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さて加藤さんの本にかんする感想が、思いがけず長くなってしまいました。そもそもこの話を始めた主旨は、毎夏繰り返されるいわゆる「戦争報道」について、はたしてそれが何らかの目的に対して、本当に実効性を持つものなのか?そうでないとすれば、いったいどういう意味あいを持って流されているのか?そのあたりをいったん立ち止まって考えてみよう、ということでした。 戦争の惹き起こす残虐とか、非人間性をあげつらうならば、その経験者の証言は日本だけでなく世界中から、昔も今もいくらでも取材できるだろうし、その中にあって直接経験者が少なくなっている第二次大戦の証言を、今記録しておこうというその意味を、無価値だという気は何度も言いますが少しもありません。 生きて残された人間から見て、無残に引きちぎられ、腐乱して野山に放置された死体の山や、黒焦げの母子の焼死体を前にするとき、自ずと生じるのは、自身の生存本能をじかに揺るがす、抑えようのない感情の昂ぶりでしょう。しかしそれらの映像は私たちに真の意味で、何かを伝えようとしているのか?もしこれが戦争抑止の意味合いを込めて、無自覚に流されるのであれば、それらはあるいは両義性を持ったものであるかもしれないのです。 死者の映像は自然の風景と同じように、実は何も語りかけてこない。それに語りかけ答えを求めようとしているのは、生きているこちら側の必要であって、自然とは本来無慈悲なまでにニュートラルです(一神教の神が黙示的な啓示は行っても、人間からの問いかけには一切答えないというのは、それがもともと無慈悲な自然を仮託した姿であることを物語っています。そもそも無慈悲というような、生きている側の人間の抱く感情など、自然(死体)とは一切関係がない)。 今どきの日本人はいざ知らず、世界中の人間の中にはこうした映像を見ることによって、むしろ防御本能を亢進させ、きわめて短絡的にそれを防衛心理に結びつける例もあるのではないか?あえてもっと踏み込むならば、こうした映像に嗜虐的な興奮を覚える人間たちもいるのではないか?なかんずく実戦における大半の兵士たちとは、こうした嗜虐性を持たせるとは言わないまでも、敵に対しての感情を排除する(自然物と見なす)ことによって、戦うことを極度に専門的に訓練された人間なのです(大陸の日本の兵士は、中国人の死体を「丸太」と呼んでいたでしょう。同じくアメリカ兵は日本兵をサルと見なしていたのです。サルならば火炎放射器で火あぶりにしても、何ら感情が亢進することはない)。 先般、やはりあるテレビ番組で、自衛隊の元幹部の人が、「日ごろ街をうろついているような若者でも、私たちは一向構わない。二、三カ月もあれば立派な兵士にして見せます」と、おっしゃってました。いったん閉鎖空間に追い込めば、大抵の人間は兵士に出来る。組織に囲い込まれた人間というのは、個々にそれほど正気を保てるわけではない、というのは何も軍隊に限らず、今どきのある種の企業や一部の宗教団体でもよく見られる光景です。 特定の組織(企業、団体、国家など、要は仕組まれた集団)が内部で、ある事柄を是としたとき、それが外部から見ていくらヘンであっても、内部の人間にとってそれは当然のことであり得る。むしろ娑婆の感覚を裏切ってでも、それを是認し実行出来るかどうかが、その組織への帰属意識の証明たり得る、というのは今でもよくあることで、内部の人間にとってはそのほうがはるかに居心地が良い。それでも企業や各種団体については国家の定めた規範で、ときに規制を加え得るのですが、国家組織だけは(自ら潰れないかぎり)それを規制する外部的な強制力は、何度も言いますが今現在世界にないのです。 一人一人の人間としては、ごく常識的な生活感覚を持っているつもりでも、それが構成する集団組織全体の振るまいとしては間違っている、外から見れば気が狂うことがある、ということは国家組織という集団において、もっとも顕著に現れるものなのかもしれません。これは何も戦前の日本だけをくさしているのではありません。はたまた今現在の独裁国家などを言っているわけではありません。集団的狂気は民主主義国家においても、そこに住まう個々の人間がごくまともであっても容易に起こり得ると、私は思っているのです。― つづく ―
2010.08.30
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加藤さんのこの本は、中高生への講義という形を取ることで、それまでのご自身を含めた最近の歴史研究の成果を、いかにして分かりやすく一般に伝えるか、ということに意を尽くしているように見える。相手がかなりの歴史マニア、あるいはたぶん戦争オタクも含んだ若者たち(相当勉強してますよ)とはいえ、話はかなり専門性に富んでいて、決して一読してすぐ分かるという種類の本ではありません。 さらについでに言っておくと、戦争史によくある例の「タラ、レバ」式の議論はここでは皆無で、そちらのほうでおおいに溜飲を下げたい人たちには、前もって言っておきますがこの本は向きません。厳格にかつてあった事実だけを取り上げて、なぜ当時の日本人がそれを選択したのか、そういう経過をたどったのか、ということを同時代の文脈の中で明らかにしようとする。当然その中からは、国内だけでなく同時代の外国の動向への目配りが出てくるわけで、この本の場合、とくに維新直後からの東アジア(大陸と半島)の情勢を見つめる目線は、とても魅力的です。 明治維新というのが、西欧諸国の植民地争奪の脅威に対する対抗の結果として発生したのは間違いないとしても、同時代の文脈で見ていく場合、同じような状況は大陸や半島でも、ほぼ同時期に始まっているわけで、このかんどの国のどの方法がうまくやれるか、というのは少なくとも同時代の人たちには誰にも分からなかったのではないか?すべては同時にニュートラルに始まったのです。 私たちはどうしても明治維新から日露戦争あたりまでの日本の歴史を、結果から判断してポジティヴに見、逆にその結果から周辺諸国のやり方を裁断してしまいますが、どこのやりかたがはたして成功するかというのは、同時代の人たちには施政者も含めて誰も分からなかったはずでしょう。後々の対中国朝鮮政策は別として、少なくとも日清日露戦争あたりまでは、西欧の脅威に対する対抗処置について日中はライバル関係、つまり主導権争いを演じていたらしいのです(で、その最初の表舞台が、おそらく朝鮮半島だったのでしょう)。 結果を意識するあまり、そのバイアスのかかったまま過去を見る、というそれと同じ思考態度が、今度は真逆のネガティヴな方向に現れるのが昭和史で、未曾有の敗戦という結果を前にして、すべてをどうしても失敗と裁断してしまう。これもまた歴史をみる目という態度としては、とてもプリミティヴでこうした全否定の姿勢からは、何の意味も見いだし得ないでしょう。全否定とは何も見ない(何も反省していない)、と同義なのです。 これは何も自虐的に自国の過去を暴き立てなさい、ということではなくて、多少はしんどくても同時代の目線と情報の中に身を置かないかぎり、今に一繋がりに繋がる日本の姿は見えてこず、結局この国の歴史の姿は常にブツ切り状態に置かれる、という仕儀になってしまいます。 加藤さんのご専門は、そのまさしく日本がネガの状態であったと見なされている1930年代の外交と軍事で、「そんな下り坂の時代をやって、何が面白いのか」と、人からもよく言われると、なかば自嘲的におっしゃっていますが、敗戦後65年を経て、ようやくそうしたバイアスのかからない目線でものを語る、言いかえれば、そこにいま少し前向きな「面白み」を感じて、話が出来る時代になったのかもしれません。 今まで数多く世に現れた日本現代史では、このあたりになると客観性を装いながらも、どうしても例の「タラ、レバ」を交えた嘆息や憤り、要は無意識の「感情」が入って、読み手はある方向に引っ張られるのを感じる。で、その結果導かれる読後感というのは、何とも重苦しいもので、そこからは前向きな気分などどこからも出て来ません。 感情が入るのを出来るだけ抑えて、冷静に事実だけを時系列順に並べて、それを正面から見つめるには、やはりある程度の時間が必要なのかもしれません。同時代の当事者たちの証言は生々しくかつ悲惨ですが、実効的な戦争抑止を考える場合には、一方ではこうした冷徹なリアルポリティークなものの見かたも知っておかなければならないでしょう。 それが戦前と戦後の日本人を、一繋がりに繋がった一個の生身の人間としてみる、唯一の方法のような気がするからです。それは今ここにいる私自身の内部に潜む戦前的なるもの、あるいは今そこここに発生しつつある戦前的なる心象とか振るまいかたを、鮮やかに見い出す手段にもなり得ると思っているのですが。 歴史的なものの見かたというのは、断絶された絶対過去を懐かしがる(それは昔話というものでしょう)のではなく、過去の心象とか振るまいに今を見い出し、今とかかわって来てこそ意味があるので、厳密な史料批判や考証は不可欠とはいえ、たんなる事実調べだけでは歴史は何の意味もないでしょう。歴史に対する面白みとは、すなわち今ここにいる自分自身に対する面白みであると思うのです。― つづく ―
2010.08.28
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と、こう加藤陽子さんの本について話していたら、今日の新聞にこの本が第九回「小林秀雄賞」を受賞した由、選評者の面々も過去の受賞作品も信頼できる立派な賞で、慶賀にたえないのですが、となるとこの本についてもう少し立ち入らざるを得ません。 ここでのおしゃべりは、べつに素人の書評を加える目的で始めたわけではないので、以下の話はたんなる感想ですが、それがここでのテーマでもある、今もごく無意識に繰り返される「戦争報道」の話に結びつくかな、と思っているからです。 まず、日清戦争から太平洋戦争まで、近代日本が選んだ戦争というのを、この本のように通史的に取り上げると、日本の行ってきた戦争というのは、西欧諸国が一般に狙っていた植民地獲得による経済的権益という目的よりも、はるかに「国防」という脅迫的な観念によって色濃く縁どられていた歴史であった、ということです。 藩単位ではなく日本国の「国防」という意識の萌芽となると、話はどうやら幕末以前の十八世紀末、例の船頭大黒屋光太夫の漂流とか、ロシアのラックスマン根室来航の折りぐらいまでさかのぼって、その時の日本人の振るまいかたぐらいから、見つめ直さなければならないかも知れず、話は際限がなくなってしまって、ここではとても出来ませんが、少なくともこの本はそうしたパースペクティヴまでを読み手に与える、そういう一貫したものの見かたを示唆することが出来るかもしれない、そういう種類の本なのです。 実のところ、私たちの理解している日本史というのは事実的な系列はみんな知っていても、それぞれ各個の時代区分に分断されて、一貫した国民史という捉えかたをするのはなかなか容易でない。古代王政から律令制、平安時代から中世、戦国時代から江戸開幕、幕末から明治維新、大日本帝国から敗戦後の日本という時代の区切りにおいて、日本人のマインドはいかなる振るまいを示しているのか?何か顕著に現れた日本人の一般的特性のようなものがあるのかどうか?というような疑問に答えてくれるとまでは言わないにしても、そういう視点に立った日本史の本というのは意外と少ないのです。それぞれがまるっきり別の時代社会が始まったように、何の脈絡もなく話が進む、というのは本当の意味での歴史的なものの見かた、とは到底言えないでしょう。 これを突き詰めていくと、日本人は我が身の歴史として、日本の歴史と真の意味で向き合って来たことがない、ということになってしまうのです。それはひいては日本人は歴史的なものの見かたを知らない、歴史を反省しない国民ということにもなりかねません。 実際のところ日本人というのは、過去を反芻して未来に備える、というよりははるかに過去はさっさと忘れて、いわば更地に臨むようにして気分を一新するほうが得意なようで、これは歴史的な国民性というよりは、「禊ぎ」に象徴されるような「神話的特性」を持った国民性らしいのです。神話世界においては歴史的な時間性というのは、もとより持ちようがない。「神話世界」を流れている時間というのは、円環的に閉じていて生と死の間を何度でも周期的に繰り返す。それが古代農耕社会の世界観と深く結びついているらしいということは、このブログで何回も話して来たことでした。 歴史的時間というのは、そうした閉じた時間性を脱して、過去から未来へとずうっと一方向に流れて行くのが、真の意味での時間ではないか?というふうに捉え直したところから出て来たもので、少なくとも近代以降の人間は日本に限らず、そうした感覚に一点の疑念も抱きません。 「時間とは何か?」という命題は、事柄があまりに自明すぎて、子供以外のほとんどの人が日ごろ疑問を抱くということはしないものですが、捉えかたにはそういう見かたもある、ということを知っておくということは、無自覚に済ましてしまうよりもはるかに有意義なことでしょう。少なくとも、なぜ日本人が過去をすぐに忘れて(しまうように見え)、結果的に同じこと(失敗)を繰り返すのか?という疑問に対しての一つのヒントにはなるはずです。 手前味噌になりますが、私がしつこく読んでいる「源氏物語」というのも、1000年前の日本の女性が抱いていたらしい時間の捉えかたというものが、少しく今どきの日本人と違っていて、その違いというのがどこから来るものなのか、そのあたりが多少は嗅げるかな、という期待もあったのでした。― つづく ―
2010.08.27
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表紙に掲げられた上のような表題が、皮肉を込めて書かれているとは思えません。ある時代の日本人が、あとの結果をみて劣化していただの、思考停止していただのとあげつらうのは、一人の人間の人生を考えてみれば分かるとおり、時系列を都合好く分断して外側から批評しているだけで、なぜその時その日本人がそれを為したか?ということの説明になっていない。 生身の人間の一生が、途中でまったく別の生身に切り換えられない(切り換えられると、勘違いしている人が多いのです。敗戦後の日本人は意識の上では、多かれ少なかれそう思うことによって生きてきた)ように、国とか民族とかの歴史もまた、まったく別の歴史に切り換えるということは出来ない。これはあたりまえの話なのですが、しかし敗戦後の日本人は、その結果が招いた内外の大量の死者を目の前にして、それこそ言葉を失った。その結果として占領軍の民主主義宣撫策に飛びついた、というところがあったのではないか? 日本の歴史始まって以来の敗北ということではなくて、未曾有の死者の山を前にして歴史的なものの見かた、つまり過去を全面的に引き受けるという気概が根底的に覆された、ということだったと思うのです。とりあえず民主主義宣撫に乗るというのは、敗戦直後の日本であっても生活は維持しなければならなかった、ほとんどの一般人にとっては必要なことだったのでしょう。 しかし敗戦後の政治家その他のエリート、あるいは本来専門であるべき歴史学者たちもまた、戦前と戦後を分断して歴史とまともに向き合うことをしなかった(たぶん今でも)のは、その後今に到る日本人の物の考えかたに大きな過誤を残しているように思えます。 その結果として、まことに安直な「たら・れば」式の歴史シミュレーションゲームが繰り返されることになり、また軽薄な右翼的言辞がNetやテレビを賑わす、ということにもなる。加藤さんのこの本はそうした中にあって、日清戦争から太平洋戦争までの日本の選択を、厳密に歴史の時系列に沿って冷徹に分析しようとします。 読後の印象が隔靴掻痒といったのは、こうしたスタンスが、あるいは右とか左とかの紋切り型の分かりやすい思想的なバイアスを、極力排除しようとする渾身の力から生じてくるのかも知れず、このバランスを保つのは今どきの日本であっても簡単ではないはずです。氏の論説はいつでも右左から攻撃される危険をともなっているのです。 早い話、そのあまりにリアル・ポリティークな分析の仕方に、左翼的な考えを持った人たちからは、結果招いた人々の惨禍に対する認識がなさ過ぎる、というような批判が出てきそうです。実際この本は歴史オタクめいた二十数人ほどの中高生たちを集めた講義録の形を取っており、歴史の面白さを語るあまり、その結果生じた内外の死者たちに対する敬意、あるいは事実の認識の重みに欠けるような言辞がないこともない。 それでも、しかし「太平洋戦争」の最後の章まで読めば、そうしたスタンスがなかば以上意図的に取られているらしいことが、だんだん分かって来る。自国ないし自民族の招いた歴史というのが、重ければ重いほどそれを簡単に詠嘆したり怒ったりしてはいけない。それとまともに向き合うには、極力吹き出そうとする感情を排するしかないのです。 言葉少なですが、満州からの引き揚げのおり、ある開拓移民団の場合は凄まじい惨禍にあって、多くの人々が死んだ。しかしある移民団の場合は、入植の折からもともとの中国人の土地の持ち主との関係に気を使って、引き揚げに際して取引が可能だった結果、相当数無事に引き揚げられた、という話をみていると、同じ歴史的文脈に遭遇しながらも、その範囲内で最善の選択とは何だったのか?ということをちゃんと示唆されている。 満州に行った入植者集団が、一般にそこの現地民に対して何をなしたのか、について詳しく語らずに、逃げ帰って来るときの悲惨さだけを強調する、さらにソ連軍の理不尽さを報道する、いわゆる「戦争報道」のスタンスとは明らかに違うのです。― つづく ―
2010.08.26
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これについては以前、このブログを始めたころに「Military Freak」(2006年8月8日)という項目で、男=オスがMilitaryにどうしようもなく魅せられる理由について、「それが本来的に内包している、甘味な死の予感が放つ美の感触に、男=オスは惹かれるのではないか?」というようなことを、思いつくままに少ししましたが、これについてはずうっと引っかかるところがあって、折りに触れてなぜそんなことを思いついたのか反芻していたのでした。 今回の「戦争報道」の話は、そのテーマをもう少し敷衍(ふえん)してみたいと思って始めたのです。しかしその前に、昨今書店を賑わす戦争Freak向けのさまざまな書物、明らかにゲーム受けを狙ったようなまがい物は論外としても、例えば「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)のような、かなり専門的あるいは理論的な装いをほどこした本などを読んでいても、戦争という行為そのものが持っている真の本質が、本当に腑に落ちてくるかといえば、やはり充分という気分にはほど遠いのです(ちなみに、この本はかつては小室直樹さん、今どきでは例の勝間和代さんなどが推奨されてますね。まあ失敗の事例を冷徹に分析する姿勢というのが、日本人のマインドに容易に馴染まない、ということに対する警鐘という意味もあったのでしょうが)。 その気分がどこから来るものなのか?いろいろ考えていると、結局のところこれらの論議では、その結果生み出された敵味方双方の想像を絶する膨大な死者の山とどう対峙するかという、いわば敗戦後日本に問いかけられた根本的な命題には何一つ答えていない、ということに尽きます。一言でいえばこうした戦略論と先ほどの死者の山は、同じ地平では絶対に結び合って来ないということで、そうであるかぎり相変わらず毎年似たような戦争報道が繰り返される、という退屈な事態は終わらないでしょう(断っておきますが、こうした失敗の本質の戦略的分析が、まるきり無益だと謗っているわけではありません。戦争という行為の本質に迫るのには、先の戦争報道と同じく十全にはこれらは答えてくれない、ということです)。 こんな話をしているのには、昨年少し話題になった「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」加藤陽子著(朝日出版社, 2009年)という本を読んで、それまで腑に落ちない感覚の一部が何であったかのか、多少分かったような気がしたからでした。 この本については、私などそのタイトルを見ただけで「これは読まなきゃしょうがないな」と思ったものです。そうなのです。いくら後づけで「当時の日本人は愚かだった」「日本の指導部はどうかしていた」などと、したり顔に嘆いたところで「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という事実は歴史上から消すことなど出来っこない。これは上手いタイトルだし、その中味も充分予測させるわけで、さっそく買いに行ったものでした。 期待が大きかったぶん、多少隔靴掻痒(かっかそうよう)の感はあるのですが、歴史家の物をみる見かたというのは、充分伝わってくる書物です。一言でいえば歴史的事実は消せない、取り返しようのない事実だけを前提にして、その理由を厳密に時系列の文脈の中で分析するという態度です。本の表紙に伏せられた、 ― 普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか? ―という言葉に、ほとんどこの本の意図は含まれていると言っていいでしょう。― つづく ―
2010.08.24
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あまりにも自明な事柄なので、一見誰もそれに対しては反論も論駁も出来そうにない。しかしそれも少し見方を変えて考えてみば、決して明々白々な論理であるということは出来なくなってくるのです。 簡単にいえば、これが個人間の争いごとの場合、上の命題「あなたの両親が(妻が、子供が)、他人に殺された。あなたはそれを黙って見ているのか?」というのが成り立つのか?と問い返せば、少なくとも今の日本ではそれは出来ない、もしそれを許せば日本は法治国家でなくなってしまう、ということになってしまいます。つまり国家機関は個人間(ないし自国に所属する法人間)の争いごとにかんしては、いつでも(場合によっては、武力でもって)介入できるのです。 もしここで国家機関が法のもとに介入しなければ、私怨は仇討ち(復讐)によって晴らさざるを得ず、もし仇討ち(復讐)を認めるならば、その国家というのは外部から見れば、すでに無政府状態と見なさざるを得ない。という意味で、上の命題の立てかたには、巧妙な陥穽(かんせい、落とし穴)があると思っていいでしょう。 (話はちょっと逸れるのですが、そういう意味でも、ここのところ裁判員裁判などの論議で、被害者及び被害者家族の気持を忖度する論調が、あたりまえのようになされることがあるのですが、国家機関がその管理下の国民個人間の争いごとに介入するとき、国家は個人の私怨をたんに代行する組織ではないという論点が、どうもこれらの論議からは抜けているような気がするのです。ことと次第によっては、被害者及びその家族を説得し納得してもらわねばならない場合もあり得る、というのが法治国家における機関への「付託」という意味ではないのか?事件というものが、すべて被害者の視点で裁かれる場合、国家はその統治機関としての機能を、一部放棄していると言えないこともない。 というわけで、私は今現在のような安易な論議のままの裁判員制度の導入には反対です。 対するに一部キリスト教者のような団体から、ときに死刑廃絶の論議が起きますが、これらは実際の犯罪事例を事細かに並べられてはいかにも分が悪い。大多数が非キリスト者である日本では、こうしたレベルでの論議は一歩も進展しないでしょう。要はなぜ国民は犯罪取締り、その他争いごとの解決を国家機関に付託しているのか?なぜ近代の国家機関は仇討ちを禁止するのか(江戸時代は公認でしたね)?というところから、話を始める必要があると思うのですが、これもまた長くなるうえに別の話ですね) さて、巧妙な法治国家という理性主義の外側には、ごくプリミティヴな生き物の態様と酷似した(人智の及ばぬ)世界が取り巻いているわけで、どれだけ洗練された相貌を装った国家であろうと、その外部への振るまいかたには、ごく本能的な(つまり理性とは懸け離れた)生き物の振るまいを、厳密になぞっているように見えるところがある。 「国防」という言葉は、身内ないし我が身への侵犯に対する自己防衛というアナロジーで置き換えれば、きわめて分かりやすいというか、子供でも分かる議論の余地のない自明の理屈に見えます。「人から殴られたら、何で殴り返したらアカンの?」という質問に対して、子供に本当に納得できるように説明するのは、誰しも難しいでしょう。この答えのヒントは、先ほどの復讐を公認するかしないか、した場合にどんな社会を出来するか?の話に結びつきそうなのですが、ここではしません。 ここ最近テレビバラエティーなどで、頓に盛んな国防論議というのは、どうもこのあたりの陥穽をすっとばして、「国を自分で守るのはあたりまえ」という、議論の余地なしの前提から話を始めているのを忘れてはいけません。 ところで、私はこうした国防論議をするコメンテイターとか、軍事評論家とか、はては国会議員まで含めて、事柄が軍事や戦略や地政学の話になると、まるで子供のように熱中している姿というのが、とても気になっているのです。彼らをそこまで熱中させる要因とは何なのか?― つづく ―
2010.08.22
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「お前たちは戦争を知らない」「戦争は実際に行ったものでなければ分からない」と実体験者に言われれば、ただちにそれを聞く側は絶対的な沈黙を強いられる(実際、今でも言われます)わけで、そこからはあまり前向きな思考は生まれそうにありません。私たちはそうした声に対しては黙して聞き入るしかないし、それが先人に対してできる唯一の慰藉(いしゃ、なぐさめ・いたわり)としてその必要を認めつつ、それでも時代的風潮を冷徹に見つめる眼というのは、これから先の未来を生きていく当事者としては別に持たなければなりません。 そうした実体験者の証言というのが、おおむね応召兵の人たちで占められていることも注意が必要です。彼らの証言が、常に兵隊に引っ張られた「被害者の立場」というと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも受身で歴史に絡め取られた立場として語られていることによって、証言内容にバイアスがかかるということもあり得るのです。「米軍捕虜の首を、軍刀で切り落とした」だの「中国人の妊婦の腹を、銃剣で刺し通した」だの、戦中ならばむしろ「武勇伝」で語られていただろう話題が、「命令なので仕方がなかった」とか「周囲の空気がそうだった」とか、一言でいえば「それは、しかたなくさせられたのだ」という受身の立場で語られ続けるのであれば、人が本来的に持っているらしい集団的狂気のようなものに、永久に近づくことは出来ないし、なぜそうした事態を出来させたのか、ということを分析することすら出来ません。 断っておきますが、私はそうした証言者たちを個別に糾弾しているのではありません。いったん銃が火を噴き、爆弾が無差別に投下される事態になれば、無残な死者の山や略奪暴行あるいは人権抑圧というのは、必ず日常的に繰り返されるのであって、それは現代の戦争に到るも何ら変るところがないのです。 要は戦争というものに、そうした所与の実体(そうした実体がなければ、むしろ人はお互いに戦い殺し合う、ということをしないのかもしれないのです)というのがあるのが分かっていても、なぜ人間は戦争を止められないのか?私たちはそこに目を向ける必要があるのです。 そこで気がつくのは、これは前にも少し話したことがあるのですが、今現在世界中で人間の生存にかんして、実効的な生殺与奪の権限を持っているのは、国家という組織だけだということなのです。国家は他者(他国)から自国民を守り得る唯一の機関であると同時に、自国民に対して他国の人々を殺すことを許す組織なのであって、これまでこの世界では、それを超える機関や組織というものを持ったことがないのです。国連とか各種人権団体があるとはいえ、それらが各国家間の取引の場以上の実効性は持ち得ないことは、第二次大戦後の世界の歴史をみれば分かるでしょう。 いったん、どこかの国が他国ないし自国民に対して収奪や殺戮を開始した場合、その他第三国は非難声明だの経済制裁は出来ても、実効的な武力介入を行うことは容易ではない。早い話国連常任理事国の一つが、他国に戦争をしかけた場合、それを止める手立てはないのです。という意味で、国家組織というのは今現在世の中に存在する、もっとも強力な権力組織であり、それをセーブする機関というのは厳密にはこの世に存在しない、ということを私たちは知っておく必要があるのです。 話がややこしくなるのは、そうした国家機関の有り様というのが、世界各国その各々の歴史や地政学的条件によって、著しく異なっているということで、早い話アメリカ合衆国のような、理念だけで建国した国(United States)もあれば、日本のように単一民族だけで自然的に成り立ってきた国(Nation)というのが、同等の権力を少なくとも自国内にかんしては有しているということで、他国はそれに対して干渉することは許されない。 いかなる収奪や暴虐や抑圧が加えられようと、それが国家権力の振るまいである場合、厳密には他国は干渉することが出来ないのです。 このあたり一般に考えられる国家像というのは、すぐれてもっともプリミティヴな生き物の態様をなぞっているわけで、生き物は一般に我が身に危害が及ばないかぎり、他者への干渉はしないものです。逆に言うと我が身は結局自分で守るしかない、という論理は非常に簡単にその国家感と結びつくところがある。 民族主義者やいわゆる右翼が、他国からの侵略を守るのは自国民だけだ、と声高に叫ぶのは、それが生き物の生存感覚のもっとも深いところに結びついているからで、「あなたの両親が(子供が)、他国の軍隊に殺された。あなたはそれを黙って見ているのか?」というのは、彼らのもっとも得意とするところの踏み絵的なフレーズです。これに反論するのは、(ごく一部の左翼的考え方をする人は別として)戦前も戦後も関係なく、ごく容易なことではないでしょう。― つづく ―
2010.08.21
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要は戦争を被害者意識で見るにせよ、加害者意識で見るにせよ、両者に欠けているのは当事者としての視点であって、戦争というのがどこかの誰かから仕掛けられたとか、仕掛けたという話ではなく、自らの内部にある思考停止状態と、それに密着した破壊衝動、あるいは破滅衝動のようなものが、どこからどのようにして生じてくるものであるのか?それがどのようにして時の組織や大多数を覆う空気として醸成していったのか?ということを冷徹に見つめてはいないのではないか、ということなのです。 私は戦前の日本の一般人が、大陸侵攻を国家存続の生命線と信じ、また鬼畜米英を唱えていたことについて、敗戦後の今になって、それを「愚かなことだった」と、したり顔に非難するつもりはありません。肝心なのは、どこからそうした空気が生まれ、ほとんどの一般人がそれ以外の選択肢を、どういうプロセスで考えられなくなって行ったか、ということだと思うのです。 私はしたがって、戦前の日本人一般の空気やものの捉え方を非難する気はないのですが、逆に言えばそれらを敗戦後になってから、十把一絡げにして「政府や軍部にダマされていた」と、簡単に他人のせいにして片づけ、自身の内部に生じた心理的矛盾をキチンと見つめない姿勢には、ずうっと飽き足らないものを感じるのです(これは敗戦後のいわゆる左翼、そしてその反動として生まれた右翼に共通した思考パターンです)。 確かに後になって、ときの政府の無為無策、あるいは軍部の無謀と暴走を指摘するのはいくらでも出来るのですが、結局それらも根本的にはそれを指示ないし容認する空気が、当時の全般的な日本人のマインドにあったわけで、一つの組織ないし集団が完全に独断的に国家国民を壟断するということはあり得ない。積極的ではないにしても、「これは仕方がない」と消極的でも認知する大多数がいれば、権力というのは容易に暴走するのです。 というわけで、今度はその反動というわけか、敗戦直後は「一億総懺悔」といった、これまたはなはだナイーブで、なおかつ真の意味での責任論をまるごと回避するような、浮ついた論調も生まれたのでした。 ときどきの時代の空気を理解するというのは、ひょっとすると戦争中の実体験を聞くことよりも、難しいのかもしれません。しかしそれらは全部ときの政府がしたこと、軍部がすべて仕組んだこととして、自らを反省しないのでは、同じことの再現がいつ起こっても不思議でない。 げんに戦争ではないにしても、今現在の日本は司馬さんが指摘された長い長い「第二の敗戦」を、もうすでに二十年近く続けているのです(二十年といえば一世代に限りなく近い、このかんに生まれ育った日本の若者が、容易ならぬマインドを醸成したとして、誰が非難できます?彼らは敗戦後の復興も、バブルの好景気も何一つ知らずに、かつての繁栄の残骸だけを見て大きくなった世代ですよ)。 では戦争の時代を知らない私たちの世代はどうすればよいのか?私がいつも感じるのは、今起こっている事柄、あるいはまた今どきの世間を覆っている空気のようなものは、かつての日本でも同じようにあったのではないか?現象としての今ある風潮を見るのではなく、それらの空気の起こりかた、醸成の仕方の中には戦前の日本人と同じマインドが潜んでいるのではないか?ということなのです。 同じような思考パターンに陥っているように感じるときが、どんな事柄であれ体験的にいって、私の場合にはどうもいちばん危ない、つまり失敗する時らしいのです。なので、私はいつも自身の内部に起こってくる感覚に、常に自分が生きていなかった(あるいは立ち会えなかった)時代の痕跡を探ります。もしそこにかつての日本人と同じような思考パターンを見い出すならば、おおむねそれはある一つの固着した思考に囚われている、と考える。 それがどこから来るものなのか?日本人に固有に限定された指向性なのか?あるいはまたおおげさに言えば人類一般、はたまた生き物一般に刻印された指向性なのか?ということなのですが。― つづく ―
2010.08.20
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はなはだ暑い最中で、しかもこのブログの主旨とは反するのですが、しばらく相当重い話をしようと思っています。 それというのも、例年八月になると八月六日の広島原爆投下から八月十五日の敗戦受諾の前後まで、いわゆる戦争報道が新聞でもテレビでも繰り返し流されるのですが、いったいこれは何を目的として報道されているのだろう?ということなのです。 基本的なスタンスは戦争の記憶とその悲惨さを強調し、かつその前提で平和を希求するというトーンで固められているのですが、敗戦後六十五年も経つとその種の報道のタネもさすがに尽きかけたか、かつての白黒フィルムを擬似カラーにしてみたり、「市民たちの戦争」と称して、かつての従軍経験者やここ最近では戦争の周辺にいた人まで、とにかく戦争の時代を生きた直接経験者の声を当事者が亡くならないうちに記録しておこう、という方向に傾いているようです(主としてNHKの報道内容を見て、言っています)。 それはそれで、無益とはもちろん思いませんが、グローバルに戦争というものを人間の歴史という文脈の中で考えた場合、こうしたアーカイヴの集積というのが、どれほど戦争そのものの抑止につながっていくのかどうか? こうしたドキュメントが戦争抑止の力を保持しているのかどうか、ということは(少なくとも日本では)敗戦後六十五年間毎年繰り返されながら、そのかん世界中で戦争がなかった時代はなく、むしろ米ソ冷戦が終わって以降のこの二十年間のほうが核拡散の危険が増しているという事実を見ていると、それの生み出す悲惨さや不条理を指摘するだけでは、戦争行為というものは永久になくならない、ということを意味しているのではないか?とさえ思えてくるのです。 では私たちが普段イメージしている戦争という概念には、何がしかの瑕疵(かし、きず・欠点・見落とし)があるのではないか?というのが、今回の話です。 これにかんして、何時だったか忘れましたが、かつてよく言われたことで、日本における戦争報道というか戦争ドキュメントさらにはその種の映画などというのは、得てして事柄を被害者の視点で語ろうとするバイアスが強くかかっていることが多い。で、最近はその反動というか、それでは不十分と見たか、今度は逆に加害者としての立場から戦争を語ろうとする報道もチラホラ見かけます。 前者に対する異議申し立ては、主としてかつての左翼系の識者ないしマスコミからなされて、かつての日本陸軍の大陸や半島などにおける暴虐行動を執拗に流し、それが結果的に相手国の対日政策に反映して、今に到っているのは記憶に新しいところです。当然のことですが、それに対するごくプリミティヴな反発として、保守系ないしネット右翼のような勢力が、旧軍と大東亜戦争の行為を正当化しようとしてくるのは当然の成りゆきでした。 さすがにここ最近はこうした両方の論議に不毛な感じを抱いたか、あからさまな主張は下火になっている気もしますが、基本的な話は何一つ収まっていないというか、たぶんまだ何も始まってさえいない、という気がするのです。 このレベルで戦争を論じたり報道しているかぎり、いくらかつて悲惨な戦争体験があったとはいえ、早い話、近場の領有権(竹島だの尖閣列島だの)の話などがこじれた場合、「国土を守るため」という大義名分の前では、大半の国民意識というのはそれが凄惨な事態を招くということが分かっていても、武力の行使にかんして反対することは容易ではないだろうし、逆にそれに反対するには、たとえ「国賊」呼ばわりされても、それに耐える相当な胆力が予想されるのです。 ここでの論議では、たぶんかつての戦争体験の悲惨さを伝えるアーカイヴというのはほとんど無力で、自国の利益とか権利の侵犯といった事態の前では、こうしたレベルの戦争報道というのは簡単に吹き飛ばされてしまう。つまり今まで反戦平和を呼号していた人たちが、いきなり国防軍に入って銃をとるという想定は、その人の内心の論理ではたぶん何ら矛盾が生じないだろう、ということなのです。かつて、愛国防衛を呼号していた人たちが、敗戦後平和主義に転じたことに、何ら矛盾を感じなかったように。― つづく ―
2010.08.19
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このR・シュトラウスが晩年に生み出した壮麗な音楽というのは、ドイツ敗戦後の寂寥感とすでにとっくに終わっていたはずの後期ロマン派音楽の真髄を余すところなく伝えていて、何度聴いても歌い手冥利に尽きるであろう素晴らしいイントロだと思うのですが、逆によほど自信のある歌手でないとオーケストラの響きに負けてしまう。ヤノヴィッツはカラヤンお気に入りのソプラノで、声の質からいってもベルリンフィル(ということは当時のカラヤン好み)の音によく溶け合って、奇跡のような響きを奏でていますね。 さてカラヤンだのバーブラだのバーンスタインだの、考えてみると私は当時のメジャーの指揮者だのミュージシャンに、ずいぶん簡単に同化していたのが分かります。これは例えばその当時読んでいた本が、学生時代の小難しい大江健三郎だの吉本隆明だのから、舌触りのよい司馬遼太郎や養老孟司さんに傾斜して行ったのと期を一にしていて、娑婆に出るとどうしてもさしあたって分かるもの、腑に落ちるものを生理的に必要とするようです。 今回、昔の私の音楽のお気に入りをSurfしていて、あらためて気づいたのですが、バーンスタインやバーブラ(私の心内では、親愛を込めてLennyやBabie)は、優れてかつてのアメリカ文明の間口の広さというか、懐深さを感じさせてくれて、私までの世代はまだまだそのころのアメリカ的なるものに、ヴェトナム戦争をあれだけボロクソにくさしながらも、畏敬を込めた親近感があったのです。今やそのアメリカからは、そうした魅力的な文化の発信源という色合いはすっかり失せてしまって、私の脳裏から消え去ろうとしています。今どきのアメリカ映画で、観る気がするのはC・イーストウッドだけになってしまいました。ヤッパリ年を取ったのですかね。 それにしてもNetをShrfしていると、とくに音楽の場合、題名はすっかり忘れているのに、メロディラインとか歌なら歌詞の一部だけが、何となく記憶に残っていて、なかば焦燥感に駆られて際限なくShrfを繰り返す、というハメになってしまいます。で、たいていそうした記憶というのは、何がなし甘酸っぱいニオイを伴なっているもので、音楽というのは意識化された散文的なコトバの奥に潜む、自身の原風景を垣間見させる特徴があるようです。 それは脳髄のどこかにしまってあった無意識の記憶というよりは、身体自身にアカのようにこびりついていた記憶を、じかに呼び起こすようなところがあって、その時私は何をしていたとか、何を感じていたとか、何を見ていたとか、(コトバや映像でハッキリとは)定かに呼び起こすことはできないにしても、かつて確かに自身が体験した事柄の、ある種夢にも似た不思議な実在感といったものなのです。 しかし肝心なのは、それらはすべて今現在の自分に起こっている事柄であって、過去の自分が正確にすべて再現されるなどということは、もちろんあるわけがない。過去の自分の事柄として、こうした感覚を整理し配列したがるのは、どうやら脳の仕業であるようで、正確にはこれらはすべて今現在の私に起こっている事象でしょう。三十年前の細胞がこの身体のどこにもその痕跡さえ残していない(少なくとも分子レベルでは)のと同様に、過去の事象というのは常に一回限りで、二度と同じことが再現されることはないのです。 さて、この種の余興もいいかげんにしておかないと、ダメ出しの可能性大なので、今回でおしまいとしたいのですが、最後に目下進行中の「源氏物語」のマイテーマをあげてみたいと思います(まあ遊びですよ)。作品を読みながらも、脳底に流れているこの物語にふさわしい音楽は何だろう?と思ったとき、この前半部までの帖で浮んでくるのは、ブルックナーの「交響曲第七番」の冒頭のテーマですね。 あちこちShrfしていたら、たぶんカラヤン/ベルリンフィルだと思うのですが、それがあったので、思わず聴き入ってしまいました。ここの第一主題のゆったりとしてゴージャスで、なおかつ哀感をおびた感じというのは、私などまことに単純にピッタリだな、と悦にいっていたものです。 さてこそ、「若菜」以降は?、「宇治十帖」は?という話になってきますが、まあそれは先の話。余興 ― おわり ―
2010.08.12
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彼女のLPを聴いていると、どうしようもなく、いささかメランコリックな気分になってしまいます。不思議なことは80年代以降彼女のニューアルバムを買わなくなったことで、これは一つには私自身の個人的な生活の変化もあったのですが、広く見ればLPレコードがCDに駆逐されていった時期と重なっているということもあるのかもしれません。 彼女のLPアルバムというのは、アメリカではほとんどすべてがミリオンセラーという、とんでもない記録があって、何がなし自立した強い女性の元祖のようなイメージもあったのですが、考えてみるとLPアルバムに映えるタイプのミュージシャンとしては最後の人の一人だったのではないか?という気がして仕方がない。同じような意味でカラヤンという人もLP最後の巨人と言うべきで、私はこの二人のCDを買ったことがないのです。 してみれば、私の買った最後のLPというのは何だったのかな?と今考えるに、どうも記憶が定かでない。レコードキャビネットをひっくり返せば分かるというものですが、それこそそんな暇なんかない。私の音楽三昧の旅はどうも80~90年代にかけて、さらにひょっとすると今に到るも長い空白があるのです。 その原因が奈辺にあるのか?娑婆の仕事の忙しさに紛れておった、と言えばごく月並みですが、このかん彼ら彼女らに匹敵するようなカリスマが現れなかった、ということもあるかもしれない。しかし、やはり根本的にはLPからCDへの移行というのが、オーディオ一般の持っていた大きな魔力の一つを奪い去ったのではないか、と思っているのです。 音質だの使い勝手などから言えば、はるかに便利なCDでしたが、そのときあまり意識されていなくて、今やハッキリと露わになって来ているというのが、たぶんやはり情報のアナログからデジタルへの移行ということでしょう。早い話、LPレコードをターンテーブルにのせて、いったん針を落せば、まず途中で聴くのを止めるということはしなかった、逆にCDの登場以降、音楽をブツ切りのようにして聴くのがあたりまえになって、スピーカーに向かって一種取り澄ましたような気分で聴きくことをしなくなった、ということだと思うのです。 カラヤンとかバーブラとかが奏でる、横を見て何かをしながら聴く、というような態度を許さないような音楽は、どうも今どきのデジタルコンテンツにそぐわない。早い話、こうやってNetを検索しながら、我が懐かしのLPの響きを、ごく手軽に見つけ出しても、どうも本当の記憶のシミとは微妙にズレている、という感じがするのです。 それもそのはず、それらの音楽をWebで見つけたとしても、かつてLPに針を落としてジックリと一フレーズも聞き逃すまい、というような一種畏敬のこもった聞き方を、今の自分がまったくしていず、まさしく情報をブツ切りにしてリンクさせることだけしか考えていない、というところに現れているのです。それでもって、これをキチンと聴きなさい、というのは(もしそういう人がいるとして)何ともおこがましい話でしょう。 とはいえ、こうしたツールがなければ、こんな独り言をクドクド開陳する機会というのもまた、なかったわけで、要はそうした今どきのツールの特徴のようなものを、多少は意識して使っていくしかないのかな、とも思います。私のような一介の素人が「源氏物語」について、あのようなおしゃべりを長々と続けることが出来るというのも、これまたデジタルコンテンツの賜物としか言いようがありませんから。 さて、またまた小難しい話になってしまいましたが、今日の終わりはやはり元祖カラヤン様のLPの中のお気に入り、R・シュトラウスの「最後の四つの歌」から「夕映えに(Im Abendrot)」を聴きましょう。G・ヤノヴィッツのソプラノとカラヤン/ベルリンフィルの絶妙のコンビネーション。第二次世界大戦後の48年に書かれた音楽ですが、ドイツ歌曲の終焉を象徴するような曲で、LPの有り難味がしみじみ伝わってくる音楽です。― つづく ―
2010.08.10
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余興というには、早くも話が重くなっていますが、マーラーの「大地の歌」などバーンスタイン/ウィーンフィルの奏でた第一楽章は、これがクラシックかと思うほどのスウィング感でドライブしていて、ジャズではないにしても、あの保守的なはずのウィーンフィルが、それこそ「大地よ割けよ、音よ割れてしまえ!」とばかりに、白熱の演奏を聴かせる。それほど滅多とない歴史的演奏で、当時あれほどバーンスタインに対して冷たかった日本の音楽批評家の態度が(少なくとも「暮らしの手帳」の音楽時評の態度は)一変したのをよく覚えています。 バーンスタインとその手勢のニューヨークフィルといえば、いつもアメリカ風のドンシャリ演奏の代表のようにして、こき下ろしていたのが、ウィーンで大喝采を浴びたとなれば、ものの言いかたも何だか少しずつ微妙になってきて、その後は例のストラヴィンスキーの「春の祭典」の彼のLPを、今度は口を極めて誉めそやす。若いころ盲信ではないにしても、そこそこクラシックに対していろいろいっぱしの口を利きはじめていた私など、おおいに困ったのをよく覚えています。その後私が世間の専門家の批評を一切聞かずに、当時一般の人気を二分していたカラヤンとバーンスタインに、猛烈に走り出したというのは前に話しましたね。 ま、しかしこれも話し出すと終わらない上に、この暑さですからまたの機会にしましょう。で、音楽にかんする余興の続きですが、そのころは気難しいクラシックばかりでなく、はなはだ気取った感じで女性ボーカルにも凝っていたのでした。友人たちがモダンジャズのLPだの、ニューミュージック系の新しいところを得意がるのをみて、たぶんに対抗する意味合いも最初はあったようです。 もともとが、たぶん「サウンドオブミュージック」のようなミュージカル映画が発端だったと思うのですが、ある折りに聴いたBarbra Streisandの「People」に衝撃を受けて、その後十年ほど彼女のLPを続けて買い求めるというハメになりました。初期の「My Name is Barbra」から、「Stoney End」などを経て、たしか「Songbird」あたりまで、ほとんどのLPを買っていたのですが、アメリカでのたいそうな人気に比べると、日本での評価は多少マニアックなレベルに止まっていたようですね。 一人のボーカルを追いかけるということは、私の場合ほとんどなくて、一時期Carole KingだのJanis Ianだの(何だかユダヤ系の人が多いですね)を聴いたりもしたのですが、これほどに深みにはまるということはなかったのでした。 バーブラの歌は長年にわたって傑作ぞろいで、どれがベストとかいちばんのお気に入りなどということは、とても出来かねる話なのですが、それぞれの年齢の気分にちょうどフィットした曲というのは、やはりなかなか忘れがたい。例えば日本ではまったく話題にならなかったミュージカル「Yentl」。たしかサントラ盤では、久しぶりにM・ルグランが編曲していて、彼女らしさがよく出ているなと思ったものでした。この映画もいろいろ思い出があるのですが、まあこれも別の機会にしましょう。 そうした中で、あえてもっとも私のお気に入りをあげるとすれば、「Songbird」の中のNeil Diamond 作曲You Don't Bring Me Flowersで、ミュージカル歌手としての表現過多がほどよく抑制されていて傑作だと思います。 まあ、それにしても音楽というのは、じかに過去の思い出とか感覚とかにくっついているので、しゃべりだしたらキリがないですね。― つづく ―
2010.08.09
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音楽の余興を続けます。前にも何度か触れ、一度はシリーズで語り尽くしたいと思っているのですが、私のクラシック音楽のお気に入りは、結局のところシベリウスとマーラーに集約しているような気がするのです。で、その原因というのがやっぱり、子供のころ聞き耽っていたドボルザークやチャイコフスキーから、中高生のころ誰にでもある到って生意気な心身の転換期に、文学とか思想とか音楽とか、要はもろもろのいわゆる世の大人が、表立っては推薦しない、あるいはハッキリと眉を潜めそうな事柄に、むやみに惹かれて悦に入っている時期というのがあって、私のクラシック音楽の原体験というのは、どうもその時期に収斂されているらしいのです。 しかし考えてみると、そのころの私というのは、他の皆さんもそうだと思いますが、何も小難しい文学とか音楽に限らず、要は大人がそういう存在を知っているらしくて、それを我々にどうやらキチンと開示していないすべてのものに対して、とにかく苛立っていた時期だということでしょう。で、その代表的なものはといえば、当然「性」の話になってくるわけです。 子供と大人の転換点というのは、どうやら「性」に絡む要素が大で、あたりまえの話ですが、大人は絶対にそれらを子供に開示しません。子供はいわばそれらについては、「自前で他所から盗み取ってくるしかない」わけです。子供が何かにつけてこの時期、親の理解不能の事柄を繰り返す、というのは、そうした存在するのが明らかなものでありながら、開示されないもの、というより「自前で手に入れるより他ないもの」というのが、どうやらこの世にはあって、しかもそれを手に入れないとまともじゃないらしい、要はフツーの人間(大人)になれないらしい、という焦燥感にずうっと取り付かれている(まあこのあたり、男の子と女の子で、多少その振るまいかたに、違いがあるかもしれませんが)。 これならうちの親でも絶対眉を潜めるだろう、の閾値を確かめるのに、あるいは私より少し上の世代ならビートルズだの反戦フォークだの、要は大人が困るものなら何でも良かったわけで、それがたまたま私(とその周辺)の場合、19世紀末から20世紀初頭のクラシック音楽だったわけです。国民楽派に理解を多少は示した親でも、マーラーの「大地の歌」とか、シベリウスの「タピオラ」を毎日大音量で流されては、たまったものではなかったでしょう。 ことさらに渋面を作って、大音量の4チャンネルサウンドに耳を傾ける。当時の気分としては、さしあたって自分が心地が良いから、ということではなくて、ほとんど大半の関心事は「これなら誰も理解できるまい」という、はなはだヒネた気分で聞いていたわけで、やっぱりなかなか問題児だったですね! それにしても、ここに取り上げたユーチューブ、かたやは今は亡きバーンスタインのたぶんイスラエルフィルとの歴史的ライブ(私はやっぱり彼のウィーンフィルとの火の出るような初版LPが好きですね)、かたやは私が買ったR・マゼール/ウィーンフィルのLPそのままズバリで、ホントにこんなのアップして好いんですかね?― つづく ―
2010.08.08
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我が家はエアコンが嫌いで、今どきはなはだ無用心なことですが、夜中も三方の窓を開けっ放しにして、何とかこの暑熱を凌いでいます。とはいえ、朝の六時を過ぎると外気温がみるみる上がってくるのが、寝ていてもよく分かるので、寝不足で苛立たしい気分であっても、とにかく汗をかかないうちに寝床を飛び出します。寝覚めたときに汗をかいて、パジャマがジトジトというのは最悪ですからね。 それならいっそ夜昼逆転させて夜の白む朝四時ぐらいから、あれこれ頭をひねるのはどうかとも思うのですが、そこはそれ昼間の娑婆の付き合いとの絡みもあって、おいそれとは行きません。じつを言うと、梅雨明け以来窓を開け放して寝ているのですが、朝まだきに鳥の声が意外と賑やかなことに気付かされる。どころか、うるさくて目が覚めてしまうのです。これはどうも年取った証拠でしょうか? いったん目が覚めると、寝不足と分かっていても、床を離れてしまうのが私のクセで、ふたたび強烈な眠気の襲ってくるまでの二、三十分間のうちに想念をまとめる。これがまとまらないと、今度は割れるようなセミの声のシャワーで頭がボウッと霞んでしまう。結局今度はフローリングの上で、ゴロ寝ということに相成ります。 さて、そういう朝が続いているので、今日は一種の余興ということで、ちょっとヤバイことをしてみたいと思っています。ネット上に溢れている音楽、中でも動画サイトのユーチューブには、ときに「大丈夫かいな?」という類の動画が流れていて、これはどうみても著作権を侵しているんじゃないか、というのもある(というか、私がこれから取り上げるのは、たぶんほとんどがそうでしょう)のですが、それでもなおかつ、中には私が聴いておきたい、あるいはかつてLPレコードで大事に保管していたものも、他愛ないほど大っぴらに出回っているわけで、一体それがどれほどのものか以下にあげてみようと思っているのです。 この場合当然リンク先が勝手に閉じられても、如何ともしがたいので、そのあたりは了解して下さい。なぜこんなことをするのかというと、要は多少悪いこととは分かっていても、我が身の記憶をたどっていく時に、かつて聴いた道すがらの音楽というのも、これまた失われた本と同じく、あるいはひょっとするとそれ以上に、過去のニオイを呼び起こすものなので、それを書き止めておこうとする場合に、こうした電子媒体はとても便利で、いちいち音楽の中身を説明する必要がない。 しかしそんなことをしていると、いずれ映画の一シーンもこうした動画サイトで切り貼りされて、個人ブログの記憶媒体に加工され得る(画像の記憶は、当然活字よりも音楽よりも強烈です)わけで、なかなか厄介なのですが、まあ取りあえずは好いか、ということで。 その一つが、神尾真由子さんがチャイコフスキーコンクールで金賞をゲットした時の、シベリウスの「ヴァイオリン・コンチェルト」。テレビで一部ビデオが流れていたものの、全曲を通しで聴く機会がなかったので、これはぜひ一度聴きたいと思っていたものでした。音も画像も相当悪いです(何しろロシア製?)が、彼女の気合が乾坤一擲の火花を放っていて、これは聴く値打ちがありますよ。 それにしても、シベリウスのこのコンチェルト、いつぞや吉田秀和さんもおっしゃってましたが、ロマン派と国民楽派あるいは二十世紀初頭の印象派他の現代音楽勃興という端境にあって、このタイミングでなければ絶対現れなかったであろう、まことに不思議としか言いようのない響きをもった音楽ですね。 冒頭に流れる長いヴァイオリンのソロ、一般にゆったりしたテンポで朗々と聴かせる演奏が多いのですが、神尾さんはそのあたり、さすがにあまり思い入れが過度にならないように、若干テンポを速めているように聴こえる。じつはこの冒頭の主題、しばらく聴いていないと早いのか遅いのか判然としないところがあるのです。私がこのコンチェルトを初めて聴いたのは、D・オイストラッフ、E・オーマンディー、フィラデルフィア・OrのLPでしたが、この人のはもっと決然として早くて、その演奏とは別ですが、それをすっかり聴きなれていた私には、その後五嶋みどりさんとか、アンネ=ゾフィ・ムターの思い入れたっぷりの弾きかたにすっかり戸惑ったものでした。― つづく ―
2010.08.07
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それにしても、どれだけ見映えを変えたところで、並んでいる本の中味ばかりは如何ともしがたく、このたびの本屋さんめぐりで、どれだけ書棚の間を徘徊しようが、並んでいる本そのものから驚きが出て来るわけではない。そういうことなら古本屋さんめぐりのほうが、「未知との遭遇」の機会は多いでのでしょうが、私はいかなる意味でもフェティッシュな本マニアではありません。 前にも少し触れたことがありますが、私が若いころ読み耽っていた本で、何やかやのゴタゴタで、いつの間にやら無くなってしまった本というのが、こうした大書店ならあるかもしれない。こうして時々本屋さんを訪れる大半の理由は、どうやらそうしたことなのです。 そんなこと、ネット検索で済むじゃないか、と言われそうですが、失われた本の記憶というのは、その造本というか背表紙とか扉に刻まれた刻印とともに、ごく視覚的手触り的な記憶として残っていて、ハッキリとはタイトルも著者も、まして出版社名も思い出せない。だけど実物を書棚に見つけて、それを手にとって扉を開くとき、初めて読んだころの感覚が、その周辺の記憶とともにありありとよみがえって来る。一冊一冊の本に染みついた記憶には、その周辺にボヤッとしたシミのような拡がりが、原子核を取り巻く電子の雲のように覆っていて、どこまでがどれだというような境界面の特定など出来ません。 こうした感覚というのは、どうも電子書籍では味わえないもののようです。電子パッドに気に入った本を千冊も二千冊も好きなだけ取り込めると言われても、それがどうしたという気がするのです。 電子書籍の効用は、やはりデータ的な活用にのみその効果を発揮するので、一冊一冊の本が放つこうした微光のような輝きは、それを手にとって読んだ人の指先と目線で刻まれた記憶でしょう。そういう意味で、これも以前話したことがありますが(インテルメッツォ 50.2009年11月26日)、図書館の活用というのも、読書という優れて個人的な行為とは、その公共性という性格からは馴染まないところがある、と私は思っているのです。 データ的活用とは、一冊一冊の本に刻まれた活字が、自ずから生み出している時間性を、バラバラに解体していくという行為をいうので、電子パッドからは実際の本の扉を開けたときのような、そうした時の経過という感覚は出て来ようがないのです。早い話、活字の間に動画や写真が現れたり、語句の説明が出て来たり、文字を拡大したり字体を変えたり、横書きを縦書きに表示したり、あげくに関連書籍の宣伝が現れたりと、およそ書籍を読むという行為で考えられる利便性を、ほとんどすべて備えているといってよい電子パッドなのですが、「そこまでやってくれるなら、いっそイチイチ活字を読まなくても、自動的に中味が頭に入るようにしてくれ」と、今どきの怠惰に慣れた脳ミソはすぐ思ってしまうでしょう(実際SFの世界では、そういうふうに一瞬にして記憶を頭に焼き付ける、フラッシュメモリーのようなツールが日常茶飯的に登場しますね)。 でまた、そこでそれがどうした、バラバラに解体された活字に何の効用があるのか、ということになって来ます。養老さんが言われるごとく、データ=情報には時間性が無い。ここでいう時間性とは、身体性という言葉に置き換えてもよいので、頭は限りなく効率を(手抜きを)求めてデータ的処理を希求するけれども、身体はどこかで手間ヒマのかかる時間を掛けてやらないと、物事が本当には完全に腑に落ちていないところが(少なくとも私には)ある。 これは間違いなく私たちが生身の身体をもった、生き物であるところから来る感覚なので、身体性とはどうやら時間そのものの感覚であるようなのです。平たく言えば何事も、頭で分かっていても、実際に手を下すには、しかるべく手間がかかるということで、生身である私の身体に物事を納得させるには、手間ヒマを掛けるしかない。 というわけで、我が身の過去を発掘する考古学者のような気分で、相変わらず私はベタな本屋さん巡りを繰り返すということに相成ります。今回「ああやっぱりな」とため息をつきながらも(そのため息だって、本屋さんに行く値打ちの一つですよ)、一つだけ収穫をあげるとするならば、以前から探していてどうしようもなく「ネットで古本を買うしかないか」、と思っていた本が一冊だけ見つかったことでした。 それは例の、西郷信綱さんの「古事記の世界」(岩波新書)で、これはたまたま残っていたのではなく、復刻版として最近出たようですね。私の高校大学時代の記憶満載の本なのですが、長く絶版になっていたのでした。それにしても西郷さんが亡くなったのは、つい二年ほど前なのですが、復刻というのは何とも考えさせられてしまいますね。 どんな文章かというと、― 一般に古典の注釈では、文法的規範や辞典的権威がのさばりすぎており、かかる科学的主義が古典の解釈を毒している例は、ほとんど掃いて捨てるほどあるといえる。これは、科学という概念が動詞的に働かずに名詞的に凝固し、研究者が古典の言葉を、絶対的観察者の椅子に坐って、過去の言葉として、あとから見ていることに関連する。 … 対話という水準はしかし、研究者にこうした観察者の椅子から、現在形の話す主体(Speaking Subject)との共犯、からみあいの関係にまで降りてくること、すなわち相手にいうことをきかせるのではなく、そうかといって対象埋没的にこちらが自己を放棄するのでもない相互的な立場に立つよう呼びかける。 ― 西郷信綱「古事記の世界」(岩波新書)より 四十年ほど前に、わけが分からぬままに、それでも好んだ言葉つきとか用法とかが、ありありと浮んでくるのですが、今どきの居並ぶ新書コーナーで、このような文章というのは、はたしてお目にかかることが出来るのでしょうか?
2010.08.06
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新しい建物が出来れば、とりあえず様子を見てくる、というのは昔からの私のクセですが、このSMは事業主体が倒産したこともあって、建物自体は昨年の秋ごろには完成していたのに、その後の運営について何やかやすったもんだがあったようです。私の関心は京都駅ビルと同じく、建物自体ではなく中に入っている店、それも電器屋さんと本屋さんの二つだけで、あとはハッキリ言ってどうでもよろしい。 で、電器屋さんの方はというと、完全にパソコン系に特化した感じで、しかもマニアックの度合いで言うと、同じ系列の前の店より薄っぺらくなった感じ、これはたぶん京都駅周辺にすでに建ち、さらに北側に建ちつつある家電量販店を意識してのことでしょう。というわけで、私のお目当ては本屋さんだけになってしまいました。 これも最近の大型書店の習いを絵にしたような造りで、あくまでスペースを広く天井も高く、検索システムも完備、いわゆる図書館型の店作りで整然とした感じ。かつて河原町界隈にあった老舗の書店のような、狭くてちょっと猥雑な感じというのは、この手の大型書店には望むべくもありません。京都もこうした言わばヨソ行きのなりをした本屋さんが主流になって、各店ごとにちょっとずつニュアンスの違いがあったころ、河原町をしょっちゅう彷徨していた私は、すっかりそちらに行く機会がなくなってしまいました。 私のようなかつての河原町人種を、もう一度真剣に呼び戻したいのなら、いっそ昔ふうの長屋仕立てで、どこまでも奥が深くてそこに何があるか分からない、そういう本屋さんがないとムリかもしれません。まあこれは別の話。 さて、実際に足を踏み入れると、最初はどこに何が置いてあるか、少しは戸惑うものの、こうした大型書店で何がしかの驚きを期待するというのはムリというものです。すべてはキチンと揃っていて、今手に入るもの入らないものも、ただちに分かるように、さらには本の中味も気が済むまでソファで吟味出来るようになっている(そこまで吟味したら、そのあと買ってもちっとも新鮮なドキドキ感がなくなってしまうのではないかしらん)。かつて立ち読みしながら、買うか買うまいか、本の中味と値段と自分のフトコロ加減を斟酌しながら、狭い通路で首をひねるといったスリルはここにはありません(本を買うとは、一種ギャンブル的な快感があるのです)。 すべては最近の売れ筋を中心として、放射状に分かりやすく並べてあるので、忙しがりの現代人には便利なのかもしれません。 さて今どき、手軽な知的快楽の入手法として、すっかり定着した感のある「新書ブーム」。本屋さんに行けば、表題だけでほとんど中味の察しがつくような新書など、ほとんど毎日新しいのが出ているような気さえします。それもそのはず、この手の新書の売れ行きというのは、ほとんどそのタイトルで決まるそうで、例の「バカの壁」など中味は他の養老本に比べると、かなり安直なインタビューで済ましている感じがするのですが、売れ筋というのはそういうこととは関係がないらしい。 多少でも気分を換えて頭をほぐす必要を感じる現代人にとって、養老さんの話というのはちょうど具合が良いので、かく言う私も以前からこの人の本はちょくちょく読んでいたものでした。このブログで触れた数少ない新書とは、いわゆる売れ筋にあたるもので、ギョーカイでは「ヨウロウ本」だの「フクオカ本」だの「ウチダ本」だのと言われているそうです。 これら三人に加えて、私のひそかな趣味で「ハシモト本(知事の橋下さんじゃないですよ、橋元淳一郎氏の本)」を含めると、これらに共通する新書本の特徴が浮んで来ます。それは同時に私のような趣味というか、性向の持ち主が、この世にけっこう大勢いるらしいということも、表わしているような気もしているのですが。 簡単にいうと、これらの人たちに共通しているのは、独創的な考え方で世の中を裁断する、というのではなしに、今まですでにあって充分認められている考え方や物の見かたを、もう一度今ふうな角度で見なおす、それも出来るだけ魅力的な今どきの言葉で語る、というやりかただということです。養老さんなど「完全な独創性などというのは、取りもなおさず他人は絶対誰も理解できない、ということじゃないか」と言われてますね。 まあ確かに、世に喧伝されている世界観とか手法を根底的に覆す、というような理論とか思想などというのは、百年に一回か二回あれば充分というか、それ以上に独創的な世界観のようなものが、次々現れてきては我々の頭の中は混乱するばかりで、忙しすぎて困ってしまうでしょう。
2010.08.04
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こんなに破壊的な猛暑が続くと、タダでさえ行き詰まり感のある頭の中が、ハチハチになってどうしょうもない。こういう時は、あえて昼日中を選んで無理無体にウォーキングで外へ飛び出すか、近所のSCに駆け込んで涼むかしかないのでしょうか。 そういえば、同じ系列のSM(ショッピング・モールのことですよ)が京都駅南口の方に出来たと思ったら、たちまち電気室からのボヤ騒ぎ、何やら「タワーリング・インフェルノ」の出火原因を彷彿とさせますが、こうした巨大構造物というのは、いくら設計理論上の整合性が保たれていても、実際に稼動しだした時にどんなことが起こるか、というのはそれこそ動かしてみないと分からない、というところがあるらしいのです。 かつて世界一の超怒級戦艦として世に現れた大和と武蔵、その巨大さゆえに実際にその船体が稼動すると、思いもしない挙動が現れる。そのあたりの様子は大岡昇平の「レイテ戦記」に詳しいのですが、例えば世界に冠たる四十六センチ砲が火を吹くと、その爆炎が艦体全体を覆って視界が悪くなる。さらにこの主砲を撃つときには、甲板の兵士は衝撃波を避けるために身を隠さないといけないのですが、実戦では指令が円滑に伝わらなくて、兵士が吹き飛ばされたとか、その衝撃が大きすぎて電波探信儀(レーダー)が壊れたとか、理論上こうであらねばならぬ、という期待値と、実際にはこうであった、ということの落差は、その巨大さかげんに応じてごく単純に大きく現れるもののようです。 早い話、この四十六センチの巨砲は、一発も敵艦にあたらなかったらしいのです。見敵必中の精神は、その巨大化によってもろくも崩れ去って、今やその伝説だけが巨大化しています。 同じような話は、原発とかジャンボジェットとか人間の主観を超えるような巨大技術が出てくる時には、必ず生じる事柄のようですが、今やそれらは専門家の間中ではなしに、私たちの日常に触れる所まで来ているようです。 というわけで、騒ぎがあれば一応どんなところなのか、その現場を見ておきたいというのは、火事場の野次馬と同じような下衆根性なのですが、その巨大SMを先日見に行って来ました。大きく二棟の建物があって、テナント180店舗のほかに、シネコンだの本屋だの電気量販店などが入っているらしいのですが、なにしろフロアがデカいので何となく持て余している感じ。まあ新しいので落ち着かない雰囲気なのは仕方がないのでしょうが、人間というのはあまりに広い場所には、長く居られないものらしい。実は京都駅では以前に駅ビル自体を巨大化したという経緯があって、逆に北側の駅前の景観を、どうしようもなく息苦しくしたという前科があるのです。 何となくヨーロッパ風の高いガラス天井を意識した駅舎は、おそらくコンペの設計者の趣味だからしょうがないにしても、実際にそれを京都駅で出現させたらどうなるか、これまたその巨大さゆえに実際に建ててみないと誰にも(おそらく設計者本人にも)分からない、というところがあったのではないか。この徹は前の「京都タワー」で、痛いほど京都の人は分かっているはずなのに、なぜか異議申し立てをする人がいないというのは不思議でしょうがない。 この京都駅舎、高さを三、四階削って低くすれば、ずいぶん景観が軽くなったと思うのですが、今の様子はまるで北側の広場にのしかかっているように重い、その結果何やら設計者が手を尽くしたらしいデコレーションもいかにも冴えてこない、という仕儀になるのです。実は同じようなデコレーションをほどこした駅舎が、近鉄学園前駅にあるのですが、こちらは大きさが手ごろなせいか、周辺の建物とさして違和感がないというか、何よりも駅から出たときの空が大きく見えるのです。 どうもこのあたり人間の想像力の守備範囲というのには限りがあって、それ以上のものに手を出すときは、何がなし非人間的要素が顔を出す、要は何が出来してもしょうがないと思ったほうが好いようですね。東京にも巨大タワーが出現しておおいに話題になっているようですが、設計者の趣味以外のところで、こうした巨大建造物の何が面白いのだろう、と思ってしまいます。 まあ他所のことにあまり目くじら立てても仕方ないのですが。さて例によって、前置きが長くなって、かんじんのSM(ショッピング・モールですよ)の話が出来なくなってしまいました。この話は次にしましょう。
2010.08.02
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