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ようするに、ノートパソコンから、モバイルパソコンをすっ飛ばして、時代はスマートフォンになったということなのである。 とても着いていけない。なにしろ、私の携帯はらくらくホンである。めったにかかってこない電話と、ほぼ子供たちからだけのメールと、月に数回カメラを利用するだけで、アプリとかは一切使っていない。これで十分である。大概のネットサイトはスマートフォンでも参加できるようだ。契約によっては、割安になるというのもわかってはいる。だが、スマートフォンに代えようとはどうしても思えない。 だいたい、なんだ、アプリとやらは。携帯サイトじゃだめなのか。なんか、中年とか初老をスマートフォンから遠ざけようとする陰謀ではないかとさえ、オヤジの私はひがむ。パソコンでも似合わないと自覚しているのに、スマートフォンを使いこなせるワケがないじゃないか。お願いだから、やっと着いていっているオヤジパソコンユーザーを保護し、スマートフォンは別ものとして勝手に進化させてはいただけないものだろうか。
2011.05.30
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毎週、密かにやっていたサッカーくじのtoto、久しぶりに当たり!第504回totoの2等1本と3等6本で95,347円、2年ぶり、これまで最大の当たりということで、もう、うれしくて、書かずにいられなかった。 冷静に考えると、けっして黒字になったということではないが、ここしばらくは、金の心配をしなくても気兼ねなくtotoを楽しめそうだ。ここは、BIGで6億円ゲットする資金が出来たと、大きなことを言っておこう。 とたんに、めめしいのだが、実は、愚痴ばかりになるので書かないでいたのだが、4月から異動になり、引っ越しやら、寮の家賃やらで5月の給料の手取りが愕然とするほど減っていて、ボーナスまで、どうしようかと思っていたのだが、これは多少の助けになる。こんな小さな男には、超大当たりなんて無いだろうことは、自分が一番知っている。でも、うれしかった。
2011.05.29
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私は毎日のように、パソコンでこのブログを書き、参加サイトを巡り、ポイントを稼いでいる。今や、もう、メシ、フロ、サケのようなもので、生活の一部になってしまっている。そんなワケで、ネットの通じない生活には耐えられずに2回線も光に加入している。出張の際にも、必ずパソコンを持参するし、ホテルでもネット接続が当然になった。パソコンの方もノートが当たり前になり、モバイルパソコンも、えらい勢いで普及してきている。大昔、ラップトップとか呼ばれていた頃のパソコンは、ショックに弱く持ち運びなんて考えられなかったのだから、いやはや進歩したものだ。 ところがである、今や、私のようにパソコンを持ち歩くのは、もう古いらしい。では、モバイルパソコンなのかというと、それも違うようだ。キーボードが小さすぎて打ちにくい、接続方法によっては、都市部でしかつながらない、やたらに遅い等、評判はあまり良くない。実際に家電量販店でも、店員はあまり勧めないようだ。そして、家電量販店店員はこう言うのだ、「モバイルPCよりは、スマートフォンですよ」と。
2011.05.28
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インターネットラジオをご存じだろうか。昨日の話ではないが首都圏では、ネットでラジオが聴けるのだ。しかし、東北では聴けない。ニッポン放送が好きな私は、ひどい電波状態で聴いているのだ。それとは別に、auの携帯では、地方FMラジオ局の放送を、どこででも、そのまま聴けるという。 普通のラジオで十分に聴こえる首都圏だけでしかインターネットラジオが使えないというのは、私にとってはひどく不合理に思えるのだが、良く考えてみると、さもありなん。どこでも、ニッポン、TBS、文化なんかが聴けてしまうと地方のラジオ局にとっては死活問題だからである。でも、逆だとさほどの問題はないということなのだろう。 今回のような災害時には、どこにいても、どこのラジオ局でも聴けるというのは、かなりの助けになるのではないだろうか。
2011.05.27
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昨日のシルシルミシルで初めて知って驚いたのだが、関東地方とは、東京、神奈川、千葉、埼玉、茨木、群馬、栃木で、首都圏にはこれに山梨が加わるのだそうだ。まさか、山梨が首都圏だったとは驚いた。なんか、山梨というと長野の隣で、北陸のように思っていたのだが、地図を見るとなるほど、首都圏だわな。 東北地方で、「東京に親戚がいる」というのは、どうしても、東京、神奈川、千葉あたりまでを想定してしまう。これが、「東京の方に」になると、埼玉、茨木、群馬、栃木までを入れても、なんの違和感もなく受け入れてしまうのが、東北人である。だが、「首都圏に親戚がいる」と聞いて、そこが山梨だった時、東北人はどうも素直に納得できない。 福島南部では、もう、ほとんど関東文化圏であり、テレビもそうなのだが、そこで、「私は関東だ」とか言われると、東北の住民は憤りを感じてしまうのだ。この気持ち、わかってもらえるだろうか。それこそ、首都圏の方々は、「ナニをバカなことを言っている」と思われるのだろうが、だったら、首都圏の皆様は、東北6県をちゃんと言えるのか、どうですか?東北人は、思いのほかナイーブで、県名を間違えられると傷つき、コミュニケーションを否定するのである。わかんねぇだろうな、ここんところ。
2011.05.26
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単身寮での光は、まぁ、何のトラブルもなく順調である。寮の部屋は六畳一間なので、無線RANを使う必要はなくケーブルでつないでいる。貧乏なのに、自宅と寮で2本の光のオーナーである。自宅の方は使っても週に2日間だけである。もったいない話である。 光回線契約では、1年未満で解約すると違約金を取られてしまう。もし、1年で異動になると、これはまぬがれない、そして、それは2か月分ぐらいの料金に当たる。しかし、ちょっと待てよ、実際は4月1日に開通させたかったのに、震災によるNTTの工事の都合で1カ月遅れたのである。それでも、違約金なのか。まぁ、ここに何年いるかもわからないので、今から怒っていてもしょうがないのだが。 そんな先のことを考えていて、ふと、気づいたのだが、最近というより、震災以来、光のCMを見ていない。たぶん、被災地の一般電話回線の復旧作業で、光の回線工事どころではないのだろう。「光は地デジカより遅い」という、私の体験に、基づく主張も、なんとなく、どーでもいいような現状なのだ。ただ、被災地にこそ、光と地デジを無料で優先的につなげる、なんてことが実現できたらと願うのだが。
2011.05.25
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巨人の小笠原選手が好きだ。今回のプロ野球開幕騒動で、すっかり評判を落とした巨人だが、それでも小笠原がいる限り応援しようと思っていた。ところが、いきなりの大スランプで、ヘロヘロの2000本安打達成。よし、これからだと思ったとたんに、デッドボールによる離脱である。 日ハム時代は、常にイチローの次に着けていたが、勝てなかった。それでも、理屈なしのフルスイング、ガッツと呼ばれれるのが、こんなに似つかわしい選手が他にいただろうか。巨人に来てからは、トレードマークだったヒゲも落し、リアル侍。小笠原なくしては、巨人の優勝はなかった。復活を、心から望む。 心配なのは、年齢から来る突然のスローダウンである。緊張を持続し続けなければならないタイプの選手には、急に成績が落ちてしまうことが多い。その生真面目さが、手を抜くことを許さないので、体力の衰えに対応できないのだ。だが、私は信じている。あと3年はファンでいたい。頑張れ、小笠原選手!
2011.05.24
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今日は月曜日、例の挨拶運動で朝から当番の職員が玄関前で立って「おはよーございまーす」とやっている。いあやはやお気の毒。この運動、正式名称を「さわやか ほほえみ あいさつ運動」という。 「さわやか」だと。どこの世界に月曜の朝からさわやかなオヤジがいるのだ。最近は昔に比べて、みょうに朝、目が覚める私だが、ちっともさわやかじゃないぞ。そりゃぁ、若い女性の「おはよーございまーす」とかは、たしかにさわやかだろうが、それを50代後半のオヤジにも求めのか。どーかしてるぜ。 「ほほえみ」ときたね。こちとらぁ、やれ、目つきが悪いとか、生意気な顔だとか、顔がデカいとか言われ続けて50年だ。もし、私が無理に笑っているところを、知っている人が見たら、間違いなく、その人は逃げるね。若い女性でも「キモッ!」とか言って逃げるね。 こんな精神衛生上悪い運動を続けるのかと思うと、さわやかにほほえんでしまいそうな自分がいて、情けない。
2011.05.23
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へそ曲がりなので、この人気シリーズは観ていなかった。ところが、今回、最新第4作目が公開中ということで、昨日フジテレビ系で第1作目が、で、今日からテレ朝系で2作目、そして、来週から3作目が2週連続で放映するという。こういう一挙放映は、コレクター癖のある私の心をくすぐる。ということで、昨日、本日と観た。 まぁ、日本映画に例えれば、時代劇と任侠モノを併せたようなファンタジーというところなのだろうが、結論から言うと、なんとも、まぁ、なじめなかった。ジョニー・デップの魅力はちゃんと伝わっているのだが、ジャック・スパローのキャラクターがどうにもわからない。私が日本人的なヒーロー像しか理解できないためだとは思うのだが、これが世界中で受け入れられて、日本でもヒットしているのだから、私が着いていけなくなったということなのだろうか。そして、これがディズニー映画だということも、ちょっと違和感が残るのだが、これも私だけなのだろうか。
2011.05.22
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誰彼にも挨拶していいのは小学生までだろう。たとえ校内でも、中学生が会う人毎に挨拶するのはどんなもんだろう。ましてや、私のようなオヤジが来客や同僚に会う度に挨拶しようもんなら、気持ち悪がられること受けあいである。 この際だから細かいことを言ってしまうと、ただでも名札の着用を義務付けられているのだから、相手は私が誰なのかわかっているわけで、先日も、会合のあったホテルでいきなり名前を呼ばれギックとしたものの、名札をつけていたのから当然だった。それと、電話の応答でも、職氏名を名乗らなければならないことになっているが、これも仕事の内容によっては善し悪しだ。許認可や、いわゆる取締り型の仕事をしている職員は名前も顔も知られない方がいい場合がある。そこんところを「公務員は愛想が無いから、ちゃんと挨拶しろ」と、いっしょくたにされるのは本当に困るのだ。 やたらに「なになにデー」とか、挨拶だとか、上からの命令があるが、本当に効果を上げているのは、ほとんど無い。真に残念ながら。
2011.05.21
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県会議員の先生が「最近の県の職員は、どうも挨拶が足りないようだ」と言ったとかで、朝の挨拶運動をやっている。と言っても、担当の職員が玄関に立って「おはようございます」と、声をかけるだけで、それも月曜日だけ。ようするに誰もやりたくないのだが、しょうがなくやっているのだ。 だいたい、見かけた人には誰にでも挨拶しろとか言うのは無茶だ。大学に入学した時、先輩には「オス」と挨拶しろと言われ、見かけた人がすべて先輩に見え「オス、オス」とやっていたところ、出前持ちのアルバイトのお兄さんにまで挨拶してしまっていた。言い出した県会議員の先生も、本当にそう思っているのか、案外、誰も自分の顔を知らなくて無視されたのが悔しかっただけではないのか、いや、きっとそうに違いない。なんか、そんなのに踊らされるというのが情けない。 やれといわれてマニュアルのようにやる挨拶がいいものか。コンビニのあの「いらっしゃいませぇー、こんにちはぁー」がいいのか。ちょっと考えればわかると思うのだが。
2011.05.20
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小学2年の頃に「クロ」という雑種犬を飼った。飼い始めの頃は、よく散歩はというより、炭鉱町を走り回った。おかげで、長距離走が得意になった。そして、クロは私が大学3年生の春休みに死んだ。クサリがはずれ、逃げたのだが、いつもだったら帰って来る時刻になっても来なかった。探しに行ってみると、家のすぐ近くの路上で死んでいた。たぶん、クルマにひっかけられたのだと思う。考えてみれば、当時、クロは15歳、実質的に一番の飼い主で餌を与えていた母の話では、耳も遠くなっていて、どうやらボケていたようだ。だから、交通事故に遭遇するのも当然だったのではないか。私は、獣医学生だったくせに、それらには何も気づかず、とても優秀な飼い主だったとは言えなかった。 私が犬を飼わない最大の理由は、犬の寿命が長くても20年でしかなく、通常、飼い主より先に死んでしまうことが多いからである。クロの死は私にとって最初の家族の死だった。思いもしなかった。ショックだった。だから、犬を飼いたいという相談があれば、その人に、この残酷な事実を伝え、その覚悟があるのかを問う。 犬を飼うといことは、大変なことである。「子供がどうしても飼いたいから」ではダメだということだ。家族で責任を全うできるのか、私は、今でも犬を飼う気にはなれないでいる。 この番組も終盤に差し掛かっているが、どうやら今後のテーマは「ペットの死」になるようだ。そこを高く評価したい。
2011.05.19
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犬が正しく飼われるようになり、苦情が少なくなったのは全国的な傾向だと私は思っている。これには、「犬のしつけ方教室」などと呼ばれる、飼い主に対する講習が大きな役割を果たしている。飼い主に合わせて散歩する、許可されるまで餌を食べない、人の食事と同じものを与えない、など、今では常識になってきている。私の愛犬だった「クロ」は、残ったみそ汁ぶっかけご飯で育ち、何のしつけもしていなかった。その割には長生きだったので、ちょっと昔の日本の飼い犬としては、これもスタンダードだったのかなと思ったりもする。 この「犬のしつけ方教室」のた度に思い知らされることがある。それは、自分の子育てに対する反省である。犬と人の子供が同じでないことや、ましてや、自分の子供だといろいろ難しいということぐらいはわかっているつもりだが、それでも「なんで、こうできなかったんだろう」という思いがあるのだ。私の二人の子供の子育てが大失敗だったということではないが、犬でさえ、これほどのしつけのノウハウがあるのに、もっとやってやれることがあったのにという思いがあるということだ。 私が獣医になろうと思ったのは、幼いころから父がいろいろな動物を身近で飼育させていた影響だと、今は思っている。父のように、そんな環境を子供たちに与えられなかったという悔やみが、今さらあったりするのだ。
2011.05.18
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公衆衛生獣医、つまり人の保健所に勤務する獣医の最大のジレンマは犬を処分するというところにあると私は思う。私もそうだったが、獣医になろうと思ったのは、動物が好きで、その命を救う仕事がしたいという気持ちからだ。だが、現在の狂犬病予防の実情は、捕獲された犬や不要になった犬を殺処分しなければならないのである。 もっとも、ここ10数年、殺処分される頭数は減り続けている。特筆されるのは飼い主の意識の変化だと思う。犬は家族であり、責任をもって買わなければならないということが浸透してきた。その結果、放し飼いは減り、野良犬もほとんど見られなくなった。また、避妊、去勢手術が理解され、捨て犬、不要犬も減っている。ちょっと前までは、散歩する犬の糞を片付ける人など稀だったのが、今や常識である。その結果犬の苦情は減り、不幸な犬も減ってきているのだが、それでも、なお、罪のない多くの犬たちが、動物好きでこの仕事についた獣医たちに殺処分されているのである。 この番組は、そこから逃げなかった。熱血獣医の言葉で飼い主や子供にまで、訴えかけるのだ。これがドラマの演出ではなく、現実であることがどこまで視聴者に伝わるのか、それがちょっと心配だが。
2011.05.17
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このドラマにやられている。最初は、ウケけるドラマの要素である子供と動物、さらにジャニーズときたら、内容はどうあれ視聴率を稼げるドラマだと軽い気持ちで見た。ところがである。現実の犬の行政と、熱血獣医師に対する描写がかなり現実的だった。あそこまでやってくれるのなら、他の設定には目をつぶろう。こう書いても、何が言いたいのかわからない人がほとんどだろう。ちょっと長くなるが説明しよう。 犬については、狂犬病予防法により、全国各地の保健所で行われている。人の保健所に獣医が多いのは、実はこの理由による。公衆衛生と狂犬病予防をどちらもできる資格を有する獣医は使いやすいということだ。で、その行政の公衆衛生分野、つまり保健所等に務める獣医を公衆衛生獣医と言う。私もそうなのだが、ある意味でもっとも獣医らしくない仕事をしているのだ。ペットや家畜を診療している獣医は、少なくとも動物の命を救う方向の仕事なのだが、公衆衛生獣医は、家畜を安全な食肉にするための検査をし、住民に危害を与える犬を捕獲し、不要になった犬などを引き取り処分するという業務で、結果的に動物の命を奪うのが主な仕事なのである。このギャップに耐え切れず職を辞した仲間を何人も知っている。鈍感な私は、すっかり慣れてしまい、この仕事を続けてはいるが葛藤はあるのだ。
2011.05.16
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とのかく、役人の決める「なんとかデー」にはろくなものが無い。「ノーカーデー」はあるんだかどーだかも定かではない。「カジュアルデー」なんてのもあったが、何がカジュアルなんだかわからなかったし、カジュアルに金をかけることが無駄だと、最初からわかっていた。で、今はどーなっているやらわからない。最悪なのは「ノー残業デー」だった。だいたい日本語としておかしい。「残業なしの日」にすべきだ。毎週水曜日が「ノー残業デー」なのだそうで、今も実施中らしいが、曜日で残業しないようにというのが、もはやナンセンス。「残業はしないように、どうしてもの場合は上司にうかがってから」でいいのがどうしてわからない。 何かやると、必ず住民からはクレームが来る。例えば「ノーネクタイ」を実施したならば、「会議の場合は、不真面目に見える」、「天皇陛下にノーネクタイはけしからん」とか。 だから、「冷房を削減するので、お客様に失礼のない服装で勤務するように」でいいと思うのだが、そこがなかなか難しいということなのだろう。ちなみに、私は、ノーネクタイも半袖のワイシャツも好きではない。やせ我慢しても、従来通りの格好で勤務したい。その方が楽なのだ。この会議があるから、今日はネクタイとか、考えるのもめんどくさい。ならば、いつもどおりの、ドブネズミ姿で勤務して、暑かったら、ネクタイを外し、袖とか裾をまくればいいと思うのだが。少なくとも、穴の開いていないジーパンをみつくろってはいていくつもりはない。
2011.05.15
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環境省がクールビズの上を行く「超クールビズ」という方針を打ち出し、それをマスコミが取り上げている、というか、私から言わせれば笑いものにしている。私も役人と呼ばれる人種の端キレなので、他人事のように笑える立場ではないのだが、それにしても笑える内容だ。「アロハシャツ可」、「ジーパンも可、ただし穴あきはダメ」、「自分の席の周辺なら地味な色のTシャツなら可、でもタンクトップは不可」、「サンダルは可だがビーチサンダルは不可」。これだけでも十分笑える。だいたい、アロハシャツの定義がわからない。地味な色のアロハは、怪しい人たちのユニフォームであるダボシャツに見えちゃうぞ。ジーパンは共産圏では、受有主義の象徴として嫌われているようだが、日本でジーパンがダメだったのが、以前からわからなかった。作業服が良くてジーパンがダメなのはどうしてだろう。ジーパンしか普段着を持ち合わせていない私はそう思う。若者からは、ジーパンではなくジーンズだというツッコミがはいりそうだが、オジサンはジーパンなのだ。 だから、「見苦しくない格好で勤務すること」でいいのだ。半ズボンは見苦しいのでダメ、でいいのではないか。もっとも私の中では「若い女性の水着姿は見苦しくない」ので可、とか言うと、セクハラで処分されてしまうだろうが、「オヤジのスネ毛が見苦しい」というのだって、立派なセクハラだと思うのだが。
2011.05.14
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前座の春風亭昇也は2度目だったが、残念ながら同じネタの「転失気」だったので、ちょっと残念。 今回の私の目玉はやはり、花緑。演目は「宮戸川」と渋い。若きサラブレットだけあって、そつがない。十分満足なのだが・・・。私としては、ちょっと物足りなかった。けっして、花緑に不満があったのではないが、期待が大きすぎたということか。どうしても、立川四天王とかと比べてしまうのが悪いのか。 紙切り芸の林家二楽は、さすがの芸。私は、これもまた二度目なので安心して笑っていたが、初見のお客さんは大喜びだった。私は、札幌で浪人の頃、STVスカイ寄席で二楽の実父で師匠の正楽師匠に似顔絵紙切りをしてもらったことがあり、それは今でも大切に保存している。いくら若かったとはいえ、正楽師匠の「どなたか似顔絵のモデルに」の呼びかけに、手を挙げた自分が信じられないし、今さらながら恥ずかしい。 昇太は、もう、さすが。石川遼の枕も、腹から笑ってしまった。「ちりとてちん」もやたらに盛り上がる。噺がうまいとか、下手とかではなく、昇太師匠が面白いのだ。考えてみれば、立印四天王もこの点ではかなわない。私の中では、キャラクターとしては初代三平と月の家円鏡につながる。しかも彼らより噺がちゃんとしている。好きです、昇太師匠。
2011.05.13
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久々の落語に行った。ABS特選落語会 其の七 春風亭昇太・柳家花緑 二人会。本当は3月23日だったのだが、震災で5月12日に延期になっていた。演目は次のとおり。春風亭昇や 転失気柳家花緑 宮戸川林家二楽 紙切り春風亭昇太 ちりとてちん 元々、秋田近郊の職場から行く予定だったのが、90Km離れた湯沢市からの鑑賞となり、もう、13日になってしまった。ということで、今日はここまで。
2011.05.12
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途中で生肉に走ってしまったら、今日で2カ月になっていた。 宮城県登米市で動物病院をしている同級生のS.Sくんは、毎日欠かさずブログを書いていて、私も愛読していた。大震災直後から書き込みがピタリと止まった。しかも最後の書き込みが坂上二郎さんの死を悼むきじだったから、なんとも心配で、一週間後には本気で安否確認をした。しかし、うれしいことに杞憂に終わった。幸いに家族や家にも大きな被害はなく、避難所で被災者の方々のために奮闘していたのでブログが書けなかっただけだった。現在も避難所で頑張っているという。さすが、S.Sくんである。 実家が大槌町で、勤務先が釜石だった後輩のTくんは無事だったものの、お二人のご家族を失い実家も津波にのまれたという。直後は連絡を取るのもためらわれたのだが、ネットの安否情報で無事を確認できた。双葉町のIくんと同じく、新潟のHくんたちが救援の手を差し伸べているという。頭が下がる。Tくんが、立ち直ってくれるのを祈ることしかできない。 この他にも、福島、宮城、岩手で直接・間接的に被災した知人は何人かいる。申し訳ないが、私には何も力になることができない。また、普通に連絡を取り合えるような日が来ることを願って終わりたい。
2011.05.11
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暑苦しいこのテーマも今日で終わりにしたいと思う。 今回の事故が起きた原因は、あきらかに焼き肉店と肉の卸業者双方に重大な過失があったからなのだが、私たち行政と消費者にも反省しなければならないことがあったと思うのだ。 行政は、その最先端に位置する保健所をとおして「食肉の生食の危険性」について、営業車はもちろん、消費者にも啓蒙すべきだった。実際に、腸管出血性大腸菌やカンピロバクターによる食中毒のほとんどは「食肉の生食」により起きており、その対策も行ってはいたのだが、やはり十分とは言えなかった。致し方ない面はあるのだが、犠牲者が出て初めて対策がとられるというのは、いかにも残念だ。深く反省したい。 あえて消費者にも言わせてもらえば、値段の安さや、こぎれいな外観の飲食店を安易に信じすぎないこと、食に関する自分と家族の健康は自分で守るしかないことを、今回の悲しい事件を教訓にしていただきたい ここからは、全くの私見である。私自身は「生ガキ」は旨いと思うのだが、レバ刺しを含め「食肉の生食」は旨いとは思わない。これは仕事上の知識があるためかもしれないのだが。O-157の突然発生はあったとはいえ、元来オヤジのゲテモノ食いでしかなかったものが、若い女性や子供にまで簡単に広がってしまったという事実に憤りを感じる。ここには、魚の刺身を食べる日本人の「生食神話」が強く影響しているように思えてならない。「食肉の生食」が焼肉屋のメニューから消えたとして、営業にどれほどの影響があるのか、どれほどの消費者が不満に感じるものか。国の判断を待ちたい。
2011.05.10
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さて、ここまでは肉の生食について、書いてきたが生食ついでに、もう一つ。以前にも書いたのだが、生牡蠣(以下生ガキ)についてである。 現在、食中毒で最も多いのがノロウイルスであり、これは人から人へ驚異的な感染をするので、それらを含めると日本では最大の事故原因物質である。研究により発見技術が発達した結果だともいえる。ノロウイルスは、人の腸管内で増殖し、嘔吐、下痢の症状を発現するが、おおむね3日で症状は改善する。しかし、ウイルスは吐物や便に1週間以上存在し、人から人への感染の原因となる。感染者の便の中のウイルスは浄化処理でも死滅せず海に流れ出る。そしてこれが、海中の二枚貝の中腸腺というところに貯められる。中腸腺は、ホタテのウロと呼ばれる、あの黒い部分である。ホタテやアサリやハマグリの中腸腺を生で食べることはないが、生ガキの場合は、中腸腺がどこやらわからずに全部食べてしまうので感染するのである。したがって、ノロウイルス原因事故は、生ガキが食べられる9月から4月に集中して発生する。同じカキでも夏場が旬の岩ガキにはウイルスの絶対量が少ないので事故も少ない。ノロウイルスも加熱で死滅するので生で食べなければ事故は起こらないのである。自分で手洗いを出来ない子供たちの間では爆発的に感染する。保育園で感染症が多発するのはこのことによる。 少なくとも、食品に携わる人や、保育園や福祉施設の職員は生ガキは食べてはならない。さらに、嘔吐や下痢の症状のある従業員者は食品に触れないようにしなければならない。子供に生ガキを食べさせるのはもってのほかなのである。
2011.05.09
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牛肉、レバーの生食で、もう一つ危険なのがカンピロバクターという菌である。これも牛の腸の中にいて、屠畜、解体の時に肉の表面を汚染する。しかも、悪いことに肝臓の中に残っていることが実証されたので、レバ刺しは表面を洗っても危険なわけだ。この菌が原因の食中毒の症状は特徴的で、食べてから約5日後に高熱を発する。このことと菌の培養が難しかったことから、長い間、謎の食中毒だったが、研究が進み現在ではノロウイルスに次ぐ第2位の発生件数である。この菌をもっている牛は多くても30%程度だが、鳥類はほとんどが保菌しており、放し飼いにしている比内地鶏などは検査してみると100%保菌していた。 牛の刺身(牛刺し)、レバ刺しは、腸管出血性大腸菌とカンピロバクターの危険があるので極めて危険である。また、焼き肉などの生焼けもにも気を付けなければならない。実際、事件のほとんどはこれが原因で起きている。 鶏肉の「ささみ」や「板わさ」はもってのほか、焼き鳥の生焼けにも気を付けなければならない。鶏は生で食べる食品ではない。 馬は前述したように、食中毒原因菌が少なく、正式に生食が許可されている。しかし、料理店で出される馬刺しは、店の責任で調理E型肝炎が散発している。 いずれにせよ、肉を生で食べるというのはリスクが高いということを日本人は知らな過ぎると私は思う。
2011.05.08
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腸管出血性大腸菌は、日本では平成8年(1996年)に突如として発生した。人の腸内で赤痢と同じ毒素のシガトキシンを生産する。我々の子供時代には赤痢はありふれていたが、現在の子供たちにとっては抗体もなく、重体になり多数の死亡者が出た。今回の事件では、大人も死亡しているが、よっぽど菌量が多かったのか、毒素の強い新種なのか、調査中だという。 前述したように、この菌は、牛などの腸内に存在し、と殺、解体時に肉の表面を汚染する。だから、肉の表面を確実に焼けば避けられる。確実に表面を削るトリミングを行うと事故を防ぐことができる。実際に、事故が起こるのは生で食べた場合と、焼き方が足りなかった場合だけなのだ。当時は、内面まで火が通らない可能性のあるハンバーグが危険だと問題になったが、ユッケ、レバ刺しなどは論外に危険なのである。 焼き肉店などには、「ユッケ、レバ刺し、牛刺しは危険なのでメニューからはずすように」指導してきたが、「客が注文するんだから、違反でなければいいべ」みたいな反応がほとんどで、なかなか言うことを聞いてくれなかった。もし、事故を起こしたなら営業継続はおろか犯罪になると説明してもわかってもらえなかった。現在、は調査中であるが、ここにいたっては、やはりメニューから外している店が多いようだ。 食肉の生食には、腸管出血性大腸菌の他にも危険が多い。明日以降、それについて書く。
2011.05.07
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さっそく、国が動き出した。全国の飲食店や食肉処理業、食肉販売業を一斉監視指導するという。まぁ、当然そうなるのだろうが、行政は死者が出ると慌てて動き出す。公衆浴場のレジオネラ菌の時もそうだった。これについては厳しすぎると思われる規定が定められているが、それについてはまた、後で書きたい。 まず、今回のO-111事件だが、何が問題かを書きたい。O-157とかO-111は腸管出血性大腸菌と呼ばれ、牛や羊や山羊の腸管内に普通に存在し、宿主には害を与えない。ちょっとややこしいのだが、その腸管出血性大腸菌の中に2種類の毒素を出すものが突然出現したのだ。これが、多数の小学生が亡くなったO-157事件だ。生きている牛を牛肉にすると時に、どうしても、内臓(腸管)を取り出す。その時に、肉の表面を糞便が汚染してしまう。その結果、汚染されたままの肉を生で食べたり、生焼きで食べたりすると人の体内で赤痢と同じ毒素を生産するのである。O-157事件の場合、生の肉は食べなかったのに、なぜ、事件は起きたのかというと、給食に出されていたカイワレ大根に牛の糞が肥料として使われていたからだとみられる。この事件以後、学校給食では大幅な調理過程の見直しがなされ、カイワレはもちろん、トマトやメロンまで、生で口に入る可能性のある食品は徹底的に洗浄殺菌することになった。屠畜場でも、汚染を防ぐため大改革を実施したのだが、それでも汚染は完全に防止できていない。ここで、注目していただきたいのは、腸管出血性大腸菌が突然に出現したという点で、つまり「ユッケ」より、後で出現したということである。これが、食品衛生上、指導が難しい根本なのだ。今まで安全だったユッケやレバ刺しが、突然危険な食品になったのだから、いきなり禁止できなかったのだ。(続く)
2011.05.06
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腸管出血性大腸菌による食中毒で死亡者が4人も出て大問題になっている。肉の生食については、以前にも書いたが、止めてほしいと飲食店や消費者に指導し続けていたのだが、今回はその心配が現実となってしまった。 とにかく、日本で生で食べていい肉は馬刺だけなのだ。それも、認定された熊本県の「と畜場」で処理されたものだけが馬刺用として売られているのだ。したがって、スーパーや肉屋では、自分の販売した肉が食中毒の原因になることがないように、「馬刺し用」とか「レバ刺し用」とかはうたっていない。私たち食品衛生監視員もそのように指導し続けてている。 では、なぜ焼き肉店などで「馬刺し」、「レバ刺し」が出されるのかというと、それは、店側が、自己責任で販売しているからであり、法律では禁止できないのが現状である。ちなみに、馬肉は、O157やカンピロバクタ-が少ないので例外的に認められているのだ。牛肉や鶏肉の生食がいかに危険かについて、しつこく書いて続けたい。
2011.05.05
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福島県双葉町で動物病院を開業している1年後輩のIくんは、その町の町会議員でもある。地震や津波の被害は多少あっても避難するほどではなかったのに、原発事故により強制的に避難させられ、彼はそのリーダー役をやらざる得なかった。とにかく逃げろということで、転々とし、今は埼玉県の高校の廃校舎にいるという。彼は奥さんと高校生の一番下の娘と3人で、他の避難者がすべて、そこを出るまで居残る覚悟だという。頭が下がる。 偉いのは、彼の同級生たちもだ。金銭的にも精神的にも彼を応援している。この連休にも、広島のMくんが埼玉まで出かけるというし、新潟のHくんも上京しているという。先輩風を吹かせて「何かできることがあったら言ってくれ」とか言っておきながら、何もできていないのが本当に情けない。 原発事故については何回も書いているが、とにかく国力のすべてをかけて放射線の漏出を無くすることだ。すべてはそれからだ!菅総理も「総理は辞めてもいいが、原発事故の処理だけはやらせてくれ」ぐらい言ってみろ。
2011.05.04
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まだ、「その後」にしてはいけないことはわかっているのだが、タイトルだけはこうしてみた。被災にあった知人たちの今を書いてみたい。 夕張北高の友人で、知っている限り東北に住んでいるのは彼だけという仙台在住のKくん。私は、停電ぐらいのもので大した被害も無いのに、彼が被害にあっているのをまったく気づかなかった。札幌在住のOMくんは、以前に海に近いKくん宅を訪れたことがあり、地震の際には、真っ先に心配し、安否を確認してくれた。Kくんは、自宅が津波にのまれるのを非難した小学校の屋上から目の当たりにし、ヘリコプターで救助されたという。私がそれを知ったのは、夕張北高のホームページ上で、地震から3日後だった。OMくんは、ホームページでさっそく義援金を呼びかけてくれた。一番近くにいながら、何もできないままの私は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。現在、Kくんは、知人の別荘を借りて、同じ仕事にすすんだ息子さんと歯科技工士の仕事を再開している。ゼロからというより、マイナスからの出発ではあるが、なんとか、応援したいものだ。
2011.05.03
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子供たちが家を出てからは、我が家にはクリスマスも節分もゴールデンウイークも無くなった。別の理由でバレンタインデーも無い。それでも、例年は、だらだらと朝寝を楽しみ、アカスリに行き、帰ってきた子供たちの相手をしたりで終わっていた。 今年は、ちょっと違っていて、異動したばかりでもあり、私を含めてわずか5人の課なので、順に休みを取ってもやりくりは大変ということで、今日の2日も、6日も出勤である。しかし、家と寮は片道2時間強の高速走行である。時間もガソリンも体力も消耗する。光もつながったことだし、6日は帰らずに、湯沢の温泉めぐりでもしようかと思っている。まだ、一カ月も住んでいない湯沢近辺は、何処へ行っても観光気分である。先日は小安峡多郎兵衛旅館の温泉を短時間ではあるが楽しんだし、あと2、3か所の温泉にも行ってみたいところが残っている。これに、なかなか行けなかったラーメン、蕎麦店巡りを加えれば、かなり贅沢なGWではないか。震災地へ出かけての消費はできなくとも、地元での些少な消費でも、なにかの足しになるのではと、言い訳しながらGWを楽しむつもりだ。
2011.05.02
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やっと、予定よりは1カ月遅れて、今日、寮の光が開通した。心配していたとおり一時間半おくれたものの、あっさり開通。まぁ、めでたしめでたし。これで、どこでもネットができる。昔、コンピュータというものが出始めの頃、こんな時代が来るとは、思いもよらなかった。ネットには感謝している。もし、インターネットが無かったら、絶対に音信不通になっていた知人・友人が何人もいる。夕張も、こんなに身近には感じられなかったろう。 自分ではネット依存症になっているとは思っていないが、確実に生活の一部になっているので、無いと苦しいし、なんとかしようと必死になる。いや、これはもはや立派な禁断症状なのかもしれない。まぁ、今日は、酒を飲みながら、これを書けるようになったことを素直に喜びたい。
2011.05.01
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