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先日、ムスコが独り暮らしをする街をたまたま訪れる機会があり、その際に初めてムスコを飲みに誘い、二人で居酒屋に行った。あとで妻にその時の感想を聞かれたのだが、正直言って「知り合いの若いモンと飲みに行ったような感じ」だった。昔からよく男親が、「子供が大きくなった時、一緒に飲みに行くのが楽しみ」などと言うのを聞いていた。私も息子を持つ親なので、いずれはそういう時があるのかな、とは思っていた。そしてその時は、きっとお互いに照れて、ぎこちない雰囲気になったりするんだろうな、などとあれこれ想像していたものだ。だいたい私自身が自分の父親に対して、まったく心を開かない子供だったので、親子で仲良く酒を酌み交わすというシチュエーションが、まったく想像つかなかったのだ。それが前述したような「知り合いの若いモンと飲みに行ったような感じ」だったというのは、要は、親子特有の照れみたいなものが皆無だった、ということに他ならない。話も弾むし、ぎこちなさもない、でもこれはきっと、ムスコの成長の証なんだろうな、とも思う。親元を離れて2年半、この夏はアメリカでホームステイも経験し、知らない大人たちの間で揉まれているうちに、知らず知らずのうちに成長していた、それで私も、ひとりの自立した男として彼と対峙できた、そういうことなのだと思う。それが確認できたようで、とても嬉しかった。呑みに行った翌日、彼からLINEメッセージが届いた。「昨日はありがとう!またああいう機会あったら飲みに行こう!」ちょっと前までは、こんなこと言うヤツじゃなかったんだけどな....。
2014年10月25日
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「ねえ、そういえば昔、ゆるキャラっていうのがあちこちにいたよねぇ。」「そうそう、全国のほとんどの自治体がつくってたんじゃない?」「うんうん、なんかいかにも『調子に乗ってつくりました~』的な♪」「でさ、結構全国のを並べてみると、なんかみんな似たり寄ったりなんだよね~。」「それに中には結構変なのもあったよね~。」「そうね、だいたい『ゆるキャラ』っていう割には、全然ゆるくないのもあったもん!」「私、陰では密かに『キモキャラ』って呼んでたわよ(笑)」「だいたい今覚えてるのって、ほとんど無いような気がするのよね~。」「う~ん、私は『ひこにゃん』と『くまモン』ぐらい。あとはダメ。」「まあ、あとコンセプトは違うけど、『ふなっしー』も入る?」「あれはまたちょっと別格じゃない?」「それにしても今思うと、あのころのあの騒ぎは一体何だったんだろう、って思うよね。」「そうそう、全国コンテストなんかも大々的にやったりしてね。バカみたい。」「なんかブームというより、みんなが熱に浮かされてたみたいなね.......」10年後くらいには、きっとこんな会話が交わされているに違いない。
2014年10月21日
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イーグルスの大ヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」。ここからの先行シングルはタイトル曲ではなく、「New Kid in Town」という曲だった。実はこの曲は、私の洋楽体験のスタートラインに位置する曲で、そのあたりの顛末は、以前のブログにも書いたことがある。まあそれはともかくとして、この曲に関して以前、あるフェイスブック友達から聞いた話が、「この曲はホール&オーツのことを歌ったものだ」という説である。「イーグルス」と「ホール&オーツ」、一見何のつながりもないように見えるが、ウィキペディアで見てみると、確かに作者のグレン・フライがそのように語っている。おそらくは、「あんな時代に迎合したような音楽は、すぐに飽きられちゃうよ」という意味で、彼らを揶揄したんだろうと思う。そういえばこの曲のサビのところで、「Johnny Come Lately」という一節が出てくる。そうか、「Johnny」とはホール&オーツの「John Oates」のことなんだ、と勝手に解釈していた。それにしては前後の歌詞との整合性に欠けるのが少々気にはなっていたが、そのまま忘れていた。ところがまた別の機会、以前たまたま購入していたイタリアのトランペット奏者「FABRIZIO BOSSO」のアルバムの中に、「Johnny Come Lately」という曲があるのを見掛け、さすがに私もちょっと引っ掛かった。そのアルバムが、いわば「スタンダード集」的なものだったので、改めて調べてみると、過去にはデューク・エリントンなどもその曲を演ってたりするのである。ということは、「Johnny Come Lately」がただの歌詞の一部であるとは思えない。そう思った私は、ネットの辞書でその言葉を調べてみた。やっぱり....「Johnny Come Lately」はただの文章ではなく、この3単語でひとつの意味を成す名詞になっているのだ。「goo辞書」によると....「新米、新参者、成り上がり」「Weblio辞書」によると....「新参者、新米」.....とまあ、だいたいこんな具合だ。まさかこのような“文章形態”で名詞になっているとは、思いもよらなかった。スラングといえばスラングなのだろうが、この言葉の由来など、ぜひ知りたいものだ。
2014年10月14日
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家でムスメ達と話をしていた時、ふっと思い立って、「ところで今日(10月10日)は何の日?」と問うた。全く何の反応も返ってこなかった。そこで私は、今日がもともと「体育の日」であったこと、それは50年目の今日、東京オリンピックが開幕したのにちなんでいること、を教えた。ついでに、この日が開幕日に決まったのは、晴れの特異日だったから、ということも教えた。彼女たちはこれらのことについて、学校では全く聞いてなかったらしい。ハッピー・マンデーもそれはそれで意義のあることかもしれないが、祝日の由来くらいは教えておきたいものだ。
2014年10月10日
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先日終了した、NHKの朝ドラ「花子とアン」の期間平均視聴率が、22.6%をマークし、過去10年の中で最高だったと報じられた。ちなみにその前に少しさかのぼると、こんな感じだ。「花子とアン」 22.6%「ごちそうさん」 22.4%「あまちゃん」 20.6%「純と愛」 17.1%「梅ちゃん先生」 20.7%前回の「ごちそうさん」もかなりの高水準だった(もっとも昔に比べると断然低いが)。で、これはあくまでも私見に過ぎないが.....「花子とアン」も「ごちそうさん」も、確かに面白かった。しかしながらこの両者の数字の中には、「あまちゃん」の影響が少なからずあるはずだ。というのも、私自身がそうだからである。今まで私は、NHKの朝ドラ自体が苦手、というか、完全な食わず嫌いだった。今でこそ違ってきているが、若い頃はあの独特の“NHK臭”が鼻について、とても見る気がしなかったのだ。しかしあるひょんなきっかけから「あまちゃん」にハマってしまい、それが結果的に、毎朝8時から15分間、私の眼をテレビに向けさせる習慣となってしまったのだ。一旦こうなると習慣というのは恐ろしいもので、「あまちゃん」が終わっても、観るのを止めようという気にならなくなり、そのまま見続けている。こういう人は絶対に私だけではないはずだ。しかしもしこの仮説が正しければ、「あまちゃん」はもっと視聴率が高くなるはずではないか、そういう指摘もあるかもしれないが、これには思い当る原因がある。元々のコアな朝ドラファンの中には、「あまちゃん」だけを観なかった人が多かったのだろう。私の母などそのクチだが、「あまちゃん」のあまりのエキセントリックさについていけず、途中で観るのを止めてしまったようだ。で、プラスマイナスでこの数字に落ち着いたと思うが、いかがであろう?さて朝ドラは今秋から新しく「マッサン」が始まったが、リカーマンとしてはこれは外せない。ニッカウイスキー創業者の竹鶴政孝とリタの物語は、以前から本で読んだりして知ってはいたが、その素材をどのように料理していくのか、興味は尽きない。エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスも、なかなかいい感じだ。
2014年10月06日
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