、そしてナス。成長中のキュウリに、ネットと支柱を施す。大根などへ追肥し、ナスを剪定。秋ナスの収穫を夢見てのことだが、花が咲き出した。 裏の畑に春菊とカブの種を蒔いて水やり。ここは急ごしらえの畑で土が薄いため根菜は無理。それで比較的根が浅い野菜を育てることにしたのだ。トマトとモロッコインゲンを始末した後に、秋冬野菜を植えようと幾つかのHCに行ったが、どこもまだ入荷なし状態。梅雨寒とその後の猛暑で、農家もまだ苗づくりが間に合わないのだろう。畑を休めているうちに、きっと売り出すはず。 有り余るゴーヤで、チャンプルーを2回作った。材料はゴーヤ、豚肉、鰹節、木綿豆腐、溶き卵。刻んだゴーヤをレンジでチンしておくと炒めやすい。味つけは塩、コショウ、だしの素、好みでポン酢少々。 他に佃煮を作る。材料はゴーヤと縮緬雑魚。ゴーヤはただだが、縮緬雑魚は少量で300円もする。味つけは醤油、だし醤油、酢、みりんを適当に。七味唐辛子少々。少し味が濃過ぎたが夏場はそれでOK。 8月10日。梅干し完成。今年はまだ若いうちに収穫した青梅を使ったため、食べるとコリコリした食感。去年は熟した梅だったが、カリカリもまた良いものだ。恐らく3年近く持つと思うが、暑い夏場は特に梅干しが食べたくなる。これで3年連続の自家製梅干し作り。材料費は赤シソ200円程度で済んだ。クエン酸の多い梅干しは私の健康の素でもある。 急に酢飯が食べたくなって、「すし太郎」を購入。それに自家製ピクルスを刻んだものや、炒り卵も混ぜた。カツオやマグロの刺身を添えた。安いカボチャを見つけ、牛乳で煮る。いつもはカボチャコロッケで我慢しているのだが、まだ若いカボチャが300円もせずに買えた。これは嬉しい。半分だけ煮て、残りは冷蔵庫。悪くなる前にドンドン食べよう。牛乳と砂糖の優しい味。そして素材の旨味も。 3年ぶりにランニングシューズ購入。メーカーはNBと決めていたが、底のクッションが気に入って選んだ。現在ある3足はすべて底がすり減っていた。レースが近づき、「エイヤー」で購入することに。早速2回試走したが調子は上々。後は体がどう反応するかだ。まだ暑さに体が馴化していない。この際、長らくサボった罰を受けようと思う。実は明日が大会で、早朝から出かける予定。 郵便受けの下の植木鉢をベコニアに植え替えた。これまでの寄せ植えは、暑さで参り、すっかり勢いを失っていた。まるで家主と一緒。これではいけないと一念発起して草取りやら、畑仕事やら、ランニングを開始した次第。英国のメジャー大会で42年ぶりに優勝した渋野選手のようには行かないが、後期高齢者もただ暑さに苦しむだけではねえ。さあ、今日もそろそろ水やりの時間。
2019.08.17
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~アミ族の店と舞踏ショーその1~ 台湾ツアー3日目。オプションでアミ族の舞踏ショーを観ることになりました。希望者は私を入れて9名でした。バスから降りて会場へと向かいます。入り口に「花蓮阿美文化村」とあります。アミを漢字で書く際は「阿美」を用いているんですねえ。 アミ族は台湾東海岸の狭い平野部で、主に農業で暮らしていた部族です。これはその当時の衣装と家の様子なのでしょう。あまりの粗末さにビックリでした。 売店で売られていたアクセサリー類。でもアミ族独自のもののようには思えなかったのですが。 舞踏ショーの会場内にあった。アミ族の人形です。当時の感じが良く表現されています。 ステージの上はこんな感じです。ショーが始まる前に記念写真を1枚。 アミ族のお嬢さんの司会でショーが始まります。たどたどしい日本語がとても可愛かったです。 いよいよショーが始まります。煌びやかな衣装を身に着けたお嬢さんたちが。 私が予想していたものとは違って、とても華やかな衣装。きっと昔は違ったんだろうけど。 それに照明も派手過ぎて、やはりショーだなあと感じた次第です。 私は必死になってシャッターを切るのですが、ド素人なのでねえ。 あれっ、衣装が変わりましたかねえ。手をつないだ3人組の後ろ姿を1枚。 乱舞するアミ族のお嬢さんたち。激しい動きが続きます。 若者たちが加わりました。筋肉質のたくましい男たちは上半身裸です。 何人かの若者が刺青をしていました。きっと昔からの部族の伝統なのでしょう。 若者と娘たちの「掛け合い」の踊り。こんな時に恋が芽生えるのかな。 ひとしきり踊り終えると、会場から静かに退場して行きます。 やはり衣装が派手過ぎますねえ。昔の姿を見るのはもう写真だけなのでしょうか。<不定期に続く>
2019.08.16
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~高雄市から台東市へ~ 今日8月15日は74回目の終戦記念日です。心静かに過ごしたいものです。 さて、台湾の旅の3日目は高雄市から台東市に向かいます。最初のトイレ休憩は「高雄芸品公司」。ここは土産物屋さんかな。それとも民芸品の専門店でしょうか。 何だかブルドックのような表情の獅子が可愛いですねえ。 各種の装身具類がそろっていました。 可愛い花柄のふた付き茶碗でしょうか。 大きな岩ガキではありません。中国風の七福神みたいですねえ。 翡翠(ひすい)に刻まれた神仙境みたいですね。 実に美しい翡翠の置物ですね。まあ、とても手は出ませんが。 脊梁山脈の峠を越えて、台湾の東海岸へ来ました。ここは台東市の「三仙台」。パンフレットの写真をお借りしました。太鼓橋と海の上に、面白い形をした島が見えます。 こちらは私が撮影したもの。ひょっとして火山島なんでしょうか。 陳さんが撮ってくれた記念写真です。 次に向かったのが同じ台東市にある「八仙洞」。中央に見える洞穴です。 洞窟の正面です。かなり巨大な空間であることが分かります。 元々は海底火山の爆発で出来た穴でした。それが造山運動の結果隆起して、陸となったのです。帰国後、この洞窟が台湾で一番古い旧石器時代の遺跡であることを知りました。ふ~む、あの洞窟がねえ。 洞窟の奥行きは浅く、広さもさほどではありません。ただとても天井が高いのが印象的でした。洞窟の中から入口へ戻る際に、何枚かの写真を撮りました。陰影の面白さに惹かれたのです。外へ出ると目の前にフィリピン海が眩しく光っていました。お天気に恵まれて良かったです。 洞窟の傍らに資料館があり、石器などが展示されていました。上は旧石器人の暮らしを描いたものですが、幼稚過ぎて学術的ではないと言うのが私の印象でした。 八仙洞から発掘された旧石器類。台湾考古学界のレベルが偲ばれます。<続く>
2019.08.15
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~蓮池潭・慈済宮・龍虎塔 その3~ ここは高雄市にある蓮池潭です。池の周囲にはたくさんの寺院が見えています。 蓮池潭はかなり大きな人工の池です。池の中にはこんな塔も。全ては信者によって寄進されたもの。寺院の伽藍もすべて寄進です。高雄市は人口277万人余。台湾第2の都会で、背後の高層ビルとの対比がユニークですね。 この龍虎塔は2回に亘って紹介した「慈済宮」の付属施設で、信者の寄進に拠るもの。こんな派手な建物を造るのは、すべて宣伝のためと陳さんが教えてくれました。 入口は左の塔の前にある龍の口。そして出口が右側の虎の口です。「竜頭蛇尾」、「虎口を脱する」との関係は不明です。 はい、お客さん。こちらが入口ですよ~。 そしてこちらが出口。迷子にならないようにね~。 あんたえらい迫力でんなあ、龍はん。 ここからは塔の内部です。中国の色んな神様が迎えてくれますよ。 ふ~む。閻魔大王のような怖い顔をした方が、何か取り調べ中でした。 ここには種々雑多、色んな神様がおられるようですなあ。 鬼に踏んずけられている人。まさに地獄でんなあ、あんさん。 ところが仏さんもおますんや。これがほんまの「地獄で仏」でんがな。 ああ怖~っ。地獄と極楽を一篇にお参りしたがな。 と言う訳で、やっぱ「竜頭蛇尾」ではあきまへんな。 そんな凡夫の心を見透かすように、蓮の花がじっと見つめていたのでございます。<続く>
2019.08.14
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~蓮池潭・慈済宮・龍虎塔その2~ 台湾高雄市蓮池潭(れんちたん)にある慈済宮(じさいぐう)紹介の2回目。見事な透かし彫りです。 金色に輝く聖人の姿が見えて来ました。 これは徳の高い貴人なのでしょうか。 どうやら民間信仰の女神みたいですね。 これが「保生大帝」でしょうか。元々福建省の郷土神として信仰されていた健康を司る医神で、移住先の台湾にもたらされたもののようです。 名前が入った「たすき」を肩からかけている仏像がユーモラスです。信仰が混沌としていますね。 こちらは修行中の僧侶でしょうか。不思議な感覚です。 色鮮やかな聖人たちが仙境に遊ぶ姿でしょうか。 寺院の中は極彩色の世界。不思議な空間です。 また「ランタン広場」まで戻って来ました。お寺の境内なのに、お祭気分になりますね。 熱心にご利益を願う地元の方々を撮らせていただきました。<続く>
2019.08.13
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~蓮池潭・竜虎塔・慈済寺その1~ お待たせしました。ここは台湾高雄市にある蓮池潭(れんちたん)。人工の大池の畔に、なにやら異国情緒たっぷりな寺院が見えます。それが池の周囲に幾つも見られるのですからビックリ。 参考のため、蓮池潭付近の地図を載せておきます。私たちが最初に訪れたのが⑥の龍虎塔ですが、その上方(北)に色んな寺院とその付属宗教施設があるのが分かります。これらは全て信者の寄進に拠るもの。湖上に目立つ塔などを設けて、それぞれの寺院の宣伝にしているのだそうです。一番北の①に、「孔子廟」の名が見えます。 これが最初に訪れた龍虎塔。龍の口から入って虎の口から出ます。でもこれも寺院の付属施設なので、敬意を表するため、順番を変えてお寺の方から最初にご案内しますね。 龍虎塔の目の前にある寺院は物凄く巨大な建築物です。これも信者さんが建てたとはねえ。 「扁額」(へんがく)をアップすると「三鳳宮」と読めます。でもここは通り過ぎただけでした。 現地ガイドの陳さんが案内してくれたのは、こちらの寺院。何やら東南アジアの雰囲気が。陳さん曰く。この様式は中国本土福建省から来たのだとか。かつての琉球、日本、東南アジアの国々も福建省の港で交易をしていたのです。だから南方の雰囲気がプンプンなのも理解出来ますね。 ここでも扁額をズームアップ。どうやら寺院の名は「慈済宮」(じさいぐう)で、祀られている対象が「保生大帝」(ほせいたいてい)なのでしょうね。 一番手前のお堂の天井です。煌びやかな装飾で埋まっていますねえ。 梁(はり)には中国伝統の龍の装飾。そして堂宇には様々なお呪いの言葉が。 この寺院も儒教、道教、仏教などが絡み合っているみたい。これは荘子と孟子かな。 孔子もいるのかも知れませんが、見分けがつきません。でも聖人の風格は分かりますね。 「神徳は明らかである。者どもよ信じなさい」。きっとそんな風の意味なのでしょうね。 中庭の天井に吊り下げられた無数のランタンが、異国情緒を誘います。 円柱に施された龍の彫り物。これを「龍柱」と呼び、首里城正殿にも何本かあります。<続く>
2019.08.12
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~「仙台七夕」を楽しむ人たち~ 「仙台七夕」の紹介も今日で3回目。そろそろ飽きて来たことでしょう。そこで今日はちょっと視点を変えてみましょうね。 一番町を歩き終え、上の写真からは中央通りを仙台駅方面に向かいます。上とこの写真の2枚は、昨日巨大な千羽鶴を吊るしたFデパートの真ん前の飾りつけで、さすがに豪華ですね。 今日は七夕を楽しんでおられる観光客(市民を含む)がテーマです。 まあプライバシーや肖像権の問題もありますが、そこはぜひお許しを。 昔から「学都仙台」と言う言い方があります。この方たちはインドネシアからの留学生かな。 ゴメンなさいね。1枚撮らせていただきました。 こんな角度からも1枚パチリ。 「仕掛け人形」の前では、こんな人だかりも。 Fデパート「万羽鶴」前の人ごみです。(;^_^A ゴメンなさい。突然に。 暑いのに良く来てくれましたね。ありがとう。 疲れた時はやっぱりベンチですよね、まずは。 冷たい生ビールはいかが、そこのお兄さん。 おう、アイスだアイスだ。食べたいなあ。 浴衣も良いんだけど、帯が苦しいんだよね、ホント。 吹き流しの下から見える皆さんのアンヨ。 あらまあ。ベビーカーの赤ちゃん、疲れちゃったみたいねえ。 まだ写真は結構あるのですが、この辺で一旦中締めとしますね。<不定期に続く>
2019.08.11
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~東北の夏祭り終わる~ 昨日に引き続き、一番町の七夕飾りをお楽しみくださいませ。 青竹に吊るす「吹き流し」は5~6本。1個30万円として吹き流しだけでも150万円。他にも飾り物があるため、実際はもっとするでしょうね。 一番町と中央通りに飾られる七夕は、一体何千本になるのでしょうか。 アーケードの外側には大きな青竹が、そして内側には小さ目の吹き流しが。 不思議なことに「仙台七夕」には、例年雨がつきものです。今年も最終日はでした。 雨が降り出すと、慌てて飾りを取り込んだり、巨大なビニールシートを被せるのですが。 アーケードのない部分だと、少し心配ですね。 この地区はアーケードがある方なので、何の心配もありません。 これはお菓子屋さんの前の「仕掛け人形」。昭和20年代から暫くの間は人力で動かしていたのですが、娯楽に飢えていた市民にはとても人気だったのです。今はほとんどなくなりましたが、各店がこぞって仕掛けを競い、コンクールまであった時代が懐かしいな。 おやおや?東北大学の七夕飾りがありますよ。お堅い国立大学法人も、今では市民にアピールする時代になったようですねえ。 一番町と中央通りの交差点には、例年巨大な飾りが吊り下げられることで有名です。 これはすべて手で折った「千羽鶴」。実際は一体何万羽になるのでしょうね。 飾りの真下に入って、上を見上げるとこんな感じです。 も一つおまけに、えんやこーら。中にはちゃんと「定番」飾りも入ってました。 巨大な千羽鶴の一番下。これはFデパートが、市内の小学校や中学校の協力を得たものを飾っています。短冊には、各学校の児童や生徒が書いた願いが。実に壮観な眺めですね。<続く>
2019.08.10
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~ふるさとの伝統行事その1~ 皆さん今日は。台湾旅行案内第2シリーズの途中ですが、伝統行事の「仙台七夕」をご紹介しますね。 8月1日から始まる「東北の夏祭り」。その「おおとり」とも言えるのが仙台七夕でしょうか。これは江戸時代から続く伝統行事で、豪華絢爛なことでも良く知られています。でも、戦後しばらくの間はどこの町内でも素朴な七夕飾りが飾り付けられていたのです。 <仙台駅構内ステンドグラス> 「仙台七夕」は「月遅れ」で行われています。それも毎年8月6日から8日までの3日間と決まっていて、前日5日の夜は広瀬河畔で恒例の花火大会が開催されています。私は8月7日に取材に行きました。ここは仙台駅構内。西口壁面が巨大なステンドグラスとなっていて、テーマは藩祖伊達政宗公と、七夕祭りなんですよ。 以下は駅構内の七夕飾りです。実際は市役所前から歩き出して、一番町、中央通り、そして仙台駅がゴールでしたが、敬意を表して仙台駅の歓迎七夕から紹介することにしています。 紀行文の途中に「仙台七夕」をご紹介するのは、最近になって私のブログへ来られた方への感謝の気持ちです。わがふるさと仙台の最大のお祭りである七夕を、たとえほんの一部でも是非ご覧になっていただきたいとの想いです。見るだけでも楽しめると思いますので、存分にご覧下さいませ。 私たち仙台市民は見慣れていて、暑いさ中に街へ出るのは億劫なのですが、読者サービスの一環として取材をしたのでした。(;^_^A ここまでが仙台駅構内。だから祭りの雰囲気があまり感じられなかったかも知れませんね。 はい、おまちどおさまでした。ここからが仙台市の繁華街の「一番町」です。市役所前の「定禅寺通り」から「青婆通り」までの間を歩きます。ここはいつも歩行者だけが通行出来る区間ですから、安心して歩けます。 何百本とある中で、これは良さそうと思うものにだけカメラを向けます。それも逆光だと、どうしても写りが悪くなりますから要注意ですねえ。 吹き流しの最上部が「こけし」になっています。東北らしい意匠ですね。 縦型のを小さいサイズにして2枚並べたんですが、やはり迫力に欠けますねえ。 試しに大きなサイズにするとほらね。車いすの方も来られていますよ。 仙台はこの時点で30度を超えていたでしょうね。皆さん汗だくで歩いています。 最後に涼し気な吹き流しを載せておきましょう。ではまた明日ね。<続く>
2019.08.09
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~韓国の狂気~ *かなりの長文です。 文大統領の表情が異常に感じられましたねえ。日本が韓国を通商の「ホワイト国」から除外することを決めた時です。一国の大統領である人が、「盗人猛々しい」と日本を非難するのですから異常としか言いようがありません。言動も大人げないのですが、直ぐそれに反応して激怒する国民もどうかしているとしか思えません。なぜもっと冷静に事の本質を考えないのか。まあ、言っても無理なのでしょうが。 ことの発端は韓国に対する半導体素材3品目の輸出手続きを、これまでよりも厳重にするとわが国が通告したことでした。かねてから韓国側の管理が甘くなっていたためです。「朝鮮日報」の報道によれば、2015年から今年3月までの間の韓国産業通商資源省の摘発件数が156件に及んだとか。それ以前が1桁だったのに比べて激増しています。それに、日本から韓国への輸出量のうち3割が行方不明なのだとか。 韓国の国花 ムクゲ 朝鮮日報によれば第3国を経由して、中国、北朝鮮、イラン、シリアなどに流れている可能性があるとか。実は上記の3品目は化学兵器などに転用される危険性が高い物質なのです。同紙によれば、生物化学系列70件、在来式武器58件、核兵器関連29件、ミサイル兵器2件、化学兵器1件で、不明が1件です。韓国政府は「摘発した」が、物資を押収したとは言っておらず、兵器転用は確実でしょう。 日本の国民的な花、桜 そのため、今後は手続きを厳しくすると通告したのです。それにうろたえた韓国は「徴用工裁判への仕返しだ」と騒ぎ立て、アメリカまで仲介を頼みに行く始末。きちんと手続きをすれば、多少時間はかかっても輸出は出来るのです。それがあんな騒ぎになり、日本製品の不買運動や日本への旅行中止、ガソリンを積んだ車を日本大使館へ突っ込ませるなどの暴挙。頭がおかしいとしか言いようがありません。 バンコックでの両外相 さらにわが国が韓国を「ホワイト国」から除外する方針が変わらないことが分かると、バンコックの会議で両国の外相は冷ややかな対応に終始。頼みにしていたアメリカの仲介も不発で、冒頭のようなことに相成った次第。ますます激高する韓国に対し、なぜ冷静に考えられないのだろうと不思議がるわが国。これまで見逃して来た管理を十分にすれば済むだけの話。それが「盗人猛々しい」にどう結びつくのか。 戦後補償については、既に1965年の協定で決着済み。従軍慰安婦や、徴用工に関しても日本政府は個別補償を申し出たのに、韓国lは自国政府の責任で解決すると明言し、条約が結ばれたのです。当時の韓国国家予算の2.3年分ほどの高額な補償金は、結局朝鮮戦争で疲弊した国土のインフラや、経済支援に使われて、個人へは渡されなかったのです。それをちゃんと国民に説明しないのが韓国の流儀。 2番目の「支払い」は河野談話の時。時あたかも日本人の偽作家が「済州島で日本兵が慰安婦を強制連行した」ことを出版して大問題になったころです。結局取材もせずに書いたデタラメだったことを本人が認めるのですが、時既に遅し。この時は民間団体などが中心となって弔慰金を支払ったのでした。だがそのデタラメ記事を朝日新聞は32年間も掲載し続け、韓国人がそれを根拠としたのです。 そして3度目が安倍総理と朴前大統領との間で裁定された最終的な解決案。あの時もまた数億円の資金を日本側は支払いました。韓国の誤った歴史教育で日本はいつまでも悪者扱いされ、日本が堂々と反論せずに来たのも世界に誤解をまき散らす原因となりました。韓国や中国のロビー活動は執拗です。たとえ嘘でも、100回同じことを聞けばいつの間にか真実だと信じてしまうのが人間です。 明治初期、条約を結ぶべく朝鮮へ渡った西郷隆盛は激怒して帰国します。天「皇」の詔「勅」を渡した西郷に朝鮮の高官は言います。どちらも中国の皇帝しか使えない文字だと。2千年も中国の属国だった朝鮮は、欧米の強国が迫り来る中で、未だに儒教に基づく事大主義に陥っていたのです。清がヨーロッパの強国に蚕食される姿を見た日本が、いち早く近代国家へ変身したのとは大違いです。 福沢諭吉は朝鮮独立を目指す革命家を自宅に匿って保護しました。だが彼らは中国に渡り、自国のスパイに殺されます。諭吉は朝鮮はどうしようもない国だ。あんな国と付き合っていたら日本もダメになると嘆き、欧米に追いつくべく「脱亜論」を著します。李氏朝鮮末期、王の父大院君と王の妃閔妃が外国の力を使って互いに相手を倒そうと画策。時の強国と組んで相手を負かそうとする「コウモリ外交」は、今も同様です。 伊藤博文は予算がかかる朝鮮併合に反対でしたが、初代の朝鮮総督府総監に任命されると、朝鮮の整備に尽力し、そのさ中テロリストの凶刃に倒れます。自分を刺した犯人が朝鮮人と聞いて、伊藤は「そんな馬鹿な」とつぶやいた由。誰よりも朝鮮振興に尽力し、近代国家建築に日夜まい進していたのですから。そのテロリストは韓国、北朝鮮では英雄となり、現在中国の東北部に像が建てられています。 従軍慰安婦は当時民間団体が募集したもの。日本人、日本統治下の朝鮮人、中国人などが高給(巡査の給料が10円の時に300円)の魅力で応募しました。中には親の借金のかたにされた女性もいたでしょう。朝鮮人20万人もあり得ません。それなら朝鮮人の16人に1人が慰安婦になります。そして従軍慰安婦には客を取らない自由も、旅行の自由もあったことが戦後の米国による調査で明らかになっています。 一方朝鮮戦争時、韓国は国連軍に従軍慰安婦を提供し、ベトナム戦争では現地女性を冒しました。いわゆる「ライダイハン問題」です。ニューヨークで逮捕される売〇婦の大半は韓国人とのこと。物資の乏しかった朝鮮で、古来中国に差し出したのは大量の美女と宦官でした。約2千年間近く続いた隷属関係から解放したのが日清戦争で勝利した日本。独立した朝鮮はロシアの南下政策に怯え、日本への併合を自ら議決。韓国歴史ドラマのほとんどが、史実と異なるファンタジーなのです。 韓国が唱える徴用工問題についても、ほとんどが史実に反します。高給(日本人とほとんど変わらない170円ほど)に釣られて密入国した朝鮮人も多かった由。もちろん朝鮮人には同国人の慰安婦があてがわれていました。そして裁判を起こした徴用工が「本物」なのかどうかも不明です。既に昭和40年の協定で解決済みですが、韓国政府はそのことに触れず何度も謝罪と補償を要求して来ました。 古くから争って来た朝鮮半島と日本。中国皇帝の前で席次を争ったことも、互いに領土を蹂躙したこともありました。倭人が中国から朝鮮の安東将軍を命じられたのも史実です。中華思想に染まった朝鮮にとって、日本は文化を伝えた弟分。それが自国を治めた事実は許しがたいのです。歪んだ史観を信じ込まされた国民が怒り狂うのも当然か。 今回の事案は、「フリ-パス」が順番に並ぶようになっただけで内容には変化がないそうで、韓国企業も承知してるはずと識者は言います。また対象品目が千品目以上へ拡大するのも事実に反する由。すると大統領自ら拳を振り上げ、さらなる反日へと国民を扇動したあの姿こそが異常と言う結論になるのです。事実に基づかない怒りと反日活動の韓国、あくまでも論理的な日本。そこが両民族の本質的な相違でしょう。
2019.08.08
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~ツアー風景 その1~ 2度目の旅日記も今日で10回に達した。かなり写真は載せた積りだが、まだ先は遠い。趣向を変えながら全部使い切る予定。多数撮った旅のスナップ写真も時々載せようと思う。これは最初に泊まった桃園市のホテルから見た朝焼け。日本よりも西にある台湾の朝は遅く、標準時もちょうど1時間遅い。 最初に乗った観光バスの前と後ろ。バスは全部で4度乗り換えた。それだけ移動距離が長いのと、バス会社の運行範囲があるのだろう。後ろのキリンがとても印象的。 台中市の宮原眼科前を流れる川。その飛び石が面白いと感じて撮ったのだが、載せそびれていたのだ。 ほとんど時間がなくて、わずか数枚しか撮れなかった日月潭(にちげつたん)。 湖のように見えるけど、これは戦前日本が造ったダム湖。譚(たん)はきっと人工の池と言う意味があるのだと思う。その理由は沖縄県那覇市の首里城のすぐ下に龍潭(りゅうたん)と言う池があるからだ。琉球王朝時代にはその小さな池に船を浮かべ、中国からの使者を音曲でもてなしたと言う。今でも池をさらうと大戦時の不発弾が出て来て大騒動になる。あの池に比べたら、ここは相当に巨大だ。 湖を背景にした私を、陳さんが撮ってくれた記念写真。 文武廟の石段から振り返った日月潭。 3日目に乗った観光バスと、車窓から見えた高雄市内の龍の像。 車窓から橋が見えたため慌てて撮った1枚。場所は台東市付近と記憶。 台東市での休憩時に見た果物屋さん。確か生ジュースもあったなあ。 こんな形をした植木鉢置きがありました。台東市の休憩時に撮影。 3日目に泊まった花蓮市での夕食。旅行中そんなに食べた積りはなかったのに、帰国したら2kgほど体重が増えていましたねえ。(;^_^A この小シリーズも適宜挿入する予定です。<続く>
2019.08.07
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~旅の美・宿の美 その1~ 私は色んなものにカメラを向けます。宿の美術品や街中のポスターなどなど。今回の台湾一周ツアーでも全く同様。観光地などでの撮影ポイントはたくさんあるのに、このようなものまで撮影するため、忙しいことこの上なし。それでも撮りまくるのは全てブログのためです。そんな訳でこのシリーズでは、宿や旅の途中で撮った「美」を時々紹介することにします。 冒頭の絵も含めて、最初に泊まったホテルに飾られていた絵です。現代の作品でしょうが、南画のような趣がありますね。 描かれているのは犬と猫でしょうか。割と親しみ深い絵ですね。 パンダと鶏ですね。まさか中国に阿(おもね)っているわけではないでしょうが。 枝ぶりからすると、これは牡丹でしょうか。とても柔らかな色使いです。 いかにも中国らしい壺。台湾の陶芸品も、きっとその系統なんでしょう。 大理石製の容器みたいですが、堂々たる姿です。 現代的な絵画と光沢ある木製の椅子。 現代的なテーマの風景画。 不思議な雰囲気の木彫と頚の長い花瓶。 こちらは現代的な牡丹。きっと台湾や中国の人が好きな花なのでしょう。 この小シリーズを時々挿入することにします。<続く>
2019.08.06
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~高雄市 六合二路の夜市を歩く~ 高雄市のホテルに荷物を置き、再びバスに乗って市内六合二路で行われている夜市へ出かけます。ガイドの陳さんからは厳重注意。ここは台湾でも3本の指に入る「スリ天国」なのだとか。因みにスリに注意すべき他の観光スポットは、九份(きゅうふん)の夜景と、意外にも台北博物館だそうです。おそらくは見ることに懸命で、つい油断してしまうのでしょう。私のポシェットにも財布とパスポートが。 ただバスの座席に座っているだけとは言え、1日に300km以上も移動するのですから疲れています。ただなかなか日本では見られない珍しい光景に、心が弾みます。上からお菓子の屋台、観光ポスター、そして海産物です。ここ高雄は台北に次ぐ台湾第二の大都会で、人口は300万人ほどもある工業都市なのですが、台湾海峡に面しているため海産物も豊富なのです。 ここは果物屋さん。陳さんの知り合いのようで、大サービスしてくれるみたい。手前の左側にマンゴー、その右側がアセローラです。右手にバナナ、そして奥の方の緑色のイガイガしたのが仏頭果と言う果物です。その他の名前は知りません。ともかく南国の色鮮やかなフルーツが満載でした。 こちらも海鮮関係でしょうか。温度が高いだけに、品質管理が大変でしょうね。 この一見グロテスクな食品は何なのでしょう。黒いコンニャクのようなものも見えます。串に刺したものも何種類かありますね。因みに、台湾では犬の肉は食べないと陳さんの弁。 正面は薬草を絞った油を売ってる店みたい。その右側は果物の生ジュースでしょうか。 店の外にあるテーブルでは、そのまま食べることが出来るみたいですね。 お茶の店ですね。阿里山の高地で栽培されているお茶や、有名なウーロン茶もあるみたい。 蛇の専門店みたいですね。看板の絵には猛毒のコブラがとぐろを巻いています。 因みに、私は那覇市の台湾料理店で食用ガエルを食べたことがありますが、鶏肉そっくりでした。 ここは健康茶の専門店でしょうか。それにしてもたくさんの種類がありますね。 日本にもある粽(ちまき)は、もち米を使った南方原産の食べ物です。 各種の貝やカニなどを加工した食品みたいですね。 南国台湾らしいデザインのTシャツ屋さん。国旗入りのものも。 刺青(いれずみ)の店頭には、各種の「見本写真」が。私はこの翌日、アミ族の舞踏ショウで、刺青を入れた青年を多数見ました。それもきっと部族の伝統なのでしょうね。<続く>
2019.08.05
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~ここは工芸品店かな?~ 3回連続でコーヒーブレイクを取った。初めは読者が飽きないためだったのが、最後は自分の心を鎮めるため。今日は土産物屋をテーマにした。ここは高雄市へ行く途中。それもトイレ休憩のために立ち寄ったのだと思う。だがブログネタのために、私はこんな場所でも懸命にカメラを向ける。何せこれが個人で行く初めての海外ツアー。私にとっては何もかも珍しい物ばかりなのだから。 飾り物と陶器(上)とつやつやした木彫(下) 木製のソファーにも目が向いて、つい1枚パチリと。 紫檀(したん)製の木彫だろうか。それとも黒檀か。布袋さんのような恰幅のこの人は、沖縄でみるく神(弥勒が変化したもの=民間信仰)と呼ぶ縁起の良い神様と、姿がとても良く似ている。 紹興酒(しょうこうしゅ)は米を原料にしたお酒で、薬臭い味。今回の旅では2回ほど飲んだ。 ずらりと並んだお酒のコーナーでは、縁起の良い雰囲気を醸し出している。 やはり神仙思想に関連する縁起物が好まれているように、私には感じたのだが。 一見「青磁」にも見えるが、ひょっとして大理石で出来た壺なのかも知れない。 おうおう。やはり大理石製みたい。中国人が古来より尊んで来た神仙境のようだ。 唐三彩の色調にも似た大理石製の壺。 こちらもやはり仙人が住むと言う神仙境ですね。古来中国人の理想郷でした。 穏やかな表情の木像。仏像なのか、それとも神性を帯びた女性像なのか。 趣深い屏風を背にした木造と椅子。きっと高級な木材なのだろう。 いずれも光沢が見事な作品ばかり。こうなると単なる土産物ではなく、立派な工芸品ですね。 素人には本当の素材が何かは分からないが、陶器のようにも感じる。 木製の衝立を背にした作品群。こちらも陶器のような感じだが。 一声いなないて、今にも駆け出しそうな奔馬。棚には革製のバッグも。 いかにも重厚な仏像がずらりと。旅行客が簡単に手が出せるような物ではないですね。 上は籃胎漆器(らんたいしっき=竹籠などに漆を塗ったもの)でしょうか。台湾にも漆があったんですねえ。なお中国の漆と日本の漆は全く種類が異なります。日本は縄文時代から籃胎漆器の高度な技術を持っていました。それで軽くて丈夫な漆器を作ることが出来たのです。<続く>
2019.08.04
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~日月潭の文武廟 その2~ 台中市の山奥にある名勝地、日月潭(にちげつたん)は戦前日本が造ったダム湖。その見晴らしの良い場所に、新しい文武廟があります。古い廟がダム湖に沈んだためです。今日は紹介の2回目。緩い石段を下段から中段、そして最上段の廟へと順々に上ります。これは中段の廟の壁。鮮やかな赤と金色に塗られた前に、各種の線香が並んでいます。昨日記したように、すべてが無料です。 文武廟は道教の寺院で、古代中国の聖人を祀っています。これは「文」の聖人なのでしょう。長い髭を蓄え穏やかな表情をしています。いかにも徳がありそうですね。 聖人を崇拝することで、その徳が自分にも及ぶと言うのが道教の理念みたいです。それに加えて仙人のような神仙思想や、アミニズムのような原始信仰なども混じり、複雑な様相を呈するのが道教の神髄です。この文武廟で目についたのは聖人だけでした。 梁(はり)の部分に絵が描かれています。きっと祀られた聖人に因む逸話なのでしょう。 ここが最上段の廟だったかな。石段横の彫刻が昨日のと違いますので。 透かしのある窓から日光が射し込んでいます。(上)いかにも徳の高い聖人らしい座像で、胡蝶蘭が捧げられていました。(下) 2人の聖人が並んで座っています。何やら座像の下に名前が書かれていますね。 それを拡大すると、左側が孟子(もうし)、右側が荘子(そうし)と読めます。共に古代の思想家です。なお孔子(こうし)は別格で、独立した「孔子廟」が建てられるのが通常です。 最上段の廟から降りて来ました。先ほどちらっと見えた石段横の彫刻です。どうやら蓬莱(ほうらい=中国の東の海の彼方にあるとされた神仙境)みたいですね。つまり古代中国人にとっての理想郷です。 孟子像、荘子像を遥拝して(上)。小さな仏像のようなものが一面に張られた円柱(下)。やはり単純ではなく、仏教とも混合しているみたい。つまりここでの信仰は「何でもあり」と言う訳です。 これは日本の絵馬に当たるものなのか、それとも護符(お守り)なのか。 ちょっと見で「先賢の神位」と読めます。日本でも家康公が権現として東照宮に祀られたり、強い武将などを神として崇めるのと似てますね。 線香を捧げ、熱心にお参りする現地の方々。 振り返ると、最上段の廟の石門が遥か頭上に。下は石段横のレリーフ。さようなら文武廟。良い体験と勉強をさせてもらいました。<不定期に続く>
2019.08.03
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~ヤマユリを探しながら走った話~ ヤブカンゾウ あれはまだ暑くなかった1週間ほど前の朝のこと、「ああこれは走れるな」と感じた。体調の悪さとお天気の悪さから、私は1か月半ほど全く走れる気がしなかった。それが走る気になったのは、耳鼻科からもらっためまいの薬が効いて来たのと、8月のとある催しを思い出したからだ。今がチャンス。このまま走らないでいたら、きっともう走るのは無理。直ぐに走るための準備。そしてカメラも持とう。 <女郎花(オミナエシ=左)とヤマユリ> とっさにそう思ったのは、ひょっとしてヤマユリが咲いているかもとひらめいたせい。ヤマユリの咲いている期間は1週間ほど。1か月半も走ってないためよほど奇跡でもない限り無理なのだが、私はなぜか咲いているように感じたのだ。それは庭のカサブランカを見たせいかも知れない。 だが走り出しても胸が苦しいし足も重い。それはそうだ。全く走ってないうえ、じっと家に閉じ籠っていたのだから。だがランナーに言い訳は許されない。たとえ歩くような速さでも、私はまだランナーの積りでいる。この気持ちが失せない限り、私はランナーでいられる。最初に出会った花が冒頭のヤブカンゾウ。おおっ、きれいなオレンジ色。案外これなら期待出来るかも。次に出会ったのは↑のヤマユリ。 それはあるお宅の花壇に咲いていたのだが、元々は付近の山野に咲いていたものだろう。この花が咲いていたら、他も大丈夫なはず。淡い期待がもうそんな確信に変わっていた。久しぶりのランが嬉しい。まだ俺は生きて走っている。流れる汗もまったく気にならない。心地良い風。そして鳥の声に蝉の声も。 ヤマユリは私の前に次々とその大柄な姿を見せた。しべの花粉が濃く、香りはとても強い。その姿もその香りも私は大好き。1年ぶりにまた会えたお前たちよ、本当にありがとうね。 私は私を信じたい。良いことも、そして悪いこともすべて。あれほど会いたかったヤマユリが、私の行く手に次から次へと現れた。元気で良かったね、お互いに。 ここ数年、私の体調はかなり厳しいものがあった。自分でコントロール出来ないことが増えた。それに伴って飲み薬も増えたもんなあ。そしてお前たちヤマユリも「開発」と言う名の危険が迫っている。今は盗掘から逃れられてるけど、いつまでこの環境が守られるか。 こんな不格好なフォームでノロノロ走る老いぼれを、笑わば笑え。そんなことなど何ともないさ。人生同様、不格好のままで十分。 世の中、きれいごとだけでは済まない。苦しみ、もがき、人を恨み、時には悲運を嘆く。不安で不安で眠れない夜もあった。だがこうして書けるだけ、私はきっと幸せなんだろうな。 嬉しいねえ、生きるって。嬉しいねえ、走れるって。この日は何とか家までたどり着いた。その分何日間か足は痛んだが。 その4日後には逆回りで同じコースを走った。真夏日の連続で疲労と睡眠不足だったが、大丈夫行けると判断してのこと。健気にもまだヤマユリは咲き残ってグッタリしながらも何とか帰宅し、急いで水シャワー。ふう~っ、生き返る。さて今月18日の行事までに、体が暑さに慣れるかどうかが問題だ。底のすり減ったランニングシューズと医療用インソールが、果たしてこの足を守ってくれるかどうか。頼んだよ、よろしくね。
2019.08.02
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~猛暑到来~ とんでもない猛暑に体が悲鳴を上げている。仙台は3日連続の熱帯夜で、そのまま真夏日に。まだ40代の頃に勤務した沖縄では、熱帯夜と真夏日の組み合わせが3か月近く続く。そんな厳しさも若かったから凌げた。そしてその気候に慣れるには1か月ほどの時間があった。だが仙台ではつい一週間前まで冬蒲団。体がついて行けない訳だ。そして昨日は36度を超え、ついに「高温警報」が発令。 もちろん自分なりに対策は立てている。朝から半ズボンとランニングシャツ。首には濡れタオルを巻いて扇風機も回す。水分は十分摂っているし、先日から麦茶に塩を入れ始めた。朝の水やりはごく短時間。蚊に刺されるせいもあるが、体が持たない。それで直ぐ家に入るのだが、8時過ぎから居間の室温は30度超え。南に面したうえ窓が大きいせいで、直ぐ外部の熱気が伝わるのだろう。 食事はしっかり摂っている。食欲が落ちないのもありがたい。栄養のバランスを考えて、塩分、クエン酸、たんぱく質、食物繊維も結構豊富だと思う。野菜の大半は自家製。ジュースも梅干も自家製。ご飯の量はほどほどだが、なかなか体重は落ちないのは運動量不足が原因。それに加齢によって代謝量が落ちたのだと思う。健康に生きるためには食べるしかない。昨日は塩味のお握りを作って食べた。 熱帯夜も加わって余計睡眠不足傾向になる。すると血圧が上がり、めまいがし、耳鳴りがし、時々頭痛がする。体を冷やすために時々水シャワーを浴びる。トマトの上に差していた傘は取り除いた。やはり水分不足で成長が止まっていた。外水道にホースを取り付けて散水する。これからは朝夕2回の散水が欠かせないだろう。植物は正直で、暑さに参って直ぐにげんなりしてしまう。 そんな折、東の畑でキュウリ(左)と大根(右)が発芽した。キュウリは買った苗6本が、台湾旅行中にダメになっていた。長雨と低温で根が腐ったのだろう。そこで今年は2度収穫しようと思って、予め買っていた種を蒔いたのだ。大根は多分2年以上前の古い種。それでも発芽してくれたのが嬉しい。裏の畑のジャガイモは未収穫。まだ茎が青々して例年より1か月も遅いのだが、そろそろ収穫か。 実は台湾の紀行文を5回分予約していた。そしてこのコーナーも1回書いていた。それが昨日の分。台湾の話が続くと読者が飽きると思ってのことだ。だがこの異常とも言える猛暑に、私の心身が危険を察知。気分転換のため、急遽このシリーズを挿入した次第。明日はその3回目。紀行文はそのまま3日ずらしたことをお許しいただきたい。
2019.08.01
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