全38件 (38件中 1-38件目)
1

先月から小学1年生が教室の仲間になった。 平成14年生まれ、 まだ6歳だ。 今いる塾生たちも、同じ小1の頃があった。 辛さも苦しみも、何も知らない。 毎日が発見と歓びの頃。 新しいランドセルを背負い、仲良しと手をつなぎ、 歌を歌い、言葉を覚え、 はしゃぎながら学校という社会に身を預けていた。 今日の出来事が楽しくて、楽しくて、しょうがなかった。 そんな発見の日々。 君らの学びの原点も、そんな数年前にあるだろう。 小さいよな。 お兄さんお姉さんたちは、みんな大きくなった。 今は右のスリッパを履き、 ぞんざいに放置しては怒られている。 昔を思い出せよ。 親の真似をしてスリッパを履いて歩くことが嬉しかった、 当時の素直な心を。 上手く履けなくて、母に教わりながら意味もなくペタペタ歩き回った、 そんな当時の思い出を。 君の原点はどこにある。 小1の仲間とともに創っていく教室。 一人一人の思いが、成長の跡が、 小さなものに引き継がれていく。 原点を探せよ。 名学館の夢はみんなのものだ。
2009.05.30
理科の指導が、「運動とエネルギー」に入った。 毎年つまずく生徒が多発する単元だ。 「圧力」「電流」などと並び、物理分野を苦手とする生徒は、 特に女子に多い。 生活や興味とかけ離れているからなのだろうが、 入試では結構高い確率で出題されるので、しっかりとマスターしておきたい。 苦手が多いということは、テストの平均点が下がる。 実際、「運動」では、定期テストは6割取れればかなり上位になれる。 入念に仕上げれば、差をつけるチャンスでもあるのだ。 もちろん私の授業では、6割ではなく9割を取りにいく教え方をする。 速さの単位換算、平均の速さの出し方、記録タイマーを用いた問題。 これらの基本を何度も反復し、 運動の概念を理解し、速く処理できる計算力と計数感覚を身に付けていく。 比の計算が苦手な生徒は不利な単元である。 タイムトライアルを取り入れ、練習させていきたいと思う。 北辰の申し込み締め切りが週明け火曜(6月2日)と迫っている。 月曜から修学旅行に出かける学校の生徒のうち、 まだ5名が申し込んでいない。 一括申し込みの用紙も各家庭に郵送したが、 この6月を受けない生徒も、今回に限り7月以降をまとめて申請できる。 特に秋口の北辰は必修。 一括も2日で締め切るので、もう一度用紙を熟読され、 最終日である今日中に申し込みに来られることを期待する。 もちろん月、火のいずれかに親御さんに持ってきていただいても構わないが、 できれば受験する本人が持参することが望ましい。
2009.05.30
以前、りんご先生が紹介されていた、この「眼の錯覚」。 右脳・左脳に刺激を与えるために、たまに見ている。 もう自由に回転方向を変えられるようになった。 よくよく見ると、脚が交互に前でぶらぶらしているだけだったりする。 どっち回転に見えるかで右脳人間、左脳人間の区別ができるのだろうか。 私の場合はだいたい最初は左回転(上から見て反時計回り)に見える。 1回転ずつ逆回りにする訓練は、 動点をしっかり捉える練習にもなり、 結構集中力を高めるのに効果があるかも知れない。 いつ見ても同一回転の人は、 ぜひ一度逆回転の刺激を頭脳に与えてみましょう。
2009.05.29
わが教室では、 定期試験のあとに生徒たちに結果表を渡し、 教科別の得点結果を直筆で記入してもらっている。 もう何年も中学生に対し行ってきた。 その作業を通じて思うことを、ここに伝えておきたい。 試験というものは良い結果が出るときがあれば、その逆のときもある。 懸命に頑張ったのに思わぬ悪い点を取ってしまった。 そんなときに用紙が配られる。 こんな点数は書きたくない。 そもそも実力はもっと上なのだ。 仲間の○○ちゃんより悪いなんて考えられない。 先生だって知ってるでしょ。 私の方がいつも出来ていたって。 こんな結果で努力が評価されたら、もうたまらない。 そうだ、20点プラスしちゃえばいいんだ。 どうせ分からないし、それが本当の私の実力なんだから。 こういう生徒が毎回1~2名いる。 そんなことはとうに分かっているし、誰なのかも知っている。 だが私は今までそれを追及したことはなかった。 自分の点数をしっかり受け入れ、本人に直筆で提出させる。 その作業に意味があると思っているからだ。 成功したのなら、踊るような活字で書けばいい。 最高の気分を表現し、数字が枠からはみ出したっていい。 花丸やイラストを描いたっていい。 だがもし失敗したのなら、何でこうなったのかを振り返りながら、 自分の記録を正しく残していかなくてはならない。 理由がはっきりしていればいいのだ。 理由が分からないのなら、 一緒に解明し、次に活かしていけばいいではないか。 それが君自身が準備し受けた、試験の一連の記録なのだ。 20点上乗せしたければすればいい。 だがな、君自身が空しいぞ。 目的は結果を踏まえ、分析し、対策を立てることにある。 その行為がどう君に影響を与えるかを考えてみて欲しい。 一つ一つの試験で何を得ていくか。 君がそのことにこだわってさえいれば、どうすべきかは分かるだろう。 塾は正しい記録に沿ってギアを変えていく。 誰も叱ったり、責めたりはしない。 素直でいいのだよ。 15点取っちゃった。 じゃあ、何でその点数だったのかを、君が知ること。 君が感じることがスタートなのだ。 その感じるという行為が、もう次の試験の準備になっているのだよ。 点数を訊くと 「忘れた」 という君。 用紙を渡さずに、カバンに詰め持ち帰ってしまう君。 ごまかすことは反省の表れだと思うが、 ではなぜ、いつも君だけ繰り返すのか。 試験は得点が伸びることだけが善ではない。 どう受け止め、どう次に繋げようとし、 試験という一連のハードルで、今回どれだけの力を蓄えられたのか。 そこに意識の軸を据え、堂々と立ち向かうことが、 強い免疫を育むことに繋がっていくのである。 成果には波がある。 最高の成果が出たのなら、思いっきり自慢しよう。 失敗したのなら 「失敗」 と正しく記録し、向き合ってみよう。 いいではないか。 それ以外に、 君にとっての正しい処方箋はないのである。 20点乗せたものが君の本当の実力ではない。 ごまかしうやむやにしても、君の実力は変わらない。 君の本当の実力は、君の記憶に残っている。 感じて欲しいのである。 得点表に書き込みながら、その数字の意味を。 何でこの数字なのかということを。 あと20点欲しいのなら、次で取ればいいのである。 そう気付いた者には、 近いうちにきっと、 笑顔で数字を書く日が来るだろう。 そのことを皆に伝えたい。
2009.05.29
100点を取るためには、そのために追求すべき方法がある。 90点を取るためには、それなりの正しい方法がある。 80点を取るためにも、それなりの築くべき方法がある。 70点のためには、やはりすべき大切なことがある。 60点を取ろうと思ったら、まず何をすべきかを考えよう。 50点で落ち着くには、それなりのやり方がある。 40点になるには、そうなるべき一つ一つの過程がある。 30点を取る者には、30点なりのラインに沿った準備がある。 20点を取りたければ、そこまでの仕上がりで妥協すればいい。 10点を取った者には、そうなるべき理由が必ずある。 0点を取った者には・・・・ 君の置く基準はどこにあるのか。 60点でいいと思ったら、90点は取れない。 取れないのだ。 だが90点を目指せば、60点は取れる。 取れるのだ。 どこに線を引き、どこまで準備するかによって、 結果というものはいくらでも変わっていく。 90点を実現させたければ、 その得点が取れる完成を実現させることだ。 不十分な仕上がりで、結果だけ欲張ってはいけない。 君が70点を持って帰って来たのなら、 君の努力は70点なりの完成だったということ。 40点の答案を抱えているのなら、 取れるべきラインを、君自身がそこに引いたということ。 ほかに何もない。 その意味が分かる者にだけ、 上のステージを目指せる切符が手に出来る。
2009.05.28
どうやら広告非表示に当選したらしい。 メールが届いていた。 確かに画面から広告がすべてなくなっている。 これはすっきりして、いい。 重さも解消された。 モニターなので、期間は1ヶ月だけ。 約8倍だったかな、よく当選したもんだ。 応募してみるもんだね。
2009.05.27
近隣のM中の1年生は、この中間テストは4教科で行われた。 英語の進度が伴わず、やむ無い措置というわけだ。 教科書が進まないのだからしょうがないという意見もあるだろうが、 私はこのやり方には強い異論を唱える。 自動的に期末一本で成績の骨格が決まってしまうわけで、 それで正確な評価が出来るのかという疑問である。 5月の試験が厳しいのなら、 6月中頃にそいつをずらして授業中に実施すればいい。 正しい評価というものは、複数回の結果を踏まえ、 アベレージを元に総合的に決めていくべきもの。 たまたま出来た、たまたま失敗したという偶然性は、 理解度を量るときには、あってはならない要素だ。 試験するほど授業もなく、教科書が進んでいない。 だから試験は見送るでいいのだろうか。 そもそも進度が遅いのは学校の教務と指導計画の問題。 遅れたのなら、追い付くように授業を充実させ、 試験が可能なタイミングで、評価を量ればいいことだ。 期末とクロスしても、別アングルで実力を見る試験は組めるはず。 B5の試験1枚でもいいのである。 近隣の某塾のブログで、 「授業進度が伴わないのなら、いっそ1学期中間などなくてもいい」という意見を拝見した。 試験範囲の量の少なさを踏まえての意見だが、 そうだろうか。 なぜそうなったのかを追及せずに、ただ容認できるものなのだろうか。 学校側の都合で生徒たちに負担をかけ、 何よりも正しい評価ができるのだろうか。 学校の授業の消化や計画がしっくりいかない。 ならばそいつに異論を唱え、こうあるべきだと意見を吐く。 少なくとも地元の塾の気概は、その方向にあるべきではないのか。 学校行事が重なって進まないので、前回の範囲と一部重ねる。 中1の中間ならば、小学校の定着テストを行う。 いいではないか。 英語だって、「ABCの筆記と基本単語の確認」ぐらいは出来る。 本物の定着や理解を知るために、 決められた割り振りで定点チェックをすることに意義があるのだ。 「進度が遅いので・・・・」 そんな理由が義務教育にはびこっていることに、 我々塾人や保護者たちはもっと強く異論を唱えなくてはならない。 教えた内容をチェックするのが試験だ。 冒頭のように、 試験問題が作れない。 ならば学校はそこまで何を教えてきたのか。 量るものすらないのか。 情けない話である。 そう思うのだ。
2009.05.27
地元中学の中間テストは、学校によって一週間のズレがある。 T中とK中は明日(26日)から試験だが、 先週実施したT西中、M中、A中は、結果が出始めている。 全教科揃っていない者が多いが、 現段階で96点以上の結果報告をしてきた者が、すでに11件ある。 Iさん、数学96点。 Aさん、理科96点。 Wさん、国語98点、社会100点。 S君、社会98点。 U君、数学100点、理科96点。 Sさん、理科98点、国語97点。 Iさん、英語97点。 Nさん、数学98点。 集計はまだ12名、しかも未完成。 皆の頑張りが反映され、なかなかの手応えだ。 塾の授業や対策ゼミでの努力が、少しずつ結果となって出てきている。 90点以上もすでに20を超えた。 明日から試験が始まる生徒の中で、 理科に関してだが、凄まじい結果が出るであろう者が4名いる。 対策の感触では、みな100点を取っても不思議ではないメンバーだ。 すべての集計は週末になるか。 社会で100点、国語で98点を取った、中1のWさん。 昨年、当ブログを賑わしたW君の妹さんだ。 学年トップを何度も取った兄に匹敵する、素晴らしい記録を見せてくれた。 そのW君の部活の後輩、2年のU君。 4教科返却で、現在381点。 平均で95点を超えている。 彼はいつも遅くまで教室に残り、黙々と自習していた。 その自分を変えようとする姿勢が、ここで一気に開花したかのようだ。 攻めて闘った足跡が、みなの数字に表れている。 明日26日からのメンバーが最高の力を出せることを願っている。 今日試験前最後の授業をした、Tさん、Fさん、Mさん。 理社の3人の平均、90超えがノルマだぞ。 すべきことはやった。 前回から3人で140点アップだが、可能性はある。 教えを守り、リズムを忘れずに、 答案をしっかり埋めろよ。
2009.05.26
今回の中間試験には、「自習デビュー」 が何名かいた。 実際には大半が中3受験生だが、中1や中2もいた。 学校が終わり腹ごしらえもせずにここに来て、 夜遅くまで頑張っている姿が、毎日、教室の隅の方に必ずあった。 期間中、全部で17名ほどだろうか。 成果云々ではない、自分のために動くことを選んだ、 大きな流れが常にあった。 仲間に触発されて初めて来た者もいた。 その行為というか、自分が向き合ったのだという達成感のようなものを、 次の場面に繋げていって欲しい。 何かひとつでも得たものがあるのならば、大切に記録しておこう。 時がクロスするように、 卒塾した高校生たちも何名か自習に来ていた。 彼らもまた自分のハードルのために、課題と対峙していた。 ここでやると集中できるのだと言う。 みな中学時代、何度も何度も、 数え切れないくらい自習に来ていたメンバーたちだ。 恐らく5人で1000回は超えるだろう。 その闘ってきた汗と執念が、机にも椅子にも染み付いている。 彼らにもデビューはあった。 「自習に来てもいいですか」 すべてはそこから始まったのだ。 ほんの一回、ほんの一歩でも、積み重ねていくことでかたちになっていく。 結果を算段する前に、後悔のない記録を記してみないか。 筆記用具を抱えておいで。 期末での 「自習デビュー」 は何人いるか、 楽しみである。
2009.05.25
「家では出来ていたのに」 「塾のプリントは出来ていたのに」 「問題集は全部○だったのに」 「前の日の予想問題、完璧だったのに」 でも、 本番の試験で点が取れない。 その理由は大きく次の二つだろう。 一つは、練習量が足らずに、まだ自分の土俵で戦えない状態だったということ。 もう一つは、制限時間で解くという速解訓練が不十分であったということ。 さあ、 この両者の解決にはどうすればいいか。 結論はひとつ。 たくさん解くこと、 そして速く解く練習をすること。 その強い負荷を自分に課することだ。 どうすればいいかなどとブツブツ言ってる間に、 ペンを持ち、自分の財産をかき集めるのである。 覚えるべきものを徹底して覚え、 解くべき問題に神経を集中し、破壊しに行くのである。 課題が500あったら、その全部を叩き潰す。 50で自己満足し、よし分かったなどと思ってはいけない。 練習、いや訓練というものは、 その分かったの後に本物の収穫が眠っているもの。 反復の負荷が揺るぎない定着や安定性を生み、 速く解く感覚も、その過程で汗とともに培われていくのである。 「本当は出来たのに、失敗した」 みながよく語る言葉だが、 本当は出来たもクソもない。 出来なかったのである。 出来るようにするためにどうすべきなのか。 じゃあ、出来たヤツはどこが違うのか。 発想を切り替えてみよう。 100発100中と、 10発10中の違い。 11発目に失敗したら、君は、 「本当は出来たのに」と弁解するか。 考えてみよう。
2009.05.24
中1生が初めての中間で何点取ってくるか。 2週間に渡り対策で立ち会ってきた「理・社」については、 その理解度と手応えで大体予想が付く。 かなりの高い数字が出るであろう生徒が数名いた。 理科と社会はよくまとめて括られるが、 そもそもまったく毛色の違う教科である。 この両方をしっかり仕上げてくる生徒は意外と少ない。 合計で何点取ってくるか、報告を待ちたいと思う。 私の理科の授業を5月から受け始めた中3のSさん。 ほんの数回だが、問われるベクトルに沿ってポイントを押さえる指導を進めた。 真剣に向き合える、資質の高い子だ。 最初は、湿度の計算や幾つかの原理で、相当戸惑っているようだった。 ヒントやコツを与え、とにかく解かせることに徹した。 徹底して肌に感じるほどに解かせた。 私に執拗に攻められ、さらに家で何度も解いたのだろう、 回を追うごとにレベルが高まっていった。 最後の授業での完成度は、 速度も精度もほぼ合格点だった。 昨日、試験の結果を報告してくれた。 1分野の定比例の法則で、酸素の質量を計算ミスした。 直前でも失敗がたまにあった部分だ。 ミスはそこだけだった。 98点。 十分誉めてあげるべき素晴らしい得点だが、 私は、彼女にはこの得点の意味をぜひかみ締めて欲しいと思う。 2点の重み。 本人も悔しがっているだろうが、 何よりも彼女の掴むべき到達点はここではない。 彼女は100点を取りに行っている。 9割ではなく、満点を取りに行っている。 100点を取るためにはどうすべきかと考え、完成を試みている。 素晴らしいことだ。 98点は到達点ではないのだ。 私は、その姿勢がある限り、 いつも目標を掴み取れる位置にいられるのだと思っている。 「ひとつ失敗しました。試験前も間違えていたところです」 「そうか」 私は誉めも追求もしない。 どうすべきだったかは、もう本人が知っている。 そしてそれは、すでに次の免疫になっているに違いない。 100点なりの緻密な完成。 期末にその作業を託す。
2009.05.23
T西中の3年生の中間テスト、社会科の問題。 今回は基本知識を問う問題のオンパレードだった。 そのほとんどが記述問題で、いわゆるベタ用語とベタ問題で8割は占めていた。 わが教室では連休明けにトライアルテストを実施したが、 その試験範囲として連休前に「社・理一問一答」を3年全員に渡している。 面談しながら、極めて大事だからしっかり覚えろと言って渡した。 これからの試験に繰り返し出てくるから、 点を取りたければ必死にやれと念を押しながら渡した。 トライアルではそこからチョイスして出したものの、 当然すべてチェックしておかなくては、どれが出るか分からない。 試験ではその準備の有無がはっきり出ていた。 真剣にやった者と、見向きもしない者との姿勢の差である。 私が渡すものの意味がまだ分かっていない受験生が多いようだ。 資料プリントもそうだが、対策などで 「ここが出るぞ」 と何故私が言うのか。 その意味がよく分かっていないようだ。 そのトライアル用に渡したプリントから、 今回の中間テストに、18問が用語の問題として出題された。 問われ方の逆パターンなどを入れれば、23問。 さらに試験対策の場で押さえろと指摘した部分や設問も、15問はあった。 これで点が取れなかったら何のための塾なのか分からない。 用語18問を列記すると、 「アルプス・ヒマラヤ造山帯」 「環太平洋造山帯」 「アマゾン川」 「扇状地」 「三角州」 「季節風」 「千島海流」 「日本海流」 「過疎」 「サウジアラビア」 「火力発電」 「200海里」 「栽培漁業」 「促成栽培」 「近郊農業」 「中京工業地帯」 「太平洋ベルト」 「加工貿易」 詳しい方から見れば、「な~んだ、ベタじゃん」 というくらいベタなのだ。 私が 「出るからしっかりやっておけよ」 と言ったリストを、 真剣にしっかりやっていればすべて即答できる問題だ。 また、対策で 「絶対押さえろ」 と力説したもののうち、 「扇状地、三角州の違い」 「日本の河川と世界の河川の長さと傾斜の違い」 「日本海側の雨温図の特徴」 「海流の地図による落とし込み」 「世界の州別人口比率の把握」 「原油・石炭・鉄鉱石の資源地図」 「日本の輸入先で豪が1位の資源2種の識別法」 「日本の発電の種別の比率」 「ICが内陸に、重工業が臨海に立地する理由」 などは、そのまま記述を絡めて出題されている。 これで50点もいかないようなら、 君の姿勢に大きな疑問を感じる。 こいつがでるよ、ここが問われるよと経験者が指摘している。 ならば君の仕事は、それをカバーすることだろう。 バカにして 「どうせ出ないよ」 などと、高を括っていたお前。 一体、何点なんだよ。 いつから予想屋になったんだよ。 これからの試験は、君の姿勢でどうにでも変わるのだ。 すべきことを逃さずに掴んでいって欲しいと思う。 そして与えられたものや指示されたことを、 真剣に吸収していって欲しい。 私は無駄なことは言っていないつもりだ。 トライアル用に渡したプリントをやっていない君。 試験対策に不参加だった男子2名、女子1名。 どんな結果だったか、答案を見せてもらおうか。 濃密な面談を覚悟するように。 私が渡すものの意味。 私が出るぞという問いの「型」。 受験生は五官を駆使してギリギリまで拾い上げなさい。 記録して帰りなさい。 何度も見直して頭に叩き込みなさい。 君らに示す知識は、私個人の主観ではない。 数千問の分析をもとに、客観的に与えているのだ。
2009.05.22
フリーズが激しくて100字も打てない。 復旧中です。
2009.05.21
隣のさいたま市が修学旅行を中止し、今後どうするか検討するという。 塾生もいるさいたま市のM中は、 先週すでに関西に行って帰ってきている。 そんな急に途中から中止にして、意味があるのだろうか。 川口市も今日通達が出たようだ。 地元中学はみな、京都・奈良を取りやめ、 名古屋を経由し金沢、北陸方面へ移動するルートに変えたらしい。 北日本ならともかく、何でまたそっちのほうへと思うが、 新幹線の予約やら、色々と事情があるようだ。 日程は変えずに、近隣中学では6月1日から交替で旅に出る。 10日後、愛知や岐阜、北陸地方が感染していたらどうするのだろう。 一転して中止とでもするのだろうか。 今日、東京や川崎でも感染者が見つかった。 そもそも肝心なお膝元、関東地元に蔓延していたとしたら、 立場が逆になり、何処へも行けないのではないのか。 京都・奈良を楽しみにし、下調べもしてきた生徒たちのことを考えれば、 日程を変えてでもそこを目指すのがスジ。 一生の思い出を、不確実なコース変更で惑わすのは、 子どもたちにとって酷であろう。 流行の終焉を見計らって、夏休み期間にでも日程は組めるはず。 日本文化や世界遺産に触れ、夢を育むべき機会が、 大人のあるいは組織の都合で安易に消されていくことが、 残念でならない。 普通のインフルと大差はないのに騒ぎすぎてはいないか。 やれ何県で感染者が出たなどと、 何かまた、来週あたりに変更がありそうな気がするのだが。 京都は本来秋がいいのだけれど・・・
2009.05.20
定期試験直前になると、生徒たちの仕上がり具合が見えてくる。 1週間前には穴がいくつもあった者が、 きっちり照準を合わせまとめてくる。 いつも安定した成績を見せる生徒たちだ。 直前になり、「わかんねえよ~」「やばいよ~」などと言っている生徒と、 一体どこが違うのだろう。 私はそれは、 《仕上げがしっかり出来る生徒たちは、常に締め切りを意識している》 という点ではないかと思う。 決められた試験日が彼らの計画にあり、 いつもその緊張感を掴んでいる。 もちろん勉強量の多寡もあるだろうが、 それ以上に、「仕上げる」ということを意識しているように思える。 不十分であっても、何とか闘える状態に持っていく。 その繕う技術が備わっているように思える。 ただシャカリキに一本道を突っ走るのが勉強ではない。 ましてや試験をクリアするとなれば、 そこに的を絞った調整が必要だ。 締め切りを意識している者は、直前になるとバランスを保とうとする。 ただ一方的に攻め込むのではなく、 そこまでの経緯や収穫を再確認し、周りをよく見て安定させようとする。 その振り返りと微調整が、求められる仕上がりとリンクしていく。 納得いかない状態ならば、その状態を受け入れ、 最低限の受身を学びつつ、得点を積み上げていこうとする。 立ち止まり、点検し、身づくろいするように。 試験3、4日前のレベルが仮に同じであっても、 そうする者と、ただ突っ走る者とでは、 本番でのキレに開きが出るような気がする。 入試では「攻めと守り」のバランスが大事だが、 短期決戦の定期試験でもそれは同じだ。 蓄えたエネルギーを使い切るのが試験なら、 そのエネルギーを使う前に検証しなければならない。 何が使えるのか。 蓄えの配分は適切なのか。 弱いのなら、どう工夫して臨むべきなのか。 そう考え最後の調整を図ることが、キレのある武器を生む。 締切日は決まっている。 尻切れの未完成ばかりこしらえてはいけない。 使えるものをカウントしていく、 「守り」というものを忘れてはいけない。 一つ一つ研き、自分で仕組むのである。
2009.05.19
感染の広がりが心配されますね。 交通網が発達し、これだけ人の行き来が盛んな日本ですから、 もう関東に広まっていると考えるのが自然でしょう。 東京なども検査が不十分だから「0」などと言っているだけで、 精密に行えば間違いなくいるでしょうね。 感染しないためには自己防衛が一番です。 手洗い、うがい、マスクと、 風邪の時の基本をもう一度見直しましょう。 県の「新型インフル」に関するページは次から入れます。 ごちゃごちゃしてどこを見ればいいのか分かりづらいですが、 参考になるものを拾ってみてください。 ここ。 免疫の問題か、仲間と接触しやすいからか、 高校生以下に発病が多いようです。 学校を中心とした集団感染だけは避けたいものです。 神戸、大阪から広まると、次は周辺の、 京都・奈良・滋賀・和歌山・岡山あたりが不安です。 週末から来週にかけてズレて広まったりすると、 ちょうど地元の修学旅行の時期と重なってくるので、 日程変更(延期や中止)などが出るかもしれませんね。 現に他県ではその措置が取られています。 学校の指示にも十分注意し、 常に手洗いを励行してください。
2009.05.18
土曜のテスト対策の状況についてここに正確に記しておく。 これは名学館東川口校の5月16日の記録でもある。 開始時刻、午前9時半。 中1生、中2生は定時を目安に全員揃った。 各学年学校ごとの担当が早速指導ゼミを始める。 中3生の対象は、二つの中学。 T西中と、A東中だ。 T西中3年の1限目は私が担当する社会。 人数が多いので、机を幾つも並べセッティングした教場の様子を見に行く。 開始2分前、生徒は5人しかいない。 「3年は集まり悪いな」 「定時にカギ掛けるか」 すでに来ている生徒とそんな話をし、定刻1分後に指導を開始した。 指導を始めるやゾロゾロとやって来る受験生たち。 何も言わず着席し、当然のように参加しようとする彼ら。 男女あわせ全部で5名だろうか。 彼らには誰ひとりとして、すみませんという言葉はなかった。 最後に来た女子は、途中合流が当然のように無言で座り、 無言でプリントを私が持っていくのを待っていた。 その日私は叱ることはやめようと決めていた。 どういう意識でここに来るかは本人の問題。 語れば真剣な生徒たちのロスタイムになる。 無言でプリントを渡し、続きをどんどん進めていった。 ゼミの最中はみな騒ぐことなく向き合っていたが、 やはり集中に欠ける者が数名いた。 指示しても隣と何かしていて食いつきが悪い。 名を挙げ、戒めた。 その姿勢が結局最後の差になって出てくるものなのだ。 T西中のメンバーは、結局1限が終わった段階で2名が来ていなかった。 私は全員参加することを目論んでいたので、ひどく残念に思った。 彼ら(男子2名)は、結局全教科終わるまで姿を見せなかった。 もちろん連絡も無い。 そのうちのひとりは、来るように前日に釘を刺しながらも来なかった。 ここに伝えておきたい。 今回の試験に関して、塾は君らの結果に責任が持てないから、 そのつもりでいて欲しい。 不完全な仕上がりならばこそ、君たちのために先生は集まっている。 君らが我流で稼げる得点に、別の視点から技を加え、 可能な限り納得のいく仕上がりを実現させるために、先生は集まっている。 それを連絡もなくキャンセルするということは、 結果は塾と力を合わせた産物ではなく、君個人の到達点だ。 ただし覚悟して欲しい。 明日からの授業後に、厳しい面談をするからな。 次へと繋げる厳しい面談だ。 A東中の3年は何と11時近くにゾロゾロとやって来た。 彼らもまた当然のように合流し、まるでVIP待遇だ。 直接私の指導するコマとずれていたので、 彼らとは一切コミュニケーションを取っていない。 私も彼らからの言葉を待っていたが、最後まで言葉はなかった。 そして定時にサーッと帰っていった。 こいつらとも面談の時間を設けなくてはならないだろう。 ・・・・・・。 お前ら、何やってんだよ。 入試を占う大事な試験じゃないのかい。 誰のための試験だよ。 誰のための対策だよ。 え? そんなにてめえだけで何とかなるんなら、塾来るなよ。 ここは遊び場じゃない。 真剣に立ち振る舞う、闘いの場だ。 ウダウダ文句を言うのなら来なくてもいい。 だが、来たからには礼があるだろう。 塾の対策に意義が見い出せないのなら、その理由を言ってみろよ。 450点取れるのかよ。 完璧なのかよ。 自分で家でやった方が効率がいいだと? 結局計画が不十分で、追われているからだろうが。 何一つ仕上がっていないからだろうが。 対策の日は試験直前の土曜と決まっているのだ。 その日に合わせ仕上げてから臨むんだよ。 試験準備の計画にその日を予め組み込み、日々をこなしていくんだよ。 何やってんだ。 そんなんで本当に結果出せるんだろうな。 来なかった二人、A東のメンバー。 これから本格的に受験態勢に入っていく上で、 辛辣な面談を考えている。 覚悟しておけよ。 対策中に集中していなかった者。 どう見ても準備不十分な者。 重点を指示しても、それを記録しようとしない者。 数分前に示したポイントを質問しても答えられない者。 一体数日後に誰が試験を受けるのか、 誰のために今日この時間にこんなことをしているのか、 真剣に考えなさい。 該当しない中学の1年生が自習に来ていた。 彼の対策は次の土曜だが、自習をしたいと前日申し出て来た。 10時前から長時間頑張っていた。 中2生で、対策後に一人で延々と自習している者がいた。 彼は午後8時過ぎまで自分と闘っていた。 対策の修了と同時に、引き潮のように帰っていく中3生がいれば、 こういう生徒もいる。 「あ~、やっと終わったよ」 「なあ、コンビニ行こうぜ」 そう言った受験生よ。 いつまでも自分のために、おいしい環境があると思うなよ。 いつまでも誰かがお膳立てしてくれると思うなよ。 お前らは土曜に何を得たのだ。 いい加減な気合で参加している限り、 いつまで経っても貴様は変われない。 のちに後悔し、苦しむのは誰でもない。 お前だ。 ここに忠告しておく。
2009.05.17
今日は21時間教室にいて動き回ったので、 正直くたくたです。 昨晩から泊まり込んで色々と準備をしていました。 テスト対策は朝9時半から始まり、 補習を含め修了したのは夜8時過ぎ。 その後も自習組みがいて、1時間ほど頑張っていました。 詳しくは次回書きます。 今日は申し訳ありませんが、オヤスミです。
2009.05.16
定期試験の時に、親としてクリアして欲しいこと。 (試験前) 試験日の確認 範囲表の確認 目標の確認 学習計画の確認 道具の有無の確認 提出物の確認 塾対策の日時の確認 時間管理の確認 対策の完成度の確認 (試験後) 問題用紙の確認 返却答案の確認 見直しの実行の確認 感想と反省の確認 問題と答案のファイルの確認 次回の目標の確認 結果を踏まえた今日からの具体的方策の確認 その実行の確認 一連の流れがある。 試験を受けるのは本人だからと、 放任していては緻密な記録は残せない。 細かく管理し、行動を制御せよということではない。 中学は義務教育。 試験というハードルを我が子がどうクリアしていくのか、 その記録をアルバムに残すように、 しっかり立会い、励みと反省を共有して欲しいのだ。 試験日・・・・25日だったかしら 範囲表・・・・さあ、見たことないわ 目標・・・・あるんだかどうだか 学習計画・・・・提出するものを何か書いてたような 道具の有無・・・・教科書持って帰れって言ってるんだけど 提出物・・・・もう出したって本人は言ってますが 塾対策の日時・・・・何も言わないけどあるのかしら 時間管理・・・・よく部屋にはこもってるけど 対策の完成度・・・・頑張った方じゃない (試験後) 問題用紙・・・・たまにしか見たことないかな 返却答案・・・・見せないのよね~ 見直しの実行・・・・やったって言ってるんで 感想と反省・・・・次は頑張るそうなんで 問題と答案のファイル・・・・丁寧にやってるらしいけど 次回の目標・・・・これだけ取れれば凄いね! 結果を踏まえた今日からの具体的方策・・・・どうなんだか その実行・・・・さあ・・ 結果は本人のストーリーだけでは決まらない。 このようなやり取りが慢性化しているのなら、 一度楔を打ち込む必要を感じる。 何のためのハードルなのか、 向き合うべきことは何なのか、 親子で考えて欲しいのだ。 本人に任せるという本来の意味は、 行為や構築を委ね、見守るということだ。 他人事のように傍観することではない。 その意味合いを感じ取り、踏み込んで欲しい。 子どもは管理されることを嫌うが、 適度の管理すらない世界では、緊張感を手放す。 試験まであと何日か。 道具は、計画は、完成度はどうなのか。 塾の対策の日時は知ってますか。
2009.05.15
試験が近付き、自習組みがゾロゾロと押しかけている。 昨日は夕方から男子が5人、夜からは女子が2名頑張っていた。 自分の課題が何かを判断し、取り組むのは良いことだ。 授業がなくてもこの教室に足を運び、 教材を広げ、闘う風景。 昨年も、一昨年もあった風景が、 誰に教わるでもなく引き継がれていく。 4時間、5時間で、何が掴めるかは分からない。 でも一つ一つを塗り込んでいくことで、 その時間だけ一歩前に出れる。 そんな気付きが彼らの中に芽生えてきている。 質問を受け、解明してあげると、安堵の表情を見せる。 まだ未熟な戦士たち。 君らもやがて要塞を築き、受験に昇華する日が来る。 そんな明日のために経験値を積んでいるような、 若々しい薫風のような仲間たち。 ただ頑張れと精神論を語るだけでなく、 学習の本質を掴ませ、技術を与えてあげたい。 苦しみや難関を越えていける免疫のようなもの。 それをこの教室で学びながら、君の手元に記録していって欲しい。 最後まで向き合っていた仲間たち。 小さくとも、開花の予感を感じ始めている君たち。 慌てることはない。 試験も知識も逃げてはいかない。 君が前を見て拾い集めることで、距離は確実に縮まっていくのだ。 悔いることなく頑張ろうな。 今度、差し入れ用意するからな。
2009.05.14
一年間のリズムを掴むうえで、 春の仕上がりはとても重要である。 この連休明け、ちょうど今がそのポイント期間なのだ。 中学生ならば、中間テストに全力投入して欲しい。 わき目も振らず、全力投入して欲しい。 塾生のかなりの人数が現実を甘く見ている。 よく分からないけど、何とかなるだろう。 やっている時間がない。 こんなことを言っているようなら、 君は後に、つまらない結果をいっぱい貰うことになるだろう。 一人で何かをして成果を出そうとするなら、 君が動かなくてはならない。 料理をしなければ、美味しい食事にありつけない。 掃除をしなければ、部屋は綺麗にはならない。 待っていても変わらないのだ。 文句をいくら言っても、自分は高められないのである。 よく分からなければ聞きなさい。 そして必死に解いて、覚える努力をしてみなさい。 目の前の課題を解いてみるのだ。 知識を拾い、リストにし、暗記してみるのだ。 その一つが十になり、二十になり、 答案の中に得点として復元されていく。 結果が出ないのは、頭が悪いからではない。 好結果を出すための作業をしていないからなのだ。 手順ができていないのである。 仕上がりへのこだわりが弱いのである。 残りの期間、最高の密度で向き合って欲しい。 エネルギーは与えてもらうものではない。 自分で作り、注いでいくものなのだ。
2009.05.13
『彩の国進学フェア』の今年の日程が決まりました。 速報としてお知らせいたします。 7月18日(土)/19日(日)の二日間。 いずれも午前10時~午後5時の予定です。 昨年より2週間早いので、注意してください。 詳しくは「こちら」から。 入試制度が改正される年なので、 40000前後の入場者がさらに増えそうです。 都内も含め、志望対象となる高校(公私とも)がほとんど揃います。 私立高校の入試基準やコース・日程などの変更も気になりますので、 受験生は親子で必ず参加してください。 来年の入試は、公立も偏差値だけでは決まらない、 加点制による学校ごとの合格基準が使われるようになります。 志望校の絞込み、併願など、より情報戦の色が濃くなりそうです。 参加し、有利に情報収集ができるよう、 今からスケジュール管理をお願いいたします。
2009.05.12
お前らに、応えなきゃいけないな。 T,Sさん 名学館に入ってから見てます。 最初は、親に無理やり見せられていましやが、 時には、自分で見ることがありました。 このブログには、いい事が書いているのでまだブログをやめないでください。 (2009.05.11 22:06:26) D.Sさん このブログに書かれている事は僕達受験生にとって、 ためになる事がたくさん書かれてるので、 もしブログが終わる事になったらとても残念です。 これからも更新続けてください。 (2009.05.11 22:37:46) 大丈夫だ、ブログはなくならないよ。 そう決めた。 生徒も保護者も、卒生も、全国の人たちの中にも、 仮に少数であっても期待してくれている人がいる。 それだけで十分だ。 今日も教室で、毎日見ていると言ってくれた君。 やめないでくださいと言ってきた君。 心配かけて悪かった。 みんなの気持ちに応えられるよう、 塾長も頑張ろうと思う。 レミオの「太陽の下」、 歌詞をかみ締めながら、また一緒に聴こう。 太陽はここにある。 そう言えるよう、 教室にもこの画面にもエネルギーを注いでいきたい。 そして、生きたメッセージを添えていきたいと思う。 しっかり見ろよ。 やっぱりこの教室の仲間たちは最高だ。
2009.05.11
いよいよ限界かな。 そんな思いと闘いながら、しばらくやってきました。 GOAL通信は今のままでいいのか。 僅かですが、 どうすべきかということが見えたような気がします。 評論家でもない、○○博士でもない私の考えなど、 たかが知れたものです。 以前より何度も触れていますが、私がここに書く大きな目的は、 思いをメッセージとして生徒や親御さんに伝えることです。 もちろん風景日記や連絡内容もありますが、 大半は考えを連ねたメッセージになっていると思います。 そこには、こうした方がいいだろうという考えはもちろん、 私が得た情報や、今までの経験、希望、アドバイスなどが込められています。 ブログの内容を、ぜひ情報として見ていただきたい。 もちろんすべてこれが正しいのだと、押し付けているわけではありません。 幾つかの記事の中から、 使えそうなものを、発想や行動のヒントとして受け止めて欲しいだけです。 学習法、時間軸、親子関係、過去の記録など、 主張する言葉は、飽くまでも私の小さな思いです。 論ずることを生業としている評論家ではありませんので、 内容に賛同や批判をいただき、大きく発展していくことも本意ではありません。 流れていく言葉を拾っていただき、 子どもたちやご家庭に、何か役に立っていただければ、それで嬉しい。 繰り返しになりますが、 メッセージ性の強い記事は、飽くまでも私の思いです。 言葉の節々にヒントを見つけていただき、 手を加えながら活かしていただくことを望んでいます。 私が日記と言わずに記事と言うのも、 できるだけ内容に伝達性を込めたいからです。 メッセージもすでに1600になりました。 記事を契機に、 全国の一般の方や塾の親御さんから、幾つものお手紙をいただきました。 多くの生徒たちも、書き込んだ翌日に反応があるなど、 貴重な情報源として活用してくれているようです。 ただしこれらはすべて陽の面です。 メッセージ性の強い文を書けば、異論や反論が出やすいものです。 その陰の面をも加味し、責任を持って更新していかなくてはなりません。 このブログは私生活の日記として使うつもりはありません。 先も言いましたように、続けるのならば、 子どもたちやご家庭に向けて、 思いや伝えたいことをメッセージとして贈るというスタンスは保ちたい。 ただ、3年半やってきて、 今のかたちに、少し限界が来たかなという感じなのです。 自分の考えを夜中に活字にし、継続していくことに。 この際、一度やめて、ブログの在り方を考え直してみようか。 そんなことを考えています。 ヒントとして欲しいと書くのなら、 そこに有用なものがなくては意味がありません。 何かあるかな。 そう思っていつもご訪問いただく方に、どんな提供ができるのか。 あるいは役に立たない代物と、不快な思いを与えてはいないか。 私の本業はこの画面を作ることではないので、 やめたければ、やめればいいのでしょう。 ただ、日々の中に子どもたちがいて、 彼らの営みに言葉をかけ、エールを送ってあげたい。 悩んでいるのなら、こんな考え方もあるよと伝えてあげたい。 頑張ったことに勇気を与えてあげたい。 そして本人だけでなく、一人でも多くの仲間たちと共有していきたい。 親子の間についても、家庭の問題についても、 アドバイスできる部分は、可能な限り伝えていきたいのです。 そのツールがここでした。 ここに書くことで、何かの発見に繋がるのならと、 今まで書いてきました。 その流れは、有難いことに卒生たちにも届いています。 笑顔を大切にしたい教室。 その橋渡しとしての、 GOAL通信の今後の在り方をどうすべきか。 教室に係わる多くの方のご意見も伺うべきなのでしょうが、 結論によっては、 1600回がラストになるかも知れません。
2009.05.10
受験生たちの意識が少しずつ変化してきている。 ・・・・トライアルに向けて真剣に覚えようとする動き。 ・・・・修学旅行と時期がクロスする漢検の、積極的な申し込み。 ・・・・苦手克服のため、週の授業回数を増やしたいという申し出。 あと9ヶ月で公立入試も始まるということが、 頭のどこかで徐々に大きな存在となり、落ち着かないのかも知れない。 昨日も授業のあと、二人の女子と学習の話をした。 S先生にも立ち会っていただき、 今何をしたらいいのかという、ヒントやアドバイスを色々と語ってあげた。 まだ焦らなくてもいい。 でも、何か行動に出たいという意識の芽生えは、大事にして欲しい。 まずは中間試験に全力を。 そして知識を精一杯蓄えよう。 6月は検定・修学旅行・北辰・部活大会・期末とハードだ。 そこを乗り切って7月に差し掛かった時に、 本物の「受験」という勝負が始まる。 今はその助走期間として、 時間を大切にしながら、学習リズムを 「強いもの」 に育てていこう。 定期テストや検定に、全力でぶつかっていこう。 受験を意識しすぎて、今すべき手元がブレてはもったいない。 覚えるべきもの、解くべきもの、 そのやり方も少し話したが、 実践練習は7月からと思っていい。 今はそこに繋げるエネルギーを蓄え、軸をしっかりさせておこう。 また、定期テストや提出物、検定なども受験勉強だ。 中間期末の対策学習は、そのまま入試まで引っ張れるように、 本気で取り組んでもらいたい。 また今度、色々話したいと思う。 意欲が芽生えてきた不安な気持ちの君たち。 いい感じで夏を迎えよう。 汗をかき、涙し、支え合い、 その中に喜びを味わっていく、本物の厳しさは、 これからだ。
2009.05.09
「集中力」 や 「効率」 を大事にする人は多い。 生徒たちの学習を語るときも、これらは切り離せない部分だ。 だが使い方や解釈を誤ると、都合のいいセリフに聞こえなくもない。 「集中力がないから」 「効率の悪いムダな勉強をしているから」 これは、本人よりもむしろ親御さんが語られることが多い。 「うちの子は、集中力がなくて・・・」 集中しないでダラダラやっているから、 成果が伴わないのだという解釈だ。 視点を学習の中身に置くことは良いことだが、 もう一つ大事なものをしっかり意識していたい。 「学習量」 である。 効率が悪いと技術的な部分を見る人ほど、 肝心な 「量」 が伴っていないことが多い。 仮に集中力が弱いのなら、それをカバーすべく、 他人以上に時間を注がなくては追いつけない。 30分しか勉強していなくて、 集中力が・・・などと言っても、どうにもならないということだ。 効率を追求し頭を捻る前に、まず徹底して時間を設け、 量をものにしていくという発想を持っていて欲しい。 効率というものは、 攻め、量をさばいていく中でにじみ出てくるもの。 ぶつかり悩みながら発見し、利用していくものなのだ。 集中力がないから成績が芳しくない。 もしそう思っているのなら、時間を掛け、 理解できるまで喰らいついてみよう。 何度も訓練することで、時間の短縮は可能になる。 それがまさに、集中力を手にする瞬間なのではないか。 初めから短時間で効果の出る 「学習パック」 など存在しない。 中身をあれこれ考え、 挙句に成績不振は非効率によるものだとしても、 一向に改善の芽は見つからないだろう。 ダラダラ感を自覚しているのなら、 結局のところ踏み込み、量を捕りに行くしかないのである。 時間を費やして欲しい。 集中する力は、 係わり合う絶対量に比例して育っていくものだと思う。
2009.05.08
私は息子が中学の頃、勉強に関してはもの凄く管理した。 試験で点を取るための方法論を徹底して説いた。 様々なプリントや教材を用意し、 試験前は夜遅くまで立ち会ったこともあった。 大量の課題を与え、厳しいノルマを与え、 曖昧な部分や失点した箇所を深夜まで繰り返し指導した。 1時や2時は当たり前だった。 塾に通いながら二人ともよく頑張ったと思う。 立ち会えない時は、手紙をしたためた。 課題の○付けを朝5時までやり、 ポイントや弱点分析をし、新たな課題を添えて、 そっとリビングのテーブルに置いて寝た。 励ましの言葉は設置したホワイトボードにも溢れ、 強烈な檄と、指摘事項で毎日更新された。 ここまでやれば完璧というラインまで取り組んだ。 息子たちがそれに呼応するように喰らい付いていた。 日別の入念な計画を練り、 高得点を取るためのもの凄い予定表が舞った。 二人とも仲間より時間を掛け、傾向を徹底して攻略し、 また、科学的に対応したこともあり、 試験で上位を取るのが当たり前になった。 定期テスト、校内実力テストで、学年1位、2位、3位が連なった。 北辰偏差値が5科で72などという数字も、飛び出すようになった。 入試の前はもっと強烈だった。 もの凄いノルマを与え、暗記と演習を繰り返した。 深夜、私が帰宅してから個別指導が組まれた。 夜中の2時、ウトウトしている息子にコップの水を浴びせたこともあった。 何のために頑張っているのか。 何のためにここまでやらなくてはならないのか。 その答えを探すために、今目の前の課題を克服するのだ。 時間はどんどん過ぎていくということが、共通の結論であり、 そのために出来ることを限界までやってみたい。 息子たちも自分でそう思うようになっていた。 今でも当時の計画表が残っているが、どう見ても尋常ではない。 だがそれをやり遂げた成果はあったと思う。 彼らが高校に進学してからは、 私は勉強には一切触れていない。 それは中学の終盤での約束でもあり、 だから受験時には、立ち会える今を大切にせよと教え込んだ。 勉強法も、効率のいい取り組み方も、 限界など無いんだという教えも、学ぶということの本来の意味も、 全部中学の時に伝えた。 厳しく指導しながら、はっぱを掛け、同時進行でスキルアップさせた。 100で妥協することを、私が立ち会うことで300にまで引き上げた。 いや、500だったかも知れない。 その辛さが今彼らの血肉になっている。 どうすればいいかという局面での、判断の基準になっている。 私は今の塾生たちを見ていて、 非常に惜しいと思う。 もっと行動すれば、命懸けで取り組めば、 信じられない財産を手に出来るのに、 甘えのラインで足踏みしてしまっている。 家庭での強い管理力さえあれば、才能は確実に引き出せる。 中1がその契機であろうと思う。 いや、中3でも効果の出るやり方はある。 また同時に、本気で子どもと対峙してあげるのだという、 親の執念や体力も必要だろう。 午前2時3時まで付き合い、 こいつの明日のために今が大事なのだということが、 本気で理解出来ない限り、続かないだろう。 私はその価値を感じ、息子たちにまずそのことから説いた。 そしてリズムを掴み、手応えを次に繋いでいった。 何も深夜まで闘えということではない。 ただ、今の生活が当たり前と妥協していては、 あるいはすべてを子どもに任せてしまっていては、 飛躍的な開花は永久に訪れないだろう。 中学は競争というものが現実味を帯びてくる期間だ。 その環境でどうしたらいいかということは、 彼らにもよく分かっていない。 サポートし、より高いステージに仕向けていくのは、 やはり親なのだろうと思う。 甘え、妥協している子どもに、強い試練を与えていく。 上には上があり、限界など本当はないのだということを教導していく。 親だから出来ることであり、一度その価値を共有して欲しいと思う。 学びの基本や、カベを乗り越えていくことを、 中学でしっかり体験しておけば、 その後は自分で考えながらやっていける。 少なくとも私はそう信じ、息子たちに接してきた。 今の塾生たち。 連休で毎日ほとんど勉強しなかったということを、 親が容認していて成績は上がるものか。 勉強しなさいと言うことが親の仕事と思っている方はいないだろうか。 しなさいと言い、素直にやり、成績が伸びれば苦労はしない。 立ち会っていただきたいのだ。 「しなさい」ではなく、「さあ、やるぞ」なのである。 眠い目をこすりながら、子どもの学習計画を綿密に練ってみる。 本人がやるやらない以前に、 そういった親の姿勢が家庭の空気を変えていくのである。 繰り返すが、 中学生はまだ自学のコツも、自分を制御することも、 限界さえも分かっていない。 伸ばしにいくのなら、圧倒的な量をこなしに掛かるしかないのである。 子どものぬるい空気を、しっかり引き締めて欲しい。 ぜひ、親だから出来る部分から。 いつもこんな時間に更新している私。 その気さえあれば、深夜なんて日常になる。 私がいくら子どもたちにメッセージを送っても、 親の意思には敵わない。 我が子への熱いメッセージを、 ぜひ「素敵なかたち」にし、向き合っていただきたい。
2009.05.07
今日は中3生の振り替えのみ、4クラス予定されています。 日程を間違えないように注意をお願いします。 また、漢字検定の申し込み締め切りも本日です。 中3男子の受検率が低いですが、大丈夫でしょうか。 秋口の1回の受検で好結果が出るかどうかは分かりません。 限られたチャンスをぜひ前向きに考えてみてください。 小学生、中1、中2生も、 塾で受けられるので積極的に検討してみてください。 T西中の中3生は、今日当たりに試験範囲が出ているはずです。 控えるので、必ず持参してください。
2009.05.07
来週から小6以上の塾生に 「トライアル」 を行う。 週明け最初の授業。 そこで、君の努力を紙面に復元してもらう。 掲示物、ボードでの連絡、連絡プリント、郵便物、 さらには小学生と新入塾生以外は、面談で口頭でも伝えた模試。 どれだけの生徒が意識を持って挑んでくるかという期待を背に、 毎度のように、空回りしている生徒も必ずいるものだ。 おそらく今回も 「知らなかった」 という者が4名はいるだろう。 当日彼らがどんなことを言ってくるか、大方予想がつく。 今回はこちらが、君らの弁解を予想してみたいと思う。 主に中3生が中心になるだろう。 「え~っ、やるってこと知らなかった」 「あるのは知ってたけど、今日やるって知らなかった」 「えーっ、やっぱ今日やるの~」 「全然やってませ~ん」 「マジで、量多すぎっすよ!」 「毎日部活だし、やってる暇なんかないっし」 「こんなに覚えられっこないっしょ」 「範囲知らないっし」 「課題もらってないですよー」 「ほんと、やっても半分もいかないんじゃん」 「先生、次の授業の時にやるってことでいいっすか」 「やろうと思ったら、プリントないしさ~」 「今日半分やって、残りは次にやるってことで」 「いつやるって知らなかったから、途中までしか・・・」 「ムリに決まってるじゃん」 「最初から追試のつもりだしさー」 「ねえ○○、一緒に追試って感じじゃん」 「え~っ、何これ、知らないよ~」 「マジ、面倒だし~」 「聞いてないよー」 だから? 何か? あのなあ・・・ 君は入試でも同じ弁解をブツブツ言うのかい? 課題も渡した、日程も告げた、 違うかな? 連休も1週間あり、計画的に過ごせよと忠告した。 おい、 違うかよ? 言いたければ気が済むまで言えばいい。 でも、あんまり格好よくないよな。 今日やるってことで、問題はここにある。 分かったから早く席に着きなさい。 真剣に向き合い完成度を高めてきている者もいる。 答案を見れば、努力の密度などすぐ分かるだろう。 君が細かく弁解することもない。 でもこれらの言葉をすべてNGにしたら静かだろうな(笑)。 そう思いながら、 密かに塾長はこれらの言葉を待っている。 すべきことに観念し、取り組んでいくこと。 その大切な経験のために、この儀式がある。 またみんな、ブツブツ言うだろうな。 問題を手に、また心理合戦が始まる。
2009.05.06
連休もあと少しだが、 この貴重な期間に、君は何かを残せそうだろうか。 時間は取り戻せない、見えないものだ。 昨年の連休中に、その「時」について書いたものがあった。 5月、6月は、試験やイベントでスケジュールが過密になっていく。 この時期にもう一度転載しておきたいと思う。 『3600個の1円玉』 あなたは、 一日が何秒なのかと考えたことがあるだろうか。 あなたは、 一週間が何分なのかと考えたことがあるだろうか。 あなたは、 一か月が何時間なのかと考えたことがあるだろうか。 時というものは、漠然としたものだ。 そしてそれは、 私たちの生活に根付き、基準となって存在している。 一日は24時間であり、 一時間は60分であり、 一分は60秒であり・・・・ その枠の中で私たちは生活のリズムを安定させ、 時間の切り貼りを繰り返している。 時計の短針は、12時間で1回まわる。 長針はその間に、12回の役割を、 秒針はその間に、720回の役割を果たしている。 睡眠や生活上の作業、移動時間などを引いた時間が、 一日のうち12時間だとしよう。 それはあなたが頭を使い、自分のために尽くせる時間。 その 「時」 の流れは、見方によって速度を変えていく。 12時間という時間は、 短針なら、極めてゆっくり1回まわる時間。 長針なら、ゆっくり12回まわる時間。 秒針なら、せわしく720回まわる時間。 あなたが視点をどこに置くかで、営みの表情は一変する。 短針に目がいく人は、一日という流れを大切にする人。 長針に目がいく人は、段取りが上手な人。 秒針に目がいく人は、時間の価値を知っている人。 誰もが自分の中で使い分けながら、 最高の一日にしようと闘っている。 あなたがもしデザインの企画を考えるなら、 短針を基準にすれば、 何度も書き換え12時間で完成を目指すだろう。 長針に基準を置けば、 作業の割り振りを考え、時間ごとに幾つかの案件が生まれるだろう。 秒針に基準を置けば、 思い切りのいい、数え切れない発想が手元に残るだろう。 時というものは流れていく。 区切りはあなたが決め、描いていけばいい。 だが、1時間は60分であり、 それは3600秒という感覚を超えた世界。 学びという作業を考えた時、それは大きなヒントを与えてくれる。 使用料が1時間3600円という部屋があったとしよう。 あなたは、1時間後に、使用料として財布から3600円を支払う。 でもそれを秒刻みで支払うとしたら、どうなるだろう。 1秒ごとに1円玉を一つ並べていく。 1時間後には、 3600個の1円玉がテーブルを埋めている。 その面積は、一辺が1.2メートル四方もの広さ。 もし仮に12時間ならば、43200個。 面積は一辺4.15メートルにもなる。 学びにおける蓄積は、これとよく似ている。 大きな収穫を一気に得ようとする人は、積み重ねていく労を知らない。 だから失敗した場合、手元に何も残らない。 積み重ねることにより収穫を得ようとする人は、過程を持っている。 だから仮に未達であっても、そこまでの 「かたち」 が目の前に残るのである。 あなたは何かを学ぼうとする瞬間、 「時」というものをどれだけ意識しているだろうか。 12時間という塗り絵の中で、 どこまで細かい着色にこだわっているだろうか。 時は漠然と流れながら、過去の記録を示していく。 点描も数が集まれば 「かたち」 を持ち始めるように。 残すという行為を、大切に視野の中に捉えていたい。 3600個の1円玉は、 仮に未完成の60個であっても、 それは60分の1の 「かたち」 を持っているのである。 (2008.05.03)
2009.05.05
長いこと温めてきた、そして取り組んできたあることを、 この五十という年齢で一つケジメを付けるべきかなと思う。 「五十而知天命」。 論語の示す天命には程遠いが、 気のせいだろうか、 こうしろという語りが、ここにきてよく聞こえてくる。 それが何とはまだ書けない。 だがもしケジメを付けるなら、 今の仕事と融合した、きっと過去にない素敵なテーマになるだろう。 ありそうでなかった、大事なもの。 そしてそれを世に問うことになるかも知れない。 自分が蓄えてきたものを、使えるかたちに加工していく。 塾で子どもたちに指導しながら、 そこに生まれる熱いものを取り込みながら。 何か明日に、素晴らしい作業が待っているような気がする。 まだどうしようと決めたわけではない。 進むべきかどうか。 この皐月のうちにその具体的な結論を出せたら。 そう思っている。
2009.05.04
入試の得点開示結果がいくつか届いている。 蕨高校に合格したある生徒の得点が、 173点だったと聞いて驚いている。 塾での努力がかたちとなり、本当に良かった。 その得点なら数ランク上の高校でも間違いなく受かっていただろう。 各サイトや塾生たちの結果を分析すると、 浦和でも174点なら確実ライン。 大宮で169、市立浦和で164、蕨なら158前後だ。 今年は開示の結果、あと1点で惜敗した生徒がいた。 あと2点だったという生徒もいた。 彼らは単純にあと1問正解していれば合格していたことになる。 ケアレスを一つ防げれば合格していたのだ。 長期自分と向き合い、努力し、 最後の舞台でたった1問で運命が決まる。 この入試の意味を、来年の受験生もしっかり把握して欲しい。 今を大事にしなくてはならない。 1点を疎かにしてはいけない。 直前ではなく今から、1点を取れるベースを築いていくのだ。 その意味合いを、 対策の場で何度も語っていきたいと思う。 貴重な事例である。 深夜まで闘っていた彼らの頑張りを知っているだけに、 彼らの無念を、 何としても後輩に託したい。
2009.05.04
みんな小さいよと思う。 本気で成績を上げたいのなら、命懸けで自分を託すべきだ。 楽もしたい、でも成績も上げたい。 その希望に沿ったルートは、残念ながら存在しない。 1点を取るためには、1点なりの過程がある。 そして10点を取るためには、 1点とは違う、10点なりの過程がある。 そして忘れてはいけないのは、 20点失点するのには、20点なりの失点の過程があり、 40点失点するのには、 40点なりの失点の過程があるということだ。 君はその意味を解っていない。 君がもし60点失点したのなら、 そこにある60点分の可能性を、 誰が何と言おうと、 確実に折り詰めにしてでも持ち帰らなくてはならない。 命懸けで9割取ろうと思うのなら、 9割取ってみればいい。 手段を選ばず、人生を賭けて、 9割取ってみればいい。 9割取ってみるのだ。 9割取るのだよ。 もし取れないのなら、 努力のレベルがどうだったのか、 どんなに頑張っても絶対取れないものだったのかを、 丸一日掛けて、真剣に分析してみなさい。 夜中も寝ないで考えてみなさい。 敵に勝てるかどうかは、 君のあるべき姿勢と到達度で、100%決まる。 君がダメだろうと思えば、結果はその流れを引く。 君が常に勝つことをイメージしていれば、 不思議とその延長に結果は帰結する。 そんなものなのだ。 みんな小さいよ。 力がないのに精一杯頑張っている仲間がいる。 敵わない敵に、エネルギーを限界までぶつけている仲間がいるのだ。 その事実を、君にはしっかりと見届けて欲しい。 練習しなければ上手くなれない。 練習しなければ上に這い上がって来れない。 練習しなければ笑顔が約束された結果が得られない。 分かり切っていることだ。 非力であっても、 非力ならばこそ、 感じなければならない熱い体験がある。 そのドラマは、極彩色で、 この教室の仲間たちの背中に展開されている。 隣の 「あいつ」 に展開されている。 ここにエネルギーがある。 先輩たちの汗と、今の同朋たちの魂が、 ここにあるのだ。 今すべきこと。 それはペンを持ち、自分のために活字と向き合うこと。 その奥に、君の夢の原型がある。 そうではないのか。 昨日、今日と収穫なく過ごした君。 君のペン先は何処にある。 ペンは君が握るから熱い鼓動を叫び、 1ミリの可能性を教えてくれる。 ・・・そうではないのか。
2009.05.03

こいつは馬鹿馬鹿しくて好きだ。 うちの息子たちにも中学生のころ読ませた。 全国のつわものたちが集結する模試風景や、 成績の掲示発表、授業の様子など、 ナンセンスでありながら、妙に競争というリアルを追求している。 あり得ないネーミングも秀逸だ。 もう古書店を探しても全巻揃えるのは難かも知れないな。 息子たちには、 「漂流教室」「魁男塾」「北斗の拳」「アストロ球団」なども、 私の蔵書から貸した(古い!)。 別に何の脈絡もない。 ただ面白いからだ。 漫画を与えたら、それに夢中になって勉強しないって? そんなことはない。 案の定はまって何度も読み返していたが、 却ってすべて禁止にするより息抜きが出来て良かったようだ。 「東大~」などは、がり勉の様子や勝負に賭ける生徒の話が盛りだくさんで、 ある意味、勉強に対して刺激になったのではと思う。 今でもたまに息子と漫画談義をし、 当時のネタで盛り上がっている。
2009.05.03
「15アイテム」という記事を先日書いたが、 そのなかのひとつ、「クリアホルダー」 について補足したい。 クリアホルダーとは書類などを一時的に保管するための、 ソフトビニールの簡単なファイルのことだ。 大事なプリントやテストなどを挟み、使っている人も多いと思う。 だがそれも2つ3つ携えて管理用で使用するだけなら、 正直もったいない。 もっと大量に仕入れ、 学習のアイテムとして使いこなせないか考えてみよう。 まずホームセンターなどに行き、100枚束を仕入れてみる。 同時に付箋も購入しておくとよい。 そして自分の学習で区分したい分野ごとに、 可能な限りに細分化し、ホルダーを作っていく。 中身にはプリント、切抜き、データ類、まとめたリスト、メモなどを挟んでいく。 インデックスとして付箋に項目を書き、 内側から貼り付けよう。 例えば 「室町時代の社会と文化」 なら、 そこには金閣・銀閣の資料写真はもとより、 能楽・水墨画・書院造などの総合的な文化のデータ、 演習プリント、リスト化した一覧、模試などの実践問題、 さらには 「惣」「座」 などの要点や、資料背景なども徹底して放り込む。 理科の 「分解」 がテーマなら、 酸化銀・水・炭酸水素ナトリウム、塩化銅にまつわる、 あらゆる問題と要点を集約する。 化学反応式が苦手なら、その演習に使った用紙を挟んでおく。 どこが問われるか、一問一答を含め、実験装置のメモやイラスト、 試薬、モデル図、入試過去問プリントまで、 あらゆる物を一元化し、そこに集めていく。 「漢字・書き取り」 「空間図形」 「英会話表現」 「文学史」 テーマは無尽蔵にある。 学習における学ぶべき知識は膨大だ。 それをクリアホルダーによってより細かく細分化し、 項目単位のホルダーにしていく。 大きなものを、幾つもの 「セル(細胞)」 にしていく感覚だ。 インデックスを付け区分されたホルダーは、 常に机の棚に立て掛け、手に取れるようにしておく。 全教科シャッフルされたそれは、 100ともなると幅は約30センチ。 自分の頭で区分すべき単元ごとの超重点集が、そこに復元されている。 頭に収めきれないから、一時収納として、 分類したカテゴリーを自身の手で作っていくのだ。 後はその一つを無作為に手にし、本物の脳に刷り込んでいく。 手応えのある物は左端に戻し、 再確認を要する物は右端に戻していく。 そうすることで、次に手にする物の重点バランスが操作出来るようになる。 右寄りのホルダーが常に制覇出来るようなら、 理解度も高まったということ。 無数の単元をこのように「セル」にしていく作業は、 自身の課題をはっきりさせ、ピンポイントで制覇していくのに、 非常に高い効果を示す。 定期テストや模試の抽出問題を挟んでもいい。 新しいメモが増えたら、該当する所へ収納していく。 「セル」 は完成に向けて成長していくのである。 100をクリアしたら、200に挑んでもいい。 手にし、それが理解出来ていればインデックスの色を変えていく。 それもまた方法だ。 「英語」などと漠然に区分されたクリアホルダー。 厚み3センチのそれに意味があるかを、一度考えてみよう。 知識は細分化することで、病理をも見えてくる。 「セル」はそのポイントを治癒し復元させていく、 最小単位でもある。
2009.05.02
絵というものは、自由に描けるから面白いのです。 ヘタクソでも、自由だから価値があるのです。 発見があり、熱いのです。 あらかじめ下書きの線が入っていたら、 それは創造ではありません。 白い画用紙に、さあ何を描こう。 そんな、自分で考え組み立てていく行為に、 本物の 「やる気」 というものが育まれていくのです。 あらかじめ用意された環境。 型に嵌った、いつもの路線。 決められた味気ないお膳立て。 子どもの能力は、 これらを破壊する瞬間に伸びていくのです。 自力で打ち破り、前に進もうと試みる。 いわゆる「親の指示を守るいい子」ではなく、 「言うことを聞かない子」にこそ、飛躍できる環境が整っているのです。 そのことに気付いていない大人が多くありませんか。 親のお膳立ては、 親の価値観や常識をもとに描いた、親の絵です。 子どもの絵ではありません。 その下書きをなぞらせていて、本物の発想は生まれて来るでしょうか。 もちろん段階を踏み、模写しながら学ぶ時期は必要でしょう。 でもそれにはやがて卒業がやってきます。 子どものサインをヒントに、 あるタイミングで白い画用紙を与えてみることが、 後の自立に大きな約束をもたらすのです。 絵というものは、自由に描けるから面白いのです。 ヘタクソでも、自由だから価値があるのです。 そんな、自分で考え組み立てていく行為に、 本物の 「やる気」 というものが育まれていくのです。 やる気はあらゆる活力の源となり、 考え進んでいく、自身の骨格を作っていきます。 絵という題材を使いましたが、それが指すものは、 学習であり、家のルールであり、時間管理であり、 果ては親子の会話そのものでもあります。 よく、ある年齢が来たからもう干渉しないという親がいます。 お母さんは、子どもが言うことを聞かず困っているようです。 何か言えば反抗し、こうしろと言ってもやろうとしない。 だから干渉を極力抑え、共生へと転じているのです。 ここで大切なことは、 まず子どもの絵を並べてみることです。 すべてです。 そして親の絵は封印します。 子どもの絵を観賞(聴き取る)ことに徹し、 そこから新たな創作を生み出していくようにしていきます。 子どもの生き方も行為も、すべてが子ども自身のものです。 どう描き、どう進んで行くか、 それは子どもに責任を与え、自力で生み出させるしかないのです。 親は飽くまでもサポート。 ただし、経験を踏まえ、無数のヒントで後押ししてあげればいい。 間違ってもこうあるべきだと、押し付けてはいけません。 押し付ければ押し付けるほど、 子どもの巣立つ時が遅れていくものなのです。 未知の領域に踏み込んでいく力は、 与えられたものをただ丁寧になぞっていても培われません。 失敗しながらも自力でこなしていくこと。 そういった行為が自然に出来る環境を、 大人が与えてあげるのです。 強い創造力や資質は、出番を待つように、 どんな子どもの中にも眠っています。 家にあるいくつもの色あせた絵は、 誰が描いたものですか。 白い画用紙はありますか。
2009.05.02
漢検の新検定料が決まりましたね。 う~ん。 圧倒的に受験者の多い「7~準2級」が、 最も値下げ幅の狭い「ー200円」。 「2級以上」は、一律「ー500円」か。 それでも受検者にとっては有難い話だね。 協会さんも色々と大変だ。 一人300円でも年間280万人だから、8億を超えるわけだ。 HPも見てみよう。 そして、今後は新料金でいいので、至急申し込もう。
2009.05.01
連休期間の予定を書いておきます。 間違いのないように、お願いします。 5月2日(土)~8日(金)・・・・平常授業なし ※小学生~中2生、高校生は全員休みとなります。 ※高校生は5月9日(土)より平常授業を再開します。 5月2日(土)~6日(水)=休校 ※教室は閉まっています。 5月7日(木)・8日(金)=中3生の修学旅行振り替えのみ実施 ※中3生の振り替えは9日も含め3日間です。 ※クラス単位でスケジュールを決めているので、日時に注意を。 ※振り替えのないクラス、2回のクラスもあります。 5月7日(木)・・・・漢検申し込み締切日 ※この日が休みの生徒がほとんどなので注意して下さい。 ※最悪、電話でも受け付けますので、意思表示を必ず。 5月11日(月)~・・・トライアルの実施(原則、連休明け最初の授業) ※小6~中3まで実施。学年ごとの範囲に注意を。 ※範囲は面談にて伝えてますが、後日ブログにも再掲載します。 ※連休中は、教室のドアにも掲示しておきます。 別件として、中間試験の範囲表を早急に提出して下さい。 7日、8日に配布されたところは必ず即持参を。 試験日程も大半が不明です。 中学の学校予定表は、まだ1校1学年しかいただいてません。 テスト対策の日程組みや講師の調整が出来なくなるので、 大至急予定を教えて下さい。 以上
2009.05.01
全38件 (38件中 1-38件目)
1