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「偶然の科学」(ダンカン・ワッツ、ハヤカワ文庫NF)を読む原題は「Everything Is Obvious Once You Know the Answer」で、こっちの名前の方が体を表しているかもしれない。「常識」が未来を予測する上でいかにバイアスであり、その結果として未来に関する予測が往々にして当たらないことから説き起こされる。更に、歴史から学ぶことの本質的な難しさや、「成功」を個人や作品の特質から測ることの困難さが示される。われわれに出来ることは、ある特定の未来のシナリオを決定することではなく、せいぜい事象の発生する確率を知ることにとどまる。この指摘は何というかいかにも量子力学的な感じがするというのは私個人の感想だが、社会学やその応用においては非常に重要だが見落とされがちなことであるというのが筆者の主張である。ならば実際にできることは何なのか? それは未来の予測ではなく現実の測定とそれに対する対応である。社会学における現実の測定(実験と言ってもいい)は従来困難であったが、最近のテクノロジーの革新によって、メールやSNSを利用することができるようになってきており、状況は変わってきている(ただし、それにも限界があることを忘れてはいけない)。本書では上記のようなことに関する豊富な具体例も紹介されている。それは最新の科学研究・ビジネスから世界史的事件にまで及んでいて、社会学(特に最先端の)に馴染みのない読者にもけっこう判りやすい(とはいえ私も全て理解できたとは言わないが…)。具体例の中には、VHS対ベータの戦いの原因分析やiPodの成功理由の分析といった身近な例もあり、それも本書の主張の理解の一助になっているのではないかと思う。以下、面白かったところの引用。大規模な森林火災があったと聞いたとき、われわれは当然ながら、それを起こした火花には何か特別なものがあったにちがいないとは思わない。そんなふうに考えるのはもちろんばかげている。しかし、実社会で何か特別なことが起こったのを見ると、われわれはそれを起こしたものも特別な人物にちがいないという考えにすぐさま惹かれる。言い換えれば、われわれは結果の原因をひとりの特別な人間に求める誘惑に駆られるが、この誘惑はわれわれがそのような世界の仕組みを好むからであって、実際にそのような仕組みになっているわけではないことに留意しなければならない。事実、予測の奇妙な点のひとつは、われわれは未来についての見解を熱心に発表したがるが、それに負けず劣らず、立てた予測に説明責任を持ちたがらないことである。ZARA(スペインの衣料品小売業者)は客がつぎのシーズンに買うものを予測しようとはせず、むしろそんなものは見当もつかないと認めているに近い。そのかわり、いわば「測定―対応」戦略を用いている。測定―対応戦略を容易にするウェブの力は、企業にとっても科学者にとっても政府にとっても心躍る情報だと言っていい。しかし、ほかならぬ非ウェブ企業のZARAが体現するとおり、測定と対応の原則がウェブに基づくテクノロジーに限定されないことには留意する必要がある。しかし、だれかの能力を、その人が何ができるかからではなく社会的な成功基準、つまり賞や富、華々しい肩書きから述べるときは、それがまやかしである可能性をつねに疑ったほうがいい。別の表現をすれば、そんなに頭がいいのならなぜ金持ちになっていないのかという皮肉屋の問いは的をはずしている。物質的な富以外の報酬を気にかける賢明な人もいるという明白な理由からだけではなく、才能は才能であり成功は成功であって、後者は必ずしも前者を反映しないからである。今年49冊目読了。偶然の科学/ダンカン・ワッツ
2015.08.23
「ケプラー予想-四百年の難問が解けるまで-」(ジョージ・G・スピーロ、新潮文庫)を読む。17世紀初頭にケプラーが立てた「同一の球を最も効率よく三次元空間に詰め込む方法は、果物屋のオレンジの積み方と同じ」という予想。この証明には何と387年もの月日を要した。最終的にはトマス・ヘールズがコンピュータを駆使して最終証明を果たすのだが、そこに至る数学と数学者の歴史を著した1冊が本書である。証明は2次元から3次元、格子配置から不規則配置へという感じで進んでいく。詳しい数学的解説は本文中ではフォントを変えて書かれており、更に詳しい内容は巻末付録に収録されている…のだが、やはりさすがに一般書に書くには数学的に難しすぎるらしく、結論だけを述べている箇所も多い。肝心のヘールズによる証明の巻末付録については私もサッパリ判らず、冒頭を読んだだけで匙を投げてしまった。だからといって本書の面白さが損なわれるものではないが、クライマックスの箇所がきちんと理解できなかったことは、正直消化不良感が残る。本書はケプラー予想の証明に至る道筋を描いたものであるが、けっこう「寄り道」もしてくれていて、数学史上の面白いエピソードも満載、そこに登場する数学者も個性派揃いで人間ドラマとしての面白さももちろんある。さて、いつものように以下に気になったところを引用させて頂く。若きガウスは、わずかな観測データから(小惑星)ケレスの軌道を求めるために、あらかじめ開発してあった最小二乗法という秘密兵器を使った。だが、微積分法の開発を秘密にしたまま惑星運動の謎を解いてみせたニュートンと同じく、ガウスもまた最小二乗法のことは秘密にしておいた。誰かが新しい言葉をひねり出し、古いアイディアを新しい包装紙で飾ろうとするときには注意しよう。それは往々にして、真の核心などどこにもないときに、さもオリジナリティーがあるかに見せかけようとしている兆候だからだ。しかし、この仕事(へーゼルの論文の査読)は荷が勝ちすぎて、査読の仕事から脱落していったレフェリーもいる。「フェルマーの最終定理に関するワイルズの証明は『戦争と平和』のようなものであり、ケプラー予想に関するトムの証明は電話帳のようなものである」(イアン・スチュアート)一千時間の演算に対して一ビットの割合でエラーが起こるというのは、人間の脳が大失敗をやらかす頻度に比べればずっとマシである。今年48冊目読了。
2015.08.21
「謎解き・津浪と波浪の物理-波長と水深のふしぎな関係-」(保坂直紀・講談社ブルーバックス)を読む。風に起因する波浪と地震に起因する津波。海を伝わるこの2種類の波の違い、それは「海底を感じるかどうか」にある。波が海底を感じるとはどういうことか? 波長と水深の複雑な関係とは? そのような視点から「波」を解説した1冊。私としては津波の方に興味があって読んだのだが、勉強になったのはむしろ波浪の方だった。以下、印象に残った箇所を引用。水の動きは円を描くので、波の進行方向に対して直角になったり同じになったりする。だから、水の波は縦波でも横波でもないのだ。すべての波が、縦波と横波に分けられるものではないことを覚えておこう。海の平均水深は4キロメートルくらいなので、長波の波長はその25倍である100キロメートル以上。津波の波長は数百キロメートルにおよぶこともあるほど長いので、海のほとんどは津波にとっては浅い海なのだ。津波は、海底の影響をとても強く受ける長波なのである。天気予報で「波の高さは2メートル」といっていれば、数時間に1回くらいは4メートル近い高波が来てもおかしくないということだ。海の波には、そういう性質がある。今年47冊目。久々の1冊。
2015.08.16
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