全23件 (23件中 1-23件目)
1

我が家の庭の隅の日陰に、40年も前から住み着いたイヌカタヒバが繁殖している。冬には紅葉して茶色になるが、春に再び緑の桧の葉に似た葉を茂らせる。植木や庭石の周りのグランドカバーとして趣があるので、よく植え込み材料にも使われる。イヌカタヒバは漢字で犬片檜葉と書き、日本では琉球列島に自生するイワヒバ科の植物である。山野草として栽培されたことによって、本州各地に分布するようになった。環境省レッドデータブックでは、絶滅危惧㈡類(vu)に評価されている。根茎は径1mm程度の細い針金状で、長く地上を這う。草丈は25cmと長く、茎は上方で羽状に分裂し鱗状の葉をつける。檜(ひのき)または、檜葉(ひば)の葉に酷似しているところから付けられた名前である。一見、地下茎や葉に見えるものはどちらも茎であり、本当の葉は茎の表面に着いている鱗片状のものである。片檜葉という名前は、ヒバに似ているものの枝が片方にしか伸びないことに由来するが、その姿はむしろシダ植物に似ている。イヌカタヒバに良く似た植物に、カタヒバがある。別名を「メヒバ」ともいい常緑性で晩秋には美しく茶色に紅葉する。葉は黄緑色で、葉状枝は集まらずに開き垂れ下がる。胞子嚢群は四角柱状で、小枝に1個が頂生する。山地の、岩上などに着生する植物であるが、園芸用として栽培していたものが逸出して、人家近くの傾斜面や石垣などでも良く見られる。「復活草」の別名がある近縁種のイワヒバと同じように、カタヒバやイヌカタヒバも乾燥すると枯れたように葉を巻くが水を与えると元に戻る性質がある。カタヒバはその主茎に丸みがあり、背葉の辺縁には膜はなく、先端は鋭尖状である。一方のイヌカタヒバの主茎には角があり、背葉の辺縁に白膜があって先端は芒状をしていることが鑑別のポイントとなる。日米欧など10カ国の研究チームが、イヌカタヒバを用いてシダ植物の全遺伝情報の解読に初めて成功し、「被子植物約26,000やコケ植物の約28,000よりやや少ない約22,000の遺伝子を持っていること、また遺伝子間の長さが短いためにゲノムの大きさが小さいことが解明された。」ということが、2011年5月5日付米科学誌サイエンスに発表された。被子植物・コケ植物に次いで、シダ植物の全てのゲノム情報が解読されたことから今後これを作物などの改良に利用して、製薬やバイオマス生産を含む農林業への応用が進むことが大いに期待されている。
2013年09月30日

28日は、直射は暑いものの冷涼な風が吹く秋晴れの運動会日和となった。全国的にこの時期に運動会が催されるようだ。今まで孫の運動会を見に行ったことは無いのだが、今年は小学4年生の孫が4年生以上の「男子学年混成リレー」の選手に選ばれたと言うので応援に行くことにしていた。弟と違って気の弱い兄は、前夜寝られず親がせっかく作ってきてくれた昼飯も食べられないほどに緊張の極に達していた。小学校の運動会は、さまざまな競技や遊戯・ダンスで工夫が凝らされているが、オリンピックで最後にマラソン競技が行われるように、矢張りメインは競技最後の混成リレーである。運動会最後の競技の放送がされると、それまで木陰や校舎の陰で遠巻きにしていた沢山の父母や祖父母がトラックの外側に集まってきて、金切り声をあげて夢中で応援している。4年生2人、5年生と6年生3人ずつの計8人が1チームで、4チームでの競争である。孫のチームは最初からトップで、走者4番目にバトンを貰った時には2位との差は約30メートルもあったのだが、2位の6年生に見る見る差を詰められ、辛うじて1位でバトンを渡したが、直後に並ばれてしまった。しかし、5年生の次走者と2位の走者が軽く接触し相手チームのバトンがはじき飛ばされて、結局は最後まで1位を守ることができた。昔からの慣用句に、ゴールテープを切るという言葉がある。この言葉の意味は競走などで、1位でゴールインすることを指していうものである。今回小学校の運動会を観て、違和感を覚えたことがある。徒競争やリレーのゴールで、二人がゴールテープの端を持つのは昔と同じなのだが、走者がテープに届く前に一人がテープを離してしまうのだ。いろいろ調べてみると、小学校や幼稚園などでゴールテープに絡まって怪我をしたとの報告がされており、テープによる事故を危惧してのことではないかと思われる。これでは、「ゴールテープを切る」という慣用句は理解できなくなってしまう。「国際陸上競技連盟競技会規則及び国内適用」のルールを調べてみると、ゴールという言葉はフィニッシュに置きかえられていて、「フィニッシュは幅5cmの白いラインで示す。」とされている。ここには、「ゴール」と「ゴールテープ」という言葉は出てこない。「ゴールの着順は、胴体のいずれかの部分がフィニッシュラインに到着した順位で決める。」とあり、テープについては何の規定もない。ゴールテープは写真判定のない時代に、決勝線到着を判断するために用いられたもので、この慣行から現在も使われているものと思われる。因みに国内規定では、フィニッシュポスト写真判定システムがない場合、2本の白色に塗られた柱をフィニッシュラインの延長線上に少なくともトラックの端から30mmのところに置く。フィニッシュポストは強固な構造で、高さ約1m400、幅8mm、厚さ2mmとする。との規定がある。フィニッシュラインもフィニッシュポストも無い小学校のグランドの場合ゴールテープは必要アイテムである。テープ保持者に対する厳重な訓練と管理でテープによる事故は防げると思うし、子供の頃の思い出にしっかりテープを切る感覚を記憶させることも無駄ではないように思うのだが。
2013年09月29日

ユリ科の植物のホトトギスは、鳥の杜鵑の胸の模様が花の斑点と似ていることが由来となって、この名前がつけられたものという。英語では、蝦蟇ガエルのユリToadlilyと言うことらしい。俳句に読まれるのは多くは本家の鳥の方であり、子規が数多く読んでいる俳句のホトトギスも鳥のことである。40年も前に譲り受けたミヤマキリシマの鉢植えに、薄いクリーム色の花の一株のホトトギスが芽を出しそれが元親となって殖えたものである。根クリーム色の花を咲かせるホトトギスの遺伝子が、さまざまな花色を持っていたらしく今では白花から薄紫の斑点の入ったもの、中間色のものまでが咲くようになった。一時は自宅の庭一面に広がったのだが、昨年で全て姿を消してしまった。14年前山荘の庭に10株ほど移植したものが、現在では山荘の庭一面に繁殖して彼岸を過ぎたころから満開となった。ホトトギスは東アジアを中心におよそ20種が分布している多年草で、その内の10種が日本に自生しているとされている。茎がやや曲がって下垂し花を咲かせる姿は風情があって、山野草としての人気が高い。若葉には油染みのような薄黒色の斑点があり、「油点草」の別名があるがこの斑は花期前までに消失する。夏から秋にかけてが開花期で、花弁は6枚が一般的である。杯状に上向きに咲くタイプと、釣鐘状で下向きに咲くタイプがある。一般的にやや暑さに弱く、暑さと水切れで葉が茶色く傷み開花期に株の見栄えが悪くなることが多い。日本全国に色々なホトトギスが自生するが、ホトトギスは花を各節に咲かせるのが特徴で、様々な種類や交雑種があるが大別して2系統に分けることができる。直立型ではホトトギスが代表種でその他に、ヤマホトトギス、ヤマジノホトトギス、タイワンホトトギスなどがあり、下垂性ではキバナノツキヌキホトトギス、ジョウロウホトトギスなどがある。適切な場所に庭植えすれば、放任していても雑草のようによく繁殖する。ただし我が家では、移植後6年を過ぎるころから徐々に株が衰え消えていくので多少連作障害を持つのではないかと思われる。移植後5年を過ぎるころには、新しい場所に植えかえた方が無難である。花言葉 私は永遠にあなたのもの 永遠
2013年09月28日

1804年に華岡青洲が、チョウセンアサガオから麻酔薬を作り「通仙散」と命名した。通仙散を用いて世界初とも言われる全身麻酔で、乳癌の摘出手術をしたことは有名である。しかし青洲の妻は、麻酔薬を完成させる過程で失明している。茄子科の植物には、有毒アルカロイドのスコポラミン(ヒヨスチン)を含む植物が多い。キダチチョウセンアサガオはナス科に属し、3mを超えるほどの高木になる。学名のブルグマンシア属と呼ぶこともあり、園芸名ではエンジェルトランペットと呼ばれることが多い。我々が衛生学の講義を受けたころには、チョウセンアサガオ属に含められていた。そのため園芸名ではチョウセンアサガオ属(Datura)の学名から、ダチュラの名前で呼ばれていた。ダチュラは別名で曼陀羅華やキチガイナスビと呼ばれ、かつては麻酔薬や鎮痙薬として利用された。この植物の名前の「チョウセン」は、朝鮮を意味するのではなく単に外国を意味したものであるとされる。エンジェル・トランペットは、春から晩秋にかけて、下向きに垂れ下がった花を多数つける。蕾には卵形・球形・紡錘形などの形があり、花は蕾から突き出すように咲く。花弁の先端は、5つに分かれ反り返る。マルチングすれば-10℃でも越冬し、低温に強く丈夫で育てやすい植物である。春温かくなってから旺盛な成長が始まり、開花時期には大きくなった株に沢山の大型の花をつけて見ごたえがある。かつてキダチチョウセンアサガオ属はチョウセンアサガオ属とされていたが、現在は別属として扱われるようになった。そのため両属はよく混同されている。ダチュラと呼ばれていても、実際はキダチチョウセンアサガオであるということが珍しくない。キダチチョウセンアサガオ属は高木または低木で、下向きの花をつける。チョウセンアサガオ属は一年草または多年草で、上向きの花をつける。花が美しく甘美な香りがするので香水に使われることもあるため、チョウセンアサガオはエンジェル・トランペットとともに園芸用として一般に出回っているが、両植物には共通の有毒アルカロイドのスコポラミン(ヒヨスチン)・ヒヨスチアミン・アトロピンなどのアルカロイドを全草に含有し有毒なので注意を要する。多量に摂取すると、意識喪失、呼吸停止を起こし死亡することもある。生薬としては同じナス科のハシリドコロの根(ロート根)やベラドンナの根が使われ、チョウセンアサガオが用いられることは少ない。根をゴボウ、葉をモロヘイヤ、つぼみをオクラやシシトウ、種子をゴマと間違えて食べて食中毒を起こした例が報告されている。根を水に漬けて置くだけでも成分が溶出し、その液体を飲んで食中毒が発生することがある。また花を活けた花びんの水を、子供が誤って飲む危険性も指摘されている。粘膜からも、成分が吸収される。チョウセンアサガオやエンジェルトランペットを刈り取ったりする際、汁が付着した手で目を擦るなどした場合にも、散瞳や調節障害などが起こる。綺麗な花には毒がある譬え通り、庭などに植える場合はその取り扱いには十分な注意が必要である。 花言葉 愛敬 偽りの魅力 変装 愛嬌
2013年09月27日

モッコク(木斛)はキンモクセイ(金木犀)・モチノキ(黐の木)と並んで庭木の三名木とされ、江戸五木にもかぞえられている。なかでもモッコクは、庭木の王者とも言われ葉や樹形が美しく、マツに次いで庭園には欠かせない植木とされている。ツバキ科の常緑高木で、名前の由来は花の微香が着生ランのセッコク(石斛)の花の淡い芳香に似ることからモッコク(木斛)とされたものという。葉が美しく樹形が整うため、庭木として庭園に植栽されるほか、堅く美しい赤褐色の材を床柱のような建材や櫛などの木工品の素材として用いる。樹皮は、繊維を褐色に染める染料として利用される。沖縄では重要な建築材で、首里城正殿にも使用されている。民間療法では、乾燥した葉を煎じたものを腎疾患や肝疾患に用いる。7月ごろに直径2cmほどの黄白色の花をつけ、芳香を放つ。花は葉腋に単生し1~2cmの柄があって、花柄は曲がって花は下を向く。株によって両性花または雄花をつける。両性化をつける株には1cmほどの球形の果実をつけ、秋に熟して果皮が裂け赤い種子を露出する。この種子は樹上で赤く目立つため、アカミノキの別名がある。 剪定前美しい樹形を保つためには、梅雨時の6~7月と12月の2回の手入れを行うのが理想と言われるが、梅雨の時期には庭に大量のヤブカが発生していてとても剪定作業を行う気にはなれない。時期が悪いのは承知で涼風が吹いて曇って日差しが少ないのを見計らって、3年間放置して樹形が乱れだらしなくなったモッコクを剪定した。マツの剪定はかなり習熟しないと難しいが、モッコクは良く枝から芽吹くので無駄な枝を切り落として樹形を整える間引きと透かし剪定を基本に考えて行えば、そこそこ見られるようになる。ただし小枝の途中からは芽が吹きにくいので、イヌツゲのような刈り込み剪定には適しない。朝8時から木に上って、なんとか剪定が終了したのが12時を少し回った頃であった。さらに昼食後、落とした枝と葉の片付けに小一時間を要した。 剪定後もう少し大きな木がもう一本あるのだが、これは後の楽しみに年末まで残しておくことにした。剪定が終わった木を遠くから見れば、専門家が行ったように見えなくもないと自画自賛して悦に入っている。昔から「千両万両持ち込む」といって、モッコクの根元にセンリョウやマンリョウを植えて縁起を担ぐ。我が家にはセンリョウ・マンリョウの他にヒャクリョウも植えてあるのだが、千両はおろか百両さえも入ってこない。この縁起は、我が家にはまるで当てはまらない。
2013年09月25日

日本には、漢数字一字が苗字になっている人がいる。例えば一は「にのまえ」、二は「したなが」、九は「いちじく」で、十は「みつる」または「つなし」という。広辞苑の「いちじく」の項には、果物の「映日果・無花果」しか載せられていないが、九も実在のいちじくと読む苗字である。ただし、果物のイチジクは九とは書かない。イチジク(無花果、映日果)は、アラビア南部原産のクワ科の落葉高木で不老長寿の果物とも呼ばれる。アダムとイブが、禁断の木の実を食べて羞恥心が芽生えて身に纏ったのがイチジクの葉であるとされる。映日果は中国語では「インジークォ」と読み、これが訛ってイチジクとなった。花序は倒卵形で外部からは花がみえず、花を咲かせないで実をつけるように見えることからイチジクに無花果の字があてられたものである。初夏に花軸の肥大した花嚢を葉腋に出して、内側に雌雄異花の無数の花をつける。花を支える茎の部分を花柄と呼び、花柄の先端の花に接している部分を花托というが、イチゴやリンゴと同じようにイチジクの食用にする部分は花托と呼ばれる所である。伝来当時の日本では、異国の果物を意味する「蓬莱柿」「南蛮柿」「唐柿」などと呼ばれたという。葉は三裂または、五裂掌状で互生する。浅く三裂のものは江戸時代に移入された品種で、深く五裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると乳汁が出る。初夏、花軸が肥大化した花嚢の内面に無数の花をつける。雌雄異花であり、同一の花嚢にそれぞれの花をつける。栽培品種には雄花がないものもある。日本で栽培されているイチジクは、ほとんどが単為結果性品種のため受粉しなくても結実する。果実の成熟する時期が年に2回あり、前年に着生した幼果が越冬して7月ごろ熟したものを夏果、新梢に着生し、その年の8~10月に熟したものを秋果という。果実が、秋に熟したものは濃い紫色になる。当初は薬用の目的で移入されたが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易に殖やせることもあり手間のかからない果樹として、家庭の庭などにも広く植えられるようになった。生果・乾燥品ともに、パン・ケーキ・ビスケットに加えたり、ジャムやコンポート、スープ・ソースの材料・ワインや酢の醸造用などさまざまな用途に幅広く利用されている。果実には果糖・ブドウ糖・蛋白質・ビタミン類・カリウム・カルシウム・ペクチンなどが含まれている。その他不溶性と水溶性の食物繊維が、豊富に含まれている。熟した果実、葉を乾燥したものは、それぞれ無花果(ムカカ)、無花果葉(ムカカヨウ)といい生薬として用いられる。イチジクには整腸作用があり、果実を干したものは緩下剤として用いられる。また民間薬としては果肉や葉から出る乳液を、痔や疣に塗布しあるいは駆虫薬として内服する。 花言葉 多産 飽和 実りある恋 裕福 無花果や 竿に草紙を 縁の先 漱石
2013年09月24日

蘭の名前がついていても葉や花の形、花の色もランには全く似たところが無い。おまけにユリの仲間と言われてもピンとこない植物だが、れっきとしたユリ科の多年草である。ヤブランは関東地方以西の温暖な地に生育する、常緑の多年草で東南アジアにも分布する。ユリ科にはランと名前がつく多くの植物があり、ヤブランやスズランの他にも9種の植物が挙げられる。ヤブランは別名リリオペやサマームスカリとも呼ばれ、東アジアに分布する。穂状の極小さな花を、夏から秋にかけて開花する。小さな一つの花は大きさ・色形とも、春に咲くムスカリの花によく似ている。光沢のある葉は細長く、地際から立ち上がるようにたくさん付け葉先は垂れる。日本には「ヤブラン」「ヒメヤブラン」「コヤブラン」の三種があり、樹木の下などの薄暗い場所に生える。葉に斑入りのフイリヤブランがあり庭の木陰や花壇の縁どりとして栽培され、葉が美しいので花期以外にも鑑賞される。生育は旺盛で日本の気候に合っていて耐陰性も非常に強く、他の植物が育たないような樹木の陰になるような場所にも育つので、古くから庭園のカバー植物として利用されてきた。花は一本だけでは寂しい感じだが群生させると美しく、見応えがある。斑入り種は青葉種に比べて葉の幅がやや広く、草丈も低めでコンパクトにまとまりヤブランの中では小型である。園芸店では、しばしば学名の「リリオペ」として表示されることがある。常緑樹林の中にも生育するが、或る程度明るさが無いと花が咲か無いことが多い。和名の由来は、樹林の中に生育するシュンランと葉が似ていて、藪に生えることから「ヤブラン」の名が付けられたものではないかと思われる。シュンランの葉は先端が尖ってやや堅いが、ヤブランの葉の先端は尖らずに柔らかい。秋にはジャノヒゲに似た黒紫色の果実をつける。初冬にヤブランの根の肥大部分を掘り取り、水洗いして天日でよく乾燥させたものは大葉麥門冬という生薬である。ジャノヒゲは麥門冬と言われ、どちらも漢方薬に配合される重要な生薬で民間では単独でも用いられていて滋養・強壮・催乳・咳止めに1日量6~10グラムを水0.3リットルで煎じて3分の1量程度まで煮つめ一日3回に分けて温服する。 花言葉 忍耐 謙遜 かくされた心 無邪気な
2013年09月23日
チンジャラと聞いて、パチンコを想起する人も多いと思われる。同じようにチンチロリンと言われると、ゲームのルールを知らなくてもさいころを使った日本の大衆的なギャンブル・ゲームを思い浮かべる人がいると思われる。チンチロリンとは2人以上が車座になって、サイコロ3個と丼か茶碗を用いて行うゲームで、多くは金か物を賭けて行われる。サイコロが茶碗に投げ入れられたときに出る音が名前の由来で、「チンチロ」や「チンコロ」とも呼ばれることがある。一方、文部省唱歌で歌われた「蟲のこえ」では、マツムシが鳴くこえを「チンチロチンチロチンチロリン」と聞きなしている。実際には透き通った音で「チッチリ チッチリ」、あるいは「チッチリ チッチリン」と聞こえる。同じマツムシの名前がつく「アオマツムシ」がいるが、こちらは姿形声ともマツムシとは全く異なる。外来種ともいわれ、1970年ころから市街地で急速に繁殖し今ではこの鳴き声はどこでも普通に聞かれる。マツムシが濃い茶色であるのに対して、アオマツムシは濃い緑色をしている。鳴き声は、キリギリスに似て太く「ギィー ギィー」と鳴く。動きが他の鳴く虫に比べて素早いので、アオゴキブリと呼ばれる場合がある。八月のお盆のころ桜の木や生け垣のヤマモモの木から盛んに聞こえていたアオマツムシの煩く感じられる声は、彼岸近くなって急に聞こえなくなった。代わって日の出前の明け方、植え込みの陰から盛んにコオロギの声が聞こえる。今朝も早朝、椿の樹の下からエンマコオロギの「コロコロコロ コロコロ」という澄んだ声が聞かれた。一般的にコオロギといえば、エンマコオロギを思い浮かべる。漢字では「蟋蟀」と書かれるが、室町時代以前はセミをも含むすべての鳴く昆虫を指して「蟋蟀」と言っていた。セミはコオロギ科でなくカメムシの仲間だが、マツムシ・クツワムシ・ウマオイ・スズムシなど多くの秋に鳴く虫はコオロギ科に分類されている。秋の虫は、知らないうちにカエルの合唱と入れ替わっていて、またいつの間にか聞こえなくなってしまう。秋の虫の音は、心静かに耳を傾けないと虫の声として心に残らない。 こおろぎの 仏壇の中に 鳴出しぬ 子規
2013年09月22日
猛烈な雨を伴った第18号台風が、山荘の真上を通過して行った。台風一過の翌日は、それまで真夏の空気に包まれていた北杜市の最低気温が8℃近くも低下して10℃ほどになり、秋を通り越して一気に冬の空気に入れ替わった。南アルプスの甲斐駒ケ岳は3月以来5か月振りに雲一つ無い青空に浮かび、富士山も黒い夏姿をくっきりと現した。毎年この時期、決まって廻ってくるモズがいる。同一個体かどうかは判然としないが、盛んに「モズの高鳴き」をしている。モズは日本・中国・ロシア南東部・朝鮮半島に分布している。日本では留鳥であるが、北部や山地に生息する個体群は秋季になると南下し、標高の低い場所へ移動して越冬する漂鳥でもある。開けた森林や林縁、河畔林、農耕地などに生息する。昆虫、節足動物、甲殻類、両生類、小型爬虫類、小型の鳥類、小型哺乳類が餌である。樹上などの高所から地表の獲物に襲いかかり、再び樹上に戻ってから捕えた獲物を食べる。樹上や茂みの中などに、外側は草の葉や茎で粗雑に見えるが内装はススキの穂などを用いて緻密に編み込んだ皿状の巣を雌雄で作り4~6個の卵を産む。年、2回繁殖することもある。カッコウに、托卵されることがある。メスのみが抱卵し、抱卵期間は14から16日で孵化後約14日で巣立ちをする。モズは捕らえた獲物を木の枝や有刺鉄線、バラの棘等に突き刺す行為を行う。秋に初めての獲物を生け贄として奉げたのだという言い伝えから、「モズのはやにえ(早贄)」といわれる。秋に最も頻繁に行われるが、何のために行われるかは解明されていない。はやにえにした獲物を後で食べることもあるため、冬期の保存食にすることが目的との説もあるがそのまま放置されることが多い。モズは本能的に積雪量を感知しはやにえを雪に埋もれない位置に造るので、位置が低ければその冬は積雪量が少ないといわれる。はやにえの位置によって、冬の積雪量を占うことが出来るというが信憑性のない俗説である。宮本武蔵の有名な「枯木鳴鵙図」は、上方にまっすぐに延びた一本の枯枝の先にオスと思われるモズが止まっている様子が描かれている。モズは、「ギチギチ」という低い鳴き声である。秋に鳴く縄張り宣言は、尾羽を回しながら「ギョンギョンキチキチ・・キィーキィーキィー」と高く鳴く。この鳴き声を「モズの高鳴き」といい、一匹のテリトリーはおよそ1~4haであるとされる。高鳴きは、季節が秋になったことを知らせる自然の風物誌でもある。モズは自分のさえずりの他に、器用に他の鳥の鳴き真似をするので漢字で「百舌鳥」と書く。山荘の樹に止まるモズは、ホホジロの声や鶯、スズメの声を真似る。南信州の実家では、家の周りに毎年のように営巣された巣を見た。ある時は、交尾しながら少し太い声で鶯の真似をしていた。求愛行動は変わっていて、メスが複数のオスの縄張りを巡って気に入った相手を決めると、柔らかな小鳥のような鳴き声で体を震わせてオスに甘えかかる。結婚相手として認められたオスは、メスに餌をプレゼントするようになる。しかしこうして番いになったモズであるが、一つの巣の中の仔のDNAを調べた結果異なった複数のオスのDNAが確認されたといわれ、厳格に一夫一婦が守られているわけではない。
2013年09月21日

昨日9月19日は旧暦の8月15日にあたり、十五夜(中秋の名月)であった。月齢カレンダーによると17時16分に月が昇り、満月になる瞬間の時刻は20時13分で中天に達したのは23時34分であった。中秋の名月は、よく「中秋無月・雨名月」とも言われる。今の時期は日本列島に秋雨前線がかかることが多く、また台風襲来の時期にあたるためしばしば月が出ないことが多いのでそのような異名がある。過去の記録を見てみると、関東で十五夜の月が見られる確率は3割程度である。つまり、3年に1度くらいしか名月を目にすることはできないという計算になる。今年は、14日に豊橋から東北へと列島を縦断した台風が夏も一緒に運び去り、一気に澄んだ秋の冷涼な空気が日本列島を覆った。このため本州付近は多くの地域が晴天となり、昨夜は確率的に3年に一度の絶好のお月見日和となり空に明るい満月が浮かんだ。 十三夜の月が夕焼け雲と共演旧暦8月15日の月は中秋の名月と呼ばれるが、月齢の進みや月の楕円軌道などの影響で満月がこの日の前後にずれることがよくあり、むしろこの日が満月となる年は少ない。一昨年から今年は3年連続で満月となったが、次はしばらく暦での中秋の名月は満月でない年が続き、次に暦と満月が重なるのは8年後になるという。昨年は、台風の影響で全国的に曇りや雨であったが、昨夜は列島のほぼ全域で満月を見られた。名月を見るのは、電線が張り巡らされ住宅の屋根が並ぶ市街地でより、墨絵に沈んだ山里で微風に揺れる薄を月明かりの中に眺め、虫の声に耳を傾けながら見るのが最も良く似合う。昔から月見には団子がつきものだが、軽く炙って細く裂いたスルメを肴として人肌の茶碗酒を舐めるのも一興である。
2013年09月20日

♪赤い花なら 曼珠沙華阿蘭陀屋敷に 雨が降る濡れて泣いてる じゃがたらお春(昭和14年(1939)10月、ビクターから発売)私が生まれる前に作られ一世を風靡し大流行をしたが、この歌を知る世代も少なくなってきた。歌の題名を知らなくても、昭和20年代までに生まれた人の多くはこの歌の出だしを歌える人が多い。お春は江戸時代初期に長崎に実在した人物で、寛永16年(1639年)6月に発布された第五次鎖国令により同年10月、バタヴィア(現ジャカルタ)へ14歳で追放されたイタリア人と日本人の混血女性で離日後生涯をジャカルタで過ごしたとされている。当時日本の土地を追放された人々と、日本人との間の手紙のやり取りは認められていなかった。文通については明暦元年(1655)ごろから緩和されたが、実際にはそれ以前から追放された日本人妻や混血児に同情的な、オランダの商館員や船員と直接接触が可能だった通詞や遊女などを介して密かに文通が行われていたという。これら追放された者から日本の親戚や友人に送った手紙は、「ジャガタラ文」と呼ばれた。お春が書いたとされる、「千はやふる、神無月とよ」で始まり「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」で終わるジャカルタ文は、正徳4年(1714年)に西川如見が著した「長崎夜話草」第一巻によって紹介された。以来、募る望郷の念を少女とは思えぬ流麗な調子でしたためた名文として高く評価され、お春は江戸幕府により故郷と引き離された悲劇の少女として知られることとなった。昭和13年(1938年)には、この「じゃがたら文」を土台として歌謡曲「長崎物語」が作られた。「千はやふる、神無月とよ」の神無月は、新暦の9月でちょうど彼岸花が満開な時期であったと思われる。真っ赤に咲いている花姿を、ジャガタラに追放され望郷の念に駆られるお春の想いに重ねて作詞したものであろうか。しかしこのジャガタラ文が発表された後、西川の偽作ではないか」との疑問がいわれ、今ではお春本人がしたためたジャガタラ文ではないというのが通説になっている。彼岸花は、全草に有毒アルカロイドのリコリンを含有する多年生の球根性植物である。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。土手や畦道・墓地などに群生し、9月中旬の秋分の日頃に赤い花をつけるが、栽培されるものには白花もある。ジャガタラお春の気持ちを歌うのは、やはり赤花の曼珠沙華でなくては意味が伝わりにくい。夏の終わりから秋の初めに、高さ30~50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に芽を出しその先端に包に包まれた花序が一つ付く。やがて包が破れて5~7個前後の花が咲く。花には短い柄があって横を向いて開き、全体としては全ての花が外向きに並ぶ。花弁の長さは40mm、幅約5mmと細長く大きく反り返る。北海道から琉球列島まで見られ、中国から持ち込まれたものである。土に穴を掘る小動物を避けるため、畦や土手に植えたとの説や生薬としたり、救飢食とされたとの記録がある。天明の飢饉では岩手県の人口の2/3が飢餓で死亡したと言われ、彼岸花の球根が手に入った村だけが残ったという。(樋口清之国学院大名誉教授)そのため人里に生育し、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列を作って咲く花時に見事である。日本のヒガンバナは不稔性のため種子を作らず、全て球根で増える。 行き場のない大量の球根が盛り上がって全草に有毒アルカロイドのリコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなどを多く含む有毒植物である。誤食した場合は吐き気や下痢、場合によっては中枢神経の麻痺を起こして死にいたることもある鱗茎は多量のデンプンを含んでいてリコリンは水溶性であるため、長時間水に曝せば無害にすることができる。近年では、第二次世界大戦の戦前戦後に食用とされた事もある。花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため誤食され中毒を起こすことがある。鱗茎は生薬の石蒜といわれ利尿や去痰作用があるが、有毒であるため素人が民間療法として利用するのは危険である。毒成分のガランタミンは、アルツハイマー病の治療薬として利用されている。彼岸花の名は、秋の彼岸ごろに開花することに由来している。一方、有毒の彼岸花の球根を食べた後は「彼岸に行く」しかないからという説もある。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来している。死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花などせ多くの異名があり、不吉な花として嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。子供のころには、花の形が燃え盛る炎のように見えることから、この花を家に持って帰ると火事になると言われたものである。韓国では、花と葉が同時に出ることがないので「相思花」と呼ばれることが多い。日本では「花と葉が同時に出ることがない」ことから「葉見ず花見ず」とも言われる。仲間には、ナツズイセン・キツネノカミソリなどがある。花言葉 情熱 独立 再会 あきらめ
2013年09月19日

スズメより大きなクロアゲハが、盛んに庭を飛び回る。庭のミカン・ユズ・山椒の木に、卵を産み付けるための飛翔である。うっかりしていると、一枝の葉がすっかり無くなっていることもある。あんな芋虫が、なぜこんなに優美な成虫になるのか自然のなせる技とは言え理解できない。アゲハ蝶の名前の由来は、花の蜜を吸う時羽を揚げて止まるので、そこから名付けられたという。アゲハ蝶は、最も大型蝶の分類群である。成虫は大きな翅をもつが、中にはアオスジアゲハのように比較的小さな翅で速く飛びまわるものもいる。翅の鱗粉は種類によって、黒・白・赤・黄・青・緑など様々な色で彩られている。後翅の縁には大小の突起があり、特に後翅から斜め後方に伸びる長い突起は尾状突起という。これらの突起の長さや有無が、種類を判別する有効な手がかりとなる。成虫はほぼ全ての種類が花に飛来するが、地面の水たまりや海岸などで水分を吸う習性のある種類もある。大きな翅をはばたかせて飛び、吸水・吸蜜や産卵もはばたきながらおこなう。幼虫の食草は種類によって異なるが、日本産のアゲハチョウ類は柑橘類や山椒などのミカン科植物を食草とするものが多い。キアゲハはせり科植物を食草とし、うっかりするとニンジンが丸坊主にされることがある。変わった性質を持つアゲハとして、ジャコウアゲハやトリバネアゲハ類はアルカロイド有毒物質のアリストロキア酸などを含むウマノスズクサを食草とし、その有毒アルカロイドを体内に蓄えて鳥などの天敵からの攻撃を防御していると言われる。アゲハチョウ類の幼虫は頭部と胸部の間に、1対の臭角という角をもち、これが他のチョウの幼虫と異なる大きな特徴である。この角は二股に分かれた半透明の袋のような構造で、種類によって赤から黄色といった派手な色彩をしている。ふだんは体内に収納しているが、強い刺激を受けると頭部と胸部を反らせ、体液の圧力で角を裏返して突き出す。この角の表面から、テルペノイドを主成分とした強い臭い物質が分泌されて外敵を撃退する。人が嗅いでも、耐えられないような異臭がする。蛹は帯蛹型といわれ、尾部のカギ状突起と胸の部分の帯糸で上向きに自分の体を固定する。クロアゲハは、チョウ目アゲハチョウ科に分類されるチョウで、成虫の前翅の長さは70mmほどにもなる大型の蝶である。翅の表裏とも黒色で、裏面には後翅外縁に赤斑が並び尾状突起を有する。オスには後翅前縁に白い帯が見られる、この帯は時間と共に黄味をおびてくる。4月から8月ごろまで、年に2乃至4回発生する。形状色とも良く似ているジャコウアゲハやオナガアゲハ、カラスアゲハなどと比べて尾状突起が短いのが特徴である。幼虫はナミアゲハと似ているが、やや茶色味が強い。4齢までは鳥の糞に擬態しているが、5齢以降は黄緑色に変わる。ミカンの枝についた15匹もの芋虫には気の毒だが、台風の通り過ぎるのを待ってミカンの木が丸坊主になる前に退散してもらった。 天よりも かがやくものは 蝶の翅 山口誓子
2013年09月17日

8月の終わり頃から今年も、庭の秋海棠の花が咲き始めた。シュウカイドウは、ベゴニア属多年生草本の球根植物である。ベゴニアは寒さに弱いが、シュウカイドウは耐暑性・耐寒性ともあって-5℃でも越冬するので地植えで育てることができる丈夫な草花である。シュウカイドウは中国名、「秋海棠」の音読みから付いた名前である。あまり一般的ではないが、瓔珞草ヨウラクソウの別名もある。中国大陸からマレー半島に分布しており、江戸初期(1640年ころ)に園芸用として持ち込まれた帰化植物である。貝原益軒は『大和本草』で、「寛永年中、中華より初て長崎に来る。……花の色海棠に似たり。故に名付く」と記している。実際には、花の色も形も全く似ているようには見えない。その後日本国内に広がり、現在は野生化したものもあって普通に目にすることができる。強い直射日光に当てると葉焼けを起こし乾燥で生育が衰えるので、湿り気のある明るい日陰で栽培する。8月頃葉腋から紅色の花茎を伸ばして咲き始め、2〜3cm程度の淡紅色の花を咲かせる。雌雄同株異花で、雄花は花弁が開き黄色く球状に集まった雄しべが目立つ。小さな花弁が2枚と、大きな花弁に見える萼2枚つく。最初に雄花が咲いた後、花茎が2又に分かれて伸び新たな雄花が咲くことを3、4回繰り返してその後先端に雌花を下向きに咲かせる。雌花には、三角形の大きな子房を付けた萼2枚がわずかに開くのみなので、雄花とは簡単に区別がつく。花の後には、葉腋に1~3コずつ小豆大の「ムカゴ」を付ける。冬越しのために茎葉が枯れるころになると、散らばって春に芽を出し繁殖する。花の後、こげ茶色で羽が3枚ある楕円形の実を付ける。実を付ける頃には地上部は枯れ、球根で越冬する。冬は茎葉が枯れて、地下の塊根の状態で越冬する。葉は左右非対称でハート形をしており、鮮やかな緑色で花がない時期でも美しい。ベゴニアにもあるように、白い花を咲かせる白花シロバナシュウカイドウがあるが、濃緑の葉に合うのは淡紅色の花である。全草に殺菌作用があり皮膚病、たむしの痒みなどには、開花期に全草を採取して洗い茎葉を生のまますり潰して患部に直接塗布する。花がサラダの飾りとして利用されることもあるが、シュウ酸を含有するので食べない方が無難である。花言葉 自然を愛す 恋の悩み 片思い 未熟朝顔は都の少女 秋海棠はひなの少女か 秋海棠吾は 左千夫
2013年09月16日

ヤマボウシの実は、別名でヤマグワと呼ぶといわれることもあるが、ヤマグワにはれっきとした本家が存在する。 ヤマボウシの青い果実山に生える桑をヤマグワと呼び、養蚕の蚕の餌として栽培されるものはマグワと呼んでいる。ヤマボウシの別名とするのは、誤用ではないかと思われる。長野の善光寺本堂右脇から拾ってきて種から育てたヤマボウシ6株と、購入して植えた紅白2本の樹が樹高5メートルを超えるほどに成長し、毎年樹上一面に花を付けるようになった。ヤマボウシは日本・朝鮮・中国原産であるのに対して、同じミズキ属で似た花を咲かせるハナミズキは北米原産である。花弁に見えるのは、どちらも苞である。ハナミズキは葉が展開する前に花を咲かせるが、ヤマボウシは葉が開いてから葉の上に上向きに咲くので木の下から見たのではあまり見栄えがしない。山荘の二階の窓から眺めると、緑の葉の上に咲いた白い花の全容を見ることができて見事である。韮崎市の甘利山(1731メートル)への途中左側に椹池(1230メートル)があり、池へ下る道脇に大木の赤と白の花を咲かせるヤマボウシが10本ほど見られるが、多分人の手で植えられたものであろう。1200mを超える高所で見るのは、珍しい。フェイスブック「鳳凰小屋 ヤマボウシ」を検索すると、5月末に咲いたという記事が投稿されている。鳳凰小屋は標高2400mの高い場所にあり、このような高所ではヤマボウシは育たないのではないかと思われる。椹池でヤマボウシの花を見たのが6月末であったから、類推すると標高500m以下の場所に咲いたヤマボウシの記事ではないかと思われる。基本の花色には、白色とピンクがあり本来春咲きだが、改良された園芸種では春秋二季咲き性の物もある。価格は、挿し木2年生で約1万円ほどとかなり高価である。ハナミズキは複合果で赤い果実をつけるのに対して、ヤマボウシは集合果で9月頃に直径1~3センチで球形の実をつけ赤く熟すと食べることもできる。 ハナミズキの果実中には、約3mmの大きな種子が3~4個入っている。果肉はやわらかく黄色からオレンジ色で仄かに甘く、マンゴーのようなとも評される。 色づいてきたヤマボウシの果実果実酒に適するとされているが、ヤマモモ酒のような綺麗な色は出ない。昨年に続いて今年の夏も、甲府盆地は少雨・高温の干天の日が続いた。ヤマボウシは根が浅く乾燥で葉が枯れ落ち、小枝も枯れた。ヤマボウシにとっては、2年続きの受難の年となった。慌てて8月中旬に、バッサリ切り戻しを行った。その後の降雨で何とか枯死を免れ、残った枝先に果実が赤く色づいて来た。以前は口に入れても見たが、それほど旨いとも思えない。こんな果実であるが通販では、500gを2500円で売り出している。 この夕 柘のさ枝の流れ来ば 梁は打たづて 取らずかもあらむ (今夜もし柘の枝が流れて来たら、梁をかけないようにして魚は取らないかもしれない) (注)柘(つみ)はヤマボウシ 万葉集 作者不詳 花言葉 友情
2013年09月13日

タラの木の花は大振りで、一見騒々しく見える花である。タラの木は、ウコギ科に属し食用・薬用にもなる有用な木である。ウコギ科の植物には木本、大型草本、蔓性植物があり、約60属900種が含まれるという。葉は掌状単葉か複葉で、大きな散形の花序を作る。若芽が食用とされるものが多く、炭・箱・箸・楊枝・マッチの軸木などにも利用される有用植物である。ウド・タラノメ・コシアブラ・ウコギなど食用にされるもの、ヤツデ・カクレミノ・キヅタ・シェフレラなど庭木や観葉植物として利用されるもの、オタネニンジン(朝鮮人参、高麗人参)など薬用にされるものが多い。山菜としてのタラノメは天婦羅にするとホクホクとした独特のコクと軽い苦味があって、山菜の王様といわれている。土の中から掘り取るウドは古名で「ツチタラ」と呼ばれていて、タラの木はウドに似た木なので木のタラとして区別したのが名前の由来だと言う。8~9月に枝先に大形の複総状花序を出し、萼、花弁、雄しべ、花柱をそれぞれ5個もった白い小さな花を多数開く。果実はウドやヤツデ・ウコギと同じ液果で、10月に黒紫色に熟す。キジバト・ツグミ・ヒヨドリ・メジロ・ヒワなど、果実を食べる小鳥が好んで食べる。樹皮は民間薬として健胃、強壮、強精作用があり、糖尿病にもよいとされる。また、芽にも同じような効果が期待できると言われている。根皮は「タラ根皮」といわれる生薬で、糖尿病の症状に対して用いられる。森林の伐採跡地に他の植物に先駆けて素早く出現し、丈は5年で3mにも達する。しかし寿命の短い木で、木質はもろく7年を過ぎると多くは枯れてしまう個体が多い。山菜の本などではタラの木が枯れる原因を、頂芽の採取が原因だとしているが木の先端を切り取ってしまっても胴吹きするし、栽培して見るとわかるように芽を摘まなくても年数が来ると枯れてしまう木である。その代わり浅い根が広がって、至る所から新しい芽を吹くのもこの木の特徴である。現実に13年前に我が家の庭に30本ほど植えたタラの木は全て枯れてしまって、今では元の木は残っていない。花言葉 強い態度 他を寄せつけない
2013年09月12日

9月になって草むらに、カマキリの姿が目につくようになった。これから秋が深まるとトカゲやカエルに交じって、モズの早贄の対象にされる昆虫である。カマキリ(螳螂、蟷螂、鎌切)は、良く知られた虫を捕食する肉食性の昆虫である。名前の由来は「鎌で切る」からという説と、「鎌のあるキリギリス」の意味で、この「キリ」はキリギリスの「キリ」であるという説とがある。熱帯・亜熱帯地方に種類が多く、2000種前後ともいわれる。体は前後に細長く、6本の脚のうち一番前の足は多数の棘を有する稲刈り鎌の形をしている。頭部は逆三角形で広角に良く動き、複眼と大顎が発達し毛髪状で細長い触角を有する。成虫は細長い前翅と扇形に広がる後翅を有し、雄は身体が細身で飛んで移動するが雌は飛翔できず、翅は威嚇のために使用される。カマキリの寄生虫として、ハラビロカマキリの成虫にはハリガネムシの寄生が良く知られている。成長したハリガネムシは、水を感知するとカマキリの体内から出てきて水中に産卵する。実験でカマキリの成虫に水を掛けると、20cmを超える長さのハリガネムシが出てくることがある。交尾後しばしば、メスがオスを食べることが知られている。クモにも同じように、共食いの食性行動が見られる。カマキリの鎌を指して蟷螂の斧という言葉があり、弱者が自分の分や力をわきまえないで、ただ気ばかり大きくて大敵に当ったり盲進したりすることの譬えで使われているが、出典とされる淮南子 人間訓、「韓詩外伝」巻八には、齊莊公出獵。有一蟲、擧足將搏其輪。問其御曰、此何蟲也。對曰、此所謂螳螂者也。其爲蟲也、知進而不知却、不量力而輕敵。莊公曰、此爲人而必爲天下勇武矣。廻車而避之。(斉の荘公出でて猟す。一虫有、足を挙げて将に其の輪を搏たんとす。其の御に問いて曰く、之れ何んの虫ぞやと。對えて曰く、此れ所謂蟷螂なる者なり。其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んずと。荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らんと。車を廻らして之を避く。)とあり、現在使用される諺の意味とは異なりもともとは、「巨大な物にも恐れず立ち向かう勇猛果敢な」様子を賞して言われたものであった。 螳螂の 人に向ふぞ あはれなる 子規
2013年09月11日

山荘の菜園の隅で3mにも大きく育った枝の先に、ウドの花が咲き始めた。ウドは全国に分布する、極く普通の山菜である。太陽光に当てないようにして地下で軟白栽培されたものは、冬のうちから店頭に並ぶが、自生する山ウドは5月~6月が旬である。「農業全書」(1696)に栽培方法の記載があり、「本朝食鑑」(1697)にはすでに軟泊栽培の記事がでている。自生のものは、それよりかなり古くから山菜として食用に利用されていたと思われる。寒ウドと呼ばれるものは極早生で11月~2月にかけて収穫され、春ウドは5月~6月に収穫される。一般的にウドの栽培は雪の無い地方が適していて、ことに海辺の温かい地方では収穫が早い。ウドは埋(ウズ)が転化したもので、土の中の芽を食べることに由来し、風も無いのに揺れることから独活(どっかつ)と命名されたという。ウドの根は生薬で独活と呼ばれ頭痛、歯痛、腰、背中などの疼痛に適用される。アイヌ民族は、ウドの根をすり潰して打ち身の湿布薬として利用してきたが、ウドが食用にされることはなかったといわれる。成長すると草丈は2~3mにもなり、成長したものは「ウドの大木」といわれるが、木になるわけではなく毎年冬には地上部が枯れる草本の植物である。5月の芽を出した頃には山菜として利用できるが、大きくなると堅くて食べられなくなってしまい、堅いからといって木材にも使えないことから、大きいばかりで何の役にも立たないものを譬えて言うこのような慣用句ができたものである。 どこか花火に似て晩夏に小さな白い花をたくさん付け、秋に直径3mmほどの黒色の液果ができる。一果中には3~5個のゴマ粒ほどの種子がある。この種子を鳥が啄んで、糞と共に排出され伝播されるので、吃驚するような場所に芽生えることがある。普通は芽を出したばかりの未だ柔らかい茎を、根際から切り取って食用とするのだが、「ウドの大木」といわれるほど大きく育ってしまったものでも、茎の硬い皮を削ぎ取った芯の部分は食べることが可能で、セロリのような味がして美味である。このように大きくなったものでは、ほとんどアクがなく雑味もない。先端のまだ柔らかい部分の若葉や、花芽を天婦羅にして食べることがきる。ウドは人によって食物アレルギーを発症する場合のあることが知られており、食べる際は注意が必要である。蕾のテンプラは、他の山菜と同じで誰にでも簡単に作ることができる。1蕾を水洗いし、水を良く切っておく2天婦羅の衣は、心持ゆるめに3.熱めに熱した油に、滑らせて入れる4.衣に薄く色が付いたら、出来上がり若芽の天ぷらと比べると、スッキリとしたハーブに似た香りである。時を同じくして土手や空き地に、クズが花を咲かせ始めている。このクズの花も、天婦羅にして食べることが可能である。濃い赤紫の花をテンプラにすると、濃紫色になる。同じ器に盛り付けると、白のウドの花と濃紫色のクズの花の取り合わせは、味はともかく色彩的に面白い。 雪間より 薄紫の 芽独活哉 芭蕉 花言葉 健康美 柔軟性
2013年09月10日

1971年から開始され、現在もTV放映されている石ノ森章太郎原作の仮面ライダーは、息の長い子供向けのヒーロー番組である。仮面を被って、オートバイに乗っているところから付けた名前だという。過去40数年間の間に、多くの種類の仮面ライダーが誕生しているが1号・2号の仮面はバッタの顔がモチーフになっている。大きな複眼、2本の触覚、ギザギザした顎は現在も仮面ライダーの要素として継承されている。初期には、赤いマフラーも重要な要素になっていた。45歳以下の男性で、一度も仮面ライダーの番組を見たことがないという人はおそらくいないのではと思われるほどの人気のシリーズである。人には元々何かを収集する欲望があり、その筆頭は骨董で非常に金がかかる。鴈物も非常に多く、真贋の見極めが付けられないとガラクタを掴まされることになる。有価物に限らず、使い古しの切手・切符・箸袋やコーラの空き缶などの無機物から動植物まで、その人の価値観により全てが蒐集の対象になる。仮面ライダーが最初に放映されたのが、ちょうど我が家の子供たちの成長期と重なっており、それ以来長男はすっかり嵌り込んで大人になってからもフィギュア集めに夢中である。いい年をしてもう収集は止めなさいと言っても、一向に聞く耳を持たない。マンションの二部屋には、ギッシリ人形が詰め込まれている。雑談で聞いたところ、収集に掛けた費用は数百万になると言っている。人形の収集にのめり込む誘因となった一つに、1994年4月19日からテレビ東京系列で毎週火曜日に放送されている、「開運!なんでも鑑定団」の影響が少なくないと感じている。昭和30年代に数百円であったブリキのおもちゃに、30万円を超える値段がつくことがある。蒐集の費用は自分の小遣いの範囲で賄って、誰にも迷惑を掛けているわけではないのだが、大量に作られた新しい人形に付加価値が生まれることは考えられず、反って処分にはかなりの費用を要すると思われる。全て処分して、居住空間をスッキリした方が良いと思うのは周りの人ばかりで、本人は大量の人形に囲まれてニンマリしているのだろう。処分するには、もうしばらくの時が必要だと思っている。
2013年09月09日

7年も前、山野草が好きな愚酔庵さんの庭から分けてもらったフジバカマが、他の秋の七草に混じって花を咲かせ始めた。中国が原産といわれるが、万葉の昔から秋の七草の一つとして日本人に親しまれてきた草花である。名前の由来は、花の色が藤色で花弁が袴に似ているところからつけられたものとされ、奈良時代に香料として唐から輸入したものが、野生化したとされる。その昔には乾燥させたフジバカマを香袋に入れ、十二単に忍ばせたという。乾燥したフジバカマは防虫・芳香剤として利用し、水に浸けてその水を洗髪に用いた。あまり目立たずさほど美しいとも思えない草花であるが、儚げな色の花姿が日本人の情感に合致したものと思われ、様々な古典文学に登場している。もともと性質は強健な植物なのだが、護岸工事や宅地造成など生育地の急激な開発により数を減らし、野生のものは準絶滅危惧種に指定されるほどに激減し、滅多に目にすることはできなくなってしまった。冬には地上部が枯れ、春になると横に伸びる地下茎から新芽を出し長く伸ばす。その先に夏から初秋に淡紫色の花を散房状に咲かせる。草丈は2m近くにもなる大型の草花で、花後白い綿毛をもったタネができ風によって運ばれる。種で増やす場合は9月に播いて、翌春4月に植えつける。植え付けた翌年に開花するが、一般的には株分けが簡単な殖やし方である。庭植えでは水やりの必要はないが、極端な水不足は地下茎にまで影響が出るので、乾燥が続く場合は水を与える。草丈が高くなるので、7月に半分ほどを切り戻すと花の時期には纏まった高さの草丈になる。乾燥したフジバカマには、桜餅に用いる塩漬けの桜の葉に似た独特の芳香がある。これは、フジバカマに含有されるクマリン配糖体由来の香である。このため漢名では、「蘭草」または「香水蘭」と呼ばれる。全草に肝中心静脈血栓症や肝癌などの肝毒性のある有毒アルカロイド、ピロリジジンを含有しているといわれる。芽出しのころは柔らかく山菜として食べられそうに見えるが、食べることは避けた方が良さそうである。蕾を採取し2~3日干して乾燥させてたものは、生薬で「蘭草」といわれ、糖尿病の予防と治療には蘭草と蓮銭草(カキドウシ)、枇杷葉、タラボク(タラノキ)を混ぜて煎じたものを1日数回お茶代わりに飲むと効果があるという。煎じ液単味では利尿剤としての効果があり、これを入浴剤に用いれば補温、肩こり、神経痛、皮膚のかゆみなどに効果があるとされる。 別名 香草(漢名)、蘭草(漢名)、香蘭、王者香 やどりせし 人のかたみか藤袴 わすられがたき 香ににほひつつ 紀貫之 (藤袴は一夜を共にした人の形見なのか、しきりに忘れがたい香がする) 花言葉 躊躇 優しい思い出
2013年09月08日

ワレモコウは、草地に普通に生える多年生の草本である。地下茎は太くて短く、根出葉には長い柄があり、羽状複葉で細かい鋸歯を持つバラ科の植物である。夏に茎の八方に花茎を伸ばし、その先にネコヤナギの形に似て短く楕円形のチョコレート色をした可憐な集合花をつける。ワレモコウの漢字表記には「吾亦紅」の他に、「我吾紅」・「吾木香」・「我毛紅」などが当てられる。別名が多い花で、酸赭・山棗参・黄瓜香・豬人參・血箭草・馬軟棗・山紅棗根などともいわれる。漢字表記で一般的に用いられている、「吾亦紅」の謂われには様々な説がある。赤黒いこの花は何色だろうとの論議があり、その時居合わせたそれぞれが茶色、こげ茶、紫などと言い張った。そのとき、どこからか「いや、私も紅ですよ」と言う声が聞こえたのだという。そこから「我亦紅」になったのだとされるが、これもまた実しやかに後付けされた牽強附会の類いなのであろう。別名が多い花で、酸赭・山棗参・黄瓜香・豬人參・血箭草・馬軟棗・山紅棗根などともいわれる。根は「地楡」という生薬でタンニンやサポニン多くを含み、天日乾燥して用いれば収斂薬として止血や火傷、湿疹に薬効がある。漢方では清肺湯、槐角丸に配合される。10~11月頃になって茎葉が枯れるころに、根茎を掘り採りヒゲ根を取り除いて、よく水洗いした後天日で乾燥させる。この乾燥した根茎が、生薬の地楡である。東京周辺では、生花材料として花屋の店頭で見る以外ほとんど目にする機会が無くなったが、山荘のある辺りでは土手に普通に生えている。冬季は地際から枯れるが、地下茎は残って毎年芽を吹く。庭に移植するとうどんこ病に罹りやすく葉が白くなって見にくくなる。比較的、こぼれ種から発芽しやすい種類である。そのまま花を咲かせると背丈が2mにもなり、全体にひょろ長くなって見た目も悪くなる。夏の初めに茎が50cmほどに伸びたところで一度刈りこむと、草丈が短く花茎も密になって見映えがする。お月見の飾りにススキと共に良く用いられるが、ススキと合わせてドライフラワーにして部屋の装飾にすると一年間は十分観賞できる。 花言葉 愛慕 変化 吾も亦 紅なりと ひそやかに 虚子
2013年09月07日

明治時代になって発行された、金貨や銀貨又は銀行に保管する金地金等と交換ができる紙幣は、兌換紙幣と呼ばれ券面にはその記載があった。日本の兌換紙幣の最初は兌換銀券であったが、1897年(明治30年)に金本位制が採用されてからは兌換金券となった。1929年(昭和4年)の世界恐慌発生により、財政・金融政策が困難になるなどの理由から各国で金本位制が廃止され、管理通貨制度へ移行して正貨と交換が出来ない不換紙幣となった。普遍的な財貨としての金銀との交換価値が失われた紙幣は、政府による濫発や中央銀行による国債大量引き受けなどでハイパーインフレ(超インフレ)を引き起こした。しかしこのような経済状態は、中央銀行による通貨安定政策により信頼を得ることにより、不換紙幣が中心的な法貨として国民生活に根付くこととなった。日本での紙幣の始まりは、建武記によれば後醍醐天皇が内裏造営資金確保のために発行したとされる楮幣(紙幣)とされるが、現物もなく実際に発行されたのか学者の間でも疑問視されている。現存する最古の紙幣としては、1623年(元和9年)に伊勢国山田の商人が発行した「山田羽書」とされる。江戸時代には、各藩が財政難の打開策として「藩札」を発行した。旗本札や、幕府の兵庫開港札、宮家公家札・寺社札、各地の町や村が発行した町村札など多くのものがある。1873年には国立銀行条例により、第一国立銀行(みずほ銀行の前身)が設立され、その後も150を超える多くの国立銀行が次々と開業して、それぞれが銀行券を発行した。当初は兌換銀行券であったがのちに不換となり、1882年の日本銀行設立によって日銀独占の日本銀行券となり、インフレの根源であった政府紙幣と国立銀行券は次第に市場から回収された。1897年には金本位制が採用されたが、1931年12月に金兌換制度が停止され管理通貨制度(通貨当局が物価安定・経済成長・完全雇用の達成などの政策目標に即して銀行券の発行高を政策的に操作・調節できる制度)に移行した。政府紙幣と銀行券はどちらも強制通用力(額面で表示された価値で決済の最終手段として認められる効力)がある法貨であることから混同される易いが、前者は政府が財政赤字を補填する目的で発行するものであり、裏付けは政府の信用のみでその発行額は政府の負債にならないが、後者は中央銀行による金融市場取引において発行され、保障の裏付けは中央銀行保有の金融資産に対する信頼であり、その発行は中央銀行の負債となる。したがって銀行券とは銀行が発行する、期日のない約束手形とも言うことができる。1882(明治15)年に日本銀行が設立され、1884(明治17)年に日本銀行兌換銀券の発行を定める「兌換銀行券条例」が公布された。翌年には、同額の銀貨と交換することを保証した兌換紙幣で額面一円の兌換銀券、いわゆる大黒券が発行された。大黒券にはコンニャクが混ぜられていて、虫やネズミに食害されることが多かったため、1889年5月1日(明治22年)新しく発行されたものは、改造壹圓券といわれ肖像に武内宿禰が使われ、現在でも通用する有効券である。「兌換銀券」と書かれているが、現在は不換紙幣としての扱いになるため銀貨と交換することはできない。当時の貨幣価値は現在の2万円に相当するともいわれるが、この券は一円として以外通用しない。国内には、まだかなりの量の壱圓銀兌換券が死蔵されていると思われ、相当使われたと思われる券が、4000円程度でネットオークションに掛けられている。手持ちの改造券の表には、「日本銀行兌換銀券 壱圓 此券引かへ尓銀貨壱圓相渡可申候也明治十七年正月廿六日太政官布告第十八号兌換銀行券条例を順守して為するもの也」と記載があり、肖像は武内大臣となっている。 表武内大臣とは武内宿禰を言い、「古事記」や「日本書紀」で大和朝廷初期に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる人物で建内宿禰とも表記される。聖徳太子と同じで、実在した人物かどうかはっきりしない。 裏私が昭和39年ころから収集を始めた記念硬貨・金貨・銀貨・紙幣が、かなりの量になっている。この兌換壱圓銀紙幣は、20年近くも前これらのコインアルバムを部下職員に見せた折、一緒に保管して欲しい言われて預かった一枚である。
2013年09月06日

芥川龍之介は小説「蜘蛛の糸」で、お釈迦様がクモの糸で人間を吊るす話を書いている。蓮の葉に巣を掛けるクモは、何蜘蛛であったのだろうか。関東で最大の蜘蛛は、オニグモであるが最も目につくのはカラフルな色彩のジョロウクモである。本州から九州、沖縄本島北部までに知られるクモである。雌の腹部には幅広い黄色と緑青色の横縞模様があり、腹部下面に鮮紅色の紋がある。雄は雌の半分以下の13mmほどで、小さくて褐色がかった黄色に濃色の縦縞の斑模様がある。ジョロウグモ(女郎蜘蛛、上臈蜘蛛)は、夏から秋にかけて、大きな網を張るもっとも目立つクモである。名前の語源は、女郎あるいは上臈から来ているとの説の他に日本の妖怪、絡新婦(じょろうくも)からだともいわれる。1907年に岸田久吉が、このクモをジョロウグモとしたものである。コガネグモと混同されることが多いが、コガネグモよりはるかに大きくて複雑な網を張り、網の糸は黄色を帯びてよく目立つ。ジョロウグモには、毒興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸を阻害する微弱な毒がある。微量なためたとえ人が咬まれても、何の障害もない場合がほとんどである。視覚はあまりよくないため虫などの獲物が巣にかかったことを、糸を伝わる振動で察知する。木の枝などで、昆虫が巣に罹ってもがくような振動を加えると、発振源に素早く近づいてくる。捕獲した獲物は毒で動けないようしたあと、糸で巻いて巣の中央に持っていき吊り下げてから食べる。春に孵化し雄で7回、雌で8回ほど脱皮を繰り返して成体となる。成熟期は9~10月ごろで、この時期に交尾が行われる。カマキリと同じで雌が雄を捕食するので、雌の脱皮直後や食餌中に交尾が行なわれる。ジョロウグモは夏以降に成熟し、秋に産卵する。巣は大きくて下に長い馬蹄形で、白い帯はつけない。腹部は長い楕円形で、黄色と灰青色の縞模様なのに対してコガネグモは、初夏から夏にかけて成熟し産卵すると死んでしまう。巣は標準的な円形で、そこにX形に白い帯(かくれおび)をつける。腹部は丸みを帯びた五角形で、黄色と黒の縞模様であるので簡単に見分けがつく。天城山の浄蓮の滝には、滝の主とされる女郎蜘蛛伝説がある。日本ではクモを戦わせる、「蜘蛛合戦」と「女郎ぐも相撲」の二つが行われている。加治木(鹿児島県姶良郡)には戦国の昔から蜘蛛を戦わせる風習があったものが、大正14年(1925)に加治木蜘蛛同好会が作られてから本格的に行われるようになったとされる。毎年6月の第3日曜に開催され、国の無形民俗文化財になっている。加治木の地元醸造業者司では、「女郎蜘蛛」の銘柄の芋焼酎を販売しているが蜘蛛合戦で戦わせるクモはコガネグモで、女郎蜘蛛ではない。一方の「女郎ぐも相撲」は、550年も前から行われて来た歴史があり、現在の形になったのは昭和25年から始まったもので、四万十市中村の一條神社で毎年8月の第1日曜に開催されている。「閑窓自語」に享保年間(1716~1736)に「蛛合わせにして博打に及ぶ」という記述がある。山荘の庭にも秋が近付くと、数え切れないほどの蜘蛛の巣が張られる。うっかりすると顔にべったりと巣が張り付く。クモの巣の粘着力が、何とも気持ち悪い。暫く振りに山荘を訪問した時には、車を降りる際にうっかりクモの巣に絡め捕られないように、木の枝を振りまわしながら玄関に向かわなくてはならない。 大蜘蛛の 蝉を捕り食めり 音もなく 楸邨
2013年09月05日

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな政治家の中には、椅子に浅く掛けてふんぞり返っている人がいる。ぞんざいな口をきいて、さも人の頂点に立ったことを偉ぶって見せる人もある。見ていて、誠に見苦しい。米は実ってくると、その重みで自然に穂を垂れてくる。政治を司る人間も稲を見習うべきであろう。米は、稲の果実の籾から籾殻を取り去ったもののことである。穀物の一種なので、米穀とも呼ばれる。英語圏では米・稲・飯という区別が無く、全てライスriceという同一の単語で扱われている。北斗市の武川町で生産される米は、魚沼産のコシヒカリに匹敵する隠れたブランド米として有名である。この地は、真夏の日中は30℃を超え夜間は20℃と気温の日較差が大きいのことが、美味い米が採れる秘密なのであろう。稲の栽培には水田と畑が利用され水田の栽培は水稲、畑地での栽培を陸稲(りくとう、おかぼ)とよばれる。稲は収穫後、米・米糠・籾殻・藁に分けられるが、何れも人の生活にとって有用なものとなっている。ジャポニカ米は、東南アジアが起源であるとされている。水稲は揚子江中・下流域に起源し、日本へ伝播したと考えられている。縄文時代後期にはすでに陸稲が栽培されていたと言われる。昔は冷害が稲作の大敵であったが、近年は西日本の猛暑高温による米の品質低下が問題となっている。日本全体の高温化に伴い従来栽適地ではなかった北海道での米栽培が拡大している。このまま温度が上昇を続けると、九州では早晩米作りができなくなるのかも知れない。稲作には1年間に2回行う二期作と、稲作の裏作として小麦など他の作物を栽培する二毛作がある。陸稲より水稲の方が品質が高く収穫量が多いため、水の豊富な日本では水稲がほとんどである。水田で稲を栽培する最大の利点は、同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生するが水田では水により土壌が清浄化され、連作障害が起きにくいことがあげられる。日本で縄文の昔から連綿と稲作が続けられているのは、栽培を水稲に求めた知恵の結果であるといわれる。米は日本文化の中では食糧として重要である他に、神道における霊的価値のある穀物でもある。地鎮祭や上棟式、農林水産での神事、祭りで御神酒や塩等とならび供物として奉納される。米の字を分解すると八十八になることから、米は八十八回の手数を経て作られる、八十八の神が宿る等の道徳話が作られ米の尊さが教えられてきた。般若心経には2行目と3行目に「舎利」という言葉が出てくる。舎利とは釈迦牟尼の遺骨のことで、細かい骨に似ているとして米のことをシャリと呼ぶことがあり、主に寿司屋の隠語として使われるようになった。山荘の地域では、凍土が融けた3月下旬から田植えのための耕起が始まり、4月下旬には水が張られて温度の上昇を待って5月中旬には一斉に田植えが始まる。今ではほとんどが機械と農薬散布で育てられるので、かつての八十八の教えは現代の子供には理解されなくなってしまった。田植えから3か月を過ぎて猛暑の夏も終わり、稲穂が頭を垂れ初めた。9月中旬になれば、コンバインがあっという間に籾にしてしまう。ジャガイモは100日で収穫可能なので100日芋とも呼ばれるが、日本人の主食のコメも案外栽培期間が短くて4か月足らずで収穫ができる。新米の香りが待ち遠しい、今日このごろである。
2013年09月04日
全23件 (23件中 1-23件目)
1


