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8:30からのごみゼロから一日をスタート。夜は会食会でした。生ビールと冷酒を飲んだせいで、すっかり酔ってしまいました。3時間余り、饒舌にしゃべりました。この友人とは知り合って20年。2人でお酒を飲んだのは初めてです。楽しい夜でした。帰宅後、2時間ほど眠り、目覚めて、書きました。きのう招かれた「県」学童保育連絡協議会にまつわるお話です。総会や県当局への要望を行う集会に招かれ、過去20年間に、十数回出席しました。しかし、「川越市」の県学童保育の会合に招かれたことは、一回もありません。 「県」の総会資料には数年前に「公明党の福永県議が一般質問で取り上げ~」などときちんと書いてもらいました。特別支援学校(養護学校)の学童保育の場所を、校舎内に設けるように本会議で提案し、実現したことが掲載されのです。事例として取り上げた学校の学童関係者からは直接、御礼を言われました。その際、当時の学童の「県」会長らに「地元川越市の会合にも呼んで」と繰り返しお願いしました。でも、20年間、ただの一度も呼ばれたことはありません。地元川越市の学童は、特定政党だけとつながり、それ以外の政党は無視し続けています。それでいて「県」では、ずっと招かれています。僕も選挙を経て選ばれている政治家です。特定政党の影響なのでしょうか、「川越市」の団体の意向なのでしょうか。いずれにしても違和感を抱き続けています。そういえば、昨日の総会には県議会の4会派=民主、県民、公明、共産(議席数の多い順)=の代表が出席しました。各会派の代表が招かれる場合、議席数の多い会派から順番に着席するのが普通です。総会では1列目に県議の席が3つしかなかったので、僕はそのことを申し上げました。ですが、民主県議が2列目に座り、共産県議は素知らぬ顔でした。
2015.05.31
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8:30からの霞ヶ関中学校の運動会の開会式典へ滑り込みセーフで参加。続いて、ご近所の塩川さんの朝採りトマトを買い求めました。ご主人が急逝されたので、今年が最後だと聞いています。トマト栽培はとても難しく、ハウスのため費用も相当かかるとのこと。しばらく販売なさっていなかったのですが、運動会へ行く前に幟が掲げてあったので、買いに行きました。貴重なトマトです。もちろん味は絶品です。10:30には毛呂山町へ到着。政策的な疑問をかかえている方と面談しました。帰途、お米屋さん、川越市に入ってからは卵屋さんでお買い物。買収は許されませんが、買うことはできますので、なるべく地元のお店で買うように努めてきました。もっともお店の数が多いので、たまたま通りかかった時だけですが。 選挙中に弔問させていただいたお宅へも立ち寄り、さきほど県議会へ到着しました。これからニュースの原稿執筆と18:00からは学童保育団体の会合に公明党県議団を代表して参加します。この団体については、出席を予定していた県議団の議員がやむをえない事情で2回欠席し、その苦情を僕が受けましたので何としても参加します。 今日は丸木清浩先生の叙勲を祝う集いがあるのですが、学童と同じ時間帯のため欠席しました。
2015.05.30
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先の投稿に続いてご覧下さい。今後の医療・介護・年金にかかるお金の推移予測です。過去に制度改革を行った年金に比べて、高齢化に伴い医療・介護が大きく増えることが予測されています。これを誰が負担するかを決めること、そして、増やさずにすむように健康寿命を延ばす取り組みや、薬の出し過ぎなど無駄を抑制する取り組みが必要になっています。その第一歩となる制度改正が、本日成立した国民健康保険法改正案に含まれています。
2015.05.28
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菅直人のところは、ここに転載します(民主の半分が退席も!)。脱原発だけではなく、国民受けだけをねらうワンフレーズや、政党のムードだけで当選した議員は、こんなものなのでしょうか。本会議場は、議員として活躍する一部分かもしれませんが、それにしても、と思います。五伝木さんはよくべんきょうなさっています。以下、転載。 首相が答弁。4月14日に福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の再稼働を認めない仮処分決定を行ったことについて初めて言及した。 「原子力規制委員会の田中俊一委員長から、いくつかの点で事実誤認があり、新規制基準や審査内容が十分に理解されていないのではないかとの明快な見解が示されている」 「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると認めた原発について、その判断を尊重し、再稼働を進めていくのが政府の一貫した方針だ」 この時点で72人(川端氏を除く)の民主党席は約半分が空席。閣僚も数人しかいない。「脱原発」に力を入れる菅直人元首相の姿もない。http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/150505/plt15050512310003-n1.html?fb_action_ids=842015185896383&fb_action_types=og.recommends菅
2015.05.28
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一昨日、奥貫議員から「渇水で河床がむき出しになり、魚が死んでいる。約15年前に放水したことがある。何とか対応を」と地元自治会長から言われた旨のお電話をいただきました。昨日、早速、埼玉県川越県土整備事務所へ行き、川越市と協議して対応を促しました。昨夜は、僕にも同じ自治会長さんから「50尾ほどのコイの死骸がある。日曜日のごみゼロ活動までに片付けて」とお電話がありました。今日、再度、県土整備事務所へ対応を急ぐようお願いし、さきほど自治会長さんへ報告の電話をかけたところ「すっかり片付きました」と喜んでいただけました。うれしかった。役所は、いろんなことをやんなきゃいけません。轢かれた猫の死骸の片付けもします。
2015.05.28
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「残薬」問題を19日放映のNHKクローズアップ現代」が取り上げました。僕たち公明党県議団が1年前に調査に行った福岡市薬剤師会の取り組みも紹介されていました。 団視察の後、埼玉県薬剤師会からもご意見をお聞きし、石渡豊県議が本会議一般質問で取り上げました。僕たちは「医療費削減になる」の観点から調べましたが、NHKは「薬を飲んでいるものとして、医師が次の治療を行うことのリスク」も強調していました。いずれにせよ「残薬」問題が注目を集め始めたことが、うれしいです。福岡市薬剤師会を訪れた時に「議員さんが視察に来たのは初めて。しかも、遠く埼玉県からとは」とおほめいただいた言葉が、忘れられません。表彰なんかより何十倍もうれしい!http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3653.html
2015.05.28
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公共事業を批判できない政治家は、社会保障費増高傾向を語らず逆に無責任な言葉を弄ぶ。竹谷とし子、きちんと語っています。今日の会食会で「公明党はとても優秀美しい女性を、どうやって探して探し出しているのですか」と竹谷さんを引き合いに出して聞かれました。以下、参議院議員 竹谷とし子さんのFBから転載します。国民健康保険法改正案が参議院本会議で可決・成立しました。この法案の背景には、医療にかかるお金が増えて将来世代に先送りする借金が年々増しており、今後も高齢化で増えていくことが予想されているという問題があります。医療制度を持続可能なものとするためには、将来世代に先送りする借金を少しでも抑える必要があります。この問題を考える上で、そもそも、税金が何に使われているかということをお伝えする必要があると思いますので、投稿させていただきます。表を見ると、30年前に比べて、社会保障費が3倍になっていることが分かります。税収も同じように増えていればいいのですが、そうではありません。景気回復と消費税率引き上げにより、税収は増えてきていますが、それでも60兆円に届きません。出ていくお金の96兆円にはとても足りません。足りない分は、赤字国債で埋め合わせています。赤字国債は年々増えており、利払い費も膨らんでいます。(国債費というのが、国債の元本返済と利払い費です)なんとか今は政策的に抑えている低金利で、まわっています。この表は「一般会計」といわれる(税と借金)から出る分だけで、この他に健康保険料や年金保険料で負担されている分があり、社会保障費全体では、100兆円を超えます。兆ではなかなか想像できませんので人口で単純に割ると、一人80万円以上という金額です。税が無理なら保険料で負担すればいいじゃないか、という意見もあるかもしれませんが、主として支える側の現役世代の社会保険料の率も年々上がり、悲鳴が上がっています。税が上がるのも困る、保険料が上がるのも困る、ということで、何も言うことができない将来世代の負担が、赤字国債という形で大きくなっているのが、現在の状況です。この問題について、何でも反対するのではなく、問題を将来世代である子どもや孫達に押しつけるのではなく、今を生きる大人世代がどう負担し合うかを、責任をもって考えていかなければならないと思います。経済成長で税収を増やしていくことは勿論必須ですが、景気が良くなると金利上昇が伴うため過去の赤字国債の利払い費が増えてかなり相殺されてしまいます。長期的に見れば景気循環は必ずあるので、景気が良くても悪くても持続可能な社会保障制度とするために、負担をどうするかという議論は、避けてはいけない問題です。
2015.05.27
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「餓死した英霊たち」(藤原 彰著 青木書店)から転載します。まず、カバーの文章です。「食糧もなく、降伏は禁止され…140万兵士が餓死した 右翼のエセ歴史家の戦争美化は許されない」http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.htmlぜひサイトをご覧ください。以下、本文からの転載です。「現在では、日本軍人の戦没者230万人というのが、政府が明らかにしている概数である。この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。 「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、 飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。 栄養学者によれば、飢餓には、食物をまったく摂取しないで起こる完全飢餓と、 栄養の不足または失調による不完全飢餓があるとされている。この戦争における日本軍の戦闘状況の特徴は、補給の途絶、現地で採取できる食物の不足から、膨大な不完全飢餓を発生させたことである。そして完全飢餓によって起こる餓死だけでなく、不完全飢餓による栄養失調のために体力を消耗して病気にたいする抵抗力をなくし、マラリア、アメーバ赤痢、デング熱その他による多数の病死者を出した。この栄養失調に基づく病死者も、広い意味で餓死といえる。そしてこの戦病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。 戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。 悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。 大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である。」
2015.05.27
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さきほどの本会議で自民党が動議をかけて知事ら執行部へ法規順守を求める決議案を提出。暫時休憩になりました。7.23に知事選の告示を控えています。 上田県知事は12年前に「知事は3期12年を超えない」ことなどを掲げて初当選。当選後の県議会で「知事の職にある者は、その職に3期を超えて在任しないよう努めるものとする」という知事提出の条例が制定されました。 「努めるものとする」ですから、努力義務規定です。この条文について、上田県知事は、さまざまな発言を繰り返しています。出馬は明言していません。 今日の決議案は、この条例に限らず県執行部や県民の努力義務を定めた条例が、ほかにも数多くあるにもかかわらず、「努力義務であり、(4期目の出馬を)禁止している条例ではない」という理屈に対してのカウンターパンチになる内容です。正直な感想は「なるほど。筋が通っているな」です。また、率直な思いとしては、上田県知事がもし出馬なさるのであれば、素直に「条例に制定したけれども、努力義務を破る形になるが、知事としてこんなに頑張ってきたし、まだまだやりたいことがある」と、お詫びと実績と決意を披瀝すればいいのです。それを、なさらないままズルズルと月日が流れるままにして、その間に発言を繰り返しているから、決議案に至ったと思います。さらにいえば、4月の県議選でというスローガンはあっても中身が意味不明なキャッチフレーズを掲げた団体の中心に上田県知事が座り、ご自分との2名連記ポスターをおびただしい人数の新人の候補者が貼り出させたことには、首をかしげました。これも、これまでの方針を、上田県知事が、いとも簡単に反故にしたものでした。川越市でも現職と新人の2名が知事との連記ポスターを貼り出しました。民主党の新人は当選しましたが、無所属の現職は落選しました。 選挙は、政治家にとっては「生きるか死ぬか」の総力戦です。 対抗馬が、知事と一緒に議会改革をしますと叫んでいたら、現職が「(知事は)許せない」と思うのは当たり前です。しこりは、それこそ死ぬまで尾を引くでしょう。 結果的には、川越市以北で「知事との連記ポスター」を貼り出した無所属の現職、新人は全員落選しました。上田県知事は勝算もないのに、ずいぶん大人げないことを、相手陣営から見れば断じて許せない行動をとったものです。に魅せられて出馬した新人も、自業自得とはいえ、お気の毒です。 本会議開会はまだです。時間があるし、県議会本会議でのことだったので、初めて知事選に絡むことを書きました。
2015.05.26
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今朝は8:30からの安比奈親水公園の川掃除からスタート。小川に投げ捨てていたコンビニ弁当の容器を皮切りに川の中のごみを拾って歩きました。プラ製品やペットボトルなどは朽ちないし、困ったものです。 不燃物、可燃物を入れるごみ袋を2種類持って開始したのですが、「満杯にしなければ」と、むきになって拾い集める習性が僕にはあります。帰宅後、読んだ聖教新聞エンドページ掲載の英国選挙結果の分析記事はとても勉強になりました。選挙に勝つために心得なければならないことが書いてありました。
2015.05.24
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公明新聞:2015年5月22日(金)付 静岡県立大学 グローバル地域センター 小川 和久 特任教授 国民を守るための隙間のない防衛体制を整備するとともに、国際社会の平和と安全への貢献を目的とする「平和安全法制」の関連法案が今国会に提出されました。同法制の意義や公明党が果たした役割について識者に聞きました。日本守る抑止力が向上“戦争協力”の指摘は当たらず―「平和安全法制」では国際社会への貢献が進められます。日本国憲法は前文で、世界平和の実現を誓っている。今まで日本には、その精神を具体的な形にするための法律や制度がなかったが、それが整備され、初めて世界の人々に分かる形で示されようとしている。それが最も重要なポイントだと思う。誤解する人がいるが、国際平和への貢献は外国の戦争に協力するという意味ではない。そもそも軍事力としての自衛隊の構造は、他国に本格的な攻撃を加える能力を欠いている。自衛隊の予算規模を見ても明らかだ。そうした現実的な議論の積み重ねがないまま、批判のための批判に終始している。―国民を守るための隙間のない防衛体制も整備されます。従来の法制度の不備な点を一気に埋め、日本を守るための、隙間のない対処ができるようになる。緊急時に迅速な手を打てる体制が整備されることで、外国に手出しをためらわせる極めて効果的な抑止力が生まれる。国の安全保障体制の枠組みを整備するためには迅速さが最優先される必要があり、議論が急過ぎるとは思わない。―日米同盟の効果的な運用も期待されます。私は「平和安全法制」の最大の眼目は、日米同盟による抑止力の高レベルでの実現にあると考える。戦後、米国の同盟国で攻撃された国はない。米国の力が低下したとの指摘もあるが、むしろ軍事的には中国に大きく水をあけ続けている。日本の安全保障には、日米同盟を生かす道と、独力で防衛力を整備する道の二つの選択肢があるが、後者を選んだ場合のコストに日本は耐え得るだろうか。日米同盟の強化と言うと、「米国の要請は断れない」「米国の戦争に巻き込まれる」などの懸念や批判が必ず出る。極めて日本人的な議論だ。湾岸戦争時、北大西洋条約機構(NATO)の首脳は自国の国益を前提に同盟国である米国からの協力要請にノーを突きつけ、とことん値切った。これは外交の模範ともいえる話で、国益を主張ができる国だけが、米国をはじめ国際社会から信頼される。日米同盟もこうした健全な関係でなければならない。公明党の役割に期待している。―「平和安全法制」をめぐる報道について。国民の不安をあおるような報道が目立つが、「ジャーナリズムは傍観者ではない。当事者として行動せよ」と言いたい。白か黒かのステレオタイプの幼稚な報道ばかりでは、真に議論すべき肝心な部分に入ることができない。例えば、メディアは自衛隊を海外に派遣する際の政権の決定や国会承認について懸念するが、本来はそうした事態が起きた場合の国会の判断を監視し、国会を機能させるようにするのがジャーナリズムだ。国会もジャーナリズムも民主主義国家における国民の代表であり、両者が健全であってこそ、「平和安全法制」は適切に運用される。昨年からの一連の安全保障法制をめぐる議論は、公明党の努力のおかげで安心していられた。国会審議でも、緻密な詰めの議論をリードしてほしい。
2015.05.23
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先に投稿した年金の記事の前段の記事です。少子高齢化が急速に進む日本。既に4人に1人以上が65歳以上という高齢社会に突入している。年金、医療、介護など社会保障の費用が増え続け、そのツケが赤字国債などの形で将来世代に先送りされるなか、日本の社会保障制度は大丈夫か。政府の社会保障制度改革推進会議で議長を務める慶應義塾大学の清家篤塾長は5月13日、ハフィントンポスト日本版のインタビューに応じ、「日本は世界に類をみない高齢化を経験しつつある」と話した。同会議は日本の社会保障制度の青写真を描いているとされる。清家塾長は、今から20年後には3人に1人が65歳以上の高齢者になると指摘。保育施設や保育サービスの整備など幅広い少子化対策を強力に進めることで、高齢化の進展をできるだけ緩やかにする必要性を訴えた。また、増大する社会保障費については、歳出削減など大幅な改革が避けられないとの見解を示した。現行の年金制度については「破綻することはない」と述べ、若い世代はむしろ「医療や介護の仕組みの将来を心配した方がいい」と話した。■日本の高齢化は「フランスの4倍以上のスピード」――日本の高齢化の現状や先行きについてどのようにごらんになっていますか?日本の高齢化には3つの特徴があります。1つは高齢化のレベルについてです。高齢化というのは、65歳以上の人口が総人口に占める割合です。直近の統計では、日本は26%に達しました。つまり、人口の4人に1人以上が高齢者にあたります。これは世界のどんな国よりも高齢者の人口比率が高くなっています。日本に次いで高いのは、おそらく先進国の中ではドイツとイタリアになると思いますが、まだ20%台の前半です。ですから、日本は世界に類をみない高齢化を経験しつつあるということです。ただ、これはまだ途中経過で、今から20年後、つまり、今産まれた赤ちゃんが成人になる頃の2035年ごろには、この比率が33%を超えて日本の人口の3人に1人が高齢者になります。さらに言えば、今の大学の学部生が65歳以上の高齢者になる頃の2060年ごろには、日本の人口の40%、つまり、5人に2人が高齢者になります。日本はおそらくその頃までずっと高齢人口の比率が世界一であり続けると思います。この高齢化のレベルが非常に高いというのが第一の特徴です。2つ目の特徴が高齢化のスピードです。日本は非常に速いスピードで高齢化が進んできました。そして、これからも進んでいきます。どれぐらい速いかというと、例えば、高齢化のスピードを計る尺度に、65歳以上の高齢人口比率が7%になった時から14%になるまでに何年かかったかをみるものがあります。日本は1970年にこの比率が7%になってから1994年に14%を超えるまで、たったの24年でした。「たったの24年」というのは、日本よりも少し早く、この7%から14%へと突破したヨーロッパの国々では、この期間というのがだいたい50年から100年なのです。フランスなどは115年をかけて、ゆっくりゆっくりと高齢化していきました。つまり、日本はフランスに比べると、7%から14%になる速度が4倍以上の速さでした。この高齢化のスピードの速さが2つ目の特徴です。3つ目が、高齢化の奥行きの深さです。奥行きの深さというのは、高齢人口の中に占める、さらに高齢の人の割合です。具体的に言いますと、高齢人口の中に占める75歳以上の人の割合の増加がこれから顕著になっていきます。先ほど65歳以上の人口が今は総人口の26%と申しました。仮に65歳から74歳までの、比較的若い高齢者をyoung-oldと呼び、75歳以上のより年を取った高齢者をold-oldと呼びましょう。両者の比率は今、1対1なのです。ところが、今からちょうど10年経ち、2025年になると、団塊の世代の人たちがすべて75歳以上になります。2025年の高齢人口比率はだいたい30%ぐらいですが、その中で、65歳から74歳までの比較的若い高齢者と、75歳以上のより年を取った高齢者の比率が2対3と75歳以上がより多くなります。さらに言えば、今の学生が高齢者になる2060年ごろには、日本の高齢人口の比率が40%になっていますが、そのときには65歳から74歳までの比較的若い高齢者が1に対して、75歳以上の高齢者が2の比率になります。より年を取った人の比重が高くなってきます。これは社会保障の問題を考えるときに重要です。少なくとも今までの経験から言うと、75歳を超えると、医療サービスや介護サービスを受給する確率が格段に高くなります。日本は単に高齢者が増えるということではなく、その中でも75歳以上の高齢者の比重が特に急ピッチで増えていくということで、それは医療や介護の支出が急ピッチに増えていくことにつながります。atsushi seike■「人類史上初めての経験」――これは、かつて人類が経験したことがないことですか?ないです。人類史上初めての経験です。非常にチャレンジングです。人類が初めて入っていく未知の世界に我々は足を踏み入れます。――これに対する方策としてはどのようなものがありますか?大きく分けて3つあります。1つは高齢化そのものを、できるだけマイルドなものにしていく。元には戻せないとしても、高齢化のスピードを緩める。あるいは高齢人口比率を今、予想されているよりも低い数字に押さえるということです。どうしたらいいのか?答えは1つしかありません。高齢化は2つの理由で起きています。1つは長寿化です。人が長生きするから、65歳以上の人口が増えています。もう1つは少子化です。子供の数が減るから、65歳以上の人口が相対的に比重として高くなっている。このうち、寿命が長くなることについては、もちろん元に戻してはいけません。寿命が長くなるのは良いことですから。ということは、高齢化を少しでもマイルドなものにするためには、我々がとるべき方策というのは出生率をできるだけ回復させるということに尽きます。日本の出生率は2005年の底打ち時には1.26まで下がってしまったのですが、その後少し少子化対策が効いてきて、今は1.43まで戻ってきました。人口を維持するためには出生率は少なくとも2が必要です。お父さんとお母さんと同じ数の子供が産まれてこないと今の人口は保てません。ですから、できるだけ早く出生率が2に回復していくように、強力な少子化対策をとらなければならない。そのためには、子供を産み育てたいと思っている人が子供を産み育てられるような環境を強力に整備していく必要があります。具体的には、保育施設を早急に整備する。あるいは、様々な保育サービスを早急に整備する。あるいは、子供を産み育てやすいような働く環境、いわゆるワーク・ライフ・バランスを整える。つまり、長時間労働を是正し、子育て世代のお父さんやお母さんが子育てと仕事を両立できるような働き方というものを職場でもって速やかに実現する。このようなことをできるだけ早く進めることが大切です。2つ目は、今、出生率が急速に回復したとしても、今産まれた赤ちゃんが大人になって日本の経済社会に貢献するまでにはあと20年とか25年かかります。そうすると、少なくともそれまでの期間は、もう既に進んでしまった少子高齢化の下での、人口の減少は避けられない。その中で、少しでも「労働力人口」が減らないようにする。たとえ、人口が減ったとしても、働く人口が減らないようにする。そうすれば、社会保障を負担する人たちも維持できる。人口が減ること自体も問題ですが、一番大きな問題は、労働力人口が減ることにあります。労働力人口が減ると、1つにはその人たちが社会保険料や税金を収めて、年金、医療、介護のコストを負担しているわけですから、その負担者が減ってしまいます。同時に、労働力人口が減るということは、生産に従事する労働者の数が減る訳ですから、サプライサイドの生産がその分減ってします。また、働いていた収入というのは年金よりも多い訳ですから、その多い収入で、より多くの消費をしていたはずの人たちが消費をしなくなってしまいます。これはデマンドサイドでの成長の阻害要因になります。このように労働力人口が減るということは、社会保障の持続可能性を低下させます。同時にサプライサイド、デマンドサイド両方で成長の制約要因になります。そこで2つ目の方策としては、人口がかりに減ったとしても労働力人口が減らないようにする。つまり、労働力率を高めるということです。人口の中で、働く人たちの比重を高めないといけない。20代後半から50代後半までの男性はほぼ全員働いていますから、この部分は労働力率をこれ以上高めようがない。労働力率を高める余地があるのは、1つは女性です。女性はまだ100%働いていませんから、特に30代の女性は結婚子育てのため、労働力率が下がっています。この人たちの労働力を上げる。もう1つが高齢者です。引退する高齢者が、もう少し引退の時を先に延ばす。高齢者がもっと長く働き続けることによって、高齢社会を高齢者自らが支える側に回ってもらう。これがもう1つ必要になります。そういう意味では、女性と高齢者の労働力率をできるだけ高め、人口が減っても、労働力人口を維持する、あるいはそれが減ることはやむを得ないとしても、その減り方が人口の減り方よりもマイルドなものになるようにする。これが2つ目です。3つ目は、社会保障制度の改革です。今、年金、医療、介護を中心とした、社会保障の給付総額は110兆円ぐらいです。GDPの約5分の1です。これが今のままですと、団塊の世代が75歳以上になる2025年には、150兆円ぐらいになると見込まれています。順調に経済が成長したとしても、おそらくその頃のGDPは600兆円くらいでしょう。つまり、150兆割る600兆で、GDPの4分の1ぐらいの規模の社会保障費用の総額となります。人口が少なくなる中で、このまま増え続けたら、社会保障制度そのもの持続可能性が低下します。社会保障はどういう収入で支えられているかといいますと、約6割は保険料ですが、残りは税財源です。ただし、税財源とは言っても、税収は歳出をまかなうほどありませんから、かなりの部分が国債という形で将来の世代にツケが回されています。実は過去20年、社会保障給付が急速に伸びたために、それを賄うための国の借金が増えた結果、今やご承知のように、日本の公的債務残高は、GDPの2倍以上になってしまいました。そういう意味では、社会保障制度が適切に改革されないと、高齢化が進む中で、社会保障制度の持続可能性が維持できなくなるだけではなくて、日本全体の財政の持続可能性が維持できなくなります。そこで、どうしても社会保障制度改革が必要になっています。従って、世界に類を見ないレベルと速さと奥行きで進んでいく高齢化に対処するためには、高齢化を少しでもマイルドにするための強力な少子化対策、人口が大きく減少したとしても労働力がそれほど減少しないように女性や高齢者の労働力率を高める、そして、その上で社会保障制度や財政制度の持続可能性を高めるために、社会保障制度改革を強力に行う。この3つが必要となります。――議論の前提となっている、人口の今後の推移についてはどう見通されていますか?2012年に1億2800万人というピークを迎え、今のままですと、今世紀の半ばには1億人を割り込みます。そして、今世紀の終わりの2100年ぐらいには今の半分の6000万人ぐらいになると推計されています。
2015.05.23
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「年金制度は破綻しない」 慶應大の清家篤塾長が語るhttp://www.huffingtonpost.jp/2015/05/14/japan-social-security_n_7281818.html――若い世代は現行の年金制度がいずれ行き詰まるのではないか、と不安を抱えている人も多いかと思います。年金制度は大丈夫でしょうか?年金は大丈夫です。なぜかといいますと、年金の問題は単純だからです。年金と医療、介護では、問題の難しさの程度が格段に違います。年金というのは給付が増えるといっても、年金をもらう高齢者の数が増えるのと同じ程度にしか、総額は増えません。また、すでにマクロ経済スライドが導入されていて、物価が上昇していけば、物価の上昇以下にしか年金の給付額は上がりません。つまり、給付額は実質、どんどん抑制されていきます。そういう面で、年金給付総額はたかだか高齢者の人数が増えるペースか、それ以下のペースでしか増えません。さらに年金は単なるお金の問題です。保険料をとって給付を払う。保険料の改定と給付水準の改定によって、年金制度の持続可能性は維持できます。実際に年金については2004年改定で、保険料の上限が決まり、マクロ経済スライドで給付の抑制が決まっています。給付額が減ることはあっても年金制度そのものの破綻はあり得ません。ところが、医療、介護は全然違います。さきほど申しましたように、これから75歳以上の高齢者が特に増えてきますから、高齢者の増加ペース以上に、医療や介護を受給する人のウエイトが増えてきます。医療と介護の給付はノンリニア(非線形)に増えていきます。また、医療と介護は、単なるお金だけの問題ではありません。コストは保険料で徴収しますが、給付はお金で払うものではないからです。医療サービスや介護サービスとして提供します。サービスを提供するお医者さん、看護師さん、薬剤師さん、介護士さんといったサービス提供者が不可欠です。介護労働者をどう確保するのか、といった深刻な問題も出てきます。年金に比べれば、医療や介護はそのサービスを提供する人の問題がかかわってくるだけに、ずっとずっと難しくて複雑なのです。そういう意味でいえば、若い人は年金制度の持続可能性について、そんなに心配する必要はありません。むしろ医療や介護の仕組みの将来を心配した方がいいと思います。
2015.05.23
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今朝の公明新聞に掲載された小川和久さんの論考は、とても勉強になりました。生活保護に至る前の方の課題解決に向けた取り組みを紹介した、3面掲載の鼎談も。公明新聞は、いい記事を載せています。 昨夜は、今年初めてお酒を飲みました。楽しい語らいでした。「福の会」のご案内状も本日、FAXします。来年の参院選に向けた懇談会も順番にセットしています。今の体重をキープできるようにしながら頑張ります。 明日は小学校の運動会を皮切りに行事が目白押し。午後からは、20分間、ある研修会でお話しします。その原稿を書かなきゃ。今日は約束した打ち合わせや取材、会合が3つあり、結構、慌ただしい一日になります。完全に復調しました。お読みくださっている皆様も、ご活躍を。
2015.05.22
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PKO協力法が国会で審議されていた頃である。公明新聞政治部記者だった僕は、同じ政治部で川越に住む後輩と仕事を終えて一緒に東上線に乗っていた。確か和光市駅だったと思う。後輩の知人で、後輩が公明新聞記者であることを知っていた女性から呼び止められ、僕も一緒に電車を降りた。 和光市駅のホームで「平和を守る公明党でしょ。なにやってんの!」と、まくしたてられた。すごい剣幕にたじろいだ。 当時、最大野党だった社会党の土井たか子氏は<教え子に銃をとらせるな>と叫んでいた。<山が動いた>の前だったか、後だったか。それは覚えていないが、法案を提出した自民党ではなく、公明党に集中砲火が浴びせられた。その一コマである。 土井党首の言葉は<きちんと議論するのではなく、感情に訴えるだけ>の論調の最たるものである。しかし、PKOは、自衛隊のみなさんの献身的な活動によって、その後、日本の国際的な信用度を飛躍的に高めた。さきほどシェアした山口代表の記事を読み、思い出したことを書きました。
2015.05.21
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安保法制に「戦争法案」のレッテル 〜政府と国会が責任もって払拭〜掲載記事2015年05月21日 (木曜日)政府は先週15日、25回に及ぶ与党協議の結果を受けて、安保法制に関連する2本の法案を閣議決定し、国会に提出した。1990年の初当選以来、私の政治経験のなかで「自衛隊のあり方」を論ずる3度目の大きな機会となる。初当選してまもなく、イラクのクウェート侵入から湾岸戦争が起こった。冷戦終了後、世界は地域紛争を止め、予防する国際協力を模索した。日本は、自衛隊を含む国際貢献としてPKO協力法を成立させた。国際社会が軍隊を含めた役割分担で協力していくなか、日本は自衛隊を一切関わらせないという一国平和主義をとらず、武力以外の能力は活用していこうという「国際協調の道」をとることとなった。このとき、一部の野党やメディアは「戦争に巻き込まれる」などと声高にレッテルを貼ったが、今日、日本のPKO協力は、世界からも国民からも高い評価を得ている。2度目は、今世紀初めの「有事立法」のときだ。自衛隊発足後、日本に武力攻撃があった場合、どのような基準と手続きで自衛隊を使うかという有事立法は長らく作られなかった。圧倒的な米軍の力に頼って、自衛隊を動かして「日米安保」を機能させる切実感が乏しかったともいえる。しかし、弾道ミサイルや核開発を進めて、実際に、日本に向けてミサイルを飛ばそうとする近隣国が現れてきた。自衛隊は、力の空白を埋めるだけで役割を担っていた時代から、有事に動かして日米安保が機能する仕組みを整えることで、「抑止力」を備える時代に転換した。今回は、弾道ミサイル開発などがさらに進み、国を選ばないテロの犠牲が日本人にもおよび、経済力を蓄えた国々の軍事力を示す行動が活溌になる現実に対応した、「抑止力」の備えと、「国際協力」の仕組みが必要とされているのである。公明党は与党協議で、専守防衛の基本姿勢を守り、武力行使を日本防衛に限定した。国際貢献は、武力行使や武力行使と一体となる活動を禁じて、自衛隊員の安全を確保し、国際ルールにのっとって参加する判断を政府と国会が責任をもって決める歯止めを設けた。「戦争法案」や「戦争に巻き込まれる」という批判は、またしても国民の命や平和な暮らしを脅かす現実に、政府が責任を持つという憲法の精神を省みないレッテル貼りなのである。このたび、「大阪都構想」が住民投票で否定された。市長と議会の対立の繰り返しを、大阪市民が住民投票で自ら出した結論は尊重しなければならない。生き残った政令指定都市「大阪市」をどうするかは、賛成票に込められた思いもくみ取る必要がある。国政課題での合意形成は、与党として幅広く努力することに変わりはない。
2015.05.21
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僕は小泉元総理が嫌いだった。「抵抗勢力=敵」を<でっち上げ>ワンフレーズポリティックスで国民を引っ掻き回し、マスコミがお囃子を立てる構造を、苦々しく見ていた。小泉元総理の最大の罪は、長期にわたる好景気が続いたにもかかわらず、「私は消費税を引き上げをしません」と、人気取りを最優先したことだと思う。「if」の話をしても詮無いが、小泉時代に引き上げていれば、財政悪化にもっと早く歯止めをかけられたと思う。民主党の政権交代の原動力になったのもマスコミだ。昭和60年だったか基礎年金制度を導入し国民年金の未納・滞納・免除への対策を揺るぎないものにしていたにもかかわらず、センセーショナルに<年金不信>を掻き立て躍進への足掛かりとした民主党を持ち上げた。東京のマスコミ報道を眺めていた立場からいえば、大阪での橋下氏の行状は伝わってこなかった。マスコミの寵児=改革の人=という構造をつくりあげた。~知事や市長だったため国政の改革に全精力を傾注できなかった。だから、国政に挑戦し、いよいよ本当の改革をめざしたい~といった論理で、橋下氏が<国民に人気のある政治家のだれか>から誘われる形で、政界復帰を目論んだ時に、正面から批判すべきだと思う。毎日の動きだけを追う橋下、維新報道を見ていると、戦争の現地を知らない国民に大本営発表の発表する嘘の戦果を報道し続けた戦時中のマスコミとどう違うのか、と思ってしまう。
2015.05.19
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橋下氏について菅官房長官は、政界へ担ぎ出した一人であると語っていた。一方、橋下氏は平気で嘘をつく人間だとの話も聞く。ひょっとして、来年の参院選の直前に「今の政治状況を見ると、じっとしてはいられない」などと理屈を立てて、国政へ打って出る可能性はないか。そんな話を、今日、20年来の友人にした。TKさんにである。TKさんはコメントしなかった。TKさんは、僕の1期先輩の公明党議員である。20年間、ともに衆院選や参院選の勝利、強い県本部構築をめざして戦ってきた。深夜に県本部を出て、埼玉大学の近くに当時、あり深夜まで営業していた長崎ちゃんぽんのお店でラーメンを食べながら、僕の思いを語った。TKは常に冷静で、的確なアドバイスをくれた。朝の会議の後は、レストラン不二家でご飯を食べながら議論した。衆院選や参院選の時は、僕が遊説や候補スケジュールのとりまとめを担当していて、TKさんは拡大先の整理と発信を担当していた。「終わろうか」と連日、午前1時ごろ県本部を出た。特に衆院選、参院選になると、半年前くらいから、妻よりも長く一緒の時間を過ごしていた。そうやって話し合ったことを僕が原稿にしてメールすると正確な文章に添削して送り返してくれた。しかも、パソコンに強いので、レイアウトをきちんとして、見栄えよくして。TKさんは、僕が全く足元に及ばないくらい議会運営や政策に精通していた。僕のひらめきというか、思いつきの言葉について、裏づけとすればいい知識を惜しみなく注ぎ込んでくれた。10年くらい前だったか、参院選を勝利するため「勝者に学べだ」と一緒に泊りがけで小選挙区で議席を獲得していた兵庫県本部へ行ったことも懐かしい思い出だ。こんな荒っぽい文章で書いちゃいけないほど大切な友人なのに、申し訳ない限りだ。TKさんがいなければ、県本部における今の僕はなかったと思う。TKさんは、先月末で議員を勇退した。二人でお寿司を食べながら(僕のわがままでお酒は飲まず)送別の語らいをした。僕たちは田舎が同じ。だから、関西弁丸出しで、いつものように語り合った。1年前のお正月にH氏が急逝し、TK氏が勇退。両腕をもがれた僕は、いよいよ孤独で、ちぐはぐな「いきあたりばったりの飛行」になるかもしれない。そうならないよう、今月に入ってから端座する時間を増やしている。
2015.05.19
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久しぶりに公明新聞の記事を転載しました。一般紙は、安保法制について、昨年の閣議決定のときと比べて、やや落ち着きのある論調です。成長していないのは、野党の諸君です。「枝葉」のことばかり主張して、毎日の山田さんがお書きになった「熟議」とはほど遠いところで遠吠えをしているだけです。情けない。 仮に「公明党が与党でなかったら」「維新が参院でもう少し議席数を有していて与党だったら」と想像すると、歯止めなき集団的自衛権になっていたことでしょう。 山口代表、北側副代表は、ハードだと思います。熟慮を重ね、党内で熟議し、安倍路線に歯止めをかけ、国民に分かりやすい言葉をつむいで語る。大変な作業だと思います。昨年の閣議決定の文言の重みをかみしめます。閣議決定の文言を、法案に盛り込んだ努力に敬意を表します。
2015.05.18
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公明が厳格な歯止め 公明新聞:2015年5月15日(金)付 山口代表 自衛隊の武力行使は日本の防衛に限定。他国防衛許さず 公明党の山口那津男代表は14日夜、「平和安全法制」の関連法案の閣議決定を受け、国会内で記者会見し、大要、次の見解を述べた。一、首相の会見は、法制の意義を昨年7月1日の閣議決定の趣旨に沿って分かりやすく説明しようとしていた。国会審議でも、政府は分かりやすく丁寧な説明を尽くして、国民の理解を進めてもらいたい。一、国民の命と平和な暮らしを脅かす現実が厳しさを増しているという認識の下で、法整備を具体的に検討し結論を出した。自衛隊の活動内容によって、二つの法制の柱をつくった。「日本の平和と安全を守る」分野と「国際社会の平和と安全に貢献する」分野だ。一、「日本の平和と安全を守る」分野では、他国が攻撃された場合でも、極めて限定的な「存立危機事態」に自衛隊が防衛出動できるようにした。しかし、しっかり歯止めをかけた。自衛の措置の限界を明確にするため、新3要件を決め、全て法律に書き込んだ。(自衛隊の行動の)計画を国会承認の対象にすることでも厳格な歯止めが課された。他国防衛が目的の集団的自衛権行使は認められないことも、はっきりさせた。一、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態に対しては、外国軍隊の後方支援ができるようになるが、その歯止めとして、日本の平和と安全のための活動との目的が明確な外国の軍隊に限るとした。武力行使はできず、武力行使と一体化しない支援に限られる。一、国際社会の平和と安全に貢献するため、外国軍隊を後方支援できる一般法を新たにつくり、国際法上の正当性、国民の理解を得るための国会承認などの民主的統制、自衛隊員の安全確保の三つの原則で歯止めをかけた。自衛隊派遣の際には事前に国会承認を得る仕組みをとった。一、「戦争法案ではないか」との批判があるが、日米同盟の隙間のない法制を整えることで抑止力が高まり、それが戦争を起こさない働きを高めるところが重要だ。PKO協力法の制定時などでも同様の批判があったが、国民や国際社会が承知のように、そういう現実は生じていない。一、「世界のどこでも米軍を支援できるのでは」との懸念だが、自衛隊が後方支援する対象は米軍だけではない。目的や活動の内容は国会承認の手続きでチェックされる。日本が支援するにふさわしい活動でなければ国会承認は得られない。
2015.05.18
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平和安全法制と公明党公明新聞:2015年5月16日(土)付9条の下で国民守る 与党協議会座長代理 北側一雄副代表に聞く 5月15日、「平和安全法制」の関連法案が国会に提出されました。法制整備の意義と公明党の主張について公明党の北側一雄副代表に聞きました。 なぜ今、安保法制の整備を進める必要があるのですか? 安全保障環境が厳しさを増す中、国民を守る隙間のない体制を構築するとともに、国際社会の平和にも貢献するため。 ―日本に対し、どのような脅威がありますか。北側一雄副代表 核兵器や弾道ミサイルなど大量破壊兵器の脅威があり、しかもそれが拡散しています。また、軍事技術も著しく高度化しています。わが国の近隣でも弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、核開発疑惑を否定できない国があります。国際テロやサイバーテロの脅威も深刻です。こうした中で、国と国民を守ることは政治の最も大事な仕事であり、どのような状況であっても対応できる隙間のない安全保障体制を構築するとともに、抑止力を強化する必要があります。一方で、国際社会の平和と安全に対する貢献も重要です。与党はこれらの視点から安全保障法制整備の議論を重ねてきました【図参照】。 ―与党の議論は拙速との声もありますが。北側 安保法制の与党協議は昨年5月に始まり、丸1年をかけ25回を数えます。資料もその都度、公表してきました。公明党の党内論議もそれ以上行っており、決して拙速だとは思いません。国会に法案が提出されましたので、今後、衆参両院で活発な論議がなされ、国民の皆さまの理解を得られるように努めてまいります。 政府は他国防衛のための集団的自衛権を認めたのですか? 「専守防衛」を堅持します。憲法第9条が禁じる他国防衛を目的とした集団的自衛権は、新3要件によって行使できません。 北側 憲法第9条の下では、これまで通り、もっぱら他国防衛のための集団的自衛権の行使は一切認められません。政府の憲法第9条解釈は、長年にわたる国会との議論の中で形成されてきました。その中で一番の根幹になっているのが1972年(昭和47年)の政府見解です。すなわち「自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであり、そのための必要最小限度の『武力行使』は許される」という考え方です。この考え方に立ち、日本を取り巻く安保環境が厳しさを増す中で、国民を守るためには「自衛の措置がどこまで認められるのか」「その限界はどこにあるのか」を突き詰めて議論した結果が、昨年7月の閣議決定だったわけです。この閣議決定では、憲法第9条の下で許される「自衛の措置」発動の新3要件【表参照】が定められ、法案に全て明記されました。 ―新3要件の意義は。北側 「自衛の措置」の限界を明確にしたことです。新3要件では、日本への武力攻撃が発生した場合だけでなく、日本と密接な関係にある他国に対する攻撃が発生した場合でも、これにより日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「明白な危険」がある場合に限って「自衛の措置」をとることができる、と見直しました。「明白な危険」とは、国民に、日本が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況をいいます。しかも、自衛権の発動に当たっては、国の存立を全うし国民を守るために、他に適当な手段のない場合にのみ許されます。あくまで「専守防衛」「自国防衛」に限って許されるという厳しい条件が付いているのです。従って海外での武力行使を禁じた憲法第9条の解釈の根幹は変えていませんし、国連憲章第51条にあるような、もっぱら他国防衛を目的とした集団的自衛権の行使は認めていません。 なぜ、外国軍隊の後方支援をする必要があるのですか? 一つは日本の防衛のため。もう一つは国際の平和と安全に貢献するため。ともに武力行使はしません。 ―後方支援とは、どのような活動をいいますか。北側 外国軍隊に対し、その武力攻撃と一体化しない範囲で輸送や補給などの支援をすることです。(1)日本の平和と安全に重要な影響を与える事態に日本の平和と安全を守るため(2)国際社会の平和と安全を脅かす事態に国際社会の平和と安全に貢献するため―に実施します。(1)については周辺事態法がありますが、名称を「重要影響事態法」に変更して対応します。(2)は、これまで特別措置法(特措法)で対応してきました。9.11米国同時多発テロを契機としたテロ特措法などの例があります。今回新たに一般法(恒久法)として「国際平和支援法」を制定します。二つの活動の目的は大きく異なるため、公明党は別々の法律として立て分けるべきと主張しました。―日本の防衛のための後方支援であっても、まだ有事ではないので、「武力の行使」や「他国の武力行使と一体化」する活動は許されないのでは。北側 その通りです。憲法第9条の下では、武力行使は認められません。特に「一体化」を防ぐために、外国が「現に戦闘行為を行っている現場」でない場所で行う支援活動に限って認めました。また「一体化」を避けるため、戦闘行為が行われることが予測される場合などの活動休止や中断の仕組みも設けました。―国際社会の平和と安全のために実施する後方支援の法制を、なぜ一般法に変えるのですか。北側 一般法にすることで、自衛隊が日頃から訓練や準備をし、さらに、国際社会の平和と安全の脅威になるような事態が起こった時、国連や各国との調整、現地調査なども迅速にできるため、自衛隊にふさわしい役割、任務を適切に選ぶことが可能になります。―一般法では自衛隊の海外派遣が政府の自由になり無制限な派遣になりませんか?北側 公明党は、自衛隊の「海外派遣の3原則」【別掲】を提起し、歯止めをかけました。特に一般法は「国際法上の正当性」に関し、国連決議または関連する国連決議があることを絶対条件にしました。過去の特措法は国連決議を根拠に制定されており、こうした点を重視した公明党の考えが反映されました。「国民の理解と国会関与など民主的統制」についても公明党の強い主張を踏まえ、自衛隊の海外派遣には国会の「例外なき事前承認」を義務付け、さらに派遣が2年を超える場合にも国会の再承認を必要としました。さらに「隊員の安全確保」のため、国会承認の前提となる基本計画の段階で安全性が確保されているかなどもチェックできるようにしました。 海外派遣の3原則(1)国際法上の正当性の確保(2)国民の理解と国会関与など民主的統制(3)自衛隊員の安全確保 PKO法の改正で自衛隊が治安維持までやるのですか? 本来、現地国の警察が担う治安維持をPKOとして活動する自衛隊が担うことはあり得ません。 ―自衛隊に治安維持をさせ、武器使用の範囲も広げるのですか?北側 治安維持活動一般は、現地の警察がやるべき任務であり、それを自衛隊が肩代わりすることはありません。今回の国連平和維持活動(PKO)法改正で自衛隊が実施する安全確保業務は、防護を必要とする住民を守り、特定の区域を巡回するなどの内容です。これは多くのPKO参加国がこれまでもやってきたことです。安全確保業務を行う以上、自衛隊員に自己を守るだけでなく任務遂行型の武器使用も認めますが、正当防衛と緊急避難以外は人に危害を加えてはいけないとの原則は変えません。―国連が統括しないPKO類似の活動もPKO参加5原則【別掲】で実施するのですか?北側 国連安全保障理事会の決議で設置されたPKOではなく、国際社会が実施するPKOに類似した平和安全活動についても、国連決議や一定の国際機関の要請、国連の主要機関の支持といった国際法上の正当性が確保される場合には、日本も参加できるようにしました。ただし、PKO参加5原則と全く同様の厳格な条件の下でしか参加はできません。 PKO参加5原則(1)紛争当事者間の停戦合意の成立(2)紛争当事者のPKO派遣への同意(3)PKOの中立性の確保(4)(1)~(3)のいずれかが満たされない場合には、部隊を撤収(5)武器の使用は、要員の生命防護のための必要最小限度のものを基本 批判に答えるQ&A 問い 「戦争立法」との批判があるが?答え 武力行使は日本防衛に限定し、専守防衛を堅持 日本を海外で戦争できる国にする「戦争立法だ」という批判は、全く根拠のない言い掛かりです。昨年7月1日の閣議決定では、海外での武力の行使を禁じた憲法第9条の解釈は変えていませんし、平和憲法の要である専守防衛の理念も堅持されています。閣議決定は、日本を守るための「自衛の措置」の限界を明らかにするため、新3要件を定めました。自衛隊が武力行使を許されるのは、どこまでも日本が武力攻撃を受けたと同様な深刻、重大な被害が及ぶ場合に限られます。他国を守ることそれ自体を目的とした集団的自衛権の行使は、今後も認められません。1992年成立の国連平和維持活動(PKO)法の時も「戦争に巻き込まれる」など、実態に基づかない一方的な批判が起こりましたが、こうした“批判のための批判”は長続きせず、現在、PKOは国民の大半の支持を受けています。 問い 世界のどこでも米軍を支援できるのか?答え 「国際法上の正当性」と「国会承認」が歯止め 「世界のどこへでも自衛隊を派遣し、米軍を支援する」などの批判は、支援の目的、趣旨や、厳格に定められた要件、手続きなどを全く無視した極めて短絡的な主張と言わざるを得ません。米軍等に対する支援は、重要影響事態法によるものと、一般法として制定する国際平和支援法によるものの2種類があります。重要影響事態法は、日本の防衛のため活動をしている米軍等への支援であり、あくまで日本の平和と安全のためです。一方、国際平和支援法は、国際の平和と安全のために活動をしている外国軍隊への支援です。米国のための支援ではなく、国連決議によって国際法上の正当性が確保されたものに限られます。日本が主体的に行う国際貢献としての支援です。しかも、両方とも自衛隊が実施するのは後方支援に限られ、武力行使は許されません。また自衛隊の派遣には国会の承認が不可欠です。米軍のためにどこまでも一緒に行くなどという批判は全く当たりません。
2015.05.18
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橋下氏の政治劇場が終わった。NHKが「独裁」発言を放映していたが、仇花が散った。かつえは横山ノックを知事に選んだ大阪の有権者だが、橋下氏を知事に、市長に選んだこととの有権者心理については、書くべき材料を持ち合わせていない。 右寄り安部路線の憲法改正の支えとなる予定だった維新は、今日から「終わりの始まり」である。江田代表の辞任発表の映像は、この政治家の醜悪ぶりをさらけ出しているように思えた。政治屋。そう思う。 「熟議」の対極にあり、国民から「熟慮」を消し去ろうそした政治屋集団が、維新「だった」と僕の目には映る。今朝の毎日新聞の「風知草」:何を熟議するか=山田孝男 =はよかった。 ~ 歴史に残る安保論戦であるためには、国際情勢をどうとらえ、その現実に日本がどう向き合うかという洞察が欠かせない。 (略)戦後70年。世界人口は大戦直後の3倍、73億人に達した。グローバリゼーションの進展、新興国の富裕化で資源の争奪戦と環境破壊が激化している。 この間、米ソが冷戦を展開、ソ連崩壊を経てアメリカの独り天下も終わり、今や経済・軍事にわたって中国の台頭著しい。ロシアは再び軍拡に転じ、クリミアを併合。北朝鮮の核ミサイルの脅威が増した。 欧州経済は動揺、中東の秩序は崩れ、テロは拡大の一途。新興国は競って軍事費を増やしている。 そういう激動の中、日本は天然ガスの輸入量で世界1位、石炭2位、石油3位という、資源消費大国であり続けている。 この、一応は平和的な繁栄をどう評価し、どこへ導くのか。世界3位の経済大国として国際協力の要請にどう応え、いかなる役割を担うのか--。 ◇ 私自身、日米防衛協力さえあれば、未来永劫(えいごう)、日本の平和と安全が守られるとは思わない。自衛隊の活動領域を広げる歴史的な法案であり、あらゆる批判にさらされて当然だ。 軍事活動の制約を緩めるのに「平和支援法案」と名付けたのは、報道効果を狙った悪達者であると私も思う。「対米公約先行は国会軽視」という批判にも一理ある。だが、それらは問題の核心ではない。 一方、国際情勢に対応する安全保障政策転換と、過去の戦争をめぐる政治指導者の歴史認識は本来、次元の違う問題である。 政府案阻止の一念でそれを故意に結びつけたり、重箱の隅をつつく追及に終始するなら、世界史の中で日本の役割を討議する機会が失われてしまう。 資源枯渇と自然破壊が止まらぬ今日、エネルギーや食糧資源を大量消費する経済大国はそれ自体、地球を傷め、世界に緊張を与える存在である。平和国家なら繁栄も自在ということはない。その自覚に立った熟議を求めたい。(敬称略)~
2015.05.18
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今朝は9時から武道大会の開会式へ出席したあと福祉まつりへ。9時半から始まっていた式典には 間に合いませんでしたが、正午過ぎまで福祉団体のブースを回り,、バザーの品物をどっさりと買い求めました。多くの方から「(選挙)よかったね」と声をかけていただき、感謝、感謝でした。 午後からは妻と同時中継へ。終了後、40年、30年、20年、10年配達を続けてくださってこられた無冠の友が表彰されました。胸が熱くなりました。感動しました。心の底から尊敬しています。 帰宅後はしっかり充電作業を行った後、録画し三日間かけて三分の二くらいまで観ていたビートたけしの「点と線」を見終えました。松本清張の原作を力をこめて制作した5時間の大作です。ビートたけしさんが秀逸でしたが、俳優陣の熱演はもちろんのことですが、昭和39年ごろの東京駅のホーム、夜行特急「あさかぜ」、蒸気機関車、本、部屋、調度品、街のたたずまい、行きかう人々とその服装など細部に至るまで東京オリンピック前の映像を描いていたところがとても楽しめました。ビートたけしさんが。九時過ぎからは事務所に籠ってお片付けをしました。きのうは、おもだか会の民謡の発表会に出席しました。1年前の4月に発会し、10月に約100名参加の発表会を行い、今日は川越南文化会館が満席でした。すごい発展ぶりです。会場がとても温かい雰囲気に包まれ、一体感のあることが驚きと感動でした。素直にそのことをご挨拶の中でお話ししました。
2015.05.17
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次から次へと市民相談が舞い込みます。きのうは9時から相談ごとの解決のための面談が続きました。 忙しいけど、その合間に満ち足りた気分に浸れる時もあります。 4年前に頂戴していた梅酒を夜中に飲みました。今年初めて(だと思います。ひょっとしたら3月以降初めてかな)のお酒でした。今日は、おもだか会の民謡の発表会に出席しました。1年前の4月に発会し、10月に約100名参加の発表会を行い、今日は川越南文化会館が満席でした。すごい発展ぶりです。会場がとても温かい雰囲気に包まれ、一体感のあることが驚きと感動でした。素直にそのことをご挨拶の中でお話ししました。
2015.05.16
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http://www.47news.jp/47topics/postwar70/where/post_20150311165943.html戦後70年プロローグ「あの戦争から何を学ぶか」1 薄れる惨禍の記憶 戦後システムに疲労 2015年は戦後70年の節目の年。軍人と一般国民合わせて310万人が亡くなり、アジア各国にも多大な被害を及ぼした戦争の記憶は薄れ、焦土から築き上げた戦後民主主義のシステムも制度疲労が激しい。私たちの地域社会、日本という国、そして世界はこれからどこへ向かうのか。手始めに、あの戦争から何を学ぶか考えよう。 ▼ 「勝つか、死ぬか」 終結構想ないまま 「勝つか、自分が死ぬかしかないと思っていた。降伏して終わるなんて全く想定していなかった」。陸軍士官学校61期生の 戸塚新 (とつか・あらた) (86)=東京都世田谷区=は何度も繰り返した。 戸塚が陸士に入校したのは1945年2月。半年後に戦争が終わるとは夢にも思わず、模擬爆弾を抱えて米軍戦車に見立てたリヤカーに忍び寄って自爆する訓練などに明け暮れた。 当時の日本軍は、敗北の瀬戸際に追い込まれていた。前年10月のフィリピン・レイテ沖海戦で、連合艦隊がほぼ壊滅。米軍は45年4月、沖縄本島に上陸した。本土でも、各地の都市がB29爆撃機による空襲に連日見舞われ、民間人の死傷者が急激に増えていた。 「なぜ、戦況がこれほどひどくなる前にやめられなかったのか」。戸塚に問うと、しばらく考えてから、絞り出すように言った。「無理だった。どんなに犠牲を払っても、戦いを続けていれば何か打開の手はある。そんな気持ちだった」 ▽石油を確保 戦争は当初、日本軍の優勢で進んだ。41年12月8日、ハワイの真珠湾とともに英領のマレー半島などを攻撃して太平洋戦争を始めた日本は翌年3月には、当時オランダ領だったインドネシアのジャワ島に上陸。開戦の最大の目的だった石油の確保に成功した。 当時の首相兼陸相、 東条英機 (とうじょう・ひでき) の秘書官などを務めた陸軍大佐、 西浦進 (にしうら・すすむ) は戦後の回想で「南方(の石油)を取る。そして向こう(米軍)が出てきたところを連合艦隊が1回か2回たたけば、神風かも分からないが、何か和平の空気が出てきやせんかと思っていた」と振り返る。 たたくチャンスは意外に早くやってきた。42年6月、海軍は北西ハワイにあるミッドウェー島攻略を仕掛けて米空母部隊を誘い出し、撃滅する作戦に乗り出した。 「作戦開始」の知らせを受けた西浦は「しめた」と思ったが、2日後には「日本の空母4隻全滅」という大敗の報告。東条も「うーん」とうなるだけだったという。 ▽願望のシナリオ ミッドウェー海戦は太平洋戦争全体のターニングポイントになった。快進撃を続けていた日本軍はこの大敗を機に、ガダルカナル島(43年2月)、サイパン島(44年7月)など戦略的拠点を次々に失う。 特に、サイパン島はB29の出撃基地として使われ、同島が陥落したマリアナ沖海戦の敗北で、「この戦争の軍事的決着はついてしまった」(東京大教授の 加藤陽子 (かとう・ようこ) )と言われる。 それにもかかわらず、その後1年以上も戦争が続いたのはなぜか。 昭和史を研究するノンフィクション作家、 保阪正康 (ほさか・まさやす) (74)は「終結構想がないまま戦争を始めた」ことを挙げる。 開戦約1カ月前の41年11月、政府と軍は「出口戦略」ともいえる「戦争終末促進に関する腹案」を決定した。それは、日本が中国をたたき、ドイツが英国に勝てば、米国でも戦争を嫌がる世論が広がり、講和に持ち込めるだろうという願望に基づいたシナリオだった。 この「腹案」を起草したエリート軍人で当時の中堅幕僚、 石井秋穂 (いしい・あきほ) に保阪は戦後、何度も取材した。「願望を並べたと石井は言っていた。最初の起案だからいいかと上に出したら、そのまま通ってしまったと。終戦の方法は国策を決める上層部の責任者の間でまともに論じられることはなかった」。保阪はそう結論づける。 ▽責任うやむや 対照的に米国は、中部太平洋の島々を飛び石のように制圧して航空機の前進基地を確保、日本本土を直撃するという対日戦略の基本を定めていた。日本の戦争遂行能力を低下させるため、石油運搬用タンカー、兵士や武器・弾薬、食糧、医薬品を運ぶ輸送船を徹底的に攻撃。「敵軍から奪取、または現地調達」という日本陸軍の補給軽視思想も災いして、前線の戦いぶりは悲惨を極めた。 「糧食は1週間分。12門の火砲に砲弾は全部で600発だけ。こちらが1発撃つと1000発お返しを食らうありさまで、勝ち目がないのは明らかだった」。陸軍野戦重砲兵第4連隊の指揮班長としてガダルカナル島で米軍と戦った 矢吹朗 (やぶき・あきら) (93)=東京都板橋区=は500人の部隊のうち、400人が飢えやマラリアで死んでいった地獄のような4カ月近くの日々を忘れることができない。 広島、長崎への原爆投下、ソ連参戦という八方ふさがりの状況に追い込まれた45年8月、日本はようやくポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を決めた。「出口」を考えずに開戦し、人々に多大な苦しみを与えておきながら戦争を続けた責任の所在は戦後70年の今も、うやむやのままだ。(敬称略) ▼310万人が犠牲に ロシアから南太平洋まで 厚生労働省によると、1937年の日中戦争開始以降の戦死者数は、軍人と一般国民を合わせて310万人に上る。死亡場所は国内はじめ、北は現在のロシアから、南は南太平洋のニューギニア島まで広範囲にわたる。 海外の戦地で最も多いのは中国で、東北部を合わせて71万1100人。続いてフィリピン51万8千人、サイパンなどのマリアナ諸島を含む中部太平洋が24万7千人、ミャンマーが13万7千人などとなっている。 多くの餓死者を出したことで知られるガダルカナル島を含むビスマルク・ソロモン諸島は11万8700人。ガダルカナル島は日本から約5千キロ離れている。西ではインドで3万人が死亡。戦地がいかに広範囲だったかが分かる。 戦線が各方面に広がる中、食糧の補給が行き届かず、ガダルカナル島以外でも餓死者が続出した。軍人の戦死者のうち6割が餓死か、栄養不足が原因の病死とみる専門家もいる。 軍人の戦死者を時期別に分類するのは可能か。厚労省はそうしたデータは集計していないとしているが、一橋大の 吉田裕 (よしだ・ゆたか) 教授(日本近現代史)は岩手県に残された記録から類推して、44年以降の終盤に死者数が集中していたとみている。同県の「援護の記録」(71年)によると、太平洋戦争開戦後の、同県に本籍がある陸海軍の戦死者計約3万人のうち、44年以降が87・6%に達していたからだ。 吉田教授は「終戦の決断が遅れたために、戦死者数が膨れあがった。『あと1年、終戦が早ければ』と悔やむ遺族が数多くいたことを忘れてはならない」と話す。 厚労省のまとめでは、沖縄県と硫黄島を除く日本国内の戦死者は一般国民が50万人で軍人が20万人の計70万人。沖縄県は軍民合わせて18万6500人となっている(県集計では18万8136人)。 国内の一般国民50万人という数字は「太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会」(当時)が戦後、全国113の戦災都市から受けた原爆や空襲被害の報告に基づいている。 「他にも空襲を受けた地域があり、実際には50万人を超えていただろう」と吉田教授。空襲被害が本格化するのは44年末以降。ここでも終戦の決断の遅れが大きく影響している。(共同通信)=2014年12月6日
2015.05.12
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戦後70年プロローグ「あの戦争から何を学ぶか」3 思い継ぐ、私たちが 失敗の歴史学んで 戦後70年をテーマに対談する作家の半藤一利氏とAKB48の内山奈月さん=東京・東新橋 「昭和史の語り部」と呼ばれる作家半藤一利氏と、「憲法を暗唱するアイドル」として注目されるAKB48の内山奈月さんが「戦後70年」をテーマに対談。「なぜ戦争したのですか」「憲法9条の意義とは」。平成生まれの内山さんの疑問に半藤氏が自らの戦争体験を振り返りながら答えた。 × × × 内山 初めまして。AKB48の内山奈月です。よろしくお願いします。 半藤 よろしく。内山さんのおじいさんは何年生まれですか? 内山 1933年です。小学生だった祖父は東京から静岡県や甲府に疎開し、甲府で空襲に遭いました。焼夷(しょうい)弾が降る中、田んぼのあぜ道を逃げ、まだ赤ん坊だった祖父のいとこは火の粉をかぶり亡くなったそうです。 半藤 おじいさんは私より三つ下だね。私も中学生のとき、東京の下町で焼夷弾攻撃をまともに受けた。だから今でも花火が嫌いだ。焼夷弾が落ちてくるときの音と火花、そっくりだからね。 内山 祖父も同じことを言っていました。空襲で亡くなっていたら私は生まれてなかった。そう思うと不思議です。 .snsBox{padding:5px 0; height:20px; position:relative;} ul.snsLink{position:absolute; right:0; top:0; padding:2px 0 0; margin:0;} #mainContent .MainBox .topContent ul.snsLink li{padding:0;} ul.snsLink li{display:inline-block;/display:inline; line-height:22px; font-size:77%; /zoom:1; vertical-align:middle; margin:0; padding:0;} .tweetIcon {width:100px;} .faceBCommentIcon {vertical-align:top !important;} .faceBCommentIcon a{ white-space:nowrap; min-width:35px;width:auto !important;width:35px; display:block;margin-right:9px; line-height:18px; color:#3b589a;border:1px solid #c8d3e5;-moz-border-radius: 3px;-webkit-border-radius: 3px;border-radius: 3px;padding: 0px 6px 0px 23px; background: #ebeef5 url(http://img.47news.jp/js/icon_comment.jpg) no-repeat 5px 3px; text-decoration:none;} .faceBCommentIcon a:link{color:#3b589a;text-decoration:none;} .faceBCommentIcon a:visited{color:#3b589a;text-decoration:none;} .faceBCommentIcon a:hover{border-color:#9dacce;color:#3b589a;text-decoration:none;} .mixiI a img{padding-bottom:3px; padding-right: 10px} .hatena{width:28px;} .hatenaIcon{width:60px;} 「戦後になって憲法9条を初めて見たとき、すごいものがでてきたと感動した」と話す半藤一利氏=東京・東新橋 ▽「絶対」使わず 半藤 東京大空襲(45年3月10日)で私も死にかけた。火の手が迫る中、川まで逃げて船に助けられた。ほかにおぼれている人を助ける手伝いをしていると、高齢の女性に肩をつかまれた拍子に川の中に投げ出された。周囲のおぼれた人たちがつかんでくる手を必死に振り払った。自分が生きるためだった。なんとか川面に首を出したところを別の船にひょいっと引き上げられて助かったんだ。 内山 …(絶句)。 半藤 そんな経験もあって私は「絶対」という言葉を使わないと決めた。戦争中は「絶対に勝つ」などの言葉が流行し、人々も「自分は絶対に死なない」「絶対に人を殺さない」と思っていた。そんなのはうそ。戦争に絶対はない。 内山 私には戦争の経験がありません。でもお話を聞くと本当に恐ろしい。人が人でなくなってしまうような気がします。 半藤 いま19歳? 戦争末期であれば女子挺身(ていしん)隊として働かされ、戦争の訓練をさせられたことでしょう。 内山 平和な時代しか知らない私には、その状況に置かれることが想像できません。 ▽なぜ戦争に? 内山 なぜ日本は米国との戦争に踏み切ったのですか。 半藤 欧州で先に第2次世界大戦が始まっていた。日本と軍事同盟を結んだドイツは当初すごく強く、日本側は英国が降参するのは時間の問題で、取り残された米国は日独に戦争をする気など起こさないと考えていた。そこで日本への石油輸出を止めるなど経済制裁を行った米国をたたくのは今だ!とばかりに開戦を決めた。ところが英国は降参しなかったし、米国も孤立しなかった。 内山 日本にとって想定外だったのですか。 半藤 いや、想定外というよりも、実際にはあり得ない想定をしていたのです。こうなればいいなという希望的観測が「絶対に勝つ」といった絵空事に結びつき、戦争を始めてしまった。 「大学で留学生から『外国では徴兵制がある』と聞いて驚きました」と語る内山奈月さん=東京・東新橋 ▽押し付け? 半藤 ところで内山さんはなぜ日本国憲法に興味を持ったの? 内山 小学校の授業で覚えたのがきっかけです。その後、九州大の南野森(みなみの・しげる)教授(憲法学)と「憲法主義」という本を出すときに憲法の奥深さを教えられ、もっと興味を持ちました。 半藤 日本ではよく「押し付け憲法」と言われるね。連合国軍総司令部(GHQ)の原案があったのは事実だが、これをどう生かし、どんな条項にするかは日本側も考えた。GHQ原案は当時の国会で大議論しながら修正されていった。ちょっと9条を言ってみて。 内山 はい! (スラスラと暗唱)。 半藤 あら全部言えたね。文頭にある「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」も後で付け加えられた。この部分は敗戦後の日本人の、本当に平和国家をつくりたいという願いの表れでしょう。 内山 憲法が約70年間運用され、9条のおかげだけではないにせよ日本が平和を維持しているのは、とても価値のあることだと思います。 半藤 日本も戦後、戦争になりかけたことが何回かあった。でも日本には9条があり、それを世界が認めているからこそ戦争は起きなかった。 ▽世代を超えて 内山 半藤先生はよく「歴史にイフ(もし)はない。けれども…」とお書きになっています。戦争は二度と繰り返してはいけないですが、日本の憲法も、この悲惨な経験がなかったら生まれなかったのではないか、と思います。 半藤 その通りだね。「平和憲法」とはつまり「戦争をしないと宣言した憲法」ということ。それが国際的に信頼されることが何よりも日本の国益となると私は思う。 内山 この企画を通して、私は初めて祖父母に戦争体験を聞き、本当に戦争があったんだと、あらためて実感しました。祖父は「やっと当時のことを笑って話せるようになった」と言っていました。私たちが祖父の世代からきちんと話を聞き、憲法ができた当時の人々の思いを受け継いだ上で、これからの日本や憲法を考えていかないといけないといま思います。 半藤 大変力強い。平和が長く続くと、それがつまらなく見え、中にはもう一度強い国にしたいと思う人もいるでしょう。人の考えはそれぞれ自由ですが、若い人たちにはぜひ、日本がアジアの盟主になろうとして戦争に突き進んで失敗した歴史を知った上で、これからどんな国をつくっていくのかしっかり考えてもらいたいですね。(共同通信)=2014年12月6日http://www.47news.jp/47topics/postwar70/where/post_20150428153307.html
2015.05.12
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20年前、初当選させていただいてからずっと県議会の4階に公明党控室がありました。ところが、昨夜、5階に移ることになったと団長から告げられ、今日は一日、ずっと机やロッカー、作業机の書類などを整理し、段ボール箱に詰め込む作業に追われました。腰が痛い! 議席数の最も多い自民党は3階、次いで民主党と刷新が4階、議席数で4番目に<転落>した公明党は、これまで5階だった刷新と入れ替わることになりました。 引っ越しは2度目です。かつては自民党に次いで公明党が2番目でした。そこへ民主党が躍進して、部屋を交代し、今回は2度目に引っ越しです。これで4階は、上田知事との連記ポスターを貼りだした議員のフロアーになります。 引っ越しといえば、新宿区で新婚の所帯を持ち、半年後に転勤のため東大阪市へ転居。2年間過ごした後、神戸の支局へ異動したため西宮市へ移り2年。その後、本社へ戻り、妻の実家のある東松山市と新宿区の真ん中に位置する川越市へ。妻の妹が探してくれた角栄商店街のど真ん中のアパートに住みました。長男は東大阪市で出産。長女は川越で出産でした。いずれも、助産院でした。角栄のアパートは4年ほど住んだのですが、その後、平屋建ての借家に移りました。8畳間と6畳間を会合に使えるので、引っ越しました。そこで4年くらいだったかな。中古住宅を買い求めて半年後くらいだったかな出馬の話があったのは。袋小路の奥だったので、やはり4年くらい後に、道路ぱたですぐ分かる今の家に移りました。 結構、引っ越しが多かったです。妻は大変でした。
2015.05.12
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愛国が汚れた義務に 自由失う憲法改正 鈴木邦男さんに聞く ―鈴木さんが右翼運動に入った1960年代は政治の時代でした。あれから半世紀です。 「最近、月に1冊も本を読まない学生がたくさんいると聞いて驚きました。私が学生の頃は、思想家の全集を一生懸命読んだ。私は右だったが、左翼の本も読まされて相手の立場を理解した。ところが、今は対談しても接点を探すのでなく何でもつぶそうとする。瞬間に反応を求められ、立ち止まってじっくり考えたり、沈黙したりすることが許されない」 ▽低い情念 「防衛問題だってかつては、非武装中立を唱える自由があったが、今はない。中国、韓国になめられるな、やっちまえと威勢のよい人だけが議論し、憲法改正とか防衛強化を言って自分が強くなった気になっている。低い情念での国家との一体化だ。自分の暗い過去に触れたくないように、国家の暗い過去も否定する。従軍慰安婦も南京事件も戦争もなく、人も殺してこなかったのだ、とまで言うかのようだ」 ―右翼の立場からは、憲法改正へ動く日本を歓迎するのでしょうか。 「今の日本に子どものような議論がまかり通っているのが心配です。自分にも秘密があるから国家に秘密があるのは当たり前で特定秘密保護法は 必要だ、けんかしている友達を助けるのは当然だから集団的自衛権も行使するといった内容です。しっかり調べて判断を下すというのではない。 従軍慰安婦問題でも他の国もやっている、なぜ日本だけ責めるのかと。これは万引少年が『みんながやっているのに、自分だけ捕まえるのか』と怒るのと同じです。この単純さでは海外派兵、徴兵制、戦争―という流れに歯止めが利かない。米国のように入隊すれば、大学や職で有利という制度を導入すれば、日本でもかなりの若者が兵役に就くだろう。 日本を取り戻すとか、熱狂的スローガンの下での憲法改正は危険だ。国のために、表現の自由、結社の自由を制限する、わがまま言うなという国家主義的な性格が強い。集団的自衛権だって、結局は米国の属国になり、自衛隊は傭兵(ようへい)になる。侵略戦争となったイラク戦争に日本は反対できず、駆り出された。自由がなくなるのだ。自由のない自主憲法より、むしろ自由のある押し付け憲法の方が良い」 ―しかし日本がまた戦争をする実感はありません。 「今の国民は戦前と違い、情報もあり賢いから間違わないという思い上がりがある。戦争は軍部が国民に押し付けたというが、うそだ。国民のかなりが戦争したかった。 戦争を題材にした映画が好調です。その中で戦争は悪いことだが、人々には勇気、愛があった、とまとめている。しかし、勇気も愛もなく飢餓の中で死んでいった人が圧倒的に多い。戦争体験もない人が、無責任に領土で戦争も辞さず、命を懸けて守ろうと言ってロマンチックにあおっている」立て看板の前に立つ鈴木邦男さん=東京都新宿区 立て看板の前に立つ鈴木邦男さん=東京都新宿区 ▽見えない理想 「今の憲法には理想的な国を日本につくって世界中に学ばせようという夢がある。憲法を変えるなら、それを越える夢や理想が必要だが、何もない。かつての帝国憲法に戻るのなら、日本はまた戦争するのか、と世界は不安を感じるはずだ。 『日本は戦争をしない、自衛隊は世界に出て行かない、だから世界中も戦争をしないように一緒に頑張ろう』と宣言してもよい。核兵器にしても日本は保有する技術があるが持たない。そのことを憲法に打ち出すべきだが、そんな議論はまったくない」 ―自衛隊をどう位置付けるべきでしょうか。 「これからは国同士の本格戦争はない。テロ、台風、津波、飢餓などがもっと恐ろしい敵だ。日本の自衛隊は海外で戦わずに、国に侵略があれば撃退し、災害があれば救助する。この本当の意味での『自衛隊』を世界は称賛している」 ―靖国神社に何度も参拝していますね。 「8月15日には政治家がたくさん参拝に来て、外国メディアがその様子を取材して『日本は戦争する国』として伝えられる。政治家は外国の批判を浴びることで、『自分たちは戦っている、愛国者だ』と言えるから、そのために参拝するのではないか。静かに参拝できないし、靖国にまつられた人々がかわいそうだ。自分たちを利用してまた戦争する国がつくられたらたまらないはずだ。 日中国交回復の時に、なぜ侵略した国と仲良くするのか、と中国で反対があったが、中国当局は日本では軍部が戦争をしたがり人民は被害者だと説明し乗り越えた。日本にとってはありがたいのだが、靖国にA級戦犯を合祀(ごうし)し政治家も参拝すれば、その説明は崩れる」 ▽官製の臭い ―愛国心が盛んに唱えられています。愛国心とは何でしょうか。 「戦後長く愛国心は戦争につながると否定された。今は皆が『愛国者』と言う。しかし愛国心には私は国を愛する、だから国も私を愛するはずだといった見返り、おまえたちも国を愛せという他者への強制を求める性格がある。おまえは国を愛していないと誹謗(ひぼう)する材料にもなる。愛国心は強制されたら汚れた義務だ。官製の臭いがする。心を押し付けてはならない。 日本人は日本には四季があって富士山があって素晴らしいというが、どの国の人も自分の国を素晴らしいと思う。中国もロシアも米国も韓国も嫌いで、日本だけを愛するというのでは本当の愛国心とは言えない。日本人はもともと謙虚、寛容だったのに、自己申告の愛国心なんてうそだよ」(聞き手は共同通信編集委員 杉田弘毅)鈴木邦男さん略歴 すずき・くにお 43年福島県生まれ。早稲田大在学中から右翼運動を開始、作家三島由紀夫の自決に影響を受け72年に新右翼団体一水会設立、99年から顧問。評論・文筆活動を続ける。主な著書に「これが新しい日本の右翼だ」「愛国と米国」など。早稲田大学大隈講堂の前で語る鈴木邦男さん=東京都新宿区 早稲田大学大隈講堂の前で語る鈴木邦男さん=東京都新宿区【キーワードメモ】右翼と左翼 右翼と左翼 フランス革命時代の議会で革命の急進化を主張する勢力が議長から見て左に位置し、それに反対する勢力が右に座ったことに由来する。左翼が革命、急進を主張するのに対して、右翼は保守、漸進を唱える。政治・経済制度では一般に左翼が共産主義、社会主義を唱え、右翼は反共、民族主義、天皇制擁護を主張するとされる。ネットを使って中国や韓国を厳しく批判し、独自防衛、国家主義、復古主義的な発言をする「ネット右翼」も誕生している。【インタビュー後記】右でも左でもなく 2時間を超すインタビューの最後に、発言を聞くと右翼なのか左翼なのか、保守か革新か分からないと聞くと、「そんなことは 考えなくてよい」と即答が返ってきた。 「左翼は冷戦構造の崩壊で死滅した。そして右翼はと言えば、今は普通の雑誌が驚くような反中、反韓の言論を掲載しており、乗り越えられてしまった」。右も左も力がないということか。 代わって、「軽く」「観念的な」論がはやる。本当に怖いのは、日本の言論空間の幼児化なのかもしれない。(共同通信編集委員 杉田弘毅)
2015.05.11
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5.6付け沖縄タイムスの社説から抜粋します。柴田文子さんがシェアしていました。感謝します。 ~日本の政治は「安倍1強体制」と呼ばれるが、選挙を通してその基盤を支えているのは、安倍晋三首相と安保・憲法観の異なる公明党である。 2014年12月の衆院選小選挙区で自民党は半分以下の約48%の得票率だったにもかかわらず、議席占有率は約76%に達した。得票率を比較的忠実に反映する比例代表では自民党は38%にとどまった。 野党の選挙協力の不発、民主党の準備不足などが自民に有利に働いたのは間違いないが、大きく作用したのは自民・公明両党の手堅い選挙協力だ。 憲法9条改正にしろ安保法制にしろ、安倍政権の重要政策に対する有権者の評価はかなり厳しい。有権者が白紙委任したわけではなく、実態は、盤石な自公体制に支えられての「安倍1強体制」と言ったほうがいい。 逆に言えば、公明党の姿勢いかんによって、日本の政治の行方が変わる可能性があるということである。 公明党といえば、「平和の党」「庶民の党」「生活者重視の党」という言葉を思い浮かべる。中道主義、平和主義は党の原点だと言っていい。支持母体である創価学会も、核廃絶や沖縄戦体験の継承など、平和運動に熱心に取り組んできた。 安倍政権が打ち出した集団的自衛権の行使容認については当初、公明党からも創価学会からも異論が相次いだ。 集団的自衛権の行使容認の新三要件に「明白な危険がある場合」という表現を盛り込ませたり、他国軍を自衛隊が後方支援する際、国会の例外なき事前承認を認めさせるなど、一定の「歯止め役」は果たしたかもしれない。~この後、報道を通じてマスコミが作り上げた公明党のイメージを、事実のごとく表現していました。少し違和感を覚えたので、そこはカットしました。
2015.05.10
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「人の話を傾聴して自身の知の枠組みを組み替えることができ、かつ集団の知的なパフォーマンスを高める人物こそが、知性的とみなされる」。「『知性』とは、知識の多寡ではなく、何よりも『知の自己革新』だ」。「自説を押し通すだけでは、知的創造は望めない」。5.9付け聖教新聞6面掲載の「日本の反知性主義」(内田樹編)の書評の中から抜粋しました。物事について自身が予め(あらかじめ)抱いていた認識が、現場で当事者からお話をお聞きし、そのお話の裏付けを調べる作業を進めていくと、予め抱いていた知識の枠組みが「浅はか」であったことを思い知らされることが、あります。この過程こそが、調べものに取り組む時の醍醐味です。昨夜は、とても早い時間帯からうたた寝をしてしまいました。さきほど1時間の端坐を終え、きのうの新聞記事を忘れないうちにメモしました。選挙が終わって、市民相談が本格化してきましたので。
2015.05.10
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1>白鳥のまごころライブ・イン・モスコーでこの演奏を聴いた時の泣き出したいくらいの衝撃を忘れることができません。「優しさと悲しさ」を叫びにも似たギターの音色で奏でる寺内さんは最高です。2>いとしのエリーナ白血病の少女のために寺内さんが作曲し、彼女にライブを聴かせるために1976年にソ連公演を敢行しました。病気だけど頑張るんだよとの励ましの演奏のように思えます。寺内さんの優しさがほとばり出る名演。3>ゴンドラの唄黒澤明監督は映画『生きる』のラストシーンで志村喬演じる主人公に、雪の降る中、ブランコをこぎながら、この歌を唄わせました。心に染み入る歌い方でした。寺内さんは逆に激しい演奏ですが、それは黒澤監督が『生きる』で伝えたかった人間として生き抜くことの大事さを、そのままギターで奏でているように思えます。4>筑波山寺内タケシとバニーズの『正調寺内節』のラストに収められた寺内さん作曲の名曲です。故郷をこのうえなく愛する思いが伝わってきます。5>叱られて文句なしに寺内さんの優しさを、そのままギターで奏でた名演奏です。6>慕情エレキの演奏はここまでできるんだ、ということを寺内さんが世に示した名演です。7>勧進帳バニーズの『正調寺内節』のオープニングに収められています。火花が散るという表現では陳腐すぎますが、このテクニックの凄さは世界一だと思います。「津軽じょんがら節」を選びたいところなのですが、「津軽じょんがら節」は寺内節そのものであり、日本音楽の金字塔ですから、あえてベスト10に入れるまでもないので「勧進帳」を選びました。8>空飛ぶギターこちらも寺内さんのテクニックの凄まじさをいかんなく見せつける寺内さんのオリジナル曲です。9>ドナウ川のさざ波クラシックも「運命」を選ぶところですが、「運命」は寺内さんそのものであり、ランク付けすること自体がおこがましいと思うので、この曲にしました、10>愛のメンバーボーカルナンバーですが、愛というものに寄せる寺内さんの想いが見事に表現されています。インストでもぜひ演奏を。
2015.05.09
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県民3人に1人の約15万人が死亡、兵士約10万人が死亡した戦い、そして大本営の姿勢を描いていました。二度と戦争を繰り返してはなりません。次は本を読みます。
2015.05.08
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GWに録画していた映画「日本のいちばん長い日」を観た。原作は半藤一利先生だ。監督は岡本喜八。1967年公開の白黒の作品。2時間を超す大作だが、息もつかせぬ迫力のある映画だった。俳優もすごい役者がずらりと揃っていた。特に三船敏郎、笠 智衆、山村聡、志村喬らの名演技と仲代達也のナレーションに胸を打たれた。加山雄三もよかった。軍部」というものは、国民の犠牲を厭わない性質を本質的に持っているのだろうか。原作者と製作者の二度とあんな戦争を起こしてはならないという強い意思を感じた。「終戦」はすんなりとはこんだわけではなかった。軍部の強い抵抗を描いていた。公開年度などを調べるため、検索していて、今年の夏にリメイク版が公開されることを知った。ネットで調べても分からなかったが、埼玉県庁もロケに使われたと思った。埼玉県庁は昭和28年建築の重厚な建物である。岡本喜八監督作品の「沖縄決戦」も録画しているので、後日、観ます。今日は、念願だった髪をカットしました。
2015.05.07
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山崎氏がHPやブログを読む人へあてたメッセージの中から転載します。先に、森田実先生の「紫と朱」についての解説を転載しましたが、改めて勉強の必要性を感じました。付け刃の言論ばかりしていてはいけません。5.3から始まった毎日新聞の憲法制定にまつわる連載も興味深く読みました。たとえば、ニーチェは、こう言っています。≪一本の樹が高みへ明るみへ伸びて行こうとすればするほど、その根は地下へ、闇黒へ、深みへ、悪の中へ向かっていく。一本の樹が天に達するには、その根は地獄にまで届いていなければならない。≫これこそが、私の理想とする精神の哲学であり思考の軍略です。≪一本の樹が天に達するには、その根は地獄にまで届いていなければならない≫ ≪地獄にまで…≫ 私の言葉で言い換えれば、これは、≪『イデオロギー』から『存在論』ヘ…≫ ということです。
2015.05.05
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こちらも、山崎行太郎氏のブログから。アドレスは同じです。 言うならば、櫻井よしこは、日本国憲法だけではなく明治憲法も否定していることになる。櫻井よしこに、それが分かっているのか、疑わしい。おそらく、自覚していない。たとえば、「大日本帝国憲法」を審議している時、伊藤博文は、こう言っているそうだ。 抑(そもそも)憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにある。故に若し憲法に於て臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設けるの必要なし。(『枢密院会議議事録第1巻』)櫻井よしこは、憲法改正の理由として、日本国憲法には、「国民の権利」ばかり書いてあり、「国民の義務」が書いてない、というが、明治憲法の精神にさえ反していることが分かる。伊藤博文が理解していたことを、櫻井よしこは理解していない。
2015.05.05
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書き写せば少しは自分の頭に入るのですが、コピーします。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/ 櫻井よしこと百田尚樹。漫画や大衆小説で「憲法改正」を語るなかれ!・ 自民党が「憲法改正」を漫画にしたそうである。櫻井よしこ等は、大衆小説家や芸能人、三流学者等を発起人にした「美しい憲法をつくる国民の会」(笑)とやらを始めたそうである。「憲法改正」も堕ちたものである。「憲法改正」に必死になるのも分からないわけではないが、漫画や大衆小説で「憲法改正」とは、あまりにも安易ではないのか。 私は、いわゆる護憲派ではない。むしろ九条改正を中心とする憲法改正に反対ではない。しかしまた、戦後70年、ほぼ一貫して政権政党であった自民党が、「党是」としてきたにもかかわらず、憲法改正が実現できなかったということは、国民の間に、「憲法改正反対」という国民感情が、広く、深く、浸透しているということだろう。 「もう二度と戦争は嫌だ。」という国民感情は、米国や占領軍による洗脳や押し付けの結果ではないだろう。憲法改正さえ実現できれば、日本という国が、急激に、「美しい国」や「強い国」に変貌するわけでもないだろう。 特に、近代憲法の原理原則も立憲主義も理解していない櫻井よしこや百田尚樹等のような怪しい三流文化人やジャーナリスト、三流学者、三流政治家、そして子供騙しの通俗小説しか書いたことのない大衆小説家・・・等が主導する憲法改正では、残念ながら、逆の結果しかもたらさないだろう。漫画や大衆小説で憲法改正を語るなかれ、である。哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』哲学者、文藝評論家。慶應大学院(哲学)修了。東工大、埼大を経て現在、日大芸術学部講師。著書『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『曽野綾子大批判』『柄谷行人論序説ー唯物論的転倒の哲学』等。現在、『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。(写真撮影=尾崎秀英)
2015.05.05
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憲法記念日にちなむ街頭演説会を4日午前11時半から川越駅東口で公明党市議団7名とご一緒に行いました。僕は、今の国会に「与党でない意味だけの野党」はいても「安倍総理と対決する野党」は存在しないと話しました。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の106名が春の例大祭に産廃し、自民だけでなく民主、維新、次世代などからも参加していることを根拠の一つに挙げました。また、戦争経験のない戦後生まれが増えたこともあり、5年前に比べて参拝した人数が2倍になっていることにもふれ、「公明党は与党にいるが、安倍総理と対立する時は真正面から結束してぶつかる野党の役割を果たす唯一の力ある政党です」と強調しました。そして「絶対、譲れない一点は、二度と戦争をしない、平和を守るということです」と訴えました。県政の課題にもふれました。
2015.05.04
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午前10時からの(実際は10:15からでした)の保育園の竣工式に出席するため川越富士見道路を走っていると、下り線が大渋滞でした。GWの渋滞は高速道だけではないのですね。11時過ぎに式典が終わり、祝賀会の会場を初かり亭に移したのですが、木野目を過ぎると渋滞。仕方ないので脇道を通って初かり亭へ。でも、みなさんが到着したのは、僕が着いてから50分くらい後でした。 開園なさった吉敷幸子さんは15年くらいのお付き合いになるかな。年上の方ですが、社会福祉法人を設立し、開園にこぎつけた情熱には感動します。 2時半に1軒お約束があったので中座し、その後、帰宅。溜まりきった書類山を片付けながら、録画していた美空びばりスーパーライブを観ました。 美空ひばりさんの生き方をナレーターが解説しながら楽曲が流されました。 涙、ですね。感動したので書きました。「歌は我命」の歌詞がすごい。一番好きなのは「芸道一代」ですが。~どうして うたうの そんなにしてまで ときどき私は 自分にたずねる 心のなかまで土足で踏まれて 笑顔のうしろで かげ口きかれて それでも私は うたい… うたい続けなければ その胸で私の歌 うけとめてくれる あなた! あなた! あなた! あなたがいるかぎり~ https://www.youtube.com/watch?v=B1V80-HwGPA
2015.05.03
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次に信夫隆司氏の論評を転載します。日大教授 信夫隆司氏 侵略とは、武力で国の主権を侵害することで、侵害の仕方として一番分かりやすいのは、領土の占領だ。その定義からすると満州事変はやはり侵略に当たるし、これを「侵略ではない」というのは歴史の否定だ。日本が何回もおわびしているにもかかわらず、周辺諸国が納得しないのは、安倍首相の「侵略の定義が定まっていない」という発言や靖国神社参拝など、おわびとは逆の動きがあるからだ。 日本は満州事変以降、国際社会における日本の立場や地位を考えない外交政策を取り、さらには外交政策自体がなくなり、軍部の独走が中心になっていった。 日独伊三国同盟で、旧ソ連を含めて戦争が起きないよう米英両国に対抗しようとしたが、ドイツがソ連に侵攻するなど、国際情勢の分析能力も落ちていた。 自衛戦争を戦うのに、石油の90%を敵(米国)に依存するのはありえない。米国の対日石油輸出禁止を招いた南部仏印進駐にしても、見通しが甘かった。文献を読む限り、誰もが「米国が石油の禁輸までやるとは思っていなかった」という趣旨のことを述べている。 戦後70年が経過し、戦争の実体験をしている人たちが少なくなっている。戦争責任をめぐる議論で、「なぜ自分たちの生まれる前のことの責任を問われないといけないのか」という考えが出てくるのは当然で、そうした状況を危惧している。 安倍首相は、戦後50年の村山談話にある「侵略」や「植民地支配」を正当化できる部分もあるということを強調したいのではないか。だから、問題になっている。日本の考え方が変わっていないということを明確にする意味でも、村山談話の「侵略」や「おわび」などのキーワードは盛り込むべきだ。
2015.05.03
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4月29日付け読売新聞に掲載された北岡伸一氏の記事です。末尾は安倍総理をかばっていますが、最初の部分は、先の戦争を手厳しく批判しています。以下、転載します。国際大学長 北岡伸一氏 「侵略には定義がない」というのは誤りだ。侵略とは、「他国の意思に反して軍隊を送り込み、人を殺傷し、領土を占拠し、財産を奪い、その他多くの主権を制限すること」というのが辞書的な定義であって、政治学、歴史学でもほぼ同様だ。国際法においても、だいたいの定義はある。こういう意味の侵略を、明らかに日本はやってきた。 満州事変では、権益を持っていなかった北満州を含めて軍事的に制圧し、満州国を作った。これは中国の領土的統一の尊重を定めた9か国条約(1922年)や、戦争を禁止した不戦条約(28年)に違反している。「満州事変は侵略でない」などと言って、賛成する国はどこにもない。 先の大戦が自衛の戦争だったと言う人はいるが、自衛できなかった以上、大失敗だ。日本の国益を守るという観点からすれば、連盟脱退も間違いだったし、真珠湾攻撃は大失敗だった。 なぜ無謀な戦争に向かったのかを分析することが重要だ。満州事変で関東軍が独走し、日本の政治的な意思決定システムは壊れてしまった。勝てるはずのない戦争をして、兵士を悲惨な目に遭わせた人間の責任は極めて重い。 他方で、今夏発表される戦後70年談話について、「侵略」や「おわび」といった言葉が入るかどうかだけで判断するのはおかしい。侵略について、侵略以外の言葉を使う方法もありうるし、謝罪よりも反省の方が適切ではないかと思う。 重要なのは全体としてどういうメッセージを出すのかということだ。首相は戦後50年の村山談話を「全体として引き継ぐ」と言っている。70年談話の基本は、20世紀の日本の歩みを踏まえて過去を反省し、自らの指針にすることであり、今後どうしていくかという未来志向であるべきだ。
2015.05.03
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午前8時にバランス接骨院の前野先生に体を診てもらいました。あとは、一日、選挙のことを全く考える必要のない時間を過ごしました。ゴロゴロ寝たり、好きなことをして過ごしました。体はまだ本調子ではありませんが、精神というか神経はすっかり普通人に戻ったような気がします。
2015.05.02
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保険料引き下げに成功した自治体は介護が必要になる高齢者を減らすことで保険料の引き下げに成功した自治体があります。ニュース画像増える介護保険料 自治体に格差 NHKmのウェブサイトから 4月30日 21時19分http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0430.html65歳以上の高齢者が支払う介護保険料は、今年度から全国の平均で月額5514円となることが厚生労働省のまとめで分かりました。これまでより10%余り引き上げられ、介護保険制度が始まって以来初めて5000円を超えました。 介護サービスを利用する高齢者が増え続けるなか、ほとんどの自治体が介護保険料を引き上げた一方で、全体の1.7%とごく僅かながら保険料の引き下げに成功した自治体もありました。 保険料に現れ始めた格差の背景について、福島放送局の廣岡千宇記者、岡山放送局の氏家寛子記者、社会部の津武圭介記者が解説します。<中略>大分県の豊後高田市の保険料の月額は5100円と、これまでより140円低くなりました。ここでは、2年前から介護が必要になるおそれのある高齢者を対象に無料で運動教室を開いています。利用者は踏み台昇降やダンベルを使った簡単な体操などを週に2回、2時間かけて行います。教室では毎回、握力や歩く速さ、それに片足でどれだけ立っていられるかなどを細かくチェックします。ニュース画像3か月後に運動機能が改善していれば教室を「卒業」できるしくみです。 教室に参加している80歳の植木キミ子さんは「教室に通ってから歩くことが苦にならなくなりました。皆で取り組めるので楽しく続けられます」と話しています。数値に現れた効果豊後高田市ではことしの2月時点で介護が必要だと認定された人の割合は16.7%と、取り組みを始める3年前に比べて3ポイント余り減少しました。その結果、介護にかかる費用も最も多かった平成22年度に比べ年間で6200万円余り削減することができ、保険料の引き下げにつながったということです。ニュース画像豊後高田市保険年金課の飯沼憲一課長は「今後も高齢化によって介護費用や保険料が増加することは避けられないが、介護状態の悪化を食い止め予防の取り組みを広げることで増加の幅を少しでも抑制したい」と話しています。超高齢社会にどう備える介護保険料の全国の平均額は10年後の平成37年度には月額8165円に上ると見込まれています。 介護保険制度導入から15年となることし。負担が増す一方でサービスは住民のニーズに十分応えられているのか。制度を運営する自治体はこれまで以上に創意と工夫が求められています。
2015.05.02
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ついに腰痛になりました。今朝、しゃがんで探し物をした後、起ち上がろうとした時に、ズキンときました。今日は、椅子から立つ時、車から降りる時、杖がないとダメな状態に陥りました。 4年前の県議選では告示前に同じような腰痛になり、8年前と12年前は告示前にぎっくり腰になりました。8年前は、二人の人に両肩を担いでもらわなければ歩行できない、ひどい状態でした。 今回は、市町議選も終わってからですので、よかった。明日は静養します。去年、妻はじっとしていても痛みの走る腰痛でした。それに比べれば、僕はじっとしていれば何の痛みも感じません。まだまし、です。
2015.05.01
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