撮影日記 0
全56件 (56件中 1-50件目)
東武鉄道 6000系:快速列車昭和39年に誕生した東武鉄道6000系。日光・鬼怒川への長距離快速用として製造され、有料列車である快速急行「だいや」などにも使用されました。当時の世相として非冷房車で登場していますが、通勤形への冷房搭載・冷房改造が進んでくると、優等列車でありながら非冷房であることが問題となり、野岩鉄道の開業も踏まえ、車体更新が行われます。改造を終えた6000系は6050系と名前を変え、新製車も加えて快速列車などへ充当されて活躍していましたが、これについても運転系統の分離により平成29年3月のダイヤ改正にて浅草口から撤退し、ローカル運用に就いている状況です。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木 6000系 浅草行き快速6000系はあまり本数が無かったためか、快速急行「だいや」(急行「だいや」)のほか、無料快速の写真はこれしかなかったようです。旧6000系から通算すると誕生から既に50年を超えており、戦前型の車両を見てその息の長さに感嘆していた昔よりも長生きしている車両がいることに驚きを隠せません。東武鉄道 6000系・5700系:快速急行「だいや」
2024.05.15
コメント(0)
小田急電鉄:2400形小田急電鉄2400形電車は、1959年(昭和34年)から製造された通勤形電車です。2400形の最大の特徴は、デハが19.3m、クハ15.97mという、電動車と制御車で3m以上も車体長を違えた変則的な構成であったことです。これは、電動車の駆動軸の粘着性を高める目的で、電動車の車体を極力長くして重さを稼ぐために考えられたもので、逆にそれまで17m4両編成に対応するホームに納める延長とする必要があったためクハの車体長を抑えたために結果のようです。昭和57年5月頃 登戸付近にてこの頃の私鉄車両、特に通勤車はまるで興味がありませんでしたが、この形式はあまりにも特徴があるので、なんとなく存在を知っていました。それにしても、小田急の本線で4両編成というのも、現在では想像もつきません。平成元年3月までに全車が廃車となり、試験的に1両だけ冷房化された以外は冷房化されることなく引退してしまったようです。
2024.05.11
コメント(0)
東武鉄道 8000系:秩父直通特急「みつみね」東武鉄道では8000系が貴重になってきたこの頃ですが、東上線で8000系が当たり前だった時代、秩父鉄道への乗り入れ特急が運転されていました。東武東上線から秩父鉄道への歴史は長く、西武鉄道や国鉄からも乗り入れがあり、休日ともなれば秩父鉄道は他社線からの乗り入れ列車で賑わいました。しかし、モーターリゼーションや観光客の減少などもあり、40年前から比べれば乗り入れ需要もかなり衰退してしまったようです。全然気にもしていなかったのですが、平成4年3月をもって乗り入れ運転が廃止されてしまったそうです。昭和63年5月5日 武州日野~白久間にて 東武8000系 特急「みつみね」秩父鉄道にC58が走るようになり、初めて撮影に訪れた際、構図合わせ中に偶然撮影したものです。今までただの乗り入れ列車としての認識しかなく、スキャニングもしないままだったのですが、今回アルバムから見つけ出してスキャニングしたところ、種別窓に「特急みつみね」のマークを見つけて驚きました。撮影してから25年間も気が付かなかったのです。これよりさらに前は特急「ちちぶ」が運転されており、過去ログ『東武鉄道8000系:秩父直通特急「ちちぶ」』でご紹介しています。形状は進化しながら、板状の立派なヘッドマークを取り付けて運転されていましたが、昭和62年から種別幕内に愛称が用意され、回転幕に変更になったようです。秩父鉄道の経営悪化、ワンマン化などが乗り入れ廃止に繋がったものと考えられますが、これから高齢化社会が進むと自家用車需要も衰退し、バスも運転手不足に陥っている状況を考えると、鉄道の乗り入れ需要がまた復活するのでは?などと考えてしまいます。
2024.04.29
コメント(0)
小田急電鉄 10000形HiSE車:特急「はこね」「さがみ」小田急電鉄10000形HiSE車は、昭和62年、小田急電鉄の開業60周年を記念して誕生した特急ロマンスカーです。当時流行しつつあったハイデッカー構造となり、それまではどちらかというと低床タイプだったロマンスカーのイメージを一新するものとなりました。また、ロマンスカーの誕生以来定番となっていた車体塗装も、まったく異にするものとなっています。4編成が誕生し、その塗装は7000形LSEにも波及しましたが、鉄道業界に多大な影響を与えた「バリアフリー法」をまともに受けることになり、2編成は平成17年8月付けで廃車となっています。(4両単位2編成が長野電鉄へ譲渡、現在も活躍中。)残る2編成のうちの1編成は平成23年6月に運用を離脱し、こちらは保存されることなく解体されています。いつもは列車名別のご紹介としていますが、同車にはヘッドマークがないため、「はこね」「さがみ」を織り交ぜてのご紹介といたします。平成18年10月14日 海老名駅にて 列車名不明平成19年1月26日 小田原駅にて 「はこね8号」平成19年1月26日 栢山~富水間にて 「はこね21号」平成20年1月5日 和泉多摩川にて 「はこね8号」平成23年10月14日 登戸駅にてEXE「はこね10号」「えのしま10号」& HiSE「さがみ67号」平成23年10月14日 登戸駅にて 「さがみ67号」 後部平成23年10月29日 経堂駅にて 「はこね19号」平成24年2月19日 新松田~渋沢間にて 「はこね12号」平成24年2月19日 渋沢~新松田間にて 「さがみ69号」車齢30年ということで、それなりの年数をまっとうした10000形HiSE車ですが、時代の流れ・風潮の中において、先輩の7000形LSE車よりも短命に終わってしまうのは何とも皮肉なものです。【中古】[RWM]92604 小田急10000形 HiSE ロマンスカー 11両セット(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 TOMIX(トミックス)(20040930)【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 92845 小田急 ロマンスカー 10000形 HiSE (ロゴマーク付) 11両セット 【A´】 外スリーブ傷み※新製品 5月発売※小田急ロマンスカー10000形HiSE(ロゴマーク付)セット(11両)【TOMIX・98844】「鉄道模型 Nゲージ TOMIX」
2024.04.20
コメント(0)
小田急電鉄 20000形RSE車:団体列車『20000形で小田急全線走破!!』小田急電鉄20000形RSE車については、特急「あさぎり」特急「はこね」でご紹介済みですが、ファイナルとして最後に運転された団体企画列車をご紹介してまとめとします。※撮影は、平成24年2月19日、新松田~開成間にて団体列車送込み回送団体列車『20000形で小田急全線走破!!』RSEの引退を前に、江ノ島線や多摩線などの各線を走破する団体企画列車として運転されました。引退したRSE車の一部は改造によって3連化、富士急行(現富士山麓鉄道)に譲渡され、特急列車として再出発を果たしました。小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)
2024.04.12
コメント(0)
東武鉄道 8000系・5700系:快速「たびじ」日光は、昔も今も小学生の修学旅行の定番となっている地域です。したがって、昔から修学旅行列車の設定が途切れたことはないと言っても良いでしょう。新型コロナは想定外でしたけど・・・。日光へは国鉄(JR)日光線経由、並びに東武鉄道からのアプローチが考えられますが、ある程度乗車に便利な方を利用するといった形が一般的ではないかと思います。ちなみに、埼玉県南部に居住している当方の地域では、昔からバス利用の形態は変わっていないようです。本線の停まる駅に直接接していなく、乗車時間が短いことも一因でしょう。さて、東武鉄道においても修学旅行臨があります。種別は「快速」で、名称を「たびじ」としています。昭和56年6月6日 栃木駅にて 5700系 快速「たびじ」撮影したときは、臨時快速「だいや」だとばかり思っていた5700系のヘッドマーク付列車。良い構図ではなかったので、プリントもしていませんでした。約30年振り(当時)にプリント化した際に、初めて「たびじ」だと判りました。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 8000系 臨時快速「たびじ」こちらは、8000系使用の「たびじ」です。被写体ブレをしてしまい、カラーとモノクロとの差があって判りづらいですが、ヘッドマークの作りが少し違うような気がします。(字体や字の大きさが明らかに違うように見えるのですが・・・。)両方とも絵的にはダメダメなんですけど、今となっては見ることができなくなってしまった車両たち。やはり貴重に思います。
2024.04.05
コメント(0)
名古屋鉄道 1000系:パノラマsuper(リニューアル前)昭和の時代、旧型国電に夢中になり、何度も出掛けた飯田線。豊橋口では名古屋鉄道と線路を共有し、7000系・7500系パノラマカーは嫌ってほど目にしておきながら、1度も写真を撮ったことがありませんでした。時は流れ、平成17年。愛・地球博の開催にちなみ、名古屋の親戚を訪問するとともに、愛・地球博へ。そして、女房と娘が別行動をする日に名鉄の撮影に行ってみました。折しも中部国際空港セントレアが開港となり、名鉄特急の体制も大幅に変化しました。特に、元祖パノラマカーやその後継のパノラマデラックスさえも廃止になってしまうという。ミュースカイの誕生と共に、それまでのフラッグシップとなっていたパノラマsuperも4両編成は2つにばらされ、1200系と手を組むことになります。当時、この情報を得たのは鉄道ダイヤ情報のみ。どうにか最後の姿を見てみたくて名鉄撮影を試みたのですが、これらの動きは既に終わってしまい、記録することはできませんでした。最後の7000系を待つも、撮影に訪れた本線では1本も見ることができず、代わりに撮影できたのは6両編成に組み変わった後のパノラマsuperだけでした。※撮影は、すべて平成17年7月23日、ポジフィルムからのスキャンです。木曽川堤~黒田間にて 1016F木曽川堤~黒田間にて 1116F番号を読み取れる写真はこの2編成しかなかったのですが、偶然にも元4両編成時代のコンビを捉えることができました。木曽川堤~黒田間にて 編成番号不詳木曽川堤~黒田間にて 1115F?しばらくこの区間で撮影していましたが、目的とする7000系・7500系パノラマカーは通りませんでした。本笠寺~本屋崎間にて変化がないので已む無く移動してみるものの、途中の支線でパノラマカーを見るなど、悲惨な結果でした。しかし、このパノラマsuper編成もここ数年の間にリニューアルされたそうで、塗装の印象もかなり変わってしまいました。当時はこのような状況に非常にガッカリしたものですが、今となってはこれらの光景も貴重なものとなりました。
2024.03.27
コメント(0)
記事内容を大きく誤っていたことが判明いたしましたので、内容を削除いたしました。内容が検証できましたら改めて記事にさせていただきます。申し訳ございません。
2024.03.22
コメント(0)
名古屋鉄道:3150系(オリジナル塗装)名鉄では珍しい銀色の3300系。4両編成の3300系に対し、2両で編成したものが3150系と区別されています。平成16~17年に2次車まで誕生したもので、その後は製造がされていませんでした。平成27年、10年振りに製造が再開され、特に4次車以降はカラーリングが変更されました。これに合わせ、先に運用されていた1~2次車についてもデザインが変更されました。※3150系については、1~4次車が初期車、5~7次車が後期車となります。平成17年7月23日 木曽川堤~黒田間にて 3153F 急行まだ登場間もない頃で、銀色の車両が走っているのは知りましたが、例によって銀色はあまり興味が湧かず。ただ、当時はやはり名鉄では珍しい銀色なので印象は強い車両でした。平成21年8月22日 飯田線 下地駅にて 3154F 急行佐久間レールパークに訪問し、帰りに下地駅で途中下車した際に来た名鉄列車。銀色電車が懐かしくてシャッターを切りましたが、残念ながらブレてしまいました。名鉄では異色なデザインの車両も、カラーリングの変更によりスカーレットの面積が増えたことにより名鉄らしい車両になりました。いずれもついでに撮れたものですが、また時代を表現する車両の記録となりました。
2024.03.12
コメント(0)
名古屋鉄道:2200系(登場当初)名古屋鉄道の特急型車両である2200系電車です。2000系「ミュースカイ」をベースとして、一般車を混結する編成とするためにやはり平成17年から運用を開始しました。「ミュースカイ」はホワイトを基調としてブルーのラインを配したデザインに対し、2200系はホワイトを基調に名古屋鉄道のカラーである名鉄スカーレットを配したデザインとしました。平成17年7月23日 木曽川堤~黒田間にて 2200系2203F登場間もない頃に撮影したもの。一般車を混結した編成なので、国鉄時代からの特急列車を知る身としては、サイドから見るに違和感を禁じえません。しかし、セントレア開業関連のダイヤ改正からは「ミュースカイ」を除く特急列車をすべて指定席車と混結する方式に転換してしまったため、在来の1000系「パノラマデラックス」も含めこのような編成となってしまいました。写真の2203Fは1次車で、この頃はまだ4編成しか存在しなかったためか、数時間粘ってもこれ1枚しか撮影できなかったように記憶しています。現在は塗装デザインが変更されてしまい、このデザインは消滅しています。
2024.03.06
コメント(0)
名古屋鉄道 2000系:「ミュースカイ」(登場当初)「ミュースカイ」として現在も活躍している名古屋鉄道2000系電車。中部国際空港(セントレア)へのアクセス用車両として、2004年(平成16年)1月29日に運行を開始しました。現在は、4両編成12本が運用されているということですが、登場当初は3両編成となっていました。予想を上回る需要があったため、3連×2で対応していましたが、需要に追い付かなくなってしまったため、中間車を増備して現在のような4連×2の運用になったそうです。平成17年7月23日 木曽川堤~黒田間にて 2000系 2006(二次車)愛知万博を訪れた際、親戚の叔父がクルマで送ってくれたために名鉄の撮影が実現しました。目的は7000系だったのですが、残念ながら1本も会うことが出来ませんでした。登場したばかりの2000系には興味もありませんでしたが、3両編成時代というのは非常に短い期間でしたので、貴重な時代の記録の1コマとなりました。
2024.03.03
コメント(0)
東武鉄道 8000系:東武東上線(池袋口10連)平成27年1月17日、東武東上線の池袋~小川町間における8000系による運転が最後となりました。同区間の信号装置の切り替えに伴い、8000系には対応工事を施工しない。つまり乗り入れることが出来なくなってしまうため、との理由のようです。8000系自体は東上線北部区間や越生線で残りましたが、池袋へ顔を出さなくなることにより、10両編成での運用が消滅するというものです。平成21年5月3日 朝霞台駅付近にて 8111F平成21年5月3日 朝霞台駅付近にて 8112Fこの時は、有楽町線乗入車の7000系Y編成を記録するために出掛けたものですが、8000系がまだまだ残る中、原型顔は2編成のみとなっていたため記録できればと思っていた程度でした。この写真、記録を見ると全く同じ7時59分となっています。下りの8111Fを見送って直ぐにファインダーに飛び込んで来たのが8112F、といった絶妙のタイミングで2編成とも記録できました。平成22年7月28日 池袋駅にて仕事で現場に向かう際、乗り換えのために東上線ホームに上がると、停まっていたのが8111Fでした。写真を撮るために下り方へ移動していくと、朝のラッシュタイムのために直ぐに発車してしまい、ホーム端まで間に合わず、カメラを出しながらなんとか撮った写真。なので構図も出来高と言った感じに。平成22年7月28日 大山~中板橋間にて 8660先頭は2両編成の8560F?運転台の乗務員ドアと助士席側の乗務員ドアって裾の長さが違うんですね。初めて知りました。平成22年7月28日 大山~中板橋間にて 8416こちらは4両編成の8116F?を先頭とする10両編成。これも結構初期車ですね。いずれも現場待ち合わせのわずかな時間での撮影。本数がありました。実はこれだけしかありませんでした。これ以降も仕事やプライベートで4~5回くらいは写真を撮る機会があったのですが、タイミングが悪かったり来なかったり、記録することが出来ませんでした。並走する埼京線から、毎朝当たり前のように眺めてきた8000系が無くなるというのも信じられない気がします。時代は徐々に進み、ある日突然姿を消してしまうんですね。
2024.02.13
コメント(2)
20000形RSE車:特急「はこね」小田急電鉄20000形RSE車については、20000形RSE車:特急「あさぎり」にてすでにご紹介済みですが、同車は「はこね」にも共通運用されており、2コマだけ記録がありました。今回はRSE使用の「はこね」をご紹介いたします。平成23年10月29日 登戸駅にて 「はこね2号」平成23年10月29日 喜多見駅にて 「はこね15号」
2024.02.11
コメント(2)
小田急電鉄 3000形SSE:急行「あさぎり」現在も小田急電鉄の新宿と御殿場を結んでいる特急ですが、特急化される平成3年3月までは、小田急の3000形SSE車を使用した急行列車でした。当時の区間は小田急電鉄の新宿~御殿場間でした。※撮影は、平成3年1月26日 御殿場線 山北~足柄間です。SSE車が置き換えになると発表され、前後1ヶ月間、週末毎に撮影の予定が入っていたのですが、強攻策で撮影に行くことと相成りました。せっかく最初で最後のSSE「あさぎり」の撮影でありましたが、終わってみれば電柱の影は被っているし、イマイチピンが甘いのか良く解らないネボケた仕上がりでした。一体、何のために延々と河原を歩き、崖をよじ登ってここまで行ったのか・・・。それでも、帰りはお別れ乗車してきましたし、写真もお釈迦になったわけではないので、まあ良しとしましょうか。「あさぎり」用 急行券(国鉄時代)昭和60年4月、国鉄時代、御殿場駅発行の御殿場→新宿間の連絡急行券です。座席指定のない号車定員制の発行で、このためか自由席利用の場合と同様の「急行券」として発行されていたようです。そのため、国鉄線内の急行料金+小田急線内の特急料金となっており、指定席料金は加味されていないようです。年代から、与野駅勤務時代の着札をもらっていたようです。「あさぎり」用 急行券(JR東海)こちらは民営化後の平成3年1月御殿場駅発行の連絡急行券で、国鉄→東海会社線、地紋がこくてつ→JRに変わった後のものとなっています。券面の表示事項は殆ど変わっておらず、特急化までは全く同様の硬券・発売方法となっていたようです。この急行券は、上の写真撮影後、帰路の出発を待って記念乗車したもの。急行ながら伝統の小田急ロマンスカーなので急行形よりは良いですが、さすがにこの時代では一方向きの固定座席、シートピッチを広くないため、陳腐感は否めませんでした。それでも最初で最後のSSE乗車機会でしたので、良い記念になりました。A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット(再販)[マイクロエース]【送料無料】《03月予約》[鉄道模型]マイクロエース 【再生産】(Nゲージ) A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット
2024.01.26
コメント(2)
京浜急行電鉄:1000形(初代)私の世代からすると、京浜急行と言えば1000形と言っても過言ではありません。昭和34年から製造が開始され、昭和53年まで約10年間にわたり製造されてきました。私も昭和51年頃から良く品川駅へ写真を撮りに行きましたが、全く私鉄に興味がありませんでしたので、風景を含むただ1枚の写真すら撮っていませんでした。途中で度々姿を変えながら活躍し、平成22年の6月を以って全車が廃車されています。以上、平成20年1月5日 六郷土手駅にて平成21年2月28日同形を撮ったのがたった2日間のみ、本当に縁の無かった私鉄です。本来なら今となってはレアな車種にも出逢っていた筈ですが、全く撮っていませんでした。そんなこともあって、今では出来るだけチャンスを逃さないように記録するようにしています。
2024.01.05
コメント(0)
東武鉄道 8000系:秩父直通特急「ちちぶ」特急「ちちぶ」と言えば、真っ先に西武鉄道のレッドアローを思い浮かべると思いますが、東武東上線から秩父鉄道に直通で乗り入れていた特急列車に「ちちぶ」の愛称を使用しているものがありました。昭和51年7月31日 撮影場所不明 東武8000系 特急「ちちぶ」東武東上線から秩父鉄道への直通乗り入れ列車は、西武鉄道からの同様の例として定番だと思っていたのですが、記事によると東武からの乗り入れは平成4年3月に廃止されてしまったらしいですね。写真は、中学生になったばかりの頃、電車で長瀞辺りに行ったとき、長瀞もしくは途中の交換駅で撮影したものと思われます。鉄道ファン誌の写真はきれいに写っており、晩年のヘッドマークも大変見易い中ぶりのきれいなものが装着されていますが、この写真では列車種別ホルダ(急行とか準急とかの札を入れるホルダ)をそのまま利用した非常に小さいヘッドマークであり、目を細めないと何が書いてあるかも判らないくらいです。8000系の2代目塗装として誕生した頃のセイジクリームと相まって、観光が栄えた古き良き時代の1コマでした。
2023.12.31
コメント(4)
小田急電鉄 50000形VSE車:特急「スーパーはこね」小田急電鉄でかつてはフラッグシップロマンスカーとして君臨していたVSE。2005年デビューとまだまだ若い車齢ですが、2022年3月11日をもって定期運用から離脱していました。その後、イベント列車や企画列車として臨時運転されたものの、2023年9月に第2編成が引退、残る第一編成も12月10日を最後に引退となりました。平成20年1月26日 箱根板橋~風祭間にて 「スーパーはこね13号」500系「のぞみ」の撮影に行った際、復刻塗装のLSEを発見、これを追っ掛けて箱根登山鉄道まで行った際に撮影したVSE。小田急線に的を絞った撮影はしたことがなく、VSEもこの時が初遭遇だったと思います。平成20年1月26日 栢山~富水間にて 「スーパーはこね23号」同日、場所を移動して小田急線内で撮影。平成23年10月29日 喜多見駅にて 「スーパーはこね13号」平成23年12月27日 南新宿~参宮橋間にて 送込み回送平成24年1月26日 新宿~南新宿間にて 「スーパーはこね13号」平成30年2月17日 梅ヶ丘駅にて 送込み回送令和2年3月22日 新宿駅にて 「スーパーはこね11号」結構撮ったような気がしたのですが、集めてみたらそれほど多くはありませんでした。やはり編成数が少なく、「スーパーはこね」の運用も限定されていたこともあったようです。職場旅行がなくなってから、箱根に行く機会もまったくなくなってしまいましたので、LSEやこのVSEには一度も乗る機会には恵まれませんでした。小田急電鉄 50000形VSE:特別団体列車
2023.12.10
コメント(0)
小田急電鉄 50000形VSE:特別団体列車令和5年も12月を迎え、既に定期運用から撤退していた小田急電鉄の50000形VSEロマンスカーも完全引退間近となってきました。2編成のうち50002編成は既に引退しており、残る50001編成も12月10にラストランを迎えるそうです。こうした状況になると、どうしても沿線がオーバーツーリズムになるので、悪評名高い撮り鉄行為に混ざるのはいや。そんなことでもあり、もうVSEに会う機会など期待もしていませんでした。先日、行きたくもない町田への現場が組まれてしまい、しかも午後だけだったので、新宿を11時半頃出発して町田で昼食を摂ってから仕事、とういう段取りで出掛けました。この時間はちょうどロマンスカーの無い時間帯だったので何も気にせず新宿駅へ行ったのですが、何気にロマンスカーホームを覗いたところ、何とVSEが停まっていました。乗車予定の快速急行はまだ到着もしていなかったので、ホームを移動しながら記録してきました。※撮影は、令和5年11月30日、小田急新宿駅です。久し振りに再会したVSE。駅内の工事により喫茶店が消滅。壁に囲まれて撮りづらくなってしまいました。良く見てみると、ありがとうステッカーが。近くでもう1ショット。他には誰も撮っている人は居なかったのですが、私が撮影しているのに気付いた数名の女子たちが集まってきて、スマホで撮影を始めました。展望車の特徴である反位側に設置された乗務員扉。この先では、浮かれた10名ほどのテツたちが横断幕を持って記念撮影。乗客か?案内表示を見ていなかったので気が付きませんでしたが、側面サボには「特別団体専用」の表示が・・・。側面にも大きなありがとうステッカー。廃車間近な車両にありがちなボディーの劣化は全く見られません。なんだか勿体ない。まだ時間があったので先頭まで。残念ながらこちらもテールランプでした。撮影したときには気が付かなかったのですが、展望室には花束が・・・。何の団体か分からなかったので色々調べたのですが、この日のVSEを記録した記事を上げているが全く見当たりません。どうも小田急トラベルで貸切集客をしていたようで、これに応募した団体が運転させた列車だったようです。運転予定も発表されていないもののようで、平日ということもあり、撮影者もほとんど見掛けませんでした。この後、町田で昼食後の時間調整中に線路端で写真を撮っていたのですが、ロマンスカーを2本撮影後、もう何も来ないと思ってスマホをいじっていたところ、何とまたこのVSEが新宿方面を走ってきました。突然だったのでカメラを出す余裕もなく、この日の新宿駅が最後の記録となってしまいました、元々撮影できるチャンスなどないと思っていたので、ステッカー付の姿を記録することができ、ラッキーな最後となりました。
2023.12.02
コメント(0)
京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄の3200形は、京成電鉄では初めて両開き式扉を採用した車両。登場時はもちろん非冷房であり、前面の行き先幕などさえも備えていませんでした。後に更新工事が施工され、方向幕や種別幕の設置、ヘッドライトの幕板部への移設などが行われ、3300形更新車と同じような姿になっています。昭和54年5月頃 3248晩年の頃とはかなり印象が違ってしまいます。すべてがアナログ、マニュアル操作の時代ですね。行先板がパタパタなのも味わいがあります。平成19年11月を以って全廃、廃形式となっています。京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)
2023.11.26
コメント(0)
京浜急行電鉄ほか:エアポート急行羽田空港に発着する京浜急行電鉄の「エアポート急行」の種別ですが、令和5年11月24日の運転をもって、登場から13年の歴史に幕を下ろすということです。今回消滅の要因として、空港発の逆方向への列車もエアポート急行を名乗っていることから、途中駅から見た✈マークで外国人の誤乗発生が問題となっているようです。日本人からすれば行先と種別から判断するので誤乗ということはないと思います。しかし、漢字を知らない外国人には、飛行機マークだけで空港へ行けるという判断をしてしまうのでしょう。なかなか縁のない路線ですが、過去に現場に行った際、偶然にも何枚か撮ったものがありましたので、まとめておきたいと思います。平成23年8月1日 立会川駅にて 北総鉄道 7260形平成23年7月8日 梅屋敷~京急蒲田間にて 千葉ニュータウン鉄道 9008F平成23年7月8日 品川~北品川間にて 北総鉄道 7808F平成24年11月13日 京急川崎駅にて 2041平成24年11月15日 青物横丁駅にて 千葉ニュータウン鉄道 9008F平成24年11月15日 青物横丁駅にて 東京都交通局 5327F平成29年6月26日 青物横丁駅にて 606F意識して撮っていたわけではありませんでしたが、意外とコマ数がありました。それも、肝心の京急車両より他社からの乗り入れ車両が多いところも意外。1000形とか比較的にスルーしていたことも要因かもしれません。
2023.11.25
コメント(0)
東武鉄道 8000系:東武東上線(ツートン塗装時代)私とほぼ同い年で、未だ活躍を続けている東武8000系。武蔵野線が旅客営業を開始した当初、まだ小学生でしたが良く遊び場として乗っていました。その際、東武東上線で写真を撮ったことがあるのですが、既に活躍していた8000系はもちろん非冷房車で、塗装簡略されたセイジクリーム色でさえ登場する前でした。昭和48年? 東上線 朝霞~新座間にて上の写真は準急ですが「池袋←→???」が不鮮明で判読できません。下の写真は上り急行池袋行きで、こちらは矢印式ではありません。この時代の8000系はもちろん非冷房車のみで、列車種別は板サボによるものでした。上の写真の準急は、後部ながら通過表示灯が点灯している様子が見て取れます。撮影の場所は、現在の朝霞台駅に当たる場所です。武蔵野線の旅客営業化直後であり、北朝霞駅はできていましたが、駅前は広大なニンジン畑のみと言った様相で、利用者がいるとはおおよそ予想がつかない状況でした。でも、下の写真を良く見ると、左側には用地買収済みのようなフェンスが写っており、既に接続駅の新駅設置の準備が整っている様子が判ります。平成になってからはこの辺りに足を踏み入れたことがありませんが、どのようになっているのか、写真とか撮れるのか、まったく想像が付きません。参考までに、過去ログ『東武鉄道:7300系・7800系』にて、その後昭和59年頃のほぼ同じ地点での撮影の様子をご紹介しています。
2023.11.18
コメント(0)
東武鉄道 7300系・7800系東武7300系は、昭和22年に導入された東武鉄道初の20m級電車で、戦後の混乱期に運輸省が各私鉄に割り当てた国鉄63系電車と同型車の東武鉄道における形式です。導入当初は63系そのものといったスタイルだったようですが、その後各種車体更新が実施され、後の標準型となる7800系と同様のスタイルとなります。また、東武7800系は、7300系の実績を元に、昭和28年に登場した東武鉄道における戦後初の独自設計による通勤形電車です。いずれの形式も後の標準型で現在も活躍している8000系が登場するまで、東武線の支線を除く幹線で活躍していました。外観からは区別の付けづらい形式ですが、例外を除き、グローブ型ベンチレータが7300系、押し込み型ベンチレータが7800系となります。また、7800系には仕様の違いにより番台区分があるようです。私が写真を撮った頃には既に活躍が末期となっており、枚数はそれほど多くありませんが、とりあえず並べてみます。昭和53年3月12日 東武宇都宮線車内より 7800系との交換私が撮影した唯一の宇都宮線です。すれ違うのは7800系で、乗っている車輌は旧5000系(のちの3000系となる車輌)だそうです。写真が傾いてしまっていますが、古き良き時代の写真です。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 準急写真は7800系準急列車で、「準急」の種別サボが付いています。行先札も時代を感じさせます。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 普通こちらは普通列車。国鉄で言うとクモハ42の4扉改造車「クモハ31」に似たイメージです。昭和56年6月6日 春日部電車区にて 7800系 モハ7865(事故復旧車)モハ7865は、踏切事故により破損した前面を、復旧に際して高運転台化された車輌。他の7800系では見られないスタイルで、同系随一の異端児でした。昭和58年4月頃 東武東上線 朝霞台~朝霞間にて 7800系2連+7300系4連東武の7300系と7800系が少数ながら最期の活躍をしていた頃です。もうほとんど運用がなくなってきており、7800系2両と7300系4両の計6連のパターンで運転されていました。昭和58年では風前の灯状態で、確かこの東上線だけになっていたと思います。現在は武蔵野線効果で大発展を遂げた朝霞台付近ですが、写真の頃は複々線化の工事が始まった頃で、武蔵野線北朝霞駅との乗換えすらできない状況でした。今となっては貴重な、時代の風景になりました。
2023.11.08
コメント(0)
京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄3100形は、昭和35年に誕生した新性能電車です。登場時はもちろん非冷房車であり、後に冷房改造が行われています。更新工事の施工により行先表示幕が設置されましたが、幕板部へのヘッドライトの移設は行われなかったようです。京成津田沼駅にて 31043101~3116は1次車であり、コイルバネ台車を採用しています。京成津田沼駅にて 31223021~3036は昭和36年以降に誕生した2次車となっており、京成電鉄では初めて空気バネ台車を採用しました。写真を見ると、ドア窓の大きさが1次車は大型で、2次車は小型になっているようです。登場からしばらくの間は2両編成のみとなっていましたが、半数の先頭車が中間車化され、4両編成に変更されました。この写真を見る限り、すべてが2両編成で組成されているようで、更新前の貴重な姿となっています。
2023.11.07
コメント(0)
小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり」前記事と同じような題名ですが、今回は単独で走る正規の特急「あさぎり」です。国鉄が民営化後の平成3年3月ダイヤ改正において、老朽化したSSEの引退に伴い、「あさぎり」は沼津まで運転区間を延伸した上で、JR線内を特急列車に格上げすることになります。特急列車化に際し、小田急電鉄では新型の20000形RSEを用意するとともに、JR東海でも共通性能を持つ371系電車を導入することになりました。さらに、平成24年3月のダイヤ改正において、バリアフリー法の犠牲となったRSEや371系が引退することになったため、現在のMSE60000形に変更されています。なお、この改正で沼津まで到達していた運転区間が新宿~御殿場に戻ってしまいました。そして、平成30年3月の改正において改名されることになり、ロマンスカー「あさぎり」の歴史に終止符が打たれることになります。平成30年2月17日 豪徳寺駅にて 「あさぎり2号」「あさぎり」は基本的に併結がないため6両編成で運転され、新宿方は付属編成のない貫通型の顔となります。平成30年2月17日 梅ヶ丘駅にて 「あさぎり3号」RSEの引退以来、小田急線への撮影は行っていなかったため、MSEの「あさぎり」は全く撮ったことがありませんでした。あまり縁のない小田急ですが、「あさぎり」ではSSE連絡急行時代に撮影したこともあり、帰りに乗車しています。また、RSE時代にも往きにお別れ乗車を兼ね、1日撮影に興じたこともありました。そんな過去もあり、「あさぎり」最後の形式を記録しないのも勿体ないと思い、1日だけ撮影に出掛けたのがこの2枚の写真です。前記事の『小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり/えのしま」』も同じ日のものです。列車そのものが無くなったわけではありませんが、「はこね」と負けないくらいに歴史のある名前でもあり、消滅してしまうのはやはり寂しいものです。しかも、外国人受けな名称であるため、なんか馴染まない感じがしてなりません。小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり/えのしま」小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)セイコー 小田急線開業95周年記念 特急ロマンスカーMSE ウオッチ 数量限定5,000点
2023.11.05
コメント(0)
京浜急行電鉄:2000形平成30年当初、残り2編成まで減少していた京浜急行電鉄の2000形ですが、同年3月で引退とのプレス発表がありました。昭和57年~62年にかけて72両が誕生し、2ドアクロスシートを活かした快特・特急運用に活躍しました。平成10年に後継の2100形が誕生すると、2000形は3ドアに改造されて格下げとなり、平成12年8月をもってすべて2100形にその座を譲ることになります。その後は3ドアで急行や普通列車で活躍を続けてきましたが、新1000形の導入によりその数を徐々に減らし、とうとう全廃されてしまうことになりました。平成20年1月5日 六郷土手駅にて 2421初めて撮影した2000形は4両編成のローカル運用でした。ここに来た目的は京浜急行の撮影ではなく、終焉が迫ってきた寝台特急「富士」はやぶさ」を撮影するためでした。言わばついででした。平成24年11月13日 京急川崎駅にて 20412度目に捉えたのは4年以上のブランクがあり、現場仕事で大師線への乗り換えで下車した京急川崎駅でした。デジカメを導入するまでは、京急には全くと言って良いくらい縁がなく、写真も撮ったことがありませんでした。そんなこともあって昭和の記録が全くありません。その後、現場回りの仕事や撮影のために京急沿線を訪れたことは何回かあり、デジカメの力もあってできるだけなんでも撮るようにしていました。それでも2000形が空港線運用に徹していたためかなかなか逢うことが無く、記録できたのはたったこの2枚だけでした。この年、2000形や他のラッピング車両などを絡めて撮影に行きたいと思っていた矢先、引退の発表があったためもう諦めざる得ない状況となってしまい、非常に残念な思いでした。せっかく復刻した特急塗装は実物を見る間もなく、引退となってしまいました。
2023.10.28
コメント(0)
東武鉄道 3000系:佐野線東武鉄道では、従来からある旧車が陳腐化し、さらには優等列車の種車を通勤形に改良したものが通勤需要に耐え切れないということで、8000系に準じた車体に載せ替える、いわゆるアコモ改造を施行した車両があります。このうち、17m級車が3000系と総称されていました。昭和53年頃 東武佐野線 佐野駅にて 3000系2連この写真、初めは東武日光線栃木駅で宇都宮線を撮ったものと思っていたのですが、ネガのコマの並びや特徴的な急カーブの線形を考慮すると、どうも東武佐野線のようです。3000系や5000系といったアコモ改造車の写真は、まったくと言って良いほど撮らなかったので、たった1枚のこの写真が自分には非常に貴重な記録になってしまいました。
2023.10.27
コメント(0)
小田急電鉄 3000形SSE:特急「えのしま」「えのしま」は、現在も運転されている新宿~片瀬江ノ島を結ぶ小田急電鉄の特急列車です。昭和50年代は「はこね」を除き初代ロマンスカーである3000系SSE車(元SE)車が共通で使用されていましたが、ご紹介いたします特急「えのしま」に運用されていた写真が2枚ほどありました。昭和55年頃 藤沢駅にて友人と初めて江ノ電の写真を撮りに行ったとき、偶然撮っていたようです。ブレてしまって絵にならないのですが・・・。昭和57年5月頃 登戸駅付近にて私が初めてセミ判(マミヤM6451000S)を導入したときに、試運転として何故かここへ来ています。特に小田急の電車が撮りたかったのかどうか、ハッキリ覚えていません。この頃はまだLSE車が辛うじて登場したばかりでしたので、もっぱら主力はSSEとNSEでした。特に、「あさぎり」はもちろんのこと、「えのしま」や「さがみ」もSSE車が中心に運用されていたような記憶です。この頃は珍しくもなく、真剣に撮影はしていませんでした。したがって枚数もほとんど残っていません。しかし、当時は東武鉄道以外の私鉄写真を撮っていなかったので、少ない枚数ながらも自分的には貴重な写真となっています。マイクロエースから3000形SSE車の5両セットが再生産されるそうです。私は初回生産時に購入しておりますので、7000円も高くなって中身は変わらない再生産品を買う気はありませんwコレクション館でKATO3100形ロマンスカー(レジェンド)をご紹介した時に、マイクロの3100形にも触れています。今回は増結セットはないみたいですけど。A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット(再販)[マイクロエース]【送料無料】《03月予約》送料無料◆A2153 マイクロエース 小田急3000形・SSE・更新車 5両セット Nゲージ 再生産 鉄道模型 【未定予約】
2023.10.20
コメント(0)
東武鉄道 8000系:8108Fリバイバル塗装前記事で東武鉄道8000系8111Fの団体列車をご紹介いたしましたが、これよりも前の平成16年10月、同じくオリジナル顔でリバイバル塗装が施された8000系が存在しました。8108F(6両編成)で、約半年間の予定でラッピングされたものですが、好評のために運転期間が延長され、翌平成17年の6月まで運転されています。※撮影は、平成17年2月11日、東武東上線にて。朝霞台付近にて新河岸~上福岡間にて森林公園駅付近にて東上線開業90周年を記念して実施されたそうです。まだデジカメを持っていない時代、1度だけリバーサルを入れたM645で撮影に行ったことがありました。
2023.10.19
コメント(0)
東武鉄道 8000系:8111Fリバイバル塗装東武鉄道で最後までオリジナル顔で残っていた8111F。定期運用引退後にツートン時代の塗装に復元され、住処を東上線から伊勢崎線に移し、所有者が変わり、セイジクリームに変更され、またオリジナルツートンに戻りと変化し、ここにきてまた配属が変わるとか?目まぐるしく変化する同編成。今回は、定期運用から引退し、復活した直後に運転された時の団体列車の写真をご紹介したいと思います。平成24年8月29日 東武野田線 大和田~大宮公園間にて活躍の地を伊勢崎線方面へ移し、団体・臨時列車等で使用されることになりました。東京スカイツリーの開業も契機の後押しになったかもしれません。写真は復活塗装にて団体列車が組まれた最初の頃で、東京スカイツリーから野田線へ直通する団体列車として運転されたものです。本運転の大宮行きは、夕陽が厳しくてヘッドマークが飛んでしまいました。返しの回送でじっくり撮ろうと思ったのですが、ヘッドマークを外して「団体専用」を「回送」に変えてしまうなど、徹底したお片付け振りでガッカリしたものです。その後は撮影に行く機会もないまま。放置になっています。
2023.10.18
コメント(0)
東武鉄道 モニ1473:荷物電車今回は東武鉄道に存在した旧型荷物電車をご紹介いたします。昭和50年代までは、御多分にもれずに大手私鉄においても荷物輸送が行われていることが多く、国鉄と同様に旧型旅客電車を改造した古い車両が使われていました。東武鉄道にもモハ1400形と言う電車から昭和39~40年にかけて改造されたモニ1400形が5両存在していたようです。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 荷物電車 モニ1473東武鉄道における旧型電車7300系・7800系を中心とした列車の撮影のために訪れた際、徒歩移動中に偶然背後からやって来たモニを撮影したものです。それまでも東武電車の写真を撮ったことはありましたが、本格的に沿線の撮影に臨んだのは初めてであり、線内にこのような旧い荷物電車が存在していることも知りませんでした。当時は形式や車番等が不明であったため、なかなかアーカイブできていなかったのですが、東武鉄道の旧型車両に関する資料を公開している方の写真から車番を判定することができました。国鉄車と同様に古い電車の改造では種車に由来する個性があるため、このような詳しい情報を提供してくださる方がいて本当に助かります。調査して驚いたことに、東武鉄道における荷物電車の廃止後も、このモニ1473は廃車を免れて西新井工場の入換車として杉戸工場の入出場車牽引などに使用され、西新井工場が閉鎖となる平成16年3月まで活躍していたそうです。しかし、同年7月、残念ながら保存されることなく、解体されてしまったとのことです。
2023.10.17
コメント(0)
西武鉄道 旧2000系西武鉄道で101系列と共に活躍し、ステンレス化が進んだ現在も活躍が続く2000系ですが、このうち旧2000系2031編成が令和5年10月5日に廃車回送を兼ねたラストランとなり、これにより6両編成及び4両編成が消滅し、残るは2連3編成の6両のみとなるそうです。西武鉄道もあまり乗る機会がないのですが、以前の現場中心の仕事の時や、池袋線から10000系ニューレッドアローの引退に際してこまめに撮影はしていました。黄色の目立つ2000系もかなりの枚数を撮っているのですが、9000系や新2000系の写真が多く、旧2000系の写真はたった3コマしか見つかりませんでした。平成22年1月1日 下井草駅付近にて平成22年1月1日 下井草駅付近にて平成23年1月1日 下井草駅付近にて 西武新宿行き 「拝島快速」西武線の写真は圧倒的に池袋線が多いですが、何故か旧2000系にだけは新宿線、しかも正月に女房の実家に行ったときに撮ったものだけしかありませんでした。旧2000系の運用に差があったのでしょうかね。今はまた現場仕事に戻りましたが、今年度の現場もかなり少なくなりますので、残る2連の撮影機会もほとんど期待はできません。
2023.10.10
コメント(2)
京成電鉄:青電2100形・210形京成電鉄2100形は、制御車の2100形と中間電動車の210形で全く生い立ちが異なります。電動車は戦前、制御車は戦後生まれとその生い立ちがややこしいため、ここでの説明は省略させていただきます。昭和47年から更新工事が行われ、他の3000系列と同じようなオデコ2灯のスタイルとなります。長らく京成電鉄らしい青電塗装を堅持していましたが、昭和55年からファイアーオレンジ化されることになります。以下の写真は、偶然にも撮影していたものと、塗色変更の情報を得て青電を撮るためにわざわざ撮影に行ったときのものです。21072109いずれも昭和54年、京成津田沼~京成幕張間にて撮影したものです。この頃は私鉄にも興味ありませんでしたし、まして通勤型には全然興味が無かったと思います。ただ、何故かこの古臭い青電塗装には興味があったようで、幕張電車区での撮影のついでで撮ったと記憶しています。現在は京成幕張本郷駅ができた辺りではないかと思われます。国鉄千葉駅前駅にて 2102塗装変更の情報を得て撮影に行ったときの写真です。この頃は青電編成のことを良く知らなかったのですが、5編成しかいなかったようですね。出会う回数が少なく、この時もやっと出会ったにもかかわらず、300mmレンズを付けていたために障害物を避けての構図が決まらず、こんな写真しか撮れずにガッカリしたものです。京成津田沼駅 車庫にて 2105帰り掛けの車庫で青電を見つけました。奥には既にファイアーオレンジ化された3100形と思われる車両も停まっていて、3色揃い踏みが記録出来ました。この後、ファイアーオレンジに塗装が変更されたようですが、最後まで残った2102編成は昭和63年のさよなら運転に際し青電塗装に戻されそうで、この列車の運転を以って2100形・210形は全廃となっています。
2023.10.02
コメント(0)
京成電鉄 モハ700形:行商専用列車京成電鉄では、千葉県内から都心へと向かい行商を行うおばちゃんのための専用列車が走っていました。もちろん、一般客を排除して運転する列車ですから、車両は常にお古です。むかしこの記事をまとめた当時は良く知らなかったのですが、モハ700形に属する車両だそうです。昭和56年頃 日暮里駅付近にて 行商専用列車モノクロなのが残念な写真です。確か、日暮里付近で特急「みちのく」の写真を撮影していた際に偶然通りがかった行商専用列車をキャッチしたと記憶しています。当時、既に青電は廃車になったか塗り替えたかで消滅してしまっていて、京成の中でも最後の青電だったと記憶しております。704-1601-1602-2203の4両編成で、昭和49年に同列車に使用されるようになり、このうち1601が外されて3両編成となったのが写真の編成だそうで、この写真を撮って直ぐに廃車となってしまったようです。フィルム現像を自前で行ったのですが、薬液の温度管理が悪かったらしくオーバーに定着してしまったため、粒子も非常に荒れてしまい、見苦しい写真となってしまいました。
2023.10.01
コメント(0)
小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり/えのしま」※本記事は、2018-03-12に投稿したもので、当時の表現になっています。複々線化完成による大きなダイヤ改正を迎える小田急電鉄。列車の運行体系が大幅に変わる中で、ロマンスカーの運用も意外と動きがありました。この中でも一番の話題は、GSEの営業運転開始やそれに伴うLSEの引退の足音が聞こえるなどもありますが、地味な変更として御殿場特急の「あさぎり」が「ふじさん」へと名称変更されるというのがありました。列車そのものの存在は60000形MSEのままであり、行き先等も変更されないので地味な名称の変更だけ、ということでもありますが、長年親しまれてきた「あさぎり」という名称が無くなってしまうショックは結構大きいものでした。さらに、土休ダイヤのみに設定されていた「えのしま」との併結運用も、平成30年3月のダイヤ改正で消滅してしまうということで、特に小田急の併結特急では併結列車の名称を合わせて表示しているので、見た目にも判りやすくなっていました。変更直前の付け焼刃な撮影でしたが、記録として撮影しておきました。※撮影は、平成30年2月17日、新宿駅にて。先発の特急が発車すると、掲示板の案内が更新されます。この表示も改正を迎えれば表示されることは無くなります。特急「あさぎり11号/えのしま11号」「はこね」の」折り返しとなりますが、到着時点でヘッドマークは切り替えられて現れました。暗くて判りづらいですが、ヘッドマークのアップです。小さくて走行写真での視認性は悪くなりますが、暗い場所ではくっきりと映ります。横サボはそれぞれの列車名のみが表示されます。号数も表示されるので、記念撮影にも重宝されそうです。小田原方の先頭です。こちらは暗くて撮りづらいのですが、壁面に描かれたGSEとの並びが面白い対比だったので記念に撮っておきました。特急「あさぎり」としての運行はもうちょっとありましたが、この併結特急「あさぎり/えのしま」は土休日限定の運用であるため、平成30年3月11日で運用を終えています。また、今改正でこの併結運用も解消してしまうため、「ふじさん/えのしま」というような特急の出現もないようです。セイコー 小田急線開業95周年記念 特急ロマンスカーMSE ウオッチ 数量限定5,000点【中古】Nゲージ マイクロエース A7572 小田急ロマンスカー60000形MSE 改良品 6両基本セット 【A】
2023.08.04
コメント(0)
小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)小田急電鉄20000形RSE車が引退することに伴い、最後に乗ってみようかということになり、平成24年3月のダイヤ改正前に同時に引退となるHiSEやLSEの撮影と兼ねて乗車してきました。小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」※撮影は、平成24年2月19日です。乗車したのは、新宿駅7:20発「あさぎり1号」です。沼津行きも7両編成の表示も間もなく消滅してしまいます。3番線に到着したRSE「あさぎり1号」。駅撮りは初めて。もちろん乗車も。RSE20000形、ナンバーは20001。RSEのエンブレム。横サボはLED。改正により「沼津」の表示もなくなります。さよならステッカーは、RSEのほか、同時に消滅するHiSEと通勤車の5000形にも掲示されました。この日乗車したのはスーパーシート。RSEと371系の消滅により、小田急線内からスーパーシートと2階席という表現が消えてしまいます。それは、同時に御殿場線内からグリーン車と2階席が消えることを表します。松田駅に到着したRSE「あさぎり1号」。ここからはJR東海の御殿場線となります。松田駅を後にするRSE「あさぎり1号」。ホームのあちらこちらで記念撮影をする人が居ました。20000形RSE車:特急「はこね」【中古】[RWM]NP501 小田急 ロマンスカー 20000形 RSE あさぎり(7両セット)(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 MODEMO(モデモ/ハセガワ)(20060120)
2023.06.29
コメント(0)
西武鉄道 新宿線・拝島線:「拝島快速」国鉄沿線に生まれて以来、私鉄よりも常に国鉄→JRへの興味が高く、西武鉄道もそれほど馴染みのない路線でした。まして利用機会が若干あった池袋線や、女房の実家に近い新宿線は見慣れていますが、多摩を走る路線に接することは皆無といって良いほど。しかし、平成22年度より現場回りの仕事となり、あらゆる都内私鉄各線に乗車する機会ができ、西武拝島線へも2度くらい行く機会がありました。平成24年6月29日、それまで西武新宿と拝島を直通で結んでいた「拝島快速」と言う名称が消えてしまうことになりました。平成22年11月19日 武蔵砂川駅にて平成22年11月19日 玉川上水駅にて現場に行った際、昼の移動に利用しました。偶然にもレアな6101F。幕式の表示なので、こちらも見やすくてGoo!です。平成23年1月1日 下井草駅付近にて女房の実家に向う際、買い物待ちで偶然に撮っていた写真です。LEDではなかったので、判り易い「拝島快速」でした。私は利用者ではないので、名称の変更・消滅の真意や弊害等の予想は付きませんが、利用者にとって利となるのか損となるのか・・・。なお、西武新宿線では、同時に「快速急行」の種別も消滅しています。
2023.06.19
コメント(0)
小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」平成30年3月ダイヤ改正において、小田急~御殿場線を結ぶ特急列車が「あさぎり」から「ふじさん」へと変更されました。当時活発であった来日外国人向けの対応と思われますが、伝統ある「あさぎり」の愛称がなくなってしまうことにガッカリ感がありました。小田急電鉄20000形RSE車は、それまでSSE車で運転されていた御殿場線乗り入れ列車の急行「あさぎり」を特急に格上げのうえ運転するために導入された車両です。国鉄との交渉によりNSE以降の車両の乗り入れが実現せず、民営化後にJR東海との交渉が成立、新型車両を導入することで実現し、協定の元にJR東海371系とともに相互乗り入れが実施されるようになりました。平成3年3月のダイヤ改正のこととなります。当時、いつでも撮れる車両として全然マークしたこともなかったのですが、HiSEと同様に「バリアフリー法」施行の煽りを受けての引退が発表されました。慌てて撮り始めたのは言うまでもありません。平成23年10月14日 登戸駅にて 「あさぎり4号」平成24年2月19日 新松田~渋沢間にて 「あさぎり4号」最初に撮った「あさぎり」の時は、まだダイヤ改正の概要が発表される少し前であり、まさかこの時点でRSEが引退になるとは思ってもみませんでした。20000形RSE車:特急「はこね」【中古】[RWM]NP501 小田急 ロマンスカー 20000形 RSE あさぎり(7両セット)(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 MODEMO(モデモ/ハセガワ)(20060120)
2023.06.14
コメント(0)
名古屋鉄道:3880系飯田線と一部区間で線路を共用している名鉄で、旧国時代に接する機会は多くありましたが、まだ飯田線にのめり込む前、1度だけ名古屋鉄道に接する機会がありました。若い世代には想像も付かない時代。東海道本線名古屋~岐阜間ではキハ82系「ひだ」や485系「しらさぎ」が当たり前に走り、普通列車は153系、貨物列車ではEH10も最後の活躍をしていました。初めて下車した木曽川付近では名鉄が並走していました。しかし、フィルムの貴重な高校時代、名鉄電車にはなんの興味も示していませんでした。そんな時代、2コマだけ名鉄を撮影したものがあります。※撮影は、昭和55年8月、木曽川堤~黒田間にて。名古屋鉄道 モ3880形ほか3連撮影現場へ歩いている最中、並走する名鉄本線に鳴り響くツリカケ音。古い電車が走ってきました。首都圏でもまだ吊り掛け式電車が最期の活躍をしていた時代で、それほど珍しいものでもなかったかもしれませんが、あまりにも外見の古い電車だったので、反射的に撮ってしまったようです。リバーサルからスキャンしてみました。ナンバーの大きな名鉄ですが、あまり鮮明ではなくはっきりとは判りません。そんなこともあって整理せずに10年以上も放置していた画像。この度やっとその素性が判明しました。名鉄3880系電車で、モ3880+モ3880+ク2880の3連のようです。しかもこの電車、元東急目蒲線を走っていた電車で、昭和50年頃に名鉄に譲渡されたようなのです。確かに、良く見ると東急電車の面影が見えます。1両目と2両目のドア窓の形状が違うので別形式だとばかり思っていましたが、ここは個体差のようです。大手私鉄同士の車両譲渡は大変珍しく、当時も大きな話題となったそうです。ただ、当時は東急も名鉄もまったく興味が無かったので、今回の調査で初めてわかりました。咄嗟に撮った写真で構図も良くなく、資料写真としては何にも役に立ちませんが、こんな古い電車が名鉄本線を走っていた、一つの物語として私の脳裏に焼き付いています。
2023.06.09
コメント(0)
西日本鉄道:8000形特急電車西日本鉄道8000形は、平成元年3月10日に営業運転を開始した特急形電車です。それまで特急仕業にあたっていた2000形と交代するために誕生した車両ですが、個人的には2000形のインパクトが非常に強く、8000形の存在はそれほど意識したことがありませんでした。九州へは人生でも3度訪れたことがあるだけ。基本的に国鉄(JR)ばかりのイメージしかなく、西鉄というのはまったく縁のない鉄道でしたが、平成24年、平成になって初めて九州を訪れる機会があり、撮影はJRでしたが、至近を走る西鉄に乗る機会がありました。平成24年9月22日 西鉄二日市駅にて桜台駅から普通列車に乗車し、西鉄二日市駅から特急に乗り換えます。ここで駅撮りだけしておき、そのまま乗車しました。その後の撮影は貝塚線へ抜けてしまったため、撮影する機会はありませんでした。6編成が誕生した8000形は、平成27年から徐々に運用離脱が始まり、平成29年10月15日のさよなら運転をもって運用を終了しました。全く縁のなかった私鉄の特急車両ですが、わずかな時間でありながら乗車し、記録することもでき、貴重な機会となりました。
2023.06.03
コメント(0)
東武鉄道 伊勢崎線:8000系東武鉄道の標準型通勤電車として長きにわたって活躍を続けている8000系。そろそろ終焉か?と思われますが、野田線や支線での活躍はまだ続いています。それでも本線系統では殆どが撤退となり、かつてのような8連や10連といった編成を見ることはできなくなってしまいました。本線の通勤型の殆どが8000系だった頃、塗装が新色となり、またリニューアルされた車両も見られる時代がありました。この時代はまずメジャー過ぎる8000系など興味もありませんでしたが、急行「りょうもう」が終焉を迎える頃、ついでに撮った8000系の写真が数枚ありました。※撮影は、平成2年6月24日、加須~羽生間にて。8144844784??8116全て8000系6連で、4連+2連の編成が多いようです。リニューアルも実施されるようになったばかりみたいで、まだまだ未更新車ばかり、平成20年代しか知らない若者には羨ましがられる時代だったかもしれません。セイジクリーム一色だった時代も私にとっては興味を失ったきっかけになってしまいましたが、この塗装変更やリニューアルもまた、写欲を失うきっかけだったと思います。デジタル時代になって、機会があれば東上線や野田線などの8000系を撮りましたが、オリジナル形態もなくなり、わざわざ撮影に行く意欲も残っていません。
2023.04.30
コメント(0)
相模鉄道:旧6000系私事ですが、首都圏の私鉄と言うのは殆ど利用した(乗った)ことがあるか、乗ったことが無いまでも撮影に出掛けたりはしているのですが、第3セクタを除くと、唯一乗ったことも写真を撮りに行ったことも無いのが相模鉄道です。何故か?言われれば、地域的に訪れるきっかけが無く、車両的にも昔から魅力を感じなかったのは否定できません。興味があった部分としては、ディスクブレーキ丸出しの愉快な台車でしょうか。併走する東海道や横須賀線からは良く眺めていたものです。昭和52年10月31日写真は、昭和52年の社会科見学で鎌倉へ行く際、横須賀線の窓から撮ったものです。旧6000系は、平成4年頃から廃車が始まり、平成9年に最終を迎えたようですが、それまでには8連化10連化を経て冷房改造も受けています。この写真を撮ったのは昭和52年ですから、国鉄でもやっと通勤車に冷房車が普及し始めた頃でもあり、当然にして私鉄でもまだまだ非冷房車が当たり前だった頃ですね。今でも私鉄の中では個性的なデザインの車両が走っている相模鉄道ですが、今見ると素朴なデザインの車両もあったのだな、と言う感じがします。
2023.04.03
コメント(0)
東急電鉄:大井町線8500系※本記事は、2019/04/14に投稿したもので、当時の表現になっています。近年では東急大井町線に5両×3編成が活躍していた8500系ですが、ここ最近になって2編成運用となり、すべての編成が撤退したようです。以前に収録した8090系の時とは違い、特に告知やイベント等も実施されなかったため、全然知りませんでした。情報を検索しても引っ掛かるものが見つからず、先のダイヤ改正辺りで運用から離脱したのでしょうか?我が家から離れ、まず利用する機会のない東急大井町線であり、外回りの仕事でもあまり利用した記憶がありません。平成22年4月20日 等々力駅にて 8639現場回りの仕事を始めて間もない頃、桜新町の現場と等々力の現場を徒歩で回ったため、帰りは最寄りの等々力駅を利用しました。夕方から生憎の雨となってしまったのですが、初めて利用した等々力駅があまりにも特徴的だったので、同僚を先に帰らせてから写真を撮っていました。この頃は8500系がこんな帯色で大井町線に走っていることは知らず。来る列車来る列車8500系ばかりだったように記憶しています。平成25年5月5日 緑が丘~自由が丘間にて 8639約3年後、8090系が引退することとなったため、大井町線に行ったときに撮影したものです。偶然にも同じ編成でした。もっと撮影していたように思っていたのですが、過去の記録から探してみてもこの2カットのみしかありませんでした。やはり8500系にこの帯色があまり好きになれなかったため、積極的には撮影していなかったようです。
2023.01.09
コメント(0)
東急電鉄 大井町線:さよなら8090系※本記事は、2013/05/20に投稿したもので、当時の表現になっています。東急電鉄8090系は、昭和55年に営業運転を開始した、初の量産軽量ステンレス車体を使用した車両です。登場当初から東横線で使用されていましたが、5050系の導入により押し出され、5両編成化して大井町線で使用されていました。東急は昔からあまり縁のない路線であり、写真を撮るようになったのもここ3年ほどのこと。大井町線の利用実績も少なく、写真も殆ど撮ったことがありませんでした。8090系自体の知識もなく、むしろ廃車により秩父鉄道へ譲渡された8090系の方が印象にあります。今般、さよならヘッドマークを付けて走り出したというニュースが入りましたが、撮りに行く機会はないと思っていました。そんなとき、東京貨物ターミナル40周年記念公開の流れで訪れることができ、また、運良く撮影することができました。※撮影は、全て平成25年5月5日です。自由が丘~緑が丘間にて緑が丘~自由が丘間にて自由が丘~九品仏間にて九品仏~自由が丘間にて自由が丘駅にて大井町線の車両の帯色があまり好きではなく、できれば赤帯時代に撮影しておきたかったですが、当時は縁のない路線でしたから仕方ないですね。
2023.01.08
コメント(0)
東急電鉄:8500系東急電鉄8500系は、令和5年1月をもって最終運転を終了すると告知されました。最後まで残っていた青帯編成8637Fは撮ることができませんでした。登場時から交通博物館の下敷き(私鉄編)にも登用されており、子供の頃から好きな車両でもありました。しかし、東急そのものがそれほど縁のある路線では無く、本拠地である新玉川線(現田園都市線)や乗り入れ先の半蔵門線が地下区間でもあるため、写真を撮ったことすらありませんでした。そんな8500系を利用したり撮影するようになったのは仕事が現場回りとなった3年間で、しかも東武鉄道内で出会うようになってからになります。また、東武鉄道で話題が多かった時期もあり、そのついでに撮影できたものがわずかに残るくらいでした。平成22年11月2日 五反野駅にて 8634F平成24年8月1日 8636F平成29年10月1日 鐘ヶ淵駅にて 8621F平成29年6月22日 押上駅にて 8884 車内平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 8621F平成29年3月12日 松原団地駅にて 8628F平成29年3月25日 越谷駅にて 8621F8500系の中でも地方に譲渡されたものがありましたが、調べて見るとそれほど多くはなく、長野電鉄と秩父鉄道のみ。オリジナルに近い姿の長野電鉄では既にメトロ03系への置換えが進んでいるようで余談が許せない状態になっているようです。また、秩父鉄道にも存在していますが、それはわずか2編成のみらしいですから、活躍期間はあまり期待できないかもしれません。
2023.01.07
コメント(0)
EF651000番台牽引:東武鉄道5070系(新製甲種回送)国鉄時代、与野駅に約2年勤務しておりました。大宮操車場勤務とは違い、局報などの運転情報をいつでもタイムリーに見ることができたので、珍しい列車などを探すため、毎月の発行を楽しみにしていました。そんな折、当時はダイヤ情報でも得ることのできなかった東武鉄道の甲種回送を捉えたことがありました。昭和59年頃 与野駅にて EF651000番台牽引 東武5070系 新製甲種回送プリントからのスキャンなので画像が不鮮明です。カマ番も判別できませんが、PF後期車の牽引です。この写真を撮影した時は、東武8000系の甲種回送だとばかり思っていたのですが、宮オオ様からのご指摘により、当該編成は旧型車改造により誕生した5070系5071Fではないかと言うことが判明しました。なるほど、翌々台車を見てみると、確かに旧型ですね。5000系列で改造当初から冷房車があったのは知りませんでした。当時はなんちゃって新性能車に興味を示さなかったため、5000系の写真は1枚も撮影していませんでした。ある意味、私自身としても貴重なワンカットということになります。
2022.11.19
コメント(0)
西武鉄道多摩川線:旧101系かつて西武鉄道の顔として活躍していた旧101系。我が家の出所(明治時代?)の本家となる家が江古田にあるため、小学生の頃に何度か西武線に乗ったことがあり、古臭い塗装ばかりの西武線の電車の中で、まだ登場したばかりの黄色い電車は非常に格好良く見えました。しかし、鉄道好きになってからはあまり利用することは無くなり、古き良き時代の西武線の写真はまったくありません。そんな中、時代が流れてその主役だった旧101系も殆どが引退し、完全に置き換えになってしまうという情報が入ってきました。ちょうどその頃、現場を回るのが主体のセクションに配属となり、最後の活躍の場となる西武多摩川線起点である武蔵境駅を利用するチャンスが1度だけありました。※以下、平成22年7月30日、西武多摩川線 武蔵境駅における状況を当時のまま記事にします。JR武蔵境駅に予定より20分ほど早く到着、上りホームからロケハンをしていると、いきなり旧101系がやってきてしまいました。構図選択をするまでもなく、シャッターを押すハメに。高架に切り替わってから、お互いの防音壁で見通しが悪くなってしまいましたね。上のような写真では満足いかなかったので、西武線のホームまで突撃しちゃいました。工事中のため、乗り換えの通路を目一杯歩かされました。節電しているらしく、発車直前までヘッドライトを点けません。発車メロディーがなると、運転手さんが顔を出し、安全確認をしながらドアを閉めます。挙動不審なオヤジが電車を乗ったり降りたりして、運転手さんを警戒させています。朝から酔っ払っているのかね?そして、ブレーキを抜くと同時くらいにヘッドライトを点灯させました。本当は到着シーンを撮ればヘッドライトが点灯しているんですが、時間が無いので已むを得ませんね。次まで7~8分待たなければならず、待ち合わせ時間に遅れそうなのでここまでとしました。しかし、天気が悪かったのが残念ですね。久し振りに逢った旧101系。実はこの10年近く前に仕事の都合で多摩川線に乗っており、その際に駅撮りと走行写真を撮っています。出来は良くなかった筈ですが、娘の写っている写真と一緒にどこかに潜ってしまったようで見つかりません。見つかったらその2として投稿したいと思います。
2022.10.25
コメント(0)
小田急電鉄 1000形:1060F レーティッシュカラー小田急電鉄で最後まで残っていた1000形未更新車で、レーティッシュカラーのラッピングを纏っていた1058が運用から外れ、廃車となったそうです。小田急通勤車にはあまり詳しくないので、意識して未更新車等の区別をして撮影することはありませんでした。ただ、このレーティッシュカラーは見た目のインパクトがあったため、もうずいぶん前になりますが、RSEやHiSEの最後を撮影に行った際、偶然に1回だけ捉えることができました。平成24年2月19日、新松田~開成間にて 小田急電鉄 1000形 1060F4両編成は概ね小田原~箱根湯本の往復運用のようでしたが、車両交代の運用か分かりませんが、ごく一部が新松田への運用があったようです。当時はたまたま撮れてOKとしただけですが、10年を経過してこんなに早くレーティッシュカラーが消滅してしまうとは思ってもいませんでした。なお、写真の1060Fは2021年7月に既に廃車になっていたようです。
2022.10.08
コメント(0)
名古屋鉄道 モ811:荷物電車国鉄飯田線では、途中まで名鉄と線路をそれぞれ所有し、複線として共同使用していることは昔から有名な話。旧型国電の末期、飯田線には何回も訪れているにもかかわらず、名鉄には興味が無くて、パノラマカーなど一切写真を撮っていませんでした。今となっては後悔が一番大きい思い出のある場所です。そんな中、1枚だけですが、当時の名鉄電車を撮った写真がありました。昭和58年4月16日 豊橋駅にて 名鉄モ811荷物電車&クモニ83100番台普通ならクモニ83のみを撮影するところですが、あまりにも旧態然とした名鉄電車が一緒に並んでいましたので、何回か訪れた中でも大変珍しいシーンに感動し、荷物電車同士の並びとして撮影したものです。モ811は、昭和10年、名岐鉄道時代に製造された特急車両ということです。誕生当初はデボ800形と呼ばれたらしいですが、名鉄との合併後にモ800形に改称されました。このモ811については、飯田線の戦前型が淘汰された昭和58年はおろか、平成8年4月まで活躍していたということなので、動態保存的主旨とは言え、大変立派なものだと思います。さらに、廃車後も旧塗装に復元の上、日車豊川工場で静態保存されていると言うことです。
2022.08.18
コメント(0)
京王帝都電鉄:初代5000系(5070系)特急京王電鉄といえば八王子・高尾山ですね。小学校の遠足で高尾山に行きますが、必ずバスでしたので、京王電鉄を利用する機会などなかったのです。それが、確か小学校3年か4年の頃、叔父の奥さんの実家へジイサンと行くことになったのです。北野駅に近いところで肉屋をやっていたような記憶があります。昭和48年頃? 府中駅?にてこれは新宿から乗った特急電車ですが、特急は北野駅に停まらないため、府中駅で後続の急行列車に乗り換えたようです。まさに、府中駅で電車を降りた後、後追いで撮っていたのですね。良く見ると、屋根の上が大変スッキリしていますので、非冷房のようです。車号がちょっと不鮮明なのですが、5105か5109と読めます。増結用の2両編成で、いわゆる5070系→5100系に属するグループで、初期車は2700系の足回りを流用した吊り掛け式だったというのは驚きです。また、いち早く通勤車に冷房を搭載した京王ですが、同グループは強度の関係で冷房化できなかったようです。当時はそのような知識はありませんでした。当時は北野から高尾山口方面へ3両編成の緑色の電車も走っており、「気色悪いな~」なんて思って撮っていなかったんですがね。その後、京王電鉄に乗ることがあるようになったのも国鉄退職後ですから、やはりあまり縁のない私鉄だったんですね。そんなわけで、私的には大変貴重な京王電車の写真なんです。この写真は有難いことにネガが残っていたのですが、如何せんネガがキズだらけで、無数の星を消すのにメッチャ苦労しました。写真はかなり劣化したのですが、このネガからは驚くほどの色が出てきました。
2022.08.10
コメント(0)
東武鉄道 6000系・5700系:快速急行「だいや」東武鉄道「だいや」は、昭和44年3月21日に急行列車として誕生、昭和51年に快速急行に種別が変更されました。主に快速専用車両6000系が使用されましたが、時折、応援により旧型車の5700系でも運転されることがありました。昭和48年頃 北千住駅?にて 上り急行「だいや」これはおそらくですが、昭和48年か49年くらいだと思います。初めは春日部で撮ったのかと思いましたが、良く見ると高架線ですし、良く分からなくなってしまいました。その後読者様からの情報提供で、北千住駅では無いかというご意見をいただきました。この写真のネガも見当たりませんし、今となっては何の目的でここに居たのかもわからない始末。しかし、「だいや」のヘッドマークを付けた6000系の写真はこれだけですので、私にとっては貴重な写真です。この写真はずっと「快速急行」だと思い込んでいたのですが、種別表示を良く見たら「急行」になっていました。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 6000系 快速急行「だいや」?ヘッドマークが付いていないのですが、列車種別が快速急行となっていることから、「だいや」ではないかと思われます。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 5700系 快速急行「だいや」この頃は私鉄の臨時列車情報というのは殆ど無かったので、それこそ行き当たりバッタリとう感じで行動していました。そんなこともあって、当時でもなかなか行き会うことの無い5700系に突然遭遇し、慌ててシャッターを切ったものです。拡大してやっと「だいや」であることが判るような写真でした。快速急行「だいや」は、その後車体更新による6050系使用となります。そして平成3年、300系350系の誕生により特急列車化が実施され、愛称としての「だいや」は消滅してしまいました。323426 トミーテック 鉄道コレクション 東武鉄道 6000系 2両セット 1/150(Nゲージスケール) 鉄道模型(ZN96873)
2022.06.18
コメント(0)
全56件 (56件中 1-50件目)