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都知事が五輪誘致の演説でライバルのイスタンブールを誹謗した上、イスラム教は偏狭云々といった問題発言を行なったらしい。これで東京五輪という可能性はなくなったのではないか。国際社会で政治家が特定の宗教を中傷するなどタブー中のタブーだからである。都知事は真意が伝わっていないとコメントしているようだが、それでは真意はなんだというのだろう。都知事にかぎらず、日本の政治家や評論家の中には、イスラム教を典型とする一神教は偏狭だとか戦闘的、排他的だとかと言う人は多い。そうではあるまい。偏狭な人間、戦闘的な人間が宗教を利用することはあっても、宗教自体に偏狭なもの、排他的なものがあるわけではない。その証左に、戦前の日本だって現人神だとか神国だとかといって十分に独善的、排他的だったように思う。*閑話休題。最近日記のテーマで格差貧困その他政治ネタをとりあげてきたが、もうやめようと思う。ただでさえゴマメの歯ぎしりみたいでむなしい上、コメントも批判的なものばかり。実態として格差も貧困もやむを得ないという意見に実は反論できないし、なにより唯一、この格差貧困の拡大を反転させるためには、あの政党が躍進するしかないと思うのだが、それも可能性は非常に薄い。どうせ上意下達、教条主義むき出しで、9条礼賛、コソダテシエン、反原発ばかりを前面にだしてミニ政党にとどまるのがせいぜいだろう。まあ、ミズポたんひきいるもう一つの極小ミニ政党はどうせ次の選挙で消滅するだろうし…。護憲も反原発も票になんかなるわけがない。雇用の問題、貧困の問題を訴えるのでなければ、支持率上昇などとても期待できないし、その雇用や貧困の問題すらも、公務員たたき、生活保護受給者たたき、そのうち始まるであろう正社員たたきに対抗できるほどの主張をしないと消えてしまうだろう。*某大企業の社長が年収100万円も仕方がない、日本人の給料も諸外国(途上国)にあわせるといっても反論がさしてきこえてこないこの社会。あの会社の製品を買うのはそういった豊かでもない人々じゃなかったっけ。年収100万円では洋服などは買えない。*憲法9条があったから戦争がなかったなんて主張…一般に通用するなんて思っているのだろうか。こんなこと本気に思っているのだとしたら、それこそ一種の宗教である。憲法9条に戦争をなくすそんな威力があるのなら、北朝鮮との国際法上の交戦状態が続いている韓国やテロが頻発して周辺国に脅威を及ぼし脅威を受けているイスラエルあたりでまっさきに9条を導入することだろう。9条信者の方はこうした国への海外布教をめざしてはどうなのだろうか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」貴方がたの安全と生存を保持しようと決意しなさいと。たちの悪い冗談と受け取られるのがせいぜいだろう。地球上のほとんどの国や民族は侵略や戦争のただならない歴史を有している。「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんていう言葉が一瞬でも説得力をもったのは、終戦直後の日本で、日本も貧しかったが周辺国はもっと貧しく、隣国が核兵器やミサイルを持つなんてことが到底考えられなかったような時代だけであろう。
2013年04月29日
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殺害現場の写真を見た後ストレス障害と診断された裁判員の方が国への法的措置を検討しているという。職業柄そうした写真などに接することの多い警察司法関係者と異なり、普通の市民がそうしたものに接した場合に、様々な問題が起きるだろうことは裁判員制度が発足する前から指摘されていたことだったかと思う。おそらくこうしたものは氷山の一角であり、かなりのストレスを受けながらも黙っている裁判員経験者も多勢いるのではないか。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4293.html*裁判員はくじにより選ばれ、辞退は原則認められない。しかもその当たる確率は70人に一人と以外に高い。一般市民にこうした犠牲を強いてまで「司法への市民参加」を強制する理由がさっぱりわからない。これこそ憲法にいう「苦役からの自由」権の侵害ではないのだろうか。石運びの重労働などなら終わったあとではビールがうまいですむことだが、殺害現場の写真、遺体の写真、そして死刑判決に関与した精神的負担などは、一生つきまとい、ねむれぬ夜や、ことによると人生終末での悪夢を提供するかもしれない。いや、誇張ではない。魏の曹操や平清盛のような豪胆な英雄ですら死の床では自分が殺害した人々の亡霊に悩まされたという。元気な時にはなんともなくても、病気などで弱気になった時、裁判員をやった際に関与した死刑判決や遺体写真が思わぬ精神的負担にならないなんて、誰にいえよう?*裁判官や検察官、警察官はみずから望んでそれを職業として選んだ方達だ。死刑判決に関与する裁判官や検察官は精神的負担も大きいとは思うが、あの人達にはそれにみあうだけの社会的地位が用意されている。「司法への市民参加」という掛け声の下、なぜそういう職業を選んだわけでもなく、そういうものとは無縁に平凡に生きている市民が、遺体写真だの死刑判決だのにまきこまれなければならないのか。その理由がさっぱりわからない。
2013年04月29日
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女子高校生コンクリート殺人の犯人4人が全員出所したという。事件の残虐さと刑の軽さで世間に衝撃を与えた事件であるが、その詳細については下記のHPに記述がある。おそらく気分が悪くなると思うのであまり勧めない。http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/632.html事件が起きたのは1988年。あの頃と今とでは少年事件をとりまく社会の見方も変わった。おそらくネットでも言論が自由に飛び交うようになったことがことが、偽善的建前的なマスコミの論調を突き崩してきたのではないか。あの頃は残虐異様な少年事件が起きると、必ず「社会が悪い」、「学校が悪い」と言う識者がいた。あの事件の時もそれらに加えて「ポルノが悪い」なんてことを大真面目にいう識者がいたものだ。でも現在ではそんなたわごとを真に受ける人はあまりいない。少年事件も厳罰化がすすみ、若妻と赤ん坊を殺害した当時18歳1月の男にも死刑が確定した。そうした方向は是としたいが、少年法そのものの抜本的見直しがすすまないのはなぜなのだろうか。憲法改正についてはあれほど世論調査が行なわれるのに、少年法改正については世論調査が行なわれないのはなぜなのだろう。あれほど法の内容と世間一般の意識の乖離した法律は珍しいと思うのに…。*米兵による犯罪が起こるたびに騒ぎたてる「性暴力を許さない女たちの会」というのがあるらしい。ああいう人達にぜひ聞いてみたいものだ。少年による暴力事件と米兵による暴力事件とではどちらが多く起こっていると思うか、そして少年による暴力事件では加害者のクソガキが戦災孤児や浮浪児が街をうろついていたような頃にできた時代錯誤な法律によって手厚く保護されているが、それについてはどう考えているのか。もしこうした疑問に答えられないというのでは、それは「性暴力を許さない女たち」ではなく、「性暴力をダシにして米軍基地問題を騒ぎ立てる女たち」といった方が正確である。*さて、話は再びコンクリート殺人事件に戻る。この事件は地域の非行少年のかなりの人数が関わっていたり、知っていたりしており、非行歴が知られている芸能人の中にはこの事件とのかかわりを疑われている人が複数いた。詳細は書かないが、そういうタレントで急死した人もいる。死因は、報道ではただ「肺炎」としか知られていない。30歳代のタレントとしての激務もこなしてきた健康な女性が、突然「肺炎」で孤独死するなど信じがたい話だ。これもなにか別の真相があったのかもしれない。
2013年04月28日
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産経新聞が憲法草案なるものを世に出した。マスコミの役割としては僭越と言う気もしないでもないが、それでもあの新聞の立場というか考えを知るうえでは面白い。社説もコラムもこの憲法草案を後押しするようなもの一色だったのだが、中でも正論は憲法草案の底流にある日本の文化の特色について書いている。この中で論者は、日本を同質国家と断じ、家族の役割を強調しておられたのだは、ならば貧富の差をとめどもなく拡大し、家族を持てない人間を量産する新自由主義についてはどう考えておられるのだろうか。そのあたりをぜひ伺いたいものだ。新自由主義やゆきすぎた貧富の格差拡大への警鐘はいわゆる左の論客ばかりでなく、このごろでは右の論客からも聞こえてくる。この論者のいう同質国家日本、家族重視国家日本と新自由主義のむきだしの弱肉強食とは非常に相性が悪い。*そしてもう一つ。産経新聞の憲法草案では天皇を明確に国家の核として位置付けているが、一つ見落としていることがあるのではないか。天皇は自然人であり、自然人であれば寿命もあるし、資質も様々だ。国民の為に祈る天皇…これが日本文化の伝統的(明治以降だけかもしれないが)天皇像だとしても、現実の自然人である天皇がこれを担いきれなければどうしようもない。今の天皇はよいかもしれない。しかし次代の天皇はこの役割を担うことができるのだろうか。特に次代の国母となられるあのお方は…。これこそ天皇制を美化する人も含めて、多くの人が抱いている危惧なのではないか。*憲法については今後も様々な新聞社、出版社、研究機関や個人が草案を出していくことだろう。憲法論議をきっかけにあるべき国の在り方を皆が考えるようになる。それはそれでよいことなのかもしれない。
2013年04月27日
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男性作家の描く女性をみているとなんか女性に対する思いこみというか幻想というようなものがあると感じることがある。「魅せられたる魂」を読んでいるのだが、なぜ作者はこの主人公を女性に設定したのだろうか。もしかしたら母性的な愛を出発点にした人類愛を描きたかったようにも思う。ただそうした無私の愛、無償の愛は母性愛を典型にするのだとしても、女性だけの専売特許というわけでもない。読み進むうちに次第に主人公に共感していくのであるが、それでも無理に作ったヒロインという感じもする。*非常に身も蓋もない言い方をすれば男性作家が思うほどには男性と女性の精神構造は変わらないのではないのだろうか。だから一部の作家の描くそれこそ子宮で考えるような女性主人公にはかえって違和感を感じる。逆に「風とともに去りぬ」のスカーレットにそう快感を感じるのは、通常の作家の描く「男にひきずられ、子供に執着し…」という女性像とは対極をなしているからだろう。単なるあてつけや打算のために結婚し、その相手にもさしてかまける風もない。憧れや恋が単なる幻影であったと知ったときも傲然と去っていくだけだ。アメリカのSF作家のグインは。小説を書くとき作中人物が男性か女性かは全く意識していないという。そんな彼女が書いた実験作が「闇の左手」。性のない種族の住む惑星での物語だが、これを読むと、男性か女性かに二分された思考法の方がよほど不自然に思えてくる。*「魅せられたる魂」でも主人公が生き始めるのは、中年の恋愛を終え、40代を越してからだ。「あなたといると女性といるような気がしない」と登場人物に語らせ、主人公も恋愛でも母性でもなく、義侠心や人類愛?で行動するようになる。ここでようやく作者と主人公が同一化しだしたように思う。
2013年04月26日
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現在読みかけの「魅せられたる魂」。いよいよ場面は第一次世界大戦の激動期に入る。主人公の行動はあいかわらず大胆にして不可解なのだが、これは作者にとって主人公は生きた人間というよりも自分の世界観、思想を表現する手段だからだろう。主人公を女性に設定したのも、母性的な愛から人類愛へという図式がまずあって、そのために、それを体現して果敢に生きていく女性を描くことにあったように思う。まあ、ここまで読んでくれば主人公にも周囲の人にも愛着がわいてくるし、そうさせる筆力はなかなかのものである。*第一次大戦末にはロシア革命が起きる。こうしてみると改めて社会主義というのも古い歴史を有していることを実感する。当時は階級というものが実在していた。親がどの程度資産をもっているかで、受ける教育も違い、その後の人生も決まってくる。そうした時代と今の時代とでは貧困や格差の意味もずいぶんと違う。あの頃には平等を理想とする思想は人々を熱狂させたが、今の時代の不幸は、当時の社会主義のように平等を旗印としながら人々を魅了する思想なり考え方がないことではないか。世界最初の「社会主義国家」はヨーロッパの辺境であるロシアに出現した。これを人類史の偉大な実験でありフロンティアと思った人は多かっただろう。主人公の息子は次第に社会主義に接近していくという。この思想が当時の人に与えた夢、理想…そうしたものを追体験してみるのも楽しみである。
2013年04月25日
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ある会社では社員の給料を世界中で同一にして付加価値のつかない社員は年収100万円でも仕方がないとするらしい。世界同一の給料にしたら結局は多くの社員は途上国の給与水準にあわせることになるのではないか。同じ年収でも途上国と先進国とでは物価水準がまるで違う。基本的な食品などは途上国では安いが日本で同じようなものを買うとなればかなりかかる。ましてや物価高騰や消費税が今後予想される社会で途上国なみの賃金では無理だろう。http://plaza.rakuten.co.jp/kuma050422/diary/201304230000/*憲法改正のスローガンとして最近よく「憲法を国民の手にとりもどす」ということがいわれる。空疎なスローガンに踊る…こんなことを今まで何度繰り返してきたのだろう。政治改革という名の下で小選挙区制が導入され、税制改革という名の下で消費税が導入されてきた。そして最近でも「改革の本丸」といった掛け声の下で、個々の国民にどんな利益があるのかよくわからない郵政民営化が断行され、そのコイズミ改革を選挙民は熱狂的に支持した。この「憲法を国民の手にとりもどす」も3分の2条項を問題にしているようだが、世界のどの国をみても、憲法改正が通常の法改正よりもハードルを高くしているのは当然であり、3分の2も決して突出しているわけではない。それに「憲法を国民の手にとりもどす」と言っている人達の考える憲法改正なるものは国民の権利伸長に向かうものなのだろうか、それともその逆なのだろうか。どうも、緊急事態での国民の権利制限など、どちらかといえば人権の縮小や制限を考えている人々が声高に「国民の手にとりもどす」などといっているようにみえる。これでは「国民」は単なるだしに使われているだけではないか。*どこかの新聞社では「憲法改正に賛成する国民が過半数を超えた」と得々と報道している。しかしよく考えれば「改正に賛成するか反対するか」という質問自体が意味がない。給与を変える、服を変える、憲法を変える…いずれも重要なのは変えるかどうかではなく、どこをどう変えるかが重要である。憲法の具体的条文ではなく、改正条項をまず変えようとするあたり、具体的条文の変更だととうてい賛同を得られそうにないので、まず改正条項を変えてやれということではないか。いわば城を落とすために外堀を埋めさせるようなもので、一種の騙し打ちである。*冒頭にあげた某社長の言葉にもあるように世の中には給与上昇なんていう流れはさっぱりない。かりに給与が上昇するにしたって、今日ではそれとは無縁な非正規雇用者や無業者が大勢いる。それなのに物価上昇と円安、さらには消費税導入をもくろむ安倍政権が高支持率を得ている不思議…。肉屋が包丁を振り回しているのに、まわりの豚達がへらへらと喝采を送っているような不気味さ。そして先のみえない気味悪さ。
2013年04月24日
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統計には一見して想像できるものとは全く別の中味を示しているものがあるのではないか。たとえば都道府県別学力調査の平均値。これだけをみると何県の子供は学力が高く何県の子供は低いという順位を表しているように見える。しかし本当にそうなのだろうか。ここ数年、秋田県の順位が全国一という結果が続いているが、秋田県が高いという理由はよくわからない。平均というものはそもそも極端な値に引きずられやすい。学力テストなら上限は100点までしかないので(その上限のない経済統計では上の方の数値に引きずられるので貯蓄平均、所得平均は実感よりも高めであるが)、平均に影響を与えるのは極端な下位層であろう。そうした視点で学力平均なるものを考えると、なんのことはない、特殊学級に入るか普通学級に入るかといった境界線上の子供がどの程度普通学級に入っているかで、この結果は大きく左右されているのではないか。*同じようなことは都道府県別平均寿命についてもいえる。都道府県別平均寿命と言うのは、その県における年齢別死亡率から算出したもので、その県に住んでいた人であっても、亡くなる直前に住所を移していれば、その県の死亡にはカウントされない。高齢になって元気なうちはA県に住んで、弱ってくればB県に行くという場合は死亡はB県でカウントされるので、A県の老人はなかなか死なないということになる。長野県の場合はどうなのだろうか。また、ながらく長寿県だった沖縄県についても、子供までまきこんだ過酷な地上戦が行なわれた地であり、虚弱な子供はその時に多く犠牲になったので、長寿になるような老人しか残らなかったという話もある。少し眉唾のようではなるが。*統計、数値、いずれももっともらしいのだが、疑ってかかった方がよい場合もある。話は変わるがボストンの爆弾テロ。チェチェンだのイスラム過激派なのと筋書きどおりのような展開なのだが、あの兄弟は本当に犯人なのだろうか。家族がいたり、医学を学んでいたりと、どうみても破壊衝動に突き動かされる境遇にいたとも思えない。こう書くとなんでも疑うなんていわれそうだが、本当に疑いたくなるのである。イスラム過激派と言うけど、イスラムにそうしたカルト的な宗派があるという話はきかない。そしてイスラム教自体はユダヤ教、キリスト教に近い宗教(聖典を一部共有)であり、「殺すなかれ」の十戒も共有している。(十戒どおりにいかないのはイスラム教も他の宗教も同様である。)
2013年04月23日
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日本が今よりも元気がよかった時代にはやった歌がある。その名も「明日があるさ」。何番だったかに、「フランス人の上司がきて言葉が通じない、これはチャンスだ、勉強しよう」というのがある。何か職場で困難があったとき、これを機会に勉強しようという人と、はてしなくおちこんでいく人と大きく人は二通りに分かれる。あの頃は前者のタイプが多かったように思う。最近、見聞きするのは後者のタイプが多いのだが、これも個人的な見聞きの範囲で一般化できないのかもしれない。*またこんな話をきいた。アニメの声優のライブに熱中している30代男性だが、親と同居しているため自由になるお金は潤沢にある。職業は工場の派遣労働者。いろいろと大変じゃないのと聞くと「いわれたことだけをやっていればいいので気楽でいいよ」という。親にも自宅や畑があるので、両親が先立たれても困ることもないのだろう。非正規雇用者や低賃金労働者が増えるのになぜあの党の支持率がのびないのだろう…かねがね不思議に思っていたが、こういうのがけっこういるということであれば、むべなるかなである。*震災の余震がやまない頃、揺れがくるたびにひやひやしたものだ。ただ、職場で一番大きな声を出して怖がっていたのが30代半ばの男性社員。古い人間なのかもしれないけど、男というものは恐怖とか不安とかそういう感情を外に出すのを恥じるものだと思っていたので、すごく変な気がした。*国家は国民から構成される。民族も抽象的な民族が実在するわけではなく、その民族を構成する個々人こそが実在だ。国家や民族が興隆していくときと衰退していくとき、まず起きるのはそれを構成する個々人の質の変化ではないか。日本人の質は変わっているのだろうか、それとも変わっていないのだろうか。
2013年04月22日
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ときどき「え?」と思うニュースがある。京都駅のホームレスのニュースもその一つだろう。ホームレスが京都駅の一角を占拠し糞便を垂れ流した生活をしているが、「人権」の問題があって排除できないという。http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130420/wlf13042012010008-n1.htmこの記事を読んで一番違和感を持つのはやはり「人権」の部分だ。このニュースで、一番人権と遠いところにいつのは誰なのだろう。糞便にまみれて24時間寝ころんで暮らしている当のホームレス自身ではないのだろうか。そして二番目に駅員であり、悪習に悩む通行人であり、観光客であろう。普通人間は糞便にまみれて暮らしたいとは思わないので、そうなっているのは心身の病による可能性が高い。ホームレスをホームレスとしておくのが「人権擁護」ではなく、排除以外の適切な対策をとることが人権擁護のはずである。京都駅といえば外国人観光客も多く訪れる。糞便にまみれたホームレスというのは強烈な印象をあたえるはずだし、日本の国家としての体面にもかかわることだろう。普段「国家」だの「愛国心」だのを声高に言っている人はどう考えているのか、ぜひ聞いてみたい。生活保護削減、親族扶養の強化、解雇規制の緩和等による雇用の不安定化、ブラック企業の野放し…こうした施策はなんのことはない。ホームレスを激増させる施策である。そしてホームレスはその劣悪な環境や高齢故に心身の健康を損ないやすい。糞便にまみれた生活をするのもでてくることだろう。*動物は排せつ物の匂いで自己の縄張りを仲間に知らせる。人間も動物である以上、排泄物の匂いを嫌うのは本能というものなのかもしれない。なぜならその排せつ物の匂いは、そこが他者の領域であり、入ってはいけない場所であることを示しているのだから…。同様に腐敗臭もそれが食べてはいけないものであることを表し、酸味、苦味などの不快な味覚も毒などの指標になる。こうした匂いの中でも人間が最も不快に感じる匂いは死体の匂いであるという。死体があるような場所は危険がある場合が多い。だからそうした匂いを感じると本能的に近付くのを避けるようにできている。ただ糞便の中で暮らすホームレス同様、24時間そうした死臭の中で暮らす人もいる。親の遺体を放置して年金を詐取しているような人々である。こうした犯罪については犯罪を憎むと言うよりも、その背後に広がる荒涼とした貧困になんともやりきれない思いがするものである。
2013年04月21日
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北朝鮮の崩壊はその可能性ではなく時期の問題になっているという話もある。たしかに窮乏する経済、続出する脱北などをみるとあの体制が続くとも思えないし、現在進行中のミサイル発射騒ぎも国内引き締めを図る指導者の窮余の一策にもみえないこともない。*おりしも英国の雑誌には、北朝鮮崩壊のコストは膨大なものとなるという趣旨の記事が掲載されたという。ことめあたらしい話ではないが、南北朝鮮の経済格差は東西ドイツの比ではないし、監視社会であった東独に比べても北朝鮮の暴政は酷い。ドイツでは統一後、東独政府高官に対する処罰等の動きはなかったようだが、もし北朝鮮における公開処刑や収容所での虐殺が真実だとしたら南北統一後には確実に北政府高官に対する責任追及が問題となる。そうしたこともあって北朝鮮の政府中枢では「体制崩壊」を極度におそれている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130420-00000001-rcdc-cn*北朝鮮ばかりではない。おそらく韓国も本音では北朝鮮との早期統一など望んでいない。北朝鮮が改革開放政策をとり、経済が発展した後の平和裏の統一…それこそがKoreanにとってのベストだろうが、そううまくいくのだろうか。ベトナムのドイモイは統一後であったが、北は、もしやるとしても分断国家の方割れとして改革をやらなければならない。そして改革開放の過程では豊かな韓国の日常生活の情報もどっと入ってくる。ヨーロッパで西の情報が東の崩壊の引き金となったようなことが、北朝鮮でもきっと起きることだろう。*北朝鮮はいずれ崩壊する。韓国人は統一を望まない。じゃあ、どうなるのだろうか。崩壊した北は中国にのみこまれるという構図が一番可能性があるように思う。*余談だが今の北朝鮮に最も似ている国は戦前の日本であるという話もある。国家神道による天皇崇拝とチュチェ思想による金一族崇拝、そして激しい相互監視と弾圧とくればたしかに似ていないこともない。ただやはり違うと思うのは金一族や政府高官の豪奢な生活である。これはむしろ朝鮮王朝時代の伝統ではないのだろうか。宮廷女官チャングムでは朝鮮宮廷料理が話題になった。でも日本には天皇家にも将軍家にも宮廷料理のようなものはない。今の日本では宮中晩さん会のメニューはフランス料理であり、天皇の正装は洋服で、迎賓館はベルサイユ宮殿風である。これは日本に誇るべき食文化や住居文化がないのではなく、支配者のために特別に豪勢な食事や衣服、住居が考案されてきたという伝統がないからであろう。北朝鮮の体制は日本の統治時代に淵源があるのではなく、先祖返りをした朝鮮王朝の体制に一党独裁政治の個人崇拝が合体したものとみるのが正確なのかもしれない。
2013年04月20日
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日本の人口が減少幅最大を記録したという。昭和30年代40年代には人口が毎年100万人くらい増加していった時期があった。今度はその逆が起きるということだろう。そういえば最近ちょっと郊外にでれば空き家がめだつ。住民がいなくなってそのまま放置されたという感じだ。今の高齢者はまだ結婚が当たり前、子供がいて当たり前という世代だったが、そのうち、独身者の多い世代も高齢化していく。空き家ばかりではなく、孤独死なども激増していくことだろう。一方でこれほど高齢化がすすみ、若者は減っているはずなのに。若い世代の就職がさっぱりよくならないのはどういうわけなのだろうか。終生数も過去最低を記録したという。そりゃそうだろう。成長しても就職もできないような社会ならいったい誰が子供をもとうなんていう気になるだろう。ハイリスクローリターンのことなど誰もやりたくない。親を殺害する40代無職。親の遺体を放置して年金を詐取する50代無職。こんなのは別にたまたま不出来な子供が生まれたわけでもなければ、子育てを誤ったというわけでもない。職もなく、1日無為にすごせば人間どっかどっかおかしくなる。自分だってどうにかこうにかまともに「人間」になれたのは、職場でさんざん嫌なことも含めて経験してきたことがある。若いころは生意気で世間知らずに自分で思っても本当に欠陥が多かったのだから。余談だが最近よく聞く「ひきこもり」という言葉にもすごく違和感をもつ。職がなく、その就職自体を諦めればひきこもるしかないのではないか。ましてや生活保護受給者がパチンコに行くことすら批判される時代だ。無職なのに、遊びに出歩くなどとんでもないと考える人は多い。「ひきこもり」というのはいうなれば失業問題である。それなのにそれを「就職をあきらめた失業者」とよばずに「ひきこもり」とよぶと、精神病理の問題であり、本人の側の問題であるかのように錯覚してしまう。コンビニいってもスーパーにいっても店員やレジには外国人が実に多い。日本人のアルバイト希望者はいないのだろうか。何かああいうのをみると、あんな場でも外国人が日本人の職場を奪っているようにみえる。
2013年04月19日
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いろいろな本を読んできたが途中で投げ出した本というのもけっこうある。高校生の頃に読んだ「ジャン・クリストフ」もその一つだ。なんか全体に教訓めいていることと、翻訳調の文章にどうしてもついていけなかった。そしてまた次々と恋人を作り成長(?)していく主人公についても、単なる面食い(男はそういうものといえばそうなのだが)にしか思えず、主人公にもその相手となる女性にも魅力を感じなかった。*いままた同じ作者の「魅せられたる魂」を読んでいる。図書館で借りての読書であるが、全三巻のうちの最初の一巻をようやく読み終わった。一巻はそれなりに年期が入っていて汚れたページなどもあったのだが、二巻目を借りてみると、なんと全く読まれた形跡がない。栞紐などもきれいにおられたまま中央の頁にはさまっている。これってそれだけ途中で投げ出した人が多いということではないか…。まさに死屍累々。たしかに読みづらい翻訳調といえば翻訳調(おそらく原文の文体の特徴だろう)だし、主人公が作者の思想を語る手段のようになってしまって魅力に乏しいところも疵といえば疵である。動乱の時代を自立して生きる知的な女性のアンネント。でもこのヒロインがスカーレットやノラ、そしてニーナのように小説の枠を超えた象徴的ヒロインになりえなかったのもいまいち魅力に乏しいせいだろう。*ただ、小説の途中棄権については別の要素も考えられる。それは読者の年齢である。小説に出会うのも適齢期のようなものがあるのではないか。「魅せられたる魂」も昔読んでいたら間違いなくとっくに投げ出していた。未婚の母となる選択、その後の中年期の恋愛、成長した息子との確執などは、興味ももてなかったし、共感などとてもできなかっただろうから。最後まで読了できるかどうかはまだわからないが、こうした古典文学を学生時代だけで卒業してしまうのは本当にもったいない。
2013年04月18日
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村野瀬玲奈さんのHPに紹介されていたSerpent_Rouge @Serpent_Rouge さんという方のつぶやきが秀逸である。http://muranoserena.blog91.fc2.com/自民党、維新に投票された貧民、ど貧民の皆さん。アベノミクスで収入はアップしましたか? オスプレイで給料あがりましたか? 憲法改定したら給料あがりますか?生活保護の人をいじめたら給料あがりますか? 円安で物価上がって嬉しいですか? TPPで医者にかかれなくなるの嬉しいですか?今度の参議院選挙では憲法改正条項を争点にしようという動きがあるらしい。どうせ「環境権」を憲法にもりこむとかどうでもよい話が前面にでるのかもしれないけど、憲法改正の本当の狙いは環境権ではないだろう。それなのに憲法改正を主権者の手にとりもどせ…みたいなまやかしの議論が大手新聞などによってどんどんと発信されている。争点を決めるのは国民だ。消費税、円安政策、解雇規制の緩和などの労働法制の在り方。生活に密着する問題こそを争点とし、それにどんな政策を主唱しているかを基準にして投票すべきであろう。*真面目に働いている人のことを考えれば生活保護削減は当たり前という議論があるらしい。真面目に働いて貧乏な人と生活保護受給者は別に対立関係にあるわけではないし、前者だってふとした不運でいつ後者になるかもわからない。…なんというか弱者同士を反目させて、結果的に両方を下げるような議論が横行している。いったい誰がこんな議論を煽っているのだろうか。**ボストンマラソンのテロはアルカイダのようなテロ組織の犯行と思っている人が多いようだけど、ああした爆弾テロなら個人でもできるし、案外社会に不満をかかえた個人の犯行という可能性もあるのではないのだろうか。報道では現場から真っ先に逃げた中東系の人物が疑われているようだが、爆発があれば逃げるのはあたりまえ、中東系だから疑うというのも思いこみというものであろう。米国の象徴のような貿易センタービルとは違い、今度の標的はマラソンを楽しむ幸福そうな人々である。
2013年04月17日
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ようやく維新人気にもかげりがみえてきたようだ。「実行力のある政治家」があらわれて何かやってくれる。閉塞感を打破してくれる。社会が沈滞するとこうした願望にのって人気急上昇する政治家がいるようだが、こうしたものの多くはむしろ不幸な人をより不幸な方向にひっぱっていくことが多い。ちょっと前までは朝のワイドショーでは橋下氏の映像をこれでもかこれでもかと流していた。さっそうと歩く姿。演説する姿。テレビで印象に残るのは話の内容ではない。ビジュアルから受ける漠然とした印象である。何かやってくれそうな…橋下像はこうして作られたマスコミと視聴者の共同作品なのだが、これも賞味期限がきれてきたようである。
2013年04月16日
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ロマン・ロランの「魅せられたる魂」を読んでいる。そうはいってもまだ半分にも達していないし、最後まで読了できるかどうかもわからないのだが…。実はこの本、昔も手にとったことがあったのだが、読む気にならなかった本である。挿絵だけをぱらぱらとめくって20世紀初めのパリの雰囲気などを想像したりしていた。なぜ読む気になれなかったかといえば、帯に書いてあった「母性愛から隣人愛、同胞愛、そして人類愛への魂を昇華させていく主人公の物語」とたしかあったからであった。妙に教訓的なものを予想したばかりでない。子供だったのではっきりと言葉にだして考えたわけではないが、身近な人を愛する心の働きと同胞や人類を愛する心の働きは全く別ではないか。もちろん人類全体を愛する方がはるかにたやすい。*実際の政治家や評論家などをみても、「人類愛」を語る人は宇宙人といわれるあの人くらいしかいないのだが、同胞愛や国への愛を語る政治家で、実際の生身の日本人を愛している人がそれほどいるとも思えない。一方で「日本への愛」を語りながら、貧困を自己責任と切り捨て、劣悪な労働環境や低賃金を放置するのって矛盾ではないか。それで、「日本」への愛とか「愛国心」とはいっても、「日本人への愛」とか「愛国民心」とはいわないのだとしたら、それはそれで納得できるのだが。他の立場の政治家や活動家にしても同じようなものだ。「虐げられた人々」や「広範な労働者階級」(まあ死語だけど)への愛を語っても、目の前にいる「同志」に対しては嫉妬や反目をむき出しにする。*今まで読んだところでは主人公アンネットの「愛」はまだ母性愛にとどまっている。自立した知的女性の物語などだが、正直いってどうも主人公の魅力に乏しいように思う。そもそもシングルマザーとなった心理自体が不可解だし、あえてそうした生き方を選んだ女性が、その後、現れた恋人達には結婚を望むのも、わかりにくい。また、主人公にかかわる男性達も男の狡さや身勝手さをむき出しにしたタイプばかりで、リアリティはあるのだが、なぜ主人公がそれほどに惹かれるのかがよくわからない。ただ、物語はいよいよ第一次世界大戦の勃発と佳境に入っていく。この物語の感想は(最後まで読み終えればであるが)あらためて書いてみることとしよう。
2013年04月15日
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おなじみの国民的漫画のサザエさんであるが、実はマスオさんは大変なエリートなのだという。たしかに30歳代で正社員で係長。専業主婦の妻と子供がいて、それでいて生活に困っているふうもない…こんな人はあまりいないのではないか。でもそれをいえば、連載当時はダメ人間の典型のように読まれていた漫画「ダメおやじ」の主人公だって実はかなりのものである。それなりの規模の会社の正社員で専業主婦と三人の子供がいる。ちゃんと給料を家にいれてリストラされるふうもない。美人の長女に自分そっくりの長男、秀才の次男。まったくもってうらやましい。いったい何が「ダメ」なのだろう。ダメおやじだけではない。浜ちゃんもフジ三太郎もまっぴらくんも大手会社の正社員だ。休日もちゃんとあるし、失職のおそれもなさそうで…それこそ人もうらやむ立場だろう。サラリーマンだけではない。「魔法使いサリー」ちゃんのお友達のヨシ子ちゃんのお父さんはタクシー運転手だけど、ヨシ子ちゃんにお母さん、それに三つ子の弟達を養っていた。今だったらそんなのはちょっと無理ではないか。額面の上ではずっと貧しかった昭和30年代や40年代。でもよく考えるとどっちが豊かだったかわからない。そういえばその頃の人事院に勤めていた方の随想を何かの本でよんだことがある。公務員志望者が民間に流れてしまうということが大問題だったようだ。以下に公務員に志望者を集めるか…なんてことがいろいろと書かれていた。学校をでれば就職があってあたりまえ。結婚するのもあたりまえ。子供がいるのも、その子供を養っていけるのもあたりまえ。本当によい時代だった。
2013年04月14日
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最近ある結婚式に行く機会があった。こじんまりした式場でのキリスト教風?の結婚式。参加者に配られたのはイニシャル入りのキャンドルとレースのように切った紙につつんだ集合写真。そして引き出物は実用的なバスタオル。心のこもった暖かい式だった。こんな時代…新しい家庭を作っていくのは本当に大変だろう。若い二人に幸多かれと祈らずにはいられない。*安心して結婚して家庭をもつためには、明日の仕事があるだろう、収入があるだろうというあてがないととてもできない。だから、正規雇用者に比べ、非正規雇用の男性の結婚率は非常に低い。今、政府が検討している解雇自由とする労働法制の改正。こうしたものが実現したら、とてもではないが、結婚して子供をもつことなど怖ろしくできない。もちろん地球上には流動性の高い社会というものもあるが、そうしたところではたいてい失業給付なども充実している。よいとか悪いとかの問題ではなく、いわば安心して失業できるから、使用者も安心して解雇できる。ところが今の日本で、進行中なのは、生活保護の厳格化や親族扶養の強化であり、失業給付ももともとそれほど手厚くない。*昨今のアベノミクス礼賛報道のうさんくささ。解雇自由とする労働法制の改正案に対する報道の少なさ。いくら「権力の監視」とか「社会の木鐸」とかいった言葉がマスコミについては死語になって久しいといったって、昨今の政権に対する新聞報道のヨイショぶりはいきすぎではないか。サッチャー氏の訃報にしても、礼賛一色で新自由主義のマイナス面を没却した報道はやはりおかしい…。
2013年04月13日
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憲法改正条項を争点化しようという動きがあるようだ。改正の中味ではなく、まず改正条項から…というのも詐欺的だが、これと同時に忘れてはならない視点がある。それは小選挙区制の下で選挙結果と民意の乖離が大きくなっているという点だ。小選挙区制はその構造上、「死票の山」を築きやすいということばかりではない。小選挙区制の下では事実上当選できそうな候補が限られるため、投票率も低くなりがちである。こうした中で過半数の議員と言ったって、実際のところどれほどの民意を代表するというのだろうか。憲法改正条項が争点になれば環境権の導入とか何とか権の導入とか口あたりのよい奇麗ごとが並べられることだろう。でも、憲法改正条の改正の本音は環境権などにはない。**遠隔操作ウィルス事件で、今度は幼稚園襲撃予告で再逮捕が行なわれたという。逮捕し、勾留期限が切れるころを見計らって再逮捕し、ということが3度くらい繰り返されているわけでわけであるが、こうなると目的は単に勾留期間を長引かせることだけだろう。サーバーにウィルス作成の痕跡なんていったって、素人にはなんのことだかさっぱりわからず、こうした証拠が本当に被告人とウィルス作成を結びつけるものなのだろうか。派遣先の会社のサーバー云々といったって、会社が大きければ社員だど何千人もいるだろうし、それにそもそも派遣社員が派遣先の会社のパソコンで勝手なことができるとも思えない。こうしたあたりをきちんと検証するのがマスコミの役割ではないかと思うのだが、マスコミもこの事件に関する報道はものすごく縮小している。パソコンもとっくに押収しているし、いまさら証拠隠滅のおそれがあるとも思えない。長期勾留の目的はただ一つ。被告人のKさんを精神的においつめて自白をとりたいのだろう。一片の自白さえあれば裁判は持つ。一審に無罪となれば控訴すればよい。二審も無罪なら上告する。知恵遅れの子供の数年後の証言をもとに25年間裁判が続いた甲山事件とどうしてもだぶってみえてしまう。あの長期裁判で奪われ踏みにじられたものは被告人の女性や偽証罪で逮捕起訴された関係者の人生。救われたのは稀代の冤罪をでっちあげた警察官や検察官の人生であり、名誉だろう。25年もたてば、彼らは無事に退官し、勲章でもらっている。今度の事件も「真犯人」がいなければ4人もの人間を誤認逮捕した警察検察への批判はやむことはない。「真犯人」を逮捕し、起訴し、そして裁判を長引かせること。これがなによりなのだ。人のうわさも75日というが、この事件に関する最近のマスコミの沈黙もまた不自然である。
2013年04月12日
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不思議でならないことがある。某女性政治家(ただし現在は落選中)の家族、敵、使用人発言は広く人口に膾炙している。どこでの発言か、どういうシチュエーションでの発言かは全く考慮されないまま…。これにたいして今をときめく某政治家がれっきとした出版物の中で書いた政治家観についてはなぜあまりふれられないのだろうか。ネットではしょっちゅうみかけるが、マスコミでこれがとりあげられるのはみたことがない。(引用開始)「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。....別に政治家を志す動機付けが権力欲、名誉欲でもいいじゃないか!....ウソをつけないヤツは政治家と弁護士になれないよ!嘘つきは政治家と弁護士のはじまりなのっ!」(引用終了 引用元 橋下徹著『まっとう勝負』) http://thot-diary.cocolog-nifty.com/gukumatz/2012/06/post-c8fe.html*一般論であるが、弱者から這い上がった政治家は弱者には冷たいという。自分が努力してここまできたのだから、他の奴らはなまけもののダメなやつらに違いないと思うわけである。ただ、そもそも「這い上がって」これるような人間が弱者なのだろうか。今は身分社会でもないし、様々な選抜の場でも問われるのは個人の資質や能力であって、出自が問題にされることはほとんどない。能力や運に恵まれてきたことの幸運、そしてその陰には多くの人が自分を支えてきたことへの謙虚な感謝。こうした感覚は、なまじ親が「弱者」であればあるほど、自分一人の努力を過大評価してしまって希薄になるものなのかもしれない。*今度の参議院選挙では「憲法改正条項」が争点になるという説もある。憲法改正条項は憲法改正の中味ではない。憲法改正の中味を争点にすると勝ち目がないので、まず憲法改正条項をいじるというのは詐欺的手法ではないか。本当に争点にすべきはもっと別の問題だろう。例えば政権内部で検討されている解雇規制の緩和。これなどは多くの勤労者の生活に直結するし、社会全体のあり方を変えるかもしれない話だ。空洞化している労働者保護の問題も同様。連続して何十日も休みがとれないなど途上国でもあまりないような過酷勤務がまん延している。こうしたことはあまり政治問題としてとりあげるところがないだけで、本当にこれを訴えていく政治勢力があれば多くの人をひきつけるのではないか。雇用、就職、賃金、労働環境。こうした問題について困っている人、疑問に思っている人は多い。「反権力」に酔って中央の話、上からの話をオウム返しに繰り返すだけの演説なら年末年始にあらわれる「神は蘇えった」のなんのという宗教団体の演説と変わらない。もっと聴衆の方を向いて自分の言葉でなぜ語らない?たぶん貴方がたを支持するような人の聞きたい話は自分には無縁(そもそも不安定雇用や低所得では結婚なんて無理だから)なコソダテシエンや綺麗ごとのような9条賛美、そして直接関係のない沖縄の基地の苦しみなどではない。
2013年04月11日
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サッチャーは鉄の女といわれていたが、これは「鉄で防備した家に住まないと危険なほど悪いことばかりした女」という意味もあるらしい。絶賛一色のマスコミ報道だけではなく、こういう見方もあるということだ。http://yokodo999.blog104.fc2.com/*マスコミが絶賛一色といえば、他にもアベノミクスなるものがある。市場に通貨をまけば株価も含めてものの値段が上がるのはあたりまえのこと。給料が増える気配はさっぱりなく、それどころか最低賃金とも連動する生活保護や公務員の賃金などは政策として切り下げている。これでどうやって国内消費が伸びるのだろうか。これで物価が上がり消費税もやってくれば、デフレの低物価でようやく暮らしていた低所得層からまず生活が破たんしていくことだろう。やたらに好意的なマスコミ報道の背景には政権政党による一種の籠絡があるのかもしれない。そういえば総理はマスコミ幹部とさかんに会食を行なっているという。http://plaza.rakuten.co.jp/mz5na/diary/201304090000/メシをおごってもらったら悪く書かないなんていう単純な話ではないのだろうが、そうした機会があっても誇示するというのも、マスコミ人の矜持ではないのか。まあ、「権力の監視」なんてのは、「社会の木鐸」同様、マスコミに関してはとっくに死語になっているのだが。
2013年04月10日
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サッチャー元首相が亡くなった。報道では賛辞一色だが、おそらく歴史の審判では結局のところ否定的評価をされるのではないか。これからの課題は格差と貧困。その格差と貧困の拡大に途を開いた元凶として、たぶん悪名だけが残ることになりそう…。もちろん彼女個人は頭脳明晰で非凡な政治家であることは間違いないのだろうけど。頭脳明晰で非凡であるということと、その政治家が善をなすか悪をなすかは全く関係ない。それにしても、故首相への賛辞の中に新自由主義礼賛が混じっていることが気になる。*英国の暴動にウォール街の反格差デモ。日本の「あじさい革命」をこれに入れていいものかどうか迷うけど、格差や貧困に対する不満の噴出は何度もくりかえされることだろう。冷戦崩壊のときは「資本主義が勝った」というのが共通理念のようだったが、本当にそうなのだろうか。資本主義もまたゆきづまりつつあるようにもみえる。**最近なぜか報道がない遠隔操作事件。でもK氏の自由は奪われたままで、これが冤罪だとしたら途上国並みの人権侵害が白昼堂々進行中ということになる。この事件を追っている八木啓代氏のブログが興味深い。http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/
2013年04月09日
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子供の頃読んだ歴史の本にはピラミッドや万里の長城についてたいていこう書いてあった。古代には国王が絶対的な権力をもって民を苦しめ、こうした巨大建造物も国王が民を酷使して作ったものである…と。そしてこんな記述の横にはたいてい鞭うたれながら働かされる奴隷や民衆の絵が描かれていた。だから、ピラミッドや万里の長城だけではなく、我が国の巨大古墳も王の権威を誇示するために民を奴隷のように使って作ったものだと思っていた。*ただこうしたピラミッドについては国王の権威を誇示するというよりも、最近では失業対策ではなかったのかという学説もでているという。実はこちらの方に説得力があるのではないか。ピラミッドや長城建設で働かされる人々はただ機械のように酷使されていたわけではない。食べ物が支給されていた。古代社会でも人口が増え、農地や家畜が足りなくなれば、そこに必ず遊民が発生する。遊民をほおっておくと、無頼の徒になり、ときには反乱をおこしたりもする。そうした無頼の徒に目標と食料を与えるのが巨大建造物建設の目的だったというわけである。古来から、救貧対策と並んで失業対策というのは、為政者の大きな課題であったということであろう。**有名野球選手の親は「努力できるのも才能」という名言をいっている。たしかに人間の中にはその「努力」のできない人というものがいる。
2013年04月08日
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ある日の七詩さんと友人のムメイさんの会話。ムメイ 安倍総理はよくやっているね。アベノミクスで株も上がっているし、景気もよくなるようだよ。七詩 うん。そりゃ株もあがるよね。市場に金を撒けばお金の価値も下がるからねえ。でも、あなたが株を持っていたなんて初耳だよ。ムメイ いや、株は持っていないけど。七詩 じゃあ、なんで株が上がったなんて喜んだの?ムメイ 株はもっていないけど、景気がよくなれば世の中が明るくなるじゃない。七詩 そうかなあ。物価上昇に消費税。どうみてもそんなことにはならないような。ムメイ でも景気がよくなれば収入も増えるんじゃないの。七詩 そういえばムメイさんのとこの会社も株が上がっていたけど、給料は上がりそう?ムメイ いや、私のような下っぱはとてもとても。でもそのうちにはきっと上げてくれると思うよ。七詩 そのうちっていつのこと。物価も消費税も上がったあとじゃないの。それにそのときまで、あんた会社にいるの?ムメイ それはそうとして…安倍総理は強い日本を作るみたいで頼もしいじゃない。この頃、中国にも韓国にもなめられっぱなしでくやしかったし。七詩 ああ、国防軍の話ね。あの国防軍って誰が入るのかなあ。ムメイさんが入るわけではなさそうだし。軍隊って実際に戦場に行くわけだよね。手足がふっとぶことだってあるし…そういうのに志願する人っているのかなあ。こういうのに賛成している人って政治家も含めて自分がそれに入るなんてことは考えていないんだよね。そういえば…ムメイさん、息子さんの就職決まった?ムメイ いや、なかなか決まらなくて、こっちも給料が安いので生活が大変で大変で。七詩 そう。これから物価も上がり、消費税も上がったらとてもやっていけないんじゃない。これから行き所のない若い人が増えていくから大変だね。**それから何年後の七詩さんとムメイさんの会話七詩 この頃、世の中がぶっそうだねえ。まあ、これだけ食うや食わずの人ばかりが増えれば仕方もないけど。ムメイ でも日本の貧困はアフリカよりはずっといいというよ。不満を持つ方がおかしいのさ。七詩 そうそう。この頃はテレビでも新聞でもアフリカの貧しさばかりを紹介しているね。子供なんか学校ぐるみで「アフリカの食べ物のない子供を助けよう運動」なんてやっているしねえ。 ムメイ 日本はアフリカのように飢え死にしないだけでも感謝しなくっちゃね。七詩 やれやれ。上見て暮らすな下見て暮せ…か。たしかにそれをいえば生きているだけでありがたく思え、縄文人よりずっとよい生活をしているなんていうことを言う人もきっとでてくるよ。政治家とか政府の審議会委員の中でね。
2013年04月07日
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そんなに遠い昔のことではない。政治改革という言葉がさかんに世に喧伝されたことがあった。政治改革、政治改革…この言葉はいつの間にか「小選挙区制の導入」にすりかえられていった。死票の山を築く小選挙区制がなぜ政治改革なのか、そこのところをつきつめた議論は本当に少なく、ただ、小選挙区制にすれば同じ政党同士の候補者の「同士討ちや」がなくなるので政策本位の選挙になるともっともらしく語られただけだった。さて小選挙区制の導入で本当に政策本位の選挙とやらが実現したのだろうか。そんなことはなさそうだし、そもそもそんな検証すらなされていない。誰もが賛同する目標を提示し、そのための方策を巧妙にすりかえる。*アベノミクスだって同様ではないか。不況脱出がいつの間にか物価上昇にすりかえられている。大企業ですら賃金を上昇させないということなので、中小企業はなおさら期待できない。ましやてや年金や貯金で生活している人や非正規雇用者は物価上昇の痛みだけをひきうけることとなる。これに消費税が加わったらどういうことになるか。考えただけでも怖ろしい。だいたい今日ではほとんどの貯金生活者は優雅なものではないだろう。失職や低賃金で過去の貯金をとりくずしてようやく暮らしており、その実態は生活保護以下(生活保護受給のためには貯金も金目のものも手放す必要がある)という人も多いはずだ。アベノミクスはありていにいえば弱者を踏みつけにする政策である。その上、生活保護を狭めて困窮者を追い詰め、親族扶養を強調して共倒れを誘い、解雇自由や残業代タダで中流層を下流にたたきおとす。安倍政権の支持が高いなんていうけど、正直、豚が肉屋の包丁を見てけたけた笑っているような不気味さを感じる。*安倍総理は以前「美しい国」ということをいったことがある。美しい国とはなにか、美しいという言葉は、「うまし」とも読む。万葉集にこんな有名な歌があるが、安倍総理はご存じだろうか。大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 家々から煙がたつのは皆に食べるものがあって民が豊かに暮らしている証左だろう。鷗が群れているのは海に魚が沢山いるからで、その魚も民を養う貴重な資源だ。人々の豊かさ、人々の幸福をみながら、「うまし国」とたたえる。安倍総理にはこんな心はないようだ。**こんどはあのジコマン政党の辻立ちのセンセイ…TPPの話をしていた。下ばかり見て、いったい何で通行人の方をみないで話をするのだろうか。あれでは自分の言葉で語っているようにはみえない。TPPはコソダテシエンよりはずっとましだが、それでも辻立ちのテーマとしてはもっと他にあるように思う。相手は通行人。もっとわかりやすいテーマで注意をひいた方がよい。物価上昇のアベノミクス批判。解雇自由や残業代タダのもくろみ。野放しの長時間労働や生活できない賃金。非正規雇用の増大とワーキングプア。危機感に訴え、ワンフレーズでも通じるテーマは沢山ある。
2013年04月05日
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年金を減らす、国債などの国の借金を踏み倒す。そのために一番抵抗のない方法はなんであろうか?簡単なことだ。通貨をジャンジャン撒けばよい。終戦後の日本はこれをやった。また同じことが繰り返されるのではないかしら。困るのは年金生活者だけではない、職がなくて貯金のとりくずしで生活している人とか、そういう人々の生活をアベノミクスは潰そうとしている。
2013年04月05日
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アベノミクスなるものを報道ではもてはやすのだが、自分の周囲にはそれで給料が上がったとかいう話はきかない。株などで儲けている人はともかくとして普通の人には恩恵はない。これで円安や電力高の影響がでてきて物価が上がれば給与の実質価値はさらに下がる。いや、給料がもらえる人はまだよいのかもしれない。貯金のとりくずしで生活している人などはもっと打撃だろう。結局のところ現政権の政策はかつての自民党の再来で貧困や格差を拡大させているだけに思う。それも主には貧困の拡大である。解雇が自由になり、残業代もタダにする…なんていう制度改正が実現すれば、今までの正社員から不安定雇用に落ちる人がきっとでてくる。中流から下流への転落である。少数の富裕層だけが肥え太り、多数の貧困層は生活苦に苦しむ。そんな社会を本当に多くの人は望むのだろうか。こうした格差や貧困の問題についてはいわゆる「左」の方の発言もさることながら「右」の方の発言にも見るべきものが多い。最近よく行く「ねずさんのひとりごと」というHPには日本文化の特性を「対等」であるとする記事がある。http://nezu621.blog7.fc2.com/勝者総取りのような新自由主義…それは日本の伝統にもそぐわないのではないかという疑問である。
2013年04月04日
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就職活動の失敗による自殺率は異様に高いという。そういえば自分が就職した頃も酷い就職難で、あっちの会社、こっちの会社とまわったのを今でも思い出す。断られるたびに自分がこの社会で必要のない人間と宣告されているような気がしておちこんだものだ。ただ当時は、高偏差値大学を出ていることが就職の保障になった(男子学生に限ってだが)、公務員試験や公共企業などペーパー試験のウェイトが高い就職先があったことなどが今とは違う。出口は見えなくとも、よかれあしかれ努力次第ではなんとかなりそうな希望もあったわけである。ところが今は公務員も筆記試験合格者の中から3倍、4倍の面接試験で採用するのが普通だし、学校の偏差値も昔ほどには重視されないようだ。そして就職という椅子はどんどん少なくなっている。政府が検討しているように非正規と正規との間に準正規という範疇ができれば正社員はますますもって狭き門となるだろう。こんな生きにくい社会では子供も欲しくない、結婚もしたくないという人が増えても無理もないし、それ以前に将来の希望もなく、結婚など考えられないという人も急増していることだろう。何度面接を受けても断られる学生。そういうタイプは友人の少ない人付き合いの下手なタイプが多い。いかにもさわやかで人好きのする気転が効きそうな若者はさっさと内定をとる。そうした面接連続失敗の若者の中には「発達障害」ではないか、「アスペではないか」と悩んでいる人もいるのではないか。社会問題としてとらえる前に自分に原因を探り自分を責める。数年前まで聞いたこともないこうした「病名」にはたぶんこんな働きがある。http://ameblo.jp/kokkoippan/*故ケネディ大統領の長女のキャロライン氏が駐日大使に内定したという。このキャロライン氏には想い出がある。当時50円で売られていた漫画週刊誌に「キャロリン日記」という連載があったのだ。大統領暗殺の前からの連載で芝生の庭でのホームパーティや家でのクリスマスのごちそうとかそういった話題が多かったように思う。お伽話のお姫様と違って、大統領の令嬢はリアルなお姫様。そんなお姫様の豊かな生活に当時貧しかった日本の子供たちは自分の夢を重ねていたわけである。
2013年04月03日
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アスペや発達障害という「病気」は、最近急に言われるようになり、その症状もネットでみるかぎり実に多様である。ありていにいえば「変わった人間」や「友人のできない人間」はこれに当てはまるのではないか。こうしたアスペや発達障害について奇妙に思うことがある。というのは普通こうした病気というものは最初はまず「子供の病気」として議論される。そして子供についての議論がひとしきりすんだところで大人にもあるという話になる。ところがこのアスペとか発達障害は大人の症状として議論されることもあるし、むしろ子供の議論よりも大人についての議論の方が多いのかもしれない。それがなんとも奇妙である。*なぜ大人の問題として議論されるのか。就職や雇用の問題と密接に関連があるからではないか。最近では相当の高偏差値大学をでても、就職が決まらない若者がいるという。コミュニケーション能力の不足というか、友人のいないタイプや変わり者タイプは確実に面接で嫌われる。就職難の問題を、大人のアスペや発達障害の問題として、求職者の側の問題にすりかえようとしているのでは…。こんな風に考えるのはひねくれすぎなのだろうか?
2013年04月02日
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エイプリルフールが昔ほどもりあがらない。それはそうだろう。365日うそばっかり…なのだから。まず、アベノミクスで景気がよくなるなんていう嘘。市場に金をつぎ込めば株も含めてものの値段が上がるのはあたりまえだろう。バブルの再来なんていうけど、バブルの頃は円高でも日本製品が売れて富を国内にもたらしてきた。今の状況で円安になったところでそうした富がどれほどやってくるのだろう。次に東京オリンピック招致で日本再生という嘘。財政問題をあれほど声高に叫んでいたのはいつの話なのだろうか。ギリシャの財政危機の背景にもオリンピック開催があったという話もある。東京にオリンピックをなんていっている人々は日本をギリシャの二の舞にしたいのだろう。三つめに一票の格差是正のために選挙区をいじるという嘘。一票の格差の背景には小選挙区制があるのに、なぜそれを誰も言わない。嘘にはしゃべる嘘もあるけど、黙っている嘘もある。選挙区が小さくなればなるほど人口移動によるひずみがあらわれ、格差は大きくなる。反対に極端な話、全国が一つの選挙区であれば一票の格差はありえない話だ。小選挙区制になってから駅前の辻立ちや選挙区を徘徊しての握手攻勢が効果を発揮するようになった。それにあわせて政治家も小粒化している。ほかにも嘘はある。最終が決まっていないので「中間所蔵施設」だなんていう嘘。福島の原発事故は終息していないのに「終わったこと」にする嘘。事故原発近くの町にいつか住民が戻れるという嘘。
2013年04月02日
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明治や大正の頃の小説を読んでいると「神経衰弱」という言葉がよく出ている。トランプの遊びの神経衰弱ではない。今でいえば軽いうつ病とかノイローゼの前駆症状のようなものだと思うのだが、不思議なことにあまり「隠すべき病気」とか「知られたくない病気」とか、そういったニュアンスはなかったようだ。むしろ知的な人がかかりがちな病気というように認識されていた節がある。トランプの神経衰弱の方も廃れ気味だが、病気の神経衰弱の話もさっぱりきかない。*ことほどかように精神医学の病名にははやりすたりがあるようだ。そうしてみると最近よくきく「発達障害」とか「アスペルガー症候群」。こうしたものも病気としてのレッテルをはることにどれほどの意味があるのだろうか。症状をみると「人の顔を覚えるのが苦手」といった該当項目は自分にもあてはまるのだが、人付き合いの苦手で苦労する人はいつの時代にもどんな集団にもいる。http://get30.net/asperger-otona/m-tokutyo.htmlそうした人にレッテル貼りをしたとこどで、事態がよくなるわけもない。同じようなことは友人のできない学生生徒を「発達障害」とよんだり、特定の学科のできない生徒を「学習障害」とよぶことにも感じる。何かレッテルをはって異常なものとしたところで本人のためになるとも思えない。なんかこうした精神科領域の用語というのは、研究者や医師が論文のネタにするためのためにするものとしか思えないことがある。
2013年04月01日
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