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8時30分から炊き出し準備。9時開始。今日のメニューは、梅干し入りおにぎりと野菜たっぷりのお味噌汁、それと漬物。おおがまでのご飯炊きだが、米と水の分量を知らない人がほとんど。小家族のご飯炊きで炊飯器に頼っているからだろう。いくら大釜とはいえ、米の分量が多すぎたり水加減が少なすぎる。見かねてついおせっかいをして、大がまの分量を設定した。60キロのコメを二つの大釜で炊いた。出来上がり上々、内心ほっとした。よかった。おにぎり作りはさすがに主婦の手並みも手際もよし。あっという間に200個ほどのおにぎり完成。11時には味噌汁とおにぎりを会場に届ける事が出来た。祐二の病院にも被災地からの患者さんがきているとか。看護師さん達介護人がが同じなのに患者さんを受け入れたので、心配の少ない息子の所には手が回らないらしく、お父さんが部屋にいる2時間の間に顔を見せ他看護師さんはなかったという。手が足らないらしい。幸い同室の患者さんには痰吸引があるので、看護師さんの出入りがある。自分の方に気を引こうとして時々声を出しているようだ。
2011.03.25
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今日は福島原発地域の方の避難先に昼食を届けた。朝から8時半から学習センターの調理室で準備したかけ汁と蕎麦を茹でて、キャベツのお浸しを作って届けた。74,5名と聞いていたが、自宅まで様子を見に帰った家族もいて70名を割っていた。名前を書いた発泡スチロールの容器をもって並ぶ人たちを見て、切なくなった。福島ナンバーの車があった。車で来ている人もいるようだ。先の見えない暮らしに不安は大きいだろうが、心の休まる時を少しでも見つけてほしいものだ。明日も炊き出しを担当する。明日はおにぎりとあたたかい野菜たっぷりの味噌汁を用意する。
2011.03.24
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父母の眠るお墓参りに出かけた。そこここの墓所の燈篭が投げ出されていた。我が家の墓石は向かって右方向にねじれていた。すごい力が働いたことが証明されていた。今日、9日ぶりに 救出された80歳のおばあさんと16歳の孫の驚くべきニュース。鬱積したものを取り払ってくれるようなニュースだった。よく生きてくれました。ありがとう。わが町に被災者がこられた。24,25日に炊き出しを担当する。しっかり生きる力を付けていただけるような心の通った対応をせねば。ほうれん草に出荷制限がでた。毎日なくてはならないほうれん草。我が家の家庭菜園のほうれん草を昨日食したばかりだ。甘くておいしいできなのに。信じられない。でもよく洗って食べちゃおう。ほうれん草は野菜の顔なのに、と切なそうな顔をしていっていた農家の人の言葉が耳に残った。祐二の病院では、看護師さん達の中には、ガソリンが変えなくて通いきれない人が泊りこんでいると聞く。クリーニングの会社も、来る回数が減るらしい。病院への往復に道がふさがるほどの渋滞があった。渋滞の先は、ガソリンスタンドだった。長男はガソリンが買えなかったら、会社を休まなくてはならないと言っていた。
2011.03.21
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昨日の18時30分からの計画停電、そして今日の15時30分からの3時間の停電。これほど長時間の電気のない暮らしにはさすがに戸惑った。しかも夕食時間前後であり暗い寒い状況の中でこと。今さらながら、電気のありがたさを実感。それにしてもこの状況を東北の地震津波被災地の人々は多くのものを失った上に、更なるないないづくしの体験を強いられている。心が痛む。かつて昔、疎開先の祖母の家では電気が通っていなかった。ランプでの暮らしだった。ランプのほや磨きを良くしたものだ。幼い日の暮らしからこれほどまでに変化した今の暮らし。電気の多用、原子力による発電、そして事故への不安。暮らしの進歩が、暮らしを脅かす事につながっている事に、考えさせられた。
2011.03.17
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全くこの世の地獄を味わった人、生きる事のかなわなかった人、悲惨な目も当てられない状況に身を置く人々。それらを目の当たりにして、停電もガソリンの事も、大きな声で不平を言っては申し訳ないような気になる。戦中戦後をたえてきた私、もう一度不自由な日々を、振り返って過ごす事にしよう。あまりに平穏無事であった日々が、危機管理能力を失わせているのかも。ろうそくを、電池を、パンを、カップめんを買いあさる人達、なにやらむなしい。ふと気がついたら私自身も、懐中電灯の電池がさびているのを思い出した。
2011.03.14
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「らいめい家族の会』に出かけた。少しでも早くと近道をしたのだが。会場近くになってあと7,8分というところまできて、渋滞で動かなくなった。4メートルぐらい動くと、4,5分動かない。対向車はどんどん走っている。35分間、渋滞の列に連なっていた。会には間に合わない。列の先頭が見えた時、初めて渋滞の原因が分かった。給油のためのものだった。追い越し禁止道路で給油の列に紛れ込んだ不覚、持っていき用のないいらだちを押さえるのに困った。考えてみたら、この間、エンジンも止めずにいたずらにダラダラと待っていたのだ。何としてもガソリンを入れたい人たちの中で、35分もガソリンを無駄にしていた危機感のない自分にも腹が経った。給油所がみえたのだが、まだまだかかるとみて、大きく迂回して目的地に着いた。ほっとしたとたん、あそこまで待ったのなら、ガソリンを入れてくるんだった。なんとも、要領の悪いことであった。ガソリンがなくなったら、息子の所にも行けないのだ。メーターをのぞき、不安になった。息子の所への移動手段は往復100分の自家用車だけ。ガソリンがなくては息子に会えない。
2011.03.14
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こんな揺れる状態は生まれて初めて。我が家では絶対こんな経験はないとたかをくくっていた。ニュースで見ても、気の毒に、可哀相に、恐ろしいね、全て人ごとに考えていた。自分で体験するなんて夢にも思わなかった。関東大震災の時より大きいという。家族知り合いの安否も知るすべがない。非常事態だ。本も額縁もガラスの破片も散乱し、手のつけように困った。あの大揺れの時の自分の無能さを思い出すと、危機感のなかった自分が恥ずかしい。それにしても同じ恐怖を味わったにしても,津波に合わないで済む環境にあったことをありがたいと思う。電気が通じないことから、食事を作れず、買い出しに行けば、スーパーもコンビニもあいていないらしい。品物が散乱していて片付けに追われているのだろう。見知らぬ人が近所のお店に、調理しないで食せるものをと、たくさん訪れていた。パンは早朝に完売だとか。パン屋さんも電気切断や工場の破壊などで製造できないとか。我が家の電気も水も健在な事にしみじみ感謝。息子は一人病院のベッドの上で、どんな思いであの瞬間を受け止めたのだろうか。様子を聞きたくとも電話の通じないもどかしさ。今日は早速様子を見に行かねば。
2011.03.12
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コ・デ・ランネ、って面白い言葉でしょ。元々方言からきた言葉で、堪らなくいい塩梅、といったところかしらね。焼却場の熱を利用した施設で、健康づくり、生きがいづくりの場を提供し、市民福祉の向上を目的に作られた巨大施設だ。風呂場を改造中の為、家族みんなで出かけて行った。孫も大喜び。大きな風呂はあったまるなー。ところで今日の祐ちゃん、お父さんの報告のよると、リハビリの調子が良かったらしい。とは言っても、調子が良かったのは初めだけ。ニコニコしている時は、やはり脳もはっきりしている。口をあいてしまうともう駄目。それにしても、学校時代に苦手だった数字には興味を示し、得意だった漢字や言葉のカードには、どうも関心が薄いようだ。固まって口をあいてしまったり、眼振さえ起きてくる。穏やかな息子が兇暴になる瞬間も、かつての息子とは程遠い別人となってしまう。脳の破壊とはこうゆうことなのかなあ。
2011.03.08
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6年しかたっていない風呂場を改造するのに私は、抵抗がないわけではない。タイルもぴかぴかだし、大きな風呂も、ポップアップ式の手すり付き、しかも大きい。贅沢な空間である。もともとこれは祐二の体格に合わせて、しかも部屋から風呂場まで天井にレールを通して、寝たまま運び湯船に入れるように特別にあつらえたもの。出来あえのものではなく手作りされた部分が多く、祐二が使う事のなくなった今、設計に無駄と不自由が多い。この風呂に祐二は6回ぐらいしかはいっていない。家族だけではとても介助できなくて、病院に世話になっているので目的を果たせないだけでなく年寄りには不自由な事が多い。コンパクトで温かい風呂場が欲しい家族の決断である。もったいないけど、老い先短いものに入浴の幸せをと願っての事。
2011.03.07
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食いしん坊だった祐二には、何としても食べる喜びを思い出してほしい。8年経っても、口はしゃべることも、食べることもそのどちらの役目も果たしていない。何とか食べたいという気になって欲しい、と、ことあるごとに口に入れようとしてみるが、すべて拒否。今日は、ホワイトチョコレートを少々口に押し込んでみた。「甘くておいしいでしょ」というとうんと頷きながらも、やにわに指を口に入れて、チョコの欠片をつまみだして投げた。あれほど好きだったチョコレートでさえ、NOなのだ。一体、君の脳はどこが壊れているんだい。食べる事は最高の楽しみなのに。どうすればいいの。母さんは諦めないよ。君が美味しそうに食べる顔を見るまで。
2011.03.06
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息子の動きを託していた車椅子が役目を果たさなくなったと伝えられた。寝たきりだと言われた息子が、移動できるようになった6年前、寝たままに、あるいは頭をあげられるようにと特別に作られた背もたれの長いスライド式の車椅子。背が高い息子にあわせ、移動介護するのが小さい私であることから、私に合わせた車輪の小さい軽いものになっていた。いわゆる特注だった。首がしっかりしてきたし、背もたれを少し改良したものになるのかも。毎日使うもの使いやすいものに設計してほしいと願っている。
2011.03.05
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今日はひな祭り、6歳の孫の為にちらし寿司で祝う。箪笥から引っ張り出した、私の娘が10歳のころ身に付けたアンサンブルの着もの。丈は少々長いが、ゆきはぴったり。40年経っているとは思えない可愛らしいピンクの格子縞。うれしいひなまつりのCDをききながら、娘もお父さんも、感慨ひとしお。この着物を仕立ててくれたのは私の母。元気なら110歳になっている。母の供養にもなったひと時が過ごせた。3歳の時のお祝いには、せっかくの着物を着せるのが、とても大騒ぎだったのに、成長したんだね。孫の喜びようは予想以上。ポーズを取って写真におさまっていた。
2011.03.03
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