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NHKの「あさイチ」の親が認知症になったら、を視て思った。私の場合、息子が認知症だったらに置き換えてみた。まるっきり当たりとは言えないが、当たらずとも遠からじだと感じた。母親の様子をカメラで追いながら、認知症への対応を追う映画監督である娘の行為・考え方に感じさせられるものがあった。私たち夫婦の親達は、共に認知症という病を経ないで旅だった。その家族の辛さ大変さを経験してはいない。でも自分がこれからその病にならないという確証はない。全く反応のなかった頃の事を思うと、回復を十分に感じさせる今の息子の行動に、認知度が極めて低いことや、言葉はないが部分的に何かが分かっていると思われる瞬間もある。もしかしたら、認知症と同じなのかもしれないと感じた。「一日一笑」を心がけるという生き方、あれはいい。どうしてどうしてという気持ちで対応する事が自分まで追い込んでしまう事、頷ける。おおらかに受け入れられる気質である事は、自分まで救われる。これは私の病気悪性リンパ腫との共生にもつながる。
2011.02.28
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新聞で目に付いた活字だけれど、笑う事が脳を活発にするっていうのは、確かなのかしら。我が息子は、のべつまくなし笑っているんだけれどな。笑っていい時はもちろん、笑ってまずい時も笑っているけどね。隣のベッドの人が、よくベッドを叩いてガンガンやりだすと、息子祐二は笑いがとまらなくなる。ガンガンとわあっはっはの大合唱なのだ。言葉のリハビリの最中これが始まると、リハビリは続行不可能な状態になる。「○○さん静かにして下さい」聴覚士さんが声をかける。瞬間双方が鎮まる。すぐまた始まる。ガンガンわっはっはの協奏曲が。いや不協和音かな。笑いが脳に良いとすれば、息子の方が笑わないお隣さんより、脳の活動・回復は良いのかなあ。でもあーしか言えない息子と違って、、お隣さん言葉がしゃべれるんだよね。しかも高度な語彙が耳に入ってくる。日本語ばかりか英語だかスペイン語だかのべつしゃべっている。相当の高学歴高学識経験者の方らしい。でも笑いはない。脳に打撃を受けたのは双方とも同じなんだけれどね。正常な時、頭脳明晰だった人と、勉強などくそくらえだった者との違いは、関係ないのかなあ。笑う息子は子供のように懐っこく、看護師さん介護士さんにかわいがられているように見える。笑顔笑いは、人に良い影響はあるようだ。人が関わってくれる事、それが脳にさらなる刺激を与えるのかも。祐ちゃん、世間でも今ユウちゃんは人気者だよ。せいぜいあやかるといいね。
2011.02.26
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意識障害の息子生活を見守る為に成年後見人となっている夫に代わって、報告書を作った。財産管理だ。さしたる財産はないけれど、息子の収支をしっかり記録するのが仕事だ。3年ごとに家庭裁判所に報告することになっている。若年脳疾患である息子のような症状のものは本来、病院での生活は受け入れがなく自宅での介護が多い。幸い息子は病院で受け入れてもらっている。その分入院費は20万円前後の支払いがある。かつての他の病院の入院時よりは治療程度が低いためか、はるかに安い。幸い障害年金がもらえるのは、本人が厚生年金に10年半入っていてくれて、しっかり仕事をしていてくれたおかげだ。高額医療の恩恵にあずかってもいるので、助かっている。重度障害者への市の助成もありがたい。結構面倒な報告書だが、出来る今である事がありがたい。私が入院生活をしていた間の記録が抜けていたので、それをまとめるのにだいぶ苦労した。夫の毎日の日記が確かな証明になっている。8年間の祐二の介護日誌は、私にはできなかった根気のいる素晴らしい事だ。単なる記録ではない、息子への愛が伝わってくる。
2011.02.24
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人権擁護委員の研修に参加。所沢の協議会との交流とハンセン病資料館にて研修。所沢の委員さん達とは、かつて事務局にいた私がお迎えして交流をした方々で、懐かしい顔が迎えて下さった。和やかな雰囲気で有意義な交流が持てた。全員の笑顔と手を振っての見送りに名残惜しみながら、高松宮ハンセン資料館に向かった。 治る病にも関わらず、隔離され家族ともども迫害を受けたハンセン病。語り部の話に残酷な国策、無知なるがゆえに愚かな差別行為をした世間の行為にやるせない憤りを感じた。まだまだ理解されない部分が多々あると聞く。子どもたちの頃からこの差別を知らせるのが人権委員の務めだと心に期したひと時であった。それにしてもこの研修バスの和やかな事。素敵なお仲間だ。
2011.02.23
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3年近く意識のないまま闘病されていた方が、家族に見守られ黄泉に旅立った。海外セミナー、国際協力など活動的な方だった。ご主人の、お子たちの献身的な介護もかなわず、辛い結果となった。1000日以上、毎日病院に通い、顔を拭き足をさすり続けたご主人の姿を語った身内の方の話に胸が痛み、涙がこみ上げた。 合掌
2011.02.20
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22年の保護司活動を辞して2年が経つ。かつて共に保護司活動をした面々が集っての新年会に出席した。80を過ぎた人たちが多い。かつて会の活動に意欲的にかかわった者たちといえどそれぞれに今の生活がある。老老介護者あり、悠々自適のくらしがあり、病をだましだまし生きるものもある。「いいとこなしだけど歯は5回目の表彰を受けるよ」とわっはっはと笑いをふりまき参加者をけむに巻くご仁あり。「悪いところは頭だけ」と言って自活の進めを語る。食事を買い物から作るまでやっているという80歳男性。負けずに私も、「悪性の病気を抱えているけど、くよくよしても始まらないから、持ち前の能天気で過ごしてます」と語る。皆に拍手してもらった。それがいいのだ、と。実は私には息子の回復を見守る生きがいもある。そうやすやすと病気に身体を乗っ取られたくないんですよ。
2011.02.18
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祐二とキャッチボールをした。途中でおもちゃのバッドを構えてみたら、当たるようにそっとボールを投げてきた。空振りしたら、笑われてしまった。交代してバッドを持たせると、ほとんどあててくる。バッティングセンターにひまさえあれば通っていただけのことあるんだよね。上半身の動かす事には反応するんだなあ。言語のお勉強は混乱してしまうのか、どうもはかばかしくない。カードを使ってのものは、投げてしまったりぐちゃぐちゃにしたり、先生を困らせている。すぐやめてしまう。それでもリズムを取っての手の動きはいいんだよね。むすんでひらいては完璧だったものね。カレンダーの数字と指の本数は10までは一致。その先は手の動きはぐちゃぐちゃ。混乱・・・口をあいて固まった。
2011.02.15
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看護師さん、介護士さんがつなぎパジャマを喜んで使ってくれている。とても調子良いとのことだ。手が動かせるようになった喜びとともに困る事も多くなった。無意識に股間に手を入れ、尿漏れを誘発してしまったり、時におむつを引っ張ってしまって外に投げてしまうのだ。何でも分かっているような顔して、困った大供だ。へらへら笑いながら胃ろうの器具や管を引っ張って流動食を外に流してしまって、服もベッドもべたべたにしてしまうなども。また清拭時やおむつ交換時に邪魔をしたり介護士さん達を叩いたりして困らせてもいた。拘束したくないが、一人でいる時は手をタオルで結びつけていた。もちろんこちらから申し出たからだ。つなぎパジャマを身につけるようになってから、その必要は全然ないし、いたずらもできないという。もう少し早く気づいていればよかった。手の拘束の必要がなくなって、祐二も嬉しいだろう。
2011.02.13
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子どもたちが金婚を祝ってくれた伊豆下田の温泉旅行だった。雪こそ降らなかったものの当地の人たちが悲鳴を上げる寒ーい2日間だった。素敵なビーチの広がる絶景を眼前に見下ろせるホテルなのに、冷たい土砂降りの雨だった。同伴の就学前の孫の為にも思い出は残したいと海中水族館へ。これまた物凄く寒い。海の中に点在する水族館への移動が、吹きさらしの渡り板に全身濡れるほどの雨、寒くて冷たくて震えながらのショー見物。それでも、いるかのショーの座席に暖房が施されていて、ホッ。「この辺りはこんな寒い時もあるんですね」と尋ねたら、女性の職員さん、大きく首を振って「私は初めてこんな寒い日に出会いました」だって。よりによって金婚夫婦に、寒ーいプレゼント。企画した息子夫婦も娘も、さぞ残念な思いなのだろう。寒くても、心は温かい気分ですよ。ありがとうね。強烈な思い出になりましたよ。
2011.02.13
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6時過ぎに降り出した雪は、あっという間に私の車を覆ってしまった。それでも今日は、内視鏡の検査をどうしてもやりにゆかねば、と夫に車を出してもらう。胃酸の逆流が度々あり、夜など、苦い酸に苦しめられている。食べ物によっては、昼間でも吐き気に苦しむ時が多い。そんなことから、内視鏡は是が非でもやらねばと出かけて行った。悪性のリンパ腫が内臓に出てくる事はありうる。脾臓のリンパ腫はとったけれど、胃袋にも出やすいらしい。すでに胃がんのため3分の2はないのだが、残った大事な胃袋まで侵されてなるものか、なんて強がってみる。内視鏡に写された食道と胃袋を医師と一緒にしっかり見届けた。随分赤く荒れていた。私には息子を見守る大切な使命がある。せめて平均寿命までは生かしてくれないかな。こんなこと誰に頼めばいいのだろう。
2011.02.09
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寒い日でした。でも祐ちゃんはご機嫌で、リハビリやってましたとさ。発声をさせようとしても、どうも祐二には高度な要求らしい。アーもい―もう―も、答えになっていない。大きな声が出るのにね。いつかは言葉になるのかしらね。私の病気の方がどうなるのかが見えないので、人権擁護委員を任期前だが、辞退しようと決心した。今すぐというわけにはいかないらしいが。病気の向かい合い、息子の介護が続けてできるようにしていきたい。
2011.02.08
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お父さんと二人で祐二の車椅子に付き添って日曜の暗い外来待合室や院内をめぐり歩いた。休日には車いすに乗る機会がない。リハビリがないと、ベッドに寝た切りになる。ベッドを起こしても車椅子に乗る姿勢とは違う。車椅子に乗る時間が少なくなっている。目が届かないという事で危険を避けるため、リハビリが終えるとすぐベッドに戻されている。かつてはあまり動けなかったことから4時間ほど車椅子に乗っての生活であったが、手をはじめいくぶん身体をずらせるようになった為に、危険な状態になってしまう事から、安全なベッドに戻しているようだ。ベッドで看護師介護士さんの回ってくるまで、体位の移動はないままである。おむつの交換時にのみ身体を動かすのみで、一日が過ぎる事になる。二人部屋での生活は、刺激が少なく看護師の出入りもすくない。つい動かせる手でいたずらもすることになるのだろう。家族が1日ついていられればいいのだが。千葉療護センターでのオープンな大部屋での生活の日々、刺激のある環境の良さが思い起こされた。遷延性意識障害は、刺激ある生活がいかに大切かをしみじみ実感している。幸い息子はつなぎの寝巻をつけてから、股間へのいたずらは避けられている様子である。抑制をせざるを得なかった手も解放されている。今度はどんないたずらを発明するのか、変な期待感もある。
2011.02.06
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最近の言語のリハビリにあまり反応しないように見える。あれほど画期的な進歩していたように思えた事が、活気がない。手の動きにはわずかに反応が見られるのだが。カード学習はめちゃめちゃ。かつて穏やかにニコニコしながら出来ていた事が出来ない。否やらないと言った方がいい。すぐ眼が動かなくなったり、口をあけて固まってしまう。活気があって喜んでやっていた事が出来なくなった。いや拒否的でやらなくなったのだ。せっかく毎日言語のリハビリをしてくれる先生に申し訳ない。かつての目覚ましい進歩が見えてこない。大好きなボール投げも、物凄い形相で投げ返す。まるで不満をぶつけるかのように。へらへら笑ってばかりいてふざけてやらないようにも見えるときもあるし、頭が変になったのかとも見えるし。完全に逆戻りしているようで寂しくなる。1っ歩進んで2歩下がるって歌があったけ。あせるなあせるな。
2011.02.03
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