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君は限界というものを経験したことがあるだろうか。 一つ課題を与えれば「ムリ」と言い、 深く考えようともせず、「解らない」と言う。 解らない。 ならば、解るようになれよ。 どうすれば解けるか、命がけで向き合ってみろよ。 問題というものは、知識を問うものだけではない。 「知っている」、「知らない」で決まるものだけではないのだ。 身に付けた知識を駆使し、 解答欄を言葉で埋めていかなくてはならない。 そんな、学びの懐や技能を突いてくる深い問題が、 必ず君の前にあるものなのだ。 逃げていてはいつまで経っても埋められない。 気付くタイミングを、君の頭脳が待っている。 「だって、何言ってるか解んないし、ムリっしょ」 短文記述問題になると、空欄にして飛ばすのが当たり前の君。 君はその問いを、何回読み返したのか。 キーワードに線を引いたのか。 問いをどれだけ反芻し、どこまで苦悶したのか。 ちくしょうという感情を、どれだけ設問にぶつけたのか。 出来ないという言葉。 やるべきことをやってから口にしろよ。 一回ザーッと眺め、波長が合わなければ、 面倒くさいと勝手にラインを引き、 随分とご立派になったもんだな。 テニスでコーチにオーバーハンドのサーブを打ってみろと言われ、 君は「ムリ」と言うのか。 書道教室で一枚書いてみろと言われ、 君は「ムリ」と言うのか。 料理を習いに行き、包丁で切ってみろと言われ、 君は「ムリ」と言うのか。 今君が打ち込んでいるものは何なのか。 何故ここまで足を運び、ペンを構えているのか。 甘く見てはいけない。 自分が引いているラインのその先に、 どこまで踏み込んでいけるかが、成長を約束していくものなのだ。 解らなければ、何度も見ろよ。 ぐちゃぐちゃになるくらい、書き込めよ。 破れたっていい。 プリントは何枚でもある。 解けなくて悔しくて、涙が溢れる感覚を、 今ここで君自身が訓練しておくのだ。 本番では一切不満は言えない。 壁を作り拒否することは、敗北なのだということを、 君は知っておく必要がある。 授業で手強い設問に出くわしたなら、 それは力を磨く絶大なチャンスであることを、 君自らが受け入れなくてはならないのだ。 一見して解らないものなら、もう一度見るのだ。 まだ解らなければ、再度追うのだ。 知り得た知識を駆使して、どうすれば解答欄に字を記せるか、 精一杯悩むのだ。 その行為が、君の仕事。 解るためにここに来ている、君のセオリー。 限界を経験したことがないのなら、 今の君を超えたものを与えてあげよう。 10が出来れば、11がある。 11が出来れば、12があるのだ。 今、短文記述が書ける生徒にも、 初めは壁があった。 泥沼があった。 でも彼らは、少しずつでも何かを書こうとした。 下手くそで、いつも赤が入り、 それでもどう書けばいいのかという経験を、大切にした生徒たちだ。 少しずつ赤が減り、型が見えてくる。 その経緯を辿るには、ペンを持ち、書かなくてはならない。 何千字も書かなくてはならない。 悔しいという思いを持ち、 自分を超えるものを掴みに来て欲しい。 限界などというものは、 君の精神のあり方でどうにでも変えられるもの。 そもそも自分で設定するノルマとは、根本的に異なるもの。 自分の器を超えた、巨大な、難解なものが待っているからこそ、 学びなのである。 初めから解らないと言う君。 さあ、では解るまで泥沼に嵌ってみるか。 永遠にもがいてみるか。 抜け出した時の感触を心底味わえるのは、 師ではない。 格好いい執念にこだわる君であり、 実際に解き、ガッツポーズの出来る君だけなのだ。 解けた時に素直に笑顔の出る、 君だけなのだ。
2009.09.30
一人ずつ模試を返しながら、語っていることがある。 「どこまで、《こいつ》 にこだわれるかなんだよ」 答案を目の前に広げ、彼らに向かって語る。 強く語る。 ○の脇に×が連なっている。 「ウ」 という記号が○になっている。 その下の 「イ」 「エ」 はいずれも×だ。 精一杯書いた用語には○はない。 大問3には埋められなかった空欄が二つある。 隣の漢字には線が引かれ、×になっている。 計算は6問中、4問正解。 一体何が出来て何がダメだったのか。 間違えた 「イ」 とは何だったのか。 正解は何なのか。 正解出来た 「ウ」 とはどんなものだったのか。 それは、まぐれなのか、本当に分かったものなのか。 埋められず空欄になった問いは一体何なのか。 漢字に引かれた線が何を意味するものなのか。 ある大問がなぜ全部出来たのか。 どうして今回も英作文が埋められなかったのか。 「イカアウエオ」 と書いた整序問題になぜ×が付いているのか。 文頭から違うのか、それとも語尾の小さなミスなのか。 y=の後に数値が書けなかったのはなぜなのか。 圧力を2000万Paとした理由は何なのか。 初めて時代の並べ替えに○をもらえたのはなぜなのか。 答案のどの部分に×が集中しているのか。 前半なのか、後半なのか。 そしてその単元は何なのか。 時間が足りなかったのか。 それとも時間はあったのか。 いわゆる配分のミスなのか。 君はその一つ一つを精密に調査しなくてはならない。 なぜそうなのかは、君だけにしか分からない。 ○も×も、君が答案に書き込んだものへの判定なのだ。 「オ・b」 と書き、○を貰った。 君はそれで理解できたと解決してはいけない。 オが何で、bが何かを、問題と照合し再確認するのだ。 そして本物の理解として、記録していくのである。 採点の○×は飽くまで答案の表記に対するチェック。 勘違いするなよ。 大切なのは○を貰うことではない。 大切なのは試験を通じ、 何を確認し、何をどれだけ掴んだのかということなのである。 自分が時間の中で懸命に埋めた、 この一枚ずつの答案にこだわって欲しい。 何度も消し、悩んだ跡の残る答案に、 大きな飛躍のきっかけが眠っている。 なぜ○なのか。 なぜ×なのか。 なぜ減点なのか。 なぜ空欄なのか。 自分が作った答案にどこまでこだわれるか。 それは、技量を高めるために、 君が最も大事にすべき作業だ。 見直しとは、×だけをチェックすることではない。 ○を含め、問題を再度引き寄せ、 答案全体が語る言葉を、君が細かく素直に聴き、 受け止めることなのである。
2009.09.29
成績結果表を見詰め、苦笑いする。 予想外に良かったのか、思わず歓喜する。 何かを悟ったのだろう、急に真剣な表情を見せる。 模試を返却しながら面談を重ねると、 その生徒の今の心が直球で伝わってくる。 例によって、授業中に私が教場を回り指名していく。 私が近づくとみな指されまいと、不自然に目を避ける。 そんな生徒の背後に立ち、来いと指示する。 私が先に面談席に戻ると、貧乏くじを引いた生徒が、 とぼとぼとやって来る。 結果が悪いことは、本人が手応えで知っている。 「やる気あんのか?」 「・・・・」 年に数回の、厳しい言葉の洗礼が待っている。 本人に訊くと、家ではほとんど勉強していないと言う。 それで結果が出たらまずいだろうと語る。 目の前の数字を見て、なぜそうなのかを判断して欲しい。 私は時として厳しいことを言うが、 それは教室の船頭として、それぞれに伝えるべきことがあるからだ。 私が繰り返し言う、見直しと検証。 やるか、やらぬかは、君に委ねるしかない。 悔しくて、悔しくて。 家に帰って引きずり出した一ヶ月前の問題と解説。 君はそいつとどこまで、何時まで付き合えるのか。 いや、そもそもそんな行為をする者がいるのだろうか。 長い目で見た場合、 自分の失敗を素直に知ろうとする者は伸びる。 検証し、失敗を反省し、そいつを次の踏み台にできる者は伸びていく。 これは間違いないことだ。 私はよく失敗だけでなく、成功にも着目せよと言う。 答案の○を分析し、丁寧に記録として残していく。 ×のフォローにばかり目が行き、疎かにしがちだが、 それは点を重ねていく上で、 武器を整え、使える状態を保つという大切な行為なのだ。 何をすべきか。 何から始めるべきか。 それは君の前の答案にすべて書かれている。 動けよと何度も言ってきた。 君が動き、感じ、苦労することで、 君の求める未来が少しずつかたちになっていく。 進行形であれよ。 昨日より、今日、 今日より明日に、より可能性が高まるような、 そんな君を、船頭は厳しい言葉で後押ししていく。 君は、 試験を行った一ヶ月前と今を比べ、どれだけ成長できたのか。 こんなに伸びたと、これだけやったと、 どれだけ強く主張できるのか。 対峙する私の首を縦に振らせる、凄まじい9月の記録。 君のそいつはどこにある。 大事なのはそこなのだよ。
2009.09.28
私は「掴んで来い」と言いたい。 指導している友に限らず、ここに足を運んでくれる仲間たち皆に、 そう伝えたい。 掴んで来るとは、君がこの教室を出てまた来るまでに、 何か主張できる、色めいたものを具えてきて欲しいということだ。 大それたものでなくていい。 これが出来るようになったよと、 これだけ前に進めたよと、 ウキウキと私に伝える君であって欲しいのだ。 「こんなに頑張ったんだから」 「ね、塾長見て、凄いでしょ?」 「まあ、本気出せばこんなもんすよ」 君らの照れ隠しの背後に、尊い汗が見え隠れする。 認めてあげたい。 小さな経験を重ねる、健気な君たちの日々を、 しっかり受け止めてあげられる教室でありたい。 ほんの少し成長したよ。 それでいいのだよ。 学びの台本は君が描けばいいのだから。 焦らずじっくりと、自分の大事なものを守ってあげなさい。 掴んで来いという気持ちは、 君を見ていると何故か湧き上がってくる、自然の気持ちだ。 14歳、15歳の君に、厳しい制限は無能だ。 遠慮することはない。 君たちは思うことを自由に演じればいい。 だが私は、ひとつ君たちに望みたい。 いや、挑みたいのだ。 塾が終わり、笑顔で元気に帰途につく君たち。 次に会う日までに、君はどんな日記をしたためてくるのだろう。 自分を抑え頑張り抜いた、納得できる記録。 こいつを初めて叩きのめしたという報告。 そういったものを大事に抱え、ここに来てくれる。 いつも、そんなはじけるような君を迎えていたい。 数日間という時を、進歩のないまま過ごしてはいけない。 何をやったのかと訊かれ、口ごもる君であってはならない。 どれだけ成長したのかが、記録されていない君であってはならない。 君たちの世代は、日々成長していける。 その特権をかざす義務があるのだ。 一歩でいい。 一歩でいいのだ。 ここに、足跡を持って来て欲しい。 私は君に「掴んで来い」と言いたい。 指導している友に限らず、ここに足を運んでくれる仲間たち皆に、 そう伝えたい。 頑張ったなと称えてあげる。 そんな空気をここが創るのではなく、 君たち一人一人が運んでくれることを待ちたい。 楽しいことも辛いことも、 それは君の大切な人生。 私はそんな感情の迷路にいる君を、応援したい。 でも迷路を抜けるには、考え動かなくてはならない。 君が。 自らの判断で。 辛くても、進まなくてはならない瞬間がある。 だから私は、君に掴めとと言いたい。 しっかりと位置を定め、強く踏ん張っている。 照れ笑いしながら、歯を喰いしばっている。 頑張ったんだからと、自慢げに語ってくれる。 そんな、何となく格好わるい君を、 そんな君をいつも待っている。
2009.09.27
夏の 『理社スーパー特訓』 の前に、公約を掲げた。 それは、特訓に真剣に参加した生徒の、偏差値を5上げるというもので、 今回は申込書にも明記した。 9月の北辰結果の全体の数字を分析してみたが、 偏差値の前回比は、社会が 「4.7」、理科が 「5.4」 の上昇を見せ、 2科平均では何とか 「+5」 を達成できたようだ。 大きく伸ばす生徒がいれば、伸び悩む生徒もいる。 1人 「-5」 が出れば、 「+7」 が5人いて、やっと全体平均で 「+5」 だ。 全体の平均値を上げる難しさを感じた。 だが正直、この数値には驚いている。 個人ではなく全体平均で各科とも 「5」 上がるということは、 普通では考えられないことだからだ。 ssで5以上伸びた生徒を記しておく。 社会 男 +12 男 +12 男 +12 女 +12 女 +12 男 +10 男 +8 男 +6 女 +5 理科 男 +19 男 +18 男 +17 女 +16 女 +11 男 +10 女 +8 女 +8 男 +6 女 +6 ポイントを忠実に理解し、頑張った生徒たちだ。 中には2科計で+30という者もいた。 理社だけで5科全体のssを 「6」 引き上げたことになる。 社会は約8割、理科は約7割の生徒が前回よりも伸ばした。 夏の特訓で時間を割いた甲斐があったと思う。 一方で、数名の伸びなかった生徒がいたことも事実だ。 公約は個人単位では未達であり、それは次の課題でもある。 全員伸ばすことが出来なかったことは、 次の展開に向け、大いに反省すべきことだ。 今回伸び悩み停滞した生徒は、次回一気に伸びる可能性がある。 弛まず精進し、10月に備えよう。
2009.09.26
同じ問題を繰り返し解いてみよう。 大事なのは、まだ解いていない新しいものを探すことじゃない。 問題を解くことで、何を掴んだかということなのだ。 素晴らしい問題、大切な問題ならば、 何度も向き合い、確実に自分のものにできるまで踏み込んでみよう。 運動のトレーニングに基本メニューがあるように、 学習にもマスターすべきものがある。 一度やったからおしまいではなく、 丁寧に定着させ、次のステップに向かえる切符を手にしていくのである。 以前、「テキストを二巡する」という記事を書いた。 だが正しくは二巡にとどまらず、安定するまで繰り返すことだ。 そのためにはノートの活用が生きてくる。 同じ問題を解き、そこに答えを刻んでいくのだ。 反復することで速度が増していく。 その手応えをしっかり頭に仕舞っておこう。 問題演習というものは、 その時、瞬間的に「出来る」という感覚を残していく行為ではない。 「出来る」ではなく、「分かる」という結果を生産していくことなのだ。 君にとっての良問ならば、 君は何よりもそいつを押さえることに夢中になって欲しい。 素晴らしい問題、大切な問題ならば、 何度も向き合い、確実に自分のものにできるまで踏み込んでみよう。 新しいものに目移りし過ぎると、知識はやがて散漫になっていくものだ。 よく、これという一冊をボロボロになるまでやれと言われる。 それは、具体的な量が測れる自信の原点でもある。 手持ちのテキストを、もう一度開いてみよう。 解くべき問いがどれだけあるか、丁寧に点検してみよう。 そして、もう一度解きにいこう。 大切なのは、過去に解けたことではなく、 今、どれだけ速く解けるかなのである。
2009.09.25
暗記がそのまま試験の結果に繋がるものがある。 別に特殊な単元ではない。 実は、君たちが学んでいることのほとんどが、 そういう 「記憶を問う」 という性質を持っているのである。 試験で点が思うように取れない理由は、 記憶を辿り再生産していく力が弱いからである。 覚えたといっても、その量と精度はみなバラバラだ。 常識で考えた時、量も精度も高ければ得点力は自ずと上がる。 再生産する力とは、得点を叩きだせる力をいう。 答案を前にして確実に正解を埋めていくには、 それを裏付ける知識と、処理していく技能を高めていくことだ。 とにかく覚えるのである。 一つでも多く覚え、解く上での懐を深くしていくのである。 力は、覚えるという行為の累積によって確実に高まっていく。 100を覚え、あやふやなものが20ある者。 戦力になる知識は80だ。 では1000覚えた者はどうだろうか。 戦力になる知識はどう考えても80より多いだろう。 あやふやなものが300あるかも知れない 半分の500かも知れない。 だが1000を覚え、あやふやなものが920ということはないのである。 極端な10倍の例を挙げたが、 この理論は、より多くのものを押さえようと動くことで、 知識が加速的に付いてくることを示している。 そう考えれば、100よりも110の方が高い可能性を持てる。 110ではなく、111に軍配が上がるのである。 知識量を思うように確保出来ない者の多くは、 慎重に考えすぎて攻めきれていないタイプに多い。 ミスを減らすことに時間を割き、 新しいものを遮二無二開拓するという行為が後手になっている。 ミスなどしてもいいのである。 それを上回る情報をどんどん頭に叩き込むのだ。 あやふやなものが100になったら、 それを上回る101を、攻め込み掴んでいくのである。 失敗を振り返り、見直し、武器にしていくことはもちろん大切だが、 そればかりやり、肝心な絶対量の確保を疎かにしてはいけない。 なぜなら、見直しという行為には、 ここまででいいという明確なゴールがあるからだ。 答案に20個の×があったなら、 新規に50の知識を拾っていけばいい。 20の×にその50を上塗りしていくのである。 そこでまた×が出たなら、さらに新しい50を上塗りしていく。 そうすることで、安定した力は蓄積として確実に残っていく。 失敗の見直しは、一覧を作成しておき、機を見て行えばいい。 君たちはよくどう学習したらいいかと訊くが、 成績を意識しているのなら、まず知恵を限界までかき集めなさい。 暗記には 「定着させる」 という過程が必要だが、 同時に、圧倒的な量を 「仕入れる」 という行為もなくてはならない。 君の頭脳が学校の教室そのもので、 クラスの仲間たちが君の一つ一つの知識だとしよう。 さあ、頭脳の規模を学校全体に広げればどうだろうか。 知識は圧倒的に増え、戦力はクラス単位の比ではない。 使えない知識が増えるかも知れない。 だが、使える知識も間違いなく増えるだろう。 隣の学校をも頭脳に取り込んだらどうなるか。 もう分かるかと思う。 暗記がそのまま試験の結果に繋がる。 君たちが学んでいることのほとんどが、 「記憶を問う」 という性質を持っている。 答案を前にして確実に正解を埋めていくには、 それを裏付ける知識と、処理していく技能を高めていくことだ。 とにかく覚えるのである。 一つでも多く覚え、解く上での懐を深くしていくのである。 力は、覚えるという行為の累積によって確実に高まっていく。 一ヶ月で1000という数。 挑戦してみなさい。 だが間違えても一日30数個などと割り算してはいけない。 一気に1000を崩しに行くのだ。 毎日出来るのはせいぜいこの程度かなと、ラインを引いてしまうから、 君は今の迷路を抜け出せないのだ。 1000やったら、また次の牙城に挑むのである。 1000やって、あやふやなものが920ということはない。 仮に300しかものに出来なくても、 初めから200と計画した時を上回る財産が頭脳に残るだろう。 1000やったら、また次の牙城に挑むのである。 それをやったら、さらにまた挑むのである。 暗記の量に限界などないのである。 覚えさえすれば点が取れるものが、 君の周りには山のようにある。
2009.09.24
学校が休みの日は、今学期あと30回ある。 行事の振り替えが加われば、それ以上だ。 君はこの一ヶ月分の時間をどう過ごすのだろう。 中2生以下ならまだしも、 中3受験生にもなって、この時期にまだ自分に真剣になれない。 そんな仲間がここにもいる。 君はこの30日をどこまで熱く向き合うつもりなのか。 塾の宿題は中途半端。 授業中は姿勢悪く、いつも眠そうだ。 問題を与えれば分からないとぼやき、文句を言い、 覚えろと指示すれば、無理と勝手に壁を作っている。 休みには友とどこかに出かけ、自由に楽しみ、 家ではゲームやテレビに没頭し、貴重な時を捨てている。 やりたいことをやるのは構わない。 だがそのために、君は今しか出来ない大切なものを捨てているのだ。 真剣になれよ。 枯れ葉の舞う季節に後悔するのなら、今やるしかないのだ。 私が授業で直接見ている受験生は8名。 連休が明ける次の授業から、ギアを変えていく。 やる気がない者は帰れ。 指示が守れない者は、ここに座る資格がない。 そう伝えるつもりだ。 黙れと言っても黙らない、姿勢を正せと言っても正せない。 そういうメンバーは、席を外してもらう。 宿題を忘れた挙句、理屈をこねている。 そういうメンバーは、別席で宿題を処理してもらう。 この時期にすべきことがある。 この時期に態勢を替え、気付いてもらうべきことがある。 その流れを本当に知り、理解し、動いてもらうために、 秋の入り口の今、 私は厳しく牽引の作業に徹する。 親御さんに反感を買おうが、私はすべきことをする。 帰れと言う。 そうしなければならない季節に入ってきたのだ。 あと何ヶ月。 あと何日。 それは私が示すのではなく、 君が自ら調べ、感じ、ここに持ってくるもの。 それを前提にどうあるべきかという姿を見せに来るのは、 君なのだ。 持って来いよ。 これだけやるんだという気合を。 こんなにやったんだという自慢話を。 受け身で楽しく学ぶ章はもう終わったのだ。 君はこれまでどれだけの道具を手に入れた。 この塾長に、見せてみろ。 ここまで引きずり、机に広げてみろ。 もう期間がないぞ。 時間を大切にしろよ。 今さらそんなことを授業中に言わせるんじゃない。 ずっとゲームをやってたって? 仲間と出かけて楽しかったって? 昨日何も勉強しなかったって? 先週の試験が悪かったのは、勉強しなかったからだって? 次もきっと悪いって? それが自慢かい。 自分を大切に出来ない者は、 最後まで中途半端にやっていればいい。 結果もそれに見合った中途半端なものになるだろう。 学習というものは、常に進行形だ。 一度過ぎたものは、もう一度その日に戻ってやり直せないのだ。 多くの先輩たちが座った椅子がある。 数千時間向き合い、傷んだ机がある。 ここで起きたドラマは、今も記録に残る、後輩たちへのメッセージなのだ。 塾長は彼ら数百人の熱い闘いを見届け、 その前提で語っている。 意味を考えよう。 冒頭の30日。 一日7時間、君が自分を大切に出来れば、 200時間以上の「前進」が待っている。 捨ててはいけない。 君には掴んでいて欲しい。 掴まなくてはいけない。 桜までのストーリーは、今が佳境なのだ。
2009.09.23
二日に渡って、ある生徒たちに理科の指導をした。 午前中は固定の授業があり出来なかったが、午後は大半を彼らに注いだ。 SOSをやるぞと発表したら、率先して申し込んできたS君たち。 二日で七時間ほどだろうか、苦手だという計算を中心に、 何度も問題演習と解法説明を繰り返した。 どこまで理解出来たかは分からない。 でも、連休の時間を割き、私の前に座ってくれた彼らに、 終始私は、何だかよく分からない可能性を感じていた。 二人とも理科の成績は決して素晴らしくはない。 苦手と言う理由は、練習不足から来ているもの。 解かせてもすぐにスムーズに正解が出るわけではない。 でも彼らは自分のために一所懸命に問題を解き、 真剣に私の解説を板書し、知ろうとしていた。 仮にすぐに成果が出てこなくとも、慌てずに、 この二日間の攻めようとした姿勢を思い出し、 これからの君たちの行動の励みにして欲しい。 仲間たちの中で、チャンスを探しに来たのはほんの数名。 直接見たのは君たちだけだったのだから。 学習というものには、リズムが必要だ。 それは別に大それたものでなくていい。 生活の中に無いと困るような、小さなルールを君が敷いていけばいい。 早く自分の手で学習の奔流を作り、そこにあらゆる可能性を浮かべていこう。 カウントダウンは何も受験だけに限ったものではない。 合格の喜びも、期待溢れる高校生活も、 今後訪れるであろう素敵な出会いも、 すべて同時進行で君に近づいているのだ。 辛いことばかりに目が行き、 自分を成長させる素晴らしいことを見失ってはいけない。 喜びも待っているのだ。 そのことを忘れずにいて欲しい。 S君はこのブログを毎日欠かさずに見ていると言う。 暫く前にブログを休止しようとした時、 続けて欲しいと言ってきた中の一人が君だった。 その後、何か役立っているかな。 私は「可能性」という言葉が大好きだ。 もうここに何回書いただろう。 でも可能性というものは、私がいくら書き、伝えても、 君らにプレゼントとして与えることは出来ない。 それは、君たちが何かを感じ動くことで、少しずつ輪郭が描かれていくもの。 君たちが奪い取り、自分で高めていくものなのだ。 この二日、チャンスを奪いに来たこと。 忘れるなよ。 可能性というものは、 そういう行為の積み重ねでしか得られないのだから。
2009.09.22
入試の時に、一枚の紙切れの持ち込みが許される。 たった一枚のA4サイズの紙。 試験中も自由に見ていいと言う。 さあ、君はその紙にどんなことを書き込むだろう。 表には英単語と文法の要点をここぞとばかりに網羅し、 社会用語や暗記すべき重点が、表とともに細かく書かれている。 裏には数学や理科の公式と、間違いやすい漢字や古語、 さらには化学式一覧や、よく出る図表も小さく無数記されている。 君はこれさえあればと、 模試の失敗や重点を、要点集を作成するように、 片っ端から記録していくだろう。 覚え切れるものは書き込む必要はない。 覚え切れない、あるいは不安と感じる情報を、 君は限られたスペースに小さな文字で整然と刻んでいく。 スペース内なら、字数制限もない。 さあ、時間を掛けて完成した一枚のA4の用紙。 表も裏も、活字と表とイラストで隙間もない。 それは君が不安に感じている中で、特に重要なもの。 君が押さえねばと思いながら、押さえ切れていないリスト。 試験の成功を左右するほどの、外せない一覧だ。 そいつを持ち込み受験すれば、君は多分受かるだろう。 そう言い切れるほど、 今の不安と必要事項を刻み込んだ最高の自信作だ。 さあ、 君がまとめたそのA4の紙をもう一度眺めてみよう。 よく理解できない重点の一覧。 いつも失敗する、自分なりの得点源。 そこに書かれた内容は、君が自分の弱点と知り、 徹底的に叩き込んだ、得点に繋がる最高のリストに違いない。 ならば君のすべきことは何だろうか。 そう、 その用紙を《そのまま頭に復元させる》ことではないか。 A4の紙に凝縮された、その最高の情報群を、 徹底して覚えていくのである。 実際に試験会場には用紙は持ち込めない。 ならば手段はひとつだ。 頭の中にそいつを、如何に使えるかたちで残していけるかということだろう。 A4の紙に書いた内容。 それは、君が押さえる必要を感じているもの。 君にとって即効性のある、得るべき価値のあるものだ。 こいつをやらなければ。 これが出そうだ。 そう思うものが幾つもあるのなら、一覧にするという作業を通じて、 最終的に頭脳にどう封じ込めるかを考えたい。 入試の時に、一枚の紙切れの持ち込みが許される。 たった一枚のA4サイズの紙。 君がそこに書き込もうとした一つ一つが、 今日から向き合い押さえていくべき、具体的なリストとシグナルを示している。 疑似体験してみないか。 自分にとって必要なものは何かを、書き込んでみないか。 下書きするための、 A4の用紙は教室にいっぱいある。
2009.09.21
君を取り巻く環境は、いつも表情を変えてくる。 昨日うまくいったことが、今日はうまくいかない。 先週懸命にやったことが、今日の試験では活かされなかった。 君はそこで何を思い、どう構えるだろうか。 自分のしてきたことが無駄だったと、放り投げるか。 やり方がいけないのだと、すべてをリセットしようとするか。 学んでいく時に、シナリオ通りにいかないことはよくあることだ。 人はみなそこで悩み、苦しみ、何とかしようと焦る。 だがひとつ大事なことがある。 君が歩んできた足跡を大切にしなさいということだ。 どんな過程を踏んだにせよ、君の今は、君の汗の結果としてここにある。 それを大切に感じてあげなさい。 辿った記録は消してはいけない、そいつを守れるのは君だけなのだと、 私は君たちに語りたい。 もし、思うようにいかないのなら、どこかに原因があるはずだ。 経緯を探り、過去に責任を感じてみればいい。 だが同時に君が辿ってきた道には、 君だけが称えられる強いものがあるはずだ。 他人には分からない苦労も、辛さも、反省点も、 君がしっかり守り、磨き、加工されるのを待っている。 築いたものをリセットしてはいけない。 どんなちっぽけなものであっても、君はそれを掴み、 土台として守っていくことが大切なのである。 君の土台には、そこが次の出発点となるラインが引かれている。 自分の考えを押し通すことも必要だが、 素直に流れを受け入れてみることも忘れてはいけない。 状況に耳を澄ましてみよう。 ラインの先に何があるのか、その一歩に何が必要なのか、 焦らず、じっくり考えてみればいい。 晴れならば軽装でいい。 気温10度なら、厚着が必要だろう。 今にも雨が降りそうな雲行きならば、傘がなくてはならない。 君の一歩は、足元から道具に至るまで、 どんな環境かを知り、君の手で準備することから始まる。 うまくいかない。 ならば、うまくいくための設計図はどこにある。 教本はどこにある。 そんなものは、初めからないのである。 君が頑張り歩んできたすべてが、かけがえの無いものであるように、 財産というものは道の過程で苦労してかたち作っていくものなのだ。 今までの行為を忘れてはいけない。 悩みを打ち破り、流れに乗るためのヒントは、 多くが、過去を利用し再生産するという発想に眠っている。 君を取り巻く環境は、いつも表情を変えてくる。 あんなに頑張ったのに。 こんなにやったのに。 代償が一方向でないところに、学びの深さがある。 だがよく振り返ってみよう。 これしかやらなかったのに、いい結果が得られた。 こういう経験はないか。 君はそのことは深く考えずに、いつも不運ばかりに目が行っていた。 こんなにやったのだからと、代償を貰うことが当然になっていた。 違うだろうか。 いくら頑張っても結果が出ないことがある。 だが、手応えが得られないのなら、さらに得るために進んでいくしかない。 「努力」という言葉は都合よく使われるが、 人はみなその大切さを知っているから、また努力を繰り返していく。 「努力しても成功するとは限らないが、成功した者は必ず努力している」 ここでも幾度か書いた言葉だ。 成功という代償を100%期待していては進んでいけない。 そいつを掴むためには、自分に投資し続け、辛抱しなくてはならない。 成功を手にするためにはどうすればいいのか。 言葉の意味をかみ締めよう。 そして変えていくための一歩を踏み出そう。 君たちの年齢で最終的な設計図が完成することはない。 あらゆるストーリーは、これから創られていく。 今日の挫折が「点」ならば、 そこを起点にしっかり「線」を描いていけばいい。 ペンを放すなよ。
2009.09.21
みんなへ 連休に入り、各自頑張っていると思う。 明日から3日間は塾のいつもの時間の授業はないので、注意しよう。 21日と22日は、10~17時を自習スペースとして開けます。 その時間に振り替えが入っている人は、間違えないように。 23日は休校です。 スケジュールで不明な点は連絡を。 明日、明後日の自習開放は、可能な限り活用しよう。 家で集中できる者はいいが、どうも気分が乗らない、気力が続かないという者は、 場所を替えてやってみると、効率が上がることがあります。 不明な点のフォロー程度はできますよ。 とにかく木曜の段階で、充実した連休だったと言えるように、 漠然としたものではなく、 「これだけは」という、目に見える収穫を目指しましょう。 受験生の場合は、夏休みに手渡された教材やプリントを、 もう一度深く攻略していくチャンス期間でもあります。 頑張りましょう。 連休後にトライアルがありますが、 さほど準備をすることもないでしょう。 実力で対応できる平易な問題が大半です。 まあ、時事問題・範囲の英単語・計算の基本確認・理社などの用語・文学史について、 ザーッと見ておく程度で十分でしょう。 大事なのは、試験後の再トライアルです。 合格するために「知る」という行為をし、 「正確さ」を求め、仕上げていくのです。 その過程が君の成長になります。 ぜひ真剣に向き合ってくれればと思っています。
2009.09.20
昨日、「言えても書けない」 という内容について書いた。 答案をまとめる上では、いくら言えても書けなくては点にならない。 正しく書くということの大切さについて語ったものだ。 私も多くの生徒と接してきたが、 時として、我々の常識が通じないことに出くわすこともある。 「言えても書けない」 の全く逆の、 「書けても言えない」 という生徒がいるのだ。 しかも、部分的に細かく見ていけば、 受験生を含めかなりの者が該当するというから驚きである。 良くあるケースにとしては、次のようなものだ。 1 漢字を読み間違え、よく確認せずにそのまま覚えている。 2 用語をよく理解せずに、何となく記号的に捉えている。 いずれも、いい加減に浅く勉強している者に多いのだが、 言えないという意味はどういうことかと言うと、 漢字では何とか書けるが、「かなで表現出来ない」 ということである。 1の場合は、漢字は書けても、間違った読み方をしているケース。 普通に書ければいいが、問題は漢字がすぐに出てこない時に起きる。 かなで書くことになるが、正確な読みを把握していないので、 ×になるリスクが高まるのだ。 本初子午線を 「ほんしょしゅごせん」、 堆積岩を 「すいせきがん」 と読んでいた生徒は、 解答用紙に 「本初しゅご線」 「すい積岩」 などと書き、アウトを喰らう。 何とも情けないが、よくあるのだ。 2の場合は、十分に学習せずに、字面だけイメージで捉えているケース。 生徒に解答を書かせると、「こんな感じですよね」 と、正解を書いてくる。 だが驚くことに、自分の解答を正しく読むことが出来ない。 例えば等粒状組織ならば、 「等しいという字に、米偏に立つという字に、状態の左側の字に組織」 などと言う。 「とうりゅうじょうそしき」 と、素直に用語が読めないのである。 読めないから、口頭で訊くと口ごもり、自信無さげに答える。 漢字が思い付けば正解を得られるが、 すぐに出てこなければ、かなで書こうにも書けない。 難しい漢字が混じった用語などに多いが、とても理解したとは言えない状態だ。 以前、「治安維持法」 を、「じあん何とかほう」 と読んだ者がいたが、 彼女に字画を説明させたら、 「明治のじに、安全のあんに、糸偏に進むっていうじのやつに、持つに法律」 と答えた。 そして読めないのに、彼女は正確に漢字で書いたのだ。 正確な読みが分からなくても、熟語の組み立てが分からなくても気にならない。 う~ん、そうかと、私も考えてしまった。 実際にあった笑い話だが、 環太平洋造山帯を 「たまきおおひらひろしぞうやまおび」、 孫文を 「まごふみ」、毛沢東を 「けざわひがし」、鑑真を 「かんま」、 原敬を 「げんけい」、赤道を 「あかみち」 と真剣に読んだ生徒がいる。 これらも、漢字が書ければ試験では○だが、 もしかなで書いたなら、採点官に笑われるのは必須だ。 だが不思議なことに、彼らのほとんどはしっかり漢字で書き、○を得ている。 試験では、言えても書けないのはよくあることだが、 このように 「書けても言えない」 ということが、 指導しながら次々と発見されていくことが、 私には何だか恐ろしいものに感じてならない。 それで○をもらい、本人はシラッとし、 見直し修正しようとしないことが、 私には何だか恐ろしいものに感じてならない。 学習するとはどういうことなのか。 根本を諭し、導いていかなくてはならないのか。 時代は変わったのだろうか。
2009.09.19
一昨日の16日、授業の終わった生徒数名に質問してみた。 「今日、新しく総理大臣になった人は?」 生徒たちの返答は、こんな感じだ。 「え~と・・・鳩山さん!」 「鳩山総理! ピンポーン!」 「民主党の鳩山!!」 私が、じゃあフルネームで言えるかと聞くと、 正解は約半数に減った。 「ユキオ」と言えたとしても、漢字で書けるかどうかはまた別だ。 そもそも君らは、「鳩山」すら漢字で書けないのではないか。 人物を把握する時には、フルネームで押さえるというのが基本だ。 歴史には色々な人物が登場するが、 「田中正造」を「田中さん」、「伊藤博文」を「伊藤さん」とは覚えんだろう。 フルネームで捉え、漢字で書けて初めて覚えたと言えるのだ。 ここで何度も書き、警告を与えてきたが、 試験は口頭試問ではない。 答案に正しい筆跡を残せてこそ、理解していると認められるのである。 だから、「言う」だけでなく、「書く」練習が欠かせない。 明治維新前後の歴史は間違いやすい用語の宝庫だ。 「尊王攘夷運動」 「薩摩藩」 「岩倉具視」 「木戸孝允」 「戊辰戦争」 「徳川慶喜」 「五箇条の御誓文」 「太政官」 「版籍奉還」 「廃藩置県」 「徴兵令」 「地租改正」 「殖産興業」 「屯田兵」 「富岡製糸場」 「文明開化」 「福沢諭吉」 「征韓論」 「板垣退助」 「民撰議院設立の建白書」 「大隈重信」 「国会期成同盟」 「藩閥政治」 「伊藤博文」 「立憲改進党」 「教育勅語」 こういった用語が言えるだけではなく、いかに正確に書けるか。 そして、そのための書く練習を、どれだけ意識して積んできたか。 その差が得点に明確に再現されてくる。 この26用語を、君は幾つ正確に解答欄に記せるか。 例えば、 「尊王譲夷運動」 「薩磨藩」 「岩倉具見」 「木戸考允」 「戊新戦争」 「徳川慶信」 「五ヶ条の御誓文」 「大政官」 「藩籍奉還」 「廃版置県」 「微兵令」 「地祖改正」 「殖産工業」 「托田兵」 「富岡製紙場」 「文明開花」 「福沢論吉」 「正韓論」 「板垣退介」 「民撰議員設立の建白書」 「大隅重信」 「国会期政同盟」 「藩抜政治」 「伊藤博文(点がない)」 「立憲改新党」 「教育直語」 と書けば、0点なのだ。 その意味をしっかり理解し、加点のベースにしていこう。 「鳩山由紀夫」、トライアルの時事問題に出すぞ。 以下、予想される誤答および×の例を挙げておく。 間違ってもこんな回答はしないように。 「鳩山さん」 「はと山由紀夫」 「鳩山幸雄」 「鳥山由紀夫」 「鳩山由起夫」 「はと山幸夫」 「鶴山由紀夫」 「鳩山由紀男」 「鳩山ゆきお」 「はと山総理」 「鳥山雪夫」 「鳩山そう理大巨」 う~ん・・・ 最後のやつは、-5点だな(笑)。
2009.09.18
9月の北辰結果が今日届くことになっている。 毎回そうだが、模試の活用法には一連の流れがある。 せっかく受けた以上、自分にプラスとなる活用を考えたいものだが、 大半の生徒は受けっぱなしで、そのまま放置しているものだ。 成績結果は理解の判定であり、もちろん大事だが、 その成績になった理由をよく分析し、ファイルし、 何か次に繋げていく収穫はないかと研究してみることの方がもっと大事なのだ。 それが分かっている生徒は、試験当日にさっそく動き始める。 模範解答を駆使し、失点と得点をよく調べ、自分なりのまとめ作業をしていく。 当然そこで自己採点が行われるので、 本来、結果など試験当日にもう分かっているのである。 当日にすぐ見直し、分析・研究するという発想がない者は、 大抵、ザーッと見ては「ヤバイよ」などと言い、 ほったらかしのまま結果待ちになっているはずだ。 あのね、 模試は感想を語るために受けているのではないよ。 単元ごとの理解や、問いのパターンに対する得点力を診断し、 自己分析による収穫を残していくという、いわば実戦学習をしているのだ。 「今回、理科、最悪~!」 ほう、じゃあ何がどう出来なかったのか説明してみな。 君はその後、失敗を自分なりに克服したのかい。 今仮に同じ問題が提示され、スラスラ解けるのかい。 最悪ならば「すべきこと」がたくさんあり、はっきり示されている。 その一点ずつを記録して再度組み立てていけば、間違いなく進歩していける。 ただ受けて、何が何点で、偏差値が幾つでと語っているうちは、 君はいつまでもそのラインで足踏みを続けるだろう。 今の自分を打ち破るためには、作戦が必要だ。 何を工夫し、何にエネルギーを配分すべきかを、 しっかり見極めなくてはならない。 自分を見詰め、力を付けることに結果を利用するのである。 すぐに、失点は何かを知り、得点は何かをも知り、 まとめながら君なりの学習マップを作っていく。 結果が届くまでにリカバリーが終了し、 10日間の間にこれだけ成長したと、実感できる手応えを残していくのだ。 それが一連の流れなのである。 ぜひそういう姿勢を持っていて欲しい。 北辰には次があるが、入試は一回だぞ。 模試による途中のチェックを利用し、いかに完成させるか、 その意味を考えよう。
2009.09.17

ブログを訪問して頂いているある方から、 嬉しい贈り物が届きました。 高校受験を迎える娘さんがおられ、 ご本人が、拙文章を学習のヒントにしていただいていたようで、 何とも恐縮する有難い話です。 学習への力になればと、 プリント教材をいくつかお送りしたところ、 お礼として届きました。 丁重なお手紙の中に、 「塾長さんはバームクーヘンが好きなのよ」という、 娘さんが品定めをされた件がありました。 お会いしたことも話したこともないのに、 そこまで深く過去のブログを読み込んで頂いていることに、感動しました。 で、その品。 他にも、旬の果物をいっぱい頂きました。 何だか言葉で言い表せない、深いものを手にしたような気がします。 明日への力をありがとうございました。 感謝の気持ち、メールにて送らせていただきます。 K様へ。
2009.09.17
大きいですね。 大型化は秋台風の特徴です。 現在勢力はピークに達しつつあるようですが、 915hPa、瞬間最大風速70m、暴風圏でも50m。 915は金曜まで保ち続けるらしい。 直撃だと、本土へはタイミング的に940台で来そうです。 予報は次第に東へ進路を変えていくとなっていますが、 土曜の夕方あたりから日曜は注意が必要でしょう。 連休の前半は、高校の文化祭も多いのですが・・・ 今朝の衛星画像。 今後の進路と予報に注意。
2009.09.16

金の《合格消しゴム》 五角形で「ごかく」→「ごうかく」という縁起物だ 勝負の日まで そっと ペン入れに忍ばせておこう
2009.09.15
戦いにおいて、最終的に勝敗を決めるのは、 「信じる力」である。 これをやればいい、これをやらなくてはという、 自分の確信した姿勢を、素直に貫き通せる力である。 それは、よく言われる努力でも精神力でもない。 立ち向かいながら掴んできた、 自分を賭けてみたいと思える、目に見えない力。 託してもいいと観念したような、強い力だ。 君はそいつを信じ、精一杯エネルギーを注ぐだろう。 信じているから動ける。 信じているからギリギリまで自分を託せる。 勝敗は努力によって決まらない。 努力というものは、その決戦場までに敷かれた階段だ。 使うために蓄えた力は、使うことで光を放つ。 どれだけ使い切るかは、君の「信じる力」によって決まるものだ。 「信じる力」によって築いたものが、やがて勝負に使われていく。 精神力がいくらあっても、観念にはかなわない。 貫き通す力が精神力なら、観念はその精神力を貫き通す力。 「信じる力」とは、そういった観念を引きずり出し、 最終的に己が託せる対象物を掴み切った、刃のような力だ。 戦いにおいて、最終的に勝敗を決めるのは、 「信じる力」である。 これをやればいい、これをやらなくてはという、 自分の確信した姿勢を、素直に貫き通せる力である。 学習において、いや、学習の成功において、 出来るとか、 必ず成し遂げるとかいう、自分をギリギリまで追い込む言葉は、 何かを信じ切ったときの目に見えない力によって生まれるものだ。 どれだけやったかではない。 どれだけ裏を取ったかでもない。 何だか説明の付かない神がかりな強い力があるなら、 それが「信じる」という部分から生まれる力なのだろう。 戦いの場において勝つためには、 計算されたシナリオが必要だ。 どうしようではなく、こうするのだという、 強い確信が結果を作っていく。 計算は何も緻密でなくてもいい。 ただ、そこに信念があれば、 押し通す力そのものが計算になるのである。 君が今、何か信じ切れるものを感じているのなら、 大切に育てて欲しいと思う。 どんなちっぽけなものでもいい。 「信じる」ということは、やはり尊いものなのだ。 その信じるゆえに掴んだ力が、 やがて君の勝負を左右する時が来るだろう。 勝負は計算の積み上げと精度では決まらない。 どう信じ、どうこだわり、どう向き合ったかという、 地道な記録で決まるのである。
2009.09.15
来週の21日、22日は、10時から自習スペースとして開放するが、 同時に中学生に対し、『理社SOS』を実施することにした。 久々の実施だ。 理社でフォローしたい部分があれば集まって欲しい。 個別に対応する。 1・2年生も部活の時間と相談し、可能な範囲で集合されたし。 いずれも、事前申し出が基本の、希望制とする。 昼の気温などに、少しずつ秋の気配が感じられるが、 教室もそろそろ季節に合わせた模様替えをしようと思う。 今回は大規模な改装はしない。 勉強の秋に相応しい雰囲気づくりと、情報提示の強化をメインとする。 2学期が始まり、体育祭も終わり、 これから先は一気に速度が上がる学習が待っている。 すでに出遅れている生徒は、まず追いつくことを、 好スタートの生徒は、出来るだけ先取りを進めておこう。 今年もすでに7割が終わり、日数は残りあと3割だ。 70%の収穫と反省の上に、30%の未知の可能性がある。 君の70%のパワーはどれだけか。 30%を素敵なものにするために、点検は大事だぞ。 もう30%しかない。 いや、まだ30%もある。 君の考え方次第で、納期の大晦日の状態は決まる。 過去は変えられないが、 明日はどうにでも変えられる。 君なりに頑張り、 良い作品を自分の中に残そうじゃないか。
2009.09.14
北辰テストの申し込み締切りが迫っている。 今回は中3生と中1生が対象だ。 中3は重要な回なので説明するまでもない。 みな受ける前提で日程を組んでいると思う。 問題は中1生である。 週末までは、大体予想通りの申し込み状況だ。 中1における北辰受験には意義がある。 私はそう考え、いつも受験を勧めている。 子どもに選択権を与えていては、いつまで経っても腰は上がらない。 こういうものは、親が決定権を持ち、 普通に受験するものだという空気を創っていくべきだろうと思う。 私の息子は二人とも、中1からすべての回を受験した。 成績の推移を見ていく上で、当然受けるものであり、 それによる利点を子どもたちともよく話し、共有したものだ。 子どもが受験したくない理由としては、 せっかくの休みにわざわざ試験に出向くのが面倒である点と、 今受けても良い点数が取れないという点だろう。 そもそも子どもは、余計な試験を率先して受けたいとは思わない。 親としては、この心理を正しく把握して、 要不要を強く説いていかなくてはならない。 子どもは今の状態に目を向けるものだ。 ならば親は目先ではなく、1年後あるいは2年後を捉え、 路線をしっかり引いてあげることを意識していたい。 北辰は中3の秋を除き、好成績を取ることが目的ではない。 特に中1生が受ける目的は、 定着の度合いを数値で計り、次以降の指針としていくことにある。 我々が健康診断を受けるように、科目単元のレベルを精査し、 適切な処方を計画していくための、 その時点でのデータを残しておくことに意味があるのである。 受験の仕組みが変わり、新制度入試がこの春から始まる。 意識の高まりは、家庭により大きく二分化しつつある。 来年の今、安定した学習成果を保つためには、 先を見据えた現在の行動がとても大事だ。 学校は絶対評価になり、学校ごとのレベルも評定もひどく曖昧だ。 この地元一地域だけでもそれを感じる。 入試は県全体で同一条件で行われる。 その条件に合わせ、早期に相対評価を知ることには価値がある。 定期テストがいくら出来ても、 北辰のような定着確認模試では、点が取れない者がかなりいる。 その発見は、時期が遅くなればなるほど、 修正に膨大な時間を要するのだということを認識しておきたい。 また、他校の生徒たちと同じ教室で受けるわけで、 緊張や臨場感の体験という観点からも、会場受験は有効である。 中1、中2は、年3回しかない。 そのタイミングを適切なハードルとして捉え、 復習に取り組ませ、力を維持していくことがポイントであろう。 親がハードルを外してしまえば、 子どもは焦ることもなく、頑張ろうともしない。 そういうものだと思いぬるい環境で流してしまった子に、 3年になり一気に高いハードルを与え、越えることが出来るだろうか。 北辰は特別なアクシデントがない限り、受験し記録を残し、 リカバリーの処方箋として十二分に使いこなしたい。 受けてみることで、出来たり出来なかったりの、 予想外の発見が必ずあるものだ。 卒生たちの記録を紐解いてみると、 最終的に成績が安定した子どもたちは、 やはり中1生の時から受け、推移を把握してきた者たちに多い。 繰り返すが、中1生の場合は、高い偏差値を取ることが目的ではない。 高い偏差値を取るという前提なら、一体いつ受けられるのだろう。 正しい北辰の意味合いを、ぜひ考えてみて頂きたいと思う。 今後の教室での指導にも関係してくる試験。 今回は15日火曜が締め切りだ。
2009.09.13
一日単位で差がグングン開いていく時がある。 ちょうど今がその期間。 9月初旬から10月初旬まで、約1ヶ月。 この時期が一年で最も大切な期間だと、私は判断している。 なぜそう言えるのか、 理由はある。 1 夏という大きな期間過ごし、そこで得たものを検証していく期間であること。 2 その検証を学年後半に活かし、仕上げていく年の節目であること。 3 学期単位でリセットし、後期に向け態勢を整えるべきタイミングであること。 4 反省や効率を踏まえ、適切にギアを変えていける時であること。 5 暗記からアウトプットに転換していく好機であること。 この1ヶ月で、君はどんな仕上げをしてくるか。 ひとつ忠告しておこう。 来月初旬まで、だらだらと収穫のない時の浪費をするのなら、 君の一年はそこまでだ。 私は奇麗事が嫌いなので断言するが、 君はその後伸びることはない。 学年の最後にベストな状態を目指すなら、 今、自分を見詰め、精一杯修正しなさい。 最高の自分を目指し、強いノルマを課してみなさい。 10月中旬からは定期試験が始まり、ひと月半自由がなくなる。 自分の自由が封じ込められる。 それまでの期間、10月初旬までが岐路を決める。 カレンダー上、もう一ヶ月弱だ。 さあ。君はここで何をやる。 何を突き詰める。 そいつを主張するために汗をかいた暑い夏はもう終わる。 一日単位で差がグングン開いていく時がある。 やった、やらないで、信じられない開きが出る時がある。 ちょうど今がその期間。 9月初旬から10月初旬まで、約1ヶ月。 この時期が一年で最も大切な期間なのだ。 辿った足跡を検証し、次に繋げていくように、 反省し、大きな節目に可能性を送り込む時なのである。 今このときに、態勢に磨きをかける密度を上げて欲しい。 完成度に数値があるのなら、 30%を80%にするほどのエネルギーを、君が引きずり出すこと。 過去の延長ではない、集約すべきタイミングの成否が、 正に今の君の一日一日に問われている。 10月中旬からは定期試験が始まり、ひと月半自由がなくなる。 1ヵ月後のその状況を、もう一度かみ締めよう。 自分を高め、磨く時間が、取れなくなるぞ。 自分の据えてきた軸を確認し、矯正し、磨いていくのだ。 出来るのは今であり、 その達成度が、 勝負である君の冬のステージを決めるのである。
2009.09.13
「私はちゃんとやったのよ・・・なのに客が・・・」 「私がなにしたって言うの?・・・何で店長は私ばかり・・・」 「ちゃんとやったし・・・何も悪くないのに・・・ふざけんなよって・・・」 「だってそうでしょ? 悪いのはあの客が・・・」 「もう・・・頭おかしいんじゃないの・・・」 大学生っぽい女の子が、駅で仲間に不満をぶつけていた。 どうやらバイトの接客でトラブルがあり、後で店長に注意を受けたらしい。 その経緯と納得いかない気持ちを、大声で延々とぶちまけている。 聴くに耐えない、知性を感じさせない声質と語調だ。 周囲の迷惑も考えず、非常に不快に感じた。 よほど言ってやろうと思った。 こんな風に。 「あのね、どうでもいいけど、うるさいんだよな。誰がどうだか知らんが、要するにお前さんが悪いんだろ? ちゃんとやってないからトラブるんだよ。何したって? そうなるようなことをしたのは、あんただろ。あんたの接客が、そうなる原因を周囲にふり撒いてるんだよ。店長に注意されたって? 当たり前だろ。満足な接客もできずに何を言ってる。正しい接客ができるヤツってのはな、こういう場所でも周囲に気配りができるもんなんだよ。」 と、まあ言ってたら、駅長室で足止めを喰らっていただろう。 経緯は詳細には分からないが、 まああの様子では、何となくその一件のやり取りも表情も想像できる。 「私はちゃんとやったのに・・・」 実は、この言葉に少し考えさせられた。 ちゃんとやったのに、納得いかない仕打ちを受けた。 この流れには、「ちゃんとやれば、当然評価されるべきだ」という思いがある。 それがズレたかたちで返ってきた時、 一度受け入れて、自分に原因が無いかを振り返れるか、 受け入れようとせずに他に原因があるのだと思い込んでしまうか。 この女の子の場合は後者なのだろうが、 こういう思考が常になると、人付き合いでいつも損をすることになるだろう。 ちゃんとやっていても、上手くいかないことなど日常茶飯。 その度に誰が悪い、何がいけないと吼えるのだろうか。 他人のせいにし、社会のせいにし、 私は悪くないのにと文句を重ねている。 さあ、あなた自身はそれで順調に成長できるだろうか。 上手くいかないということには、いくつかの原因がある。 ひとつは、致命的な失敗をした時。 ひとつは、失敗しているのにそれを受け入れようとしない時。 もうひとつは、過信しすぎるあまり、 気付かずに失敗の空気を引き寄せている時。 これは学びの場合にも当てはまることだ。 「私はちゃんとやったのに・・・たまたま結果が・・・」 「私はちゃんとやったのに・・・変な問題が・・・」 「私はちゃんとやったのに・・・ちょうど苦手なところが・・・」 「私はちゃんとやったのに・・・つまらないミスで・・・」 「私はちゃんとやったのに・・・読み間違えて・・・」 「私はちゃんとやったのに・・・配点の大きい問題を・・・」 私は悪くない。 なぜなら、ちゃんとやったのだから。 頑張ったんだから。 君がもしこういう考えで学び、試験を繰り返しているとしたら、 すぐに改善すべきだろう。 結果として悪い点の仕打ちを受けたのなら、 それは理想的な学習ではなかったということだ。 また、そうなったのなら、何故なのかという原因を探さなくてはならない。 「ちゃんとやったんだから」という理論は、 結果に帰結して初めて「正」の意味を持つもの。 私は正しいと、君は次もその次も反省せずに押し通すのか。 仲間に愚痴を語り、自分の行為に同情してもらうのか。 上手くいかないということは、 そうさせる空気を自分が招いているということに気付いて欲しい。 そして、その「気付き」に、自分を育て成長させ、 生活を順調にさせていくヒントがある。 「ちゃんとやったのに・・何で? もう信じられない、ムカつく・・・」 「ちゃんとやったのに・・何で? こうなっちゃった原因は何だろう・・・」 違いをよく考えてみよう。 昨日の駅の一件で、そんなことを思った。
2009.09.12
厚さ0.1ミリの紙 10枚で ハサミが使えなくなる 20枚で 強い磁石も効かなくなる 30枚で ホチキスの芯を曲げ 通さなくする 40枚で ガチャ玉が嵌らない板となり 50枚で カードケースが歪む 100枚なら 厚みは1センチ 200枚なら どんな止め具も無能だ 300枚で 長編小説の厚みを超え 500枚なら 剣を差してもびくともしない 700枚なら 君は片手で掴めない 1000枚なら 厚みは10センチだ 1500枚なら 拳銃の弾をも途中で確実に止める 2000枚なら 立派な踏み台になるだろう 3000枚なら それは両手で抱えるほどの重い立体 5000枚で 人が座れる椅子になり 7000枚で 机の高さにもになる 10000枚なら 積み上げた高さは1メートル 20000枚なら 君の背丈のはるか上をいく たった0.1ミリの積み重ねが 形を持ち 重みを伴っていく 小さな一つ一つを大切にしたい おざなりにするのではなく 無造作に広げるのではなく 丁寧に重ねていこう 君の知恵は 10には10の 100には100の顔を具えていく 厚みにそった力を具えていく 今日の収穫は幾つか 君は正しく記録したか たった0.1ミリの分子であっても 蓄積の努力を惜しんではいけない 前進の原型というものは そんな地味な作業にあるものなのだ
2009.09.11
9月の大型連休(シルバーウィーク)をどうするか調整に悩みましたが、 結論として休校扱いとすることでまとまりました。 秋の連休実現は国の計らいでもあり、 また、普段出来ない個人の取り組みや、家族の計画などを、 塾としてサポート、協調していくことは意義のあることだと思いました。 普段どおり平常授業で組むことは簡単です。 でも、ただ授業数を消化するのではなく、 こういう時にしか得られないものに視点を向けてみることも大切です。 生徒たちにとって塾は生活の一部ですが、 期間外に振り替え調整することは可能です。 今回は、学校や社会との連携を優先しました。 ただし、21日(月)、22日(火)は、自習用に教室を開けます。 開放時間は掲示内容を確認してください。 また連休中に該当する授業は、振り替え設定をいたします。 中学生ならば定期試験も近くなるので、 その前に消化することも可能です。 希望確認をしながら進めていきますので、宜しくお願いいたします。 学校行事も絡み、固定スケジュールが乱れがちですが、 祝日の休校につきましては年内最後になります。 なお、連休明けに次回トライアルを行う予定です。 14日(月)より、休み中に取り組む課題を発表しますので、 しっかり準備をして臨んでください。 小学生~中2生までは現学年の試験に生きる内容、 中3生は10月の北辰に向けた最重点のチェックになります。 量は少な目です。 以上の内容は別途お知らせを配布いたしますので、 そちらもご確認ください。
2009.09.10
夏休みのルーズな生活を引きずってるからかな、 どうもリズムが掴めない。 学校の授業も塾もまったく身が入らないし。 体育祭や行事ばかりで疲れ気味。 眠くてしょうがない。 先輩が引退した部活は相変わらずハードだ。 友達の誘いに乗って、ここのところ帰りの遅い日が続いている。 どうせお母さんは仕事だし。 分かりやしない。 学校の授業進度が急に早くなった。 分からないまま、どんどん進んでいく。 おい、おい、って感じ。 でも、夜一人で勉強する気、起きない。 面倒だし、どうせやっても分からないし。 宿題も春と違って適当になった。 部屋に籠り、メールばかりやっている。 明日も朝練か。 でも提出物が終わっていない。 電流・・・領事裁判権・・・切片・・・不定詞・・・ だから? もういいよ・・・ 机周りはいつの間にか雑誌や誘惑の山。 気がつけば今日帰ってからカバンを開けていない。 眠い。 友達からまたメールが来た。 着信は今日だけで30件。 やったね。 土曜日、新しく出来た店に行こうね。 中間テスト? そう言えばそんなのあったっけ。 明日は1限が数学の小テスト、2限は眠い英語か。 夜は塾もある。 宿題のプリントなんてまったくやってない。 理由つけて少し遅れて行こうかな。 本当に具合悪いし。 夏休みなんてあっという間、早く冬休み来ないかなあ。 親はいつも勉強しろってうるさいし。 机にいれば安心するし。 平和~。 今度テスト下がったら、ケータイ取り上げるって。 先週そんなこと言ってたっけ。 あーあ、テレビぐらいみんな観てるのに。 部屋で何しろって言うんだか。 でもどうして机に向かうと眠くなるのだろう。 少しは勉強しないとまずいと思う。 授業もよく分からないし。 でも・・・ 前の学年からやり直したら何時間かかるんだろう。 その時間でやれること、いっぱいあるよね。 まあ、慌てなくていいか。 受験まではまだ間があるし・・・
2009.09.09

昨年の受験生N君が作ってくれた「1世紀年表」。 20、19、18世紀とある。 内容、分類ごとに色を使い分け、印象化に工夫を凝らしている。 彼は受験までにこのすべてを頭に叩き込み、 各項目の年代はもちろん、 無作為に選んだ複数項目の並べ替えも瞬時に出来るようになっていた。 互いの位置や関係などを、 紙面ごとそのままイメージすることに成功したのである。 彼は私の問いにどんどん即答し、見事にこの作業の可能性を証明してくれた。 先日の理社特訓でも現受験生に作成のコツを伝えたが、 面倒がらずに、自分のリストをまず作成してみよう。 1910年台、20年台と、縦一列をグループ化していくのが基本だ。 何度も繰り返し開いていると、 その中で何が先で何が繋がっていくのかが、次第に見えてくる。 今回の北辰で出た、官営模範工場のひとつ、八幡製鉄所。 ほら、20世紀の最初にあるだろう。 ということは、維新の改革から30年先だということが分かる。 書き込む項目の数は力に合わせて追加していけばいい。 色分け、記号、イラスト、シール、矢印。 さらに空欄補充など、自分なりに工夫してみるといいだろう。 そのうち、トライアルでやるぞ。 しっかりイメージ訓練をしておくように。 写真の作成例が欲しい者は申し出れば渡している。 20世紀少年をみてる時間があったら、20世紀年表を作りなさい。
2009.09.09
夏の特別講座では、大量の知識を公開した。 ここが出ると何度も紐解き、指し示した。 理解を確認するために、繰り返しチェックもした。 理社に関してはその幾つかが、 いや相当数が、 今回の北辰の問題に復元されるように出題されていた。 直球のような問題はもちろん、 問いのアングルを広く括れば、相当な数である。 君らにとって大事なことは、 それをどこまで埋めることが出来たのかということだ。 ここが出る。 ここが問われる。 そう説明し、再三警告を与えてしつこく攻め込んだもの。 そいつが復元されるように出題されながら、答えられないとしたら、 君にとっての講座は一体何だったのか。 あの日、必勝うちわを手に整列し、解き続けた時間は何だったのか。 なあ・・・・ 問題を見る限り、二教科で約25問。 講座で、重点として指摘した内容の数だ。 偏差値換算では、5教科で15に該当する。 これを活かすか殺すかは君自身の問題だ。 答えられなかったものが僅かならまだしも、 「社会、全然ダメー、あり得ない」とはどういうことか。 君は何をしにここに来ている。 あの時、何のために私の前に座っていた。 甘く見るんじゃない。 いい加減に聴いてるんじゃないよ。 出来ないのなら、傾向を熟知した人の話を、指示を、 最高の姿勢で受け止めるべきだろう。 並んだ椅子はそのための場であり、それが非力である君のすべきことだろう。 示された可能性を拾えない、いや、活かせないのなら、 私の前で神妙にする必要もない。 うざい、面倒だ、どうせ分かんないと文句を垂れ、 自力で奮闘してみるがいい。 同じ情報を与え、しっかり把握する者もいる。 その差は何なのか。 また塾長が吼えてら。どうせ出ないよ。 何時からお前は聴衆になった。 何時からお前は評論家になった。 数千題を分析し、ここがこう試されると私が言っているのだ。 そこに価値を感じられないのなら、もう来るなよ。 乗りたくないのなら、参加するな。 お前は非力ならばこそ、攻め込まれ、悩んでいる。 解けなくて悔しい思いをしている。 そうではないのか。 私の与える情報は、知識は、 お前たちがそれを答案に復元し、結果を出すという目的で提示している。 意味を分かって欲しい。 ただの演習ではないのだ。 命がけの指示なのだ。 ただ聴衆として参加してもらうために、対峙しているのではないのだ。 隣の仲間と話し、肝心な部分を聞き漏らし、 挙句は試験で答えられない。 「先生! こないだやった所、出ましたよ」 という者の隣で、 「えっ? やりました? そうでしたっけ」 という者がいる。 同席していて何故こうも差が出るのか。 自分に当てはめ、よく考えてみなさい。 君の意識ひとつでどうにも変わっていく瞬間が、 今後も無数待っている。 誰に有利でもない、平等な可能性の場だ。 私は価値の無いものは押し付けない。 そいつを理解し、真剣にまたここに来るのかどうか。 君が責任を持って判断したまえ。 私は点を取るための手引きを与える。 幾つ拾うか、どれだけ見過ごすか。 ここはそいつを記録していく、真剣な戦場なのである。
2009.09.09
ある女子生徒からメールを貰いました。 まだ会ったことのない、遠方の高校受験生です。 何の縁か、当ブログをよく訪問してくれていて、 私の記事からヒントや励みを掴み、日々受験生活を頑張っているということです。 経緯に触れた返事は書けませんが、 何か明日からの受験生活に向けたメッセージを送りたいと思います。 ほんの一握りでも役に立ってくれたら嬉しいと・・・ Kさん。 あなたはしっかりした素敵な方ですね。 素直にそう感じました。 温かい文章には、あなたの生活の輝きがそのまま表れている。 そんな心地よい風を運んでくれた文面に、 まず感謝したいと思います。 毎日の勉強ははかどっていますか。 受験までもう半年を切った頃ですね。 これからの日々は、一日一日に貴重な光と重みを感じていく、 掛け替えのない期間となることでしょう。 受験はよく長距離走に例えますが、 ただ長い距離を走るだけではありません。 足元を確かめ、障害をかわし、リズムを保っていくことはもちろんですが、 空気を感じたり、景色を楽しんだり、 あるいは途中で出会いや発見を拾ったりと、 自分にとって価値のあるものを引き寄せるための道程でもあるのです。 道の途中に落ちていた、ちょっと綺麗な石ころ。 日差しをさえぎる木陰の心地よさ。 すれ違う笑顔や風。 そういうものを、手にしたり眺めたり感じたりできる素敵な道が、 あなたのために用意されているのです。 勉強というものは決して辛いものではない。 もし辛いと感じるのなら、 それはあなたが真剣に自分を大切に感じているからです。 大切に感じているから、高めよう、強くなろうと、 辛さを受け入れるのです。 学びというものは、簡単に受け入れられるほど単調ではない。 単調ではなく、入り組んで巨大なハードルを持っているからこそ、 やり甲斐があるのです。 汗を掻き、強くなれるのです。 ただ、あなたが時間をエネルギーに変えることに価値を感じるならば、 あなたは確実に前進できる。 勉強は辛いものではないというのは、 その成長や可能性を捕まえる楽しみを秘めているということです。 頑張ることで、ひとつの知恵を拾える。 向き合うことで、その知恵が財産になっていく。 素敵なことではないですか。 受験は15歳にとって最大の試練でしょう。 仲間たちもみな同じ環境で闘っています。 でも余り深く考えてはいけない。 あなたにはぜひ、自分の風を感じていて欲しい。 軸をしっかり据え、風を掴み、利用する術を意識していて欲しい。 風に逆らい立ち向かうばかりが受験勉強ではないのです。 風にまかせ、時として流されてみる。 あるいは視点を変えて全体を眺めてみる。 そんなことで発見できる肝が、必ずあるものなのです。 北風と太陽のように、ただ押すだけでは開かない扉ならば、 試しに引いてみることでしょう。 ヒントは正道ではない道草に転がっています。 あなたなりに集めた宝物があるのなら、色々と工夫してみることですね。 社会が苦手だと聴きましたが、 社会は短期間で制覇できる筆頭教科です。 何よりも教科書を読み、流れやテーマごとの中心を押さえてください。 ボロボロになるまで開くのです。 使いまくるのです。 あなたにとって最高の師は教科書であることを忘れてはいけない。 教科書をマスターしたら、用語の確認をします。 一問一答を即答できるまで繰り返します。 インプットの厚みは、過去問を解くための装備となります。 そして、解きながらさらに情報を拾い、知識を高めていけばいいでしょう。 学習方法は今後も書いていきます。 ヒントを拾っていただければと思います。 よく言われるように、学びにはやはり基礎が大事です。 土台がしっかりしていなければ、上に積み上げるものが安定しません。 もし不安定な部分があるのなら、 丁寧に修繕しておきたい。 家は要にあるべき釘一本がないために崩れることがある。 学習も同じです。 納得のゆく作品を完成させるには、 やはり土台にこだわり、パーツの位置を安定させていくことなのです。 先ほどの教科書は、その最良の設計図なのです。 そちらはもうひと月もすると寒い季節になりますね。 どうか体を大切にして乗り切ってください。 受験というものは決してあなた独りのものではありません。 支えてくれる親がいて、友がいて、 それぞれの理解があり、あなたがいるのです。 学び、自分を研けることに誇りを持ちながらも、 ぜひ、感謝の心を忘れずにいて欲しい。 桜の季節に、 あなたの成功を一緒に喜んでくれる人を大切にしてください。 時は流れていきます。 でもそれは、みなにとっても同じ条件。 悔いのない、精一杯納得できる日々を、 カレンダー一杯に書き込んでいる。 Kさんのそんな姿を想像しながら、 遠方で応援しています。
2009.09.08

頑張る生徒たち。 8月半ばの「24時間トライアル」の風景だ。 朝、一番辛い時間帯。 前日の朝からもう24時間。 黙々と自分と闘っている。 昨日の北辰はどうだったか。 慌てずに足元を固めていこうな。 君たちの頑張りをここに記録しておく。
2009.09.07
しばらく前からあります。 意味は不明。 男の子、女の子とありますが、 中身は同じ清涼飲料です。
2009.09.07
よく「勉強のしかたが分からない」という悩みを聞く。 生徒本人からも親御さんからも、数え切れないほど聞いた。 「しかた」が分からないので、いつも効率の悪い勉強をしている。 だから、何をどうやったらいいのかを教えて欲しい。 という流れだ。 勉強には様々な要素が絡んでいる。 ここに、私の思うところの外せない要素を9つ列記しておきたい。 1 時間 2 道具 3 手順 4 計画性(目的を含む) 5 量(どれだけものにしたのか) 6 反復(定着のための訓練) 7 記録(知識をファイルしていく) 8 習慣化 9 検証(再生産していく) いずれも外せないが、優先すべきものははっきりしている。 それは5番の「量」であろう。 学び理解していく上で大切なことは、 何をどれだけ知り、自分がどれだけ強く数と量を確保したかということ。 よく見てみると、その他の項目はいずれも、 その「量」を得るための付随した要素であることが分かるはずだ。 理解し知識を確保するために、計画・時間・習慣・道具が必要であり、 手順・反復・記録・検証といった技術面での一体化が意味を持ってくる。 冒頭の「しかた」というものは、「どのように」ということなのだが、 ここで大事なこととして、 まず学ぶ上で、何を優先させるのかを明確にさせることではないだろうか。 量をものにすると言っても、何をどこまでというターゲットが必要だ。 よく医者に例えるが、 ただ痛いというのは、全教科を漠然と捉えて「分からない」と言うこと。 足が痛いというのは、ある教科がただ分からないと言うこと。 膝が痛いというのは、その教科の特定単元を指して言うこと。 膝がこんな感じで痛いというのは、単元の中の細部を具体的に説明すること。 これらの違いをしっかり把握し、 どこをどれだけ強化したらいいのかを、はっきり定めていくことだろう。 「どのように」と言われれば、 先の9つの要素がすべて処方箋になる。 だが、理解し知るためには大きな作業の流れがある。 ご飯を食べるには食材が必要であり、そのためには買出しが必要だ。 買出しには金も無くてはならないし、調理し、並べるための食器も必要だ。 当然時間も必要になる。 この作業の流れをよく考えてみて欲しい。 買出しと調理と盛り付けの手順を入れ替えることが出来るだろうか。 学びというものにも、これと重なる流れがある。 買出しは知識を集め確保する、攻めの流れ。 調理はそいつを加工し、理解し、かたちとして生産していく流れ。 盛り付けは作り出した記録を、頭の中に定着として残していく流れ。 一品なら作業も比較的簡単だ。 だが、食卓に素敵な料理を幾つも並べるには、 初期の食材集めの量を増やさなくてはならないだろう。 学習の記録を手元に残し、幾つも頭に収めていくためには、 その原点である「知る」という行為をできるだけ多く重ねることだ。 集めたものが姿を変え、使える知識になっていく。 だから私は「どのように」の前に、まず、 「どれだけ」という視点を重視したい。 克服すべきリストがあるのなら、 効率など考える前に、隅から制覇していくのである。 集めることで見えてくるものがある。 集めることで不具合が消えていくことがある。 目の前のこいつを100個ものにする。 その決意が全体のエネルギーとなり、次の作業を自ずと決めていく。 計画も時間も、反復や手順も、 すべて付随してくるものなのである。 勉強が停滞し悩んでいるのなら、 先の9つの要素を検証してみよう。 いかに中途半端な取り組みを繰り返しているかが分かるだろう。 中途半端な作業は、未完成な曖昧なものを作っていく。 「何をどうしたらいいか」 ひとつ答えるのなら、 5番目の要素に君が向き合うことだ。 期限を決めて、集めてみることだ。 どうしたらいいかの答えは、その過程で必ず見えてくる。 そして、無意識に実践しているはずだ。
2009.09.06
夏の達成度が問われる中3の9月北辰が、日曜に実施される。 結果によっては私立の確約に王手をかけられる、 とても大事な一回だ。 中1から今まで9回北辰があった。 その助走を終え、いよいよ結果が問われる本番の判定が始まる。 自己ベストを出すために、入念な作戦を立て、 今までにない攻める試験を実現して欲しい。 1問5点で2問なら10点。 その10点へのこだわりが大きな成果を生む。 10点は教科偏差値「6点」、5科偏差値「1.2点」を意味する。 4問なら5科で偏差値「2.4点」、 5問なら5科で偏差値「3点」に値する。 各教科、1問ずつ粘って正解を勝ち取れば、偏差値は 「3」 上がる。 さらに各教科、1問ずつ見直しでミスを修正できれば、 偏差値は「6」上がる計算だ。 このたった2問の攻防が運命を決める。 絶対に諦めてはいけない。 絶対に最後まで妥協してはいけない。 前にも言ったが、今回はみな夏に磨きをかけて挑んでくる試験。 他者より上に行くためには、 制限時間を1秒も残さずに使い切るのが、絶対的な使命だ。 詰まらないミスを発見するたびに、SSが「0.6」ずつ上がっていく。 その意味をしっかりとかみ締めて臨もう。 教科別で言えば、「理科」「社会」がターゲットだ。 仮に理社の合計が「90点」の者と「140点」の者を比較すれば、 50点の差は、5科偏差値で 「6」 に該当する。 この2教科の出来いかんで、志望校へのキップが大きく変化していく。 そして理社というものは、直前の仕上げのコツさえ外さなければ、 その一気に伸ばせる可能性が最も高い教科なのだ。 今日夕方より北辰対策を行うが、 今回は特に理社に重点を置く。 申し込んで来た意欲のある者は10名。 事前に与えた課題を解いて持参するのが条件だ。 2ヶ月前に提出した夏の計画。 そこに君は「9月目標偏差値」を書いたのを覚えているか。 いよいよそいつを実現させる時。 10台目のハードルがそこにある。
2009.09.05
悩むということは、真剣であること。 悩むということは、時間と闘うこと。 悩むということは、順調に力が蓄えられていること。 学び、進んでいくときに、 「悩む」という瞬間は、必ずやって来る。 道にある水溜りのように、時として進まず、 君はどうしようと、苦悩し戸惑うだろう。 だがそれは、君がより強い力を得るために可能性を感じているとき。 越えたときに見える風景は、 間違いなく、そこまでにはない自信に満ちている。 岐路に立ったとき、君はどちらに行こうと悩む。 正解は一つしかない。 そう思い、君は悩む。 だが実はいずれを選ぼうと正解なのだということに、 誰も気付いていない。 大事なのは、己が選択したものに誇りを持つこと。 こだわり、自信を持つこと。 いずれを選ぼうが、そこに魂が見出せればいいのである。 強い人間は、その感覚を収斂の場で捉えている。 一歩進んだのなら、その道の環境を見落としてはいけない。 道標は岐路ではなく、過程に示されているものなのだ。 悩むということは、真剣であること。 悩むということは、時間と闘うこと。 悩むということは、順調に力が蓄えられていること。 どうしよう、弱ったなと思ったら、 辛さを感じ、もう駄目かも知れないと感じたなら、 目の前にある小さなきっかけを大切にしよう。 道に転がる小さな石ころを拾うように、 手の届くもの一つ一つに流れを求めてみよう。 この問いを解かなくてはならない。 これをとにかく覚えなくてはならない。 道というものは、そういう小さな行為の連鎖によって示されてくるもの。 幾度も悩み考えながら、 道を発見し、見極めるために、大切な学びの課程を踏んでいるのである。 君は大いに悩めばいい。 悩むということは、真剣であるということ。 決して停滞し、時を無駄にすることではない。 順調では得られない、 踏みとどまり振り返ることでしか掴めないものがある。 その価値を実感するのは君だ。 もう一度言う。 悩んだなら、目の前の小さなきっかけを大切にしよう。 岐路に立ったなら、信ずる道を進もう。 道はその先に必ずある。 悩み考える行為は、 そこにあるであろう可能性を引き寄せるために与えられた、 誰もが経験する大切なステージなのである。
2009.09.04
中3生たちへ 9月~10月は、これまで描いたデッサンに薄く着色を始めるとき。 苦労して掴んだものを一つずつ確認し、 成果として残していく期間だ。 夏の前とは条件が違う。 誰もが動き始め、差が明確に記録として残っていくとき。 今までの延長でのんびりしていると、 寒い季節に大きな負荷が待っているだろう。 夏の手応えはみなそれぞれ違うだろうが、 得たものを一度整理し、組み立て、戦略としての武器に変えていこう。 曖昧ならばもう一度攻め込もう。 強いものはしっかり保存しよう。 9月からは試験が多いが、そのすべてが実戦だ。 今までの練習とは違うぞ。 勝負の結果は、素直にその前の期間の在り方によって決まってくる。 学習は日々進行形だ。 いつ、どのタイミングでハードルが待っているのか。 カレンダーを先取りし、 そこにベストな自分を持っていけるようにしたい。 明日からではない。 今日からでもない。 今から、分刻みで動くのだ。 そして動くことで得たものを、宝のように大事にしていこう。 受験のために使える時間は、あと4ヶ月程度。 200日後には桜咲く春がやって来る。
2009.09.03
『もし世界が100人の村だったら』 誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで 全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう その村には… 57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます 52人が女性で 48人が男性です 70人が有色人種で 30人が白人 70人がキリスト教以外の人たちで 30人がキリスト教 89人が異性愛者で 11人が同性愛者 6人が全世界の富の59%を所有し その6人ともがアメリカ国籍 80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません 50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人は今生まれようとしています 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け そして1人だけがコンピューターを所有しています もしこのように縮小された全体図から 私達の世界を見るなら 相手をあるがままに 受け容れること 自分と違う人を理解すること そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは 火を見るより明らかです また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう もしあなたが今朝目が覚めた時 病気でなく健康だなと感じることが出来たなら …あなたは今週生き残る事のできないであろう 100万人の人たちより恵まれています もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩 あるいは飢えの悲痛を 一度も経験したことがないのなら… あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問 または死の恐怖を感じることなしに 教会のミサに行くことが出来るなら… あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら… あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています もし銀行に預金がありお財布にお金があり 家のどこかに小銭を入った入れ物があるなら… あなたはこの世界の中で最も裕福な 上位8%のうちの一人です もしあなたの両親がともに健在で そして二人がまだ一緒なら …それはとても稀れ なことです もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう 何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて その上あなたは 全く文字の読めない世界中の20億の人々より ずっと恵まれているからです 昔の人がこう言いました 我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来ると お金に執着することなく喜んで働きましょう かって一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう 誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう 誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう このメッセ-ジを人に伝えて下さい そしてその人の一日を照らしてください ※作:K.Leipold ※訳:なかのひろみ (サイトより転載) ・・・・・・・・ 中盤から終盤にかけてのメッセージを しっかり感じて欲しい 余りにも有名な言葉の清流 8年経った今も強さを持って我々の中にある 君はどうか 屋根のある家に住み 食事に困らず 文字を読み 教育を受けている 世界のほとんどの仲間たちは その選択すら許されず 辛く貧しい生活を受け入れている 自由がないと我がままを言い 塾で散漫な時を過ごすことが 君にとって いや、世界の仲間にとっていかに惜しいことか 感じて欲しい
2009.09.02
問題を前にして教え子がどれだけ答えられるのか。 指導する者は、常にそこにこだわり、 どう導くべきかに使命を感じていなければならない。 最高の指導をした。 親身に向き合い、丁寧に教えた。 だから何だ。 どう過程を踏んだかは、指導者側の記録に過ぎない。 今、教え子が解けない。 あれだけ説明した問題が解けない。 そのシーンは、指導者の仕事がゼロであることを示している。 再三語っている「説明型授業」の功罪。 理解を与え、技術を伝えていく面で欠かせない行為も、 比重を誤ると、生徒にとってはただのシアターになる。 なぜもっと演習させない。 うんざりするくらい、解かせない。 ただ聴いて理解し、解けるようになるのなら、授業などいらない。 一方向に流れていくビデオで十分だ。 解かせ、観察し、指摘するのである。 解くために必要な「技」を与え、矯正していくのである。 深い説明はその過程で生まれ、叩き込んでいくもの。 料理教室でただ説明を聴き眺めているだけで、作れるようになるのか。 一輪車乗りを眺めていて、自分が突然乗れるようになるのか。 手順を踏まなくてはならない。 教え子が解けるようになるためには、 何よりも教え子が「解く」という行為を重ねていくことが必要なのだ。 常に壁を翳し、対峙し、「解かせる」のが師の仕事なのである。 何度も解きながら掴んでいく安定性は、 与えるものではなく、掴ませるものなのである。 掴ませるために、反復の環境を仕向けていくのである。 説明型授業ではなく、演習型授業にその原型がある。 今、問題を前にして、教え子が答えられない。 さっき説明したばかりの解法が使えない。 なぜそうなのかを、師は自分に問い質さなくてはならない。 生徒によって理解の経緯は違う。 分量も時間も、みんなバラバラだ。 だが大事なのはその差ではなく、個人ごとの定着のための処方箋。 指導者がドクターを標榜するのなら、 徹底して治してあげろよ。 生徒が感覚として掴み取るまで、徹底して解かせるのだ。 冷静に考えてみて欲しい。 解けるようになるには、それ以外にないのである。 授業は指導者が熱弁するための時間ではない。 技術を与え、生徒に理解の完成形を掴ませる時間なのだ。 生徒本人が「掴む」まで、 ペンを握らせる時間なのだ。 さんざん説明した。 その時の演習では解けた。 だが試験になると解けない。 だから何だよ。 指導者の視点で語る評論などいらない。 現に試験で答案が埋められないのなら、 あなたのした「指導」の目的は何だったのか。 考えてみて欲しい。 教え、理解させるのが仕事なら、どうすればいいのかを。 生徒の定着には、知っている者の理論など無力なのである。 こうすればいいとレクチャーした内容が、仮に理解されたとしても、 それは使える知識ではない。 「使える」ものにするためには、「使い込む」行為が必要なのだ。 幾度も、呆れるくらいに解かせることが絶対に必要なのだ。 説明型授業は生徒にとっては受け身であり、楽だ。 だが、演習型授業では、自分から集中し攻めていかなくてはならない。 その過程で生まれる苦悩が、達成を呼び、 より精度の高い定着を保証していくのである。 今、目の前で生徒が解けないでいる。 その現実を師は真剣に受け止めなくてはならない。 配分を工夫し、鬼になり、押しては引く。 課題は仕向けることで表出してくるものだ。 どこまで出来るのか。 生徒の持つ力を確かめ、利用し、 段階を踏みながら、解法へと加工していくのである。 ペンを握り解くのは生徒だ。 解かせるのが師であり、 目の前の「こいつ」に掴ませてあげるのが、 師の立ち位置なのである。
2009.09.01
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