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― ゑみ給ひぬべきを、念じて、 「いと、あやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも、おぼしのたまはましかば、まづ、人の先に、奏してまし。太政おとゞの御むすめ、やんごとなくとも、こゝに、せちに申さむことは、きこしめさぬやう、あらざらまし。いまにても、申文をとりつくりて、美々しう、書き出だされよ。長歌などの、心ばへあらむを、御覧ぜむには、すてさせ給はじ。うへは、そのうちに、情けすてずおはしませば」と、いとよう、すかし給ふ。人の親げなく、かたはなりや。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 噴き出しそうになるのを、こらえて、(内大臣は)「ずいぶん、妙に、遠慮深いお癖で(いらっしゃいましたな)。そのようにも、おっしゃっていただいておれば、何をさておき、他人より先に、(あなたを)ご推薦したものを。源氏の大臣の御娘(玉鬘)が、(いくら)目出たくしていらっしゃるとはいっても、こちらから、ぜひにとも申上げるならば、(帝が)お聞きにならないというようなことは、あるまい。今からでも(遅くないから)、申し文を用意して、キチンと、書きなされませい。長歌などの、心得のあることを、ご覧になれば、お見逃しにはなさらんでしょう。帝は、その中でも(とりわけ)、風流味(のあるもの)は放っておかれないからね」と、ずいぶん巧みに、お騙しになる。人の親とも思えない、ひどい話だこと。 ここの「人の親げなく、かたはなりや」というのは、語り手の感想で、いわゆる「草子地」ですね。 しかし近江の君は、すっかりそれを真に受けて、正式の書面の書き方などを、父大臣に手を合わせて教えてもらおうとするので、― 御几帳のうしろなどに聞く女房、死ぬべくおぼゆ。物笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も、御おもて赤みて、「わりなう見苦し」と、おぼしたり。 「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」とて、たゞ、わらひぐさにつくり給へど、世の人は、「恥ぢがてら、はしたなめ給ふ」など、さまざま言ひけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 御几帳の陰などで聞いていた女房たちは、(面白すぎて)死にそうな気がする。笑うのをこらえられない者たちは、(そこから、そっと)すべり出して、ホッと息をつく。(横で聞いている弘徽殿の)女御も、お顔が赤くなって、「気の毒で見てられないわ」と、お思いになった。「何とも気分が冴えないときは、近江の君に会うに(かぎるよ)、万事気が紛れるからな」と、(内大臣は)笑い者にしていらっしゃるが、世間の人々は、「(こういう姫を持った、ご自分が)恥ずかしいから、(わざと)ひどく扱ってらっしゃるのさ」などと、いろいろうわさし合っている。 さて、このくだりで「行幸」の帖は終りなのですが、全般の玉鬘をめぐる出仕の件、大宮を介しての内大臣と源氏の折衝、そして裳着の式と続いた本筋に比べて、おしまいがずいぶん軽くなっているのはなぜでしょう。爾来、紫式部は重たい話のあと、多少軽めの、あるいは今回のような「ヲコ」話を、交互に入れる場合があるのですが、今回は「近江の君」が気鮮やか過ぎて、本筋がむしろ霞んでしまう。 これは取りも直さず「玉鬘十帖」の「求婚譚」という本筋が、ちっともうまく運んでいないことに起因しているので、だからというわけじゃないですが、私のおしゃべりもだいぶ脱線して、末摘花と近江の君という二人の「ヲコ」のヒロインの話を長々としています。― つづく ―
2010.03.31
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最後は内大臣の登場となって、この一連の「ヲコ」話は終りです。― おとゞ、この望みを聞き給ひて、いと花やかに、うち笑ひ給ひて、女御の御かたへ参り給へるついでに、「いづら、この近江の君。こなたに」と、召せば、「を」と、いと、けざやかに聞えて、出で来たり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 内大臣は、この(近江の君の)願いをお聞きになると、たいそう高らかに、お笑いになって、女御のもとへ参上されるついでに、 「出てらっしゃい、そこの近江の君。こちらへ」と、お召しになると、(近江の君は)「おう」と、ずいぶん、ハッキリした返事をして、出て来る。 ここの、― 「を」と、いと、けざやかに聞えて、― の語感が、「ハイ」とか「ハッ」とかでなく、何となく内大臣家の闊達な空気を感じるので、男言葉なのですが、「おう」と読みたい気分に駆られます。何だか今どきの女子運動部で聞かれるような返事ですね。― 「いと、つかへたる御けはひ、おほやけ人にて、げに、いかにあひたらむ。内侍のかみのことは、などか、おのれに、とくは物せざりし」と、いとまめやかにて、のたまへば、「いと嬉う」と、思ひて、 「さも、御気色賜はらまほしう侍りしかど、「この女御殿など、おのづから、つたへ聞こえさせ給ひてむ」と、頼みふくれてなむ、侍らひつるを。なるべき人、物し給ふやうに、聞き給ふれば、夢に富したる心地し侍りてなむ。胸に手を置きたるやうに侍る」と、申し給ふ。舌ぶり、いと、物さはやかなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「ずいぶん、(熱心に女御に)伺候しているご様子(を見れば)、公の(宮仕え)人としても、まったく、どうしてふさわしくないことが(あろう)。(そなたが望んでいる、という)尚侍の件は、どうして、私に、サッサと申さなかったのか」と、たいそうマジメそうに、おっしゃるので、(近江の君は、たちまち)「まあ嬉しいこと」と、思って、 「そのようにも、ご内意をいただきたく思っておりましたが、『この(弘徽殿の)女御殿などから、自然に、伝え聞きなさるだろう』と、すっかり当てにして、おったのですが。(ところが、尚侍に)なるらしい方が、(他に)いらっしゃるように、お伺いしたので、(何だか)夢で金持ちになったような気が致しまして。(今では)悪い夢でも見ているような次第でございます」と、お答え申上げる。話し振りは、(相変わらず)たいそう、滑らかである。 内大臣は、もちろん最初から、まともに応対する気などなくて、要は日頃のウサ晴らしで近江の君をからかいたくなったのでした。― つづく ―
2010.03.30
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弘徽殿の女御に怨みごとを言ったかと思えば、こんどは弟の柏木に食ってかかり、さらには殿上人のしきたり全体にあてつけを咬ます。近江の君の怒りは鎮まる所がないのですが、その怒った表情がかえって殿方には愛敬づいて見える。 以下、紫式部のいわば「世話物」的手練が、よく表れていて(私は好きなので)、少し長くなりますが、― 中将は、かくいふにつけても、「げに、あやまちたる事」と思へば、まめやかにて物し給ふ。少将は、 「かゝるかたにても、類ひなき御有様を、おろかには、よも思さじ。御心しづめ給うてこそ。かたき巌も、沫雪(あわゆき)になし給うつべき御気色なれば、いとよう、思ひかなひ給ふ時もありなん」と、ほゝゑみて、いひ居給へり。中将も、 「天の岩戸、さし籠もり給ひなむや、めやすく」とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、 「この君だちさへ、みな、すげなくし給ふに、たゞ、御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」とて、いと、かやすく、いそしく、下臈・童べなどの仕うまつり堪へぬ雑役をも、たち走りやすく、惑ひ歩きつゝ、心ざしをつくして、宮仕へしありきて、「内侍のかみに、おのれを申しなし給へ」と、せめきこゆれば、あさましう、「いかに思ひて、言ふ事ならむ」と、おぼすに、物も言はれず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (柏木の)中将は、(近江の君が)このように言いつのるにつけても、「まったく、(彼女を連れて来たのは)失敗であった」と思うので、マジメくさってお聞きになっている。(弟の弁の)少将は、 「こちらのほうでの、例のないような(あなたの)お勤めぶりを、(弘徽殿の女御は)おろそかには、よもや思われますまい。お心を鎮めてくだされ。堅い岩も、淡雪のように(粉々に)砕いてしまわれるほど(元気なあなた)なのですから、よくよく、望みの叶いなさる時もあるでしょうや」と、ニヤニヤしながら、言ってすましておられる。中将も、 「(いっそ)天の岩戸に、お籠もりになったら(いかが)、(そのほうが)無難では」と(言い捨て)て、お立ちになろうとするので、(近江の君は、たちまち)はらはらと涙ぐんで(今度は)、 「この公達まで、みんな、(私を)バカになさる、(ここはもう)ただただ、(弘徽殿の)御前のお心だけが優しくていらっしゃるので、(おすがりして)仕え申すのです」と言って、(これまた)ごく、簡単に、いそいそと、(前にも増して)下臈や童などもお仕えしかねるような雑役も、足軽く、(あちこち)歩き回って、心を込めて、宮仕えし申し、(二言めには)「尚侍には、(ぜひ)私をご推薦下さいませ」と、せっついて来られるので、(弘徽殿の女御は)あきれて、「(いったい、この人は)何を考えて、言っているのやら」と、お思いになって、物もおっしゃれない。 ここのくだり、それぞれの気性や考えかたが、気鮮やかに出ていて、とびきり面白いのですが、それもこれも近江の君というチグハグなキャラクターが、殿中を動き回ることによって、生じているのです。 この話はさらに続きます。― つづく ―
2010.03.29
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かわって長男の柏木が、応対するのですが、― 「しか、かしづかるべき故こそ、物し給ふらめ。さても、誰が言ひし事を、かく、ゆくりなく、うち出で給ふぞ。物言ひたゞならぬ女房などもこそ、耳とゞむれ」 と、のたまへば、 「あなかま。みな、聞きて侍り。内侍のかみになるべかなり。「宮仕へに」と、いそぎ出で立ち侍りしことは、「さやうの御かへりみもや」とてこそ、なべての女房たちだに、仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。御前の、つらくおはしますなり」と、うらみかくれば、みな、ほゝゑみて、… ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「しかるべく、大切になされるわけが、おありなのでしょう。それにしても、(どこの)誰が言っていたことを、このようにも、出し抜けに、おっしゃるのです。(それこそ)口うるさい女房たちの、耳に入ったら(たいへんですよ)」と、お答えすると、 「まあうるさい。みんな、お聞きしておりますわ。(その方は)尚侍になるそうですね。『(私が、ここに)宮仕えに』と、急いで参上致しましたのは、『そのようなお引き立ても(あろうか)』ということだからこそ、そこらの女房たちでさえ、ようしないようなことまで、進んで致しておったのです。御前は、(私に)辛くあたっていらっしゃるのですわ」と、(弘徽殿の女御に)怨みごとを言うので、皆は、微笑みながら、 … 田舎の乳母のもとで育った近江の君、優雅な物腰よりは、はるかに物事を打算で判断するのは、まぎれもなく平民の振るまいでしょう。こうした時に目上の者でも、簡単は引き下がらないのは、かつて明石の入道の土地を預かっていた管理人の、入道に対する仕方を思い出させます。 それにしても明石の方も玉鬘も田舎育ちのはずですが、いずれも都から落ち延びていった家族の話、近江の君は詳しくは語られませんが、おそらく父内大臣が若かりしころ、荘園経営の手下の妻などに手を出した結果でしょう。実母は早くに亡くなったとありますから、彼女の側に都を直接知る人はいなかったのです。平民の振るまいかたや表現が、貴族のような婉曲話法でなく、直接的な関西風に言うと「えげつない」物言いになるのは、逆にそれだけ平民に対する収奪が激しかったことを示唆します。― 「「内侍のかみあかば、なにがしこそ望まむ」と思ふを」 「非道にも、思しかけけるかな」と、のたまふに、腹立ちて、 「めでたき御仲に、数ならぬ人は、まじるまじかりける。中将の君ぞ、つらくおはする。さかしらに迎へ給ひて、かろめ嘲り給ふ。少々の人は、え立てるまじき、殿のうちかな。あなかしこかしこ」と、しりへざまにゐざりしぞきて、見おこせ給ふ。憎げもなけれど、いと、腹悪しげに、目尻ひきあげたり。 「『尚侍の(職に)空きがあったなら、こちらからお願いしよう』と思っていたのに」(と柏木が言い) 「(これまた)無茶なことを、お考えになったものですな」と、(弁が)答えると、(近江の君は)腹を立てて、 「ご立派な(ご身分の)お仲間に、取るに足りない(私のような)者は、立ち混じるべきじゃなかったわ。(そもそも)中将の君(柏木)が、ひどくていらっしゃる。したり顔に(そっちの都合で、私を)迎えなさって、(あげくの果てに)バカにして笑い飛ばしていらっしゃるのですわ。たいていの人は、とても(じゃないが)やってられない、御殿の内ですこと。あ~あ、恐ろしや恐ろしや」と、後のほうへ引き下がりながらも、(柏木を)睨んでいる。憎たらしくはないけれど、たいそう、意地悪げに、目尻を吊り上げてみせる。― つづく ―
2010.03.28
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さて玉鬘の御裳着の式は、予定通り賑々しく六条院で執り行われるのですが、内大臣は源氏のやりように疑心を抱きつつ、実の娘とあらばやはり気になるので早い目に訪れる。しかし本番の腰結いの儀式は、亥の刻(午後十時前後)とずいぶん夜更けなのですね。前もって源氏のほうからは、内大臣に「玉鬘について昔のことは一切触れず、普通にしていて下さい」と、口止めされているので、彼女に懸想していた柏木や次男の弁の君以外には、ことの真相は言っていません。 したがって、ここで求婚譚の懸想人の面子に若干の変化が起こります。蛍兵部卿や髭黒大将は変らないとして、内大臣家の息子たちが(実の姉弟ということで)候補から去り、かわって夕霧が表に出てきそうな気配ですが、とくに蛍兵部卿の宮は「裳着も終わったことだし、もう差し障りは何もないのでは」と源氏に訴えたりするが、「帝から彼女に尚侍出仕の意向があったので、それがどうなるか片付いてから」といなされる。 このあたりの経緯は、本文を読んでみて下さい。 それにしても実際に娘の腰結いを行ったとはいえ、なにしろ大殿油の灯り一つの御簾の中での儀式で、ジロジロ姫娘の顔を見るわけにもいかず、内大臣は早くもっとハッキリと玉鬘のお顔を拝見したい。光源氏があれだけたいそうにするのは、きっとあの娘がものすごい美人に違いないからだろう、であるなら源氏の殿が、そう簡単に手放すとは思えない、などと例によってあれこれ考え合わせたりもする。 とはいえ、彼は長女の弘徽殿の女御には、ことの仔細を話す。いずれ尚侍として宮中に入って来るとなると、玉鬘は弘徽殿の女御ともライバルとなり得るわけで、内大臣もいろいろ気を回すのです。 ところが、― 「世の人聞きに、しばし、この事出さじ」と、せちにこめ給へど、口さがなきものは、世の人なりけり。自然に言ひ散らしつゝ、やうやう、きこえ出でくるを、かの、さがなものの君、聞きて、女御の御前に、中将・少将、さぶらひ給ふに、出で来て、 … ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「世間のうわさ話にならないように、しばらくは、この事は(表に)出すまい」と、(内大臣は)ことさらに秘して置かれたのだが、口さがないのは、世の人の常である。自然と話が漏れ出て、次第に、評判になるにつけ、例の、困り者の姫君が、耳にして、(弘徽殿の)女御の御前に、中将(柏木)や少将(弁)が、伺候なさっている時に、出て来て、 … となって、今度は世俗側の「ヲコ」代表、近江の君、再びの登場となります。紫式部ははたしてこの二人を、対照することを考えていたのかどうか。― 「殿は、御むすめ設け給ふべかなり。あな、めでたや。いかなる人、二かたに、もてなさるらむ。聞けば、かれも、劣り腹なり」と、奥なげにのたまへば、女御、「かたはらいたし」と思して、物のたまはず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「父殿には、御娘がお出来になったそうですね。まあ、おめでたいことで。どんな方なのでしょう、(父内大臣と太政大臣の)お二方に、大事にされるなんて。お聞きするところ、この人も、(私と同じ)劣り腹(という)ではありませんか」と、遠慮なしにおっしゃるので、女御は、「ぶしつけだわ」と思われて、何もおっしゃらない。― つづく ―
2010.03.27
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そのあたりは以前(源氏1000年 20.21.2009年02月09日)に、少し触れました。 そこに日本人に特異的な、美醜による差別の感覚を見る向きもあるようですが、こうした仮借なきもの言いをしている紫式部が、一転して、中宮の安産を祝って帝が、土御門邸に行幸した折りを描いた「紫式部日記」のくだり、― 御輿迎へたてまつる船楽いとおもしろし。寄するを見れば、駕輿丁のさる身のほどながら、階より昇りて、いと苦しげにうつぶし伏せる、なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いと安げなしかしと見る。 ― 紫式部日記(黒川本)【四、十月十六日 土御門殿邸行幸の日】渋谷栄一校訂 御輿をお迎え申し上げる船楽がたいそう興趣深い。御輿を階に寄せるのを見ると、駕輿丁があのような卑しい身分ながら、階から担ぎ昇って、たいそう苦しそうに伏せっている姿は、(私と)何の違いがあろうか、高貴な人々に交じっての宮仕えも身分には限度があることだから、ほんとうに安らかな気持ちがしないことだ思いながら(私は)見ている。 ― 同、紫式部日記(黒川本)渋谷栄一訳()筆者 行幸という、いわば道長にとっていちばん得意の絶頂の場面であるにもかかわらず、紫式部は御輿を担ぐ下賤の者たちが疲れ切って伏せっているのを目にするにつけ、「なにのことごとなる(何の違いがあろう)」と我が身を省みて、「いと安げなしかし(安らかな気持ちがしない)」と思ったというのは、清少納言なら、たぶん「むくつけき、みのむしのやうのもの」と罵倒しただろう感性とは対極にあるもので、西郷さんの言われるとおり、外界を見ているときの、彼女のただならぬ神経の苛立ち、のようなものを感じないわけにはいきません。 彼女はここに同類としての人間というか、生き物の痛みの感覚を見い出しているのであり、自身の内部に否応なく生じる神経的な苛立ちを、包み隠さず言葉で書き記そうとします。 とすれば、末摘花に対する仮惜なき執拗な描き方というのは、あるいは紫式部が、自身の内部から覆いがたく生じてくるイジメの感覚を、もう一つの目で我から見つめようとした結果ではなかったか?彼女の周辺には今どきの私たちが想像する以上に、目の肥えた読者が少なくとも数人はいたと思われるのですが、その中には当然彼女自身が入っていたはずで、この人は自身の書いた物について相当客観的な判断の出来る人だった、と思うのです(清少納言は自省する性格などとは、ほど遠い人でした)。 自分自身の内心に潜む感覚を最後まで見届けてやろう、という強い志向性は、例えば空蝉や六条御息所を通して、自身という女の内心と身体に潜む、隠れた性的欲望の発現の仔細を、あれほど執拗に見つめた彼女であってみれば、これまた人間の内心に潜むネガの心理を、「あまりなるまで」見てみようとしたとしても、おかしくはない。 あるいは彼女も、彼女の周辺にいる目の肥えた読者も、そうしたものを感じながら読んでいたのではないか?それが証拠に、この「行幸」の帖での末摘花、その古体な贈り物ゆえに、光源氏が玉鬘に洩らした感想というのが、― 「あやしき古人にこそあれ。かく、物つゝみしたる人は、ひき入りたるこそよけれ。さすがに、恥ぢがましや」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「ヘンに古臭い人なのだよ。このように、内気な人は、引っ込んでいれば良いのに。さすがに、(私まで)恥ずかしくなって来る」 光源氏がこの醜女の姫君を養っているのは、彼女に対する同情でもその血筋でもなく、たんに彼自身の鷹揚さを世間に見せる道具立て、つまり自分のためだった、ということが明らかにされるのです。 さて以下のくだり、ここには挙げませんが、よろしければ本文を読んでみて下さい。ここまで末摘花が出てくるたびに面白がって読んできた読者たちも、さすがにほぼ全員が鼻白んだのではないか?意地悪いものの見かたをするなら、このイジメ物語を執拗に繰り返すことで、紫式部はその時々の読者の反応で、その人と成りを図っているようさえ思えて来るのです。― つづく ―
2010.03.26
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ひどい醜女として描かれたb系「ヲコ話(滑稽譚)」のヒロイン末摘花ですが、もともとこのキャラクターというのは、「帚木」に始まるこの並びの巻の趣旨、貴公子の表立っては語れない失敗譚、ゴシップ的な挿話の相手役として構想されたものでした。 大野晋さんによれば、空蝉も夕顔も末摘花、そして最後を飾る玉鬘をめぐる話も、すべて光源氏からすれば人には言えない失敗話なのですが、これらの一連の話のもう一つの捉え方として、「帚木」冒頭の「雨夜の品定め」で語られた、男たちのはなはだ調子のいい女談義に対する、女からのパロディー的な意趣返しのような趣もあるのです。古代宮廷の男女が歌を詠みあうことで、恋愛だけでなく、嘲りやからかいといった「ヲコ」的なやりとりもしていたらしいのは、「古事記」や「万葉集」などの古代歌謡でも明らかですが、b系物語には基底にそうした精神も宿っているのではないか? しかしそれを言うなら「源氏物語」全体が、宮廷内暴露物語じゃないか、という指摘を受けそうですが、ちょっと違うような気もする。あえて仕分けするなら、a系物語が宮廷に住まう男女の生態を、正面から冷徹な批評的精神で見つめているのに対し、b系はあくまで偉ぶった男たちに対する仕返しを基底としているので、それによって何かを強く訴えるとか伝えたい、という姿勢とは若干異なるように思うのです(もちろんそれもまたチャップリンの喜劇を持ち出すまでもなく、一つの強力な批評的精神のあり方ではあるのですが)。 さて、そうした筋書きの中での末摘花の位置付けというのは、もともとb系のなかでも、もっともその特色を体現したキャラクターだったのかも知れず、失敗の中味も多分に戯画化されたものでした。最初に登場する「末摘花」の帖だけにかんして言えば、あるいはその役を充分果たしたかもしれないのです。ちょっと遠回りになりますが、「末摘花」の帖で描かれた彼女の姿というのは、― まづ、居丈の高う、を背長に見え給ふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、「あな、かたは」と見ゆる物は、御鼻なりけり。ふと、目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて、色づきたること、ことの外に、うたてあり。色は、雪恥づかしく白うて、真青に、額つき、こよなうはれたるに、なほ、下がちなる面やうは、大方、おどろおどろしう、長きなるべし。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) という具合で(あえて口語訳しませんが)、彼女の容貌・有様の醜さの、このような克明かつ執拗な描き方は、その他美女たちの容貌の意外とばくぜんとした描き方と、ずいぶん対照的な感じがしますね。これは末摘花を最初から滑稽話の対象としか想定していなかったことを表しているので、彼女の内面つまりいじられる側の心理までは考えていなかったのではないか?あくまで皇孫の血筋にこだわる光源氏の、とんでもない失敗話として描かれるはずのこの物語が、当時の読者にはむしろ末摘花の醜い滑稽話として、つまり下卑た心理のほうで大いに受けてしまったわけで、紫式部はおおいに考え込んだことでしょう。 再び取り上げられた「蓬生」の帖では、彼女は典型的なイジメられ役であるうえに、その後も何回か「ヲコ」のいじられ役で登場するのです。これはいったい何なのか? 一つまず浮んでくるのは、紫式部と言えど周囲の読者の評判には、無関心ではいられなかったので、「末摘花はその後どうなった?」とか「もう一回大笑いさせて」といった声が出てきた時に、まるっきりそれに触れないというわけにもいかなかったのではないか、という話は前にしたことがあります。 「蓬生」の帖が全篇イジメ残酷物語の体をなしているのは、そのためでしょう。継子イジメなどの類は当時の物語の定番の一つで、紫式部といえどもその時流に乗ってしまった感がします。これは彼女自ら入って行ったというより、周囲の読者がそうさせた(とくに道長などから)、と見たいのですが、実のところ話はそう簡単ではないのではないか?彼女が人を嘲弄し批判を浴びせる場合に、歯に衣着せない性格だったことは、清少納言などに対する罵詈雑言などを見れば分かります。― つづく ―
2010.03.25
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この三条邸での一件は二月の上旬のことでした。大宮の体調や吉日を考えて、源氏は玉鬘の裳着を急ぐ。彼としては、まだハッキリと世間には出さないまでも、内大臣の娘ということで普段より大々的な儀式にしたい。どう突かれても内大臣方に借りは作りたくないのです。 玉鬘本人に伝えたあと、夕霧にもことの仔細を伝えるのですが、― かくて後は、中将の君にも、しのびて、かゝることの心を、のたまひ知らせけり。「あやしの事どもや。むべなりけり」と、思ひあはする事どもあるに、かの、つれなき人の御有様よりも、直もあらず、思ひ出でられて、「思ひ寄らざりける事よ」と、しれじれしき心地す。されど、「あるまじう、ねぢけたるべき程なりけり」と、思ひ返すことこそは、ありがたきまめまめしさなれ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) こうした後に、(源氏の殿は)中将(夕霧)の君にも、ひそかに、このような仔細を、お知らせになった。「妙な話ばっかりだな。(しかし、であるなら)合点もいくというものだ」と、(父と玉鬘の親子らしからぬ、しどけない様子など)思い当たるふしもあるのだが、(してみれば)あの、(今は)つれない人(雲井の雁)のお姿より、かえって、(玉鬘の面影が、ただならず)思い出されて来て、「考えもしなかった事なのに」と、(我ながら)愚かしい気分がする。しかし、「あってはならん、筋違いなことだ」と、思い返すところは、(さすがに)めったとないマジメさではあった。 いくらマジメを装っている夕霧といえど、かんじんの雲井の雁とはここ数年会えず、逆に玉鬘とは姉弟の関係ということで、御簾越しとはいえ会話もかわし、まして先般の「野分」の折りに、その姿を垣間見た玉鬘の匂い立つ美しさというのは、若い彼にとっては眩しすぎたことでしょう。 さて裳着の当日になって、大宮からお祝いの御櫛その他の品といっしょに、玉鬘あての手紙が届く。大宮は高齢なうえ尼姿なのを憚って、儀式に出席はしないのですが、そこに添えられた和歌というのが、― ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥(たまくしげ) わが身離れぬ懸子(かけご)なりけり ― 両親の縁を尋ねていくと櫛がそうであるように、(あなたはどちらからしても)わが身から離れることのない孫なのですね 大宮は内大臣の実の母、光源氏の義理の母ですから、こういうまあたわいない歌になるのですが、何となくこの人にはユーモアがありますね。これが大宮の最後の消息となりました。 当日には、そのほかにも秋好中宮をはじめ六条院のしかるべき人たちが、競い合うようにしてお祝いの品を送ってくる。 ところがその中に、なぜか二条院で世話している末摘花からもお祝いの品が届くのです。私は何度か触れた理由で、末摘花にかんする記事はこのブログではいっさいコメントしない、と決めていたのですが、実のところ「ヲコ話(滑稽譚)」のヒロインとして、その後も結構顔を出していて、ここまで紫式部がこだわる以上、まるっきり触れないのはフェアではないのではないか、とも思い始めています。 というわけで、以下簡単に彼女の話をしようと思っているのですが … 。― つづく ―
2010.03.24
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うわべはすっかり、よりを戻した感じで、夜遅くまで過ごしてしまった二人ですが、― かゝるついでなれど、中将の御ことをば、うち出で給はずなりぬ。「ひとふし、用意なし」と、おぼしおきてければ、くちいれん事も、人わるく思しとゞめ、かのおとゞ、はた、人の御気色なきに、さし過ぐしがたくて、さすがに、むすぼほれたる心地し給ひけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) このような折りではあったが、(源氏の大臣は)中将(夕霧)のご用件については、(結局何も)口にされなかった。「(この)一件については、(内大臣の、心使いが)到ってない」と、見なされていて、(自分から)口に出すのも、体裁悪く押し黙ったままで、その内大臣も、はたまた、相手に(その)お気配がないのに、(こっちから、言い出すのは)差し出がましく憚られて、さすがに、わだかまりの残る気分でいらっしゃるのであった。 光源氏というのは、明らかに自分が不利なことにかんしては、あらゆる手練を使って極力被害を少なくしようとしますが、事柄が相手と同等と見なされる場合には、絶対自分から折れて出るということはしません。この点にかんしては内大臣もいい勝負で、何度も言うように、ここはお互いの意地の張り合いになっているのです。ただ若いときと違うのは、それが個人的な意地っ張りではなく、否応なく一族郎党の勢力争いにならざるを得ないので、簡単に「むすぼほれたる心地」が解けるわけではありません。 とはいえ、表向きはたいそう和やかに終わった饗宴なので、二人とも上機嫌で別れる。源氏のほうはしかし、たいそうな酔い泣きのあとであっても、別れ際に内大臣にキチッと玉鬘の裳着の件は押さえておく。要件が行き届く(つまり仕事が出来る)、とはこういう振るまいかたを指すのでしょう。たぶん言ったはず、分かってくれただろう、で済ましている人って、今でも結構多いのです。 しかし、そこは競って朝廷の中枢まで昇り詰めた内大臣ですから、帰る道々考えることというのは、― おとゞ、うちつけに、いと、いぶかしう、心もとなう思え給へど、「ふと、しか、うけ取り、親がらんも、便なからむ。尋ね得給へらんはじめを思ふに、さだめて、心清う、見はなち給はじ。やむごとなきかたがたを憚りて、うけばりて、その際にはもてなさず、さすがに、煩はしう、物の聞えを思ひて、かく、明かし給ふなめり」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 内大臣は、さっそくに、とても、(玉鬘に)会いたくて、気もそぞろにお思いなさるが、「いきなり、そのように、引き取って、親の顔をするというのも、具合が悪そうだな。(早い話、源氏の殿が、玉鬘を)探し出して引き取りなさった発端を考えると、(あの殿が)キチンと、潔白なまま、(今まで姫を)放っておかれるはずがない。(六条院の他の)畏れ多い女君たちに遠慮して、ハッキリとは、その一人としてお扱いなさらず、(しかし)さすがに、煩わしくもあり、世間体もお考えになって、このように、(実の親である私に)打ち明けなさったのではあるまいか」 このへんの内大臣の推測は、ほとんど当たっているので、「ハイ、分かりました。そうですか」で、何も考えずに、黙って付き従う人ではない。源氏からすれば、詮索好きの一筋縄ではいかないライバル、ということになるのですが、内大臣というか摂関家というのは、諸事万般にわたって世俗での繁栄を考え続けるべき家柄ですから、これはごく自然な思考回路であったことでしょう。― つづく ―
2010.03.23
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完全に虚を突かれた内大臣、あの夕顔の娘が、と思わず涙をこぼす。 ― おとゞ、「いと、あはれに、珍らかなる事にも侍るかな」と、まづ、うち泣き給ひて、 「そのかみより、「いかになりにけん」と、尋ね思う給へしさまは、何のついでにか侍りけん、憂へに堪へず、もらし聞こし召させし心地なんし侍る。かく、すこし人数にもなり侍るにつけて、はかばかしからぬものどもの、かたがたにつけて、さまよひ侍るを、「かたくなしく、見苦し」と、見侍るにつけても、又、さるさまにて、かずかずに連ねては、あはれに思う給へらるゝ折にそへても、まづなむ、思ひたまへ出でらるゝ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 内大臣は、「何と、あわれで、珍しいこともございますことで」と、まず、涙を流されて、 「その当時から、『(夕顔とその娘は)どうなったのだろう』と、探しあぐねておりますことは、何かのついでであったでしょうか、思い余って、(殿に)ふと申し上げたような気が致します。このように、多少は人並み(の身分)になりますと、パッとしない(私の)子供たちが、あちこち(のつて)を頼って、ウロウロしておりますのは、『不体裁で、みっともない』と、思いもし、また、そのような(うらぶれた)者が、数々いるのが、不憫に思われてならない中でも、まず、思い出されるのは(夕顔の娘でありました)」 というわけで、話はあっという間に、悪童時代の光源氏と内大臣(頭の中将)の思い出話に移っていくわけで、― かの、いにしへの、雨夜の物語に、色々なりし御睦言の定めを、おぼし出でて、泣きみ笑ひみ、みな、うち乱れ給ひぬ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 例の、昔、雨夜の物語りに、あれこれなさった語らいでの(女の品)定めを、思い出しなさって、泣いたり笑ったり、(互いに)すっかり、打ち解けてしまわれた。 というわけで、この玉鬘の長い物語が、最初から「帚木」に始まる並びの巻(b系)の物語として、構想されていたことが改めて分かりますね。何度も言うように、今ある順序で読んでいくと、ずいぶん前の話じゃないの、ということになりますが、b系物語が「槿」のあと、まとめて書き継がれていったとすれば(「乙女」の前に(2009年09月03日)、 以下参照して下さい)、読者の頭はそう混乱することはないのです。 さて今でもそうですが、同窓会などでは、当面の現実の問題(玉鬘)はとりあえず差し置いて、かつてのふざけ合いや競い合いをことさらに演じたりもする。これはそうすることで、今は失われた気安い記憶を蘇らせて、現在の気まずい関係を何となく紛らわす一種の魔法(トリック)なのです。お互いの痛いところも、もうとっくに過ぎ去った昔のことであれば、いくら突き合って笑い飛ばしたり、泣き喚いても、誰も傷つかない。 こうなれば、後は源氏のペースなのでした。― つづく ―
2010.03.22
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今はときめく太政大臣と内大臣が、一族郎党を大勢引き連れて参集したということで、閑散としていた三条邸では、にわかに大宮の長寿を祝うたいそうな宴が執り行われている。そんな喧騒の中でのこの対面、源氏にとってはいささか不利な話題なので、あるいは主導権をとろうと少し含みのある物言いをしたのか? 以下、多少長くなるのですが、― 「昔より、おほやけ・わたくしのことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえ、うけたまはり、「羽を並ぶるやうにて、おほやけの御後見をも仕うまつる」となん、思ひ給へしを、末の世となりて、そのかみ思う給へし本意なきやうなる事、うちまじり侍れど、うちうちのわたくし事にこそは。大方の心ざしは、更に移ろふことなくなむ。何ともなくて、積もり侍る年・齢(よはひ)にそへて、いにしへのこと、恋しかりけるを。対面賜はることも、いと、稀にのみ侍れば、「事かぎりありて、よだけき御振舞」とは、思ひ給へながら、親しき程には、「その御いきほひをも、ひきしゞめ給ひてこそは、とぶらひ物し給はめ」となむ、うらめしきをりをり侍る」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「昔から、公私にわたって、心隔てなく、大小のことを申上げ、承りもして、『翼を並べるようにして、朝廷の後見も致そう』とも、思っておりましたが、世も経ますと、その初めに考えておりました本意とは違うようなことも、多少は混じってきたようですが、(しかし、それは)ほんの内輪のことで(たいしたことではありません)。初めの気持が、(どうして)すっかり変ってしまうことが(ありましょう)。何ということもなく、経って往きます年月・齢につけても、昔のことが、懐かしくて(たまりません)。(このように)お会いすることも、たいそう、稀になって行きますのは、『ご身分柄制約があって、諸事厳しく処していらっしゃる(のだろう)』とは、思い申し上げながらも、(もともと)親しい間柄(の私)なのですから、『その御威勢も、(多少は)お収めなさって、お訪ね下されば』ということこそ、恨めしくも常々思っておったのです」 ちょっと含みを持たせておいて、ずいぶん軽い怨み言なのだよ、と下手に出る。意外に感じた内大臣は、当然もっとへりくだらざるを得ない。― 「いにしへは、げに、面馴れてや、あやしく、たいだいしきまで馴れ侍ひ、心に隔つる事なく、御覧ぜられしを、おほやけに仕うまつりし際は、羽を並べたる数にも思ひ侍らで、うれしき御かへり見をこそ、はかばかしからぬ身にて、かゝる位に及び侍りて、おほやけに仕うまつり侍ることに添へても、思う給へ知らぬには侍らぬを。齢の積りには、げに、おのづから、うちゆるぶことのみなむ、多く侍りける」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「昔は、ホントに、馴れ馴れしくも、失礼なほどに、気安くお側につき申し、心隔てなく、お付き合いいただきまして、朝廷に伺候始めたころは、(殿と)翼を並べるようにとは思いも寄りませんでしたが、嬉しいお引き立てさえ(いただいて)、たいした身でもないのに、このように高位に昇り、政務を執らせて頂いているにつけても、(そのありがたさに)思い至らぬことは(ございません)。(ただ)齢をとるにつけ、まったく、心ならずも、気が緩みがちなことが、多くなりまして(申し訳ございません)」 内大臣が、ふとへりくだってお詫びしたタイミングを見計らって、― そのついでに、ほのめかし出で給ひてけり。 (殿は)その機会を捉えて、(玉鬘の件を)それとなく(内大臣に)打ち明けなさった。― つづく ―
2010.03.21
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こうした、言わば超俗のムードというのは、下世話な娑婆の世で、現(うつつ)の折衝に立ち回って、生計を立てていかざるを得ない、凡俗の民には望むべくもないので、紫式部は貴種と世俗のあいだにある、どうしようもないこうした乖離というものを、宮廷への出仕などで日頃から鮮やかに見止めていたのでしょう。これはどちらが優れているかといった問題ではなくて、事実的にその差異は厳然と存在していますよ、ということを彼女は言っているので、ではそのどちらが平安貴族社会の価値観として評価されたか、と言えば、もちろん貴種の振るまいなのでした。 凡俗の代表である内大臣の、ことさらな威風あたりを払うムードというのは、それが居丈高であればあるほど、その俗物性が露わになってくるので、そのあたりの気鮮やかさを彼女は、源氏にこれまた偽悪的なまでにくだけた扮装をさせて、いっしょに見ているのです。これってしかし、道長が読んでいたとすれば、どう思ったのでしょう。先に彼女と道長の関係は、b系物語の途中からおかしくなったのではないか、という話をしましたが、あるいは彼に対する皮肉も込められているのかもしれません。 かといって、彼女が貴種礼賛の時代のムードに安住していたかと言えば、もちろんそうではなくて、例によってどこまでも「あまりなるまで」考え詰めていく彼女の指向性は、すでにこの頃から光源氏そのものにも向けられていたようです。実際に物語となって現れてくるのは「若菜」以降ですが、要はそれをどう表現するか、ということが問題で、目下の彼女はその方法で、あれこれ試行錯誤を繰り返しているのかもしれません。― おとゞも、めづらしき御対面に、昔の事おぼし出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑ましき御心も添ふべかめれ。さし向ひ聞え給ひては、かたみに、いとあはれなる事のかずかず、おぼし出でつゝ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。御かはらけなど、すゝめまゐり給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (源氏の)大臣も、久しぶりのご対面に、昔のことを思い出され、(今のように)疎遠になっていてこそ、ちょっとしたことでも、(互いに)負けん気も起こされるのであろう。(こうして)差し向かいでお話をなさっていると、互いに、とてもあわれ深い(思い出)事が数々、思い出されて来て、このところの、(心)隔てもなくなって、昔今のことなど、年ごろの(積もる)お話(が止めどなく出て来るの)で、日も暮れて来た。(内大臣のほうから)お杯などを、すすめに参りなさる。 ここの「おとゞ」が源氏か内大臣か、解釈が分かれるところですが、少なくともお杯のほうは、間違いなく内大臣のほうから源氏に参ったのです。― 「さぶらはでは、悪しかりぬべかりけるを。召しなきに憚りて。うけたまはり過ぐしてましかば、御勘事(かうじ)や添はまし」と、申し給ふに、 「勘当(かむだう)は、こなたざまになん。「からし」と思ふこと、おほく侍る」など、けしきばみ給ふに、「この事にや」と、おぼせば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにて、物し給ふに、 … ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「(日頃、ご挨拶に)お伺いすべきところ、失礼ばかり致しまして。お召しがないので(つい)ご遠慮して(おりました)。(大宮邸へお越しなさったのを)承りながら(なお)お伺いしませんでは、(さらに)ご不興であったでしょう」と、申上げなさると、 「お叱り(を受けるの)は、(むしろ)こちらのほうで。『お怒りで(おられる)』と思う事柄が、ずいぶんありますよ」などと、意味ありげ(なお答え)なので、「(さては)例の(夕霧の)件か」と、お思いになって、厄介に思いつつ、畏まった様子で、(対面して)いらっしゃるが、 …― つづく ―
2010.03.20
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このところ、しばらく本文を追いかけて来たというのは、かつての無二の親友、光源氏と内大臣の出自や性格の違いが、このあたりにハッキリと示されていると思うからです。世俗代表としての内大臣、威風をおどろおどろしく周囲に振りまくのは、俗世間に色濃く依拠し、それを管轄している摂関家の手法であり、格式も面持ちもことさらに「きらきらし」く飾りたてるのは、そうすることが実際的な利得に結びついているからです。俗界は常に権力に対して、権威を求めたがるものなのでしょうか。 対するに光源氏はというと、ごく「しどけなき大君姿」であって、ヘンに格式ばった威風など、ここから先も吹かせることがない(むしろ裏で哂っているようなところがある、というのも文章博士のことで触れました)。彼の理屈では自分はもともと皇孫の直系であって、周囲をことさらに飾りたてなくても、みんな私という存在の意味するところは分かっているだろう、ということでしょう。先に一世源氏として臣籍降下した、光源氏の振るまいかたについて、あれこれ詮索したことがありますが(源氏1000年 乙女 4.2009年09月14日)、彼がこの世を渡り歩いていくについて、唯一の寄る辺というのは、その由って来たる皇孫の血筋だけであって、彼の振るまいかたというのは、ほぼそれによって装われているのです。 その意識があるからこそ、こうした権威ぶった格式に対して、ことさらにくだけてみせる、光源氏が時々見せるこうした振るまいは、たんに個人的な資質とか性格として無意識に出たもの、とは私は考えません。 何度も言うように、それは生まれつきの所与のものとしてではなく、多分に源氏自身が意識的に選び取った振るまいかたなのであって、それがたぶん桐壺帝のお側去らずとして育てられたのちの光源氏、とくにそれへの反発の期間として現れたであろう、空白の五年間(十二歳~十七歳)に培われたものであろうということなのです。 紫式部はその雰囲気を、内大臣とは「なずらへても見え給はざりけり(同列に引き比べて見ることは出来ません)」と、もともとの質の違いを強調していますが、彼女から見ても王家の血筋というのは、それほどに眩かったのです。彼女は、彼がそれを意識的に演出していたかもしれない(想像ですよ)、ということにどこまで気付いていたのでしょうか。 それにつけて、少したわいない個人的な思い出になりますが、もう半年ほど前のこと、所要で京都駅のコンコースをJR側から近鉄乗り場へ向かっていたところが、何やら急にものものしい雰囲気が漂ってきて、よく見ると私服らしき官憲がうろついている。そのまま近鉄と新幹線の中央通路の方に歩いていくと、そうした官憲と思しき人たち十数人が、あっというまにロープを張り渡して通れなくしてしまう。私のように常に用事ぶって忙しがっている男どもは、一瞬鼻白み渋面を作る。奥様がたは盛大に「何やの!?」という声を上げる、という仕儀になったのですが、やがてどうやら、それが皇族のお出ましらしい、ということが分かってくると、多少険悪なムードになりかかっていた空気が、急に(とくに女の人たちの)歓声やらため息で、何となく華やいだ雰囲気になって、たちまち物見の人の群れと変るのです。 私はたまたま張られたロープの前でしたので、はからずも現皇太子が、近鉄のホームから新幹線のホームへ向かって、早足で歩いていかれるのを目の当りにしたのですが、お一人だけ真っ白なスーツという、ずいぶんカジュアルな雰囲気で、にこやかに歩かれる姿が、周囲の黒々と緊張したSPたちの様子と著しく対照された記憶として残ったものでした。 まったく威風払うでもない、しかし自ずと周囲に有りがた味をかもし出すこの颯爽とした感じ、これこそ皇孫の直系だけが持ち得る、生まれつきの所与というムードなのではないか?(もちろんこれは映画スターやアスリートの放つ、いわゆるオーラなどとは別次元のものです) 私の周囲を取り囲む女性軍は、皇太子が会釈するたびに歓声から悲鳴に近い黄色い声に変って、ロープをまたぎかねない雰囲気。きっと彼女たちはせめて皇太子のお袖だけでも触れられたら、と思っていたのではないか。有りがた味とはまさしくそういう霊験のようなものを指すのだろうなどと、またまた皮肉な眼で見ていたのですが、この間ほとんど二、三分の話なのでした。― つづく ―
2010.03.19
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口固めされた大宮の手紙には、当然玉鬘のことは書いてない。したがって内大臣としては、あれこれ推測をめぐらせることになります。― 「何事にかはあらむ。このひめ君の御こと、中将の愁へにや」と、おぼしまはすに、「宮も、かう、御世残りなげにて、『このこと』と、せちにのたまひ、おとゞも、憎からぬさまに、一言うち出で、うらみ給はむに、とかく申し返さふこと、えあらじかし。つれなくて、思ひいられぬを見るには、やすからず。さるべきついであらば、人の御言に靡きがほにて、ゆるしてん」と、おぼす。「御心を、さしあはせて、のたまはむ事」と、思ひより給ふに、いとゞ、いなび所なからむが、又、「などか、さしもあらむ」と、やすらはるゝも、いと怪しからぬ、御あやにく心なりかし。されども、「宮、かくのたまひ、おとゞも、対面すべく、まちおはするにや、かたがたにかたじけなし。参りてこそは、御けしきに従はめ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「何のことだろう。この姫君(雲井の雁)のお取り扱いについて、中将(夕霧)のほうから訴えがあったか」と、考え合わせるに、「大宮も、このように、お命残り少なげで、『この(夕霧と雲井の雁との)ことは(許してあげなさい)』と、切におっしゃっており、(源氏の)殿も、穏やかに、一言でも口に出して、怨み言をおっしゃっるのなら、どう逆らうことも、出来まい。(しかし中将が)平静を装って、(姫に)執着していないように見せるのは、穏やかじゃないな。(まあしかし、このような)しかるべき折りであるから、人(源氏)の言葉に従った振りをして、許してやっても(いいか)」とも、思われる。「(しかし大宮は)お心を、(源氏と)示し合わせて、(これを)おっしゃっているな」と、思い当たられると、(これは)とても、断り切れまいが、(それでもなお)かつ、「どうして、そんなこともあるものか」と、意地を張りなさるのは、まったく困った、(いつもの)あいにくなご性分ではある。しかしながら、「大宮が、このようにもおっしゃり、(また源氏の)大臣も、対面しようと、待っておられるのであれば、双方ともに、畏れ多い。参上したうえで、(その時の)ご様子に従うとするか」 内大臣というのは、けっして単純な直情径行型の人間ではなく、ある意味きわめて合理的である。あれこれ思案し熟考したうえで、いったん下した決定は簡単には下ろさない、という性格なのでしょう。まあそうでなければ、人望がこのように集まってくるわけがない。 とはいえ、続いて描かれる内大臣の大宮邸への訪問の様子は、源氏の姿と対照されて、とても鮮やかですね。― 君だち、いとあまた引きつれて、参りたまふ。ものものしう、たのもしげなり。たけだち、そゞろかに物し給ふに、太さもあひて、いと宿徳(しうとく)に、おもゝち・あゆまひ、大臣といはむに、足らひ給へり。葡萄染(えびぞめ)の御指貫(さしぬき)、桜の下襲(したがさね)、いと長う尻ひきて、ゆるゆると殊更びたる御もてなし、「あな、きらきらし」と、見え給へるに、六条殿は、桜の、唐の綺の御直衣(なほし)、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよ、たとへんものなし。光こそ、まさりたまへ。かう、したゝかにひきつくろひ給へる御有様に、なずらへても見え給はざりけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (内大臣は)君達を、たいそう大勢従えて、(大宮邸に)参上なさる。(その様子は)厳しくて、頼もしい。背丈が、高くていらっしゃるうえに、肉付きも程好くて、とても貫禄があり、お顔つきや歩く様子も、大臣というに、相応しい。葡萄染(えびぞめ)の御指貫(さしぬき)に、桜の下襲(したがさね)を、たいそう長く後ろに引いて、ゆったりとことさららしく振るまっていらっしゃるのは、「何と、眩いばかり」と、お見受けするが、(対するに)六条殿(源氏)は、桜色の、唐の綺の御直衣(のおし)に、紅色の御衣を(何枚も)重ねた、くつろいだ皇子姿で、(これまた)いよいよ、例えようもない。(源氏のお姿は)輝きかたでは、勝っていらっしゃる。(内大臣の)この、たいそう引き繕ったお姿と、(同列に)比べては見申し上げられないのであった。― つづく ―
2010.03.18
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源氏としては、素通しで切り抜けたいところでしたが、キッチリ押さえられたので、話を軽くいなす。― 「さるやう侍る事なり。委(くは)しきさまは、かの大臣も、おのづから尋ね聞き給うてん。くだくだしき、直人(なほひと、凡人)のなからひに似たる事に侍れば、明かさむにつけても、らうがはしう、人言ひ伝へ侍らむを。中将の朝臣にだに、まだ、わきまへ知らせ侍らず。人にも、漏らさせ給ふまじ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「(それは)それなりの訳があることです。詳しい事情は、あの内大臣も、自然とお聞き及びになることでしょう。くだらない、凡俗の間柄でよくあるような話でございますから、(あまり詳しく)お話致しますと、(かえって)うるさく、人の口の端にものぼるかと(存じます)。中将の朝臣(夕霧)にさえ、まだ、ハッキリとは知らせておりません。(なので)他人には、(ゆめゆめ)お漏らしなさいませぬように」 と、話を紛らわして、しかし口止めだけはしっかりしておく。 大宮としては、何となく腑に落ちないこともあるけれど、もともと源氏には親和性があり、また夕霧にはこのところすっかり懐柔されているので、息子に仲介の手紙を送ることになります。源氏の目論見としては、さしあたってそれで充分だったでしょう。 しかし内大臣方には大宮の手紙が届く前に、すでに光源氏が三条邸にやって来ている、という情報は入っていたようで、― 内の大い殿のも、かく、三条の宮に、太政(おほき)おとゞ、渡りおはしまいたるよし、聞き給ひて、 「いかに寂しげにて、いつくしき御さまを、まち受け聞え給ふらむ。御前ども、もてはやし、御座(おまし)ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は、御供にこそ物せられつらめ」など、驚き給うて、御子どもの君達、むつましう、さるべきまうち君達、たてまつれ給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 内大臣も、このように、三条の宮に、太政大臣(源氏)が、お越しになっている由を、お聞きなさって、 「どんなにか侘びしげな状態で、(今どき)御威勢盛んな殿様を、お迎えなさったのだろう。御前駆などを、お相手し、御座の用意をする者も、たいして居ないだろうに。(夕霧の)中将は、(今回は、源氏方の)お供として参っているはずだ」などと、驚きなさって、ご子息の君達や、親しくしている、しかるべき君達を、(すぐに)参上させなさる。 源氏方が夕霧というルートを持っていたように、内大臣方もこうした折りには、すぐ情報を伝える人を三条邸に置いていたのでしょう。都ではこのような不意の接待でも不都合や無礼があっては、即、世間の哂い者にされ、引いては自身の出世にも影響するとあって、常に情報の網は張っておかなければなりません。それにしても、うわべ侘しげで人少なな三条邸、あっちからもこっちからも見張られていて、大宮も大変ですね。― 「御菓物、御御酒(おみき)など、さりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを。かへりて、物さわがしきやうならむ」など、のたまふほどに、大宮の御文あり。 「六条のおとゞの、訪ひに、わたり給へるを。ものさびしげに侍れば、人目の、いとほしうも、かたじけなうもあるを。ことことしう、かう聞えたるやうにはあらで、わたり給ひなんや。対面に、きこえまほしげなる事もあなり」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「お果物や、お酒などで、抜かりなくおもてなし申すのだ。私も参上すべきところだが(どうしたものか)。かえって、大袈裟になるからな」などと、おっしゃっているうちに、大宮の手紙が届いた。 「六条の大臣が、お見舞いに、参られたのですが。(こちらは人少なで)寂しげでございまして、人目にも、みっともなく、(先方にも)失礼かとも思われます。(で、)ことさらに、改まった感じではなく、お越し願えませんか。(殿は、そなたと)対面して、お話したいこともあるようでございます」― つづく ―
2010.03.17
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その冷泉帝の仰せごとの中味は、源氏の口から語られることなので、あることないこと取り混ぜて、話がたいそう長いので端折りますが、要は、欠員になった尚侍(ないしのかみ、内侍所の長、女官長)の人選につき、帝は「今いる典侍(すけ)たちは、老齢その他でふさわしい者がいない。女官長ともなれば、家柄も世間の評判も高くて、暮し向きも心配ないのが良い」というわけで、であるなら「源氏方の新姫は世間の評判も高くて、後見もあなたなのだから問題なかろう」というわけなのです。 それに対する源氏の見解もまた長いので、結論はというと、― 「 … 「たゞ、わが身の有様からこそ、よろづのこと、侍めれ」と、思ひより侍りしついでになん、齢の程など、問ひ聞き侍れば、かの御たづねあべいことになむ、ありけるを。「いかなべいことぞ」とも、申しあきらめまほしう侍る。ついでなくては、対面侍るべきにも侍らず。やがて、「かゝる事なん」と、あらはし申すべきやうを、思ひめぐらして、消息申ししを、御なやみにことづけて、ものうげに、すまひ給へりし、げに、折しも便なう、思ひとまり侍るに、よろしう物せさせ給ひければ、「猶、かう思ひおこせるついでに」となん、おもう給ふる。さやうに、伝へ物せさせ給へ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「 … 『結局、自分(玉鬘)自身の人柄によって、万事のことは、決まるのだな』と、思い至りまして、(彼女に)齢の程などを、お聞き申したところが、あの(内大臣が)お探しになっているべき(お人)、であることが(分かりました)。「(この際)いかがしたものか」とも、きっちりご相談申上げたいと思っております。(しかし何かの)ついででもなければ、(内大臣とは)対面致すのもママなりません。そこで、「このような事(玉鬘の裳着)が(ございますので)」と、(その時に)ハッキリ申上げようと、思いめぐらせて、お手紙を差し上げたのですが、(大宮の)ご病気にかこつけてか、お気に召さないらしく、ご辞退なさいまして、まことに、タイミングが悪く、思い止まっておりましたが、(しかし、こうして宮にお会いしますと、ご病気のほうは)よろしいようにお見受けいたしますので、「やはり、このように思い至った機会に(ぜひ、お会いしたい)」と、思っております。そのように、お伝え願えたいのです」 爾来、どうしても頼む側の話は、理由づけやら言い分けやらあることないこと、さまざま尾ひれをくっつけるので長くなるものです。帝の意向などまで持ち出して、相手の頭を煙に巻く。 対する大宮は、多少混乱しながらも、― 「いかに。いかに侍りけることにか。かしこには、さまざまに、かゝる名のりする人を、厭ふことなく拾ひ集めらるゝに、いかなる心にて、かく、ひきたがへ、かこち聞えらるらむ。この年ごろ、うけたまはらで、なりぬるにや」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「何と。何としたことでしょう。あちらでは、いろいろ、このように(子供であると)名乗り出てくる人を、嫌がりもせず拾い集めていらっしゃるのに、どういう考えで、(玉鬘は)そのように、勘違いして、(源氏方に)おすがりなさったのでしょう。ここ最近、(内大臣が娘を探しているという話を、その方は)お聞きにならないで、(そなたの子に)なっていたのでしょうか」 大宮はそれでも決してポイントは外しません。― つづく ―
2010.03.16
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光源氏は夕霧を通じて、大宮と内大臣が疎遠になっていることは、おそらく前もって知っていたでしょう。それをあえて知らず顔に言うというのは、今回の依頼ごとが自分に不利な話題だったからではないか?してみれば、あるいはこのところ夕霧が日を置かず大宮邸を訪ねていたというのも、大宮の病気を知った源氏の指示によるところなのかもしれません。― 「おほやけごとの繁きにや、わたくしの心ざしの深からぬにや、さしも、訪ひものし侍らず。のたまはすべからむことは、何さまの事にかは。中将の、うらめしげに思はれたることも侍るを、はじめのことは知らねど、いまは、けに、聞きにくく、もてなすにつけて、「たちそめにし名の、とり返さるゝ物にもあらず、をこがましきやうに、かへりては、世の人も言ひ漏らすなるを」など、ものし侍れど、たてたる所、昔より、いと解けがたき、人の本性にて、心得ずなむ見給ふる」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「政務が忙しいのでしょうか、私事のほうは孝心が深くないのでしょうか、(内大臣は)たいして、(私を)見舞いにも参りません。(そなたが内大臣に))おっしゃりたいこととは、(いったい)何の事でしょう。中将(夕霧)が、恨めしげに思っていることもございますが、(夕霧と雲井の雁の)初めのことは知らないけれど、今では、(内大臣が)まことに、聞きづらく、(夕霧を)扱うので、『(いったん)立ってしまった(二人の)浮名が、(今さら)取り返せるものでもなし、愚かなことと、かえって、世間の人たちも噂しているようで』などと、申し伝えるのですが、(なにしろ内大臣は、いったん)言い出したことは、昔から、絶対引かないというのが、この人の本性ですから、聞き入れそうにもございません」 大宮はてっきり源氏が、夕霧と雲井の雁のことを頼みに来た、と勘違いしているのです。源氏も夕霧もこの件では、こちらから内大臣に折れて出るというつもりは、最初からここから先も頭にありません。しかし大宮にしてみれば、それは源氏が内大臣に頭を下げる、ということなので、もともと光源氏にも夕霧にもシンパシーを感じていた彼女としては、当然何か出来ることはないか、ということになる。要は気持が改めて源氏方に傾いているということです。 自身にとって不利な事がらは、いきなり持ち出すのではなく、相手の心証をつかんでから、おもむろに要件を持ち出す。その上で「のたまはすべからむことは、何さまの事にかは」と、大宮の口から(勘違いであっても)言わせるのが肝心なのでした。このへんは今どきの交渉術に長けた営業マンみたいですね。― 「さるは、かの知り給ふべき人をなむ、思ひまがふること侍りて、不意に、尋ねとりて侍るを。その折は、「さる僻(ひが)わざ」とも、あかし侍らずありしかば、あながちに、ことの心を尋ねかへさむ事も侍らで、たゞ、さる、ものの種の少なきを、「かごとにても、何かは」と思う給へ許して、をさをさ睦びも見侍らずして、年月侍りつるを、いかでか、聞こし召しけむ、うちに、仰せらるゝやうなむある。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「じつは、かの方(内大臣)がお世話なさるべき人を、(私が)思い違いを致しまして、心ならずも、訪ね出して(お世話して)いたもので。その時は、『それは間違いで』とは、(玉鬘も右近も)明かし申さず、(私も)深くは、ことの事情を探ろうとも致しませんで、ただ、このようにも、(私は)子供の数が少ないもので、『間違いであっても、まあ好いか』と(つい)気を許してしまい、たいした養育も致さないまま、年月が経ってしまいましたが、どういうことでしょうか、(玉鬘のことを)お聞きになって、帝から、(さる)仰せごとがございましたのです」― つづく ―
2010.03.15
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もともと故桐壺帝の兄妹という親王系の人で、実の息子内大臣より光源氏のほうにシンパシーを感じていた大宮、光源氏がやって来るとなぜか少し元気になって、脇息にもたれながらも直接対面なさる。― 「けしうはおはしまさざりけるを。なにがしの朝臣の、心まどはして、おどろおどろしう嘆き聞えさすめれば、「いかやうに、物せさせ給ふにか」となん、おぼつかながり聞えさせつる。内裏などにも、殊なるついでなき限りは、参らず、おほやけに仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろづうひうひしう、よだけうなりにて侍り。齢など、これよりまさる人、腰堪へぬまで、かゞまり歩くためし、昔も今も侍めれど、あやしく、おれおれしき本性に添ふ物憂さになん侍るべき」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「(それほど)お悪くはございませんようですな。どこかの朝臣(夕霧)が、気でも動転したのか、たいそうにお嘆き申すものですから、『どのように、なさっておられるのか』とばかり、ご心配申上げておりました。(私は、このところ)朝廷にも、ことさらな用事がない限り、参上致しませんで、公事に伺候する人間というわけでもなく、(自邸に)籠もりっきりで、何かにつけて覚束なく、億劫になっております。齢など、私より年勝った人が、腰が耐え切れないまで、屈まりながらも歩く(仕事する)例は、昔も今もございますが、妙に、愚かしい(我が)本性に由るものか(万事が)物憂くさえなっておるのでしょうか」 このあたりの源氏の挨拶は、まことに堂に入ったものですね。対する大宮は、― 「「年のつもりの悩み」と思う給へつゝ、月頃になりぬるを。今年となりては、頼み少なきやうに思え侍れば、「いまひとたび、かく、見たてまつり聞えさする事もなくてや」と、心細く思ひ給へるを。今日こそ、又すこし延びぬる心地し侍れ。いまは、惜しみとむべき程にも侍らず。さるべき人々にも立ちおくれ、世の末に残りとまれる類ひを、人のうへにても、「いと、心づきなし」と見侍りしかば、いでたち急ぎをなん、思ひもよほされ侍るに、この中将の、「いとあはれ」と、あやしきまで思ひ扱ひ、心を騒がい給ふ、見侍るになん、さまざまにかけとめられて、今まで、長びき侍る」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫)「『老齢ゆえの患い』と存じ上げながら、(病が)久しくなってしまって。年明けてからは、(いよいよ私の寿命も)望み少ないように感ぜられまして、『今一度、このように、(殿と)お会い致しお話することも叶わぬのか』と、心細くも思っておりました。(なので)今日という日は、またちょっと(寿命が)伸びたような心地が致します。今となっては、(命を)惜しむほどの歳ではございません。しかるべき人たちに先立たれ、(いまだ)この世に生き残っている場合を、他人の例にも、「本当に、面白くない」とお見受けしておりまして、(あの世への)出立を急ぎたいとも、思い巡らせておるのですが、(なぜか)この中将(夕霧)が、『ホントにお可愛そう』と、怪しいまでに思って世話をし、心を砕いて下さるのを、見申し上げるにつけ、ついつい引き止められて、今まで、生き延びたような次第で」 大宮の返事も見事なものです。 続いて源氏は軽く本題に入っていく。― 「内の大臣は、日へだてず、まゐり給ふ事しげからむを、かゝるついでに、対面のあらば、いかに嬉しからむ。「いかで、きこえ知らせむ」と、思ふ事の侍るを、さるべきついでなくては、対面もありがたければ、おぼつかなくてなむ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「内大臣殿は、日を置かず、(お見舞いに)参られることが多いと思いますが、そのようなついでにも、お会い出来たらば、どんなに嬉しいことでしょう。(じつは)『どうしても、(内大臣に)お知らせ申し上げたい』と、思っていることがあるのですが、しかるべき機会がなくて、対面も叶わず、弱っておりましてな」 今までの会話が、源氏のほうでは相当周到に用意されたもののようにも感じられるのですが。― つづく ―
2010.03.14
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取りあえず「帝のお姿は、ハッキリ見えなかったので、何とも … 」と、一応ぼやかした内容の玉鬘の返事を、源氏は紫の上に見せる。例によって奥さんには何でも報告しているようにみえる光源氏ですが、彼の真意は玉鬘を宮仕えに出すということで、自分の身の潔白を示すことにもなるし、あわよくば、そのまま六条院から伺候させれば、彼女とのお付き合いも密かに続けられるか、という算段もあるようです。ヤッパリ喰えない男ですね。紫の上もそのあたりは読み切っているようで、何だか皮肉な感想を洩らすのですが、そのあたりは本文を読んでみてください。 とはいえ最大のネックは、玉鬘にかんして内大臣に真実を話すかどうか、ということなのですが、さしあたって宮仕えさせるにしても、彼女の裳着(もぎ)の準備が急がれる。裳着とは、公家の女子が成人した時に初めて裳をつける儀式、つまり男の元服にあたる儀式で、通常は結婚適齢前の十二、三歳に行われたのですが、玉鬘の場合、筑紫に流遇していたこともあって、大幅に遅れているわけです。 したがって裳着とは、女が公式に世間に認知されること意味するので、となると彼女の出自が問題になる。藤原系(世俗)の血筋の彼女が、源氏姓(皇孫)を偽って世間に名乗りを上げるのは、春日明神(藤原姓の氏神)の深慮にももとるだろう、ということで、いよいよ光源氏はこの機会に内大臣に告げることを決意する。 物語はやっと動き出した感じです。 光源氏は内大臣宛に、玉鬘の裳着の腰結(こしゆい、腰紐を結ぶ役)を依頼する。腰結とは袴着(はかまぎ)や裳着の儀式のとき、袴や裳の腰の紐を結ぶ衣紋奉仕の役で、徳望のある人が選ばれ、けっこう重要な役なのです。 ところが内大臣は、母大宮がこの冬から病気がちであることを理由に、断って来ます。理由を知らない内大臣としては、なぜ源氏方の姫の儀式に出なければならないのか、理解に苦しむところなので、うかつに話にのってこない。 しかし大宮の病気は事実なのでした。― 中将の君も、夜昼、三条に添ひさぶらひ給ひて、心の空なくものし給うて、をりあしきを、「いかにせまし」と、思す。「世も、いと定めなし。宮も失せさせ給はば、御服あるべきを、しらず顔にてものし給はん、罪深き事多からむ。おはする世に、この事あらはしてん」と、おぼしとりて、三条の宮に、御とぶらひがてら、渡り給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 中将(夕霧)の君も、夜昼、三条の御殿につきっきりで仕えておられ、気持の余裕も失くしていらっしゃる状態で、(何とも)時期が悪いのを、「どうしたものか」と、(殿は)お思いになる。「世の中は、まったく定めないことよ。大宮がお亡くなりになられたら、(玉鬘は)喪服であるべきところ、知らず顔でお過ごしになっては、罪深いことも多かろう。(やはり、大宮が)ご存命のうちに、このことは打ち明けてしまおう」と、お決めになって、三条の宮に、お見舞いをかねて、お伺いなさった。 源氏がずうっと抱いている玉鬘への好き心も、内大臣とのあいだの不信感も、大宮の重病という、いわば世の無常の前では、すべて吹き飛んでしまう。「乙女」の帖以来高齢にもかかわらず、息子内大臣とのあつれきで、たいそう若やいでいた大宮、いよいよ最後の登場となります。― つづく ―
2010.03.13
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― 兵部卿の宮もおはす。右大将の、さばかり重りかに、由めくも、今日のよそひ、いとなまめきて、やなぐひなど負ひて、つかうまつり給へる、色黒く、鬚がちに見えて、いと、心づきなし。いかでかは、女のつくろひたてたる顔の色あひには、似たらむ。いと、わりなきことを、わかき御心地には、見おとし給ひてけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 蛍兵部卿の宮もいらっしゃっている。(髭黒の)右大将は、(日ごろ)あれだけ重々しく、取り澄ましているのに、今日の装いは、たいそうめかし込んで、やなぐい(右腰に帯びる矢入れ具)などを具して、お供なさっている(お姿は)、色が黒く、髭が多いような気がして、はなはだ、興ざめである。(これでは)どうやっても、女の厚化粧した顔の色に、似ることが(あろうか)。(と、)たいそう、無茶なことを、(まだ)若いお気持のまま、(玉鬘は)見貶めなさるのであった。 さきほど、こういう見立ては当時一般ではなかったか、と言いましたが、さすがに紫式部もちょっと考えたか、これは玉鬘の「わかき御心地」であると限定します。ここには玉鬘に対する隠れた皮肉が込められているので、こういう見立てをしている玉鬘自体、世俗の血筋であることに本人は気付いていない。 そこで、かねて源氏のほうから、言われていたこと(我々は初めて聞くのですが)について、― おとゞの君の、おぼしよりて、のたまふことを、「いかゞはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しき有様にや」と、思ひつゝみ給ふを、「なれなれしき筋などをば、もて離れて、大方につかうまつり、御覧ぜられんは、をかしうもありなんかし」とぞ、思ひより給ひける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 源氏の殿が、(かねて)思いめぐらせて、おっしゃったことに、「いかがしたものか、宮仕えとは、心ならずも、みっともない(目に合う)ことも」と、思いためらっていらっしゃったのが、「(帝の)御寵愛を受けるなどという話は、別として、普通にお仕えし、お目通りするのであれば、(けっこう)楽しいこともあるかも」とも、思い到られる。 こうして玉鬘の感想を見ていると、いくら若いとはいえ、この人は結構「面食い」というか、ミーハーの気配が無いとは言えない。当時一般の人に対する見立てが、そうであったとしても、帝とそれに供する人々を一緒くたにして、顔や容儀の風采をあげつらったのでは、髭黒がちょっと可愛そう、ということにもなりますね。蛍兵部卿についてノーコメントなのは、彼が宮家の血筋だからです。 しかしこれは逆に言えば、玉鬘が自分の器量や振るまいかたに、だんだん自信を持ち始めた証拠でもあるので、六条院に来て一年が過ぎ、女君の御殿の生活や源氏方の怪しからん振るまいを、今ではわりに軽くやり過ごすことが出来るようになっているのです。若いというのは、環境の変化に対しても順応が早い。― 又の日、おとゞ、西のたいに、 「昨日、うへは、見たてまつり給ひきや。かのことは、おぼし靡きぬらむや」と、聞こえ給へり。白き色紙に、いとうち解けたる文、こまかに気色ばみてもあらぬが、をかしきを、見給うて、「あいなのことや」と、笑ひ給ふ物から、「よくも、おしはからせ給ふ物かな」と、おぼす。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 次の日に、(源氏の)大臣は、西の対(の玉鬘)に、 「昨日は、帝は、ご覧になられたか。かねてのこと(宮仕え)は、その気には(なったかしらん)」と、お手紙を寄こされる。白い色紙に、たいそう馴れ馴れしい言葉で、何やら色めいた感じでもないが、(なかなか)面白い(内容な)のを、お読みになって、「(例によって)イヤだわ」と、お笑いになるものの、「よくも(まあ)、(私の心内を、ここまで)ご推量なさることだわ」と、お思いになる。 図星を突いているから、玉鬘は苦笑せざるを得ない。― つづく ―
2010.03.12
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さてその年の暮れに、冷泉帝の大原野への行幸(みゆき)があるのですが、それにつけても玉鬘の取り扱いに窮した感じの光源氏、要は自身の好き心がそもそもの原因なのですが、仮にも玉鬘が内大臣の実娘であることが、他所から露見でもすると、彼の性格としてさっそく源氏を女婿扱いしかねない。光源氏は内大臣の姉の葵の上に入り婿しましたから、早くに亡くなったとはいえ、理屈で言えば内大臣とは義兄弟でかつ義理の息子、というまことにややこしい関係になります。源氏としては彼の女婿というのは、品下がる思いであったことでしょう。 というわけで、この行幸の機会を利用して、光源氏は一計を案じて、玉鬘に他の女君たち共々、見物に行くのを勧める。以下、華やかな行幸の様子が描かれるのですが、そのあたりは本文を見ていただくとして、― 西の対のひめ君も、たち出で給へり。そこばく挑み尽くし給へる人の、御かたち・有様を、み給ふに、みかどの、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう、動きなき御かたはら目に、なずらひ聞ゆべき人なし。わが父おとゞを、人知れず、めをつけたてまつり給へど、きらきらしう物清げに、盛りには物し給へど、かぎりありかし。いと、人に勝れたるたゞ人と見えて、御輿のうちより外に、目移るべくもあらず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 西の対の姫君(玉鬘)も、お出かけになった。あれこれ(我こそはと)装いを尽くしていらっしゃる殿方の、お姿や立ち居振るまいを、ご覧になってみると、帝が、赤色の御衣(おんぞ)を召されて、麗しくも、鎮まっていらっしゃる横顔に、お比べ申し上げられる人などいない。我が父内大臣を、人知れず、目を凝らしてご覧になっていると、目立って華やかで、威勢を振るっておいでになるが、(いかんせん、高貴な血筋ではないので)限界があるような(気がする)。ことのほか、誰よりも秀でた世俗(代表)の人と見なしてしまうと、御輿の内(の帝のお顔)より他に、目が移るわけがないのである。 かねて待ち望んでいた実父の姿を、玉鬘は生まれて初めて見るわけですが、その風采はたいそう派手で立派だけど、高貴な帝のお姿には比ぶべくもない、というのです。 引き続いて彼女の殿方比べは続きます。― 源氏の大臣の御顔ざまは、こと物とも見え給はぬを、思ひなしの、いま少し、いつくしう、かたじけなく、めでたきなり。さば、かゝる類ひは、おはし難かりけり。「貴(あて)なる人は、みな、物清げに、けはひ異なべい物」とのみ、おとゞ・中将などの御匂ひに、めなれ給へるを、出で消えどもの、かたはなるにやあらむ、おなじ目鼻とも見えず、くちおしうぞ、おされたるや。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 源氏の大臣のお顔は、(帝と)別とも思えないほど(そっくり)でいらっしゃるが、(玉鬘には)思いなしか、いま少し、(帝は)美しくて、畏れ多くも、ご立派に見える。してみると、こうした(立派な容儀の)御方々というのは、滅多といらっしゃらないのであった。「高貴な方々というのは、みんな、見目麗しく、雰囲気も(他と)違っているもの」とばかり、源氏の殿や、(夕霧の)中将などのお美しさを、(日頃から)見慣れていらっしゃったせいか、(そこらに)現れては消える(他の)人たちの(様子)は、(何だか)出来損ないであろうか、同じ目鼻立ちとも見えず、残念ながら、(すっかり)圧倒されたような(感じである)。 ずいぶんズケズケとした感想という気がしますが、当時の人に対する見立てというのは、案外こんなものだったのかもしれません。 彼女の見立てはさらに続きます。― つづく ―
2010.03.11
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夕霧は母葵の上が、彼を出産直後死亡したことで、母の里方である大宮のもとで、他の内大臣家の若君たちといっしょに育てられたのでした。父源氏の皇孫系の血筋をひくとはいえ、何度も言うように源氏性は父一代で公的には終わるわけですから、彼の意識としては内大臣系の世俗的な身の処し方には、充分な親和性があったでしょう。 そのあたり、彼のその後の振るまいには実際的な面に秀でたところがあり、内大臣家長男の柏木のほうが、むしろ皇孫系への憧れが強くて、ゆくゆく禁断の色恋の道に迷い込むことになりますね。それぞれの気質が、結果的にクロスして表れているのですが、これについては次の「行幸」の帖で触れることにします。 いずれにしても、夕霧は小さい時から、父源氏のうわさや評判については、側つきの女房や従者や、とくに祖母大宮から多くを聞いていたはずで、しかもその破天荒な振るまいというのが、源氏姓においてのみ通用する事柄であったことも、あるいは知っていたのかもしれません。藤壺の宮との一件は別としても、六条御息所や朧月夜などとのスキャンダルは、言わば公的な話題となって都中をめぐっていたわけで、それがひいては父源氏の須磨流遇という政治的危機につながった、ということも充分知っていたでしょう。 聡明な彼ですから、世俗的な危機に及ぶことは、注意深く自制していたわけで、これは大人(とくに内大臣や父源氏など)から見れば、はなはだ有能であっても、要領が良すぎて面白味に欠ける男、と映ったかもしれません。 ひるがえって考えてみれば、前にも触れましたが、そもそもこの光源氏というのが、平安の世も二百年を過ぎた今の世に、もし古代英雄的な色好みの人物が現れたらどうなるか、という今様の夢物語から出発したので、紫式部の時代すでに、要領ばかり良くて簡単には弱点を見せない、つまりお行儀が良くて官僚的な男が主流を占めつつあったことの反映であったかとも思えるのです。道長はもちろんそうした若君たちに飽き足らないものを感じ、また周辺にもさかんにそれに類したことを言ったでしょう。ひらたく言えば、「今の若い奴は、~ 」という、今も変らぬ大人の常套句を、です。 とはいえ、夕霧のような聡明な若者としてみれば、この分かりやす過ぎる大人たちの振るまいを、二番煎じで演じることは、もとよりあり得ないことだったので、彼の十二歳から十八歳までの表向きの無事平穏は、父桐壺への反発として悪童の限りを尽くしたらしい、父源氏の空白の五年間(十二歳~十七歳)とは、著しい対照をなしていますね。 さてそんな夕霧でも、表向き不利が生じるおそれがないかぎりは、父たちと同じような振るまいを為すについて、何らの懸念も抱いていなかったので、バレない限りは隙見もするし、危なくない範囲で姫君たちに声をかけたりもする。五節の君については、父源氏の従者(惟光)の娘ということで格下ですから、何ら慮るところはなかったのです。つまり右馬の助を介して渡した二通の手紙のうち、「をかしき童」のほうは五節宛、「いと馴れたる御随身」のほうは、より気を使う内大臣家の娘(雲井の雁)ということになります。 父源氏を多少退いた地点から、シラジラと観察している夕霧ですが、世にも稀なる美女たちとの馴れ合いを、散々見せ付けられて、さすがにまたしても、― 。「かゝる人々を、心にまかせて、明け暮れ見たてまつらばや。さもありぬべき程ながら、へだてへだてのけざやかなるこそ、つらけれ」など、思ふに、まめ心も、なまあくがるゝ心地す。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「こんな美女たちを、思いのままに、朝から晩まで拝見できたらなあ。そうであっても良さそうな(兄弟姉妹の)関係なのに、(父殿が)隔てをことさら立てるのが、つらいな」など、考えていると、マジメな(夕霧の)心も、何となく落ち着かない感じがする。 というところで、「野分」の帖は、ほぼおしまいです。― 源氏1000年 野分 おわり ―
2010.03.09
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じつは高みの見物で、面白がってこういう話をしていられるのは、「玉鬘十帖」も含めたあとごくわずかで、「若菜」以降は話がグンと重くなるのです。その重たい感じというのが、たんに六条院の崩壊や主人公たちの死という後半の話の中身によるのだけでなく、どうも上に見たような文体の変化にもあるような気がしてしょうがない。 要は、紫式部が次々繰り出してくる、解説抜きの等身大の人物たちの声を、読み手はその都度判断して読み進めていかねばならず、小説好きの人たちにとっては、グランドロマンのダイナミズムに翻弄されて応えられないくだりなのでしょうが、私のようなイッチョ咬みの読者(つまり、たいていの読者)は、ここでほとんどこの物語から跳ね飛ばされてしまうでしょう。まあしかし、それはまだ先の話。 さて玉鬘のもとで、さんざん戯れ合ったあと、光源氏は何だか申し分けみたいに花散里を訪ねて、今回の六条院めぐりは終わるのですが、それにお付き合いした夕霧は、父親のたいそう若やいだ振るまいに、おおいに辟易する。― むつかしき方々、めぐり給ふ御供に歩きて、中将は、なま心やましう、かゝまほしき文など、日たけぬるを思ひつゝ、ひめ君の御かたに、まゐり給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 気疲れのする方々を、順にお訪ねされる(殿の)お供に歩いていて、中将(夕霧)は、何とも気がスッキリせず、書きたいと思っていた(雲井の雁などへの)手紙なども、日が高くなっていくのを気にしながら、若姫君(明石の方の娘、紫の上が養育している)のお部屋に、参上なさった。 夕霧はこの六条院で、世話役の花散里と、異腹妹の明石の姫とだけは、会うことが許されていたようなのですが、若姫君は紫の上の部屋に行っていて、居ない。ここで彼は書きたいと思っていた手紙をしたためます。ところが、― またも、書い給うて、右馬助(むまのすけ)に賜へれば、をかしき童、また、いと馴れたる御随身などに、うちさゝめきて、取らするを、若き人々、たゞならずゆかしがる。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) また(もう一通)、お書きになって、右馬の助にお渡しになり、(一通を)可愛い童に、また(もう一通は)よく心得た御随身などに、そっと耳打ちして、渡すので、若い女房たちは、尋常ならず(どなたかしらと)知りたがっている。 雲井の雁への消息文は「乙女」の一件以来分かるとして、もう一通というのが、どうやらそのすったもんだの際、クサクサして二条邸の女房たちの部屋を覗いたとき、たまたま五節の舞姫に選ばれて来ていたスレンダー美女、惟光の娘らしいのです(乙女 31.)。その時もずいぶん立ち直りが早いじゃないの、と思ったのでしたが、夕霧というのは、表向きマジメ人間を装いながらも、案外チャッカリしているみたいですね。― つづく ―
2010.03.08
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ここで紫式部が試みようとしたのは、光り輝く絶対的な英雄を、相対化して今どきのサイズで見てみたらどうなるか、ということであり、それを草子地のような不特定のささやき声ではなく、固有名詞を持った人間に語らせた場合、源氏がどのように見えてくるか、ということを試したかったのではないか? 「草子地(そうしぢ)」とは以前にも触れましたが、語り手の語り手といった位置づけで、時折り話の中味に介入して、感想を言ったり茶々を入れたりする。「源氏物語」がそうした昔語りの草子地で語られるについては、紫式部が自身の描く内容にかんして、きわめて慎重であった、臆病であった、あるいは自分を表に出すのを極度に嫌った、という韜晦的な性癖のほかに、より積極的には、不特定のささやき声であれば、上臈・上達部の御簾の中にも遠慮なく入って行けるし、そこで繰り広げられるてん末を「あまりなるまで」描くことが出来る、という効用もあったのでした。 では今回の夕霧の目線とは、どういう効用が考えられるのか?それはあるいは、今どきの新聞記事を想定してみるのも一興かもしれません。新聞記事や週刊誌などで、筆者名が明記してあるのと無記名の記事とでは、書いてある内容や言わんとする中味の印象が、(仮に同じ暴露記事や意見記事であっても)ずいぶん違って見えるでしょう。書いている(見ている)側が特定される場合、書かれている(見られている)中味の信頼度や透明性は、全然違ってくるのです。 いくら口さがない草子地たちが、「光源氏は表向き偉そうにしていても、内実はこうなのよ」と、ヒソヒソしゃべりあっていても、本当の意味での等身大の光源氏というのは見えてこない。週刊誌が無記名で暴露記事を連ねても、本人たちが必ずしも傷まないのと似ていますね。ここでは夕霧という特定の個人の目線であることによって、それに見られている光源氏は、目眩ましでない現実(うつつ)の姿として、我々の前に現れて来るのです。 ふりかえって考えてみれば、「帚木」の帖に始まった一連のb系物語というのは、すべて絶対的な英雄像としての光源氏を、さまざまな失敗譚で相対化する試みであったともされ、大野晋さんはb系物語とは、源氏の表には出せない裏話、つまり空蝉、夕顔、末摘花そして玉鬘をめぐる話は、一連の光源氏の失敗物語という位置づけをされていますね(私は前に触れたように、多少これには異論があるのですが)。 しかしそうした失敗譚に限らず、光源氏の相対化というのが、もしb系物語の主題であったとするならば、ここでの夕霧の視線の導入というのは、それに添った一連の試みの一つだったのではないか?要は、誰と特定できない草子地の目と口ではなく、特定の個人の目線と口を借りることで、より生臭い(つまり人間臭い)源氏を描いてみようとしたのではないか、と思えるのです。 実をいうと、もう一つここには大事な視点があるかもしれません。それは見ている側の夕霧もまた相対化されている、ということで、読者は二つながら等身大の人間を見つめる、という感覚になるのです。 またぞろ新聞記事の話ですが、記名入りの意見記事を読むとき、私たちはそれに賛成するにせよ反対するにせよ、ある個人の書いた記事として、等身大でその中味を読んでいるわけで、新聞社や雑誌社という目に見えない権威を後ろ楯にした、無記名の記事や無責任なゴシップとは、明らかに読み方が変らざるを得ない。ひらたく言えば、読む側も、書く側、書いてある中味と、等身大の目線で事柄を見ている感覚になる。つまり読み手も相対化されて、同じ個人としてそれぞれの記事内容の判断を迫られる、ということになります。 物語の読み手もまた今までのように、安全地帯からの(つまり神の位置からの)高みの見物では読めないので、作中人物と同じ等身大の人間として、物語の中味に積極的に入って、自ら判断していかざるを得ない、ということでしょうか。しかしそれって、ずいぶん高等戦術であるうえに、楽しんで読むには、なかなかしんどい話のような気もするのですが。― つづく ―
2010.03.07
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こういう他人同士の男女が恋愛感情を抜きにして、妙に親しくなるという図柄は、今でも時おり見かける光景ですが、多少馴れ馴れし過ぎる口の聞きかたは、夕霧からは当然に親子としては奇妙に見えるわけで、― 中将、いとこまやかに、きこえ給ふを、「いかで、この御かたち、見てしがな」と、思ひわたる心にて、隅の間の御簾の、几帳は添ひながら、しどけなきを、やをら、ひま、ひき上げて見るに、紛るゝ物どもも、とりやられたれば、いとよく見ゆ。 (夕霧の)中将は、(玉鬘が)ずいぶんと近しげに、(父源氏と)話をなさっているので、「どうしても(一度は)、この(新姫の)お姿を、見てみたいな」と、思っていたこともあって、隅の間の御簾に、几帳は立ててあったが、ザッとしていたので、そっと、隙間を、引き上げて覗いてみると、邪魔な物などは、取り片付けられていて、(奥まで)すっかりよく見える。 で、その二人の様子というのは、― かく、たわぶれ給ふけしきのしるきを、「怪しのわざや。親子ときこえながら、かく、ふところ離れず、もの近かるべき程かは」と、目とまりぬ。「みやつけ給はむ」と、おそろしけれど、怪しきに、心も驚きて、なほ見れば、柱がくれに、すこしそばみ給へりつるを、ひきよせ給へるに、御髪の、なみよりて、はらはらとこぼれかゝりたるほど、をんなも、「いと、むつかしく、苦し」と、思う給へる気色ながら、さすがに、いと、なごやかなるさまして、よりかゝり給へるは、ことと馴れ馴れしきにこそあめれ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) あのように、戯れ合っていらっしゃる様子がハッキリわかるので、「どういうことなのだろう。親子とは申しながら、このように、懐から離さず、ヘンに近し過ぎるのは(あり得ないよ)」と、目を見張ってしまう。「(殿が)お気付きになるのではないか」と、恐ろしくもあるが、(あまりに)妙で、ビックリするまま、なおも見ていると、柱に隠れて、ちょっとあっちを向いていらっしゃるのを、(殿が)引き寄せなさったところが、(玉鬘の)御髪が、波立って、ハラハラと(顔に)こぼれかかるのが、女も、「もう、イヤ、止めて」と、思っておられるようなのだが、それでも、ずいぶん、なごんだ態度で、(結局、殿に)寄り掛かっていらっしゃるというのは、相当馴れ合っている間柄なのだろう。 息子の目からもても、この親娘の戯れ合いというのは、どうみても不自然で、「あり得ねェー!」と直感するので、続いて以下のような述懐となるのです。― 「いで、あな、うたて。いかなることにかあらむ。おもひよらぬ隈なくおはしける御心にて、もとより、見馴れ生ほし立て給はぬは、かゝる御思ひ、添ひ給へるなめり。むべなりけりや。あな、うとまし」と、思ふ心も、はづかし。「女の御さま、げに、兄弟(はらから)といふとも、すこしたちのきて、異腹ぞかし」など、思はむは、「などか、心あやまりもせざらむ」と、おぼゆ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「いやはや、あ~あ、ヒドイ(もんだな)。(一体)どうなってるんだろう。(父殿は、女にかけては)想い掛けなさらない相手はないという御性分で、(この姫は)最初から、世話しお育てしたわけではないから、こうようなお気持も、持たれるのだろうか。しょうがないとは(思うけれども)。まったく、うっとうしいなあ」と、思ってしまう(自分の)心持ちさえ、恥ずかしくなる。「女君の御姿は、たしかに、兄弟とはいえ、わりに縁薄く、異腹なのだから」などと、考えると、(自分だって)「どうして、心得違いをしないとも(限らないよ)」と、思われた。 ここに現れた夕霧の述懐から出ているのは、父源氏に対する畏敬などではもちろんなく、ハッキリいえば軽蔑の眼差しなのです。 このように夕霧の目線を借りて、光源氏の姿を描くというのは、草子地の一種の変形と見ることができ、ここではそれが固有名詞を持った人物批評になるわけでしょう。― つづく ―
2010.03.06
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さて急いで秋好中宮を見舞った光源氏ですが、そのまま夕霧を引き連れて、北西側の町に住まう明石の方に向かう。― ものの、あはれにおぼえけるまゝに、箏の琴をかきまさぐりつゝ、端近う居給へるに、御さき追ふ声のしければ、うちとけ、なえばめる姿に、小袿ひきおとして、けぢめ見せたる、いといたし。端のかたに、ついゐ給ひて、風の騷ぎばかりを、訪ひ給ひて、つれなく立ち帰り給ふ、こゝろやましげなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (明石の方は、夜通しの嵐で)何となく、物悲しい気分のまま、箏の琴を掻き鳴らしながら、(部屋の)端近くにいらっしゃったが、(源氏の)先払いの声がしたので、くつろいで、着慣れている(普段着の)上に、小袿(こうちぎ、高位の宮廷女性の上着。準正装)を(さっと)衣桁(いこう、室内で衣類などを掛けておく道具)から引き下ろし、(それをはおって)ケジメをつけるのは、まったく(アッパレなくらい)隙がない。(ところが、殿は)端の方に、ちょっといらっしゃっただけで、(昨夜の)風の騒ぎばかり、お見舞いになって、愛想なくお立ちになって出て行かれるので、内心は(はなはだ)味気無さそうである。 明石の方というのは、この物語で鮮やかなキャラクターを示すことは少ないのですが、ここでは彼女の一端が多少戯画的に描かれていますね。殿が来た、ということになると、いついかなる時でも、さっと身を扮装する。これは何も衣装の話じゃなくて、彼女の身の処しかたそのものを現しているかに思え、見ようによってはかなり意地悪な描きかたではあります。 対称的なのが、次に訪れた新姫(玉鬘)で、昨夜の嵐で眠れなくて、今朝はすっかり寝坊し、今やっと鏡を見て化粧などをしているので、同じように鄙から引き取られた姫君ですが、この違いはどこから来るのでしょうか?― 「ことことしく、先な追ひそ」と、のたまへば、殊に音せで、いり給ふ。屏風なども、みな、たゝみ寄せ、物しどけなくしなしたるに、日の、花やかにさし出でたるほど、けざけざと、物清げなるさまして、ゐ給へり。ちかく、ゐたまひて、例の、風につけても、おなじ筋に、むつかしう聞え戯れ給へば、「堪へず、うたて」と、思ひて、 「かう、心憂ければこそ、今宵の風にも、あくがれなまほしく侍りつれ」と、むつかり給へば、いとよく、うち笑ひ給ひて、 「風につきて、あくがれ給はむや、かるがるしからむ。さりとも、とまる方、ありなむかし。やうやう、かゝる御心向けこそ添ひにけれ。ことわりや」と、のたまへば、「げに、うち思ひのまゝに、聞こえてけるかな」と、おぼして、身づからも、うち笑み給へる、いとをかしき、色あひ・つらつきなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「事々しく、先払いはするな」と、(殿は)おっしゃって、ことさらに音もさせずに、お入りになる。屏風なども、すべて、たたんで寄せてあり、何となく散らかしてある中に、日ざしが、パァッと射してきて、(玉鬘は)一段と鮮やかに、美しげな様子で、いらっしゃる。例によって、(昨夜の)強風の(見舞い)ついでに、(いつもと)同じ調子で、ややこしいことをふざけておっしゃるので、「相変わらず、イヤだわ」と、思って、 「こんなに、うっとうしいなら、(いっそ)昨夜の風で、(吹き飛ばされて)どこかへ行ってしまえたらと思いますわ」と、おすねになるのを(見て)、(殿は)たいそう、お笑いになり、 「風に吹かれて、飛んで行かれるというのは、いかがなものか。それとも、(どこか)停まるところでもあるのかな。ようやく、そういうお心向きも出てきたということか。なるほど」と、おっしゃるので、「ホント、心に思うがまま、(ふと)申上げちゃったわ」と、気付かれて、自分でも、苦笑なさる(そのお姿は)、たいそう愛敬のある、顔色・表情である。 このあたりは、もうすでに戯れ合う間合いになった、二人の関係をよく示しているので、玉鬘は若さの特権で、源氏の殿に対してあまり気を使わなくなっているのです。― つづく ―
2010.03.05
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父源氏が、美女を見初めて懸想したとき、相手が上臈だろうと中宮だろうと、内心の感情を押し包むということは、ここから先もなく、いったん入ったスイッチは戻しようがないとばかりに、相手のハードルが高ければ高いほど、ますます想いを募らせたのに対し、夕霧は自身の止めようのない感情の沸き起こりに困惑して、何とか押さえ込もうとする。 しかしこれは現実の平安中期の貴族社会では、むしろ普通の身の処しかたで、彼はいわば現実(うつつ)社会の代表として、この物語に出ているようにも思われます。爾来、彼を堅物だのマメ男だの、はなはだ面白味に欠ける男のように喧伝されがちですが、現実(うつつ)とは案外そういうものだったのではないか?平安初期、まだ社会が固定化せず、古代的慣習が色濃く残っていた時代なら、業平や平忠のような天下の好き者が大路を闊歩することはあっても、京に遷都されて二百年以上も経てば、社会は自ずから固定化し洗練されて、ロマンティックなヒーローはいなくなっていたのです。 光源氏とは、社会がすっかり硬直して官僚化し、一方では鄙の周辺から古代律令制の矛盾と綻びが、露わになって来た平安中後期の貴族社会の今という時代に、もし古代英雄的なヒーローが現れたらどうなるか?というような、夢物語から出発したのでした。 とはいえ、心ここにあらずの夕霧の気配は、たちまち父源氏の知るところとなるので、入念に化粧などをして出かけようとしたところが、― … 出で給ふに、中将、ながめいりて、とみにも驚くまじきけしきにて、居給へるを、心疾き人の御目には、いかゞ見給ひけむ、立ちかへり、女君に、 「昨日、風のまぎれに、中将、みたてまつりやしけん。かの戸のあきたりしによ」と、のたまへば、おもてうち赤みて、 「いかでか、さはあらむ。渡殿のかたに、人の音もせざりしものを」と、きこえ給ふ。「なほ、あやし」と、ひとりごちて、わたり給ひぬ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) … お出かけになろうとしたところが、(夕霧の)中将が、(珍しくも)ボウッとした感じで、ふとも気付かない様子で、控えていらっしゃったのが、目ざとい人(源氏)の御目には、どう映ったことか、(いったん内へ)立ち戻って、女君に(申されるには)、 「昨日、(野分の)風に紛れて、中将は、(あなたの姿を)垣間見申したのでは(ないだろうか)?あの戸が開いていたからね」と、おっしゃるので、(上は)顔を赤らめて、 「どうして、そんなことが(ございましょう)。渡殿の方は、人の気配もしませんでしたのに」と、ご返事なさる。「(いや)やっぱり、あやしいな」と、(殿は)つぶやいて、(中宮殿へ)お出でになった。 こういう物思いに耽る男というのが、何を考えているのか、練達の父源氏の頭では、昨日の出来事と合わせて、たちどころに「さては、見たな」ということにつながって行く。我が身の経験からみて、ほぼ間違いなかろう、という結論なのです。今どきの時代の英雄であるために、光源氏は取り分け勘が利いて気配りもできる、そういう人間なのでした。― つづく ―にほんブログ村
2010.03.04
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以下、つづくやりとりは本文を読んでいただくとして、夕霧の心象はもう少し追いかけてみることにしましょう。この野分のおり、たまたま秋好中宮は六条院に里下りしていて、源氏は消息伺いを持たせて、とりあえず夕霧を差し向ける。― 中将、おりて、中の廊の戸より通りて、まゐり給ふ。あさぼらけのかたち、いと、めでたく、をかしげなり。ひむがしの対の南のそばに立ちて、御前のかたを見やり給へば、御格子、二間ばかりあげて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾まきあげて、人々ゐたり。 … 「吹きくる追風は、紫苑(しをに)ことごとに匂ふそらも、香の薫りも、ふればひ給へる御けはひにや」と、いと、思ひやりめでたく、心化粧せられて、たちいでにくけれど、忍びやかに、うち音なひて、あゆみ出で給へるに、人々、けざやかに驚き顔にはあらねど、みな、すべり入りぬ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (夕霧の)中将は、(お前を)下って、(春の御殿と秋の御殿の)間の廊の戸を通って、参上される。朝日を受けた(その)お姿は、たいそう、素晴らしくて、美しい。(中宮の御殿の)東の対の屋の南側に立って、本殿の方をご覧になると、御格子を、二間ばかり上げているだけで、ほのかな朝ぼらけ(の光の中)に、御簾を巻き上げて、女房たちがいる。 … 「(中宮の御殿から)吹いてくる追い風に、紫苑(しおん、キク科の多年草。秋、多数の淡紫色の花を開く)の花さえすべて匂い立ち、薫物の香もして来るのは、(中宮が)お触れになった移り香のせいかしら」と、まことに、思いやるほどにみごとなので、(つい心が)ときめいて、(御前に)進みにくいけれども、小声で、咳払いして、歩き出しなさると、女房たちは、はっきりとは驚いた顔はしないが、皆、(奥に)引き下がってしまった。 中宮の御殿は、紫の上の春の御殿と、南側の渡り廊下でつながっていて、間の戸から入って本殿の方を見ると、朝ぼらけの光に包まれて女房たちが座っている。そこから吹いて来る風に紫苑の花の匂いや、薫物の香りも混じってくるのは、中宮の移り香かしら、という夕霧の気分は、朝から何やら陶然とした感じですね。 それにしても中宮の本殿から東の対に風が来たということは、風が北から西風に変わっているということで、野分はどうやら都の東、たぶん紀伊半島から伊勢あたりを東北に抜けて、直撃を免れたということでしょう。 夕霧の受け取った中宮からのご返事が、女ばかりで不安だったところ、今来ていただいてやっと安心した、というような中味だったので、源氏はさっそく自分自身も挨拶に伺うことにする。その様子を見つめる夕霧というのは、― 御直衣などたてまつるとて、御簾ひきあげて、入り給ふに、短き御几帳ひきよせて、はつかに見ゆる御袖口、「さにこそはあらめ」と思ふに、胸、「つぶ、つぶ、つぶ」と鳴る心地するも、うたてあれば、ほかざまに見やりつ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (源氏の殿は)御直衣などをお召しになるということで、御簾を引き上げて、(内へ)お入りになるが、短い几帳を引き寄せられる、わずかに見える御袖口は、「きっと(紫の上の)お方であろう」と思うと、胸が、「ドキ、ドキ、ドキ」と高鳴るような気がして来るのが、鬱陶しくて、他所を(わざと)見ている。― つづく ―
2010.03.03
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バカな話のつづきで、こうした文学的問いかけに対する、私の感受性の無さをさらしてしまうのですが、例えば、1. 一目惚れした紫の上見たさで、涙がこぼれた。2. 我が身を厳しくしつける父源氏に口惜しさが募って、涙がこぼれた。3. 野分の中、苦労して参上したのに、父源氏たちは御簾の中で、楽しそうにやっているから、 … 4. 夜通しの嵐のあと、朝日に照らされた濡れそぼった庭を見て、 … 5. にわかに降り出した村雨に、たんに打たれたから、 … 6. … 7. … などなど、気の利いた読者の皆さんなら、もう少しマシな観測もなさるのでしょうが、要は数えあげればキリがない。そして実際の感触はというと、たぶんそのどれもが混じっている気もするし、かといってそのどれと特定出来るわけでもない。そのあたりの夕霧の気分というのは、結局あれこれ言葉を尽くしても仕方がない(もともと目に見えない気分など、いくら言葉を重ねても表現し尽くせるわけがない)ので、したがってズバリ、「そこはかとなく涙の落つるを、おし拭ひかくして、」という事実だけの記載となって、あとは読み手の想像力をじっと待つしかない。つまりこれはよほど話し言葉の間合いに近いのです(話し言葉は、相手の反応によって、刻々変化していくものでしょう)。 というわけで我々は、目の前に並べられた紫式部の言葉に対して、何もかも説明されている(らしい)近代文学以上に、読む側の想像力を駆使して、中味に積極的に介入していかざるを得ない。しかし大事なのは、それでも我々は、ではまったく自由な想像力の飛翔を許されているのか、というと、もちろんそんなわけがないので、それらはすべて「彼女の差し手に規制されている」あるいは「翻弄されている」と言っていいのです。 で、私の介入の結果は、と言われれば、それはたぶん、父と息子の距離感のようなものだった、と言わざるを得ません。一目で万人をひれ伏させるような絶世の美女、それも昨日垣間見たばかりの六条院の女王と、我が父が嵐の明けがたに、寝屋で戯れ合っている。その父からマジメ人間であれ、と厳しくしつけられた夕霧としては、この距離感というのが、どこから来てしまっているのか、またしても物思いに耽ざるを得ないのです。 しかしそれが皮相な親子の対立でなく、心底の心の隔てとなって現れてくるのが、インテリのインテリらしいところで、こののち夕霧の父に対する見方は、残酷とは言えないにしても、一種覚めた観察に終始するのです。これはある意味、見られている父光源氏にとっては悲劇的様相なので、― 御格子を、御手づからひきあげ給へば、け近きかたはら痛さに、たちのきて、さぶらひ給ふ。 「いかにぞ。昨夜(よべ)、宮は、まち喜び給ひきや」 「しか。はかなきことにつけても、涙もろにものし給へば、いと、不憫にこそ侍れ」と、申し給へば、わらひ給ひて、 … ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (父源氏は)御格子を、御手ずから引き上げなさったので、(夕霧は)何となく近すぎる感じがイヤで、(心持ち)立ち退いて、控えておられる。 「どうであった。昨夜は、大宮は、待ちかねてお喜びであったか」 「はい。ささいなことにつけても、涙もろくなさっていっしゃいまして、まことに、不憫に思い申し上げまして」と、申上げなさると、(殿は)お笑いになって、 … ― つづく ―
2010.03.02
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話が本筋から逸れて、例によって小難しくなっていますが、もう少し突っ込んで言ってしまうと、この「書いてある言葉と、それを読む人とのあいだの関係性」というのは、さらに「作者 ― 作品 ― 読み手の関係」に分けることもでき、この関係とはどんなものなのだろう、と思ってしまいます。早い話、この三者の中で、どれかが何らかの実体であると、指し示すことはできるのでしょうか?まあ実体の定義によって、変わってくるんじゃないの?という話になりそうですが、ここは文学の話でするとややこしいので、一つの思考実験として、次のような例を考えてみたいのです。― 音楽の実体というのは、作曲者にあるのか、作品にあるのか、演奏者にあるのか、聴き手にあるのか? ―と、いうふうに考えたとき、物ごとの実体というのは、たちまち不分明になって来るでしょう。音楽の実体が作曲者にあるかと言えば、それが譜面に記されていなければ誰も感じ取ることは出来ないし、譜面があっても大半の人はそれを見て音楽を感じることは出来ないでしょう。かといって演奏者が音楽を奏でたとしても、聴く耳を誰も持たなかったら、はたしてそこに音楽があると言えるのか?聞くに堪えない音楽とは、むしろ雑音に分類されるべきものでしょう。 で、そのあたりは皆さんも経験的によくご存知のとおり、ときどきの気分によって音楽は心地よかったり、ヘンにイライラさせるばかりであったり、まことに不安定に移ろい行くものであって、ついに実体などというものが、我が身がたまたま関与しているこの世とは無関係に、独立して存在しているなどとは、誰も思わない。 もし、こうしたものに、何か存在を認めるとするならば、結局、― 音楽というのは、作曲家と譜面と演奏者と聴き手のあいだの関係性でのみ、存在している ―と、いうことなのではないか? で、実際に音楽を聴いて、何か真実を感じるとすれば(確かに感じるときがあるのです)、それはお互いが幸福な作用をし合ったとき、ちょっと今どきの物理学の用語をシャレて使えば、互いの「相互作用」のみが実体で、それぞれが別個に独立して存在しているわけではない、と言い得るのではないか、ということなのです。 これはあるいは、文学についても同じことが言えるのかもしれず、「作者 ― 作品 ― 読み手」の関係というのは、互いの「幸福な相互作用」が生じた時にのみ、作品として立ち上がってくるので、「それぞれが別個に独立して存在しているわけではない」。互いの「相互作用」のみが作品を作品たらしめているので、「野分」の帖のここのくだりは、「源氏物語」の用語が話し言葉に近いぶん、このあたりの関係性をよく考えさせてくれるのです。 書き記された言葉こそ唯一絶対の真実であって、したがって何もかも(美女の顔も、セックスの態様も)、描き切れると信じた十九世紀近代リアリズムに基づいた近代文学が、二十世紀以降完全に行き詰って、立ち尽くしているように見えるのと、これは対照的に見える。こうした関係性における文学的あるいは芸術的享受というのは、じつは日本では「源氏物語」だけでなく、ずうっと一つの伝統として理解されていたかに思われ、例えば「連歌」だの「茶の湯」だの、この関係性による相互作用をおいて他に何か、これを成り立たせている実体というのはあるのでしょうか? 何だかますます、本筋から離れて行ってしまいそうです。さて、では唐突に記された「 … 、そこはかとなく涙の落つるを、おし拭ひかくして、 … 」から、どのような相互作用を観測できるか、以下、箇条書きにして述べなさい!?― つづく ―
2010.03.01
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