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風呂に入ったら天井に穴があいていたので仰天した。昼間風はあったが雨が上がったので乾燥をさせる為に細く窓を開けておいたのが原因らしい。窓から入った強風が逃げ場がないために天井を押し上げてしまったらしい。穴の向こうに二階を支える柱がもろに見えていた。風の力を思い知らされた。祐二を見舞った。すこぶる機嫌がいい。言語のリハビリも調子がいい。桃太郎さんのリズムに合わせて、手叩きと布団を交互に叩く動作を一生懸命やっていた。数字を見て手指で表現する動きもばっちり。でも、靴下と人参の絵を見て、靴下はどっち、の問いに、にやにやしながらニンジンを指さしていた。どうなってるの君の頭の中。
2011.05.31
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本当は昨日か今日が孫の運動会だったが、大荒れの天候のため来週に延期になったので、国際交流の会主催の東日本大震災のチャリティーを兼ねたイチゴ狩りに参加する事が出来た。二つの大学の留学生たち、児童福祉施設の子供たち、一般の人そして地域の人達による150人ほどの交流会。今年で12回目とか。昨年は入院中のため参加できなかったが、一昨年には娘と孫の3人で参加した。孫もその時の楽しさを思い出して今年は、パパもママも一緒に行こうと連れだって参加し、たくさんのイチゴを摘む事が出来、孫も大人たちも大満足だった。雨の中のイチゴ狩りではあったが、美味しいおにぎりとパン、キュウリの漬物と新鮮なトマトなどの食事も頂きこれまた満足。イチゴジャムの美味しかったこと。懐かしい歌をみんなで歌い、留学生たちのおぼつかない日本語でのスピーチに微笑み、良い時間が過ごせた。息子の病院の前を通っての場所で開催されたイチゴ狩りだった。病院には腰が痛くてイチゴ狩りが出来ないお父さんが一人でお見舞い。今日は良く笑っていたとのこと。イチゴが食べられればいいのになあ。大好きだったものね。
2011.05.29
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今まで田端の駅に降り立った事はなかった。随筆の会で企画した田端文士村を散歩した。会員さんのご先祖が芥川龍之介の隣に住んでいた芸術家であることを知って、今年の野外研修が田端文士村散歩と言う事になった。これほど著名な人達の集まっていたことを知り驚かされた。記念会館で見た映像から、芥川龍之介の動く映像を見る事も出来た。子どもを追いかけて大きな木に登り木から屋根伝いに二階に入っていく茶目っ気たっぷりの龍之介の姿を見た。また、学生の頃の芥川の顔の何と好男子である事か。住居跡に立って、龍之介の作品の数々を思い浮かべた。明治大正昭和にわたる文士芸術家たちが集結し活動の場とした様子を知った。狭い路地を挟んで多くの文人たち芸術家たちがこの地にいたと思っただけで、感慨深い思いに浸った。
2011.05.27
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歩くにも仕事をするにも足腰がとても痛い。しばし訳が分からなかったが、それが一昨日の草むしりである事に気が付いた。このところお父さんが腰を曲げられない状態になっていたので家庭菜園の除草を頼まれた。それだけでは済まなくて家の庭までついでに草を取ったことが足腰に来ていたようだ。歳をとると疲れの出てくるのが遅い事を実感した。これくらいの事で足に来るなんて笑っちゃうね。これから草と格闘することになりそうだから慣らしておかないと。普段歩く事には慣れている筈だけれど、まだ足りないってことかも。車を乗り過ぎかな。27日は久しぶりで東京までお出かけする。足の痛みが取れていますように。
2011.05.26
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久しぶりに祐二の言語のリハビリを見せてもらった。とっても機嫌が良かったせいか、先生の問いかけに随分ついていけたみたい。学校に行っていた頃は算数数学の苦手だったのに、数字を見るとニコニコして、両手を使って表現している。とは言っても両手で間に合う数字なのだが。カードでも、口で言った数字でも指でちゃんと表現して見せる。今日は特に反応がいいので褒められて嬉しそう。でもねやっぱり短時間に限る。無理強いは禁物だ。目が宙に浮いた感じで大きな口をあんぐりしてしまったら、もうてこでも反応しない。 嫌いだった数字が楽しくて、好きだった言語、書くこと話す事がぜーんぜん出来ない。カードを使ってのものの把握がちゃらんぽらん。おまけに大食らいの祐二が、食べ物に見向きもしないで拒否までする。物静かな性格が喚いたり笑ったり時に兇暴な仕草さえする別人にしてしまう脳の不思議。この状況が脳が壊れるという事なんだ。それでも生きているんだよね。母さんを見てニコニコしてくれるんだから、何かは分かっているんだよね。
2011.05.24
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この家族の会が発足して3年目の総会であった。議長を頼まれてしまった。最長年齢なので仕方ないと引き受けた。まさか、脳外科の医師で国会議員さんである方が講演をする事になっていて臨席されていた。「お忙しい先生をお待たせしては申し訳ないので議事をスピードアップいたしましょうか」と議事進行。非常にスムーズに終える事が出来た。そんなに急がなくてもいいですよ、と笑っておられた。先生はは脳卒中に関する法律を成立させたいと述べておられた。基本理念では、脳卒中の治療の向上、早期の治療、救急病院から次の病院に移っても治療の充実、寝たきりにならない治療の継続など一歩前進した法律を作るという事だ。我が息子のような遷延性意識障害や高次機能障害なども準じて取り扱ってくれるようになって欲しいとの希望を持った。スエ―デンでは、寝たきりの年寄りはいないのだという事には、考えさせられた。自分で食事を取れない高齢者は自ら治療を継続しないお国柄だそうだ。つまり延命がないという事なのだ。国全体が医療費で貧しくなる事につながらないのだ。日本では考えられない。
2011.05.23
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いのちの電話主催のチャリティコンサート。私の車に友人4人が乗り合わせて出かけた。ゴスペルを聞くのは私以外は初めてだったようで、はじめあまり期待していなかったようだが会場ではえらく感動して、良かったよかったと喜んでくれた。表情豊かに全身で歌いあげるあの迫力、歌もすごいが指揮者の動きも凄い。思わず乗せられてリズムを取っている聴衆。私も友人たちも歳を忘れたね。久しぶりに胸のつかえがとれたようだった。
2011.05.21
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祐二が事故に遭うまで入っていた地域のコーラス部から声が掛ったので、顔を出してみた。声が出ない。高音はある程度出るのだが、レ、ミの低い音辺りが上手くいかない。それでも音符を読む、音のとらえ方はまだ健在だった。所見でおおよその音はとらえる事が出来た。やれやれ。歌を忘れたカナリアではないけれど、歌うことから離れていたせいか、お仲間たちのようにはいかない。80をとうに過ぎた方がしっかり歌っておられる。73歳の私、歳だからなんて言っていられない。暫く皆さんにお付き合いしてみよう。歌う事はやはり楽しい。祐二の所に行くとたいていCDをかける。一緒に歌うと祐二の顔は必ず笑っている。あの歌好きの祐二が思う存分歌えたらどんなにうれしい事だろうに。大きな声が出るのに話せない歌えない。どうなっているんだい。DVDで歌番組を映すとかつて自分が聞いた事のある歌手の姿が見えるとしっかり嬉しそうに眺めている。かつてこんな時にはマイク代わりになるものを手にして歌手に成りきって歌っていたものだった。歌も結構うまかったっけ。会社の同僚が彼の歌は低音の魅力だなんて教えてくれたものだった。そう言えば自分専用のマイクを持っていたんだっけね。
2011.05.19
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89歳の会員がとっても元気だった。保護司定年が75歳なのだから、OB全ての人が80歳前後と言う事になる。犯罪を犯した人たちの更生にボランティアで力を尽くした仲間達の苦労は計り知れない。見返りを求めない心意気だけの奉仕活動である。今なりてが不足しているという。私は22年間、在籍し50人ほどの人達と向き合った。少年少女たちが大半であった。先日14歳中学2年生の時から成人するまで関わった少年が、電話をかけてきた。『お母さん死にました」と言う事だった。現在一人で暮らす28歳の青年である。少年院の仮退院に病気もちの母親に付き添って迎えに行った事、ある団体から逃げ出した彼を車にのせて移動した夜の事、病院に連れて行った日の事などなど、長い付き合いの日々が思い出された。今一人になってふと思い出したのであろうか。二度と犯罪に巻き込まれる事がないよう祈る思いでいる。OB会終了後、祐二のもとへ。今日は言語のリハビリのない日、思う存分DVDを見せてやった。オリコンで1位を取った歌手たちの映像である。夢中になって聞いた歌手たちの歌に映像に見入っていた。とっても楽しそうな顔だった。
2011.05.16
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5月晴れの爽やかな好天気の下、210人と言う大行列で、歩け歩け大会が行われた。地域の老人たちの行事。4キロコース6キロコースに分かれて出発。みんな元気で楽しそうだった。私は6キロコースに参加。由緒ある笹塚古墳を経て目的地まで一気に歩いて行った。風が程良く暑さを吹き飛ばしてくれたので、疲れた感じもなく到着出来た。万歩計は1万歩を超えていた。普段から歩くことには慣れているせいか、さほど疲れては感じなかった。目的地茂原環境センターは、福島の原発避難をれた方が、かつて70人ほどが生活をしていたところで、現在は30人ほどになっているとか。ふるさと近くに居を移された方、日光をはじめ日本中に流浪されておられている方がたもおられるとか。1日も早い復興を願わずにはいられない。今日の心地よい風も放射線を散らしているのだろうか。足腰を痛めているので歩かずに車で現地へ向かって昼食や楽しみ会の準備に当たったお父さんは、午後は私に代わって祐二のもとへ、私は読書しながらちょっぴりうたたね。やはり疲れたのかな。訃報、昨年、私と同じころ同じ病院で腹部の手術をし、お互いに頑張ろうと声を掛け合った知人が亡くなったことを知った。ものすごいショックを受けた。我が家の庭にもうすぐ咲きそうなバイカウツギも、花を終え若葉の茂る蝋梅も彼女が持ってきてくれたものだった。このところがんで命を落とす知人の多い事。人ごとではない。私とて昨年悪性リンパ腫と闘ったばかりだ。予断は許さない状況下にある。
2011.05.14
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今日の祐二はご機嫌が良くなかった。お母さんの顔見てニコニコしてくれたのに、突然泣き顔になったと思うと大きな声で泣き出してしまった。まるで幼児のように。大きな口あいて最初は空泣きだけどだんだん涙まで流して。言語のリハビリの時もそうだった。泣きながら質問に手を動かしながらで答えていたけれど。なぜだかわからないけど、泣いている顔見ているだけで、こちらも悲しくなってしまった。ねえ、祐二。今日母さんは独協で血液検査やCTの検査をたくさんしてきたんだよ。今のところ血液に異常はないってさ。でもCTの結果は後で報告されることになっているんだけど、呼び出しがかからない事を祈っているんだよ。今のところ自分では異常を感じてないけどね。あったらたいへんだよ。祐二の所に去年みたいに来られなくなっちゃうものね。何が悲しいかしれないけど、しゃべってくれないかな。お母さんの元気なうちに。お願いだよ祐二。
2011.05.11
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更生保護女性会の人7人で児童施設を訪問した。10時から11時までの1時間、幼児と時間を過ごすという事で訪問。遊戯室に入ってきた子が、おばばちゃんたちの胸に飛び込んできた。これほどまでに人懐っこいとは思わなかった。6人の子が思い思いにそれぞれのおばちゃんたちの膝に腰掛けたり、積み木遊びをしたり、抱っこしておんぶしてとせがむなど、一緒に時を過ごした。 園長さんの話によると、人見知りは親子関係が充実している証、人見知りをせず飛びついてくるのは親子の愛情に問題があるともいえるのだそうだ。この施設の子供たちも虐待が6割だと聞く。初めての見知らぬお祖母ちゃんに飛びついてくる仕草に、愛情に飢えている事なのだと思うと、いじらしさに目がうるんでしまう。子供が少ないのにこうした子が増えているというのは憂国の極みだ。お別れにはまた来てください、とお辞儀をされてしまった。おばば様たちにも喜ばれる時が持てた。でもとっても疲れた1時間だった。
2011.05.10
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あの大地震以来、祐二の病院では、入浴が出来なかった。機械の故障ではなく、あの大地震の最中入浴中だった患者さんの精神状態は大変なものだったらしい。もちろん入浴をさせていた看護師さん達も混乱状態であったろう。病院の周りは地割れが出来るほど強度であった。4階の病棟の揺れも尋常でなかったろうし、その中で入浴中という事は、考えただけでも大混乱が見えてくる。あれから2カ月やっと入浴の再開となった今日、祐二の入浴がかなった。お風呂大好きな祐二の喜ぶ顔が目に見えるようだ。人権擁護委員の総会に出席した。息子の事、己の病気の事を考えて、任期はあと2年近くあるのだが、お役目を返上することを決めた。少しさみしい気もするが。
2011.05.09
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寒いと感じる日だった。祐二はすっぽり布団をかけてもらっていた。暑がりな祐二だが、汗ばんではいない。何となく、熱っぽい。 7度3分微熱と言ったところか。気管切開した所の穴から粘液が出てくる。元気がないわけではないので心配はないだろう。DVDをたっぷり見て見せた。平成と昭和の歌謡史、やっぱり若い頃に聞いた曲には事の他注目して聞いていたし、平成15年までのドラマの主題曲を聞くと胸をたたいて喜んでいた。テレビドラマにくぎづけだったものね。この病院に9年10年入院している患者さんがいる。祐二も2年半が経つ。これからも預かってくれるのだろうか。
2011.05.07
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排便という大仕事も終えて、いよいよ病院に戻る時間が来た。不機嫌と言う程ではないが、熱でもあるかのように静かになった。さよならの時はどうも親の方が気が重い。病院に戻す気分は複雑だ。私がもっと若く病気の心配がなければこのまま家に置いておきたい。本人はどう思っているのだろうか。こちらが思う程何も考えていないかもしれない。何もかも承知かもしれない。また次の外泊まで病院へはこちらが通っていくことになる。私も夫も車が乗れる期間はそうは長くないだろう。突き詰めて考えると不安になる。今だけを考える事にしよう。看護師さんの姿を見てご機嫌な祐二を見て何やらほっとした。若い女性を見ている方がいいよね。
2011.05.05
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病院では日光浴をする事はほとんどない。千葉では良く戸外での散歩をする事ができたが、こちらでは時間的に日光浴を車椅子に乗ってする事はない。午前中も午後もリハビリが準備されているので家のものがいる時間内での日光浴はむずかしい。以前は窓際だったので自然に日光を浴びる事が出来たが、今は廊下側なため光をとりこむこともできない。今日は思う存分お日様の下で過ごした。帽子をかぶせると取ってしまい遠くの方へ投げてしまう。何度取りに行ったことか。『こらー投げるなー』の声にけらけら笑っている祐二だった。千葉から祐二の従兄弟の猛ちゃんととみ子さんが祐二が家に帰ってきているので、はるばる会いに来てくれた。連休の新幹線はさぞ込んだであろうと思ったが、自由席でも座れたという。祐二はニコニコ対応していた。とみ子さんの事分かっても10年ぶりの猛ちゃんはどうかなと思ったが、帰りには握手をしていた。CDを持ってきて祐二にプレゼントしてくれた。事故に遭った当初にも、テープにたくさん歌を録音してプレゼントしてくれたっけ。同い年だから好きな歌や歌手は共通している。同世代からは忘れられた存在になっている祐二にとって嬉しい訪問だったろう。
2011.05.04
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我が家での就寝やいかに、と心配したが、9時には就寝。途中の経管食にも目を覚ますことなくぐっすりお休みだった。世話を焼かすことはなかった。おかげでこちらもぐっすり。随分回復したなあという実感がある。家族がそばにいる事で気持ちが安定するのだろう。親がこれほどの年齢でなければ、ずっとそばに置いてやりたい。昨年のように私が入院した時の事を思うと、それもまた大変なことだ。私がこの先の再発は絶対にないという保障がされるならすぐにでも退院させてそばに置いてやりたいと思う。朝はやや早めに目覚めて、声を出していた。「ここにいるよ」と顔を出すとニコニコ顔で安心したようにまた眠ってしまった様子。
2011.05.03
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恒例のなっている連休の外泊のため、祐二が病院から帰ってきた。どこまで我が家を認識しているかは?だが、すこぶるご機嫌な笑顔に、家族もホッ。孫の『お帰んなさい』の声には最高の笑顔で答える祐二。つながっている感じ。ついこの間まで怖がっていて近寄らなかった孫も、祐二おじさんお帰りなさいの声かけを躊躇うことなく口にした。孫も成長したんだなと実感。祐二も身体全体で嬉しさを表現している。共に成長したんだ。この4日間、祐二の事だけに心を配る事にしよう。
2011.05.02
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