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ハギの名前が枕草子第133段に、「九月ばかり、夜一夜降りあかしたる雨の、今朝はやみて、朝日の花やかにさしたるに、前栽の菊の露、こぼるばかりぬれかかりたるも、いとをかし。(中略)すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなりつるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふと上樣へあがりたる、(後略)。」と出てくる。ハギは日本全土に分布している秋の七草の一つで、7月から10月が花期である。古くから日本人に親しまれ万葉集には、142首と最も多く詠まれている花でもある。万葉の昔には秋ハギを鹿の妻に見立てて、ハギと牡鹿を組み合わせて詠んだ歌が多い。花札では萩とともに描かれているのは猪であり、鹿は紅葉とペアで描かれている。ハギに合うのはどちらの動物なのであろうか。食肉としての呼び名からすれば、鹿は紅葉で猪は牡丹である。ハギは冬には枝先のみが枯れるものと、地上部が枯れて翌年の春に地際から新しい芽が出るものとあるが、木質化した部分が年々太くなることはない。毎年新しい芽を吹くので、別名を芽子あるいは生芽(ハギ)といわれる。マメ科植物特有の空中窒素を固定する根粒菌との共生により、痩せた土地でも良く育つことから、荒れ地に最初に侵入するパイオニア植物で、放牧地や山火事跡などに一面に生えることがある。古くから道路斜面・治山・砂防などの緑化の目的で、ヤマハギやメドハギの種子が斜面の吹付資材として活用されている。ヤマハギは、茎の高さは約1mで、木質化する。初秋のころ葉腋に総状花序をつくり、紅紫色で約1cmの蝶形花を十数個開く。花期の後、長さ幅とも5~7mmの平たい鞘の果実を実らせる。伐採地・崩壊地・道端などの日当りのよい場所に生え、北海道から九州まで分布する。 ミヤギノハギは開花時には枝が湾曲して先端は地面を擦るように枝垂れる。花序の長さは約15センチメートルにもなり、十数個の濃紅紫色花を咲かせる。花冠はヤマハギより大型の蝶形で長さ約1.5cmにもなり見ごたえがあるので、庭園などに広く植栽される。本州北中部の日本海側の山野には、ミヤギノハギと非常に近種のケハギが野生する。ケハギは茎や花序に立毛があるものが多く、また枝が直立または斜上するものもある。ケハギの白色花のものはユキハギといい、庭園に栽培される。ニシキハギの小葉の先端は丸く、表面にはごく短い毛を密生する。長く伸び、湾曲してやや枝垂れる枝に濃紅紫色で長さ1.3~1.5cmの蝶形花を多数開く。白色花のものをシラハギといい、どちらも庭園に栽培される。 ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露 子規 花言葉 思案 思い 柔軟な精神
2013年08月31日

幽霊の正体見たり 枯尾花という諺がある。物事を疑心暗鬼の目で見ると、風になびく枯れ尾花も恐ろしい幽霊に見えるということの譬えである。ススキの別名の尾花はススキの穂を動物の尻尾に見立てたものであり、ススキ自体もそのように呼ばれることがある。花も穂も枯れたススキは、古名で枯れ尾花と呼ばれる。江戸中期の国学者横井也有が俳文集「鶉衣」の中で、一年松木淡々己れ高ぶり 人を慢(あなど)ると伝へ聞き 初めて対面して化物の正躰見たり枯れ尾花 其の誠心なること大概この類なり。と記述しており、それが出典となって生まれた俚諺である。南アルプスの麓の里山では、ススキの穂が風に揺れアカトンボが飛ぶようになった。枯れ尾花には未だ時期が早いが秋が三千mの高所から、少しづつ里山に向かって降りて来ている気配が感じられる。ススキ(芒、薄)は、イネ科の植物で尾花ともいい、また茅(萱とも)とも呼ばれ野原にごく普通に見られる多年生草本である。一旦大株になったものは、親指の太さもある根が絡まっていて掘り起こすのは大変である。山荘を建てた際、隣地を人力で開墾して70坪ほどの畑を作ったのだが、ススキとクズの根を掘りとるのに月3回ほどの作業で畑になるまで3年も要した。ススキの語源は笹木(ササキ)が変化したもので笹はで、キは木・茎・草の意味とされる。またススには真直ぐの意味があり、「真直ぐに立った草」を表しているとする説がある。葉は堅く辺縁は鋭いので、素手で扱うとしばしば皮膚を深く傷つけることがあり傷口は刃物の傷よりひどく傷む。ススキの草原を2年も放置すると、直ぐにアカマツや柳などのパイオニアプランツが侵入して、次第に森林へと変化していく。茅とも呼ばれ茅葺屋根の材料にしたり家畜の餌として利用されたので、里山には定期的に刈り入れをするススキ草原があり茅場と呼ばれた。茅場は草刈りや火入れを行うことで、ススキ草原の状態を維持している。関東では富士の裾野や箱根千石原に、その例を見る。現代はそれらの利用がされなくなって多くは遷移が進み、かつての茅場は雑木林となっている場合が多い。雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂を利用してミミズクの姿を作り細竹に吊るして民芸品として販売している。十五夜の月見には、ハギとともにススキを飾るところが多い。横井也有と同時代の俳人与謝蕪村は枯れススキを、狐火の 燃えつくばかり 枯尾花と詠んでおり夜の野原で風に揺らめく情景を、怪しく燃える狐火に譬えたものである。野口雨情の船頭小唄では、♪花の咲かない枯れすすき と歌われている。枯れすすきとは、文字どおり枯れたススキのことで冬の季語である。
2013年08月30日

万葉の昔から秋の七草の一つに数えられるクズは、マメ科の蔓性多年草で根から葛粉や漢方薬が作られる。漢字では、葛と書く。「枕草子66段の草は」に、葛。いとをかしとある。 花穂だけ見ればルピナスと区別つかない茎は蔓状で褐色の粗い毛があり長さは10mにも達して基部は木化し、根の長さは1.5m、径は20cmの太く長い棍棒状になって多量の澱粉を蓄える。8~9月葉腋の総状花序に、長さ約2cmほどの紅紫色のマメ科植物特有の蝶形花を密に着ける。北海道から奄美群島までの山野に普通に生え、根の澱粉から葛粉を採り茎の繊維で葛布を織った。花色に変異があり白いものをシロバナクズ、淡桃色のものはトキイロクズと呼ばれる。 普通の花クズの名は、古代、大和の吉野川上流の山地にあったという村落の名前、国栖(くず)で葛粉が産出されたことに由来するとする説がある。蔓が這い回り地面に着いた葉腋からは簡単に宿根し、そこから脇蔓を出して繁殖する。地上部を刈り取っても地下に残った根からすぐに蔓が再生し、いったん蔓延ると駆除は相当困難であり世界の侵略的外来種ワースト100に選定されている。かつての農山村では、クズの蔓を結束用として縄の代用に用いられていたので、定期的に刈り取られそれほど繁茂しなかった。刈り取りが行われなくなると、低木林なら瞬く間にその上を覆い尽くしてしまう。人工林においては若木の生長を妨げる有害植物と見なされている。1876年のフィラデルフィア独立百年祭博覧会に、日本から飼料用及び庭園装飾用として持ち込んだ。荒れ地の緑化や鉄道線路の土壌流失防止に有効だとしてアメリカ政府が推奨したため、20世紀初頭には3万km2に拡散し繁茂してしまった。そのため「有害植物及び侵略的外来種」に指定されたが、駆除は困難を極めている。有害植物として侵略的外来種を語る時に常に語られるエピソードである。クズの根を干したものは生薬名を葛根と呼び、局方に収載されている生薬である。発汗作用・鎮痛作用があるとされ、漢方方剤の葛根湯、参蘇飲などの原料になる。これを題材にした五代目柳家小さんの落語に、「葛根湯医者」がある。蔓で、アケビ蔓と同じように籠などの生活用品を作ることができる。また、蔓を煮てから発酵させ、取りだした繊維で編んだ布は葛布と呼ばれる。平安時代から作られていたとされ、静岡県掛川市の特産品である。かつては馬・牛・ヤギ・ウサギなど多くの草食動物の飼料として利用された。葛粉は、葛根を潰して澱粉を取り出し水に晒す作業を繰り返して塊を自然乾燥させたものである。葛切りや葛餅などの原料となる。貝原益軒の「菜譜」や大蔵永常の「製葛録」に記されている通り、元来は救荒食糧とされていた。吉野葛(奈良)、宝達葛(石川)、静岡県掛川葛(静岡)、伊勢葛(三重)、若狭葛(福井)、秋月葛(福岡)が知られている。葛粉を湯で溶かしたものを葛湯と言い、熱湯で溶いたものは固まると半透明になることから和菓子材料や料理のとろみ付けに古くから用いられている。葛粉は体を温め血行をよくするため、風邪引きや胃腸炎の民間薬として古くから珍重されてきた。昭和20年前後の砂糖が貴重なころ、祖母や母が作ってくれる微かに甘い葛湯で病気が治ったような気がしている。更年期障害や骨粗鬆症、糖尿病、乳癌、子宮癌、前立腺癌の治療や改善効果があるとされるイソフラボンの含有が確認されている。感冒・インフルエンザ・はしか・肺炎・神経痛・蓄膿症・中耳炎・肩こりなどに頻用される葛根湯は有名である。花は葛花といい、二日酔いに効果がある。 葛粉の名前で売られているものの多くは、ジャガイモ・サツマイモ・コーンスターチなどのデンプン単味かこれらを混入した物がほとんどである。ま葛(くず)延(は)ふ 小野の浅茅(あさぢ)を 心ゆも 人引かめやも 我(わ)がなけなくに 読み人知らず(万葉集 第11巻)
2013年08月29日

未だ羽が短いイナゴイナゴ(蝗、稲子)は、日本に棲息するもっとも普通のバッタ類で、イネの害虫として知られるものが多くイネ科植物を食害する。イナゴに「蝗」の文字が当てられることがあるが、これは誤用とされる。集団移動をするトノサマバッタを飛蝗ということから、飛行移動しないイナゴに蝗の文字を当てたものと思われる。イナゴの成虫・幼虫ともイネ科植物の葉や茎を食べ、イネの大害虫である。稲作の一毛作地ではそれほど目立たないが、二毛作地では大繁殖することがある。第二次世界大戦前には、イナゴによる被害は莫大なものであった。1950年代になって強力な農薬が開発されこの散布によって、急激に個体数が減った。戦後の昭和20年代までは全国的に食用とされていたが、現在では常食される地域は限られるようになった。イナゴはタンパク質、ミネラルに富み、栄養的に価値が高いとされる。イナゴを布袋に捕って入れて1日置き、糞を十分にさせた後、熱湯に通しトゲのある飛び足と羽を毟って、砂糖と醤油で炒って佃煮とする。他の佃煮類と同じで保存性があり、常備食となる。味が小エビに似て、カリカリとした歯ざわりがあることからオカエビと呼ぶ地方がある。小学校の学校行事として、害虫駆除を兼ねたイナゴ採りが催され売却して得た対価を学校運営費に充てていたこともある。夏目漱石の小説「坊っちゃん」には、イナゴを「バッタ」と呼ぶ東京出身の主人公に対して、イナゴは「バッタ」ではないとする松山中学の学生とのやり取りが描かれている。…ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤のようでもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度毛布の中で振ってみた。するとざらざらと当ったものが、急に殖え出して脛が五六カ所、股が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、臍の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早速起き上って、毛布をぱっと後ろへ抛ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪るかったが、バッタと相場が極まってみたら急に腹が立った。……「バッタた何ぞな」と真っ先の一人がいった。……おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「箆棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。…私はこの松山の学生と同じで、イナゴとバッタは明確に区別しているが江戸以前からの東京の家に育った家内は坊ちゃんと同じで、バッタもイナゴも区別しなくて全てバッタと言う。私は南信州伊那谷の出身で、子供のころには良くイナゴ取りをして自家製イナゴの佃煮を食べた。今では田圃にイナゴの数も少なくなり、常食にしている家庭はほとんど無くなったと思われるが、土産物店には「珍味」として昔ながらのイナゴの佃煮が売られている。たまたま土産で貰ったり買って来て食卓に出すと、子供たちはゴキブリの親戚だと言って気持ち悪がるが、東京育ちの家内は恐る恐る口にして見て案外いけると言う。
2013年08月28日
異常気象が原因なのか、習性が変化したのか市街地へのスズメバチの営巣数が増えているようだ。毎年この時期になると決まってテレビがスズメバチの駆除特集を放送する。23区の或る区で長年衛生行政を所管したが、環境衛生部門もその一部門であった。今から10数年前、23区の中でもいち早く区民要望に応えてスズメバチの駆除を手掛けたのだが当時毎年300近い巣を駆除していた。日本には世界最大といわれるオオスズメバチや、主に人家の軒下などに営巣するキイロスズメバチなど7種が生息している。その他に樹木や人家の軒下など比較的地面に近いところに営巣する、小型のアシナガバチがある。アシナガバチは出入り口が一か所で中に何層もの巣を作るスズメバチの巣と異なり、如雨露のハスクチに似た巣を作る。蓮の花が終わった後に残る花托は、此の巣の外見から「ハチス」と呼ばれる。この種にはセグロアシナガバチ、キアシナガバチ、フタモンアシナガバチがよく見られ、最近の市街地ではコアシナガバチが目立つようになった。日本には3属11種が棲息しているとされている。アシナガバチは、基本的には温和なハチであり、巣を刺激しなければ人を攻撃することはない。自然界では、農作物や庭木に付く毛虫やイモムシを捕食し、花粉を媒介するなど益虫とされている。体長は2cm前後、体色は黄色と黒色で、長めの足をだらりと下げて飛ぶのが特徴である。蜂類は成虫で越冬した1匹の女王バチが、春になると営巣をはじめる。一方刺されると脅威の、スズメバチの働きバチは6月ころから羽化を始め、10月頃には雄バチと新女王が羽化し10月下旬頃になると巣のハチの数は最多となる。夏から秋にかけては、巣を守るため特に攻撃性が高くなる時期である。刺傷されないためには、譬え巣を見つけても近づかないようにすることが大切である。樹の枝、樹洞、土の中、人家の屋根裏、軒下や戸袋、壁の間、床下などが主な営巣場所である。カチカチと顎を鳴らし大きな翅音で身の回りを飛び廻るのは、巣へ近づかないようにハチが注意信号を送っているのであり、巣が近くにある可能性があるのでハチを手で払ったり、駆け出したりしないで低い姿勢で静かに遠ざかるようにする。蜂が家の中に迷いこんだら、明るい方の窓を開けて自分で出ていくのを待つ。車の中に入られたときは、全ての窓を全開にして自分で飛び去るのを待つ。ハチを刺激すると、敵の襲来を知らせる化学物質(フェロモン)を出し仲間の蜂がそれに呼応して一層興奮するので絶対にハチを刺激しないことが大切である。ハチを刺激し興奮するものとして黒色で動くもの、臭い(香水・ヘアースプレーなど)、大声・振動・物音などがある。野山にでかけるときには、白色や明るい色の長袖、長ズボン、帽子を着用し大声をたてない、香水などをつけないことが必要である。※虫除けスプレーは、ハチに対して効果が無い。刺されないためには巣を棒などで突ついたり,叩いたりして蜂を刺激しないようにする。以前にハチに刺されたことがある人は,抗体ができている可能性があり再度刺されることでアナフィラキシーショックを起こし最悪の場合死亡することがあるので注意が必要である。ハチの毒針からは数種の毒物質が分泌され、一般的には激痛、腫れ、しびれ、吐き気や目眩などの症状が現われる。毒物質アレルギーによるアナフィラキシーショックは、刺された後15分ほどで血圧低下、貧脈、頭痛、蒼白、意識障害などの全身症状が発現し、治療が遅れると死に至ることがある。ハチ毒は水に溶けやすいので傷口から毒液をしぼり出すように、もみながら流水でよく洗い、爪などで傷口周囲を圧迫し毒液を絞り出す。※(口では吸い出さない)冷やす。抗ヒスタミン剤を含むステロイド軟膏を塗布する。※(アンモニアは効果がない)搬送するときは,仰向けにして頭を下げる。※(背負わない)一刻も早く、医療機関を受診し治療を受ける。昨年アシナガバチが、トイレの換気扇の中と居間の窓枠に営巣した。その他にも良く植え込みや軒下に巣を見るが、私は駆除しないで離巣するまで放置している。山荘の周りにもスズメバチが飛来してくるが、幸い今まで営巣されたことは無い。現役時代区民からの駆除依頼で、そっくり獲ったスズメバチの巣をビニール袋に入れて電車で自宅に持ち帰って庭で飼育・観察したことがある。近くに寄らず刺激しなければ、まったく脅威ではない。
2013年08月27日

多くの国には、国旗国歌が法律で制定されている。日本の国歌の君が代は平安時代の和歌に、1880年(明治13年)に曲がつけられ以後国歌として扱われるようになったものである。一方、白地に赤丸が日章旗として用いられるようになった経緯については諸説ある。一説には源平合戦の結果が影響していると言われている。1870年(明治3年)の5月15日に太政官布告(第355号)により、「陸軍御国旗」として旭日旗が定められた。1949年(昭和24年)1月1日に、マッカーサーにより日本の国旗の使用を自由とする旨の声明が出され、正式に日章旗の自由掲揚が認められるようになった。その後日の丸と君が代は、1999年(平成11年)の「国旗及び国歌に関する法律」により初めて法律で明確に国旗国歌として規定されたものである。日本には法定の国花はなく、広く親しまれている桜や皇室の家紋である菊が事実上の国花として扱われているに過ぎない。雉が一般的に国鳥と言われているが、1947年(昭和22年)に日本鳥学会がキジを国鳥に指定し、その後一般に定着したもので法律の定めたものではない。またオオムラサキがわが国の国蝶とされているが、こちらも1957(昭和32)年に日本昆虫学会が指定したもので国が定めたものではない。学会がこの蝶を選んだ経緯は、学会が指定する前年の昭和31年に郵政省が蝶の切手を出す際、学者から多くの意見を聞いてオオムラサキが図柄に選定されたことに因んでいる。オオムラサキは、羽を広げると10センチ以上になる大型のタテハ蝶で、オスの翅の表面は光沢のある青紫色で美しい。メスはオスより一回り大きいが翅に青紫色の光沢はなくこげ茶色をしている。成虫は6月下旬~7月下旬にかけて羽化し、国内では北海道から本州、四国、九州に棲息する。生息環境が限られ適度に管理された、やや規模の大きな雑木林に棲息する。かつては、東京都区部の雑木林でも見ることができた。都市近郊では雑木林の減少と餌となるエノキが無くなったことから、絶滅の危機に瀕している一方、山梨県のように今でも広域に棲息する地域もある。クヌギ、コナラ、ニレ、クワ、ヤナギ、シラカバなどの樹液に集まり、クリ、クサギなどの花で吸蜜する。ときには、腐った果実や獣の糞などに飛来することもある。飛翔能力が高く力強くはばたいて、あるいは滑空しながら雄大に飛ぶ。卵から孵った幼虫は、夏から秋にかけてエノキの葉を食べて成長する。幼虫はエノキ属のエノキ、エゾエノキのみが食草である。オオムラサキの棲息地としては、北斗市長坂町が日本で一番多いと言われている。北斗市にはオオムラサキセンターがあり、近隣の幼稚園児や小学生が授業や活動の一環として毎年放蝶を行っている。山梨県や隣接の長野県富士見町にはクヌギ林が多く残っていることや、幼虫の餌となるエノキが多く生えていること、冬は寒く適度に雪が降るため乾燥が少ないことなどの条件が重なった結果と考えられている。北斗市にある我が家の山荘の庭のシラカバにも、8月になっても生き残りのオオムラサキが樹液を吸いに飛来することがある。隣の山には確認したことはないが、幼虫の食草となるエノキが生えているものと思われる。 蝶の季語は春だが、オオムラサキは夏に羽化し飛翔する。釣鐘に とまりて眠る 胡蝶かな 与謝蕪村
2013年08月26日

陰暦16日の月の出は、満月に比べてやや遅く、あたかも月が出るのをためらっているかのように見える。「いざよう」はためらう・躊躇するという意味の動詞であるが、この連用形「いざよい」が名詞化したものである。大学入試問題にも良く出る「十六夜日記」は、鎌倉時代の所領紛争の実態を当事者の側から伝える貴重な資料としての評価が高いが、当初は著者の名を冠した「阿仏尼日記」となっていたものを、日記の書き出しが10月16日であったことから後世になって、十六夜日記と改題されたものである。山の端に 不知夜歴(いさよふ)月を出でむかと 待ちつつ居るに 夜そふけにける 万葉集7、作者不詳)月は陰暦8月がもっとも良いと言われているが、新暦8月の望月も捨てたものではない。今年の8月22日は、月例16で「十六夜」であった。満月は関東で眺めたのだが、十六夜の月は南アルプスの麓の山荘で見た。肉眼では真円にも見える月が、夜半に中天に昇った。猛暑の夏も暑処を過ぎて、昼に鳴く蝉の声が心なしか淋しく聞こえるようになり、夜は次第に虫の声を聞くようになった。この虫の声を聞きながら、眺める月は誠に風情がある。朝4時には、見事な光冠が見られた。太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象である。特に太陽の周りに現れるものを日暈、月の周りに現れたものは月暈という。一方月暈よりももっと小さく、月のすぐ周りに鮮やかな虹色の環が見えることがある。月に暈がかかると、翌日雨になると言われる。十六夜の月に罹ったのは暈ではなく、光冠であったが言い伝えに違わず、23日はほとんど一カ月振りの本格的な降雨となった。この雨で干天で気息奄々としていた植物は、なんとか生気を取り戻すことができた。しかしキウイフルーツ、ミツバツツジ、エゴノキ、ヒトリシズカは降雨を待ちわびながら間に合わず枯死してしまった。朝5時過ぎには雲が切れた空に、輝く月が冴えわたった。
2013年08月25日

昨夜は、満月であった。満月のことを望月、盈月ともいう。月の満ち欠けは「朔望」と言われ、太陽との位置関係で決まる。太陽と同じ方向にある場合を新月(朔)、反対方向にある場合は満月(望)、その間に上弦と下弦(半月)がある。月齢15日目の十五夜(満月)は日没とともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈む。16日目以降は、月の出がおよそ50分ずつ遅くなる。満月には、月は地球を間にして太陽が反対側となる。これが完全に直線上に並べば、月食となる。日本では、夏は南東から昇って低く南の空を横切る。冬には北に寄り、南中時の満月は天高く位置する。このころ輝く月を「煌々と輝く」と形容する。春分や秋分頃の満月は、真東あたりから昇りほぼ真西に沈む。月齢0を1日とする太陰太陽暦と太陰暦では、満月は平均して16日の朝7時ごろとなり、この時刻は16日より15日の夜に近いので、中国暦では伝統的に15日の夜の月を満月とした。満月のときは人工の明かりが無くても、ものの形が識別できるほど地上を明るく照らす。満月はしばしば鑑賞の対象となり、月見の行事が行われてきた。特に大気中の水蒸気が少なくなって大気が清む秋の満月は美しく、旧暦8月15日は日本・中国・韓国などでは、中秋の名月といわれて特別な行事が行われる。秋の季節は3っに分けられ旧暦7月を初秋、8月は仲秋、9月を晩秋と呼ぶ。仲秋は8月の異称でありこれに対して「中秋」は、秋の中日のことで陰暦8月15日を指す言葉である。仲秋の月と書くと、8月中の全ての日の月を指し満月に限らない。陰暦8月の満月を指す場合は、「仲秋の名月」あるいは「中秋の月」と表記したいものである。 月々に 月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月 読み人知らず月に叢雲…といわれるように、この時期は関東以西では統計的に晴天に恵まれる確率が低く満月を見ることができない場合が多い。中国から9月の十五夜に月見の祭事が伝わり、平安時代には貴族などが観月の宴を催したり、船に乗って水面に映って揺れる月を見て歌を詠むことが行われた。平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだのだという。 名月や 池をめぐりて 夜もすがら 芭蕉現在は多くの年中行事がそうであるように、継承されている家は少なくなったが十五夜の行事は縁側など月が見える場所にススキを飾り、団子・里芋・枝豆・栗などと御神酒を供えるのが習わしである。この時期に収穫された里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月と言うこともある。毎月一回満月は巡ってきて、今年も12回の満月があるが8月はちょうど21日が満月で、中秋の名月は来月9月19日である。10世紀半ばには、「竹取の翁の物語」は成立していたとされ、物語ではかぐや姫が十五夜の満月の夜迎えの使者と共に月に帰って行った。 名月を とってくれろと 泣く子かな 一茶 満月の月を取ってくれと、子供が駄々をこねている様子を詠んだもので何ともほほえましいが、今どきの子供には月が欲しいとねだるものはいないと思われる。
2013年08月22日

茗荷ミョウガの名前は、名荷(名札)が由来だとする説がある。日本の山野に自生しているものもあるが、人の手が入ったと考えられる場所以外では見られないことや、野生種がないことなどから全てが大陸から移入栽培されてきたものと思われる。一般的にミョウガといわれるのは花であり、この花穂と芽出し初めの若い茎が食用とされる。雌雄同株で、花には雄蕊、雌蕊共に揃っている両性花である。しかし授粉しても五倍体のため、ほとんどの場合結実しない。非常に稀に、夏から秋にかけて温度が高いと実を結ぶことがあると言われるが、今までミョウガの実を見たことはない。繁殖は、地下茎の株分けが主体である。地上部に見える、葉の着いた茎に見えるものは偽茎(ぎけい)といい、地下茎から伸びた葉鞘が地上で何重にも巻いて茎状になったものである。ミョウガを縦割りにすると、開花前の蕾が10個程あるのが分かる。そのため、花蕾と呼ぶ場合もある。ミョウガを抓んで捩れば、簡単に採れる。大卒の女性職員が庁舎の庭の隅からミョウガを採取するのに、茎毎引き抜いているのを見て吃驚したことがある。若芽に籾殻などを被せて太陽光を抑制して軟白化し、薄紅色に着色させたものを「ミョウガタケ」といい、刺身のつまや料理の添え物に用いられる。軟白しない緑のものは、蕎麦の薬味などに利用される。ミョウガには早生と晩生の2種類あって、7月下旬の盛夏に出るものを夏ミョウガ、秋口彼岸のころに出るものを秋ミョウガという。ピリリとした独特の香りが好まれ、また特有の紅色が目を楽しませる。これにより香辛菜として蕎麦・素麺・冷奴などの薬味として利用される。そのほか、天ぷらや酢の物、味噌汁の具などとしても用いられる。ハウス栽培で通年出荷されているが、夏が旬の野菜である。昔から山里では、山椒・ミツバなどとともに裏庭や屋敷林の木陰、畑の隅に植えられる植物である。α-ピネン類が香り成分で、紅色の成分はマルビジンといわれるアントシアニンの一種である。「食べると物忘れがひどくなる」と言われているが、科学的な根拠は全くない。簡単な実験で、反って集中力を増したとする報告もあり、α-ピネン類の香り成分には集中力を増す効果があることが明らかにされている。釈迦の弟子の槃特は非常に記憶力が悪く、自分の名前すら覚えられないほどで、釈迦はこんな槃特を憐れんで名前を思い出すことのできるようにと、名荷(名札)を首にかけてやったが槃特は名荷を首に着けていることさえも忘れてしまい、一生自分の名前を覚えることができなかった。その槃特が死んだ後、彼の墓から見たこともない草が生えたので、名札をつけた槃特に因んで名の廾(茗)で茗荷という名前をつけたという故事から、そのような俗信が生まれたものである。(標準植物図鑑全集13)根茎からとった粉を漢方では茗石(みょうせき)といい、眼科の薬とする。また偽茎は陰干して、裂いて縄につくると丈夫なので、昔は草鞋や下駄の緒に利用された。自宅の柿の樹の下に実家から移植したものが、樹下一面に広がって大量のミョウガが出る。ここから山荘の畑の隅に株分けしたものが、こちらも大きく広がっている。大量に収穫できるミョウガだが、少量を薬味・テンプラ・味噌汁に利用し、沢山の味噌漬・酢漬を作っても結局は毎年食べきれないで処分してしまう。無駄になるので近頃では、生のままそのほとんどを親戚や知り合いに分けてあげてしまう。高知県産のミョウガは、1パック5個ほど入って200円もする。見栄えは良くないが味は同じであり、結構喜んで貰ってくれる。 茗荷より かしこさうなり 茗荷の子 子規
2013年08月21日

日本一の芋煮会フェスティバル協議会主催の大芋煮会が、今年も山形市の馬見ヶ崎河川敷で9月1日に開催されるそうだ。普通芋と言えばジャガイモ・サツマイモ・サトイモを指すが、芋煮会に用いるのは里芋である。サトイモは東南アジアから渡来した野菜で、畑や水田の脇などに栽培されるので山芋に対して里芋、あるいは田芋と呼ばれる。山荘の近くの農家の人は、シロイモと呼んでいる。サツマイモもシロイモの呼び名で呼ぶ地域があり、里芋の種類の蓮芋をシロイモと呼ぶ人もあって誠に紛らわしい。サトイモはでんぷんが主成分であり、低カロリーで食物繊維も豊富である。独特の「ぬめり」物質は、ムチンやガラクタンという成分でムチンには消化促進、ガラクタンには免疫力向上作用があるとされる。一種のタンパク質が付着したシュウ酸の針状結晶が多数あるため、生芋には強烈なえぐ味がある。加熱して、タンパク質を変性させることでえぐみは無くなる。シュウ酸カルシウムの結晶が含まれているため、里芋の皮を剥くと手が痒くなることがある。サトイモの皮の下2~3mmほどにある細胞内に、多くのシュウ酸カルシウム結晶が含まれており、少しの力で大きな結晶が壊れて針状結晶に変わる。調理する際素手で作業すると、皮膚にこの針が刺さることにより痒くなる。里芋は子芋の時から、シュウ酸カルシウムを針状結晶や細かい結晶砂として細胞内に作り始める。やがてこれらが集合して、大きく脆い結晶の固まりとなる。このシュウ酸カルシウムが「えぐ味」の原因ともいわれるが、正確な文献は見当たらない。蓮のことを英語で、ロータスlotusという。ここからハスの葉やサトイモの葉が水をはじく仕組みのことを、ロータス効果lotus effectといっている。サトイモやハスの葉は、非常に細かい球状の透明な細胞でびっしりと葉の表面が覆われていて、これが水をはじく仕掛けとなっている。この仕組みによって葉面が埃や泥から守られ、太陽光を効率よく受けることができ、炭酸同化作用に寄与している。ナノテクノロジーの分野ではロータス効果からヒントを得て塗料、屋根材、布などの表面を乾燥したきれいな状態に保つ方法の開発が進んでいる。通常はフッ素化合物やシリコーンで、表面を処理することでその効果が得られる。※ 参照 ひこじいさんのブログ 「泥より出でて泥に染まらず」8月8日我が家では、収穫可能な10月から翌年の3月まで、味噌汁の具や煮物としてほとんど毎日里芋が食卓に上がる。13年前に山荘に菜園を作ってから、毎年1年分のサトイモを自家栽培で確保してきた。今まで猿や猪は全く手を付けなかったのに、この3年ほど前から畑の隅に捨てた親芋を猿が齧るようになった。他の作物は電気柵で囲ったのだが、今年は植えたばかりの種イモを猪に掘り起こされた。その後も、2回闖入された。今年は猿害で諦めた作物の替わりに里芋の作付を広げたのだが、植えた芋の1/3ほどが駄目になり残念ながら昨年より大幅に収量が減ってしまうと思われる。来年はキッチリと電気柵で囲って、猪を撃退したいものである。
2013年08月20日
花火の季語は、秋とも夏ともいわれる。もともとは、お盆の送り火が由来であったことから、現在では夏の季語としているものが多いようである。花火は、火薬と金属の粉末を混ぜて紙で包んだもので、燃えたり破裂したりする時の音や火花の色、形状などを鑑賞する。金属を混ぜるのは炎色反応を利用したもので、混ぜる金属の種類でさまざまな色を出すことができる。夏の夜の風物詩とされていて、一部では大規模な花火の打ち揚げを「花火大会」と称して行っている。大規模大会のほとんどは7、8月に集中している。この時期の土日の夜間に高速道路を走ると、必ずどこかで花火を目にすることができる。音を出すだけの花火は、イベントなどの開催合図や祝砲の代わりとしても使われる。法令上花火と煙火は異なり、取り扱いや打ち揚げ許可が必要な大型の打上花火(煙火)と、おもちゃ花火(玩具花火)を区別している。打上花火の「玉」の大きさは寸や尺で表され、直径約6cmの2号玉から直径約60cmの20号玉、40号玉まである。20号玉は爆発したとき直径約500m、世界最大の四尺玉は約800m程度にまで広がるといわれる。実際にはこの号数は打ち揚げ用筒の内径であって、20号の花火玉では約57cmである。日本の花火の打ち上げが夏に多いのは、川開きに使用されていた名残りでこの時期に集中しており、そのほかの季節に打ち上げが行われるのは少ないとされる。5号玉一発が約1万円で、これが10号玉になると6万円、20号玉では約55万円、40号玉では約260万円もするという。たった10秒ほどの時間に、260万円が将に煙となって消えるわけである。隅田川花火大会では、毎年約2万2,500発が打ち上げられ、記録に残る限り最も古い大会とされている。今年は、突然の雷雨で、打ち上げ開始30分で中止となり22,800発の打ち上げ予定が、7,900発しか使われず残りの14,900発の花火は雨で湿気を帯びてしまった上、筒から出したものは安全が保障できないため使えないとされ、業者が解体後焼却するなどして処分するという。諏訪湖祭湖上花火大会は毎年8月15日に実施され、例年約4万発が打ち上げられ日本最大の打ち上げ数を誇る。観客数は50万人ともいわれ、周囲の山々に反響する音もこの大会の魅力の一つとなっている。こちらも局地豪雨により、大会65年で初めての途中中止となった。一般マス席1マス(20人)… 100,000円であるが、有料席料については、途中で中止した場合でも払い戻しはしないとホームページなどで説明しているので返金には応じないという。実行委によると、15日に打ち上げられた花火は予定の約2割だった。マス席を購入した人には、高い席料となった。中央道の通行止め、JRの運休などで5000人が特設避難所で夜明かししたという。花火の主原料に火薬が使われていることから、毎年多くの爆発事故が発生している。1959年5月29日には郷里の伊那谷、飯田市上郷の花火工場が爆発した。近接した小学校の校庭で体操をしていた小学6年の女児1人が爆風で死亡したのを含めて、7名が死亡した大事故となった。この工場は、私の通学していた高校から徒歩で5~6分の距離の場所にあった。2003年4月11日には、鹿児島県での工場爆発事故があり、10名が死亡している。打ち上げの際にも引火爆発事故が多い。1989年8月2日、横浜山下公園前海上の台船で打ち揚げていた花火の火が、打ち上げ前の花火に引火し325個が爆発し花火師2人が焼死、負傷者7人を出した。花火の命の一瞬の美は日本人の心の琴線に触れるが、陰には多くの犠牲が付いて回っているのである。 舟々や 花火の夜にも 花火売 一茶
2013年08月19日

土佐藩15代藩主山内容堂は自らを「鯨海酔侯」と称し、酒と女と詩を愛したことが知られている。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士達からは、幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。司馬遼太郎の短編小説に、「酔って候」がある。山内容堂を主人公とした作品である。8月上旬から、我が家の庭の「酔芙蓉」が開花を始めた。 朝6時一般にフヨウといえば赤花と白花の二種類のことを指すが、この花からの変種で咲き始めは白色花であるのに、夕刻には濃いピンク色に変化するスイフヨウがある。早朝に開花した純白の花弁は、時間の経過とともにピンクに変色する。色が変わる様子が、酒を飲むほどに酔って赤くなることから付けられた名前である。 昼12時芙蓉はもともと蓮の花のことであったのだが、紛らわしいので蓮の花を「水芙蓉」と呼び、木に咲くものを「木芙蓉」と呼んで区別した。芙蓉の花は平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた。古くから栽培されているにもかかわらず、同じ科のムクゲと異なって変異が出にくいため品種はあまり多くない。酔芙蓉は、数少ない園芸品種のうちの一つである。ハイビスカスHibiscus科のフヨウ・ムクゲ・ハイビスカス・アオイなどの花は朝咲き、夕方には萎んでしまう一日花である。フヨウは、全国各地の庭先や寺の境内・公園などどこででも目にすることができる。しかし、酔芙蓉の群植されているところは少ないと言われる。美人でしとやかな人のことを芙蓉の貌、芙蓉の顔と譬えて言う。中国では、酔芙蓉は酒に酔って頬を染める楊貴妃の美しさに譬えられる。 夕方4時芙蓉の開花時期は7月~8月だが、酔芙蓉は1月ほど遅く7月~10月頃まで15cmもの大輪の花を咲かせる。酔芙蓉には一重のものと八重のものがあるが、暑い時期に八重咲きのものは重たく感じるので自分としては清楚な一重の方が好みである。スイフヨウの白色の花が夕方赤くなるのは、アントシアニン色素の生合成が、午後以降急速に進むためであると言われている。温度が25度以上だとこの変化が急速に進むが、低温だとアントシアニンの合成があまり進まないとされ、花期の終わりころになると翌日まで白い花のままで残る場合がある。一部の人の間でこの花色変化は、太陽紫外線を浴びることによって起こるとする説を唱える人もあるが、花托から切り取って陽が射さない室内の水盤の水に浮かせておいても、太陽光線を浴びないのに夕方には花色がピンクに変化することからも紫外線の関与に影響されないことが判る。花言葉 繊細な美 しとやかな恋人 富貴 微妙な美しさ
2013年08月18日

高い山の嶺に咲く花は、遠くから見るだけで手に取ることができないことから、自分の手に入れることのできない高価なものや美しい人のことを「高嶺の花」と譬えて使うようになった。ここでいう高嶺の花は、美しい高山植物を指しているものと思われる。しかし現在では2,600mの高山まで、バスやロープウェイが運行されていて、高齢者や幼児まで気軽に高山植物を「撮る」ことが可能であるが、決して「採って」はならない。一般的に高山植物と呼ばれている標高2,500m付近に生育する植物が、北海道では平地や海岸で見ることがある。厳密には高山帯に固有の植物が高山植物とわれ、低山帯や丘陵帯にも生育し高山帯にも生える植物は高山植物とは呼ばない。高山では雪解けが遅く、しかも早く寒くなるために成長可能な期間が短いことから、多年生の草本が多い。全体に、毛を持つ種類が多く見られる。これは、植物体表面を寒気や強い日差しから守る役割を果たすための特別な構造なのである。高山植物は、一般的に植物体に比べて大きくて派手な花を付けるものが多い。植物の活動が夏季に限られるため同じ時期に花をつけ、一帯に花が咲き乱れるところからこれを「お花畑」とよぶ。日本の場合、多くの高山植物の近縁種を北海道以北に見ることができる。日本の高山植物といわれるものは氷河期の生き残りであると考えられ、富士山は日本で最も高い山であるが新しくできた山であるため高山植物はほとんど見られない。中央アルプス西駒ケ岳の標高2,600mの千畳敷きカールでは、文字どおり「お花畑」を見ることができる。千畳敷きカールに咲く高山植物は、コバイケイソウ・シナノキンバイ・ミヤマクロユリ・ヒメウスユキソウ(別名駒薄雪草)・ヨツバシオガマ・コイワカガミ・イワツメクサ・チングルマ・ミヤマシシウド・ミヤマキンポウゲ・ダルマユリと多彩で遊歩道を散策しながら眺めることができる。花の女王コマクサも咲くと言われているが、残念ながら今回は礫地帯まで足を延ばさなかったので目にすることはできなかった。千畳敷きカールのお花畑で最も目立つのは、有毒のコバイケイソウの群落である。芽出しのころしばしば山菜のオオバギボシと間違えられ中毒を起こすことがあるが、オオバギボシとは似ても似つかぬ大型の花茎を伸ばし白い花を付けて咲いている。昼近くなるとガスが発生することがありバス、ロープウェイも混雑するので早朝の訪問がお勧めである。
2013年08月17日

中央アルプスの西駒ケ岳(木曽駒ケ岳)で、7月29日に韓国人パーティー20人のうち3人が死亡、1人が心肺停止となる遭難事故があった。西駒ケ岳は中学2年の夏の学年行事として、全行程徒歩での登山を経験している。2,931mの高山への本格的な登山であったが、昭和42年にしらび平から宝剣岳の直下2,612mの千畳敷カール駅までのロープウェイが開通したので、バスとロープウェイを乗り継いで実時間1時間足らずで軽装でも気軽に登れるようになった。私は40年前6歳の長女、4歳の長男、1歳の二男と家内とで、自家用車通行止めの柵の所から砂利道をしらび平まで歩いてロープウェイに乗ったことがあった。今回は最も奥の黒川平に駐車して、バスに乗った。道路は全て舗装され整備されていて、埃も舞い上がらなくなっていた。下界は35℃もあって猛烈な暑さであったのだが、しらび平ですでに30℃を下回り千畳敷きカールは、21℃前後と気持ち良い南アルプスのそよ風が吹きわたっていた。千畳敷きカールは、2万年前の氷河期の氷で削り取られたお椀型の地形で、中央アルプス(木曽山脈)宝剣岳の直下に広がる氷河地形(圏谷・カール)の呼び名である。夏の千畳敷カールは、高山植物の宝庫といわれ多くの種類の花が咲き乱れるお花畑を目にすることができる。コバイケイソウ(小梅ケイ草)・シナノキンバイ(信濃金梅 ・ミヤマクロユリ(深山黒百合)・ヒメウスユキソウ(別名駒薄雪草)・ヨツバシオガマ(四葉塩釜)・コイワカガミ(小岩鏡)・コイワカガミ(小岩鏡)・イワツメクサ(岩爪草)・チングルマ(稚児車)・ミヤマシシウド(深山猪独活)・ミヤマキンポウゲ・ダルマユリなどが観察されたが、残念ながらコマクサには会うことができなかった。 コバイケイソウの群落用事が無ければもっとゆっくり涼風を楽しんでも良かったのだが、ピカピカに輝いていた宝剣岳や山肌が下から湧きあがった濃いガスで瞬く間に隠れてしまい、またロープウェイ駅周辺に人が溢れ出し始めたこと、次の予定があったことから2時間ほどの滞在で下山した。束の間の天国を味わって、1時間ほど後には再び炎熱地獄の下界に戻ってきた。
2013年08月16日

気象協会が選定した「季節の言葉36選」には立秋という言葉が無いが、今年は8月7日がその日に当たる。朝夕が涼しくなって秋の気配が立つ日とされ、立春から半年が経過したこの日から立冬の前日までが秋とされる。暦の上では秋であるが、立秋は暦の上だけでこの時期は将に盛夏である。日常生活でこの日を境として変えなくてはいけないものは、時候の挨拶ぐらいなものである。立秋前まで使用していた暑中の言葉は、この日を境にして残暑となる。しかし、暦に合わせて毎年季節が巡ってくるのは誠に自然の妙である。この日を前後して、秋の七草の桔梗・女郎花・葛・萩・尾花・撫子・藤袴が咲きそろう。山荘の庭にはクズ・ススキ以外の花が、今まさに満開である。クズとススキは周りの土手に自然に群生しているので、庭の五草と合わせると誠に風流である。春の七草は口で味わい秋の七草は目で味わうが、春の七草に比べて些か語調が悪いので、秋の七草の名前を正確に七草全てを言える人は案外少ない。山荘が完成した際、信州から移植した女郎花の株が年々増えて、庭や畑の隅に進出しこの時期には一面が黄色一色に染まる。見事さに株を分けて貰いに来る人もいる。しかし、離れて見て見事さに圧倒される花ではあるが、一つ落とし穴がある。近づいて花の香りを嗅いでみると、漢方でいう「敗醤」という名前の由来の意味が良く分かる。小動物の尿か、醤油の腐敗したような強い匂いがするのだ。切り花にして、部屋に飾ると瞬く間に部屋中にその匂いが充満する。決して、切り花に合う花とは言えない。庭に植えられたままでも、花期が終わりに近づくに従いその匂いは強くなる。女郎花の株が庭一面に広がった最初のころ、車を降りると駐車場までもその匂いが充満していたものである。その後は、9月の上旬までには花茎を刈り取り焼却処分することにしたので、結実しなくなり菜園への進出も止まりひどい匂いに悩まされることもなくなった。オミナエシは、沖縄をのぞく日本全土に分布している。夏になると、根出葉から花茎を立てる。草の丈は1m程になり、黄色い粟粒のような花を咲かせる。別名は、その花の匂いから敗醤(はいしょう)という。日当たりの良い草地に自生し、万葉の昔から愛されて庭の前栽や切花などに用いられてきた。全草を乾燥させたものを煎じて服用すれば、解熱・解毒作用があるとされる。花のみを集めたものは黄屈花(おうくつか)という。これらは生薬として単味で利用されることが多く、複数の調合剤としてはあまり使われないが、漢方薬としては附子(トリカブト)と共に調合した、ヨク苡附子敗醤散がある。同じオミナエシ属にオミナエシより全体的に大きく、同じ時期に白い花をつける男郎花がある。若い苗は食用にもされる。女に対比して、男の名前を付けたものである。「女郎花 しほるゝ野辺をいづことて 一夜ばかりの宿を借りけむ」(源氏物語 夕霧の巻)名前のへしは(圧し)の意でありその美しさが美女を圧倒するところから付いたとする説や、へしは飯の意であり、女性は白米でなく粟を混ぜた飯を常食としており、この花が粟粒に見えるので女(オミナ)の飯(ヘシ)からという説など諸説がある。花言葉 約束を守る。
2013年08月15日
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2013年08月14日

ミソハギは、お盆には欠かせない花である。日当たりを好み、湿原や水気が多い場所に自生する。湿地で見られる植物だが、強い乾燥がなければ畑地でも育つ。田の畔などに植栽され、利用される。茎は丸くなく、四角に角張っている。葉は長さ数cmで細長く、対生で交互に直角の方向に出る。お盆のころ紅紫色6弁の小さい花を、先端部の葉腋に多数つける。ちょうど8月のお盆のころに咲くので盆花としてよく使われボンバナ、精霊花などとも呼ばれる。お盆には水を含ませて仏前の供物に水を注ぐため、魂棚の水を入れた容器に束ねたこの花を浸しておき水向けに用いる。お盆の迎え火をたく前に、この花で周囲に水をまく風習が現在でも各地に残っている。昔の医書にミソハギが喉の渇きを止めるのに効くとあるので、死者の渇きをいやすためにこの草を用いて水をかけるようになったのではないかといわれている。それが禊の儀式を連想させしかも花が萩に似ていることから、ミソギのハギから転じてミソハギになったという説と、溝に生えるハギに似た植物の溝ハギが語源とする説がある。近縁のエゾミソハギとともに、生薬の千屈菜(せんくつさい)と呼ばれて下痢止めなどの民間薬に利用され、また地方によっては食用にもされる。ミソハギには配糖体サリカイリン・タンニン・コリンなどを含み、花の色素は配糖体のアルビジンである。開花期に全草の地上部を採取して、天日で乾燥させて保存する。止瀉(下痢止め)・急性腸炎・膀胱炎・浮腫には煎じ液を服用する。あせも、靴擦れ、股ずれ、草かぶれなどの湿疹やかぶれには、煎じ液をガーゼに浸して冷湿布する。切り傷の止血にも、効果がある。細菌性赤痢には、酸化鉄やタンニンを加えて服用すると、強い止血作用や収斂作用があるという。夏場の喉の渇きには、適量の水で煎じて服用する。夏は冷やして、冬は暖めて、茶の代用として用いられる。若芽は食用にされ、摘み取ったら熱湯で茹でて水にさらしてアク抜きをしてから調理する。あえもの、炒め物、佃煮などにして食べられる。花はそのままか、あるいは軽く熱湯を通してサラダなどとして食べる場合がある。ミソハギは、秋の季語である。 みそ萩や 水につければ 風の吹く 一茶花言葉 悲哀 慈悲 愛の悲しみ 純真な愛情
2013年08月11日

ウバユリが鱗茎から直立して出る茎は太くて丸く径2~3.5cm、高さ約1.5mにもなる。ユリ科としては珍しく幅広いハート形の、オオバギボシに似た長径20cmほどの葉が茎の中ほどに数枚集まって付き基部には柄がある。単子葉植物には珍しく、葉に網状脈を持つことが特徴である。上部の葉は極小さく、鱗片状をしている。地下には、ユリネに似た鱗茎をもつ。花期は7月で、花はユリに似るが緑白色で細長く全開しない。牧野日本植物圖鑑(北隆館)には、「花ノ時、歯(葉)既ニ無シトテ之レヲ姥に譬ヘ此称ヲ得タリト云ウ。」とある。花が終わり結実する頃には葉が枯れてなくなるため、「歯が無くなった姥」に擬えたものとするのが一般的である。一部には乳母から来たという説を唱える人もあるが、説得性が無くこじつけと思えるので姥からと見るのが自然である。同じ姥でも、ウバザクラは花の旬の時期を過ぎたものを指すのに、ウバユリは将に花の旬を指しているのが面白い。7月に、茎頂に筒状をした緑白色の長さ7~12cmの花を、10個以上横向きにつける。関東以西の本州、四国、九州の樹林の陰に自生する。変種のオオウバユリはウバユリより大形で、より多数の花をつけ花は大形で9~13cmもある。中部地方より北には、オオウバユリが分布する。国道139号線の道路わき青木ケ原樹海の辺りに、すでに花期の終わったオオウバユリの群落があった。観賞用として庭に栽培されるほか、鱗茎を食用にする。 ウバユリが春に芽を出した直後の若葉は、山菜として食用にされる。十分に湯がいてから、流水で晒してアク抜きをした後、あえものやおひたしにして食べる。無理をして、食べるほどの山菜ではない。鱗茎は一枚ずつはがしてから湯がいて食べれば、ユリネと同じように美味しく食べることができる。花言葉 威厳 無垢
2013年08月10日

ナツズイセン(夏水仙)は、ヒガンバナ科の植物である。葉と鱗茎がスイセンに似ていて、7月末から8月初めの夏に花が咲くところからナツズイセンの名前がついたという。この一属はリコリスと呼ばれ、球根で育つ多年草で葉は水仙に似て細長く、花茎は直立し30~70cmの高さとなる。春先に葉が出るが、花が咲く前に枯れて無くなる。葉は永久に花を見ることはなく、花は葉のある時期に咲くことは決してない。そのため彼岸花やキツネノカミソリとともに「葉見ず花見ず」といわれる。散形花序で、一茎に4~10個の花をつける。花の色は白色、黄色、赤色、オレンジ色など。花被片(萼と花弁)は6枚で、水仙よりむしろユリに似ている。全草に、有毒アルカロイドのリコリンを持つ。中国原産で古くに帰化した植物とされるが、自然交配により現在のナツズイセンが生まれたものではないかと考えられている。日本では北海道以外の、人家近くや里山に生育している。花の形は全く異なるが、9月の彼岸頃に花を咲かせるヒガンバナの仲間であることは、リコリンを含有する有毒植物で、「葉見ず花見ず」の性質があることなどが全く同じであることから判断できる。早春に球根から帯状の葉を出すが、夏前に全ての葉は枯れる。その後、真夏に花茎を球根から長く伸ばし先端に花を付ける。花の付け根は細い筒状で、7cmほどのユリに似た上品なピンクの花を咲かせる。民間療法では鱗茎を擂り潰して腫れ物、乳房の腫れ薬として患部に塗布して用いられことがある。リコリンによる中毒では麻痺、痙攣、嘔吐の症状が出る。開花時に葉がないので、ハダカユリの別名がある。山荘近くの山林の縁に自生していて、13年前に庭移植したものが毎年良く咲く。猪にはリコリンの中毒作用が無いのか、数年前から自生地が掘り起こされ山林に花を見ることが少なくなった。花言葉 くつろぎ 快楽 追想
2013年08月09日

先週の日曜日に、身延山ロープウェイを目指したのだが余りの日射に怖気づいて久遠時の石段も登らず、御草庵跡の散策でお茶を濁した。境内には、幾鉢ものハス鉢が置かれていてちょうど開花している見事な花を、間近に見ることができた。ハスといえば、大賀ハスが有名である。大賀ハスは1951年(昭和26年)3月、東大検見川厚生農場の落合遺跡で2000年前の弥生時代後期のものと推定される種が発掘され、大賀一郎博士が発芽に成功したもので、その子孫は各地に分けられ植えられている。ハスは、インド原産の多年性水生植物である。古名の「はちす」は、花托の形状がアシナガ蜂の巣に似ているところから付いた名前というのが通説である。そこから転訛して「ハス」になったものという。水芙蓉、芙蓉、不語仙、池見草、水の花など多くの異称がある。ハスの花は「蓮華」といわれ、仏教とともに伝来し古くから使われた名前である。7月の誕生花であり、夏の季語となっている。 花言葉は雄弁である。地中の地下茎から茎を伸ばし、水面に葉を出す。草高は約1mほどになり、茎に通気のための穴が通っていて水面よりも高く出る葉を持つ。ハスやサトイモの葉は円形で葉柄が中央につき、微細構造と表面の化学的特性により濡れることがない。葉の表面についた水は表面張力で丸まって水滴となって落下するので、泥や昆虫などの異物を拭い去る効果があり、この現象はロータス(ハス)効果として知られる。 花期は7~8月で、白またはピンク色の花を早朝に咲かせ昼には閉じる。園芸品種には、小型のハスのほか花色の異なるものが多数ある。果実の厚くて堅い皮は、土壌の中で発芽能力を維持したまま長期間維持することができる。地中に埋もれながら、長い眠りから覚めたハスには大賀ハスの他、800年前の種から発芽した中尊寺ハス、1400年~3000年前とされる種から発芽した行田ハスなどがある。食用蓮根は茨城県や徳島県で多く栽培されていて、正月料理やテンプラに欠かせない野菜である。ハスの実には澱粉が豊富に含まれており、生食される。生食する場合は、未だ花托が若い緑色のうちに採取する。柔らかな皮の中に、白い実が入っている。種はドングリに似た形をしていて甘味と苦みがある。ハスの花は、清らかさの象徴として称えられることが多かった。水陸艸木之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛牡丹。予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。予謂、菊花之隠逸者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。 (周敦頤1017-1073北宋の儒学者)(水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おお)し。晋の陶淵明、独り菊を愛す。李唐自(よ)りこのかた、世人甚だ牡丹を愛す。予独り蓮の泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、中通じ外直く、蔓あらず枝あらず、香遠くして益々清く、亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。予謂へらく、菊は花の隠逸なる者なり。牡丹は花の富貴なる者なり。蓮は花の君子なる者なりと。噫、菊を之れ愛するは、陶の後、聞く有ること鮮し。蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宣なるかな衆きこと。)3行目頭の意味は「蓮は泥より出でて泥に染まらず」で、泥水の中から生え清らかな美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされる。ハスを種から育てる場合は、堅い外皮を削ってやらないと発芽しない。運よく発芽しても、その後の管理も大変な上、交雑により親の形質を持つとは限らず開花株に育つまで3年以上も必要となる。可能ならば蓮根の切り分けが最も簡単確実で、二節付けて大鉢に植え付ければ親と同じ形質の花を翌年には咲かすことができる。
2013年08月08日

ブルーベリーはツツジ科スノキ属(酢の木)の低灌木で、日本にも自生する多くの種類があって何れも実は食用になる。代表的な樹には、クロマメノキ(信州ではアサマブドウと呼ぶ)がある。初霜が降りるころになると黒紫に熟して甘くなり、子供のころには採って良く食べた。北アメリカ産の野生種を改良したものがブルーベリーと呼ばれ、成木の樹高は1.5から3mになる。春に白色の釣鐘状の花を咲かせ、花後に0.5から1.5cmほどの青紫色の小果実が生る。酸性土壌で水はけが良く、休眠期が充分であれば農薬を使用しないで栽培することが可能である。根が浅いため乾燥に弱く、夏の水切れには注意する必要がある。他家受粉性であるため、開花時期の重なる二品種以上を植えるのがよい。果実の利用は生食の他、ジャム等に加工される。アントシアニンが豊富に含まれておりその他、ビタミンC・E、カリウム、食物繊維、亜鉛などを含んでいる。アントシアニンなどのポリフェノール類は、眼球内の毛細血管に働いて血流の改善と毛様体の働きをよくし、眼精疲労の回復に有効で視力改善効果があるとされる。一方では、アントシアニンの視力改善効果に関する研究論文は見当たらないとの報告がある。(国立健康・栄養研究所)白州の爺やさんの実体験として伺った所では、自動車教習所の視力検査で0.7以上の視力が無く、その後の眼科医の診察でも同じで、免許更新には眼鏡を使用する必要があることが指摘された。そこで、目に良いと言われるブルーベリーを暫くの間食べてから、免許更新の手続きで視力検査したところ裸眼であっさりパスしたと言う。実際に、視力改善効果があったと考えて良いのかも知れない。ポリフェノール類には活性酸素を抑制し細胞膜を守る強い抗酸化力作用のあることがわかっているが、、40種の果物や野菜との比較でブルーベリーの抗酸化作用が一位であるとしている。(USDA米国農水省)14年前山荘の庭に、4種類のブルーベリーを植えた。その内2種類は冬季零下10度にもなる寒さに耐えられなかったのか枯死したが、残った2株が特段手入れもしないのに毎年実を付ける。ヒヨドリとの収穫合戦になるが、たまたま今回は黒く熟した実を手の平に一杯収穫することができた。この頃暗い所で文字が見えにくくなったと言っている家内が、ほとんどを食べたが少しでも視力が改善することを願っている。
2013年08月07日

大きな玉になって咲く花は、日本原産のアジサイ改良種ハイドランジャーに始まって、北米原産園芸種アナベルと続き、8月に入って愈々ノリウツギが咲き始める。本来野生のノリウツギは萼紫陽花に似た白花を咲かせるが、園芸種では玉になって咲く品種が作出されている。ノリウツギは、ウノハナと同じように木部が「空木」であり、紙漉きの際の糊として用いられたところから付いた名前で「糊空木」の意である。和紙は紙を漉く時に、簀桁を前後・左右に揺り動かす「流し漉き」に特徴がある。楮、みつまた、雁皮などの原料と水の入った漉き船にトロロアオイやノリウツギなどから採った透明なトロロを混ぜることで流し漉きが可能となった。洋紙にはトロロを入れないので、揺り動かさない溜漉きしかできない。ジンチョウゲ科の雁皮から作られる和紙は雁皮紙とよばれ、古代では斐紙や肥紙と呼ばれその美しさと風格から紙の王とも評される。ノリウツギは、このガンビを漉くときに用いられ。雁皮自体に粘性が強いため、トロロアオイよりも粘りの少ないノリウツギが使われる。外皮と木質部の間の内皮をこそげ取って用いる。ノリウツギはガクアジサイに似た白花が基本であるが、園芸種のライムライトは全ての花に同色の萼を持ち、咲き始めはクリーム色で徐々にライム色に変化し、色合いが爽やかできわめて花立ちがよく沢山の花を咲かせて見事である。大きなものでは人頭大の25cm以上にもなる穂状の花を咲かせる。春に伸びた枝先に咲く新梢咲きなので、剪定自在で花後から冬まで強剪定が可能で扱い易い。暖地、極寒冷地問わず花付きよく性質強健で良く育つ。別名ノリノキ、サビタ、ピラミッドアジサイなどともいわれる。ツボミはグリーンで次第に淡いクリーム色に変わり開花する。萼は散らず、枯れてもそのままである。切り花は水揚げに若干難があるが、ドライフラワーや押し花に加工しやすく人気がある。葉は冬に黄色く紅葉し、その後落葉する。人気の樹種にも関わらず、ハイドランジャーやアナベルに比べて目にする機会は少ない。剪定は花後から、新芽が芽吹く前までの間いつでも可能でどの位置で切り戻しても良いので素人向きである。プロは主に強剪定を行う。花後から冬に地際や数節残して切り戻す。枝数が限定され 花数は減るがその分勢いの良い新梢が出て花が大きく花丈が揃って咲くので放射状の美しい姿で花のボリュームも素晴らしい。強剪定すれば、樹高は1mにできる。(ハイドランジャーは前年枝咲きなので強剪定はできない。)花後の秋から冬に枝の先端を軽く切り、古い枝を残 すことで来春の新枝がたくさん出て勢いが分散されるので花は小さくなるが、その分数が多く咲く。弱剪定の場合、樹高は2m近くになる。山荘の完成時に植えた鉢植えのノリウツギが、一度鉄砲虫に入られて樹勢が衰えたが消毒で持ち直し今では樹高1,5m径はビーチパラソルほどになり、淡いクリーム色の沢山の花を咲かせている。
2013年08月06日

ホオズキ(鬼灯、酸漿)は、ナス科ホオズキ属の多年草である。実の大きいタンバホオズキと、矮性種の三寸ホオズキが代表種である。花言葉が「欺瞞」であるのは、美しさに似ず実には毒作用があるところから付いたものであろうか。ホオズキは多年草で、草丈は60~80cmにもなる。クリーム色の花を6~7月にかけて咲かせる。7月10日の浅草寺のホウズキ市は享保年間ごろ、「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は約126年分に相当するといわれるようになった。「米一升の米粒が4万6千粒あり、一升と一生をかけた」などの謂われがある。花の咲いた後に六角の萼の部分が発達して果実を包み袋状になり、熟すと朱色になる。種蒔き、株分けで増やすことができる。うっかりすると、ホウズキカメムシが大発生してホウズキをだめにしてしまうので注意が必要である。ナス科植物なので、連作障害がある。緑の葉と袋の色が美しいので、鉢植えやドライフラワーにして観賞されその愛好家が多い。知り合いのご主人は差し上げたホウズキを見本にして、木彫のホウズキやホウズキの香合、根付など沢山作って人に差し上げている。 どちらが木彫?おもちゃの無い時代、果実はホオズキ人形や口で音を鳴らすなど主に女の子の遊びにも使われていた。果実は甘酸っぱくほろ苦い味で食べても美味しいものではないが、多食により腹痛や流産の作用があるので多用は避けなければいけない。ホオズキは薬草として使われ、「大人は癪を切り、子どもは虫の気を去る」といわれた。根や実に子宮筋攣縮作用があるヒストニンが含まれていて、江戸時代には遊女の堕胎の方法の一つとしてホウズキの根や実を食べさせた記録がある。お盆には、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで盆棚に飾る。 毎年ホウズキが飾られる従妹の家の仏壇飾り果実を鳴らして遊ぶ頬の様子から、「頬突き」と呼ばれるようになったというが真贋のほどは不明である。漢字で酸漿・鬼灯と書くのは中国語の小さな赤い提灯の意味からきている。英語でもChinese lantern plantと呼ぶ。実の大きいタンバホオズキ、矮性種の三寸ホオズキが代表種である。家内の従兄弟の家の盆飾りの後の見事なホウズキの実を譲り受け、播種して育てて12年になるが、今年は長径10cmを超えるほどの見事な袋が付いた。東京のお盆には間に合わなかったが、旧のお盆に使えるように今まさに朱色の小提灯が鈴なりとなっている。この3年ほど、猿が袋をもぎ取って中の実だけを食べていくようになった。今年もすでに斥候の猿がきて、味見をして行った。毎年ホウズキリースを作っているが、今年は刈り取ってリースを作るまで残っているだろうか。
2013年08月05日

納豆は大豆の発酵食品で栄養的にも優れた食品として、日本人以外にも食べる人がいるが独特な発酵臭と粘々の嫌いな人も多い。日本産の稲藁1本には、1000万個もの枯草菌の一種の納豆菌が芽胞の状態で付着している。芽胞菌の芽胞は100℃30分の加熱にも耐えるので、稲藁による納豆製法では稲藁を煮沸することによって納豆菌以外の雑菌を殺菌してから用いた。納豆発祥の地とされる土地が各所にあるが、1663年に秋田藩主に上覧された時に成立したと伝えれる秋田音頭にすでに歌われている。♪コラ秋田名物八森鰰々 男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶桧山納豆 大館曲わっぱ関東では納豆産地として水戸が有名だが明治以降水戸線の開通に伴い、笹沼清左衛門(天狗納豆--- ひこじいさんのブログ2013.06.10 天狗党 伊那谷を通過)が土産品として納豆を販売したのが始まりとされている。日本全国どこでも容易に手に入れることができ、現在多くの日本人に食べられている。製法や菌の改良などで匂いを抑えたり、成分のナットウキナーゼの健康増進効果をテレビなどが宣伝したことにより、国内各地域に広まり消費されるようになった。食べ物と健康については古くから「柿が赤くなると医者が青くなる」とか「納豆時に医者要らず」という諺がある。納豆の旬の時期は、稲藁を用いることから刈り入れが終わった冬とされてきたが、7月10日が「納豆の日」とされている。1981年関西の納豆組合が販促のため語呂合わせで制定したものを、翌年全国納豆工業協同組合連合会が追認する形で「納豆の日」とした。制定から34年にもなるが、一般にはあまり認知されていない。納豆は納所(寺院の倉庫)で精進料理の一つとして作られていたのが始まりで、これが名前の由来になったという説が「本朝食鑑」に載っている。戦国時代には、携帯保存食として武将の蛋白源やスタミナ源ともなっていた。戦時中は軍用食として、戦後の食糧難の時代には手軽な栄養食として食べられ日本に納豆が普及していった。江戸時代には、京都や江戸市中において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いた。納豆の売り声は、昭和30年代の東京下町でも聞かれた。納豆は血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKを豊富に含んでおり、上質なタンパク源でもある。また腸内環境に有用な食物繊維は、100グラム中に4.9 -7.6gと豊富に含まれる。抗生物質のない時代赤痢、チフスなどの感染症に対し、納豆が一種の薬として使われていたことがある。溶血性病原大腸菌O157を抗菌することがわかっている。納豆から抽出したナットウキナーゼを動物に投与したところ、血栓を溶解することが観察されたという報告がある。納豆に多く含まれるビタミンK2は、抗凝血薬のワルファリンの作用を弱めることから、医師はワルファリンの服用中は納豆食を避けるように指導している。近年は稲藁付着の納豆菌でなく、純粋培養した菌を用いる製造が主流となっている。蒸した大豆に菌液を振りかけ、これを発泡スチロール容器や紙パックに充填し恒温保温する。納豆は人による好みだけではなく地方差もあるが、最も一般的には温かいご飯に納豆を載せて一緒に食べる事が多い。単に醤油をかけただけでなく、和ガラシ、鶏卵やウズラの卵、ネギ、削り節、海苔、青海苔、梅干しなどのうち幾つかを合わせて食べることが多い。ネギやからしは納豆のアンモニア臭を抑える効果がある。その他にもトロロ、メカブ、オクラなどと混ぜることもある。
2013年08月02日

日本を代表するハーブである青紫蘇のことを「大葉」ともいうが、昭和の中ごろ静岡県のつま物生産業者組合が、刺身のつまやテンプラ用として青紫蘇の葉を出荷する際に商標として用いた「オオバ」の名称が広がって定着したもので、植物の名称ではない。原産地の中国中南部辺りから、2500年ほど前に渡来したとされており、奈良時代以降には薬用として栽培されるようになったと考えられている。これが室町時代になってから、食用として用いられるようになったものである。重量比カロチンはニンジンの1.2倍が含有されるほか、カルシウム、A、B2、Cなどビタミン類がバランスよく含まれ、さらに青紫蘇の葉には花粉症、アトピー性皮膚炎、食中毒予防、風邪予防、去痰、整腸作用、利尿、夏バテ解消、貧血、血液をサラサラにする効果があると宣伝されるが、効能・効果があるほどの量の青紫蘇を摂取する人があるのか大いに疑問である。むしろ効能効果を考えるより、ハーブとして利用されるべきものであろう。一度栽培し結実させると自然落果したタネから、毎年芽を出す。庭に余裕があれば一株植えておくと重宝する。我が家の菜園でも、縮緬青紫蘇が13年間毎年自然発芽し重宝している。最初に摘んだ葉を用いて独特の清涼感のあるマグロの漬丼を作るのが、毎年の習わしである。この場合も主役はマグロで、大葉は当然に脇役である。作り方はいたって簡単で、次の具を酢飯に混ぜ合わせ器に盛った飯の上にタレに漬けたマグロを載せれば完成である。米一合に対しての具○細切り大葉5枚○白ゴマ 適宜○ユカリ(梅酢に漬けた乾燥赤紫蘇の微塵)○小女子(乾燥した細かいもの)暑さで食欲がない時期、サッパリした味が食欲をそそり食が進むこと請け合いである。
2013年08月01日
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