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今年の大河ドラマ『平清盛』が、低視聴率に喘いでいるという。まあ、ある程度予想されたことではあるが。というのも、大河ドラマの人気には傾向があって、一般的になじみの深い時代を扱ったものの方が、押しなべて視聴率は上がるからだ。例えば、戦国時代、忠臣蔵、幕末.....このあたりが定番かな。これらがストライクゾーンど真ん中であれば、源平の合戦の時代は、ちょっとボール臭いギリギリのストライク、というところだろう。しかし平清盛の生涯は源平の合戦以前に終わってしまっているので、これはどう見てもボールだ。しかも滑り出しの今の時期は、そこから更に遡るので余計に馴染み薄く、もうワイルドピッチ寸前なのである。ネットの評判などを見ても、途中で観るのを止めてしまった人の何と多いことか。しかし私は毎回非常に楽しみに観ている。天の邪鬼と言われればそれまでかもしれないが、今まででも私の大河に対する興味の度合は、概ね世間の視聴率とは反比例の関係にある(笑)。なんといっても私は、今まで扱われたことの無い時代背景、地方などに惹かれるからだ。そういう意味では今回は、「ど」ストライクだ。大河ドラマが他のドラマと一線を画しているのは、「筋書きの分かっているドラマ」だということだと思う。どんな売れっ子の脚本家がペンを執ったところで、織田信長は本能寺で襲われて自害するし、大石内蔵助は吉良邸に討ち入るし、坂本龍馬は薩長をくっつけた末に暗殺される。これは絶対に変えられない結末だ。筋書きが分かりきっている以上、そのドラマの見どころは「視点」、「演出」、そして役者の「演技力」、このあたりになってくる。それらが今回の「平清盛」の場合、相当不評のようだ。ただ視点を変えれば、まったく馴染みの無い時代だからこそ、筋書き自体が多くの人には分かっていないわけで、それゆえに「ストーリーがどう転がっていくのか」という楽しみはある。そして時代考証や演出の面でもまた、未知の時代のものは新鮮味がある。まあ要はいろんな楽しみ方がある中で、単に視聴率というたったひとつの指標を拠り所にして、マスコミがネガティブ気味に報道していることの方に、非常に違和感を感じているわけだが。
2012年04月26日
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先日、生まれてはじめて髪を染めた。数年くらい前から頭に白いものが混じるようになり、そしてそれは加速度的に増えてきていた。ただ私自身、アンチエイジングに躍起になる昨今の風潮にはいささか抵抗を覚えていることもあって、とりあえず放っておいた。元が童顔(自分で言うな!)なので、ちょっとしたアクセントとしてかえって釣り合いが取れていいだろう、くらいに思っていた。ところがその認識が一変したのは、過日仲間と一緒に写真に納まったときだ。私自身は普段、写真に写ることを好まないので、私の写った写真というのは滅多に手元に残さない。だから自分の顔の変わり様には、ある意味無頓着でいられた、というか、客観的に見ることをしていなかった。しかし仲間と一緒に納まったその写真を見て、ガクゼンとした。何なんだ、これじゃほとんどジジイじゃないか!?毎朝顔を洗う時に自分の顔は見ているはずなのだが、写真に写るそれはまるで別物なのだ。(洗面所で顔を見る時には、無意識にキリッとしているのだな、きっと)顔のシワも心なしか目立ってきてるし、全体的にしょぼくれた雰囲気が漂っている。そしてそれを見事に演出しているのが、やはり鏡で見るときよりも数段目立つ白髪なのだ。これには正直参った。そしてそれが、自分の髪を染めようと思わせる原動力となった。もっとも髪を黒く染めただけで全てが解決する、などと単純に思っているわけではない。でも、とりあえず今やれることをやってみよう、と思ったまでだ。実は以前から、白髪染めを試してみようかな、という気は無いでもなかった。しかしそれが実現しなかったのは、ただただ私が面倒臭がりだからなのだ。そこで今回は全面的に妻のサポート得て敢行した。そのおかげで、出来栄えはなかなか良かった。これが私ひとりだったら、かなりヒドイ仕上がりになっていたことだろう。何せメガネもコンタクトレンズも無い状態では、目の前の鏡に写った自分の顔すらよく分からないのだから。それにしても髪を黒く染めてから現時点で丸2日.......誰一人として気付かないのはなぜだ!?いや、気付いてはいても、気を遣って面と向かって口にしないだけなのだろうか?まあいい、そもそも白髪染めなんて、他人に分からないようにこっそりやるものであって、私のように毛染めをネタにしようという方が、そもそも珍しいのだろうから(笑)。
2012年04月17日
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(→前回からの続き)自分の店で扱っていないお酒を、お客さんからリクエストされたらどうするか?人気が過剰に沸騰して品薄になってしまっているような状態だと、まず無理だと言っていい。では品薄にまではなっていない銘柄の場合はどうか、この場合も別の意味で難しいところがある。既に自分の店が取引している蔵元なら特に問題はないが、そうでない場合(というか、ほとんどの場合はこれに当たるが)だと、ただ1回だけ品物を送ってくれ、という訳にはいかないのだ。まずその蔵元と取引の契約をする必要がある。契約といってもそんなに堅苦しいものではないが、しかし蔵元にとってみれば、どこの馬の骨ともわからない地方の一介の酒屋と、いきなり取引をできるわけも無い。よしんば取引が出来るようになったとしても、1回あたりの仕入れには必然的に「ロット」がある。今はだいたいどこも「3ケース」が最低ロットだ。一升瓶の場合、1ケースは6本だから、最低ロットは一升瓶で18本分となる。仮にお客さんから「1本」で注文をいただいても、我々はそれを18本以上仕入れなければならないのだ。つまり蔵元との新規のお取引は、たまたまお客さんから注文をいただいた、というキッカケで始まるものではなく、自分がそこのお酒を力を入れて売ってみたい、と思うことで初めて動き出すのである。ただお客さんはそこまでの事情はもちろんご存じない。例えば書店の店頭で本の取り寄せを頼むとき、よっぽどマニアックかレアな本でなければ1冊から取り寄せが出来るが、それと同じような感覚で、酒屋であればどんなお酒でも、多少時間は掛かっても取り寄せはできるだろう、そういう風に思っておられる方は多いと思う。もちろん現状でいいとは思わない。せっかく日本全国に1千を超える酒蔵があって、それぞれに工夫を凝らして個性溢れるお酒を造っているのに、実際に店頭で入手できる銘柄がたかだか1%程度だというのも、何だか勿体無い話だ。もっとも、だからこそネット通販がこれだけ盛んになるとも言えるのであるが、ネット販売に頼らずとも、より多くの銘柄を1本から取寄せの出来る仕組みは出来ないものか、と私も以前からさんざん考えた。しかしいまだに良い方法が見つからないでいる。
2012年04月09日
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ちょっと専門的な話になってしまって恐縮だが、「地酒の流通」というのは今、大変いびつな状況になっていると思う。「いびつ」と言ってしまうと語弊があるが、要は需要の側と供給の側のすれ違いが甚だしい、ということだ。本題に入る前に、地酒の流通の現状について、少々説明させていただきたい。その前にまずここで言う「地酒」とは、「地元の酒」のことではなく、大手メーカーの対極に位置する「地方酒」という意味で捉えていただきたい。地酒の流通といってもいろんなパターンがあるが、「蔵元が消費者に直売する」というわずかな例を除けば、基本的に消費者には小売酒販店(スーパーやコンビニなども含む)から渡る。ではその小売酒販店まではどのように品物が流れるか、というと、そのルートは大きく二通りに分かれる。ひとつには蔵元から問屋を通じて小売店に卸されるケース、もうひとつは蔵元から小売店に“直で”卸されるケース、このふたつだ。前者のいわゆる「問屋経由」のルートは、地酒の中でも比較的生産量の多いところがこれに相当する。“充分な量の安定供給”というのが前提となるからだ。そして後者のいわゆる「直送小売店」ルートは、比較的小規模の蔵元が対象になる。これには、生産量が少なくて現実的に「問屋経由」ルートでは対応しきれない、という側面と、蔵元自体が様々な理由で「問屋経由」ルートに乗せることを良しとしない、という側面がある。ただ最近の傾向として、どちらかというと生産量の小さな蔵元が有り難がられることが多い。現実的にここ最近で話題に上ることの多い蔵元は、押しなべて小規模のところばかりだ。生産量が少ない=美味しい、ということは必ずしも言えないが、少量生産の方が細かいところまで目が行き届くのは確かだし、何よりも個性が出しやすい。そういったことも関係していると思われる。そういうわけでここのところ話題になる酒というのは、比較的小さい蔵の少量生産のものばかりになる。本や雑誌などに掲載されて名前が知られるようになり、お客さんからリクエストを頂戴することも多い。しかしだからといって、お客さんからのリクエストに応じて、我々がそのお酒をホイホイと取り寄せられるかというと、現実はそんなに甘くないのである。(長くなりそうなので、後半はまた後日....)
2012年04月06日
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