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鈴木棠三さんの「日常語語源辞典」(東京堂出版)にときどきパラパラと目を通しています。その著115頁には「誤魔化す」という小題が「小間物」の前に取り上げられています。<江戸時代の道中でゆだんできないのが、なれなれしく近づいて胴巻きなどを持ち逃げするゴマノハイ。>なぜこう呼ぶかと言えば、高野山関係の(貧乏)下級武士がむかし、弘法大師さまがゴマを焚かれた跡の灰と称して善民を騙し稼いだところからゴマノハイ。 <ゴマかすという言葉の成り立ちは、このゴマノハイ抜きにしては考えられず、カスはダマカス、マギラカスのカス。もとは泣ク→ナカス、咲ク→咲カス、バケル→バカスのように、カ行の自動詞を他動詞に変えるときの形式を拡張使用した結果、チャカスのように本来の自動詞の語形が存在しないものまで適用されるようになったもの。このゴマカスもその一例なのである。>と解説されています。
2012.02.29
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昨年亡くなった5代目中村富十郎、7代目中村芝翫に続いて4代目中村雀右衛門も先日鬼籍の人となりました。一風変わった声の富十郎は屋号・天王寺屋、定紋・鷹の羽八ツ矢車、3人の中で一番後に生まれ、81歳で没。顎に特徴のあった福助こと芝翫は1928年生まれで屋号・成駒屋、祇園守の定紋、83歳で没。そして雀右衛門は中村としては京屋の屋号、京屋結び紋、7代目大谷友右衛門としては明石屋で丸十紋(替紋として水仙丸)。夫人が7代目松本幸四郎の息女だから、11代目団十郎・8代目幸四郎・2代目尾上松緑とは義兄弟。 2年間在住の佐賀市から大阪に戻ってきた小学4年生の頃から、難波の旧歌舞伎座へも簡単に行けることから、父によく関西歌舞伎に連れて行って貰いました。その頃に活躍して居られたのが、これらの役者達でした。当時の女形には、中村歌右衛門、尾上梅幸、そして上記の3女形、そして若手の扇雀(現坂田藤十郎)。京鹿子娘道成寺では、愛らしい梅幸の舞、現在の玉三郎にも通じる妖艶とも言える歌右衛門の舞、この巨頭ふたりが居られたので、私が観劇していた頃は彼ら3人や扇雀の道成寺は観られませんでした。 私が良く見せて頂いた頃の友右衛門さんは、ふくよかで愛らしい女形で大好きな方でした。どうしてもあの時代を基本として観てしまうので、現在の主な役者さんのレベルはどの域に当たるのか判じ兼ねています。本当に良き時代の歌舞伎を堪能させて貰い、幸せでした。謹んでご冥福を祈ります。
2012.02.28
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世界に誇るスカイ・ツリー。5月の開業を心待ちにしている人も多いとおもいますが、エレベーターが無かった時代には高層ビルなど考えられませんでした。「雑学・世界 なんでもかんでも ”最初のこと”」P・ロバートソン著、大出健・訳によれば、 1879年9月、オーチス・エレベーター会社がニューヨークのポリール・ビルに世界最初の客用高速エレベーター、4基を設置しました。高層ビルを建てることは随分前から技術的に可能でしたが、これによってビル・ラッシュが始まりました。 一方、エスカレーターにも触れれば、それより13年後に、特許を取ったのがジェシー・W・レノ。そして遊園地コニー・アイランドにレノ式傾斜エレベーターが設置されました。これは継ぎ目なしのベルトに板を張り付けた仕組み。 本格的な(水平のまま踏み板が上昇する方式)エスカレーターはチャールズと提携したオーチス社によって、ロンドンの地下鉄アールズコート駅に設置されました。何でも「段には腰をかけないで下さい。降りる時は左足からどうぞ」との注意書きも。このエスカレーター、人気が人気を呼んで、この駅に一旦下車、エスカレーターの乗降をさんざん楽しんだ挙句、次の列車に乗る乗客が多数居たとか。(注・この文章は、出典からかなり要約、読み易くしています)
2012.02.27
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塩谷桓・西 敏共著の「漢字のクイズ」から頃合いの問題をお借りしました。からだに関係のある慣用句ばかりですが、〇内に漢字を入れて下さい。 「からだの慣用句」1)〇を振るう 2)〇が売れる 3)〇車に乗る4)〇が低い 5)〇を焼く 6)〇を巻く7)〇が覚める 8)〇が痛い 9)〇を明かす10)〇を決めるいつになく平易な問題になっちゃいました。ですが、次は意外に面倒です。(イ) 言〇 言〇(ロ) ?〇 ?〇(イ)(ロ)とも、同じ編からなる熟語つまり議論を10組、清流など15組考え出して下さい。(イ)は他に15組、(ロ)は他に20組ほどありますよ。本日の付録は、ピアノを弾くことができない癖に、練習曲と題して作った曲です。ピアノ練習帳
2012.02.26
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新築やリフォームを済ませた日本家屋には、和室が激減、畳のあるお家が無くなりつつあります。NHK版「日本人の質問 3」には、そんなイグサに関する問題がありました。文章は悉く私流に変えています。<長いイグサをまっすぐに育てる方法とは?>英樹氏=通勤電車のように密集させれば風でも倒れません。大桃氏=か細いイグサ、もっと強いもので支えたい。だから上から網を張る。矢崎氏=毛利元就の3本の矢を応用、3株を上の方で束ねる。文珍氏=田んぼに棚を拵え、糸に重りをつけて上から吊るす。もう1問。<カンガルーがしきりに腕を舐める訳は?>英樹氏=塩分の補給。大桃氏=腕にダ液をつけ、ハエ取り紙のように虫を捕獲。矢崎氏=腕から水分を蒸発させ、その気化熱を応用する為。文珍氏=立って歩く動物は肩コリが激しい。凝りをほぐす行為の一端。・・・・・・ ・・・・・・(答え) イグサは11月頃に田植えをし、50センチ大になった5月頃に1マス10センチほどの「倒伏防止網」(合成樹脂製)を張り、成長に合わせ高さを上げて行くようです。収穫は6~7月。熊本が日本一。(答え)人間は発汗して体温を下げますが、舌を出し荒い息をする犬とはまた違った方法で、つまり、体毛の薄い腕をダ液で濡らせ、その水分の気化熱によって体温を下げます。どうやらカンガルーは寒さよりも高温に弱い動物のようです。
2012.02.25
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物置小屋から新たに残しておきたい書物が数冊でてきました。冨岳本社版の「現代俳句全集」の内、2、3、4、6集。結社の図書館に問い合わせたところ、あちらには全集揃っているとか。古書店で1冊千円以上のもの。第2巻・・・秋櫻子・風生・水巴の3名分凡そ50頁づつ。第3巻・・・蛇笏・亜浪・夜半の3名。第4巻・・・青邨・茅舎・草田男の3名。第6巻・・・かな女・立子・汀女の3名。物資の乏しい戦後間もない昭和22年の刊行。同じ年の句集として皆吉爽雨の「緑蔭」も和紙の立派な本です。 さて何よりもの発見は、京・島原の主人(明治後期)による掲題の本。「波娜婀椰女」と書いていますが、椰は女偏。入力できませんので止むなく、来偏にしています。明治38年4月21日が初版の発行日。我が家のは7版目の大正14年5月20日のものです。何が素晴らしいかと言えば、島原の歴史回顧は勿論ですが、付録にしている写真(花魁の道中・有栖川親王の直筆や臥龍の松など)や又一郎の浮世絵(正月・芸妓3人の艶姿)や貴重な資料が満載されているのです。 ものの整理というものは、じっくり吟味しながら行うべきで、父が亡くなって既に12年ですが、今なおこういう状態でチェックしています。(本日の付録)これは平成12年ごろ、一連の作曲の終わりの頃に作った曲です。”管楽器の為の試作”
2012.02.24
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〇昨日は大山崎ふるさとガイドの会3班主催による学習会「西国街道を歩く」に有志37名が参加しました。 JR長岡京駅の東出口の南側は、細川幽斎・忠興、ガラシャに因む「勝龍寺城」の一部に当たること、 化粧石を敷いた西国街道の石田住宅(岡本一族・幾つかの雛人形公開中)近辺の茶屋口、 それから本来の一里塚(東寺から2里の距離)の碑、一文銭をシンボライズした一文橋を越えて、 ひな人形公開中の中小路家を横目に見、紀貫之が饗応を受けた島坂や石塔寺、 更に、ここもひな人形を公開している宿屋・富永屋を見学しました。秀吉の頃から400年間(明治中期まで)同じ地に営業、日本地図を作製した伊能忠敬や、横綱・若乃花(初代)も宿泊しています。 今回の最終見学地は向日市文化資料館で、ボランティア・ガイドさんの詳しい説明を拝聴しました。 また3種類のパンフレットを頂き、平安京遷都前の「長岡京」の地図と現代の地形とを重ねた”長岡京跡”の図は近くに住む者にとって興味津々の資料でした。また当時の労働者の食事、中級官僚(役人)の食事、そして貴族の食事の差異など具体的で容易に理解できました。3月下旬並みの気温の中、ガイド仲間と絆を深めた1日を過ごしました。
2012.02.23
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今朝の京都新聞の21頁には、目を捉える記事が2つありました。<懐かしの京の映画(右京中央図書館)>「鞍馬天狗」「丹下左膳」阪東、ひばり・・・という見出し。記事は<かつて「日本のハリウッド」と言われた京都の映画の歴史を振り返る展示「日本映画は京都から始まった」が、京都市右京区の右京中央図書館で開かれている。・・・(略)同館の特別企画「今よみがえる昭和の時代」の一環として企画した。・・・(略)戦前戦後にかけての映画館のパンフレットには、人気を博した「鞍馬天狗」や「丹下左膳」がある・・・3月4日まで(火曜日休館)無料>などと掲載しています。<宇治川の歴史を紹介>きょうから企画展・断碑拓本や絵図その記事は<宇治市源氏物語ミュージアムで22日から企画展「宇治川歴史散歩」が始まる。宇治橋の由来を記した断碑の拓本や、江戸時代の名所図など計20点が展示され、源氏物語の舞台ともなった宇治川の歴史や伝承を振り返る。・・・(略)宇治橋の断碑は、1791年に上部3分の1を残した状態で発見され、室町時代の記録をもとに復元された。(略)断碑拓本など前半の展示は3月18日まで。後半は展示物を入れ替え、4月15日まで。月曜休館。> 1960年代をピークに、テレビに取って代わられた映画ブームの廃れは、ここ数年再び復活しているようですね。大山崎町そして淀川を挟んで真向かいの八幡市との間にある”背割り”の堤防は、今でこそ花見の名所となっていますが、大正・昭和時代の加賀正太郎は、当時まで埋め立てられいなかった京の甕”巨椋池”を”天橋立”の阿蘇海に見立て、この長堤を彼の山荘から見下ろし、かの地の砂州松林になぞらえて楽しんでいました。おそらく鞍馬天狗のロケはここで行われたのではないでしょうか?また宇治川これも俳句を楽しむ人々には雅びをいざなう格好の地。このように2つのイベントが報じられるにつけ、洛外とは言え、京の傍に住まわせて貰っている幸せをつくづく感謝する次第です。 なお本日はガイドの会の仲間と、長岡京市から向日市にかけて、豪華な旧宅、一里塚、一文橋、島坂、石塔寺、向日市資料館など観て回ります。
2012.02.22
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見出しだけを見たら何のことだかお判りにくいと思いますが、平安時代のひとつの職階・舎人(トネリ)は、高官を守ったり宮中の警護に当たった武人ながら、その名のごとく平安な世になるにつれ、行列のお供や舞楽の舞を担当するタレント化してゆきました。 ここにひとりの舎人・主人公が登場します。その名も茨田重方(マッタシゲカタ)といい、道長の時代の人。物語は或る年の2月の初午(ハツウマ)の日、同僚たちと伏見稲荷社へ出かける所から始まります。決して信心深さからの宮詣ではなく、それは遊びがてら、ガールハントの意味があったようで、折しも紅や萌黄色の衣装に身を包み、被衣(亦は市女笠)で顔を覆った美しい女性が照準となりました。あれこれ囁きながら口説くのですが、色よい返事が貰えません。「奥様をおもちの癖に、いい加減な冗談はお止しになって」「そりゃ~家内は居るさ。でも顔は猿そっくりで、気立て振舞は行商人のように下品な女さ」日頃焼餅焼の奥さんに辟易している彼は、ここぞとばかりに悪口を並べました。「いっそう別れようと思っているんだけど、着物の繕いなど俺ができないから・・・」「それ本当のお心なの?」しめしめ、やっと傾いてきてくれたぞとにやけ乍ら、相手のことなど聞いているうち、最高潮になった時その美女に、彼の烏帽子をむんずと掴まれ、強かに頬をぶたれました。そう、口説いた女性は彼の奥さんでした。(今昔物語集にある話) こういう軽い古典は勉強していても飽きが来ないのかも知れませんね。
2012.02.21
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テレビ画面で決まったように見る光景、「巨人の星」のちゃぶ台返し。はてさて私の家に、昭和の象徴であるあの卓袱台はいつまで有ったのか振り返ってみることに。 物心ついた幼年期から小学2年生の桂に居た時分は、間違いなく茶の間にありました。それから九州は佐賀市に引越し(実際は半年後に再度)た折も、茶の間にありました。2年後大阪に戻ってきた住吉・帝塚山の社宅でも、6畳の茶の間にあったような・・・。 父が持家としたこの長岡に越した時には、母方の祖父から立派な6人掛けの食卓をプレゼントして頂いたので、引越しの前後に、あの丸い卓袱台は処分されたのでしょう。何はともあれ、家族が等しく顔を見合って食事した、あの丸い食卓は家族の絆を深める大切な調度品だったと言えましょう。 では、子供たちを歌った曲を付録にしておきます。 「うちの変な子たち」 うちの〇子は 泣き〇子 何でもないのに すぐに泣く 泣いては笑い 笑っては泣く うちの〇子は 泣き〇子 うちの〇司は ぐず〇司 何をするにも ぐずいのだ あっち行って ぐずぐず こっち来て ぐずぐず うちの〇司は ぐず〇司「うちの変な子たち」
2012.02.20
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ビックリハウス版「大語海」はこれまで沢山引用させて貰っている有難い本です。教訓編も4回目となりました。家すてたでぇー・・・家出少年の唱歌。 ツッパリ漫才でデビューリーゼント姿の島田紳助氏が相方の竜助氏との掛け合い漫才で、ビートルズの「イエスタデイ」に因み、 きのう、俺はタバコを20本もイエェ吸ったでぇと音程のやや外れた歌で会場を沸かせていました。それにも似た作品ですね。井の中の蛙飛び込む水の音。インディアン餅つかない。命の洗濯したらちぢんだ。命短し恋せよおかめ。唄 いつまでたっても茶目な私ね♪いいとし 生けるもの。急がばはらめーーー結婚。いよいよ「呉れ」も押し迫って参りました→お歳暮セール。こんな程度ですが・・・・お気に召しましたか?
2012.02.19
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血液型で或る程度は性格の違いが出るという説に、つい肯定している部分があります。先入観や着眼のあり方によって、ものへの解釈や感覚が真逆になってしまうという事態さえ生じかねません。ほらほら、心理学の教科書で幾度か見た、あの少女の絵がころりと変って、魔法使いの老婆に見えたり・・・・。 偉そうなことは言えませんが、世の中を生き抜いて行くに際して、全体像を掴んだ上で、身の処し方を決するのが賢明な方法と言えましょう。つまり細かいところばっかり眼を凝らして居たら、とんでもない道に迷い込んだり、偏った見方しか出来なかったりする落とし穴があるので、注意しなければなりませんね。 一方、こんな見方は大人ぶって居て面白くないと考える人々も居られましょう。例えばかなりな人が往来している図(洛中洛外図)などでは、一人一人の着物地や紋様、髪の形、表情などを虫めがねで拡大して眺めると、その図を残した画家の美的感覚に触れることも出来ますね。寺院の建物や部屋の拵えなどにも同じことが言えます。 直感的な閃きの有る人、創造性豊かな人などは後者の部類に属すものと思われます。 私は欲張りですから、物事を個別にズームアップしながら愉しみ、また他方では幅広く全体を眺めながら日々精度を高めて参りたいと思って居るのです。
2012.02.18
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今週末にかけて再び寒波の襲来とか。その筈、今朝のゴミ出しの折も、空から舞い落ちる雪。淡く、はかなげに、風にゆらめく雪の舞。すぐに一句浮かびました。 風花や初恋の人折に触れ 星子今期の冬は昨年よりも厳しい筈なのですが、ズボンだけは普通のごつめのもので済ませています。例年ならスキー用の光りもののズボンが3月中旬まで放せないのですが・・・。それに電気毛布を足に巻きつけることもなく、寒さに対処しています。本能的に電気の波長を嫌っているからなのかな? 昨日は俳句の知人から大阪は道頓堀、松竹座の切符を2枚頂きましたので、家内と久しぶりのデート。座席指定との交換を済ませ、青山のモーニングセットを頂き、昼食の弁当を探しに高島屋へ。2種類の弁当を決めて、そそくさと松竹座に戻りました。出し物は午前の部、「慶安の狼」と「大當り伏見の富くじ」。いずれも新作ものらしく、前者は弦楽器を主体とした音楽、そして常に暗い場面で終始。これは江戸、明治時代の先人の知恵がひとつも活かされていません。 泣きと笑い、明暗の対比が舞台演出の基本であるのに、終始、暗い場面で通すのは納得が行きませんでした。富くじの方は、滑稽と笑いと奇抜さを採りいれていますが、吉本興業の振りをそっくり盗んでいるのは頂けません。午後の部は古典の「義経千本桜」を入れていますので、午前の部もひとつは本来の歌舞伎を見せて欲しかった。三味線などの和の伴奏が採用されていないのは、単に新しさだけを強いる演出と評価を下げたい気がしました。そこまで歌舞伎の水準を下げなくても、古典の仕組みは若い人にも受け入れて貰える筈。 褒めておきたいところは、やはり役者さんの声が3階席の奥まで通ること、それから殺陣の場面では部隊の奥域をふんだんに使って居られたので、丁度、歌舞伎と映画との折衷した演出と、これは評価致したい。
2012.02.17
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一昨日の雨降る中、出版社に最終稿を届けたあと、京都裁判所にて用を足し、寺町通を南へ下ってみました。先ずは下御霊神社に立ち寄り、不遇なままお亡くなりなった御霊を慰めました。御所の旧建礼門(ここには龍の彫刻)がここに移設されています。 下賜されし建礼門や冴返る 星子 続いて西国観音巡り第19番札所の革堂にも参りました。本堂の軒にはいろんな扁額が寄贈されて居て、その殆どが古びていました。それからは、紙司柿木(もと銀行の同僚だった人の兄が経営)、次に古書店にて大阪・岡本偉業館蔵版の「俳諧 叢句名家集 全」という古書を200円で買い求めました。何せ明治32年の再版発行の代物。正式には”俳諧 百哲 発句名家集”というもので、宗祇を筆頭に、宗長、山崎宗鑑、松永貞徳、北村季吟、芭蕉翁、宝井其角、服部嵐雪、向井去来、各務支考、井原西鶴、千代女など著名な人物100人の略記や作品を掲載しています。山崎宗鑑については、ガイドの会のテキスト作成に、この書物から多々引用していることが解りました。 家への土産は、丸太町寺町通下るの京昆布匠「かじの」さんの”かつお牛蒡”や”ひじきちりめん”などを持ち帰りました。寒かったのですが、寺町の古書店の梯子歩きは、今後も続けたいと思ったほどの楽しい時間でした。
2012.02.16
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京都市内で産声を上げ、右京区の桂で幼年期を過ごし、佐賀市にて丸2年の非都会生活を経、大阪に舞い戻って大阪弁に染まり、ここ長岡京市に高校3年の夏に転居。大学や独身時代をここで過ごし、結婚を機に大阪・吹田市の借家住まいと、千里ニュータウンでの公営住宅住まい。そして昭和55年に向日市に持家を構え、父母の死を機に再びこの長岡京市に住んでいます。 出窓から見える天王山・酒解神社の樅の大木がクリスマス・ツリーさながらに見え、ここから本論に入る訳ですが、週に2度ほど、近くの農協敷地内での地元の野菜を安く購入できる暮らし。野菜と言っても大半はスーパーで買うことが多いのですが、地産地消の作物との違いは新鮮度と日持ちの差。まして家内の大阪の実家に同じスーパーがあって、実家での調理にはそこで購入した野菜を使っていると、既に新鮮度の落ちた野菜では味覚にしても大きく違うようです。 ここ長岡の我が家の北側の2つの物置小屋の前は屋根付きの自転車置き場にしているのですが、余り使用しない子供らの自転車。それらの籠を冬野菜の貯蔵庫に家内はしているのです。家内の工夫は大正解。いつまでも瑞々しい地産の野菜を家族は食することができるという訳なんです。
2012.02.15
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大阪・曽根崎の池田書房から、父が昭和何年に購入したのか定かではありませんが、函入りの「お寺まゐり」という528頁の本。大正十一年十一月廿日(ココダケ漢数字)発行の初版もの。表紙はお釈迦さまやら蓮の花やらスカートみたいな服装の弟子と思しき僧たちの布図柄でしっかりしています。これは鉄道省の手によるもので、最終ページには、芭蕉の<菊の香や奈良には古き仏達>や蕪村の<葉桜や奈良に二日のとまり客>の2句が添えてあります。 洛中・東山・嵯峨・西山・北山・山科・宇治・宇治・大津・大阪・神戸・福知山・和泉・河内・奈良(数か所)・和歌山に分類して、170を優に超える寺院を紹介しています。また挟み込みした京都市街地図や部分的な地図、所々、寺院の写真も多く掲載している名著と思われます。 さてこの本をネット検索したところ、実に様々な価格が提起されています。箱がしっかりしていることや、新品に近いものですから、父の遺したこの本なら数千円の値打ちなのかな?と勝手に値踏みしています。本日、結社の月刊俳句誌の2校を印刷所に持ち出したついでに、古書店めぐりをして何か”見っけもん”と出遇いたいものです。
2012.02.14
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大山崎の歴史資料館の常設展示品には、後鳥羽上皇や藤原定家ありますのでガイドしています。冷泉家の祖先になる人で、一般的には小倉百人一首を編んだ人物として知られていますが、 定家の性格まで踏み込めば(既に平凡社の日本風土記にも書かれている定家像なんですが)、若い頃の彼は激情の人でしたから文治元年(1185年)24歳の折、殿上で源雅行を言い争った末、憤怒の余り脂燭で雅行を打ち、殿上の資格を奪われました。 しかし父親の俊成が後白河法皇に和歌で訴えたことにより許されたという話があります。また謡曲では<玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする>と詠まれた一流女流歌人、 長い黒髪の後ろ姿も美しい式子内親王(実は斎宮に選ばれ神様に仕える人)との恋愛関係を題材にしています。また定家は公に出す歌は表現された、構築された美の世界で評価されるべきという新古今の考え方を終始貫いた人でした。 4年ほど前、図書館から借りた「京都冷泉家の八百年(和歌の心を伝える)」冷泉為人著(日本放送協会発行)が実に中身の濃い書籍でしたから、2年ほど前、書店で購入しました。書物というものは、一旦手にしてしまうと、毎日通勤電車に乗るという決まりきった余白時間がないと、いつでも読むことができると安心し切ってしまい、”積ん読”になってしまう場合も・・・。
2012.02.13
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昨日は京都府乙訓郡大山崎町の観光ボランティア、”大山崎ふるさとガイドの会”では恒例の行事として定着しつつある「写経と散策」の日で、ガイドの会からも多くのメンバーが宝積寺にて歓迎、応対に努めました。般若心経の写経、そして住職の講話、個人別相談コーナーもあって大変人気。今年はガイドの会から薄茶のお振舞。閻魔堂や本堂などを観て頂いたあと、近辺の散策ガイド、または天王山登頂の2つのコースに分かれて楽しんで戴いています。 さて、私は別途、神戸市灘区のとある職場の4人連れさんのガイドを担当しました。隣町大阪府三島郡島本町山崎にあるサントリーウイスキー蒸留所までお向かいにゆき、宝積寺へご案内。時間的に余裕がありましたので、すべてのガイドはゆっくりお伝えすることが出来ました。閻魔堂では六道、輪廻転生の話、地獄のお裁き、10人の王様が本当は不動明王、その他の仏たちの化身である説明や、桂枝雀さんの”茶漬け閻魔”などを引っ張り出して笑って貰うようにしています。幾つもの重要文化財を紹介したあと、登山開始。 ときどき膝が痛くなる持病がありますので、山頂コースは通常辞退していますが、昨日は特別。やはり息切れもします。お客さん達は何度も六甲山近辺を散歩しておられる方々でしたので、涼しい顔をしておられました。言い忘れましたが、ウイスキー工場見学のあとのガイドは、まして登山は全面的にお断りしていますが、昨日のお連れさんはマナーも満点、それに会話のキャッチボールが弾んで、とてもガイドし易い方々でした。山頂での昼食は、さすがに寒かったのですが、山崎聖天・観音寺などもゆっくり説明できましたので、わたしも嬉しく、楽しい1日を過ごすことができました。本日は俳句結社の総会。間もなく出発です。付録はもう10数年前にお向かい八幡の松花堂(松花堂弁当発祥の地)の竹やぶにさえずる雀たちの様子を曲にしたものです。”Spring”
2012.02.12
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先月末に返却だけを家内に依頼して以来、昨日漸く地元の図書館で5冊借出すことができました。1)「365日日常生活 雑学読本」高城二郎著(啓明書房) 1年365日にわたって、ふと思う疑問への概説が書かれています。因みに2月11日は 日本をジャパンと呼ぶ理由。2)「関西赤貧古本道」山本善行著(新潮社) 基礎編では作法や絶版文庫発掘など。応用編では検印紙も魅力、書き込みも無視できない。 実践編では古本祭、インターネット買い、番外編では著者コレクションほか。3)NHK「日本人の質問 No3」 実に馬鹿らしいような疑問でも、なかなか正解を答えることができません。それが魅力。4)「羽仁進の日本歴史物語」(小学館) 日本の古代から経済大国日本まで。紀貫之と「土佐日記」そして仮名誕生など。5)「雑学・世界なんでもかんでも”最初のこと”」P・ロバートソン(講談社) 350項目ほど最初のものや行事など、多岐にわたって概略が書かれています。わが年齢にもなりますと新たな知識をきっちり記憶することはできませんが、ふと思い出せれば良いかな?と・・・。
2012.02.11
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藤原定家が編んだと言われる「小倉百人一首」の解説本は数えられないほど発刊ずみですが、何と言っても掲題の「百人一首一夕話」尾崎雅嘉著・古川久校訂(岩波新書)を超えるものはないと思っています。それは人物にまつわる逸話などが、まるで大学の著名でユニークな教授の講話のごとく、あっち飛びこっちへ戻りしながら、詳細に書かれていること、故人の言い伝えを添えてあるので、その時代に直面しているような錯覚すら覚えること、挿絵の多いことが挙げられます。下巻の最初、能因法師(嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり)の項では、○能因小倉の話、○三島明神に雨を祈る歌の話、○ふし柴の加賀の話○井出の蛙・長柄の橋の鉋屑の話、○白河の関の歌の話、能因小曾部の家の話これだけの逸話が載せてあり、能因法師の出所も詳しく書かれています。著者である尾崎雅嘉についてはこの下巻に詳しく紹介してありますが、略歴ならインターネットで知ることができます。 私はこの本や他の百人一首の解説書を参考に、小倉百人一首に登場する人物の、親子血筋、親戚関係や交友などを一覧表に纏めたいという希望を持っているのですが、意欲が薄いのか、多忙さに負けているのか、今なお実現できずに年を経ている事が口惜しく感じて居ります。
2012.02.10
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凡人の私には吉岡治さんの書いた石川さゆり・「天城越え」や瀬川瑛子・「命くれない」などの情念の詩は書けませんでしたが、ポップスや演歌、クラシックなど、折々に浮んだ歌詞やメロディを形として110曲ほど残すことができました。 このメロディと歌詞については我ながら気に入っています。曲はMAC(マッキントッシュ)平成9年か10年頃に作りました。 「荒 野」 男は荒野に立つ 風に吹かれて 雨に打たれて 女子供を護る為に 風に向かって 雨に向かって 男の心 唱い上げる 男は荒野に立つ 嵐の夜に 吹雪の中に 愛と安らぎ護る為に 光る稲妻 白い巨人に 益荒男魂 唱い上げる 男は荒野に立つ 雲が切れ行く 霧も晴れ行く 夢と現実見つめ乍ら 明日を信じて 天に向かって 男のロマン 唱い上げる 「荒野」 蛇足ながら、以下は平成4年2月7日に書いたものです。 この歌詞はわたし自身のお気に入りの1つです。わたしは本来、放浪癖を内蔵するダメ男ですが、 女性よりも若干、男が早死にするのは、愚かしさを包含した「男のロマン」故かなと思っています。 この人世は、男女相見(まみ)えて子孫を残し、女性は胎内に新たな命を宿し、 産み出す苦痛に堪え、為に子供への情愛、思い入れは男子の及ぶところではありません。 女性には稚(いとけな)い子を育て護る本能が埋め込まれて居り、 現実的な対応に機敏なることを備えつけられているのです。 他方、男性は先述の役務を免れた穴埋めに、未知なる世界に憧れ、 見えざる宝を追い求めつつ、婦女子を護る賦役を負っています。 世の中の男女のあるべき姿を一把絡(から)げて論じるのは無益なことですが、 男女の相違点は互いに認識しておく必要を感じています。 仕事の達成に全体把握の観点に立ち、少々の犠牲は止む無しとするのが男性の物差しであり、 荒削りな処置に潜む矛盾に心を寄せるのが繊細な女性の物差しでもあり、逆に或る意味、利点なのかも知れません。 この男女の相違を互いに理解しあい、埋め合わせする相性ある関係が一番望ましい男女の接し方ではないでしょうか?
2012.02.09
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随分前からスーパーなどに男性用の化粧品や頭髪リキッド、スプレーがコーナーの一角を占めていますが、何と言っても美への執着心は女性に軍配が挙がりますね。父は”美”への探究心が強く、簪や櫛なども集めていました。 また「櫛玉手箱」と言う文化出版局の豪華本も手垢のつかない儘古びています。 さてページに満載された櫛は、金箔を施したもの、蒔絵のもの、象牙のもの、繊細なもの、重量感のあるもの等、京・江戸の匠の息吹が伝わって来そうなものばかり。 黄楊(つげ)、柞(いす)、鼈甲、象牙、擬甲(水牛の角、馬爪、牛爪、卵甲)、金属(真鍮、アルミニウム、銀)、ガラス、水晶、セルロイドなどが材料になっています。 これらの中でユニークな櫛と言えば、源内櫛(田沼意次家で愛用された平賀源内発案のもの)、相撲櫛(鬼勝象之助は顔に白粉を塗り二枚櫛を挿したとか)、光輪櫛(尾形光琳の作風を真似たもの)、政子形櫛(頼朝の内室:政子所蔵を模写)、お園櫛、お六櫛などなど。 また、この書物の最終章を見て驚きました。写真家:清岡純子さんの手に依っているのですが、今は懐かしき”安達瞳子さんの所有なさっているものが全体の25%ほど占めていました。そう言えば、安達さんは一見、もの静かで漆黒の長い髪をして居られましたね。
2012.02.08
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清水義範さんの「日本語がもっと面白くなるパズルの本」から拾ってみました。なお、文章は一部わたし風に変えています。一富士二鷹三茄子は初夢のベストスリーですが、以下の「一~二~」は何に関してのベスト(ワースト)スリーでしょうか?1)一金二押三男2)一に運、二に腰、三拍子3)一楽二萩三唐津4)一に調子、二に振り、三男5)一姫二若三老人こたえ)1)女性を口説くいて成功する秘訣。2)相場師にとって大切なもの。二の腰=粘り、三拍子=売買のタイミング。3)これはほぼ常識ですね。焼き物の窯元の序列。4)歌舞伎役者にとって大切なもの。調子=台詞の出来具合。二の振り=仕草や舞踊。そして男っぷり。5)危険なドライバーの順。昔は一姫二トラ三ダンプ。 世の中は時代と共に変遷してゆく訳ですが、どんなことがあっても基本的に変わらないものが、いわゆる摂理というもので、現代俳句の詠みぶりには、新しさのみ追及し、斬新さだけが芸術と捉える一部の風潮があって、勿論、”例を見ない言葉の創造”は大切ですが、俳句の精神は季語と道理との一体化だとおもわれますので、<新しさこそ芸術、俳句の将来性>という風には換言できかねます。そもそも俳句を作る段階での違い。先ず言葉ありき、それに適当な季語をつける方法が今流の詠み方。わたしは季語を見据えて、それに相応しい材料や道具立てを添えながら、心理を添えるように努めています。
2012.02.07
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未練たらしい性格を持っているのでしょうか、父にちなむグッズはかなり残しています。廃棄すべきか残すべきか迷った切抜きの内、新聞特集版、つまり朝日や日経、読売、京都新聞などの日曜版にある美術画などのファイルから必要なものだけを厳選する作業に決めました。 1.ガイドに役立つ部類(陶器関連、モネー、ドガ、ルノアール、ルオー) 2.紋様特集(40以上掲載された中の半分程度) 3.日本史の特集(日本史の舞台シリーズの内、主に近畿圏) 4.日本画家の作品集(好きな画家のものを厳選) 5.西洋画家の作品集(好きな画家のものを厳選) 6.日本古来の美術画(源氏物語や北野天満宮絵巻など) 7.海外遺跡の壁画など 以上のブロックに分類したものは、お中元時のジュース缶詰合せの紙箱にうまく納まりました。 さて、大山崎山荘で展示されている美術品の中の一つバーナード・リーチに関する特集(1980年4月5日、池田弘編集委員)を参考に一部書いてみます。 <自らを”東洋と西洋の間の使者”と称して十三回も来日し、東洋と西洋文化の相互作用の中に人間の在り方を模索、機械文明の果てしなき発展の落胤として枯渇してゆく人間の精神の潤いへの果敢な闘いを陶芸から伝えた人でした。 香港で生まれ京都や彦根で幼年期を過した彼は、小泉八雲の著作に感化され再び来日し、英国で学んだエッチング(銅版画)の技術を教えている時、志賀直哉・武者小路実篤・柳宗悦・岸田劉生などの白樺派とねんごろになりました。 そんな或る日、招かれた茶会で楽焼の絵付けを経験したことからやきものへの興味が湧き、日本人に溶け込んで日本人が本来欲している素朴な民芸の良さを彼の作品を通して伝えました。 11年間日本に在住したリーチは大正9年、浜田庄司を伴って英国へ帰り、漁村セント・アイブスにヨーロッパ初めての”登り窯”を築きました。「人間の魂の宿るやきもの」を鼓舞した彼の著書は世界中で愛読され、欧米随一の陶芸作家として敬愛されるに至りました。 英国王室はサーの称号に類するC・Hを彼に贈り、またエリザベス女王は訪日に際して彼のエッチング「手賀沼」を皇后への土産ものに携えられたようです。92歳の生涯を民芸的立場で東西文化の融合に寄与した彼の功績を称え、死後の翌年に日本で大々的な展示会が催されました。 このように当時の日刊紙の特集は精度の高い記事が満載されていて、このHPやガイドに役立つことが多いので有難いなと亡父に感謝しています。
2012.02.06
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漢字は中国から輸入したものですが、次第にそれを日本独自のものに改良し、表記の手段として音だけを利用した万葉時代から、漢字を崩しひらがなとして使った平安期。再び独自の漢字から武家言葉を編みだし、明治に至って会話調へと変遷してきました。時代の流れの中で、誤って使われだしたものが主流になりつつある言葉も多々あります。 例えば、他人事・・・本来はひとごとと読むのですが、現在ではたにんごとと堂々と読まれています。堪能・・・かんのうと読んだ場合は、専門のレベルに達している様子を言いますが、 たんのうと読めば、心ゆくまで満足することに使いますね。魅せられる・・・通常、辞書には「魅する」の候で説明しています。春・・・立春(2月4日頃)の翌日から立夏(5月6日頃)の前日まで。 陰暦では1・2・3月、気象学的には太陽暦の3・4・5月、 天文学的には春分(3月21日頃)から夏至(6月22日頃)の前日まで。見れる・着れる(ら抜き言葉) 見れる、起きれる、寝れる、食べれる、来れるなどがその例。 これらは見る+助動詞られるの合成した”見られる”が本来正しい言葉であるにも拘わらず、略して使われています。語幹が1音節の動詞の場合が多いけれど、最近は、受けれる、起きれないなどの2音節の場合にも及んでいます。怒り心頭に発する・・・怒り心頭に達するという誤用が主力になりがち。心頭とは心の意味だから 発するが正しいのだと理解できる筈。せわしないという言葉の忙しくないではなく、”ない”が意味を強める接尾語。切ない、はしたないも同様ですね。金武伸弥さんの「”広辞苑”は信頼できるか」という本には、そういう微妙なことを辞書によって、扱い方の違うことを指摘しておられます。
2012.02.05
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わたし達は殆ど毎日のように太陽を見て暮らしています。うん? そうでもなかった時代が・・・。 銀行員という道を選びましたので、冬場は陽が昇る前の暗いうちに家を出、電車の窓越しに真っ赤な太陽が、東面のビルの窓枠に写り、それが電車の進行に呼応して移動する様を見、直接太陽を背に受ける時間は下車してから支店に着くまでの距離だけ。都銀の仕事が終了するのは遅かったし、喩え早かったにせよ、冬の5時過ぎはもう真っ暗闇。銀行員という職業が通常の仕事と違うと感じたのは、12月の28日以降大晦日までと、4日早々からの仕事始め。それはそれとして、立派な職場に就職させて頂いたので、退職後の生活資金や年金問題では悩まなくて済んでいます。 話を太陽に戻せば、真冬の朝のゴミを出すとき、小高い丘に住んでいるので東を向いた時の太陽の眩しさ。目を瞑っても真っ赤に燃える日輪が残像として消えないのは嬉しい限りです。どうやら、私は光、明かりというものに敏感なのかも知れません。いつもここに書くように、秋になると日ごと日照時間が短くなり、暗く陰気な冬を否応なく迎えなければなりません。起床から洗顔に至るまでの所要時間が、夏場とは倍以上異なります。だから冬至という日を好みません。それでも正月を越え、2月になると極寒に抗いながらも、日永になっていく喜び、黒い地面に真みどりの草が下萌えする喜びは喩えようもありません。 西洋の学童の絵では太陽は黄色系統らしいのですが、日本の子供たちは真っ赤にクレパスを塗り込めるのだそうです。視覚面に於いても、日本の子供たちはお日さまの存在をしっかり意識しているのでしょう。最後に太陽に寄せた拙句ですが、 ふとん干すシフォンケーキに変るまでふかふかに膨らんだ蒲団に寝そべり目を瞑れば、瞼には黄金色の太陽の慈愛の光、ああ平和だな。
2012.02.04
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例によって「大言海」教訓編から適宜ひろってみました。〇一次はどうなるかと思いました(受験生)。〇一男去って、また一男(持てない女)。〇位置を聞いて住を知る。〇一日一膳・・・ちょっと痩せたかしら?〇一瞬の”好き”をつくーーー結婚詐欺。〇一年去ってまた一年(二浪生)。〇一寸先は屋根(住宅密集地)。〇一年の計は簡単なり。〇市から出直しますーーー勝新太郎。〇言うはやすし、受けるはきよし(漫才コンビ) 本日はこの辺で~~。
2012.02.03
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本年1月に詠んだものの中から、残しておきたい句を控えておきます。〇夕刊の薄さ加減や冬薔薇 初詣いま昇竜の腹を占む〇今年より長子の筆や祝箸〇さんざめく一ト日を得たる二日かな〇はつはるやうすくれなゐのいだしきぬ 出だし衣=牛車の簾からハミ出させた衣の一部〇寒紅や迷ひを断ちし女の背◎トーマスの通園バスや春隣〇初句会淡き五色の飴玉も ?梅や門跡院の古調度〇大寒や其もかみがも随神(カミナガラ) 随神(カミナガラ)=神様のおぼしめしの儘〇神山を北に拝せば雪の比叡(ヒエ)〇羽子板や隈どり美(ハ)しき助六はん 父の日記によれば、学生時代の父は歌舞伎や宝塚歌劇を家族の誰かと観劇し、正月用の羽子板は、父の祖母におねだりしていた様子でした。今も役者絵の大きな羽子板や鏡獅子、娘道成寺などの図柄も残っています。黄色がそれ程褪せていません。
2012.02.02
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テレビドラマなどを観るときは、俳優・女優さんの演技やドラマの筋書きに無心で楽しんで居るかと言えば、それだけではありません。演技を採点したり、筋書きの是否、そして時代考証などにも注意しています。今朝放映された「カーネーション」のひとコマでも、美術学校受験に苦しむ長女さんの演技の中で、ごはんを口に入れるシーンでの箸の使い方に、疑問を感じました。戦後から十年ほどのあの時代に、箸を直角に口に挿しこむ食べ方をしていたのでしょうか?あの礼儀知らずの作法は、きっと純日本人ではない女性が、”テレビ画面から流行らせた、非和風的な不作法”と思えてなりません。あの時代に日本人が、箸を直角に入れる食べ方をしていたとは、到底、思えないのです。美智子皇后陛下があのような箸使いで、お食事召されていると想像できますか?とても下品な食べ方であるにも拘わらず、テレビ画面で誰かが流行らせたものと思われます。今時の若い女性の多くは、右へ習えで、結構、あの箸使いをしています。日本文化とは思えません。だからテレビの演出家は、その辺りの”時代考証”をしっかりチェックして欲しいものです。 いわゆる不作法な箸づかいと言うのは、刺し箸(突き刺す)、寄せ箸(遠くにあるおかずを器ごと箸で動かす)、渡し箸(茶碗などに渡す箸の置き方、正しくは箸袋に納めたり、箸置き・皿の縁に置く)、涙箸(汁物や垂れのしずくをこぼす)、回し箸(お椀の中の汁をかき回す)、突き立て箸(死人のように茶碗のご飯に突き立てる)、迷い箸(おかずの器をさまよう)、もぎ箸(箸先についた米粒などを舐めて取る)、食いつき箸(口でくわえる)、こういった箸の使い方は日頃から意識しておかないと、晴れの宴会席場で、ついうっかりやってしまうこともありますから・・・・。形式だけに拘っている訳ではありません。貴方の人柄・教養・魅力の一つとして。
2012.02.01
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