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「ノウゼンかつらは木を枯らすというから大丈夫か」存命中に、夫が言った言葉が思いだされる。私は「こんな大きな木だし、ノウゼンかつらは小さいし」と、特に気にもしていなかった。「おばあちゃんの大切にしていた古木の梅の木が急激に衰えてしまったのは,こいつらのせいなんだって」いつのことだったか、確かそんなことを話していた弟の言葉まで思い出されてきて。戦後大切な食材を提供してくれていた梅の古木をダメにしたノウゼンかつらを、毛嫌いして根こそぎ引っこ抜いていた母の姿まで思い出された。ぬいても翌年にはどこかに芽吹いてくるしたたかさ。この時ノウゼンかつらの恐ろしいほどにどん欲な生命力を知った。胴回り七〇センチ以上樹高4メートルはあったユーカリが、見る見るうちに、いつの間にかノウゼンかつらに命を吸い取られて。一年中青々として、人をほっとさせていた樹、あの愛らしいコアラの常食だといわれている樹、生け花の添え木としても愛用されていたユーカリの活力を吸い取ってしまったノウゼンかつら。花はきれいなのに吸血鬼だったのね。
2021.09.18
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家から少し離れた場所にあるノウゼンかつらに、まるで実がなっているかのように数えるのが大変なほど、蝉の抜け殻がぶら下がっている。今までこんな風景には出会ったことがない。 蝉の幼虫の生存は5、6年以上といわれているから、当時親ゼミはユーカリの木に産卵しているわけだ。ユーカリが大木になりそうな気配だったので、たまたま支えが必要だったノウゼンかつらを移植したのだった。この時ノウゼンかつらの恐ろしいほどにどん欲な生命力を知ったのだ。直径20センチ以上樹高4メートルはあったのが 見る見るうちに命をいつの間にかノウゼンかつらが吸い取っていったのだった。 今年の大風の日に、ユーカリはノウゼンかつらをまとったまま倒れてしまったのだった。 つづきはまた。
2021.09.11
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パラリンピックの東京大会が開催されている。しかも日本全土を飲み込まんばかりのコロナ渦中にて。これほどのハンデがあるのにと、いまさらのように目を見張り、またその選手たちのひたむきさに胸を熱くして、連日テレビ観戦している。初日に両手上肢欠損の女の子が背泳でメダルを取った。屈託のないかわいい十四歳。神業としか思えない。 かつて県立若草養護学校に勤務していた友人が、定年後招待された運動会にぜひ一緒にと誘われた。障害者と同じ視点に立って、学び合い喜び合い励まし合い、さらにふれあいの輪を広げていくことを願っています、との案内文に惹かれて参加した。 そこで、たった一メートルの徒競走に全力を傾ける子を見た。しかも歩行器具に支えられて。床を蹴ることができるのは数回に一度。空しく宙をける萎えた足、思わず息を止めて見ていた。テープを切ったのは歩行器具であった。 それでも定まらない頭を必死に上げたその顔が誇らしげに笑っている。 自力では移動できないため教師に抱き抱えられ足を押し出してもらって必死に足を動かす子。ベッドに横になったままの子と寄り添う母も目に映っている。 肩の力が抜けほっとしたとたん、私の目がぼやけた。悲壮な気持ちで臨んだ私の気持ちを救ってくれたのが、車椅子を自在に操る子の明るさとサポート役の中学生達の目の優しさとその親たちの意外な明るさであった。 その二年後、私の息子が重度の脳障害者となることをだれが想像したであろうか。テレビ観戦していた一瞬、パラリンピックの選手たちが生き生きと挑戦する姿に私がジェラシーを感じているのに気がついた。己の心の狭さを恥じた。息子の壊れてしまった脳の修復に進展はない。打ち込めることに出逢える可能性はない。食べることも出来ない。要求したり否定したりする言葉もない。自力で立つことも歩くこともできない。ないない尽くしだ。学童バスケットで全国大会に参加し社会人草野球でキャッチャーにかりだされ青春を楽しんでいた息子だった。息子に、私たちまわりの者は、夢を持たせることができないまま二十年が過ぎた。それでも息子はよく笑顔を見せてくれる。 そんな時ベテランの看護師の言ってくれた言葉が心を和ませる。「祐ちゃんの笑顔は、金メダル級ですよ」
2021.09.04
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