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庭に植えたヤマモモの瑞光の実が、今年も赤く熟した。最初の樹は通販で購入し、山荘の庭へ植えたのだが、マイナス10度を下回る北斗市では冬を乗り切ることができなかった。懲りずに再度購入し自宅の庭に植えたものが、3年前から実をつけるようになった。ヤマモモは雌雄異株の風媒花で、花粉は2kmも飛ぶといわれる。雌雄の株を植える代わりに雌木に雄木の枝を接ぎ木する場合あるようだが、ヤマモモの接ぎ木は難しいといわれ、しかも街路樹などに一般的に植えられているので普通は雌木だけで結実する場合が多い。ヤマモモは前年の春に伸びた枝の先端に花芽が付くので、不用意に刈り込むと花芽を切り落としてしまうことになる。本州では4月ころ枝先に連なって小さな目立たない花をつけ、6月末には赤色の実を結ぶ。かつて沖縄県渡嘉敷島で、2月の末に娘に野生のヤマモモの実を採りに連れて行ってもらったことがある。山の至る所に自生している野生のヤマモモは、瑞光とは比べ物にならない小さな実をたくさん着けていた。本州と比較して、熟すのが約4か月も早い。果実はほぼ球形で濃赤色、表面に粒状の小さな突起を密生する。この突起には艶があって、小さな赤い粒々を一面に張り付けたようにも見える。中国大陸や日本が原産で暖地に生育し、関東以南の低地や山地に自生している。根粒に窒素固定を行う放線菌を共生させていて、栄養の乏しい土壌でも生育でき海岸や低山の乾燥した尾根などの荒れ地で低林を構成する重要な樹である。果実は甘酸っぱく、生でも食べられるがジャムや果実酒にも加工できる。ただ若干松脂臭さがあって、この香りが嫌いな人もいる。大粒で酸味の強い瑞光や秀光などの栽培品種があり、栽培もされている。樹皮は楊梅皮と呼んで生薬にされ、樹皮に含まれるタンニンには下痢止めの作用がある。消炎作用もあるので筋肉痛や腰痛の膏薬に配合されることもある。花言葉 「教訓」「ただひとりを愛する」鮮紅色のジャムができるので、プレーンヨーグルトに乗せると綺麗でおいしく食べられる。作り方はいたって簡単なので、生の果実が手に入ったらジャム作りに挑戦して見るのも楽しい。よく洗った果実を乾かしてから、琺瑯かステンレス鍋に水と一緒に入れて10分ほど煮て柔らかくし果肉を潰し、布で搾り果汁を鍋に戻す。果汁に好みの量の砂糖とレモン果汁を加えて、10分ほどやや強火で煮詰め、さらに弱火で10分煮て少しトロミがつけば完成である。 3年前にブランデーで漬けたヤマモモ酒ヤマモモ酒は、梅酒と同じ作り方でよい。瓶にヤマモモ・砂糖とホワイトリカーまたは泡盛を入れ、冷暗所で3ヵ月保管した後実を取り出して完成である。
2013年06月28日

キウイは雌花と雄花を別の株につける植物で、雌雄それぞれの株を植えないと結実しない。花粉が昆虫により運ばれて受粉する、虫媒花である。キウイ栽培の指導書によると、「自然の状態で放置した場合には全ての雌花に均等に花粉がつかず種の数が少なくなって、小さな果実しかできない。その場合は落果したり、落果しなくても形の悪い果実になってしまう。タネの数が多いほど、大きくて甘い実ができるので、人工授粉することが望ましい。雄花は早朝から午前8時ごろまでに開く、受粉可能な期間は開花して3日以内で、それ以降は受粉能力を失うのでいくら花粉をつけても実にならない。また、雨が降った場合は花粉が流れ落ちてしまうので受粉作業は晴れた日の午前中に行うこと。」と記載されている。我が家のキウイは山荘の完成時に植えたもので、最初は緑色種のヘイワードを植えたのだが、どうしても雌木が枯れてしまい雄木だけしか育たず、違う場所に異なった品種のゴールドを植えた。不思議なことに、こちらは雌木だけが育って雄木を何回植えても枯れてしまう。開花時期が合えば、ヘイワードの花を取ってゴールドに授粉するのだが混血により果肉が黄色から緑色のものまで様々な段階のものができる。今年の桜の季節は、春を飛び越して初夏のような日が続いたが、4月末になってから寒波が度々襲った。木の芽が伸び始めたところへ、強い晩霜の襲来で多くの木の芽は黒く霜枯れてしまった。キウイも例外ではなく、30cmにも伸びた新梢が全て枯死してしまったのだが、家の陰にあるゴールドは霜に負けなかった。例年5月下旬には開花して、ヘイワードの花粉を授粉するのだが今年は霜の関係で全く雄花が咲いていなかったのだ。 蕾のヘイワード雄花 開花しているゴールドの雌花幸い隣の家で植えられたゴールドが、こちらは雄木しか育っていなくて20花ほど開花しており全ての花を分けてもらった。人口受粉のマニュアルには、かなり厳格な方法が記載されている。1.開花直前か開花当日の早朝に雄花を採取する。2,葯をハサミで切りとり、採取した葯をフルイにかけて不純物を取り除き、新聞紙などに広げて常温で一晩置く。3.葯をメッシュの小さなフルイにかけて、花粉を採取する。4.花粉を筆の穂先や受粉器で雌花の柱頭につける。しかし実際に10年間授粉して見て、そんなに厳格にする必要がないことが証明された。授粉のために山荘を訪れたのは開花時期をかなり過ぎていて、雌花はすでに黄変したものや花弁の散ったものが大半であった。隣家から貰った雄花も、花弁は雌花と同じ状態であった。広口ビンに葯と増量の目的で片栗粉大匙3杯を入れてよく撹拌し、それを絵筆で雌花につけた。一か月が経過して、授粉作業の成果が表れた。授粉の際すでに花弁が散っていたものは時期が合わず落果したのだが、花弁の黄変したものも含めて多くの花が結実し肥大を始めている。 育ち始めたキウイ時期が合わずに受粉しないで落果したものがかなりあったが、むしろ数が少なくなった分摘果の必要がなく今年もコンテナ2杯ほどの収穫を期待してる。
2013年06月27日

連休明けころにインドや中国から渡ってきたホトトギスが今、中高山地で盛んに啼いている。この鳥は啼きながら飛ぶこともあって面白い。甲高く「キョッキョ キョキョキョキョ」と鳴くが、さまざまな聞きなしがあって最も言われるのが「特許 許可局」である。「鳴いて血を吐くホトトギス」という言葉は、ホトトギスの口中が朱色をしていて、鳴くときに見える口中の色と絞り出すような鳴き声から生まれた、「杜鵑の吐血」という中国の故事が 由来とされている。徳富蘆花はホトトギスを題名にした小説を新聞に連載し、明治のベストセラーとなった。蘆花は明治元年に水俣で生まれ、本名は健次郎という。号については蘆花自ら、「蘆の花は見所とてもなく(能因本枕草子七十段)と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」と言っており、枕草子が由来となっている。蘆はアシのことで,「悪し」に通じるので「よし」とも言われるようになったもので、漢字では「葦」、「蘆」、「芦」とも書き表される。蘆花は逗子の柳屋(田越川に架かる富士見橋近く)に4年間借家住まいをしたが、そこへ避暑に訪れた福家安子から大山信子の身の上話を聞いて、小説「不如帰」の構想を練り11月末から「国民新聞」(兄蘇峰が創刊・運営)に連載を始めた。典型的なモデル小説で、黒田清輝が新聞に挿絵を描いたことは有名である。本が編纂されて発行されるとこの小説はベストセラーになり、今までに映画や演劇・テレビなどの作品が数多く制作されている。結核に罹った小説不如帰の女主人公、浪子の最後のセリフ「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!死ぬなら二人で!ねエ、二人で!」を、鳴いて血を吐くと譬えられるホトトギスの姿に重ねて題名としたものという。毬つきやお手玉のかぞえ唄、「一列談判破裂して、日露戦争始まった...」の節で唄われる替え歌に、「鳴いて血を吐くほととぎす」の言葉が出てくる。湘南道路(134号線)を葉山から江の島に向かって走ると左側の海の中に、「不如帰」の碑が建っている。この碑は昭和8年に逗子町長が町民から寄付を募って、建立されたものである。碑の下には、蘆花が用いた筆と硯がおさめられているという。車からも海中に屹立する石碑に彫られた、兄蘇峰の書いた「不如帰」の文字をハッキリと確認することができる。この湘南道路を挟んだ山側逗子市新宿には、「不如帰」の舞台として有名になり小説の中の女主人公の名前が通称となり、「浪子不動」と呼ばれるようになった高養寺がある。
2013年06月26日

地球を周回する月の公転軌道が楕円のため地球と月の距離は変化しているが、月が地球に最も近づいたとき(近地点)に満月または新月を迎えることをスーパームーンと呼んでいる。楕円軌道を回る月が地球に近づいたために起きる現象で、ほぼ年に1回観測される。「スーパームーン」という言葉は近年になって言われ始めた占星術の用語であり、占星術ではこのとき超常現象が起こるとされているが、現実には潮位の干満の差がわずかに大きくなる程度の現象が起きるに過ぎない。月は地球の周りを回っていて、その軌道が楕円のため地球からの見かけの月の大きさが変わる。地球との距離が最も短い近地点では約36万km、最も離れた遠地点では約41万kmとなり、近地点と遠地点は距離にして10%以上の遠近差がある。月が地球を周回する公転面は、太陽の引力などの影響を受けるので、恒星に対して一定ではない。近地点にある月が地球を1周回って次に近地点に達するのは、月の公転周期よりもわずかに長く27.5日程度となる。月の満ち欠けの周期は29.5日程度と2日ほどずれているので、ある時期の近地点と次の近地点では月の満ち欠けの形もずれることになる。6月23日午後8時すぎに、月と地球の距離が約35万7千キロと今年最も地球に近づき、満月のタイミングとも重なった結果スーパームーンとなった。月が地球に最も接近した時刻は20時12分。満月の時刻は20時32分で通常の満月より14%(NASA)大きく、明るさでは30%以上で昨年5月のスーパームーンより大きな月が見られたと発表された。因みに今年地球から最も遠位の満月は12月17日で、その月と比較すると直径で1割以上大きく見えたのだという。(国立天文台「ほしぞら情報」)次回スーパームーンが見られるのは、来年8月11日の早朝3時頃だそうである。残念ながら、今回は梅雨の曇り空で月が出ていなくて、スーパームーンを観測することはできなかったが、昨夜はいつも見る満月より大きく赤く輝く月を東の空に見ることができた。
2013年06月25日

韮崎市柳原神社は、韮崎インターを下って国道141号線(佐久甲州街道線)を右折し、須玉インターに向かって走ると道路脇に建っている。杜の中に赤いトタン屋根があるのですぐ目に付く。神社入り口の右側に建つ板書に、由緒が記されていてその概要は次の通りである。「創建年間は不明だが、慶長年間の勧請で最初今の所より50mほど東にあったが文化年間の塩川氾濫で流失し、この地に遷座した。毎年12月30日鎮火祭の神事を行う。昔はこの地に柳が繁茂していたことから付いた地名、神社名であろう。この辺りは徳川家康と北条氏直とが戦った戦場跡だと云う。当地方唯一の夜祭が行われ縁結びの御利益があり、昼は地方の天狗力士角力があって境内が埋め尽くされた。」現在祭礼は、10月の中旬第三土日に神輿・神楽舞の奉納・力相撲が行われているようである。相撲を取る土俵と力士の風体が、一風変わっている。神輿を担いだ若い衆が、上半身は法被を脱いで黒い短パンに腹帯姿、足には足袋の上に草鞋(ワラジ)を履いた姿で相撲を取る。肝心の土俵は、地面から2メートルも擂鉢状に砂を盛り上げた上に設えてある。一般的土俵の高さは34~60センチとされているので、格段に高い位置にある。勢いよく転がされたり押し出されたら、2メートル以上の高さから転げ落ちることになる。目線の高さでは3.5mにもなり、怪我や危険がないのか気にかかるところである。さらにこの神社には知る人ぞ知る、ユーモラスな狛犬があって実物を見ると思わずニヤリとしてしまう。狛犬はもともと神社や寺院の入り口の両脇に奉納、設置された空想上の守護獣像で、本来「獅子・狛犬」といわれ、向かって右側が口を開いた角なしの「阿」の獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽」の狛犬とされている。阿吽の形になっているのは日本特有の形式で、獅子と狛犬は別の守護獣である。現在は、阿吽共獅子に近い形をしているが、一般的に「狛犬」と呼ばれている。柳原神社の狛犬は、表情に生気がなく俯き加減に背中を丸めていてちょっと見には狗ではなく、ライオンのおこぼれを狙うハイエナの姿勢に似ていなくもない。右側の阿の形がハッキリせず、鼻が詰まって鼻で呼吸ができないので口を半開きにして呼吸しているようにも見える。立派な眉があって、人面に似ていなくもない。この像とよく似たとぼけた顔の狛犬が、同じ韮崎市穂坂町の山神社にある。こちらは、616号線(穂坂道)から長久保公民館に向かったその先にある。山神社の狛犬にも立派な眉があって、目鼻顔立ちはほとんど人面をした狛犬だが、柳原神社の狛犬と比べると曲がりなりにも阿吽の形だけはしている。この時代の狛犬制作の特徴なのだろうか、興味のあるところである。柳原神社周辺では「小田川ホタル愛護会」を中心にホタルの保護が続けられていて、シーズンには毎年盛大に「ほたる祭り」が開催されており、遠方からもたくさんの人がホタル狩りに訪れる。今年は6月15日に行われた。ホタル観賞は夜間であるため、遠方から来た人で奥まで入って神社を見る人は少ないのではないかと思われる。小田川のホタルを見に来たらせっかくだから、ユニークな狛犬に会って帰るのも話のタネになると思うのだが。
2013年06月24日

マタタビ(木天蓼)は別名「夏梅」ともいわれ、山地に自生する落葉蔓性植物であるが、藤と異なり完全に樹木には捲きつかないで、樹下で崖から垂れ下がった状態のものが多く目に付く。葉は楕円形をしていて、細かいギザギザがある。この木は、雄木と雌木の他に、両性花を咲かせることもある変わった種である。雄株には雄花を、両性株には雄蕊と雌蕊を持った両性花を着ける。花弁のない雌蕊だけの雌花を着ける雌株もある。マタタビノ葉の先端部は、草本の「半夏生」の葉が白くなる頃、同じように葉の半分ほどを白くする不思議な性質をもっている。 雌花が咲いたマタタビ2cm程のキウイやサルナシの花に似た白く芳香がある花を下向きにつける。不思議なことに花の終わる頃には、葉の色はもとの緑色になる。半夏生の葉色の変化は、昆虫誘因の目印としての役割があると言われているので、マタタビの葉の白変にもそのような理由があるのかもしれない。正常な果実は、3cm程の楕円形をしていて熟すと橙黄色になる。マタタビアブラムシが花に寄生した果実は、デコボコの虫こぶ果になる。この果実を熱湯で殺虫してから天日乾燥させたものは「木天蔘(もくてんりょう)」と呼ばれ、体を温めて血行をよくする他強心、利尿の効き目があるとされ漢方では冷え性、神経痛、リューマチ、腰痛などに処方される。正常な果実より、虫瘤のある実の方が薬効成分が高いことが証明されていて、猫もこちらの方を好むという。「猫にマタタビお女郎に小判」や「猫にマタタビ泣く子に乳房」という諺がある。ネコ科の動物はマタタビに含まれる「マタタビラクトン」や「塩基性のアクチニジン」に強い反応を示し、マタタビが出す香気を嗅ぐと陶酔したようになるところから言われる言葉である。花言葉もそんな猫の状態を見て付けたものであろうか。マタタビの名称は、アイヌ語が語源であるとする説が有力とされている。俗諺に、「疲れた旅の人がマタタビの実を食べたところ、疲れが取れて再び旅を続けることが出来るようになった」ので「再(また)旅」と名づけられたというが、「またたび」という言葉から「再旅」を連想して作られた話とされている。若い果実は辛くて渋いが、熟すと食べられるようになる。果実は、マタタビ酒としても利用される。我が家には木曽の山中で採取した、30年もののマタタビ酒がある。マタタビ酒の飲用で、肩痛・腰痛などの効果は実感できないがビールやスイカと同じように、利尿作用があることは確かである。就寝前に飲んで寝ると、毎回必ずトイレに起きる。こんなところから民間では、滋養強壮の効果が過大に喧伝されたのかも知れない。 花言葉 夢見る心地
2013年06月23日

満開のレンゲツツジ高さ2mほどになる落葉低木で、4~6月に葉の展開と前後して直径5cmほどのロート状の花をつける。一つの花芽から2~8輪もの大型の花を咲かせるところが、蓮華(仏像の台座)に似ているからレンゲの名前が付いたとも、花の付き方がレンゲソウの花に似ているからとも言われ、あるいはハス(蓮)の花とそっくりだからとの説もある。長さ2~3cm円筒状の果実は、10~11月に熟すると5裂して小さな種子を飛ばす。北海道南部から九州まで、日当たりのよい草原に自生する。花が大型で美しいので、庭園樹にもよく利用される。朱色の花を咲かせるものをカバレンゲ、黄色のものをキレンゲというが白色の花を咲かせるものもある。全木にグラヤノトキシンなどの痙攣毒を含んでいて、経口摂取で呼吸停止を引き起こすことがある。牛や馬・羊などの草食性の動物にも有毒なためこの木は食べないで残すので、レンゲツツジの群落地になっている牧場が多い。花には蜜があり、子供が吸うことがあるが蜜も有毒なため非常に危険である。ドイツ連邦リスク評価研究所(BfR)は、意見書「トルコの黒海沿岸産のツツジ科植物由来ハチミツのグラヤノトキシンによる中毒」(2010年9月3日付)を発表した。日本の養蜂業者はレンゲツツジが自生する場所で蜂蜜を採集しないか、開花期の集蜜を避けるなどしているとされる。一方では、ミツバチはレンゲツツジの花には飛来しないとの説があり、実際群れ咲く花にミツバチを見たことは無い。わが国には、レンゲツツジの蜜が混入した蜂蜜による中毒事例の記録は無い。牛のような大型哺乳類が植物を選んで食べると、植生は次第に変化・変質していく。蕀のある植物や有毒植物、忌避物質を持つ植物は食べ残されるので結果的に増えることになる。レンゲツツジや馬酔木(アセビ)は家畜の放牧によって増加した植物である。野生の鹿の食害を避ける意味で囲いをめぐらすと、高木性の樹木が食害を免れるため次第に大きく育つが、レンゲツツジは逆に衰退してしまうことにもなる。レンゲツツジの名所として美ヶ原高原、松原湖高原の2万株、霧ヶ峰高原数千株、甘利山の15万株、赤城山の10万株、五味池破風高原100万株など各所に群落地がある。山梨百名山甘利山のレンゲツツジが満開になったとの情報で、18日の早朝出て登山口駐車場には7時前に到着した。既に、昨夜からのロッジ宿泊組と先着の車50台ほどで駐車場は満車であったが、帰る人もいて何とか駐車することが出来た。標高600mの山荘付近では5月の連休に咲く花だが、甘利山では丁度梅雨真っ最中に咲くので、花見には毎年天気具合が気にかかる。今回は雨は降らないものの、時折下界から猛烈な勢いでガスが這い上ってきたりする。登山口の道路左右から、朱色に満開となったツツジが美しい。残念ながら、富士山がガスで霞んでいて花とのツーショットは旨く撮れない。 霞んでいてうまく撮れない30人程の中年男女の騒々しい群れから退避するため、途中の東屋で休憩して暫らく間をおいてから頂上を目指した。2千m以下の低山では、何処も同じで鹿による植物の食害が増加しているそうだ。甘利山も例外では無く、至る所に防獣網が張られていて興ざめである。中年写ガールは、絵にならないと頻りに文句を言っている。公式15万株とも言われるレンゲツツジは、正に今満開である。月末までには落花してしまうのだろうか。
2013年06月22日

ホタルは熱帯から温帯地域に、およそ2,000種も生息しているといわれる。一般的にゲンジボタルのことを、「ホタル」と言う場合が多い。日本には、ゲンジボタルとヘイケボタルの他にも約40種もが確認されている。本土より南西諸島に、より多くの種がみられる。ゲンジボタルが初夏に飛ぶのでホタルは夏の風物詩とされているが、対馬には秋に発生するアキマドボタルが、西表島には真冬に光るイリオモテボタルが良く知られている。メスのほうが大きく、幼虫・成虫ともに青臭い独特の香りを持っている。ゲンジボタルとヘイケボタルの幼虫は淡水に棲息し、カワニナなどの淡水生巻貝類が餌である。成虫は口器が退化していて、水分を摂るくらいしか用を足さない。成虫は、幼虫時代に蓄えた栄養分のみで繁殖活動を行う。雌雄が交尾対象を求めるための交信に発光を利用しており、点滅のリズムやその際の飛び方などに種ごと地域毎の特徴がある。ホタルは初夏の風物詩として人気が高く、保全への試みが日本各地で行われているが、遺伝的に異なる複数の地域から特性の異なるホタルを移入して、増殖や放流することで遺伝子汚染が問題になっている。ホタルの里として全国的に有名な信州「辰野町童謡公園」では、一晩に4千匹を越えるホタルが飛ぶというが、各地のホタルとの混血が問題とされている。ホタルの発光物質はルシフェリンで、ルシフェラーゼ酵素とATPの作用で発光する。発光は表皮近くの発光層でおこなわれ、効率が非常に良く発熱しない。幼虫は点滅しないが発光していて、触ると指先に発光物質が付着して暫らく光るし水や土にも付着する。ゲンジボタルは体長15mmにもなり、幼虫は川の中流域にすみカワニナを捕食する。ヘイケボタルは体長8mmで、ゲンジボタルの半分程の大きさである。小さな流れや、水田などで発生する。幼虫はカワニナだけでなくモノアラガイやタニシなど様々な淡水生巻貝類が餌で、富栄養化した環境にも適応でき、水がなくても鰓呼吸と空気呼吸で泥に潜って生き延びることが可能である。成虫は6月から9月頃までの長期間発生が見られる。折り取ったり捕獲したりする訳ではないが、紅葉を鑑賞することを紅葉狩り、ホタルの飛翔を鑑賞することをホタル狩りという。ニュージーランド北島のワイトモ鍾乳洞には、ヒカリキノコバエ(光茸蝿)の幼虫が餌の昆虫を捕獲するために天井から多数の粘液の糸を垂らしていて、青白い光を発するため土ボタルといわれており英語ではグローワームと呼ばれる。観光客は洞窟に溜まった水の上に浮かべた船に乗って移動しながら、洞窟の漆黒の闇の天井に光る無数の青い光を無言で見ながらその神秘性に圧倒される。しかし、ゲンジボタルのような点滅は無く光りっ放しのため、青色のLED電球の装飾に見えなくもない。山荘の裏に流れる川で毎年数匹のゲンジボタルが飛んでいたが、4年前河川改修が行われて以来ホタルの姿を見ない。今年はついに、韮崎の小田川まで遠征して久しぶりにホタルの群舞を見て堪能した。「蛍二十日に蝉三日」の諺があるが、成虫の命が短いことから旬といわれる期間が短いことを喩えていったものである。
2013年06月21日

モリアオガエルは、日本の固有種のカエルである。本州のほとんどすべてに分布するが、四国、九州に確実な産地は知られていない。低地にもいるが、多くは山間部に棲息している。指の先が吸盤となっていて樹上生活をする。森林に生息していて、繁殖期の6月頃には流れの無い沼池に集まる。肉食性で、昆虫類やクモ類などを餌とする。逆にへび、イタチ、アナグマ、タヌキなどが天敵でこれらの動物に捕食される。モリアオガエルは、産卵形態が特徴的である。カエル類のほとんどは水中に産卵するが、モリアオガエルは水面の上に張り出した木の枝に粘液を泡立てて作る泡で包まれた卵塊を産みつける。アオガエル科のカエルは、泡の塊の中に産卵する習性がある。地中に産卵する小型のシュレーゲルアオガエルに対して、モリアオガエルは産卵場所が樹上である。他のアオガエルと違い水にもよく潜る。形態はシュレーゲルアオガエルに似ているが、大型で目の色がやや赤みを帯びていることで区別が付けられる。繁殖期には、他のカエルと同じようにオスが最初に産卵場所に集まって鳴いてメスを呼ぶ。メスが産卵場所にやって来くると、オスがその背中に取りついて産卵行動が始まる。ほとんどの場合卵塊の形成が進むに連れて、1匹のメスに数匹のオスが群がる場合が多い。産卵・受精が行われると同時に粘液が分泌され、この粘液を足でかき回し受精卵を含んだ白い泡の卵塊を作る。直径は20~30cmほどもあり、泡の塊の中には黄白色の卵が300から800個ほども産みつけられている。泡の表面は乾燥して紙のシート状となって黄白色の卵塊となり、孵化するまで卵を守っている。約1週間で孵化するが、オタマジャクシは泡の塊の中で雨が降るまで待機して、雨によって溶けて崩れ落ちる泡の塊と一緒に水中へ落下する。孵化したばかりのオタマジャクシは腹部に卵黄を抱えているため、腹が黄色をしているがやがて卵黄は吸収され全身が灰褐色となる。オタマジャクシの餌は藻類や動物の死骸などで、歯で削りとって食べる。蛙の姿に成長するには、1ヶ月ほどかかる。オタマジャクシの天敵はヤゴ、ゲンゴロウ、タイコウチ、アカハライモリなどである。特にイモリはオタマジャクシが泡塊から落下する時には、その真下にいて落ちてくる幼生を食べる。足が生えてカエルの姿になると上陸し、しばらくの間は水辺で生活するがやがて森林に移動して生活を始める。モリアオガエルは、棲息環境の悪化によって各地で生息数を減らしていると言われる。生息地の森林や湖沼の周辺に人の手が入り、環境が変化したことによるとされる。産卵のためには水面上に木の枝がせり出すような湖沼が必要だが、このような場所も少なくなった。福島県川内村平伏沼や八幡平市の大揚沼の繁殖地は、国の天然記念物に指定されている。韮崎市の甘利山(1731メートル)のレンゲツツジを見ての帰り、思い立って椹池(1230メートル)に寄った。人一人いない地畔には、思った通り20個を越えるモリアオガエルの卵塊がぶら下がっていた。低いものでは3メートルから高いものでは20メートルを越える木の枝に着いている卵塊が、まるで白い花の咲いたように見える。椹池は、池とは言っても実態は浮島もある湿原程度で、今年の雨不足で水量も少ないように感じた。甘利山への狭い県道を、学童を乗せた大型バスが6台も連ねて上って行ったが、ただ単に花を見せるよりモリアオガエルの生態も同時に勉強させると、自然に対する観察眼が育つと思うのだが。椹池が何時までも、モリアオガエルの産卵場所として残って欲しいものである。
2013年06月20日

カタクチイワシ・マイワシ・イカナゴ・ウナギ・アユ・ニシンなどの稚魚には体色が無く白いのでこう呼ばれる。シラウオ(白魚)や、シロウオ(素魚)と混同されることがある。塩ゆでにして干したものはちりめんじゃこ、シラス干しなどと呼ばれる。シラスは様々な魚の稚魚の総称であるが、シラス干しなどにされるのは主にカタクチイワシの稚魚である。目の細かい網で捕るため様々な魚の稚魚が混入し、魚類だけではなくタコやイカの子や動物プランクトンなども混入する。食用に適さない物を取り除き、塩茹でにして干したものはシラス干しといわれる。よく見ると、イワシの稚魚以外の魚介類が混じっていることにしばしば気づくことがある。幼魚にはまだ骨がほとんど発達していないので、食品にふりかけて丸のまま食べられていて、蛋白質やカルシウムが豊富な食品である。生きたままのシラスを酢醤油など調味料につけて、そのまま食べる「踊り食い」と称する食べ方も好まれている。これは、漁港の近くで無いと食べることが出来ない。船から浜に上げ後、鮮度を保つことが難しいのでほとんどが塩茹でとして加工される。茹でた後に水切りした程度の製品が釜揚げと呼ばれ、85%ほどの水分を含み若干ベトッとしている。50~60%程度に干したものがシラス干、25~35%程度まで乾燥させたものはチリメンと区別される。海苔のように板状にして干し上げたタタミいわしの水分含有量は、15%程度である。シラスの漁場は主に豊後水道から相模湾の太平洋岸で、この海域で多く漁獲される。葉山マリーナの日曜朝市で生シラスのオドリリ食いを食べさせると、異なるテレビ局のレポート番組が続けて2回も放映された。かま揚げシラスも良いが、何と言っても朝採りの生きシラスのオドリ喰いがお奨めとあった。息子が、シラスに目がなくて電車で江ノ島まで出掛けてでも食べたいと言う。葉山マリーナから1キロほどの距離に、妹夫婦が住んでいるので早速朝市の様子を聞くと、行ったことも噂を聞いたことも無いがと言って、近くの人に市の様子を聞いてくれた。オドリ喰いの生シラスは、獲れ無ければ食べられないがシラス丼は人気で、7時頃には無くなってしまうことがあるとのことで、念のため取り置きの予約をしてくれた。楽しみにしていた16日は、今まで空梅雨で降雨が無かったのに珍しく夜中から土砂降りで、横横道路は、前が見えないほどの豪雨妹の家に着いたのは、6時前であった。漸く小雨となった7時半頃会場に案内して貰ったが、テレビの内容とは程遠くおまけにこのところ急にシラスが不漁になって、休漁していると言う。楽しみにしていたオドリ喰いは諦め、釜揚げシラスとマグロを乗せた丼を食べた。妹夫婦には迷惑をかけた上に、期待が大きかった分失望感も大きかった。いつも後から思うのだが、テレビや旅行雑誌などのレポート番組の内容を鵜呑みにしてはいけないと再認識した。楽しみにしていた16日は、珍しく夜中から土砂降りで横横道路は、前が見えないほどの豪雨。妹の家に着いたのは、6時前であった。漸く小雨となった7時半頃会場に案内して貰ったが、テレビの内容とは程遠くおまけにこのところ急にシラスが不漁になって、休漁していると言う。楽しみにしていたオドリ喰いは諦め、釜揚げシラスとマグロを乗せた丼を食べた。期待が大きかった分、失望感も大きかった。
2013年06月18日

焼売と書いてシウマイと読ませる。この食べ物は内蒙古が起源とされ、中国では各地に広く普及している。本来の主原材料は、豚の挽肉とえびのみじん切りを練って味付けした具を、薄い小麦粉でできた四角な皮で包み、蒸籠(セイロ)や蒸し器などで蒸(フ)かして、酢醤油や辛子醤油などをつけて食べる。中身にカニや牛肉を加えたり、包む皮の代わりにもち米をまぶすものなどがある。材料が餃子に似ているが、餃子との違いは包む皮が四角形で澱粉がやや多く配合されていること、ニンニクは使用しない、最初に必ず蒸す作業があり、味付けが濃いので調味料をつけないでも食べることができるなどである。餃子の場合は家庭で手づくりする例が多いが、シウマイの手作りは少ないと言われ、スーパーなどでもシウマイの皮を置いていないところがある。焼売が横浜の名物として有名なのは、戦前から横浜駅の構内で焼売を売っていた崎陽軒の企業努力によるところが大きいといわれる。呼び方には、焼売・シューマイ・焼売・シャオマイなど様々ある。崎陽軒では、「シウマイ」と表記している。具に豚の挽肉とタマネギを使うのはどれも同じだが、様々なレシピがあって加える調味料が何れも異なっている。世田谷区内の環状八号線沿いで中国料理店を開業していた中国人の店主から、20年も前にシウマイの具の作り方を習得し以来時々作って家族や来客に振る舞うが、誠に評判が良く販売されているどの製品よりも旨いと絶賛される。自慢のシウマイの具には豚の挽肉、タマネギ、生姜のしぼり汁、片栗粉の他に日本酒・醤油・コショウ・塩・砂糖・顆粒鶏ガラスープの素を使う。・豚の挽肉 500g・タマネギ中~大5個(新タマネギの場合は、水分が多いので、1個余計に使う)・片栗粉 大匙3・生姜 一片大の搾り汁、日本酒大匙1、醤油大匙1・コショウ少々・塩小匙2・砂糖大匙1・ 顆粒鶏ガラスープの素3/4カップ作り方1.ボールに入れた挽肉に、生姜の搾り汁と全ての調味料を加えて粘りが出るまでよく混ぜる。2.タマネギはフードプロセッサーで、固まりが無くなるまで粉砕し、ガーゼか木綿の布で堅く 絞って片栗粉をまぶして良く混ぜる。3.1と2を併せて、さらに良く捏ねる。4.市販のシウマイの皮で包み、レタスかキャベツの葉(白菜の葉でも良い)を敷いた蒸し器を火にかけて湯気が上がったら一度火を止め、葉の上に生シウマイを乗せ再度湯気が上がってから12分蒸かす。野菜の葉を敷く代わりにサラダオイルを使ってもよいが、後始末が大変。タマネギの下拵えさえできれば簡単なので、一度試して見ると良い。ひと手間かけるだけで旨くて、市販のシウマイは食べられなくなるほどだと思うのだが。
2013年06月17日

陸奥の信夫もぢ摺りのように、私の心も恋のために乱れに乱れていますが、一体だれのためにこんなにまで想い乱れているのでしょう。それは他に誰でもありません。皆あなた故です。それなのに、いつまでつれなくなさるのですか。 古今集 河原左大臣 小倉百人一首陸奥の信夫の郡(福島盆地一帯)では、忍草(ノキシノブ)の葉や茎を、大きな石に当ててから天蚕を紡いだ絹布に擦りつけて乱れた模様を染めつけた。この染め布は、「信夫絹」として宮中に献上され好評であった。その「みだれ染め」といわれる紋様から、「しのぶもぢづり」が乱れ心を意味するようになった。吾妻鏡には、藤原基衝が毛越寺建立の際、仏師の運慶への贈り物をした中に「信夫毛地摺千端」とある。当時この染め布が、如何に多く作られていたかがわかる。元は布の染め模様のことであったのだが、ネジバナの花の捩れて咲く様子がもじ摺りの乱れ摸様に似ているとしてこの植物名となった。ラン科の多年草で別名をモジズリという。湿っていて日当たりが良く、背の低い草地に良く生育する。基本の花色は桃色で、小さな花を多数細長い花茎に密着させて着けるが、その花が花茎の周りに螺旋状に咲く「ねじれた花序」である。「ネジレバナ」、「ネジリバナ」、「ねじり草」とも呼ばれる。花の付き方には右巻きと左巻き、巻かないものの他、途中で捻じれ方向が変わるものもある。右巻きと左巻きの比率はおよそ半々である。花茎から伸びる子房は緑色で、茎に沿って上に伸び、その先端につく花は真横に向かって咲く。花茎は10~40cmになり花は5弁でピンク、唇弁は白色で花茎の周りにピンクの花が螺旋状に並ぶ。稀に、白花や緑色の個体が混じることがある。小形のハナバチなどによる他花受粉に合わせて、自家受粉をすることが知られている。関東での開花時期は6~7月頃であるが、沖縄県渡嘉敷島では2月末の公園の芝生に群生するネジバナを見た。葉は柔らかく厚みがあって、根出状に数枚つける。白く3センチほどの、太くて短い根を数本持つ。日本全土に生育するが、沖縄に自生する基本種のナンゴクネジバナは花序に毛がない。芝生や土手、公園等で普通に見ることができるので雑草として扱われ、芝刈り機などで刈り取られてしまうことが多い。反面、花が可愛らしいことから昔から愛でる人も多く、山野草として販売される。江戸時代には栽培されていた記録が「花壇地錦抄」にあり、「もぢずり」として掲載されている。芝生などに普通に見られ、山野草を植えた鉢に落ちた種子から発芽したものが強健に育つにもかかわらずネジバナ単独での鉢植えは2年ほどでその姿を消してしまう。他の植物と一緒に育つのはネジバナに共生する菌根菌のうちのある菌が、他の腐食した植物から栄養を摂っているためとされる。40年ほども前、至る所から収集して庭や鉢に植えたがたった4年ほどで見事に消えてしまった。当時100鉢もあった皐月の盆栽の幾つかに自生したものが、皐月を移植した山荘の雑草の中で14年間も咲いている。 花言葉 思慕
2013年06月16日
大島城跡は、長野県下伊那郡松川町にあり別名を台城という。平安時代の末期に、片桐氏(大島氏)により築城された。この城は元亀2年(1571年)、武田信玄が飯田城留守居頭の秋山信友に命じて大改修を施した。20か村から人足として村民が動員され、大工事が行われた。その後、大島城は高遠城とともに伊那支配の重要な拠点となった。またこの城は、武田氏の遠江・三河・美濃侵攻の兵站(作戦を支援する後方基地)の役目を担った。城の東・南・西の三方が天竜川に臨む、高さ30mほどの台地の先端部にあり現在は台城公園となっている信玄後期~勝頼期の平山城の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造で新府城と同じ構えである。甲州流築城術の特徴である土塁、馬出し、曲輪、三日月堀、枡形虎口などの遺構が良好な状態で残っている。天竜川を背に城の側面・背面は台地の断崖となっており、前面の空堀がこの断崖へと続いている。また城正面の三日月堀は二重となっているのが特徴的である。改修後この城を預かった逍遥軒信廉は、武田氏の重鎮で武田信玄の弟である。天正10年(1582年)織田信忠が信濃に侵攻すると、軍勢を見た逍遥軒信廉は大群の勢いに勝ち目無しと悟り夜の内に城を捨てて敵前逃亡し、大島城は戦闘も無く落城した。「信長記」その夜、城兵が眼下の城の下方向の暗闇に沢山の火がチロチロと燃えるのを見た。「あれは大群の敵の火縄銃の火だ、あれほどの大軍ではとうてい敵わない。」そう思った城兵たちは鎧を脱いで、城からどんどん脱出してしまった。城からの脱出を前にして、「敵に城を渡す位なら、自分たちで焼いてしまおう。」と城に火を着けて焼き払ってしまった。大島城はそのために、戦うことなく落城してしまったという。ところが、翌日明るくなって確認すると火縄の火に見えたのは、馬糞に燃え移った火があちこちで燃えていたものであったことが判明したという。「甲乱記」この城には、二つの伝説がある。城の崖下を流れる天竜川の淵にはこの城を守る大蛇が住んでいて、いつも霧を吐いて城全体を包んでしまうので城の実態が分からず難攻不落の城といわれた。別名で、大蛇が守る城の意味で「大蛇が城」と呼ばれていた。織田信忠がこの城を囲んだ時も、霧に包まれ攻めあぐんでいたがこの話を知り、川の大蛇に向かって無数の矢を放った。やがて射殺された大蛇が浮かび上がり、その結果ようやく霧が晴れ城全容が見えるようになって、城を攻め落とすことが出来たのだという。大蛇が死んで浮いたとき頭が向いていたところの地名が、「龍の口」と名付けられたと言われ現在も地名として残っている。もう一つは、「台城」の金鶏伝説である。落城の際、姫が大切に飼っていた黄金の鶏を抱いて井戸に身を投げて死んだという。それからは元旦の朝に、井戸の底から鶏の鳴き声が聞こえるのだという。城主信廉らは、夜陰に乗じて甲斐に向けて敗走していることから大島城での戦闘は無かったと思われ、この伝説は武田の滅亡悲話と大島城の落城を重ねて作られた話が実しやかに伝えられたものであろう。城跡からは、礎石や雨落溝の石列が見つかっていて、今でも陶器の破片や古銭、焼けて炭化した米等を見つけることが出来る。
2013年06月15日

武田哀史をとどめる新府城跡は韮崎市にあって、1973年(昭和48年)国の史跡に指定された。 本丸跡への急な石段6月の城跡は、長閑なハルゼミの合唱とけたたましい画媚鳥の鳴き声以外物音は聞こえず、建物は藤武神社と神楽殿がひっそりと佇むのみで420年前の悲劇を想起することはできない。藤武神社は、新府城の城内稲荷郭に鎮守として祀られていたものが落城で焼失し、その後家康によって再建され藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るところから付けた名前という。新府城は、台地の突端部を利用した構造が特徴とされる。同じような立地に作られた城には、信州伊那谷の生家の近くに大島城跡がある。こちらは平安時代末期、大島氏により築城されたものが元亀2年(1571年)武田信玄によって、大改修された城である。三方が天竜川に向いて突き出た台地の地形から、地元では台城とよばれている。新府城は、天正3年(1575年)の長篠の戦いで武田が大敗北した後、重臣の穴山梅雪が織田侵攻に備えてこの場への築城を進言したものである。勝頼は天正9年(1581年)に真田昌幸に普請を命じて2月15日建築に取り掛った。躑躅ケ碕から新府城へ移ったのは、暮れも押し詰まった12月24日であった。 年が若くしかも諏訪氏の血を引く勝頼を快く思っていなかった穴山梅雪は、このときすでに徳川に寝返っていて武田家の財政基盤を破綻させるために築城を進言したとの説もある。先ず、築城のための木材の調達を命ぜられた木曾義昌が離反、続いて遷都を快く思わない重臣や度重なる軍費調達、常に使役に駆り出されることなどにより、民心の不満や怒りも頂点に達していた。築城に踏み切った時点で、すでに武田家の命運は定まっていたともいえる。新府城の釜無川を隔てた対岸に、武田八幡神社がある。この神社は、822年(弘仁13年)に宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、地名を神社の名前としたとされる。信長を迎え撃つに際して勝頼の妻・北条夫人が天正十年二月十九日、夫の武運を祈って捧げた祈願文を記した石碑が境内に建っている。その内容からは、多くの重臣の謀反や裏切りによって窮地に立たされた武田家の怒りと悲しみが伝わってくる。3月3日に勝頼は、新府城を捨てて小山田信茂の岩殿城に逃れるにあたり、城に自ら火をかける。勝頼夫人が願文を奉納してからわずか20日後、岩殿城に逃れる途路の笹子峠で信頼していた信茂の謀反にあい、万策尽きた一行は天目山で自害して果て武田一族はここに滅亡した。このとき夫人は、わずか19歳であった。
2013年06月14日

7年も前に愚酔庵さんから貰って、山荘の庭に移植した撫子が今年も開花した。ナデシコは多年草のカワラナデシコ、タカネナデシコなどの植物の一般名である。また、カーネーションを除くセキチク、イセナデシコ、ビジョナデシコなどもナデシコと呼ぶ場合がある。ナデシコ属は北半球の温暖な地に、約300種も分布していると言われる。花弁の先が細かく切れ込むものが多く、日本にはヒメハマナデシコとシナノナデシコ、カワラナデシコ、ハマナデシコの4種が自生する。日当りのよい山野に生育し、夏から秋に開花するカワラナデシコと基本種エゾカワラナデシコは秋の七草に数えられて親しまれている。大和撫子と言う言葉がある。これは中国原産のセキチクを唐撫子(カラナデシコ)と称したのに対して、カワラナデシコを日本の撫子と言う意味で「ヤマトナデシコ」と呼んだことが由来である。撫子の姿形から、従順でかよわく見えて、実は芯のある日本の女性を撫子に擬えてヤマトナデシコと言う。なでしこは「撫でる子」で、子どもや女性を慈しみ撫でることに通じるのでしばしば子どもや女性にたとえられ和歌などにも引用されている。今、朝ドラで人気沸騰中の小泉今日子が歌った「大和撫子七変化」は、植物では無く勿論人のことである。枕草子では、「草の花はなでしこ、唐のはさらなり やまともめでたし。」とあり当時から愛されていたことがうかがえる。常夏(セキチク)の名前は「源氏物語」の巻名になっており、「なでしこの とこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ。」とある。850~1025年の歴史物語である大鏡には、風流人として花山院(冷泉院の第一の皇子)が出てくる。 「…又撫子の種を築地のうへにまかせ給へりければ、おもひかけず四方に色々に唐錦をひきかけたるように、咲きたりしなどを見給へしは、いかにめでたく侍りしかは。」(大鏡十五)ナデシコ属は古くから、種間交雑による園芸種が多く作られ改良されてきた。その意味では正に「七変化」したのかも知れない。人の名前として「撫子」と呼ばれたのは、日本書紀に登場する出雲国の足名椎(あしなずち)と手名椎(てなずち)の8番目の娘の奇稲田姫(くしなだひめ)である。奇稲田姫が「撫子」とも呼ばれたのは、親の足名椎には「足を撫でる」、手名椎には「手を撫でる」の意味があり、奇稲田姫が親から撫でられて(慈しみを受けて)育てられたことから、可愛い娘を「なでしこ」と呼ぶようになったとされる。したがって撫子(ナデシコ)の本来の意味は、子どもを可愛い可愛いと撫でることとされる。植物の名前に「ナデシコ」と付けられたのは、花の印象が可愛らしくて「撫でし子」のようだということでつけられたものであろう。草の花は、なでしこ、からのはさら也、大和のもいとめでたし。 枕草子六十四中国では、セキチクとエゾカワラナデシコを瞿麦(くばく)と言って、地上部は利尿剤に、根を抗腫瘍薬として用いるといわれる。ヤマトナデシコ(カワラナデシコ)の花言葉 可憐・貞節
2013年06月13日

♪「山には山の愁いあり 海には海の悲しみや ましてこころの花ぞのに 咲きしあざみの花ならば」伊藤久男や倍賞千恵子が歌った「あざみの歌」の詞は、昭和20年(1945)に復員してきた18歳の作詞家横井弘が家族の疎開先の下諏訪で作詞したもので、「華麗でも高貴でもないが、素朴にひたむきに咲いているあざみの姿に、理想の女性像を重ねて見たのです。」と話している。霧ヶ峰八島湿原に、本人自筆とされる歌碑がある。アザミは遠目に綺麗だが、蕀が茎葉にあって生け花としては扱いにくい花である。アザミ(薊)と言う名前は、キク科アザミ属とそれに似ている植物の総称でアザミという種はない。日本には70~80種も生育しているとされ、それの3倍以上の種が北半球に広く分布していて分類のむずかしい植物群である。いずれも葉や茎に鋭い蕀を持ち、姿形がよく似ている。頭状花序は、キクの花の周りにはある花弁状の花がなく管状花のみである。花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出していて、赤紫色や紫色の花を咲かせる。種子には、長い冠毛がある。草原や海岸などに自生するが、暗い森林内にはない。別名を、刺草ともいう。中村浩(1910~1980年)によると、名前の由来は「アザム」(傷つける、驚きあきれる。)で、花や葉に触れると蕀に刺されてその痛さに驚くところからきたものという。10世紀初めの「新撰字鏡」には、「阿佐弥」として出ている。春に本州から九州で目にするアザミのほとんどは、ノアザミと言われるものであると考えられる。この種を改良した園芸品種を、ドイツアザミというがこの名前とドイツ国とは無関係である。一般的に「ヤマゴボウ」と呼ばれて食用に栽培されるのはモリアザミで、総苞は粘性がなく極端に長く蕀状を呈するのが特徴で、花期には根生葉が残らない。その根茎が味噌漬けに加工されて、「山牛蒡」の名前で販売される。アザミは大部分の種が、食用となる。蕀は若いうちなら天婦羅や、お浸しにすれば全く気にならない。芽、葉、根が食用とされる。根は1年中食用にできるが、アクが強いので茹でた後米のとぎ汁に一晩晒してアクを抜いて調理する。地上部を花期に採取し、根は水洗いしてから天日で乾燥させる。これを生薬の薊(けい)といい利尿、解毒、止血、強壮薬として用いる。また根には、持続性の血圧降下作用物質が含まれているとされる。ヤマゴホウと言う、全く異なった種類の植物がある。こちらは高さ2メートルにもなって、ブルーベリーに似た濃い紫色の漿果を葡萄の房状に着ける。全草に毒を持っていて、誤食すると中毒を起こす。ヤマゴボウとヨウシュヤマゴボウはいずれもキク科ではなくヤマゴボウ科であり、名前からモリアザミ根と時々混同されて誤食し中毒例が報告されているので注意が必要である。 新府城跡に咲くノアザミ
2013年06月12日

ホタルブクロは、キキョウ科の多年草で初夏に大きな釣り鐘状の花を咲かせる。 新府城跡で咲くホタルブクロやや乾燥した山裾や草原・道端などにも普通に見られる草本で、全体に短毛が生えている。葉には長い柄を持っている。匍匐枝を出して繁殖し、初夏に高さ60センチを越えるほどもある花茎を延ばし、釣り鐘型の美しい花を穂状につける。花には柄があり、花茎から垂れ下がった下向きの花を咲かせる。何処にでも生える雑草であるが、美しいので山野草として栽培されることが多く花屋の店頭に鉢が並ぶこともある。赤紫と白、中間色の花色があって、タンポポと同じで関東では色が付いたものが、関西では白花が多い。ヤマホタルブクロの学名Campanula punctataの、カンパニュラは小さな釣鐘の意味である。山地に多く生育しているのは、ホタルブクロの変種のヤマホタルブクロである。外見は殆ど変わらないが、ヤマホタルブクロは萼と萼の間が盛り上がっており、ホタルブクロは萼片の間に反り返る細い副萼片があることで見分けが付く。ホタルブクロの名前は、花の中にホタルを入れたことに由来するとする説が一般的である。牧野富太郎の植物圖鑑にも、「小兒其花ヲ以て蛍を包む故に蛍嚢の和名アリ。」との記載がある。一方では、提灯のことを「火を垂れさげる」意から「火垂る」と呼んでおり、ホタルも尾部の光る様子が提灯に似ているとして「火垂る」から蛍となったもので、語源は提灯から来たものだという。野坂昭如の小説に、「火垂るの墓」がある。またホタルブクロの花が、花茎から垂れ下がっている様子が提灯に似ているとして、植物の名前に「ホタル嚢」の名前が付いたとする説がある。今でも仙台周辺で、提燈のことが「火垂る袋」あるいは「火袋」と呼ばれている。ホタルブクロは北海道西南部から九州に分布し、変種のヤマホタルブクロは東北南部から近畿地方にかけて分布している。この花は面白い性質があって雌蕊に小さな棘を持ち、雄蕊に包まれているので花粉を棘に着けている。開花が近づくと雌蕊は3センチにも伸び、雌蕊を取り捲いていた雄蕊は逆に縮んで枯れる。そのため開花した花では、注意して見ないと雄蕊を見ることが出来ない。開花した雌蕊の柱頭は1ミリ程に割れて3方向に開く。この花はそのような構造から自花受粉が困難で、蜜を吸いに来た昆虫が雌蕊に付いている花粉を身体に付け、別の花の開いている雌蕊の柱頭に花粉を渡すことで受粉が成立する。同じ形の花を咲かせる「キキョウ」にも、同様のメカニズムがある。山野草が好きなので山荘を建てた14年前、東京の花屋で購入した赤・白二色のホタルブクロを植えた。その後知人からもヤマホタルブクロの提供があり、白花は無くなってしまったが沢山の(ヤマ)ホタルブクロが育っている。山荘には未だ開花株は無いが、新府城跡にはすでに至る所にホタルブクロが開花していた。ボツボツ蛍の飛び始める時期ではあるが、今はどこでも蛍が保護されていて箒で叩き落として捕獲し、ホタルブクロの花に入れたりする人はいないのだろう。花言葉「正義」「貞節」「愛らしさ」「忠実」
2013年06月11日
明治維新の前後は、処刑や暗殺・殺戮が日常的に行われていた殺伐とした時代でもあった。水戸藩の尊皇攘夷急進派が天狗党を結党したが、当初の天狗党は尊王の名のもとに民家や商家を略奪し、上納金を出さない者に対しては殺戮も行うような暴力集団であった。これら暴徒行為に対して民衆や攘夷の志士、諸藩からの支持が次第に失われていった。やがて中常陸、下野の諸藩に「暴力集団天狗党追討」の出兵が命じられた。水戸藩もこれに呼応して追討軍を編成している。元治元年(1864)旧暦の3月27日、約3,000人が筑波山に籠って幕府の追討軍と対戦した。水戸藩保守派には代々名門の家を受け継いできた上級武士が多く、急進派には下級武士が多かった。そのため、「成り上がり者が調子に乗って天狗になっている。」といった侮蔑の意味を込めて、改革急進派を「天狗党」の名前で呼んだとするのがその名前由来の通説となっている。戦況不利の中、密かに筑波山を脱出した一隊が常陸国で陣容を立て直し、家老職を追われていた武田耕雲斎を大将に約1,000人の軍勢で、尊王攘夷の志を天朝に直訴するため11月1日大子村を出発して京を目指した。新たな隊編成に際して総大将の武田耕雲斎は、以前の暴力行為を反省して厳しい隊規を作り暴力や略奪行為を禁じたので、ほとんどの通過地では手厚いもてなしさえ受けたとされる。20日後には信州諏訪湖近くの和田峠で高島・松本藩連合軍と昼から夕暮れ時まで交戦した。双方に15名前後の死者を出したが、和田嶺合戦では天狗党が勝利した。天狗党の強さに驚いた信濃の他の藩は、事前にこっそり打ち合わせをして、裏道や間道を通って貰うよう話し合ったと言われる。天狗党と顔を合わせなければ、藩の面目も立ち戦闘による被害もなくて済むとして、資金を献納した上で通した藩もあった。諏訪からは中央アルプスの麓の天竜川の西「竜西」を通って伊那谷に向かった。片桐と大島(松川町)へ分宿した天狗党は、飯田藩と市田陣屋の攻撃に備えるため、哨兵を配して篝火を焚いて警戒をした。幸い我が家の実家は、天竜川の南アルプス側で「竜東」にあって、向かいの高台に焚かれる篝火が漆黒の闇に赤々と浮かんだと言う。飯田藩では、天狗党の通行の道筋に土塁を築いて大砲数門を据えたが、市田原町(市田柿の発祥地)は白川藩(福島県)の飛地領であったため抗議を受け、備えを撤去して飯田城に陣を移した。飯田藩では天狗党と戦わずに済ませようと考え、藩内の勤王の者達を使って飯島宿まで出向いて内密に協議をさせ、飯田城下の通行を避けて風越山麓の間道を案内することで話しを進めた。この日天狗党は、片桐宿(松川町)と大島宿(松川町)に分宿し、ここで飯田藩と本格的な調整を行った。11月24日天狗党は片桐宿を出発し、市田原町で飯田藩の道案内と合流し、その案内により城下を迂回して通り、大瀬木(飯田市)で道案内と別れて駒場宿(阿南町)に入り宿泊した。この間道を通行する際に飯田藩は、大砲を数発撃ったがこれは後に幕府の叱責を避けるために戦った振りをしたものであった。駒場宿ではその行く手にある浪合宿(浪合村)の者が出向いて、浪合の関を通らず尾張藩との戦闘を避け木曽へ向かうことを勧めた。11月25日朝、山本村(飯田市)から昼神の温泉を見下ろしながら険しい梨子野峠を越え、飯田藩が管轄する清内路関を関所役人の「御通りなされい。」の言葉で通行した。関所の通行を許した咎で後に関の番頭、斉藤長右衛門は切腹飯田藩は2千石を没収されている。天狗党の一隊は木曾から越前内に入り、西谷(大野市西谷地区)、新保(敦賀市新保)に至ったが、雪と飢餓に加えて加賀藩はじめ各藩に進路を阻まれ京への志を断念し12月16日降伏した。元治2年(1865)2月幕府若年寄田沼意尊の命により、捕縛されていた武田耕雲斎ら天狗党勢828名は斬首352人、遠島136人、追放180人、水戸藩引渡し125人など過酷な処刑を受けた。安政の大獄でも、死罪はわずか8名である。この処罰者の多さは、江戸全期を通じて最大規模であるにもかかわらず、今ではあまり多く語られることはない。水戸藩は、藩内の尊王攘夷派と穏健派との諍いによって藩論が二分し、互いに殺し合うという状況を招いてしまった。腕が立ち頭も切れる優秀な人材が、天狗党の乱によってことごとく死んでしまった。このため、明治維新の先駆けとなりながら水戸藩からは、明治政府の高官に登用された人物は殆どいない。
2013年06月10日

春に植え付けた苗ワサビ(山葵)は、日本原産のアブラナ科植物である。東欧ではセイヨウワサビが用いられており、日本でも練りワサビの多くのものにはセイヨウワサビが使われたものが多い。しかし、セイヨウワサビと日本のワサビとは異種類であり別物である。ワサビが栽培されるようになったのは、静岡市とされている。慶長年間(1596~1615)に有東木の渓谷一面に自生していた天然ワサビを、「井戸頭」という湧水地に移植したのが栽培の始まりだと言われている。学名をワサビ・ジャポニカと言い、今では多くの栽培品種がある。918年の「本草和名」、平安時代の「和名類聚抄」には「和佐比」の和名が記載されている。ワサビとセイヨウワサビ、ワサビダイコンなどと区別するためにワサビのことをわざわざ「本わさび」と呼ぶことがある。寿司屋ではワサビの符牒を「なみだ」、「さび」と使う。寿司や刺身が世界的な食品となったこともあり英語、フランス語、台湾語、広東語、韓国語などではそのまま「wasabi」の言葉が使われている。古くから食用にされていたらしく、最も古いものは685年(白鳳14年)に書かれたとされる木簡に「委佐俾」の文字が見えるという。奈良時代(718年)に出された「賦役令」には、「山葵」の名前がある。室町時代には、すでに薬味としての利用が確立されていたという。江戸時代に入って寿司や蕎麦の食習慣の広がりとともに、ワサビが庶民の間に普及していったものである。有東木で栽培されたワサビは、家康に献じられその旨さが絶賛されたと言う。昨年、イギリス南部のドーセット州で3年前から日本ワサビの栽培に取り組んできた会社が、欧州で始めて商業ベースでのワサビ栽培に成功した。料理店に販売された価格は、100グラムで約4200円だったと言う。日本の主な産地は静岡県、長野県、東京都である。伊豆市と安曇野市では、ワサビが市の花に指定されている。栽培の方法は大別すると、渓流や湧水で育てる沢ワサビ(水ワサビ)と、畑で育てる畑ワサビ(陸ワサビ)がある。沢ワサビはワサビ田で栽培し、生食用として利用される。畑ワサビは育苗から収穫までを一貫して畑で行い、沢ワサビに比べ品質は落ち小形のため、主に葉や茎を加工して酒粕と合わせ「わさび漬け」にされる。ワサビは土壌を殺菌し、一般的な植物を生えなくする作用がある「アリルイソチオシアネート」を根から分泌する。ワサビ自身もその影響を受けるために、畑ワサビの根は大きくなれない。水ワサビは、流水と透水性土壌によってアリルイソチオシアネートが洗い流されるので、その影響を受けず大きく育つことが出来る。水ワサビの生育には豊富で綺麗な年間を通じて13℃程の水と、砂地などの透水性土壌が必要で強い日光を嫌う。 十分育った収穫前のもの育成1年で収穫し出荷されるものが多いが、中には「二度花を咲かせる」と称して、2年栽培してから収穫する農園もある。2年の栽培で、根には一層の辛みと奥深い旨さが蓄えられるそうだ。 手頃な大きさで500円わさぴの辛みの素となるシニグリンは、酵素で分解されてアリルカラシ油になる。辛みの素シニグリンと酵素ミロシナーゼは、別々の紬胞に入っているため細かくおろして混ぜ合わせることで辛みが出る。わさびを醤油で溶く人がいるが、そうすると辛さと香りが半減してしまうので、刺し身の上に直接わさびをのせ下に醤油をつけて食べるのが良い。蕎麦の薬味として使う場合は、鮫皮を用いておろすと粘りが出て汁に溶けにくくなるので、おろし金が向いているとされる。今から30年も前、オリンピック直後の韓国ソウルでも日本を真似て刺身が盛んに食べられていた。日本の様な醤油は無く、何回も旅行している韓国通人は旅行アイテムとして、小瓶の醤油とチューブ入りワサビを携行したものだ。当時韓国の料理店で出された山盛りのワサビは、辛子に原色の青い色を付けたワサビとは似ても似つかない代物であった。現在は、高級店では生ワサビも出てくるしチューブ入りの練りワサビも醤油もあって、今や昔の話となってしまった。
2013年06月09日

漢字で珊瑚樹と書き、スイカズラ科ガマズミ属の10メートルを越えるほどにもなる常緑高木で、よく庭に植栽される。 二度目の新芽が芽吹いた千葉県以西の比較的温暖な地に育つ。別名 ヤブサンゴともいう。6月に白い円錐花序を開花して、秋には赤く熟して美しい。その実がついた状態を、サンゴに擬(なぞら)えて付けた名前である。火災の延焼防止に厚くて水分の多い葉が役立つとされ、住宅の防火樹や目隠しとして庭木や生垣によく用いられる。一度根付いてしまうと非常に丈夫な樹木なので、排気ガスや潮風にも耐える。海岸沿いの風除けとしてあるいは、公園の樹として広く利用されている。横浜市、大東市、防府市では市の木に指定されている。うっかりしていると、サンゴジュハムシという害虫が大発生する。新芽や葉の軸に産み付けられた卵はそのまま越冬し、春になると孵って幼虫が葉や新芽のほとんどを食害して穴を開けてしまう。その後5月半ばには土に潜り蛹となり、6~7月に成虫が現れる。成虫は葉肉のみを食べるため、食害された葉の痕は後に茶色となり、非常に見苦しくなる。サンゴジュハムシが多発すると、樹はボロボロで無残な姿になる。 サンゴジュハムシに食害された葉幼虫あるいは成虫のいる時期には、念を入れて薬剤を散布し虫のサイクルを完全に絶つ必要がある。この害虫は、日当たりや風通しが悪いと発生しやすいと言われるので、通風をはかったり発生時期には薬剤の散布をするなどの対策が必要である。また幼虫が孵るのは新芽の時期なので、葉に食害の痕を見つけたら早めの薬剤散布が有効である。薬剤散布後10日以上たってまだ虫がいる場合には、再度散布しないと退治できない。サンゴジュは、挿し木で簡単に殖やすことができる。6月下旬から8月にその年伸びた新梢を20~30cmの長さに切り取って、さし穂の長さの1/2ほどを土に挿す。さし木後1~2年はマルチングで養生して防寒を図る。タネを蒔く場合は、熟した果実を採取してタネを採り出し良く洗ってそのまま蒔くか、または乾燥させない様に貯蔵して翌年の3月頃蒔きつける。この木は芽吹きが非常によく強い剪定や刈り込みにも耐え、特に剪定の時期は選ばない。我が家では、目隠しのために植栽しているがご多分にもれず毎年サンゴジュハムシの被害を受ける。気が付いてスミチオン乳剤を散布するのだが、暫らくはうす汚い姿になってしまう。今年も被害を受けた。慌てて消毒をして5月初めに刈り込みをした垣根は、今ではすっかり復活して瑞々しい緑の目隠しとなった。花言葉 負けず嫌い
2013年06月08日

朝鳥に 花ちりばめつ 山法師 水原秋桜子山荘の周りに植えられた、8株の白花と一株の紅花を咲かせるヤマボウシが今まさに満開である。ヤマボウシは花を上向きに葉の上に咲かせるので、木の下や木の横で見るより二階の窓越しに見る方が見事である。漢字では山法師と表記される。ミズキ科ヤマボウシ亜属の落葉樹で高さ10メートルにもなり、6月頃に多数が球状に集合した花を咲かせるが花自体は淡黄色で小さく目立たない。花の外側にある、大形で白色の総包片が花弁のように見える。ハナミズキの苞は5枚で先が凹んでハート形をしているのに対してヤマボウシは4枚で苞の先は尖っている。比叡山延暦寺は、山法師と称された数千人の僧兵を擁したが1571年に織田信長による焼き討ちに遭い軍としての機能を喪失した。ヤマボウシの名前は総苞の様子から、白い頭巾をかぶった山法師が連想されるとして付けられた名前と言われる。京都五条の橋の上で、義経と遣り合う弁慶の絵も白い布を頭巾にして被った山法師姿である。果実は集合果で9月頃に赤く熟し直径1~3センチで球形、果肉はやわらかくオレンジ色で甘く食べることができる。果実酒に適するとも言われるが、実際にはヤマモモほど綺麗な色は出ない。近縁のハナミズキの果実は集合果にならず、個々の果実が分離して果皮が硬い。果実の大きさによって、3ミリほどの種子が1~4個入っている。クワの実に似ている所から、「ヤマグワ」の別名が付いたとされる。極めて発芽率が良く、落下した実の果肉を洗って採り蒔きすれば、幾らでも苗を得ることが可能である。ヤマボウシの古名は、柘(つみ)との説がある。柘は万葉集にも詠われヤマグワの古名であることは間違いないが、クワもヤマグワと言う場合があってどちらが本当の名前か判断が付かない。しかし、他にヤマボウシを言い表す言葉が見つからないので柘が古名との説を支持しておきたい。本州から九州の山地に、普通に生える。街路樹・庭園樹・公園樹として植栽される。山の谷筋などに自生し、水はけがよくしかも常に適度な水分のある場所を好む。夏の乾燥で葉が枯れたり小枝が枯れたりするので、乾燥させないことが必要である。白い花・赤い果実・赤く色づく紅葉と一年に3回楽しめる木として、庭木にもよく用いられるが放置すると10mもの高さにまでも育ってしまうので庭植えなどでは芯留や剪定が必要である。アブラムシやカイガラムシが付くことがあり、煤病誘発の原因となる。また根際から、テッポウムシが入って枯らすことがあり、茎廻りに大鋸屑様の木くずが溜まっていないか注意して観ることが必要である。品種改良によって実の大きな品種、落葉しない品種、斑入りの品種、赤色の花をつける品種、黄色の花をつける品種などが作出されている。花言葉 友情
2013年06月07日

「夏は来ぬ」に歌われるウツギは、アジサイ科ウツギ属の落葉低木でウノハナ(卯の花)とも呼ばれる。 飛んで来て自生したウツギウツギと名前が付く植物にはアジサイ科ウツギ属、バラ科コゴメウツギ属、ドクウツギ科ドクウツギ属、スイカズラ科にはタニウツギ属とスイカズラ属とがあって多くのものが数えられる。山荘の庭に植えられている、多くの種類のウツギが咲きだした。歌に出てくるウツギはアジサイ科のもので、枝の髄が中空になって文字通り「空木」であるところからその名前が付いたものである。 園芸種のバイカウツギ 注意が必要なウツギは、ドクウツギだ。北海道・近畿以北の山地、河川敷、海岸の荒地などに自生する。高さ2m程で花期は5月頃、1cmほどの果実を着ける。最初は赤く、熟すと黒紫色になる。この果実にはコリアミルチンなどの有毒成分を含んでいて、食べると痙攣・呼吸困難、場合によっては死に至る。果実だけでなく茎葉も有毒である。果実には甘みがあり、茱萸(グミ)と間違えて子供が食べ死亡する事故が多発したのでイチロベゴロシ(一郎兵衛殺し)の別名がある。「うの花」とは空木の花のことを指し、別に卯月(旧暦4月)に咲く花の意ともいう。豆腐を作る際の大豆の搾り滓を「おから」または「うのはな」というが、おからはウツギの空(から)から、花と搾り滓がどちらも白い所からおからのことをシャレで「うのはな」と言うようになったとの説がある。北海道南部、本州、四国、九州に自生し種子が飛んで良く発芽するので気を付けないと実生株が知らぬ間に大株に育っていることがある。根を張っていて抜き取るには厄介な木である。山野の路傍、崖地など日当たりの良い場所に普通に生育している。古くはウツギの花の咲き具合でその年の豊凶を占ったといい、花付きが多い年は豊作と考えられていた。「万葉集」にはウノハナの名前が24首に詠まれていて、この花は万葉人にも関心が高かったことが覗える。ウツギという名前は、万葉集には出ていないが「和名抄」で出てくる。佐々木信綱の作詞した小学唱歌ではウツギの事が、「♪卯の花のにおうかきねに 時鳥早も来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」と歌われる。「垣根のウツギの花が白く美しく咲いて、ホトトギスの声をひそめるような鳴き声がする。もう夏になってしまったのだなあ。」という位の意味だが、白州の地でも今盛んに鳴いているホトトギスの鳴き声は実は甲高く良く響いてとても忍び音とは言えそうにない。春されば 卯の花ぐたし 我が越えし妹が垣間は 荒れにけるかも 万葉集 作者不詳昔は、ウツギが垣根として植えられていたようである。現在では都会でも里においても、ウツギの垣根を目にすることは無いように思う。 スイカズラ科ハコネウツギ
2013年06月06日

去る4月25日、日本気象協会が現代日本の季節感を表す言葉として37の言葉を選定し発表した。各月毎に3個ずつ割り振り、7月は絞り込めなかったとの理由から4個の計37の言葉である。少し妙に感じるのは雪おろしがあって、初雪も雪どけも無い。入学式はあるが、卒業式は無い。紅葉前線はあるのに、桜は吹雪になっていて桜前線は無いし青葉も無い。これらは今後テレビの天気予報などでおなじみになりそうだと言うが、もっと多くの言葉で季節を表わし感じることが柔軟で豊かな感性を育てるうえで重要ではないのかと考えてしまう。俳人や暦の研究家を交えて2年2か月も検討を重ね、季節の先取り感がある言葉を作ったと言う。わざわざ言葉を限定して、たった37個の言葉の中に一年間の季節を無理やり押し込めようとする小さな親切は、やり過ぎでお節介に感じられなくもない。日本語には横文字では表すことが不可能な、ヒトの感性に訴えかける素晴らしい詩的な言葉が溢れている。それらの言葉が使われなくなり、聞くことも目にすることも無くなるとやがていつかは死語となってしまう。素晴らしい言葉が辞書の中だけの言葉になってしまうことは、誠に残念で惜しい気がする。譬えば今の季節を表す「麦秋」と言う言葉があるが、この言葉を聞くと黄金色に色づいて初夏の薫風にそよぐ麦畑が目に浮かんでくる。この言葉の響きで子育て真っ最中のヒバリの姿までもが脳裏に想起され、麦畑の上空の囀りさえも聞こえてくるような気がする。 安曇野にてただ近年は、米の裏作としての麦の作付けが激減して滅多にそんな情景を目にすることが出来なくなってきていることも、この言葉が37個の仲間に入らなかった原因かもしれない。実際我が国の小麦の収穫量が平成2年には95.2万トンあったのに、平成22年では57.1万トンとなっていて麦畑の減少が数字の上にも表れている。言葉の意味とその使い方を知らないと、麦の収穫が米と同じ秋だと誤って覚えてしまう場合も出てくるだろう。願わくば今回日本気象協会が発表した、「季節の言葉36選」に関わらず、テレビでも新聞でも季節ごとの美しい日本語を機会ある毎に多用して、後世に伝えていって欲しいものである。
2013年06月05日

梅雨の季節に似合う花は、紫陽花である。昔からアジサイの花と蝸牛の取り合わせは、季節の風物詩となっていて、多くの日本人に最もよく知られている植物でもある。今年は平年より10日以上も早い梅雨入り宣言であったが、たった一日雨がパラついただけで連日晴天の青空が広がって今のところ全く梅雨の気配がない。我が家の狭い庭にも、4種類のアジサイが植栽してあって干天にもかかわらず今丁度満開になって見ごろを迎えたところである。アジサイ(紫陽花)は、アジサイ科アジサイ属の総称である。万葉集には「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の「和名類聚抄」には「阿豆佐為」と書かれている。名称の由来でもっとも有力とされているのは、「藍色が集まった」の意味の「あづさい(集真藍)」から転訛したとする説である。最も一般的に植栽されている球状のアジサイは、西洋アジサイ(ハイドランジャー)と言われ日本原産のガクアジサイを改良した品種である。アジサイがヨーロッパに渡ったのは、17世紀後半と言われる。初め緑色の花が次第に色付いて、大きな手毬状の花を咲かせるアジサイは「東洋のバラ」と呼ばれて珍重され、ヨーロッパ中に広く普及したとされる。ヨーロッパで改良され華やかな花を咲かせる植物となって、逆移入されたのは大正時代なってからである。日本でも品種改良が盛んにおこなわれていて、花の大きさや色が豊富となり華麗さに加えて覆輪や萼ものなど多くの種類が作出されている。この花に含有されるアントシアニン色素が、吸収されるアルミニウムイオンの量によって変化するので、花色に変化が現れることが知られている。土壌が酸性では青が、アルカリ性では赤が強くなる。アジサイより大きく純白あるいはピンク系の非常に大きな花房を咲かせるものに、北アメリカ東部原産の野生種、アメリカノリノキを改良した「アナベル」と呼ばれるアジサイの仲間がある。アナベルはアジサイと同様に栽培が容易で、毎年よく開花する。アジサイの多くが、前年の夏に花芽を作るのと異なり、アナベルは春に花芽ができその年の夏に開花するので、4月以前ならいつでも剪定が可能で失敗が無くガーデニングの初級者に適した花木といえる。アジサイは半日陰での栽培が向いているが、アナベルは日当りを好む。半日陰でも枯れることはないが花が小さくなる。甘茶(あまちゃ)も同じユキノシタ科に属し、ガクアジサイの変種である。アマチャの葉には甘みがあり、灌仏会(花祭り)に古くから用いられてきた。2010年4月に神奈川県南足柄市で、花祭りに甘茶を飲んだ小学一年生99人のうち45人が、10~30分後に嘔気と嘔吐の中毒症状を呈した。いずれも軽症で、一日以内に全員快方に向かった。また、アジサイでも中毒の報告がある。2008年に、刺身のツマとして付いていたアジサイの葉を食べた2件9人が嘔吐、めまい、顔面紅潮を主症状とした中毒事件を起こしたとして報告されている。何れも有毒物質の解明は進んでいないが、最近茎葉から微量の青酸配糖体が単離されたとの論文報告もあり、摂食したり口中に入れないよう注意が必要である。あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る 藤原定家
2013年06月04日

キウイフルーツは、マタタビ科雌雄異株の落葉蔓性植物である。日本在来の近縁種にはマタタビ属のサルナシがある。中国中部原産のシナサルナシから、109年前ニュージーランドで改良して作出されたものである。果実に短毛が生えた外観と色が、ニュージーランドの飛べない鳥キウイに似ていることから「キウイフルーツ」と名前がついた。「キーウィーフルーツ」「キーウィフルーツ」などとも表記されている。関東での花期は5月頃だが、寒冷地では6月初旬に開花する。南半球のニュージーランド産と聞くと暖地の植物のように思われるが、案外耐寒性があり-10℃程度の地域でも栽培が可能である。温帯から亜熱帯で植栽が可能で、熱帯の果実ではない。時にテッポウムシが入ることもあるが、特に病気も無く丈夫で栽培は比較的簡単で、園芸店ではどこでも苗を入手することができる。初期に作出されたお馴染みの果肉が緑色をした種は、甘味と爽やかな酸味がありヘイワード種と言う。近年新たに作られた、果肉が黄色でヘイワードより酸味が少なくて甘い、やや大き目のゴールド種との二種が一般に栽培されている。ゴールドの開花はヘイワードより数日早いので、雄木はそれぞれの開花時期に適したものを併せて対で植える必要がある。棚に蔓を上手く這わせて栽培すれば、10~11月頃には食べきれない量の果実を収穫することができる。我が家でも、毎年1000個近くの果実を収穫して来た。山荘を建てた14年前、同時に棚を作って貰ってヘイワード種のキウイを植えたのだが、風の通り道に当たるせいか、何回植えても冬季に雌木だけ枯死してしまって育たなかった。別の場所に20畳ほどの棚を新たに作って貰い、そこにはゴールドの雌木と雄木の孫悟空を植えた。ところが、こちらは何回植えても雄木が育たない。年に依っては、ヘイワードの雄木とゴールドの雌木の開花が合致することがある。そんな年には、構わず緑色種の花粉をゴールドに授粉する。面白いことに果肉は黄色と緑色、中間の黄緑のものができる。今年は桜の開花から暫らくは、もう晩春かと思われるような温暖な日が続き、木々の芽が伸び始めた4月末になってから連日の強い晩霜を受けて、多くの樹木の新芽は被害を受けた。キウイも例外では無く、15センチも延びていた新芽が真っ黒く霜で焼けてしまった。降霜被害のあった木は2週間ほど遅れて再度萌芽したのだが、当てにしていたヘイワードの雄花が未だ蕾のままなのに、 ヘイワード雄花の蕾ゴールドの雌花は既に開花して花弁を散らし、蚕豆程の実を着けているのだ。 未受粉果実この実は、授粉していないのでやがて落下してしまう運命にある。幸い近所に、ゴールド種の雄木だけが育っている家があり、お願いして30花程の雄花を譲り受け、葯だけを採って片栗粉で増量し筆で授粉を試みた。 ゴールドの雌花ものの本に依るとキウイの雌花は、開花して3日以内に受粉しないと結実しないとあった。すでに開花後かなり時日が経っていた我が家のキウイは、今年結実してくれるのだろうか。後10日もすれば、受粉した結果が現れると思うのだが。
2013年06月03日

ホオジロ(頬白)は、スズメ目ホオジロ科の鳥である。東アジアに広く分布しており、顔の模様とさえずりに特徴のある小鳥である。体は赤茶色をしており、目の上下が白い。頬だけの白さは、むしろシジュウカラの方が大きい。鳴き声は美しく特徴的で、「チチッ、チチッ…、チーツク…」などと囀る。スズメとほぼ同じ大きさだが、尾羽が若干長い。成鳥の顔は喉・頬・眉斑が白く目立ち、「ホオジロ=頬白」の名の由来となっている。ホオジロは主に開けた丘陵の薮や疎林に棲んでいて、高い木の梢や電線等にとまって胸をそらせた姿勢で囀る。秋や冬には数羽で群れを作るが、大群にはならない。日本では沖縄を除いて、身近な野鳥の一つである。基本的に長距離の渡りはしない留鳥だが、北海道などでは夏鳥として渡来繁殖し冬季は暖地や南方へ移動することが確認されている。繁殖期は5月から7月で、低木の枝に枯れ草を組んで椀状の巣を作り、一度に5個前後の卵を産む。卵は白色で、黒褐色の斑点や曲線模様がある。また、カッコウに托卵されることがある。抱卵期間は約11日で、雌が抱卵する。雛は約11日で巣立ちするが、その後も親から給餌を受け独立するには約1ヶ月を要する。木の高い梢などの目立つところで、細く高く早い節回しでチョッピーチリーチョチーツクなどと囀る。囀りには方言があって、その節回しは独特で「ピッピチュ・ピーチュー・ピリチュリチュー」などとも聞こえる。この鳴き声の聞きなしとして「一筆啓上仕候」(イッピツケイジョウツカマツリソウロウ)「源平つつじ白つつじ」「札幌ラーメン味噌ラーメン」などが知られている。飛騨高山では、「丁稚鬢付け何時つけた(デッチビンツケイツツケタ)」、青森県では、「借金銭よこせ(シャッキンゼニヨコセ)」、秋田県では「弁慶米搗け(ベンケイコメツケ)」などと聞きなしている。我が国で愛玩飼養目的の捕獲許可対象鳥類は順次減少し、愛玩飼養のための捕獲は原則許可されないこととされた。山荘の駐車スペースと畑の間に植えられたコデマリの株に、今年もまたホオジロが営巣した。今年で5年目になる。今回と同じコデマリの株には3回、少し離れたヒメウツギの株に一回、さらにもう一回は今回の所から4メートル離れた隣家のコニファーの枝に営巣した。 5個の卵を確認ツバメは馴染みの場所に戻って、営巣するという。ホオジロが同じ場所で、営巣することはあまり聞かない。我が家の山荘が、よほど気に入ったものであろうか。ただ昨日、少し離れたキウイの棚を這う2メートルもありそうな巨大なアオダイショウが目撃された。カラスやヘビの襲撃を受けないで後20日ほど、何事も無く無事に巣立ってほしいと応援している。
2013年06月02日
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