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今度の選挙は自民党圧勝になるだろうと多くの人が予測している。客観的にそうなるだろうとは思うのだが、それでも一言いいたい。選挙を政権選択だというふうに思いすぎているのではないか。ここ何年かみせつけられてきたものは民主党政権の無様なまでの姿であった。民主党はもともと政権につきたいだけ、いや、議員バッジをつけたいだけのために集まった烏合の衆でしかなかった。だからそんな政党が不用意に政権についてしまったことによるマイナスは図りしれない。しかし、だからといって民主でこりたから自民党という選択でよいのだろうか。そうではなく、批判票という選択もあるのではないか。*自民党がすすめているのはアベノミクスだけではない。ホワイトカラーエグゼンプションという名の残業代タダ法案。解雇規制の緩和という名での首切り自由化。準正社員あるいは限定正社員と言う名の不安定低賃金労働者の量産。親族扶養義務の強化という困窮者政策の先祖返り。そしてまた、ブラック企業については対策どころかお墨付きを与えるようである。消費税増税、原発再稼働、憲法改正…本当にこのままこうした路線をつきすすんでよいのだろうか。自分や自分の周囲の人の生活はどうなっていくのだろうか。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4507.htmlhttp://blog.goo.ne.jp/oribeizum/e/5466d4943df1f84752af16d8535072d*かつて自民党政権が長期間続いた時代があった。その間、自民党は好きなようにやっていたかといえばそんなことはない。第二党に社会党があり、福祉や所得再分配、労働者保護などの分野では、自民党は社会党の政策をとりこんでいった面もあったからだ。要するに、冷戦下の五五年体制では、政権をとることはできなくても、社会党・共産党・総評ブロックとして、一定の政治パワーを発揮し、自民党がその政策を取り込むことによって、福祉国家を担う一翼として機能してきたわけである。http://ityti.blog48.fc2.com/blog-entry-802.html今の時代にこそ、そうした批判勢力は必要なのではないか。小選挙区制には死票が多いと言うが、勝ち馬に投ぜられる票こそ本当は死票なのかもしれない。**貧困も過労死も失業も全部自己責任で生活保護受給者なんかは社会の穀つぶし…という考え方をする人もいるだろう。政治家の中にだって多いのかもしれない。でも、そうした弱者も社会の一員であり、国民であることには変わらない。物が売れなくなり、大衆文化は衰微し、ホームレスや犯罪があふれて、長蛇の列の生活保護窓口では怒声がとびかう。そんな社会をいったい誰が望むのだろうか。いい忘れたが経済的弱者も有権者であることには変わらない。いつの日か、一人一票の権利を行使してしっぺがえしを行なう時がくるのかもしれない。ネパールでは民主主義的な選挙で王政が廃止され社会主義政権が樹立された。
2013年06月30日
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再び七詩さんとムメイさんがなにか話している。ムメイ 都議会選挙が終わると参議院選挙だねえ。知っているかい?今度の選挙の争点はアベノミクスの評価なんだって。アベノミクス効果を考えて投票しなけりゃねっ。七詩 ふうん。選挙の争点って何を考えて投票するかってことだよね。いったい誰が投票するのかなあ、私たちじゃない。だったら何を考えて投票するかなんてこと、人に決めてもらわなくてもいいんでないの?ムメイ あんたあいかわらずひねているね。このごろ新聞だって読まないし。で、あんたは何をみて投票するのだい?七詩 うん、コイズミやケケ中の「改革」とやらで非正規雇用がどんどん増えて結婚もできない低所得の若い人が増えている。それなのに、こんどは準正社員制度の導入とやらでこうした非正規雇用をさらに増やそうとするみたいだよ。正社員になるのも容易ではないし、かといって正社員になったらなったで毎日10数時間の勤務で祝日も休日も休めない。勤務といっても机に座っている仕事ならまだしも、そういうところはたいてい販売とか外食といった作業中心の職場なので、女工哀史や蟹工船のようなものだよ。この間もどっかの外食チェーンの若い社員があまりの長時間労働に「助けて」なんていう遺書を残して自殺した事件があった。絵が好きで美大を出たという娘さんなんだけど、親御さんの気持ちなんか考えると本当に気の毒で…。でも、今の政府はそんな劣悪な労働環境についても何かやろうという気はまるでなさそうだし。それどころか、正社員でも解雇を自由にしろとか、残業代をタダにしようとか、そんな法案も考えているみたい。そうなったら解雇で脅し、残業代も払わず、ますます働きにくい世の中になってしまう。ああ、自分だって今の会社から追い出されるかもしれないし、そうなったら、どうしよう。貯金もなくなったら、いよいよ生活保護かもしれないけど、小さいときからバカにされていた兄貴に「そらみたことか、アホ、バカ」と言われるのも辛いし、そんなことそもそも知られたくもないし。結局さあ、今の問題、生活保護もニートも自殺も、要するに「まともな職場」が少ない、いいかえれば女工哀史や蟹工船のような職場が野放しになっているということにつきるんだよね。そうした労働環境の問題、解雇自由化、残業代タダ。それでよいかどうかを考えて投票しようと思うね。これを好きなようにしろというのは、それこそ豚が肉屋に包丁を渡すようなもの。ムメイ きい。豚よばわりするのかい。七詩 比喩だってば、比喩。ムメイ あんたが何をいおうとわたしゃアベノミクスを評価して投票するよ。新聞でもテレビでもそういっているし。それにあんたのいう雇用だって改善しているじゃん。有効求人倍率三カ月連続上昇って。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130628-00000248-yom-bus_all七詩 0.01ポイント上昇って。誤差の範囲でないの?それに求人の中味については何も分析してないしね。手取り月10万ちょっとで毎日10数時間労働とか。ムメイ でも、ほらこれこれ、職員30府県で応募者減少。民間回復が影響かって?http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130629-00000012-jij-pol七詩 それほどよくなっているとも思えないし、バッシングと給与減がきらわれただけでないのかな。こんなのでいかにも経済がよくなっているかのような見出しをつけるのは印象操作ではないの。だいたいアベノミクスで実際に給料があがったり就職できた人って知っている?ムメイ 知らないけど、株価はあがっているし、高級品が売れているそうだし、世の中が明るくなっているって。七詩 明るいか暗いかは人それぞれなのだろうけど。でも、金持ちがいくら金持ちになったって、おこぼれなんてありません。それどころか円安で材料費が高騰して苦しい企業も多いし、ボーナスカットされた人だって知ってます。ガソリンも電気も値上げしているのに、給料は増えないし、職場でもお弁当派が増えてます。自分の実感、自分の感覚を大事に大事に考えましょう。ムメイ ところであんたいつも、パソコンで何か書いているね。七詩 ネットの日記だよ。官庁やスポンサー企業いいなりのマスコミと違って、自分の実感を書き込める庶民のメディアだからね。これでいろいろな意見を見て、自分も思ったことを書いていく。ムメイ そんな面倒なことしなくっても、テレビや新聞で頭のよい人達がいろいろ説明してくれるからいいんじゃないの。この間は「一度民主党にやらせてみるのも面白い」と思って投票したし、最近は毎朝テレビに出ていた政治家が演説しているところなんかかっこよくって「何かやってくれそうだなあ」と思っていたのに失速したみたいだし。今度の選挙はそれで投票するところのない「投票難民」になってしまうと思ったら、アベノミクスがなかなか目新しくって斬新みたいだしねえ。それにソフトモヒカンで官僚主導や既得権をぶったたいている政治家もなんか素敵だしね~。(七詩さんはCDで音楽をかける。昭和30年代に流行った「お●みさん」という曲である。)七詩さんとムメイさんは踊り始める。餓死か牢屋かそれとも過労死 どれもいやならフクイチか~いっておくけどこの選挙 肉屋に包丁わたしちゃったらこれで終いよおだぶつよ~や~れそれ 国防軍上がる物価に下がるは給料 追い打ちかけるは消費税いっておくけどこの選挙 肉屋に包丁わたしちゃったらこれで終いよおだぶつよ~や~れそれ 雇い止め
2013年06月29日
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大阪では過去最悪のペースで性犯罪が増加し、中には路上でいきなり拉致され車に監禁されるという例もあるという。http://my.plaza.rakuten.co.jp/?func=diary&act=write性犯罪といえば自分は対象外だから…なんて思う人はよほど楽観的な人だろう。狙われるのは性だけではない。今の時代、ほとんどの人はキャッシュカードを持ち歩いているので、路上で誰かを拉致してキャッシュカードの番号を聴いたうえで金を引き下ろすなんていう犯罪も増えていくのかもしれない。そういう場合、性犯罪をともなったとしても、行きがけの駄賃であり、被害者の口止めでもあるのだから、誰でも、ことによれば男性だって被害者になりうる。大阪だけの話でもなく、性犯罪だけの話でもない。そのうち「日本は安全な国」だの「日本の治安は世界一」だのという話も昔話になっていくのかもしれない。そういうふうになっても、警察官が職務で銃を発砲するたび、マスコミがいちいち「警官発砲」と見出しをうって、警察幹部が正当な銃の使用であったのなんのと説明をするのだろうか。そしてその警察は昨今では女性登用に大いに力を入れている。警察官全体の人数を増やすという話ではなさそうなので、女性警察官や女性幹部が増えれば、その分男性警察官は減る。でも、危急の際にかけつけてくれる警察官は男性の方がよいと言えば、これも当世では「差別」になるのだろう。誰も自分が頭の固い差別主義者だなんて思われたくないから何もいわない。ちょうど「王様の服がみえないバカ者」だと思われたくないように。そのうちきっとはやるに違いない。ガス銃などの市民向けの護身具が…。もしかしたら峰不二子みたいにスカートの下に護身具を隠した女性が街を歩く。そんな時代がくるのかも。**話は変わるが昨今では米中対立というテーマでいろいろと書いたものが散見される。そうしたものをみるとたいていは米国は日本と価値観を共有する国だが中国はそうではないので、日本は米国の側につくべきだなどといっている。でもかつての米ソ対立と米中対立は決定的に違う。米ソ対立は疑似宗教的なイデオロギー対立があったが米中はそうではない。名前は共産党だのなんのといってはいるが、中国が共産主義イデオロギーを信奉しているなんて誰も思わないだろう。そもそも欲望むき出しで現実的なあの人達はいかなるイデオロギーや宗教とも縁がない。そしてまた米ソ対立と違う点はもう一つある。冷戦時代にはソ連から米国に移住する人間は少数の亡命者くらいで、そうした人びとは国家としてのソ連とはむしろ対立する立場をとっていた。しかし、現在の中国は米国に多数の移民を送り出しており、その多くは成功すれば本国の親族に送金したりしている。こうした中国人の移民に危惧を感じる米国人はいるのかもしれないけど、もともと移民国家で人種平等を国是にしている米国で中国人移民だけを規制するなどは無理な話だ。そして中国人、特に太平洋を渡って米国まで行くような中国人は優秀な人が多い。公平な競争さえあれば彼らの中から政府高官、学者、言論人、財界人などが輩出されていくことだろう。そして米国は公平な競争をなによりも重んじる国だ。米ソ対立があったようには米中対立は起きず、それどころか、米国の中枢部に中国系が入っていく可能性の方がはるかに大きいように思う。
2013年06月28日
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七詩さんと友人のムメイさんの会話ムメイ:今度の都議選よかったねえ。売国奴の民主党奴らザマア見ろだ。七詩:そうそう。自民党が圧勝だったしね。ムメイ:アベノミクスが浸透したというのが大きいね。これで景気がよくなれば日本ももちなおすだろうし。七詩:でもそのアベノミクスなんだけれど、本当によくなっているのかなあ。食品会社に勤める友人なんか円安で材料費があがってボーナスカットだったっていうし。ガソリン代なんかは現に上がっているみたいだし、そのうち食品なんかもどんどん値上がりして大変だよ。ムメイ:でも株は上がっているし景気は回復しているんじゃない。高級品も売れているっていうし。七詩:ふう。株なんか持っていないし、高級品も縁がない。それどころか解雇自由や残業代ただ、そして準正社員制度なんかできたら、来年の今頃まともに給料をもらえるかどうかその方が心配なんだけどねえ。ムメイ:株が上がれば世の中が明るくなっていいんじゃない。それに安倍総理も中国や韓国にいうべきことはきちんといいそうだし。でも、そうそう…共産党が伸びているのが心配だよ。日本も共産主義国家になってカンボジアや北朝鮮みたいになったらどうしよう。七詩:それはあまりにもばかばかしい。あの党だって生産手段の国有化とかそんなのは考えていないよ。ただより平等な社会を目指す、労働者なんかの権利をきちんとまもろうということではないのかなあ。少なくともねえ、19世紀イギリスにもなかったような十数時間労働を何十日もつづけて病気になったり自殺したりなんてことはないようにしてほしいね。それこそ政治や行政のやるべきことなんだから。ムメイ:そんな会社、勤めなければいいじゃない。本人の責任じゃないの。七詩:それで一方では就職もしないで家にいる人もどんどん増えている。そうなると人間はどんどん落ち込んでいくのだよね。若いころ就職浪人していたからよくわかるよ。まったくもう、親が子を殺す、子が親を殺す。そんな事件が最近いやにめにつくけど、就職難、ブラック企業、低賃金、こうしたことはみんなつながっているんだねえ。ムメイ:だからどうしろっていうのさ。できの悪いのは本人のせいじゃない。七詩:人間だから出来不出来はあってあたりまえ。でも上位何パーセントの人しかまともに暮らせない社会っておかしくないかなあ。私達みたいな普通の人が真面目に働いてまともに暮らせる社会。それこそが政治の役割だよ。19世紀の英国でさえ労働時間の上限規制を行なっていた。あまりにも労働者の暮らしが悲惨だったからねえ。昔だけではない。今の世の中でみても、派遣業者のマージンというか取り分というのは他の先進国に比べ日本は圧倒的に多く、また、長時間労働などについての国連の勧告だって無視されて報道すらほとんどないんだよ。ムメイ:へえ、私は新聞やテレビしかみていないんだけど、なんでだろう。七詩:新聞とかテレビってのはスポンサー企業の機嫌をそこねることもかけないし、情報源である官庁の悪口だって書けないんだよね。
2013年06月27日
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有名キャスターの遭難事件が話題になっている。全盲のセーラーと二人でヨットに乗っての遭難なのであるが、このキャスターはなぜヨットに乗っていたのかはあまり報道されていない。24時間テレビとの関係もいわれているようだが、これもはっきりとしていないようだ。*あまりみていないのだが、24時間テレビでは障害を持つ人が何かに挑戦するというのが感動の定番になっている。こういうのを別に批判するつもりはないのだが、ああいうものは当の障害者はどう受け止めているのだろうか。障害者ではないが、一時期、敬老の日の前後は鉄棒で大車輪をするおじいちゃんや高山登山に挑戦するおばあちゃんなど元気なお年寄りを紹介する番組が目白押しになったことがある。それについて「あんな見たくもないものはない。敬老の日が終わってほっとしている。」というお年寄りの声を聞いたことがある。人間なんて同じ年齢でも個人差があるのはあたりまえで、老齢になるほど個人差は増す。同じ年齢で元気な人の姿をみせられても、多くのお年寄りは「勇気づけられる」よりも個人差の大きさを実感するだけではないか。障害だってその程度は様々であり、その障害者が何かに挑戦してなしとげるのをみて感動するのは、むしろ障害を持たない人ではないかと思う。*ただ24時間テレビに関与している局や広告代理店の力は非常に強い。遭難したキャスターに対する報道がひかえめなのは、こうした力が働いているのかもしれない。キャスターはイラクで邦人が人質になったとき声高に自己責任論をぶった人だと言う。たしかにあの邦人人質事件は家族の居丈高な態度など首をかしげるところも多かったのであるが、その当のキャスターがこうした遭難事件を起こしたからには、どっかから自己責任論との整合性を問う声があってもよさそうなのだが、マスコミにはそうした意見はでてこない。マスコミには同系列のテレビなどの批判は期待できないし、大手広告代理店などの意向にさからう報道もできないだろう。マスコミが報道することにも興味があるが、それと同様にマスコミが報道しないこと、報道できないことからもいろいろなものがみえてくる。*芸能人や芸能人まがいの文化人も、勢いがあるうちは悪い話はでてこないが、勢いがなくなると不思議にいろいろな事件や事故が報道される。こういうあたりにも同様の力関係が働いている。どうでもよいことであるが、W大学の凋落について、決定的なとどめとなったのは某女性タレントの入学騒動だと思うが、これもマスコミではあまり言われない。まあ、某女性タレント自身には罪はないのだが、これもやはり、遭難したキャスター同様、彼女がまだまだマスコミで「使える」ことと無関係ではないだろう。
2013年06月26日
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全くどうでもよいことなのであるが、元外務省高官の田中均氏が、「自分は拉致被害者を北朝鮮に帰すべきとは言っていない。」と主張しているらしい。そうだとしたら、あの当時の報道はなんだったのだろう。外務省高官の田中氏はじめ何人かの政治家は拉致被害者が北に戻すべきだと言っていたのではなかったのか。http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/TKY201306240360.html普通に考えれば、もしあの当時の報道が誤報だったのなら、その時期に訂正すべきであり、今頃あれはうそだっただの、なかったことにしてくれというのは、なんというか、その卑●ではないか…。あたりまえだが、居住移転の自由は基本的人権であり、外務省高官がミスターXなる人物と何を約束したかは知らないが、帰国した拉致被害者には日本に住む自由がある。だから拉致被害者は北朝鮮に戻らないと困ると言っていた外務省高官の発言にはすごく奇異な感じがしたのでよく覚えている。マスコミもこんな今さらの発言を報道するくらいなら、当時の報道をふりかえって事実を確認するくらいのことをしたらどうなのだろう。なお、総理が田中氏という一個人を批判したことを問題視する人もいるようだが、田中氏は別に私人ではない。元外務省高官という肩書で発言をしている人であり、そうした意味で単なる市井の評論家を批判するのとはわけが違う。
2013年06月25日
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格差社会というのは、能力や運に恵まれた少数の人に富が集中し、それ以外の人は貧困に苦しむという社会である。要するに普通の人が普通に生きても希望のもてない貧困暮らしを余儀なくされる社会…それが格差社会である。ここ何年かの動きをみていると日本はそうした格差貧困社会への途を着々と辿っている。バブル期後の不況にはじまって、コイズミ改革による雇用の規制緩和。その結果としての非正規雇用者の激増…。そして今また政権与党は解雇を自由化するための法案や残業代をタダにする法案、準正社員という名の非正規雇用を創設する法案を準備している。こういう流れを変えなければならない。普通の人がまじめに生きても普通に暮らせない社会を変えなければならない。過酷な残業の果てに「助けて」という遺書を残して自殺した某外食チェーンに勤務する若い女子社員の悲劇を繰り返してはならない。*昨日の都議選の結果がそんな反転の第一歩になるのなら、こんなにうれしいことはない。この結果をぜひ国政にもつなげてほしい。そのためにもぜひ、失業中の若者、過酷な労働に苦しむ若者の声をぜひ聴いて欲しいし、目に見える形でそうした場をもってほしい。 反原発、護憲もよいが、これだけでは絶対に「うねり」にはならず、あいも変わらぬ3%以下政党のままだろう。9条を重視している人は今までだって投票をしていたはずであり、また、投票してこなかった人にとっては9条云々というのは、あまりにも生活にかかわりのない奇麗ごとにすぎるからである。現政権に対する不満層、困窮層を対象に票をほりおこすのなら、彼らの声をきき、彼らの心がわからなければならない。彼らの多くは党員になることもないし、機関紙を買うこともない。でも、国政の場で、支持のうねりを広げてこそ、結果的に党員も増えるし機関紙購読も増えるのではないか。それができなければ党員も機関紙もじり貧となっていくだけである。
2013年06月24日
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祖父母のうちで一番早くに亡くなったのは父方の祖母であった。物静かな人であまり記憶はないのであるが、小さいころ一緒に江の島旅行に行ったことだけはよく覚えている。旅行なんか本当に行く機会のなかった頃なので、この江の島旅行の話はいつまでも家族の中で話題になった。特に記憶に残っているのは洞窟のなかを手を引かれて歩いたことだ。蝋燭をもって真っ暗な中を進んでいくと、ところどころ灯りに囲まれた石仏があり、それが炎のゆらぎで生きているように見えたのがとても神秘的であった。怖さの記憶が最も残りやすいと言うが、暗い洞窟は怖ろしく、いつもいっしょにいたわけでない祖母と一緒であったというのがさらにその印象を倍加したのかもしれない。祖母が東京の家にきたのはその時も含めて数えるほどで、江ノ島で買った貝細工の花瓶は祖母の亡くなったずっと後まで、壊れるまで家にあった。*江の島の岩屋はその後閉鎖されていたというが、20年前から再び公開されている。その岩屋に昨日行ってきた。蝋燭をもって入るのは昔のままであったが、蝋燭の灯りだったと記憶していた石仏は今では電灯に照らされている。過去の記憶はあまりにも幼く、その時の情景がいきいきとよみがえるというほどではなかったが、岩屋の入り口とその背景の海の様子は見覚えがあるような気がした。なんかこんな風景を夢などで繰り返し見たような…そんな感じである。この江の島の岩屋のように蝋燭をもって入るのは消防庁がうるさいので他にはあまりないという。それだけに蝋燭をたよりに洞窟を歩くのは強烈な印象を残すものかもしれない。岩屋には小さい子供のいる家族連れも何組もいた。この子供たちも岩屋巡りを強烈な記憶としていつまでもかかえていくことだろう。
2013年06月23日
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高齢化を反映しているのか、婚活ブームを背景にしているのかさだかでないが、今の日本ではダイエットがさかんである。公園に行けば老若男女を問わず様々な人が走っているし、テレビを見れば、痩身効果のある食品や健康器具の広告がいやでもめにつく。これほどダイエットが流行の日本であるが、日本人の嫌うダイエットというのもある。脂肪吸引とか胃を縛る方法である。これについては爆発的に普及しているという話をきかないし、広告も見かけない。*こうしたダイエットがあまり人気がないのは、整形手術が日本ではそれほど普及しないのと通じるのではないか。例えば韓国に行ってみればよい。整形手術がいかに普及しているかは街をあるけばすぐにわかる。だいたい男性と女性で目の形がまるで違う。男性にはちらほらと眠ったような細い一重まぶたの人がいるのだが、若い女性ではそうした人はまずいない。それに人間の顔はバランスがあって醤油顔は全体に醤油であり、ソース顔が全体にソースであって、低い鼻の平板な顔で眼だけはくっきりと二重瞼というのはありえない。そんな人がいたらやはり人為的なものだろう。韓国では整形医療を外貨獲得源と位置付け、中国や日本からも客が来るのだが、日本人は「プチ整形」が多いのに対し、中国人は韓流タレントの写真をもってきて「こういうふうにしてくれ」と言ってくる人がけっこういるらしい。そのせいで中国から韓国に行く時はよいのだが、帰国するときはパスポート写真とは別人になっているか、顔中包帯でまいているかで、けっこう混乱もあるという。そういえば昔から中国には人為的に人体を改造する話が多く、中には残虐で気持ち悪い話もある。*整形にどことなく抵抗感があること、胃を縛ったり脂肪吸引を行なうダイエットが人気がないことは、日本の歴史を通じて人体を改造するような刑罰や極端に残虐な話があまりないことと通じているように思う。要するにそうしたことはみな「ありのままをそのまま受け入れる」ことをよしとする日本的感覚に合わないのだ。自然は時には災害をもたらすが、次の瞬間には美しいいつもの姿にもどり、多くの恵みをくれる。そんな自然の中で生きるしかない人間は「ありのままを受け入れる」以外にいったいなにができるのだろう。運動でやせる、節制でやせるのは自然であるが、それ以上に不自然に身体に手を加えることはやりたくない。だから公園はジョガーでにぎわい、健康食品は大人気である。
2013年06月22日
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消えた報道というのがある。かなりショッキングな第一報のあと訂正記事も後追い時期もないまま消えていく報道である。*たとえば原発事故のあとこんな記事があった。概略は、原発から約20キロの圏内に、東日本大震災で亡くなった人の遺体が数百~千体あると推定されることが31日、警察当局への取材で分かった。ただし、高線量の放射線をあびた遺体を収容することはできず、遺体の収容は断念しているという。例えば、27日に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpm(cpmは放射線量の単位)まで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011033101000278.html放射線を浴びた遺体が収容できないというのは真実で、チェルノブイリの事故終息作業にあたり被爆死した人(リクビダートル)の遺体は埋葬もできずにそのまま放置され、その代わり、彼らの肖像を刻んだ記念碑が設立されている。福島事故原発周辺には今でもそうした遺体が放置されたままなのだろうか。そしてそうした方の死因はいったい何だったのだろう。普通に考えれば直接被曝による死者もいるように思われるし、そうだとしたら自民党の某政治家の「原発事故で死んだ人はいない」は全くの事実無根になる。ネットという便利なツールのおかげで誰でも意見を発信できるようになったが、情報収集は限界がある。マスコミが一度世にだした記事はきちんと後追い報道をしないと、かえっていろいろな憶測をまねくだけではないのか。今でも20キロ圏内には数千の遺体が放置されているのか。そしてその中には被爆死はどのくらいあるのか…。http://tokyolumix.blog60.fc2.com/blog-entry-1206.html*同様の疑問は福島の子供たちの甲状腺癌の記事についてもいえる。検査の結果、複数の子供たちに甲状腺癌がみつかったというが、その際の「チェルノブイリでも甲状腺癌が増えたのは4年後であったのだから、原発事故との関連は考えにくい」というコメントにどれほどの説得力があるのだろうか。通常の確率では考えられない頻度で子供の甲状腺癌がみつかったのだとしたら、それについての説明がなければならず、チェルノブイリよりも早い時期に発症の増加がみられたのだとしたら、原発事故と無関係どころか、より深刻な健康被害が進行中であることを示唆するだけではないか。これについては進行の遅い甲状腺癌は検査を丁寧にすれば通常の確率よりも多く見つかるのはあたりまえであるという話もある。もしそうした説があるのであれば、それについての検証も必要であろう。報道では診断の確定した子供の他に疑いのある例もあったというが精密検査の結果はどうだったのか。通常よりも高率の甲状腺癌が見つかった原因は何だったのか。これについても報道がないとさらなる不安をまねくだけである。*事故原発がらみではないが、他にもある時期からマスコミがぴたりと口を閉ざした問題がある。PCウィルス遠隔操作事件についての報道がそうである。容疑者逮捕の際にはマスコミは大報道し、どっかの新聞はわざわざ「非モテ男の心理」というコラム記事を事件がらみで掲載したりした。それなのに、最初の容疑が起訴猶予になったあたりから報道は急速に少なくなり、今では全くと言っていいほどない。今でもK被告は拘束されているのだろうか。裁判はいつから始まり、起訴状はどうなっているのだろうか。普通に考えればウィルス作成で容疑がかたまらず、他のネット書込み容疑も日時場所を特定できない(つまり物証がほとんどない)状況では有罪判決の可能性は少ない。何年もたってから無罪判決がでて、やっと自由の身になれたKさんがお涙ちょうだい的に報道されるのだとしたら、まさに日本の人権状況は中世並みであることを示す怪談である。
2013年06月22日
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経済成長戦略の一つとして「女性の活用」みたいなことが言われている。また、それ以外でも、大臣や官庁のトップに女性を登用することがよいことであるような暗黙の了解がある。これについてちょっと疑問をのべてみたい。*まず経済成長戦略の一つの「女性の活用」である。資本主義経済のもとでは、企業に利益をもたらす人材であれば女性であれ男性であれ活用するのは当然のことなので、今さら新たに言うようなことなのだろうか。それよりも、直接にはこうした利潤を考えなくてすむような公務分野などで全体のパイをふやさずして女性の登用をやったら、男子の就職状況をより悪化させるだけという気もする。まだまだ差別はあるという人はいるのかもしれないけど、能力を活かすという意味では昔から案外女性にも道はひらかれていた。特に近年では企業の正社員採用など、それがいわゆる一流の企業であればあるほど男女だけで区別などしないのではないか。言葉を選ばずあえていってしまえば活用できるような資質能力のある人間については男女ともに問題などない。むしろ本当の意味での社会的な課題はそうした能力のない人間をいかに処遇するかではないか。ハードルの低い職業や金の稼げる職業はむしろ女性向けや女性限定のものが多い。最近街には「女の子向けの金の稼げる仕事を紹介する何とかナビ」という会社の宣伝カーが走り回っているが、女はいいよなと思っている男性も多いことだろう。経済成長戦略のためには「女性の活用」もよいが、社会を健全な姿に維持し、長い目での経済を持続させるためには、「活用しにくい」男性を社会の健全な一員とする施策が必要ではないか。第二の大臣や高位の官僚に女性を登用することについては、単に適材がいれば登用すればよいだけで、女性を登用すること自体をプラス評価するような話でもないだろう。優れた人間は性を超越するなんていう言葉を昔きいたが、だいたい知能の高い人ほど、男性的、女性的というイメージとは離れていくような気がする。サッチャー首相は女性政治家と言われるのを嫌ったというし、そこまでいかなくても、女性政治家でかえって弱者に厳しい見方をしたり国粋主義的な立場をとっている人も多い、もっとも女性だから弱者に優しいとか平和主義的だなんていうのも一種の偏見なのかもしれないけど…。参考HP http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/21222f01d3b0df78d67b01b8aa6eacc2
2013年06月21日
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ダイエットには運動がよいというが、その運動の中にもダイエットに効果のあるものとないものとがあるのではないかと思う。例えばゴルフなどはやっているという人は多い(最近はさほどでもないのかもしれないが)が、それでやせたという話はあまり聞かない。山歩きなどもやっている人にはたしかに太った人は少ないが、これもしょっちゅうできるというわけにいかないのが難点である。肥満体でないので歩くのが苦にならず山歩きも楽しむというだけのことではないか。*前にも書いたかもしれないが太極拳をやっている。これはストレス解消にはなるのだが、やせるという効果はほとんどない。気という生体エネルギーを活性化することで健康増進や免疫機能の活性化につながるというが、こうしたことは「信じるものは救われる」で、健康によいと思うこと自体が健康によいのだろう。確実にやせるのは習慣化したジョギングだろう。近くの公園に行くといつも大勢の人が走っている。ただこうしたジョギングも近くに適当な公園がないと難しい。さっそうとランニングスーツを着込むとそれなりのスピードで走らないとみっともないし、かといって普通の道路を普段着でとろとろ走っていると「あの人何をやっているのかしら」という感じになる。普段着でゆっくり走っても違和感がないのが、公園のランニングコースのよさである。スポーツセンターやジムを利用した運動もあるが、器具を利用した運動はわりとあきやすい。家庭でほこりをかぶっている健康器具同様、単調な運動を一人でくりかえすのは相当な意志力が必要だ。その点、音楽に合わせて動く体操などはよい。こうした施設はまたプールをそなえたところが多い。水泳はこれからの季節は特に気持ちよいのであるが、これは正直ダイエット効果がどれほどのものか疑問である。走ったあとは本当に走ったなあといった疲労感があるのだが、水泳の場合にはそうした疲労感はさほどない。公園でジョギングをやっている人には肥満型は非常に少ないのだが、プールに行くと肥満型の人もけっこうめだつ。
2013年06月21日
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いつも不思議に思うことがある。食品の多くにはカロリーが記載されているのだが、あれはいったいどうやって計算するのだろうか。そしてそのカロリーにはいったいどんな根拠があるのか。ダイエットをしているときにはカロリーが気になる。そして注意深くみると多いようで以外にカロリーの少ない食品というものがある。まず高カロリーの代名詞のようにいわれるチョコレート。これも穀粒などが入ったものは意外にカロリーが少ない。また、揚げていない菓子の中にも低カロリーのものがある。一日のうちの一食をこれですませればかなり違うようにも思う。そういえば長寿健康の有名人が昼食はクラッカー三枚で過ごしているなんていう話もきいたことがある。ただし、そうした場合には、間食をしないことも重要であろう。*食事ダイエットをしている人からこんな話をきいた。できるだけ低カロリーで満足感の多い食事を考えているうちに、こんなことを心掛けるようになったという。煮込みうどんやほうとうには極力野菜を使い肉をひかえる。揚げものはなるべくさける。こうした食事も運動と同様に日々の習慣化が重要なのだろう。その人は昔は人が振り返るような肥満型だったが、今ではピーク時から10キロ近くも減っている。ただ、通販で買った薬品も服用しているというが、いくらダイエット中といっても、薬だけはちょっと手を出す気にはならない。ダイエット食品の中には依存性が強く、一度手を出したら高価であっても購入をつづけなければならないものもあるという話もあり、それもちょっと怖ろしい。
2013年06月20日
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よく選挙で山が動いたという表現を使う。まあ、実際に山が動いたと思うほどの急激な変化というのはめったには起きないのだが、それでも民主政体のもとでは一人一人の票の集積が大きな変化をもたらすことがある。よいとか悪いとかではないがネパールでは選挙によって王制を廃止し「社会主義政権」を樹立した。少し前であれば大量の血が流れたかもしれない変革を選挙によってなしとげてしまう。それが民主主義というものである。誰でも平等に与えられている投票権…。もう少しこうしたものをありがたく貴重なものと考えるべきであろう。それなのに「議員も身を削れ!」なんていいながら議員定数の削減を唱えるなど愚行としか思えない。*それでは山はいったいどこにあるのだろう。若者の自殺率は急増しニートは過去最高に達している。そして若年世代の半数近くは非正規就労者であるという。ブラック企業の問題もマスコミにはあまり載らないがすそ野の広い問題だろう。某外食産業の過労自殺の事案などは新聞報道はひかえめだがネットで検索すればすぐに見つかる。将来に希望をもてず結婚もできない若年層と彼らを気遣う親や祖父母、他人事とも思えないその周辺層。これは間違いなく大きな「山」である。また、一方では生活保護受給者やその予備軍の「山」もあるし、大都市の正社員共働きカップルを中心とする保育環境の不備に悩む人びとの「山」もある。それぞれの山は裾野では重なり合う部分もあるのかもしれないけど、「山」をどうとらえ、そしてどの「山」に訴えかけるかということも重要ではないか。そしてこの「山」を構成するのは生きた人間である。それぞれには心があり血も涙も感情もある。皮肉なことに生活保護受給者に最も強く反感をもつのはその近くにいる困窮層だという現実もある。上見て暮らすな下見て暮せ…という言葉には、そうでもしないとやりきれないという悲しい人間の心理がある。*また、例えれば、山のほかに「雲」のようなものもある。実際の生活と関連が薄い理念的、抽象的なテーマである。沖縄の基地の苦しみ、脱原発、憲法9条、女性登用、非核、公務員バッシング、生活保護バッシングなどなど。「雲」についても、人びとが幸福な時代には理想的なものに惹かれ、そうでない時代には特定集団へのバッシングが心をとらえる。満ち足りた時代のマドンナブームなど今は昔のあだ花であろう。雲が山にかかるように確かに「山」と「雲」は無縁ではない。再軍備でまっさきに戦場に行くのは職がない若者であろうし、使い捨ての原発労働だって同様なのだから。でも自分の生活と直結して考えにくいテーマであることも「雲」の「雲」たるゆえんだ。「雲」では決して「山」を動かすことはできない。できやしない。
2013年06月20日
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海江田氏は自ら推奨した安愚楽牧場の「和牛オーナー制度」をめぐり、元社長らが逮捕されたことについて、「もう20年以上も前のことで、議員になってからは何の関係もない話だ。」と言っているらしい。著名な経済評論家が推奨しているから虎の子をはたいてオーナーになった人もずいぶんいると思うのだが、関係ないはないだろう。http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013061800476海江田氏は今では政治家になっているが、こう言う人は政治家になっても同じなのかしら。自身の提唱した施策が国家に禍根を残しても、多くの人々を不幸にしても、それは関係ない…と。*なんでやねん五郎さんの「ブラックはいやだ」は秀逸である。http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki2594/8824721.htmlおいらの夢は眠ること、週に一度は休むこと…世界には日本よりも貧しい国は多いが、こういうのがオイラの夢というところはあまりないのではないか。一神教で定めている週に一度の安息日。あれは最古の労働法であるとする説もある。そういえば某外食企業の過労自殺の事案では何日も何日も休めず「助けて!」と遺書に書いてあったっけ。今ではブラックと言えばすぐに外食産業が思い浮かぶが、介護にもブラックはあるのではないか。労働環境の悪さはまた、高齢者虐待の温床にもなる。そういえば介護を食い物にしていた事件もそう遠くない昔にあった。折口社長は金満生活をし、介護士は劣悪な労働環境と低賃金にあえいでいたのは記憶に新しい。その折口社長と安倍氏のツーショットは下記サイトでみることができる。http://facta.co.jp/blog/archives/20070611000436.html*若者のニートは過去最高となり、生活保護受給者にも現役の年齢層が増えている。たぶんこうした現象と、ブラック企業などの職場がのばなしになっている状況とは裏表なのだろう。ブラック企業では多くの人が離職していく。こうした人びとはニートになるか、生活保護をうけるかしか途はないのだから。
2013年06月19日
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最近少なくなったものの一つに社員旅行というものがある。正規雇用が普通であった時代には、社員は皆同じ船にのった仲間同士のようなもので、友人も、そして時には結婚相手も同じ社内で得ていたし、社員旅行は親しい人間を作る絶好の機会であった。また、かつては土曜日は午前中勤務と言う形態も一般的だったので、土曜日の午後からバスに乗れば、ちょうどよい時間に到着した。こうした社員旅行の費用も親睦会費だのなんのといって給料日にとりたてていた。*社員旅行が減ったことによって客が遠のいた旅館などもあるのかもしれない。大都市から一泊圏くらいで大きな宴会場をもっていたところなどはそうであろう。でも大都市からほどよい距離の観光地というのは家族や友人同士で気軽に訪れるのには、すごくよい場所なのかもしれない。お金も時間もそれほど使わず日常を離れた空間にひたることができる。山などとも違って体力もさほど使わない。そんなわけで昔社員旅行で言った潮来をもう一度訪れてみた。みどころはなんといっても駅からほどちかいところのアヤメ園と水郷ならではの櫓船である。あと川沿いに街並みなどを歩いてみるのもよい。社員旅行でいったときには宴会の記憶ばかりで観光の方はほとんど印象にのこっていなかったのだが、少人数でアヤメ園を見るのはまた別の楽しさがある。*以前来た時にはなかったと思ったがアヤメ園には二体の銅像がある。一つは潮来花嫁さん、そしてもう一つは潮来の伊太郎である。両方とも昭和30年代の流行歌の主人公で花嫁さんの方は歌もきけるようになっている。古きよき時代…なんていうとバカにされそうなのだが、あの歌が流行った頃というのは徐々に豊かになって社員旅行もしだいに盛況に向かっていた時代だったのかもしれない。社員といえば正社員が当たり前だった時代、そして役員も平社員も給料がさほど違わなかった時代…。
2013年06月19日
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東京の街を歩いていると思いがけないところに小さな神社があることがある。江戸に多いものは稲荷…なんて言葉もあったくらい、昔からあちこちに神社を建て、それが地域の人びとのよりどころになってきたのであろう。韓流でにぎわう新大久保にもこんな小さな神社がある。一つは鉄砲討ちの足軽の信仰を集めた皆中稲荷。そしてもう一つが夫婦木神社である。*新大久保から神楽坂方面に大久保通りを歩くと駐車場がある。その駐車場の手前の小道を曲がると、昭和時代の香りのする住宅街に入る。そんな住宅街に忽然とあらわれる神社が夫婦木神社である。社殿も階段の上であるので敷地もほとんどないのだが、社務所があり、掲示板には神主の言葉が書いてある。さらにユニークなのは普段着の結婚式を行なうと言う案内があることだ。別に結婚式は金をかけて盛大に行う必要はない。普通に神前結婚を行ないたいと言う人もいるのだろうけど、実際にここで普段着の結婚式をやる人ってどのくらいいるのだろう。お参りしたときには、茶色の毛づやのよい猫がまつわりついてきた。ただ人に慣れているだけではなく、体を足にすりつけたりする。もしかしたらこの猫は神様のお遣いかしら…梅雨の合い間の夕焼け時の参拝では、そんなこともふと考えたりもする。小さいけれどもこの夫婦木神社、夫婦和合や縁結びに大変に御利益のある神社だという。http://ameblo.jp/mocchiy7232/entry-11026524246.html
2013年06月18日
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ダイエットでよくいわれることに、食事を抜くのはよくないということと、食事量を過度に減らすのはよくないということがある。いずれも人間の体というものは、飢餓に順応するようにできており、食事を抜いたり減らしたりすると、かえって皮下脂肪がつきやすくなるのだという。いずれももっともらしいのであるが、これはどうも往々にして怠け者の言い訳に使われているような気がしてならない。*昨日の日記でダイエットはそれ自体が楽しく、目標がないとなかなか続かないということを書いたのであるが、それでも、基本的には自己との戦いであることにはかわりない。いくら運動をしたとしても、その後での「食べたい」という欲望、楽したいという欲望に勝たなければ決して効果はあがらない。ところがそうした克己心の弱い人間は往々にして冒頭にあげたことを自己に対する言い訳にする。現にそうした人の話をきいたことがある。かなり重度の肥満体なのであるが、無理に食事を抜くのはよくないと言って減食をするつもりはほとんどない。そして薬で痩せるだの手術でやせるだのといったことばかりを考えている。一頃は温泉で痩せる方法があるとか肥満治療で休職もできるのではないかとも言っていたが、温泉でごろごろして給料も貰えるなんていううまい話などあるわけがないということに気づかないのだろうか。こうなると、肥満は原因というよりも、結果ではないかと思えてくる。*ダイエットには運動はかかせないが、それでも最期の決め手は食事の総量を減らすことだろう。食事を抜くことや過度の減食はよくないとかいうが、それよりもまず、食事そのものを減らすことであろう。食事だって抜けるものなら抜いた方がよい。どうしても我慢できなくなったら、最小限食べればよいのだから…。それに三度の食事だって別に人類普遍の生活習慣だったわけではない。江戸時代までは一日二食が普通であったというし、おやつの語源は二食の間の間食の意味だったともいう。また、ある著名人(名前は忘れたが)は一日一食と決めており、それが自分の体質には最も合っていると言っている。*多くの人は気づいていると思うが、日本を見ても外国を見ても成功者とかエリートとかと言われる人には肥満体はほとんどいない。これも、ダイエットの決め手はやはり克己心であることの証左であろう。
2013年06月18日
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人間は年齢を重ねるにつれ代謝量がおちて肥満になりやすいという。体力の低下とともに必要エネルギーが低下するのは自然の摂理なのかもしれないけど、肥満は様々な病気にも関係するので、肥満との戦いが多くの人にとっての中年以降のテーマになる。*運動で痩せることができればそれが一番よい。ただ運動の難点は単調になりがちで長く続けるのが難しいということだ。通販で買う健康器具が粗大ゴミになりやすいのもここに理由がある。たった一人であんな単調な動きをするのではすぐあきてしまう。一頃さんざん宣伝していた腹を押す器具とか足にのせると足を動かす器具とかああいうのを今でも使っている人はどのくらいいるのだろう。だから逆をいえば運動ダイエットを続けるためには単調を避ければよい。ただ同じ運動を繰り返すのではなく、音楽に載って様々な動きを組み合わせたトリム体操などはその例だろう。それだけでも単調さは軽減されるのだが、さらにいえばトリム体操の場で新たな出会いや発見を作るようにすればよい。不倫は問題だが、同性異性を問わず気持ちよく付き合える人ができればそれはそれでめっけものだ。教室やスポーツジムは高価なので、最近、区のスポーツセンターに週一度体操の時間に合わせていくようにしている。以前はよく近所の公園をぐるぐると走っていたのだが、単調さを避けるという意味ではトリム体操の方が習慣化しやすそうである。*そして単調さを避けるだけでなく、目標をもてればなおよい。ここでいう目標とは何キロ減量という目標以外の目標である。ジョギングで市民マラソン参加などというのもあるが到底レベルに達しそうもない人には無縁の話である。その点、水泳はよい。何メートルを泳ぐという目標だけでも励みになるものなのだから。トリム体操の後は同じ区民スポーツセンターのプールに行くのだが、そこで距離をのばすのを楽しみにしている。学生の頃は25メートルがやっとであったが、慣れると次第に50メートル、100メートルと距離が延びる。体力や健康が下り坂ばかりとなっていく年齢では、そうしたものがものすごくうれしい。*この週一度のスポーツセンター通いにあわせ、日常でも運動を取り入れる。さらに食事もできるだけ減らしていく。最近ではコンビニでもダイエット用の低カロリー食品を売っているので、普段の昼食はできるだけこれですませる。これでダイエットが成功しなければおかしいのであるが、はてどうなりますやら…。
2013年06月17日
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PCウィルス遠隔操作事件では、とうとうウィルス作成での立件は見送られたという。事実上の警察検察の敗北といってよいだろう。http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/383.htmlhttp://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51713637.htmlさてそうなると、問題は、既に起訴されている事件の公判の行方である。犯罪時刻も場所も不明なネット書き込み事件で、しかも遠隔操作で書き込んだはずのウィルス作成は立件できないまま…これで公判が維持できるのだろうか。そしてまた、ウィルス作成での立件を見送る理由として「まとまった供述が得られなかったため」としているが、供述があれば立件するつもりだったのだろうか。何カ月も何カ月も勾留を続け、精神的に耐えきれなくなって供述したら、それを証拠として起訴をする…。これでは国連で指摘されたように「日本の司法は中世なみ」といわれても反論できまい。シャーラップ
2013年06月16日
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「魅せられたる魂」という重い大作を読んだ後に軽いもの…というわけで内田康夫の「信濃の国殺人事件」を読んだ。この人の作品が通勤電車の友と言われるのはよくわかる。読みやすい文体で残虐な場面やお色気描写もほとんどなく、途中でなげだすほどつまらなくはなく、かといって夜を徹して読みたいとおもうほど夢中になる話でもない。そんなわけで通勤電車の何日かをこの本とともにすごした。*感想というよりも、あらためて「信濃の国」の歌についてなど書いてみる。両親とも長野県出身だったので、この歌もよく知っている。四つの平は肥沃の地というのになんで蚕の蛹とか蝗なんか食べているのだろうとか、郷土の偉人に4人並べている中の仁科信盛というのはさっぱり聴いたこともないが、どんな人だったのだろうとか、いろいろと歌詞も謎が多い。木曽義仲はこの歌では「文武の誉れいや高く…」とあるけど、これもどうなのだろう。平家物語では、鎧姿は様になるが、直衣はまるで似合わない義仲の田舎者ぶりを面白可笑しく描いている。無塩の魚という言葉を初めて聴いて、「無塩」を新しいという意味だと勘違いして、食べかけの湯漬をやってきた宮人に「無塩の茸の湯漬じゃ、さあ、食え」と薦めたり、牛車の乗り方がわからず、さんざんあちこちぶつけた後、乗り方を教えなかったと腹立ちまぎれにお付きの小童を斬り殺したりと…。おまけに義仲についてきた軍勢も京で乱暴狼藉のかぎりをつくし、「これなら平家の圧政の方がまだましだった」と言われる始末。英雄偉人も見る角度によって様々だということだろう。*両親の出身は歌にでてくる四つの平のうちの松本にあたる。母の実家は松本市で東の方に王が鼻や霧ヶ峰がよくみえた。そして父の実家は安曇野だったので、こちらからは西の方の北アルプスがぐっと近くなる。あらためて地図を見ると、東の山は八ヶ岳山塊から北に続く山で、筑摩から安曇に行くときにわたる川は奈良井川という川だったのかといまさらながら知った。そういえば父から雪形の話を聞いたことがある。白馬岳、爺が岳、蝶が岳などは皆雪形の名にちなんだ山名だという。父が亡くなる前に安曇野の春の話などをしたことを思い出す。病気がよくなればぜひ一緒に行きたいものだと話していた…いつか雪形の季節に安曇野をぜひ訪れてみたいものである。**ある食品会社では円安で原材料費が高騰して利益が減ったために社員のボーマスを一律カットしたという。直接聴いた話であるが、こういう人も世の中には案外多いのかもしれない。アベノミクスで高級品が売れているだの世の中が明るくなっただのといった報道が溢れているが、マスコミ報道ばかりでは世の中の実相はわからない。
2013年06月16日
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最近、聖☆お兄さんという漫画があるらしい。映画化もされていて、天地はるなさんの日記ではその笑いどころをいくつか紹介している。http://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/201306130000/こうしたギャグは扱う対象によってはデモだの暴動だのと大変なことになってしまうのだが、日本では昔からギャグのジャンルとして人気がある。例えば、江戸時代の滑稽本や落語で人気だったという聖遊郭。これは、釈迦と孔子と老子が遊郭に行くという話で、もちろんそれぞれになじみの遊女もいるという設定だ。ネットで検索してみたら原本の映像まででてきたが、残念なことにあの続け字は読めない。断片的に現代語訳を載せているサイトもあるのだが、釈迦と遊女が心中の遺書を書いたが、それが梵字だったとかいう話で、これだけでは笑いのツボがよくわからない。http://hihonsyudo.exblog.jp/15923073/まあ、世上、権威としてとおっているものをちゃかすのはそれだけで面白いし、一頃人気のあったギャグ漫画「おぼっちゃまくん」もあのお父さんが孔子像とそっくりだったのも重要な笑いの要素だったように思う。*ただ、こうした笑いは正直いって個人的にはちょっと抵抗がある。幼い頃にこんなことがあった。二段ベッドの上で兄と二人でいたのだが、なぜか兄が鴨居にかけてあったお札をとりあげ、童謡「大黒さま」(大きな袋を肩にかけ~で始まる歌で当時の子供はたいてい知っていた)の節で、ウ●チだのなんのといって歌い始めた。まさに不謹慎ギャグで、小生も横で笑い転げていたのはいうまでもない。ところが世の中には不思議なこともあるものである。別に揺らしたわけでもない、ふれてもいない天井の真ん中の蛍光灯がなぜか突然落下した。けっそうを変えて部屋に入ってきた時の母の顔。そして畳にちらばった砕けたガラスの破片がきらきらと光っていた様子は今でもよく覚えている。だから今でも宗教をネタにしたギャグをみていると、どっかでこう思ってしまう。「おいおい、お前らこんなんで笑っていると今にバチがあたるかもね」と。それほどにこの幼児体験は強烈だ。
2013年06月15日
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好きな作家のひとりである藤沢周平氏は生涯ただ一度だけ選挙の応援演説を行ったという。詳細は下記サイトに掲載してあるが、ちょっといい話である。http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-983.htmlたしかに…人類の歴史は少しずつ少しずつよい方向に進んできたように見える。奴隷や公開処刑などはいくらなんでも今後世界の主流になることはないだろう。一人一票の民主政体は今後も世界の多数の国で採用されつづけるだろう。そしておそらく今日いうところの人権は今後も普遍的価値でありつづけるだろう。*ただ、そんな中でときには逆行してみえるような流れもある。少し前までは女工哀史など過去の話だと多くの人が思っていた。でも、この頃はどうもそうではないらしい。下記の事例にあるように、15時間労働で休憩30分なら明治時代の女工さんの方がまだマシだったのではないのだろうか。そして残念なことに政府与党にはこうした問題にとりくむつもりはさらさらない…ようにみえる。http://www.mynewsjapan.com/reports/1604http://www.mynewsjapan.com/reports/1585また、かつては大家族制の中で職のない息子や娘が親族に扶養されていたことがよくあった。こうした人は、地方によっては厄介叔母とか厄介叔父とかよばれて、無給の使用人以下の生活をしていた例もあったという。先の戦争でも夫となり得る男性が死亡したため、独身をとおした女性達がいたが、彼女らの多くもそうした途をたどったのではないか。生活困窮者の救済を親族から社会全体で行なうようになったのは一つの進歩であると思うが、それをまたぞろ親族間扶養に戻そうという動きがある。親族間扶養の前提になる家業とか家産とかいったものはとうになく、こうした中で親族間扶養を強調したところで、餓死凍死や家庭崩壊などの新たな悲劇を生みだすだけだろうに。*人類の歴史は大筋ではよい方にむかってきたし、そうしたことを思えば政治の役割は決して小さくはない。ただその政治の方向は自然法則で決まっているわけではなく、それを決めるのは投票を行なう一人ひとりの有権者である。今後、都議選、そして参院選があるが、よく考えて投票すること…ひたすらこれにつきるのではないか。トルコのデモはなぜか大報道するのに官邸前のデモはスルー。そしてひたすら自民か民主か第三極かと煽る。小生はマスコミ報道を信用していないし、最近では正直新聞も読む気がしない。マスコミ報道に頼るよりも、自分自身で、自分の感性で考えることの方がずっと重要である。
2013年06月14日
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世の中でごくごくあたりまえに言っていることでも、よく考えると変だと思うことが多い。規制緩和で経済成長なんていっているのもその一つだろう。例えば薬のネット解禁。そもそも薬の需要自体それほどあるとも思えないし、こんなことをやれば現在活況を呈している街の薬屋さんがどんどん消えていくなんていうことにならないのだろうか。消えるということはそこで働いている人が失職していくわけであり、一方、ネットの販売がそれほど雇用を吸収するとも思えない。何も生みだすわけではないが才気ある人がネットで事業を立ち上げ巨富を得る一方で、多くの人が職を失う。そうしたことが経済成長とどう結びつくのだろう。規制緩和の議論を全面的に批判するつもりはないが、そうした規制緩和が具体的にどういう結果をもたらし、それがどう経済成長にむすびついていくかをきちんと説明してほしいものである。http://d.hatena.ne.jp/kechack/20130607/p1*一票の格差の議論だって同様。普通に考えれば選挙区を小さくすればするほど一票の格差は大きくなる。ならばその一票の格差の弊害をなくすには比例区の比重を高くすればよい。極端なことをいえば全国を一つの比例区にすれば一票の格差はゼロになる。そうした議論を等閑にして、選挙区ばかり議論するおかしさ…。*バカな人間には見ることのできない王様の着物。誰も自分がバカだと思いたくない、思われたくもないから着物が見えないなんていいにくい。有識者が声をそろえて言っていることもそれと同じ。利口な人がみなそういっているからそうなのだろうと思いたがる。そしてそう思えないのは賢い人の議論が理解できない自分がバカなのだろうと思ってしまう。でもしょせんは同じ人間、賢いだのバカだのといってみたって、自分の判断まで預ける必要はない。それに賢い人びとだって、しょせんはマスコミに顔や文章を売って糊口をしのぎ、政府の審議会に名を連ねるのを無上の喜びとし、内心ではバカな庶民をみくだしているような連中も多いのだから。**報道はめっきりなくなったけど紫陽花革命は続いている。よいとか悪いとかではない。そこには教条主義がない、上意下達がない。それぞれが自分の言葉で自分の主張を語っている。だから皆いきいきとし、語りかければ打てば響くように言葉が返ってきそうな様子をしている。
2013年06月12日
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文学は青春のものと思っている人は多い。それってすごくもったいないことではないか。なぜなら青春文学というものももちろんあるのだが、優れた文学の中には、ある程度、年齢をつまないと良さがわからないものも多いのだから。例えば最近読んだ「魅せられた魂」も、出産、恋愛、子供との葛藤、老年、そしてせまりくる死まで描いた女性の一代記である。20歳にもならないコドモには手にあまるテーマばかりである。こうしたものは、いい年をして…というよりも、いい年にならなければわからない。*ただ若いころと今とでは読書のやり方も変わってきた。主人公にひたすら感情移入してハラハラドキドキといった読書体験は正直いってなかなかできない。そういう意味で冒険小説などを楽しむのは若さの特権なのかもしれない。また、SFもついていけなくなってきている。遠い惑星や異次元世界を描いた異世界ものは特にだめである。太陽が三つある世界、自転がなく永遠に昼が続く世界…こうした世界に想像力を広げるのは難しい。一方で年齢とともに、好きになっていくジャンルもある。日本の古典である。高校生の頃はこうした古典を読んでも、どっか勉強の延長(実際にそうであったが)のような感じがして、心から楽しんだわけではなかった。枯淡な世界はどっかものたりなく、風情は感じてもそれだけだったようにも思う。でも今では季節感や無常感など、もっと自分の感覚に近いものとしてみることができる。「蜻蛉日記」に描かれている晩秋の雨の情景や、「太平記」にでてくる自決を強要される北条一族の男の不条理な運命への嘆きなど。
2013年06月11日
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紫陽花革命のバラード…みつけた。どっか懐かしくせつない。すごくいい歌である。ぜひ聴いてほしい。(直接リンクはうまくいかないのだが。)http://www.youtube.com/watch?v=qP3dpsBeEkI&feature=youtu.beこの歌とともに、反原発だけでなく、反貧困、反格差、そんな訴えもどんどん広がっていってほしい。雨にうたれても 咲く花のように 挫けず咲かすのさ 命の花を。*なりすましウィルス事件ではウィルス作成での起訴は見送られたらしい。ウィルス作成での立件が無理なら書込みの立件も無理なのではないか。FBIでの捜査でウィルス作成の痕跡がみつかったとか、猫ビデオとか、雲取山とか、ああいった話はいったい何だったのだろう。とにもかくにもK氏を拘束しておきたい、4人を誤認逮捕した失態から目をそらせたい。まさに中世なみの司法警察である。*皇太子御成婚20年だという。2000年近くも連綿と続いてきた天皇家。歴代天皇や皇族には、すぐれた歌詠みや学問芸術に造詣の深い方はもちろん多い。ただ、天皇はそうした学識を他と競ったり、能力や才能を誇ったりとか、そういうものとはいつも遠いところにいたように思う。小和田家が頻繁に皇太子夫妻にお会いし、まるで準皇族のようにふるまっているのをみると、なにかすごく異質なものが皇室に入りこんでいるようにみえてならない。
2013年06月10日
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ネットではあちこちで書かれているがマスコミにはあまり報道されないという話題がある。国連の人権人道大使という人の暴言などはその一例であろう。マスコミ報道には様々なバイアスがかかるが、スポンサー企業や経済界の意向に並んで、大きな影響力を持つのは取材源、情報源としての官僚の意向である。この暴言についての報道がひかえめなのも、外務省、あるいは外務官僚の影響によるのではないか。報道分野の中でも、特に外交は官僚からの情報によるところが大きい。他の分野では「関係筋によれば…」なんていう報道はほとんどみかけないが、外交分野の報道ではこの表現が頻発する。マスコミの報道はほとんどないが、この人権人道大使の「シャラップ」という発言は、日本語では「黙れ!この野郎」に当たるもので、これをアフリカの大使に向かっていったとなると大問題である。しかも、ここで指摘された弁護人もつけない取調べ、被疑者段階での長期間の拘束など、まったく本当のことではないか。よくマスコミ報道では、日中を比較して、日本は民主主義国、人権重視国で、欧米と価値観を共有すると書かれるが、これすらどうもあやしく思えてくる。*そしてまたマスコミが絶賛するアベノミクス。これもそろそろ化けの皮がはがれてきたので誉めたくても誉められなくなっていくだろう。解雇規制の緩和やホワイトカラーエグゼンプションは、多くの国民をさらに地獄にたたきおとす。アベノミクス、いや安倍のリスクで、さらなる大格差時代、貧困量産時代に突入する。http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/20ac13c6387c1f431bbfef3a63280ca0こんな危機感は多くの人がもってよい。*あと、これもマスコミにはあまり載らないが片山議員の言動についても気になる。お勉強ができてお顔がきれいで天まで持ち上げられて育つとああなるのかなあ…。マスコミもああいうのってやたら持て囃すし。片山議員と埼玉県議の双方のHPは下記サイトに紹介されている。(直リンはうまくいかないので御容赦願いたい。)http://blog.livedoor.jp/u_ono_u/archives/52967624.html埼玉県議のHPでは片山議員の言動を順をおって述べているのだが、片山議員のHPはそのほとんどを件の埼玉県議の容姿や言葉遣いの描写にさいているのが印象的である。
2013年06月10日
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「魅せられたる魂」は戦間期、つまり第一次大戦と第二次大戦の間に書かれ発表された小説である。この時期、人びと、特にインテリ層に大きな影響を与えた出来事はロシア革命であろう。これまでは理論の中にしかなかった社会主義国家は史上初めて地上に出現した。そしてその国家、ソ連は五カ年計画を打ち上げ、力強く発展していくようにみえた。主人公はじめ、主な登場人物も次第に社会主義に傾倒していくが、これは特別なことではなく、当時の知識層ではごくありふれたことだったのかもしれない。別の見方をすれば社会主義と言うものはそれほど古くからある思想である。*資本主義の病巣を指摘したことは今に通じる。平等という理想も人類普遍のものだろう。しかしそこに至る過程、生産手段の国有化により階級闘争を終焉させるという考え方はいかにも古い。科学的社会主義というがその科学自体20世紀初めと今日とでは長足の進歩をとげている。親の資産の多寡が人生にそれなりの影響を及ぼすことは否定しないが、それは別に「階級」などと重々しくとらえるほど決定的なものなのだろうか。低能で怠け者の資産家のぼっちゃんと頭脳明晰な低賃金労働者の息子とでは、後者の方が高収入、高所得となる可能性がはるかに高いのが今日の資本主義社会というものである。別のいい方をすれば、親が持っているものよりも、生まれた時に親からもらうものの方がはるかに重要なのが今日という時代であるということだ。生産手段の国有化といってみたところで、今日の生産手段は土地でもなければほっておくとすぐにローテク化するような工場でもなく、個人の資質と努力で花開く能力こそが最大の生産手段である。そんなものが国有化できるわけがない。*ある政党候補者は若い人々を集めて政治で世の中を変えることを訴えているという。大いにけっこうなことだ。しかしながらその内容をみると、「 科学的社会主義の学習や宣伝、つどい、ゴミ拾いや遠出企画など」とある。科学的社会主義が何を意味するのかはよくわからないけど、もし、マルクスの著作を聖典のように学ぶのなら、それはいくらなんでも時代錯誤的だとしか思えない。20世紀初めの多くのインテリ青年を魅惑した社会主義…。それを今日なお魅惑的なものとし、多くの困窮する人々に希望と誇りを与えるようなものとするためには、教祖の著作の聖典化ではなく、教祖の問題提起や理想を今日に適合するようなものとした考え方が必要なのであろう。
2013年06月09日
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「魅せられたる魂」を読了した。主人公のモデルは高齢の女性評論家という説もあるらしい。そのせいか、若いころの主人公はどっか観念で作った人物のようであったが、洞察力と包容力をもった老婦人になってからは主人公もがぜん生きてくる。物語の終盤に近くなり、主人公が次第に死にむかっていてところの描写がかなり長い。この物語には様々なテーマがあり、それも、おいおい書いていくつもりであるが、宗教と死の受容というものも一つのテーマであるのではないか。*丁寧に、そして詳細に描かれているのは、死に向かい、周囲と、そして世界と一体化していくようにそれを受容していく主人公の心象風景である。主人公は最初から無神論者として設定され、物語中では信仰心篤い人物は頑迷無知な人物と同様にえがかれている。そんな主人公の死生観に大きな影響を与えるのはチベットなど東洋を放浪し、東洋思想に明るいイタリアの貴族である。この人物の登場はやや唐突で主人公との出会いも伏線ではなく、回想として語られる。この人物の口をかりてミラレパの詩などチベット仏教の言葉が語られ、それは主人公に大きな影響を与える。今もそうなのかもしれないが、こうした物語の背景には、当時の西欧インテリの宗教離れと、それにかわる東洋思想への関心があるのかもしれない。解脱や悟りなどとうてい語れるものではないが、作者がそうした東洋思想をどううけとめていたかをみるという意味でも、小説の終章は興味深い。*それにしても、思うのはヨーロッパというのはそれ自体、凝縮した国際社会のようである。日本にいると外国は遠く、外国語は難解きわまりないものだが、物語には、主な登場人物だけでも、主人公らのフランス人、ロシア人、イタリア人、ドイツ人、ルーマニア人といろいろな国籍の人があらわれ、彼らは当然のように複数の言語をあやつる。そして主人公の孫は二つの国語といくつもの名前(同系の名前のジャンとイヴァン、それぞれの愛称のヴァーニャ、ジャーノ等)をもって生きていく。主人公の姓はリヴィエール(川)である。その川にはさまざまな文化や思想が流れ込んでいる。
2013年06月08日
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報道についてスポンサー企業の意向というバイアスがかかることはよくいわれる。マスコミでは広告収入も大きな比重をしめており、その意味で経済界を敵に回すような報道はやりにくいという。同様に、情報源たる政府や官庁の意向に反する報道もやりにくい。だから外交官が国連の委員会で「シャラップ」と怒鳴った醜態も、マスコミではほとんど報道されないし、福島で子供の甲状腺癌が12人も発生した件についての報道もおそらく「パニックをおこすな」という政府の意向によるのだろうが、きわめて控えめだ。政府が検討している「解雇規制の緩和」、「ホワイトカラーエグゼンプション」、「準社員制度の導入」についての報道もほとんどない。これはありていにいえば、身分の不安定な準社員を設け、正社員でも解雇をしやすくし、残業代もタダにしましょうという動きで、労働者の地位をより劣化し、不安定にするものである。多くの人にかかわりのある問題にもかかわらず、これに対する報道が少ないのは政権政党に不利なので報道をひかえているのだろうか。少子化が国難だといいたてる人は多いのだが、5年先、10年先に職があるかどうかわからない状況では、多くの人が結婚し子供を持つなんてことは考えなくなるだろう。まさに少子化日本にとどめをさす制度である。反面、マスコミは、アベノミクスなるものについては絶賛に余念がなく、世の中が明るくなっただの高級品が売れているだのと持ち上げている。もっとも昨今の株安で、そうした賛美も失速気味であり、政権党は参議院選挙が徐々に不安になってきていることだろう。**少子化といえば、出生数が過去最低を更新する一方で、合計特殊出生率は上昇している。団塊ジュニアの駆け込み出産が増えたという分析もあるようだが、むしろ結婚をした夫婦の出生児が増えているのではないか。年齢的に高年齢の出産が増えているのは、第二番目、第三番目の出産が多くなっていることを反映している。つまり家族の在り方も、低所得のために独身という人が多くいる一方で、結婚して子供を持てる層は2人や3人以上の子供を持つという形になりつつあるのではないか。首尾よく高所得の男性と結婚した女性は家庭を安定させるためにも複数の子供をもつことを願うものである。単純に図式化して考えると、半分が独身、半分が結婚して複数の子供をもっている社会と、ほぼ全員が結婚して一人の子供を持っている社会とどっちが安定しているのだろうか。もちろんこれについても優秀な人(往々にして収入は能力と連動するのだが)だけが多くの子孫を残した方が社会のためによいという考えもあるのだろうが…。少子化というのは必ずしも人口構成の問題だけではない。少子化の背景には未婚化があり、独身者の増加がある。そうした意味で、少子化の問題というものは家族の在り方、社会の在り方に連動している。
2013年06月07日
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ある有名な官僚出身の政治家の方がこういったという。「私は自力で大蔵省に入りました」と…。つっこみどころは沢山ある。だいたい自力で大蔵省に入ったのではないのってどんな人なのだろう。大蔵省に入ったのを特権が勲章のようにいっているみたいだが、官僚、特に大蔵官僚は予算配分を通じて国家を運営する重職だ。この発言にはそうした公共に対する責務のようなものはまるでみえない。人が自由に選択できないものは別に親や家庭の経済力ばかりではない。能力、身体、運、すべてそうである。自力で大蔵省に入ったというが、それはたまたまそうした能力や運に恵まれたからであって、普通の人には高度な入試、国家試験などを突破するのは無理である。だからこそこうしたエリートには高い給与が支払われ、国費で留学の機会も与えられる。そして高い能力には、それなりの恩恵とうらはらに責任も伴う。ところがこの発言からすけてみえるのは私、私、私…ただそれだけである。http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/726.htmlhttp://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/778.html*上記で紹介した上のブログにもあるように「貧富格差を正当化するために「私は自力で大蔵省に入りましたよ。…自力で頑張った人と頑張らなかった人に差がつかなかったら、誰も頑張らない」などと事柄の一面だけを言い張り、鬼の首でも取ったように思考停止する輩が、政治家にも、経済人にも、そして学者?にも結構いる我が国の現状。」が悲しい。どうでもよいけど自力で大蔵省発言をきいて、昔の千葉すず選手のメダルをどれというのなら自分でやってみればよいのに…という名言を思い出した。いっちゃあなんだけど、あの発言を聴いたときは、スポーツ選手にはこんな発言をする人もいるのだなと思ったのだが、こうした発言は偏差値的頭脳とはあまり関係ないものらしい。*福島県で子供の甲状腺癌が12人みつかったという。チェルノブイリで甲状腺癌が増えたのは4年後なので事故とは関係ないという報道は変だろう。発症率からすればありえない確率であることは違いないのに、「パニックを防ぐ」ために報道を控えているのだろうか。他の報道の影にかくれてこの件の報道があまりにも少ない不思議。http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/359f386c49f2af24a5bfbcb0078b0fac
2013年06月06日
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現政権に対するマスコミの姿勢は非常に好意的なのだが、アフリカ開発会議についての報道も絶賛一色なのが気持ち悪い。まず、この会議で、兆単位の金を支出することが決まったのだが、これについて批判的論評がほとんどない。100%内需にまわるような生活保護費にはあれほど厳しい目を向けるのに、こうした単に外国にばらまくような金についてはなぜ批判の目をむけないのだろうか。そしてまた報道で目につくのが「中国との差別化」云々の記述だ。中国のアフリカ進出の実態をふまえての論評なのだろうが、そもそもなんのために「中国との差別化」が必要なのだろうか。かりに必要であったとしても、それがこの開発会議の主目的とも思えないし、金を受ける側にしてみれば、相手は中国だろうが日本だろうがどうでもよいに決まっている。さらにいえば、「人権状況に無関係に拠出し中国人が進出するだけで現地の雇用を生まない中国式援助よりも日本の援助の方がアフリカのためによい」という趣旨のことをどの新聞も書いているのが不思議だ。こうした援助というものは、アフリカのためだけに行なうのだろうか。そうではないだろう。利他的な人間がいないように、利他的な国も存在しない。めぐりめぐって自国や自国民の利益になるからこそ、膨大な金を支出する。ならば自国民の「進出」、つまり雇用拡大にも結びつかない支援は支援として愚策である。*中国人の世界進出はめざましく、アフリカの小国にも中国人が万単位で居住し、中には中国人が経済を牛耳っているところもあるという。自国で食えなきゃどんどん世界にでていく中国人と、いい年をした大人が刑務所に行きたくて生活保護窓口職員を刃物で脅したり、親の遺体を隠しての年金詐欺が頻発する日本…。国家としても民族としても完全に負けており、外交分野で中国とはりあおうなんて無理ではないか。常人理事国入り云々も国民にとってはどうでもよいことで、こんなものに税金を使うのはばかげている。アフリカを支援するのはよいが、日本人の雇用拡大や生活向上と結びつくような形で行なってもらいたい。**安倍総理は中国韓国のみならず米国からも警戒の目でみられているという。よい悪いは別として現在の国際秩序は第二次世界大戦から始まっている。戦勝国側が枢軸国を倒したという「歴史認識」の基になりたっており、だからこそ、「ホロコーストが悪いというが英米だって奴隷狩りや原住民虐殺をやったではないか」という議論は無意味なのである。韓国のパックネは米国議会で演説をする機会をもったが、安倍総理にそうした場があたえられたという話はついぞきかない。中国の首脳が訪米すれば、やはり同様に米国議会で演説を行うことだろう。
2013年06月05日
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ときどき訪問する村野瀬玲奈さんのところで「娼婦の嘆き歌」という歌が紹介されていた。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4396.htmlすべてを聴き比べたわけではないが、下記の歌がよい。http://www.youtube.com/watch?v=MbXt7gpRNpU 論理を伝えるのは言葉以上のものはないのかもしれないけど、感情や感性を伝えるのには音楽は言葉以上に力を発揮する。この歌はフランスではかなり広く知られている歌だというが、身の上を嘆く娼婦の悲しみややりきれなさを多くの人がそれだけ共感をもってうけとめているということなのだろう。*昔よく歌謡曲で歌われたような盛り場での男女の人間模様。そうしたものと娼婦というのは明らかに違う。女性の側が最後の選択をできるかどうかという問題である。また日本の農村などにあったおおらかな性と売春とはまた違う。夜這いでも、女性の意思は尊重されていたし、風呂場など屋外にあっても問題はなかった。よい悪いは別にして覗きは大目にみられていたかもしれないけど、風呂場から女性が拉致されるようなことにでもなれば、それは事件であっただろう。売春は人類最古の職業であり、だからこそ必要悪という人もいるが、それをいうのなら奴隷だって人類最古の職業?である。しかし、奴隷を必要悪だなんていう人はいない。拒否する自由のない状況での異性との接触はどういうものであるかを想像してみたい。客の中には嗜虐的な嗜好のものもいるだろうし、他でのうっぷんを金で買った女性にぶつける人もいるだろう。そもそも「人間を金で買う」なんていうこと自体それほど人道に反し、そして心にどれほどの疵を残すか…。そうしたものに思いをはせながらぜひぜひ聴いてほしい。「娼婦の嘆き歌」を。
2013年06月04日
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従軍慰安婦について自民党のある代議士が「当時としては合法だった」という発言をしている。そりゃそうだろう。戦前の日本では治安維持法に基づく投獄や拷問だって合法だったし、国民を徴兵して戦地に送り出すのだって合法だった…。従軍慰安婦というと朝鮮半島出身者ばかりが話題になるが、日本人の従軍慰安婦もいた。また、オランダ人の従軍慰安婦もおり、彼女らの中には米国議会で証言を行なっている人もいる。オランダ人女性が犠牲となったスマラン事件は少数の軍人の個人的犯罪という見方もあるようであるが、軍という機構の中で拘束されていた女性に対して行なったことであるので、兵隊が街にくりだして事件を起こすのとはわけが違う。http://japanese.joins.com/article/460/84460.html?sectcode=&servcode=500*ネットではあちこちでみかけるのに、新聞には日本の「人権人道大使」が「シャラップ」と叫んだことはほとんど報道されていない。相手がアフリカ人ではなく、欧米の有力国の人間だったら同じ態度をとるだろうか。実に恥ずかしい態度だと思う。http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/612.html代用監獄や弁護人をつけない取り調べという指摘は、まさに本当のことではないか。遠隔操作事件で逮捕起訴されているK氏だって、取り調べで弁護人の付き添いもなく、親族との接見もみとめられず、「出口の見えないトンネル」に閉じ込められているような状況がつづいている。
2013年06月03日
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国連の拷問禁止委員会で「日本の刑事司法は中世か?」というアフリカ人委員の発言に対し、日本代表が「黙れ」という一幕があったという。http://koike-sinichiro.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-99bb.html例によって、あまりマスコミでは報道されていないが、人は本当のことをいわれたときに怒ると言う。弁護士をつけない取り調べ。代用監獄での長期勾留。これってみんな本当のことじゃない?*特に、最近の遠隔操作事件でのK氏の件などを考えるとつくづくそう思う。出口の見えないトンネルのような身柄拘束。パソコン類はすべて押収しているのにいったいどんな証拠隠滅のおそれがあるのだろうか。パソコンについて何の知識ももたない母親との接見を立会いの下でまで認めない理由と言うのは何なのだろうか。K氏の件についてはいっそ国連や国際人権機関に訴えた方がよいように思う。裁判所が検察や警察のチェック機能をはたさず、マスコミも沈黙しているような現状の下では。
2013年06月02日
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前回の日記に書いたことは、葉月さんや村野瀬さんがはるかに良く意見をまとめていらっしゃるので、ぜひご覧になっていただければと思う。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1411.htmlhttp://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4389.htmlどんどん世の中が弱肉強食の時代になって、そして力のない者が生きにくい時代になっていけば、どうなるのだろうか。そうした不安感、そしてそうした強者の理論に対する嫌悪感を受けとめるような政治勢力のないのが、まさに現代の病理なのではないのだろうか。**閑話休題。政府は警察での女性活用に力をいれていく方針であるという。採用増や女性警察官の登用のみならず、警察署内に保育所をつくることも検討するらしい。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130530/k10014967431000.htmlこういう話というものは、教条主義思考に頭カチカチの人は、きっと、警察のような重要な分野で女性を登用するなんてけっこうなことではないかと反応するのだろう。男女共同参画バンザイ、女性の能力活用バンザイといったところである。でもよく考えれば警察で女性の活用や登用を目指すと言うだけで、警察官を増やすとか、警察の幹部ポストを増やすといっているわけではない。女性の警察官が増えれば男性警察官がそれだけ減る。女性が幹部ポストにつけばそのポストにつけない男性警察官もいる。適性や能力のある人を男女にかかわらず採用登用するのならよいが、あえて「女性を登用」することで警察力全体、ひいては国民や社会にとってのどんなメリットがあるのだろうか。そこのあたりが見えにくい。よくいわれるような女性被害者の権利保護をいうのなら、マスコミの取材や報道こそが人権侵害の元凶であり、その対策こそが急務であろう。また、被害者や事件関係者の女性の聴取をいうのであれば、女性警察官だから適しているとも必ずしもいえない。別の専門職種の導入などを検討すべき問題ではないのだろうか。*警察には男女以外にも大きな身分格差がある。キャリア官僚とそれ以外の差である。警察官は定年までに警察署長になるのがやっとであるというが、キャリア官僚は20歳での警察署長を経験し、その後も新幹線なみのスピードで出世していく。警察のような現場中心の組織で、こうしたキャリアとそれ以外の格差が、現場の警察官の士気をそいでいる面はないのだろうか。いささか旧聞ではあるが、昔、神奈川県でおきた人質籠城事件でキャリア警官が部下を丸腰で突入させて殉職させた事件があった。女性の登用もけっこうだが、こうしたキャリア官僚と一般の警察官の隔絶した処遇の差異もみなおしてはどうなのだろう。
2013年06月02日
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