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最近私のヘビーローテーションは何かと言えば、これが太田裕美なのだ。彼女と私の係わり合いについては、ずっと前のブログに書いたことがある。ただ当時はテレビの歌番組などで、主に彼女のシングルヒットを耳にする程度だった。それがつい先日YouTubeを観ていた時、ひょんなところから関連動画に彼女の歌が出てきた。たまたまそれに見入っていると、今度は関連動画に私のまったく知らない彼女の曲が次々と出てきた(まったくYouTubeというのは罪なものだ。仕事にならないじゃないか!)。おそらくはみんなアルバム曲なのだろうが、そのクォリティの高さに改めて唸らされっ放しになってしまった。順を追って聴いていくと、最初の内はいかにも“アイドル然”としたテイストが濃いが、次第にそれも薄くなり、良質なポップスとして確固たる地位を気付いていくのが手に取るように分かる。シングルヒットが出なくなった'78年頃から、アメリカ留学の為に活動を休止する'82年頃までが、私にとってはストライクゾーンだ。この時期は彼女にとっても、ノドを痛めたりと多難な時期だったようだが、その分ハイトーンボイスから中低音域を主体にするなど、良い意味での変革が見られる。とにかく彼女の場合、あの舌っ足らずな歌い方がとかくクローズアップされがちだが、圧倒的に歌は上手い。ただ世間ではいまだに「かつてのアイドル」としての扱いしかされていないのは、個人的にどうも残念でならない。代表曲も相変わらず「木綿のハンカチーフ」だったりするしね。もっと正当な評価を受けて然るべきシンガーだと思う。ちなみに彼女は1955年生まれだから、リアルでは現在57歳だ。いまだに現役のシンガーとして活躍しているが、最近の曲を聴いても、声質こそ変わりつつあるものの、若い頃の雰囲気を十二分に残しているのが、オールドファン(?)としては何とも嬉しい。
2012年07月31日
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大手スーパー、イオンにビールを卸す際に、仕入価格を割った値段で卸したとして、大手酒類卸3社が公正取引委員会から警告を受けた、ということが先日大きく報道されていた。しかし酒類業界関係者ならみんな、「何を今さら」という冷ややかな見方をしているのではないだろうか。まあどこの業界でもそうだと思うが、取引の裏にはいろんなカラクリがあったりする。当然メーカーも卸もハッキリとは言わないが、卸がゆめゆめ赤字になる商売を継続的に続けていられるわけはないはずだ。イオンの側だって、平和裡に決めた納入価だというようなことを言っているが、果たしてそうなのか。冷静に考えれば、今やほぼ一人勝ちに等しいイオンと、そこに出入りする複数の卸業者......こんな構図の中で卸の要望が通るとは到底思えない。普通なら互いに競争させて、少しでも納入価を下げようとするだろう。それなら独占禁止法の中にある「優越的地位の濫用」が適用されてもおかしくはない状態ではないか、と個人的には思う。まあコトの顛末がどう転ぶのであれ、私にはもはやどうでもいいことだ。同じ商材でスーパーと競争しようなどとは、これっぽっちも思っていないからだ。それよりも何よりも、これをご覧の皆さんに知って欲しいと思うのは、私たちが卸店からビールを仕入れるときの「仕入れ価格」が、大手スーパーで売られている「小売価格」よりも高いということだ。ウソだと思う方もいらっしゃるだろうが、我々もスーパーに行って小売価格で客として買ってきた方が、「はるかに」安いのだ。現にそうやってスーパーで買ってきたビールを、自分の店で客に売っている酒販店もある。仮に多少まとめて仕入れようとしても、ほとんど変わらないのが現実なのだ。なんかおかしくないかな~。
2012年07月24日
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大津市で起こったいじめ自殺問題は、いろんなところで話題を振りまいている。これは紛れもない犯罪行為であり、加害少年はその線で厳正に処罰されるべきだし、いじめの実態を放置し、隠蔽しようとさえした大人たちの責任も、とことん追及されて然るべきだと思っている。これらの点に関してはおよそ、大方の世論とそう違いはないかと思う。でも周りがどんどんと上げる声が大きくなっていく中で、言い様のない違和感を感じるのはなぜだろう?話は替わるが、私と妻とは、あらゆる物事に対してほぼ同じような価値観を共有している。しかし唯一違いがあるとすれば、こういった社会的に話題になる犯罪に対するスタンスだ。妻はヘンに正義感の塊のようなところがあって、こういったいじめ問題のようなことには、特に過激に反応し、怒りをあらわにする。それだけならまだいいのだが、私の反応が鈍いと見るや、その矛先を私に向けてくる。「アナタはこういうのを見て何とも思わないの!?」いや、もちろん何とも思わないはずなどない。ただ、まるで感情の赴くままに怒り散らすという行為が、逆に見ていて不愉快になるだけだ。で、妻にもそのように言うから、ついついケンカになったりする。でも今の日本では、妻と同じような反応をする人がかなり多くなっているのでは、と思わざるを得ない。ネットの書き込みなどは言うまでもなく、テレビのコメンテーターでも結構過激なことを言っている。このところ話題になっている、元・某国大統領夫人のブログなども、私から見ればかなり凄まじいものがある。言いたいことは分かるのだが、度が過ぎると当該者への個人攻撃になってしまわないか、という懸念もある。「いいじゃないか、それでも!」という人もいるだろう、しかしそれでは根本的な解決につながらないような気がする。例えば大津市の教育長や当該中学校の校長、今彼らは凄まじい批判に晒されている。確かに彼らの行為は批判されて当然のものだが、それは彼らの人格に起因するものなんだろうか?もっと別の言い方をしよう。もし我々傍観者と立場が入れ替わっていたら、今彼らを攻撃している人たちは、100%落ち度の無い対応が出来るというのだろうか?そんなはずは無い、と言い切ってもいいだろう。彼らだけが特別な不適格者であるということは無く、私たちもおそらくは彼ら同様、そんなに強くて正義感溢れる人間ばかりじゃないだろうから。同じように彼らだって、過去に別の同じような事件の報道を見て、そのときの当該者たちをなじっていたりしてたかもしれない。つまり誰もが同じようなレベルの思考の持ち主だ、という前提を踏まえて、ではどうすれば再発を防げるのか、ということを考えていく必要がある。彼らをしてあのような行動をとらしめた、何らかの原因があるはずなのだ。単なる担当者の処分で終わっては、おそらくまた同じようなことが起こると思う、いや、現にこうやって起こっているではないか。そして今度は加害少年たちについて考えてみたい。たださすがに彼らのやったことはどう見ても、常軌を逸しているとしか思えないから、今度はちょっと考え方を変えよう。こういったいじめ事件が起こると、子を持つ親たちが一様に口を揃えて言うのは、「ウチの子がこんな目に遭ったらと思うと、いじめた少年たちに言い様のない怒りを覚えます」。そして挙句の果ては、「いじめた少年たちは即刻刑務所に入れろ!」とか、そんな過激な発言になったりする。どうも日本人って、「判官びいき」という言葉と相通じるものがあるのかどうか知らないが、いじめられてるほうに感情移入しやすいようだ。でも冷静に考えて欲しい。我が子が加害少年になる可能性だって無くはないのだ。いや、いじめ問題を客観的に考えていくなら、双方の可能性を同等に考える必要があるはずだ。それでもなお、テレビでの発言者や街頭インタビューなどをどれだけ見ても、我が子が加害者になったら、という仮定の話をする人には、あまりお目に掛かったことが無い。おそらく、被害者側の心情に寄り添ったほうがラクなんだろうな、とすら思える。我が子が加害者だったら、「即刻、刑務所!」なんて胸のすくようなことも言えないだろうしね。とにかくメディアそのものも、それに接する人たちも、何か仮想敵のようなものを設えて、それに向かって怒りをぶつけることでカタルシスを得ようとしているんじゃないか、などという、乱暴な仮説すら頭をよぎる。もちろんそれは考え過ぎだとしても、あらゆる人々の考え方がひとつの方向にギュッと収斂されていくのは、見ていてとてもコワイ気がするのだ。みんなもっと冷静になろうよ。
2012年07月21日
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一旦“書かない”癖がついてしまうと、あとはもうズルズル......というのはよく聞くハナシだが、まさに今、自分がそういう事態に陥ってしまっている。書きたいネタはいろいろあるのだが、なかなかカタチとして世に出す(?)までには至らない、またそういう状況が歯がゆくもある。仕事の方でもいろいろやりたいことがあるわりに、なかなか思うように進んでいかないジレンマを抱えている。そこへもってきて、従業員の時間削減などで、私自身の負担が増えつつあり、自分の時間もなかなか持てないでいる。....などとこんな風に書いていると、あまりにもネガティブな日常を送っているように見えるが、とりあえず何事にもポジティブに取り組んでいられるだけ、まだ良しとしなければならないかもしれない。仕事は常に前向き、そして仕事が終われば旨い酒を飲み、極上の音楽を聴き、いい映画を観ては感動し、良書に触れてはいちいち頷かされたりしている。ただ惜しむらくは、時間的な余裕がなくなった分、あちこちフラフラと出歩く機会が減ってしまったことだろうか。
2012年07月11日
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