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おもしろく ふくらむ風や 鯉幟 子規鯉のぼりは、江戸時代に始まった日本の風習で、端午の節句の5月5日までに、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙や布に鯉の絵を描き、立てた竿に結わえて風をはらませてなびかせる幟のことである。皐幟または鯉の吹き流しとも言う。夏の季語である。三月の雛の節句がそうであるように地方によっては、月遅れの6月5日の地域もある。日本鯉のぼり協会では、5月中の掲揚を推奨している。中国の後漢書に因る故事で、黄河の急流にある「龍門」と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉だけが登ることが叶い、龍になったという故事に因んで、鯉が立身出世の象徴とされるようになったものである。 晴月作 鯉魚登瀧図初めは真鯉のみで、明治時代になってから緋鯉と対で揚げるようになり、仔鯉(青い鯉)を加えた3匹が主流となったのは昭和の時代になってからである。竿の先に回転球、籠玉、その下に矢車を付け、五色の吹流しを一番上に次いで真鯉から緋鯉、仔鯉を大きさの順に並べて揚げる。都市周辺では1980年代ころからは住宅事情もあって、童謡の歌詞にあるような庭に屋根より高い鯉のぼりが揚がる姿は次第に見られなくなった。江戸っ子には、ポンポンと荒い言葉遣いの人が多いが、鯉のぼりの鯉と同じで腹の中はさっぱりとして空っぽであるということを「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言ったものである。鯉のぼりは「幟」とは名づけられているが、鯉の形状をした吹流しである。鯉のぼりは門松や雛人形と同様、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった慣習である。初めは五色の吹き流しを立てていたのだが、中国の故事に由来して一部家庭で吹流しに鯉の絵を描くようになったのが、現在の魚型の鯉のぼりの原型となったものである。群馬県館林市では、「世界一鯉のぼりの里まつり」が3月下旬から5月中旬まで開催される。5,000本以上のこいのぼりが4箇所で掲揚される。掲揚数世界一で2005年ギネスブックに登録されている。 相模川高田橋鯉のぼりは、いくつかの唱歌・童謡に歌われている。「こいのぼり」作詞近藤宮子・作曲不詳 昭和6年やねよりたかい こいのぼりおおきいまごいは おとおさんちいさいひごいは こどもたちおもしろそうに およいでる「鯉のぼり」作詞不詳・作曲弘田龍太郎 大正3年甍(いらか)の波と 雲の波重なる波の 中空(なかぞら)を橘(たちばな)かおる 朝風に高く泳ぐや 鯉のぼり平将門が現埼玉県神川町の矢納地区に逃げ込んだ際、民家にあげられた鯉のぼりが目印しとなって所在が敵に知られ戦いに敗北したという。このためこの地区では、鯉のぼりを揚げると不吉なことが起こると言い伝えられ、現在も鯉のぼりを揚げることはないという。今朝5時の相模川は猛烈な突風が吹き荒れて、吊るされた鯉のぼりが吹き飛ばされそうであった。4月29日から5月5日までの間毎年、相模川高田橋の上流の両岸にワイヤーを渡し約1,200匹の鯉のぼりを泳がせる行事が昭和63年から続いている。中国の故事からも分かるように本来立てた竿を滝に見立てて天に昇る姿が鯉のぼりであるから、横に張ったロープに結わえつけられた鯉は龍門を泳ぐ鯉の姿とは異なり、また風が無い時はだらりと下がって鯉の目刺しに見えなくもない。 相模川高田橋
2013年04月30日

キンポウゲ科は、またの名前をウマノアシガタ科とも呼ぶ。アルカロイドを含有して有毒の種類が多いが、一部は漢方薬や医薬品としても用いられ薬草になるものも多くある。花が美しく鑑賞に向いている種類が多く、アネモネ、フクジュソウ、ミスミソウ、ラナンキュラス、サラシナショウマ、トリカブト、クレマチス、アネモネなどがよく庭に植栽される。これからの山野を彩る、キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草に、演歌で唄われたニリンソウがある。春山を代表する、花の1つでもある。 先ず1花が咲く。蕾が二つあるのも見える。深く裂けた根生葉を持つ。茎に3枚が輪生する葉には、サンリンソウのような葉柄はない。4月ころに、白い萼片を持つ直径約2cmの花をつける。多くは1本の茎から特徴的に2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっている。まれに1輪や3輪のものもある。根茎で増え、群落を作ることが多い。別名でフクベラ・ガショウソウという。北海道から九州まで分布し、湿潤な山地の林床やその周辺部に自生している。根茎は「地烏(ジウ)」と呼び、漢方薬として用いられる。また、若葉は山菜として食用になるが、有毒植物のトリカブトの若葉に非常に似ているので注意が必要である。2009年、2012年にはニリンソウと間違えてトリカブトを喫食して、死亡した例が報告されている。イチリンソウはその名前のように一茎に花の数が一輪だからイチリンソウ、ニリンソウだから二輪を咲かせるとは限らない。イチリンソウ、ニリンソウ、サンリンソウの3種類の植物は良く似ているが別種の植物である。必ずしも咲く花の数が名前通りでは無いことがあり、花数だけでは種類を判断できない。ひとつの茎に花を1つだけ咲かせるのでイチリンソウと呼ばれるが、群生地ではかなりの割合で2花のイチリンソウがある。花の径は5cmにもなって、3種類中では最も大きく華やかである。ニリンソウは1つの茎につく花の数が1~3個のものもあり、花の咲き始めには1つの花であることが多い。花の径は2cm程でイチリンソウと比較すると小さく、混在している場合は明らかに区別できる。サンリンソウはひとつの茎に花を3個咲かせる場合が多いが、しばしば1~4個の場合もありニリンソウ以上に一定しない。形態的にはニリンソウに似ているが、花の径は1.5cm程と最も小さいこと、ニリンソウの葉には葉柄がないがサンリンソウの葉には葉柄があることなどから区別できる。ニリンソウと猛毒のヤマトリカブトはしばしば同じ場所に生えるので、ニリンソウを摘む時はトリカブトが混入しないよう注意が必要である。春先、ニリンソウは白い花を、ヤマトリカブトは秋に紫色の花を付ける。花を確認してから摘めば、間違うことはない。トリカブトの主な毒成分はアルカロイドのアコニチンで、摂取後数十秒で死亡するほどの強毒性がある。素人は敢えて危険を冒さないで見るだけにすることで、当然ながら危険回避ができる。二輪草は、リュウマチに効果があると言われる。夏、根茎を掘り採り水洗いした後日干しにしたもの、15gを1日量として水から煎じて服用する。
2013年04月29日

「荘子が蝶の夢といふ世に義理や誠は邪魔くさし覚め際まではと引きしむる心の秤には黄金といふ字に重りつきて増す寶なき子寶のうへも忘るる小利大損いまに初めぬ覆車のそしりも」の書き出しで始まる樋口一葉の小説に「別れ霜」がある。人生の春を最後に、儚く消えてゆく二人の男女の運命が書かれている。この題名の「別れ霜」とは春の最後の霜をいい、忘れ霜とも呼ぶ。晩春のころ、最後に降りる霜のことで八十八夜のころに最後となることが多いとして、「八十八夜の別れ霜」と言い習わされている。別の呼び方では「名残の霜」、「忘れ霜」、「霜別れ」などの呼び方がある。そもそも霜とは、0℃以下に冷えた物体の表面に空気中の水蒸気が昇華して、氷の結晶として着いたものであり着氷現象の一種である。日本語では、霜が発生することを「霜が降りる」、「霜が降る」と表現することがある。「霜」という言葉は冬の季語であるが、別れ霜は晩春の季語である。鉢前の 著莪もしどろや 別れ霜 芥川龍之介寒い時期の風も弱く晴れた夜には放射冷却が発生し、気温がおよそ5℃以下まで下がった朝、地面付近の温度は0℃以下となり、霜が降りる。風が強いとき、雨や雪が降っているときは地表の冷却が進まなかったり霜の成長が阻害されたりするため、気温が低くても霜が降りないこともある。周囲より少し窪んだ地形の場所では冷気が溜まりやすく霜も降りやすい。こういう地域は霜道や霜穴などと呼ばれる。霜は、植物の葉や茎、地面、建物や車の窓などに付着したものが良く目立つが、空気と接触しているあらゆる物体にできる。夏を過ぎてから最初に発生した霜を初霜または霜の初日、夏になる前に発生した霜を終霜あるいは霜の終日という。初霜から終霜までは霜期間、終霜から初霜までが無霜期間である。植物に付着すると霜が植物を直接冷やしてしまい、活動が低下するほか植物が含有する水分が凍って枯れてしまうことがある。霜が毎年降りる地域では、霜が降りる時期に合わせて、農作物やその他の植物に霜対策を施す。しかし、春遅くなって例年は霜が降りない時期に晩霜が、秋に例年より早い時期に早霜が降りると、農作物に大きな被害を与えることになる。霜や植物の凍結よる農作物や植物の被害を凍霜害という。例年5月2日前後は、立春から数えて八十八日目に当たり、この頃から晩霜が降りなくなることから「八十八夜の別れ霜」と言い農作業目安とされる。霜の害を防ぐには、水をまいて湿度を上げることにより放射冷却を弱める、送風機で風を送り地表の冷気と上空の高温の空気を掻き混ぜる方法を採る。茶畑や果樹園で、よく用いられる。温暖地の梨の栽培では、焚き火や廃タイヤを燃やすなどして晩霜対策をとる。畑の場合では、防霜シートで覆うこともある。信州伊那谷は南信地方と言われ、厳寒地の信州なのに自然のスキーのゲレンデは一つも無く温暖な地として知られている。梨・林檎・桃・葡萄など多くのブランド果実が生産される土地でもある。この地は、伊那谷と呼ばれるように南アルプスと中央アルプスに囲まれ真ん中を天竜川が流れる盆地である。冷気が溜まりやすく、養蚕が盛んなころには桑に、現在では果樹特に梨に被害をもたらす。伊那谷に過ごした高校卒業まではこの時期、日の出前からあちらこちらで晩霜被害防止の焚き火の煙を目にしたものである。紀伊半島南岸以南の多くの地域は年間を通じて霜が降りないとされ、紀伊半島を北限とする生物がかなりある。気温が-2℃以下になると、ジャガイモに霜害が発生する。霜にあうと、茎や葉が枯死黒変する。被害の5~6日後には地際部から側芽や腋芽分枝を再生する。出芽直後では収量にあまり影響しないが、土寄せ芽掻き時期の霜害では個数、サイズなどに影響することがある。今年は2月までの寒い冬から、3月一転して平年気温を越えるような暖かな日が続いたため、北杜市にある日本三大桜の一つ「神代桜」は、去年より10日も早く開花していつの間にか葉桜となっていた。他の植物も春が来たような気がして、芽吹きを始めたところ4月中旬以降に再び真冬の気候となって再々の降霜を受け多くの樹木の新芽が霜で枯死してしまった。我が家の菜園のジャガイモの芽も、黒く変色してしまった。 降霜で芽が枯死したキウイ名古屋の終霜の平均は3/29(最も遅い日は5/13)、東京では3月13日(5/16)となっているが、天気任せの言葉通り気候の事は予測がつかない。
2013年04月28日

蝶 来ると見れば いつしか リラ咲けり 水原秋桜子東京の周辺では、ボツボツリラ(ライラック)の花が盛りを過ぎた感がある。北の札幌では、約一か月遅れての開花だそうである。 ライラックライラックLilacは、和名を「紫丁香花(むらさきはしどい)」といい、モクセイ科ハシドイ属の落葉樹である。Lilacは英語読みではライラック、フランス語ではリラと読まれる。ヨーロッパの原産で、16世紀末に日本に移入されたと言う。4から5月に紫色・白色・桃色などの円錐花序の花を咲かせ、香りがよく香水の原料ともされるという。また札幌市の象徴花として指定されている。気象状態を言い現す言葉で、本州の桜の頃の寒さを「花冷え」と言うように、ライラックが咲く頃にオホーツク海高気圧の影響で寒が戻ることがあるがこれを「リラ冷え」と呼ぶ。日本在来種のハシドイ(丁香花)はリラと同属であるが、樹高精々3mのライラックと異なり高さ10m以上の高木となる。ハシドイの花は白く、直径5mm前後で花冠の基部は筒状、先は4裂して花筒部は萼に包まれる。ライラックと同じ様に芳香をもっている。ライラックより遅れて初夏に開花する。花序はリラと同じ、円錐花序である。果実はさく果で、2個の翼のある種子を内包している。「ハシドイ」の語源由来についての出典は無いが、花が枝先に集まることから「端集い(はしづとい)」の転訛によるとの説がある。こちらは釧路市の花に指定されている。花期はライラックよりほぼ1か月後の、6から7月である。ハシドイは、俗称としてドスナラ(材としてはナラより役に立たない意味で北海道において使われる言葉)と呼ばれることがある。北海道釧路地方に「どすならは、30年経ったら石に化ける。」と言う諺がある。木が硬いことを言ったものだとされる。葉は生薬として健胃・解熱などに用いられるという。属の学名Syringaはギリシャ語の「笛、パイプ【Syrinx】」の意味で、この木の材で笛を作ったことから付けられた名称だという。「男に純潔を踏みにじられた少女が、自殺をした。これを悲しんだ人々により、墓に沢山のリラが供えられた。供えられた紫の花が、翌日見ると全て白に変わっていた。」という言い伝えがあるので、ヨーロッパでは白花のライラックを家に持ち込むと、不吉なことが起こると言い伝えられている。リラは花が美しく、芳香のある花を咲かせるものもあって昔から多くの歌手に唄われている。日本語の歌詞にした場合、リラの方がライラックと言うより語呂が良く歌いやすい所為か、日本語の歌は殆どがリラと唱っている。「白いリラの咲く頃Quand refleuriront les lilas blancs」は、宝塚歌劇の歌として知られる「すみれの花咲く頃」の元歌である。岡本敦郎は「リラの花咲く頃」、倍賞千恵子は「リラの花散る」、勝野慎子はその物ズバリで「リラ」を、「リラの片想い」を松任谷由実、デイック・ミネの「上海ブルース」の中にもリラの名前が出てくる。今年の5月下旬~6月初旬には、第55回目を迎える「さっぽろライラックまつり」が、400本のライラックが咲く札幌大通公園を中心として開催される。花言葉 友情 青春の思い出 純潔 初恋 大切な友達
2013年04月26日

この時期になると、58年も前高校の生物の時間に教師から、「君たちは、この花の名前を知っているか。」と聞かれたことを思い出す。当時の伊那谷ではあまり目にしない花であったが、冗談好きな生物学の教師も、「僕も実は、知らん(紫蘭)。」と言って恍けて授業を続けた。シランは、ラン科シラン属の宿根草である。日本、台湾、中国原産で日なたの草原などに自生し庭や公園にも植栽される。 シラン地下にある偽球茎は潰れた玉子形で、前年からの古い偽球茎がいくつも繋がって付いている。葉は、最も新しい偽球茎から、直接3枚~5枚出る。4月から5月にかけて紫紅色の花を、40cmほどの花茎の先に数個付ける。花弁は細長く、半開する。花の色は白色、淡色、花弁が唇弁化した「三蝶咲き」のものなどがある。 シロハナ斑入りシラン花後は縦に太い筋が入った細長い紡錘形の果実をつけ、中には細かい埃の様な種が一杯に詰まっている。秋になると茎の付け根が肥大して新しいバルブとなり、落葉してバルブと根が越冬する。畑土で栽培可能で、半日陰から日向まで適応して乾燥にも過湿にも強く極めて栽培しやすい植物である。他のラン科の種子と比較して本種の種子は発芽しやすく、普通に鉢に播くだけで苗を得られ育苗も容易であるが、増やすには偽球茎を株分けした方が簡単である。坪内逍遙が翻訳したシェイクスピアのハムレットに、シランの事が「死人の指」として出てくる。「褻(みだら)なる農夫(しずのお)は汚らわしい名で呼べど、清浄な処女(むすめ)らは死人の指と呼んでおる……芝蘭(しらん)の花で製(こしら)えた花鬘をば手に持って……」ここでは「長い紫の花」を芝蘭と訳しているが、アジア原産のシランをイギリス人のシェイクスピアが戯曲に書き込んだとは考えられず、原文の「long purple」はシランのことでは無くエゾミソハギのことではないかと指摘する人もいる。偽球茎は漢方で白及(びゃくきゅう)と言われ、ブレティラ グルコマンナンや澱粉が含まれている。秋に根を掘り取って、球茎をよく水洗いしてから熱湯に約3分から5分浸した後乾燥させたものである。補肺(肺の渇きを潤して肺の機能を高めること。)、止血、生肌の効果があるとされる。白及の粉末を服用する場合は、1日2から4グラムを1日数回服用する。皮膚に塗布する場合は、粉末を胡麻油で練って患部に塗布する。白及や球茎は500グラムが4,200円ほどで販売されていて、かなり高価なものである。花言葉は あなたを忘れない お互い忘れないように 変わらぬ愛 薄れゆく愛※ 別離の際にプレゼントする花とか。
2013年04月25日

月桂樹は学名 Laurus nobilisで、クスノキ科の常緑高木である。原産地は地中海沿岸原産の雌雄異株で、葉に芳香があり古くからハーブや生薬として利用されてきた歴史のある植物である。 新芽を吹いたゲッケイジュギリシャ神話にも登場し、ギリシァ・ローマ時代から神聖な霊木として崇められてきた。古代ギリシャでは、葉のついた若枝を編んだ「冠」が勝利者に、栄光と栄誉をたたえるために授けられた。現代ではオリンピックのマラソン優勝者に授けられている。桂冠詩人という言葉があるが、ギリシャ・ローマ時代に詩人たちが詩作の競技を行い勝者の頭に月桂冠を乗せたという故事に基づいて、公式に任命された詩人またはその称号を指す言葉である。イギリスでは王家が桂冠詩人の称号を与え、王家の慶弔の詩を読むことになっている(ワーズワースなど)。月桂冠の銘柄名で、日本酒を製造する酒造会社が伏見にある。勝利と栄光を意味する月桂冠を社名にしたものとされる。葉や果実にはそれぞれ月桂葉、月桂実という生薬名が付いているが、「日本薬局方」には収載されていないので食品の範疇で扱われる。葉に含まれる芳香成分はシネオールと呼ばれ、葉を乾燥させたものはローリエと言われて広く流通している。民間伝承として、ローリエには次のような効用があるとされる。1・蜂刺され、リューマチ、神経痛2.唾液の分泌促進し、食欲の増進、消化の補助3.沈静作用中国では煎液をフグ毒の解毒に用いると聞いたが、効果のほどは未確認である。果実などの精油は整髪料の着香料、虫除け、抗菌剤として利用される。大量摂取の、人体への有効性・安全性については確認されていない。清々しくハッキリとした芳香があるので、ハーブとして広く料理の香り付けに使用される。肉の臭みを消す働きがあり、欧風カレーやポトフなどの煮込み料理に使用されるほかダシやソース、マリネにも利用されている。ローリエを長時間煮込むと、苦味が出てくるので注意が必要である。加熱の途中で取り出しやすいように、葉は刻まずそのままの状態で使う。生の葉でも使用することが出来るが、青臭さと苦みが出る。保存性を考えると、乾燥させた葉を使うのが一般的である。乾燥葉は、自分で簡単に作ることができる。葉が反り返らないように重しを乗せ、日陰で2週間乾燥させれば完成する。都内某保健機関に勤務していた現役時代、他課の若い職員がさも鬼の首でも取ったかのように駈け込んで来た。話を聞くと、町のレストランで食べた昼飯の中に異物が混入していたと言うのだ。持ってきたものを見ると、レストランのナプキンに包まれていた物体はシチューのツユが着いたローリエそのものであった。彼はそれまで、ローリエを料理に使用することを知らなかったと言う。知っている人だったら、黙って葉を外して食べただけで終わっていたに違いない。しかし、ローリエは普通に料理に使われるものではあるが、これを食べる人は居ないと思われる。カレーの様な煮込み料理では、味との関係で完成前に取りだすべきだろうし、家庭料理とは違うのだからもし入っていたとしても外して盛りつけるようにと指導した。花言葉 勝利 栄光 栄誉
2013年04月24日

カタバミはハート型の3枚が、とがった先端を寄せあわせた形の葉をしている。三出複葉だが、頂小葉と側小葉の区別はしにくい。地下に球根を持ち、さらにその下に牛蒡根を伸ばしている。葉は球根の先端から、束になって出ている。匍匐茎をよく伸ばして、地表に広がる。このため、繁殖するのが早く、その上根が深いこともあって完全に除草することが困難ともなる雑草である。しばしばマメ科のシロツメクサと間違われるが、クローバーは葉の形状が丸く白い線があり、全く異なる植物である。 春から秋にかけ5弁の黄色の花を咲かせる。花は葉腋から一つ出るか、柄の先に集散花序として出る。雄蘂は10本で雌蘂は五室、果実は円柱状の莢を持ち先が尖り、真っ直ぐに上を向いてつく。果実が熟すとそれぞれの部屋の背面が裂けて、そこから種子を飛ばす。成熟した種に触れると、赤い種子が勢いよく飛び出す。半径1m程まで飛ばす力があって、増殖に有利となっている。葉や茎には、水溶性のシュウ酸塩を含んでいるため咬むと酸っぱい味がする。シュウ酸を英語でoxalic acidというが、カタバミ属(Oxalis)の葉から単離されたことに由来する。その他、葉にはクエン酸、酒石酸も含まれる。カタバミ属の植物をヒツジが食べると、腎臓障害を起こすといわれる。カタバミの仲間には在来のアカカタバミ、帰化したムラサキカタバミやイモカタバミなどがあるほか、園芸用として改良されたものもある。アカカタバミは葉が赤みを帯びており、ムラサキカタバミは花の色がムラサキ色で、イモカタバミは地下茎に芋が出来るところから名前が付けられた。「カタバミ」とは葉が半分という意味で、「傍喰」または「片喰」がその語源と言われている。カタバミは漢字で「酢漿草」と書く。葉を咬むと酸っぱく、ホオズキ(酸漿)の味に似ている。また、スイバ(シュウ酸を含む)やイタドリ(有機酸を多く含むため酸味があるが、その中にはシュウ酸も含まれる)の味にも似ている。カタバミの名の語源は、葉が夜になると三小葉を閉じることから付いた名称で、その様子を横から見ると葉が喰われて欠けているように見え、「片喰(かたはみ)」または「傍喰(かたはみ)」と呼ばれるようになったというのが通説である。昼間は水平になって開いている葉が、夜間は葉柄の付け根から折れたように垂れ下がり、隣り合わせの葉と葉裏を密着させるような形で閉じる。万葉集に出てくる「花勝見(はなかつみ)」が、在来種のカタバミのことであるという説があるが、これとは異なるとする解釈もある。カタバミ属は、シュウ酸を多く含むので多食はしない方がよい。在来のカタバミの葉を、民間薬として摺り潰して疥癬や虫刺されなどに使用することがある。オキザリスはカタバミの仲間で800~850種もあり、世界中に広く分布している。ロゼット状、低木状、球根をもつもの、多肉植物に近いものなど形状はさまざまである。日本には、ミヤマカタバミなど6種が自生するほか、帰化植物となっているものが7種ほどある。満開になって、株を覆うように咲く様子は見ごたえがあり人目を引く。カタバミは枕草子第66段「草は」に出てくる。「草は、菖蒲、菰。葵、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけん、いみじうめでたし。もののさまもいとをかし。おもだかは、名のをかしきなり。心あがりしたらんと思ふに。三稜草。蛇床子。苔。雪間の若草。こだに。かたばみ、綾の紋にてあるも、ことよりはをかし。」片喰紋・酢漿草紋として使われ、日本の家紋の一つである。 既に平安時代に、車紋として使用されていた記録がある。繁殖力が強く一度根付くと絶やすことが困難であることが、「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では家運隆盛・子孫繁栄の縁起をかつぎ家紋として多用されたものである。花言葉 輝く心喜び 母親の優しさ
2013年04月23日

路傍の彼方此方に、小判形の穂をつけたコバンソウの群生が目に付きはじめた。この草はオオユレグサ、またはタワラムギと言う別名でも呼ばれている。4月8日に「昨年植えたルリアナに花が咲いた」題名でアップしたルリアナは、その種子の莢の形が面白く別名コバンソウ(場合によってはオオバンソウと呼ぶ人もある。)とも呼ばれていて、イネ科のこのコバンソウと混同され混乱を起こしている。 ルリアナ(合田草)コバンソウは、単子葉植物イネ科コバンソウ属の一年生植物である。もともとはヨーロッパ原産の草本で、観賞用に栽培されたものが逸出して野生化し雑草化した。和名の由来は、小穂が大形で卵形をしており、これが熟すと黄色くなるので黄金の小判や麦俵に見立てたことによる。また、穂が風に揺れる様子から、オオユレグサの名前で呼ばれることになったものと思われる。 小判草小穂似たものに、同じ一年草で畑や牧草地の雑草となっている「ひめこばんそう」がある。花はコバンソウと異なり円錐花序になり、三角をした卵形で糸状の枝を持つ小穂を着ける。小穂はやや扁平で、光沢のある淡い緑色をしている。種子繁殖で早春に発芽して、春から夏にかけて花を着ける。ヒメコバンソウは、小穂を振ると微かに音をたてることからスズガヤとも呼ばれる。一方コバンソウは、春から夏にかけて茎の上部に疎らに数個多の小穂のついた、先が垂れる円錐花序を形成する。小判形をした2センチほどの小穂は細い枝で垂れ下がり、10個ほどの小花で出来ている。小穂は左右からは扁平で、鱗片は膨らんで厚みがある。一対の包穎(えい)だけが濃く色づくが、他の護穎は淡い緑色が成熟して黄褐色に変わり光沢がある。日当たりのいいところを好み畑、道端、荒地などで何処でも生育する。乾燥に強く、土壌の質を選ばない。 小判草 雑草化しているが現在も栽培されることもあり、その穂をドライフラワーにして飾る人もある。この草も趣があるので、茶人には喜ばれていてしばしば茶席を彩る茶花として用いられている。現在ネットで一鉢が500円ほどで販売されているが、植栽していたものからの零(こぼ)れ種によって空き地や路傍の各地に見られるようになっている。20年ほど前初めて家内からコバンソウのことを聞いて、茶花として使用するために庭に移植したところ、またたく間に庭中に広がり隣の空き地までもすっかり占領してしまうほどになった。 小判草群落 山荘に移した鉢植えにも種が付いていたため、すっかり山荘に居付いてしまった。少なくなったとは言え13年も駆除し続けてきたが、まだ退治しきれなくて毎年生えてくる困り者となっている。何本かがひっそりと生えるのは好ましく見えるものの、群生すると雑草と同じで場合によっては困り者になる。花言葉 心の激動 世の擾乱
2013年04月22日

スズラン(鈴蘭)は、多年草でスズラン属の一種である。別名で君影草とか谷間の姫百合といわれる。 スズランの群生鈴蘭という名の由来は、花が神事や祭事に用いられる「鈴」に似ており、葉が「蘭」の葉に似ていることからこの名称が付いたとされる。蘭の名前が付いているが、ラン科では無くヒアシンスやアスパラガスと同じクサスギカズラ科の植物である。スノーフレーク・ナルコユリ・アマドコロ・ホウチャクソウ・ゼノビア・ドウダンツツジ・ヒサカキ・スズランノキと、スズランの花に似た花を咲かせる植物は沢山あるが、何れもスズランの花が基準となって譬えられる。スズランの別名の君影草(きみかげそう)は、葉の影に隠れるように可憐な花をつける様を、愛する人の影に寄り添う伝統的な日本女性に見立てたものとする説を唱える人があるが、現代の日本女性からは到底想像できない説である。また谷間の姫百合(たにまのひめゆり)は、ラテン語の「convallis(谷)+leirion(ユリ)」を直訳したものが語源となっている。この花は可憐な花に似合わず、強心配糖体のコンバラトキシンなどを含む有毒植物である。全草に毒を持つが、特に花や根に多く含まれる。摂取した場合嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの症状を起こし重症の場合は死に至る。コンバラトキシンは微量では強心作用があるが、量が多いと死亡することもあるほどの強毒である。花を挿した水を飲んだだけで、実際に中毒死した事件がある。「入院患者の見舞いに、スズランの花束を持って行ったが生憎花瓶が無かったので、空の牛乳瓶にこの花をさして置いた。入院患者は夜中に喉が渇いたので牛乳瓶からスズランを抜き取って、入っていた水を飲んだ結果翌日、スズランの毒によって死亡した。」という事例である。また、旧西ドイツでも、3歳の女の子がスズランを挿してあったコップの水を飲んで死亡するという事故が起こっている。東北・北海道地方で山菜として珍重されるギョウジャニンニクと外見が似ていることもあって、誤って摂取し食中毒を起こすことがある。日本在来種のスズランは一属のみであり本州中部以北、東北、北海道の高地に多く自生する。北海道を代表する花としても知られていて、花には芳香がある。観賞用に栽培されているものの多くは、ヨーロッパ原産のドイツスズランである。日本に自生する日本スズランと比べると花、草丈とも大型である。 ドイツスズランまた君影草の語源にも成ったと言われるように、日本在来のものは花茎が葉より短いのに比べて、ドイツスズランは花茎が葉と同じ長さかそれ以上に伸び芳香も強い。 ニホンスズラン花色は白が普通だが桃色や紅花などがあり、葉に斑の入った品種もある。なお、エゾスズランという植物があるが、スズランの名前が付いているがこちらは本物のラン科の植物で、花がスズランとは全く異なりどちらかと言えばエビネランに似た花を咲かせる。 ヂエビネスズランは北海道、長野県、奈良県、広島県などの多くの町や市の花に指定されている。花言葉は「幸福が帰る」「幸福の再来」「意識しない美しさ」「純粋」
2013年04月21日

庭の生垣や散歩道の植え込みで、この季節になると赤く燃えるような木が目に付くようになる。この木は冬季に落葉しないので、ベニバナトキワマンサクの名前がある。一般的に植物は、葉の色と異なった目立つ色の花をつけるものだがこの花は、葉色と似た花をつけるためうっかりすると見落としてしまう。この花色と異なり、極薄い黄色の花を咲かせる木が基本種でこれをトキワマンサクと呼ぶので、中国原産の紅色の花を咲かせるトキワマンサクの変種を、トキワマンサクと区別するため「ベニバナトキワマンサク」と名付けたものである。早春に咲く落葉樹のマンサクとは、花びらが細いところなどは似ているようにも見えるが属が異なる木である。この20年ほどの間に、庭や公園など多くの場所で植えられるようになった。秋にも咲かせることがあるが主な開花期は春で、4月~5月に光沢のある鮮紅色をしたリボンのような花を1カ所に数輪をまとめて咲かせる。近寄ってみると花の感じが珍しく、短いビニールの細片で作ったポンポンのような形をしている。満開時は、樹全体を覆う程の花を咲かせるので見応えがある。ベニバナトキワマンサクは、漢字で紅花常葉満作とも書き表わす。ほとんど全ての人は、「ときわ」に常盤と言う字を当てて「常に緑の葉」の意味に使っているが、常盤にそのような意味は無く「常葉」と書くべきである。万葉集の一〇〇九に、「常葉」の言葉が常緑の意味で使用されている。橘は 実さへ花さへその葉さへ 枝(え)に霜降れどいや常葉の木(現代語訳: 橘は実も花もその葉までも枝に霜が降りても、枯れ落ちるどころかいよいよ栄える、常緑の美しい木である)基本種のトキワマンサクは、108年前に中国から輸入されたランの鉢について偶然苗が持ち込まれ、それが開花してトキワマンサクの名が付けられたとされる。80年前に伊勢神宮でも発見され、後に日本の限られた地域やインドでの分布が確認され、中国固有の植物では無いことが証明された。こちらの方が一見豪華だが、近寄ってマジマジ見ていると暑苦しく見えて早春に葉を出す前に黄色に咲く、本家のマンサクの方が情緒があって好きである。花言葉 私から愛したい
2013年04月20日

静御前(生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の白拍子(男装の遊女や子供が、今様や朗詠を歌いながら舞うことを生業とした女性)で源義経の側女である。「吾妻鏡」によれば、源平合戦後源頼朝と対立した義経が京から九州へ落ちる際に同行するが、義経の船は嵐で遭難して岸へ押し戻されてしまう。静は吉野で義経と別れ京へ戻る途中で、従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ北条時政に引き渡された後、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。同年4月8日、静は頼朝から鶴岡八幡宮の社前で白拍子の舞を命じられ、次の歌を唄いながら舞ったという。吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき(落人として逃げたときに吉野山は女人禁制なのでお別れして、深く積もった峰の雪を踏んで山へ分け入って行ったあの人の後姿が忘れられずに、いっそ後を追って行きたかったのに。)しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら。)桜の花が終わった頃、花を咲かせる山草にヒトリシズカがある。センリョウ科の多年草で、高さ20センチほどになる。名称の由来は、この花の可憐さを、頼朝の前で悲嘆にくれながら舞った静御前に擬(なぞら)えたものという。この花には、近縁種で花穂を2~4本出す「フタリシズカ」と呼ばれる山草があり、それと対比させて「ヒトリシズカ」と名附けたものである。フタリシズカの和名は、2本の花序を能楽「二人静」の静御前とその亡霊の舞姿にたとえたもので、ヒトリシズカと対を成している。ヒトリシズカの葉は単葉で対生するが、2対の葉の間隔が詰まっているため、茎の上部で4枚が輪生しているように見え、光沢があって縁には鋸歯がある。花序は名前が示すように穂状で1本、初め4枚の葉に包まれている。包葉は卵形で花は小さく、白色の両性花で花被はない。長さ4~6ミリの雄蕊は糸状の物が3本で、白色が目立つ。中央の雄蕊には、葯がない。果実は球形で淡緑色をしていて、疎林内に群生する。ヒトリシズカの別名「眉掃草(まゆはきぐさ)」は、花穂を化粧道具のおしろいを塗ってから眉を払うための小さな刷毛に例えたものである。※ワタスゲも、ヒトリシズカと同じ「眉掃草」の別名で呼ばれている。13年も前に山荘の近くの山中から移植したヒトリシズカだが、最初植えた植え込みの下を嫌って石段の下の人に踏まれるような場所へ脱走して勝手に繁殖している。今では、30株ほどの集団となって存在を誇っている。茶道を嗜む人は「茶花」として珍重するらしいが、無粋者にとっては単なる野草にしか見えない。花言葉は、「静謐」「隠された美」
2013年04月19日

ウドは、ウコギ科タラノキ属の多年草。香りが強く、山菜として好まれる。風も無いのに自分から動いているように見えるので、「独活」とかウゴク(動く)がなまってウドになったと説く人もある。また別の説では、埋(ウズ)からの転訛で食べる部分が土の中にあることに由来するともいう。しばしば、セリ科のシシウドと名前が混同されて混乱している。ウドの漢字「独活」をシシウドとする文献があるが、シシウドは猪独活と書くので独活はウドで良いと思う。また、セリ科のトウキ(当帰)を土当帰と書き現しているものがある。思うに土当帰は、土の中にあって当帰の様な薬効のある植物と言う意味で、ウドを指すと解釈して良いと思う。ウドは若葉、芽先および土に埋もれていた茎の白い部分を食用とする。茎を食用にできる期間は短いが、若葉はある程度の期間採取することができる。根は独活(どっかつ)と呼ばれ、薬用にされる。日本各地の山野に、自生している。林の際など日当たりのよい場所か半日陰の傾斜地などに自生するが、スーパーなどで販売される全体に白いものは軟白栽培されたもので、モヤシのように茎を白く伸ばしたものを出荷する。伏込み栽培物ともよばれる。軟白ウドの栽培は栃木、群馬が多く、東京が4位である。現在のような軟白栽培は、江戸時代に始まったとされている。畑で栽培した根株を秋に地下のムロに移植し、光の無い暗闇の中で発芽伸長させたものである。発芽してから1ヶ月程度で、80cmぐらいに育ったものを出荷する。ウドは太陽の光で、急激に緑化するので掘りだしてから、光の当たらないところで保管することが必要である。山ウドはアクが強く、山菜として葉や先端を天ぷらなどにする他、ぬた、酢味噌和え、味噌汁の具にもする。白ウドは山ウドと同じように食べるがさらに、酢水でアク抜きをして煮浸しやサラダとしても食べられている。また、皮が柔らかいので、短冊切りにしてキンピラにすると美味しく白ウドには捨てるところがほとんどない。山ウドは、本来山野に自生しているものあるいは畑で土寄せをして栽培するウドの事を言うが、軟白ウドの芽先を太陽に当てて芽を緑化して、香りを強くしたものも「山ウド」の名称で出荷されている。株の一ヶ所から数本のウドの芽が生えるが、1本を残せば他は掘り取っても秋口までにはまた株が再生する。体質によって、ウドに食物アレルギー反応が出る人があるので、食べる際には注意が必要である。図体だけが大きくて中身が伴わない物を「ウドの大木」という。ウドは成長が早くて成長した茎は食用にならず、高さ3mにもなるのに使い道がないところから、図体ばかり大きくても何の役にも立たないものを譬えて使われる言葉である。山荘の菜園の隅に、山掘りのウドの株を移植して13年になる。最初は50センチもの深さの所に植えたのだが、年々株に土を盛って被せるため今では逆に周りより50センチも高くなってしまった。毎年、軟白ウドとは比較にならないほどの香り高いウドを、食べきれないほどに収穫出来るのだが、今年は根株を掘り起こして深く植え替えないと土寄せが大変になってきた。鵜殿の香の 旅にしあれば 枕もと 加藤楸邨尋ばや 古葉が下の 独活の萌 杉風
2013年04月18日

ケシ科シラユキゲシ属のこの花は、和名を「しらゆきげし」といい原産地は中国東部で中国では「血水草」と呼ばれる。冬季は葉の数が少なくなるが、全て枯れることはない。4月になって新たな葉が芽吹いた後、花を咲かせる。日陰に適合して育ち、湿った場所が植栽の適地である。植えた後は放任でも、地下茎を広げて良く増える。日陰に強い植物なので、グランドカバーに向いている。庭植えでは、寧ろ広がりすぎないように根止めをしないと、途方も無いところまで広がる恐れがある。それを避けるためには、鉢で育てるのも一つの方法である。注意して嗅げば微かな臭いを感じられるが、決して芳香とは言えない。実生でも増やすことは可能だが、株分けが簡単で容易である。植え付けの適期は、ソメイヨシノが開花する前頃が良いが、極端な寒さと暑く乾燥しない時期でなければ移植可能である。葉は先が尖った可愛らしいハート形をしていて、葉辺は大きなギザギザがあり波をうっている。葉柄・花柄ともに長く、20~30センチの一本の花茎の先端に、さらに5センチほどの3~5本の茎を伸ばしその先端に3センチ足らずの4弁の白い花を咲かせる。蕾は萼に包まれているが、開花とともに萼は落ちる。花弁は4枚で蕊は黄色、芥子の花に似ているが山吹の花より小さい白い花である。この花は葉の形と可憐な花がマッチしていて、茶花として愛用する人もある。これを切り花として飾る場合、どんなに注意しても水揚げ不良で半日位で萎れてしまう。ハート形の葉とともに、群生して白く咲き競う様子は可愛いらしく観賞価値がある。中国での「血水草」という呼び名は、この花葉の茎を折り取った傷口から出る液の色から付いた名称である。全草に鎮咳、打ち身、蛇毒の中和の効果があり、腰痛、解毒、小児の脳症にも有効とされている。中国では、消炎・止血・寫下に用いられるキンポーゲ科の「黄連」の代用にされるほど優れた薬効があるとされる。注意して他所の庭を眺めても、我が家以外でのシラユキゲシの植栽を目にしたことがないので、あまり一般的に普及している花では無いのかも知れない。
2013年04月17日

餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、飲食物を手に取るだけで火に変わってしまうので決して充たされることがないとされる。飢餓に苦しむ人間のように、痩せ細って腹部だけ丸く膨れ上がった姿で描かれた絵画が多く残されている。北杜市武川町の石空川の上流域に、「餓鬼の嗌(のど)」と名付けられた場所があり、この場所は武川衆の一人で柳沢吉保の祖父柳沢信俊が、敵の追及を逃れて隠れた場所としての史実がある。 市の板書柳沢吉保は、江戸時代前期の幕府側用人で譜代大名。川越藩主・甲斐国甲府藩主を務めた。将軍綱吉の信頼が篤く、830石から23万石余まで上り詰め、元禄時代には大老として幕政を主導した。異例の出世に対する妬みから、悪い噂が立ちダーティーな面が強調されているが、事実は質素で実直な性格で徳川幕府に大きな貢献をした人物である。白州の地へ通うようになるまで、柳沢吉保の祖先と北杜市との縁や祖父の出自、生誕地について何の知識も無かったのだが、柳沢地区に柳沢氏居館跡の石碑が建てられたりしたことで、知識として初めて吉保と武川衆が繋がりを持つようになった。市の歴史を調べて見ると、祖父の柳沢信俊は甲斐武田の家臣で北杜市柳沢の出自である。武川衆は釜無川沿いに拠点を置いて、300人ほどの兵力を擁し武田氏に仕えた。武田勝頼の滅亡の折武川衆は散り散りになり、柳沢氏は山奥にある「餓鬼の嗌」と呼ばれる峻険な場所に隠れて再起を窺った場所と言う。孫の吉保は1694年に川越城の城主になり、綱吉の幕政にかかわるようになった。10年後の宝永元年、甲斐15万石の藩主になった。甲斐藩主となった吉保は、祖父の柳沢信俊が武田家滅亡の折、戦乱を避けて避難した「餓鬼の嗌(のど)」を探訪するよう荻生徂徠に指示した。「餓鬼の嗌」とは、「腹の大きいこと、大山の如し。嗌の細いこと、針の如し。」といわれる地形から付けられた名前と言う。吉保に餓鬼の嗌探索を指示された荻生徂徠は、江戸に生まれ幼くして学問にすぐれ林春斎・林鳳岡に学んだ。しかし綱吉が将軍になる一年前に、父が綱吉の逆鱗にふれ一家は江戸から放逐された。徂徠14歳の時のことで、追われて茂原市に住みながら主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、ここで後の学問の基礎を作ったとされる。1692年27歳の時父の赦免でともに江戸に戻り、ここでも学問に専念した。元禄9年(1696年)徂徠31歳のとき、川越藩主の吉保に抜擢され彼に仕えた。柳沢邸で講学、と政治上の諮問に応え将軍綱吉の知己も得た。宝永6年(1709年)徂徠44歳のとき、綱吉が死去し吉保の失脚もあって柳沢邸を出た。やがて徂徠派という学派を形成した人物である。甲斐城主となった吉保の指示で、甲府から「餓鬼の嗌」の探索に田中省吾を伴って出立した。この内容は荻生徂徠「峡中紀行」に詳しく記されている。「是の山は星山故城と為す。三吹、横手の界に中山故城有るも基址皆已に浬滅す。唯だ山頂の平かなる処、認む可きも誰某の拠る所なるかを識らず。」…と。ここに出てくる「中山」は、山荘の目の前にある標高887メートルの山で、320年前の徂徠の時代すでに城跡が埋没してしまっていたと言われ、今では峰の上の松林の中に新たに作られた展望台があるだけで城の痕跡を見つけることは出来ない。 中山東端「峡中紀行」意訳この餓鬼の嗌は、柳沢の古跡として西山の下にある。場所は柳沢から石空川を右にして西南に一里ばかり行くと、川の東に星山の墟が見え、西南に六・七町行くとわさび沢に到着する。滝があってここで沢を捗ると山は急に険しくなり、樹木が交錯して全体を露わさないほどの山中となる。四町ばかりでやや平坦の所に出て、草の中を数十歩行くと突起した方六、七尺の大きな石があり、その石の下には人が居住できるような場所があるという。宝永三年九月、吉保の命を受けて荻生徂徠と僚友の田中省吾が甲斐に遣わされた時、柳沢氏発祥の地の武川町柳沢一帯の旧跡を訪ねている。九月十三日、村民が最も困難で危険の場所として止めたにもかかわらず、餓鬼の嗌に登ったのである。険崖をおかし、あらゆる困苦を排しながら、漸く絶頂に達したけれど、塁所を極めることができないとして山を下りている。「甲斐叢記」に次のように記されている。餓鬼嗌、澗流に臨たる峻き峰の上にあり山の盤曲たる中間に少しく平なる処三四十間許に十問余りの濶(ひろ)さなり後の方は崇にて前は偉く入口窄くして奥は寛し、地獄変相の中に画たる肚太く嗌頸細き餓鬼という者に似たればとて如此なづけ目(なづけ)しとなん(此名処々にあれども此処は徂翁が遊びし処にて其記文さえ伝りければ特に世に名高く聞えたるなり)南アルプスの地盤はどこも脆い花崗岩でできていて、大雨でしばしば山が崩落し鉄砲水が起きる。そのため320年前徂徠が踏破した山の相が、現在とでは大きく異なっていることが考えられる。北杜市の板記にもあるように、未整備で危険のため素人にとっては「餓鬼の嗌」探索は困難なようである。
2013年04月16日

椋鳥の大きさはスズメとハトの中間で、ヒヨドリより一回り小さい鳥である。翼と胸首が茶褐色で、首から頭にかけてと腰に白い部分があって足と嘴が黄色なのが特徴である。日本国内どこにでも分布する留鳥であるが、寒冷地では冬期暖地へ移動するようである。低地の平野に広く棲息し、都市部などの人家付近や田畑などでもよく見られ、雑食性で植物の種子や果物昆虫など何でも餌にする。地面に降りて歩いて餌を探し、木の枝で熟した果実を啄ばむ。名前の語源は、椋の木の実を好んで食べるので「椋鳥」と呼ばれるようになったと言われるが、特に椋の実だけでなく雑食のため何でも幅広く食べる。「群木鳥」「群来鳥」の読み、「ムレキドリ」の転訛または、群は「ムラ」とも読むことから、「ムク・ギ・ドリ」「ムク・キ・ドリ」、群集の「ムッツイ・ドリ」が語源とする説もある。繁殖期は桜の咲く頃から夏前までで、番いで分散し木の穴や人家の軒先、しばしば戸袋などの隙間に巣を作る。雌雄ともに子育てを行い、育雛期は雌雄がペアで餌を探して歩き回る様子が観察される。繁殖期は巣で眠るが、ヒナが巣立つと多くのムクドリが集まって群れを形成するようになり、塒(ネグラ)を形成する。10km以上の範囲から塒に集まり、冬は数万羽の大群となることもある。かつては河原の広葉樹や人家の竹やぶに集まっていたが、開発による環境の変化で近年都市の街路樹を塒にすることが増えている。大群が「ギャーギャー」「ギュルギュル」などの高音の鳴き声を一晩中発するので、この鳴き声により騒音被害を受けている人も多い。以前は、農作物の害虫を食べるので益鳥とされていた。一巣の親2羽、雛6羽が1年間に捕食する虫の数は、百万匹以上と研究されている。害虫を1匹駆除するのに1円かかるとすると、ムクドリ一巣で百万円以上の利益をもたらす「益鳥」と讃えられたことがある。しかし、農山村部の棲息環境の破壊により追われたムクドリは、都市に適応して大量に増殖することになった。大群故に鳴き声による騒音や糞害、果実の被害が問題になるようになっている。新潟県長岡駅前の街路樹を、ムクドリの大群が塒にして問題となったことがある。市では捕獲したムクドリの鳴き声を収録し、大音量で流すことでムクドリは去ったという。これを知った全国の自治体が、このテープの音を流したところ各地でも成功したという。しかし効果が無かったとする自治体もあり、大音に驚いたのか果たして悲鳴の録音が奏功したのかについては検証がされていない。音を流すことの他の対策として、各自治体は街路樹にネットをかぶせる、樹木の強剪定、天敵フクロウの置物を置くなど様々に対策をとったが、結果的に対策が採られていない木や他の地区に移動し、新たな場所で被害が発生するなどのいたちごっこが続き、現在の所ムクドリを追い払う有効な手立てはない。千葉県では、市川市、船橋市、習志野市、松戸市、我孫子市、八千代市などの市街地や駅前などにムクドリの大規模な集団塒があり、季節によっては大きな群れが集まることが知られている。果物を好んで食べるため、果樹園に被害を与えるとして駆除されることもある。本種以外に、近縁でヨーロッパ、アメリカに棲息するホシムクドリにも本種と同様の性質があり、特にアメリカでは都市部における最悪の害鳥とされている。以前、カナダ・ヴィクトリアを訪問した際、夕刻の空を商店街に向かって低空で数千羽のムクドリが集まる様子に驚かされたことがある。東京小金井公園の桜は、ボツボツ寿命を迎える時期を迎えた大木で、樹種は「ソメイヨシノ」と言われるが、一般にソメイヨシノは自家不和合性のため、種を作らない場合が多い。しかし、小金井公園の桜の樹には小豆粒大の濃紫色のサクランボが実る。ムクドリが巣立ちをして、餌を自分で採るようになるのが丁度この時期と重なる。一時ムクドリが毎日、数10羽も落ちて死んでいたことがある。その死因が農薬などの毒物によるものなのか、寄生虫によるものなのかを調査した経緯がある。剖検の結果消化管には寄生虫を認めず、胃の内容物には農薬などの毒物の痕跡はなかった。しかしどの鳥も、胃の中に多量のさくらんぼの種が入っていて、結果的に青酸配糖体のアミダグリンによる中毒死であろうと結論付けられた。実際に、種子からアミダグリンが検出された。桜に限らず梅・杏・リンゴ・ナシなどのバラ科の植物の種子や未熟果には、アミダグリンを含有していることが昔から分かっていて、一般には未熟な梅は腹をこわすと言われてきたものである。
2013年04月15日

桜花の季節が通りすぎる頃、野山は一斉に若芽を吹く。この時期は山菜好きの人間にとっては堪らない季節である。地上に直接生えるものでは、早春蕗の薹に始まり、これからワラビ・ゼンマイと続く。一方樹上の若芽を食べるものとしては、山菜の王様と言われる、タラノメなどの萌芽の季節だ。ウコギ科の植物には、薬用としてサポニン群を含み糖尿病、動脈硬化、滋養強壮に効能があるとされる朝鮮人参や解熱・去痰、健胃薬とされるトチバニンジンが知られている。うこぎ科の多くの木の若芽は食用にされ、タラノメ、コシアブラ、ハリギリ、ウドなどがあって、山菜や漢方薬としても注目されているものが多い。これらの仲間に、ウコギがある。ウコギは、南信州伊那谷では何故か「オコギ」と呼ばれる。ウコギの原産地はもともと中国と見られており、平安時代中期の『本草和名』には五加という中国名で牟古岐(むこぎ)が紹介されている。ウコギの和名五加木は、これに由来している。根や幹を煎じて薬用強壮剤として利用し、天日干にした根や皮を焼酎に漬けた五加皮酒の原材料として用いられた。1603年(慶長8年)の『日葡辞書』では、「根は薬用、葉は和え物、幹は酒に用いる」とあり、古来より広く利用されていた事が分かる。ウコギを家の周りに植えたり垣根として利用し、その若芽は食用にされている。花が咲く前の新芽が美味しく和え物やおひたし、天ぷらなど様々に調理して食べられている。日本には、8種が自生する。その内ヒメウコギは雌雄異株であるが、殆どが雌木で蕀が少なく葉も軟らかである。中国では古くからヒメウコギのことをウーコと呼び、日本ではそれに木をつけ五加木(ウコギ)と呼ぶようになったものと言う。日本最古の本草書(918)にもウコギが記載されていることから、千数百年前に日本に渡来してきたものと思わる。ヒメウコギはヤマウコギやエゾウコギなどに比べ食用に向いており、またそのトゲは敵の侵入を防ぐ目的で屋敷の垣根として戦国時代は盛んに植えられた。貝原益軒の大和本草(1709年)にもウコギの葉を食べたり茶にしたり、また根を用いた五加皮酒の作り方についての記載もある。若芽はほろ苦く香りも強く、香味野菜として用いられ、茹でてお浸しや和え物などにする。お浸しは、軽く茹でて流水に取った後、軽く水を絞ってそのまま削り節をタップリかけて醤油で食べる。子供の頃食べたシャキシャキ感とほろ苦い食感が、今も忘れられない。水洗いしたうこぎを細かく刻み塩をして、しんなりしたら水洗いし水気を切ってさらに軽く塩をする。これを炊き立てのご飯に混ぜると、香りのよい「うこぎ飯」ができる。葉は茶の代用にもなる。また纏めて掻揚げ風天婦羅も旨い。アクが気になる場合は、塩を入れた熱湯で茹でた後水に晒すとよい。筍の煮物とウコギのお浸しがあれば、飯のおともは他に何もいらない。王様と言われるタラノメに比べて些かの遜色も無く、正に肩を並べる旨さである。
2013年04月14日

ドウダンツツジ(灯台躑躅、満天星躑躅)は、ツツジ科ドウダンツツジ属の植物である。 ドウダンツツジドウダンツツジ属には他にサラサドウダンなど東アジアに約10種がある。 「ドウダン」は、放射状に出る分枝の状態が結び灯台に似ている所から「灯台躑躅」と言われた。 新梢結び灯台とは、3本の丸棒や竹をひもで結び、上下を開いて立て、上に油皿を置いて火をともすもので夜間の灯として宮中で用いられた。この灯台躑躅が転じて、ドウダンツツジになったと言う。「満天星」の方は中国名に由来し、花がいっぱい咲く様を星に見立てて「満天星躑躅」という。また、花の形が腰に下げる「胴籃」に似ているとして、「ドウラン」が「ドウダン」と変化したという説を唱える人もある。子供の頃、動・植物採集の時薬瓶やピンセット、セロファン紙、鋏などを入れて肩から下げていた。 胴籃和名の胴籃は、Pouchという英名からも分かるように小型の四角い鞄のことである。様々の形のものがあるが武具としては、特に弾薬を入れて携行するための袋のことを指す。主に皮製で、日本では江戸時代以前より、手提げ・肩掛け・胴に結わえるなどの種類が作られ使用されていた。残念ながら、この何れと比較してもドウダン躑躅の花が似ているようにはとても見えない。刈り込みに強いので庭木、生け垣として広く植えられ丸型や四角あるいは直方体など様々な形状に刈り込まれている。落葉広葉樹の低木で、高くても3m程である。本州、四国、九州の温暖な岩山に生えるが、自生地は少ない。葉が出てから約1週間後に開花し、花序は散形花序である。白色でスズランに良く似た壺型の、5ミリ程の大きさの花を多数着ける。葉は、菱形に近く、大きさは通常約2cmになる。 スズランツツジ科植物の特徴として根が浅いので、乾燥に弱い。落葉期を除いて新緑、花期、紅葉と各時期に多くの人から愛でられる。特に真っ赤になる紅葉は、ヌルデやウルシに匹敵する見事な赤色に染まる。挿し木で、簡単に増やすことができる。挿し木は新梢が十分に充実した6月頃が適期である。今年伸びた新しい枝の付け根から手でもぎ取って、下の方の葉を取り除いた後鹿沼土を入れた鉢に挿し、直射日光の当たらない風通しの良い場所で水切れしないように管理すると、約2ヶ月で根が生えてくる。定植の植え付けは翌春に行い、それまでそのままの状態で管理する。花言葉 節制どうだんに まじりて咲ける つつじかな 山口青邨満天星に 隠りし母を いつ見むや 石田波郷
2013年04月13日

台所仕事をさして、隠語のように「おさんどん」と使うことがある。この場合の「どん」は、「おいどん」とか「でっちどん」とかと同じ接尾語で、「おさん」は台所で働く女性を指して使う場合と台所仕事全般を指す場合の二通りの意味で使われている。おさんの語源については、次のように諸説がある。1 炊飯を意味する「爨(さん)」が語源であるという説。2 大奥に存在した将軍家の子女や正室、御殿女中の居所の「御三の間」からきたという説。爨を辞典で調べると「窯」、「飯を炊く」、「かしぐ」、「食べ物を煮る」という意味の他に「炊事婦」という意味がある。※〔説文解字〕には「齊にて之れを炊爨と謂ふ」。〔詩経・小雅・楚茨〕に「「爨は、饔爨(肉を煮る)、稟爨(米を炊く)なり」とある。一部の人は、「おさんどんは三度三度の食事をつくることから転じて、台所仕事という意味で使われる言葉である。」と断定しているが、三度の飯に着想し「三度」に「お」と「ん」が付いて出来た言葉とするのは誤りではないだろうか。わが国に古くは三食の習慣は無く、二度が原則であり三度食べる食習慣は徳川家光のころからとされている。吉宗は養生のため、二食しか摂らなかったとも言われていることからも推量される。したがって、ここでは1の炊飯を意味する、「さん」に接頭語「お」と接尾語「どん」が付いたものと言うのが正解ではないだろうか。飯盒で炊飯することを「はんごうすいさん」と言い、爨の字は「飯盒炊爨」と言う言葉に使われている。炊爨は、「炊飯」と同義語である。 飯盒飯盒(はんごう)は、キャンプや登山など野外における調理に使用する携帯用調理器具である。主に、屋外での炊飯に使われる。「盒」の字は、合わせ蓋のついた容器を意味する。本来は兵士が野戦等の際に食料を入れて携行したり、食事の配給を受けるのに食器として用いたのが主な用途であり非常時には調理器具として用いられていた。日本では旧日本陸軍が野戦時の炊飯用として改良して利用したことで、野外炊飯用として定着している。単に飯盒と言えば、ソラマメ型をした兵式飯盒と呼ばれる型のものを言う。兵式飯盒の独特の形状はヨーロッパなど各国の軍用飯盒に見られる形で、旧日本陸軍から陸上自衛隊まで歴代採用されている。この形状が採用された理由としては、次のようなことが考えられる。携行する際にフィットして運びやすい(ウイスキーのフラスコも同型をしている。)。 フラスコ多数の飯盒で同時に炊飯するときに、重ねて連ねることで効率が良い。複数を運び易いなどである。標準的な飯盒は、4合炊きである。本体と蓋、中子がそれぞれ食器になり米の計量にも使用できる。中子が2合、蓋が3合を計れるようにできている。明治維新の後、徳川慶喜が自宅で飯盒での炊飯を楽しんだという記録があることから、洋式軍隊と共に導入されたものとされている。キャンプや小中学校の林間学校では、野外炊飯行事があるのでホームセンターやアウトドア用品を売る店で販売されている。現在の若い小中学校の教員は、「飯盒炊爨」とは言わず「飯盒炊飯」というようである。時代の流れとともに、「おさんどん」の語源が次第に分からなくなって行くのかも知れない。『落語こんにゃく問答』にも、おさんどんと言う言葉が出てくる。…。『ネズミとなって、食い破る』 「猫となって、汝をとる」『汝猫となれば、われおさんどんとなって、これをブチ殺す』「おさんどんになれば、権助となって、われ汝をくどく」『べらんめェ、お前ぇなんかにくどかれてたまるか…嬶ぁが化けて出ら!』「嬶ぁが出てきたか…。おおクワバラ、クワバラ、嬶ぁには勝てない…」
2013年04月12日

ヤマブキほろほろと 山吹散るか 滝の音 松尾芭蕉ヤマブキはバラ科の落葉低木で、地下茎によって繁殖し大群落をつくる場合がある。木の高さ1~2メートル、旧枝から出た短い枝の先に黄色で径3~4センチ雌蕊5本、雄蕊多数の5弁花を1個開く。山地に自生し、庭園にも栽培される。八重咲きのヤマブキは、蕊が花弁に変化したもので蕊を持たないため果実ができない。その他にキクの花のような花形のキクザキヤマブキ、黄色を帯びた白色のシロバナヤマブキなどの品種がある。丁度八重桜が咲きはじめる頃、山裾に群生するヤマブキが帯に連なって目に眩しいほどの黄色の花を一斉に開花する。芽吹きを始めたばかりの山の色に浮き上がって、心洗われる美しさである。「やまぶき」の名前は、山の中に生え花の色が蕗に似て美しいことからとか、しなやかな枝が風にゆれる様子から最初「山振」の字があてられ、それが「山吹」になったのだともいわれている。同じヤマブキと名前が付くものに、シロヤマブキがある。 シロヤマブキシロヤマブキの花弁は4枚で、バラ科シロヤマブキ属の落葉低木でヤマブキとは属が異なる。ヤマブキには「ヤマブキ属」のヤマブキと「シロヤマブキ属」のシロヤマブキの二種類がある。 八重ヤマブキ山吹と聞くと、誰でもが太田道灌と八重山吹の話を思い出す。一般的には、鷹狩りの時の話として知られているが、埼玉県越生町には道灌が父親を訪ねる途中との伝説が残っていて、町に山吹に纏(まつ)わる名前がある。《ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけた際俄雨にあって、みすぼらしい農家に駆け込み「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が黙って山吹の花の一枝を差し出した。道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行った。後でこのことを家臣に話すと、「後拾遺集に【七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき】という歌があります。その娘は貧しくて蓑ひとつさえないと言うことを、山吹の花で例えたのでしょう。」と教えられ歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。》豊島区の神田川に架かる面影橋近くに山吹の里の碑があり、1kmほど離れた新宿区の地下鉄早稲田駅の近くには山吹町の地名があって、山吹伝説の地とされている。太田道灌が俄雨にあったときの山吹に纏わる伝説は、越生や豊島区の他にも、新宿区早稲田、荒川区町屋、横浜市六浦など各地に伝わっている。はたして、この伝説は史実なのであろうか。湯浅常山著「常山紀談」(1739)・巻之一「太田持資歌道に志す事」が、この話のタネ元になっているとされる。この歌には詞書が付されていて、「小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき」とある。道灌が蓑を借用に寄る以前に、既に物語の筋が出来ていたと思われる。したがって、作り話の疑いが濃厚と言える。※『註』「漢詩名句辞典」(大修館書店 1980)p543-544 「太田道潅借蓑図」の解説として「後拾遺集 十九 雑部」に兼明親王の作として見えるが、第五句は「なきぞあやしき」となっているとあり。明治期に教科書で道灌の逸話として紹介されたものは全て「かなしき」と記述されている。江戸時代の流布本ではすでに「あやしき」が「かなしき」になっている。思うに、実が一つも出来ないのは「なぜなのだろうか、不思議だ。」を「悲しいことだ。」に変えたことで、山吹伝説がより一層真実らしくなったと言えるのではないだろうか。
2013年04月11日

初心者でも比較的栽培が容易で、冬に重宝する伝統的な野菜にサトイモがある。サトイモは、タロイモ類では最も北の地域まで栽培されていて、日本には縄文時代に伝わったとされる。山地に自生するヤマイモに対し、里で栽培されることからサトイモという名が付いたと言われる。粘土質で適度な保湿性のある土で、日当たりが良く温暖な場所が栽培に適している。日本では煮物の材料として、極めて一般的に利用される野菜である。サトイモの皮を除くにはイモを桶に入れ水を入れた後、板で左右に掻き回す。板で掻き回すことによって、サトイモがぶつかりあって皮が剥ける。この状態から、混雑状態を指して「芋の子を洗うよう」と使われる。里芋を洗うと手が痒くなるのは、皮下2ミリほどにある細胞にシュウ酸カルシウム結晶が多く含まれており、外力で簡単に壊れ針状結晶となって皮膚に刺さるためである。サトイモや蓮の葉はその微細構造と表面の化学的特性により、濡れることがない。葉の表面の水は表面張力によって丸まって水滴となり泥や、汚れを絡め取りながら転がり落ちる。この現象をロータス効果と言い、塗料、屋根材、布などの表面を同じ構造に加工することで人の生活に取り込み活用している。野菜栽培は、その植物の特質を理解して適切に対応することで失敗が少なくなる。種子には、休眠の性質があり、休眠中は発芽が抑制される。種子が成熟することによって自然に休眠する現象を一次休眠といい、種子が不利な環境条件におかれたとき、それに耐えるための休眠を二次休眠と呼ぶ。二次休眠の性質を持つレタス、ゴボウ、ホウレンソウなど数種の野菜では目覚めるのを待って種蒔きするか、休眠打破処理を行ってから蒔く。ホウレンソウの夏まき栽培では、種を一昼夜水に漬け水切りをして1~2mm発根させてから蒔く、「芽出し蒔き」を行う。野菜の種子とは異なる理由で、芽出しをして植え付けた方が一般的に収量の多くなる根菜類がある。生姜やウコン・里芋は暖地の植物のため植え付けた後茎葉が一度でも晩霜に会うと、根茎が腐ってしまう。そこでこれらは、植える前に萌芽させ降霜の心配が無くなってから植え付けるのが安全である。その他に、芽出しの利点として生育期間が長くなり収量が増加することが挙げられる。しかし、多少のリスクと栽培期間の短縮による収量減を気にしなければ、芽出しをしないまま植えてもよい。早い時期からそのまま植え付けても育てられるが、萌芽までかなりの日数がかかりしばしば芋が腐ることがある。その場合、所々が空いてしまいその分収穫が減ることになってしまう。芽出しをしてから、健全に発芽したイモを選んで植え付ければ成長期間が長くなり、また畑が歯抜けにならないことから収量が増加する。昨年10月に収穫し、庭の1メートルほどの穴で保存していたサトイモ約20キロを3月の彼岸に掘り出した。全く傷みも腐敗もしていなかった。親芋から分けた傷口に、赤い斑点や筋が見えるイモは乾腐病に感染しているので不適である。この20キロの中から、病気の無い形の良いイモ半分を種用に選んだ。里芋の芽出しには、ポットやトロ箱を使用するなど様々な方法があるが、私は用土を使わないでトロ箱にそのまま入れ、蓋をして暖かい所に放置するだけの省力方法で行う。こんな放任のままの方法でも、丁寧な芽出しのものと比べて遜色ない収量がある。今日、20日振りでトロ箱の蓋をとって覗いて見ると、大きい芽では早くも2センチを越えたものがある。4月末では未だ葉を展開するほどには成長しないが、連休前に畑に植え付ける予定である。葉が展開していない方が扱いやすいし、植え付けも簡単である。昨年は5月10日過ぎに晩霜があったが、イモの芽が土から顔を出していない方が寧ろ寒さの障害を受ける心配がないのである。近くの専業農家の人からは毎年、植え付けの時期が早すぎると言われるが毎年我が家の畑のイモの葉の方が生き生きとして大きく、収量も多い。
2013年04月10日

家の近くに公団の住宅群があり、植栽も極めて良好に管理がされている。春の日差しに誘われて、公団の植栽を見て歩いている内に、「うん?」の植物の名札に出会った。一面の花の中に、「ヘメロカリス」と書いた名札があるのだ。この花は、シャガである。シャガ(著莪、胡蝶花)は、アヤメ科アヤメ属の多年草である。人家近くの森林周辺の木陰などの、やや湿ったところに群生する。開花期は4~5月ごろで、白っぽい紫のアヤメに似た花をつける。この花の中を良く見ると遠目に、シャガの葉と間違えそうなヘメロカリスの細身の葉が見える。ヘメロカリスの花期は6~7月に懸けての初夏であるから、シャガの花が終われば、丁度名札が役に立つのだろう。ただ、良く花を知らない人はきっとこの時期シャガの花のことをヘメロカリスと間違えてしまうに違いない。シャガは花弁に濃い紫と黄色の模様があり、根茎は短く横に這って群落を形成する。草丈の高さは50~60センチほどになり、葉はつやのある緑色で左右から扁平になっている。シャガは、株の根本から左右どちらかに傾いて伸びて葉の片面だけを上に向けるので、その面が表面のようになり裏表が生じる。本州・四国・九州に分布しているが、すべて三倍体のため種子ができない。中国には二倍体もありヒガンバナと同じで中国から三倍体だけが持ち込まれ、栽培されていたものが野生化したものであろう。日本に存在する全てのシャガは、同一遺伝子を持っているという。自生しているものは、人為的に広がったと考えられる。人の関わりが少ない自然林内には、生えていることは少ない。植林のスギ林によく見られるのは、かつて人の住居があった場所の可能性がある。中国には二倍体の個体があるため花色、花径などに多様な変異があるという。近縁のヒメシャガはシャガよりずっと小さく、シャガより濃い紫色の4センチほどの花を一つの花茎に2~3個付ける。葉は小型で光沢がなく柔らかい。シャガと異なり、冬に地上部は枯れる。山道の側壁や、崖の岩盤上で生育している。シャガとよく似ているが、より小型で繊細である。国のレッドデータブックでは準絶滅危惧に指定されている。直径5cmほどの花を多数付け、光沢のある幅広の葉を持つシャガとの識別は容易である。シャガは、漢字で「射干」と書くことがある。しかし、「射干(やかん)」は本来ヒオウギアヤメ(檜扇)の名称である。江戸時代に、射干を正しくヒオウギとする書物のある一方、シャガの名前に用いられるなど混同されている。アヤメ属をあらわす「Iris」はギリシャ語の「虹」を意味し、Iris属の植物は花色の変化が多く美しいのでギリシャ神話の虹の精「Iris」の名が付けられたと言う。花言葉は「反抗」「抵抗」「決心」「私を認めて」「友人が多い」アイリスや 妻の悲しみ 国を問わず 楠本憲吉
2013年04月09日

ルナリアはヨーロッパ原産の宿根草で、日本には20世紀初頭に入ってきた。Luna-riaのLunaは月を意味し、この植物が付ける丸型の果実を月に見立てて付けた名前である。また、果実が薄く半透明で銀色に輝くので銀扇草、1901年に版画家の合田清がフランスから導入したので、持ち込んだ人の名前に由来して「ゴウダソウ」とも言う。茎や葉に軟毛があり、葉は大きく有柄で、不規則な鋸歯がある.花は直径約2センチの淡い紫紅色の総状花序で、4弁十字形のシンプルな花をしている。花弁に脈模様があって、花柄基部には軟毛がある。開花期は4月から初夏までで、花色は赤紫や白花があり、他のアブラナ科植物と同じ十字状の花が咲く。花壇に植えられる他、ドライフラワーとしての利用が多い。果実は円形で薄く草丈は60センチ~1メートルになる。花後に、円形の平たい莢をつける。果実は完全な円ではなく、莢の1カ所だけ尖っており豆の莢を押し潰したようにも見える。枝に丸い莢ができて中に実がつき小銭が入った財布のような感じから、「金のなる木」とも云われる。乾燥すると白くなり、揺らすとシャラシャラと澄んだ金属音がする。所によっては、大判草とも呼ばれる。莢の中には数個の平たい種が入っており、果実が熟して種がこぼれたあと薄い膜のような隔膜が茎に残る。隔膜はなめらかな光沢があって形がおもしろく、長期間そのままの状態なのでドライフラワーにすると風流である。ルナリアの名前はラテン語の「ルナ=月」から来ており、円形の果実を月に見立てたものである。二年性の草本で、花が咲くまでの育苗期間が長く暑さに弱いこともあってあまり普及していない。しかし、莢がついたドライフラワーは他に例を見ない面白い形の植物である。ドライフラワーにする場合は、莢が膨らんで薄い茶色に変わり始めた頃に、茎の下方から刈り取って雨の当たらない風通しの良いところで充分に乾燥させてから外皮を取り除く。種も一緒に採れるので、翌年まで保存しておいて適期にプランターに撒きつける。日当たりの良い場所を好むが、半日陰の場所でも育てることが可能である。暑さに弱く、25℃以上の環境で成長が止まる。夏は西日や直射日光を避けて、風通しが良く、涼しい場所で管理する。逆に耐寒性は強く、マイナス6℃程度まで耐えることができる。関東では、特に冬の防寒対策をする必要はない。鉢植えの場合は、土の表面が乾いたらたっぷり水を与える。春から夏にかけて気温の上昇とともに乾きやすくなるが、高温期は植物自体の生育が衰えて根の吸水力も弱くなるので、水を控えめにして過湿にならないように管理する。肥料は育苗中から花後まで月1回、1000倍に薄めた液肥を与える。夏の施肥は株が弱っているので与えない。水はけの良い用土で有れば、特に選ばない。鉢植えで鉢の底から根が出てくるようなら、根鉢を崩さないようにして一回り大きな鉢に植え替える。根を傷めると根付きにくいので、植え替えの際は丁寧に扱う。庭植えでは、植え替えの必要はない。種蒔きの適期は3~6月である。二年草なので、一年草に比べると育苗の期間が長くなる。ルナリアは根がまっすぐ伸びて細根が少ない直根のゴボウ根で、苗が大きくなってからの植え替えは難しい。一旦根を傷めると、新しい根が伸びないので枯れる場合が多い。プランターに直接蒔くか、ビニールポットに数粒ずつ蒔いて発芽させる。種には厚さ5mm程度を覆土する。ポットに蒔いた場合は、本葉が4~5枚に生長したら庭などに植え付ける。植え付けの適期は6月頃だが、苗が十分な大きさになっていない場合に植え付けると夏の暑さで根付く前に枯れてしまうこともあるので、9月になって涼しくなってから植え付ける。一定の大きさに生長した後、寒さに当たることで花芽分化がおこなわれるので、秋にタネをまいても、その年は花芽が形成されず花は咲かない。開花は、翌々年の春となる。※今年の1月6日のブログにアップした「越年草?」は、2年草のルナリアのことであった。今年は沢山の種が採取出来る予定です。栽培したい方には種をさしあげますのでご連絡をください。
2013年04月08日

ソメイヨシノがあっという間に通り過ぎて、バトンタッチを受けた庭のハナミズキがピンクの苞を開き始めた。ハナミズキはヤマボウシと同じミズキの仲間で、葉が萌出する前に花が目立つことから付けられた名前である。別名でアメリカヤマボウシとも呼ばれるが、近縁種の日本のヤマボウシの花に似ていることから、これを区別するために付けられた名前でアメリカのヤマボウシの意味である。アメリカハナミズキと呼ぶ人があるが、元々アメリカの樹であるハナミズキにアメリカの名を冠する呼び方はない。葉裏は白色を帯びていて、秋には美しく紅葉する。4月中旬頃、小枝の先に頭状花序をつくり黄緑色で小さな4弁花を集めて開く。花序の基部に花弁状の大きな総包片が4枚あり、卵形で長さ4~5センチ先はハート形にへこんでいる。果実は枝先に数個つき、楕円形で長さは約1.2センチほどで、先端に宿存萼があり10月ころ深紅色に熟す。ヤマボウシのような、集合果にはならない。前年の秋には、擬宝珠のような蕾が新梢の先に出る。1912年(明治45)、当時の東京市長尾崎行雄がサクラの苗木をワシントン市に寄贈し、その返礼として1915年(大正4)に贈られたことによって日本へ初めて導入されたことは有名である。園芸品種には、苞が淡紅色から濃紅色までのベニバナハナミズキ、果実が黄熟するキミノハナミズキ、苞が6~8枚あるヤエハナミズキ、葉に斑が入るキフハナミズキなどがある。英語ではdogwoodと呼ばれ、バージニア州の州花になっている。dogwoodの語源は17世紀頃に樹皮の煮出し汁が犬の皮膚病治療に使用されたことによるとも、木製の串(dag.dog)の材料に使われたことからとも言われる。しかし、犬の皮膚病治療に使ったとされるdogwoodは、ハナミズキとは異なり同じミズキ科の植物でセイヨウサンシュユであったという記録もある。近縁のヤマボウシは遅れて6月頃に苞を開く。淡黄色で小さい花が多数球状に集合し、その外側に大形白色の総包片が4枚あって花弁のように見える。苞の先端がハナミズキと異なり、ハート形ではなく尖っていることで区別できる。ハナミズキは多くの人に愛される樹で、ヤマボウシより認知度が高い。そのため、自治体の樹に指定され、歌にも歌われている。槇原敬之のアルバム「PHARMACY」の8曲目に「花水木」が収録されていて、「♪花水木の通りの終わり」の詞が2回出てくる。一青窈が自ら作詞して歌った「ハナミズキ」では後段に、「♪母の日になれば ミズキの葉 贈って下さい」の歌詞が出てくる。ミズキはハナミズキと同じ科だが、車軸のように枝を広げ樹高8メートルにもなる別名クルマミズキ(車水木)とも呼ばれる、ハナミズキとは全く異なる樹のことである。この木は葉が萌出した後、新梢の先に真っ白になるほどの多数の白色4弁の小花を、上を向いてつける。早春に芽をふく時、地中から多量の水を吸い上げることから付いた名前である。若し一青窈が語呂の関係で、ハナミズキのハナを略してしまったと言うなら、ミズキと言う異なった樹が現存するのだから意図しないで途中から違った樹のことを歌ってしまったことになる。 一つづつ 花の夜明けの 花みづき 加藤楸邨
2013年04月07日

タンポポは、キク科タンポポ属の多年草である。子供の頃、何処にでも生えているタンポポの茎をとって、笛のように鳴らした経験のある人も多いと思われる。「倭名類聚抄」(931年~938年)では、タンポポに「多奈、太奈」という和名をあてている。タナは田菜でタンポポの名は、タナがタンに転じてそれに花後種子の綿毛がほほける意味の「ホホ」が付いてさらにポポとなったとする見方がある(大言海)。柳田国男や中村浩(微生物学者)は、花茎を短く切り両端を裂いて水に浸けたとき、両端が反り返ってできる鼓の形からツヅミグサと言われ、そこから鼓の音が連想されてタンポンポンとなりさらにタンポポの名になったとする説を唱えている。拓本を採るときに墨をつけて叩く道具をタンポと言い、綿などを布で包んでボール状にして縛ってある部分を持ちやすいように柄を付ける。タンポの内部に砥石の粉末を含ませて、日本刀の刀身を拭うものもタンポと呼ぶ。棒の先にタンポをつけた「たんぽ槍」といわれる槍術稽古用の槍がある。このタンポが、種子を飛ばした後のタンポポの花頭に誠に良く似ている。タンポの語源がタンポポに由来するとする説は無いが、そんな説があってもなるほどと納得してしまいそうである。タンポポの多くは、ユーラシア大陸に生育している。タンポポ属の分類は非常に複雑で、学説によって60種からそれ以上に分類される。英語のdandelionは、フランス語で「ライオンの歯」を意味するdent de lionに由来し、これはギザギザした葉からライオンの牙を連想し付けられたものと言う。多くの種では黄色い花を咲かせ、綿毛のついた種子を作る。生命力が非常に強く、コンクリートやアスファルトの隙間からも生えることがある。50センチ以上もの長いゴボウ根を持ち、成長点が地面近くにあるロゼットの生育型で茎が短く葉が水平に広がっている。このため、表面の花や茎を刈っても容易に再生する。頻繁に草刈りが行われるような草地で、他の植物が絶えてしまうような厳しい環境でも生き残っていることが多い。江戸時代には園芸植物であり、数十種の園芸品種があったと言う。頭花の形態が地域で異なっており、近畿地方から北九州では「カンサイタンポポ」、静岡県では「トウカイタンポポ」、甲信越地方で「シナノタンポポ」、関東では「カントウタンポポ」とよばれる。現在わが国に繁殖しているものには在来種と、近年海外から持ち込まれた外来種がある。在来種は外来種に比べ、開花時期が春に限られ種も少ない。春期以外に見られるタンポポは殆どがセイヨウタンポポである。都市化の進行によって在来種が減少し、逆に帰化種のセイヨウタンポポが進出しつつあり環境指標植物として注目されている。普通種は黄色の花を咲かせるが、白色の頭花をつける「シロバナタンポポ」がある。人里に生え、関西地方から沖縄、中国、四国、九州地方に多い。五倍体(2n=40)で、全体に黄色花のタンポポより大形になる。タンポポは朝花が開き、夕方には閉じる。キク科植物に共通する舌状花と呼ばれる小さな花が円盤状に集まり、舌状花1つに対して5つの花弁をつけて一つの花のように見える。花期に総苞片が反り返っているのが外来種で、反り返っていないのが在来種である。在来種とは総苞の大きさや形で区別できる。しかし交雑が起きた結果、単純に外見から判断できない個体も存在するようになってきた。タンポポは生薬名を「蒲公英根」といい、葉に含まれる成分にはC型肺炎ウイルスを抑制する効果があるといわれ、また根には健胃・利尿・催乳などの効果があるとされる。根を掘り上げて良く洗って乾燥させたものをコーヒーの代用として飲用にする。じっくり焙煎して風味を出す。コーヒー同様にドリップするか煎じて飲む。セイヨウタンポポの葉は古くからヨーロッパや中東で食用に供されており、多少の苦味があるがサラダにされる。米国では、花弁をタンポポワインの原料として用いているという。たんぽぽ たんぽぽ砂浜に 春が目を開く 荻原井泉水蒲公英に 描きそへたる 土筆哉 正岡子規
2013年04月06日

カナメモチは、バラ科の常緑小高木で、オオカナメモチ、ベニカナメモチなどの仲間がある。カナメモチの別名として、かなめがし、かなめのき、あかめもち、あかめのきがあり、また花序がソバに似るためそばのきともいわれる。本州中部以南の暖地の照葉樹林に自生する低木である。樹高は3~5mで、葉は互生する。5月ごろ枝先に径約10cmの半球状の房状花序を出し、小さな白色の五弁花を多数つける。果実は球状で熟すると紅色になる。若芽の美しさから、生垣によく用いられた。幹は硬く、器具の柄として利用される。カナメモチという名称は、この木が扇の要に用いられ黐(モチノキ)に似ているため、「要」にする「黐」が由来とされる。オオカナメモチは中国・台湾から東南アジアに分布する。わが国では各所に点在して分布するとされるが、本土のものは栽培個体の逸出だと思われる。南西諸島で自生が確認されたのは徳之島のみとされている。中国では、墓の樹として利用されており、花には強い芳香がある。40年ほど前には、若葉の色が美しい紅色のベニカナメモチが生け垣として流行したことがある。しかし、発根が劣るため移植後の活着率が低い上に、病気が伝播したこともあって次第に廃れてしまった。近年になって若葉の葉色が鮮やかな美しい紅色で、発根性の良い品種「レッドロビン」が開発され、葉が密生して美しいので目隠しのための生け垣や、路側帯に植栽されるようになった。 レッドロビンの垣根レッドロビンは、カナメモチとオオカナメモチの交配によって作出された品種である。そのため親木の形質を受け継いでベニカナメモチより葉が大きく、枝形が暴れる傾向がある。レッドロビンは乾燥に強く、長期間の旱魃にも耐える丈夫な種である。カナメモチとよく似ているが、カナメモチの葉柄には鋸歯の痕跡が茶色の点として残っており、レッドロビンにはそれが無いことで区別できる。レッドロビンは春先に鮮紅色の葉をだすが、次第に色が薄れ夏に向けて緑色となる。若葉の頃の紅色は、アントシアニン色素によるものである。他の落葉樹が秋に紅葉するのにレッドロビンは逆で、春に紅葉する。ベニカナメモチより新芽の赤が濃く葉は大きくて柔らかく、また葉の縁にある鋸歯の切れ込みは目立たない。レッドロビンと同じように、若葉が赤くてやがて緑葉となって冬には落葉するものに、イロハモミジ系の「出猩々」、「紅舞妓」、「新出猩々」がある。芽吹きは濃い赤色で、葉が展開すると明るい赤色になる。夏場に向けて徐々に葉色は黄緑色に変化する。晩秋には、再び濃い赤橙色~赤紅色に紅葉して落葉する。 野村猩々の若葉トウダイグサ科の落葉高木に、若葉が鮮紅色で葉が柏のように大きくなるアカメガシワがある。日本では落葉高木だが、本来は熱帯地方の常緑植物であるのに、温帯でも生きるために落葉する方法を採ったものであろう。アカメガシワもレッドロビン、モミジと同じで若葉は鮮やかな紅色をしているが次第に緑葉に変化し晩秋には落葉する。 アカメガシワの若芽アカメガシワは漢方に使用され生薬名を将軍木皮と言い、中国では野梧桐と呼ばれる。樹皮は日本薬局方に記載されている生薬で、これを煎じたものは胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃酸過多症に効果があるとされる。食べたことは無いが若葉は食用となり、和え物やおひたしとすると言う。50年も前東京から持って帰って実家の庭に植えたが、無数にシュートを出して繁殖力が強烈なため管理に手を焼いてついに抜いてしまったようだ。このように、植物界には大方の樹木と逆に春に赤い葉を出してやがて緑葉になるものや、二度もお色直しをする樹木もあって誠に興味深い。
2013年04月05日

日本全国に駒ケ岳と名前の付く山は20を数えるが、その中で最も標高が低いのは福井県小浜市の若狭駒ヶ岳(近江駒ヶ岳)で、標高は780mである。逆に一番高い山は、南アルプスの甲斐駒ヶ岳で標高は2,967mであり、2,956mの中央アルプス木曾駒ケ岳とは殆ど標高が同じである。日本国内に数多くある駒ケ岳には、通称をそれぞれ東・西・南・北で呼ばれる駒ケ岳がある。「東駒ケ岳」は甲斐駒ケ岳のことで、「西駒ケ岳」とは木曾駒ケ岳の別称であり、高さからも知名度からもまさに東西の双璧とも言うべき「山横綱」を並べて呼んだものであろう。「南駒ケ岳」は木曽山脈の主稜線上にあり、こちらには別称は無い。北駒ケ岳の通称は前駒ケ岳と言われ、立山連峰の北端に位置している。雪解けとともに山の岩肌と残雪によって現れる模様を、何かの形に擬(なぞら)えた名前のことを「雪形」と言う。雪形が、山の名前となっている例も多い。昔から、農事暦として春の農作業開始の目安に用いられることが多かった。かつては、それぞれ固有の呼び名で呼ばれているだけであったが、昭和の時代に「雪形」という語が定着し一般に認知されるようになった。雪形には、山腹に積もった雪が何かの形に見える場合と、積雪が溶けて岩肌が露出して形が現れる場合の二つがある。前者をポジ形、後者をネガ形と言っている。多くの駒ケ岳の名称は山自体が馬の形をしている、または雪形に馬の姿が現れることなどから山の名として付けられているものが多い。また、玩具の「独楽」の形に似ているから付いたという説の山もある。駒ケ岳の「駒」は馬のことで、小馬あるいは二歳馬を指して言われ馬と同義語である。木曾駒ケ岳には、雪が融けてきた5月頃から中岳に右下を向いた馬が、前岳には稗蒔爺が現れる。どちらもネガ形である。 4月1日 頂上に白く輝く☆形が甲斐駒山頂に現れる星形は、ポジ形の「白い星」である。この雪形は5月下旬頃まで見る事が出来る。晩春には、山頂左側に騎馬武者が現れると言うが、言われて見ても「そうかなあ ?」ていどのネガ雪形である。昔から住んでいる人にも、良く知られていない。南駒ヶ岳擂鉢窪カールの稜線付近には、雪の融けた岩肌が点々と5つ並んで見える。これを、五人坊主という。北アルプス立山連峰の北端に位置する北駒ケ岳(標高1,914m)の頂上直下には、ハッキリとした右向きの馬姿が現れ、山の名前の由来になったとされる。甲斐駒ヶ岳は、急峻な山で独立峰のように佇立する日本アルプス屈指の名峰であり、日本百名山、新日本百名山、新・花の百名山、山梨百名山、日本百景に選定されている。山荘は麓からこの山を見上げる場所にあり日々、刻々と変化する山の景色は日がな一日眺めていて飽きることが無い。梅の花が残る山里に、實相寺の神代桜が満開となり、いよいよ自分流新たな雪形探しの季節到来である。
2013年04月04日

くちづけて 連翹あまき 露のたま 蛇笏モクセイ科は、双子葉植物に属する科の総称である。木本で、蔓性のものもある。花弁は、モクセイ・ジャスミン・ライラックなどのように芳香を放つものが多い。ほとんどの花弁では合着し、4裂する。多くは庭や公園に利用され香りは香料として、オリーブの実は食用に利用される。モクセイ属は、雌雄異株である。花は小型で、葉腋に束生または短い総状花序をつける。秋に開花し香気を持つものが多い。この仲間に、春先に濃い黄色の花を咲かせるレンギョウがある。レンギョウ属には11種が知られている。江戸時代前期に植栽の記録があるので、その頃中国から渡来したと言う説がある。和名のレンギョウが日本に伝来した際、漢名の別の植物の「連翹」を間違えて音読みしたものである。連翹の「連」は、枝に果実が並んで付いている様子から、「翹」は枝が立ち上がって雉が尾羽を広げている様に似ていることから付いた名前である。原産地の中国で、連翹と呼ばれていたトモエソウ(大連翹)やオトギリソウ(小連翹)の実を日本で、レンギョウの実と間違えたことが漢字和名の由来である。レンギョウの実が、中国の連翹の実と誤って売られるようになったことで、連翹がレンギョウの名前とされるようになった。韓国語でレンギョウをケナリと呼ぶが、花色が鳥のカナリヤを想像させる所から付いたものと言う。雌雄異株であるが、ほとんどは挿し木・取り木などの栄養繁殖であるため、雄木が多く滅多に果実を見ることは無い。繁殖力が旺盛で、よく繁る。樹高は1~3mに育ち、枝が下に垂れて地面に触れるとそこから根を出し新しい株になる。枝は竹のような節を持つことから、レンギョウウツギ(連翹空木)という別名も付けられた。黄色い4弁の花が特徴的で、中国・朝鮮半島・ヨーロッパ各地で植栽され春の到来とともに咲く花として親しまれている。わが国で一般的に植栽されているのは、レンギョウ、シナレンギョウ、チョウセンレンギョウである。耐寒性と耐暑性に優れているため、日本全国に分布している。大気汚染や病虫害にも強く、どんな土壌でもよく育つことから、庭木、公園の植え込み、垣根に用いられることが多い。チョウセンレンギョウは、シナレンギョウに比べて花が大きく、花色も濃い。葉の出る前に、花が咲くため見栄えがする。レンギョウまたはシナレンギョウの果実は、日本薬局方で「連翹」と呼ばれ解熱剤、消炎剤、利尿剤として用いられるほか排膿、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いられる。強い抗菌作用がある。熟した果実を蒸気に通してから、天日で乾燥し用いる。4月2日は高村光太郎の命日に当たり、彼が生前好んだ花がレンギョウであった。告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことに由来して、この日が「連翹忌」と呼ばれる。光太郎が晩年を過ごした岩手県花巻市は、標高は100メートル程度であるが北上川の川沿いに位置するため、冬季の気温は放射冷却によって零下15度位になると言う。冬季の気温は丁度北杜市と同じ程度で、春の来るのも遅いと思われる。白州町にある山荘の垣根のレンギョウが、連翹忌に合わせるように4月に入って今年も見事に開花した。
2013年04月03日
作詞五十野惇、作曲早川史郎の童謡とされるものに、「つくしだれのこ すぎなのこ」がある。これがはたして童謡と言えるのか、一番はこの一行だけである。二番は、「つくし春です 遊ぼうよ」のみである。それでも、一番については子供のころ土手でつくしを摘みながら口ずさんだことを覚えている。春がめぐって来たのを一番早く知らせる鳥は春告げ鳥の別名があるウグイスで、花では福寿草である。木に咲く花では梅であろう。桜が咲く頃に地上に芽を出し、春が来たと知らせる毎年のニュースにもなるものにつくしがある。つくしは、姿のかわいらしさから万人に愛されている。春の風物詩として春の野原の情景には、必ずと言って良いほど描かれる。歌にもあるように、つくしはスギナの胞子茎である。山荘の辺りは、凍土が融けた今まさに春爛漫。梅・桜・杏・連翹・桃・ミツバツツジなど一斉に花を開いた。我が家の菜園も、雑草が芽吹いて緑一色となった。その雑草に混じって、あちらこちらに土筆が頭を出し始めた。つくしは、その姿からは親の形を全く想像することは出来ない。これは、茗荷も同じである。つくしの親のスギナは、シダ植物で日本に生育するトクサ類の内では最も小さい植物である。地下茎を伸ばして何処にでも生え、特に畑に侵入すると防除が困難となるので嫌われ者の雑草である。土筆は春、桜の開花と同じ頃に頭を出し胞子を放出する。土から出てきた胞子茎は、伸びきる前は先端まで「袴」に覆われており、その形状が「筆」に似ていることから「土筆」という字を当てられるようになったものと考えられている。つくしの名前の語源は、スギナについて出てくることから「付く子」、あるいは袴の所で継いでいる様に見える事から、「継ぐ子」がつくしになったとする説がある。つくしは、別名「つくしんぼ、つくしんぼう」とも呼ばれている。通人には、春の山菜として親しまれている。袴を取って茹でてアクを抜き、出汁で軟らかく煮たり佃煮にしたり、卵とじにして食用とする。春に催される茶事では、つくしのお吸い物が珍重される。多くの通人と言われる人に食べられるが、つくしにはアルカロイドのアノイリナーゼや無機ケイ素などが含まれるため多量の摂取は避けた方が良い。30年も前、家族で伊豆の長岡に遊んだことがある。韮山反射炉の近くの溜め池の土手で、一抱えものつくしを摘んで帰った。それをさっと茹でた後、油を引いたフライパンで炒めて醤油で味を付けて酒の肴にして一人で食べたことがある。3日後あたりから、右足が浮腫んで膝が重くなり歩行が困難になったのだが、つくしのアルカロイドのせいではないかと今も思っている。アノイリナーゼは、ビタミンB1を破壊する酵素で脚気などを引き起こすことがある。この酵素はワラビ、ぜんまい、コイ、フナなどの淡水魚の内臓やはまぐりなどにも含まれている。加熱すれば、この酵素は失活する。つくしの成長後に、全く外見の異なるスギナと呼ばれる栄養茎を伸ばす。栄養茎は茎と葉からなり光合成を行う。鮮やかな緑色で丈は10~40cmで、主軸の節ごとに関節のある緑色の棒状の葉を輪状に出す。スギナを乾燥させたものは、生薬名を問荊(もんけい)といい利尿剤として利用される。近年、民間療法でスギナが花粉症に効くとの説があるが、科学的に立証されているわけではなく民間療法の域を出ていない。どこででも採取可能な植物の民間伝聞薬は、自らが注意しないといけない。 田鼠の穴からぬつと土筆かな 小林一茶
2013年04月02日
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