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お仲間と昼食会をした。何とグランドホテルにて。我らの懐から考えると少し値が張ったけれど、こんな場所での食事を持つのも、たまにはいいかな。帰りには、新しく出来た図書館を見学。こんなところで学生時代を過ごしたかったな。図書館もなかなかいいが、お隣に建てられたこの9月開校の工業高校もなかなか立派。素敵な建物だ。駅から3分のこの学校、駅も若い人波で朝夕さぞかし賑やかな事だろう。この学校はかつて私が通った女子高校のすぐ近くにあった歴史のある高校だ。かつて男子校であったが現在は、男女共学。この度ロボットコンテストの日本代表で世界大会に出場するらしい。やるじゃない。図書館の庭を歩いていたら、見知らぬ男子学生に挨拶された。感じいい。
2011.09.29
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これほど美味しい魚料理に出会ったことはない。海のない栃木でもこんな美味しい魚が食べられるなんて、と県外からの人が絶賛。豪勢な厚切りの刺身から箸を付けて、金目ダイの煮つけぶりの照り焼き、これがまた大きい。オコゼの唐揚げもダイナミックでまたいい味である。加えてゆばの刺身、これでもう十分。満腹もいい所。もうごちそう様かと思ったら、これまた見事なねたのお寿司が登場。胃袋のない私には,目は泣きたいほど食べたいのにはいらない。美味しい美味しいとほおばる周りをただ眺めるだけ。あまりに早くあっけなく病死をされてしまった、私よりお若いお嫁さんのご両親をしのぶ法事での事でした。
2011.09.24
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童謡カラオケを見せると、凄くご機嫌である。昔歌ったことのあるメロディーがよいのか動画が面白いのか分からないが、とにかく手を叩いて満面の笑顔である。殆ど知らない歌はないくらいの懐かしいメロディーばかり。誰もが一度は口ずさんだ歌ばかりである。ところが、若い看護師さん介護士さんが、あまり知らないと言うので驚いた。祐二たちの年代、現在40歳の子どもの頃は童謡を聞くチャンスがあったが、今の若者たちにはあまりなじみはないらしい。これらもお年寄りの歌になってしまうのだろうか。先日敬老会の時、みんなで歌おうという時間をもらって、みんなで懐かしい童謡唱歌を歌った。富士の山やみかんの花咲く丘、牧場の朝など、どの歌もマイクを向けると大きな声で歌ってくれた。今の歌にはついていけなくとも、懐かしい童謡には声を張り上げてくれた老人達(私も老人の仲間だが》、とても楽しそうであった。とすると祐二もご老人のお仲間か?いや祐二はもっぱらJポップだよね。祐二の保存しているCDは2000曲余、凄い量のCDが枕元に置かれている。良く集めたものだ。 購入金額を計算すると・・・・・・。いやはや凄い。
2011.09.23
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休日の一日、祐ちゃんに付き合った。休みの日にはリハビリがないので、祐二には退屈な一日だ。しばしとりとめない話を聞かせた。運動会シーズンなので、運動会のエピソードを話して聞かせた。ガニ股走りながら結構かけ足が速かったこと。これはバスケットでならしていたおかげだろう。でもどんなに頑張っても中くらいの成績だったよね。びりにならなかった祐二、人を押しのけてもという気持ちはさらさらなかったっけ。その点はお兄ちゃんも一緒だった。ただおねーちゃんは違っていたっけ。何時でも一等賞以外はなかった凄いおねーちゃんに祐ちゃんもお兄ちゃんも逆らえなかったもんね。ところでスーパートーカーの使い方を間違う人が居るようだ。せっかく録音した中身が消えている事が度々ある。千葉のおばさん達の言葉など消されてしまったら面倒になる。操作を間違えないでくださーい。帰り際またねと言ったら突然泣き出してしまった祐二。そんなに泣かないでよ。こっちも辛いよ。
2011.09.19
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いつもの言語のお勉強、今日はNPO法人の方の参観があった。意識してかそうでないかは分からないが、なんだかとっても調子のいい祐二君。恰好つけちゃったのかな。先生の指示にさっさと従っている。澄ました顔して数字を指で表現していた。あまりの反応の速さに参観者が「これほどとは思わなかった」と驚いていた。調子がいいとは言っても繰り返すことはどうも苦手。知らん顔してしまう。お勉強は昔から好きじゃなかったものね。仕方ないかな。それにしても、遷延性意識障害の域を脱したと言えるのかも。この回復は絶対リハビリ効果だと思う。自宅での介護の時には想像もしなかった変化だ。理学療法、作業療法、言語聴覚療法、のリハビリを毎日行ってくれている。それに看護師さんや介護士さんの声かけも大きな力だと思う。感謝いっぱい。プラスわが家族のあつい思いも大きな力になっていると思いたい。
2011.09.15
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ST(言語聴覚士)の指示に従うのを目にした。このところなかなかST指示に従わず、がっかりさせられていたが、今日は、鏡を見て口をあける訓練を見学した。何と、口をあけての指示にちゃんと応えて大きな口をあけていた。「べえして」とベロを出す指示には、短いながら舌を伸ばすのが見られた。「やるじゃないの、祐ちゃん」と拍手をしたら自分も拍手して笑っていた。「長ーく出して」というと、指で下を掴もうとしていた。ひっぱりだそうとでもしているのだろうか。思わず笑ってしまったら、やめてしまったけれど。STの方の話によると、先日はイーの形に口をあけるよう指示したら、両方の指を口に引っ掛けて横に口を引っ張る仕草をしたそうだ。その様子を想像してまたまた笑ってしまった。分かると思えばちっとも指示に従わなくなったり、固まって顔も目も動かさなくなる。こんな時いつも思う。どうなってるの祐二の頭の中は、って。のぞけるものならのぞきたいよ。
2011.09.07
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弟が収録してくれた童謡カラオケがお気に入りの祐二、DVDをかけるたびに手を大仰に叩いて喜んでいる。Jポップ派の祐二がこれほど関心を持つとは思わなかった。目に入ってくる動画が面白いからかもしれない。カラオケだから、文字にも興味を持ってくれるといいと思って文字入りの画面を作ってもらったのだが、この思惑はどうなのか分からない。昔私の母の背中で聞いた歌が懐かしいのか、動く画面が楽しいのか、息子は母の背中で成長し、小さな母のお尻の方まで足がぶら下がって、母と同じほどの大きな顔しておんぶしてもらっていたんだっけ。来月には母の37年目の命日がくる。
2011.09.06
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申し訳ないほど、我が家周辺は災害が少ない。昔はもっと台風の直撃を受けたような気がする。屋根が飛ぶのではないかと思った時もあった。記憶に残っているのが、キティ台風。戦後余り経っていない昭和24年だった。私は小学校6年生、明日から2学期が始まるという日だった。今ほど家もしっかりできていなかったこともあったが、雨戸が吹き飛ばされて、そのままでは硝子戸も飛ばされ天井を持っていかれる恐れがあった。当時父も兄たち二人もいてその男どもがしり込みするほどの暴風雨であった。そこで敢然として吹き荒れる戸外に雨戸を追いかけて飛びだしていったのが小さな身体の母だった。男どもが母を追いかけて、どこまで雨戸を探しに行ったのか、随分戻ってこなかったっけ。母は娘の頃には、小さいけれど米俵を担いだ女丈夫だったという祖母の話は本当だったらしい。家に残って、畳をめくって硝子戸を必死に抑えていた私も豪傑だったかも。それにしてもあっちもこっちも災害の報道だらけ、アメリカもひどいらしいし。どうなってるのこの星は。
2011.09.04
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