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熱が下がりきらない。インフルエンザでもないし、レントゲンでも肺炎の兆候は見えないとか。この熱は何なのだろう。原因不明。単なる風邪なら良いのだが。外泊は無理かもしれない。無理しない方がいいとの結論。本人は楽しみにしていただろうか。看護師さんは、いつも家に帰る話をすると、すごく喜んでいたと言っていたが。もしそれが本人の意思だったら、なんだかかわいそう。ずっと一緒に紅白を家で見ていたのに。家族に囲まれて結構楽しそうにしていたのに。残念だね。今回は我慢してね。隣のベッドNさんが別の部屋に行っちゃって、一人になってしまったので、看護師さん達の出入りも少なくなってしまうこともあるし、年末年始は看護師さん達も少ないから、声をかけてくれる人も少ないし。リハビリもないしねえ。今年はさびしいお正月だね。せいぜいお父さんお母さんがそちらに出かけていくから我慢してよね。紅白のDVDを作って行くから、一緒に見ようね。早く熱が下がるといいね。
2011.12.28
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今日は孫が家にくるので、祐二のところにはお父さんが様子を見に行く。電話で、インフルエンザの兆候はないという。じゃあ何の熱なんだろう。風にしては高熱すぎる。これからレントゲン検査をするところだという。この日担当の理事長先生が診察日なので、あらためて診察をしてくれたという。熱は夕方になってまた上がり始めたという。明日はNASVAの来訪予定であったが、事情を話して別の日にしていただいた。30日の外泊はどうなるだろうか。無理は出来ない。
2011.12.27
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風呂に入ると順番待ちの祐二、なんだか反応なし。お風呂大好きな筈なのに、「お風呂に入れていいね」の声かけににこりともしない祐二だった。風呂から帰ってきた祐二の顔にはいつもの笑顔がなかった。 まもなくうつらうつらし始めた。帰る時間でもあったが、何やら顔が赤いし、そのうえ、口がわなわな震えている感じなため、額に手をやると、熱い。体温計をあてるとあっという間に39度にまで上がった。急いでナース室へ報告。 医師が診察し、検温する。あっという間に39,6度。点滴をすることになった。祐二の血管はいつも見つけるのに苦労する。採血は担当医師が股間の太い血管から採血をしている。看護師が大勢来て、血管を探しているようだった。大騒ぎしながら、いい塩梅の血管が見つかったようだ。ひとまず様子を見ることに。明朝インフルエンザの検査をするという。こんな高い体温をここ何年か経験していない。担当看護師さんが、何が起きたのかと緊張していた。「お風呂に入れなければ良かったと」と繰り返していた。今日の夜勤は担当の介護士さんなので、お願いして、家に帰った。家に帰っても落ち着かない。辛くとも苦しくとも伝える言葉のない祐二。どうしているやら、こちらもまんじりともできなかった。
2011.12.26
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お父さんと20回もボール投げをして楽しんだという。このところ、言語の先生とのリハビリが暗礁に乗っていた。反応をしない日が続いていた。見ていても申し訳ないと思うくらい拒否していた。何がそうさせるのか分からないが、あの生き生きした活気は見られない日々だった。大好きなボール投げも4,5回でやめてしまっていた。しかも凄い形相でいつもの穏やかな楽しげな投げ方ではなかった。言語聴覚士も嫌な気持ちになっていたのではと心配だ。お父さんとの交流ではそんなこともなかったと言うので、これを機会に元のリハビリの様子に戻ってくれればいいのだが。後退なのか、心の変化なのか。
2011.12.21
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日曜日はリハビリがない。昨日もなかったので車椅子に2日乗っていない。看護師さんや介護士さんも少ないから、声をかけてもらえないのかもしれない。お隣の人は病状が重度なので覗きに来る回数も多いが、祐二担当の見周りはなく声かけもないしベッドに寝た切りなので退屈なのだろう。顔をそっと祖族と満面の笑顔で大はしゃぎの様子。幼子が母親の顔を見たときの感じだ。息子不惑の40歳なのだがねえ。でも母としてはこの笑顔が堪らなくいとおしい。思わず頬っぺたを両手でさすって挨拶をする。手が早い。あっという間に手首を掴まれて嫌という程爪を立てられてしまう。祐二式愛情表現なのだ。看護師さんや介護士さんは祐二の担当になるたびにこの洗礼を受けているらしい。申しわけない。大きな手だが、男なのに実に白くしなやかな手をしている。力も結構強い。祐二式コミュニケーションには、いろいろあった。自分の胸を思い切りたたくことから、腕をベッドに叩きつけるなどの自傷行為。今は拍手をするのがブーム。嬉しいこと楽しいことを拍手で伝えているようだ。タイミングの合う時も、あれっと思う時もあるが、実に大きな音を立てて手ばたきができる。
2011.12.18
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今年も病院のクリスマスコンサートが行われた。いつもの院長さん先生とチェロのコンクールで優勝した宮田大さんの父上と栃響のピアノ担当の先生の3人によるコンサートだった。院長先生はいつもはピアノ担当だが今日はチェロにて参加。多才な院長さんだ。ちょっと高度かなあ。でもこうした音楽に触れさせてくれる病院はなかなかないのでは。ありがたいことだ。祐二の反応は、盛んに拍手をしていたのだが、タイミングがいまいち。
2011.12.16
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今年だ17年になるという他地区との交流コーラス会に10ねんぶりで参加した。会場のディスプレイ、しおりなどを担当し、娘に手伝ってもらって大好評であった。年寄りではとても考え付かない斬新な会場作り、かつてのプロの作るしおりはやはり違っていた。拍手喝采をもらってしまった。本当はほとんど娘がやったことだったのだが。おもてなしは、茶道部のお点前、余興にフォークダンスやフラダンスが加わり、楽しいひとときが過ごせた。
2011.12.15
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交通遺児や交通事故の被害者による作品が展示されていた。被害者の作品には絵画、写真、習字などがあったが、どれも逸品ぞろいであった。今回は出品者である本人が参加していて、私たちの語りかけにしっかり答えてくれた。30年、20年10年と介護にあたられたご家族の日々を思う時、大きな力が頂けた。いつか我が息子も、という希望がもてる。午後の話し合いからも苦労がしのばれるものの、家族の明るさが何とも言えない清々しい雰囲気である。こうした同じ境遇を持つ家族の集まりでは、感動もあり、勇気をもらえる。どの家族も苦痛を乗り超え、責め心も捨て去った人生を達観した何かがある。この境地に至るまでの心の葛藤はいかばかりか。当事者にしかわかるまい。
2011.12.13
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遷延性意識障害の家族の会が福祉プラザにて開催された。障害者支援の法律の情報が知らされた。何やら難しいが、障害者への支援に目が向けられたことは、障害者になってしまった息子の為にも良かったという思いがある。ただ、遷延性意識障害という項目が挙げられていないことにはもやもやしたものがあるのだが。それでも前進ということには違いない。障害には多々ある。身体障害、脳障害、知的障害、精神障害、それも先天性なもの後天性なものなどさまざま。息子は後天性の身体障害であり、脳障害であり、知的障害であり、更には精神障害者でもある。これが人為的なことから起こってしまったのだ。今は私たち両親が老齢に鞭打って介護にあたっているが、親亡きあとがやはり心配な事だ。どんな形で介護されるのだろう。出来ることなら一緒に生涯を終える、なんてこと考えてはいけないのかな。いまにも語りかけてくれるような息子の笑顔を見ていると、そんな思いは一瞬にして消えてしまう。一日でも長く笑顔が見られるよう、母さんは死ぬわけにはいかない気分。
2011.12.11
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昨日の耳鼻科に続いて今日は独協の検査日。耳鼻科の方は前回同様ねばねばの耳垢による、耳がふさがったことによる音の遮蔽。以前はこんなことはなかったのだが、これも歳のせいなのか。難聴ではないとのこと。2,3カ月ごとに耳のお掃除に通うように言われた。そして今日はリンパの異常を探すCT検査。見逃しがないように放射線科でよく見て診断されるとのこと。このところ肋骨の骨折があったせいか、わきから背中にかけて痛みが走る。『膵臓の異常はありませんか』の問いに、映像を見る限りないと思うとのこと。その言葉を信じよう。夜にはあのテレビでお馴染みのマルチタレントの音楽家、青島広志のおしゃべりコンサートに家族と孫ちゃんとで参加鑑賞。
2011.12.09
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今日はピアノの発表会の日だった。一番小さいので挨拶を担当した孫ちゃん、度忘れしてしばし無言、ハラハラしたのは、本人より周りの人。何とか思い出して一件落着。よかった、よかった。トップを切って演奏した連弾は、ねえねこと、パパのおねえさんである我が娘と。本当は、パパが先生のご指名だった《パパも先生の愛弟子だった)のだが、20年のブランクはいかんともしがたかったようで、ママに頼んでも練習時間がなくて結局叔母さんとの連弾となった次第。いいかんじにできた。独奏はツエルニーのソナチネ ハ長調 作品163 結構長い曲だった。楽譜5枚を持ってきた時は無理だと思ったが、何とか形にした孫ちゃん、えらい。これもねえねのおかげ。パパママにはとても見てあげられなかっただろう。家に帰って孫と娘のごくろうさんの晩さん会。パパママが大奮発してくれた。ばあばじいじもご相伴にあずかって満足でした。
2011.12.04
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そっと祐二のベッドを覗き込む。一瞬きょとん。そして満面の笑顔を見せてくれる。この顔を見たくて一生懸命会いに来るんだよね。少々加減が悪くても。この頃布団をほうりあげなくなったね。寒いと布団の中に手を入れるようになったね。これも進歩といえるかな。進歩したことはあるけれど、最近言語のお勉強はちょっぴりスランプ気味だな。飽きたのかな。それともふざけているのかな。えへらえへらと笑っていて反応しない。一生懸命お相手して下さる先生に失礼でしょう。ご機嫌に反応する祐二をみるとみんなうれしくなるのになー。2010年の音楽祭のDVDをかけたらやたらに拍手していたけど、本当に楽しかったのかな。ご機嫌だったねー。
2011.12.03
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法務局から任期満了しましたのでつきましては、という連絡が入った。人権擁護委員という仕事を委嘱されて11年、病気療養のために辞任願を出しておいたので、本来の任期を1年早めてもらった。任期中、協議会としての初代の事務局長という仕事をまかされ、委員さんの総意を元に、暗中模索状態から何とか現在の形になってほっとした矢先、病気発症。天の助けか素晴らしいリーダーに出会い、バトンタッチができ更に進化した今がある。曲がりなりにも事務局という形を残せたというささやかな充足感は残った。小学生の人権感覚を高めたいと子どもたちの前に立った日々は、子供たちの顔と共に忘れられない思い出になった。無理難題の相談ごとに難渋したとき。法律を知らない事に自分を責めた日々。自分を高めてくれることばかりだった。良き仲間にも出会った。人権侵犯に向かいあった日もあったっけ。一人でも、相談して良かった、私の話が役に立ったという事があったなら、という思いが頭をかすめる。が、ありがとうの11年間であったと思っている。
2011.12.01
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