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竹内康人著「佐渡鉱山と朝鮮人労働」(岩波ブックレット)について、15日の毎日新聞は次のような書評を掲載している; 今、政府は佐渡鉱山の世界遺産登録を目指している。推薦書に記されているのは江戸期の金生産だ。本書は、推薦書が伝えない近代以降の「鉱山史」を伝えている。 推薦書いわく、鉱山は全盛期には「世界最大級・最高品質の金を生産した世界に類のない」遺跡とのこと。その成果は非人道的な強制労働に支えられていた。たとえば幕府は「無宿人」をつかまえて鉱山に送り、排水労働に当たらせたという。 朝鮮を併合した大日本帝国は、人権無視の労働政策を引き継いだ。たとえば朝鮮の人々を事実とかけ離れた好条件(甘言)で誘い、危険でつらい現場に動員した。戦時には1500人以上の朝鮮人が強制動員され、多くが過酷な坑内労働に投入されたという。低賃金、食糧不足でも転職、退職の自由はない。逃亡したら厳しく罰せられる……そうした負の歴史の実態が、動員された人々の名簿や争議の記録など、豊富な史料と証言で明らかにされる。 世界遺産になるかもしれない遺跡で何があったかを知りたい人はもとより、「強制労働などなかった」と信じる「歴史戦」の論客にも読んでほしい一冊だ。(栗)竹内康人著「佐渡鉱山と朝鮮人労働」(岩波ブックレット・682円)2022年10月15日 毎日新聞朝刊 13版 12ページ 「今週の本棚-佐渡鉱山と朝鮮人労働」から引用 日本政府はかつて長崎県の通称「軍艦島」と呼ばれる海底炭鉱遺跡を世界遺産として申請し、ユネスコからは「日本がかつて植民地支配した朝鮮半島から多くの労働者が送り込まれて、強制労働を強いられたという『史実』も過不足なく説明する文書を展示すること」という条件付きで「世界遺産」として承認されたにも関わらず、日本政府は現在に至るも朝鮮人強制労働の「記録」を拒否したままになっている。この度の「佐渡鉱山の世界遺産登録申請」については、江戸時代の金鉱の採掘だけを申請書に書けば、明治以降の朝鮮人強制労働の「史実」に触れる必要はないという子どもの理屈のような姑息な考えのようで、一時期は「ジャパン アズ ナンバーワン」と言われた時代もあったことを思うと、随分と落ちぶれたものだとため息を禁じ得ません。
2022年10月31日
先月下旬に岸田内閣が強行した「安倍氏国葬」について、ピアニストで「週刊金曜日」編集委員の崔善愛(チェ・ソンエ)氏は14日付けの同誌に、次のように書いている; 9月27日の国葬は自民党の考える日本像が表出され、戦慄をおぼえた。式典前、安倍晋三元首相の自宅前で遺骨を見送った「儀仗隊」。式典でも自衛隊員が遺骨を壇上に高々と置き、軍歌「国の鎮め」が流れた。この曲は「海ゆかば」と並べて演奏される自衛隊の定番曲らしい。まるで「軍を持てる国」日本を世界にアピールする絶好のチャンスと捉えたような式典だった。 日本国憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012年)は講演でこう語っている。 GHQのマッカーサー元帥が日本政府に対して民主主義的な憲法の起草を要請したところ、国務大臣だった松本蒸治は2~3回憲法草案を提出したが、「いつでも『明治憲法と同じもの』が出てきた」という。ペアテは、「民主主義的な憲法草案を作ることが、どうも日本政府には無理だった」とも語った。 国葬で流れた映像にも、違和感をおぼえた。それは、安倍氏がピアノで弾いた「花は咲く」だ。同じ曲であっても「誰が」それを弾くのかで違う意味を持つ。 映像は、彼の生前の数々の姿と「花は咲く」の音が重ねられ、美しい物語がつくられていた。しかし現実は、放射能汚染の被害はいまも、そしてこれからも続き、日々命を削るような「廃炉作業」で汗を流す人たちを想うと、とてもじゃないが、あの惨事をうけてもなお再稼働を決めた元首相が弾く「花は咲く」には拒絶感しかなかった。 あの演奏はどう収録されたのか。調べると、松下政経塾出身の実業家で教育者、小田全宏(おだぜんこう)氏の自宅で昨年撮られたものだった。11年前の震災の年、安倍昭恵氏の紹介でふたりは出会う。小田氏のオフィシャルサイトによると、〈「『花は咲く』をピアノで弾いてもらったら、皆さん感動するだろう!」と閃いて、半年間ピアノをお教えした」〉。安倍氏も近畿大学卒業式のスピーチで「この曲はド素人が一生懸命弾いた方がいい」と友人に勧められたと話す。 作曲家・林光さんは、日本の唱歌「ふるさと」の3節の歌詞「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」は、戦争を美化し浄化しかねない危険を含んでいることを忘れてはならないと語っていた。「ふるさと」から「花は咲く」へ、望郷の念を愛国心にかえる為政者には注意しなければ。2022年10月14日 「週刊金曜日」 1396号 3ページ 「風速計-『ふるさと』から『花は咲く』へ」から引用 安倍氏の国葬で故人がピアノを弾く映像が流されたとは知らなかった。「花は咲く」という歌は東北大震災からの復興を励ます歌として知られてはいるが、演奏する場所と奏者によっては聞く者に違和感を持たせることはあり得ることで、崔善愛氏が国葬をテレビで視聴して違和感を感じたという「感想」は、我々に重要な情報を提供してくれていると思います。平和憲法の存在を蔑ろにして、いつの間にか軍国主義が浸透していることを深刻に受け止め、早めに有効な対策を講じる必要があります。
2022年10月30日
政府・与党内で防衛費の増額に関する議論があることについて、15日の東京新聞は次のように報道している; 敵基地攻撃能力の保有検討を含む防衛力強化に絡み、政府・与党内で防衛費の定義を巡る論争が起きている。5年以内の倍増を目指す自民党は防衛省予算を一気に積み増したい考えだが、政府や公明党はこれまで算入していなかった海上警備の経費なども加えた新たな予算枠組みを主張する。`対外的に国防関連支出の拡充をアピールしつつ、実質的にどこまで予算規模を膨らませるかの綱引きだが、増額ありきの姿勢に変わりはない。(川田篤志) 防衛費の増額は事実上、政府・与党の共通目標だ。自民党は4月にまとめた提言で、米欧の軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)にならって対国内総生産(GDP)比2%以上を目指す方針を打ち出した。岸田文雄首相は5月、バイデン米大統領との会談で「相当な増額」を表明し、政府が6月に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太の方針」ではNATOの動向にも触れながら、防衛力の抜本的な強化を明記した。日本の防衛費(当初予算)の対GDP比は2021年度で0・05%、22年度でO・96%と、NATO加盟国との差は大きい。もっとも、日本が防衛費に防衛省予算だけを計上しているのに対し、NATOは軍事費以外も海上警備の経費などを含めている。 国防関連支出の定義が異なることから、政府が持ち出したのが、算入する予算の範囲を広げる『安全保障関連費』の考えだ。年末に予定する国家安保戦略など3文書改定に向け、先月30日に開いた有識者会議の初会合では、21年度の防衛省予算に2500億円強の海上保安庁予算や国連平和維持活動(PKO)関係費などを加えると、対GDP比が1・24%になるという試算を提示。NATOでは国防目的の研究・開発費が計上される場合があるとも説明した。 政府内には、軍事転用が視野に入る科学技術予算や、有事に自衛隊が利用できるよう補強する港湾、空港などの整備費まで安保関連費に含める案もある。公明党の北側一雄副代表は「国全体の安全保障に関わる予算を明確にしていくことが大事だ」と理解を示す。 ただ、政府や公明党の意向に、自民党では国防族を中心に反発が広がる。あらかじめ対GDP比2%を目指す「発射台」を高くすることで、財政への影響が大きい防衛省予算の増額を抑え込もうとする思惑が透けるからだ。今月4日の党会合では「水増しであってはいけない」「『真水』の予算を増やすべきだ」といった意見が相次いだ。 日本では1976年に防衛費を対国民総生産(GNP)比1%に収める方針が閣議決定され、86年に撤廃された後もその水準で推移してきた。憲法9条に基づく抑制的な防衛政策を予算面でも担保していると、対外的に訴える効果があった。だが、政府は現在、むしろ数字を大きく見せようとしているのが実情だ。2022年10月15日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「防衛費増ありき 論争加熱」から引用 戦後の長い間、防衛費はGDPの1%以内という方針だったものを撤廃したのは、確か中曽根内閣だったように記憶しているが、愚かなことをする内閣だと思ったものだった。しかし、実質は「枠は撤廃」したが大きく枠をはみ出すこともなく堅実に推移してきたのは良かったと思います。日本の周辺諸国は、戦前の被害の記憶から日本の軍備にはことのほか神経を尖らせており、そうでなくてもアメリカに次ぐ巨大軍事予算を使っているのが現実ですから、ウクライナの紛争を口実にこれ以上の増額はするべきではありません。平和を維持する基本は、武器による抑止力などではなく、紛争の種を取り除くための外交交渉であり、この基本原理を第一に取り組むべきです。アメリカやNATOの軍事力は平和維持が目的ではなく、敵視した相手を追い詰めて今回のウクライナ紛争のように「敵」を暴発させるという卑怯な手段を行使している。日本は、そのような卑怯な連中のマネをしてはならないと思います。メディアは朝鮮民主主義人民共和国のミサイル実験を「東アジアの不安定要素」だの「脅威」だのと言いますが、それは間違いであり、かの国がミサイル実験を繰り返すのは、アメリカが敵視政策をして追い詰めているからであって、隣国である日本は朝鮮戦争終結のための段取りを進めて、韓国や中国が日本との国交正常化の後に経済発展した事例を参考に、共和国の発展を手助けするという路線に進んで行けば、それが本当の平和共存の「道」になると思います。
2022年10月29日
安倍晋三議員が選挙演説中に銃撃されて死亡して1か月も経たない7月22日の「週刊金曜日」に、思想家の内田樹氏が「安倍晋三暗殺事件の意味」について、次のように書いている; この号では参院選の総括を求められている。だが、投票日の2日前に安倍晋三元首相が銃撃を受けて殺害されるという事件が起きた。捜査の過程で容疑者の母が統一教会の信者であり、犯行動機が統一教会と自民党の久しい癒着にかかわることがわかった。 今回はこの事件の意味について書きたいと思う。現在の日本の目を覆うほど悲惨な政治状況の意味も、それでいくらかは明らかになるだろう。 統一教会問題は20年前くらいまではメディアで繰り返し取り上げられた。「霊感商法」や合同結婚式についてのニュースを私は食傷するほどテレビで見せられた。 だが、ある時期から「統一教会」という文字列をメディアで目にすることがひどく少なくなった。さすがにこれだけ社会問題になると、教会の社会的影響力も低下し、活動も停滞してきたのだろうと私は漠然と思っていた。私と同じように感じていた人は多いと思う。まさかこれが「統一教会は安全な団体だ」という長期的・組織的な世論形成工作の「成果」だとは思ってもいなかった。そして、銃撃事件は、この「世論形成工作」にかかわった人たちへの殺意にまで至る深い怨恨が存在していたという(私たちがそこから目を背けるように工作されていた)事実を開示したのである。 改めて説明するまでもないと思うが若い読者のために記しておくと、統一教会(Unification ChurCh)は1954年に韓国ソウルで文鮮明(1920~2012年)によって設立された宗教団体である。文はみずからを「再臨したメシア」と称し、激烈な反共主義によって、各国の右派政治家たちとつよい結びつきを持った。KCIAの支援を受けて設立され、当時の韓国政府の政治的目的を達成するための組織であったと後年に米下院の査委員会では報告されている。◆有名人を招き脱「カルト」 日本では1964年に宗教法人の認可を受けた。学園紛争が拡大し始めた1968年に文鮮明は岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らと図って国際勝共連合を設立して、左翼の動きに対する対抗政治勢力を組織化しようとした。学生組織「原理研究会」が全国の大学で展開した布教活動を記憶している人はまだ多い。 文自身はその後米国に活動拠点を移して、企業活動と布教活動を行なったが、世界各地での続発する洗脳や信者の家庭崩壊のため、危険性の高い「カルト」とみなされていた。下院で調査委員会が招集されたことからも、文鮮明が脱税容疑で1年余りの実刑判決を受けたことからも、米政府のこの組織に対する警戒的なスタンスは知れる。その一方で、統一教会は有名人をゲストスピーカーに招くことで「カルト」ではなく、正統的な宗教組織であるという印象を与えるべく懸命に努力してきた。ブッシュ父、フォードという2人の元大統領やゴルバチョフも統一教会絡みのイベントに招かれている(ブッシュはのちに講演料8万ドルの原資が日本の信者から詐取したものではないかと指摘されて慈善団体に同額を寄附している)。 安倍元首相は統一教会の広報誌『世界思想』の表紙に何度も登場し、21年9月にはドナルド・トランプ米前大統領とともに統一教会系団体のイベントにビデオレターを送り、統一教会に正統性を与える有名人の役割を演じてきた。元首相はこのような正統性獲得工作の重要なアクターだったのである。 容疑者の犯行動機はまだ不確かであるが、母親が教会に多額の献金をしたために家が破産し、家庭崩壊したことから統一教会に深い恨みを抱いていたということまでは供述している。最初の標的は文鮮明の後を継いだ妻の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁ら教会幹部だったが、警護が厳重で近づけず、安倍元首相に標的を切り替えたと報道されている。 統一教会は韓国で設立され、活動は全世界にわたるが、その主たる資金源は日本である。日本の「霊感商法」の売り上げと信者からの献金は統一教会の富の70%に達すると『ワシントン・ポスト』は報じている。◆日本政治が劣化した原因 統一教会や関連団体のイベントに顔を出し、講演をしたり、祝辞を述べたりした政治家たちが日本には多くいる。彼らは世界的なカルト活動の原資が日本で集金されていた事実を知りながら、教会の活動があたかも「公認」のものであるかのような印象を作り出す工作に加担していたことになる。そして、その見返りに秘書や選挙運動でのボランティアの提供を受けていたのである。 安倍元首相の死後に明らかにされたこれらの事実を前にして私はここに日本の政治がここまで劣化した原因の一つがあると感じる。 第2次安倍政権では、総理大臣自身をはじめ、統一教会あるいは系列団体の支援を受けている議員が閣僚に多数入閣していた。 だが、全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、統一教会は昨年までの約35年間で、霊感商法による被害件数3万4537件、被害総額1237億円という大規模な事件を引き起こしている。そして、弁護士連絡会は政治家たちにこの事実を示して、統一教会の活動に加担しないように繰り返し懇請を続けてきたのである。 これから後、かかわりのあった政治家たちは「そんな危険な集団とは知らなかった。世界平和を希求しているおとなしい宗教団体だと思った」という言い訳をするつもりだろう。だが、その遁辞は許されるものではない。 もし、本当に統一教会は人畜無害な団体だと信じて、弁護士たちの訴えを退けたのだとしたら、それほどまでに世の中のできごとに無知な人間たちに国政を議する資格はないし、逆に、危険な集団だと承知した上で、政治的に利用価値があると判断して、その活動を支援していたのだとしたら、そのことについて政治責任をとらなければならない。常識的にはそういうことになる。◆無知を装う政策決定者 しかし、この常識が日本では通用しないだろう。政治家たちはおそらく誰一人無知を恥じて辞職することも、政治責任をとって辞職することもないと私は思う。 自民党は当初、徹底的な鍼口令(かんこうれい)をメディアに命じて、「統一教会」の名が表面に出ることを避けようとした。しかし、もう遅い。政府がコントロールできるのは新聞とテレビだけで、週刊誌やネットを抑えることはできない。 では、この先、元首相の死と統一教会の関連を自民党はどう説明する気だろう。死者は戦後最長の在職期間を誇り、「安倍一強」と謳(うた)われた元首相である。その業績を顕彰し、その死を悼むためには、それが「予想もされない偶発的なものだった。恨みを買ういかな理由も思いつかない」と言い続けるしかない。だが、それは「深い恨みを持つ人が少なからず存在することが周知されている組織と久しく親密な関係を続け、それを誇示してきたこと」について、政治家自身も政府も警察もまったく危機意識を持っていなかったと認めることを意味する。それでも、解党的危機を回避するためにはそういう説明を採用するしかない。だから、これから先政治家たちは「統一教会が危険な団体だとは知らなかったし、その活動に加担することがどんなリスクを意味するかもまったく知らなかった」と口を揃えて言うだろう。免責を手に入れるために無知を装うのはたしかに有効な手立てである。幼児に政治責任を問う人はいないからである。 だから、これから後、私たちは「私は世間のことにはまったく疎い」と公言する人たちが政策決定する国で暮らすことになる。亡国的な風景という以外にこれをどう形容すればよいのか。 参院選の歴史的意味について書く紙幅がなくなってしまった。それについてはまた次回。<うちだ たつる・思想家>2022年7月22日 「週刊金曜日」 1386号 12ページ 「凱風快晴-安倍晋三暗殺事件の意味」から引用 統一教会の霊感商法や献金強要の被害者救済活動をしている弁護士団体の要請を、何度も受けながら統一教会との連携を止めなかったり統一教会の「広告塔」として何度も機関紙の表紙に登場した政治家の責任は重い。弁護士の「要請」に耳を貸すよりも、少しくらい怪しい団体でも選挙のたびに無償で手伝ってくれるのだから、世間体を気にして縁を切るのはもったいないなどと安倍晋三なら考えそうなことだ。麻生太郎や細田博之などもその口の可能性が高い。そういう志の低い人物を国会議員に選ぶのは、候補者の政策を聞くとか人物を見定めるというようなことをせずに、単純に世襲候補に投票するという悪習を脱しきれない有権者の問題だと思います。良識ある野党議員の徹底追及に期待したいと思います。
2022年10月28日
宗教2世と言われる環境で育ったことを記者会見で話した一民間人と、カルト団体と深い関係を持つと見られながらも「これまでに出席したことがある『会合』の一覧表」を提示するだけで誤魔化そうとしている衆議院議長について、前文科事務次官の前川喜平氏は9日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「統一教会」信者の両親のもとで育った小川さゆりさん(仮名)が7日、外国特派員協会で記者会見を行った。見た目の貧しさからいじめを受けたこと、アルバイトで貯めたお金を親に奪われたこと、教団の修練会でセクハラを受けたこと、精神を病み入院したことなどを彼女は率直に語った。 政治に対しては、高額献金を規制する法律を今国会で成立させるよう強く求め、恐怖心を煽(あお)る教義などを理由に団体の規制や解散ができる法律、行き過ぎた信仰による虐待から子どもを守る法律、子どもの利益を最優先に動く組織、政治家が広告塔にならないようにする行動基準などの必要性を訴えた。 会見の終盤、「統一教会」から両親の署名したメッセージが届いた。娘は精神の異常のため嘘(うそ)を言うので会見を中止するよう求める内容だった。彼女は自身の病歴を隠さず語り、夫の支えにより今は治ったと言明。最後に決然と言った。「私か正しいと思ってくださるなら、どうかこの団体を解散させてください」 同じ日、細田博之衆議院議長は、議長公邸で議院運営委員会の山口俊一委員長と与野党筆頭理事に2枚紙を渡し、「統一教会」との「接点」について「説明」したという。なぜ委員会に出席して説明しないのか。なぜ記者会見をしないのか。勇気のない人だ。小川さんの爪の垢(あか)を飲め。(現代教育行政研究会代表)2022年10月9日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-勇気ある人と勇気ない人」から引用 この記事の最後の閉めの一文は、文部科学省事務次官を務めた方が書いたにしてはいささか品位に欠ける表現のような気もするが、それも国権の最高機関と言われる衆議院議長が、カルト団体とのつながりを指摘されても明確な説明も弁明をせずに1~2枚の紙に書いたメモで誤魔化そうとする姑息な態度に対する国民の「怒り」の反映であることを思えば、妥当な表現であると言えないこともありません。政府は、統一教会に対して「調査権の行使」をするべく、有識者会議を立ち上げたなどと報道されていますが、無駄な時間つぶしの会議は即刻止めて、現在までに出ている司法判断を根拠として「統一教会に対する解散命令」を発動するべきです。細田首相の後援会役員や自民党副総裁の麻生氏や、その他かなりの要人が統一教会と深い関係にあり、自民党はかなりのダメージが予測されますが、そのダメージを恐れて穏便にやり過ごそうなどと考えると、結局元の木阿弥になるだけですから、ここは財界もメディアも覚悟を決めて、徹底解明を目ざすべきです。
2022年10月27日
9月末に多くの国民世論の「反対」を押し切って強行された安倍元首相の「国葬」は、どのように演出されたものであったか、新聞記者の阿部岳氏が7日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 国葬の前日、関係者から入手した進行台本を眺めていて驚いた。自衛隊音楽隊が演奏する曲目に「国の鎮め」「悠遠(ゆうえん)なる皇御国(すめらみくに)」という文字列がある。明らかに軍国主義の響きではないか。 調べてみると、「国の鎮め」はやはり軍歌で、殉国者を弔う招魂祭を歌う。「国の鎮めの御社(みやしろ)と」で始まる歌詞は靖国神社などを指している。 無宗教で執り行うはずだった安倍晋三元首相の国葬。黙祷(もくとう)に合わせ、自衛隊音楽隊が日本武道館にこのメロディを響かせた。国家神道が戦争遂行を支えた反省から生まれた憲法の政教分離の原則を、正面から踏み破った。 陸上幕僚監部に問い合わせたところ、もう1曲の「悠遠なる皇御国」はなんと現役の陸上自衛官が2019年に作曲した曲だという。皇御国は皇国、つまり天皇が治める国を指す。天皇の勅使が安倍氏の式壇に拝礼するタイミングで演奏し、復古主義の明確なメッセージとなった。 会場にそろった陸海空の自衛隊音楽隊のうち、これら2曲は陸自が演奏した。陸幕に「憲法の政教分離と主権在民の原則に反するのではないか」と尋ねた。「主催者が決めた曲を整斉(せいせい)と演奏しただけ」との回答が返ってきた。 この2曲だけでなく、冒頭で演奏した「君が代」も、天皇の治世をたたえる曲だ。戦後、「君」が指す対象を天皇から「国と天皇」に無理やり拡大解釈して延命し、今では国歌の座に納まっている。他の軍歌とは何か違うのか、演奏して何か悪いのか、という居直りを許す土壌は、私たち自身が育んできたのかもしれない。 弔辞で、葬儀委員長の岸田文雄首相は「戦後レジームからの脱却」を安倍氏の功績に挙げた。「生前のお姿」の映像では、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子、そしてその先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍氏得意のフレーズが流れた。 安倍氏は戦後民主主義を憎悪し、破壊した。アジアの国々への謝罪も補償も不十分なまま、「いつまで謝り続ければいいのか」と居直った。そうした安倍氏の政治に、国葬の挙行と演出がお墨付きを与えた。 式壇は、花で彩られていた。「『常に闘う政治家でありたい』との揺るぎない信念のもと、国家・国民のためであれば、いかなる批判をも恐れず、ただひたすらに行動してきた、その政治家としての軌跡を、ご遺影へと真っすぐに伸びていく生花の道で表現」したものだという。 安倍氏はまさに、敵をつくり、闘うポーズを取って、その摩擦熱を自らの力に変えた政治家だった。遺骨と並んで式壇に飾られたブルーリボンバッジが、北朝鮮による拉致問題をてこに権力の階段を駆け上がった歩みを象徴していた。「批判をも恐れず、ただひたすらに行動」というくだりは、裏を返せば批判に一切向き合わなかった安倍氏の姿を正確に描写していた。岸田氏も、国葬決定から強行までの2ヵ月半、「丁寧な説明を尽くしたい」と言うばかりで実際には法的根拠も必然性も、何も説明しなかった。 安倍氏の居直りの政治は、岸田氏が確かに継承し、安倍氏亡き後も日本を縛り続ける。<あべ たかし・『沖縄タイムス』記者>2022年10月7日 「週刊金曜日」 1395号 12ページ 「阿部岳の政治時評-国葬会場に響く軍歌」から引用 安倍氏の国葬で軍歌が演奏されたことを、一般の新聞やテレビが批判しないのは問題だと思います。安倍政権では選挙の前に政府高官が都内のテレビ各局を車で回って「与党批判の番組は控えるように」要請したり、高市総務大臣が「偏った放送をするテレビ局は、電波を止める」などと暴言を吐いて恫喝したことがあり、あれ以来、日本のメディアは政府を過度に刺激しないように「表現」をオブラートにくるむような報道をしているように見受けられます。現役自衛官が「悠遠なる皇御国」などという「天皇が国を支配する」ことを賞賛するような曲を作るというのは、個人的な趣味の世界であるならまだしも、国民の税金を使って行なわれる「国葬」で演奏することは、本来ならば憚られる「事態」です。このような事例からも、時代後れの「国葬」などというものは、今後二度とやってはならないものであることを、私たちは認識するべきです。
2022年10月26日
安倍氏「国葬」について、映画監督の想田和弘氏は7日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行なわれた。国葬は、安倍氏を弔う葬式ではない(葬式はすでに行なわれた)。それは安倍氏の死を岸田文雄政権が政治利用するための、プロパガンダ装置。徹頭徹尾、政治的なイベントであり、ショーである。 岸田首相は安倍氏が殺害された当初、国葬をすれば自分の政権の人気と安定性が高まると考えたのだろう。だからこそ根拠法が薄弱であるにもかかわらず、独断で開催を決定した。国会を通すどころか、自民党内にすら十分な根回しをしなかった。 しかし安倍氏と統一教会の深い関係が明らかになるにつれ、国葬は不人気になっていった。最初は「統一教会」の名前すら出せなかったメディアも、安倍氏という怖いお目付け役がいなくなったせいか、安倍政権以前を思わせるような突っ込んだ報道をするようになった。その結果、国葬開催直前の各社世論調査では、国葬反対が賛成を大きく上回った。国葬は岸田政権を浮揚させるどころか、アキレス腱になった。 ところが呆れたことに、テレビ東京以外のテレビ局は、長時間の生中継をした。フジは4時間、テレビ朝日は5時間以上の特番を流したらしい。「らしい」と書いたのは、僕は見ることを一切拒絶したからである。 テレビ局が生中継したのは、オリンピック同様、国葬を「視聴率が取れるコンテンツ」と判断したからだ。見てしまえば、人の死を利用した金儲けに加担することになる。五輪と違って放映権料なしで中継できるのだから、局にとってはおいしい話だ。 それに生中継を見ることは、国葬に疑似的に参列することを意味する。疑似的にせよ参列すれば、大手イベント会社が設計した儀礼的演出に感情が動かされて、国葬反対から賛成に傾く人も多数出てくるだろう(だからこそプロパガンダ装置なのだ)。 実際、リアルに参列した玉木雄一郎国民民主党代表は「友人代表として挨拶をした菅元総理の言葉には感動しました。あの挨拶で国葬儀に対する印象が変わった人もいるのではないでしょうか」とツイードした。菅氏の原稿にプロの手が入っていないとは、僕にはとても信じられないのだが。野党党首までプロパガンダにやられてしまうのなら、一般人はイチコロだろう。 テレビ局は権力を監視する報道機関のはずである。金儲けではなく、本来の仕事をしてほしい。2022年10月7日 「週刊金曜日」 1395号 3ページ 「風速計-金儲けとプロパガンダ」から引用 この記事は、岸田首相がいきなり「国葬」実施を宣言した時点から次第に「国葬反対」の声が強まる状況の変化を的確に表現していて、面白い。一説によると、国葬実施は岸田氏の発案ではなく麻生氏の「大号令」で岸田氏が動きだしたのだとの見方も報道されたが、その後二階元幹事長が「今は国葬反対を言っている人たちも、(国葬が)終わってみれば、やっぱりやって良かったと言い出すはずだ」などと発言したことを見ると、どうも内閣支持率を心配した自民党長老の大部分の「意志」が「国葬実施」であったことが覗える。上の記事が指摘するように、実際に「国葬」をテレビで見て心を動かされた国民はかなりいたかも知れないが、そんなことには騙されずに「統一教会問題」を追及するべきだという健全な「声」も消滅していない点が、この国の「民主主義」がまだ消え去っていないことを示す「希望」だと思います。
2022年10月25日
自民党が統一教会の関連団体にそそのかされて全国の地方議会で成立させようとしている「家庭教育支援条例」の何が問題なのか、東京大学教授の本田由紀氏は9日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 家庭教育支援条例を推進する統一協会や日本会議などの右派と自民党は、家族を非常に重視し、古いジェンダー観や家族観を押し付けてくる点で共通しています。彼らが望むのは自立した個人ではなく、”理想”の家族の一員としての個人です。家族を通じて国民を支配したい、という強い欲望を感じます。 同条例も、行政が「家族はこうあれ」と家庭に介入するものです。 条文で、少子化や虐待を挙げて家庭の教育力の低下を指摘する一方、家庭を追い詰めている非正規雇用や貧困などの社会問題には触れていません。子どもの教育の責任を家族に帰している点が大きな問題です。また、「愛情による絆で結ばれた家族」など画一的な家族像を強要してくる。支援という名の支配です。 同条例は安倍政権の「女性活躍」とも関係があります。女性を安い賃金で使い倒して経済成長に”活用”すると同時に、彼らは女性に「産め、育てろ」と言う。国家のために子どもを育て上げる道具として家族を位置づけ、担い手に女性を動員する-。復古的かつ新自由主義的な政策が、家庭教育支援の名で進行しているのです。 実は戦時中も、総力戦に女性を動員し、”皇国民”を育てる役割を女性に担わせるため、家庭教育が重視されました。国家を支えるための家族であれ、という構造がそっくりです。 家庭教育への関心が高まったのは1990年代後半です。神戸連続児童殺傷事件やオウム真理教による地下鉄サリン事件などが起こり、「子どもがおかしくなっている。家庭教育を見直さなくては」という議論が広がりました。それに乗じる形で右派が活性化します。第1次安倍政権下での教育基本法改悪(2006年)が決定的でした。「家庭教育」の条文が新設され、家庭教育の押し付けにお墨付きを与えました。 12年には安倍氏が会長となって発足した「親学(注)推進議員連盟」が家庭教育支援法の制定を打ち出しましたが、国民の強い反対を受け、国会への提出を断念しました。各地の条例制定は法制化への地ならしでしょう。 行政がすべきは、経済支援や保育・教育の機会確保・質向上など命と生活が守られるための基盤整備や、多様な家族の尊重です。注)「親学」 日本会議と関係の深い高橋史朗氏が提唱。非科学的で家父長制的な教育を実践する。2022年10月9日 「しんぶん赤旗」 日曜版 19ページ 「右派に共通するジェンダー観”国家支える家族であれ”」から引用 昨日の欄に引用した記事と同様で、この記事も少しピントが絞り切れていない「印象」を受けます。「親の愛情が足りないから児童虐待が起きる」などという単純な発想をするらしい自民党議員が、国家権力が国民支配を容易に実現できるように「画一的な家族観を国民に押しつける」ことが必要だなどと「高尚な」発想をするだろうか、という「疑問」を感じます。しかし、いずれにしても人間が営む「家族」というものは、人の顔が千差万別であるように「家族の在り方」も千差万別なのが普通であり、「両親と子ども」がそろった家庭を「模範例」にすれば、一人親家庭は例外扱いされるという「不平等」が生じます。意味のない「判断基準」をわざわざ条例で定めなくても、誰もが自由な判断で生きていく社会が理想ですから、余分な条例の制定運動には「否」の声を上げていくべきと思います。
2022年10月24日
韓国に本部を置く統一教会は、いかにもそれらしい普通の市民団体を装った名称で地方自治体の議員に接近し、「家庭教育支援条例」の制定運動をしていることを、9日の「しんぶん赤旗」が次のように報道している; 統一協会(世界平和統一家庭連合)と自民党の癒着が、国政だけでなく地方政治をゆがめてきたことが明らかになっています。その一つが、統一協会と一体の「国際勝共連合」の幹部が先頭になって推進している「家庭教育支援(応援)条例」。今年3月、同条例が可決された岡山県での自民党と統一協会の癒着の実態を追ってみると・・・。<湯浅葉子記者>◆「家庭教育応援条例」岡山県にみる実態 「議員を通じて統一協会の考えが入り込んでいる条例であることは否定できない。この条例は廃止すべきだ」 9月13日の岡山県議会。日本共産党の氏平みほ子県議は、自民党県議と統一協会の癒着の実例をあげて県に迫りました。伊原木隆太知事は「統一協会と条例との関係は承知していない」と答弁。 「事実じゃない!」 「証拠を見せろ!」 自民党席からはヤジが飛び、答弁が中断する事態も。議長は、氏平県議の「統一協会と条例の関係を調査すべきではないか」という再質問を、「(県は)答弁の必要なし」と封じ込めました。 ネットで傍聴した、条例に反対する市民グループ「いらないよ!岡山県家庭教育応援条例」の伊東大輔さん(43)は、「全く反省がなく残念。共産党が廃止を言ってくれて心強い」と話します。 地方自治研究機構によると、家庭教育支援条例を制定しているのは10県6市(9月3日現在)。統一協会や日本会議などの右派団体が自民党と一緒に推進しています。◆家庭に責任転嫁 例えば最初に制定した熊本県の条例は、「親としての学びを支援」など内容は一見感じが良いもの。しかし、いじめや虐待などの困難を、社会的背景を無視して「家庭の教育力の低下」と親に責任転嫁。その上で、「保護者は子どもに愛情をもって接し」などと、国や行政が”家庭や親はこうあるべき”だと介入しています。 根拠となっているのは、第1次安倍政権下の2006年に成立した「改正」教育基本法。安倍晋三元首相の肝煎りの政策です。 岡山で同条例はどのように可決されていったのか-。 「カルト被害を考える会」(代表・河田英正弁護士)によれば、自民党県議8人が18年7月、統一協会関係のイベント「孝情文化ピースフェスティバル」で来賓紹介されています。◆講師は勝共連合 同年11月には、やはり関連団体の「平和大使協議会」が開いた条例推進の講演に自民党県議が参加。同県議はそれをブログで公言する関係です。 19年1月には統一協会岡山家庭教会で、同条例の全国展開を図ってきた「国際勝共連合」の幹部である青津和代氏を講師に迎え、講座を開催。統一協会のホームページでは、会合の中で岡山県議があいさつしたことが報告されました。 決定的なのは同年9月、統一協会員で条例推進の学習会を複数の自治体で開いてきた自民党の藤曲敬宏・静岡県議と自民党岡山県議らが、条例推進のために会合したことです。 同年秋、自民党県議団は条例制定に向けた勉強会を設置(「朝日新聞」3月22日付)。21年4月に条例を県議会に提案しました。 可決後の今年4月には、中心となった自民党の福島恭子県議が統一協会系の「世界日報」に登場。条例の意義とともに、「憲法に『家族条項』がないことを考えざるを得ません」「個人優先となっているのが今の日本」などと語っています。 共産党のすます伸子県議は「両者の癒着にがくぜんとした。陰で県政がゆがめられた可能性は非常に高い」と話します。◆条例廃止目指す 実は予兆がありました。昨年4月の条例提案の1ヵ月前、選択的夫婦別姓の導入に反対する意見書が自民党の賛成多数で可決。 すます県議は、「県議会でジェンダー平等への巻き返しが起き始めた、と感じた矢先の条例案でした。意見書の際に反対運動を展開した市民と野党のネットワークが生きた」と振り返ります。 共産党と民主県民クラブの野党や市民は条例提案後、すぐに反対運動を展開。市民たちは「いらないよ!」を結成し、パブリックコメントや署名を呼びかけました。 参加する赤松章子さん(53)は、「条例で子どもを産むべきとでもいうような家庭像を強制するなんて気持ち悪い。多様性の排除だ」と話します。 パブコメは511件と過去最高となり、うち7割が反対意見でした。岡山県弁護士会は条例反対の会長声明を発表。今年1月には、「いらないよ!」が約2万2千人の署名を県議会に提出しました。 にも関わらず自民・公明は反対を押し切り賛成多数で可決。「いらないよ!」の黒部麻子さん(41)は、「自民党はこの間、学校への生理用品の常備や高校のタブレット端末の公費負担を求めた市民の陳情を否決している。何が”子どものための条例”だと思う。県議会の責任で、統一協会と条例の関係を調査すべきです」と憤ります。 9月22日、共産党は条例廃止に向けて学習会を開催しました。2022年10月9日 「しんぶん赤旗」 日曜版 18ページ 「ゆがめられる地方政治 - 統一協会と自民党の癒着」から一部を引用 統一教会は何が目的で地方議会が「家庭教育支援条例」を制定するように働きかけているのか、この記事はそのヒントを提供しているように思います。彼らが推進する「家庭教育支援条例」では、子どもがいじめや虐待の被害にあうのは「家庭の教育力の低下」が原因だという「理屈」はあまりにも単純で内容が何もない、ただの美辞麗句に過ぎない。そんな空文句を条例に書けば、何か「ご利益」があるかも知れないと思って議会で「賛成票」を投じた自民党議員の浅はかさは呆れるばかりです。統一教会と日本の政治家との「接点」については、今後も時間をかけて実態を究明していく必要があると思います。
2022年10月23日
政府が世論の批判も顧みずに強行した安倍氏「国葬」を、新聞各紙はどのように報道したか。ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は、9日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 世論調査で6割超が「反対」しているもとで強行された安倍晋三元首相の「国葬」(9月27日)。10月3日付で「朝日」「読売」両紙が世論調査を掲載しました。「朝日」では「評価する」35%、「評価しない」59%。「読売」では「よかったと思う」41%、「思わない」54%。テレビの時間と新聞のスペースを独占してもこの結果です。 一部の新聞が「功績たたえ多くの人が悼んだ」(「読売」9月28日付)、「政府与党は堂々と国葬の正しさを説」け(「産経」同30日付主張)という他は、社説のほとんどが「分断深めた首相の独断」(「朝日」28日付)、「合意なき追悼の重い教訓」(「毎日」同)、「『安倍政治』検証は続く」(「東京」同)と、世論の分断を問題にしました。 しかし、国葬が憲法の「法の下の平等」や「内心の自由」に反するという問題に加え、この「騒ぎ」が何だったのかという議論と、その本質や内容に立ち入った論説があまりないのが気になります。 岸田文雄首相、菅義偉前首相の安倍元首相への手放し賛美の弔辞、自宅前の儀杖隊の列・旧軍歌演奏・弔砲など自衛隊参加の軍事色、招待の基準や扱い、自治体の対応、統一協会との関係・・・。税金による「国葬イベント」の「狙い」と「行われた事実」の分析、報道はメディアの責任です。 水島朝穂早大教授のネットのコラム(3日)によると、「南ドイツ新聞」は「お仲間たちがその功績を偲(しの)ぶ」、「ニューヨーク・タイムズ」は「こうした反発は・・・首相在任期間に対する国民投票の色合い」と書いたといいます。 「東京」(9月27日付夕)社会面は、「国葬の陰 炊き出しに列」と池袋の公園の風景を紹介しました。「食事に窮する人たちがいる中、国葬に費やされる経費は約16億6千万円」「支援団体は『・・・政治家にはこの現場を見に来てほしい』と訴える」。これも大事な「国葬報道」です。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2022年10月9日 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-『国葬』をどう報じたか」から引用 日頃は「自民党応援団」のような論評が多い読売新聞の世論調査でも「よかったとは思わない」が54%もあったというのは、岸田首相の「読み」が完全に外れであったことを意味します。しかし、最近は日頃はリベラルと言われていた朝日新聞さえも、国葬出席のために来日した外国政府要人と岸田首相が形ばかりの「挨拶」を交わしたことを「さっそく弔問外交」などと持ち上げる記事を読むにつけても、日本のジャーナリズムの「退化」を感じないわけにはいきません。「儀杖隊」の過剰な演出や旧軍歌の演奏、弔砲など、私たちの憲法を蔑ろにする「国葬」などという儀式は、金輪際やってはならないものであることを国会は決議するべきだと思います。
2022年10月22日
安倍晋三氏同様に統一教会とはただならぬ関係にあると見られる細田衆議院議長は、議長である間は党籍を離脱する決まりになっているからとの理由で、自民党のアンケート調査の対象ではなかったが、「それはおかしいだろう」という党内外の声に押されてA4用紙に一枚のメモ程度の情報を、9月下旬に1枚、10月上旬に1枚を公にしたのだが、2回ともメモを公開しただけで、それに関する記者団との質疑応答は無しであった。このような細田議長の姑息な対応について、8日の東京新聞は次のように報道している; 細田博之衆院議長は旧統一教会側との接点に関する7日の補充説明でも、初めて会合出席などを認めた先月29日に続いて記者会見を開かなかった。衆院議院運営委員会の限られた与野党議員とは面会したものの、公表した文書を読み上げただけで、質疑はなかった。教団を巡って指摘される反社会性についての認識など、なお残された疑問は多く、野党は「説明責任を果たしていない」と批判を強めた。 細田氏は7日午前、衆院議運委の山口俊一委員長(自民)と与野党の筆頭理事に会い、新たに判明した教団との接点を説明。A4判1枚にまとめた前回の内容を含め、2枚にわたって出席した会合名や場所、日付などを記した文書を示した。 野党筆頭理事として説明を受けた立憲民主党の笠浩史氏は、細田氏が引き続き調査するとしたことを踏まえて「(接点が)まだあるんじゃないかと疑いたくなる。疑念は晴れていない」と訴えた。 細田氏は今回、自身が対象外だった自民党の点検項目に沿って回答を記述した。ただ、接点が生じた経緯や、教団が高額寄付や霊感商法の問題を抱えていたことへの認識などは書かれていない。安倍晋三元首相に引き継ぐ昨年秋まで会長だった自民党安倍派は、選挙で教団票の差配を中心的に担っていたともされるが、言及はない。 与党側は「精査した結果をしっかりと文章に書いており、議員として説明責任は果たしている」(山口衆院議運委員長)と幕引きを図る構え。一方、野党は臨時国会を通じて自民党と教団側の関係性をあぶり出し、来春の統一地方選もにらんで政権に打撃を与えたい考えだ。 共産党の小池晃書記局長は7日の記者会見で、「きわめて濃密な関係を教会や関連団体と持っていたことがはっきりした」と指摘。細田氏の対応について「自らの言葉で説明するのは議長として最低限の責任だ。議運委で問いたださなければいけない」と強調した。(佐藤裕介、我那覇圭)2022年10月8日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「細田氏、教団側会合に8回」から一部を引用 細田議長が公表した統一教会との関係を示すメモは、自民党が党内の議員を対象にしたアンケートの内容が「参加した統一教会主催の会合の名称、日時、場所」だったからというので、細田氏も同じ内容で自身に関わる「情報」を記述したようであるが、細田氏の場合は安倍派のリーダーであった時代から統一教会と接点をもっていたのだから、一般の自民党員と同じ「アンケート」で事足りるわけはなく、どの国政選挙ではどの候補に何万票を統一教会から都合してもらったのかとか、その見返りに自民党ではどのような便宜を図ってやったのか、というような「重大な」情報も隠さず公表して、その上で、「如何に不適切な行動であったか」を白日の下にさらして始めて、反社会的な団体とは今後どう対応していくべきか、という「真の解決策」にたどり着けるものと思われます。A4用紙のメモを2~3枚出せば、なんとかなるだろうという了見では、問題は解決せず何時までも紛糾を続けるだけだと思います。
2022年10月21日
岸田政権が国会も野党も無視して強引に実施した安倍元首相の「国葬」について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は8日付けの同紙に、次のように書いている; 安倍晋三元首相の国葬は、菅義偉前首相による追悼の辞がハイライトだった。日ごろ口下手な菅氏には不似合いな情感たっぷりの文章に当惑したが、読み終わると会場に拍手が起き、テレビやネットでも「感動した」と称賛されたから、友人代表の真情をドラマチックに表現したい狙いは、とりあえず成功したと言うべきか。 だとしても、伊藤博文をしのぶ山県有朋の歌を引用した締めくくりは、当惑より困惑を誘う。 かたりあひて尽しし人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ (共に語り合って国に尽くしてきた同志は先に逝ってしまった。残った自分は君亡きこの世をどう導いていったらいいだろう) 議員会館の安倍氏の机に岡義武著「山県有朋」があり、歌に線が引かれていた。安倍氏は右派論客の葛西敬之JR東海名誉会長に薦められて7年前に読了。今年6月、葛西氏の葬儀後、フェイスブックでこの歌に託し故人を追悼している。その折、改めて本を手にしたらしい。3週間後、自らも伊藤と同じく銃弾により落命。いきさつを知ってか知らでか、菅氏は同じ歌で安倍氏を送ったわけだ。 ひっかかるのは菅氏が、自らを山県になぞらえた政治センスだ。山県といえば、自由民権運動や大衆運動を弾圧し、議会と政党を嫌い、中央集権的市町村制を作った寡黙で陰湿な政治的怪物。力の源泉は人事を通した官界支配にあった。安倍政権における菅宣房長官の手法をほうふつさせる。 伊藤の死後、山県は最強の元老として他を圧した。菅氏は2人を「長年の盟友」と述べたが、実態は権謀術数渦巻くライバルだったから、重しが外れた途端、山県の暴走が始まるのだ。同書に書かれた「その後」を読めば、歌の意味も額面通りではなくなる。 うがち過ぎだ、素直に感動すればいいじゃないか、と異論もあるだろう。しかし、菅氏とスピーチライターがそこまで考えず引用したのなら、国葬という歴史的舞台の悼辞にしては安直すぎた。 誰もが「ポスト岸田」に思い巡らす政局で、菅氏はいくら自身の再登板を否定しても、息のかかった次世代首相候補の擁立をにおわせる限り、「令和の小元老」になる野心がないとは見なされない。 ふるさと納税、デジタル庁、カジノ、携帯電話料金、不妊治療……。思えば菅氏が進めた政策は、聞きかじりで飛びついたら、実は(やっぱり?)穴が開いていたという隙が多い。拙速が癖なのだろうか。安倍氏の葬儀から国葬まで80日近くあったのだから、原因は他にある。(専門編集委員)2022年10月8日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-菅前首相の山県有朋」から引用 この記事は、なかなか面白い。伊藤博文の国葬に際して山県有朋が読んだという歌を、菅前首相が安倍氏への弔辞の中で紹介するのを聴いて感動して拍手をした人たちのうち、何人が、いかにもそれらしい山県の歌に隠された本音を知っていたのか。しかし、菅義偉という政治家は大して大きな派閥に所属していたわけでもなく、安倍晋三や麻生太郎のように総理大臣のイスを狙うような「野望」をもって行動するタイプではなく、安倍氏が突然政権を投げ出した時の派閥の都合で偶然総理のイスを手にしただけと、思っていたが、一度総理の座に座ると辞めた後も影響力を行使したいという欲求が出てくるものなのか、不思議に思います。安倍晋三氏でも2回も総理大臣をやれたわけですから、菅氏にも出来ないことはないかも知れませんが、菅氏の政治が生活不安を抱えた国民にとって「救済」になり得るかどうかは疑問だと思います。
2022年10月20日
小説「橋のない川」で有名な作家、住井すゑの生誕120年を記念する展示会が日本近代文学館で開かれていることに関連して、文芸評論家の斎藤美奈子氏は5日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 1961年、住井すゑが『橋のない川』の第一部を刊行したのは59歳のときである。39年かけて第7部(92年刊)まで刊行されるも、97年、作者の死去で未完のまま終わった。 『橋のない川』は部落差別を告発した小説として知られる。誠太郎&孝二兄弟の少年・青年時代を描いた物語は波乱に富み、今読んでも新鮮。60年以上読み継がれてきたロングセラーだ。 水平社宣言から、今年で100年。日本近代文学館(東京都目黒区)では、すゑの業績をたどった特別展「生誕120年住井すゑ、95年の軌跡」が開かれている。 1902(明治35)年、奈良県に生まれたすゑは少女雑誌の投稿者として鳴らし、小学校教師を経て17歳で上京。講談社の編集担当に採用された。ところが翌年、女性のみ日給という差別待遇に抗議して退社してしまうのである。 その後は、同棲(どうせい)相手で後に結婚した作家の犬田卯(しげる)が病身だったこともあり、4人の子を育てながら童話を書きまくって生計を支えた。『橋のない川』に着手したのは夫を看取(みと)った後である。 若い頃は無産階級の女性解放運動に参加し、晩年は自宅敷地内の集会所で読者と対話を続ける。絶大な人気を誇る一方、論争の火種も提供。闘う作家だったのだと再認識した次第。特別展は11月26日まで。お見逃しなく。(文芸評論家)2022年10月5日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-闘う女性作家」から引用 明治・大正の時代は女学校を卒業すると才能のある者は15~16歳くらいで教員として教壇に立って働く、それでも自分の才能を十分に発揮できないと思えば単身で上京して出版社に勤務する、なんという行動力か、驚いてしまいます。名作「橋のない川」は、それまで「部落差別」など知らずに生活していた多くの日本人に「人権問題」を意識させる重要な機会を提供したもので、さらに多くの人たちが「生誕120年住井すゑ展」を訪れてほしいと思います。
2022年10月19日
日本学術会議のメンバーは任期ごとに政府が105人の委員を任命すると法律に規定されているにも関わらず、菅前政権は99人しか任命せず、6名は空席という違法状態が放置されていることについて、早稲田大学法学学術院教授の岡田正則氏は4日の朝日新聞インタビューに応えて、次のように述べている; 日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題は発覚から2年を迎えてもまだ、解決の見通しがたっていない。拒否された1人、早稲田大学の岡田正則教授に聞いた。◆法的におかしい「終わった」は責任逃れ――今の状況をどう見ますか。 首相が代わっても経緯を説明できず、今は「(当時の)菅(義偉)首相が6人を任命拒否した」という既成事実だけが残っています。手をつけると、政府自体がダメージをうけるような課題になってしまっているので、現状維持というのが今の政府がとりうる唯一のやり方なのかなと感じます。――政府は「一連の手続きは終了した」と説明しています。 法的にみれば、105人任命する責任があるところ、99人しかしていないのですから、明らかにおかしい。「終わった」というのは責任逃れです。――学術会議の梶田隆章会長は政府側に名簿の再提出を提案しています。 学術会議側の選考の中身や手続きには全く瑕疵がなく、落ち度は政府側にあるということでしょう。その意味で正論です。ただ、政府側は、名簿を提出されても「もう終わっているんだから」とやり過ごせてしまう。膠着状態が、任期満了の2026年までずるずる続くことも予想されます。新たな会員が推薦され、6人の欠員も解消できますから。――岡田さんは情報公開請求をするなど、任命を求める活動を続けられています。 今の不正常な状態について、きちんと「問題だ」と声をあげ、問題提起をし続けないといけない責任があります。うやむやになってしまうのは今後にとってよくありません。――任命拒否問題の背景には何がありますか。 今は、科学技術は世界戦略の中で、それぞれが自国の立ち位置を有利にするために使える道具になっています。先端技術が、どんな人のどんなことに役立つのか、というのを批判的に点検されると政府は困るんです。例えば、軍事的な優位性を確保するために科学技術を動員したとき、「間違った誘導だ」と批判されると政府は困る。そこで、おどしをかけて口封じをしたのでしょう。 17年に、学術会議は軍事研究に否定的な声明を出しました。こうしたものを次々に出されると厄介なので、ここで一発足払いをかけて動きをとめる、ということなんでしょうね。私たち6人を選んだ理由はなく、見せしめになればだれでもよかったんだと思います。(聞き手・藤波優)<おかだ・まさのり> 早稲田大学法学学術院教授。専門は行政法。司法試験考査委員(2008~17年)、国立国会図書館の事務文書開示・個人情報保護審査会の会長代理(11~21年)なども務めた。 18年には沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐり、防衛省がとっだ法的手続きについて共同声明で批判した。2022年10月4日 朝日新聞朝刊 13版S 27ページ 「科学・環境-続く膠着状態『学問の自由』求めて」から引用 この記事で岡田氏が述べているように、「105名を任命する」と法律に明記しているのに99名しか任命しないというのは、違法でありこれをうやむやに済ませるべきではありません。また、法律では「政府の任命に先立って、学術会議は政府が任命すべき人物を一覧表にして政府に提出する」こととなっており、人選は学会が行ない、政府は学会が提出した名簿をそのまま任命すると、法律に明記しているわけで、政府が「この人はいいが、この人はダメ」などと取捨選択することは許されていないのですから、政府の「違法な介入」を放置してはならないと思います。「学術会議」問題に限らず、昨今の日本政府は学問・教育の様々な局面に政治介入をしており、それが結果的に学問や教育活動を不活性化させており、学術雑誌に発表される論文の数も最近は中国や韓国に追い越されているという事態になっており、経済のみならず学問・文化の面でも日本は世界の進歩から置き去りにされるのではないかと危惧されます。
2022年10月18日
6割も7割もの国民が「反対」や「疑問」を唱えても、平気で自分の意志を押し通す岸田政権について「これでは民主主義が機能しない」と主張する読者の投書が、3日の東京新聞に掲載された; 安倍氏の国葬が終了してほっとした。メディアは「国論を二分」と大騒ぎしたが、6割以上が反対という世論調査結果も多く、「政府は説明不足」と考える人は7割超え。「二分」ではないのだ。賛成派は、反対者は左翼系の人たちなどと主張するが、日本に7割もの左翼が存在しているのか、少し考えれば分かる。右でも左でもない人たちも反対したのだ。 いずれにせよ、民主主義を掲げる日本で、岸田首相は国民の大半の声を無視した。国民の声を無視する首相が、安倍、菅、岸田と3代も続く。なぜそんな人たちを選んだのか。それはブーメランのごとく国民に跳ね返る。日本では民主主義は機能していないのだ。 もし平和を願い、生活を改善したければ、選挙に行き、独善的でない政治家を選ぶしかない。2022年10月3日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-民主主義が機能せず」から引用 ただ長く続いただけで、北方領土問題も拉致問題も何も解決しないどころが、かえって悪化し、内政では森友学園、加計学園、サクラ問題と政治を私物化し、それを糊塗するために虚偽答弁を118回も繰り返したという変な「レガシー」を残しただけの政治家を、「国葬」をぶち上げることで一挙に自分の「支持率」回復に利用しようなどという邪な企みは、結局裏目に出て支持率は益々下落することになってしまった。こういう馬鹿げた政治を、まともな路線に戻すには、かつての民主党政権に愛想を尽かせて選挙に行かなくなってしまった「層」に、再度投票場に戻ってもらって、もう一度「政権交代」を実現して民主政治を復活させなければなりません。野党が信頼できるのか、というような問題の立て方ではダメで、議会制民主主義の「基本」は「A党がだめなら、B党に投票する」という割り切った考えで政治に臨むべきなのだと思います。
2022年10月17日
岸田政権は法的根拠の無い「国葬」を実施するに当たってどのような正統性があって実施するものなのか、丁寧に説明していくと再三述べていたにも関わらず、結局「国葬」当日に至るまで中身のある「説明」は一言もなく過ぎてしまったのであった。そのような状況について看護師でエッセイストの宮子あずさ氏が、3日の東京新聞に次のように書いている; 多くの市民の懸念や疑問はそのままに、安倍元総理の国葬は予定通り行われた。国会の議決を経ず閣議決定だけで実施が決まった経過は、議会制民主主義の軽視である。これが既成事実化しないように、これからも政府の行動を注視したい。 とはいえ、国葬が十分な支持を得られなかった事実は、さすがに後味が悪いのだろう。自民党の萩生田政調会長は27日の会見で、閣議決定の手続きは肯定した上で、「国民に国葬に取り組む政府の思いが上手に伝わらなかった」と反省の弁を述べた。 しかし、これはあまりにも的外れな反省というほかない。私たちが求めるのは、論理的な説明であり、政府の「思い」ではない。法律の専門家などからも、憲法上の問題が指摘され、国会での議決を経ない決定に批判の声が止まらなかった。その声に、政府はいまだまともに答えていない。 国葬当日、政府の「思い」は、主に菅氏の弔辞を通じ、過剰なまでに語られた。私たちは「思い」ばかりが語られ、まともな説明がないことに怒っている。 そもそも「思い」は、論理性を超えた領域にある。私は看護師として、患者の「思い」を汲みたいと思う。しかし、政府に求めるのは、論理的な説明に尽きる。 政府が「思い」を持ち出して説明から逃げるのは、卑怯(ひきょう)な態度というほかない。(看護師)2022年10月3日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-思いに逃げるな」から引用 このエッセイでは「故人に対する思いばかりが語られて、もともな説明がなかった」と言っているが、これはかなり岸田政権の肩を持った「言い方」のように、私は感じます。岸田首相のこう言う態度は、岸田氏が始めたわけではなく、森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会の問題のときも、安倍政権は予算委員会などの質疑の場で、野党の質問を遮るわけではないが、答弁に立つと野党議員の突きつけた「疑問」をただ否定するだけで、否定するための根拠などは一切示すことなく、無駄な言葉を連ねて質問時間を空費させて質疑を終わるという卑怯な手段に明け暮れたものであったが、岸田首相もその前の菅首相も、みな同じ手法で、無意味な答弁を繰り返すことで質疑の時間をつぶして、それで終わりにするから、結局何も解決はしておらず、違法な事態はそのまま残されてしまうのである。こういう違法な政治手法を何時までも放置するわけには行きませんから、遠からず自民党には相応の責任を取らせなければならないと思います。
2022年10月16日
在日外国人の殺害を示唆する落書きが3週間もJR赤羽駅に放置された問題について、2日の神奈川新聞は次のように報道している; 東京都北区のJR赤羽駅で在日朝鮮人を差別する落書きが見つかった。ホーム上に張り出された横断幕に「朝鮮人コロス会」と書かれていた。9月30日、指摘を受けた駅員が消去したが、ただの落書きではない。特定のマイノリティー集団に危害を加えることを告知・扇動するヘイトスピーチであり、差別を動機とした器物損壊のヘイトクライムでもある。さらなる差別犯罪を防ぐ対応がJR東日本と行政、警察に求められる。(石橋学) 同区にある東京朝鮮中高級学校の高3の男子生徒が9月9日、登校途中に見つけた。同30日、母親から伝え聞いた東京純心大教授の佐野通夫さんが同駅を訪れ、差別落書きがそのままになっていることを確認し、駅員に指摘した。 JR東日本首都圏本部によると、すぐに文字が見えないようテープで目張りをし、その後、同日深夜に消す作業を行ったという。 地元の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)東京都北支部は1日、「在日朝鮮人の生存権を脅かし、尊厳を傷つける人権侵害。学生が直接目にして、非常に怖い思いをしてしまった」として、安心して利用できる環境づくりを要請。警察や区、法務局と連携し、速やかに犯人を特定したり、再発防止措置を講じたりするよう求めた。 JR東日本は神奈川新聞社の取材に「落書きを駅社員が早期に発見できなかったことは申し訳なく思う」とコメント。警察には通報したが、器物損壊の被害届を出す予定はないという。◆「市民の良心信じたい」対応求め在日コリアンら 赤羽駅に対応を申し入れた朝鮮総連東京本部北支部委員長の趙誠渾渾(チョソンテク)さんは「落書きに気付かずに申し訳ありません、では終わらない問題だ」と強調する。「駅のホームでヘイトスピーチがあった事実は重大。差別をあおる書き込みを見た人はたくさんいたはずだ。ヘイトを打ち消すメッセージを出すのがあるべき対応だと思う」 北区には多くの在日コリアンが暮らし、同駅は東京朝鮮中高級学校の生徒も多く利用する。自身も朝鮮学校に通った趙さんは、登校途中に制服のチマチョゴリを切り裂かれ、泣きながら教室に入ってきた女子生徒のことを思い返す。「私たちは平和な暮らしを望んでいるだけだし、『朝鮮人を殺す』と発想する人もごく一部と思う。だからこそなおさら憤りがある」 実際、そのごく一部が命を奪いかねないヘイトクライムを起こしている。川崎市ふれあい館に相次いだ虐殺宣言などの脅迫に、在日コリアンが集住する京都府のウトロ地区などへの連続放火。趙さんは信じたくはないというように「差別落書きがヘイトクライムにつながることはないと思いたい。市民の良心を信じたい」と強い調子で言った。 多くの人が行き交う駅のホームに、殺害を肯定するメッセージは3週間以上放置されていた。一体どれだけの目に触れ、見て見ぬふりがなされてきたのか。「朝鮮学校『無償化』排除に反対する会」の共同代表として、やはり駅に対応を求めた佐野通夫さんは「私自身、怒りを覚えたが、男子生徒のような恐怖は感じなかった。差別を受けないマジョリティーは自分と無関係と受け止めてしまう」と話し、続ける。「外国のように首長や政治家が非難を表明することが大事だ」 傍らで趙さんもうなずいた。「良心があるなら行政も議員もしっかり対応してくれるはずだ」(石橋 学)2022年10月2日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「JR赤羽駅『朝鮮人コロス』落書き」から引用 外国人の殺害を示唆する落書きを3週間も放置して「駅社員が早期に発見できなかったことは申し訳なく思う」と率直に謝罪する態度は良いと思いますが、しかし、警察に被害届を出さずに穏便に済ませようという態度はいただけません。卑劣な落書きをするような人間は、甘い態度を見せているとそのうちまた、同じような悪事を繰り返す可能性は大きいと言えますから、次回は犯人をしっかり特定できるように、落書きされそうな場所には防犯カメラを設置するべきと思います。
2022年10月15日
岸田政権が「安倍国葬」を強行したことについて、法政大学名誉教授・前総長の田中優子氏は2日の東京新聞に、次のように書いている; 拝啓安倍晋三様。国葬が終わりました。おかけさまで国葬までに実に多くのことが分かり、またあなたさまの言動を改めて思い出すことになりました。 国葬は天皇陛下が自らの臣である政治家の功績をたたえることで国民を統合する目的でなされていました。その統合を政府と軍部が権力の集中に利用し、戦争に深入りしていったことは周知の通りです。今日あえてそれを行うその動機を、政治学者の片山杜秀氏は日本の歴史を踏まえた上で「将軍的欲望」と喝破しました。実に正確な表現です。なぜなら国葬は、それを実施した主体が権力のみならず権威をその身にまとおうとする行動だからです。その行為はまさに、あなたさまの生前の言動に直結しています。 ご自身の名前を冠する学校が建設されるのなら、国有地が安く売却されてもかまわなかったようです。 国民のものであるはずの公文書も、ご自身の権力と権威を傷つけるものであるなら、書き換えるのは当然だったのですね。 ご友人が望むなら国家戦略特区を都合する程度のことは当たり前で、 支援者を増やすためなら宴会に税金を使うのも自然だったのでしょう。現行憲法を、天皇を元首にいただき軍隊を保有する戦前の憲法に逆戻りさせる改正草案は、将軍的欲望が日本の歴史上実施してきた制度設計そのものです。それさえやっておけば、権力も権威も軍事力の増強も思うがままなのです。 ◇ ◆ ◇ ところで、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、国民に向かって叫んだあなたの目に、彼らは何に見えていたのでしょうか? 勝共連合との強い絆が明らかになった今、「こんな人たち」が全員「共産主義者」に見えていたのかもしれないと推測できます。終戦を知らずに森林で暮らした日本兵のように、冷戦の終結も共産主義国の経済政策の変化も「こんな人たち」が共産主義者などではなく、あなたの党の名称になっている「民主」主義を希求する「自由」主義者であることも、ご存じなかったのかもしれません。民主主義の根本である国会での議論も軽視しましたね。仕方ありません。あなたは家業を全うするために政治家になり、その努力の目的は国民のためではなく、共産主義者と戦って御祖父に褒めてもらうことだったのですから。 あなたと強い絆で結ばれていた宗教団体と同じく、あなたにとってもっとも大事なのは「先祖」だったのでしょう。あなたの党の方々の多くが、この宗教団体の支援を受けていらしたようです。もしかしたら古代日本の政治家がそうであったように、国葬という形であなたを称揚しなければ、党に不吉なことが起こるかもしれない、という恐怖感があったのかもしれません。 ◇ ◆ ◇ 国葬の意味を歴史的に捉えた片山杜秀氏は、今が、真のファシズムが誕生する可能性のある「ファシズム前夜」だと指摘なさいました。日本の経済と地位が下がり続け、「強い将軍」を求める人々が出現する可能性があるからです。見せかけの強さは戦争への突入で演出することが可能です。 私は日本がその道に突進することに決して同調せず、考え続け言葉を発し続けます。二度と日本に将軍的欲望が横行することのないよう、憲法が求める「不断の努力」を続けようと思います。2022年10月2日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-拝啓・安倍晋三様」から引用 この記事は皮肉が効いていてユーモアを感じさせるが、しかし安倍政治の本質をズバリ言い当てていて大変説得力に富んでいると思います。安倍氏は首相の座にありながら、街頭演説で野次られると「こんな人たち」と呼んで野次を飛ばした人たちを蔑んだのでしたが、彼らこそは「自由」と「民主主義」を求める人たちだったこと、安倍氏こそは「自由民主党」の総裁でありながら、わが国の自由と民主主義を破壊しつつあったことを気付いていなかったという「歴史の逆説」が、しっかりと表現されており、こういう人物を国葬にしたという「アナクロニズム」を自覚し、今や「ファシズム前夜」にいるのだという自覚を持つべきだと思います。
2022年10月14日
写真週刊誌として有名な「フライデー」が、統一教会の信者向けの「ネット会議」の様子をスクープして報道し、自民党が表向きは「そのような反社会的な団体とは接触を断つのが世の中の常識で、もし何か接点を持つ議員がいれば、その議員は個人的に適切に対処すれば良いのだ」などと言っていたが、実は裏で通じていることが明らかになった。そのことを、雑誌編集者の篠田博之氏が2日の東京新聞に、次のように書いている; 前回触れた『フライデー』の旧統一教会(世界平和統一家庭連合)内部情報のスクープだが、あちこちで話題になっており、同誌は10月14日号に第2弾を掲載した。見出しは「旧統一教会信者向け『ネット会議』で飛び出した爆弾発言すべて書く」だ。 ネット会議とは教団が全国の支部の現場責任者クラス向けに行っているもので、同誌は8月19日開催分の音声データを入手したという。前号ではその中から田中富広会長の話を報じたのだが、信者向けとあって”ぶっちゃけトーク”で本音を語っていた。例えば今矢面に立たされている自民党議員についてはこう話していた。 「今、自民党のほうからとにかく静かにしてほしいとのことで・・・心は離れていなくても、マスコミがヒステリー状態になっているので身をかがめてやり過ごすしかない」 最新号の第2弾では関連団体幹部の話が紹介されている。教団の関連団体がたくさん作られているのは「ファイヤーウォール、防火壁」であり、トラブルなどが起きた時に「その責任が宗教法人に降りかからないように作っている」と語っている。 政治家が関連団体に関わったとしても「統一教会そのものとは違うので、教会が起こした問題には責任がありませんよということで、この壁で議員たちや政治家が守られるように何とか機能させていたんです」という。巷間言われていることではあるが、当事者が自ら語るのは説得力があるし、わかりやすい。この幹部は、今の事態はその壁が突破されているとして信者たちに危機感をあおっているのだった。 こうした内部の話が漏れたことに教団側で動揺も起きたようで、今回の記事には匿名の教団関係者のこういう証言も載っている。「フライデーにネット会議の詳細が報じられ、教団内部には動揺が走りました。完全に内部向けの会議が流出しためは、信徒の間にそれだけ教団トップへの不信感が募っているということでしょう」 記事掲載以降の「ネット会議」はすべて中止になったという。旧統一教会と政界の癒着問題、追及は今後、どこまで進むのだろうか。(月刊『創』編集長・篠田博之)2022年10月2日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「週刊誌を読む-政界との癒着、追及どこまで 旧統一教会の内部情報流出」から引用 自民党幹部が統一教会に伝えた内容では「マスコミがヒステリーになっている」とのことだが、これは話を盛っているのではないかと思います。真面目に「統一教会問題」を追いかけているのは「週刊文春」と「フライデー」くらいのもので、大手新聞は後追いできれば良い方で、大方は当たり障りのない記事しか書いていない。大手新聞がそういう態度だから、自民党も「身をかがめて嵐が過ぎるのを待てば、やがてまた『自民党と統一教会の天下』が来るのだと確信しているわけだ。ここは当てにならない大手新聞は見限って、不正は不正として何処までも追及して行く正義感のある週刊誌に期待したいと思います。
2022年10月13日
憲法違反の安倍氏国葬では、演奏された曲目も侵略戦争の最中に謳われた曲目があり、如何にも戦前を彷彿とさせる古色蒼然たる題名の曲が、実は数年前に現職自衛官によって作曲されたものだったという呆れた事実について、前文科事務次官の前川喜平氏が2日の東京新聞に、次のように書いている; 安倍氏の国葬で自衛隊の音楽隊が演奏した曲の名を見て戦慄(せんりつ)を覚えた。 黙祷(もくとう)の際に演奏された曲は「國(くに)の鎮(しず)め」。明治時代に作られた軍歌で、その歌詞はこうだ。「國の鎮めの御社(みやしろ)と斎(いつ)き祀(まつ)らふ神霊(かむみたま)今日の祭りの賑(にぎわ)ひを天翔けりても御覧(みそなわ)せ治まる御世を護(まも)りませ」。御社とは靖国神社や護国神社のこと。神霊とは戦死者の霊のこと。これは明らかに国家神道の歌だ。国の機関が行う行事でこのような曲を演奏することは憲法20条3項の政教分離原則に違反している。 天皇の使いの拝礼の際に演奏された曲は「悠遠なる皇御國(すめらみくに)」。これも戦前に作られた曲かと思いきや、作曲者は自衛隊の音楽隊員で、初演されたのは2019年だという。悠遠とはアマテラスオオミカミに始まる皇統の古さを表す言葉だ。皇御國とはアマテラスがその孫であるニニギノミコトに与えた神勅により代々の天皇が治める国のことだ。この曲名は戦前の國體(こくたい)思想そのものではないか。僕はわざと國という旧字を使って今は通用しない観念だということを示しているのだが、この曲の作者は逆に國體を復活させたいと思ってこの字を使ったのではないか? この曲名は天皇を主権の存する国民の総意に基づく象徴とする日本国憲法に反している。せめて曲名を「平和なる日本国」にでも変えてほしい。(現代教育行政研究会代表)2022年10月2日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-ユウエンナルスメラミクニ」から引用 「悠遠なる皇御國」とか「天照大神」とかの「神話」は、6世紀頃に大和朝廷を立ち上げた豪族や朝鮮半島からの渡来人たちが、自分たちの権力の「正統性」を主張するためにでっち上げた「作り話」に過ぎない。皇国史観や国体思想は、明治維新や中国侵略に動きだすときの「原動力」になったイデオロギーであり、今では誰も見向きもしない。個人的な好みで勝手にそういう曲目を楽しむのであれば、それは個人の勝手であるが、国が公に実施する行事で演奏するのは明らかに憲法違反である。天照大神の子孫が統治した国は77年前に敗戦で滅亡したのであり、その時の「戦犯」であった天皇は、国民主権を了承したから処刑を免れて現代に子孫を残すことができたのだという歴史の事実を、私たちは忘れてはならないと思います。
2022年10月12日
日本が戦争に負けたのは今から77年も前のことで、それ以後日本は平和国家として歩んで来たつもりでいるが、実はまだ戦後処理が終わっていないと、毎日新聞記者の栗原俊雄氏が1日付けの同紙に、次のように書いている; 安倍晋三元首相の「国葬」が9月27日に執り行われた。国民の反対論が多い中で政府が断行したことで、「国葬」でなければ冥福を祈り手を合わせていたであろう人たちの心持ちを、変えてしまったのではないか。 いずれにしても、安倍元首相は多くの人の記憶に深く刻まれただろう。同じく「国葬」された吉田茂のように、教科書に記されるようになるかもしれない。 一方で、同じ人間でありながら社会から忘れられようとしているか、忘れられてしまった死者たちが存在する。国策である戦争で殺された人たちだ。私は20年近く、彼ら彼女らのことを取材している。 * * たとえば、東京大空襲の被害者たち。第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、300機以上の米爆撃機B29の無差別爆撃により、およそ10万人が虐殺された。教科書に記載されている。テレビドラマや映画、ノンフィクションなどで繰り返し描かれており、この空襲を知っている人は多いだろう。では、10万人の遺体がどうなったかを知っている人は、どれくらいいるだろうか。 東京都は軍部と相談した結果、空襲による死者を2万人程度とみていた。欧州戦線における連合軍のドイツ爆撃の被害を参考にしてのことだ。1度の空襲ではなく、戦争全体の被害想定であった。結果的に大甘な見込みだった(近年、政府は防衛力の強化など戦争への備えを進めているが、まともな被害想定をしているのだろうか。この問題は稿を改めて考えたい)。また当時、都の火葬場で扱うことができる遺体は1日500体でしかなかった。10万体に対応するのはおよそ不可能だった。 政府はそれでも戦争を続けるつもりで、膨大な遺体を放置するわけにはいかなかった。衛生上の問題があったし、市民の士気にもかかわる。だから急いで埋葬した。軍人と警官、子どもや囚人まで動員された。学校や寺、墓地や公園、空き地や民有地など手当たり次第に埋められたのだ。死者の尊厳など二の次だった。 この仮埋葬は、3月10日以外の東京空襲でも行われた。敗戦後の48年度~51年度、8万体余りが掘り起こされたとされる。3年以上土中にあった遺体のうち身元が分かったのは1割にも満たなかった(「戦災横死者改葬事業始末記」東京都慰霊協会編・82年)。身元不明、引き取り手のない多くの遺骨が東京都慰霊堂(墨田区横網町)に納められた。もともとは関東大震災の犠牲者の遺骨を安置する施設だが、空襲被害者のそれは専用施設がなく、いわば間借りすることになり、現在に至っている。 「東京都戦災誌」(都編さん、53年)によれば、仮埋葬地は「約150ヵ所」。ところが場所が明記されているのは、上野公園など70力所程度。他の調査を含めても100ヵ所に届かない。他はどこか分からないのだ。「150ヵ所」とある以上、それぞれの場所を記した資料があるはず。そう考えた私は都の公文書館などで探したが確認できなかった。 極限状態で急いで埋められた遺体、遺骨のすべてが掘り起こされたとは考えにくい。今も埋まっている可能性が高い。子どもたちが走り回る学校や公園に。あるいは大人が酒盛りする広場に。一家団らんの家の下に。「国葬」どころかそこで眠っていることを誰も知らず、誰も手を合わせず、一輪の花も手向けられないままに。 * * 敗戦から77年。今も空襲で行方不明になった肉親の遺骨を捜す人がいる。河合節子さん(83)はその一人だ。両親、3歳と1歳3ヵ月の弟2人との5人家族で東京・深川で暮らしていた。東京大空襲の日、河合さんは茨城県に疎開していた。残っていた母親と弟たちが命を奪われ、父親は顔に大やけどを負った。3人の遺体、遺骨は見つかっていない。 河合さんは2020年8月、自宅のあった周辺を訪ねた。3人の手がかりが得られるのでは、との期待からだ。私は同行させてもらった。図書館で手に入れた古い地図などを頼りに、家の跡地や周辺を歩いた。何も分からなかった。 今回の「国葬」には16億6000万円の税金が投入されたとのこと。 私は「戦災誌」に掲載されていない仮埋葬地をいくつか知っている。一新聞記者が調べて知ったことだ。行政が本気になれば、もっと多く判明するだろう。たとえば地元の伝承や各自治体の記録などを掘り起こし精査すれば、「戦災誌」が伝えていない埋葬場所が分かるのではないか。 新たに遺骨を掘り起こせば、遺族とのDNA鑑定で身元が分かる可能性がある。それが難しくとも、碑を建てるなど慰霊の機会を増やすべきではないか。戦争という国策で亡くなった人たちをしっかりと追悼することにも、税金は使われなければならない。それこそが、安倍元首相が目指していた「美しい国」の在り方だと思う。2022年10月1日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「現代をみる-『国葬』と忘れられた戦没者」から引用 この記事の冒頭の部分では、法的根拠もなく国会の審議もなくして強行された安倍氏国葬によって、やがて安倍氏の名は教科書に載るかも知れないなどと書いているが、それは悪い冗談か、もしくは日本の民主主義がそれほど「風前の灯火」と化していることを意味しているのかも知れない。しかし、各種の世論調査では「国葬の強行は評価できない」との声が60%を超えている事実は、安倍氏国葬の後であっても、モリカケ桜の真相を明らかにし、安倍氏と統一教会の関係はどのようであったかを可能な限り調査することを要求しているわけで、健全な民主主義を維持して行きたいものです。故・安倍氏は首相就任中に戦後70年の節目に当たり談話を発表し、戦争が終わって70年も経ったのだから、将来の日本人が戦争の責任を取らされることのないような社会にしなければならない、というようなことを言っていたが、その割には「そのためには、今何をするか」というような発言も施策もなく、自分がそう言えば世の中がそうなる、とでも言うような、極めて無責任な談話であった。近隣諸国への加害責任は未来永劫、日本人は忘れてはならないものであり、それ以上に自国の戦争犠牲者の実態調査としっかりした追悼式典を行なうべきで、そのような事例には目もくれずに「ウクライナが侵略されたから、日本も防衛費増額を」などと言って次の戦争の準備をするという愚かな政治には、「断固反対」の声を上げていくべきと思います。
2022年10月11日
政府が強行した憲法違反の「国葬」の様子を、粛々と垂れ流したNHKから憲法学者の適切なコメントを挟みながら中継したTBSまで様々な中継の仕方について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は9月28日の東京新聞に、次のように書いている; この2ヵ月、旧統一教会に対する批判的な報道を続けてきた「情報ライブミヤネ屋」(読売テレビ・日本テレビ系)。 8月10日と9月22日に教団の幹部による記者会見が開かれた際も「ミヤネ屋」は会見を中継しつつ、有田芳生氏や鈴木エイト氏の「生ツッコミ」を入れて「異議あり」の姿勢を示した。茶番の会見を相対化する新手の手法だった。 で、27日に行われた安倍元首相の国葬。各局の中継をザッピングしながらざっと見た限り、比較的マシだったのはTBSである。式典を粛々と流すNHKは論外としても、各局が神妙に中継を続ける中、安倍氏の生前の業績を讃える(不愉快な)映像が流れる間も岸田首相ほかの(白々しい)追悼の辞の間も、木村草太氏らをコメンテーターに加えたTBSはスタジオでの雑談というか会話を挾み続けた。 直近の世論調査では国葬に反対する人が6割以上を占めた。それでも国葬は強行された。が、ふり返ると、反対派が必ずしも「負けた」わけではない。6割が反対に回ったのはデモや署名活動の成果であり、反対論をメディアが無視できなくなった結果である。 式典は明らかに安倍氏の個人崇拝を狙ったものだったが、反対論の高まりで、故人の神格化は辛うじて免れたのではないか。もしみんなが黙っていたら・・・と思うとゾッとする。(文芸評論家)2022年9月28日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-中継の作法」から引用 国民の6割が反対しても自分たちは「国葬」を実施できるんだと自信を深めた右翼政治家は、今度は「安倍記念紙幣」の発行を言い出したと聞きますが、調子に乗るのもいい加減にしたほうがいいと思います。あまり変なことばかりやっていると、岸田政権支持率がますます下落するばかりで、国政選挙の無い「黄金の3年」が下手をすると「いばらの3年」にもなりかねません。この辺で岸田氏もそろそろ「誠実路線」に本格的にハンドルを切らないと、短命政権で終わることにならざるを得ないのではないでしょうか。
2022年10月10日

かつて大日本帝国が日露戦争に勝利した際の戦利品として中国から持ち出した「歴史的な石碑」が、今も皇居に飾られており、これを中国に返還しようという運動が日中双方の市民の間にあると、9月25日の東京新聞が報道している; 百十年以上前に、日本軍が中国から戦利品として運び去った歴史的な石碑が、皇居内にある。中国の民間団体から返還を求める声が上がり、日本でも草の根レベルで応える動きが出てきた。世界的に進む文化財の返還は、歴史の清算を意味する。今月29日、日中国交正常化から50周年を迎えるが、今後もこの碑を皇居内に置きっ放しでいいのか。(大杉はるか)◆宮内庁へ国内団体が初の要望 その石碑は「鴻臚井(こうろせい)碑」といい、皇居・吹上御苑の一角にある。横3メートル、高さ1・8メートルの巨石だ。 中国からの収奪文化財返還を求める市民団体「中国文化財返還運動を進める会」は先月末、宮内庁に、碑の歴史的意義についての認識などを求める要望書を手渡した。同会によると、宮内庁側は「国有財産法に従って管理しており、外国との関係について申し上げる立場にない」と回答するにとどめた。同席した立憲民主党の吉田忠智参院議員は「実際に確認したい」と申し入れたが、「立ち入り禁止区域なので」と断られたという。 同会が発足したのは昨年末。中国では1990年代から、学者らが鴻臚井碑の研究を始め、2001年には北京市の有志が研究会を設立。その後、市民団体が返還を求めるようになった。日中戦争中の重慶爆撃などの原告代理人を務めた一瀬敬一郎弁護士が18年、研究会のメンバーらと会ったことが、会発足につながった。共同代表で「村山首相談話の会」理事長を務める藤田高景氏は「戦後77年がたったが、日本人が宮内庁に正式に申し入れたのは初めてだ」と話す。同会は碑のほかに、日清戦争(1894~95年)時に日本に運び込まれた石獅子の返還も求めている。 それにしても、鴻臚井碑とはどういうものなのか。 碑はもともと、今は軍港になっている遼東半島の旅順にあった。「渤海国とは何か」(吉川弘文館)の著者で、金沢大の古畑徹教授(東洋史)によると、唐(618~907年)の皇帝玄宗が、東側にあった渤海(698~026年)の王・大祚栄(だいそえい)のもとへ使者を派遣し「渤海郡王」という地位を与え、外交関係を結んだ。その使者が714年、帰路に両国関係の発展を祈って井戸を掘り、それを記念して建てたのがこの石碑という。 古畑氏は、両国が手を結んだ意味について「東アジアの国際関係が大きく変わる契機になった」と話す。 「唐は当時、周辺の遊牧勢力の台頭を受け守勢に回っていたが、玄宗は攻勢に出る一手として、渤海を味方につけようとした。これを機に唐は全盛期、渤海は安定期へ向かったといえる」 ではなぜ1300年前の歴史的碑が、皇居にあるのか。鴻臆井碑に関する記述は、1908年に斎藤実海軍大臣が日露戦争(04~05年)の戦利品を宮中に引き渡す際の書類に出てくる。古畑氏は「日露戦争の激戦地だった旅順にあった碑を、その勝利と関連づけて持ってきた」とみる。経緯を調べた故・酒寄雅志氏の論文には「遼東半島を日露講和で取り戻した日本は、満州侵略の歩みを進めるが『鴻臚井の碑』はその手はじめでもあった」とある。 皇居内には、日清戦争以降、戦利品や戦没者の名簿などを納めた「御府(ぎょふ)」が5つ建設された。宮内庁によると、鴻臚井碑は、このうち日露戦争関係の御府「建安府」の前にある。同庁担当者は「47年の新憲法施行に伴い、国有財産(皇室財産)になった」と説明。だが公開はされていない。「立ち入り禁止区域内であり、セキュリティーと静謐さを保つ必要がある」との理由からだ。2022年9月25日 東京新聞朝刊 11版 22ページ 「中国から略奪 石碑『返そう』」から引用 ロシアとの戦争に勝ったから、その場にあった中国の文化財を戦利品として強奪するとは、そういうことがまかり通る時代であったとは言え、あまりにも野蛮な話です。1300年も昔に繁栄した「唐」と「渤海国」が互いの繁栄を祈念して作成した石碑が日本にあるのは不自然な話で、不当に持ち出された文化財はやはり、元の場所に返還されるべきと思います。
2022年10月09日
ヘイトスピーチ規制条例の制定を検討している神奈川県相模原市では、有識者で組織した人権施策審議会が全会一致で罰則を盛り込むことを決めてその旨答申したところ、その答申を受理した相模原市人権・男女共同参画課が市長宛に作成した報告書には「審議会では意見が割れたため、罰則を盛り込むかどうかは市長判断となる」などと改ざんされた「内容」が書かれていたため、審議会委員から批判の声があがっている、と9月25日の神奈川新聞が報道している;◆答申案を軌道修正 ヘイトスピーチ規制を含む人権条例に関する答申について検討している相模原市人権施策審議会が24日、開かれた。不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)に罰則規定を盛り込むことを7月の審議会で決定したが、市作成の資料には「罰則を付すか否かは決着していない」と記載されており、委員らが軌道修正する事態となった。 7月の審議会では、不当な差別的言動と悪質な犯罪扇動を規制するため、答申に罰則規定を盛り込むことを全会一致で決めた。その上で、罰則の適用は2~3年程度凍結することがあり得るとしていた。 しかし、市がこの日「確認したい事項」として示した資料には「罰則を付すか否かの判断は決着せず、市長が判断するという共通認識でいいか」と記されていた。 この点について、法政大教授の金子匡良委員は「審議会で一致した見解と違う。市長が『罰則をつけない』と判断する余地はない。市長に判断を任せるのは、罰則のレベルと凍結を付けるか否かだ」と強調した。 神奈川人権センター副理事長の工藤定次副会長も「罰則を付すことは全会一致で決まった共通認識だ。事務局の認識はかなり違う」と苦言を呈した。 市の資料には「(規制対象や罰則の強度について)多様な意見があり、一本化して答申することが困難だった」「規制に当たっては慎重に検討を進めるべきだ」といった記載もあったが、この点についても委員らから批判が相次いだ。 金子委員は「市の資料には『審議会で(規制に)慎重な意見があった』という文章がそこかしこにあるが、市長に『審議会はそう考えているのか』と予断を与えることになるのでよくない」と指摘。工藤副会長も「ヘイトスピーチに関する議論は昨年5月から始まり、いろいろ審議した結果、罰則規定を設ける案で決まった。市には、いままでの審議の経過をきちんと認識してほしい」と市の姿勢を疑問視した。(松島佳子)◆視点◆ 市の本気度を問う 答申案の通りヘイトスピーチに罰則を科す条例が相模原市で実現すれば川崎市に続くものになる。審議会では当初規制に慎重な意見もあったが、市内でヘイト行為が激化したことを受け「罰則を設ける」で一本化をみた。韓国籍の審議会委員まで標的にする加害の悪質さ、平穏な日常を奪われる被害の深刻さを目の当たりにしての結論だけに説得力がある。 やまないヘイトデモ・街宣に川崎市は「教育や啓発での対応は限界がある」との覚悟を示し、罰則の導入に踏み切った。どうすれば差別を防げるかに知恵を絞り、マイノリティーの人権擁護と表現の自由の保障を両立するために編み出されたのが「川崎方式」だった。勧告、命令と段階を踏み、第三者機関に意見聴取するなどの工夫の数々は、ヘイトスピーチによる迫害から市民を何とかして守ろうという本気の証しだ。 答申案では、障害者19人が虐殺されるというヘイトクライム「津久井やまゆり園事件」が起きた自治体として、障害者への差別的言動も規制対象に含めることでも一致をみている。罰則規定の「凍結条項」や「人権委員会」の設置も含めて川崎方式を応用、進化させた「相模原方式」といえるものだ。そこにはやはり人権を発展させることを責務と任じ、意見を戦わせてきた委員の積極的な姿勢が投影されている。 実際の議論をねじ曲げて「規制は慎重に検討すべきである」「罰則については意見が割れている」ことにしようとしたこの日の市人権・男女共同参画課の資料はその対極にあるものとして、それだけで批判に値する。規制をしない逃げ道をつくるためだとしたら、答申という「お膳立て」をひっくり返してでも人権を後退させ、再びのヘイトクライムを招くつもりなのかと問いたださねばならなくなる。(石橋学)2022年9月25日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「審議会意見反映せず」から引用 相模原市の駅前では一年ほど前からレイシストのヘイトスピーチが次第にヒドい表現になってきており、そういう現実を見て、始めは罰則に消極的だった審議会委員も罰則の必要性を痛感し全会一致で罰則の導入を答申したにも関わらず、市長の「胸の内」を忖度した人権・男女共同参画課が答申内容を改ざんして市長に報告するというのは、由々しい問題であり、そのような審議会の答申を改ざんするような職員については市長は厳しい処分をするべきと思います。また、同じ事案を報道している同日の東京新聞の場合は、上の記事とは打って変わって「審議会が罰則付きの条例制定を答申した」と報じるだけで、市の職員が答申を改ざんして市長に報告したことには一言も触れておらず、これでは東京新聞読者には、相模原市で何が起きているのかが伝わらないという「問題」が持ち上がることになります。市の職員も新聞記者も、しっかり仕事をしてほしいものです。
2022年10月08日

斎藤真理子著「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス刊)について、新潟県立大学名誉教授の波田野節子氏が9月25日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 第一線で活躍中の翻訳家による待望の書である。最近、現代韓国文学の翻訳出版が目覚ましいが、歴史に照らした手引書に欠けるうらみがあった。本書は、著者が翻訳してベストセラーになった「82年生まれ、キム・ジヨン」が出た2018年からさかのぼり、韓国が日本の植民地から解放された1945年までの韓国文学の流れを、作品に沿って分かりやすく解説してくれる。 植民地から解放された後の朝鮮半島は冷戦体制に翻弄され、ついに朝鮮戦争が勃発する。この戦争は日常生活の場を戦場にする地上戦であり、その上イデオロギー戦争であったことが被害を甚大にした。そして現在まで休戦協定のままであるという状況が、この戦争をいや応なく韓国文学の「中心」に据えたのである。だが韓国文学はこの逆境を強みに変えた。 著者が主として翻訳しているのは、87年の民主化宣言の後に成人した若い作家たちの作品である。世界中のカルチャーを吸収してナショナリズムから解放されているこの世代に共通するのは、後に続く世代のために責任を持とうという感覚であり、それを支えているのは、日常的に耳にすることで継承した朝鮮戦争の記憶である。それが「一歩前へぐっと踏み出させるような力」を今の韓国文学に生んでいるのだという著者の言葉は、翻訳する者の実感にあふれている。 一方、日本で朝鮮戦争は忘れられた。隣国の戦争を意識していた柴田翔の小説「されど われらが日々-」の中には高校生が朝鮮戦争について討論する場面がある。その場面を完全に忘れていた読書経験を語りながら、著者は、日本人がこの戦争を早々に記憶から消し去ったのは「特需」を恥じたからではないかと問う。過去に植民地にした国で起きた戦争で儲(もう)けたことが忘却を促したという疑いは、現在ウクライナ戦争を眼前にしている私たちの心をヒヤリとさせる。(新潟県立大名誉教授・波田野節子)斎藤真理子著「韓国文学の中心にあるもの」イースト・プレス/1650円2022年9月25日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「読書-現在に続く戦争の記憶」から引用 この記事には大変興味深いことが書かれている。韓国の若者は世界中のカルチャーを吸収してナショナリズムから解放されているとのことであるが、それが本当であれば素晴らしいことだ。そういうことが可能であるのは、朝鮮戦争の記憶をしっかり継承しているからだそうであるが、日本の若者がナショナリズムから解放されるためには、何が必要なのか、考えざるを得ません。この記事の最後の部分では、日本人が朝鮮戦争を早々に記憶から消し去ったのは、過去に植民地にした国で起きた戦争を利用して儲けたことを「恥」と思う気持ちが日本人にあったからではないか、と書いているが、私は朝鮮が日本の植民地であった時代を知っている日本人から「朝鮮戦争のときは儲かったよ」という自慢話は聞いたことがあるが、そのことで心を痛めたり「恥」と思うような日本人には会ったことがない。
2022年10月07日
立憲民主党は所属の議員のうち誰が統一教会と接点があったのか、いち早く調査して結果を発表し、「今後は気をつけます」という意志を表明したのに、自民党は「個々の議員の問題だから、それぞれが個別に対応すれば良い」などといってやり過ごす魂胆だったが、世論の批判を浴びて、そういう誤魔化しができないと知ると、今度は「一応、アンケート調査をして結果を公表します」と言うことで、形ばかりの調査を行ない発表したのであったが、その中身があまりにも杜撰で、核心的な部分は徹底的に隠ぺいする意図が露わな状況を、9月18日の「しんぶん赤旗」が、次のように批判している; 「あまりにもいいかげんだ」「自民党は責任を持って調査すべきだ」-。自民党が公表(8日)した、党所属国会議員と統一協会(世界平和統一家庭連合)・関連団体との関係についての点検結果に厳しい批判の声が上がっています。「朝日」の世論調査(10~11日)では、自民党の政治家が統一協会との関係を「断ち切れない」との回答が81%にのぼりました。 点検結果によると、衆参両院議長を除く379人中、選挙での支援や会合への出席、会費類の支出や寄付の受領など、接点を認めた議員は179人で、全体の47%にのぼりました。◆金額など非公表 しかし各議員による自己申告で、氏名の公表も、関与の度合いが強い121人だけ。出席した会合の種類や日時、会費や寄付の回数や金額などは一切明らかにしていません。メディアも「これでは、その行為がどの程度、不適切であったのか、判断のしようがなく、第三者による検証も不可能だ」(「朝日」10日付社説)と指摘します。 日本共産党の志位和夫委員長は記者会見(8日)で「およそ調査と呼べるものではない」と批判。自民党として責任をもって癒着を掘り下げる調査をする必要があると強調しました。 点検は現職国会議員本人だけが対象。地方議員や前・元職、議員秘書は最初から除外しています。 そのため統一協会との深い関係が指摘されている安倍晋三元首相も最初から点検の対象にしていません。 参院選で統一協会の組織票を差配していたとの証言も出ている安倍氏。2021年9月、統一協会の関連団体「天宙平和連合(UPF)」が主催した集会にビデオメッセージを送り、「韓鶴子総裁をはじめ皆様に敬意を表します」と持ち上げています。 文化庁がそれまで認めなかった教団の名称変更を認めたのも、安倍政権下の15年です。 安倍氏の地元・山口県下関市の事務所に統一協会関係者が出入りしていたことも編集部の取材で判明しています。(日曜版7月31日号) 統一協会と自民党との癒着の解明には安倍氏の調査は欠かせません。先の「朝日」の世論調査でも、安倍氏と統一協会の関係について自民党が「調査をするべきだ」が63%にのぼっています。 しかし、岸田文雄首相は衆院議院運営委員会の閉会中審査(8日)で「お亡くなりになった今、確認するには限界がある」として調査を否定しています。 志位氏は会見で「『亡くなったから、限界がある』と逃げるのではなくて、しっかりとした調査を自民党として責任を持って全面的に行う必要がある」と主張。「自民党と統一協会、国際勝共連合との癒着は半世紀にわたる。半世紀の歴史にさかのぼって全面的な調査を、責任を持って行う必要がある」と強調しました。 自民党は点検にあたり、意図的に統一協会との関係を隠ぺいしようとしています。 編集部の取材に複数の国会・地方議員らが海外で開かれた統一協会の関連団体のイベント参加について「旅費は統一協会側に負担してもらった」と証言しています。しかし、今回の点検では、統一協会側による旅費・宿泊費の負担、講演料などについての設問は設けられていません。◆公表直前に動き 統一協会からの寄付やパーティー券購入についても、公表の段階で急に「政治資金規正法上、要公開の対象」という基準を持ち出しました。 政治資金規正法では寄付については年間5万円以下、パー・ティー券購入者名については1回のパー・ティーにつき20万円以下であれば政治資金収支報告書に記載する必要がありません。 その結果、「統一協会および関連団体からの寄付やパーティー収入」が「あった」と29議員が報告しているにもかかわらず、氏名が公表されたのはわずか4人です。 19年に統一協会の関連団体に15万円分ものパーティー券を購入してもらったと共同通信のアンケートに回答した船橋利実参院議員は、自民党調査では名前が公表されていません。 統一協会による寄付、パーティー券購入などの原資は、信者から集めた高額寄付など反社会的活動での”もうけ”。それを規正法の公表基準を持ち出し、実態を隠ぺいしようとしているのです。 岸田首相の側近、木原誠二官房副長官は12日夜、統一協会の関連団体が主催するパネルディスカッション(16年12月)に参加していたと公表しました。点検の際は報告しておらず、自民党の点検のずさんさを象徴しています。2022年9月18日 「しんぶん赤旗」 日曜版 4ページ 「統一協会 断ち切れない自民」から引用 漏れ聞こえるところによれば、故安倍晋三氏も最初のうちは統一教会を胡散臭い団体だと認識しており、懇意にしている新聞記者には「気をつけて対応するようにしている」と語った時期もあったらしいのだが、そのうちに「結構な数の票をまとめる力がある」ことに気付いて、積極的に関わるようになり終にはビデオメッセージを送るような間柄になったらしい。安倍氏と統一教会の関係について、岸田首相は「ご本人が亡くなってしまったからには、調査と言っても限界があるから」などと言って、調べないのが当たり前のようなことを言ってるが、事の重大さを考えれば、限界があろうと無かろうと調査をするのが総理大臣の責任というものです。今回の自民党の「調査」のような「自己申告」ではなく、第三者機関を設置して徹底調査を行い、問題の深刻度に従って当事者を厳正に処分し、場合によっては衆議院を解散して国民に信を問う「みそぎ選挙」を行なうのが、国民の信頼を取り戻す「道」というものだと思います。
2022年10月06日
岸田政権が憲法違反の「安倍国葬」を強行した翌日の朝日新聞に、近現代史研究家辻田真佐憲氏は次のように書いている; 開始時刻や弔砲の数。安倍晋三元首相の国葬は、55年前の吉田茂元首相の国葬と似ていた。ただ、献花する参列者と反対のデモが入り交じり、賛否が分かれたのは大きな違いだ。 今回の国葬には、宗教被害を訴えて安倍氏を銃撃した容疑者への同情的な声をはねのけ、安倍氏は被害者だと強調するプロパガンダ(宣伝)の意味合いを感じていた。だが、自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)とのつながりが判明するにつれ、世論が離れていったと言える。 ただ、献花した参列者は少なくなかった。この映像を見ると、賛成でも反対でもない中間層は揺れる。現在、国葬に関する法律はなく、時の首相が決定権を持つ。「国葬も悪くなかったのでは」という世論が形成されれば、今後は安易な国葬もできるようになる。 日本は空気頼みの国。今回は反対の声が増えたことで、政府が自粛した可能性もあるが、今後の国葬で賛成が大勢となれば、自治体や教育現場に弔意を強要する事態も考えられる。そうしないためにも法整備を考えるべきだ。どのような場合に国葬をするのか、弔意はどうするのか。規則があれば、政府はそれ以上のことはできないだろう。(聞き手・江戸川夏樹)<つじた・まさのり> 1984年生まれ。近現代史研究家。著書に「超空気支配社会」「日本の軍歌」「大本営発表」など。2022年9月28日 朝日新聞朝刊 13版 28ページ 「空気頼みの国こそ法整備を」から引用 この記事が指摘するように、岸田政権は「安倍氏は被害者だ」ということを強調する目的で「内閣・自民党合同葬」で済むものを、わざわざ「国葬」にして強行したのであり、「日本は空気頼みの国だから、終わってみれば『やって良かった』と反対派の人たちも思うだろう」などと二階元幹事長も発言していたが、予想に反して世論は「健全」で、例え犯罪被害で死亡したからと言っても安倍政権8年間の疑惑や不正は徹底検証するべきとの世間の「判断」が、違法な「国葬」を強行した後の岸田内閣支持率を一層低下させる結果となっている。この記事が提案するように、憲法に抵触しない範囲内で「国葬」を行なうにはどのような条件があるのか、政府や国会は検討を始めるべきで、やたら自衛隊を使って戦前体制を彷彿とさせるような「儀式」は禁止して、新しい時代の「国葬」の在り方を模索するべきだと思います。
2022年10月05日
エリザベス女王の葬儀をテレビで見た文筆家の師岡カリーマ氏は、9月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; エリザベス女王の葬儀は一糸乱れぬ葬列や荘厳な演出が圧巻であると同時に軍隊色が強く、何世紀もの間、力で守られてきた権力や特権の誇示でもあった。庶民が物価高に苦しむ中、巨額が費やされた一連の儀式に、報道の限りでは国民に不満はなさそうだ。弔問の列は最長25時間待ち、かつて不人気だったチャールズは「国王万歳」の歓声を浴びる。でも「国中がひとつになって」涙し感謝する、王室礼賛一色の映像が、すべてを語っているはずがない。 ある記者によれば、王室反対を叫んで逮捕された人々もいたという。英国からの独立を再び問う国民投票実施が期待されるスコットランドでは、新国王への忠誠を誓う伝綺儀式の最中にブーイングが飛んだのを、中継のマイクは確かに拾った。 女王の棺に載せられた王冠が画面に映るたび、私はコ・イ・ヌールを思う。母エリザベス皇太后の王冠に輝く、かつてインドから持ち出された世界最大級のダイヤモンドだ。シク王国最後の君主が10歳の時にその母を監禁した上でイギリスが実質強制的に譲渡させた。過去の帝国主義と植民地搾取は女王や新国王の罪ではないが、それがもたらした特権は受け継ぐ。 女王死去は「一時代の終わり」。歴史の長い儀式が無事映像に収められた今、こういうお金の使い方はこれが最後になるべきだと思う人も少なくないはずだ。(文筆家)2022年9月24日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-女王の葬儀」から引用 もともと王室とか皇室というものは、暴力で周囲の人間を押さえ込んで勢力範囲を拡大し一定の面積を確保して経済力を蓄えて国家という組織を作るもので、その頂点にいる人間の葬儀ともなるとその権力や特権を誇示する儀式になるのは当然と思います。それを「国民に愛された王室」などという虚言で飾り立てるメディアの態度は胡散臭さを象徴しており、その昔、植民地だったインドから強奪された世界最大のダイヤモンドが英国王室の所有になっているという事実こそは、イギリス帝国主義の本質を表現していると言えます。日本も、かつて朝鮮を植民地にしたとき、多くの仏像や経典を持ち出したことは判明しており、戦後になって一部は返却されたものもあるらしいが、依然として日本国内の寺院に保管されているものも相当数あるらしい。武力で相手を恫喝して征服する時代はもう終わらせるべきで、不当に強奪した「財産」はもとの場所に戻されるべきで、そうすることによって「帝国主義」の時代が本当に終わりになって、真の民主主義の時代が来れば「人類」は繁栄の時代に進んで行けると思います。
2022年10月04日

在日朝鮮人韓国人に対する差別発言を日常的に繰り返すレイシストの集団が、9月17日に神奈川県相模原市の駅頭でヘイトスピーチの街頭宣伝を行なったことを、9月18日の神奈川新聞が次のように報道している; 東京都にヘイトスピーチ認定されたレイシスト集団「日の丸街宣倶楽部」の渡辺賢一代表が17日、相模原市南区の小田急線相模大野駅前でヘイト街宣を行った。同市が制定を進める人権条例に関するデマを流し、外国人の差別と排斥を扇動。条例によるヘイトスピーチ規制の導入を妨害する活動を本格化させた。 都は今月5日、同団体のデモであった「朝鮮人は北朝鮮へ帰れ」「ゴキブリ朝鮮人」という発言をヘイトスピーチと認定した。 ところが渡辺氏はマイクを手に「われわれは差別もヘイトスピーチも一切していない。だから条例は必要ない」と虚言で口火を切ると、「条例は外国人参政権が狙い」「外国人に文句を言うと警察に差別と訴えられる」「殴り返したらヘイトクライムにされる」などとうそを垂れ流した。いずれも審議会や議会の場で一切されていないでたらめな作り話。 このほか、中国人留学生について「渡航費と学費がただ。生活費も小遣いももらっている」と出任せを連発。「外国人が優遇され、日本人が割を食っているという虚構をでっち上げ「ふざけている」「頭にくる」と敵意をあおり立てた。 同団体が相模原市内で活動するのは5月以来で7回目。無告知で行い、動画配信サイト「ツイキャス」で生中継した。渡辺氏は8月、ヘイトスピーチ規制を含む人権条例の制定を妨害する街宣を「徹底的に行う」とツイッターで宣言。18日も同駅前で行うと告知している。(石橋学)◆◆おことわり◆◆ 記事には差別的な文言がありますが、そのまま報道します。差別の実態を共有し、あらゆる差別を許さない社会をつくっていく一助にするためです。2022年9月18日 神奈川新聞朝刊 20ページ 「条例制定 デマで妨害 - 相模大野駅前ヘイト街宣」から引用 レイシストが主張する「条例は外国人参政権が狙い」というのは、常識で考えてもデマであることが分かります。相模原市は外国籍の住民が人格を傷つけられるような差別発言を禁止する条例を検討しているのであって、「外国人参政権」は次元の異なる問題です。「外国人に文句を言うと警察に差別と訴えられる」というのは、言う「文句」の内容によります。言ってはならない「差別用語」を、相模原市の条例が例示するかどうかは分かりませんが、いずれにしても「言ってはならない差別用語」を言えば、訴えられるのは当たり前であり、相模原市が「外国人には一切文句を言うな」という条例を検討しているというはウソです。「殴り返したらヘイトクライムにされる」というのは、相手が殴りかかってくるような暴言を先に発する方が責任を問われるのは当たり前で、「外国人を怒らせる日本人は絶対悪い」などという条例を検討しているわけではない、という常識的判断を忘れてはならないと思います。
2022年10月03日
故安倍晋三氏の「国葬」が間近に迫った9月18日の東京新聞に、元文科事務次官の前川喜平氏が次のように書いている; 戦前最も不人気だった国葬は山縣有朋のそれだそうだ。1万人収容できる会場に千人ほどしか来なかったという。安倍元首相の国葬(国葬儀)には最大6千人程度の参列者を想定しているそうだが、山縣の不人気記録を更新しないことが政府の最低目標だろう。 国葬への案内状は、国や自治体の関係者、海外の要人などに加え「各界代表」にも幅広く送られたらしい。その一人、演出家の宮本亜門さんはツイッターで「どうしてこれが僕に?」と投稿。「もちろん私は行きませんが」と欠席の意志を明らかにした。案内状が何人に送られたのかは知らないが「歩留まり」は相当低いだろう。 とにかくこの国葬は不人気だ。時事通信が9~12日に行った世論調査では、反対51・9%に対し賛成は25・3%しかなかった。こうなると欠席のリスクより出席のリスクの方が大きくなる。 「なぜ欠席したか」ではなく「なぜ出席したか」が問われるからだ。明確な賛否の意見を持たない人は、リスクの低い欠席を選択するだろう。 そんな中で連合の芳野友子会長は出席の意向を表明し、「労働者代表として出席せざるを得ない」「苦渋の判断だ」などと述べたが、要は本人が出席したいのだろう。 因みに僕のところへも案内状が来たが、何の苦渋も感じることなく欠席の返事を出した。(現代教育行政研究会代表)2022年9月18日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-不人気国葬の記録」から引用 聞くところによると、山縣有朋という人は首相在任中の言動が余りにも権威主義的であったために人望を得ることが難しかったのだそうで、天皇の命令で国葬を実施してもあまり参列する人がいなかったというのは、大正時代の人々は戦前の割にはリベラルな判断で行動していたのだなぁと思います。私たちの社会は古来より「火事と葬式は村八分の例外」と言い伝えられるように、よほどの「地縁」や「血縁」がない限り他人の葬式には関与しないのが常識的な「生活態度」というもので、安倍元首相の「国葬の案内」が来ても「おれは関係ないから、行かない」と判断した宮本亜門氏や前川喜平氏の態度は、極めて常識的であると思います。
2022年10月02日

満州鉄道の権益保護などという口実で中国東北部の侵略を開始した日本軍は、柳条湖事件の一年後に抗日義勇軍の攻撃を受けると、それに対する報復と称して現地の数千人の無抵抗の民間人を皆殺しにするという事件を起こしました。このような悲劇を二度と繰り返さないために、今では日中両国の市民が記念集会を開いていると、9月19日の「しんぶん赤旗」が報道しています; 1932年9月16日、日本軍は中国の住民約3000人を虐殺する平頂山事件を起こしました。事件から今年で90年。教訓を学び直し、二度と戦争の惨禍を繰り返さないために-。被害者が起こした訴訟の弁護団や支援者らが10日、東京都内で記念集会を開きました。<本吉真希記者> 平頂山事件は、日本の中国侵略の発端となった柳条湖事件(「満州事変」31年9月)から1年後に起きました。事件前夜、抗日義勇軍が日本の国策会社・南満州鉄道経営の撫順(ぶじゅん)炭鉱を襲撃。日本軍は炭鉱に近い平頂山村の住民が義勇軍に通じていると断じ、崖下に住民を集めて虐殺。焼き払った遺体を埋めて事件を隠滅しました。 96年、3人の被害者が日本政府に謝罪と賠償を求め、日本で裁判を起こしました。最高裁で敗訴が確定(2006年)しましたが、被害事実は認定されました。 集会で報告した泉澤章弁護士は「私たちが一番に考えたのは、事件を生き抜いた人たちの体験をどう法廷に示すかでした」と当時を振り返りました。事件当時7歳で家族を殺された原告の莫徳勝さん(05年死去)の体験(別項)を紹介。「いまでも証言にふれると、いたたまれない気持ちになる」と話しました。 弁護団は事実を裏付けるため、中国での調査を重ねました。「訴訟を機に中国側でも平頂山事件を見直す機運が高まった」と泉澤さんは語ります。 訴訟終結後も日中で市民の交流が続いています。「虐殺事件をきっかけに出会った私たちが、どう平和を築いていくのか。そのために平頂山事件がどういう意味を持つのか。いつも真剣に議論してきた」と泉澤さん。 ロシアのウクライナ侵攻にふれ「民間人こそ被害を受ける」と強調。 「莫さんたち被害者が生前求めた『記憶の継承』を私たちの使命として、これからも活動していきたい」と語りました。◆機銃の一斉掃射で前列からバタバタと倒れていった 機関銃の一斉掃射が始まり、前列の人からバタバタと倒れていきました。父は「危ない」と言って、私の頭を押さえつけ伏せさせました。母と祖父母は伏せていました。機関銃の弾が父に当たりました。・・・その後、銃声や泣き叫ぶ声が小さくなっていきました。・・・日本兵は少しでも息のある人を見つけると、何度も何度も銃剣でとどめを刺していました。◆人間として許されない集落皆殺し 駿河台大学名誉教授で日本中国友好協会会長の井上久士氏が、記念集会で講演しました。要旨を紹介します。 ◇ 虐殺の前夜、抗日義勇軍が満鉄経営の撫順炭鉱を襲撃しました。その報復として日本軍は、襲撃部隊が通過した集落の住民を皆殺ししてしまいました。これが平頂山事件です。幼児や女性、高齢者も殺されました。国際人道法に反するだけでなく、人間として許されない行為です。 虐殺された人数は正確にはわかりませんが、平頂山集落には四百数十世帯、約3000人の住民が住んでいました。その大部分が殺されたとみられます。事件から2ヵ月後、上海で発行されていた「新聞報」は、撫順の3つの村で3000余人が虐殺されたと報じました。現場を突撃取材した米国通信社の特派員、エドワード・ハンターは2700人と伝えています。 1932年12月2日の米紙に掲載されたハンターの記事にはこう書かれています。「私は虐殺の行われた一角の丘の斜面に立っている。・・・死体は数インチ埋められただけでは、腐臭を漂わせないわけにはいかない」。彼の報道以後、アメリカでは国際調査を求める声が上がりました。 国際連盟では中国代表が平頂山事件を取りあげ、日本を非難しました。当初、日本政府は「事実無根にして皇軍の名誉を毀損(きそん)する」と虐殺を全面否定しました。国際的に問題になると「自衛処置にすぎず」とウソの説明をしました。 当時、国際連盟で問題になったにも関わらず、日本は結局国際連盟を脱退し、平頂山事件の解明は戦後までされませんでした。 戦争で最も被害を受けるのは、戦場となった場所に住んでいる一般の人びとです。これは現在のウクライナの戦争も同じです。2022年9月18日 「しんぶん赤旗」 日曜版 10ページ 「『記憶の継承』使命に市民の交流-中国で平頂山事件90周年記念集会」から引用 なまじ軍隊などというものを持つと使ってみようという気にもなりますが、日本のように建て前だけでも「軍隊は保有しない」と憲法に書き込んでおけば、一応「軍隊はない」という常識が国民の共通の認識になり、政府も勝手に武力で隣国に圧力をかけるということもしなくなり、大変結構だと思います。一昔前までは、軍事力で圧力をかけて「市場開放」を迫る、というやり方で自国の繁栄を勝ち取るという手法が英米の帝国主義勢力によって実施され、後発の日本の帝国主義勢力もそれを模倣したわけでしたが、現代は武力で圧力をかけてうっかり戦争になったのでは、戦後の復興に余分な経費がかかるので、そういう野蛮な手法によらなくても、活発な商業活動によって市場を拡大するほうが、無駄なく効率的に経済を活性化できます。これからの世界には、武力はもはや必要ないのであって、無駄な軍需産業を抱え込んでしまったアメリカを、どのようにして無力化していくのかが、人類が発展するのか自滅するのかの分岐点になるものと思われます。ウクライナがロシアに侵略されたからと言って、日本も武装に予算を出すべきだ、などという時代後れの発想はやめて、より合理的な平和戦略を考えるべきと思います。
2022年10月01日
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