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― 御裳着の事、おぼしいそぐ御心おきて、世の常ならず。春宮も、おなじ二月(きさらぎ)に、御かうぶりのことあるべければ、やがて、御まゐりも、うち続くべきにや。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 御裳着の(準備の)ことで、(源氏の)気持せかれるお心使いは、並々でない。東宮も、同じ二月に、ご元服の式がある予定なので、そのまま、ご入内も、引き続いてなさるのであろうか。 ここの「梅枝」の冒頭の文章、例によって主語その他が省かれているので、「真木柱」から順番に読んで来ると、いったい誰の御裳着なのか、いきなり面食らうことになります。その次の文章に東宮の元服のことが書いてあるので、時系列をたどっていくと、現東宮(冷泉現帝の次の天皇)とは、朱雀院と承香殿の女御の子だったな。してみれば、それに合わせて源氏が急いている裳着式の人とは、明石の方が儲けた光源氏の一人娘で、今は紫の上が世話している姫のことかと、だんだん頭の中が晴れて来るという仕儀になります。 今どきの口語訳や古典文学体系などでは、どうということもなく説明や脚注があって、そのまま通り過ぎてしまいますが、原文だけだと、紫式部の文章というのは、いかにもズバリとしていて、何とも取りつくシマがない感じがしますね。明石の方の娘の話は、ここまでの長い長い「玉鬘十帖」の話のはるか前、「松風」の帖あたりでかなり詳しく語られているのですが、そんなことはほとんど忘れているのです。 ここでも、もしa系物語が先に出来上がっていて、b系物語があとから挟まれたとなれば、もともとこれらの話の間隔は、そんなに離れていたわけではなかったと、またまた「b系あとから挿入説」の論拠にされそうですが、まあそう急がずに、もう少し話を追いかけて行きましょう。 このあと何が語られるかというと、裳着の式に使うであろう「薫物合せ」の話なのです。光源氏は一人娘の裳着とあって、相当賑々しくかつ厳かな儀式にしようと思っている。次期帝の外戚たらんとすれば、何が何でも我が娘を中宮にして嫡子も産ませたい、というのが彼の目論見なのでした。 しかし実際に語られるのは「薫物合せ」という、ずいぶん雅びた話題で、各姫君に工夫を凝らした薫物を出すよう指示を出す。しかもこういう趣味の話になると、格好の相手である蛍兵部卿が六条院にやって来る。あちこちから出させた薫物の判定を蛍にさせて、そのうち優れたものを裳着の式で納めようという趣向で、相変わらず悠長な六条院の時間が流れているのです。そのあたりは本文を読んでみて下さい。 源氏が蛍に、その真意を語るには、― 「まめやかには、すきずきしきやうなれど、又もなかめる人のうへにて、「これこそは、ことわりの営みなめれ」と、思ひ給へなしてなん。いと、みにくければ、うとき人は、かたはらいたさに、「中宮まかでさせたてまつりて」と思ひ給ふる。したしきほどに、馴れ聞えかよへど、はづかしきところの、深くおはする宮なれば、何事も、世の常にて、みせたてまつらんは、かたじけなくてなん」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「マジメな話、物好きなのかもしれないけれど、(なにしろ)一人しかいない娘のことなので、『これくらいは、当然の支度かな』と、思いましてな。(我が娘は)たいそう、不器量でして、親しくない人に(腰結いを頼むのは)、気が退けて、(この際)『中宮にご退出いただいて(お願いしよう)』と思っておるのです。(秋好中宮の養父として)親しいままに、馴れ馴れしく聞き交わしておりますが、畏れ多いところが、深くていらっしゃる宮ですから、何かにつけて、世間並み(の作法)で、お目にかけますのも、恐縮しますのでね」― つづく ―
2010.05.31
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年の暮れに子供が出来て、玉鬘の話は収まったのですが、年が明けると源氏のほうは、唯一の娘である明石の姫君の御裳着の式が急がれる。というのも、東宮の元服が迫っているので、いずれ新帝の外戚をもくろんでいる彼としては、この娘を早々に入内させようと思っているのです。 明石の方との間に授かって、紫の上が手塩にかけて育ててきた明石の姫君には、当時の摂関政治のシステムにあっては、自ずとそういう重大な役割があったのでした。 さて、しかしここでは本文を追いかける前に、前の帖から引き続いてa系b系の話をしなければなりません。何度も繰り返しますが、このa系b系の区分けについては(源氏1000年 その二 32.)の表を見てください。要は「源氏物語」の前半「桐壺」から「藤裏葉」までの帖は、光源氏の「貴種流離譚」を中心としたa系物語と、玉鬘を中心とした「求婚譚」のb系物語があって、当初a系で書き始められたのが、途中でb系をあらためて書き出し、しかるべき時系列に挟まれたのだろう、という議論です。 この「b系物語あとから挿入説」は、その文体や構造の変化からいっても、ほぼ間違いないと思うのですが、私が問題にするのは、それがいつごろ書かれ始めてa系物語に挟み込まれたのか、ということです。この議論はうっかりするとa系がすべて完成したあと、b系が書かれ始めた、と勘違いされる恐れがおおいにありますね。 これもさんざん話したように、a系は「槿」でいったんストップして、「帚木」から書かれ始めたのだろう、というのが私の議論なのでした。しかしこれにはまだ未解決の問題が残っていて、それこそ、ここの「梅枝」と続く「藤裏葉」の二つの帖が、もしa系物語の完結編であるならば、これらはいつ書かれたのだろう、という話になってくるわけです。 筋書きからいうと、明らかにこの二つの帖はa系物語の締めくくりをなしていて、「桐壺」の帖で高麗の相人が予言した、― 「国の親となりて、帝王(ていわう)の上(かみ)なき位に昇るべき相(さう)おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷(おほやけ)の重鎮(かため)となりて、天の下を輔(たす)くる方にて見れば、またその相違(たが)ふべし」 ― (渋谷栄一氏、校訂) 「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」(渋谷栄一氏、同訳)という見立てが、いよいよ光源氏が准太上天皇(帝に准じる位)に昇り詰めるという形で、「藤裏葉」の帖で実現する、という結構になっているのです。 さらに大野さんは、この二つの帖がb系「真木柱」の帖に続けて書かれたとした場合に、次のような問題点を指摘されます。それはこの二つの帖には、b系物語に登場した主要な人物、玉鬘や髭黒などが、いっさい登場していないということで、そう見ていくとb系の主要人物は、夕顔も空蝉も末摘花もa系物語の中に登場して来ない、という構図が見えてくる。 ひるがえってa系物語の主要人物、光源氏や紫の上は当然として、内大臣や夕霧その他まで、b系物語のほうにも盛んに出て来るところをみれば、当然「b系あとから挿入説」というのが出て来るわけです。 となると、これはa系物語がすべて書かれた後、b系物語が書かれ始めた、という強力な論拠になって来るわけですが、はたしてどうなのか?そのあたりを多少意識して、本文に入って行きたいと思っているのですが。― つづく ―
2010.05.30
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そのあたりを仔細に観察するために、一般にあまり省みられることのないこの十帖を、かなりしつこく読んで来たわけです。ではそのb系物語とはどういう見かたが出来るのか? a系で押して来た光源氏の「貴種流離譚」が、「薄雲」「槿」のあたりで主人公に話が偏し過ぎて、重くなったうえに、筋的にも表現としても新たな展開が難しくなってきて、気分を換える必要に迫られた。そこでスピンアウトして、主人公の傍系の物語を時系列的に初期までさかのぼって、ごく柔らかい表現法で書き始めたのではないか、という話は「乙女の前に」などで何度も触れました。 「帚木」に始まるb系物語が、基本的には「求婚譚」をベースにして構想されているのは、本編の「玉鬘十帖」を見ても明らかなのですが、それがかなり自由な結構で、紫式部はあれこれ新たな表現法を試みたり、読者サービスを行ったりしているわけです。それらが全部上手くいったかといえば、部分的にはとても面白いところも多いけれども、全体としては冗長過ぎて退屈というか、筋や主題も散漫で分かり難いということなのでした。 部分的に面白いとは、例えば「帚木」~「夕顔」の三帖は、文句なしに「源氏物語」全編の中でも白眉に数えられる各帖ですし、「玉鬘」の後半や「真木柱」の出来ばえも相当なものなのです。それと、もし「乙女」をb系に含めるなら、この帖もベストに入るでしょう。 とはいえ、不出来だと言っている他の帖でも、「蛍」で見られた物語論や、「行幸」での源氏と内大臣の駆け引きなども面白い。しかし今回これらの各帖を読んでいて強く感じたことは、こういうほとんど動きが止まったような物語からかもし出されてくる時間の感覚というのが、他でもあったような気がしたことでした。例えば漱石の「吾輩は猫である」などでは、筋の進行などほとんど無いに等しいのに読者は面白味を感じる。そんなことはお構いなしで、語り口や人物同士のやりとりだけで楽しめてしまう、ということがある。小説とか物語という表現形式では、そういうのも「有り」なので、決して話の展開だけがすべてなのではない、ということなのです。 蛍兵部卿や玉鬘などとの「物語論」とか詩歌管弦にかんするウンチクは、その中味を楽しむというよりは、苦沙弥先生と迷亭のやりとりのように、その雰囲気に浸ることに面白味を感じる、ということなのでしょう。 というわけで、今やつまらないとされる「初音」や「胡蝶」や「蛍」の各帖を、昔人がおおいに楽しんだというのには、文学享受の仕方としてまるっきり見当はずれとは言えない、それぞれの時代的な欲求に添った根拠があったと言うべきでしょう。私たちが読んで面白いと思っていたところが、100年も経てばまるっきり陳腐になってしまい、全然注目しなかった事柄が、俄然日の目を見るということは、この物語にはまだまだありそうです。 というわけで、b系物語全体をつまらないとするのは、ちょっともったいない。冗長かつ散漫な印象は免れないにしても、今読んでひたすらガマンを強いられる、というわけではなさそうです。 ところで、b系物語にはもう一つの側面がありました。これらの話は、多かれ少なかれ内大臣絡みの話ではないか?ということです。 早い話、「帚木」の「雨夜の品定め」から彼は物語に絡んでいて、夕顔も玉鬘も他ならぬ内大臣の妾とその娘なのです。末摘花はどうなのか、という話が出てくるかもしれませんが、直接絡んでいないとは言え、内大臣たちの女談義に刺激されなければ、たぶん光源氏はうらぶれた姫君に興味を抱く、ということはなかったわけで、もちろん彼は話の中心ではないのですが、b系の話全体を通じて、陰に陽に筋に絡んでいるということは感じられるでしょう。 これを例の世俗と皇孫の主導権争い、と捉えるとすれば、それはじつはb系物語だけでなく、もともとのa系の話の中にも見られたわけで、となると「玉鬘十帖」で一応b系の話は完結したとはいえ、この部分だけでみれば、主題はまだ決着していなくて、さらには続く「梅枝」と「藤裏葉」の帖をどう捉えるか、ということにもつながって行くのです。― 源氏1000年 真木柱 おわり ―
2010.05.28
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月日というのはたわいないというか、誰にも公平に流れて、この玉鬘、あれほど嫌っていた髭黒の家にあっても、その子供たちにはあんがい優しく映っていて、決してひたすら思い沈んでいるという素振りではない。ましてその年の暮れには、男の赤ちゃんまで産まれたとなれば、この人はもともとが健康的というか、事態への対処のしかたについて、やはりもって生まれた楽天性のようなものがあるようです。 この玉鬘という人、結婚してからのほうが、私には魅力的に見える、というか人間臭くなって行くような気がするのです。姫君然として、自らの意志や行動がはなはだ制限されていた六条院の生活とは異なり、誰ひとり信用出来ないとなって後の、彼女の振るまいというのは、一種肝の据わった自立の光芒を放っているので、それもまた彼女の若さのなせる業ということでしょうか。 このあと彼女は髭黒とのあいだに男君をもう一人儲けて、すっかり子育ての生活にいそしんでいるように見える。何度も言いますが、彼女は奥まった部屋で思い屈するというよりは、何やかやと用事があるほうが自分の性に合っていることを、子供が出来てから知ったのではないか。そのあたりの生活力というのは、どうも紫の上をはじめとした純正の都貴族の姫君とはやはり違う。明石の方もまた純正の都貴族ではないのですが、この人ともまた違う個性を感じるのです。 以下は玉鬘にかんする私の勝手な観測ですが(話しかたに気をつけなければいけませんが!?)、この人、骨盤が大きいというか、何となくグラマーな華やいだ体型を連想してしまうのです。男=オスにとっては、その肢体によって、はなはだ男心をそそられるタイプなのですが、彼女本人は自身の肢体にかんして、いささか持て余すところがあったのではないか?見られるたびに男=オスの態度が皆ヘンになる(源氏も夕霧も髭黒も)、ということはよほど魅力的な姿かたちであったろうということで、おそらくそれは本人が意識する以上のものだったのでしょう。 この人は決してスタイルだけのおバカさんではなくて、結構聡明で気も利く。しかしその華やか過ぎる肢体は、自ずから周囲の男=オスには眩しすぎて、彼女自身が工夫努力して装っている振るまいかたが、ことごとく彼女の想像とはあらぬ方向に行ってしまう、という仕儀になるのです。 そういう人というのは、これまた今どきの世にもいそうな気がしますね。閑話休題 このあと、この帖のおしまいには、なぜか近江の君が出てきて、またまた「ヲコ」を振りまくのですが、二回ぐらいはともかく三回めとなると、何だか一発芸の役者のようで新鮮味に欠ける。というわけで、このあたりは本文を読んでみて下さい。 さて、玉鬘をめぐる求婚譚を中心にした「玉鬘十帖」は、こうして終わるのですが、この長くて冗長な感の否めない十帖をどうみるか?「求婚譚」の基底に処女性の聖性を認めるかぎり、この話が平安の今の世にそぐわなかったろう、ということは何度も言いました。したがってそれを念頭にして筋を追いかけていくと、まことにつまらない物語ということになって来るのです。しかしこの十帖が、例のb系スピンアウトの話の一環であるとするなら、これを見る視点はもう少し広く取れそうです。― つづく ―
2010.05.27
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元来が宮家というのは、表向きの格式高さとは違って経済的には不安定で、式部卿の宮が長女を髭黒に嫁がせたのには、それなりの計算があったでしょう。髭黒としても宮家の外戚という、朝廷内での政争に必須な格式が得られるということで、お互いの利得は一致していたのです。 しかし男どもの思惑が一致するからといって、万事、男の勝手な都合で事柄が進んでいくのはいかがなものか。この北の方の心病というのは、そういう女の側から見れば、どうしようもない理不尽さを表わす挿話として、そのもっとも極端な例を示しているようにも思えます。「玉鬘十帖」をふくむb系物語全体が、男=オス全体に対する意趣返し的な要素があることは前にも触れましたが、最後になって笑い飛ばすわけにはいかないシリアスな話を登場させたのでした。 さてバラバラにされた子供たちは、その後どうであったかというと、― ひめ君をぞ、たへがたく恋ひきこえ給へど、たえて見せたてまつり給はず。わかい御心のうちに、このちゝ君を、たれもたれも、許しなう恨みきこえて、いよいよ隔て給ふことのみまされば、心細く、悲しきに、男君たちは、つねにまゐり馴れつゝ、かんの君の御有様などをも、おのづから、ことに触れてうち語りて、「まろらをも、らうたく、なつかしうなむし給ふ」「明け暮れは、をかしきことを好み物し給ふ」などいふに、うらやましう、かやうにても、安らかに振舞ふ身ならざりけんを、嘆き給ふ。あやしう、男・女につけつゝ、人に物を思はする、かむの君にぞおはしける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (髭黒は)姫君(真木柱)を、耐え難いほどに恋い慕いなされるが、(式部卿は)決してお合わせにならない。(真木柱は)子供心にも、あの父君を、(この式部邸では)誰も彼も、許さずお恨みなさって、ますます疎遠になさるのが明らかになるにつれ、心細くも、悲しんでいるが、男君たちは、いつも(式部邸に)お訪ねすると、尚侍の君(玉鬘)のご様子などを、(真木柱に)自然と、ことに触れて話し、「(玉鬘は)私どもも、可愛がって、お優しくして下さいます」「日頃は、面白いことがお好きで楽しんでいらっしゃいます」などと言うので、羨ましくて、このように、(男君のように)気楽に振るまえる身でない、(女の身であることを)嘆いていらっしゃる。不思議と、男も女も(大人も子供も)、人の気を揉ませる、尚侍の君なのであった。 玉鬘の姫をめぐる長い物語の〆は、どうやらこの「あやしう、男・女につけつゝ、人に物を思はする、かむの君にぞおはしける」であるようです。これが春三月の話で、以下後日譚が語られます。― その年の十一月に、いと、をかしき児(ちご)をさへ、抱き出で給へれば、大将も、「思ふやうにめでたし」と、もてかしづき給ふこと、限りなし。その程の有様、いはずとも、思ひやりつべきことぞかし。父おとゞも、おのづから、「思ふやうなる御宿世」と、おぼしたり。 … おほやけごとは、あるべきさまに知りなどしつゝ、まゐり給ふことぞ、やがて、かくて、やみぬべかめる。さてもありぬべきことなりかし。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) その年の十一月には、たいそう、可愛い赤ちゃんまで、(玉鬘は)お産みになって、(髭黒の)大将も、「願ったりでめでたい(ことだな)」と、いつくしみなさること、この上ない。その時の(喜び)様は、(わざわざ)言わずとも、想像つくでしょう。父内大臣も、もともと、「願っていたとおりの御運(が開けたの)だわい」と、お思いになっている。 … (尚侍としての)公務は、しかるべく執り行なっているが、参内されることは、結局、こうして(子供が出来たので)、沙汰止みになりそうである。それもあり得ることなのかしらん。― つづく ―
2010.05.26
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はなはだ回りくどくて意味不明な懸想文ではあるけれど、それでも玉鬘はあらためて光源氏の雅びた振るまいが思い出されて、涙もこぼれて来るのですが、今となってはどうしようもない。諦め切れない源氏が、重ねて手紙を寄こすのを、とうとう髭黒が目にして、― 大将も見給ひて、うち笑ひて、 「女は、まことの親の御あたりにも、たは易ううち渡り、見えたてまつり給はむこと、ついでなくて、あるべきことにあらず。まして、なぞ、このおとゞの、をりをり、思ひはなたず、恨みごとはし給ふ」と、つぶやくも、「にくし」と、きゝ給ふ。「御返り、こゝにはえ聞こえじ」と、書きにくくおぼいたれば、「まろ、きこえん」と、かはるも、かたはらいたしや。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (手紙を、髭黒の)大将もご覧になって、ニヤニヤしながら、 「女というものは(結婚したら)、実の親のもとといえども、気安く出かけて、お会いなさるなどということは、(しかるべき)機会でなければ、あってはならんことです。ましてや、何で、この(源氏の)大臣は(実の親でもないのに)、折りに触れては(いつまでも)、思い切れずに、恨み言をおっしゃるのか」と、つぶやくのを、(玉鬘は)「(何て)憎たらしい」と、聞いておられる。「(そんなことを言われては)ご返事など、こちらからはよう出来ないわ」と、書きにくく思ってらっしゃるのを、「(じゃあ)私が、お書き申そう」と、(髭黒が)代わるのも、笑止千万なこと(である)。 髭黒は当初からの玉鬘と源氏のあいまいな関係を見切っていて、建て前で押し通せると考えている。実際そのとおりだったのでした。今回の髭黒の代筆は、いわば源氏への引導と言っていいでしょう。 皮肉を込めた髭黒の返歌を見て、― 「この大将の、かゝるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。珍しう」とて、笑ひ給ふ。心のうちには、かく、らうじたるを、「いとからし」と、おぼす。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「あの(髭黒の)大将が、このように気の利いたことを言ってくるのは、今まで聞いたことがないぜ。珍しい(ことよ)」と、お笑いになる。(しかし)心の内では、このように、(玉鬘を)独り占めにしているのを、「何とも憎いな」と、思ってらっしゃる。 無風流と思っていた髭黒が、案外な和歌を送って寄こしたので、源氏は二の句が告げない。すべては後の祭りとなって、この帖の話は終りに向かいます。― かの、もとの北の方は、月日隔たるまゝに、「あさまし」と、物を思ひ沈み、いよいよ、呆け疾れて物し給ふ。大将殿の、おほかたのとぶらひ、何事をもくはしう思しおきて、君達をば、変らず思ひかしづき給へば、えしも、かけ離れ給はず、まめやかなるかたの頼みは、同じことにてなん、物し給ひける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) あの、もとの北の方は、月日が経つうちに、(髭黒の仕打ちが)「(あまりに)ひどい」と、物思いに沈まれて、ますます、心病がひどくなってしまわれた。(しかし)大将殿は、当面の(北の方の)世話は、何くれとなくこまごまと気配りされ、(子供の)君たちも、変わらずに大事にお扱いなさっているので、(北の方としても)完全に、縁を切っておしまいになるのではなく、生計のほうの当ては、(今までと)同じように、していらっしゃった。― つづく ―
2010.05.25
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以下、光源氏の繰り言が、ながながと続きます。― 大殿は、「さても、つれなきわざなりや。『いと、かう、きはぎはしう』としも思はで、たゆめられたる妬さ」を、人わろく、すべて、御心にかゝらぬ折なく、恋しう思ひ出でられ給ふ。「宿世などいふ物、おろかならぬことなれど、わがあまりなる心にて、かく、人やりならぬものは思ふぞかし」と、おきふし、面影にぞ、見え給ふ。大将の、をかしやかに、わらゝかなる気色もなき人に、添ひ居たらむに、はかなき戯れ言もつゝましう、あいなく思されて、念じ給ふを、雨いたう降りて、いとのどやかなる頃、かやうのつれづれも紛らはし所に、わたり給ひて、語らひ給ひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文たてまつり給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (源氏の)大殿は、「それにしても、素っ気ないやりようではないか。『まったく、これほどまで、あからさまに(やってのける)』とは思い到らず、(すっかり)ダマされた悔しさ(は、ガマンがならん)」と、人聞きも悪いが、(それにしても)何かにつけて、(玉鬘のことが)お心にのぼらない折とてなく、懐かしく思い出していなさった。「宿縁などというものは、(もちろん)おろそかには出来ないことではあるが、(結局)自分の余計なまでの好き心から、このように、誰のせいにも出来ない物思いに耽ってしまうのかしらん」と、寝ても覚めても、(玉鬘の)面影が、(眼に)散らついていらっしゃるのである。(髭黒の)大将のような、無風流で、愛想(好さ)の気配もない人に、連れ添っていては、ちょっとした冗談口(を、かけるの)も憚られ、どうしようもなくて、遠慮なさるが、雨がひどく降って、まったくすることがないような頃合いには、こんなときの退屈しのぎに、(玉鬘の部屋に)お出でになっては、語らいなさった記憶などが、ひどく恋しく(思い出され)、(とうとうガマン出来なくなって)御文を差し上げなさった。 御所への伺候から戻って来るべき六条院から、髭黒にまんまと謀られて、玉鬘は突然居なくなってしまう。その唐突な喪失感というのは、分からないではないのですが、しかしその悔しがる感じは、何となく子供が自分の玩具を、誰かに盗られた時のような、たわいなさにも見えます。 さてここで、私にとっては、ちょっと意外なことが起こるのです。本文によると、源氏はやはり玉鬘本人に出すのは憚って、側付きの右近宛てに手紙を送った、とあるのです。 右近については、この帖のはじめのほうで髭黒とのすったもんだの際、彼女がいないのはおかしいということで、さんざん議論して「もうすでに引退していたのだろう」だの、「だとすれば、その時期はたぶん玉鬘の御裳着のあとだろう」などと、勝手な想像をしていたのですが、ここで顔を出しているとなると、これは一体何なんだ、ということになってしまいますね。この人、夕顔の乳母姉妹から始まって、この物語のごく初期から、三人の姫君を見てきたわけで、光源氏とも対等ではないにしても、いろいろわたり合ってきた間柄なのです。とくに「玉鬘十帖」冒頭の長谷寺での玉鬘一行との奇跡的な出会い後の活躍は印象に残っているので、こんな所で出てくるのなら、なぜ髭黒を手引きした「おもと」を邪魔しなかったのか、と思ってしまうのは私だけでしょうか。 ここでこのように書かれるくらいなら、むしろ出て来ずに終わっていた方が良かった、それでも載せたのには、あるいは同じような疑問が、当時の読者からも出ていたのかもしれませんね。紫式部としては「玉鬘十帖」のはなはだ冗長な展開を、軽く終わらせるためにあえて登場させなかったけれども、読者から疑問が出た、あるいは彼女本人がやはり気になっていて、ここでそっと登場させたということでしょうか。彼女の気質からみて登場人物のケジメをつけるということには、わりとこだわる人だった気もします。しかしこれでは右近の幕切れとしては、何としても物足りない気がする。 しかしこんな話は、これ以上いくらしても、(本文からは)何にも出てこないので終りにします。ひょっとして右近は例によって、暇をもらって長谷寺詣でに(願解きで)行ってたのかも、なんちゃって!?― つづく ―
2010.05.24
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今まで陰に陽に髭黒を支援してきた内大臣ですが、さすがに、― 父おとゞ、「にはかなるを。儀式なきやうにや」と、思せど、「あながちに、さばかりのことを言ひ妨げんも、人の、心おくべし」と、おぼせば、 「ともかくも。もとより、進退ならぬ人の御ことなれば」とぞ、きこえ給ひける。六条殿ぞ、「いと、ゆくりなく、本意なし」とおぼせど、などかはあらむ。女も、塩やく煙のなびきけるかたを、「あさまし」と思せど、「盗みもていきたらまし」と、おぼしなずらへて、いと嬉しく、心地おちゐぬ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 父内大臣は、「(何ぼなんでも)急過ぎるではないか。(まともな)儀式もないようでは(軽々しい)」と、お感じになるが、「強いて、この程度のことも言い立てて邪魔するのは、(髭黒の)人の、気を悪くさせるかも」と、思いなさって、 「とにもかくにも(好しなにして下され)。初めっから、(この姫は、私の)思い通りにならないお人なのだから」とだけ、ご返事なさる。(一方)六条の殿(源氏)は、「まったく、突然で、心外である」とお思いになったが、(今さら)どうすることも出来ない。女(玉鬘)も、(我が身が)塩焼く煙のように(思いもかけない所に)なびいて行くのを、「(我ながら)あさましいことだわ」とお思いになるが、(髭黒のほうは)「盗み取っても行きたい(ような姫君だから)」と、気持を(古物語に)なぞらえて、とても嬉しく、(やっと)気分も落ち着くのであった。 この髭黒の、いわば都振りを肯んじない強引なやり方に対して、都人は男も女も上も下も、どうすることも出来ない。こうした気鮮やかな手法の前には、雅びな文化というのは無力なのです。わりと世俗の手法に通じているはずの内大臣でさえ、手をつかねてただ見守るばかり。逆にいうと、この髭黒という人の世俗的な実務能力というのは、内大臣も一目置かざるを得ない存在である、ということを示しているので、大事の前にはこの程度の小事など、ということだったのでしょうか。 しかし玉鬘本人にとっては、もちろんこれは小事ではないので、― かの、いりゐさせ給へりしことを、いみじう、怨じ聞えさせ給ふも、心づきなく、なほなほしき心地して、世には、心解けぬ御もてなし、いよいよ、気色悪し。 かの宮にも、さこそ、猛うのたまひしか、いみじう思し侘ぶれど、たえて、おとづれず、たゞ、思ふことかなひぬる、御かしづきに、明け暮れいとなみて、過ぐし給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) あの、(帝が、玉鬘の局に)お渡りになったことを、(髭黒が)たいそう、妬んでおられるのも、(玉鬘は)面白くなく、軽薄な感じがして、(目下の)間柄は、よそよそしく振るまわれて、ますます、ご機嫌が悪い。 かの(式部卿の)宮においても、あのように、きつくおっしゃってはみたものの、(内心)たいそう、思い悩んでおられるのだが、(髭黒のほうは、その後)いっこうに、訪れもせず、もっぱら、念願かなって、(やっと手に入れた玉鬘への)おもてなしに、日がな一日せい出して、過ごしていらっしゃる。 髭黒の勝ち誇った顔が、見えてくるようですね。― つづく ―
2010.05.23
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今回なぜか冷泉帝が、ずいぶん熱心なのです。ひとつにはここまでこの「求婚譚」で、帝はたいした出番がなかったこともあるのでしょうが、最後に持って来たのには、やはり「竹取物語」の終りを意識するところがあったのでしょう。 しかし、玉鬘としては、こうしていつまでも、寄ってたかって来る男=オスたちの振るまいというのには、ホトホト嫌気がさしているので、華やかな御所まわりの様子もいっぺんに色あせて見えたことでしょう。前にも言いましたが、彼女には不思議と男=オスを惹きつける強いフェロモンがあるようです。 それにしても相手は現帝じゃないか、それに愛想をつかすとは何事!という声も出てくるかもしれませんが、そこはそれ、彼女はすでに光源氏という、稀代なる殿方の立ち居振るまいというものを、六条院でつぶさに見ているわけで、帝といえども源氏の殿には敵わないのです。ここには裏に、それほど光源氏は現(うつつ)とは隔絶したスゴイ男だった、という紫式部のニュアンスが込められていますね。― 大将は、かく、わたらせ給へるを聞き給ひて、いとゞ、静心なければ、いそぎまどはし給ふ。身づからも、「にげなきことも、出で来ぬべき身なりけり」と、心憂きに、えのどめ給はず、まかでさせ給ふべきさま、つきづきしきことづけども、作り出でて、父おとゞなど、かしこくたばかり給ひてなむ、御いとま許され給ひける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (髭黒の)大将は、このように、(帝が、玉鬘の局を)訪れなさったとお聞きになって、とてもじゃないが、平静ではおれず、さかんに(退出を)急き立てなさる。(玉鬘)自身も、「(このままでは)ややこしいことも、起こりかねない我が身の上だから」と、(すっかり)情けなくなって、落ち着なさっても居られず、ご退出なさる旨、しかるべき口実などを、取り繕い、(さらには裏で)父内大臣なども、うまく謀られたので、お暇を(やっと)許されなさった。 このあたり、髭黒は今やタッグを組んでいる義父の内大臣に、裏で手を回したみたいですね。しかしその後の段取りというのは、― 「やがて、今宵、かの殿に」と、おぼし設けたるを、かねては、ゆるされあるまじきにより、もらしきこえ給はで、「にはかに、いと、乱り風の悩ましきを、心やすき所にうち休み侍む程、よそよそにては、いと、おぼつかなく侍らむを」と、おいらかに申しない給ひて、やがて、わたしたてまつり給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「このまま、今夜、あの(私の)邸に」と、(髭黒は、はじめから)心づもりなさっていたが、前もって(源氏の殿に、申上げたので)は、お許しになるわけもないので、 「急に、たいそう、きつい風邪をひいてしんどいので、気安い所で休もうと思うのですが、(その間)別々なのは、何とも、心配ですので(玉鬘と一緒に、引き上げることにします)」と、穏便にお断りなさって、そのまま、(玉鬘を自邸に)お連れになった。 これは完全に髭黒の独断専行で、彼はなかなか策略も巡らせることが出来る人なのです。― つづく ―
2010.05.22
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― 宿直所に居給ひて、日ひとひ、きこえ暮らし給ふことは、 「夜さり、まかでさせたてまつりてむ。「かゝるついでに」と、おぼし移るらん御宮仕へなむ、やすからぬ」とのみ、同じことを、せめ聞え給へど、御返りなし。さぶらふ人々ぞ、「おとゞの、「心あわたゞしき程ならで、まれまれの御参りなれば、御心ゆかせ給ふばかり、許されありてを、まかでさせ給へ』と、きこえさせ給ひしかば」「今宵は、あまりすがすがしうや」と、きこえたるを、「いとつらし」と、思ひて、 「さばかり、きこえし物を、さも、心にかなはぬ世かな」と、うち嘆きてゐ給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (髭黒は)宿直所に詰めていて、一日中、申し上げなさることと言えば、 「夜になったら、退出致させましょう。『こんな機会だから(しばらく御所に居よう)』と、(気持が)お変わりになるような御宮仕えになっては、たまりませんから」とばかり、同じことを、(何度も)ご催促なさるが、(玉鬘のほうからは、いっこうに)ご返事はない。仕える女房たちは、「(源氏の)大臣は、『浮ついたままでなく、めったとない参内なのだから、(帝が)心からご満足されるまで(仕えて)、お許しがあってから、退出なされませ』と、おっしゃっておりますから」「今宵(すぐというの)は、何ぼなんでもせっかちすぎやしませんか」と、お答えするのを、「何とも弱ったな」と、(髭黒は)思って、 「あれほど、申し上げておいた事なのに、どうにも、思うようにならん世の中だな」と、嘆いていらっしゃっる。 このあたり、いったん収まっていた玉鬘をめぐる「求婚譚」が、またぞろ戻ってきた感じで、実のところ髭黒の家のシリアスなやりとりを見て来た私たちにとっては、いささか疲れた感があるのです。もう決着がついた話ではなかったか、それをまたするということは、紫式部自身にとってこの「求婚譚」が、まだ腑に落ちていないということなのか、はたまたひょっとすると周囲の読者から不満の声があったのか?何とも推測のしようもないのですが、あるいはこのまま終わるのでは、玉鬘という人物像があまりにもお姫様のままで、いっこうに生きた感じがしない、という不満があったのかもしれません。 囲碁や将棋に「投げ場」という言い方がありますが、同じ「投了(負けを認めて、勝負を途中で終了すること)」するにしても、カタチというものがある。紫式部としては、この長かった「玉鬘十帖」の〆を、もう少しカタチにしたかったのかもしれませんね。 はたして、すでに決着したはずの蛍兵部卿や冷泉帝までが、御所に伺候したのを好い潮に、またしても玉鬘に想い懸けをする。しかしそのあたりは蒸し返しの話題で、はなはだ弛緩した感じがする。というわけで、端折ることにします。 華やかな御所の雰囲気に、多少気が紛れていたらしい玉鬘ですが、― … いたう怨みさせたまふ御けしきの、まめやかにわづらはしければ、「いとうたてもあるかな」とおぼえて、「をかしきさまをも見えたてまつらじ、むつかしき世の癖なりけり」と思ふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思すさまなる乱れごともうち出でさせたまはで、「やうやうこそは目馴れめ」と思しけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) … (冷泉帝が、玉鬘に)たいそうに怨み言を繰り返しなさるご様子が、あまりにも煩わしく、「とてもやってられないわ」と感じて、「お愛想を振りまく気配は(金輪際一切)お見せすまい、(何という)面倒な世の習いだこと」と思って、(いたって)生真面目にお相手し申し上げるので、(帝も)思うようにくだけた話をなさるわけにもいかず、「(まあ)しばらくすれば慣れて来るかも」とお考えになっていた。― つづく ―
2010.05.21
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というわけで、このあと盛大な玉鬘の参内の様子が語られるのですが、― かたがたのおとゞたち、この大将の御いきほひさへさしあひ、宰相の中将、ねんごろに、心しらひきこえ給ふ。兄(せうと)の君だちも、「かゝる折に」とつどひ、追従し寄りて、かしづき給ふさま、いとめでたし。承香殿(そきやうでん)の東おもてに、御局したり。西に、宮の女御はおはしければ、馬道(めむだう)ばかりの隔てなるに、御心の中は、はるかにへだたりけむかし。御方々、いづれとなく挑みかはし給ひて、内裏わたり、心にくく、をかしき頃ほひなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (太政大臣、内大臣という)二人の大臣たち(を後ろ楯)に、この(髭黒の)大将のご威勢まで加わっているので、宰相の中将(夕霧)は、念入りに、気を使ってお世話なさる。(玉鬘の)兄弟の君たちも、「この機会に」と(ばかり)集ってきて、ご機嫌を伺おうと、大切に扱ってらっしゃる様子は、まことにめでたいことである。承香殿の東面に、御局が設えられる。その西面には、(式部卿の)宮の女御がいらっしゃって、馬道ばかりを隔てるだけなのだが、お心のうちは、(どれほど)はるかに隔たっていることだろう。御方々は、誰となく(皆)競い合いなさって、内裏のあたりは、奥ゆかしくも、華やいだ時期であった。 この当時、冷泉現帝にお仕えしていた后たちというのは、源氏方の秋好中宮、内大臣方の弘徽殿女御、式部卿系の王女御、さらにはこの物語では名前だけですが、時の左大臣系の女御などと、まことに賑わしく、玉鬘はその中に尚侍として、いささか立場は違うとはいえ、新たに参入したかたちです。 しかしこの人は、もともとジメジメと思いを屈するというよりは、こうした華やいだ場所が性に合っているようで、― やむごとなく、まじらひ馴れ給へる御方々よりも、この御局の袖口、おほかたのけはひ今めかしう、同じ、ものの色あひ、重なりなれど、ものより殊に、花やかなり。さうじみも。女房たちも、「かやうに、御心やりて」「しばしは過ぐい給はまし」と、思ひあへり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 高貴(な身分)で、宮仕えを長くなさっているお方々よりも、(かえって)この御局の袖口や、おおかたの雰囲気は今ふうで、同じような、色合いや、襲(かさね、の出で立ち)なのに、ことのほか、華やかである。ご本人も、女房たちも、「このように、お心が晴れるなら」「しばらくは(宮中で)お過しなさっては」と、思い合っていた。 賑わしい宮中生活が、たいていの姫君や女房たちには、なかなかプレッシャーのかかる用向きであったろうにもかかわらず、玉鬘を取り囲むグループは、むしろその表向きの華やかさにおおいに惹かれているのです。 これはひとえに玉鬘自身のキャラクターのなせる技で、かつて私はこの人のことを多少ミーハーではないか、と書いたことがありますが、新しい出来事に対して積極的、あるいは好奇心が先に立って、向後の憂いというのをあまり気にしない、というのは、あるいは筑紫まで流れていって、図らずも都に舞い戻り、数奇なことにも今や帝の御殿に仕えている、という彼女の前半生(といっても、まだ二十三歳ぐらいですが)の経験がさせる技なのかもしれません。 本人のかもし出す、そうした一種野太い楽天性は、自ずから側付きの女房たちにも伝染するものです。 さて、そうなると何やら心穏やかでなくなるのは、ダンナの髭黒だけではないでしょう。彼としては帝その他への気兼ねもあり、男踏歌にやって来た君達に盛大な供応をする。初出仕の玉鬘を精一杯飾りたてているのですが。― つづく ―
2010.05.20
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昨日の話で、誤解のないようにしておきたいのは、式部卿の宮の娘(髭黒の北の方)が、心病に冒されているからといって、だから腹違いとはいえ、同じ娘の紫の上も似たような気質を持っているだろう、といった図式的な捉え方はしてはいけない、ということです。 物語にかぎらず一般的に優れた文学というのは、図式心理学的な解釈では絶対収まらない底深さを持っているので、それはコトバ、―― つまり優れてヒトの営みの表現であるにもかかわらず、その集積の結果としての作品 ―― が、まるであたかも本当にそこに実在するかのような、要は自然物に近い印象を与えるものだと思うのです。 よく引き合いに出されるのが、E・A・ポー(1809~1849)の「大渦に呑まれて(A Descent into the Maelstrom)」という短編ですね。大渦に呑み込まれていく小舟に乗った主人公の目に映る、しだいに漏斗状に傾斜していく渦の壁面の描写は、誰がどう考えても現の物理現象ではあり得ないにもかかわらず、我々はまさにそれを見ている、あるいは立ち会っているような気にさせられる。これは夢を見ているときのありありとした実在感に近いので、この後のフランスの象徴詩などに大きな影響を与えたのでした。 ここに挿入された紫の上の点描も、物語全体のなかでは彼女の出自の説明的項目というよりは、彼女という人間に加えられた一つの彩り(ニュアンス)くらいで捉えておくのが良さそうですね。それでも何かにつけて理想的なお姫様として語られることの多いこの人について、よほど生きた感触が出て来るでしょう。 さて話は進んで、また玉鬘と髭黒の話に戻るわけですが、北の方とのすったもんだで中断していた、玉鬘の朝廷への出仕の件はというと、― かゝることどもの騷ぎに、かむの君の御けしき、いよいよ晴間なきを、大将は、「いとほし」と、思ひあつかひ聞えて、「この、まゐり給はむとありしことも絶え切れて、さまたげ聞えつるを、内裏にも、なめく、心あるさまに聞し召し、人々も、おぼす所あらむ。おほやけ人を頼みたる人は、なくやはある」と、思ひかへして、年かへりて、まゐらせたてまつり給ふ。男踏歌ありければ、やがてそのほどに、儀式、いと今めかしく二なくて、まゐり給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) このようなかれこれの騒ぎのあいだ、尚侍の君(玉鬘)のご気分は、いっこうに晴れることなく、(髭黒の)大将は、「(これは)気の毒な」と、気をお使いなさるが、「あの、(玉鬘が)参内なさる予定だった話も途切れてしまい、(うちの事情で)沙汰止みにし申したのを、帝には、快からず、(私に)含むところがあるかのように思し召し、(さらには、他の)方々も、(同じように)お考えになるところもあろう。(ここは)宮仕えの女性を妻としている男の(例は)、(今までにも)無いことはないから」と、思い直して、年が改まったのち、参内おさせ申し上げる。(新年の)男踏歌があって、ちょうどそれに合わせて、(玉鬘は参内の)儀式を、たいそう今めかしくまたとないほどに(立派に)して、参上された。 髭黒は、北の方と父式部卿とのすったもんだで途切れていた、玉鬘の尚侍(女官長)としての宮廷への出仕を復活させたわけで、これは彼女のご機嫌に気を使った、というのはすこぶる怪しい。どちらかというと、帝をはじめとした世間体に慮った、さらに何かと気を使う六条院から、とにかく玉鬘を引き取って形ばかりの出仕をさせ、そのあと名実ともに我が物にしよう、という当初からの計画を実行した、ということでしょう。― つづく ―
2010.05.19
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考えてみれば紫式部は、これまで主として女君の悲劇というか、当代の女の哀しさのようなものを、さまざま克明に描いてきたわけですが、大事なのは、ここに見たような家庭崩壊劇というのが、「源氏物語」で描かれるのはこれが初めてだ、ということなのです。 彼女はここに来てようやく人という生き物に対して、全面的に正面から立ち向かおうとしたかと思われるので、それはこうした「救い」のない現の出来事でも、目を塞がずに見つめるという態度なのではなかったか?ここで必要なのは、書き手の感情を登場人物に過度に投射しないということで、もともと彼女は事柄を「あまりなるまで」考え尽くす人だったのですが、以後次第に明らかになってくる彼女の筆致の特徴として、一種「酷薄な肌触り」というものがあげられると思うのです。 最初に髭黒の家族を持って来たのは、それが彼女と同じ等身大の人物で、光源氏や紫の上のように眩しくなかったからでしょう。ここに描かれた家庭悲劇には、今読んでも何の違和感もありませんね(何だか、むやみに身につまされません?)。 というわけで、紫式部が「玉鬘十帖」の終りに、このヒロインとは別の、リアルな家族崩壊の物語を試みたのには、必然性があったのでした。この帖で描かれた髭黒の大将と北の方の会話は、とても微妙でシリアスな感触があって、何か「若菜」の帖以降の文体を予感させるところがあるのです。 さて、続くくだりで、久しぶりに紫の上が登場します。― 春のうへは、聞き給ひて、 「こゝにさへ、うらみらるゝ故になるが、苦しきこと」と、嘆き給ふを、おとゞの君、「いとほし」と思して、 「かたき事なり。おのが心一つにもあらぬ人のゆかりに、内裏にも、心おきたるさまに思したなり。「兵部卿の宮なども、怨じ給ふ」と聞きしを。さいへど、思ひやり深うおはする人にて、聞きあきらめ、うらみ、解け給ひにたなり。おのづから、人の中らひは、忍ぶることと思へど、隠れなき物なれば、「しか思ふべき罪もなし」となん、思ひ侍る」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 紫の上は、(髭黒と父式部卿のことを)お聞きになって、 「こちらにまで、恨まれる原因を持って来られては、辛いですわ」と、嘆きなさるので、(源氏の)大臣は、「お気の毒だ」とお思いになって、 「難しいですな。私の一存ではどうしようもない人の縁にかんして、帝におかれても、ご不興でいらっしゃるらしい。『(蛍)兵部卿の宮までが、(私を)恨んでおられる』とも聞きますが。とは言え、(蛍は)思慮深くていらっしゃる人で、(事情を)お聞き知りになって、(この)恨みは、解けなさったようです。(ともかく男女の)人の間柄というのは、忍んでおっても、隠しようもないもので、『そのように(こちらが苦にして)考えるほどの咎はない』と、思いますよ」 紫の上は、父式部卿の家で起こっているらしい、玉鬘を髭黒に斡旋したのは紫の上だろう、という邪推を気にして嘆いているのですが、光源氏はそれにはまともに答えていませんね。蛍兵部卿を持ち出して自分も同じような目にあっている、しかし氷解した、だから気にしなさんな、ということなのでしょうか。 別にどうということもないくだりなのですが、紫の上が式部卿の血を引いている、ということに注意を喚起するためにだけ挿入された感じもしますね。眩しすぎるヒロインとして、なかなか生きた肌触りが出てこない紫の上ですが、父式部卿の一族の経緯が語られたあと、こうして彼女が点描されると、多少なりと彼女が近くに見えて来た、要は天上から地上に降りてきた、という気がするのは私だけでしょうか?― つづく ―
2010.05.18
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さて、ここで三人の子供たちのうち、男君二人は式部卿の邸から出てきて、髭黒と会う。しかし最愛の一人娘には会わせない。先に北の方が「姫君は、となるとも、かうなるとも、おのれに添ひ給へ」というのに基づいたものでしょうが、このあたり姫君の位置づけというのが、今どきに比べて、ずいぶん大きいという感じがします。 髭黒としては、何とか娘の真木柱も引き取りたくて、式部卿に対面を願うが、「風邪で、養生しているので」などと合おうとしない。ということは、ここまでの髭黒と式部卿の話は従者や女房を介してのやりとりなのでした。所作なく髭黒は、男君二人だけを連れて帰ることになります。一家離散ですね。― 小君達をば車にのせて、かたらひおはす。六条殿には、え率ておはせねば、殿にとゞめて、 「なほ、こゝにあれ。きて見むにも、心やすかるべく」と、のたまふ。うちながめて、いと心細げに、見おくりたるさまども、いと、あはれなるに、もの思ひ加はりぬる心地すれど、女君の御さまの、見るかひありてめでたきに、ひがひがしき御さまを、思ひくらぶるにも、こよなくて、よろづを慰め給ふ。うち絶えて、おとづれもせず、はしたなかりしに事づけ顔なるを、宮には、いみじうめざましがり、嘆き給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 子供たちを車に乗せて、(髭黒は)話し合っておられる。(新妻のいる)六条院には、連れて行く分けにはいかないので、(途中)自邸に残して、 「やはり、ここに居るのだ。(私が)来て会うにも、気が楽だから」とおっしゃる。(子供たちが)ぼんやりと、たいそう心細気に、(父殿を)見送っている様子などは、何とも、哀れで、心配事が(また一つ)増えたような気がするけれども、(あの)女君(玉鬘)のお姿の、見栄えのする素晴らしさと、(北の方の)尋常でないお姿を、思い比べれば、(その差はあまりに)歴然としているので、万事(それで)慰めておいでになる。(髭黒は、その後)サッパリ途絶えて、(北の方には)音信もせず、(それを式部邸で受けた)無愛想な取り扱いにかこつけ顔(にしているらしい)のが、父宮には、ひどく心外で、嘆いていらっしゃるのであった。 一家離散の様子と、髭黒の意趣返し、さらに父式部卿の思惑違いが、サラサラと描かれて上手いですね。とくに私は、式部卿の宮のせっかちで気の回らない性格というのが面白くて、感情に任せて髭黒を懲らしめれば、相手は畏れ入って下手に出てくると思いきや、むしろ反対にそれを口実にされて訪ねて来ようともしない。世俗の世の仮惜ない論理を、いつも履き違える式部卿の浅はかな振るまいは、ここでも気鮮やかに出ているのです。 それにしても哀れなのは、実家に戻った北の方とバラバラにされた子供たちですが、紫式部はこの気の触れた北の方の行く末については以後触れません。もともと傍系の話であって、これ以上深入りするのはやり切れないところがあったのかもしれません。 それにしてもこの髭黒、女性方から見れば、「若い女の色香にうつつを抜かして、奥さんも子供も放擲するなんて許せない!」っていうことに当然なるのですが、ここまでの彼と奥さんの経緯を克明に見つめて来ると、公平にみて「これはどうしようもないな」というところがないとは言えないでしょう!? 上のくだりだけを見ていると、「女君の御さまの、見るかひありてめでたきに、ひがひがしき御さまを、思ひくらぶるにも、こよなくて、よろづを慰め給ふ」なんて身勝手すぎと、謗られても致し方がないのですが、それまでのマジメ人生がここ数年の介護疲れと重なって、あるきっかけでガラガラと崩れて行く。玉鬘というのは、ある意味きっかけに過ぎず、この夫婦はいずれ破綻しただろう、という感じがしないでもないのです。 要はここには「救い」がない。紫式部が描きたかったのは、このようにも現の世には「救い」のない事柄も起こり得る、ということではなかったのか。― つづく ―
2010.05.17
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とはいえ、髭黒としては子供、とくに真木柱に和歌を残していった娘のことがあって、相当頭に血がのぼっている。彼としては、来るべき自身の外戚政略に絡めても、この姫君は大事にしてきたので、許せないのです。 さて、対する式部卿はというと、― 「何か。たゞ、時に移る心の、今はじめて変り給ふにもあらず。年ごろ、思ひうかれ給ふさま、聞きわたりても、久しくなりぬるを。いづくを、また思ひ直るべき折とか待たむ。いとゞ、ひがひがしきさまにのみこそ、見えはて給はめ」と、いさめ申し給ふ、ことわりなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「何だ(というのか)。(髭黒の)もっぱら、時勢におもねる性格は、今に始まりなさったことではない。昨年来、(玉鬘に)想い浮かれていなさる様子を、聞き知って、(もうすでに)久しくなっておる(ではないか)。何時まで、再び思い直すであろう時期と待っておらねばならんのだ。(それでは御身の)何とも、みっともない姿だけを、ずうっとお見せし続けるばかりじゃ」と、(北の方を)お諌め申し上げるのは、(まあ)もっともであった。 ここに現れた式部卿のもの言いは、先の北の方を引き取る際のせっかちな判断とともに、彼のいささか浅はかな性格をよく示していて、「たゞ、時に移る心」とは、この人からは言われたくない、と誰しも思うでしょう。彼こそ時の権力におもねって、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ日和って来たのではなかったか?紫式部はまさしくそのあたりの男=オスたちの身勝手さを、皮肉を込めてしゃべらせているのです。 しかし、それに対する髭黒の反駁というのも、はなはだ我が身可愛さの目立ったもの言いなので、― 「いと、わかわかしき心地も、し侍るかな。「思ほし捨つまじき人々も侍れば」と、のどかに思ひ侍りける、心の怠りを、かへすがへす聞こえても、やるかたなし。今は、たゞ、なだらかに御覧じ許して、罪さりどころなう、世人にもことわらせてこそ、かやうにも、もてない給はめ」など、きこえわづらひておはす。「ひめ君をだに見たてまつらむ」と、きこえ給へれど、いだしたてまつるべくもあらず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「まったく、大人気ない気が、致しますな。『(北の方が)お見捨てなさるはずもない子供たちも居るのだから』と、のんきに考えておりました、(私の)心の怠慢を、返す返す申上げても、(もう)どうしょうもないでしょう。今は、さしあたって、穏やかに見守って許していただき、(私の怠慢の)罪が免れ難いことを、世の人が納得してからでも、このように、取り扱いなさっては(どうなのですか)」などと、申し開きに苦慮しておられる。「姫君(真木柱)だけにでも(せめて)お会いしたい」と、申し上げられるが、お出しなさるはずもなかった。 この時点で髭黒はすでに、北の方との和解というか、自邸に戻ってもらうことは、もとより考えていないようで、要は同じ別れるにしても、世間がなるほどそれはしょうがない、と納得するようなやりようがあるでしょうが、ということなのです。さすがにこの人、自分の言い分がいささか勝手都合なことを意識しているので、「きこえわづらひておはす」のですが、両方を見ている読者から見れば、まったく世の男=オスどもというのは、どいつもこいつも!ということになりますね。 かつて「竹取物語」に登場した男どもは、どうしようもない男=オスを戯画的に描いて、それを散々にやっつけて笑い飛ばす、という筋立てだったのですが、ここでは髭黒に多少「ヲコ」仕立ての痕跡があるとはいえ、そこに描かれた彼らの振るまいというのは、紛れもなく当代の男たちの思考態度そのものであり、当時の読者はおそらく途中までニヤニヤ笑っていたのが、だんだん気分が凍りついたでしょう。― つづく ―
2010.05.16
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― 大将の君、かく、わたり給ひにけるを聞きて、「いとあやしう、若々しきなからひのやうに、ふすべ顔にて物し給ひけるかな。正身(さうじみ)は、しか、ひききりに、きはぎはしき心もなき物を。宮の、かく、かるがるしうおはする」と思ひて、君達もあり、人目もいとほしきに、思ひ乱れて、かんの君に、 「かく怪しきことなん侍る。なかなか心安くは、思ひ給へなせど、さて、かたすみに隠ろへてもありぬべき、人の心やすさを、おだしう思ひ給へつるに。にはかに、かの宮の、し給ふならむ。人の聞き見ることも、なさけなきを。うちほのめきて参り来なむ」とて、いで給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (髭黒の)大将の君は、このように、(北の方が、子供を連れて実家に)引き取ってしまわれたことを聞いて、「まったく妙に、若やいだ(夫婦の)間柄のような、やきもちを妬きなさったものだな。本人は、こんなに、せっかちで、ハッキリした性格ではないのに。(きっと)父宮が、かように、軽率でいらっしゃっるから(なさったのだろう)」と思って、子供たちもおり、世間体も気になるので、思い余って、尚侍の君(玉鬘)には、 「このように困ったことが起こりまして。(そうであれば、こちらは)かえって気楽にも、感じられますが、さて、(邸の)片隅に引っ込んでも(気にせず)おられるような、あの方は気安い性質と、安心しておりましたのですが。(おそらく)急に、あの(父)宮が、なさったことで(ありましょう)。人が聞いたり見たりすることも、情けないので(このまま放ってはおけません)。ちょっと顔を出して参ろうと(思います)」と(言って)、お出かけになった。 要は、髭黒が六条院の玉鬘のもとに入り浸っている間に、奥さんが子供を連れて実家に帰ってしまった、ということで、彼が気にするのは何しろ世間体が第一。しかし玉鬘のほうは例によって、プイとあっちを向いている。彼女から見れば、自分が原因で髭黒の家が崩壊した、と思われてはたまったものではないのです。 で、とにもかくにも髭黒は文句の一つも言おうと、式部卿の邸に向かうのですが、その前に自邸に寄ってみれば、当然の話ですが北の方付きの女房たちは去ってしまい、もともとの髭黒の側つき女房だけが残っている。例の木工の君が、一人娘(真木柱)の愁嘆場などを報告するので、さすがに気持も崩折れるが、向かう矛先はというと、― 「さても、世の人にも似ず、あやしき事どもを見過ぐす、こゝらの年頃の心ざしを、見知り給はずありけるかな。いと、思ひのまゝならむ人は、いままでも、立ちとまるべくやはある。よし、かの正身は、とてもかくても、いたづら人と見え給へば、同じことなり。幼き人々も、いかやうにもてなし給はむとすらむ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「まったく、普通の人とは違った、怪しいことなど(心病)もガマンして来た、ここ数年来の(私の)心配りを、(北の方は)分かって下さらなかったのかしらん。ごく、我がままな男であれば、ここまで、(一緒に)過ごせるわけがないのに。まあ、当のご本人は、いずれにしても、正気を失った人とお見上げするから、同じことではあるが。(しかし、父宮は)幼い子供たちも(皆、引き取ってしまって)、どのように取り扱いなさろうとするのか」 このあたりの髭黒の言い分をどう取るかは、なかなか微妙なところで、少なくとも女性方たちからは、おおいにブーイングが出て来そうです。確かにこの男の関心が、すでに奥さんではなく子供と、彼らをせっかちに引き取った式部卿に向いているのは噴飯物ではありますが。― つづく ―
2010.05.15
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しかし北の方の心病については、父式部卿のほうの気質はいかがなものであったか、というのも考えないと公平ではないでしょう。たいていの親王、例えば蛍兵部卿のような人というのは、基本的に政治向きには無関心で、詩歌管弦その他趣味事と女遊びにしか関心がない。しかし彼らは我が身の危険にかんしては、結構鋭敏な嗅覚を持っていて、決して光源氏が見なしているほどには、バカじゃなかったと思うのです。 なまじっか我が身の才覚を頼んでヘタに振るまった場合、並みの人間では起こり得ない事態が、皇孫であることによって起こり得る、ということを彼らは充分承知していたのではないか? 式部卿の宮という人が、そうした皇孫たちの雅びた振るまいに飽き足らず、多少政治的才覚があったがゆえに、世俗に絡んでいく、あるいは一時ひょっとすると、自ら帝に立つというような野心も頭をよぎったのではないか?この人の振るまいには何かそういう色気というか、生臭いところがあるのです。本人にそうした色気があったからこそ、大北の方の教唆に半ば以上本気になった、たんなるロボットで飽き足らず実際の政略に関わろうとしたことが、この人の基本的な不幸で、むしろ意識してでもそれらから距離を置いたほうが、結果的に不満は残るにしても、こうした無残なてん末に会うことはなかったのではないか? この人の野心というのは、自身が直接に傷つくかもしれない状況が出てくると、たちまちもろくも崩れてしまう。光源氏から見ても、そしてたぶん奥さんの大北の方から見ても、はなはなだ中途半端な生きざまであって、自身は皇孫の出とはいえ、臣籍降下して娑婆の凄まじさを身をもって知った源氏に言わせれば、宮家というのがこのように世俗の世界に関与してくることは、あるいは許し難いことだったかもしれないのです。彼が式部卿の五十の賀を「世のひゞきに、家よりあまることども」で祝ってみせたというのは、自らの権勢を式部卿に見せつけるためであって、要は余計なことに顔を出すな、という強い牽制球なのでした。 式部卿もバカじゃないですから、そのあたりのことは分かっていて、我が身が傷つかずに済むならば、腹は膨れても大人しくしていよう、というわけで何となく捨てバチな気分を込めて「それを、この生の面目にて、やみぬべきなめり」という述懐になるのでしょう。大北の方がかんしゃくを起こすのも、このはなはだ煮え切らない式部卿の人生観に業を煮やしたという面があって、決して単純な「さがな者」とは言えないと思うのです。 さて、なぜこんなに式部卿の一族を追いかけているかというと、それがたんに娘の北の方にどんな影響を与えたか、ということだけでなく、前にも触れましたが、彼が紫の上の父であったからでした。心病の原因を単純に一族のせいにするのは浅はかですが、少なくとも本編のヒロインである紫の上の性格を想像するよすがとして、こうした父方の気質をある程度意識しておくことはムダではないでしょう。 そのあたりの式部卿の屈折した気質というのは、続くくだりでもいろいろ出てくるのですが、その前に、髭黒の大将の相関図もついでに見ていくと、この人もまた皇孫へ外戚たらんとした世俗の家系であるようで、彼の妹は朱雀院の后、承香殿の女御で、しかも院との間に生まれた子は東宮(冷泉現帝の次の帝)に推されているのです。だから本来「髭黒」などと気安く呼べる人ではないのですが、この物語ではなぜかずいぶんヲコめかして描いてあるような気がする。 しかしいずれ今上帝の後見として、この人は太政大臣まで上り詰めるのですから、もとより筑紫の「大夫の監」など比較にもならない。玉鬘の宮中での地位も、結局ダンナの出世に引っ張られて、この後おおいに上がっていくわけですから、ずいぶん皮肉な話ではあります。 まあしかし、あまり先を急がずに、話の続きを追いかけましょう。― つづく ―
2010.05.14
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さて、かんしゃくを爆発させて言いつのる大北の方に対して、ダンナの式部卿の宮は、というと、― 「あな、聞きにくや。世に難つけられ給はぬおとゞを、口にまかせてな貶め給ひそ。かしこき人は、思ひおき、「かかる報いもがな」と、思ふことこそは、物せられけめ。さ思はるゝ、わが身の不幸なるにこそはあらめ。つれなうて、みな、かの、しづみ給ひし世の報いは、うかべ、しづめ、いとかしこくこそは、思ひ渡い給ふめれ。おのれひとりをば、さるべきゆかりと思ひてこそは、一年も、さる、世のひゞきに、家よりあまることどももありしか。それを、この生の面目にて、やみぬべきなめり」と、のたまふに、いよいよ、腹立ちて、まがまがしきことなどを、いひ散らし給ふ。この大北の方ぞ、さがな者なりける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「ああ、聞きにくいことを(おっしゃるでない)。(今どき)世間から非難をお受けになるはずもない(源氏の)大臣を、(そのように)口から出まかせに貶めなさるな。賢い人だから、(何事も)覚えておいて、「(いずれ)このことの報いは(必ずしてやろう)」と、(心に)決めたことは、(忘れずに)おやりになるのだ。そのように目をつけられた、我が身が不運だったということだよ。何気ともなく、万事に、あの(須磨流遇の折りの)、不遇でいらっしゃった世に対する報いについては、(ある者は)取立て、(あるいは)貶め、たいそう巧みに、お考えになって処していらっしゃる(ようだ)。私一人にかんしては、しかるべき(紫の上の父という大事な)縁と思って、(源氏の殿は)先年も、あのように、世間で話題になるほど(華美な)、我が家には過ぎる(私の五十の賀の祝い)事などもされたではないか。それを、自分の一生の名誉と(思って)、過ごすしかなかろうよ」と、おっしゃるので、ますます、(大北の方は)腹を立てて、エゲツない事まで、しゃべりまくりなさる。この大北の方こそ、性根悪い方なのであった。 ここでもう一度、式部卿の宮の相関図を整理すると、この人は故桐壺帝の前の帝の息子(親王)で、故藤壺の宮の兄に当たります。というわけで家柄としてはいわゆる筋目で、名家と言っていいでしょう。朝廷に対しても一定の発言権を保持しているというか、少なくとも本人は世俗的な権勢にも色気があったようです。 しかしそこはそれ、娑婆の世の凄まじさというところが、今ひとつ分かっていない宮家特有のお人好しなところがあって(どこかの国の総理大臣みたいですね)、光源氏や内大臣といったリアルな政争を知り尽くしている連中から見れば、この人の振るまいは児戯に似て笑止千万の沙汰に過ぎないのです。 しかし逆に言うと、こうしたお人好し振りというのは、ひとたび本人があらぬ野心を抱いたりすると、世俗の勢力に利用されやすい危険が生じるわけで、かつての右大臣家はそこに目をつけたのでしょう。それと同様にこの大北の方、本編ではどういう家系なのかハッキリしないのですが、おそらく例によって宮家との外戚関係をねらった、どこかの世俗勢力から送り込まれた姫君でしょう。 してみれば、この奥さんの「さがなき」もの言いというのは、世俗的な野心がことごとく潰された一族の声を代表しているかとも思われ、それは自ずと娘(北の方)の気質にも反映するところがあったかと思われるのです。 もちろん髭黒の北の方の心病が、このお母さんの性格からすべて発している、などというのは言いすぎなのですが、これまでの式部卿のお人好しな振るまいや、上に見たような奥さんへの言動を見ていると、大北の方がこの不甲斐ないダンナにかんする愚痴を、娘に向かって盛んに言い立てていたであろうことは、おおいに想像されるところで、こうした母方筋の癇癖が内攻すれば、いずれヒステリー性の心病が発現するのは、おおいに有り得るような気がするのです。― つづく ―
2010.05.13
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爾来、姫君というのは婿取り婚の当時、家族にとっては一族の繁栄を担う存在で、とても大事にされたらしいのですが、この姫というのが、このあと慣れ親しんだ我が家の柱の隙間に、紙に書いた父宛の和歌を挿し込んで去って行く。というわけで、この姫のあだ名が「真木柱」、つまりこの帖の題名になっているのです。たわいもない気もしますが、まあそのあたりは本文を読んでみて下さい。 私はむしろ、このあとに描かれた式部卿の宮家の様子に、興味が向かうのです。― 宮には、まちとり、いみじう思したり。母北の方、泣き騷ぎ給ひて、 「太政おとゞを、「めでたきよすが」と、思ひきこえ給へれど、「いかばかりの、昔の仇(あた)・敵(かたき)にかおはしけん」とこそ、おもほゆれ。女御をも、ことにふれ、はしたなくもてなし給ひしかど、「それは、『御仲の恨み解けざりし程、思ひ知れ』とにこそはありけめ」と、おぼしのたまひ、世の人も言ひなししだに、なほ、さやはあるべき。「人ひとりを、思ひかしづき給はむ故は、ほとりまでも匂ふ例こそあれ」と、心えざりしを、まして、かく、末に、すゞろなる継子(まゝこ)かしづきをして、おのれふるし給へるいとほしみに、「実法なる人の、ゆき所あるまじきを」とて、とりよせ、もてかしづき給ふは、いかゞつらからぬ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (父の式部卿の)宮は、待ち受けていて、ひどく悲しんでおられる。母北の方(大北の方)は、泣き騒ぎなさって、 「(源氏の)太政大臣を、(あなたは)『結構なご親戚筋だ』と、思っていらっしゃるようですが、(私に言わせれば、あの人は)『どれほどの、昔からの仇、敵でいらっしゃったか』としか、思えません。(次女の王)女御に対しても、事あるごとに、冷たくお扱いなさったけれども、『それは、「(須磨流遇に際しての、私らの冷えきった)ご関係の恨みが解けないゆえ、思い知れ」ということだろう』と、(あなたも)おっしゃり、世間の人も言い為していましたが、なお、そんなことがあるものかと(思っていました)。『人(紫の上)一人を、(あのように)ご寵愛なさるからには、(それに連なる)縁者にもお陰が及ぶ例があるのは(あたりまえ)』と、思っておりましたのが、(そんなことはここから先もなくて、)それどころか、このように、あげくの果てに、怪しげな継娘(玉鬘)を世話して、自分が手を着けなさった疚しさに、『マジメな男で、浮気しそうにないのを』と、(髭黒を)迎えて、取り立てなさるとは、(私には)どうにも辛くて(納得できませんわ)」 この大北の方の口さがないもの言い、かつての右大臣家の大后がそうであったように、何となく関西弁で口語訳してみたい誘惑に駆られます。 が、まあそれはさておき、式部卿には、この正室との間に娘が二人いて、長女は髭黒に嫁し(北の方)、次女は冷泉帝の女御(王女御)として入内したのですが、この次女は「乙女」の帖で見たとおり、斎宮女御(現秋好中宮)などとの立后争いに敗れ、そして今度は長女が心病と髭黒の浮気で里帰り、しかも両方の事件とも光源氏の意気が掛かっていると、この奥さんは思っている。立后争いに源氏が関わっていたのは、彼が御息所の娘、斎宮女御を推していた手前、当然であるとしても、玉鬘の件は源氏にとっても意外な展開だったので、こっちは完全な濡れ衣なのですが。 ご存知のとおり、光源氏の官位剥奪、須磨流遇という政変に際して、式部卿(当時は兵部卿)は反源氏の右大臣側に付いたような気配があり、光源氏は政界に復帰してからも、ことさらに彼には辛く当たるというところがありました。 紫の上は式部卿の姫君とはいえ妾腹の娘だったのですが、時は移って今や押しも押されもせぬ六条院の正室、つまり源氏と式部卿は縁戚の関係なのに、この宮家には何の取り立てもない。というわけで、このお母さんとしては何しろ源氏がらみのことは、全部が腹立たしいのです。この人、前にもこの「さがなき」もの言いが、印象に残ったところがあったのですが、どこか忘れてしまいました。 しかし今回は北の方の心病や紫の上が絡んでいるので、触れないわけにはいきません。― つづく ―
2010.05.12
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また話が少しズレますが、こういう愁嘆場というのは、今どきのドラマや映画によくあるように、妙にリアルにやられると、得てしてイヤ味っぽくなって、見たり読んだりしているこちらが恥ずかしくなって来ることがあるものです。それを衒いなくやってのけるには、多少芝居染みて浮き世離れした設定にする(要はちょっと次元を換えた場面にする)と、比較的素直に受け入れやすいのではないか?オペラのアリアとかミュージカルのダンスや歌が、劇の進行をいったんストップして、高揚した気分を歌やダンスにして、えんえんと味わい直す、というのにちょっと似ていますね。 ここのくだりが、芝居染みているというわけではないのですが、紫式部はおそらくそうした筆法を充分意識しつつ、こういう場面を書いていただろうという気がするのです。「真木柱」の帖のはじめ、場面の省略という大トリックを試みた彼女ですが、本編ではむしろすべての事柄を、仮惜ない散文で描くことを試しているようにも思える。 しかしここに描かれた北の方の慟哭には、自ずから昂ぶった抑揚があって、それは「椿姫」や「蝶々夫人」のアリアを連想させます。つまりシーンとしては、子供たちに懇々と諭すというシチュエーションなのですが、途中から我が身のどうにもならない運命に対する叫びになっていて、要は内面の歌が立ち昇ってくるのを感じさせる。紫式部が意識していた歌というのは(想像ですよ)、もちろん和歌のことで、古来から和歌というのが、贈答や恋愛の手段として、日本で愛用されて来たということについて、彼女はあれこれ考えたことでしょう。 じかに挨拶するにはちょっと敷居が高い、あるいは想い懸けを露わに表明するのは、少し差し障りがあるという場合などに、和歌を使えばモロな気持や感情が五七五七七のリズムと季語にくるまれて、(次元を転換するので)露わにならないようになっている。そうしておけば、仮に意に反する結果であったとしても、相手も自分も傷つかずに済むというわけです。 ただしそれには大事な条件があって、詠み掛けた相手が、その真意をキチンと理解できるという前提でないと、こうしたやりとりは成り立たない。鄙と都を分かつ意識は、つまるところこうした暗号のような仲間内どおしの「隠語」のような言葉を解するかどうか、というところで決まったようで、意味が通じるのであればこんなに便利なツールはない。 しかし紫式部は、こうした和歌の持つ多少下世話な効用とは別に、和歌的な雰囲気がもたらす「次元の転換」のようなものを、そのコトバの中に嗅ぎ取っていたのではないか?「コトバに尽くせない」という言い方がありますが、散文的な表現ではとても覆いきれない気分の高揚というのは、結局コトバが発する音声とかリズムとか、要は歌的な要素に転換しないと尽くせない部分がある。先ほどのくだりを読んでいて、そんな感じがしたのですが、ちょっと話が難しくなってしまいましたね。 さて続いて、別れのシーン、― 日も暮れ、雪降りぬべき空の気色も、心細う見ゆる夕なり。「いたう荒れ侍りなん。はやう」と、御迎への君達、そゝのかし聞えて、御目おしのごひつゝ、ながめおはす。ひめ君は、殿、いとかなしうしたてまつり給ふならひに、「みたてまつらでは、いかでかあらむ。今なども聞こえで、また逢ひ見ぬやうもこそあれ」と、思ほすに、うつぶし伏して、「えわたるまじ」と思ほしたるを、 「かく、おぼしたるなむ、いと心憂き」など、こしらへ聞え給ふ。「たゞ今も、わたり給はなん」と、まちきこえ給へど、かく暮れなんに、まさに、うごき給ひなんや。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 日も暮れて、雪が降ってきそうな空模様も、心細く見える夕方である。「ひどく荒れそうです、お早く(願います)」と、お迎えの君たちが、催促なさるが、(北の方は)お目を拭いながら、(立ち去りかねて)思い沈んでおられる。(その)姫君は、(髭黒の)殿が、たいそう可愛がって育んでらっしゃったこともあり、「(父殿に)お会いせずに、どうしていられようか。今挨拶など致さねば、もう逢い見ることも叶わないのでは」と、お思いになって、突っ伏して、「とても行けないわ」とお思いなのを、 (北の方は)「そのように、(そなたが)思ってらっしゃるとは、何とも情けないことだわ」などと、(あれこれ)なだめていらっしゃる。「今すぐにも、(父殿が)お帰りになるのでは」と、待ち焦がれていらっしゃるが、このように日が暮れるというのに、ちょうど、やって来られるとは(思えない)。― つづく ―
2010.05.11
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以下、しばらく北の方の女房、そして子供たちとの愁嘆場が続きます。― 「さこそはあべかめれ」と、かねて思ひつることなれど、さしあたりて、「今日を限り」と思へば、さぶらふ人々も、ほろほろと、泣きあへり。 「年ごろ、ならひ給はぬ旅住みに」「せばく、はしたなくては、いかでか、あまたはさぶらはん」かたへは、おのおの、 「里にまかでて」「しづまらせ給ひなんに」などさだめて、人々、おのがじし、はかなき物どもなど、里に運びやりつゝ、乱れ散るべし。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「こういうことになるかも」とは、以前から予想していたことではあるが、まさしく、「今日が最後だわ」と思うと、仕える女房たちも、ホロホロと、泣き合っていた。 「長年、ご経験のない(実家での)仮住まいでは」「手狭で、気が置ける(式部卿の)邸では、どうして、大勢(女房が)仕えることが(出来ましょう)」と何人かは、それぞれ、 「(とりあえず、自分の)里に帰ります」「(仮住いが)落ち着かれたら(、また考えましょう)」などと決めて、女房たちは、各々、ちょっとした私物などを、実家に運んだりして、散り散りに去って行くのであろう。 夫婦のあつれきが、こうして側付きの女房たちの生活にも、見える形で現れて来る。 しかし一番あわれなのは、この夫婦の三人の子供たちで、以下語られる北の方の話は、オペラのアリアめいて、なかなかの聞かせどころになってますね。― 君達は、何心もなくてありき給ふを、はゝ君、みな、呼びすゑ給ひて、 「身づからは、かく心憂き宿世、今は見果てつれば、この世に跡とむべきにもあらず、ともかくも、さすらへなむ。おひさき遠うて、さすがに、散りぼひ給はむ有様どもの、悲しうもあべいかな。姫君は、となるとも、かうなるとも、おのれに添ひ給へ。なかなか、男君だちは、えさらず、まうで通ひ、見えたてまつらんに、人の、心とゞめ給ふべくもあらず、はしたなうてこそ、たゞよはめ。宮のおはせん程、かたのやうに、まじらひをすとも、かのおとゞたちの御心にかゝれる世にて、「かく、心おくべきわたりぞ」と、さすがに知られて、人にもなり立たむこと難し。さりとて、山林にひき続き惑はん事、後の世までいみじきこと」と、泣き給ふに、みな、ふかき心は思ひわかねど、うちひそみて泣きおはさうず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) お子たちが、無心に遊びまわっているのを、母君は、皆、呼んで(前に)座らせなさって、 「我が身は、このようにも辛い運命を、今となって(すっかり)見届けてしまったので、この世には(何の)望みもなく、ひたすら、さまよう(出家する)ばかり(です)。(しかし)生い先長いのに(そなたたちが)、さすがに、(このまま)散り散りになってしまわれる様子(を見るの)は、悲しくて仕方がありません。姫君は、とにも、かくにも、私についていらっしゃい。しかし、男君たちは、(ここを)離れる事も出来ず、参上して、(髭黒に)お会い致す(ことになるの)でしょうが、あの人が、(そなたらを)心に止めなさるはずもなく、きっと中途半端で、戸惑うことに(なるでしょう)。父宮が(生きて)おいでの間は、(しかるべき)筋として、宮仕えするとしても、(今は)例の大臣方(源氏、内大臣)のお考えのままの世ですから、『例の、心許せぬ一族の(輩だ)』と、結局見られて、人として出世するのは難しい。かといって、山林に(私の後に)引き続いてさまよう(出家する)ことになっては、後々の世まで恨みを残すこと(で、耐えられません)」と、お泣きになるので、皆、深い意味は分からないが、何となく落ち込んでベソをかいている。― つづく ―
2010.05.10
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こうなると、髭黒の家庭が崩壊するのは時間の問題で、― 修法しさわげど、御物の怪、こちたくおこりて、のゝしるを、きゝ給へば、「あるまじき疵もつき、恥ぢがましき事、かならずありなん」と、おそろしうて、よりつき給はず。殿に渡り給ふ時も、ことかたに離れ居給ひて、君達ばかりをぞ、呼びはなちて、見たてまつり給ふ。女一所、十二、三ばかりにて、つぎつぎ、男ふたりなん、おはしける。近き年頃となりては、御中もへだたりがちにて、ならはし給へれど、やむごとなう、たち並ぶ方なくて、ならひ給へれば、「いまはかぎり」と見給ふに、さぶらふ人々も、「いみじ」「悲し」と思ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (家では、北の方に対して)修法をし続けて大騒ぎであるが、(今回の)物の怪は、何度となく取り憑いて、喚き散らしているという話を、(髭黒は)お聞きになるにつけ、「(これでは、我が身に)あってはならない傷もつき、恥さらしな事も、きっと起こるに違いない」と、恐ろしがって、(北の方には)近寄りもなさらない。自邸に戻られた時も、別の部屋に離れてお入りになり、子供たちだけを、呼び出して、お会いになるのである。娘が一人、十二、三ほどになっていらっしゃって、そのあとは、息子が二人、おられる。ここ最近になって、(例の心病で)ご夫婦仲も疎遠がちなのが、あたりまえになっておられたが、(もともと北の方は、)奥ゆかしく、(ご本妻として)較べる者もなく、過ごしていらっしゃったのが、(今となってはもう完全に、)「これでおしまいだわ」と思っておられるようで、仕える女房たちも、「ひどいわ」「悲しいこと」と思っている。 ここへ来て話は、夫婦の問題から家族、ひいては側付きの女房にまで広がって、急速に世間性を帯びて来るのです。子供のことは当然としても、今と違うのは夫婦それぞれに従者や女房がいることで、離縁となれば当然奥さん付きの女房は、髭黒の邸から出ることになる。 そのあたりは当然、北の方の父式部卿の耳にも届くことになるので、かねて「引き上げて来い」と言っていた手前、すぐさま迎えの車を差し向ける。― 父宮、聞き給ひて、 「今は、しか、かけ離れて、もて出で給ふらむに、さて心強く物し給ふ、いと、おもなう、人笑へなる事なり。おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか、したがひくづほれ給はむ」と、きこえ給ひて、にはかに御迎へあり。 北の方、御心地すこし例になりて、世の中を、あさましう思ひ嘆き給ふに、「かく」と、きこえ給へれば、「しひて立ちとまりて、人の絶えはてむさまを見果てて、思ひとぢめむも、いま少し、人笑へにこそあらめ」など、おぼしたつ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 父(式部卿の)宮は、(それを)お聞きになって、 「今や(髭黒は)、そのように、別居して、(ハッキリ)離縁なさろうとしているのに、何を辛抱していらっしゃるのか、まことに、みっともなくて、物笑いの種である。私が生きているうちは、(そのように)一途に、どうして、(おとなしく)付き従って貶められねばならんのだ」と、おっしゃって、にわかに(実家に)お迎えになる。 北の方は、ご気分が多少正常に戻って、(現の)世の中を、情けなく思い嘆いていらっしゃったが、「このように(お迎えが)」と、(女房が)お伝えするので、「(事ここに到っても、)あえて思い止まり、主人に(完全に)捨てられたのを見届けた末に、(自分の)気持に諦めをつけるというのは、もっと、物笑いなことだわ」などと、(お考えになって、とうとう)心をお決めになった。― つづく ―
2010.05.09
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さて風情はないけれども、髭黒の達筆な手紙を受け取った玉鬘のほうはというと、― かむの君、よがれを何とも思されぬに、かく、心ときめきし給へるを、見も入れ給はねば、御返りもなし。をとこ、胸つぶれて、思ひくらし給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 尚侍の君(玉鬘)は、(髭黒の)夜離れなど何とも思っていらっしゃらないので、このように、心ときめいておられる(髭黒の)手紙を、見ることもなされず、ご返事もしない。男は、胸がつぶれて、(そっちのことばかり)考え込んでおられる。 通う回数が深情けの証しとされた当時の通い婚のルールでは、「夜離れ(よがれ)」は愛情の薄い証拠となりますから、本来新妻の玉鬘は鬱々とすべきところ、もともと望んで一緒になった訳ではないとばかり、彼女は返事も寄こさない。何となくこのあたりも、読者の笑い声が聞えてきそうなくだりではあります。 となれば、居ても立ってもいられないのは、ひょっとすると生まれて初めての恋に眩んだ中年男の哀しさで、― 暮るれば、例の、いそぎ出で給ふ。御装束の事なども、めやすくしなし給はず、世にあやしう、うちあはぬさまにのみ、むづかり給ふを、あざやかなる御直衣なども、え取りあへ給はで、いと見苦し。よべのは、焼けとほりて、疎ましげに焦れたる匂ひなども、異様なり。御衣どもに、うつり香もしみたり。ふすべられける程、あらはに、人も、鬱(う)じ給ひぬべければ、脱ぎかへて、御湯殿など、いたうつくろひ給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 日が暮れて来ると、(髭黒は)例によって、急いでお出かけになる。(しかし、北の方があのような状態なので、)お召し物のことなども、思うようにお出来にならず、世にも不体裁で、不似合いのばかりなので、(おおいに)不満でらっしゃるが、立派な御直衣などは、よう取り寄せる事もお出来にならず、たいそう見苦しい。昨夜の(直衣など)は、焼け穴が通って、妙に焦げた臭いなど(するの)も、異様であった。下着にも、臭いが染みている。(北の方に)妬かれた状態が、歴然と(していて)、相手(玉鬘)も、お疎みなさるであろうとて、(何もかも)脱ぎ換えて、御湯殿などで、ひたすら身繕いをなさっていた。 貴族にとって直衣その他衣服というのは、我が身分の格式を表わすうえでも、きわめて重要であったわけで、やっぱり昨夜の一件は相当な仕儀だったようですね。― 一夜ばかりの隔てだに、また珍しう、をかしさまさりておぼえ給ふ有様に、いとゞ、心をわくべくもあらず思えて、心憂ければ、ひさしうこもり居給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 一夜だけの夜離れだったとはいえ、(玉鬘にお逢いすると)また一段と、可愛さが勝ったように見えるお姿であってみれば、どうしたって、心が他所になびくわけもなく、(北の方のことを考えると)鬱陶しいので、ずうっと(六条院の玉鬘の部屋に)籠もっていらっしゃった。― つづく ―
2010.05.08
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こうしたヒステリー性の身体発作というのは、かつてはロシア文学の女性などによく現れたものですが、文化や社会的条件の変化によって、その発現形態はずいぶん違ってくるようで、最近はこのような気鮮やかな症例というのは、あまり見られないようです。 フロイト流に言えば、「ヒステリーは精神的葛藤が処理できず、無意識領域に抑圧され、その際の精神的エネルギーが形を変えて身体症状(転換ヒステリーあるいは転換性障害)や解離症状(解離ヒステリーあるいは解離性障害)となって現れたもの」(日本大百科全書)、ということになるのですが、今どきのような平和時では後者の解離症状が一般であるようで、「解離症状とは心理機能の一部が他と連絡を断たれて独自の活動を営む現象」(同)で、このところ「解離性同一性障害(いわゆる多重人格障害)と診断される例が増加している」(同)そうです。 ちなみにヒステリー性発作といえば、何となく女性に多く見られる心病と見られがちですが、実際には男たちにも結構あるようで、ただその発現のしかたに違いがあるというのが正確なようですね。 しかし平安中期も十九世紀後半のロシアも、今どきと同じく表面的には平穏で、精神的抑圧が極度に内向した時代だとすれば、なぜ前の二つの時代のヒステリー性発作が、戦争中の日本の将校のような「身体症状(転換ヒステリーあるいは転換性障害)」を発現し、今どきの男女には「解離性同一性障害(いわゆる多重人格障害)」が多く現れて来るのか、という疑問を解くのは簡単ではなさそうです。私は正直言って、この手のことにかんする、世のいわゆる心理学とか脳科学系の人の話はあんまり好きではありません。事柄を簡単に裁断しすぎているような気がする。 であるなら、紫式部やドストエフスキーのように、原因の解析ではなく現象の現れかたの多様性とか底深さに、どこまでも喰いついて深掘りしていく、その執拗な眼線と姿勢のほうが好ましい。 とはいえ、原因不明の病は基本的に外から取り憑いたもの、と解されていた当時、それを直すには取り憑いた物の怪を、患者の身体から叩き出すようにして追い払うという、まことに即物的な方法しかなかったようで、このあと描かれる加持祈祷というのは、今から見ると相当禍々しいですね。― 夜一夜、打たれ引かれ、泣き惑ひあかし給ひて、すこしうち休み給へる程に、かしこへ、御文たてまつれ給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (北の方は)夜通し、(加持僧に)打たれ引かれ、泣き喚き明かされて、(ようやく)少しまどろまれた隙に、(髭黒は)あちら(玉鬘)に、お手紙を差し上げなさった。 すさまじい一夜の後にしては、髭黒の大将、イヤに落ち着いているじゃねえか、という感じがしないでもないのですが、私は当時一般にこうしたヒステリー性発作の発現というのは、わりとよく見られた、あるいはよくある症例として、世に知られたものだったのではないか、と考えるのです。であるからこそ、髭黒は玉鬘に手紙を寄こす余裕がある(それもヒドい話ですが)。もしこれが稀有の症例であったなら、とてもそんなことをやっている場合ではないでしょう。 その意味でも、私は紫式部がこうした当時一般に知られた心理発作の症例とは別に、六条御息所というはなはだ今ふうの「離人症」的な、つまり「解離症状」の人格を見止めていたことに、大きな驚きを感じてしまうのです。― つづく ―
2010.05.07
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今までにも紫式部は、この眠ったような動きの少ない物語の中で、忽然と目を覚まさせるような場面を、何度か描いて見せたのですが、今回の破裂の場面はそれまでの用意周到な伏線が利いていて、今読んでも何の唐突感もない。上手いものです。 実のところこの長い長い物語の中で、こうした気鮮やかな破裂の場面を、紫式部が描いたのはここだけで、ずうっと後に夕霧と奥さんの雲井の雁との、よく似た派手な衝突シーンがあるのですが、ここのように決定的な家庭崩壊に到るわけではない。その意味でも、もう少し本文を追いかけて行きたいのです。 さて、そのあとに描かれる惨状というのは、― さる、こまかなる灰の、目鼻にも入りて、おぼほれて、物もおぼえず。払ひ捨て給へど、立ち満ちたれば、御衣ども、脱ぎ給ひつ。「うつし心にて、かくし給ふぞ」と思はば、又、かへりみすべくもあらず、あさましけれど、「例の御物の怪の、人に、うとませんとするわざ」と、御前なる人々も、いとほしう見たてまつる。たちさわぎて、御衣どもたてまつりかへなどすれど、そこらの灰の、鬢のわたりにもたち昇り、よろづの所に満ちたる心地すれば、清らをつくし給ふわたりに、さながら、まうで給ふべきにもあらず。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) その、細かい灰が、目や鼻にまで入って、(髭黒は、すっかり)度を失って、わけが分からない。(灰を)払い捨てなされるが、(なにしろ、そこらじゅうに)舞いあがって充満しているので、(せっかく用意した)お召し物なども、脱ぎ捨てられた。「正気で、こんなことをなさるか」と思えば、これまた、(顔を)振り返る気も失くし、ガッカリするばかりであるが、「いつもの物の怪が(取り憑いて)、殿に、(北の方を)嫌わせようとしているのだわ」と、御前に仕える女房たちは、気の毒にお見上げしている。(女房たちが)立ち騒いで、(髭黒の)御衣装のお召し換えなどをするが、舞い上がった灰が、鬢のあたりにまで立ち昇って、そこらじゅう灰だらけの感じがし、華美を尽くしてらっしゃる六条院には、とてもじゃないが、参上出来るような次第ではないのであった。 このあたり、禍々しい惨状を描きながら、何となく可笑しみを感じるのは、私だけでしょうか。何が面白いといって、要は「髭黒」が灰で「真っ白」になっているからです。紫式部の筆付きには、こうした事態に際しても、一種ユーモアを見止める眼線があって、そこにはもちろん浮気男に対する仕返しの意味が込められているわけで、当時の読者はたいてい拍手喝采したでしょう。 しかし当事者の髭黒はそれどころではない。― 「心違ひとはいひながら、なほ、珍しう、見知らぬ、人の御有様なりや」と、つまはじきせられ、うとましうなりて、あはれと思ひつる心も残らねど、「この頃、あらだてては、いみじきこと出できなむ」と、おぼししづめて、夜中になりぬれど、僧などめして、加持まゐり騒ぐ。よばひのゝしり給ふ声など、おもひ疎み給はむに、ことわりなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「(以前からの)心病とは言っても、何ぼなんでも、ちょっと、見たこともない、北の方のご様子だな」と、(すっかり)愛想が尽きて、疎ましくなり、気の毒に思う気持も失せてしまったが、「この段になって、事荒立てては、(何かと)まずい事も出てくるかも」と、気を落ち着かせて、夜中ではあったが、僧などをお呼びになって、(北の方に)加持をして差し上げる騒ぎである。(北の方の)喚き罵りなさる声などを、(耳にしては、髭黒が)お疎みなさるのも、止むを得ないのであった。― つづく ―
2010.05.06
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― 御火取めして、いよいよ、たきしめさせたてまつり給ふ。身づからは、なえたる御衣ども、うち解けたる御姿、いとゞ細う、か弱げなり。しめりておはする、いと心苦し。御目の、いたう泣き腫れたるぞ、少し物しけれど、「いとあはれ」と見る時は、罪なうおぼして、 「いかで過ぐしつる年月ぞ」と、「なごりなう、うつろふ心の、いと軽きぞや」とは、思ふ思ふ、なほ、心げさうはすゝみて、空嘆きをうちしつゝ、なほ、装束し給ひて、小さき火取とりよせて、袖にひき入れて、しめゐ給へり。なつかしき程になえたる御装束に、かたちも、かの、ならびなき御光にこそおさるれど、いと、あざやかに、ををしきさまして、たゞ人と見えず、心恥づかしげなり。さぶらひに、人々、声して、「雪、すこしひまあり」「夜は更けぬらんかし」など、さすがに、まほにはあらで、そゝのかし聞えて、声づくりあへり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (北の方は、香炉の)火取りを取り寄せられて、一段と(髭黒の衣装を)、焚き染めて差し上げられる。ご自身は、くたびれたご衣裳など(を着たまま)、構いつけないお姿で、たいそうか細く、弱々しげである。沈み込んでいらっしゃるのは、まことにおいたわしい。お目を、たいそう泣き腫らしておられるのが、多少興ざめだが、「何とも哀れな(人だ)」と思える(このような)時は、お気に障ることもなくて、 「よくまあ(いっしょに)過ごして来た(長の)年月だったな」と(思い)、「(それにしても)すっかり、変わってしまった(我が)心の、何とも浅はかなことよ」とは、思いつつ、それでも、(玉鬘への)恋慕はつのるばかりで、わざとため息をつきながら、さらに、装いをこらそうと、小さい火取りを取り寄せ、(今度は自分で)袖に引き入れて焚き染めていらっしゃる。納得いくまで焚き染めた装いの、お姿は、あの、並ぶところなき(光源氏の)お方には負けるが、たいそう、スッキリと、凛々しいご様子をされているで、並の人とは見えず、気後れするほどである。侍所では、供人たちが、口々に、「雪は、少し止んだな」「夜も更けて来たようで」などと、さすがに、遠慮がちではあるが、促すように、咳払いをし合っている。 ここまで来ると、さすがに何となくヘンだな、と誰でも思い始めると思うのですが、スルスルと次のくだりに入って行くと、それでもやっぱりビックリしてしまいます。分かっていても驚かされる次のくだりとは、― 中将、木工(もく)など、「あはれの世や」など、うちなげきつゝ語らひて、臥したるに、「さうじみは、いみじう思ひしづめて、らうたげに寄り臥し給へり」と見る程に、にはかに起きあがりて、大きなる籠の下なりつる火取を、取りよせて、とのの後ろに寄りて、さといかけ給ふほど、人の、やゝ見敢ふる程もなう、あさましきに、あきれて物し給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (女房の)中将の君や木工(もく)の君などは、「情けない世の中だこと」などと、嘆息混じりに話しながら、休んでいると、「北の方は、(それでも)ずいぶん落ち着かれて、弱々し気に(脇息に)寄り臥していらっしゃるわ」と見ているうちに、にわかに起き上がって、大きな伏せ籠の下にある火取りを、取り寄せるや、殿の背後に近寄って、サァッと浴びせかけなさる間、(周囲の)人が、アッと止める暇もなく、(髭黒は)あまりのことに、呆然としていらっしゃる。 初めてここを読んだ時、私は途中から「おいおいやるのかよ」という感じで、かなり用心していたのですが、それでも見事に紫式部の技に掛かってしまう。― つづく ―
2010.05.05
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― 暮れぬれば、心も空に浮きたちて、「いかで出でなむ」と思ほすに、雪、かきくれて降る。かゝる空に、ふりいでんも、人目いとほしう、この御気色も、憎げにふすべ恨みなどし給はば、なかなか、ことつけて、我も、向ひ火つくりてあるべきを、いと、おいらかに、つれなうもてなし給へるさまの、いと、心苦しければ、「いかにせん」と、思ひ乱れつゝ、格子なども、さながら、端ちかう、うち眺めて居給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (それでも髭黒は)日が暮れてくると、心も空に舞い上がって、「どうやって(玉鬘のもとへ)出かけようか」と思案しているうちに、雪が、かき曇るようにして降って来た。このような天気に、奮い立って出かけるのも、(何となく)人目憚られるし、この(北の方の)ご様子が、憎さ気に嫉妬深くお恨みなどなされば、かえって、(それに)かこつけて、自分も、迎え火を放つようにして(出かけたりも)するのに、(北の方は)いやに、穏やかで、何気ともなく装っていらっしゃるのが、かえって、心苦しく、「どうしたものかな」と、思い乱れながら、格子なども、上げたまま、端近くに(寄って)、ボウッと(外を)眺めていらっっしゃる。 何やかやと、一日中北の方をなだめて来た髭黒ですが、本音は一刻も早く玉鬘のもとに駆けつけたい。北の方もそのあたりは先刻承知で、― 「あやにくなめる雪を。いかで、分け給はんとすらむ。夜も更けぬめりや」と、そゝのかし給ふ。「今は限り、とゞむとも」と、思ひめぐらし給へる気色、いとあはれなり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「あいにくな雪ですこと。どうやって、(この雪道を)かき分けて行かれますのか。夜も更けて来たようですが」と、(逆に出かけるのを)お勧めなさる。「今となってはおしまいだわ、(いくら)引き止めたって」と、慮っておられるご様子なのが、ホントに哀れである。 昼間の応対で、お互いの気持がまるきり通じ合わないのが、痛いほど分かってしまった北の方としては、ヘタに気色ばむとかえって、髭黒の気性からして、プイと出かけてしまうのをよく知っている。はたして髭黒は妙な言い訳を思いついて、― 「かゝるには、いかでか」と、のたまふものから、 「なほ、この頃ばかり、心の程を知らで、とかく人のいひなし、おとゞたちも、聞きおぼさむことを、はゞかりてなん、とだえあらむは、いとほしき。思ひしづめて、猶、見はて給へ。こゝになど渡してば、心やすく侍りなん。かく、世の常なる御気色を、見え給ふ時は、ほかざまに分くる心も失せてなん、あはれに思ひきこゆる」など、語らひ給へば、 「たちとまり給ひても、御心の、ほかならむは、なかなか、苦しうこそあるべけれ。よそにても、思ひだにおこせ給はば、袖の氷も解けなんかし」など、なごやかに言ひ居給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「このような(雪)では、どうやって(行けるかね)」と、おっしゃりながらも、 「それでも、ここしばらくは(お伺いし続けないと)、(私の)気持の程度も、知らないままに、とかく人が(ヘンに)言いふらして、大臣方(源氏、内大臣)が、(そのように)お聞き及びになるのも、憚られるから、(通うのが)途絶えるのは、(やはり)マズいのです。(ここは)気持ちを鎮めて、やはり、(おしまいまで)見届けて下され。こちらにお連れすれば、(そうした)気兼ねも無くなるのだが。(あなたが)このように、普通のご様子で、いらっしゃる時は、他(の女)に浮気することも無くなって、愛しく思うでしょうし」などと、おっしゃると、 「(こちらに)止まりなさっても、お心が、他所に行っているのなら、かえって、シンドイばかり。他所であっても、(私を)思い出していただけるなら、袖の氷(のような私の気持)も溶けるでしょう」などと、穏やかに応えていらっしゃる。 このへんは、すでに心が離れた夫婦の、冷え冷えとしたやりとりで、何だか例の「氷の微笑」の雰囲気ですね。それでも主人のお出かけの用意は北の方がするのです。この人はそうしたセンスが、きっと女房たちより優れていたのでしょう。― つづく ―
2010.05.04
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ちょっと話が逸れます。 もし物語とか詩とか絵画あるいは音楽のような、いわゆる美的表現の本質が、それを享受する側の魂を揺り動かすもの、つまり真実の表現にあるとすれば、それを表現する側には恐るべき覚悟がいる。― なぜなら美は 怖るべきものの始めにほかならぬのだから。 ― (ドゥイノの悲歌 R・M・リルケ、手塚富雄訳)ということになります。 リルケ(1875~1926)というドイツ語詩人は美的表現のために、人生をすっ飛ばして青春だけを生きたような感じがする人で、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての西欧芸術界には、こうした芸術至上主義のような流れがありますね。 話は余談ですが、久しぶりにかつてわけも分からないまま読んでいた詩集が出て来たので、冒頭を引きますと、 ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が はるかの高みからそれを聞こうぞ?よし天使の序列につらなるひとりが 不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、わたしはその より烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。なぜなら美は 怖るべきものの始めにほかならぬのだから。われわれが、かろうじてそれに堪え 嘆賞の声をあげるのも、それは美がわれわれを微塵にくだくことを とるに足らぬこととしているからだ。すべての天使はおそろしい。 ― (ドゥイノの悲歌 R・M・リルケ、手塚富雄訳) それにしても、手塚さんの訳もすこぶるパセティックで、若いころの記憶が、ありありとよみがえります。詩とは不思議な文学形式で、意味が分からずとも、否むしろ意味不明なために、そのダイナミックな旋律性によって、散文より直に今の頭に響いてくるような気がしますね。閑話休題 しかし紫式部はリアルな人生を経た人なので、上のような芸術至上主義とは違うのですが、それでも飾りたてた貴族社会の表面を剥がして行って、人のあるいは生き物そのものの振るまいが、露わに姿を現すところまで見届けない限り、この物語を終りまで進めることは出来ないだろう、という確信をこのころから持ったのではないか? 髭黒夫婦のあつれきを、つぶさに見つめるということは、いずれ立ち向かわざるを得ない光源氏と紫の上の行く末について、充分な心と方法の準備となるべきものでした。本編の主人公は、言うまでもなく夢物語に語られる人物たちであって、それをどういうふうに決着させるかというのは、おそらくこの物語を書き始めた相当はじめのころから、彼女はいろいろ考えあぐねていたことでしょう。紫式部という人は、自身の内部から止めどもなく沸き出して来る創作意欲について、ごく客観的に見つめる目を持った人であって、決して感情のままに物語を書き綴って行ったわけではないのです。 そのあたり清少納言が随筆に、泉式部が和歌に傑出した才能を、意の赴くまま開花させたのと対象的で、物語とか小説という文学の形態というのが、我が身を対自化する態度が必要なのであってみれば、紫式部という人はまったく物語を書くために生まれてきた天才であった、と言うしかありません。 というわけで以下続くくだりは、長い長い「源氏物語」の中でも、もっとも気鮮やかな場面の一つを現出させることになります。― つづく ―
2010.05.03
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― 「人の御つらさは、ともかくも知り聞えず。世の人にも似ぬ、身の憂きをなん、宮にも、思し嘆きて、「いまさらに、人笑へなること」と、御心を乱り給ふなれば、いとほしう、「いかでか、見えたてまつらん」、となむ。大殿の北の方と聞ゆるも、こと人にやは物し給ふ。かれは、しらぬさまにて生ひ出で給へる人の、末の世に、かく、人の親だち、もてない給ふつらさをなん、おもほしのたまふなれど、こゝには、ともかくも思はずや。もてない給はむさまを、見るばかり」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「あなたの(薄情な)お仕打ちなど、(いまさら)何とも思っておりません。人並みならぬ、(心病の私の)身の辛さを、父宮も、思い嘆かれていて、『今となって(さらに離縁されては)、物笑いなことだ』と、お心を痛めておいでなのが、気の毒で、『どうして、お顔を合わすことが出来ようか』、とばかり(思うだけです)。(それにしても、源氏の)大殿の北の方と申されるお方も、(私とは)他人ということがあるでしょうか。(それなのに)あの方(紫の上)は、(私どもの)知らないところで生まれ育ちなさった人ながら、今となって、あのように、人(玉鬘)の親代わりのように、なされるお仕打ちを、(父宮は恨めしく)お考えになって口にもされますが、私は、何とも思っておりません。(あなたが)なさろうとすることを、(ただただ)見守るばかり(でございます)」 このあたり、ちっとも私の気持ちを察してくれない、という思いが渦巻いている北の方の気分がよく現れているのですが、後半では唐突に、なぜか紫の上への恨みが飛び出して来る。このあたり、北の方の心が壊れかけていることをよく示していると思うのですが、しかしこれは彼女の本音というよりも、父兵部卿の宮とこの宮家をずうっと覆っているらしい、光源氏への恨みが図らずも出た、ということでしょう。 その話は後にするとして、髭黒にとってそんなことは何ら預かり知らぬ話なので、― 「いとようのたまふを、例の、御心たがひにや、苦しきことも出でこむ。大殿の北の方の知り給ふことにも侍らず。いつき女のやうにて、物し給へば、かく思ひおとされたる人のうへまでは、知り給ひなむや。人の御親げなくこそ、物し給ふべかめれ。かゝる、事の聞えあらば、いと、くるしかるべきこと」など、日一日(ひとひ)いりゐて、かたらひ申し給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「そんなよくおっしゃいますな、いつもの、ご乱心で、(そんな)困った話も出て来るのでは(ないですか?)。(これは、源氏の)大殿の北の方は(まったく)ご存じない話ですよ。(紫の上は、殿の)秘蔵娘のようにして、いらっしゃるのですから、こんな格下の人の身の上まで、ご存知のはずが(ないじゃないですか)。(あなたの父宮は)人の親らしくもなく、振るまっておいでになる。こんな、(あらぬ)話が(あちらに)聞えたら、ホントに、とんでもない事になりますぞ」などと、日がな一日(北の方のそばに)居て、話し合っておられた。 髭黒はまたしても北の方のうわべの言葉にこだわって、そちらばかり懇々と諭す。こうなればもう二人の気持ちは完全に離れてしまっているわけで、一日中話し合っても、お互いに相手の心を聞く情況にないのですから、疲労だけがつのったでしょう。 このくだりを読んだ当時の人たちは、いったいどんな感想を抱いただろう、と思ってしまいますね。良く出来た王朝夢物語とか古物語と思って読んでいたら、いつのまにやら、我が家あるいはお隣の家で、まさしく今起こっていそうなことが描いてある。髭黒につくとか、非難するとかでなく、実際の世ではこのようにも解決不能な事態が起こる、というよりそれこそが実際なのではないか、と言っているかのようです。 紫式部がこれをb系物語の終りのほうで試みたのには理由がありそうです。さまざまな趣向を試して来たb系物語も、結局彼女自身がこの世に抱く予断や願望を出来るだけ剥がして行って、現実に取り巻いている世の中を、白々とまともに見つめる姿勢でなければ、同じことの繰り返しにしかならない。新たな表現に踏み出すためには、あたかもまともに太陽を見つめて、たとえ眼が潰れても目を逸らすまい、という覚悟がなければ、とうていそれを手にすることは出来ないだろう、ということではなかったか?― つづく ―
2010.05.01
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