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ツルレイシ(蔓茘枝)は、果実を野菜として利用するウリ科の植物である。一般的にはニガウリ、ゴーヤなどとも呼ばれる。イボに覆われた果実の外観と、完熟するとタネを包んだ仮種皮が甘くなるところが、ムクロジ科のレイシ(ライチ)に似ていることから付いた名前である。名前の元になったライチは、常緑高木で、夏に丸いピンポン玉ほどの赤く1cmほどの柔らかい蕀に覆われた果実を付け、果皮の下に白色半透明で多汁の果肉があり、その中に大きい種子が1個ある。上品な甘さと香りから中国では古代より珍重され、楊貴妃が華南から都長安まで早馬で運ばせた話が有名である。こちらの果実は苦味を有していない。沖縄本島では一般的にゴーヤーと呼ばれており、沖縄料理ブームの影響により今ではゴーヤー、ゴーヤと呼ばれることが多い。ゴーヤーを用いた料理に有名な「ゴーヤーチャンプルー」があり、ご当地キャラクターには「ゴーヤーマン」がある。中国語では苦瓜(クーグア)や涼瓜(リァングア)といって、食用にするだけでなく焙煎してお茶として飲用される。英語ではbitter melonで文字通り苦い瓜と言い表わしている。現代では幾つかの栽培品種が存在し、品種によって苦味の強さにも差がある。主に九州で栽培されてきた細長い品種は苦味が強く、沖縄地域で栽培されてきた太いものは苦味が少ない。 白色ゴーヤー良く網や紐に巻きつく一年生草本で、成長すると長さ4~5mになる。葉は薄いヤツデの葉状をしているので、近年の夏の日よけ対策にアサガオと並んで用いられる植物となった。果実は細長い紡錘形で長さ20~50cm、果皮は無数の細かい突起で覆われ、両端は尖り濃い緑色であるが熟すと黄変軟化し自然に裂開する。収穫後に、放置されると同じ状態となる。種子を包むワタは深紅のゼリー状となり、熟す前の苦さからは想像できないほどの甘味を呈する。1990年までは沖縄本島産のものは、ウリ類の害虫「ウリミバエ」の拡散防止のため県外への持ち出し禁止となっていた。不妊虫放飼によってウリミバエが根絶され、県外への出荷が可能になり生産量は沖縄県が3割を占めるようになった。比較的病害虫に強く、日照と気温と十分な水さえあれば、肥料や農薬はほとんどなくても収穫が得られる。エコブームと政府も栽培を奨励したこともあって、2010年ころから緑のカーテンと呼ばれ日除けの目的で栽培されることが多くなった。目的がグリーンカーテンの場合、副産物としてアサガオは花を見るだけであるが、ゴーヤーはその果実が野菜として利用できる。ゴーヤーの果実には、ビタミンCなど水溶性ビタミンを多く含むことや、健胃効果もある苦味タンパク質を含んでいるため、体を冷やす健康野菜・ダイエット食品として持て囃されて日本全国で栽培されるようになった。苦みの成分には、活性酸素の生成を抑制する抗酸化物質も含まれている。ニガウリの種子にはインスリンと同様の働きをするインスリン様物質が含まれていて、動物実験では、糖尿病改善効果が認められたとする報告がある他、白血病や乳がんに対して抗がん作用が確認されたとしている。ただし、マラリヤ特効薬のキニーネ成分も含まれている事から、消化器系疾患のある幼児、老人および妊娠中の妊婦は多量摂取を避けた方が良いとされている。また糖尿病薬を処方されている人は、血糖値降下作用を倍加させる可能性があるので注意が必要とされている。
2013年07月31日

♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな 竹久夢二正しくはマツヨイグサ(待宵草)といい、ツキミソウ(月見草)などと同種の群生して可憐な花を咲かせる植物のことである。夕刻に開花して翌朝には萎んでしまうこの花の儚さを、妻子ありながら千葉の海岸で恋した女性との一夜の恋に譬えたものである。竹久夢二の誤記と結論付けている人もあるが、彼の自筆ではきちんと「待宵草」となっているのに、同じ出版社の4版までの楽譜の表紙が「待宵草」、5版以降からは「宵待草」になっている。誤記ではなく、ある時期に敢て夢二自身が言葉の響きの美しさから宵待草に替えたというのが真実であろう。マツヨイグサ属には120を超える種があるが、全てアメリカ原産の植物である。日本で見られる野生のものは全て帰化植物あるいは、園芸植物が逸出したものである。パイオニア植物といわれるもので自然状態では河原、砂浜、山のガレ場や、山火事の跡など荒地などに生えるほか、線路や路肩、耕作放棄された畑や休耕田などに普通に生え、他の植物が成長してくると姿を消す。マツヨイグサ属は自然界で容易に種間交雑し、加えて人為的に交配して得られた品種も固定されるので種数が極めて多いのが特徴である。1840年代の嘉永年間に観賞用として移入されたものが逸出し、昭和30年代になるとオオマツヨイグサとともに空き地などで大群落を形成した。しかし近年は同属のメマツヨイグサの進出により、目にする機会が大幅に減った。日本にある種の全ては秋に芽生えてロゼットで冬を越し、初夏から晩秋にかけての長期間花を咲かせ秋に種を落とした後、冬には枯れる越年草であるが、原産地では根茎を有する多年生のものもある。高山に生えるチャボツキミソウでは高さ10cm程度だが、低地のオオマツヨイグサでは2mを超える草丈にまで成長するものがある。花軸に対して螺旋形に葉が付き、鋸歯を持つかまたは深く裂ける。多くの種はハート型をした黄色の四弁花を持ち、雌蕊の先端が4割する特徴がある。一日花であり、ほとんどの種が夕刻に開花し翌朝に萎むことから、「月見草」や「待宵草」の名の由来となったものである。ハスや月見草の開花に際して、「ポッ」という小さな破裂音がする。」とまことしやかに言われることがあるが、開花は音もなく静かに始まる。マツヨイグサはオオマツヨイグサと同じ環境に自生するので紛らわしいが、オオマツヨイグサに較べ丈が低く、葉が細い上に花径が4cm、8cmと倍の違いがあることから区別できる。マツヨイグサやコマツヨイグサは花が萎むと赤変するが、オオマツヨイグサやメマツヨイグサはそれほど赤くはならない。黄花を咲かせる系統は「マツヨイグサ」(待宵草)、白花を咲かせる系統は「ツキミソウ」(月見草)と呼び、赤花を咲かせる系統は「ユウゲショウ」(夕化粧)などと呼んで区別する場合があるが一般には区別されず、どれもツキミソウと呼ばれる。しかし黄花以外は、園芸植物として栽培されているものがほとんどで、マツヨイグサとは呼ばれない。基本的に虫媒花だが自家受粉を行う種や、閉鎖花を咲かせる種などがある。若い根茎には胡椒のような風味があり、また新芽はサラダやおひたしに、花を天ぷらにして食べる人がある。しかし、胃腸の不快感と吐き気が時々起こることが報告されている。全草を煎じて服用すれば喘息の鎮咳や、胃腸障害に対する鎮静効果があるとされているが、臨床試験ではその有効性が証明されていない。漢方では「山芝麻」といい、同様の薬効で生薬とされる。太宰治の小説富嶽百景(1943年)には、月見草が次のように描写されている。…月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播いてやつて、「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである…。三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。…『註』富士山標高は3,776mここでいう月見草は、オオマツヨイグサのことではないかと言われている。
2013年07月30日

昨年末事故があった下りの笹子トンネルを抜けると甲府盆地に入る。盆地は韮崎インターまで広がっている。山荘は、甲府盆地の外れの長野県境に近い場所にあって、今年日本一の高温を記録した勝沼や一宮と比較して400mも標高が高い分格段に涼しい。しかし一方では、例年降雨が極端に少ない。笹子トンネルまで雨が降っていても、トンネルを抜けると晴れていることが多い。昨年も日照りで、作物や植木に枯死する被害が出た。山梨全県に雷雨注意報は毎日出るのだが、今年も梅雨明けからほとんど降雨が無かった。昨日は、4時30分ころから青空が見え日が射しているところもあるのに、突然の雷雨が約15分続いた。この雨で、若しやと思いながら待っていると期待に違わず雨が小降りになるころ、見事な半円を描いて二重の虹があらわれた。虹は雨が止んだ直後、あるいはまだ雨が止んでいない時でも日射があれば太陽と逆の方向に現れる。太陽高度が高い日中の虹は低く、太陽高度が低い朝や夕方には大きくきれいな虹を見ることができる。一般に虹の色は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色と言われているが、アメリカやイギリスでは、赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色。ドイツでは赤、黄、緑、青、紫の5色と認識されている。日本で7色が一般的となったのは、「ニュートンの虹の研究」について学校教育で教えたことによるものである。現実には、虹の色と色の間は無限に変化しているのだが、当時7は神聖な数と考えられていたためニュートンは、虹が7つの基本の色からできているとしたものである。日本では古くは五色、沖縄地方では二色とされていたという。主虹あるいは1次の虹と呼ばれるはっきりとした虹の外側に、副虹または2次の虹と呼ばれるうっすらとした虹が見られることがある。主虹は、赤が一番外側で紫が内側という構造をとるが、副虹は逆に、赤が内側、紫が外側となる。副虹は、太陽・プリズムとなる水滴・見る人の角度が51~53度となる位置に見られるという。簡単に虹を再現するには、太陽を背にしてホースの水を霧状にして40~42度の角度で散水すれば簡単に再現することができ、しばしば滝壺にも見ることができる。飛行機周辺の空気が水蒸気を多く含んでいる場合には、眼下に360度円環状の虹色がしばしば見られる。高山でも、眼下に虹が見えることがある。これは光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒により光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れるブロッケン現象と呼ばれるもので、通常の虹やホースの水による虹とは原理が異なる虹を境にして空の明るさが異なる。これは主虹の内側と副虹の外側からは観察者に向かって僅かな反射光が入ってくるのだが、その間の部分からは反射光が全く入ってこないためで、この部分だけ本来の空の色が見えていることになる。画像で明らかなように、主虹円弧の下側と上側では空の明るさがことなる。今回の虹には、副虹も過剰虹も見られた。
2013年07月29日

10年周期で大発生すると言われるマイマイガの異常発生が、今年は全国各地で報告されている。マイマイガは夏から秋に、大きさ5cm程の黄褐色のマユ状の卵塊を産む。卵は比較的低いところに生むが、窓の溝や建物の基礎など目に見えにくいところにも生みつけるので、卵塊の駆除を行うときは注意が必要である。卵は削り落としても、落とした卵塊から幼虫がふ化するので焼却などにより完全に駆除することが必要である。取り除く際には、鱗毛が舞い上がり、吸い込んだり目に入ったりするのでマスクやゴーグルを着用した方がよい。鱗毛の舞い上がりを避けるためには、ガムテープなどの粘着テープで卵を剥ぎ取るのも一つの方法である。この場合一度で取りきれないので、何回か繰り返す必要がある。卵が付着したガムテープなどは、焼却処分する。マイマイガの大発生は、人には無害のウィルスの感染によって数年で収まることが確認されている。 ふ化して間もない体長1cm以下の幼虫には、毒毛があり直接触れるとかゆみや発疹ができるので注意が必要である。体長1cm以上に成長した幼虫に毒毛は無くなるが、直接皮膚に触れると毛が刺さることがあるので駆除にはゴム手袋やワリバシなどを用いる。庭木の被害を防ぐには、成虫を照明などで誘引しないことである。消灯も効果的で、ナトリウム灯やLED灯などの誘虫性の低い光源に交換することも効果がある。マイマイガの成虫は水銀灯や白い外壁を好み、その付近に卵を産み付ける。成虫は7月下旬~8月に発生し、照明に飛来するピークは8月上中旬で雌の成虫は一晩で平均約200m、最大750mも飛翔移動するとする報告がある。(北海道立総合研究機構林業試験場)幼虫は針葉樹、広葉樹、草本の葉を食い尽くすことで知られていて食害被害を受ける樹木は、300種以上に及ぶといわれている。成虫幼虫とも基本的に単独性であり、大発生などで密集せざるをえない場合を除き集団化しない。幼虫は夜行性であり、主に昼は葉の裏でじっとしている。成長とともに、樹木の根元付近や樹皮の裂け目に潜んで夕片に樹の上部に登り、葉を食害する。山荘が山に隣接しているため、街灯を点けると多くの蛾や甲虫の類が電灯の明かりに飛来する。マイマイガやその他の蛾の類を誘引しないため、消極的対処として家の外灯の電球をLEDに交換し可能な限り点灯しないようにしている。しかし昨年秋には、家周りにかなりの数の卵塊を産み付けられ駆除したにも関わらず、7月初めに幼虫が大発生してしまった。被害を受けた樹木は、槲(かしわ)・椚(くぬぎ)・ヤマボウシ・ニシキギ・ボケ・ハマナスであった。無数の幼虫を発見してスミチオンを散布した結果、現在では幼虫の姿は見えなくなり枝だけになってしまった被害樹木は、幸い再び新芽を伸ばし始めている。
2013年07月26日

7月初めに北海道を訪問した。札幌駅北口では、花壇に植えられたハマナス(浜茄子、浜梨、玫瑰)の花を見た。ハマナスは、バラ科の1mほどの落葉低木で、5月の晩春から夏に赤色の花を咲かせる。森重久弥の作詞・作曲した「知床旅情」の歌詞から、多くの人がこの花の名前を知るようになった。桜の花と異なり実際には3か月もの間咲く花なので、「…ハマナスの花が咲くころ、思い出しておくれ…。」の歌詞では内容がボケてしまう。根は染料などに、花はお茶などに、果実はローズヒップといって食用にされる。日本では北海道に多く、南限は茨城県と鳥取県を結んだ地域まで分布していて、鳥取砂丘へのリフトの下には沢山植えられている。主に、海岸の砂地が自生地である。自生の野生種は少なくなり、品種改良されたものが育てられている。果実は、親指ほどの大きさで珊瑚色をしており、微かな甘みと酸味がある。香りはほとんどしない。果実にはビタミンCが豊富に含まれ、これをお茶として利用したり、のど飴などに配合することもある。「玫瑰茶(ハマナス)」は、花の蕾を乾燥させた中国茶である。海岸の砂地に多く自生し、果実の形が梨に似ていることから「ハマナシ」という名が付けられ、それが転化してハマナスになったものであり「浜茄子」の意味ではない。春から夏にかけてアブラムシが発生し、新芽から吸汁し木を弱らせるので殺虫剤で駆除する。開花すると、コガネムシの仲間のハナムグリ(花潜)やハナバチ類が飛来し、盛んに盗蜜をし花弁を食害する。ハナムグリの和名の由来は、蜜や花粉を食べるために成虫が花に潜り込むことから付けられた名前である。本来これらの昆虫は、花の受粉に深く関わっている昆虫なのだが、これら昆虫によって盗蜜のため胚珠に穴を開けられると果実はならない。また花弁は昼頃までには食害されてボロボロになってしまい、観賞価値が無くなってしまうので、頻繁に殺虫剤の散布が必要となる。挿し木や実生により、簡単に増やすことができる。挿し木は、3月に行う。前年伸びた充実した枝を10cmの長さに切り、鹿沼土や赤玉土に挿す。種子から育てる場合は、秋に熟した果実を採取してタネを取りだし、良く洗ってから湿らせた砂と混ぜて3℃前後の冷蔵庫で保存する。ハマナスの種子は、低温状態に3ヶ月ほどあたることで休眠打破され発芽しやすくなる。ソメイヨシノの咲くころになったら、赤玉土の平鉢にタネを播く。良くヒコバエも出すので、親株から切断して植えれば簡単に根付く。今年は6月に入って何日か山荘を留守にした間に、マイマイガのケムシが大発生し大株に育ち盛んに花を咲かせていたハマナスの葉の全てを食害され、緑の葉が一枚も無くなってまるで枯木のようになってしまった。あわててスミチオンを散布したところ幸い、7月中旬過ぎてから緑が復活再生し再び花を咲かせるようになった。夜間街灯を点けると、目の前の山林から多くの蛾の類が明りに飛来する。就寝時に消灯すると、家の周りに集まった蛾は家の近くで過ごしやがて産卵する。考えるに街灯が誘蛾灯の役目をし、我が家でのマイマイガの大発生につながったものであろうか。そんなこともあって紫外線を比較的出さないLED電球に代えて、なるべく街灯を点けないようにしている。
2013年07月25日

人が恐怖を感じると心臓の鼓動が激しくなり、呼吸は浅く早くなる。また皮膚の末梢血管が収縮し体内に熱が籠って体温が上昇し、逆に手足は冷たくなる。その結果外気温との差によって体感温度が5℃近くも下がるのだという。怪談噺を聞くことで涼を感じることには合理的な説明がつき、エアコン設備が無かった時代には暑い夏に怪談噺が十分その代役を果たしてきたのである。怪談とは、怖さや怪しさを感じさせる物語のことである。怪談やお化け屋敷は、従来夏に多く取り上げられていたが、近年は季節にかかわらずに上演されたり年間を通じた常設の小屋もある。雨月物語(1776年)には、今昔物語など平安末期の古典の怪談がまとめて書かれている。これらの怪談は歌舞伎の演目、落語の怪談噺、講談、浄瑠璃で盛んに取り上げられ伝承されて来た。これらの怪談噺の中でも、日本三大怪談噺といわれ多くの人に知られているものに四谷怪談、牡丹灯籠、皿屋敷がある。四谷怪談は、雑司ヶ谷四谷町が舞台となっているところからその題名となったもので、妻の岩が夫の伊右衛門に惨殺されたことから幽霊となって復讐を果たすという物語である。 世界大百科事典 1948年三越劇場 四ツ谷怪談牡丹燈籠は若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねているうちに、幽霊であることがばれ幽霊封じをした男を恨んで殺してしまうという内容である。 世界大百科事典 1965年 歌舞伎座 牡丹灯篭皿屋敷はお菊という女性の幽霊が、投身した井戸に毎夜現れて皿を数えるという怪談である。江戸番町が舞台の「番町皿屋敷」が良く知られるが、姫路が舞台の「播州皿屋敷」もあって面白い。江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の題材として盛んに上演されたので広く一般大衆に知られるようになった話である。皿屋敷の話しが、いつどこでどのようにしてできたのかについては、江戸時代から多くの識者の間で論争されてきた。播州ではなく番町だと断言している人がいれば、播州だとする者もある。関東では「番町皿屋敷」が一般的であるようだが、現在は伝承発生の場所がどこであるのか特定できないと結論付けられている。姫路城の備前丸広場の南側に、「お菊井」の名前を付けた井戸の跡があり傍らに謂われを書いた板書が建てられている。これを見る限りこの場所が最もそれらしく感じられてしまうのだが、これは後世観光の呼び物用に付けられたものであるような気がしなくもない。都内にはお菊の墓が幾つもある。平塚駅近くには、お菊塚と刻まれた自然石の石碑がある。これは「元文6年(1741年)に、奉公先の旗本青山主膳の屋敷で家宝の皿の紛失事件から手打ちにされた菊の霊を弔ったものだといわれている。子供のころは、怪談映画を見た後何日かは映画のシーンが夢の中に出てきたりして怖い思いをしたこともあるが、現在では怪談の映画を見たり講談を聞いても一向に涼しくならない。感受性が鈍くなってしまったのか、人生経験を積んだ結果なのか、何れにしても日常の中に強い感動を受けることが少なくなってしまったことは事実のようである。
2013年07月24日

1825年7月26日に江戸の中村座で「東海道四谷怪談」が初公演された事に因んで、7月26日は「幽霊の日」となっている。幽霊は英語でゴーストghostやスピリットspirit、ファントムphantomと訳される。日本の幽霊は、古くは生前の姿で現れていたが、江戸時代になってからは死装束で現われるとされるようになり、額に三角の額烏帽子を着け白衣を着ている現代の幽霊像の原型が出来上がったものである。元禄年間(1688-1704)の「お伽はなし」には、幽霊に二本足が描かれているが「太平百物語」(1732年)では幽霊の腰から下が細くなり、享保年間(1716-36)になると下半身が霞んで、さらに時代とともに肘を曲げ手先を垂れる姿が描かれ現在幽霊とされる姿形になったとされ、幽霊に足が無くなったのは歌舞伎「四谷怪談」の演出で幽霊の足を隠して登場したのが始めという。江戸時代にこれが浮世絵に描かれてから幽霊の姿が定着したとも言われ、応挙(1733-1795)の幽霊画がその後多くの画家に影響を与えたといわれている。 応挙幽霊図 世界大百科事典俳文の大成者といわれている横井有也は、元禄15年(1702年)に生まれ若い頃から俳人として知られた多芸多才の人物であった。その俳文集「鶉衣」に「化物の正体見たり枯れ尾花」が記載されており、これが元になってできた言葉といわれる「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がある。「尾花」とはススキの穂のことで、薄闇に揺れる姿が幽霊に見えて恐ろしかったが、よく良く見たら枯れたススキの穂だったという意味である。恐怖心や猜疑心があると、何でもないものまで恐ろしいものに見えることを譬えて言った言葉である。また、恐ろしいと思っていたものも、正体を知ると何ということはない物であったということの譬えである。この言葉と同じ意味を持つ言葉として「疑いは暗中の人影・疑えば目に鬼を見る・落ち武者は薄の穂にも恐ず・疑心暗鬼を生ず・窃ぷの疑い・茄子を踏んで蛙と思う・杯中の蛇影」などがある。幽霊は人に何かを告げたり、要求するために出現するとされて来たが、次第に怨恨にもとづく復讐や現世への執着のために出現するとされようになり凄惨さが加えられた。幽霊は非業の死を遂げたり、この世に未練を残したまま死んだ者の霊なのでその望みや思いを叶えてやり、未練を断ち切って安心させてやれば成仏して現れなくなるという。つい先頃の通常国会で、首相公邸に幽霊が出るという話がまことしやかに話題になり、官房長官が噂を否定しなかったり国会での質疑にまで登場した。首相公邸が舞台となった二・二六事件では、5名が死亡していて事件を首謀した青年将校たちは事件後拘束され、死刑の判決を受けた後現在の渋谷区役所とNHKの辺りで銃殺刑に処せれた。その幽霊が、公邸に出るというのだ。週刊誌によると何代か前の首相経験者は、実際に靴音を聞いたとまことしやかに話している。時まさに、参議院選挙が終わり向後6年間国政を託す議員が決定したばかりである。幽霊の存在を信じるか否定するかは本人の自由であるが、国会議員が国会議事堂の議場でする質疑応答としては誠に低俗に過ぎる。わが国の議員の資質の低下か平和ボケなのか、参院不要論が言われるのも宣なるかなである。
2013年07月23日

人間や動物の血液を吸う動物がいる。吸血動物には主食として吸血するものと、産卵に際して卵巣を発達させる必要から血液を吸うものとがある。吸血動物にはヒトだけ襲うもの、温血動物としてヒトも襲うもの、たまたま人を攻撃するものとがある。ヒトのみを攻撃する動物は、人の居住環境に生息地を持つので環境を改善することで防ぐことが可能である。後者については、生息地域に入るときに注意すればよい。吸血動物は対象の皮膚に針を刺して血を吸うか、皮膚を傷つけて出てきた血を舐めとって食用とする。普通は出血すると血液は固まって吸い出せなくなるので、吸血の際には血液凝固を阻止する物質を注入する。その成分に対するアレルギー反応で、痒みを感じたり腫れたりする。吸血動物は血液を吸って個体間を移動するから、病原体や寄生虫の感染を広げこれらは一般に衛生害虫といわれている。ノミやシラミのように常に対象動物のそばに生息するものと、蚊・アブ・ブユ(ブヨ、ブト)・ヌカカのように離れた場所から対象動物を探してやってくるものがある。これらの内、忍者のように音もなくやってきて、いつの間にか吸血しているのはブユである。ブユ(蚋)は、ブユ科に属する昆虫の総称で、哺乳類から吸血する衛生害虫である。関東ではブヨ、関西ではブトと呼ばれる。成虫は、4mmほどの大きさで透明な羽を持ち、体は黒く丸い形をしているものが多い。日本には約60種が生息しているとされ、全国各地に見られるのはアシマダラブユである。成虫は春に羽化し交尾後、渓流の水中や水際に卵塊を産み付ける。卵は約10日で孵化し、幼虫は約5週間で羽化する。6月~9月にかけて活発に活動し、人を攻撃する。太陽の出ていない日没前から日の出の後までの間に活動し、太陽の直射の下では活動しない。曇りや雨など湿気が高く、日射が無い時は時間に関係なく活動する。顔の周りをしつこく飛び回り、目の中や耳にも飛び込んでくる昆虫がいるが、こちらはハエ目ヒゲブトコバエ科のクロメマトイと呼ばれる昆虫で吸血はしない。ブユの幼虫は渓流で生活しているため、自然環境に近いキャンプ場などで多く見られる。幼虫は水質の指標昆虫となるほど水質汚染に弱いため、住宅地などではほとんど見られない。逆に言えば、ブユがいる地域は水のきれいな自然が残っている場所といえる。他の吸血動物と同じようにメスだけが吸血し、針を刺して吸うカやアブの吸血様式と異なり皮膚を噛み切って吸血するので、痛みがあり中心に赤い出血点が見られる。吸血の際唾液腺から注入される毒素によって、患部が赤く膨れ上がり激しい痒みや疼痛、発熱の症状が1~2週間程続く(ブユ刺咬症、ブユ刺症)ことがある。カやアブと比較くして格段に強力な毒である。体質や咬まれた部位により腫れが1ヵ月以上ひかないこともあり、完治まで数年に及ぶこともある。場合によってはリンパ管炎やリンパ節炎を併発したり、呼吸困難で重篤状態に陥ることもある。スキンガードには、ハッカオイルの水溶液が有効である。また長袖や長ズボン、手甲や脚絆などを身につけ、素肌を露出させないことが重要である。吸血されてしまった場合は、できるだけ早く毒を絞り出してステロイド外用薬を塗る。山荘の辺りは南アルプスからの伏流水が日本百名水にもなっていて、清冽な水の流れる渓流が何本もある。十数年前、山荘での朝夕の畑仕事で毎回ブユの攻撃を受け、唇を刺されたりすると見事なタラコ唇になってしまったものである。見かねた近所の人が、焼酎漬けヘビイチゴを分けてくれたが余り効果は無かった。現在もブユの攻撃を避けるために、頭から被る網や手袋・長靴で完全武装して畑仕事に出るのだが、長靴の中に入り込んだプユに今回も見事に2ヵ所を噛まれてしまった。ブユの毒に対しては免疫ができるらしく、初めほどには腫れなくなったが痛痒くて閉口している。この吸血鬼には、大蒜も銀の十字架も効果が無い。それにしても長靴の中にまで入り込んで吸血していくブユの執念には脱帽である。
2013年07月22日

トマトはペルーやエクアドルなどのアンデス山脈高原地帯原産の、ナス科の植物である。暖地では多年生植物であるが、日本では冬に枯死するため一年生植物である。身近なナス科の植物にはジャガイモ、ナス、ピーマン、シシトウ、ホウズキなどがある。 ナスの花 シシトウの花 ホウズキの花昼間25度、夜間20度が適温とされ、適切な環境の下では長年にわたって生育し続けるので、多くの果実を採取することができる。1本仕立てで長期栽培を行うと、その茎の長さは10mにも達することがある。果物と混同する人があるが、れっきとした緑黄色野菜の一種である。日本には唐柿、赤茄子、蕃茄、小金瓜などの別称がある。世界には8000種もの品種があるとされ、日本で登録されているのは120種ほどといわれる。F1品種は登録されないので、最も多くの人に知られた桃太郎は登録品種ではない。1519年にトマトの種がヨーロッパに伝わったとされるが、当初ナス科オオカミナスビ属のベラドンナと間違われ食用にはされなかった。ベラドンナは和名で、オオカミナスビ、オオハシリドコロ、セイヨウハシリドコロと呼ばれ、熟すと1cmほどの黒色の実を付ける。この実は甘いが、猛毒を含んでいるため絶対に口にしてはならない。bella donnaとはイタリア語で、「美しい女性」のことを意味し古くは女性が瞳孔を散瞳にさせるための点眼薬として、この実のエキスを使用したことが名前の由来となった。ベラドンナの種子からは、硫酸アトロピンを製造する。アトロピンは散瞳作用があり、有機リン中毒の治療にも用いられる。ヨーロッパ移入後200年ほどは観賞用とされたが、その間イタリアで品種改良をされて現在のトマトの原型ができた。江戸時代に貝原益軒はトマトについて「大和本草」に記述していて、その頃すでに日本に伝来していたものと考えられている。独特の青臭さと真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用にされ「唐柿」と呼ばれていた。日本で食用とされるようになったのは明治以降であり、さらに日本人好みの味のトマトが産出されるようになったのは昭和に入ってからである。トマトはサラダや焼きトマトなどでそのまま食べるものと、サルサ・ピザ・パスタソース・カレー・シチューなどの加工料理がある。トマトを加工した食品としてはトマトジュース、トマトケチャップ、トマトソース、トマトピューレ、ドライトマトなどがあるケチャップ、トマトソース、ピザソースなどの原材料に用いられるため、トマトの年間消費量は野菜の中で世界一位である。トマトの語源はアステカ人やインディオが使用していたナワトル語で、「ホオズキの実」を意味する「tomatl(トマトゥル)」が語源である。決してうまくは無いが、同じナス科のジャガイモの茎にトマトを接ぎ木したものは、「ポマト」と呼ばれ地中にジャガイモ、茎にはトマトを実らせることができる。夜行性のハクビシンはトマト・ブドウ・プラム・プルーンなどの甘い果実が大好物である。多い集団では5頭以上も群れを作っていて、いったん標的にされると全ての果実が食い荒らされてしまう。4年前から北斗市の山荘の畑周辺に、家族と思われるハクビシンが住み着き近辺の畑の作物が狙われるようになった。我が家で14年来「桃太郎」を20本植えて、動物の襲撃が無ければ約750個も収穫できていたのだが、4年前突然ハクビシンに目を付けられてから防獣網で厳重に囲っても土を掘って網をあげて潜り込むのでほとんど収穫ゼロの年が続いた。防獣網、忌避剤ウルフピー使用、ねずみ取り用の粘着紙など試したが、いずれも効き目が無かった。厳重な防獣網の他、今年は電線を10センチ間隔で4本張った電気柵を敷設して様子を見た。電気柵設置の夜8時ころ、「ギャー」という動物の悲鳴が2回聞こえた。その後畑の土に、ハクビシンの足跡を確認していない。7月中旬に初物トマトを10個ほどと、今日は樹上完熟トマトをポリバケツ一杯収穫できた。採りたてトマトを冷蔵庫で冷やして家内と長男3人で丸齧りしたが、スーパー販売のトマトより数段も美味しい。これから本格的に、トマトの熟す時期になる。今付いている青い実の全てを収穫できたら、また以前のようにピューレを作って冷凍しておいて、一年間の料理用に回すことができるのだが。
2013年07月21日

ノアサガオは、沖縄県の低地の森林や藪にごく普通に分布している野生種のアサガオである。宿根多年草で、関東以南では越冬し古い茎は木質化する。ノアサガオの園芸品種が「琉球アサガオ」、「オーシャンブルー」、「宿根アサガオ」などの名前で販売され、この10年ほどの間に広く知られるようになった。野生種の系統を受け継いでいて、草勢はきわめて強健で蔓は10mを超える高さにまで伸び、垣根や家の壁面などをカーテン状に覆い尽くす。葉も日本アサガオより一回り大きく手のひら大のハート形をしており、一つの蕾から多数の花が房咲きに咲いて見事である。花の色が変化し、早朝は青く午後には紫からピンク色になる。 暑さで劣化が進んでしまった朝顔の花結実しないので挿し木で繁殖させるが、夏から秋にランナーを30cmほどに切って浅く植えると簡単に根付き繁殖は容易である。琉球アサガオは短日植物なので、昼の時間が短い方が花芽をつけやすくなる。5月初めのまだ苗が小さな状態の苗に短日処理をする事により、その後の花芽がつきやすくなり初夏からでも開花するようになる。関東では初霜の降りる11月下旬まで咲くので、真夏が過ぎてグリーンカーテンの役目を終えたら窓の部分を剪定して開けるようにすると面白い。宿根朝顔には捲きついて上に伸びる蔓と、捲きつかないでランナーのように横に広がって成長する蔓の性質の異なる2種の蔓を出す。ランナーには花が咲かないが、無理に支柱に巻きつけると葉の付け根から花を付ける新たな蔓を伸ばして捲きあがり、やがて花を咲かせる。朝だけでなく夕方まで咲いていて、秋が深くなって気温が低下してくると翌日までも咲いている。一年草の日本朝顔は、晩秋には枯れてしまうが宿根朝顔は霜が降りるころまで咲き続け、むしろ暑い夏より涼しくなってからの方が咲く花の数が多くなる。植え付けた最初の1年目は真夏を過ぎないと花が咲かないが、越冬したものは初夏から花を咲かせる。暖地なら露地で越冬するが、0℃以下になると株が凍死する。寒さが来る前に捲きついて上に上がった部分は地表部分を切り取り、腐葉土などをかぶせてマルチングしておけば零度でも越冬する。不稔性で種が出来ないが、ランナーの節を30cmほどに切って挿すことで簡単に増やすことができる。外気が15度を下回るようになると、朝は濃紺の花を咲かせるのだが次第に紺色が薄くなって、翌日にはピンクに変化する。植物には、果実や花の青・赤・紫を表出するアントシアニンという水溶性色素が広く存在する。ナスの紫色がこのアントシアニンの一種で、ナスニンと言われる色素である。アントシアニンはph(水素イオン濃度)に反応し、酸性で赤、アルカリ性では青に変化する。琉球アサガオの花色変化も、アントシアニン色素が関与していると思われる。(ひこじいさんのブログ花色変化の不思議2012.10.18)朝顔に 釣瓶とられて もらい水 加賀千代女(草風)
2013年07月20日

大和本草(1708年)に百日紅(ひゃくじつこう)のことが載っているので、それ以前に中国南部から渡ってきたと考えられている。春に伸びた一年枝の先端に、夏から秋にかけて花を咲かせる。花色には白、ピンク、紅、紅紫などがある。花びらは6枚で、辺が強く波打っている。花後に球形の果実をつけ、タネには薄い羽が付いていて、熟すとはじけて飛ぶ。樹皮は自然に剥離して、褐色のツルツルした木肌になる。木肌がつるつるしていて滑りやすいので、「猿滑り」という名前がついたとされる。樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブを、サルスベリと呼ぶ地方もある。人がこの木に登ると滑って落ちやすいことから、庭の忌木とされている地方が多い。漢字では「百日紅」と書き表すが、開花期間が3か月以上と長いことからつけられたものである。うどんこ病にかかりやすいが、それ以外には比較的病害虫に強く栽培しやすいので寺社、学校、庭木の他公園樹などとして広く利用されている。サルスベリはミソハギ科に属するが、ミソハギは多年生の草本である。百日紅は春4月から5月頃に新芽が伸びて新しい枝を形成し、その一年枝の先に花芽を付ける。落語「猿後家」に、サルスベリが出てくる。「何の不自由も無い大店の後家さんが居た。しかし一つだけ気にしているところがあった。それは顔が猿に似ていたことである。後家さんの前では猿が連想される、「さる」とか「えてして」の付く言葉は禁句とされていた。ある時、植木屋が庭で仕事をしていると後家さんが出てきて、庭の空いた所に木を植えたいが何の木が良いかと尋ねるので、植木屋はつい「サルスベリ」の木が良いだろうと言ってしまって仕事をしくじる。その後後家さんの家に、もう一人の調子者の男が来て、小遣いせびりに調子話を始める。最初は旨く行ったのだが最後に猿回しと言ってしまい、全てがおじゃんになるという話だ。」百日紅には、「くすぐりの木」、「こちょこちょの木」という別名がある。枝の下のちょうど人の脇の下になったような所を擽ると、枝先が盛んに揺れだすのだ。子供のころには、盛んに擽って遊んだものだ。これは、幹を指でくすぐる際の振動が細い枝先に伝わり、あるいは微風が枝先を揺らすためにくすぐったがって笑っているように見えるのであって、決してサルスベリの木が笑うわけではない。花言葉は「雄弁」「愛敬」「活動」「世話好き」雨乞の しるしも見えず 百日紅 子規
2013年07月19日

ハイビスカスは別名ブッソウゲ(扶桑花、仏桑華)ともいわれ、沖縄では赤花ともいう。不稔性で結実しないものが多い。フヨウ属の学名がHibiscusと呼ばれるので、類似したフヨウ属植物全般を指して呼ぶこともあり、アオイ科の園芸種の総称ともされている。名前の由来はエジプトの美の神「ヒビス」の名前に因んで付けられたもので、「ヒビスのように美しい花」という意味を持っている。400年ほど前の慶長年間に、薩摩の島津家久が琉球産ブッソウゲを家康に献じたのが本州へ渡った最初との記録が残っているという。ブッソウゲ数種との複雑な交雑によって作出された植物で、品種は3000種もあるといわれ、巨大輪でカラフルな花色のハワイアン系と、中輪の在来種とがある。日本の気候では寒さに強い在来種のほうが育てやすいため、ハワイアン系と在来種との二種間の交配が進んでいてカラフルな花色のものも多い。ハイビスカスは、熱帯で灼熱の太陽の下に咲くイメージが強いが、真夏に30℃以上の日が続くと花付きが悪くなる。真夏は、30%ほど遮光し風通しの良い棚上で管理すれば次々と蕾が付く。園芸店で売られる本来2m以上にもなる木の鉢植えの多くは、矮化剤の使用によって小型で鉢の大きさに合うように仕立てられている。その代表的なものにハイビスカスの他ハイドランジャーやポインセチアなどがある。挿し木して薬剤処理しない場合は、大きく育つので小さな鉢ではつり合いが取れなくなる。成長期は鉢土を乾かさないようにし、水はたっぷり与える。水切れさせると、蕾が落ちる原因となる。冬期に温度が保てない場合は株を1/2ほど切り戻して、鉢土の表面が乾いてから水を与えるようにすれば4℃程度でも冬越しできる。成長期の葉芽には、アブラムシが好んで着くので、虫体を認めたらスミチオンを散布する。ハイビスカスの多くは不稔性で結実しないので、挿し木によって殖やすのが一般的である。挿し木する場合、穂木の切り口から創傷癒合のために粘液を出すので、切り口をよく水で洗い流してから培養土に挿す。1Lの牛乳パックの上部1/3を切断したところへ、培養土を入れ挿し木すればその後の管理が比較的容易である。我が家にも渡嘉敷島から穂木を採ってきて挿し木した、異なった花色のハイビスカスが何鉢かあり毎朝目を楽しませてくれている。アオイ科植物の花がそうであるように、ハイビスカスも一日花である。花言葉 勇敢 華麗 美
2013年07月18日

ヒマワリは漢字で向日葵と書き、その種を食用油としたり切り花とするためにわが国でも各地に栽培されている。ヒマワリは夏の季語となっていて、その花姿はギラギラとした夏空がよく似合う。東京の猛暑の中、今年もまた垣根の外に蒔いたヒマワリが大きな花を咲かせた。1つの花のように見えるが、キク科植物の特徴とされる頭状花序を形成し、多数の花が集まって1つの花の形を作っている。外側に付いた黄色い花びらは舌状花、内側の花びらのない花を筒状花と区別して呼ぶことがある。向日葵の名前は、太陽を追って花が回ることに由来している。しかし、実際に太陽を追って動くのは花が咲く前までの生長が盛んな期間に限られている。茎頂が動くのは、ヒマワリの茎の上部の葉に太陽に向くように動く性質があり、朝は東を向いていたのが太陽の動きにつれて夕方には西を向く。日没になると起きあがって、夜明け前に再び東に向く。この運動は蕾を付ける頃まで続くが、葉の先端の生長が弱まると西への動きがだんだん小さくなり、夜間に東へ戻る動きは変わらないので、開花した状態では東の方角を向いたままとなる。関東近辺で有名なヒマワリ畑が、日照時間日本一と称される山梨県北杜市明野にある。標高が高く春が遅い地域のため、播種時期が遅く満開の時期は8月中旬で東京周辺に比べて遅い。ヒマワリ畑の花が、一斉に同じ方向を向いているのを見るのは壮観である。このような動きは、一つだけ花をつける品種が太陽の直射を受けた場合に起きる現象であり、多数の花を咲かせるものや日光の直射が無い場所では必ずしも花茎の先端が動くとは限らない。北アメリカ原産で、コロンブスがヨーロッパへ伝えたという。日本には、17世紀に伝来している。ヒマワリが育つ全ての地域で、「太陽」と関係つけられている。ヨーロッパやロシアでは、食用油を採るために大規模に栽培されている。キク科植物には多年草が多いが、ヒマワリは一年草である。草丈は矮性の20cmのものから3m以上になるものもある。日車、天竺葵、日輪草などの別名をもっている。「I Girasoliひまわり」は、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニが主演した映画の題名である。炎の画家といわれるゴッホも、ヒマワリを描いて有名である。若くして医療過誤によって逝った長女は、ヒマワリの花が大好きであった。夫婦の経営していた渡嘉敷島阿波連のホテルの名前、「ホテルサンフラワー」は娘が付けた名前である。2006年の植物油は、ナタネに次いでヒマワリ油の採取量が多くロシア周辺のヨーロッパで特に多く栽培されている。中年過ぎてからのヨーロッパ人に肥満が多いのは、ヒマワリ油とジャガイモの摂り過ぎが原因といわれる。種は採油の他煎って食用とし、乾燥した種子は生薬名を向日葵子といい出血性の下痢に、熟した種子の花托を刻んで日干しにして高血圧や目眩の漢方薬として使用される他、ハムスターや小鳥の餌としても利用される。向日葵の ゆさりともせぬ 重たさよ 北原白秋 髪に挿せば かくやくと射る 夏の日や 王者の花の こがねひぐるま 与謝野晶子
2013年07月17日

梅雨のころから、クチナシが真っ白な大きな花を咲かせ盛んに芳香を放つようになる。渡哲也はクチナシの花姿を恋人に譬え、大川栄作はこの花の下で恋人と別れたと唄う。舟木和夫は意味不明の「くちなしのバラード」を歌っている。クチナシはアカネ科の常緑低木で、高さ1~2メートルの株立ちになり6~7月に5~8cmの芳香のある純白の花を1個ずつ開き、次第に黄褐色に変わる。種名の「jasminoides」は、ジャスミンのようなという意味である。12月ごろに赤黄色に熟した果実を収穫できる。果実の先端に萼片の残ったもの6本が、尖って付いているのが特徴である。また、側面に稜が突き出た形をしている。沖縄県渡嘉敷島では野生のクチナシ群落が、2月下旬に未だ先端の萼片に緑が残る未熟な大きな果実を着けていた。静岡県以西の本州、四国、九州、沖縄に分布し広く庭木や公園に植えられる。繁殖は実生、挿木、株分けの何れもが可能である。名前の由来は、果実が熟しても開裂して種子を飛ばさないところから付いたものと言われる。八重咲きは、熊本市に自生地がある。庭木に広く栽培されるオオヤエクチナシは、花が大形の八重咲きで葉が大きい。一重咲きのものをヒトエノコクチナシといい、葉に斑があるものをフイリケンサキという。全てのクチナシに実が付くと思っている人がいるが、八重咲きのクチナシには実がつかない。実を利用するためには、一重咲きのクチナシを植える必要がある。完熟した果実は、古く飛鳥時代から食品の着色に用いられ、また布の染色にも使われた。花弁が野菜サラダの飾りや刺身のつまとして使われるというが、金木犀のように消臭剤として売られている合成香料を思い出すので、料理に飾っても食欲をそそる香りとは思えない。この木にはオオスカシバが産卵し、孵った大型の緑色のイモムシが知らぬ間に葉の全てを食害してしまうことがある。種子の形が巵(し)という古代中国の酒器に似ていることから漢方では梔子という。消炎、止血、鎮静、利胆、利尿作用があり、不眠症、黄疸(おうだん)、打ち身、出血、精神不安などの治療に用いる。民間療法では、粉末にした種子と小麦粉を水で捏ね、打ち身に外用する。 上方落語に「ちりとてちん」があるが、クチナシを題材とした滑稽話が、落語猿丸太夫に出てくる。『自分は、「今芭蕉」だと言って大法螺を吹いた揚句、知ったかぶりでクチナシを詠んだ俳句が、「くちなしや鼻から下がすぐに顎」』というものである。 蕾花言葉 とても幸せ
2013年07月16日

今を盛りと咲き続けるムクゲはアオイ科に属し、アオイ科の植物は世界に80属1500種もがある。多数のおしべが柱状に癒合して、独特の形を造っている。観賞用としてはムクゲ、モミジアオイ、ハイビスカスなどが植栽され、繊維用としてワタ、ケナフなどが栽培される。面白いことに、これらの植物の花は形が酷似している上、これらの花粉はどれも金平糖のような棘を持った比較的大きな球形の形をしており、花粉の形状からも同じ種であることがわかる。これらの植物は今の時期盛んに咲く花であり、特にムクゲの開花時期は6月下旬から霜が降りるころまで長期に咲き続ける。中国原産の植物で、わが国には平安時代に渡来したとされる。漢字で「木槿」と書くが、隣国の韓国では「ムグンファ」と呼んで漢字では無窮花と書く。この読み「ムキュウゲ」が転化して「むくげ」となったものではないかとか、別の説として「木槿」もっきんの転化ではないかとも言われている。朝3時頃に開花した花は夕方には凋んでしまう一日花で、白居易はその「放言詩」で、泰山不要欺毫末 顔子無心羨老彭松樹千年終是朽 槿花一日自為栄何須戀世常憂死 亦莫嫌身漫厭生生去死来都是幻 幻人哀楽繁何情と詠み「槿花一朝の夢」あるいは「槿花一朝の栄」と人の世の儚さをムクゲの花に例えているが、この木は次々に花を咲かせるため木にはいつも花が咲いている。夏の茶花として、無くてはならない花である。こんな花の様子から韓国では、国の繁栄を象徴する花とされ国花になったものであろうか。萌芽力が強いので強選定しても枝をだし、挿し木でも簡単に根がつく。種がこぼれると庭のあちらこちらの予期しないところから芽を出す。ムクゲは8月28日の誕生花で、花言葉は「信念」である。 「それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿」 小林一茶
2013年07月15日

オオバギボウシ(大葉擬宝珠)はリュウゼツラン亜科(旧分類ではユリ科)の多年草である。山間の湿地などに自生し、また花が美しく樹下の日陰でもよく育つため庭に栽培される。花言葉は「落ち着き」「沈静」「静かな人」である。ギボウシは擬宝珠(ぎぼうしゅ)が転訛したものでありこれは蕾、または包葉に包まれた若い花序が橋の欄干などに飾られる擬宝珠に似ていることに由来する。英語でPlantain lily(オオバコユリ)とよばれるが、これはギボウシの葉がオオバコに似ていることからきている。ウルイは、春先の若葉が丸まって立つように生え葉の色がうりに似ているので、瓜菜(うりな)が転化したものと言われている。別名としてウリッパとか、アマナ、ギンボ、山かんぴょうなどともいわれる。早春の若葉は、山菜のウルイとして利用される。山菜を評して、「山でうまいはオケラにトトキ」との言葉があるが、ウルイもそれらの山菜に伍してなかなかのものである。スジギボウシやその雑種などが食用として栽培されている。早春に日光に当てないで栽培した、黄色をしたウルイの若葉が販売される。ウルイは無毒の山菜であるが、、「二輪草とトリカブト」あるいは「韮と水仙」のようにちょうど芽出しの時期には毒草のバイケイソウやコバイケイソウと見分けが難しく、採取には注意が必要である。若葉は毒草のバイケイソウに酷似しているので、毎年誤食事故が発生している。高さは50~100cmくらいになる。葉は根出葉、形は卵状の長楕円形で葉の長さは30~40cm、幅は15cmくらいにもなり長い葉柄を持つ。花期は6~8月で、漏斗型の白色または淡紫色の花をやや下向きにつけ、花軸につく穂状の蕾が下部から上部へと順に開花していく。北海道から本州中・北部の、山地や草原などの湿りけのあるところに自生する多年生草本である。葉柄の軟らかい部分をゆでカツオぶしやクルミ、マヨネーズ、カラシなどをのせたおひたし、あるいはゴマあえとして、またみそ汁の具、煮もの、酢のもの、てんぷら、油炒めとするなど利用方法も多い。皿の代わりに、葉の上に刺身や料理を盛り合わせることもある。我が家の山荘の庭には、14年前移植した株が大きく育って、庭のあちらこちらに勢力を広げている。今年の梅雨明けは突然で、その後高温の干天続きのため広い葉を持つオオバギボウシには酷な気候となっている。折角のみずみずしい緑の葉が、日焼けを起こし半分ほども茶色になってしまった。それでも頑張って長大な花茎を立てて花を咲かせ始めた。1mも伸びた花茎が、夏空に生えて涼やかである。
2013年07月14日

山荘の庭に14年も前カナダビクトリアのブッチャート・ガーデンから、家内が買ってきた花の種に混じっていたジギタリスが今年も開花した。播いたのは、最初の年だけで次からはこぼれ種でよく花を咲かせる。ジギタリスは、ヨーロッパ原産で、シソ科の花に似た唇状、あるいは筒状の花を咲かせる。昔からジギタリスは生薬の強心剤として利用されてきた薬草である。ゴマノハグサ科に属し花後に枯れる二年草で、耐寒性がある。属名はラテン語で指袋のことで、花の形状に由来する。英名フォックスグローブは、そのままキツネノテブクロと訳されている。草丈1メートルほどになり、葉の表面には縮緬状の皺があって、根出葉は大形で長い柄があり花穂の下につく葉は短柄で小形である。茎、葉ともに白い綿毛があるものが多い。6~8月にかけて6センチほどの広鐘状の花を斜め下方に開き、穂状花序をつくる。花色は白、桃、紅、桃紫色などで、内側に斑点がある。神話にも多く登場し、ジギタリスに触ると受胎するともいわれてきた。強心剤を採るために薬草として栽培されていたが、現在はもっぱら花壇植えなど観賞用に植栽されている。日本には明治時代に渡来したとされている。地際から放射状に葉を出して茎を伸ばさずロゼットで冬を越し、春に茎を伸ばして初夏に長さ30cm~50cmの花穂を出してたくさんの花を穂状に咲かせる。ジギタリスの薬効成分はジゴキシンといい、心筋の収縮力を高める強心作用があり、房室伝導の抑制に使用される。花が咲く前によほど知識がない限り、ジギタリスと見分けがつかない植物にヒレハリソウ(鰭玻璃草)がある。この植物はムラサキ科の多年生草本である。一般的には、英名のコンフリーで知られている。ヨーロッパ・西アジアが原産で高さ1m程度まで育ち、全体に白い粗毛、初夏に淡紅色の釣鐘状の花を付ける。ヨーロッパでは、古くから根や葉を抗炎症薬や骨折を治すのに用いられていたという。日本へは明治時代に導入され、家畜の飼料や食用として利用された。昭和40年代に健康食品として一時期大ブームとなり、各家庭で植えられたものが一部野生化した。私も、葉を天ぷらにして食べたことがある。決してまずいものではなかった。青汁愛飲者は、この葉を野菜ジュースとして飲んでいた。厚生労働省は、2004年6月14日、コンフリーを含む食品を摂取して肝障害の肝硬変又は肝不全及び肝臓癌を起こす例が海外で多数報告されているとして、摂取について注意を呼びかけ同年6月18日食品としての販売を禁止した。食品衛生学の講義では、植物の自然毒食中毒として必ずジギタリスとコンフリーについて学んだし、その後教える立場でもこの二つを取り上げてきたが、10年前からはコンフリーが食用でなくなったため、今ではこの2種類の植物を取り違えないよう話す必要が無くなった。花言葉 「熱愛」「不誠実」「隠されぬ恋」
2013年07月12日

♪「めだかの学校は川のなか そっとのぞいてみてごらん そっとのぞいてみてごらん みんなでおゆうぎしているよ」この歌詞は、童話・童謡作家の茶木滋が、小田原市の荻窪用水の情景を参考にして1950年に作詞したといわれている。メダカは、体長4cm程の魚で、学名は「稲の周りにいる鰭の広い」という意味だという。目が大きく、頭部の上端から飛び出していることが目高の名前の由来になっている。飼育が比較的簡単なため、観賞魚として古くから親しまれてきた。体色は焦げ茶色がかった灰色が基本色だが、突然変異型では黒色、黄色、白色、虹色の4種類の色素胞の有無によって様々な体色のものが誕生し、これらはカラーメダカと呼ばれる。ヒメダカ(緋目高)は、黒色素胞がないため体色がオレンジ色で綺麗なので観賞用に広く流通している。黒色素胞がなく黄色素胞が発達していないと白メダカになる。アルビノ(白子)は、黒色と黄色の色素胞が全くないため体が白いだけでなく、眼が赤い。黒色、白色、虹色3種の色素胞を持たないメダカは、体が透けて脳や内臓まで見え透明メダカと呼ばれる。これらの変異種と区別するため、野生のメダカは通称クロメダカ、野メダカ、昔メダカとよばれることがある。発光遺伝子を埋め込まれた、「光るメダカ」が台湾から輸入され一部の業者で販売されている。これは、メダカの受精卵のDNAの一部を発光クラゲのDNAと組み換えて作り出したものである。流れの遅い小川や水路などの停滞水域に生息し、動物プランクトンなどが餌である。蚊の幼虫ボウフラを好んで食するため、ボウフラを退治する益魚としても知られている。春から夏にかけて条件が良ければ数回産卵し、一回の産卵では10個以上も産卵する。孵った仔魚は翌年には、産卵する。早春に孵化し大きく育ったものでは、その年の秋に産卵する場合もある。メダカの産卵時期と水田に水が張られる時期がほとんど一致していて、稲作と共存してきた「水田の魚」でもある。メダカは腎機能の発達により、他の淡水魚と異なり海水と同程度の塩水でも生存できる特徴がある。洪水で流されても河口付近の汽水域に留まり、水の流れが緩やかになってから再び遡上することが知られている。一般にメダカの寿命は1~2年といわれているが、人工的な飼育下では3~5年も生きる。かつては小川に、普通にメダカの群れが見られたが、1980年代から農薬や生活排水などによる生息環境の悪化や外来魚の捕食によってその数が激減している。メダカが食用とされた時代もあり新潟県や福島県の一部地域では、この小さな魚を佃煮にしたり味噌汁に入れて食べていたという。親戚の家に孫を連れて遊びに行った折、小学生の孫が飼いたいというので庭先に置かれた鉢に群れて泳いでいたメダカを貰って帰った。大騒ぎして貰って帰ったのに、3週間にもなるのに持って帰らずじいさんの家に置きっぱなしである。お陰で年寄りがメダカの水替えや餌やりの面倒を見る羽目になったが、毎日水槽を覗いてメダカの「おゆうぎ」を見ていると心が和み、思わず童謡が口をついて出てくる。
2013年07月06日

簡易なものでは印刷されたものが多いが、正式の祝儀・不祝儀の熨斗袋や贈り物には必ず水引を掛ける。水引は、和紙を紙縒(こより)状にして糊をひき乾かして固めたものである。この状態のままで使用される場合も多いが、さらにその上に金銀の薄紙を巻いたり、極細の繊維を巻きつけた豪華なものもある。もともとは、宮廷への献上品に紅白の麻の紐を結ぶ習慣があり、室町時代後期になり麻の紐の代わりに紅白あるいは金銀に染め分けた紙糸が使用されるようになったものである。信州伊那谷の中央自動車道飯田インターチェンジ周辺は、水引の生産が日本一である。「飯田台帳和紙」の製造が盛んであったことから、江戸時代に飯田藩主が経済振興のため家臣に元結の製法を習得させたことが始まりとされている。明治維新の断髪令により消費量が少なくなった元結に改良を加え、別の用途に使うための光沢のある水引を考案したものである。タデ科に、ミズヒキの名前を持つ植物がある。花茎を40cmも伸ばして着ける花序が、祝い事に使用する紅白の水引に似ているところから付いた名前だとされている。6月下旬ころから10月ころまでが、花期である。我が家の庭隅でも、先月から咲きだした。花径は極く小さくて約4ミリで、花柄には節があり横向きに咲く。花被片の上3枚が赤く、下の1枚が白い。そのため上から見ると赤く見え、下側から見ると白く見え紅白の水引そっくりである。種子には先に引っかかりが出ていて、動物や衣服などにくっついて遠方に運ばれる「くっつきむし」である。正式にはミズヒキと呼ぶが、紙縒で作られた水引と間違えるので植物の方が「ミズヒキソウ」と別名で呼ばれることが多い。ミズヒキには、白花のギンミズヒキ(銀水引)と葉が厚く艶があって無毛のシンミズヒキとがある。他に黄色の花を咲かせる「キンミズヒキ」の名前を持つ植物があって、同じ植物として間違えている人がいるがこちらはバラ科に属しミズヒキとは別種の薬用植物である。キンミズヒキには、フラボノイド性配糖体、揮発油、多糖体などが含有されていて薬草として有用植物である。血液凝固促進と止血作用があるので収斂止血剤とされ、喀血、血便、子宮出血などの止血に用いられる他、健胃、下痢止めとしても応用される。ミズヒキを庭に植栽する場合はよほど気を付けないと、不要になったときに根絶することが困難となる。毎年種子が散らばって、思いもかけない場所から芽を出してくる。我が家の狭い庭に、40年も前に移植したミズヒキが現在もあちらこちらから芽を出して駆除できないで困っている。「花は山、人は里」の諺にあるとおり、ミズヒキも矢張り野で眺めているのがよい。花言葉 感謝の気持ち ささやかな歓び 慶事 祝い事 祭礼など
2013年07月05日

ルナリアはヨーロッパ原産の宿根草で、日本には20世紀初頭版画家の合田清によって持ち込まれた。Luna-riaのLunaは月を意味し、人によっては大判草ともいい、合田清の名前から「ゴウダソウ」とも言う。直径約2センチもある可愛い淡い紫紅色の花を4月から5月に咲かせる。枝に丸い莢ができて中に実がつき小銭が入った財布のような感じから、「金のなる木」とも云われる。 刈り取って乾燥乾燥すると白くなり、揺らすとシャラシャラと澄んだ金属音がする。莢の中には10個ほどの平たい種が入っており、果実が熟して外皮が剥がれ落ちると薄い隔膜が残る。隔膜はなめらかな光沢があって形がおもしろく、長期間そのままの状態なのでドライフラワーにすると風流である。ドライフラワーにするには莢が茶色に変わり始めた頃に、刈り取って充分乾燥させてから外皮を取り除く。 二枚の外皮を取り除いて完成種蒔きの適期は3~6月で翌年の4月にならないと開花しない二年草である。今年は種子が沢山採取できたので、栽培してみたい人には分けてあげたいと思っている。
2013年07月04日

国立能楽堂において片山幽雪、片山九郎右衛門、観世喜正による能を観賞する機会があった。演目は能「世阿弥の班女(四番目物・狂女物・大小物)」、仕舞「高野物狂」、能「作者不詳の天鼓」であった。観阿弥と長男の世阿弥の親子が、日本の伝統文化に新たに演劇というジャンルを打ち立てたとされる。1948年には女流能楽師が公認(1948)されたこと、薪能など野外能が全国に広まり120か所以上もの定着をみていること、国立劇場能楽堂の発足(1983)などがあって、能が再び脚光を浴びるようになったのだという。 国立能楽堂昨夜は、座席数627席が満席の中、横正面升席真ん中のシテの息遣いが聞こえるほど橋掛りに至近の席でじっくり鑑賞することができた。昨夜の演目班女は、次のように進行された。開演5分前のベルが鳴ると舞台に誰もいないまま揚げ幕の奥から、笛、小鼓、大鼓、太鼓の音が聞こえてきた。これはお調べといい、楽器の最終調整をしているのだという。囃子方が、笛・小鼓・大鼓の順で揚幕から橋掛かりを通って登場する。次いで、切戸口から地謡が登場するが、ここまでは全く言葉もなく淡々とそれぞれの配置場所に腰を下ろす。ワキが登場し、自分が何者でここがどこなのかを語り、さらに状況の説明をしたりする。ワキは、物語を進行する重要な役回りを演じているのだという。ワキの後、能面を着けたシテ(主役)が登場してかつての因縁話が語られる。演じ終わるとシテの後に、ワキが退場する。次いで地謡が切戸口から退場し続いて、太鼓、大鼓、小鼓、笛の順に退場する。囃子方は、登場したときと同様に、橋掛かりを通って退場して一つの演目の終了となる。登場・退場は独特の歩様で、上半身は全く動かず極端にいえば腰から下で歩いているようにも見える。いわゆる摺り足である。上半身だけに目をやると、まるで動く歩道で移動している感じを受ける。一時間にも及ぶ長時間正座しているため、退場の際には相当に足がしびれるという。しびれたままでも、美しく歩くためのコツを習得しているそうだが、一般人では足が進まず転んでしまうに違いない。独特の間を持ちながら地謡方は口を揃えて謡い続け、笛は一人で吹き続け、シテも優雅に舞い続ける。能を真に観賞するには、演目の粗筋を読むだけでなく能の基本的決まりごとなど少し勉強する必要があることをつくづく感じた。次に能を観賞する機会があったら、昨日よりはもっと理解することができるだろうと思う。
2013年07月03日

簀とは、竹ヒゴや葦の茎を並べて糸で編んだり、細い板を横に並べて打ちつけたりして、すきまのある平面に仕立てたものをいう。敷いて水を通す道具にしたり、魚を捕るために用いたりするほか建具としても使用する。「すだれ」は垂らして用いるものを言い、葦簀は葦の茎を利用して作られたもので、竹で作れば竹簀という。ヨシズには横に垂らして用いる「掛け簾」と、縦に立て掛ける形の「立て簾」と呼ばれる種類があり、ヨシを素材として編まれた「葦簀(葭簀)」は夏季を中心に軒先などに立て掛けて、日光の直射を遮るために使用されるものである。葦の茎を編んでつくった簀(す)は、竹簀より上等品とされる場合がある。細めでも丈夫で軽いので、巻いて持ち運ぶのにも便利である。「よしず囲い」という言葉があるように、家屋の周りに立てかけ目隠しや日除け・風除け・雪除けとしただけでなく、ハレの日には玄関先に立てかけて埃り除け・雨除け用としても使われた。よしずで囲った小屋や店は葦簀張りという。簾に緑色の布の縁取りなどをした簾のことを特に「御簾」と言い、「ぎょれん」とも読む。大名や公家が、部屋の中や外を分けるのに用いられていた。この場合は、季節に関係なく使われた。歴史ある伝統芸能の南京玉すだれは、芸と簾の両方を指して言う。長さ30cmほどの竹製のすだれを手に持ち、唄にあわせて踊りながらすだれを変化させて釣竿、橋、しだれ柳、旗などの形を作る。えりの一種に、簀立てという漁法がある。割り竹や木で簀を編み、杭を立てたところに簀を張り、複雑な迷路を作り、上げ潮で簀の中に入り込んだ魚が引き潮で逃げられず取り残されたものを、たも網や手で捕獲する仕組みである。現在では、御簾を架ける家庭は珍しくなったが、白居易の七言律詩には、「香爐峰雪撥簾看(香鑪峯の雪は簾をかかげてみる。)」と詠まれている。梅雨最中なのに今週の天気予報は、降雨の予報は無く後半から毎日最高気温が上昇して週末には33度の猛暑日の予報が出た。私はクーラー嫌いなので、毎年、糸瓜やゴーヤのグリーンカーテンと簾のお世話になっているのだが、今朝の日差しを見て急遽15面の開口部に18枚の簾を掛けた。家内は新しい簾に替えてというが、変色はしているが未だ使えそうなので今年もまた頑張ってもらうことにした。これで節電に寄与して、涼やかな夏を過ごせるとしたらこれこそ一石二鳥というものである。
2013年07月02日

山荘からの帰り一年振りに、標高700mの山の上にある「ほったらかしの湯」を訪ねた。温泉好きの多くの人は、入ったことがなくても名前だけは知っている人が多い。この人を小馬鹿にしたような名前は、掘りあてた温泉を簡単な無料の混浴露天風呂を1つ作ったままで放置していたところからついた名前だという。その後、保健所から温泉の衛生管理について行政指導を受けたので、1998年に脱衣所と露天風呂だけの有料施設としてスタートしたものである。むしろ今では、施設も貧弱で何のサービスも無くほったらかしにされているところからそれが名前になったと思う人が多いそうだ。開業初日は会社の知り合いが2名、二日目に来湯した実質最初の客1人から口コミにより、テレビでも取り上げられて広く知られることになり、現在は観光バスも乗り付けるほどの盛況に繋がったものだという。2003年12月に新しい湯を開設。「こっちの湯」は掘っ立て小屋、「あっちの湯」はバラック小屋の佇まいで、建物はすべて社員の手造りながら年間約45万もの人が訪れるという。旧源泉は32℃、毎分306リットルph9.6で、あっちの湯の新源泉は、1500mの深層の破砕帯から揚水していて泉温41.4℃、毎分183.6リットル、ph10.1であるがどちらも源泉掛け流しではない。石沢温泉駅の標高は271.39mだから230mも急坂を登らなければならない。標高700mの露天風呂から甲府盆地と富士山の姿を眺められるのが売りの温泉なので、天気が悪く眺望が悪いと評判倒れの感が否めない。入浴料大人700円の内、眺望が300円分ほどを占めると思えば理解が早い。舗装のない砂利敷き駐車場はでこぼこしていて、風や車の走りで土埃が舞い上がっている。手作りというだけあって鉄パイプむき出し、内湯は小さなコンクリート製のプールに木製の縁を付けたものである。夜景・朝日に輝く残雪の富士・満点の星空・甲府盆地の町並・ピンクの絨毯を敷き詰めた桃の花の内一つでも体験できたら700円はお手頃入浴料だろうか。逆に昨日のように、その内のどれも見られなかったら少し高い入浴料を払ったと思うかもしれない。残念ながら画像に残せそうな景色は、全く見られなかった。駐車場から風呂の入り口に向かう右側に、無数の亀が彫られた大木2つが据えられて客を迎えてくれる。もしこれからこの温泉を訪れようとしている人は、パソコンで印刷して「特製手ぬぐい無料クーポン券」を持参すると手拭いがもらえる。
2013年07月01日
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