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「宇宙創成(上・下)」(サイモン・シン、新潮文庫)を読む。宇宙創成の理論「ビッグ・バン」について書かれたベストセラー。古くはエラトステネスによる地球の大きさの測定にまで遡り、新しくはCOBE衛星によるCMB放射のゆらぎの観測に至るまで、宇宙論・天文学の歴史的発展とその基礎となる物理について、数式を用いず非常に判り易く解説している。その記述は科学的内容にとどまらず、各時代の科学者が人間として何を考えどう振舞ったかという人間ドラマ的な部分を見事に描いており、ふだん科学に馴染みのない人にもとっつきやすく判り易く面白い作品だと思う。さて例によって気に入った箇所を幾つか引用させてもらおう。「家が石で造られるように、科学は事実を用いて作られる。しかし石の集積が家ではないように、事実の集積が科学ではない」(アンリ・ポアンカレ)「あらゆる物理は、ありえないことか、当たり前が二つに一つだ。それを理解するまではありえないことだが、いったん理解すれば当たり前になる」(アーネスト・ラザフォード)(準定常宇宙モデルは正しいと生涯信じたフレッド・ホイルを評して)こういう健全な反抗の精神は、本来的に科学が持っているはずのものであり、ゆめゆめ否定的に捉えてはならない。つまるところビッグバン・モデル自体も、主流派に対する反抗の結果として生まれたのだから。これで今年21・22冊目読了。宇宙創成(上)/サイモン・シン宇宙創成(下)/サイモン・シン
2015.03.28
「春季限定いちごタルト事件」(米澤穂信、創元推理文庫)を読む。小鳩君と小佐内さんは恋愛関係にも依存関係にもないが互恵関係にある高校1年生で、清く慎ましい「小市民」を目指している。しかし、二人の前には頻繁に謎が現れる。消えたポシェット、意図不明な2枚の絵、おいしいココアの謎、テスト中に割れたガラス瓶…なぜか謎を解く必要に迫られてしまう小鳩君は、果たして「小市民」の星を掴み取ることができるのか、というストーリーのライトな連作短篇集。今年20冊目読了。
2015.03.17
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「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン、新潮文庫)を読む。(xのn乗)+(yのn乗)=(zのn乗)、この方程式はnが2より大きい場合には整数解を持たないというフェルマーの最終定理。この定理の証明は3世紀にも渡って数学者たちの挑戦を退けてきたが、ついにアンドリュー・ワイルズによって証明される。本書はその証明に至る数学史を描いている大ベストセラーとなった1冊である。といっても話はフェルマーの定理に限ったものではない。何故なら、その証明にはワイルズ以前に生きた多くの数学者たちの挑戦の成果が必要であったからだ。遡ればピュタゴラスやエウクレイデスの時代にまで至る様々な数学者の名前や定理の名前が本書のそこかしこに登場している。そうでありながら一般向けの本である本書は、難解な数学概念を判り易く(数式をほとんど使わず)解説しているのみならず、各時代を生きた数学者の姿・その人間ドラマがダイナミックに描かれている。その辺りに著者サイモン・シンの凄さがあるのではないかと思う。数学という最も厳密な論理を要求する学問の姿と、それに真摯に携わる数学者の姿を見事に描写していると思う。ベストセラーになったのも納得の、科学ドキュメントである。これで今年19冊目読了。フェルマーの最終定理/サイモン・シン
2015.03.13
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「インシテミル」(米澤穂信、文春文庫)を読む。「ある人文科学的実験の被験者」になるだけで時給11万2000円が貰えるという破格のアルバイトに12人の男女が応募。地下実験施設<暗鬼館>に7日間閉じ込められることになった彼らが直面した実験の内容は、より多くの報酬を巡って参加者同士が殺しあう推理ゲームだった…。参加者は<暗鬼館>内でそれぞれ個室を割り当てられるが、その個室には鍵はかからない。更に各個室に置かれた<おもちゃ箱>には殺人の凶器とその能書きを記した<メモランダム>がある。そんな極限状況の中で参加者たちは文字通り疑心暗鬼に陥っていく…。久しぶりに背筋のゾッとするようなミステリを読んだなぁという気がする。殺人と犯人当ての推理が繰り返される本作はもちろん本格ミステリ(しかも密室モノ)なのだが、上記のような設定ゆえにサイコ・ホラーとしての色も濃く「ダーク・ミステリ」とでもいうような作品。私の大好きなタイプの作品だ。巻末解説によれば本書で米澤はもとはといえばスティーヴン・キングの「死のロングウォーク」をやりたかったとか。たしかに本作はキング的な感じもする。だから私は気に入ったのかもしれない。ちなみに本作は冒頭に、警告この先では、不穏当かつ非倫理的な出来事が発生し得ます。それでも良いという方のみ、この先にお進みください。とあるように、読む人をかなり選ぶ作品であると思う。これまで米澤作品は「古典部」シリーズしか読んだことがなかった私には、米澤作品の新たな魅力に気づかされた。何気なくBOOK OFFで粗筋だけ読んで買ったのだが、大正解だった。他の米澤作品も読んでみたいと思わされた。今年18冊目読了。インシテミル/米澤穂信
2015.03.12
「ファイアスターター(上・下)」(スティーヴン・キング、新潮文庫)を再読。アンディとヴィッキーは学生時代、大学の心理学教室で<ロト・シックス>なる薬物の投与実験を受けた。後に2人は結婚し、娘チャーリーが生まれた。しかしこの<ロト・シックス>の影響で、3人は超能力を持つことになったのである。アンディは精神支配(他人の精神を支配すること)、ヴィッキーは弱い念動力、そしてチャーリーは念力発火(パイロキネシス)。その実験は実はCIAの下部組織<店(ザ・ショップ)>による超能力の開発を目的としたものであり、それ故にヴィッキーは店の工作員によって殺され、アンディとチャーリーもつけ狙われることになり、親子の逃亡劇が始まる。超能力を持った少女チャーリーの心的苦悩と深い絶望感が生々しい臨場感で描かれるキング初期の作品。書かれた時代が米ソ冷戦時代であったことを思えば、超能力というスーパーナチュラルな要素を主軸にしているにも関わらず、リアルに怖いストーリーである。これで今年16・17冊目読了。
2015.03.10
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「道化師の蝶」(円城塔、講談社文庫)を読む。芥川賞を受賞した表題作「道化師の蝶」と「松ノ枝の記」の2篇の中篇を収録した1冊。「道化師の蝶」は、無活用ラテン語で書かれた小説「猫の下で読むに限る」で道化師(アルルカン)と名指しされたエイブラムス氏が、作者である友幸友幸氏を追跡するものの、友幸友幸氏は転居を繰り返し、現地の言葉で書かれた原稿を残していく、という設定の話。「松ノ枝の記」は、国籍不明の2人の翻訳者が互いの作品を翻訳するところから始まり、相手の原作に先んじて翻訳版を書くに至る、という設定。両者ともこの設定だけを見るとまぁまぁ判り易いという感じも受けるが、その先はさすが円城作品というべきか、わけがわからない話になっているという印象を受けた。それなら従来の円城作品のように、最初からわけのわからない設定にしてもらった方がよかったなぁというのが正直なところ。巻末解説を読んでも正直ピンとこなかった。基本的には円城作品は好きなのだけど…。これで今年15冊目読了。道化師の蝶/円城塔
2015.03.08
「ペット・セマタリー(上・下)」(スティーヴン・キング、文春文庫)を読む。本題に入る前に…私の今住んでいる部屋の中にある最も古いモノは、(小中学校の卒業証書を除けば)高校時代に遡ることが出来る何冊もの文庫本である(あと、英語の辞書と文法書もあるが)。そんな本の中の1作を、高校時代以来22年ぶりくらいに再読した。主人公は大学の学内病院に勤めるルイス、その妻レーチェル、子供は姉エリーと弟ゲージ、それにエリーの愛猫チャーチからなる家族である。彼らが越してきた家の前は大型トラックが頻繁に通り抜ける道路で、輪禍にあったペットたちのための「ペット霊園」があった。しかし、その奥の山奥には語るのもおぞましい別の埋葬場があるのだった…。本作では人間の日常の「生」と背中合わせにある「死」というものが全篇に亘って通奏低音的に描かれており、終盤に至ってその生死の問題が恐ろしくも愛に満ちた形で描かれる。あまり書くとネタバレになってしまうので書かないが、人は愛すればこそ血塗られた呪われた道をも進むものであり、そこには正気を超えた狂気が存在するが、その狂気ですら愛に裏打ちされているものなのである。そういえばこの作品は、これまた私の好きな作家である鷺沢萠がそのエッセイ本「町へ出よ・キスをしよう」(新潮文庫)の中でオススメしている作品でもある。そんなことも手伝ってか、私は高校時代に一度友人に借りて読んだ本作をその後どうしても手許に置いておきたくて、自ら購入したものである。そして今回、久しぶりに再読してみたというわけである。さて、本作のあまりに印象的な結末は22年経ってもバッチリ憶えていたので、今回はそこに続く伏線をある程度追って読んでみようと思った。それはある程度成功し、前述のとおり作品全体にわたって「死」がテーマになっていることに改めて気付かされるとともに、最終盤のいわゆる「一番怖い」部分は高校時代ほどには怖く感じなかった。しかし、まったく怖くないかというとそんなことはなく、キング作品の中で「一番怖い」という私の中での評価がゆらぐものではなかった。何せ「あまりの恐ろしさに発表が見あわされた」とも言われた作品なのだから。最後に、キングの他作品との関連を少し紹介。冒頭の部分で狂犬病に冒された犬「クージョ」の話題が出てくるのと、レーチェルが高速を車で飛ばしているシーンで看板に「呪われた町」の「ジェルサレムズ・ロット」の名前が出てきている。あと、ルイスが深夜に「ある行動」を行っている時に不眠症の老人らしき人の家から明かりが漏れているのを見るシーンがあるが、「不眠症」が書かれたのは本作よりずっと後なので、この点はちょっと深読みなのかもしれない。それにしても、生と死、正気と狂気、そして愛といったテーマを、ホラーを題材として描き切っているあたり、さすがキングだと改めて思った次第である。これで今年13・14冊目読了。
2015.03.08
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「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」(今野浩、新潮文庫)を読む。「工学部ヒラノ教授」シリーズの文庫化第二弾。東工大工学部をはじめとする筆者が務めた大学の理工系学部で起きた様々な「事件」の暴露話をまとめた1冊。暴露ネタは目次を眺めるだけでも、経費詐取・経歴詐称・服務規程違反・賄賂・単位略取・セクハラ・アカハラ・論文盗作&データ捏造…と枚挙に暇がない。そして最後に原発事故とSTAP細胞問題についても持論が展開されている。この種のエッセイ本というのは書かれている内容そのものが面白いというのはいうまでもないことだが、それを読ませる文章力というものが大事だと思う。本書でも筆者は理工系の研究者にしては珍しく、上手い文章で面白おかしい理工系学部の実態を思いっきり暴いている。いくら退官したからってそこまで書いていいのかと思わせるほどであるが、世間一般の人に大学の理工系学部がどんなところなのかを知ってもらうにはもってこいなのではないだろうか? 私はあまりの面白さに1日で読み切ってしまった。それくらいテンポが良く、読みやすい1冊である。1箇所だけ少々長くなるが引用させて頂きたい。原子力にも携わったことのある筆者が原発事故問題について論じた箇所である。賛否両論あると思うが、まぁ読んで頂きたい。 原発なしでは、事故以前の経済水準を保つことはできない。原発を廃止した時に、日本社会にどのような影響が及ぶのか(われわれがどのくらい貧しくなるのか、そして人々はそれに耐えられるのかなど)に関するデータを持たずに、安直な原発廃止論に与することはできない。 新エネルギーに関する最も楽観的な見通しと、原発に関する最も悲観的見通しのもとに、即時原発廃止を叫ぶのは、バランスを欠いている。新エネルギーも原発も、ともにリスクを内包しているのだ。 食べるものが乏しく、電気が来ない夜を過ごした昭和15年生まれのヒラノ老人は、日本が現在よりずっと貧しくなったとしても、元に戻っただけだと思えば済むが、豊かな時代に育った人たちが、そのような貧しさに耐えられるとは思えないのである。 原発がない日本は、”清く貧しい”国になる可能性が高い。”清く貧しい日本”と、”清くはないが豊かな日本”のどちらが Lesser Evil なのだろうか。 不確実な情報が錯綜する中で、性急に国家の将来に関わる重要な決定を下すのは、余りにもリスキーだというのが、OR(意思決定理論)の専門家としてのヒラノ教授の意見である。これで今年12冊目。工学部ヒラノ教授の事件ファイル/今野浩
2015.03.06
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「第二の地球を探せ! 『太陽系外惑星天文学』入門」(田村元秀、光文社新書)を読む。今年の頭に読み始めて読みかけになっていたのだが、再読を開始して読み終わったのでレビューを書くことにする。太陽系外の星の誕生の場や恒星・惑星の観測についての歴史・方法・技術そして地球外生命の発見を含めた今後の展望についてまとめた1冊。主に観測に重きが置かれているのは、筆者の専門が観測天文学であるからだ。これまでこの分野の本としては井田先生の著作をかなり読んできた(本書にももちろん名前が登場する)が、観測中心の本を読むのは初めてだった。望遠鏡の技術的・工学的側面はなかなかおいそれと理解できるものではない部分もあるが、系外惑星、特に地球に似たハビタブル・プラネットを「観測」しようとする科学者たちの熱意が伝わってきた。いつの日か地球外生命が見つかるのか、この分野のさらなる発展に期待したい。最後に「おわりに」から少々引用を。2~3日に1個は惑星が発見され、毎年のように大ニュースが飛び込んでくるような分野は「系外惑星」だけでしょう。それだけに、世界との競争は熾烈です。にもかかわらず、日本の大学や研究機関において、新分野が発展できる環境は必ずしも整っていません。確立された分野を保つことも大事ですが、世界的に新しい研究分野を国家戦略的に進めるような仕組みは、応用分野に限らず基礎科学の推進においても不可欠だと思います。まさにその通りだと思う。「科学技術立国」を標榜するならば、系外惑星のような分野にも国として戦略的に取り組んでほしいと思う。それは昨日書いた「はやぶさ2」のような小惑星探査機についても言えるし、他の全ての科学・技術分野について言えるのではないだろうか。これで今年11冊目読了。第二の地球を探せ! 『太陽系外惑星天文学』入門/田村元秀
2015.03.05
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「小惑星探査機『はやぶさ2』の大挑戦-太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション-」(山根一眞、講談社ブルーバックス)を読む。昨年読みかけになってしまっていたのをやっと読了。小惑星イトカワからのサンプルリターンを行った「はやぶさ」の後継機「はやぶさ2」の構想・設計・開発の模様を、関係者のインタビューを軸に描いた1冊。インタビューが軸であり写真やイラストも豊富に掲載されているが、扱われているテーマの専門性が高く(私は理学の人間なので衛星の工学的な話がかなり難しく感じた)、また写真もどの部分に着目して見たらよいかという指示がないものが多いという印象で、けっこう読むのに難儀した(なので途中で読みかけになり、再読開始後は流し読みになってしまった)。それにしても業界は狭い。学部生時代に教わった圦本先生・中澤先生の名前が登場していた。これで一応今年10冊目読了。小惑星探査機『はやぶさ2』の大挑戦-太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション-/山根一眞
2015.03.04
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「声優論 アニメを彩る女神たち ~島本須美から雨宮天まで~」(小森健太郎+遊井かなめ 編著・夏葉薫 町田哲生 深水黎一郎 著、河出書房新社)を読む。某メルマガにて知ってタイトルに惹かれて買った1冊。タイトルの通り、80年代から現在までの女性声優を題材にして「声優論」が試みられている。しかし、本書冒頭の序論の書き出しはかなり難解である。まぁそれは逆に本書の内容に期待を抱かせるものでもあるのだが。そして序論に続く声優史概説は打って変わって、ここだけでも読む価値があると言わしめるほど非常にスッキリと、日本の声優・声優史・声優ブームの歴史を描いている。繰り返しになるが、ここだけでもこの本は読む価値があると思う。その後は20章にわたり、個別のあるいは数人の声優を題材に、云わば「事例解析」を行っている。序論での本書の位置づけを見れば、ここで本来行われる(べき)ことは、社会学・哲学・心理学・声楽などを駆使して一般論としての「声優論」を展開することであろうが、残念ながらこの点については詰めが甘いと言わざるを得ない。執筆者が5人おり、各々書きっぷりが違っている(例えば論中で対象声優を苗字だけで書くかフルネームで書くかといった些細なことでさえ)ので統一感に欠ける。また、肝心な学究的観点についても、上記のような学問における学術論文や学術概念をリファー(参照)してはいるが解説は十分ではなく、「言いたいことは何となく判るのだが、突然その概念が登場している」感は拭えない。それでも本書は声優論という未知の地平を切り拓こうという、ある意味野心的な試みを先駆的・試験的に行っているという点では評価できよう。例えば、ある声優を論じるのに、その声優と同じカテゴリに入ると思われる別の声優と比較したり、同じ声優が出演している複数作品の複数キャラクタを比較考察したりしているのは、本書が声優を学理の対象としようと、ある意味(いい意味で)「悪戦苦闘」している何よりの証左だと思われる。また、声優の「事例解析」を通じてアニメ作品の再解釈を試みたりしている点も見逃せない(例えば、林原めぐみにおけるエヴァの多世界解釈などは言うまでもない)。私自身、00年代から10年代の声優については詳しくなく、名前も作品も知らなかった声優も多かったので、読みとり切れてない部分も多いかも知れないが、こういう声優論が出てくること自体がそもそも面白いのではないかと思う。本書がきっかけとなって今後更なる「声優論」「声優学」が登場することを期待してやまない。最後に事例解析からひとつ引用させて頂こう。島本須美(ナウシカ)と日高のり子(浅倉南)について論じた箇所から。処女性のある声、そして時にはこちらを信奉するかのような声を持つ島本須美。誰とでも仲良くなれて、眩しさが感じられる日高のり子の声。これがそのまま、ナウシカと浅倉南のイメージに付与されるものとなり、そのイメージゆえにナウシカはオタクに熱烈に愛されて、南は非オタク層からは支持されたものの、オタクには多情なキャラクターだと思われて支持されなかったのではなかろうか。これで今年9冊目読了。声優論 アニメを彩る女神たち~島本須美から雨宮天まで~
2015.03.04
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「カササギたちの四季」(道尾秀介、光文社文庫)を読む。リサイクルショップ・カササギの店長・華沙々木と店員の日暮、そして店に入り浸る中学生の菜美。そんな3人の周りで起きる春夏秋冬の事件を題材にした連作ミステリ中篇集。タイトルの「四季」から私は勿論キングの「恐怖の四季」を連想したが、内容は全く異なり、中篇集ながらも本格個性派ミステリである。謎が解かれ事件が解決したかと思いきや…という展開が毎度繰り返され、読んでいて段々こっちも疑り深くなってくるというか、不思議な感覚に襲われた。惜しむらくは英語のスペルミスである。華沙々木が事件解決に乗り出す時に必ず手にしているのが「マーフィの法則」の原書なのだが、このスペルがP.10~11では ”Murphy's Low”と間違っており、P.73では ”Murphy's Law”と正しくなったかと思うと、P.242では再び”Murphy's Low”と間違っている。まぁこれは著者というより校正の問題あるいは誤植だと思われるが、最初に見たときは吃驚した。こんな単純な英語のスペルを間違えるなんて、ひょっとしてこれも何かの伏線なのかと勘違いした。ちなみに本書の解説は「古典部シリーズ」などでお馴染みの米澤穂信。この解説もなかなかの読みどころである。これで今年8冊目読了。ここ最近、たまたま連作短篇・中篇モノが続いたので、次はノンフィクションを何冊か続ける予定。カササギたちの四季/道尾秀介
2015.03.02
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