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カルガモは漢字では、「軽鴨」と表記するマガモ属の鳥である。嘴の先が黄色をしており、体長60cmほどで全国の水辺に1年中見られる留鳥であるが、北海道では冬に南へ渡るので個体数が少なくなる。マガモの雌に似ていて、腰の部分に白い三日月模様がある。雑食性で、イネなどを食害する害鳥とみなされることもある。カモ類はオスの飾り羽が美しいのが一般的だが、カルガモは全身が茶褐色のほぼ雌雄同色で、翼の一部に光沢のある青色がある。 小樽運河を泳ぐマガモ 相模原公園のカルガモ軽鴨の名前は、紀皇女が「軽池の 浦廻行き廻る鴨すらに 玉藻の上にひとり寝なくに」(万葉集3-390)と詠んだ歌の、軽の地にあった人工の「軽池」にいつもいたカモが由来ともいわれる。橿原市石川町の剣池には、自然石の大きな歌碑が建っている。別の名称由来の説には、どこにでも居て古来から猟鳥として非常にありふれており、「存在が軽いカモ」と言う意味が由来であるとする説がある。カルガモの名誉のためにも、万葉ロマンの込められた前者の説を採りたい。都市の中心部でも大きな池がある公園などで人の活動する近くで営巣し、雛鳥を連れてより大きな水辺へ街中を移動する様子が毎年のニュースになる。カルガモは雑食性のためか、料理の方法を工夫しないと肉の臭みが強くて食べることができない。50年も前に、実家の池で沢山飼育していたカルガモを鍋にしたことがあったが、素人料理ではとても口にできるようなものではなかった。鴨鍋にネギを入れると臭みが無くなって美味しく食べられるという事から出た言葉に、「鴨が葱を背負ってくる」という言い回しがある。カモは比較的捕まえやすいところから、利用しやすい人のことを「カモ」といい、食い物にしやすい人が利益になる材料と一緒に来ることに使われる。略して、鴨葱と言う。今では、カモ鍋に葱はつきものだが、かつては鍋に入れる材料はネギではなく、芹が「カモに合うもの」とされていたという。たしかに芹も癖の強い食材だから、カモ鍋の具に合うかもしれない。誹風柳多留に、「芹の上 鴨昼寝して うなされる」と詠まれている。ひょっとしたら「カモネギ」ではなく「カモセリ」の言葉になっていたかもしれない。県立相模原公園の噴水庭園では、多くの人が近くを往来するのにも関わらず秋の日を浴びて、今年誕生したと思われる幼鳥を含めて17羽程のカルガモが水遊びに興じていた。この場所は相模川にも至近の距離にあるところから採餌も容易であると考えられ、多分毎年公園内で営巣を繰り返しているものと思われる。 小春日和の陽光を浴びてじゃれ合って遊ぶ様子を眺めて、イヌやネコ・キツネなどの天敵に襲われたり、心無い人にカモ鍋にされなければ良いがと思ったものである。
2013年10月31日

人を罵倒する馬鹿と言う言葉は知識や思慮、更には理解の度合いが足りないことを指して使うことが多い。関東では阿呆がより侮蔑をこめて強く罵るニュアンスなのに、関西では逆に馬鹿に罵りの意味合いが強く逆転している。同じ言葉を用いても、出身地で受け取られ方が大きく違う事に注意が必要である。つい最近某テレビ司会者が、不祥事を起こした子供に対してテレビ会見で「ばかやろう !」と言い放ち物議を醸しており、時の首相が言ったこの一言で国会が解散した例もある。しかし一方では、親しい間柄や恋人同士の間では、罵倒の意味を持たない場合が多い。馬鹿を「ばっか」と言う場合も同じである。しかし、多かれ少なかれ感情的な意味合いを含む言葉であるため、公的な場での使用は控えるべきである。昨年5月に開業した、世界一の高さの東京スカイツリーが22日開業1周年を迎えた。展望台へは638万人が入場したという。五月から半年を経た現在の入場者数について発表されていないが、おそらくはすでに900万人を突破しているのではないかと推測される。私もその内の一人で昨年の9月人並みに、入場中の大半の時間を待ち時間に費やして上った。大変な思いをして入場したのに、無情にも曇天で霞んだ景色はほとんど見通しが利かなかった。人はどうして、そうまでして高いところに上りたがるのだろうか。ものの譬えで、「馬鹿と山羊と煙は高いところに上る」というのがある。無風の時の焚火の煙は、必ず高く上がる。火で温められた空気が軽くなって上空に上るためであって論理的に説明がつく。また野生のヤギは高い所に棲み、優れた平衡感覚と敏捷さで急斜面を往来しながら飼を探す。家畜となった山羊であっても、本能として高い場所があるとその上に登る。ハワイ諸島のカウアイ島ワイメア峡谷では、野生の山羊が切り立った崖や岩場を俊敏に上り下りする姿を遠望することができる。人や事物を罵倒する「馬鹿」という言葉には、次のようなさまざまなニュアンスがある。愚かな行為には「馬鹿なことをした」といい、それをした人は「馬鹿者!」と言われる。一般常識や知識の乏しい人には「馬鹿だねー」といい、子供に対して客観的で理性的な判断が出来ない盲目的な状態は親馬鹿と称される。ある事物にのみ精通し、一般常識が欠落している人物を評する場合にも「技術馬鹿」「パソコン馬鹿」などのように使われる。並はずれていることを表現する接頭語としては、「馬鹿正直」「馬鹿騒ぎ」「馬鹿受け」などがある。高いところに上りたがるものとして、山羊や煙と並べて言われる馬鹿にはどんな意味合いがあるのだろうか。馬鹿と言う言葉のニュアンスには、否定的な意味と肯定的な意味があるがこの場合はどちらかというと否定的に使われているように思われる。しかし、高いところに上りたがる人が否定ニュアンスの「馬鹿」であったら、ほとんど全ての人が「一般常識や知識の乏しい人」と言うことになってしまう。人は誰でも高いところから下を見下ろしたいという欲望を持っていて、実は高いところへ上るのは山羊と煙と高所恐怖症以外の人なのである。
2013年10月30日

双子台風が通り過ぎ、暫く振りに秋晴れの休日となった日曜日は多くの家族連れで県立相模原公園が賑わった。すでに葉の色を変え始めたメタセコイヤ並木の大木の梢からは、季節外れのアブラゼミの声が降り注いでいるのに、赤や黄色に色づき始めた木々に混じって今年も芝生の縁に植えられた8本の冬桜とジュウガツザクラがポツポツと花を咲かせ始めた。この時期に咲く桜には4月上旬頃と10月頃の年2回開花し、花弁が十数枚の八重咲きで花弁の縁が薄く紅色になり、萼筒が紅色でつぼ型をしているジュウガツザクラと呼ばれるものがある。 ジュウガツザクラこのサクラと同じ頃の11~12月に蕾の3分の1に花が咲き、残りの3分の2は花径がより大きくなって4月に再び咲くフユザクラといわれる種類とがある。 フユザクラフユザクラはコヒガンザクラの園芸品種とされ、花は白色か淡いピンクで小さな一重咲きであることから八重でピンクの濃いジュウガツザクラとは区別がつく。しかし、一般的には、どちらも区別されないでフユザクラの名前でいわれることがある。フユザクラの名前は、冬の期間に咲くことが由来とされる。どちらかと言うと、ポツリポツリと咲くサクラは離れた場所からは紙クズが着いたようにしか見えない。春にはこれらの木の下にも敷物を敷いた家族連れが多かったのに、今の時期には木の下で憩う家族連れは一組も見当たらない。花が咲いている樹の下を通っても、子供連れのほとんどの家族はサクラの花に全く無関心で見向きもしない。矢張り花見のサクラは、花が群がって咲いていた方がサクラらしくて好いのだろう。一生懸命光線の具合や、被写体の花を探している姿を遠くから不審げにチラッと見るだけで、花には全く関心が無いように見える。一つ一つの花を間近で観察するのも、なんとなく風情があっていいのだが。
2013年10月29日

その時々で、コロコロと変わりやすい人のことをお天気屋という。また自主性が無く相手まかせのことはお天気まかせ(ひとまかせ)ともいう。天気はまことに、人の意のままにならない。 見事に紅葉したハナミズキ例年なら秋の気配濃厚になるはずの10月11日に、東京で最高気温が30度に達し1875年に観測を始めて以来最も遅い真夏日を記録した。そうかと思えば、伊豆大島に甚大な被害をもたらした季節外れの大型台風26号に続いて、27号・28号の双子の台風が発生した。この台風は列島直撃の予報も出されていたが幸いにも、小笠原諸島を暴風域に巻き込んだ後28号は足早に東進して熱帯低気圧に変わった。のろのろ台風の27号は20日には中心気圧910hPa、最大風速60メートル(最大瞬間風速85メートル)の今年最強の台風へと発達し、最盛期を迎えたまま日本に近づくと予想されていたのだが沖縄大東島辺りで3日間も停滞した後、関東地方に接近したときには予報円の最も東側を足早に通過したため関東地方には大した被害がもたらされなかった。 後旬日で真黄色に台風一過の27日は、朝からポカポカと温かい文字とおりの小春日和となった。久しぶりに孫を連れて公園に出かけたが、駐車場は満杯で園内もしばらく続いた雨天から解放された多くの家族連れで賑わっていた。園内で小春日和に浮かれたのは人間ばかりではなく、メタセコイヤの大木の梢からは驚いたことに複数のアブラゼミの鳴き声が聞こえてきたのだ。芭蕉の有名な一句、「閑かさや 岩にしみいる 蝉のこえ」は真夏のアブラゼミの声だとする解釈があり紅葉の季節の蝉では句がなんとも間抜けになってしまう。アブラゼミは一般的には、ミンミンゼミやツクツクホウシより先に鳴きだして先に鳴き終えるのだが、東京の記録では11月13日にアブラゼミの声を聞いたとする記録が残っている。この記録には及ばないが紅葉の始まった木々の間からセミの声を聞くのも妙な感じがするものである。 黄葉の始まったモミジ 台風26号の通過後それまでの温かな夏の空気が一転、秋の空気に入れ替わり急に寒くなったために、地中からは這い出したセミが果たして鳴いていいものかどうか戸惑っていたのではないだろうか。ところが次の台風の後、また突然のポカポカ陽気となったために夏が来たと勘違いしたセミが鳴き始めたのではと思うのだが。公園の広い芝生で遊びに興じる家族連れは、全くセミの声には関心が無いようであった。
2013年10月28日

都会人では、ゼンマイの生の姿を見たことのない人が多いと思われる。ゼンマイはワラビと並んで最もポピュラーな山菜である。しかし都会育ちの妻は、名前は知っていても実物を見てゼンマイとワラビの区別がつかない。先日信州の妹から、到来物の乾燥ゼンマイを貰った。ゼンマイの名称は、若芽の頭が機械の発条(ゼンマイ)に似ているところからつけられたものであるが、手捲きの柱時計がなくなった現代では機械のゼンマイ自体を目にしたことのない子供がほとんどであろう。根茎から叢生した新芽の頭は、きれいな渦巻き状で表面は茶色の綿毛で覆われているが、成長すると自然に毛を落とす。シダの仲間で、葉の切れ込みが少ない。日本全土の山野に自生し、葉が展開してない若芽は葉柄にタンパク質や炭水化物を多量に含んでいて、ワラビと並んで山菜として名を知られている。日本では、ワラビ・ゼンマイ・ツクシ・ヘゴ・クサソテツ(コゴミ)などの他にも20種ほどのシダが食用とされる。ワラビはあく抜きをしてから塩漬けとして保存するが、ゼンマイの場合多くは蒸した後乾燥して保存食とする。ヤマドリゼンマイとオニゼンマイの二種類があり、どちらも佃煮・お浸し・胡麻和え、煮物などにして食べられる。根元から折り採って表面の綿毛を取り去り茎だけにし、ゆでてあく抜きした後天日に干す。干しあがるまでに何度も手揉みをして柔らかくし、黒い縮緬状の状態で保存する。東北地方では、ゼンマイの綿毛を使って織物が織られていた。綿毛を蒸して天日で乾燥させ、真綿を混ぜ合わせて糸を紡ぎ布に織る。ゼンマイの布は保温性や防水性に富み、また防虫・防カビ効果に優れていたという。現在では織る人がいなくなって、ゼンマイ織りの布を入手することは不可能と言われる。ゼンマイの語源には「せんまき(千巻き)」由来説と、巻いた姿が古銭に似るから銭巻とになってそれが転化したとする説などがある。ワラビはあく抜きをして直ぐ食べることが多いが、ゼンマイはいったん干してから使用することが多い。乾燥品を入手した場合は、水でもどすことが必要である。最初水で2時間、次いで水から湧きたつ寸前まで火にかけ室温で冷ました後再度同じように火にかけ、下ろして一日そのまま置くと完全にアクが抜けてプックリと戻る。もどしたものを適当な大きさに切り最初に油で炒めたところへだし汁を加え、煮立ってから酒・みりん・砂糖などを加えて煮込む。十分柔らかくなったところで醤油を加えて仕上げる。油揚げがよくあうので、油揚げと炊き合わせすることが多い。ビタミンA、葉酸、ビタミンC、食物繊維食物繊維が豊富に含有されており、干すことによりビタミン類は減るがタンパク質とカリウムが多くなる。 蝶の舌 ゼンマイに似る 暑さかな 芥川龍之介 花言葉 秘めたる若さ 夢 夢想
2013年10月27日

40年も前に都内某区の緑化まつりでもらって植樹し、今では3mにも成長した我が家の生け垣のクルメツツジ「飛龍の舞」が、今年も10月中旬になって大量に花を咲かせた。春の花が季節でもないのに秋口に再び咲くことを、狂い咲き・二度咲きまたは帰(返)り咲きともいう。植物の開花は種によって一定の季節・時期が定まっているが、これは日長その他の条件によって支配されている。それらの条件が乱されると、本来の開花時期と異なった季節に花を咲かせることがある。植物の開花の時期の決定は、花芽の形成を誘導するメカニズムと、開花するまでの環境条件との二つによって決まることが判明している。通常花芽は落葉した状態で休眠して、冬の寒さに耐えるようになっている。この休眠を誘発する物質は葉で作られ、花芽に移動するとされる。狂い咲きは植物個体のごく一部分であったり特定の個体だけのことが多いことから、一定の環境条件が整ったとしても個体によっては必ずしも花芽形成して開花にいたらないことの方が多い。狂い咲きは夏の終わりか秋の初めごろ、強風によって葉が吹き飛ばされて丸坊主になってしまったとか、アメリカシロヒトリなどの毛虫が大量に発生して葉が無くなってしまったときに起こりやすいと言われる。桜や梅などの落葉樹の場合は花芽ができた後の葉に、「成長抑制ホルモン」が作られこれが花芽に移動する。植物ホルモンがあれば、通常花芽は例え季節外れの暖かさがやってきても開花することはなく、花芽のままの状態で越冬する。成長抑制ホルモンは冬の寒さに当たることで破壊され、花芽の成長を始める準備が整う。これを、「休眠打破」とよんでいる。冬の寒さに当たると成長抑制ホルモンが破壊され、その後の気温の上昇で花芽が成長し開花する。葉で作られた成長抑制ホルモンが花芽に移動する前に葉が落ちてしまうと、ホルモンが花芽に届かないのでその後の温暖な気候に遇うと花芽が目覚めて開花してしまう。このように狂い咲きが起きるには、成長抑制ホルモンが葉から花芽に届かないことと、暖かさに当たることの二つの条件が重なることが必要であると言われる。クルメツツジは落葉樹ではないので、少なくとも落葉と植物ホルモンの直接的な影響は無いと思われる。然も毎年春秋の2期に咲き、隣り合わせで植えられていて全く環境条件が同じ同種のクルメツツジには花が咲かない。我が家のクルメツツジの開花には今年の夏の猛暑が多少影響しているとは言え、二期咲きの性質を獲得したのではないかとも思われる。植物には、解明されていない不可思議な現象がまだまだ多い。
2013年10月26日

大和撫子ということばの意味は、古来日本女性は「可憐で繊細にしてしかも心は強い」とされ、その様子をナデシコの花に重ねた女性に対する褒め言葉である。花言葉は可憐・貞節とされる。しかし現代の日本女性が、「可憐・繊細・芯が強い・貞節」という花言葉や大和撫子の意味に重なるのかについては大いに疑問である。14年前、妻と散歩中に水田の土手に咲いているのを見つけ、草刈りされる寸前の株を一株採取して山荘の庭に植えたものから種が飛んで、その後庭のあちこちに根を下ろした。7月ころから開花した株に、秋が深まって庭に花が無くなった現在も日だまりの中で儚げに咲き続けている。秋の七草に数えられるナデシコは、このカワラナデシコのことで別名ナデシコあるいはヤマトナデシコともいわれる多年草である。ナデシコの名前由来については諸説あるが、小さくて色も可愛い花を愛児を撫でて慈しむ、「撫でし子」に見立てたという説がもっとも説得力がある。本州・四国・九州に分布するほか、沖縄離島にも少数が自生している。日当たりを好み草原や河原に生育するが、路傍・山地の斜面や海岸の砂浜等でも生育する。草丈は高さ30~70cmで、茎は根から叢生して竹のように節が膨らみ細い茎はしばしば倒伏して地上を這う。花は、7月から霜が降りるまで咲く。茎の頂端に、長い紡錘形の蕾を着けその先から直径4~5cmの花が開く。がく片は3~4cm、苞(ほう)は3~4対ある。花弁は5枚で、先が糸状に細裂している。雄蕊は10本、雌蕊は2本で、色は淡紅色が一般的だが、白色のものもある。白色のものを植えても、栽培しているうちに淡紅色の花に変化してしまうこともある。 野の道に 撫子咲きぬ 雲の峰 と正岡子規が詠んだように、戦後までは路傍の至る所で見られた野草だが、自生地の開発や好事家の採集、動物による食害、外来種の影響等で著しく減少している。薬用としても利用されており、開花期の全草を瞿麦(くばく)、種子を乾燥したものを瞿麦撫子は全草を瞿麦(くばく)、種子を乾燥したものは瞿麦子(クバクシ)といって利尿や通経に用いられる。 撫子の その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日無けむ 大伴家持
2013年10月25日

秋が深くなって、山荘の庭に咲く花も少なくなってきた。そんな中で、8年も前に愚酔庵主からいただいたノコンギクが一際存在を主張している。…野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。「民さんはそんなに戻ってきないッたって僕が行くものを……」「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。…。伊藤左千夫の悲恋小説「野菊の墓」の一部分である。ここで語られる野菊とは、ヨメナかノコンギクのことである。ノコンギクだと断定する人もいるが、この場合野菊の種類はどちらでも良いような気がする。ノコンギクはキク科の多年草で普通にどこの山野にも生え秋に、中央は黄色で周辺は紫色の頭状花を多数つける。実に冠毛があるので、無毛のヨメナとは区別がつく。名の由来は、野山で普通に見られ花が紺色の「菊形」であることからつけられたものといわれる。地下茎が横に這い、あちこちから芽を出し群落を作りやすい。茎は立ち上がって枝を出し高さは50cm~1mに達するが、生育の途上で刈られた場合には小さい姿でも花をつける。8月末から、初霜が降りるころまで花を咲かせる。若芽や若葉は山菜として、薄く衣をつけて天ぷらや、塩を入れた熱湯でかるく茹でて水に取ったものを和え物・汁の実・油炒めなどにして食べられる。10月28日は3年前孫の出産時に、医師の手術の失敗と判断ミスが重なった医療事故によって若くして死亡した長女の誕生日で、この日の誕生花がノコンギクである。花言葉は、娘への気持ちそのままの「忘れられない想い」である。秋草の いずれはあれど 露霜に 痩せし野菊の 花をあわれむ 伊藤左千夫
2013年10月24日

カラハナソウ(唐花草)は、雌雄異株のアサ科の蔓性多年草で果穂が唐花模様に似ていることから名前がついたと言われる。ほとんど同じ形態の植物にセイヨウカラハナソウがあるが、こちらはホップと呼ばれビールの原料として栽培される。ホップはビール独特の苦味・香り・泡の元として重要であり、また細菌の繁殖を抑え保存性を高める効果もある。カラハナソウは中部地方以北の本州、北海道の山地に自生している。ホップの変種で形態が似ていることから、しばしばホップと混同されことがある。ホップは、日本では北海道の一部にしか自生していない。松毬(マツカサ)状の実はホップと同じ香りがするが、ホップに比べて苦み成分が少ない。カラハナソウの茎は蔓性で長く伸び、葉柄とともに小さい逆向きの刺がある。葉は多くは卵円形だが3中裂するものもあり、長さ・幅ともに5~12cmほどで先端はとがり、縁にはやや不ぞろいの鋸歯を持ち両面に粗い毛があってザラついている。花期は8~9月で雄花は長さ10~15cmの円錐形、雌花は球果状で短い柄で下垂し緑黄色をしている。標高1000mを越えるような山地の林の縁に、絡みついているのを目にすることがある。山荘の標高は630mほどで、このあたりの地域の藪ではほとんどが同属の草姿がそっくりのカナムグラしかない。葉が楓の葉の様に深く5裂して入ること、雌花は松毬状をしているがカラハナソウと比較して小さいことから判別がつく。ホップやカラハナソウの苦味成分には結晶性苦味配糖体のフムロン・ルプロンの他、フムレン・ミルセンという香り成分を含有している。松毬状の実を採取して、陰干しで乾燥させたものに熱湯を注いで健胃・鎮静・利尿の目的で飲用する。一般にはあまり知られていないが良く乾燥したカラハナソウの雌花を、35度のホワイトリカーに漬けて3か月もすると澄んだ琥珀色の苦味の利いた「カラハナソウ酒」ができる。砂糖は好みで、入れても入れなくても良い。山梨県との県境に近い長野県の入笠山(1995m)に自生しており、手に入ればカラハナソウ酒作りに挑戦したいのだが。
2013年10月23日

アマチャヅルは、ウリ科の多年生蔓草で、日本から東南アジアにかけて山野の藪地に自生する雌雄異株の雑草である。茎は葉の付け根の巻きひげで、他の植物などに絡み付いてよじ登る。朝鮮ニンジンと同じサポニンを含有するとの発表がされてから、乾燥したものを「アマチャヅル茶」として飲用することが一時ブームになった。葉は通常5枚の小葉に分かれ、葉には毛と凹凸がある。ヤブガラシに似ているが、茎の色が異なり柔らかい。葉は長柄があって互生し、短柄をもつ5枚の小葉からなる鳥足状で両面に白毛がまばらに着く。8~9月ごろ葉腋に短い花穂を出し、花冠が5裂し先端が鋭くとがった星状の可愛らしい小さな黄緑色の花を咲かせる。液果は7mmほどの球形で黒緑色に熟し、上部に横線がある。中国語名では「絞股藍」といい、古くから咳や慢性気管支炎の薬草として葉が使用されてきた。アマチャヅルとは、葉にユキノシタ科のアマチャに似た甘味があり蔓になるアマチャということからついた名前である。アマチャズルとよく似た蔓草に、ヤブガラシがある。こちらは地上茎が赤味を帯びて葉面に全く毛がなく、巻きひげは葉の反対側に着く。花は、赤みを帯びた総状花なので区別ができる。乾燥アマチャヅルは民間薬では七葉胆といい、鎮静作用の他・老人性慢性気管支炎・胃潰瘍・十二指腸潰瘍の予防と治療・強壮剤として用いられることがある。1977年日本生薬学会で、徳島大の竹本常松が「アマチャヅルには、薬用朝鮮人参と同様のサポニンが70種類以上含まれる」と発表したことから、それまで厄介な雑草として扱われていたものがにわかに脚光をあびることとなった。サポニンとは植物に含まれる配糖体のことで、水や油に溶けて泡立つ特性であり、人体に対しては神経の興奮や、ストレスを鎮める効果があるとされている。特定のサポニンの薬理試験では、ガン細胞に対しての制がん作用が確認されており関節リュウマチ・低血圧・動脈硬化・肝臓障害などの予防効果もあるといわれる。しかし、成分の含有組成が朝鮮ニンジンとは異なっており、朝鮮ニンジンと同じ効果があるかどうかについてははなはだ疑問である。俗に、「滋養強壮作用がある」、「抗ストレス作用がある」、「胃、十二指腸潰瘍に効果がある」といわれているが、ヒトでの有効性については信頼できる十分なデータが見当たらない。むしろ妊娠中の使用には危険性が示唆されており、使用は避けた方が良い。副作用として重篤な吐き気を引き起こした例や腸運動が増す可能性、あるいはアマチャヅル粉末によるアレルギー症発症の報告がある。ひと頃多くの人が目の色を変えて、アマチャヅル採取に躍起となっていたが数年を経ずしてブームが下火となった。私自身も髪の毛が増える効果があると言われて飲用したことがあるが、抜ける方が早かったのか増毛効果は全くなかったように思う。ブームから30年以上を過ぎた現在も、アマチャヅルに病気の治療効果あるいは健康増進作用のあることは科学的に実証されておらず、安易な多飲・多食は慎むべきであろうと感じるのだが。
2013年10月22日

隣の山から移植した30cmほどのニシキギが、14年を経て樹高・株廻り共に2mを越えるほどに大きく育った。今年の富士山初冠雪は、平年より19日も遅い今月19日であった。山荘の西に聳える南アルプスの甲斐駒ケ岳には未だ初冠雪が観察されていないが、台風一過の後の冷気の吹き込みで山の色の変化が遠目にもわかるようになった。 甲斐駒ケ岳(300mm望遠レンズ使用)山荘の周りでは未だ樹木は緑を保っているのに、庭のニシキギの葉が急に色づいてきて赤い実も目につくようになった。ニシキギは明るい山野に自生する藪立ちの低木であるが、モミジ・スズランノキと共に世界三大紅葉樹と言われる。ニシキギを移植した同時期に大阪の園芸店から取り寄せたスズランノキは、残念ながらテッポウムシの侵入で2年目に枯死してしまった。ニシキギの枝は表皮を突き破ってコルク質の2~4枚の翼が伸長することが特徴であり他の樹と識別しやすい。しかし、翼を出さないコマユミという品種がある。ニシキギの名称の由来は、秋の紅葉の美しさを綾錦の「錦」に例えたものである。また別名のヤハズとは、枝の翼を矢筈に、剃刀の木と言うのは枝にある翼の形が由来であり、ソバノキとは、実の形が蕎麦の実に似るところからついたものである。実は一花に二個つき、種子から採取した精油成分はさまざまに利用されている。この実は昔、シラミの駆除に用いられていた。実を採取して水で洗浄後、天日干しで乾燥しその煎汁で髪の毛を洗浄した。また、実を砕いたものに水と油を混ぜて練って髪の毛に塗ったりもした。実に含有される精油成分は、下痢や腹痛・吐き気といった症状を引き起こすため、内服に用いられることはない。この精油成分には鎮痛・鎮静・消炎の効果があるとされ民間療法で、打ち身・生理不順・棘刺しの改善目的で利用されていた。楕円形の果実は熟して果皮が割れると、赤い仮種皮に覆われた小さい種子が露出する。これを鳥が食べて、消化されずに残った種子が糞として排泄され種子散布が行われる。西日を避けて、日当たりの良い場所に植えると美しく紅葉をする。秋の紅葉とは裏腹に、春に目立たない淡緑色の小さな花を咲かせる。花の大きさは5mm程度で葉の下に隠れる様に咲く。 錦木に 寄りそひ立てば 我ゆかし 虚子 花言葉 危険な遊び あなたの魅力を心に刻む あなたの定め
2013年10月21日

16日の早朝関東地方に接近した台風26号は、伊豆大島に激甚災害をもたらした。続いて大型で強い台風27号がさらに発達をしながら、同じようなコースをたどって北上を続けている。今回は少なくとも、人命に被害が出ないことを願っている。山梨県北杜市の大武川右岸近くに、山荘が完成して間もなく訪れた駐在所の警察官は、「この土地はかつて大水害を受けた場所なので、大雨になる予報が出たらすぐに自宅へ帰った方が安全ですよ。」と話していった。脆弱な花崗岩でできた南アルプスの山塊は脆くて、たやすく崩れやすくこの山に源を発する大武川は、過去に何回も氾濫を繰り返してきた歴史がある暴れ川である。最も大きな被害を出したのは、昭和34年8月14日に来襲した台風七号(伊勢湾台風)であった。我が家の山荘の対岸の旧武川村中心部は、土石流に呑まれ巨石の河原と化し流失民家338戸、死者・行方不明23人、流失農地188町歩、堤防橋梁のほとんどが流出するという惨状であった。この災害復旧には、4年の歳月と35億円の巨費が投じられたという。これらの謂われが詳しく書かれた碑が、国道20号線の牧原交差点の先大武川に架かる橋梁の右袂に建っている。旧武川村が被災後10年を経た昭和44年8月14日に、災害当時内閣総理大臣であった岸伸介の書による「治水興郷」の碑を建立したものである。碑文には「・・・茲に謹んで幽界に逝きし人々を偲び全国同胞の温情に感謝し且永久に治水興郷の実現せんことを祈念してこの碑を建つ」と記されている。一方、この碑が建つ大武川の上流右岸の通称「水車公園」の反対側に、ひっそりと一石塔が建っておりその傍らに被災50周年を記念して平成21年に建てられた石碑がある。石碑には、台風7号により発生した土石流が午前7時40分に、「…百雷の轟音と共に当部落を襲った。幸いにも一石塔の寸前で土石流は迂廻したのである。これも一石塔の加護であろう。…」と碑文に記載されている。この部落では6名の尊い命と数戸の住宅が奪われたという。土石流による激甚災害発生後56年を経過し、大武川は河川改修が進んで夏には多くの子供たちの絶好の川遊び場となっている。山荘に通い始めて14年目になるが、一度だけ広い川幅いっぱいに濁流と流木が押し寄せたことがある。治水事業で河川改修が進んだ現在、もはや56年前のような土石流の発生は起きないのではないかとさえ思える。災害が起きてから初めてその場所が危険な場所で、住居を構えるべき場所ではないと思うのだが、はたして我が国に、全く自然災害発生の恐れのない場所と言うものがあるのだろうかといつも考えさせられている。
2013年10月20日

秋が深くなると、山荘の庭に咲くリンドウが目につくようになる。15年ほど前知人の山中湖の山荘へ遊びに行った折、隣の草地の至る所に生えていたものの何株かを採取してきて鉢植えにしていたものを、我が家の山荘が完成した際に庭に移植したものである。なぜか移植した場所を脱走して、今では家の周囲の何か所にも花を咲かせるようになっている。咲き終わったホトトギスの群生した中に、紫の花を上向きに咲かせる風情は何とも言えない趣がある。子供のころは、信州の山の畑の周りでいくらでも目にしたものだが、今は滅多にお目にかかれなくなってしまった花である。リンドウ属の多年生植物で軽井沢高原や、開田高原などで良く見ることができ、高原の多いさわやかな信州のイメージにふさわしいとして昭和41年に長野県の県花に指定された。古くから薬草として利用されて来たことから、はえやみぐさ(疫病草、瘧草)とも呼ばれた。この花は、本州から四国・九州の野山に自生している。花に太陽光が当たった時だけ、釣り鐘型の美しい紫色の花を開く。茎の先に上向きの花を10数個つけ、葉は細長く対生につく。雌しべは1本に対して、雄しべは5本である。ひとつの株から花茎が1~数本のびるが、草丈50cmほどの細い茎は直立することが少なく多くは地面近くに這ってしまう。かつては全国の水田周辺の草地や堤防などにたくさん自生していたが、数が少なくなって自然の状態で目にすることは難しくなった植物である。リンドウは薬用に利用され、根茎は淡黄色で少し肥大して長くのび多数のひげ状の根を持つ。根には、強烈な苦味を持っている。花屋で売られているものはエゾリンドウの栽培品で、花の数も多く見事に咲き根茎もリンドウと比較して太く大型である。リンドウの漢字表記の竜胆は、リンドウの根が熊胆(クマの胆)より苦いということから、竜の胆として竜胆(りゅうたん)の名前がついたとされている。生薬竜胆(りゅうたん)は、健胃を目的として用いられる。苦味成分(ゲンチオピクロシド)は舌の先を刺激して大脳反射により胃液の分泌を盛んにし、さらに直接胃壁を刺激して胃液の分泌を促進する。戦前戦後には胃薬に利用するため、農家の庭先に干されたリンドウやセンブリを良く目にした。日本では元々は炎症に処方されていたものが、西洋医学が日本に入り洋薬が使われるようになってから胃薬として処方されるようになったものである。イタリアではすでに紀元前167年ころから、健胃の目的でリンドウの仲間であるゲンチアナ・ルテアの根を使用していたと言われる。さし芽、株分け、タネまきで増殖がかのうである。毎年株が大きくなっていくが、根は年ごとに老化していずれ株自体が寿命を迎えて枯れてしまうので、さし芽で常に若い株を作っておくのが株を絶やさないために必要である。5~6月に茎の先端を5~8cmの長さに切り、土に挿す茎の葉を取り除き鹿沼土を入れた鉢に挿す。日陰で乾燥させないように管理すると1か月ほどで根が出る。花後の鞘全体が茶色に変色するか、自然に裂けた頃にタネを採取し、3月上旬頃に播種する。 石ばしる 水のかかりの音立てて 紫冷やき竜胆のはな 白秋 花言葉 悲しんでいるあなたを愛する (群生せず、一本ずつ咲く姿からついたものといわれる。)
2013年10月19日
平成13年の予防接種法改正により、インフルエンザが二類疾病に分類され市町村長は予防接種を行わなければならないこととされた。二類疾病というのは個人での発病と重症化防止、それにより副次的に集団予防を図る疾病のことである。対象者は65歳以上の者と60歳以上65歳未満であって、特定疾病にり患または機能障害を有するものとして省令に定めるものとされている。義務接種と異なり対象者であっても、希望する人にのみ接種を行うものである。このワクチンの効果は、接種の約2週間後から約5か月とされている。インフルエンザの流行期は12月~3月だから、10月中に接種すればちょうど良いということになる。副作用としてまれにショック、アナフィラキシー様症状(蕁麻疹、呼吸困難、血管浮腫等)があらわれることがあり、そのほとんどは接種後30分以内に生じるとされる。インフルエンザワクチンの候補株の選定と適性試験を10月下旬に開始し、候補株試験成績検討会で候補株の追加が12~1月中旬に行われる。3回のワクチン株選定会議を1月~3月にかけて実施し、ワクチンの製造・出荷が9月下旬までには行われる。ワクチン接種が始まる時期に、早くも来年のワクチン製造の検討に入るわけである。今シーズンはWHO勧告を踏まえ、(1)A/カリフォルニア(2)A/テキサス(3)B/マサチュセッツの3株でワクチンが製造された。従来実施されて来た義務接種としてのインフルエンザワクチン接種では、時として「急性散在性脳脊髄膜炎」が起きることがあった。併せて、ワクチン接種を受けても「風邪を引く」例が多く、ワクチン無効・有害説を産む結果となった。「食品・医薬品公害」追放を主導していた高橋晄正らの運動として、自治体議会には数多くの義務接種反対陳情が出された。その要旨は、インフルエンザワクチンは無効である。日本でのワクチン被害者は2000人以上で、諸外国と比較して非常に多い。義務接種は、被害拡大の一因であるというものであった。1992年、社会情勢等から国は義務的インフルエンザワクチンの接種を廃止した。その結果として廃止後毎年、高齢者施設や病院でのインフルエンザ流行が起き死亡率が高くなったため、高齢者の平均余命が短くなるという事態もあった。暫くの間インフルエンザワクチンの接種は、公では行われてこなかったが、2001年に法律が改正されて年齢制限のある希望者への接種として行われるようになったものである。私は以前、風邪をこじらせて肺炎を併発し死の一歩手前まで行ったことがあった。21日間入院治療したが、その後胸部レントゲンを撮る度に胸膜癒着の由来を説明する羽目となった。体力も落ちてきた現在、肺炎の発症も怖いのでこの数年は一部公費負担で行われるワクチン接種を受けることにしている。ワクチン接種を受けるようになって、季節の変わり目に毎年罹っていた風邪も引かずに過ごせているのは気のせいばかりでもなさそうである。
2013年10月11日

心配された台風24号は、九州北西部を掠めて温帯低気圧に変わり日本海を東進した。北陸では強風による被害も出たが、幸い関東地方には大した被害も無かった。この温帯低気圧に向かって暑い強風が吹き込み、さらに中央山地を越えて吹き下ろした風がフェーン現象を起こしたため昨日の糸魚川では、10月としては観測史上最高を記録して35.1℃という猛暑日となった。昨日の関東の西の空には終日、まるで真夏のように積乱雲が幾つも湧き立って、台風の黒い雲が流れていたが、東の空は青く澄んで秋の鰯雲が薄く棚引き夏と秋との同居した空であった。昨日の関東地方の日没は午後5時15分過ぎであったが、日没の5分前ころから久しぶりに見事な夕焼けが始まった。 夕方は太陽高度が低いため太陽光が大気の層を斜めに通過することになり、波長の短い青系統の光は散乱されて人の目にまで届かないので、波長の長い赤系統の光だけが見えることとなる。これが焼けのメカニズムで、色合いは空中の水蒸気量などで変わり台風の中心付近では黒みを帯びるという。日の出前に東の空が赤く見える朝焼けも同じ理屈で起こる。夕焼けは空や地上を赤く染めて美しいが、明るい昼間の時間から暗い夜に移る合図でもあり、儚さやせつなさ、悲しさ、寂しさ、別れ、衰退や没落、老いや近づく死などの象徴とされている。秋の空は空気が澄み夕焼けが美しく、また日の長かった夏から徐々に日没が早くなっていくため夕焼けが意識されやすい。夕焼けは短時間で終わってしまうが、日本全国に多数の夕焼けの名所があり日本の夕陽百選として選定されている。昨夕の夕焼けの色を称して神々しいと表現する人もあるが、赤黒く燃え立つ様は私にはまるで地獄絵に描かれる火焔のように見えた。焼けた雲が流れさまざまに形を変える見事な天空ショーを暫く眺めていたが、やがて徐々に色が失われるとあっという間に闇に沈んでしまった。言葉通り、釣瓶落としの夕暮れであった。
2013年10月10日
吾妻鏡は東鑑とも書き表され、1180年の源頼政の挙兵から1266年の宗尊親王が帰京するまでの80余年間の鎌倉幕府の事跡を、年代順に記載した歴史書である。文体は、和風漢文体といわれるものでさまざまな伝本がある。少し興味があって、暇なときの折々に岩波文庫の吾妻鏡を手にするようになった。この本は、書き下しと注釈つきなので私が読むには都合がよい。吾妻鏡の第六巻文治二年(1186)三月を読み進めると、列挙された信濃國の地方名中に郷里の名前が多数出てくる。「小中太光家が文治二年(1186)三月小十二日庚寅に、左典厩一条能保の息子〔頼朝の甥〕の元服式祝いとして、馬三頭、砂金や絹を入れた長持ち二棹を持って行った。その折、京都朝廷から頼朝が支配している国の年貢が未納の荘園等について糺され、書きだした名簿が到着したので担当の者たちに年貢納付の催促をするようにと命じた。」との記載があり、三か国の荘園の事(下総、信濃、越後の国の未納荘園)の中の信濃の国では、伊賀良庄・伴野庄・郡戸庄・江儀遠山庄・大河原鹿塩の名前が記載されている。領家は尊勝寺領の伊賀良庄(現.飯田市北方、上殿岡)※尊勝寺は六勝寺の一つで、堀河天皇(1079~1107)の御願寺として建立されたが南北朝の内乱の兵火で全焼した。伊賀良庄とは、旧伊賀良村のことで合併して現在は飯田市に含まれ、中央道の飯田インターの周辺である。領家は西門院の伴野庄(現:下伊那郡豊丘村神稲)※西門院は後白河の姉、伴野庄は旧下伊那郡神稲村にあった地名で、現在は河野村と合併して豊丘村神稲となっている。領家は摂関家の郡戸庄殿下(現:下伊那郡高森町)※殿下は藤原氏惣領家で近衛基道。江儀遠山庄(現:下伊那郡阿南町)大河原鹿塩(現:下伊那郡大鹿村鹿塩)※大鹿村は、昨年話題になった映画「大鹿村騒動記」の舞台となった。この中で伴野庄は再度の督促にも関わらずなかなか年貢を納付しなかったと見えて、小笠原次郎長清に厳しく命令して納めさせたことを、頼朝が師中納言吉田經房に伝えたと書かれている。厳しく年貢を取りたてる支配者に対して、農民のささやかな抵抗のあとを見る思いがする。江戸時代に木曽日義村の古畑権兵衛が木曽山脈(中央アルプス)に道を切り開き、木曽と伊那を結ぶ重要ルートとして「権兵衛峠」が使われるようになる。明治末期に作られた伊那節の歌詞に ♪「木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の お蔵米(または、余り米とも)」と歌われており、南アルプスと中央アルプスに囲まれ、天竜川の水が豊富な飯伊盆地は段丘に用水が引かれて水田の開発が進み、稲作が盛んで生産量も多く昔から米どころであった。800年前と伊那節の歌詞が作られた時期とは時代が異なるにしても、搾りとられた年貢米が運びだされていく様子が目に見えるようである。
2013年10月09日
ひところ「九龍虫」と呼ばれる昆虫が、薬虫として大流行したことがある。世界大百科事典によると、日本では戦前と戦後の二回の流行があったとされる。中国には本種を高貴な香料や乾燥した薬草などで飼育し、その成虫を生きたまま強壮剤と称して丸呑みにする習慣があったのだという。昔の中国ではこの虫を精力剤としたほか、打ち身にはサソリと、寝小便には枸杞と、目の痛みには甘草と共に用いると効果があるいわれていた。しかし現実には日本で広まる以前から、中国では薬用として用いる人はいなくなっていたという。この虫はキュウリュウゴミムシダマシまたは、ガイマイゴミムシダマシともいわれ、鞘翅目ゴミムシダマシ科に属する甲虫の一種で、体長8mm内外の細長く黒色の光沢のあるムシである。全世界に分布し成虫、幼虫ともに貯穀類、乾燥果実、干肉などを貪り食う害虫で年、数世代を重ね適温では冬でも活動する。日本に中国のこの風習が1939~1940年ころ伝わり、本虫を飼育し生食する人が増加したが、間もなく下火になった。(世界大百科事典)このころ1匹数十円という破格な高値で売られたが、「百害あって一利なし」として販売が禁止されたともいう。それがなぜか30年も過ぎた1970年頃、再び日本全国に九龍虫を生食する流行がおきた。呑み屋では、サービスとして、キュウリュウチュウを酒のコップに浮かべて提供したこともあった。幼虫は、雑食性で穀類・パン屑、乾魚・乾肉などでも簡単に飼育でき、とくに朝鮮ニンジンで飼ったものが最も効果があるといわれた。中には「朝鮮人参、椎の実、龍眼肉などという贅沢なものばかり食っているのであるから効くのは当然である。」と断定して疑わない人もいる。一度に10匹ずつ酒に浮かべて飲むとよく効くと医者に勧められ、飲んだところ体力・精力が回復し疲れが取れた、肝臓が良くなったなどの出所不明の根拠のない効果効能が、今でも独り歩きしている。ヤンバルテナガコガネを新種として確認した昆虫学者の黒沢義彦は、本虫を生食することは医学的に何らの根拠もなく、その効果についてははなはだ疑わしいと「薬効」について全面否定している。もし食品の中にこの虫が混入していたら、明らかに異物混入でクレーム対象となる。ちょうどブームの頃、妻の父は知事の許可を得て多くの鶯を飼育していて、ブドウの枝の中を食い荒らすブドウスカシバの幼虫で通称「ブドウムシ」を餌としていたのだが、高価なため薬虫と喧伝された九龍虫の幼虫を代用の餌にしようとの考えでキュウリュウチュウを飼育していた。ブドウムシは大好物の鶯も、このキュウリュウチュウには全く見向きもしなかった。鶯にも嫌われたこの虫は、いつしか棄ててしまった。不満が治まらないことを、腹の虫が治まらないという。生きたまま穀類の害虫を腹に収めて見ても、根拠のないガセネタで人をだますのは誠に以て腹の虫が治まらない思いがするのだが。
2013年10月08日
「酢大豆を食べ続けたら、最大血圧が30ミリ下がった。1日20粒の酢大豆で、確実な減量効果を体験。毎日10粒ずつ食べて、便秘が解消した。」というような酢大豆の薬効についてのエピソードが、短大教授や医師と称する人の体験談として語られている。私は本態性高血圧で、20代の頃から最大血圧が150に近かった。現役のころ仕事の上で親交のあった公益法人の会長も、高血圧で降圧剤常用者であった。ある宴席で話題が高血圧の話になった際、劇的に血圧を降下させる作用があるからと会長から「酢大豆」なるものを一瓶貰ったことがある。何でも、血圧降下剤の服用を止めても薬と同じ作用があると言うのだ。彼の話では、使用する大豆は青大豆で、生のまま黒酢に漬けて一日二回10粒を漬けた酢と一緒に食べるのだという。折角なので言われたように貰った一瓶が無くなるまで飲んで見たが、残念ながら私の体には何の変化も現れなかったのでそのまま飲むのを止めてしまった。会長もいつの間にか止めてしまったが、期待した効能が無かった故ではないかと想像している。しかし酢大豆を現在も食べている人があるらしく肌に良く、疲労回復、血液がサラサラになり、便秘解消、血圧を下げて肝臓にも効果があると宣伝しており、まるで万能薬の趣がある。酢大豆の製法を探って見ると酢に生のまま、あるいは炒る煮るなどの加熱してから漬ける方法とが紹介されている。もともと大豆は「畑の肉」と呼ばれ、栄養学的には必須アミノ酸がバランスよく含まれた良質な食材とされ、血中コレステロールの低下作用、肥満の改善効果などの生理機能があるとされる。また食物繊維、カリウム、カルシウム、マグネシウムなど体に必要な様々な栄養素が含まれていて、コレステロールを含有せず、バランスのとれた食物である。一方、酢に含まれているクエン酸は疲労回復に有効とされ、ダイエット効果もあるとされる豊富なアミノ酸を含んでいる。健康食品とも言われるこの2つを一緒にした「酢大豆」は効能効果が大きく、現代人の健康食にぴったりであるとして料理研究家と称する人や酢大豆愛好家が推奨している。しかしながら「酢」や「大豆」の栄養分析はされているが、「酢大豆」に薬効のあることは現在のところ証明されていないのが実態である。大豆と酢を合体させて病気の治療効果が増したとか、病気の改善に役立ったとかいうデータはどこを探しても見つからない。むしろ食品安全委員会は大豆の副作用として、「含有されるイソフラボンは甲状腺へのヨウ素の取り込みを阻害する作用があるため、ヨウ素欠乏の状態で大豆製品を多食すると、甲状腺肥大をもたらす可能性がある。」と警告している。併せて、大豆はアレルギー食品であり、アレルギー体質の人に対して注意を促している。さらに公益財団法人日本豆類協会のホームページでは、「一般に、植物の種子には、外敵から身を守るための手段として、何らかの有害物質を含んでいるものが多いとされています。豆類もこの例外ではなく、種類により物質の種類や量に違いがあるものの、酵素活性阻害物質や生理的刺激物質など人間の健康に影響を与える種々の物質を含んでいるものが多いことが知られています。しかし、これらの物質は、加熱により変性・不活化されるため、加工処理や調理が適切に行われている限り、健康への影響を心配する必要はありません。豆を生のまま、あるいは加熱が不十分で生に近い状態で食べた場合は、胃や腸の障害等を引き起こす可能性があります。」と記載されている。巷間言われるような、酢大豆に薬に近い効果・効能があると信じるか信じないかは自由だが、少なくとも生のまま漬けこむ酢大豆の食用は止めた方が無難ではないだろうか。
2013年10月07日
世の中には、奇妙な食品を生み出す人がいる。「酢卵」と言われるものも、その一つであろうか。卵は卵殻・卵殻膜・卵白・卵黄から構成されていて、卵殻はカルシウムであり卵白の大部分はタンパク質である。卵は経済の優等生で、栄養学的には完全栄養食品と言われる。社団法人日本養鶏協会によると、卵には脳を活性化しアルツハイマー病予防が期待され、生活習慣病予防、抗酸化作用・美肌・風邪の予防などの効能・効果があるという。一方、酢の効能効果として東京農大の小泉幸道は、食欲増進・カルシウム吸収の促進・内臓脂肪の減少・血糖値の上昇抑制・血圧降下の6つを挙げている。世の中には自称料理研究家がいて、卵と酢の効能についてこれ以外にもさまざまに並べ立てている。そこで、この二つの食品を合体させたらより一層体に良い食品となるに違いないとの発想でできたのが「酢卵」ではないだろうか。食酢の中に良く洗い水を拭き取った卵を漬けこみ、卵殻が溶けたら出来上がりというものだ。卵殻はカルシウムなので、酢酸によって溶解する。卵殻が溶けた後には、卵膜に包まれたプヨプヨした卵白と卵黄が残る。この卵膜を取り除いて、掻き回せばいわゆる「酢卵」が出来上がるのだ。昭和40年代の終わり頃、職場の同僚が机の引き出しの中で作っていて味見した事がある。全く美味いものではなく、同僚も何回か試した後知らないうちに止めてしまった。一部の人は、酢卵に使う卵は烏骨鶏の卵で無いと効果が無いのだと言う。この酢卵には、想像していたように沢山の効能効果が謳われている。これらについてさまざまに文献を探してみたのだが、効能効果の研究や鶏卵と烏骨鶏卵との比較実験の論文は見当たらない。したがって、巷間伝わる効能効果のほとんどが伝承や想像の産物ではないかと思われる。現在、酢卵で健康被害が発生したとの情報は無い。しかし、食品とされているうちは良いが、薬と間違えるような効能や効果をうたった場合、それを信じた人は反って健康を害することになるかも知れない。宗教とは異なるのであるから効果効能をうたうのであれば、少なくとも納得できるだけの数の「治験」や「実験」を経た上で公にすることが必要であろうと思うのだが。
2013年10月06日
町中に金木犀の香りが漂うようになると、松茸の発生が最盛期を迎える。キノコ狩りの季節到来となったが、ある種のキノコは健康増進や特定の病気に効くと言われ、多くの信奉者がいる。例えば、サルノコシカケ・トウチュウカソウ・アガリスク茸などである。昭和40年代に、巷で大ブームとなった健康食品に紅茶キノコがあった。キノコの名前が付いているが、キノコとは関係なく実態は産膜性菌のコロニーが形成したセルロースゲルである。紅茶キノコは、シベリアで伝統的に飲まれている発酵飲料だといわれる。怪しげな健康食品が流行する時には、その効能として高血庄・肝臓・胃腸・慢性腎炎に効き、難治の水虫が治ったというようなもっともらしい風聞が流れる。紅茶に砂糖を加え、そこに親菌株を植えて2週間ほどすると増殖してくる。紅茶キノコには、口腔・腸管・女性器などに存在する乳酸桿菌属(ラクトバチルス・アシドフィルス)が含まれていることが確認されている。アシドフィルス菌は胃酸や熱にも強いので、他の乳酸菌とは異なり7割程度が生菌のままで直接腸に到達するとされる。紅茶キノコブームは1974年に刊行された、中満須磨子「紅茶キノコ健康法」(地産出版)により火が着き、家庭で簡単に栽培できたことに加えて口コミもあって瞬く間に広まった。著作は中満須磨子とされているが、実際は埼玉新聞論説委員の小川清がゴーストライスターであったことが知られている。裏を返せば紅茶キノコは、マスコミ人によって仕掛けられたブームであったのだ。欧米でもKombuchaと呼ばれて、健康飲料として売られている。マンゴー味やストロベリー味といった、欧米向けに加工されているものもあるようだ。含有されるラクトバチルス・アシドフィルスや消化酵素であるブロメリン及び蛋白分解酵素のパパインが消化器官全域にわたって毒素を中和し、免疫機能を高めさらにビタミンB群の生産も行うと宣伝され万能薬の趣がある。つくり方は簡単で、一割の砂糖入りの紅茶を冷まして菌塊を加え、フタ付きのビン詰めにして冷暗所で二週間ほど保存する。表面に簿い膜ができたら完成で、一日カップ一杯程度を飲むのだという。当時多くの人が飲用したと思われるが飲用によって副作用が出たとの報告は無いが、ブームが去った後には一部に有害説が出た。紅茶キノコの成分分析からは、特に人体有害物は産生されていないことがわかったが、この程度の乳酸菌や酵素を飲用しても、言われているような効能を発揮するとはとても思えず、「鰯の頭も…」の類ではないだろうかと思われる。当時、職場にも机の下の書類の間で培養して飲用している人がいたが、知らないうちにいつの間にか飲むのを止めていた。私自身は多少知識もあり、常にこれらの物を懐疑的に見る習慣がついていて、ついぞ試して見たことは無い。
2013年10月05日

8月頃から咲きだしたタマスダレが、花の少なくなった庭の片隅でまだ頑張って花を咲かせている。花が小さく目立たない植物なので気づかない人も多いと思われる漢字表記は「玉簾」で、たますだれと言う言葉は伊勢物語にも出てくる、「とりとめぬ 風にはありとも玉すだれ たが許さばか ひま求むべき」(掴まへることの出来ない風であっても いったい誰の許しで簾の隙間を求めて入ってこられるといふのですか そんなことはいけません。)芭蕉は「紅梅や 見ぬ恋つくる 玉簾(たますだれ)」の句を残している。一般的なすだれと同様に、目かくしや日光を遮えぎるために屋内で用いる家具のことである。タマスダレの純白の小さな花を「玉」に、葉が集まっているようすを「簾」に譬えてこの植物の名前としたといわれる。江戸時代に同じ「玉すだれ」という言葉を用いた、「南京玉すだれ」という大道芸が現れたが、こちらの名前は本来「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」といい、「唐人にも阿蘭陀にも二つとない玉すだれ」という意味で付けられたものといわれている。民謡のこきりこ節に用いられるささらが原型となった日本発祥の大道芸であり、花のタマスダレとは全く関係ない。タマスダレは乾燥の後に雨が降って球根が潤うと、一時に花を咲かせることからレインリリーとも呼ばれる。1茎に、6弁花を1花上向きに咲かせる。葉は細長く肉質で厚みがあり、土から直接出る。花後には、キツネノカミソリに似た黒い実がなる。庭に植えられたものが逸出して、野生化もしている。常緑の多年草で、夏から秋に白色の花を咲かせる。土中には水仙に似た、球形の鱗茎がある。他のヒガンバナ科の植物と同じように、全草に有毒アルカロイドのリコリンを含有していて誤食すると嘔吐・痙攣の食中毒症状をおこす。葉をニラやノビルに、鱗茎をノビルと間違いやすい。20006年には、18人が食べて15人が発症した事件が1件発生している。この花が純白で美しいからなのか、不思議なことに有毒植物であることが少しも感じられない花言葉がついている。 花言葉 汚れなき愛 潔白な愛 期待
2013年10月04日
9月27日に日産自動車は世界で初めて、運転操作をしなくても走る「自動運転車」を7年後までに発売すると発表した。公道を走るのに必要な、法規制が整備された国から順次売り出すという。試作車は音波や電波、光線を使うセンサー類の他5台のカメラを搭載し、道路の走行レーンや他の車、障害物、信号、標識などを感知して内蔵の人工知能で解析、ドライバーがハンドル・アクセル・ブレーキに触れなくても自動走行するという。日本では国土交通省が高速道路に限って、自動運転を段階的に認める方向で検討しているという。自動運転車の開発は、現在グーグルがドイツ自動車部品メーカーのコンチネンタルと米IBMとで共同開発を進めており、米ゼネラル・モーターズ(GM)も、走行場所を限定した「半自動運転車」の実用化を目指して開発を進めている。トヨタ自動車も自動運転車を開発中だが、「現時点で商品化の考えはない」という。全自動自動車が出現すれば、道路交通法規もかなり変わることになると思われる。自動車は244年前フランスで軍用として開発された蒸気自動車が最初で、この車は時速約3キロしか出なかったという。当初は大八車かリヤカーにエンジンが着いたようなものであったのだが、今ではハイテク技術を搭載し人工知能が集積したものとなった。50年ほど前までは、メカニックに詳しい人であればある程度の不具合を調整・修理することが可能であったのだが、現在では故障診断がコンピュータで行われるようになりディーラーか専門工場で無いと修理が不可能である。自動運転車ともなれば、市中の修理工場では不良個所の診断が不可能となるに違いない。日ごろこんなことを考えているところへ昨日、乗用している車のリコール案内が届いた。私はフーガ350GTに乗っているのだが、昨年8月に一般道を約40kmで走行中突然全てのウォーニングランプが点灯しエンジンが停止する不具合が2回あり、ディーラーで点検しアクセルペダルを交換してもらった。その際この種、クレームまたはメーカーリコールについても訪ねて見たのだが、その時点までには無いということで全額自己負担での修理であった。半日かかって部品交換をし、技術料込みの修理代として2万1千円余を支払った。今回のリコール対象は、4車種の合計753,990台という。すでに廃車などで部品交換の必要がなくなった車があったとしても、70万台と言えば莫大な金額になる。私はこの車を購入してから、オーディオの故障がすでに2回発生している。こちらについては、特に生命に直結するような故障ではないが、保証期間が切れた途端の故障にも関わらずかなりの修理代を取られた。リコールの件について早速ディーラーに連絡すると、返金して再度メーカー指定の部品に取り換えエンジン制御コンピュータのプログラムを修正すると言う。リコールに至るまでには多くの車が同様不具合を起こしていると思われ、単に事務的に顧客を呼び出すのではなく、すでに自己対応した分の取り扱いについても情報を載せることが親切だと感じた。
2013年10月03日

永井荷風の随筆「葛飾土産(昭和22年2月)」の最初の方に、「山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。」との記述がある。当時と比較して草花の色彩が豊かになったせいか、文化勲章を授与された荷風ほどの感性が無いためなのか、ヨウシュヤマゴボウの花を見てもそれほどの感動を覚えない。むしろ荷風が見た時期の果実の色は、毒々しく感じる。おまけにこの花には、荷風の女性関係の多さからつけられたのではとも思える、「内縁の妻」なるおかしな花言葉がついている。ヨウシュヤマゴボウは、漢字で「洋種山牛蒡」と書き、別名はアメリカヤマゴボウともいう。牛蒡の名前がついているが、草姿は全くゴボウと似たところが無い。強いて探せば、根がゴボウの根茎に似ていなくもない。日本では明治時代になってから各地で雑草化した、北アメリカ原産の帰化植物である。高さは、2mにもなり茎は無毛で赤く、根は太く長い。葉は大きく、秋には紅葉する。白色から薄紅色の小さな穂状の花を多数咲かせ、夏にはピラカンサに似た扁平な緑の果実をつけ初秋に熟して黒紫色になる。穂状花と果実だけを見ると、一見小粒な葡萄に見えなくもない。熟した実は柔らかく、赤紫色の果汁は付くと染めついて洗っても落ちにくい。路辺や庭隅などの身近にも生育しているヨウシュヤマゴボウは、全草に有毒アルカロイドやサポニンの他、根には硝酸カリウムを多く含んでいる。毒性は根が最も強く、種子にも強い毒を有している。果汁の毒は比較的弱い。摂食して2時間ほど後に、強い嘔吐と下痢の食中毒症状が発現する。さらに摂取量が多い場合には、中枢神経が麻痺し痙攣や意識障害が生じ、呼吸障害や心臓麻痺により死に至る場合がある。子供がママゴト遊びに使うことがあるが、皮膚からも吸収されるので果汁に触れることも避けるべきである。2006年にヨウシュヤマゴボウを喫食した、3件12人全員が食中毒を発症し報告されている。幼児が種子を噛み砕いて果実を食べた場合、数粒でも重篤な症状を引き起こす。しばしば子供の事故が報告されている。草食動物は一般にヨウシュヤマゴボウを食べることを避けるが、餌に混入していた場合下痢や体温低下などが発現する。鳥の幼雛が食べた場合、死亡率の増加や運動失調などが見られるという。長野県では、キク科のモリアザミの根を味噌漬に加工して「山牛蒡の味噌漬」の名称で土産物販売している。ゴボウとは異なった、パリパリ感があって歯触りがよく実に美味い漬けものである。しかしこの、「山牛蒡の味噌漬」の名前が誤解を生む原因となっている。生半可な知識でヨウシュヤマゴボウの根を採取して味噌漬けにし、後日それを喫食した7名のグループがある。食べてから、約2時間後嘔吐・下痢の食中毒症状を発症した。果実を食べた鳥が糞としてバラ撒くので身近な場所に生え、果実が美味しそうなため幼児が口にする恐れがあり、見つけたら果実が熟す前に抜き取るべきである。 花言葉 野生 元気 内縁の妻
2013年10月02日

間もなく香り高い、新蕎麦の美味しい季節となる。北杜市には全国的に有名なそば店もあるが、いつも混んでいて30分待ちは普通。場合によっては1時間30分も待つことがある。その割には美味くない。東京から来た知人を案内したが、「待たせることで有名、その上高くて不味い」と評していた。蕎麦は、ツユ次第で旨くも不味くもなる。蕎麦好きな我が家では、特定の生蕎麦を購入して、某メーカーの専用蕎麦ツユで一年中盛蕎麦を食べる。9月も末になって、山荘の周りでも蕎麦の花が満開となった。ソバはタデ科ソバ属の、一年生草本作物である。ソバの仲間には別の種類ダッタンソバがあり、野生種に多年性の宿根ソバがある。中国四川省から雲南省にかけての山岳地帯が、原産地と推定されている。4600年前のソバの種子が、東チベットの遺跡から見つかったとされており、日本では縄文時代晩期にはすでに栽培されていたといわれている。現在は、中国やロシアなどの夏に涼しい地帯で多く栽培されていて、イネが栽培できないアジアの中山間地での主食用としても栽培されている。日本では北海道や中部地方などの冷涼な地域での栽培が盛んであり、水田転作作物としても栽培されるようになっている。多くが麺として食べられているが、熱湯で練って作る「ソバガキ」や団子・クレープとしても食べられている。農水省のデータによると日本では約30品種が登録され、各地に特色のある品種がある。ソバは日長に対する反応の遺伝的な違いで区別されていて、夏の栽培が可能な夏ソバと秋に栽培する秋ソバがある。夏ソバは6月初旬に、秋ソバは8月初旬に播種する。夏ソバは秋にも播種可能だが、秋ソバは夏に蒔いても結実しない。「信州信濃の新蕎麦よりも…。」の「新蕎麦」と言うのは秋ソバのことである。北海道では霜が早く降りるため、夏栽培型の品種しか栽培することができない。ソバは他の作物と比較して極めて成長が早く、深く耕して雑草防除をする必要がない。手で刈り取る場合、全ての実が黒くなるまで畑に置くと種子がこぼれ落ちてしまうので、種子の色の6割以上が褐色になったら収穫する。秋の彼岸ごろソバの白い花の中にハエが留まったように、いく粒かの実がポツポツ黒くなる位がソバの刈り取りの適期であることから、この時期の黒く実った種子を蝿に見立てて「蕎麦に蠅が留まったら刈れ」という言い廻しがある。米と異なりソバは過乾燥すると食味が損なわれるため、水分を15%程度に保持することが必要と言われる。そばの茎は、秋に向かい赤色の濃さが増す。昔の人はこの赤色に神秘さを感じ、全国に赤い茎にまつわる伝説や民話が数多く生まれた。冬の寒い日、老婆がムギとソバの姉妹に「川を背負って渡してくれ」と頼んだところ、ムギは断りソバ一人で渡してあげた。ソバの茎が赤いのは、冷たい水で足が真っ赤になったものである。これを見た神様は、蕎麦を暖かい夏に育つようにしてくれたが、麥は冬に踏まれるものにしてしまった。また山姥と蕎麦では、「人を喰らう山姥が、高いところから落ちて下に合った石で顔を打って死んでしまった。ソバ畑のソバの茎は、山姥の血で染まりその時から赤くなった。」と伝わっている。 蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな 芭蕉 花言葉 懐かしい想い出 喜びも悲しみも あなたを救う
2013年10月01日
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